若手メンバーの起用で楽しみが増えた今年のサンウルブズ

2017年2月25日

 
今年で「スーパーラグビー」2シーズン目を迎えたサンウルブズの開幕戦を観に行ってきました。場所は秩父宮です。昨年同様、外壁には「スーパーラグビーで世界を驚かせよう!」と書かれた巨大な横断幕。観客もほぼ同じくらいの数の人が来ています。スタジアム前の狭いスペースにテントを張り、各種のグッズを販売しているのも同じ。ただ、いまひとつ食指が動かないのは、デザインのセンスに物足りなさを感じるからです。

スタンドに上がる前、マッチカタログは購入しましたが、シーズンカタログはパス。去年と同じ月刊ラグビーマガジンの付録を表紙だけ取り替えて売っているのがわかったからです。進歩がないというか、安易というか……。私も含め、大方のファンは呆れているにちがいありません。初めてゴール裏に設けられた特設ステージではロックバンドのライブもあったよう。選手入場時にグラウンドから噴き上がる火炎は、昨シーズンより迫力アップしていました。

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試合のほうは、昨シーズンの覇者ハリケーンズ(NZ)が相手。おととしのワールドカップで最多の8トライをマークしたWTBジュリアン・サヴェアらオールブラックスの経験者も4人が先発で出ていますから、「世界を驚か」すような結果はほとんど期待できません。ただ、1週間前の壮行試合(対トップリーグ選抜)は緊張感あふれる素晴らしいプレーを見せてくれていたので、どこまで迫れるかという期待も多少はあります。でも、現実は厳しーーい! ホイッスルが吹かれてまだ10分しか経っていないというのに3つもトライを取られてしまっては、ウーン……とうなるしかありません。前半は5対45で終わらいましたた。

DSC01442ただ、サンウルブズのほうは、ケガや故障でレギュラーメンバーがそろっていません。フィフティーンのうち、SOの田村熙、WTBの福岡堅樹、中鶴隆彰ら7人がスーパーラグビーではデビュー戦。トップリーグでは最高ランクの選手ですが、こうした大舞台でどうなのかは未知数です。もちろん、それゆえの期待もあります。ラグビーはやはり、ゲームを戦わなければ成長できないからです。

 

後半も、すっかり見慣れてしまった、インターセプトからのトライを3つも決められ、19分を経過したところでスコアは5対83。こうなると「100点は取られるなよ」と祈るばかりです。それでも29分に、途中出場の金正奎(早大→NTTコミュニケーション)、37分には今シーズンから加入のヴィリー・ブリッツ(南ア→同)がトライを決め、17対83まで持ち込みました。66という得点差はチーム結成以来最多ですが、昨年5月、オーストラリアのキャンベラで観た、超ワンサイドのブランビーズ戦(5対66)のときほど情けなさを感じることはありませんでした。最後の20分は大いに見せてくれましたし。大成長と言っていいでしょう。今シーズン、少しは楽しみになってきました。

軍事パレード間近で天安門の周辺は厳重警戒

2015年8月29日
北京もいよいよ今日で最後。帰国便は16時40分発なので、それまではゆっくりできます。そこで、天安門広場まで行ってみることにしました。

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さすがこの周辺は警備がことのほか厳重で、目の前にテレビの画面で見慣れた天安門が見えるのですが、そちらには渡っていけないようになっています。門の前の広場には軍事パレードの観覧席やイベント用なのでしょう、巨大な造作物があります。そうしたものを観ながら南に降りていこうとしましたが、これがストレートに渡れず、別の道を迂回しなくてはなりません。地下道を渡るのですが、階段を下りていくとまた所持品検査の列が……。いい加減イヤになってしまいますが、そこを通らないと目的地までは到達できないので、仕方なく従います。

ようやく「前門(正陽門)」という巨大な門があるところまで行ったあたりでランチタイムに。今年は日本との戦争が終わって70年という区切りでしょうか、「隆重紀念中国人民抗日战争 暨世界反法西斯战争胜利70周年」と書かれた看板があちこちに立てられていますし、『誘狼』『百団大戦』などという戦争映画も公開されているようです。といって、中国の人たちが私たち日本人に冷たい視線を浴びせるわけではありませんよ。

