テレビの取材を受けたものの……

夕方、日本テレビの取材を受けました。年末にオンエアする恒例の特番『ズームイン!!SUPER NG投稿秘映像Xマス爆笑スペシャル』です。なんでも、これまで登場した全国の〝街の達人〟をリストアップしてみると、ある県の人が非常に多い、しかも、その特技が毒にもクスリにもならない、身につけていてもいなくてもさして影響がないシロモノばかりなのだそうです。その「ある県」がどこかは明かせませんが、非常に興味深い内容でした。

『出身県でわかる人の性格』という本を出して以来、私のところにはこのテの取材がよくやってきます(もちろん、電話だけのこともありますが)。とくに、「名古屋」がテーマになっていると私にというケースが多く、これはこれで光栄に思っています。

新聞や雑誌は、インタビューのあと、確認のため文章を読ませてもらえるので配ないのですが、テレビだけはそういうわけに行きません。どういう内容になっているのか、当日オンエアされてみないとわからないからです。もちろん、悪意が感じられたりすることはないのですが、編集のしかたによっては、こちらの本意が十分に伝わらないこともあり、それがいちばん心配なのです。

しかも、テレビというのは、意外なところで、意外な人が観ています。本人がいつオンエアされるかというのを失念していたりすると、突然電話やメールが入ってきて、「観ましたよ!」などといわれ、びっくりするなどということもありました。いちいち録画しているわけでもなく、そのときは時すでに遅しで、どんなことを話していたのか、どんな風に写っていたのか、本人だけが知らないという、なんとも奇妙なことになるわけですが、どうにも合点が行かない感じがします。

せめて、「先日取材した番組、明日がオンエアですから」と一報くださると助かるのですが、忙しいテレビマンにそんなことを求めても無理な気もします。

ちなみに、今日は私にとって「50代」最後の日です。さらば、50代!

心がなごんだ上田城址の紅葉

「勝手に、街魅しゅらん」2◆上田市(長野県)

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信州の東御市で来年から農業に取り組もうとしている弟の顔を見に、その隣の上田まで行ってきました。真田幸村の城があった街ですが、いま残っているのは石垣のみ。しかし、城跡全体が公園になっており、そこかしこに古木が植わっています。春の桜、秋の紅葉が人々の人気を集めているようで、私たちが行ったときも、かなりの人出でした。

前日(13日)に上田市内に泊まり、翌日朝から別所温泉に行ってお湯につかったのですが、肌にやさしい泉質は特筆ものです。上田との行き帰りに乗ったレトロっぽい電車(上田電鉄)も味わいがあり、心がなごみます。

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東急グループの創始者・五島慶太が学生時代を過ごしたという縁もあってか、上田とその周辺はいまでも「東急」の影響があるようです。上田電鉄しかり、東急インしかりなのですが、城址公園はそうしたものとは無関係で、純粋に楽しむことができました。

新幹線の駅があるだけに、駅前一帯はきれいに整備されているのですが、例によって、全国どこにでもある式の造りなので、個性という点ではいまイチの感があります。全国どこに行っても思うのですが、駅前の光景の無個性ぶりは、どうにかなりませんかねー……。上田まで来て、居酒屋「△民」とか「笑○」でもないと思うのです。

それでも、さすが古くからの城下町、個性的な飲食店がそこここに見つかったのはうれしかったです。明らかに観光客目当てという店もありますが、それはそれ。昔からある洋食屋やソバ屋は、店構えこそ古風ですが、いい仕事をしていました。

Rimg0141_2 前日、上田に入る前に足を運んだエッセイスト・画家玉村豊男さんの店(=ヴィラデスト ガーデンファーム アンド ワイナリー)も、おいしいフランス料理を手ごろな値段で食べさせてくれました。20年ほど前、この地に夫婦で移り住んだ玉村さんのこだわりが隅々まで見え隠れする店で、関東各地からお客がひきも切らずに訪れてくるのは当然かもしれません。

ちなみに、「ヴィラデスト(Villa d’est)」とは、フランス語で「住まいはここだ」といった意味ですが、そこまで根性をすえて取り組まないと商売というのはうまく行かない──そんなことも思ったしだいです。

紅葉の支笏湖に大満足

3日から昨6日まで北海道に行ってきました。4日の、札幌市手稲区PTA連合研修大会(講演)が今回のメイン行事です。その打ち合わせがあったので、前日、札幌入りしたのですが、やはり北国、東京よりは断然寒かったです。打ち合わせ終了後は、札幌の夕食の定番、「sagra」でイタリアン。シェフの村井さん、相変わらずいい仕事をされています。

4日の朝から昼まで講演。ボイストレーニングの効果でしょう、90分、最後まで楽に声が出せました。夜は札幌随一というか全国的に見ても有数な音楽ホール=キタラで辻井伸行のピアノソロリサイタルへ。全盲の若きピアニストの腕はたいしたものです。超絶技巧で知られるリストの作品も演目に入っていたため、ほとんど曲芸のような演奏も目にしましたが、メインの組曲『展覧会の絵』(ムソルグスキー作曲)は、22歳とは思えないほどこなれていて、スタンディングオーベーションも当然という感じでした。

キタラの魅力は、そのロケーションにあります。都心にある中島公園の、そのまた真ん中に建つガラス張りのモダンな外観だけでも印象的なのですが、大ホールの造りがそれ以上に素晴らしいのです。

詳しくは拙著『札幌学』にも記しましたが、北海道らしい針葉樹林を思わせる壁面。そこには、北海道の伝統といってもいい木材加工技術の粋が集められています。ダイナミックな中にもやさしさが感じられる美しい曲線を活かした客席も、すわっただけで心地よさが体を覆ってきます。音響反射板など、最新の音響設計技術も駆使されており、それと北海道独特の乾燥した空気とがあいまって、素晴らしい音になるのでしょう。

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翌日は札幌から支笏湖へ。最北の不凍湖.透明度は日本ナンバー2というだけあって、小さいながらも、樽前山、恵庭岳をのぞむ美しい湖です。

泊まったのは「しこつ湖鶴雅リゾート&スパ水の謌」という旅館で、いまを時めく「鶴雅」グループの4軒目。去年の秋オープンしたばかりですが、評判はよく、お客の入りもいいようです。以前の支笏湖観光ホテルという旅館を買収・リニューアルしたとのことですが、その面影はまったくないと、古くからのお客が話してくれました。

食事は朝・夕ともバイキングスタイル。内容がバラエティーに富んでいるので、満足できます。スイーツにも力を入れており、そちらのラインナップも充実しています。

Rimg0121_2 お湯もナトリウム泉なので、肌にやさしく大満足。バーも充実した品ぞろえで、値段もリーズナブルでした。ロビー、といっても暖炉(薪を燃やす本格的なもの)が真ん中に据えつけられているので、ゆっくりくつろげます。ロビーを取り囲む書棚にかなりの数の本がそろっていますし、BGMとして低く流れるジャズは、なんとマッキントッシュのアンプにコントロールされ、それが、これまたなんと、あこがれの名器JBLパラゴンから出てくるので、ほかとは比べものになりません。こういうこだわりはいいですねー。

そんなこともあって、わたし的には、温泉旅館としてほぼ最高ランクを与えることになりました。翌朝も、時間がたっぷりあり、おだやかな天気だったので、湖畔の遊歩道をゆっくり散歩し、凛とした空気に触れることもできました。たのしいひとときを過ごさせていただいた〝お礼〟にと、『札幌学』を先ほど書いた書棚に置いてくださいと、1冊寄贈してしまいました。

