ウィーンで“綾小路きみまろ”? に遭遇

2011年10月25日
午前中はハプスブルク家の王宮(Hofburg)を隅から隅まで見てまわりました。私たちが泊まっているグランドホテルからは歩いて行ける距離にあるのですが、あまりの広さにヘトヘトです。L1010891 昨日行ったシェーンブルン宮殿はあくまで“別荘”。こちらは本家のほうですから、それも当然でしょう。といっても、私たちが観てまわったのは旧王宮だけで、いまでは博物館やら図書館になっている新王宮まではとても手がまわりませんでした。こちらは次回のお楽しみということで。

L1010894 王宮の敷地内には熱帯植物園がありますし、そこここに芸術家の像が、なにげに建っています。モーツァルトの銅像の前で写真も撮りましたが、ほかにも写真に収めたい銅像やブロンズ像があちこちにあり、もう追いつきません。

食後は「ウィーンの森」観光です。前日、予約を入れたので、客は私たち4人だけ。メルセデスのミニバンは貸し切り状態でした。シェーンブルン宮殿の南、市の中心部からクルマで40分ほど走ると、そこはもう都会の喧騒とまったく無縁、まだ手つかずの自然がたっぷり残っている静寂なエリアです。

最初に立ち寄ったのは、1000年近くも前に建てられたリヒテンシュタイン城。次が、ヒンターブリュール(Hinterbruehl)にある、ヨーロッパ最大(6200㎡)の地底湖ゼーグロッテで、ここは船に乗って観光しました。湖といっても、1848年から20世紀初頭まで石膏が採掘されていた跡だそうで、1912年の洪水で地底湖になったといいます。

L1020029 それから、シューベルトが「菩提樹」などを作曲したといわれる、ガストホーフ・ヘルドリッヒスミューレ(以前ここに水車小屋があった)で記念撮影のあと、ハイリゲンクロイツ修道院(1133年創建)を見学、最後にマイヤーリンクの山荘を訪れました。ここはかつてハプスブルク家の狩猟用の館として使われていたとのことですが、皇太子ルドルフが愛人と自殺した場所としても知られています。

おもしろかったのは、この半日ツアーのガイドをしてくれた倉永建男さんという方が綾小路きみまろにそっくりだったこと。ウィーンでは有名な日本人ガイドのようで、終わって解散するとき自己紹介をしてくれたのですが、ホテルに戻ってインターネットで検索すると、たいそうな学識の持ち主で、上智大学でドイツ哲学を学んだのちドイツのハイデルベルグ大学、ミュンヘン大学を経て、ウィーン大学哲学部博士課程で学んだそうです。同行したHさんと年齢も大学も同じであることがわかり、事前にそうと知っていたらもっと盛り上がったことでしょう。

岡山のデパートが経営する日本料理店

2011年10月24日
今日のメインイベントは、ハプスブルク王家の夏の別荘シェーンブルン宮殿見学です。都心からタクシーで15分ほどのところにあるこの宮殿、ウィーンのランドマークの一つとされているように、正門から目に飛び込んでくる黄色い建物の大きさ、その前庭の広さには圧倒されました。L1010915 しかし、これはまだ序の口で、その裏手に広がる庭園がべらぼうに広いのです。ただ今日は、内部で公開されている40室のすべてをガイドが案内してくれるツアー。3時にスタートし終了は5時をまわってしまいますし、あいにく雨模様なので、外の庭園エトセトラを観るのは後日にまわさざるを得ません。

それでも、ハプスブルク家の家系図の説明から始まるガイドツアーは、その説明ぶりのわかりやすさ・詳しさもあって、十分楽しめました。これほど大規模な夏用の宮殿をつくった后マリア・テレジアの気概が随所にあらわれるという感じです。内部のきらびやかな様子は観光ガイドブックにも詳しく掲載されていますが、ヴェネツィアングラスの技術を駆使して作られた鏡の間や、当時のヨーロッパがあこがれていた中国、さらには日本の陶磁器や漆を配した部屋の迫力には圧倒され、ため息の連続。別荘でここまでのレベルですから、旧市街にある宮殿のほうはいかばかりかと、思わず想像をめぐらせてしまいました。

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地下鉄でホテル近くまで戻り、夕食を食べる店を探します。ふた晩続けてウィーン料理でしたから、さすがあっさり・さっぱり系のものがほしくなり、結局、日本料理店をチョイス。ウィーンでは数少ない、日本人の経営になる店で、名前はTENMAYAといいます。

「岡山のデパート同じ名前なんですね」と、なんの気なしに聞いたら、「そうです。同じ経営です」との言葉にびっくり。今年で開店20周年だそうですが、20年前、天満屋の社長一家がウィーンを訪れた際、日本食を食べられる店がないというので、みずから店をつくったといいます。社長の娘さんがウィーンに留学していて、その縁でこちらにやってきたらしいのですが、ウィーンと岡山という組み合わせには驚きました。肉まみれの食事が続いていただけに、久しぶりの日本食(冷奴、酢の物、サンマの塩焼き等)に舌鼓を打ちました。

ハプスブルク王朝の力を実感させるウィーン旧市街

2011年10月23日
今日は日曜日。ドイツと同じく、ここウィーンでも、基本的に日曜日は店が休業で、飲食店以外で開いているのはおみやげ屋くらいしかありません。それでも、オペラ劇場の脇を走るケルントナー通り、コールマルクト界隈、シュテファン広場の周辺は大変な人出です。

残念なことにお天気はいまイチで、夕方遅くからは雨も降り始めました。それでも、観光客の数はいっこうに減る気配もありません。しかし、店が閉まっているので、皆、何かを買いたくてもこの日は我慢。観光客の大半はウィーンに滞在する日数も限られているのに、もったいないなという気がします。宗教的な理由もあるのでしょうが、古くからの決め事だそうですから、いたし方ありません。

この日はまず、オペラ劇場の前から出て1時間ほどで市内の有名観光スポットをざっとめぐる観光バスに乗りました。L1010876 インナーリンクと呼ばれる旧市街をめぐる路線で、ホーフブルク(王宮)、マリア・テレジア広場、国会議事堂、市庁舎、パスクヴァラティハウス(ベートーヴェンが住んでいたアパート)、ドナウ運河にある水中翼船乗り場(スロヴァキアの首都ブラチスラヴァ行き)、ループレヒト教会(ウィーンで最古)、シュテファン大聖堂(写真)、応用美術館、市立公園などをバスから観ることができます。これで、旧市街の様子を、ざっとではありますがつかむのが目的です。

王宮はもちろん、どの建物もたいそう立派なつくりで、外壁は下から上まで多くの彫刻で飾られるなど、それぞれ凝っています。それにしても、よくもまあ、これだけ多くの建物がつくられたものだと感心させられました。13世紀の始めごろこの地を本拠地としていたかのハプスブルク王朝の力を思い切り見せつけられた感じで、ウィーンがヨーロッパの一大中心都市であったことがうかがい知れます。

バスを降りたあと、シュテファン大聖堂近くにある、ディグラスという1875年創業のカフェに立ち寄りました。ピンク色の外装もユニークでしたが、中は150年以上の歴史を感じさせる落ち着きを感じさせます。4人それぞれ、思いおもいのコーヒーを注文、とんでもないボリュームのスイーツも2種類オーダーしました。

L1010871 縦・横・高さがそれぞれ7~8センチはあろうかというメレンゲの下に大きなアプフェルシュトゥーデル(リンゴのパイ。ただし、日本のアップルパイをイメージしては×)にはたまげました! どのコーヒーもえらくおいしく、ホイップクリームやミルクをふんだんに使っているのが特徴です。カップではなくグラスに入って出てくるものがけっこう多いため、いろどりというか見栄えもきれいで、ただコーヒーを飲むだけでなく、ケーキ等と一緒に楽しむという食文化がよくあらわれています。

