港と道路が消えたら、どんなに栄えた街もパワーを失ってしまう

●羽州街道━━。名前はともかく、どこをどう通っているのか、正直ほとんど知りませんでした。でも今回、1週間かけゆっくり走り抜けてみると、穴場というか、名前は知られていなくても一見の価値があるスポットが点在していることがわかりました。最後の宿泊地・弘前を出て向かった黒石市もその一つ。羽州街道の宿場ではありませんが、小さな城下町としてにぎわっていたようです。


●往時の面影を残すのが中町こみせ通り。「こみせ」とは、両側に並ぶ店が、雪が降ってもお客が楽に出入りできるように、道路との間に作った、いまでいうアーケードのこと。道路と接する部分にも防雪用の板を立てるなど、こまやかな気遣いが行き届いた街並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


●津軽三味線の演奏会などさまざまなイベントを催すなどして集客を図っているようですが、ひっそり感は否めません。知名度がいまひとつなのは、宣伝力が弱いのかも。でも、「津軽の三ふり(①えふり=いいふり・いいかっこする②へふり=ないのにあるふりをする③おべだふり=知ったかぶりをする)」からすると、そうでもなさそうな気もするのですが。


●ツアーのゴール油川宿は、羽州街道の終点であるとともに松前街道の起点。しかし、明治に入って新しい道路が作られて以降はすっかりさびれてしまいました。北前船でにぎわった港も青森に一本化され、いまでは「羽州街道 松前街道 合流之地」と記された碑と、黒石と同じような「こみせ」を残す蔵元(元は近江商人)が当時をしのばせるくらいです。海上交通の重みを改めて実感した次第。(2022/7/27)

朝ご飯をもう一度、ならばもう一泊。な〜んて旅があってもいい

●ツアー最終日は弘前泊。有名なのにさほどにぎにぎしくない駅前に建つシティホテルでした。東京あたりなら”過去の遺物”扱いされそうなフツーの外観。でもこれが大当たり! 朝食がずば抜けて素晴らしかったのです。

●ホテルの朝食というと、国内外を問わずバイキングが標準仕様。ただ、ヨーロッパでは、それぞれの国・地域・都市の個性がよく出ていて十分楽しめます。ここも同じで、地元で獲れた旬の野菜・果物、肉、乳製品を駆使したメニューが多彩(ガーリック豚の極上ハム、ほたてとリンゴの炊き込みご飯、板きり麩すき煮仕立て、いがめんち、若鶏の源たれ焼き、けの汁など)で、どれを皿に載せるか迷いっぱなし。1回(1泊)ではとても食べきれません。


●日本の観光地が海外のそれと決定的に違うのは、「滞在」「連泊」を想定していないこと。休暇は英語でvacation、フランス語ではvacanceですが、どちらも、ラテン語で「空っぽ」を意味する vaco に由来しています。体も頭も空っぽにするのが休暇の本来の目的なのでしょう。それには、何もせずにぼーっとしているのが一番。でも働き者の日本人は、そんなふうに時間を過ごすと罪悪感にさいなまれてしまうのかも。


●旅に出ると、1日目はここに行って、2日目はああしてこうして……と目いっぱい詰め込まずにはいられない、なんとも悲しい性[さが]というか。当然、同じところに何泊もしてのんびり、などという発想はありません。ようやくここ数年、欧米風の休み方に合わせたホテルや旅館、あるいはツアープランも現れ始め、個人的にはとてもうれしく思っています。ここの朝飯を食べたいからもう1泊━━そんな旅があってもいいですよね。(2022/7/24)

コロナ禍で海外の観光客が来なくなったらお手上げ、では情けない

● ツアー6日目は、大館宿からバスで30分、青森県との境にある矢立[やたて]峠から。標高258mとさほど高くはありませんが、天然の秋田杉の間を縫うように作られた遊歩道はまさに昼なお暗き態(てい)。吉田松陰、前田利家、伊能忠敬、高山彦九郎、明治天皇、大久保利通、イザベラ・バードなど、歴史にその名を残す人たちもこの地を訪れています。


