ついに我が家にもコロナの波が!!

●先週土曜日(8/20)の夕方から家人が発熱、翌朝自宅で抗原検査をしたら陽性。これはヤバいということで病院で診てもらおうとしたのですが、日曜日のためかなわず、結局月曜日に。念のため朝イチで抗原検査をしたらやはり陽性。娘があちこち当たってくれ、ようやく自宅近くのクリニックで予約が取れました(テレビによく出ていた東京都医師会会長の先生のところ)。


●改めてPCR検査を受けるまでもなく、自宅でやった抗原検査の結果だけで即「アウト」の診断。高齢者・高血圧・高血糖ぎみと、重症化リスクがそろっているため、それを抑える薬をもらいました。おかげで徐々に体温も下がり、喉の痛みも緩和しつつあるようです。ワクチン接種を4回受けていたのがよかったとのこと。


●濃厚接触者の私と、同居の娘・2人の孫も月曜日の昼前PCR検査を受けたところ、全員陰性でほっとしました。ただ、3年ぶりの開催で楽しみにしていた8/28の「琉球フェスティバル」@日比谷野外音楽堂、8/29〜31の夏季研修会@都わすれ(秋田県)には行けなくなり、家人はガックリ。私も「琉フェス」はあきらめました。8/21のNHKのど自慢@石垣島に、BEGINと夏川リミが審査員で出ていたのがせめてもの慰めでしょうか。


●そんなことで気持ちも下向きになりかけていた昨日(8/23)、素晴らしいニュースが。「北前船フォーラム」のパリ開催(10/17〜20)が正式発表となり、新聞(といっても地方紙ですが)にも報じられたのです。(https://www.sanyonews.jp/article/1299619)。北前船がなぜパリで? についてはFBでおいおいお伝えするとして、とりあえず大きな楽しみができ、ありがたい限り。これから先2カ月、コロナに感染しないよう、細心の注意を払いながら過ごすことにします。(2022/8/24)

竿燈は静かな祭━━と思っていましたが、どうしてどうして

●8月3〜5日は秋田県へ。竿燈まつり・さんさ踊り(盛岡)の時期と重なり、新幹線は満席です。そのうえ秋田県内に大雨が降り、盛岡から秋田に向かう「こまち」が運休に。盛岡駅前で、2泊する田沢湖の旅館が差し向けてくれたバスを待っていると、雨上がりの青空に岩手山がくっきり見えました。


●バスで1時間半、県道から脇にそれ、片側が高い杉、逆サイドが断崖絶壁の細い道を抜けると宿に到着。このあたりの空は、人里離れた山間[やまあい]に似つかわしく、”透明度100%”。その空に向かってそそり立つ木々の凛とした緑に、こちらの気持ちもさわやか度100%。


●4日の夜は秋田市で竿燈まつりを楽しみました。以前中国の大連で開催されたイベントで見たことがあるのですが、それは昼間で、しかも郊外の公園。でも、夜、都会の真ん中で繰り広げられる本来の竿燈はまったく別物でした。50個ほどの提灯をつけた、高さ12mの竹竿が一人の手、肩、腰、額に乗せられ屹立する様は、激しい動きこそありませんが、スリリングで迫力満点。


● 竿燈は静かな祭といったイメージがあったのですが、実際その場に身を置いてみると、その間違いに気づきました。時間の経過とともに気持ちがどんどん高揚、ずっとその場にいたくなるのです。演じる側のエネルギーが見る側にも伝わり、両者が一体となってそれがさらに強まるのでしょう。病魔や邪気を払う厄除け、五穀豊穣という地上の願いを天に伝える竿燈の意味合いを実感できました。(2022/8/6)

盛岡駅の連絡通路から岩手山をのぞむ。
雫石あたりを走るバスの中から。
地元の人も、こんなくっきりとした姿はなかなか……と語っていました。
バスの窓から見上げると。
2本の竿燈が連携して。
風にあおられ倒れてしまうことも。
繰り出した竿燈は280本。

港と道路が消えたら、どんなに栄えた街もパワーを失ってしまう

●羽州街道━━。名前はともかく、どこをどう通っているのか、正直ほとんど知りませんでした。でも今回、1週間かけゆっくり走り抜けてみると、穴場というか、名前は知られていなくても一見の価値があるスポットが点在していることがわかりました。最後の宿泊地・弘前を出て向かった黒石市もその一つ。羽州街道の宿場ではありませんが、小さな城下町としてにぎわっていたようです。


●往時の面影を残すのが中町こみせ通り。「こみせ」とは、両側に並ぶ店が、雪が降ってもお客が楽に出入りできるように、道路との間に作った、いまでいうアーケードのこと。道路と接する部分にも防雪用の板を立てるなど、こまやかな気遣いが行き届いた街並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