そういえば、行きに乗ったオーストリア航空の機内食の最後にデザートとコーヒーが供されるのですが、そのコーヒーもなんと10種類ありました。コンシェルジュのようなスタッフが、一つひとつ、どんな中身なのか詳しく説明してくれるのが、ほかの航空会社にはないサービスで、感心させられます。

初日はウィーン料理を堪能

2011年10月2日
今日の午前11時発のフライトで約11時間、ウィーンにやってきました。時差の関係で、到着は同じ日の午後4時。ウィーン国際空港のしょぼさにはがっくりきました(リノベーションの途上のようです)が、空港から都心まではノンストップの電車が走っており、わずか16分でミッテ駅に到着します。宿泊先のグランドホテルまではタクシーで5分ほど。L1010841 1870年創業という老舗のホテルですが、見た目も内部も、古めかしい感じはまったくありません。ホテルの裏口はそのままショッピングモールに通じており、その階下にはスーパーマーケットもあって使い勝手はよさそうです。何より、ほとんどの有名観光スポットまで歩いて行ける便利さが助かります。

ロサンゼルス郊外に住む学生時代の先輩で、ひと足先に到着していたHさん夫婦とホテルで合流、さっそく夕食を取りに出ます。私たちのホテルの並びが国立歌劇場(オペラ座)で、そのすぐ裏に建つアルベルティーナ美術館の1階にある、Augustinerkeller(アウグスティナーケラー)という店に行きました。“keller” という言葉から想像されるように、もともとは修道院の地下室(ワインをつくり寝かせておくところ)だったようです。

内陸国のオーストリアですから、メニューは肉が中心。シュニッツェル(薄切りカツレツ)、ターフェルシュピッツ(牛ほほ肉の煮込み)、ツヴィーベルブラーテン(焼いた豚肉の上にカリカリに焼いたタマネギを乗せたもの)の3大ウィーン料理プラス、自家製(というか、このあたりの国では、自家製しかないようです)のソーセージを堪能しました。

アコーディオンによるシュランメル音楽の生演奏も楽しめるなど、非常にカジュアルな雰囲気が、最初の日の夕食に興を添えてくれました。シュランメル音楽というのは、当地特有のホイリゲ(ワイン居酒屋)や昔からある宿屋で演奏されていた民謡や行進曲、ワルツ、ポルカなどの舞曲のことだそうです。そういえばウィーンを紹介するテレビの旅行番組などでバックに流れているのを耳にしたことがあります。

さて、いつもそうなのですが、国内でも海外でも、旅先で食べるものの写真を撮ろうと思っているのに、まず実行できたためしのない私。運ばれてきた料理を見ると、食欲のほうが圧倒的な勝利を収めてしまい、今回も写真を撮るのはかないませんでした。

キャセイの帰国便で最新型ビジネスクラスシートを体験

2011年9月29日
今回のニュージーランド行き、フライトはキャセイパシフィックでした。羽田→香港→オークランド、そしてオークランド→香港と、すべてビジネスクラスではありましたが、ここまではどうにも不満でした。キャセイの空港ラウンジはたしかに素晴らしいのですが、肝心の座席がこれでは……と、乗るたびに思っていました。

ビシネスクラスの座席はシートの幅が広く、前後の座席とのスペースが十分にあり、リクライニングが最大限180度(フラット)に近いというのが基本条件ですが、キャセイのビジネスクラスは、座席の配置そのものが違い、窓を背に斜めにシートが配列されています。言葉は悪いのですが、棺桶を斜めに並べたような印象です。隣とはパーティションで仕切られているので、1人で乗るビジネスマンには好都合なのでしょうが、私たちのような2人連れにはちょっと……という感じが否めません。

座席の幅も、普通のビジネスクラスのそれよりやや狭い感じがしました。ただ、座席は180度になりますし、テレビが大きな画面で見やすいのもいいと思います。でも、なんというか落ち着かないのです。窓を背にしているせいでしょうか。

ところが、最後の香港→羽田便は素晴らしい座席でした。基本コンセプトは先のそれと変わりませんが、窓が前方横にあるので、何より落ち着きます。座席はやや斜めになっていますが、配席が左1+中央2+右1(通常は2+2+2のパターンが多い)なので、正方形のスペースに収めてあるので、窓側に大きな余裕が生まれます。それを利用して靴入れや書類入れなどのボックスが設けられ、テーブルも広々、テレビ画面も大きく、じつに快適でした。詳しくは、下記のウェブサイトをご覧ください。
http://www.cathaypacific.com/cpa/ja_JP/whatonboard/newbusinessclass

基本コンセプトが従来のビジネスクラス座席とまったく異なる故のとまどいもあったのですが、それまでの3回のフライト経験からすると、やはりアイデア倒れといった感じがしてなりません。しかし、4回目に乗った新型ビジネスクラスは、それを大きく改良したもので、うまく行ったのではないかと思います。

フィジー対サモア戦はハカの応酬

2011年9月25日
同じ南太平洋に浮かぶ島国どうしの対決、しかも両チームとも、試合開始前にハカを披露するということもあってか、チケットは早々に売り切れたそうです。
L1010814 当地のニュース番組でも数日前、そのことを報じていました。私たちも当初、この試合を観る予定はありませんでした。しかし、今日がたまたまポッカリ空いてしまったので、急遽、旅行会社を通じてチケットの手配をお願いしたところ、幸い2枚入手できたということで、さっそく買い求めたのです。

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南半球はラグビーの強豪が多く、ニュージーランド、オーストラリア、そして南アフリカと、3カ国がこれまでワールドカップで優勝を果たしています。アルゼンチンも前回のフランス大会で、大方の予想を裏切って3位に食い込みました。ふだんからそうした国々と相まみえているこの両国も実力的には日本より明らかに上を行っています。ただ、南国ゆえのアバウトさがあり、パスがいいかげんになったりすることも少なくありません。それでも日本は、同じようなラグビーをするトンガに歯が立ちませんでした。

雨模様だったこともあり、キックオフ直後から、どちらもパスミスが目立ちました。しかし、現時点ではサモアの実力が勝っているのはまちがいなく、徐々に差を広げていきます。両チームとも、その魅力はスピードです。サモアは選手が皆相撲取りのような体格なのですが、それでもスピードはすさまじいものがあります。

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フィジーはかつて「フィジアンマジック」という言葉があったほどで、教科書どおりとはほど遠い、変幻自在のパスまわしを得意としていたのですが、近ごろはそうした面影はなく、この試合ではサモアに圧倒されていました。ときおり見せる、スピードに満ちた突破力も、ここぞというところでミスが出てしまい、生かしきれません。結果は27対で7でサモアの勝利に終わり、予選プール突破に希望を残しました。

ワラビー、スプリングボックスの実物に遭遇

2011年9月23日
このところ、海外に出ると、できるかぎり動物園に足を運ぶことにしています。ベルリンで感動したのがきっかけですが、今回は初めて、南半球の動物園に行ってみました。

L1010733 オークランド動物園はさほど大きくはないのですが、中はひじょうに工夫されたつくりをしています。入口を入ってすぐにキリンと出くわしたのには驚きました。それも見物客のための通路が上にあるのです。キリンの背が高くても、通路からは見下ろす形になります。ロンドンの動物園もよく似ていましたが、向こうは、キリンがいる場所のまわりのごく一部に、階段を上って降りるスタイルの箇所があるだけですから、こちらとはかなり趣きが異なります。