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L1030702_2そうした看板を横目に見ながら「前門大街」というちょっとレトロな雰囲気の場所を歩きました。中国風の建物に入ったスターバックス(中国では「星克巴」と書く)の店があったので、そこでひと休み。さすが、2時間も外にいると、汗びっしょりになります。そのあと、近くの大衆中華といった雰囲気の店で食事を済ませ、タクシーでホテルに。荷物を受け取りタクシーに乗りましたが、時間が夕方のラッシュが始まる前だったせいか、予定より早く到着。4泊5日の北京旅行もこれにて終了です。


泣く子も黙る? 中国共産党の建物に入りました!

2015年5月29日
今日が実質的には北京最後の日。昨晩は雨が降ったせいか、空気が心地よく湿っています。空も今日は心なしかガスが薄いようで、薄日も差しています

Photo_10午前中は洗車場で車をきれいにしました。場所は「唐人街(CHINATOWN)」と名づけられたところの近く。北京になんで「唐人街」があるわけ? と首をかしげたくなりますが、この一帯は「古き中国・古き北京」を思わせる街並みを保つよう義務づけられていて、建築物もそれに合わせなければいけないのだとか。


L1020642_2そのため、洗車場も写真のような趣。北京でどんどん店舗網を拡大している「月福」というカーケア・カー用品のチェーン店なのですが、雨の翌日とあり、えらくにぎわっていました。

近くのホテルでコーヒーを飲んだあと、「中国共産党対外連絡部」に向かいます。このころからやっと太陽が姿をあらわし始めました、北京に来て4日目、初めて見るお日さま。やっぱりうれしいですね。

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そこからメインストリートの長安街へ。北京の銀座=「王府井」を過ぎたあたりは各種の国家機関、一流ホテル、テレビ局、航空会社、統制経済の時代から続いているとおぼしきオールドタイプのショッピングモール、北京站(駅)などが並んでいます。建国門を抜け、
長安街からちょっと北に入ったあたりにありました! 「中国共産党対外連絡部」の立派な建物が。厳重な警備で、写真を取るのもはばかられる雰囲気です。そこで担当の方と打ち合わせるのですが、時間が時間でしたから、ランチミーティングのスタイルになっていました。庁内にある会議室にしつらえられた大きな丸テーブルを囲みながらの会合で、メニューは写真のとおり。味はどれも上々で、打ち合わせも順調に進みます。すべて無事終わったあと、建物1階のホールで記念の写真を撮ってもらいました。しょせんはミーハーな私ですから。

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次に行ったのは、空港にほど近いエリアにある介護ビジネスを経営する会社の新本社といいますか、なんとも説明し難いところ。いま造成中で完成間近な庭の奥に社屋──といっても木造一軒家風の建物があり、そこでのミーティングです。

L1020662床から天井までびっしりと茶道具を並べた棚があり、その前で中国茶を点てていただきながらの話し合いがひと段落すると、庭にてブレークタイム。7000平方メートルの広さだそうですが、完成したらさぞかしといった感じがします。

そうこうしているうちに夕食の時間に。広いダイニングルームで、今回口にした料理の中では最高の食事をいただきました。15人がゆったりすわれる巨大な丸テーブルに、この夜は12人。驚いたのは、そのテーブルがゆっくりと回転していること。食べ物を取るために皿に箸をつけると、自動的に回転がストップ、取り終えるとまた回り始めます。メニューは全部で20品だ近くあったでしょうか、次から次へテーブルの上に並べられ、空っぽになるまで片づけられることはありません。