●峠を下ったところにある碇ヶ関[いかりがせき]は江戸時代、箱根より厳しい取り調べがおこなわれた関所といいます。ここを抜けると温泉とスキーで有名な大鰐[おおわに]宿。一時は熱海と競うほどのにぎわいを見せていたようですが、いまその面影はまったくなし。


●コロナ禍の前は、全国の観光地の多くがインバウンド(といっても、そのほとんどは中国から)需要の恩恵に浴していました。さほど努力をしなくても次々やってくるツアー客に浮かれていた業者も少なくなかったはず。それがもう2年以上もストップしているのですから、沈没していくところがあっても不思議ではありません。


●インバウンドの中でもお金持ちに狙いを絞っていたところもあります。いまは国内の富裕層が相手なのでしょうが、1泊2食付きで1人5〜10万円もする旅館やホテルを利用する人がそれほどいるのかとなると。まして観光地としては地味な北東北ですし。「旅」に求めるものがますます多様化しているいま、どこまで創意と工夫を凝らせるかが、これからの浮沈を左右しそうです。(2022/7/23)

鳥居のない神社に仰天、大館市役所の新庁舎に感動

●前夜は秋田に泊まりましたが、同じ時間帯に同じホテルを東京の知人が仕事で訪れていたのをFBで知りびっくり! こんなこともあるのですね〜。ホテルの真ん前は久保田城のお堀。早起きして、蓮の花を観に行きました。あと10日もすればお堀の水面が見えないほど満開になりそうです。


●5日目最初の訪問地は、男鹿半島から少し東にある五城目〔ごじょうめ]町。以前住んでいた豊島区に同じ名前の秋田料理店があり、地名は知っていました。城と朝市が有名なようで、今回の目的はその朝市。有名な輪島にはかないませんが、500年以上も前から続いているのだそうです。ただ、この日は平日、それに雨模様の天候も災いし、客は私たち一行だけ。救いは”観光毒”にさいなまれている風が一切ないこと。


●午後は男鹿半島へ。おもしろかったのは、なまはげ館と隣り合わせの真山[しんざん]神社。当初は神を祀っていましたがその後仏教寺院が併設され、明治初めの神仏分離令により神社に戻ったようです。仁王門はあっても鳥居はないまま。皆さん、どこに向かって手を合わせたらいいのかとまどっていました。


●宿泊地の大館は、一昨年10月に訪れたばかり。夕方フリーの時間があったので、完成して間もない市役所新庁舎を訪問、見学させてもらいました。木の温もりを生かした、素朴ですが心地よい空間に感動。夕食は前回と同じ店でしたが、季節柄きりたんぽ鍋ではなく、料理長が腕によりをかけたメニューを堪能。なかでも南瓜スープ、金目鯛枝豆焼き、リンゴ釜グラタンは出色でした。ちなみに、きりたんぽ鍋はこの店で生まれたのだそうです。(2022/7/22)

落ち着いた空気に心が休まるのは、歳を取った証拠!?

●最上川の舟下りを終えた日の宿は新庄。山形新幹線の開通を機に新駅舎ができ、周辺を大々的に整備、ガラス張りの巨大な地域交流施設も建っています。ただ、利用しているのは高校生ばかりで、駅前の商店街は人っ子ひとりいません。人口減に歯止めがかからない地方都市の、ある種典型的な姿を呈しています。


●ツアー4日目、最初の訪問地は山形県最後の宿場となる金山[かねやま]町。二度目の訪問ですが、「美しいまちなみ大賞」に輝いている心地よい空間に改めて感動。当地特産の杉で造った木造の橋から川や山々を見ているだけで、ほっこりした気持ちになります。


●秋田県に入り八代目佐藤養助総本店の稲庭うどんでランチの後、前総理の故郷でもある湯沢を経て「蔵の町」増田(横手市)へ。旧羽州街道の両サイドには、家の中に蔵がある大きな商家(奥行き110〜120m!!)がズラーっと建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。吉永小百合が出ていたJR東日本のCMをご記憶の方もいるのではないでしょうか。