L1010764 しかし、いちばんおもしろかったのはワラビー、そしてスプリングボックスという、南半球ならではの動物でした。日本ではせいぜいカンガルーまでしか見られませんが、さすがオーストラリアのすぐ近くですから、ワラビーがいるのも当然でしょう。ちなみに、ラグビーのオーストラリア代表チームの愛称はワラビーズといいます。また、スプリングボックスは、南アフリカの代表チームの愛称ですが、実物を見たのは初めてでした。

マオリ族について学んだこと

2011年9月22日
さて、今日はパイヒアをたち、2百数十キロ南のオークランドに戻ります。途中、ワイポウア・フォレストとカウリ博物館に立ち寄りました。ワイポウア・フォレストはさすがヒーリング・スポットといわれるだけあって、神秘的な雰囲気に満ちた森の中に立つカウリの巨木の姿には胸を打たれました。

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午前中は、ホテルのすぐ近くにある史跡(ワイタンギ)を訪れました。ニュージーランド発祥の地というか、1769年にイギリスの海軍士官ジェームズ・クック(ハワイを発見したことで有名)が初めて訪れたとされる場所です。以後、イギリスはじめヨーロッパ諸国の捕鯨遠征基地となり、移民も始まりました。その後、1840年にイギリスは、先住民族マオリとの間にこの地で条約を結び、直轄植民地としたのです。

L1010669_2 ただ、先にロトルアを訪れたとき、ガイドからマオリ族についていろいろ教えてもらったのですが、マオリ族自体、最初からニュージーランドにいたわけではなく、単にイギリス人よりは早かったということだと今日、知りました。もともとはポリネシのどこかから船に乗ってやってきたのだそうです。たしかに、その船はたいそう大きく、それを何艘も連ねてニュージーランドに上陸したわけです。ラグビーの試合前にニュージーランド・チームが披露するハカもマオリ族のものですが、踊りのスタイルは部族ごとですべて違っているようで、マオリ族の内部でも対立や抗争があったようです。

その後訪れたカウリ博物館が出色でした。ツアーの予定では、ランチを取るのに適当な場所がないのでしょうことなしに立ち寄るかのような印象しかありませんでしたが、どうしてどうして、これがなかなかの施設なのです。カウリの巨木は家具をつくるのには素晴らしい素材だったようで、それによって作られた家具も展示されていましたが、それもみな素晴らしいものばかりでした。

L1010666 マオリ族の風貌は、北海道にいるアイヌ、また琉球の先住民族ともどこか似ているところがあります。顔も含め、からだ全体に入れ墨をする風習があったようですが、それもアイヌと共通しています。おそらくははるか昔に流れ着いたか移動してきたのかわかりませんが、元をたどれば同じ民族だったのではないかと想像をかき立てられました。

トンガにも、やっぱり負けたJAPAN

2011年9月21日
今日は、予選プールで日本代表が勝てそうだと目されている相手トンガとの試合。そのためか、ニュージーランド戦をはるかに上まわる日本サポーターがスタジアムに駆けつけていました。パイヒアからバスで南へ1時間少々、フワンガレイという町にある素朴なスタジアム(ノースランド・イベンツセンター)は3万人収容ですが、おそらく1000人以上の日本人がいたでしょう。

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だが、しかし、です。今日もまた日本代表は、「らしさ」をまったく発揮できないまま負けてしまいました。ボールのハンドリングミスは相変わらず。パスも必然性に欠けるというか、パスのためのパスのような印象を受けます。家人はそれを見て、「勝てない時代の日本のサッカーと同じよね」というのですが、的確な表現だと思いました。なんというか、なぜ、このタイミングで、この相手に──その意図が見て取れないのです。

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トンガは世界ランクでは日本とさして変わりありません。しかし、体格的には日本を上まわっていますし、スピードもあります。ただ、プレーに粗っぽさがあるのが難点で、そこに日本のつけ入るスキもあったように思えたのですが、それと同じレベルでしか戦えませんでした。フランス相手のときはそこそこ戦えたのに、トンガのレベルに合わせてしまうものですから、日本の持ち味が出せるはずもありません。

試合前、ヘッドコーチのカーワンを先頭に代表チーム全員で、ヒーリング・スポットともパワースポットともいわれるワイポウア・フォレストに行ったそうです。ここには、樹齢2000年というカウリの巨木(タネ・マフタという)があるのですが、そのパワーを得て精神面を強化しよう(要は厄払いですかね)としたそうですが、それもとうとう実りませんでした。どうにも欲求不満の試合でしたが、あとはカナダ戦の勝利を祈るしかありません(おそらく負けるのではないかと思いますが)。

海辺の素晴らしいホテルに移動

2011年9月20日
今日でとりあえずオークランドを離れます。というのも明日の日本対トンガの試合は、同じ北島でも、さらに北にあるフワンガレイという町でおこなわれるからです。しかし、フワンガレイはごく小さな町で宿泊施設も少ないため、私たちはそこからさらに北に行ったパイヒアというところで泊まります。

バスでオークランドを出てすぐ、クメウというところにあるソルジャンズ・ワイナリーで、ワイン醸造の現場の見学がてらランチをし、そこからえんえん移動するのですが、やはり人の姿はほとんどありません。ただ、ロトルアへの道のりと違い山や丘が多いですし、そのぶん木々の姿も目立つので、それほど退屈はしませんでした。

L1010610パイヒアはニュージーランドでも屈指のリゾート地で、ベイ・オブ・アイランズの一角にある町。美しい海岸線、静かな湾がセールスポイントのようです。オークランドからたかだか200数十キロ北へ上がっただけなのにオークランドより気温も高く、世界各国から観光客が訪れるというのもわかるような気がします。 私たちが泊まるホテルは海っぷちにあり、窓を開けると目の前が浜辺という、素晴らしいロケーションでした。 しかし、フワンガレイを過ぎてから小1時間ほどの道は山また山で、それこそ夜になれば漆黒の闇といった感じです。今日は移動が夕方でしたのでまだよかったのですが、明日の試合が終わったあとの帰り道は……。

オークランドに坂や丘が多い理由

2011年9月19日
オークランドに来て今日で6日目、やっと市内観光をしました。たまたま、昨日ロトルア日帰りツアーのガイドをしてくれた方がまたまたガイド役で、しかも客は私たち2人だけ。最初からアットホームな雰囲気で、かなりわがままをしました。途中、海に近い超高級住宅街を走ったのですが、「実は私も、この隣のエリアに住んでいるんです」などという、ごくプライベートな話まで披歴してくれ、実際、ガイドさんの自宅の前を走ってくれました。

L1010390 これまでオークランドの町をあちこち歩きながら思っていたのは、とにかく坂や丘(高台)が多いなということです。ガイドさんの説明によると、オークランドの一帯はもともと、火山が噴火した跡にできた町なのだそうです。あちこちに見える丘は、大規模な噴火で吹き飛ばされた、山の一部とのこと。市内になんと40カ所以上あるという話えした。

L1010578 その一つ、標高196メートルのイーデン・マウンテンにも登ったのですが、頂上が展望台になっています。そこから360度のパノラマでオークランドの町全体が見下ろせるのですが、美しい海と複雑に入り組んだ海岸線が見えました。高層ビルがほとんどないため、見晴らしも抜群。アイルランドvsオーストラリアの試合を観た、ラグビーの聖地イーデンパークも見えましたが、住宅街のど真ん中にあることがよくわかります。つまりは、ラグビーが日常生活のごく一部であるということです。こういう国を相手に戦ったとしても勝てるわけがない──納得しました。

人はどこ? 目に入ってくるのは牛と羊だけ

2011年9月18日
今日はオークランドからクルマで3時間ほどのところにあるロトルアという観光地を訪ねました。地元旅行会社が主催している現地ツアーに参加したのです。日本列島と似て、島内に火山がいくつもあるニュージーランドには温泉も多く湧いています。ロトルアもその一つで、観光の目玉は間欠泉でした。