東京の地下鉄はいまイチ不親切

最近気づいたことなのですが、東京の地下鉄の駅、とくに銀座駅のわかりにくいことといったらありません。銀座線、丸の内線、日比谷線の3線が乗り入れているのですが、どの線も、改札口が違ったり、そのあと地下通路で迷ったりすると、とんでもないところで地上に出てしまいます。史上に出る階段のところに、地上の情景を撮った写真が掲示されているところもありますが、結局はままよとばかりに階段を昇っていくことのほうが多いのです。

東京に40年も住んでいる私ですらそんなありさまですから、地方から出てきた人、外国人の観光客など、これでどれほど時間をロスしているのか、わかったものではありません。駅や連絡通路の改良工事をおこなうなどして、もっとわかりやすい地下鉄にしてほしいと思うのですが、いっこうに改まる気配はありません。

その点、外国の地下鉄は優秀です。ロンドンの地下鉄のウェブサイトを見ると、“Closed stations” という項があり、10月31日現在、Blackfriars、Cannon Street、Latimer Road の3駅が閉鎖中であることがわかります。

たとえば、最初のブラックフライアーズ駅のところを見ると、“Closed until late 2011. Please use Temple and Mansion House stations. Tickets are also accepted on bus 388 between Mansion House and Embankment. Journey times may be increased by up to 10 minutes.”とあります。「来年のかなり遅い時期まで閉鎖は続きます。その間はテンプル駅かマンションハウス駅をご利用になるか、388号線(マンションハウス・エンバンクメント間)のバスをご利用ください。それにより10分、余計にかかります」ということなのですが、年がら年中こうした案内がなされています。

また、キャノンストリート駅は「土曜日と日曜日が閉鎖されるので、バンク駅かマンションハウス駅、モニュメント駅をご利用ください」、ラティマーロード駅は「2011年8月初めまで閉鎖……」となっています。

つまり、老朽化したり不都合があったりする駅の改良工事をおこなっている間はクローズしますよというわけです。東京の地下鉄でもそれは同じですが、ひとつの駅をまるごと閉鎖して工事するということはありません。

東京では最近、民営の東京メトロと都営地下鉄の一体化が論議されています。たしかに、これも外国人には非常にわかりにくいでしょう。浅草あたりに行くと、地下鉄の路線図と首っ引きで悪戦苦闘している外国人観光客の姿をしょっちゅう見かけますが、他人事ながら心配になります。

設備や表示など、都営地下鉄はやはり一段劣っている印象が否めません。名古屋のように、早い時期にできた公営地下鉄、とくに古くからある路線の駅や改札口周辺の通路は、全体的に薄暗いというか、どこか薄汚れた感じがします。後発の福岡市や仙台市の地下鉄に比べると一目瞭然です。ただ、その点はニューヨーク、ロンドンのほうがはるかにひどいです。構内やプラットホームも暗いので、よけいにそれが強く感じられます。逆に、台北やソウル、香港などアジアの地下鉄は、できてまだそれほど永井時間が経過していないだけに、明るさ、清潔さ、そして何よりわかりやすさがきわだっています。

地下での工事となると、費用も余分にかかるのでしょうが、一日も早く改善してほしいものです。

ボイストレーニング最終回、さて、その効果は?

先月からつごう3回、ボイストレーニングなるものを受講しました。呼吸法から始まり、のどにやさしい声の出し方、活舌まで、これまで経験したことのないことだったので、新鮮に取り組めました。

年に何度か講演会でスピーカーを務めさせていただくのですが、慣れないことゆえ、講演の後半になると、だんだん声がかすれてきてしまうのです。演台に置かれたペットボトルの水を飲めばとりあえずおさまるのですが、場合によっては、その水が飲めないときもあり、いつも反省させられていました。

そんな私に、ある方が、個人レッスンをしてくれるところがあることを教えてくれ、トレーニングを受けてみることにしたのです。ちょうど、11月4日に札幌で講演を引き受けていたので、それになんとか間に合わせたいとの思いもあり、私としては真剣そのものです。

トレーニングは1回あたり2時間。でも、家で復習をしなくてはいけません。風呂場でやってくださいと教えられたものの、いざ実行してみるとこれがしんどいのなんの。30分も続けると、全身の力が抜けてしまうくらい、エネルギーの消耗が激しいのです。演説ほど心臓に負担をかけるものはないというのは、中国医学の教えですが、それは本当だなと痛感しました。

半月後、トレーニングの効果が出るとうれしいのですが……。

琉球フェスティバルで盛り上がる

今年も琉球フェスティバルはすごい盛り上がりでした。観客がステージの前まで出てきて、司会者(ガレージセールの2人)に泡盛を飲ませるのは例年どおりですが、今年はそれが一段とヒートアップ、2人はまたまたヘベレケになっていました。大工哲弘と古謝美佐子の歌はさすがです。

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ただ、初めての出場となる大城クラウディアには、期待が大きかっただけに、いささかガックリさせられました。アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで沖縄人2世として生まれ、子どものころから日系社会で数々のコンクールで優勝。9年前に出会った『島唄』原作者の宮沢和史(元THE BOOM)のプロデュースでアルバムも発売しています。

彼女が出てくるその直前、ガレージセールのトークがハイテンションでえらく盛り上がったのがアンラッキーではあったのですが、1曲目の三線弾き語りの雰囲気とあまりにへだたりが大きすぎました。しかも、彼女自身の語りも声が小さかったような気がします。そのため、演奏中も話し声が絶えず、静かに聴き入るという雰囲気を出せずじまいで終わってしまいました。

でも、ラストのところで、夏川りみの、産まれてまだ間もない赤ん坊を抱いて登場した古謝美佐子はよかったです。ホントは、母親の声が聴きたかったのですが、それは高望みというものでしょう。

藤堂和子さん、申し訳ありません!

藤堂和子さんは博多で長く、バー「リンドバーグ」とクラブ「ロイヤルボックス」を営んでおられる名物ママです。彼女がこのほど『親子三代ママ稼業』という本を出されたのと、彼女の発行してこられた『中洲通信』が30周年を迎えたのを記念するパーティーなのですが、地元の博多でなく、東京で開いたというところに彼女らしさがあります。それも帝国ホテル孔雀の間で、参加者はざっと数えて1500人近かったのではないでしょうか。広い会場なのに、人、人、また人で、動くのもけっこう大変でした。

もう6、7年前ですが、ある出版社の社長に企画を依頼されたことがあります。その社長の手もとには、新聞だか雑誌の切り抜きがあり、そこに登場されていたのが藤堂さんでした。博多では知らない人のいない女性で、しかも月刊誌まで出しているといいます。「この女性の半生記のような本を出したい」ということでした。たまたま私が『博多学』という本を上梓していたので声がかかったのですが、翌日さっそく連絡を取ってみました。

気さくな方で、こちらの用向きをお伝えすると、「すぐいらしてください」ということです。翌週、ご自宅にお邪魔したところ、膨大な資料を見せてくださいました。「では、これに一度目を通させていただいたうえで、どんな内容にするか、インタビューの進め方等、こちらからご連絡させていただきます」と申し上げたのですが、スケジュールがなかなか折り合わず、結局そのまま時間が過ぎてしまい、〝冷凍保存状態となったのです。これは言い訳になりますが、その出版社の社長が退任されたことも、私のほうできちんとフォローするのを怠ってしまった理由といえます。

それから5年、今回ご本を河出書房新社から出版され、そのお祝いもかねてのパーティーだったので、私としては、申し訳ないとの思いで出席した次第です。本当は直接おわびもしたかったのですが、あまりの人の多さにかないませんでした。それでも、当日ゲストとして招かれていた小椋佳と松山千春のライブはちゃっかり聴け、それだけでも参加したかいはありました。