●津軽三味線の演奏会などさまざまなイベントを催すなどして集客を図っているようですが、ひっそり感は否めません。知名度がいまひとつなのは、宣伝力が弱いのかも。でも、「津軽の三ふり(①えふり=いいふり・いいかっこする②へふり=ないのにあるふりをする③おべだふり=知ったかぶりをする)」からすると、そうでもなさそうな気もするのですが。


●ツアーのゴール油川宿は、羽州街道の終点であるとともに松前街道の起点。しかし、明治に入って新しい道路が作られて以降はすっかりさびれてしまいました。北前船でにぎわった港も青森に一本化され、いまでは「羽州街道 松前街道 合流之地」と記された碑と、黒石と同じような「こみせ」を残す蔵元(元は近江商人)が当時をしのばせるくらいです。海上交通の重みを改めて実感した次第。(2022/7/27)

朝ご飯をもう一度、ならばもう一泊。な〜んて旅があってもいい

●ツアー最終日は弘前泊。有名なのにさほどにぎにぎしくない駅前に建つシティホテルでした。東京あたりなら”過去の遺物”扱いされそうなフツーの外観。でもこれが大当たり! 朝食がずば抜けて素晴らしかったのです。

●ホテルの朝食というと、国内外を問わずバイキングが標準仕様。ただ、ヨーロッパでは、それぞれの国・地域・都市の個性がよく出ていて十分楽しめます。ここも同じで、地元で獲れた旬の野菜・果物、肉、乳製品を駆使したメニューが多彩(ガーリック豚の極上ハム、ほたてとリンゴの炊き込みご飯、板きり麩すき煮仕立て、いがめんち、若鶏の源たれ焼き、けの汁など)で、どれを皿に載せるか迷いっぱなし。1回(1泊)ではとても食べきれません。


●日本の観光地が海外のそれと決定的に違うのは、「滞在」「連泊」を想定していないこと。休暇は英語でvacation、フランス語ではvacanceですが、どちらも、ラテン語で「空っぽ」を意味する vaco に由来しています。体も頭も空っぽにするのが休暇の本来の目的なのでしょう。それには、何もせずにぼーっとしているのが一番。でも働き者の日本人は、そんなふうに時間を過ごすと罪悪感にさいなまれてしまうのかも。


●旅に出ると、1日目はここに行って、2日目はああしてこうして……と目いっぱい詰め込まずにはいられない、なんとも悲しい性[さが]というか。当然、同じところに何泊もしてのんびり、などという発想はありません。ようやくここ数年、欧米風の休み方に合わせたホテルや旅館、あるいはツアープランも現れ始め、個人的にはとてもうれしく思っています。ここの朝飯を食べたいからもう1泊━━そんな旅があってもいいですよね。(2022/7/24)

コロナ禍で海外の観光客が来なくなったらお手上げ、では情けない

● ツアー6日目は、大館宿からバスで30分、青森県との境にある矢立[やたて]峠から。標高258mとさほど高くはありませんが、天然の秋田杉の間を縫うように作られた遊歩道はまさに昼なお暗き態(てい)。吉田松陰、前田利家、伊能忠敬、高山彦九郎、明治天皇、大久保利通、イザベラ・バードなど、歴史にその名を残す人たちもこの地を訪れています。


●峠を下ったところにある碇ヶ関[いかりがせき]は江戸時代、箱根より厳しい取り調べがおこなわれた関所といいます。ここを抜けると温泉とスキーで有名な大鰐[おおわに]宿。一時は熱海と競うほどのにぎわいを見せていたようですが、いまその面影はまったくなし。


●コロナ禍の前は、全国の観光地の多くがインバウンド(といっても、そのほとんどは中国から)需要の恩恵に浴していました。さほど努力をしなくても次々やってくるツアー客に浮かれていた業者も少なくなかったはず。それがもう2年以上もストップしているのですから、沈没していくところがあっても不思議ではありません。


●インバウンドの中でもお金持ちに狙いを絞っていたところもあります。いまは国内の富裕層が相手なのでしょうが、1泊2食付きで1人5〜10万円もする旅館やホテルを利用する人がそれほどいるのかとなると。まして観光地としては地味な北東北ですし。「旅」に求めるものがますます多様化しているいま、どこまで創意と工夫を凝らせるかが、これからの浮沈を左右しそうです。(2022/7/23)

鳥居のない神社に仰天、大館市役所の新庁舎に感動

●前夜は秋田に泊まりましたが、同じ時間帯に同じホテルを東京の知人が仕事で訪れていたのをFBで知りびっくり! こんなこともあるのですね〜。ホテルの真ん前は久保田城のお堀。早起きして、蓮の花を観に行きました。あと10日もすればお堀の水面が見えないほど満開になりそうです。