L1010550 間欠泉がある一帯は、温泉地独特の硫黄の匂いがただよっていて、目をつぶれば日本ではないかと錯覚しそうです。小さな池を取り囲むようにして、ときおり熱い湯と水蒸気を噴き出すのですが、あたりの岩に腰をおろして、その瞬間を待ちます、岩は地熱でホカホカ温かく、こういう楽しみ方は日本にはなさそうです。残念ながら、アメリカのイエローストーン国立公園で見られるような華々しい噴き上げは見られませんでしたが、それでも温泉地の雰囲気はそこそこ堪能できました。

それにしても、オークランドからロトルアまでの道のりときたら……。人が住んでいるのは最初の30分ほどだけで、それ以後3時間は牛と羊しか目に入ってきません。見渡すかぎり牧草地が広がっているだけで、それはそれは退屈きわまりない風景でした。情報として知ってはいましたが、実際にそれを体験すると、なんとも不思議です。街路灯も何もないのですから、夜走ればかなり不気味な感じがするでしょう。そうした中を走っている道路の制限速度が100キロというのには驚きました。カーブが多少きついところは60キロくらいになっているのですが、それもこれも交通量の少なさによるものでしょう。

L1010512 間欠泉を見たあと、マオリ族の迎賓館のような建物に立ち寄りました。古式ゆかしいセレモニーを済ませないと、中に入ることはできません。いまでこそ観光の一部になっていますが、本来は非常に重要視されていたものなのでしょう。それに参加すると、なんとなく改まった気持ちになるのが不思議でした。

アイルランド対オーストラリア戦に見たケルト魂

2011年9月17日
アイルランド対オーストラリア戦に見たケルト魂
今日はオークランド市内にあるイーデンパークで、予選プールでも注目の試合、アイルランド対オーストラリア戦です。雨模様の中、会場に着いたのは試合開始の2時間前。前日のワイカトスタジアムなど足もとにも及ばない本格的なスタジアムです。この国で「ラグビーの聖地」と呼ばれているのももっともだと思いました。

試合はアイルランドのケルト魂が炸裂し、優勝候補の一つに数えられているオーストラリアは序盤からたじたじ。試合もアイルランドの勝利で終わりました。大変な番狂わせです。

それにしても、ケルト魂の素晴らしさには脱帽するしかありません。アイルランドはもちろん独立国ですが、その一部はイギリスに含まれています。イングランドとは異なる民族で、長い間しいたげられてきたこともあり、反骨精神とでもいうのでしょうか、イングランドに対する敵愾(てきがい)心はことのほか強く、ラグビーの試合にもそれが露骨にあらわれます。そのあたりは同じケルト民族の国ウェールズ、スコットランドとよく似ており、それ故にこの三つの国の戦いぶりはしばしばファンをうならせるのです。

L1010494 タックルも低いですし、ブレイクダウンのときに展開される肉弾戦ではとてつもない粘っこさを発揮します。最近ではすっかりリッチな国になったオーストラリアも、イングランドの流れを引いた国ですから、アイルランドにとっては何がなんでも叩きのめしてやりたい相手。この日の試合はその気持ちがプレーにストレートに結びついたのでしょう、オーストラリアはほとんどいいところを見せられないままノーサイドのホイッスルを聞くことになりました。初めて目の当たりにした極めつけのケルト魂、その奥深さに改めて感動させられたナイスゲームでした。

予想どおり! ニュージーランドに完敗

2011年9月16日

緒戦のフランスとのゲームを落とした日本代表、昨日はオールブラックス戦でした。もちろん、勝てる見込みなどまったくありません。それでも、2005年大会の145対17という最大得点差の試合をされた屈辱を少しでもいいから晴らしてほしいという願いが日本人の私にはあります。

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試合会場は、オークランドからバスで2時間ほどのハミルトンという町にあるワイカトスタジアム。L1010397今回の大会は、予選プールの試合がニュージーランド全土でおこなわれるようになっています。といっても、どこもみな交通の便がそれほどよくないため、移動の手段はバスがほとんど。クルマとか鉄道もなくはないのですが、海外からやってきて、そうしたことに慣れていない私たちのような者にとってはバスしかありません。

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小さなスタジアムですから、会場はギッシリ満員。日本のサポーターも、圧倒的な少数派ではありますが、そこここにいます。残念ながら結果は83対7。内容的にもいまイチ、いやいま2でした。L1010433ニュージーランド代表チームは試合前にハカという短い踊りを披露するのですが、その迫力に負けないよう、日本代表は事前に周到な準備をしたと、地元の新聞には書かれていましたが、それも功を奏さなかったようです。L1010445_2

大事な場面どころか、なんで? と首をかしげたくなるようなところで単純なハンドリングミスをしたりペナルティーを犯したりなど、最初から最後までほとんどいいところなしといった感じでした。

しかも、このあとのトンガ戦やカナダ戦のことを考えてなのか、主力メンバーを温存、リザーブの選手を中心に起用していました。私にいわせるなら、ニュージーランドに対し失礼というか、せこいやり方ではないでしょうか。おそらく日本でもさまざま議論が起こるでしょうが、なんとも残念な一戦でした。

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ラグビーは、ニュージーランドの国技

2011年9月15日
昨日の夕方、羽田を出て香港経由でニュージーランド北島の中心都市オークランドに着きました。我が人生で3度目の南半球ですが、日本と季節が真逆なので、いまどきはちょうど日本の春本番前といったころ合いです。日本を出るときは半袖でしたから、空港のビルを出るとやはり肌寒く感じます。それでも、時差がわずか3時間ですから、アメリカに着いたときのような、頭がボーッとした風はまったくありません。それが救いといえば救いでしょうか。

ニュージーランドという国は、想像していた以上に都市的な交通基盤が整っていません。空港からオークランド市内に行くのも、バスかタクシーしかありません。私たちは、その中間的な乗合タクシー(こちらでは「シャトル」と呼ばれている)を利用して中心部にあるホテルに向かいました。シャトルは8~9人乗りで、客が行き先を告げると、空港に近い順でおろしていきます。料金は均一で1人20NZD。タクシーよりは断然割安です。

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空港からもうラグビーのワールドカップ(RWC)一色で、ホテルに向かう道路は、今回出場する20カ国の国旗で飾られていました。地元ニュージーランド代表=オールブラックスの旗を庭に立てている家、窓に貼っているビル。クルマも、オールブラックスの小旗を窓に付けて走っています。もともと大英帝国の植民地でしたから、イングランドやスコットランド、ウェールズの旗を掲げている家も少なくありません。近隣のサモアやトンガ、フィジーといった国々の旗も目につきます。

L1010388ラグビーというスポーツはサッカーと違い、基本的にイギリス文化圏のものです。サッカーもイギリスが発祥の地とされていますが、ルールが単純明解なせいか世界の隅々にまで広がり、そんなことを気にかける人などいないでしょう。これに対してラグビーは、ルールが難解と思われているせいか、いまでも数えるほどの国々でしかおこなわれていません。また、おこなわれていたとしても、競技人口がサッカーにくらべ圧倒的に少ないというのが現状です。

しかし、オーストラリアやここニュージーランド、さらにかつてイギリスの領土だったトンガやフィジーなどの小さな島国ではラグビーがしっかり根づきました。また、サモアは第1次世界大戦以降長らく、ニュージーランドの国連信託統治下にあった国です。ニュージーランドではラグビーが国技ですから、同じワールドカップでも、2007年のフランス大会のときと違い、その重みが圧倒的に違います。フランスでは、数あるスポーツの中の一つでしかなく、ワールドカップを開催していても、それ一辺倒ではありませんでした。ところがニュージーランドはまさしくラグビー一色。だからこそ、どこに行っても出場国の国旗が目につくのでしょう。

「三校肉」「クシパ」「うーメソ」「カノレビ」……??