それにしても、藤堂さん、申し訳ありませんでした! 心よりおわび申し上げます。

落語・美術展・海外旅行イベントの3連チャン

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「立川志の輔独演会(よみう りホール)」「ポーランド至宝展(東京富士美術館)」「旅行博(東京ビッグサイト)」と、23日から昨日までの〝1日1イベント〟は、非常に有意義でした。とくに「ポーランドの至宝 レンブラントと珠玉の王室コレクション」は、ふだんあまりなじみのないポーランドの美術品がズラリ並び、感動ものといっていいでしょう(ただ、展示品の数が多すぎ、鑑賞のためのスペースが狭いというのが難点)。

E382b8e382b0e383a0e383b3e383883e4b8 ポーランドというのは、とにかく悲惨な歴史を刻んでいる国です。それでも、ポーランド王国の時代、とくに14世紀から16世紀にかけ、リトアニア大公国と合同していたころは、北はエストニア、南はウクライナまでまで達する広大な領土を保有、当時のヨーロッパでは最大の国でした。王室、貴族の強力な庇護のもと、芸術・文化の花も大きく開いていました。とりたててポーランドの美術工芸に興味を抱いているわけではありませんが、そのレベルは相当のものであることくらいは、私にもわかります。

絵のほうは、写実画や肖像画が多かったのですが、その繊細な筆づかいはみごとなもので、フランドル美術というのでしょうか、同じ時期のオランダやベルギー、スペインの作品を彷彿させるものがありました。いちばんよかったのは、ベルナルド・べロット作の都市景観画(5点)です。18世紀末ごろのワルシャワを描いた作品なのですが、遠近法を駆使したきわめて精緻なタッチで、写真などよりよほど強烈なリアリティーを感じさせてくれました(図は「ジグムント3世の円柱から見たクラクフ郊外通り」)。べロット自身、ヴェネチアを描いた有名なカナレット(ジョヴァンニ・アントーニオ・カナール)の甥で、さすが血は争えないとも思ったものです。

たまに、こういう美術作品に触れて心の平穏を取り戻すのもいいので、できるだけ多く足を運びたいのですが……。

長くても、疲れが残らない昔の映画

先週の金曜日(9月11日)、そして今日と、2週連続で、長尺の映画(上映時間が4時間弱、もちろんインターミッションあり)を観ました。先週が『ベン・ハー』、今週が『アラビアのロレンス』です。どちらも、これまで何度か観てはいるのですが、映画館でというのは、ホント久しぶり。でも、観終わった後の感想はというと、以前映画館で観たときとほぼ同じでした。

『アラビア~』など、前に観たときは、こちらの受け止め方が違っているのではないかと感じたのですが、やはり、不完全燃焼というか、いまイチすっきりしない結末で、フラストレーションだけが残りました。やはり映画は、観終わったあとスカっとするのがベストというのが、私の思いです。悲しいなら悲しい、楽しいなら楽しい、深刻な内容なら思い切り深刻に、というのがいいのです。その点『アラビア~』は、政治のイヤらしさとでもいうのか、どうにも不条理な部分が多いので、不満が残りました。

それに比べると『ベン・ハー』は、単純といえば単純なのですが、最後は、期待していたたとおりに終わるので、気持ちがすっきりします。その日の午後の仕事の進み具合に大きな差が出たのはいた仕方ないでしょう。それにしても、昔の映画はつくりがゆったりしているというか、長尺でも、観終わったあと疲れが残らないのがいいですね。内容に不満の残った『アラビア~』でもそれは変わりません。その点、近ごろの映画は、中身をがいささか詰め込みすぎのうえ、展開が早すぎるきらいがあると感じたのですが、どうでしょうか。

アラカン6人で箱根旧街道を歩く

Rimg0021_2 昨年にひきつづき、高校時代の仲間5人と箱根でハイキングを楽しみました。昨年は金時山に登ったのですが、今回は、昨年より体重増のため一段とメタボの進んだヤツが1人いたため、山登りではなくハイキングになったしだい。コースは箱根旧街道です。

湯本からバスで畑毛というところまで行き、そこからスタート。まずは芦の湖畔の元箱根まで1時間少々。休憩ののち、こんどは湖沿いを湖尻まで2時間ほど歩くという、アラ環のオヤジ連にとっては少々きつめと思われる行程です。

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幸い、絶好のハイキング日和で、しかもコースはほとんど森におおわれていたので、直射日光をガンガン浴びるということはありませんでした。午前の部は、最初のうちこそ慣れないせいもあってもたつく場面もありましたが、途中、甘酒茶屋で休憩してからはほぼ快調なペース。ただ、ガイド役のMくんが「この先、登りはもうないから」という言葉を丸のまま信じてしまい、そうでないことがわかったときの落ち込みのきつかったこと。

それでも、夕方4時前、宿舎に着いたときの喜びというか達成感は、何ものにも替え難いものがありました。温泉にゆっくりつかった後のビールは、この世のものとは思えないほどうまかったー! それだけが楽しみで歩き続けたようなものですから、それは当然のごほうびでしょう。

「来年から、春と秋の2回、やろう」という言葉が、だれからともなく聞かれましたが、健康にもいいし、花や紅葉が楽しめるとあれば、反対はありません。もっとも、いざ、その時期が来ると、日程を調整するのもけっこう大変ですし、はたして実行できるかどうかわからない部分もあります。でも、私としては、ぜひ実現してほしいなぁ……。

興南高校の甲子園優勝から2週間。でも、まだ興奮!

1日から沖縄に来ています。8月31日は台風のため、沖縄行きのフライトがほとんど欠航。私の沖縄入りはその翌日でしたから、とてもラッキーでした。沖縄の台風は、以前もこのブログで書きましたが、〝産直〟ですから新鮮そのもの、強烈で荒々しいことこの上ありません。

昨日(4日)も、本当なら9号が来襲するとの予測でしたが、幸いコースが少し逸れたため、さほどではありませんでした。でも、初めて観にいく予定にしていた「全島エイサー祭」が1週間延期になってしまったのは残念至極。また、来年ですね。

Rimg0017_2 それにしても、ここ沖縄ではいまだ、甲子園での春夏連続優勝の興奮がさめやりません。空港でも、街でも、お店でも、「祝 興南高校連覇」のステッカーが、そこここに貼られていますし、本屋さんに行くと、興南優勝を特集した地元新聞社刊行の「緊急特別号」が山積みされ、ベストセラーにもランクされています。新聞もほぼ毎日、それについての連載記事やコラムを掲載。ここではやはり、「甲子園」が人々を大いに励ますのでしょう。

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でも、これは、大都市を抱えていない地方に共通する現象のように思えます。夏の甲子園でベスト8にすら進んだことのない山形県の代表校が優勝でもしようものなら、それこそ上を下への大騒ぎになることでしょう。でも、それはそれで、非常に健全なことのように思えます。

東京のように、何が起こってもほとんど当たり前としか受け止められない大都会に住んでいる人はむしろ不幸かもしれません。人間、やはり、驚き、喜び、悲しみ、感激がダイレクトに経験できることほど幸せなことはないのではないでしょうか。その点、沖縄の人たちがうらやましく思えました。

トホホ……! 年齢には勝てないのにガックリ

昨日は、年甲斐もなく、1日でコンサート2本という無謀な経験をしてしまいました。午後3時から、渋谷のオーチャードホールでジェイク・シマブクロ(ウクレレ)。そして、夜6時からは青山で登川誠仁(琉球民謡)のライブです。しかも、登川誠仁のほうはスタンディングでしたから、ほとほとこたえました。

狭い会場でのスタンディングというのは、還暦間近の身には腰に来ます。もっとも、だからこそ大いに楽しむこともできたわけですが、これが逆の順番だったら、もう少し楽だったかもしれません。