●5日目最初の訪問地は、男鹿半島から少し東にある五城目〔ごじょうめ]町。以前住んでいた豊島区に同じ名前の秋田料理店があり、地名は知っていました。城と朝市が有名なようで、今回の目的はその朝市。有名な輪島にはかないませんが、500年以上も前から続いているのだそうです。ただ、この日は平日、それに雨模様の天候も災いし、客は私たち一行だけ。救いは”観光毒”にさいなまれている風が一切ないこと。


●午後は男鹿半島へ。おもしろかったのは、なまはげ館と隣り合わせの真山[しんざん]神社。当初は神を祀っていましたがその後仏教寺院が併設され、明治初めの神仏分離令により神社に戻ったようです。仁王門はあっても鳥居はないまま。皆さん、どこに向かって手を合わせたらいいのかとまどっていました。


●宿泊地の大館は、一昨年10月に訪れたばかり。夕方フリーの時間があったので、完成して間もない市役所新庁舎を訪問、見学させてもらいました。木の温もりを生かした、素朴ですが心地よい空間に感動。夕食は前回と同じ店でしたが、季節柄きりたんぽ鍋ではなく、料理長が腕によりをかけたメニューを堪能。なかでも南瓜スープ、金目鯛枝豆焼き、リンゴ釜グラタンは出色でした。ちなみに、きりたんぽ鍋はこの店で生まれたのだそうです。(2022/7/22)

落ち着いた空気に心が休まるのは、歳を取った証拠!?

●最上川の舟下りを終えた日の宿は新庄。山形新幹線の開通を機に新駅舎ができ、周辺を大々的に整備、ガラス張りの巨大な地域交流施設も建っています。ただ、利用しているのは高校生ばかりで、駅前の商店街は人っ子ひとりいません。人口減に歯止めがかからない地方都市の、ある種典型的な姿を呈しています。


●ツアー4日目、最初の訪問地は山形県最後の宿場となる金山[かねやま]町。二度目の訪問ですが、「美しいまちなみ大賞」に輝いている心地よい空間に改めて感動。当地特産の杉で造った木造の橋から川や山々を見ているだけで、ほっこりした気持ちになります。


●秋田県に入り八代目佐藤養助総本店の稲庭うどんでランチの後、前総理の故郷でもある湯沢を経て「蔵の町」増田(横手市)へ。旧羽州街道の両サイドには、家の中に蔵がある大きな商家(奥行き110〜120m!!)がズラーっと建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。吉永小百合が出ていたJR東日本のCMをご記憶の方もいるのではないでしょうか。


●それにしても、蔵の規模、お金のかけ具合には驚くばかり。いま実際に人が暮らす家の中にあり、しかも使われているので、ホコリっぽさとは無縁。金山町もそうでしたが、いかにもそれっぽいカフェとか安直な土産物店もなく、ゆっくり落ち着いて楽しめる観光地といえます。早い話、それだけ歳を取ったのかも。(2022/7/21)

羽州街道の旅ならでは!? まだまだある未知の観光スポット

●昨夜の泊まりは山形宿。花笠まつりのパレードがおこなわれる通りに面したホテルでした。早朝近くを散歩すると、宿場町だった頃を彷彿させる風情の建物に遭遇。山形県には明治期に建てられた洋風建築物もあちこち残っていますが、その多くは三島通庸の推進した建築土木政策の所産のようです。


●山形をあとに、次に訪れたのは寒河江[さがえ]宿の慈恩寺。天平18(746)年、聖武天皇の勅命でインド僧婆羅門[ばらもん】が開山したと伝えられる古刹です。江戸時代は幕府の保護を受け、東北随一の大寺院として栄えたとのこと。1300年もの長い歴史の中で数々の文化財が残されており、国指定重要文化財も多数あります。


●この寺の存在はまったく知らず、いまさらながら自身の不勉強を恥じいったしだい。とくに素晴らしかったのは、個性的な姿・表情をした仏像の数々。弥勒菩薩、釈迦如来、薬師如来、聖徳太子立像、十二神将立像(重要文化財)など多くが木掘りで、それがまたなんとも言えない柔和さを強調しています。


●午後はこの地域の名産・紅花を見て楽しむ設定。しかし、6月の異常な暑さもあってか、例年より半月早く散ってしまったよう。そのあと行った最上川三難所舟下りも、前日の雨で水量が増したため難所を示す岩がすっかり姿を消し、スリルを味わう楽しみは”日散雨消”とあいなりました。桜とか紅葉を楽しむのがテーマのツアーは、時の運に左右されるきらいがあるのが悩ましいですね。(2022/7/20)