この夜、生まれて初めて、「カンペイ」といいながら、お互い「さし」でグラスを空ける中国スタイルの酒を経験しました。中国の宴会は日本と違い、最初に全員で「乾杯!」ではないのです。途中、折あるごとにだれかが席まで寄ってきてグラスを差し出すと、「カンペイ」の誘い。こちらも椅子から立ち上がり、グラスを合わせて一気に飲み干して「シェーシェー」とお礼を口にして終わり。原則的にはこれを列席者全員と1回以上おこないます。途中、話の流れで、隣どうしでの「カンペイ」もあり、今日は薬用酒で14杯、ワインを2杯、パイチュウを3杯飲み干しました。ワイン以外は小さなグラスでしたので、ひどい酔い方もしないで済んだ次第。よかったです。

タッチの差でウィリアム王子と……

2015年3月1日

単行本のインタビュー取材で宮城県の石巻を訪れました。場所は石巻日日【ひび】新聞の資料館的な施設=「絆の駅NEWSee(ニューゼ)」。私が着いた3時間ほど前まで、イギリスのウィリアム王子が同じ場所を訪問されていたと聞きビックリ。

インタビューは2階のカフェでおこなったのですが、同じテーブルに、小さなトレーに乗ったティーカップが置かれていました。「すみません、こちら、片付けていただけますか」とお願いしたところ、お店の人が「いえ、これは今日1日だけ、このままに……」。「ひょっとして、王子が飲まれたカップとか」というと、「そーなんです!」。

さっそくカメラを取り出しシャッターを押してしまいましたが、このイスにすわるのは遠慮しました。まだ王子のオーラがそのあたりに残っているような感じもする中、インタビューはさくさく進み、予定より早く終えることができました。

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家に戻り、ネットをチェックしてみると、資料館の館長・武内さん(1月にインタビューさせてもらった方)が、王子を相手に汗をかきながら説明しているニュース映像や写真がいっぱい。当然、本国のBBC→http://www.bbc.com/news/uk-31681184でも報じられていました。

なんだか不思議な縁を感じてしまい、今年の9月に予定しているイギリス行きが急に待ち遠しくなりました。

『100歳の華麗なる冒険』に詰まった世界史

2015年1月21日

Poster2沖縄に来たら映画──これは私と家人の定番です。今日は、東京で予告編を見て、「これは」と思っていた『100歳の華麗なる冒険』を観ました。どちらかといえば、マイナーな映画でしょう。しかし、最近はインド映画と並んで、スウェーデン映画がけっこう注目されています。そういえば、ミステリー小説もここ数年、スウェーデンの作品が次から次へ翻訳。・出版されていますね。

その昔は「マルティン・ベック」シリーズくらいしかありませんでした。マイ・シューヴァル(Maj Sjowall)とペール・ヴァールー(Per Wahloo)夫妻による『ロゼアンナ』『蒸発した男』『バルコニーの男』『笑う警官』『テロリスト』など、とても面白く読んだ記憶があります。コルベリ、ラーソン、メランデル、ルンといったそれぞれ個性的な刑事を率いるのが殺人課主任のマルティン・ベック警部。全編、いかにも北欧らしいクールさにあふれているのが印象的でした。

そのスウェーデンで100万部以上売れたというベストセラー小説『窓から逃げた100歳老人』が原作の映画。子どものころから病的な爆破狂だった主人公アランが、100歳の誕生日に老人ホームから脱出するところから物語は始まります。なけなしの小銭をはたいて、最寄りのバスターミナルからバスに乗ろうとしたとき、ふとしたことから大金入りスーツケースを手に入れます。

それは麻薬か何かでギャングが稼いだお金らしく、そうとは知らないアランは、行った先々で珍道中を繰り広げます。それを面白おかしく描いたこの作品、本国ばかりかヨーロッパ各国で大ヒットを記録したそうです。

主人公アランは100歳ですから、2度の世界大戦、そして冷戦も経験しており、フランコもスターリンもお友だち。スパイ稼業に身をやつしたこともあるようで、歴史のお勉強もできたりします。

小石川植物園に行ってみました

2014年4月13日
40年近く東京に住んでいながら一度も行ったことのない場所はまだまだ数多くあります。今日はその中の一つ、小石川植物園に行ってみました。桜はもうとっくに散ってしまっていますが、ほかの花が見られるのではないかという期待もあったのです。