でも、登川誠仁の、とても78歳とは思えないパワフルなパフォーマンスを見ると、そんな弱音を吐くのは罰当たりではないかという気がします。昨年も日比谷野外音楽堂の「琉球フェスティバル」(今年は10月10日。また、行きます!)で登川の演奏を観ましたが、このときは半分酔っ払っている(?)ような感じで、迫力はいまイチでした。しかし、今回のステージは一人きりですから、張り切りようも違っていたのでしょう。

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昼間のジェイク・シマブクロのコンサート、これは興奮しました。〝ウクレレのジミヘン〟と呼ばれているだけあって、機械仕掛けのような手指の動きは聴き手を感心、いや感動させます。それ故、ときおり交えるバラード調の曲も目立つというものでしょう。ウクレレ特有のやさしい音色も、それに味わいを添えていました。

「シマブクロ」という名前からすると、先祖は沖縄からの移民でしょうか。そういえば、今年、甲子園で春夏連覇を果たした興南高校のエースも島袋洋奨といいました。ジェイクは5世ですから、日本語はほとんどしゃべりません。それでも顔つきは日本人そのものなので、親しみが感じられます。それも、日本でたくさんのファンをつかんでいる理由かもしれません。

ただ、それ以上にアメリカ本土でウケているのも間違いない事実です。9月前半で日本ツアーを終えると、10月から来年3月までは本土でのコンサートがぎっしり詰まっています。

ジェイクに感心させられたのは、そのパワフルさです。昨日のコンサートも、2時間半の長丁場でしたが、なんと休憩なし! でした。32歳という年齢からすれば不思議ではないかもしれません。しかし、ジェイクの激しい手の動き、活発なボディアクションを考えると、やはり感動ものです。

途中、観客席にも降りてきて、歩きながらスローバラードを披露していましたが、観客の顔に目を遣りながらですから、気を抜くことはできません。4歳のときから母親にウクレレを教え込まれただけあって、プロ根性もハンパではないのです。一度、ジェイクの本拠地ホノルルでのコンサートを観てみたいと思いました。そう思ったからには、かならず実現するのが私の流儀。実行したらかならず報告しますので、このブログを楽しみにしていてください。

ディキシーランド・ジャズを見直す

ジャズの好きな人ならだれでも、一度は通り過ぎているはずのディキシーランド。さほどジャズと縁がなくても、『ベイズン・ストリート・ブルース』とか『聖者の行進』といえば、「ああ、あれか」とうなずく人は多いでしょう。行進曲風のリズムとメロディーラインが初期のディキシーランドの特徴なので、親しみやすさという点では、ジャズの中でもいちばんではないかという気がします。

ただ、それだけに単調で……と、私自身も思っていたので、昨日の「浅草ニューオーリンズ・ジャズ」のコンサートは、目からうろこが落ちるといった感じで聴きました。これまでそっぽを向いていたのは申し訳なかったなとすら思ったしだいです。

Rimg0007 ディキシーランド・ジャズが生まれたのはアメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズ。20世紀の初めごろに発達し、それが1910年代、シカゴやニューヨークに広まっていったことで、今日のジャズが生まれました。ピアノ、バンジョー、ドラムス、コントラバスなどのリズム・セクションにトランペット、トロンボーン、クラリネットといった編成が基本です。

スゥインギーで陽気、という点ではジャズのなかでも最右翼でしょうから、聴いてい
てこれほど楽しい音楽はありません。とくにアップテンポの曲は、始まるとすぐ、体が揺れてきます。バラードも、ディキシーランド風にアレンジされると、明るく楽しい曲になってしまいます。ディキシーランド・ジャズもバカにしたものではないなと、再認識させられました。

ああ、しんど! 酷暑の広島で5日間の取材

今年の猛暑は常軌を逸していますが、8月16日から取材で訪れている広島の暑さも大変なものがありました。とにかく、日射しの強さといったらありません。サングラスなしではまぶしすぎてたまらないといった感じでしたから、往生しました。それでも毎日、市内のあちこちを歩きまわり、一昨日は、宇品にある広島港から江田島、さらに呉市へと足を伸ばしてきました。

L1050150 江田島はご存じのように、かつて海軍兵学校(将校を養成する教育機関)があったところです。その昔、私がまだ小学生だったころ、母親が「江田島の海軍兵学校は、全国から優秀な生徒が集まってきて、女学校に通う女の子のあこがれの的だったのよ」と、よく口にしていたことを思い出しました。実際、その敷地に入ると、なかには素晴らしいレンガ造りの校舎や講堂が当時のまま残されていて、いかにもといった印象を受けました。思わず絵葉書を買い、母親に送ってやったほどです。

海軍の将校というのは、世界的に共通することのようですが、頭脳明晰なだけでなく、マナーや社交術といった面でもきちんとした教育を授けていたようで、だれもが国際人として通用する力を備えていたといいます。太平洋戦争のさなかにあっても、ここだけは英語の教育が続けられていたことからも、それは理解できるでしょう。江田島も、校舎はイギリス人の設計によるものだそうですし、教育参考館はギリシャの神殿風、講堂の外壁には花崗岩を使うなど、とにかくお洒落な感じなのです。

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もちろん、お洒落なところで教育を受けたからといって即お洒落な人間に育つわけではありません。でも、教育というものの一指針を示しているような気はします。

L1050175 江田島からフェリーで20数分のところにある呉は、かの名画『仁義なき戦い』の冒頭のシーンが強く印象に残る、かつての海軍の街。同時に、戦艦大和など数々の軍用艦を建造した軍事産業のメッカでもありました。戦後、ここにもあったヤミ市が、昭和40年代初めまで続いた、ヤクザどうしの激しい抗争の出発点だったと思うと、不思議な感じがします。

映画で何度となく目にしているせいか、中通りの繁華街、また、それにつながる路地にあるスナックなどの飲食店を見ても、初めて訪れた場所とは思えません。深作欣二監督がこの映画で徹底的にリアリズムを追求したのが実感したしだいです。

早くも、次回のスイス行きを計画!?

2日前、氷河特急に乗ってやってきたサンモリッツのホテルをバスで出発、近くの登山電車で展望台まで登りました。今日は、今回の最終宿泊地であるルツェルンをめざします。

ルツェルン市内を観光後、湖畔に建つアールデコホテル・モンタナにチェックインしました。ミシュランで★印をもらっている、小さいながらも高級感あふれるホテルということで、部屋もえらくおしゃれな造りです。ツアー最終日の夕食、ホテルのレストランとはいえ個室で食べたのですが、従業員の接客レベルの高いのには感心しました。そういえば、客層もセレブ風というか、古きヨーロッパの香りをただよわせていました。部屋からルツェルン湖が見られなかったのはなんとも残念なかぎりです。次回泊まるときはぜひ、湖側の部屋にしたいですね。

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その「次回」ですが、私の頭の中では、いつにするか、もう決まっています。ローザンヌの近くにチャップリン博物館がオープンする2012年で、そのときは、今回ゆっくり滞在できなかったルツェルンとチューリヒ、あと、バーゼルなども加えてスケジュールを組みたいと考えています。

マッターホルンに大感動!