昼は世界遺産の銀山、夜は日本遺産の神楽で石見[いわみ]を満喫

●「一畑[いちばた]電鉄」。日本一人口の少ない島根県内を走っている私鉄ですが、初めて乗りました。目的はコンビニに行くため(泊まったホテルが不便な場所だったもので)。JR西日本でさえローカル線の多くが赤字に苦しむ中、大丈夫なのかと心配になりますが、これがけっこう健闘しているようなのです。2両編成の車輌はかつて東急東横線を走っていた中古のよう。朝7時半頃とあって、乗客の9割は高校生でした。


●ツアー2日目のメインは世界遺産の石見銀山。戦国期から江戸中期まで、ここで掘られた銀は世界の主要国で貨幣の原材料になっていたそうです。佐渡の金と同じく鉱山一帯は幕府の天領で、代官所が置かれ、その周囲の町並みがみごとに保存されています。


●ここで採れた銀の積出港が、ツアー2日目の宿泊地・温泉津[ゆのつ]。その当時は北前船の寄港地としても大いに栄えた町ですが、いまは昭和30年代で時計がパタッと止まってしまったような雰囲気で、いまその面影が残っているのはおだやかそうな入江の奥にある港と温泉旅館の並ぶ細い通りだけです。ちなみに、耐火性に富む石見粘土で高温焼成され、硬く割れにくい大きな水甕[がめ]も北前船で全国各地に。それを焼く上がり窯[かま]もみごとでした。


●よくよく考えてみると、この県は「古事記」「日本書紀」に描かれている国生み神話の舞台。それもあってか、文化面での蓄積は並はずれたものがあります。その一つが日本遺産の石見神楽で、今回それをナマで観ることができました。会場は旅館近くにある小さな神社の拝殿とあって、舞いもお囃子[はやし]も目の前で迫力満点でした。小さな私鉄を支えているのも、数百年も続くこうした文化が生活の基底に息づいているからかもしれません。(2022/4/21)

まばゆいばかりの白い灯台に興奮

●日曜日から山陰の旅です。島根県は3年ぶり。朝10時の便なので、9時には羽田がマスト。となると東久留米からではちょいキツく、前泊しました。ピンクムーンの満月を見ながら部屋でゆっくりし、出発当日はいつもどおり5時起き。北アルプスを見ながらひとっ飛びで、昼前には出雲縁結び空港に到着。名物の出雲そばを食べ、大社[おおやしろ]へ。参道にウクライナを思わせる幟[のぼり]が立っていたのには驚きました。


●次に向かったのは鷺浦[さぎうら]地区。出雲大社から車で20分ほどの、日本海に面した小さな小さな漁村で、観光で訪れることはまずありません。しかし今回参加したツアーはなぜかここと温泉津[ゆのつ]が組み込まれており、それが参加した大きな動機。いずれも江戸から明治にかけて、北前船の寄港地としてたいそう栄えた港町なのです。


●鷺浦の集落を歩くと、「塩飽[しわく]屋」という看板を掲げたかつての回船問屋が。「江戸時代後期より明治にかけての船主で塩飽本島(香川県丸亀市)の塩を取り扱い財を成した」と説明されていました。北前船の果たした役割の大きさにいまさらながら感心しました。


●ただ、観光という見地からすると、この日の焦眉は日御碕[ひのみさき]。日本海に突き出た島根半島の先端に立つ白亜の灯台は海面から63.3m、地上から43.65mと、石造の灯台としては日本一の高さで、国の重要文化財にもなっています。この日は素晴らしい青空+おだやかな日本海に見るも鮮やかに映えていました。ツアーでなければ、日の入りの時刻までいたかったのですが、それはかなわず。後ろ髪を引かれる思いで出雲市に戻りました。(2022/4/17)

米、塩、鉄、石、祭、歌……なんでも運んだ北前船━「北前船フォーラム」④

●寒風山[かんぷうざん]のあと「なまはげ館」に立ち寄り、次に訪れたのが秋田市内の「土崎みなと歴史伝承館」。北前船の寄港地の中でもたいそう栄えていた土崎湊[つちざきみなと]の様子を描いたみごとな絵(秋田街道絵巻)が、北前船の縮小模型とともに展示されていました。

石川県七尾市の「青柏祭[せいはくさい]」

●その土崎で毎年夏におこなわれる神明社祭の大きな曳山[ひきやま]は博多祇園山笠そっくり。そういえば、同じく寄港地である石川県七尾市の「青柏祭[せいはくさい]」も巨大な曳山(http://xn--nippon-he4et93veuwd.com/)が登場します。数年前、能登半島の寄港地を取材したとき、祭の映像を見てびっくりしました(すべてユネスコ無形文化遺産)。

●ほかにも、富山県射水[いみず]市、同高岡市伏木[ふしき]、滋賀県長浜市など、形は違っても基本のスタイルは同じという祭りが各地で見られます。元をたどれば京都の祇園祭に行き着くのでしょうが、これにも北前船が関わっているように思えてなりません。