●それにしても、蔵の規模、お金のかけ具合には驚くばかり。いま実際に人が暮らす家の中にあり、しかも使われているので、ホコリっぽさとは無縁。金山町もそうでしたが、いかにもそれっぽいカフェとか安直な土産物店もなく、ゆっくり落ち着いて楽しめる観光地といえます。早い話、それだけ歳を取ったのかも。(2022/7/21)

羽州街道の旅ならでは!? まだまだある未知の観光スポット

●昨夜の泊まりは山形宿。花笠まつりのパレードがおこなわれる通りに面したホテルでした。早朝近くを散歩すると、宿場町だった頃を彷彿させる風情の建物に遭遇。山形県には明治期に建てられた洋風建築物もあちこち残っていますが、その多くは三島通庸の推進した建築土木政策の所産のようです。


●山形をあとに、次に訪れたのは寒河江[さがえ]宿の慈恩寺。天平18(746)年、聖武天皇の勅命でインド僧婆羅門[ばらもん】が開山したと伝えられる古刹です。江戸時代は幕府の保護を受け、東北随一の大寺院として栄えたとのこと。1300年もの長い歴史の中で数々の文化財が残されており、国指定重要文化財も多数あります。


●この寺の存在はまったく知らず、いまさらながら自身の不勉強を恥じいったしだい。とくに素晴らしかったのは、個性的な姿・表情をした仏像の数々。弥勒菩薩、釈迦如来、薬師如来、聖徳太子立像、十二神将立像(重要文化財)など多くが木掘りで、それがまたなんとも言えない柔和さを強調しています。


●午後はこの地域の名産・紅花を見て楽しむ設定。しかし、6月の異常な暑さもあってか、例年より半月早く散ってしまったよう。そのあと行った最上川三難所舟下りも、前日の雨で水量が増したため難所を示す岩がすっかり姿を消し、スリルを味わう楽しみは”日散雨消”とあいなりました。桜とか紅葉を楽しむのがテーマのツアーは、時の運に左右されるきらいがあるのが悩ましいですね。(2022/7/20)

雨の山寺にはお手上げ。それでも……。

●「羽州街道の旅」初日は福島駅からバスで15分ほど、皇室献上桃の産地・桑折[こおり]が出発点です。この地で奥州街道から分岐する脇往還[わきおうかん]なので、東海道や中山道ほどメジャーではありません。宿場の名を聞いても知らないところばかり。


●そんな中、1泊目の上山[かみのやま]宿は、以前”日本一おいしい芋煮を食べる会”のイベントで泊まったこともある町。宿場町でありながら城下町、しかも温泉まであるというレアな存在なのだとか。有馬屋、しまづなどの名を冠した旅館があるのは、明治初期に県令(いまの知事)を務めた薩摩藩士・三島通庸[みちつね]との縁でしょうか。”土木県令”とも呼ばれ、県内の道路・橋梁・トンネルなどインフラ整備に辣腕をふるった三島ですが、サクランボ栽培の普及にも貢献しています。


●しかし、この日の焦眉はやはり立石寺[りっしゃくじ]。別名を山寺というように、頂上近くの奥之院までは1015段。根本中堂から始まり、途中、開山堂、納経堂などいくつかのお堂や仁王門、松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ場所も。1時間半かけて登りきったのですが、ひどい雨で、全身ほとんどずぶ濡れになりました。


●山の上からの景観どころか、見えたのは雲と霧のみ。それでも、達成感はひとしおで、天に少しでも近づきたいという人間の本性に偽りはなさそうです。それに加え、登り口にある売店で食べたさくらんぼソフトクリームのおいしかったこと。これも三島通庸のおかげでしょうか。せっかくなので一句。
 山寺の雨もかなわぬ桜桃━━(笑)。(2022/7/19)

銭湯も子どもにとってはこの上ない体験

●先週はキッチン、今週はバスルーム+洗面所のリフォームで、家の中は、1年前こちらに引っ越してきたときのようなしっちゃかめっちゃか状態。風呂が使えないので、先日小4の孫(男の子)を連れて銭湯に行きました。昔に比べ数が激減している銭湯ですが、いまの住まいから自転車で5分ほどのところにあり大助かり。*写真はホームページから借用しました。