今朝早く、待望の、朝焼けに燃えるマッターホルンを目にすることができました。前日、頂上のすぐ手前にある展望台まで行き、間近で見たマッターホルンも、もちろん素晴らしいものでした。空はどこまでも青く、空気はかぎりなく澄みわたり、四方はすべて3000~4000メートル級の山ばかり。7月23日は悪天候のために見損ねたユングフラウまでくっきり見えたほどですから、いかに天気がよかったかということです。ただ、展望台の気温は零下5度、しかも大変な強風で、とても7月の暑い盛りとは思えませんでしたが。

さて、早朝のマッターホルンは、日中のそれとはまったく別の表情を見せます。朝日が昇り始め、徐々に高くなるにつれ表情を変えていく様子はあまりに荘厳というか、心から感動しました。マッターホルンに登る人のほとんどは、ふもとにあるツェルマットに泊まるのですが、私たちが泊まったのは、そこから登山電車で登っていったところにある山岳ホテルで、真ん前にマッターホルンがそびえ立っていました。そこに泊まったかいがあったというものです。

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さて、朝食を済ませると、ツェルマットの駅まで下ります。今日はそこから「氷河特急」です(どうやら復旧し、運転も再開されたとのこと)。5日前に大変な事故が起こったばかりですから、いくぶん緊張はしましたが、いざ走り始めると、窓外の美しい景色に目を奪われっぱなし。南部のサンモリッツまで、全行程8時間余という長い列車旅に、ツアー参加者全員、期待で胸がいっぱいという感じです。申し訳ないことですが、事故のことなど、正直、すっかり忘れていました。

途中、私たちの車両に、朝日新聞パリ支局の記者と東京からやってきたカメラマンが乗り込んできました。事故のわずか3日後に運転を再開したことに、日本国内ではけっこう批判的な声があがっていたようで、それに対する感想やら、なぜスイスに来たのかなど、いろいろ聞きたいというのです。しかも、それが7月29日の夕刊に写真入りで掲載されたようで、日本から届いた友人・知人の電話やメールでそのことを知りました。これには驚き、さっそく会社からその記事のコピーをホテル宛、ファックスしてもらいました。

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参照<朝日新聞.com>

氷河特急で脱線転覆事故が……

昨日の昼ごろ(日本時間では夜)、氷河特急で脱線転覆事故があり、日本人観光客1人が亡くなり2人が重傷を負ったというニュースを、前夜遅くにかかってきた日本からの電話で知りました。たまたま、私たちの泊まっていたホテルが、テレビどころか、ラジオも新聞もインターネットもない山岳ホテルだったためですが、今朝聞いてみると、添乗員の方も知りませんでした。私たちが氷河特急に乗るのは4日後の28日ですが、それまでに復旧・運転再開になるものなのか、なんとも気がかりです。

長年恋い焦がれていたスイスに出発!

無類の旅行好きである私にとって、スイスは、かれこれ50年近くあこがれを抱き続けてきた国です。中学生のころ、私は新聞記者、それも海外特派員になりたいと思っていました。当時、朝日新聞に、本多勝一の、海外取材をもとにしたコラムが連載されており、自分もいつかこんなことを書いてみたいなと思ったのがきっかけでした。また、NHKテレビの「海外特派員報告」という番組も欠かさず観ていた記憶があります。

この当時、私の〝行きたい国〟リストに挙がっていたのはスイス、ベネルクス3国、北欧4カ国、そしてトルコでした。それとは別に、カリブ海の島々にも強く関心を持ちました。なぜか、「○○領××」と呼ばれる地域には、ぜひ行ってみたいと。そのスイスにとうとう行くことになったのですから、興奮もひとしおです。

今回は久しぶりにツアーで行くことにしました。スイスの楽しみ方にはいろいろなバリエーションが考えられますが、ここ数年興味があったのは、列車に乗ってあちこち移動し、自然に触れ、また都市も訪れるということでした。本当なら3週間くらいかかるのでしょうが、そういうわけにも行きません。それと、列車の手配がややこしそうで、これはもう業者にまかせたほうが賢明と判断しました。そこで、人気の特急列車に乗りながらスイスの山々も楽しむ内容のツアーを選んだのです。

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アイガー、ユングフラウ、モンブラン、モンテローザ、マッターホルンなど、名だたる山々の頂上に目いっぱい近づけるなど、考えただけで身震いします。そこへ行くのに、氷河特急やらゴールデンパス特急に乗れるのですから、一石二鳥ともいえます。さて、どうなりますやら……。

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あじさい満開のお寺で心を癒す

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歌舞伎を観に行ったついでに、温泉(松本市内にある!)と花で体と心を存分に癒すことができました。松本市の中心部からクルマで30分足らず、塩尻市との境近くに、別名を「信濃あじさい寺」という弘長寺があります。山裾にある本堂の裏側に所狭しと植えられ、どれも皆満開のあじさいはおよそ1000株。

この寺のアジサイは、1980年ごろから檀家の有志が植え始めたとのことで、年々数も増えてきているそうです。とにかく、その種類の多さには驚くばかりで、訪れた人が長い期間楽しめるようにと、開花時期の異なるものが約80種類そろっています。

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江戸時代から日本のアジサイは世界的にも美しいと評判だったようで、18世紀後半からヨーロッパに伝えられ、品種改良されてから西洋アジサイとして日本に里帰りしたものも少なくありません。日本のアジサイはどちらかというと、野趣あふれる味わいがあるように思えます。色も紫だけでなく、赤あり、白あり、ピンクありと多彩ですし、名前も淡雪、紅冠雪、楊貴妃、横浪の月、雷電など、これまた多様で、大いに楽しませてもらいました。鎌倉のあじさいも有名ですが、ここらまでやってくると、人もそれほど多くないので、ゆっくり鑑賞することができます。

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弘長寺は真言宗智山派の古刹で、開基は弘長3(1263)年といいますから、750年ほどの歴史があります。それにしても、寺号に年号が用いられるというのは珍しいことです。いまでこそそれほどでもありませんが、できた当初はかなり大きな、また権威のある寺だったのでしょう。

信州松本で歌舞伎見物──街ぐるみで盛り上がる

「勝手に、街魅しゅらん」1◆松本市(長野県)

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松本市のまつもと市民芸術館で7月上旬に「平成中村座」の公演があると知ったのは6月半ば。桟敷席の一部が追加で売り出されるという記事を見かけたのです。さっそくチケットぴあにアクセスし、首尾よく2枚をゲットできました。6月の東京公演のチケットが早々と売り切れてしまったのでやむを得ず、というより喜んで遠征することにした次第です(ついでに、松本近辺の温泉でも楽しめたらしめたもの……)。

地方都市での公演ですから、東京でのそれとはかなり様相が違うようです。『信州・まつもと大歌舞伎』の場合、公演そのものは市や商工会議所などから成る実行委員会が主催、それに関連する事業を企画・運営する市民活動委員会の二つが協力しながら進める方式で、切符もぎりや場内の座席案内など、すべて市民ボランティアがおこなう仕組みだそうです。

私自身もかつて、「劇団ふるさときゃらばん」による公演に、勧進元(主催者)である「大ナゴヤ人元気会」のスタッフの一人として何度もたずさわったことがあるので、そのあたりはよく理解できます。私の場合は、劇団の元主演女優が高校の同窓同期生だからという理由だけで関わったのですが、演目が、名にし負う中村勘三郎の、それも伝統歌舞伎ではない作品(『佐倉義民伝』)ですから、ハンパなものではないでしょう。歌舞伎が好きで、勘三郎が好きで……といったモチベーションがしっかりしていなければ引き受けられないはずです。

市内では、公演期間に合わせて、会場のまつもと市民芸術館をはじめ、市の博物館、美術館、あと松本城で、この地域における義民の歴史、歌舞伎の見どころを手ほどきする、「学び」に重点を置いたイベントがいくつか展開されていました。このあたり、勉強好きの人が多い信州らしい企画といえます。しかも、すべて入場無料とのことで、行政、地元企業・商店、市民が一体となって取り組んでいるのがよくわかります。