●北前船は物だけでなく、今日まで伝えられる歌や踊り、絵画などの文化・芸術、風俗・習慣まで幅広く、全国各地に伝えていたことを、今回のフォーラムで改めて実感。コロナ禍のまっただ中のイベントでしたが、動けば好奇心はますます刺激され、得られるものも大きそうです。(2022/3/23)

“世界三景”!? の寒風山へ 「北前船フォーラム」③

●”日本三景”は知っていますが、”世界三景”というのがあったとは! その一つ男鹿[おが]半島(秋田市の北)にある寒風山[かんぷうざん]に初めて行きました。フォーラム最終日(20日)のエクスカーション・プログラムにそれを組み込んだコースがあり、迷わず選んだ次第。

●寒風山は標高355mの火山 。1913年、この地を訪れた地理学者・志賀重昂[しげたか]が、グランドキャニオン、フィヨルドに比肩する「世界三景」と絶賛したそうです。山全体が緑の芝生に覆われ、視界をさえぎるものがない頂上からは八郎潟の水田、日本海、晴れた日には鳥海山、白神[しらかみ]山地まで、360度のパノラマが堪能できるとのこと(写真は「男鹿ナビ」webから借用)。残念ながらこの日はみぞれ混じりの天気で、それはかないませんでした。

●山になどさしたる関心のない私ですが、「北前船寄港地フォーラム」に関わったおかげで、寒風山のほかにも、各開催地で名山と、それもごく間近で出会えました。鳥取では伯耆[ほうき]富士=大山、酒田・鶴岡では出羽三山(羽黒山、月山、湯殿[ゆどの]山)、佐渡では金北[きんぽく]山、秋田県にかほ市では鳥海山、青森県深浦町・鯵ヶ沢[あじがさわ]町では岩木山……。もちろん登ったわけではありませんが、見られただけでも貴重な経験です。

●山だけでなく、一生のうちに行ける(見られる)かどうかわからないスポットにも行けました。その意味で「北前船寄港地フォーラム」は、私にとって何ものにも替え難いイベントなのです。その恩を返すには、本を書くしかありません。いよいよ本気で取り組むときが来たと腹をくくり、ガンバリま〜す!(2022/3/22)

次回はパリで開催! 「北前船フォーラム」②

●今日(19日)は午前中、歴史学者・磯田道史さんの講演「秋田藩と北前船」、午後は北前船が運んだ食文化がテーマの講演2題、パネルディスカッションと、学びの一日。こうした場に身を置くと強烈な刺激を受け、早く原稿を書かなくては……との意欲が沸々と湧いてくるのですが、フォーラムを終え日常に戻ると元の木阿弥に(笑)。

●夕方から始まったレセプションでは、五木ひろしさんの新曲「北前船」の発表が。作詞が石原信一さん(森昌子「越冬つばめ」)、作曲も五木さんです。地元紙「秋田魁[さきがけ]新報」でも報じられていましたが、五木さんの出身県福井は北前船との縁が深く、それも強く後押ししたようです。

●もう一つのニュースは、次回(10月)のフォーラム開催地がパリに決まったこと。フランス大使館の文化担当参事官も出席、挨拶をしていました。北前船とパリ━━どんな関係が? 不思議な気がしますが、両者をつなぐのはなんと昆布。日本料理の最大の特徴であるうまみの根源=昆布を蝦夷地(北海道)から京都まで運んでいたのが北前船なのです。

●その昆布がいま、パリのミシュラン三つ星レストラン全店で使われています。フォーラムのコンセプトは、そうしたつながりの中身を追求し、さらに別のつながりを見い出していくことにあるので、パリ開催に至った次第。ぜひ行きたいですね。そういえば、フォーラム前日お世話になった「都わすれ」の女将さんからいただいたキリンのマグカップの包装紙にも「Paris」の文字が。こいつァ〜春から、縁起が……。(2022/3/20)

秋田で温泉+お勉強━「北前船フォーラム」①

●17日から秋田に来ています。目的は、2年1カ月ぶりの開催となった「北前船寄港地フォーラム(第30回)」。16日遅くの地震で東北新幹線がストップし、急遽飛行機に変更したりレンタカーを手配したり。フォーラム前日に大好きな夏瀬温泉「都わすれ」の宿泊を組み込んでいたので必死です(笑)。

●秋田はまだまだ寒く、山の奥にある「都わすれ」ともなると最高気温も4〜5℃。でも、部屋付きの露天風呂が、5〜6人がいっぺんに入れそうな湯舟にリニューアルされており、ついついお湯と戯れてしまいました。