「小石川植物園」というのは通称で、正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」という長ったらしい名称だそうです。日本でもっとも古い植物園で、世界的に見ても、有数の歴史があります。320年ほど前、1684(貞享元)年に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がその前身で、1877(明治10)年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。

4万5千坪ほどの敷地には、台地や傾斜地、低地、泉水地などさまざまな地形が見られ、そこに4千種ほどの植物が栽培されているとのことです。

広い園内にときおり、大きな表示のある木があります。たとえば、「ニュートンのリンゴ」。物理学者のニュートンが、リンゴの実が木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したという逸話は有名ですが、それにちなみ、1964(昭和39)年に英国物理学研究所長ゴードン・サザランド卿から贈られた枝を接ぎ木したものだそうでです。

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また、「精子発見のイチョウ」は、1896(明治29)年、理学部植物学教室助手の平瀬作五郎が精子を発見したことで知られるイチョウ。イチョウには雄株・雌株があり、精子が発見された株は雌株で、秋にはギンナンがたくさん実るとのこと。

「メンデルのブドウ」は、遺伝学の基礎を築いた(グレゴール・ヨハン・)メンデル(1822~84、オーストリア)が実験に用いた由緒あるブドウの分株だということで、名前だけ見ていると、いきなり生物の教科書の中に飛び込まされたような感じがしますね。

さらに、園内には「日本庭園」もあります。もともとは徳川5代将軍綱吉が幼いころ住んでいた白山御殿の庭園がそれで、江戸時代の代表的庭園の一つといわれています。

まあ、とにかく広大な植物園ですから、「花ごよみ」(http://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/koishikawa/koyomi/)を見ると、何月ごろなんの花が楽しめるかがよくわかります。そのあたりに的を絞って出かけると、それほど長い時間をかけず、効率的に楽しむことができるかもしれません。

モスクワのホテルでスターリンの肖像画に遭遇!

2013年8月14日
4泊したサンクトペテルブルグとも今日でお別れ。サンクトぺテルブルグからモスクワへの移動です。午前中はホテル近くを散策。L106095520130814 マリインスキー劇場など、今回ゆっくり観ることのできなかったスポットを少しでもカバーしようと、ギリギリまで粘ります。ホテルに戻り、おみやげ品選びにしばし悩みました。結局、ホテル内の売店で見つけたグラスを選んだのですが、豪華な雰囲気の中に感じられる繊細な色使い、紋様はさすが、王室があったためでしょう。

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L106097220130814 モスクワへは、市内の「モスクワ駅」から午後1時30分発の特急「サプサン(Сапсан=はやぶさ)」号に乗りました。所要時間は3時間余。途中3つほどの駅に停車しますが、その周辺以外の沿線は白樺の林など、森か原野でほとんど何もありません。いまさらながらロシアのだだっ広さに感心します。

しかし、モスクワ版新幹線の乗り心地は意外とよかったです。時間も正確のようですし、安全という観点からも、きちんとした対策が施されているようです。鉄道では初めての経験ですが、ホームに行く前に荷物検査もあります。そこを通過しないといけませんし、乗るときにも車掌がチケットを一人ひとり確認して乗せていきます。このあたりは、だれでもすぐに乗れる日本の新幹線とはだいぶ事情が違うなと思いました。

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モスクワ着は午後5時前。レニングラード駅といいます。行き先が駅名になっているので、わかりやすいといえばわかりやすいのですが、レニングラードはいまはもうない都市名ですから、なんだかおかしい気もします。

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駅から迎えの車でホテルへ。しかし、道路は聞きしにまさる大渋滞で、ドライバーはすぐ裏道に迂回し、予想の半分、30分ほどで着きました。「Historical Hotel Sovietky」は、予想はしていましたが、えらく古めかしいホテルです。

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外の看板には「1950年創業」とあるので、私の生まれ年にオープンしたことになります。当時はまだ東西冷戦の時代。1階から2階、2階から3階に上がっていく階段の広い踊り場にフルシチョフやブレジネフ(いずれも首相を務めた)の肖像画が麗々しく飾られていましたが、その名残でしょう。L1070076 それにしても、スターリンの肖像画まであったのには驚きます。