この種のイベントを「お祭り」の一種としてとらえれば、「お祭り」なるものが人々の創造意欲をいかにかきたてるか、理解できそうです。ゼロから何かを作り上げることの喜びを共有する楽しさとでもいうのでしょうか。でも、それは、広い意味での文化に対する関心が一定レベル以上に達しているから可能なことで、毎日の生活に汲々としているだけでは、こうしたことは実感できそうにありません。それからすると、この街のレベルはかなり高いことが感じられます。クラシック音楽の一大イベント「サイトウ・キネン・フェスティバル」が毎年開催されているのも納得です(今年は8月10日~9月9日)。

今回の歌舞伎公演は7月2日から8日までの1週間、11回。その間、手ぬぐいやうちわなどの公式グッズや、酒や伝統工芸品といった松本市の特産品を販売する「村祭りの縁日」が会場の前にある大きなロビーで開かれ、チケットがない人も立ち寄れるなどというのもおもしろい試みだなと感じました。聞けば、2年前、松本で初めて「平成中村座」の公演がおこなわれたときにも同じことをしたそうです。

私たちが行ったのは楽日の7月8日(昼の部)でした。今回はクルマで出かけたのですが、市民芸術館には駐車場がないので、その斜め向かいにある美術館にとめさせてもらいました。ちなみに、美術館に敷設されているビストロのランチも、おいしかったですよ。

会場の市民芸術館は「サイトウ・キネン・フェスティバル」のメインコンサートがおこなわれる場所で、非常にユニークな設計の建物です。ホールの前方、舞台のすぐ前にしつらえられた桟敷席というのは、座イスにすわって観るスタイルで、これは初体験でした。

串田和美による演出も、集団ラップの場面があったりエレキギターの生演奏による効果音があったりと、とても斬新で、観る者を飽きさせません。公募で選ばれた市民キャスト約50人が農民の役で出演するという工夫もあります。

11回の公演で1万4千人ほどの観客が訪れたそうですが、なんとも心地よい時間を過ごすことができました。それは、上高地に近いという恵まれた自然条件だけではありません。文化を何より大切にする松本の人たちの心の余裕によるものでしょう。いまさらながら、松本の素晴らしさ、魅力を実感し、帰路につきました。

スポーツも政治も、日本のマスメディアは未熟

なんとまあ、時間の経つのは早いことか! 昨日で今年も半分終わってしまいました。今年前半の大ニュース、いろいろあるでしょうが、私個人にとっては、これまでになく多くの映画を楽しめた(今年前半で40本弱)のが最大の〝事件〟です。

映画についてはいずれ、このブログでも発信しようと思っていますが、いまはひと言だけ。映画(演劇やコンサート、小説などもそうなのでしょうが)というのは、やはり人それぞれ、評価が大きく異なるものなのです。だれかが「めっちゃ面白い!」といくら興奮していても、自分にとってはそうでもない、どころか「どこがいいわけ?」といいたくなるようなものもあるということです。そして、その「だれか」には、マスメディアや有名な評論家も含まれます。

それに比べると、社会的なできごとについては、自分と距離が離れている分、マスメディアやそこに出てコメントを発する人にいとも簡単に影響されてしまうのではないでしょうか。鳩山総理が辞めて菅直人政権が誕生したとたん内閣支持率が急上昇したり、一時は「やめろ!」とまでいわれたサッカー日本代表の岡田武史監督に対する評価が、決勝トーナメント進出を決めたとたん「日本一」に一変わしてしまったり。「権威あるものに従う」「まわりの意見に合わせようとする」日本人の国民性のようなものは、昔もいまも変わらないようです。

L1040730 それでもなおかつ、ワールドカップでの日本代表の戦いぶりは、これまでで最高だったように思います。私がいちばん感動したのは「サッカーは団体スポーツであることを示したい」という、岡田監督の言葉でした。サッカーにかぎらず、野球もバスケットボールもラグビーも、団体競技のはずなのに、日本のマスコミはすぐ「ヒーロー」「スター選手」を仕立て上げ、ことさらに持ち上げようとします。それが本人のためになるかどうかはどうでもいいのですが、一緒にプレーしているほかの選手にどんな影響を与えるかまでは考えていないような気がしていました。

これは「個」のレベルについてだけではありません。団体競技にはかならず戦う相手がいるのに、勝ったチームにだけ異常に肩入れするのも同じことです。セ・リーグの巨人や学生ラグビーの早稲田がいい例です。盟主とか伝統とかいったことも大事なのかもしれませんし、負けたチームの努力が足らなかったという見方も間違ってはいないでしょう。でも、負けた相手チームがあっての勝ちチームであって、巨人がいなければプロ野球は成り立たないだの、早稲田あっての学生ラグビーだなどという考え方は本末転倒ではないかと思うのです。

最悪なのは、そうした報道のされ方が長年続くと、知らぬ間に偏った「刷り込み」がなされてしまうということです。コアなファンの間ではそうしたことは起こりにくいでしょうが、「コア」はあくまで少数派でしかありません。3分の2、ときには4分の3もの人が、マスメディアが持ち上げる個人やチーム(団体や組織)を無批判に肩入れしてしまっては、スポーツも、また政治も健全な発展はしないことでしょう。

また、フェアにものを見るという態度も失われてしまいます。(プロ)スポーツに対する人々の立ち位置、政治との関わり方が、世界的に見ていまだに一流の域に到達できずにいるのは、それについての情報を人々に伝えるマスメディアの手法があまりに未成熟であるからのように思えてなりません。

琉球紅型でつくってもらった表札

サッカーのワールドカップで日本代表が決勝トーナメントに駒を進めた興奮がまださめやらぬ昨日、那覇の新都心・おもろまちにある県立美術館・博物館に行きました。今年4月、ひょんなことからその存在を知った虹亀商店(http://nijigame.ti-da.net/)の亀谷明日香(写真中央)さんに製作をお願いしていた「紅型(びんがた)の表札」が完成、それを受け取るためです。L1040704

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受け取り場所をそこにしたのは、この日、「沖縄慰霊の日」にちなむ行事の一つとしておこなわれている「沖縄平和詩歌祭」に、彼女の造った「紅型灯籠」が展示されていたからです。これは、俳句や短歌、詩を一つひとつに、異なる絵柄(文字は同じ書体)の紅型をほどこし、木枠で囲った裏側から電球を点灯するというものです。造形的なコンセプトとしてはそれと似通っているのですが、なんとも味わい深い紅型の絵柄と色づかいによるユニークな表札ができ上がり、感動しました。

65年前、本当の戦争があった場所で

6月23日、ここ沖縄では「祝祭日」の扱いで、役所や学校は休みです。といっても、この日には「祝」の要素もなければ「祭」の要素もありません。太平洋戦争で、日本国内唯一の地上戦がおこなわれた沖縄。その最終決着がついたのがこの日で、沖縄における戦闘で亡くなった、24万人もの戦没者の霊を慰める日なのです。「戦没者」といっても兵士だけでなく、その多くは民間人であったことが、沖縄の大きな特徴です。

L1040699_2 この日を中心として、沖縄県内ではさまざまな行事がおこなわれ、人々が「戦争」に思いをはせる時期になっています。早朝から深夜まで、「戦争は絶対許さない!」という言葉をひんぱんに見聞きします。年に1回といってしまえばそれまでですが、多くの人が「戦争」について深く、真剣に考えさせられるチャンスがあるのは、ほかの都府県では見られない現象といえます。それでも、「戦争体験が風化しつつある。このままでは後世に伝わらない」と危機感を抱く人も少なくないようです。

22日に沖縄入りした私と家人は昨日、菅直人新総理も列席・挨拶をしたという式典が終わったころを見計らって、本当南部の糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園に出かけました。着いたころから雨が降り始めたのですが、この日は早朝から戦没者の遺族をはじめ、多くの人が訪れていたようで、雨を気にするふうはありません。アメリカ軍の砲弾や銃弾、火炎などを雨あられと浴びせられたことに比べればどうということない、との思いでしょう。