●18日の昼食は、秋田市随一の飲食街・川反[かわばた]の一角にある老舗の料亭「濱乃家」で名物のきりたんぽを。夕方からは前夜祭。コロナ対策のため、これまでのフォーラムと違い飲食は一切なし。それで2時間半という長丁場ですから、運営側もさそがし苦労されたことでしょう。もっとも、そのおかけで山形県の酒田芸者の踊り、秋田民謡、島根県の石見[いわみ]神楽といった、ふだんあまり縁のないエンタテインメントを楽しめました。

●350年前に始まった西回り航路を利用した北前船。帆が一本の和船で大坂(当時)から瀬戸内海、日本海を蝦夷地の松前まで走り抜けたのですが、途中、いくつもの港に立ち寄りました。寄港地以外にも潮待ち、風待ちのために停泊した港を含めるとその数は200近く。船乗りたちも各港で、その土地土地の歌、踊りに触れ、旅の疲れを癒やしたにちがいありません。(2022/3/19)

”おいしい神戸”を楽しむのも仕事!?

●今あちこちでやり玉にあがっている会食とは違いますが、仕事でおいしいものが食べられるという機会はそうそうありません。3月16日の午後は「北前船研究交流セミナー」。その最後のセッションのテーマが”食都神戸”でした。100%地場の産品で構成した食事を観光客にというコンセプトで、会場のホテルオークラが考案したメニューを試食するのが参加者の仕事。
●前菜、メイン、デザート各ひと品ずつでしたが、どれも皆”tres bien!” でした。神戸というとビーフくらいしか思い浮かばない私、シイタケもあれば菊菜もある、山椒までもが神戸産と知り驚きました。もっとも、オークラのシェフの手にかかれば、どんな素材でも”別もの”に仕上がるのかもしれませんが。日本酒はもちろん地元の灘(ここも神戸市)ですし、一緒に出された地場のワインもイケていました。
●今回のセミナーが神戸でおこなわれたのは、兵庫津[ひょうごのつ]という、古くからあり由緒も深い港が日本遺産「北前船寄港地」の一つに追加認定されたため。世界中に知られている神戸港のルーツは北前船も出入りしていた兵庫津なのです。この先、「歴史」は観光の強力なキーワードになりそう━━それを改めて実感しました。これからは、単なる物見遊山ではなく、歴史を取り込んだ観光が注目される時代がやってくる
●それにしても、自治体としては兵庫(県)のほうが上位なのに、知名度は神戸(市)のほうが数段上。神奈川(県)と横浜(市)の関係とよく似ており、どちらも「港」がらみというのも不思議な気がします。

Facebook Post: 2021-03-19T07:27:22

3カ月ぶりの新幹線で兵庫県の赤穂へ

●今日・明日は神戸で「北前船セミナー」。せっかくの機会なので、ついでに赤穂まで足を延ばすことにしました。朝6時過ぎに家を出て、品川から3カ月ぶりの新幹線で姫路まで。姫路からレンタカーを借り、赤穂までは1時間ほどです。素晴らしい晴天で、新幹線の車窓から富士山のいただきがくっきり。名古屋を過ぎると伊吹山も見えました。それだけでもエキサイティングな気分になるのが「旅」の面白さ。目的地だけでなく、途中もなおよしなのです。
●「忠臣蔵」ばかりが有名な赤穂ですが、それ以外にも塩作り、1616年に完成し江戸・福山と並び称された上水道など、興味をそそるものが少なくありません。私の関心は、赤穂の塩が江戸時代、大坂を出航した北前船で北陸・東北まで運ばれていったこと。その途中で寄港したのが市の東部にある坂越[さこし]です。港は、瀬戸内海から奥深く切れ込んだおだやかな湾の内ふところにありました。
●ほぼ当時のまま保存されている街並みは、端から端まで歩いて回っても30分足らずほどの狭さ。歴史を大切にしようという住民の素朴な思いがそこここに感じられました。案内所のスタッフが、「ここはスケッチに来られる方が多いんです」と話していたとおり、絵になるスポットも少なくないようです。もう1週間あとなら、北前船船主の奉納した絵馬が奉納されている大避[おおさけ]神社、そのすぐ隣、船岡園の桜も満開だったのでしょうが、残念!
●赤穂の街中に戻り、浅野氏が主だった赤穂城跡へ。明治維新でほとんど取り壊されてしまい、いま復元の最中だといいます。城跡のすぐ近く、大石神社参道の左右にずらりと並ぶ赤穂義士石造群は圧巻でした。姫路まで戻り夕食を食べに出たものの、この町は食がいまイチ。30分以上も歩き回りましたが、結局ラーメン+餃子で手打ち。坂越を離れる前、地元でふんだんに獲れるカキ尽くしのランチを堪能(そろそろシーズンも終わりですからね)しておいてよかったぁ。帰りがけに買った名物の塩餡最中も。