●孫にとって2回目、私自身も、温泉やビジネスホテルの大浴場は別として10数年ぶりの銭湯です。でも、そこに息づく”文化”、たとえば見知らぬ人とのコミュニケーションはいまでも健在のよう。

●お湯の中で大湯舟の湯に脚を入れたとたん「熱ーっ!」と叫んだ孫を見て、職人っぽいおじさんが(隅のほうを指差しながら)「ここから入んな、熱くねーから」と教えてくれたかと思うと、別のご隠居さん風がそこにある水道栓をひねって水を出し、「こうすればさっと入れるよ」などと、矢継ぎ早に声をかけてくれていました。ここでは新顔の孫は、常連客からすると格好の”刺激材”だったのかもしれません。

●帰宅後、母親に「みんなが優しくしてくれて楽しかった」と笑顔で報告していました。子どもにとっては貴重な体験になったのでしょう。お金のかかる海外旅行でも行かないと満足できない大人の私たちと違い、たかだか200円で目いっぱい楽しめてしまうのですから、とても安上がり。いまの時代、どこで「貴重な体験」ができるのかわかりません。(2022/7/16)

冷たい目で見られても、元気になれるタバコは断てません

●事が起こらないと何も書けない。物を目にしないと手が動かない━━。どちらも言い訳ですが、先週までは異常な暑さで、誰しも事や物から縁遠かったのではないでしょうか。「これではまずい、今日こそは……」と思って、起きしなタバコを喫いに玄関のドアを開けると、朝6時前だというのに強烈な陽射しが。これでは気持ちが萎えても当然かも。

●そのタバコ、ここ10年以上喫っているのがAmerican Spirit 。オーガニック栽培の葉から作られているので「体にいいタバコ」と自慢しています(もちろん、誰も同意してはくれませんが)。これまでは20本入りだけでしたが、今月から14本入りが発売に。ここ2年、1日の本数を減らしている私にとってはとてもありがたい商品で、さっそくそちらに切り換えました。

●昨日から我が家はキッチンのリフォーム工事がスタート。いま収まっている食器やら何やかやすべてを一時的に移動するのに、前夜は家族総出。換気扇も取り外されたため、タバコは玄関の外だけ。それでも、友人が贈ってくれた灰皿スタンドのおかけで、堂々とタバコを喫えるのはありがたいかぎりです。

●今日は、午前中から夕方まで日比谷図書文化館で会合。昼食は、木々の美しい緑の下を歩いて、久しぶりに松本楼へ。夏は、さほど暑くなくても、ビールにビーフ(カレー)の組み合わせに勝るものはありません。沢ユリがいまを盛りと咲き競う園内をゆっくり歩きながら、人から見えない場所で食後の一服。午後のセッションも元気に臨めました。(2022/7/5)

花菖蒲、鏑木清方、ポンペイよりもイタリアン!

●京都2日目は、小学校の修学旅行以来60年ぶりという平安神宮の神苑から。應天門に貼られた「花菖蒲見頃」の文字が期待をそそります。神苑とは庭園のことですが、大きな池に群生する2千株の花菖蒲は圧巻。お昼近い時間でしたが、蓮の花もまだ開いたままで、朝早ければ池の水面が見えないほどだったかも。

●平安神宮周辺は一大文化ゾーンになっていて、そこから歩いて5分のところにある国立京都近代美術館が、3連チャンの二つ目、「鏑木清方」展の会場。中に入るまでは有名な美人画家といった認識くらいしかありませんでしたが、自身の無知を思い知らされました。美人画といっても、顔かたちだけでなく、着物・履き物、髪飾りや簪[かんざし]など一つひとつが丁寧に描かれているのにびっくり。

●それ以上に感動したのが庶民の生活・風俗を描いた作品。展覧会に出品するような大作とは趣きが違い、親しみやすい素材なのですが、こまやかな観察眼は、穂積和夫を思い出させます。感動の余韻にひたりながら、すぐ向かい側に建つ京セラ美術館の「ポンペイ」展。3連チャンのラストで、期待が大きかった分、裏切られた感も大。ポンペイの遺跡はやはり、現地で観るしかないのかもしれません。