2011年9月6日
韓国のエネルギーは、外国人観光客の誘致に対する姿勢にも垣間見ることができます。日本政府もいま、「VISIT JAPAN」というキャンペーンに力を入れているようです。観光庁などという役所まで設けたくらいですから、たしかに力を入れているその姿勢はよくわかります。しかし、俗にいう広告代理店ベースというか、〝お役所から予算を引っ張り出して、もっともらしいキャッチフレーズと写真を並べればそれでOK〟といった印象しかありません。泥臭い、あるいは現場ベースでの知恵が見えてこないのです。

韓国のソウルで気づいたのですが、地下鉄のホームに大きな液晶の画面が設置されていました。なんだろうと思って見ると、外国人観光客のためのガイド画面でした。ハングル(韓国語)はもちろん、英語、中国語(簡体字)、そして日本語の4カ国語の中から自分に理解できるものを選び出し、メニューに出てくる項目にタッチすると、「この駅の近くのおすすめスポット」「この駅の近くのグルメガイド」など、貴重な情報がどんどん画面に出てきます。

また、地下鉄、KORAILの自動券売機もこの4カ国語が選べるようになっています。「このボタンに触れてください」といったアナウンスも同じです。街に出ている通りの名前の表示、周辺の地図、名所旧跡の案内板など、ことごとく4カ国語の表示がなされ、これなら迷う人はいないだろうなと思いました。

東京都ないの地下鉄駅近くを歩いていると。路線地図と首っ引きで、駅の表示板をためつすがめつ見ている外国人観光客と出くわします。彼らは皆、同じことで悩んでいるにちがいありません。どうすれば○○駅に行けるのだろうかという、ごくごくシンプルな問題です。
そういえば、地下鉄車両内の路線図に出ている駅名も、ハングル、アルファベット表記、そして中国語と日本語の4つです。おもしろいのは、駅名の表記を漢字にした場合、日本語と中国語はほとんど同じなので、兼用になっていることです。この場合、表記は3種類ですむわけです。

ただ、日本語と中国語で異なる場合は、中国語が別に加わります。「プサン駅」のところには「부산역」「Busan」「釜山駅」そして「釜山站」とあります。中国語では「駅」を「站」というからです。「海雲台」は「해운대」「Haeundae」「海雲台」、そして「海云台」となっています。「云」は中国語(簡体字)で「雲」のことです。

それにしても、観光関係の仕事にたずさわる人のほとんどが日本語を苦もなく操っていることには驚きました。韓国語を話すことはハナからあきらめているこちらとしては、「では、英語で」と思って頭の中で考えていると、日本語で話しかけてきたりします。

タクシーに乗っても、運転手さんが日本語を理解していない場合は、「日本語通訳サービス」に電話がかけられます。フリーダイヤルなので助かります。運転手さん自身がかけていたこともありました。まあ、タクシーでどこかに行く場合、地名さえわかってもらえば事は足りるわけですが、その?音もこちらはあやしいわけですから、トラブルを防ぐには最善の策といえましょう。日本の観光地、とくに外国人が多く訪れるところ、また、この先たくさん来てほしいと思っているところも、これくらいの工夫が最低限必要ではないでしょうか。

あと、私が思っているのは、日本独特の食べ物の説明です。寿司やしゃぶしゃぶ、すき焼き、天ぷら、豆腐などは国際的にも認知されているので不要でしょうが、「うな重」とか「煮びたし」とか「南蛮漬け」「だし巻き卵」とか、簡単なのに、いざ説明するにはけっこう知識が求められるような日本料理がいくつもあります。観光庁あたりで音頭を取って、この種の料理の統一した英語(中国語、韓国語)訳を考案したらいいのではないかと思います。

もちろん、各お店でそれを表記するときは、ミススペルや誤記もあり得るでしょう。韓国料理の店に出ている看板やメニュ?でも、「豚の三校(?)肉」「クシ(?)パ」「う(?)―メソ(?)」「カノレ(??)ピ」といった類の誤記はしょっちゅう見かけました。でも、すぐにそれとわかりますから、さほど心配はないでしょう(でも、念のため。うーメソはラーメン! カノレビはカルビ!)。「三校肉」など、日本人でも気がつかないかもしれません(笑)。

ソウルの広蔵市場で感じたこと

2011年9月4日
3年ぶりに訪れた韓国でしたが、その間の、聞きしにまさる変わりようには驚きました。というか、発展の息遣いが聞こえてくるかのような印象があるのです。それは人々の歩き方や道路の込み具合などを?合した「街」の雰囲気にあらわれます。流れている空気が、なんとも表現しがたい熱を帯びているのです。

「街の雰囲気」というのは、その場にいる人の気持ちにけっこう影響を与えます。たとえば、沖?に行くとだれもが元?になれるのは、小さな子どもの姿を多く見かけるからではないでしょうか。尽きるところを知らないエネルギーの持ち主である子どもに直接間接を問わず触れれば、その体と心から発せられるエネルギーが一人ひとりに浸透してきそうです。

韓国でも日本同さま、首都への一局集中が進んでおり、その度合いは日本以上です。東京は集中といっても、日本の総人口の1割が住んでいるだけです。しかしソウルは2割の人が集中しているのですから、よし悪しは別にして、その勢いが違うのです。日本の高度成長期もきっとそうだったのだろうなと思わせる韓国のエネルギーには、この1週間、正直、あおられれっぱなしでした。

ソウルの都心、東大門市場のすぐ西隣に広蔵市場という、ちょっと小ぶりのマーケットがあります。東京・上野のアメ横を彷彿させるような場所で、狭いエリアに、間口1~2間ほどの小さな店がひしめき、それにはさまれている道の中央にはこれまた屋台がびっしり並んでいます。商品の展示の仕方ひとつとってみても、またそこに多くの人が行き交っているのを見ても、そうした韓国のエネルギーがひしひしと感じられます。

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「花美男(イケメン)」なんて、そこら中にゴロゴロ

2011年9月2日
韓国ではイケメン男子のことを「花美男(コミナム)」というのだそうです。韓流ドラマの俳優や歌手など、日本にやってくるたび、空港やイベント会場には中年を過ぎた女性がいっぱい詰めかけていますが、わざわざそんなところに行かなくても、韓国に行ったら、もうそこら中に若い「花美男」が見つかります。

とくに接客関係の仕事はその比率が高いようで、そうでない男性を見つけるほうがむずかしいという気がしました。日本から3泊4日の韓国ツアーなら、下手をすると29800円とかで行けますから、そちらに参加したほうがよほど〝効率〟はいいかもしれません。

一般人でもそうなのですから、芸能界ともなると、すさまじいものがあります。しかも、男性ばかりか女性も事情は同じ。いわゆるK-POP(韓国では「カヨ=歌謡=가요(gayo)」という)の歌手が登場する番組を見ても、Super Juniorが13人、ZEAが9人、INFINITEが7人など、大量の「花美男」から成るグループばかりです。

女性はというと、少女時代をはじめ、After Schoolだの、T-araだのSISTARだの、こちらも多人数編成のグループが目立ちます。そんな中、G.NAという女性ソロシンガーはえらく美形でした。

街を歩いてもテレビを見ても、美男美女のオンパレードなのですから、韓国を訪れる日本人観光客が目立つのも納得といったところでしょうか。

L1010341 話は変わりますが、先日お伝えした、韓国の都市には「原色」があふれているという話、その秘密の一端を垣間見ました。昌徳宮などでも見られるのですが、韓国の古い建物をよく見ると、たいてい原色がたっぷり使われていることに気付いたのです。三清閣という昔の建物を見学に行ったのですが、その屋根の裏にもごらんのような色使いが見られました。そうした伝統が韓国にはあるようなのです。

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免税店に日本の高校生が集団で買い物に!