L1040695地元沖縄の戦没者は市町村別、それ以外の人は道府県別に、「平和の礎(いしじ)」にその名が刻まれ、どの礎の前にも多くの花束が手向けられていました。もちろん、戦前は日本の植民地だった朝鮮や台湾、樺太、さらにはアメリカ兵のものもあり、こちらの前にも小さな花輪や国旗が置いてあります。すでに65年も前のこととはいえ、実際に戦争がおこなわれた場所で、その当時の悲惨きわまりない状況を想像するのは、遠く離れた場所にいるのとでは、格段の差があることを痛感したしだい。こんなところでも、「アナログ主義」は、人間に深い影響を与えるのです。

天才アラーキーよりもっと天才、その名は荒木一郎

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自他ともに天才と認めるアラーキーこと荒木経惟は写真家です。たしかに、アラーキーの写真は、独特のエロティシズムがあますところなく表現され、間違いなく楽しめます。でも、分野は違うものの、天才度にかけては、アラーキーの上を行くのではないかと思われるのが、苗字は同じ「荒木」なのですが、日本のシンガーソングライターの元祖といわれる荒木一郎です。

若い人にはあまりなじみがないかもしれませんが、私くらいの年齢の者にとって、とりあえずミュージシャンとして、その存在感は圧倒的なものがあるのではないでしょうか。ちょうど私が高校に入ったばかりのころ、ラジオから流れてくる彼の曲を聴いて身震いした人は少なくないはずです。

その荒木一郎が6月13~15日、大胆不敵というか、なんと3日間連続のライブをおこないました。これほど大規模なライブは8年ぶりだそうです。ライブで3日間連続というのは珍しくないでしょうが、日によって内容がすべて違うというところにユニークさがあります。1日目は、10代のころ、まだ歌手になるとかいう話などない時期につくって歌った曲、2日目は歌手として全盛をきわめた20代のころの曲、そして最終日は、それより後、どちらかといえばほかの歌手や俳優のためにつくった曲で構成されていました。

L1040679 会場は、東京・世田谷区の北沢タウンホールという、地味なところです。下北沢の駅から徒歩3分ほどのところにあるのですが、基本は区役所の分庁舎。その2階に400人弱収容のホールがありました。客のほとんどは50代以上でしたが、関西や名古屋あたりから、このライブのためにわざわざ上京してきた人も少なからずいたようで、荒木一郎への支持の根強さが感じられます。もちろん、3日間とも満席。私も毎日通いましたが、なんとも素晴らしい内容でした。

ミリオンセラーになった「空に星があるように」「今夜は踊ろう」「いとしのマックス」「君に捧げるほろ苦いブルース」の4曲は毎日聴かせてくれました。しかし、ほかにも「梅の実」「海」「あなたといるだけで」「傷だらけの栄光」「あなたのいない夜」「ジャスミンの花は咲いてますか」「夜明けのマイウェイ」など、次から次とヒット曲を歌ってくれました。よく知られている作品の中で歌わなかったのは「ジャニスを聴きながら」くらいでしょう。MCもさえさえで、それだけ聞いていても飽きないところなど、たいしたものです。

若いころは気づきませんでしたが、今回思ったのは、その後シンガーソングライターとして名を成していったミュージシャンにも荒木一郎は多大な影響を与えたのではないかということです。たとえば、ひとつの曲の中で何度も転調する手法など、松任谷由実の専売特許のように言われますが、荒木一郎は10代のころからそうしたテクニックを盛り込んだ曲をいくつもつくっていますし、詞に表現される都会性も、こんな時代からと思わせるほど、卓越したものを感じさせます。そんなこともあるからでしょう、いま活躍中のミュージシャンにも、荒木一郎をリスペクトしている人は多いようです。

さすが天才、小説を書いたり、映画とかかわったり(俳優として、また監督として)など、さまざまな分野で活躍してきた荒木一郎。最近は音楽界での活動がめっきり減っていますが、それでも、その天才ぶりはいっこうに衰えを感じさせません。3日間、通しで楽しませてもらい、本当によかった! というのがいつわらざる実感です。

Thank you,荒木一郎!!

今年初めての著作『アナログ主義の情報術』を上梓

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昨年は結局、『名古屋脳』の1点しか上梓できませんでした。それも3月ですから、それからもう1年以上がたっています。これはまずいよなぁ……。そんなことは百も承知、二百も合点なのですが、去年4月から1年間続いた、朝日新聞(東京版)の連載コラム「街見しゅらん」が、週1回だというのに、思っていた以上に重かったのです。でも、ようやく、今年の1点目をこのほど出すことができました。タイトルは『アナログ主義の情報術』といいます。

版元は、ご存じないかもしれませんが梧桐(ごとう)書院といい、ここのところ次々と意欲的な企画を出している出版社。編集長とは20年来の付き合いで、昨年秋、この企画を依頼され、4月初めにようやく脱稿したしだい。カバーはシンプルで、それをはずした表紙(カバーを外した本の本体)には、私自身の仕事場で撮影していただいた写真がアレンジされています。全体としてシンプルな中に上品さがただよっていて、大いに気に入っています。

さて、中身ですが、タイトルから想像がつくように、近ごろ世の中を席捲しているデジタル的な情報収集・処理より、アナログ的な手法のほうがはるかに生産性が高い、しかもこちらの頭も柔軟かつ新鮮な状態を保つことができるから、結局はお値打ちですよという、私の独断的な考えにもとづいています。

詳しくはお買い求めのうえお読みいただくとして、新聞の電子版(日本経済新聞)や電子書籍など、i-Padが発売されたこともあり、デジタルの情報媒体はこれから先、想像を絶するような発展を見せるにちがいありません。しかし、だからといって、そればかりに頼っていては、私のような仕事は立ち行かないでしょう。デジタルの価値を否定するわけではけっしてありませんし、その利点は利点としてフルに活用しながら、これから先も、アナログ主義に足場を置きながら活動を続けていくのがいちばんだと、あらためて自覚したしだいです。

「がーまるちょば」が教えてくれる万国共通語

L1040655 土曜日(5月29日)の夜、新大久保にあるグローブ座でおこなわれた「がーまるちょば 東京凱旋公演」を観に行ってきました。がーまるちょばというのは日本人の2人組(ケッチとHIRO-PON)、国内でもさることながら国際的に有名なサイレントコメディー(パントマイム)の芸人、というよりアーティストです。ちなみに、がーまるちょば(Gamarjobat)とは、「こんにちは」を意味するグルジア語とのこと。

前後半あわせて2時間ほどの公演でしたが、ひとことも言葉を発せず、ただただしぐさと表情だけで観客をクギ付けにするのですから、感動してしまいます。とくに、後半1時間にわたって演じられた「BOXER」という演目は、素晴らしいのひとことです。その意味では、機関銃のようにしゃべりまくるお笑い芸人の、まさに対極的存在といえるかもしれません。

言葉を口にしないことでかえって国際性を持つというのも、考えてみるとおもしろい話です。逆に、しぐさと表情には、それくらい強烈な国際性があるということの証しでしょう。男も女も、大人も子どもも、だれもが楽しめる「がーまるちょば」、ぜひ一度観てみることをおすすめします。これまで海外26カ国で公演しているというのも納得できます。

自分たちで採った山菜を、即座に食べる快感

 エゾヤマザクラ、キタコブシ、ソメイヨシノ、ボケが一斉に満開──なんとまあぜいたくな体験できるのが、いまの札幌。春と初夏が同時にやってくるからその札幌に14日から来ています。朝6時過ぎだというのに、ホテルから歩いてすぐの大通公園には、そうした木々と、色とりどりのパンジーがびっしり植わった大きな花壇、そして、まだ雪をいただいたままの大倉山を遠くに見ながらウォーキングにはげむ市民が多く繰り出していました。