●夏の京都の定番「鍵善」の葛切りで疲れをいやそうとしましたが、癒しきれぬままホテルへ帰還。ポンペイの仇はやはりイタリア料理で━━はこじつけですが、ホテルのすぐ近くで見つけたカジュアルなお店が大当たり! これはと思った品を少しずつ食べられる「おばんざい」っぽいスタイルで、昼間の疲れはきれいさっぱり消えました。(2022/6/11)

京都で美術館3連チャンの1日目

●土曜日に京都で仕事があり、せっかくなので、木曜日からこちらにやってきました。折しもアジサイや花菖蒲が真っ盛りの時期。そちらも楽しもうと、ネットで検索すると、あちこち”名所”が。選んだのはアサヒビール大山崎山荘美術館。その庭園が素晴らしいとあったので、そちらに決めました。「ポンペイ」展、「鏑木清方」展を観に行くつもりだったので、図らずも3連チャンに。

●京都駅から大阪方面へ5つ目の山崎駅で下車。美術館はかの有名な天王山の麓、5500坪の敷地に建っており、もとは大阪の実業家の別荘だったそうです。本人も遺族も亡くなり、長い間使われずに荒れ果ててしまったのをアサヒビールが買い取り、美術館としてよみがえらせたのが1996年。そのコレクションは、モネ、ルオー、ユトリロ、ヴラマンク、カンディンスキーらの絵画、バーナード・リーチ、宮本憲吉、濱田庄司の陶芸、イサム・ノグチの彫刻など、超一級品ばかりです。

●何よりの魅力は、それらが展示されている建物。新たに増築したコンクリートの展示館も安藤忠雄の設計だそうで、木造山荘風の本館にすんなりなじんでいます。2階のカフェテラスから木津川、宇治川、桂川が合流、淀川になる地点を見下ろす眺望は抜群。その入口には、ドイツ製、その名もMikado というオルゴールが鎮座していました。

。●美術館のあと庭園を散策し、送迎バスで阪急の大山崎駅へ。一路河原町をめざします。関西の私鉄は首都圏のそれと車体の色使いがまったく違い、阪急電車はあずき色。河原町から少し歩き、夕食は先斗町[ぽんとちょう]のおばんざいです。この季節ならではの素材をふんだんに用いたメニューを、こちらの腹具合にも気を配りながら勧めてくれる心づかいに感動。もちろん、味も最高でした。(2022/6/9)

エジソンが、ゴッホが……。五感への刺激を堪能した一日

●東日本大震災の被災者100余人によるミュージカル上演の本を書くとき取材させていただいた方のお一人と、神田淡路町のイタリアンでランチ会食。7年ぶりの再会で話がはずみ、名物のパスタの写真を撮るのも忘れてしまうほど盛り上がりました。


●でも、この日最大の衝撃は、オーナーのSP盤レコードと蓄音機のコレクションです。店内にさりげなく置かれているのですが、これがなんと、かのエジソンが発明した蓄音機の現物。当時の音源は蠟管[ろうかん]といい、Campbellスープの缶に似た容器に収まっています。1枚ウン十万円はするというSP盤を130年以上前の蓄音機に載せ、かけてくださったのですが、その音の心地よいことといったら。ヴァイオリンソナタも歌謡曲もリアルそのもの、あまりの臨場感に圧倒されました。


●そのあと、すぐ近くにある神保町のギャラリーで開催されている刺繍の作品展へ。ひいきにしている目白の洋服屋さん━━いま風に言うとセレクトショップ━━のオーナーがFBで勧めておられたのですが、その”推し”がなければ足を運ぶこともなかったでしょう。”不要不急”と言われればそれまでですし。


●でも行ってみると、ゴッホの「星月夜」、北斎の「富嶽三十六景」を始めどれも皆、「ここまで……!?」と絶句してしまいそうな精緻さ。離れて見るとワクワク、近づいて見るとドキドキ、とでもいいますか。聴覚と視覚に、強烈な、それでいてすこぶる心地よい刺激を受けた一日となりました。(2022/4/8)