2011年9月1日
私たちの泊まっている新羅ホテルの中に、韓国最大という免税店があります。ちょっとのぞいてみたのですが、たしかに広いこと、広いこと。お客さんの数も相当なもので、おそらく9割近くは、「円高」で喜んでいる日本人でしょう。

それはそれでいいのですが、お客の中に、なぜか日本の高校生のグループがいたのには驚きました。それも、韓国の旅行会社の旗を持った人に連れられてきていたので、修学旅行なのでしょうが、高校生がこういうところに来ていいのですかね。親や兄弟姉妹、親戚などに買い物を頼まれたのかもしれませんが、頼むほうも頼むほうだと思いますし、そうしたリクエストを、どういう形であれ満たしている学校も学校です。なんだか、うそ寒い気持ちになりました。

8月27日に、韓国のバイタリティーについて記しましたが、こういう姿を見ると、ますますその思いを深くします。韓国では、小中学生の280人に1人が海外留学を経験するそうです。それに対し日本は、高校生でも1000人に1人。近ごろは、大学生も海外留学をしたがらないと聞きます。プサンのホテルで英語を流暢に話す韓国の若者をたくさん見かけましたが、どうもそのあたりに理由があるのかもしれません。

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原色があふれる韓国の都市

2011年8月31日
昨日で世界陸上の観戦は終わり。今日はプサンからソウルに移動です。KTXの特急で2時間半。ソウルには、プサンとはまた異なる韓国があるのではないかと期待を抱かせます。ソウルはやはり首都ですし、人口もプサンのおよそ3倍、1000万近くいるのですから。

今回泊まるのは新羅(SHILLA)ホテルで、韓国ではいちばんの老舗ホテルだそうです。ここを選んだのは朝食が韓国一リッチでおいしいという情報を得たからですが、さて、どんなものなのか、明日の朝が楽しみです。
ソウルは漢江(ハンガン)の北側と南側とで、街の様子が大きく違います。北側はそれこそ千数百年前から開けていたところですから、街を歩いていても路地が多いですし、泥臭い部分も目立ちます。一方、南側の江南エリアは開発されてまだそれほど時間が経っていないだけに、そうした雰囲気はほとんどありません。右を見ても左を見ても建物が新しく、垢ぬけた感じがします。

行き交う人々も若い人が多いですし、店の名前も横文字、というか、プサンと違って英語(アルファベット)の看板が目立ちます。色遣いも、プサンやソウルの旧市街とはかなり趣が違い、モノトーンの建物、看板も少なくないため、コテコテ感はほとんどありません。

それにしても、韓国の原色の多さは、すさまじいものがあります。写真はプサンの宿泊先ロッテホテルの近く・西面(ソミョン)の一角で撮ったものですが、色見本帳もかくやあらんといった感じです。もう一つはソウルの旧市街、鍾路(チョンノ)界隈のありさまですが、こちらもそれに負けるとも劣らない派手さを見せています。こうなるともう、街中、虹だらけといった感じでしょうか。

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↑→プサンの西面で

ソウルの鍾路で↓L1010351

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ますます強まる韓国のバイタリティー

2011年8月27日
ホテルから歩いて15分ほどのところにあるKORAIL(韓国のJR)の海雲台駅まで、明日から利用する外国人用パスを受け取りに行ってきました。小さな駅ですが、窓口の駅員は女性のみ。テキパキとした仕事ぶりには好感が持てます。

ついでに行ったセンタムシティー(海雲台から2つプサン寄り)の大ショッピングセンターには度肝を抜かれました。新世界デパートはギネスブックにも認証されている世界最大のデパートだそうです。デパートの中にアイスリンクあるというのですから、その広さ、大きさは想像がつくでしょう。

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金姸兒(キム・ヨナ)の影響もあるせいか、韓国ではスケートが子どもたちの夢をふくらませているようです。ヘルメットと手袋をした子どもたちが楽しそうに滑っていました。リンクを取り囲むようにフードコートがあり、子どもたちの姿を目にしていられるので、親も安心でしょう。

1990年代以降の韓国の発展ぶりはつとに知られていますが、それを象徴するのはやはり、若い人の姿が多い、それもすこぶる元気なことです。20代前半の日本の若い人たちに比べるとはるかに活力があり、ありていにいうと、夢と希望にあふれているといった感じがします。子どもの数も多く、この国は近いうち日本を追い抜くだろうなという気がしました。

韓国一のリゾート海雲台に

2011年8月26日
午後1時、プサンの国際航路ターミナルに到着、タクシーで宿泊先の海雲台(ヘウンデ)に向かいます。プサンには通常のタクシーと別に、「模範タクシー」と名付けられた、黒いボディーのタクシーがあります。一定期間無事故・無違反の運転手に与えられる資格のようで、基本料金も加算料金も普通のタクシーの倍します。よほど安全運転で安心して乗っていられるのかと思ってそちらを選んだのですが、さほどの実感はなく、海の上を走る広安大橋など、80キロ制限のところを120~130キロくらいで飛ばしていました。

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海雲台は韓国でも屈指のリゾート地のようで、夏もなるとえらい数の人が繰り出すそうです。8月も末のいまごろはもうピークを過ぎていますが、きれいな海と砂浜にはビーチパラソルがびっしり並んでいました。

SMART BEACHという名称のようで、市か地元の観光協会のような組織できちっと管理されているせいか、脱衣所やロッカー、シャワー設備なども整備されています。浮輪は統一仕様のようで、大きさや色が決まっていますし、パラソルもエリアごとに色が統一されているので、ビーチ全体が清潔で美しい印象を与えます。日本の海水浴場の雑然とした雰囲気はありません。

BAR「HIGUCHI」のモスコミュールは日本一!

2011年8月25日
L1010225 昨夜、広島のNPO法人「世界」の総会で短いスピーチを済ませ、今日は福岡に移動しました。3月の九州新幹線全通を機に全面的にリノベーションされた博多駅ですが、コンコース全体がえらく明るくなったというのが第一印象です。『博多学』の取材で足しげく博多(福岡)に通っていたころは、大きいことは大きかったのですが、複数の商業施設が混在していたこともあってわかりにくい感じがしましたが。そうした部分は、ぱっと見、解消されているような感じがしました。

L1010236_2 駅ビルから外(博多口)に出て左を見ると、新たに開店した阪急デパートがあります。タクシーでホテルに向かい、夜は『博多学』の取材でお世話になった相川満寿美さんと西中洲にあるイタリア料理の店で再会する約束をしていました。

この界隈はここ2、3年の間に大きく様変わりしたと聞いていましたが、そのとおり、知らないビルや店が一気に増えていました。おとなの隠れ家的な雰囲気ムンムンといった感じです。その前は薬院、その前は今泉、その前は大名と、博多の飲食業界も移り変わりがえらく激しく、しかもそのスピードの速いことといったらありません。

L1010239 しかも、相川さんに話を聞くと、最近は高砂や大宮あたりにトレンドスポットが移っているそうで、こうなるといたちごっこの様相といっていいでしょう。高砂も大宮も、私自身は一度も足を踏み入れたことのないエリアで、また相川さんに〝水先案内〟をしてもらいながら、探訪したいものです。

イタリア料理を堪能したあとは、中洲の一角にあるBAR「HIGUCHI」へ。まちがいなく日本一と私が確信しているこの店のモスコミュールを1杯やってホテルに戻ったら、12時を過ぎていました。明日は午前10時博多港発のビートルでプサンです。

それにしても、HIGUCHIはいつ行っても、客の目を引く酒がさりげなく置いてあります。今回も、説明はすべて忘れてしまいましたが、写真のような「ダンス」シリーズのラベルが貼られたシングルモルト(ひょっとしたらスコッチだったかも)の一つがカウンターにあり、思わず「これ、なんですか?」とたずねてしまいました。すると、奥の棚からシリーズの残りを持ち出してきてくれ、しばしの酒談議となります。ただ、せっかくマスターがしてくれた話を何一つ覚えていないのが申し訳ないことで……。いつも、すみません!