Facebook Post: 2021-03-16T11:47:02

イルミネーションを見ると疲れが吹き飛び、食欲も

●この季節、広島市での楽しみの一つが平和大通りの「ドリミネーション」。札幌や仙台、新潟と比べても、規模やインパクトはかなりのものです。昼間めいっぱい取材に歩いた(昨日が1万3千歩、今日が1万4千歩)ので、やわらかい光に満ちたオブジェを見ていると疲れも吹き飛びます。
●今日訪れたのは呉市の豊島(ゆたかじま)町。もともと呉市とは別の自治体でしたが、平成の大合併で編入された島です。その一角にある御手洗(みたらい)が今日の取材地。風待ちにはもってこいといった感じの地形で、多いときは数十隻もの北前船が停泊することも。ほかにも、琉球やヨーロッパなど、各国の船が立ち寄ったという記録が残され、当時としては数少ない国際港でもあったようです。江戸から明治にかけての街並みが保存されていますが、洋風の建物もいくつかあるなど、古き風情が。町の人々も皆やさしく接してくれます。
●御手洗まで行くには、呉の市街地を抜け、全長1175mの安芸灘(あきなだ)大橋から全部で6つの橋を渡るのですが、途中見えてくる穏やかな瀬戸内海の景色は美しいのひと言。明治期に瀬戸内海を船で移動した欧米人は、その景色をエーゲ海に例えたといいますが、なるほどという気がします。荒ぶる北の海の中で育った人と気性が違ってくるのも仕方ないでしょう。
●さて、そんな今日の夕食は、ホテルの近くにある「蓬莱」という店で。この店ならではの天津丼。昔から有名なのですが、見ばえも味も変わっていません。そもそも器が大きいところへもってきて、乗っかっている卵が分厚く、たっぷりの餡もはみ出さんばかり。味つけはさっぱりしているので、どんどんお腹に入ります。それでも、夜小腹が空いたときに備え、「アンデルセン」(広島が発祥)でパンをいくつか買ってしまう私。70を過ぎても成長していませんね。

Facebook Post: 2020-12-04T22:28:10

瀬戸内の新鮮な魚は最高!

●今日から3日間、広島です。3・4日は「北前船」の取材で竹原市と呉市、5日、広島市内でおこなわれる会合に出席してから帰京します。それでなくても安い、飛行機とホテルがパッケージになった商品に「Go To」の割引が加わり、信じられないような値段に。そのうえ、地域クーポンでレンタカー代金のいく分かがまかなえ、大助かりです。
●瀬戸内海の港町・竹原はNHKの朝ドラ「まっさん」で有名になりましたが、その後はサッパリといった印象。これは朝ドラや大河の舞台になった地域に共通する現象で、流行に左右されることが多い日本人の特徴が出ているように思えてなりません。「心の底から行きたい」場所がある人が少ないのでしょうか。
●竹原はその昔、塩田で大いに栄えました。「まっさん」の竹鶴酒造も酒造りの前は塩田を営んでいたとのこと。竹原の塩は上方だけでなく、北前船で北陸、東北地方にまで運ばれていました。それらの地域では、「竹原が来た」といえば塩の入荷を意味していたそうです。その当時をしのばせる建物がいまなお残っており、町並み保存がきちんとなされています。電線の地中化も徐々に進んでいる風。
●「広島学」を書いたにもかかわらず、この町はまったく取材せずじまいでした。この本はもともと広島「市」を扱う予定だったので、致し方ありません。実際に足を運んで歩き回ると、北前船で港がにぎわっていた頃の活気あふれる様子が見えてくるような気がします。まる1日働いたごほうびは、瀬戸内の魚。小いわし、豊後さば(生です!)、石鯛の刺身に太刀魚の塩焼き、仕上げのカキフライ。明日も楽しみです。

Facebook Post: 2020-12-03T22:16:36

加賀で柿の葉寿司に出会うとは!

●加賀温泉駅前での記念式典(14日)のあと、観光フォーラムがおこなわれる文化会館へ。始まる前、控え室で軽いお昼ごはんをいただきました。出てきたのは柿の葉寿司。えっ、これって奈良が本家じゃなかったっけ? と驚いたのですが、この地方でも昔から、お盆やお祭りのとき柿の葉寿しを作る風習があるそうです。ほかにも福井県や鳥取県で柿の葉寿司は作られているようで、自分の知識のいい加減さを思い知らされました。
●奈良、和歌山のそれは柿の葉にぴしっと巻いてありますが、加賀では柿の葉の上に乗っかっています。そのため、保存食の印象はなく、できたらすぐに食べるものという感じ。酢が強くしみ込んでいない分とてもあっさりしており、ネタの魚の味も立っています。
●ただ、前夜の懇親会もそうだったのですが、おいしい物が供されるとテンションが上がり、話し声が大きくなりがちに。頭の中からコロナのことはすっかり消えてしまいます。文化会館の控え室も、万全の感染防止対策がほどこされていましたが、その一方でこうしたことが起こると、リスクは一挙に高まります。
●ここのところ感染者の数が急増しているのも、会食がきっかけのケースが多いと言われますが、「たしかに」と思います。といって、人に伝えたくなるほどおいしい物を口にしながら黙して語らずでは、画竜点睛を欠く感が。そのあたりの自己コントロールが課題かもしれません。