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その日の午後は、市の西端、手稲山まで山菜採りに行きました。地元に生まれ育ち、リタイアした現在は手稲中央連合町内会副会長、自然保護監視員もされている濱谷義昭さんの案内で小1時間ほど山の中腹を散策したのですが、天気も気温も、これ以上はないという最高のコンディションだったことも幸いし、自然を堪能できました。

L1040627  フキノトウもこれほど大きくなると(写真参照)、それとはわからず、濱谷さんに「これはなんの花ですか」と質問したくらいです。私たちが食べるのは、花がまだ開く前のときですから、わからないのむ無理はないでしょう。

 それにしても、終わった後、ふもとの居酒屋さんで料理してもらった山菜の、どれもみな新鮮でおいしかったこと。〝産直の極致〟のような食べ方ですから、当たり前といえば当たり前なのですが、それにしても、野菜(果物もそうですが)は採れたところで食するのがいちばんだとあらためて感じた次第です。

35年前にタイムスリップ

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 5月に入ってほぼ〝映画漬け〟の日々です。といっても、半分はテレビ(NHKのBSハイビジョンとBS2)なのですが、ヒッチコックの『海外特派員』『泥棒成金』『サイコ』、クリント・イーストウッドの『ペイル・ライダー』『トゥルー・クライム』で、計5本。映画館でも『ボーダー』『インビクタス』『プレシャス』『ウイニング・チケット』『ミレニアム』の5本を観ました。

 映画に対する私のスタンスは決まっています。それは、「この男が最後くたばると気持ちいいよなぁ」「こうなると皆ハッピーなんだけどなぁ」という、こちらが期待しているとおりに終わってほしいということです。それと、やはり明るい気持ちになれる作品でしょうか。どれほど巷の評判がよくても、極端な話、アカデミーの作品賞を取っていたとしても、この2つをクリアーしていない作品は、やはりなじめません。

 それにしても、昨日、35年ぶりに入った飯田橋のギンレイホールはなんと、満員でした。学生時代にほとんど毎週のように行っていた映画館なのですが、当時は建物も古めかしく、いかにも学生向けの名画座という感じがふんぷんとしていました。飯田橋はけっして場末ではありませんが、いささか旬を過ぎた作品の2本立て、それでいて値段は安かったからです。今回行ったら、外装はすっかりきれいになっていましたが、中の雰囲気はさして変わっていません。興行スタイルが当時と同じだからでしょう。それに、2本立て1300円(「夫婦50割引」ならなんと1000円)はやっぱり安い!

35年ぶりついでに、これまた学生時代しょっちゅう昼飯を食べていた「インドール」という食堂にも行ってみました【写真参照】。間口1間半・奥行き5~6間の店構えも、カウンターの中でひとり黙々と、名物のしょうが焼きをつくるおやじさんも当時と同じ。味もそのまま、最高にグーでした。昭和の時代に戻った1日でした。

仕事に明け暮れたGW、でも花で心なごむ毎日

 ゴールデンウイークは、かれこれ30年近く、どこにも行かずにいます。お正月とこの時期の東京は、静かですし、空気も澄んできれいなので、居心地がとてもいいのです。

 それで、今年は何をしていたのかというと、やはり仕事でした。結局、そうなってしまうのですね……(笑い)。ただ、仕事の合間に、庭の花をいじるという楽しみが加わったのが、大きな救いになっています。花をいじるといっても、それはもっぱら家人で、私はといえば雑草抜き、土の整備、不要になった鉢植えの処分といった、下働き的なことに専念しています。

L1040620_2  でも、不思議なことに、これがけっこう楽しいのです。人間、やはり土に触れていると心が落ち着くというか、癒されるのでしょうか。爪の先と指との隙間が泥で真っ黒になっても、そのことに充実感を覚えたりします。「雑草のようにたくましい」などと、あちこちに書かれているのを目にするのですが、実際、土中深く、広く根を張っている雑草を抜くのはけっこうハードな作業で、「たくましさ」の本当の意味が実感されます。

 私がいま住んでいる家は片仮名の「コ」の字型で、「コ」の字の中、空いている部分が庭(パティオ)になっています。その一部、3分の1ほどが、灯籠まで立つ日本式の庭。それと別に、3分の1ほどのスペースに石板が敷かれ、残りの3分の1は土の上に小さな石が敷き詰められています。

庭のほうはあらかじめでき上がっているので、新たに手を加えることもありません。そこで、石板の上に大小の鉢を置き、さまざまな草花を育て、咲かせるわけです。しかし、雑草はそれ以外のところに生えてきますから、私の作業はほとんどが土の上になるのです。

L1040602_5 今日の昼間、たまたま立ち寄った八王子の道の駅で、なんともカラフルで可憐なバーベナ5鉢とぽんぽん咲きのマリーゴールドを3鉢ほど買いました。そういえば、5日にもホームセンターまで土を買いに行っています。その前日(4日)、ホテルオークラでこの時期の定番イベントになっている「10カ国大使夫人のガーデニング」にも足を運んでいるので、ほとんど〝花漬け〟の毎日ではありました。

もうじき、花が咲き終わったチューリップを土から引き上げなくてはなりません。その跡に何を植えるか、それも楽しみです。これからは、土とたわむれる機会がますます増えるような気がします。これもやはり、歳なのでしょうね。

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沖縄・伊江島で100万輪のユリに感動!

 3日前の21日から沖縄にやってきています。着いた日は半袖でも暑い日だったのですが、翌日から気温がぐんと下がり、23日は朝から空模様もなんだかあやしい感じ。それでも、前日(22日)の朝、地元の新聞に出ていた広告を見て急遽思いつき予約を入れた「伊江島ゆり祭り日帰りバスツアー」に参加しました。

 伊江島というのは、本島の北西部・本部港からフェリーで30分ほどのところにある小さな島です(それにしても、船に乗るのはここ1カ月で5回目!)。その北側に、かつて日本全国の自治体に1億円ずつ均等にばらまかれて実施された「ふるさと創生」事業によって生まれた「リリーフィールド」という大きな公園があります。8万6千平方メートルという、海沿いの広大な敷地に、日本原産のテッポウユリを10万本も植えたもので、それがいまでは20万本に増え、毎年4月中旬から5月上旬にかけての時期に100万輪もの花を咲かせるのですから、それはもう壮観の一語に尽きます。

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 テッポウユリは、鹿児島以南の温暖な場所でないと花が咲かないとのこと。最近、我が家の庭や、道路に沿って並べた6個の大型プランターに植えた花の手入れをするのが楽しみになっている私と家人。それを知って、バスツアーのおみやげとして頂戴した球根を、東京でもなんとか咲かせてみようとひそかに決意しました。それくらい、花の咲き方がみごとで、独特の甘い香りもすばらしいのです。やはり、南の豊かな太陽の光を浴びているせいでしょうか。

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 リリーフィールド公園の後で訪れたハイビスカス園も大変なものでしたが、こちらは品種があまりに多すぎるのがむしろ難点に感じられ、それならシンプルなユリのほうが興味が湧きます。

 もともと、風に揺られて花がゆらゆらするさま=「揺り」から「ユリ」と呼ばれるようになったのだとか。伊江島のユリのじゅうたんも、東シナ海からの風に吹かれ、さわさわと揺れていました。テッポウユリの花言葉は「正直」だそうです。私たちが花に注ぐ愛に、伊江島から持ち帰る球根が来年のいまごろ、正直に応えてくれるといいのですが……。