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超楽チン! 関空からマカオへ

2011年7月29日
昨日は広島で講演があったのですが、そのついでに、今日からマカオ3泊4日の旅です。広島から新大阪経由で関西国際空港まで2時間半ほど。今回はマカオへの直行便を利用することにしたので、関空から4時間(時差はマイナス1時間)。マカオ空港から宿泊先まではバスで10分ですから、現地の8時半にはホテルの部屋でくつろいでいました。いつものように香港経由だと、入国手続やフェリーへの乗り換えなどけっこう面倒ですし時間もかかることを思うと、ホント楽です。

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さっそくカジノで遊びましたが、前回来たときから2カ月も経っていないのに、またまた大きな変化があることに気づきました。マカオではバカラ、大小、ルーレットの3つが絶大な人気なのですが、それがとんでもないマシンに変わっていたのです。これまでは、それぞれのゲームごとにマシンがあり、そのまわりを8人ほどで取り囲むスタイルだったのですが、3つのゲームを1台で楽しめるという新しいマシンが導入されていました。
従来のものより数段明るく、しかも見やすい液晶パネルの画面をタッチすると、自分の遊びたいゲームに変わります。そして、このマシンが100台以上、国会議事堂の本会議場というか、半円形、それも向かい合わせに配置されており、その中央のスペースで各ゲームのディーラーが陣取って、ダイスを振ったりトランプの札をめくったりルーレットに球を投げ込んだりしています。その模様を上あるいは横に設置されたビデオカメラがとらえ、それがマシンの画面と、天井に据え付けられている大きなプロジェクターに映し出される仕掛けになっています。
もちろん、マシンなので迫力や緊張感という点ではナマのテーブルにはかないません。それでも、ナマの騒々しいガサガサした雰囲気はちょっと……とか、ナマで遊ぶのはまだ自信がないと感じているプレーヤーにとってはありがたい装置ではあります。
またスロットマシンも、来るたびに進化しているようです。かつてのスロットが、機械の右横にあるハンドルを1回ごとに上下させ、同じ絵柄を3枚、横にそろえるだけだったことを思うと、いまのそれは、よくもここまでと感心するくらい複雑化していますし、ゲーム性にもすぐれています。
マカオの場合、ARUZEという日本のメーカーがかなりの数、マシンを供給しているのですが、このメーカーのものは、リーチ予告や激アツ予告など、日本のパチンコで用いられている技術やアイデアがふんだんに盛り込まれています。このテのソフトを多様に備えたマシンを持ち込めば、パチンコというものが存在しないアメリカやイギリスのマシンメーカーはとても太刀打ちできそうにありません。そのうち、マカオでは、いやラスベガスでも、マシンゲームは日本のメーカーの独壇場になるのではないかという予感さえします。

瀬戸内海の満月を堪能

7月16日
昼間は地元最大の書店・廣文館さんの主催による「広島学」講演会で講演しましたが、その日の夜、慰労会めいた会合がありました。場所は広島港に近い、瀬戸内海に面して建つグランドプリンス広島というホテルの中華レストラン。L1010113

食事がそろそろ終わるか終らないかのころ、なんと満月がのぼり、海の上を照らす場面に遭遇。ホテル側のはからいで、全員で別室に移動し、照明を落とした中で満月を堪能しました。

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香港は子ども服のメッカ!

6月6日
昨日から香港でゆっくりさせてもらっています。それもそのはず、今回は宿泊先が、かの有名なザ・ペニンシュラー(ホテル)なのですから。そのジュニアスイートルームに格安の値段で泊まることができました。部屋からのながめは素晴らしいですし、Rimg1139 その調度にも得もいわれぬ風格があり、なるほど、世界中の旅行客があこがれるのも無理はないという気がしました。
部屋の中にあるドローワーなど、いかにも長期滞在客向けで、お金とヒマさえあれば、何日だって泊まっていたいと思います。ソファーのすわり心地も満点、仕事をするためのワーキングデスク(本当はここまで来て仕事などしたくはありませんが)も使い勝手がよく、快適なことといったらありません。

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Rimg1119Rimg1121 それはともかく、今回香港で発見したのは、子ども服の品ぞろえの豊富さ、そのテの店の多さです。ショッピングの街である香港は、そこかしこに大規模な商店街やモールがあります。ホテルにほど近い香港最大のショッピングセンター=ハーバーシティーに行ったのですが、その一角に、子ども服ばかりをそろえた店がズラリと並んでいるところがありました。世界的なブランドの子ども版から、地元香港のローカルブランドまで、よくもまあと感心するほどの多さです。調べてみると、香港にはローカルブランドだけで2000以上あることがわかりました。
「今度は孫を連れてきてみたい」──私と家人が黙ってうなずき合っていたのはいうまでもありません。

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あっと驚くチェルシー・フラワーショー

5月25日
ロンドンの都心に近いチェルシーで開催されているフラワーショーに行ってきました。まあ、そのスケールの大きさにはたまげてしまいました。王立軍病院の一部がその会場にあてられているのですが、とにかく広いのなんの。これだけの規模なら、43ポンドという正規の入場料もけっして高いとはいえないでしょう。

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内容は、園芸に関わるすべてというか、大小の庭園、種から花そのもの、花を育てるのに必要なありとあらゆる園芸用品、土、肥料、庭いじりを楽しんだあとくつろぐためのアウトドア用テーブルセットなど、ないものは一つもありません。300以上もqるブースで、そうしたものが展示・販売されているのです。好きな人なら、朝から晩まで見てまわっても飽きないでしょう。1日平均10万人ほどが訪れるというのも十分納得できます。

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以前ロンドンを訪れたとき、コロンビア通りの界隈で毎週日曜日の朝に開かれているフラワーマーケットに行ったことがあります。このときも思ったのですが、イギリス人がこうまで園芸が好きなのはなぜなのかということです。ひょっとすると、草花よりもっと広いくくり、つまり鉱物や動物、さらには人間自身の手になる物(建築物や工芸作品など)まで含めた「博物」が好きなのかもしれません。大英博物館などを見学すると、イギリスがかつて世界中から、それこそありとあらゆる物=まさに博物をごっそり持ち帰ってきたことがよくわかります。もちろん、それはイギリスが宗主国だった植民地や保護領などからの品々です。大英博物館は入場無料ですが、それは罪滅ぼしの気持ちがあるからでしょう。