Facebook Post: 2020-11-18T20:14:21

有名ではなくても、観光資源たっぷりの町・高岡

●加賀温泉でのフォーラムを終えるとすぐ、金沢経由で富山県の高岡まで移動。レンタカーでまず市内の伏木(ふしき)へ。かつては北前船で大いに栄えた港町で、いまもその名残りがあちこちに残っています。北前船資料館は600坪の土地に、16室、蔵が3つある元船主の屋敷を転用したもの。展示品の多彩さとその数に驚きました。望楼に昇り、船主気分を味わったりも。
●伏木にはその昔、国府が置かれていたようで、大伴家持が国守として赴任していたそうです。古い寺院や神社も多く、あちこちに見どころが。ナビで次の目的地・射水(いみず)の新湊(しんみなと)博物館をセット。着いてみると、驚なんと、「道の駅」と同じ敷地内に建っています。お洒落な設計の建物で、ゆっくり楽しめました。
●博物館から高岡駅近くまで戻り、この街いちばんの売り山町(やまちょう)筋地区に。高岡は江戸時代の初め、加賀藩2代藩主・前田利長が築いた城下町。1900年の大火で土蔵造りの家だけが焼け残ったため、復興・再建にあたっては土蔵造りで建てることにし、それがいまも多く残っているのがこのエリア。2012年に電柱が撤去され、スッキリした空間ができあがったといいます。
●観光目的でも歴史探求目的でも、十分楽しめる町なのですが、日曜日でも人影はまばら。関西ではまだしも、首都圏の人にはよく知られていないのでしょう。国宝の瑞龍寺も一見の価値あり。「密」も避けられ、ぜひ一度訪れてみてください。北陸新幹線で3時間ほどですから。

Facebook Post: 2020-11-18T11:39:01

コロナ禍に入って3回目の遠出は加賀温泉

●北陸新幹線「かがやき」の車窓から、この季節ひときわくっきりと見える立山連峰を見ながら金沢へ。サンダーバードに乗り継ぎ加賀温泉駅に到着したのはお昼過ぎ。木々の葉はすっかり色を変え、秋もたけなわです。明日は同駅開業50周年記念行事の一つ観光文化フォーラム。その前に開かれる「北前船」の会議(会場は山中温泉のホテル)に出るため、ひと足早くやってきました。
●コロナ禍で「北前船」関連の行事は3月以来すべて中止に。この先の活動を検討すべく、全国各地から17人が参加しました。会議の前に、簡単なキットを使ったコロナウィルスの抗原検査。自分一人でささっとでき、30分足らずで結果が出ます。ひと月ほど前に同じ検査を受けたのですが、このときは鼻の奥に長い綿棒のようなものを突っ込まれるところまでしか関わっていません。その先はすべて看護師さんまかせで、緊張感はほとんどなし。しかし、今回は判定キットが目の前にあり、結果がわかるまではドキドキ。全員陰性とわかったときはホッとしました。
●会議のあとの懇親会で披露された民謡「山中節」。当地に長く伝わるものですが、実は「佐渡おけさ」や北海道の「江差追分」、さらには熊本牛深の「はんや節」などとも多くの共通点があります。そして、その媒介となったのが北前船だったというのが定説です。
●翌早朝、ホテルのすぐ下にある鶴仙渓の散策に。これまで山中温泉には2回来ていますが、一度も訪れたことがなく、今回ようやく実現。江戸時代につくられたまま、土と木だけで成る1km少々の遊歩道ですが、松尾芭蕉も気に入ったといわれるように、素晴らしい景色が印象的でした。町中に足を延ばすと、温泉町の風情がたっぷり。北前船に乗り組み半年以上荒海を航海する加賀の船乗りたちは、船から降りるとここで疲れを癒したのでしょう。

Facebook Post: 2020-11-16T22:58:07

北前船フォーラム in 鹿児島

テレビでおなじみ、磯田道史先生の含蓄に富んだ講演を聞き、ホント勉強になりました。県内各市のブースも盛り上がり、次回開催地・島根県浜田市のアピールも絶好調。東京からの行きがけに目にした富士山も、今日見た桜島も、ニッコリ微笑んでいるようでした。

Facebook Post: 2020-02-02T22:25:08