Rimg1073それはそれとして、花もここまでたくさん並べられると、一つひとつを愛でるというより、種(しゅ)として貴重な存在であることを痛感させられます。

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イタリアでのドライブは技術が必要かも

2011年5月20日
18日から、ナポリの南東、クルマで1時間半ほどのところにあるポジターノに来ています。アマルフィに比べると知名度はいまイチですが、雰囲気はこちらのほうが断然すぐれているように感じます。日本でいうなら、アマルフィは熱海とか江ノ島といったイメージでしょうか。それだけに、訪れている人の多いこと。
それに比べポジターノの魅力は、落ち着きにあります。それとサイズがコンパクトで、30分も歩けば、主だったところはすべてカバーできます。世界中、とくにアメリカあたりからお金持ちが遊びに来ているらしく、町中に英語が飛び交っていました。
それにしても、ナポリからポジターノへの道のりは大変でした。借り出した日のハプニングについては前回ご報告したとおりですが、今度は走ることそれ自体に問題があることがわかったのです。
ナポリとの行き帰り、高速を走っているときはスムーズでしたが、市内に入ると、もう大変。それでなくても狭い道の両側に路上駐車のクルマがビッシリ、残されたスペースを対向車がかなりスピードを出しながら走ってきます。その間をもっと動きの俊敏なバイクが、それこそ飛んでくるような感じで走ってきますから、もう冷や汗の連続。こんなところを走るのは金輪際お断わりといった気持ちになりました。
翌17日は終日、旧市街を歩いてまわったので、クルマはホテルの駐車場に置きっぱなし。そして、18日にチェックアウトし、一路ポジターノに向かいました。高速を出てソレントの町で昼食。ポジターノに向かったのですが、これが山道でくねくねと曲がっており、そこへまた対向車がひっきりなしに走ってくるのですから、またもや冷や汗の連続でした。オートマチックのナビ付きという条件で借りたので助かりましたが、もしマニュアルのナビなしだったりすれば、果たして目的地までたどり着けたのかどうか。
行く前は、ポジターノに着いたら、そこからクルマでアマルフィまで行き、そこから足を伸ばしてラヴェッロあたりも訪れてみたかったのですが、とてもとても、そんな気分にはなれませんでした。結局、ポジターノの私たちが泊まったホテルのまん前から出るフェリーでアマルフィまで行くことにしました。

ナポリのレンタカー屋で大往生

2011年5月16日
今日でナポリも3日目。街の雰囲気にもだいぶ慣れ親しんできました。それでもやはりイタリアはイタリア、ナポリはナポリです。
11時30分の予約でレンタカーを借りていたのですが、ナポリ中央駅にあるはずのオフィスがなかなか見つかりません。それもそのはず、事前に予約を入れていたAlamo(アメリカ系)というレンタカー会社の事務所は、イタリアの大手業者MAGGIOREの事務所に間借りしており、そのオフィスの中、それも奥のデスクの上に、Alamoというロゴを示した目立たない看板が置いてあるだけでした。同行してくれていたジャンピエロ氏(Iさんのご主人)がそれに気づかなければ、事務所すら探し当てられなかったかもしれません。
チェックアウト(借り出し)の手続きはサクサクといったのですが、予約しておいたクルマは「メルセデスCもしくは同等/オートマチック/カーナビ付き」と鳴っていたのに「ボルボ」に格下げになっていました。まあ、それはよしとしましょう。南イタリア、なかでもナポリ周辺でメルセデスなどに乗っていれば、すぐさま目をつけられてしまいそうだということが、この2日間でよくわかったからです。
しかし、問題はカーナビにありました。たしかに、純正のナビが装備されてはいたのですが、これがなんと、前に利用したドライバーがロシア人だったのか、ロシア語表記のままになっていたのです。日本やアメリカのレンタカー会社なら、まずこういうことはあり得ません。予約の段階で、私がはるばる日本からの客であることはわかっているのですから、少なくとも英語の表示にはしておくでしょうし、間違ってもイタリア語には戻しておくはずです。
エンジンを入れ、さて最初の目的地をセットしようとナビを開いたところ、画面には、あの独特のロシア文字が並んでいて、どこをどう押しても、表記が変わらないのです。レンタカー会社のスタッフが小一時間悪戦苦闘してくれた結果、なんとか英語表記になり、やっと目的地をセットすることができました。
ジャンピエロ氏によれば、「本当にラッキー。普通ならあそこまではやってくれないですよ、イタリア人は。肩をすくめるか両手を横に開くかして、『さあ、私にはわかりませんね。あとはお客さんの責任でなんとかしてください』といったようなことをのたまって終わりでしょう」というのです。だとしたら、なんともラッキーなことではありました。
それにしても、ロシア語とは! ヨーロッパが地続きであることを改めて認識させられたしだいです。以前、ドイツのデュッセルドルフでレンタカーを借りた──ヨーロッパでは初めての経験でした──とき、目的地をセットしようとしたら、最初「国・地域」選びからスタートすることを知り、驚いたことがあります。でも、よくよく考えてみれば当たり前の話ではあります。
ヨーロッパの場合、同じ地名が複数の国にあることはけっして珍しくありませんから、セットして、これで安心とばかりに、ガイドのままに運転していったところ、それこそ隣の国の同じ地名のところに着いてしまうなどということさえあり得るわけです。
さて、ようやく目的地に向けて出発し、市内から30数kmのところにあるカゼルタという町まで行きました。ここにはブルボン王家の王宮と庭園があり、これがもうベルサイユ宮殿そっくりの壮大さ。庭園など、入り口からいちばん奥まで4kmほどあるというシロモノで、度肝を抜かれました。歩いても歩いてもいちばん奥までたどり着かず、結局、帰りは城内をまわっているバスに乗ることに。

「ついで」の2乗で予定が大幅延長

2011年5月12日
いよいよ明日から南イタリア→ベルリン→ロンドンという2週間の旅が始まります。当初はベルリンとロンドンだけだったのですが、ついでとばかりに、南イタリアもくっつけてしまいました。これが、自分でいうのもなんですが、私の賢いところでもあり、悪いクセでもあるのです。
もともと、今回の旅の目的は、ベルリンが、佐渡裕が初めてベルリンフィルの指揮をするコンサート、ロンドンが「チェルシー・フラワーショー」というイベントです。ベルリンフィルのコンサートなど、もちろん日本にいても秋になれば聴けることはわかっています。それでも、ナマで観たい・聴きたいという生来の欲張りが頭をもたげてきました。3カ月ほど前の日曜日、ベリンフィルのウェブサイトにかじりついてチケットを買い求めました。
一方、チェルシーのほうは、昨年あたりから漠然と「一度観てみたい」との思いはあったのですが、しょうじきにいうと、家人へのサービスくらいのつもりでした。ところが台北の花博を観て、がぜん意欲が湧いてきました。
開催期間は5日間なのですが、最初の2日間は王立園芸協会の会員しか会場に入れないといいます。私たちの旅行日程からすると、なんとしても、その2日目に潜り込まなければなりません。きっと不要になったチケットが売りに出されているだろうと目星をつけ、インターネットでチェックしてみると、案の定、なにがしかのプレミア付きで売りに出されていました。
中学時代の友人の娘さん夫婦がいまロンドンに住んでいるので、さっそく友人を通して連絡を取り、チケットの確保をお願いし、ようやく買えたという知らせが入ったのが1週間ほど前。これでやっと、安心して出発できることになったしだいです。
それだけなら8日間もあれば十分なのですが、そこへふと、「この時期だと、イタリアのセリエAの最終試合が観られるかもしれない」というスケベ心が湧いてきたのです。こちらもさっそくインターネットで調べてみると、ちょうど(?)5月15日の夜にインテル・ミラノ対SSCミラノの試合があることがわかりました。インテルといえば、あの長友佑都がサイドバックでプレーしているチームです。「これは観るっきゃない!」と、だれにいわれたわけでもないのに、一人で決めました。
といっても、チケットをどうするか──。フィレンツェに私の会社に以前勤めていたIさんが結婚して住んでいるので、さっそく彼女にメールすると、「なんとかトライしてみます」との返事。1カ月ほど待つと、「大丈夫。ゲットできそうです」というメールをもらい、これで一気に1週間スケジュールが延びてしまいました。ならばというわけで、フィレンツェでチケットを受け取り、ベルリンに行くまでの間、南イタリアをまわってみようということになったわけです。