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古きよき時代をしのばせる高い天井、幅の広い廊下に敷かれた赤い絨毯。部屋の家具やカーテン等々。たしかに、「historical」の名に恥じないといえます。事実、フロントの前には、これまで60余年間にこのホテルに泊まったお歴々の写真がさりげなく貼ってありました。

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この日は、そろそろ日本メシか中華が食べたいタイミングだったので、歩いて15分ほどのところにある日本料理店「一番星」に行きました。ホテルのスタッフがすすめてくれたのですが、味はバッチリ。しばらく前にモスクワを訪問した安倍首相のレセプションで、料理を出した店のようですから、それも不思議ではありません。久方ぶりの「日本」に心がなごみました。

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部屋に戻ってバスタイム。ただ、さすが「historical」、バスタブに十分な量のお湯を入れるのになんと30分以上かかりました。待ち切れず、途中で飛び込んでしまいましたが、洗面台のほうがお湯の出はよかったようです。おそらくオープン当時のものがそのまま使われているのでしょう。

早朝、夕方、夜と「フラワーカーペット」3回楽しみました

2012年8月15日
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今日から「フラワーカーペット」が始まります。早起きしてグランブラスまで行ってみると、ベゴニアのじゅうたんがみごとに完成していました! 75×24メートルの広さ(1800平方メートル)に60万本もの花。それを、ボランティアの園芸職人さん(100人ほど)たちが1日がかりで置いていったのです。専門家が描いた設計図というかデザイン画に従って、1平方メートルあたり300本もの花を1本1本ていねいに置いていくことを想像してみてください。1人が担当するのが18平方メートルとしても300×18で5400本! 考えただけでも、気が遠くなりそうになります。

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ベゴニアは西インド諸島原産。強烈な日差しにも寒さにも、また雨や風などの荒天にも強い花なので、夏のヨーロッパでも4日間ならなんとかその美しさを保てるのだそうです。「フラワーカーペット」は毎年テーマが設けられ、今年は「アフリカ大陸」。そのせいか、黄と赤のほか、黒も目立ちます。それと、アフリカ原住民が使っていた盾でなじみ深い幾何学模様緑(ケニアの国旗を思い浮かべてみてください)。壮観というか、なんとも素晴らしい光景に息をのんでしまいました。

L1040357朝から美しい花で心を癒されたのもつかの間、今日はワーテルローの古戦場まで足を伸ばす予定で、午前中から暑い中を列車に乗りました。ワーテルローはおよそ200年前、ナポレオンとプロシア・イギリスの連合軍が激しい戦闘を繰り広げ、ナポレオン軍が負けたところです。イギリス軍を率いたウエリントン将軍の名をつけた博物館を見たあと軽くランチ。そこからバスで古戦場まで行くと、周囲は何もない平地の真ん中に小高い丘があります。ライオンの丘というのですが、200段以上ある階段を上っていくと、広大な古戦場がパノラミックに見えました。

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有名な古戦場はどこでもそうだといいますが、要するに周りに何もない場所。まわりのどこかに数多くの兵隊が陣地を敷いているのですが、そこから双方が馬に乗ったり歩いたりしながらぶつかり合ったわけですね。ライオンの丘の下にパノラマ館という施設があり、そこで戦いの一部始終を映像化し流していました。期待していたほどではありませんでしたが、まあ、行ったことに意義があるということで。

夕方ブリュッセルに戻り、乾いた喉をうるおそうと、またまたビールを。ホテルのラウンジの屋外エリアで、「パウエル クワック(Pauwel Kwak)」という、一風変わったビールを飲みました。独特の形をしたグラスに入れて飲むのですが、これには理由があるそうです。

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もともとデンデルモンド(アントワープから電車で20分ほど)という町で、宿屋を経営していたパウエル・クワック(醸造士でもある)が、毎日そこに立ち寄る郵便馬車の御者のために、馬の鐙【あぶみ】にすわったままビールを飲めるグラスをということで考案したものだそうです。味もベルギーのビールらしい甘みが際立っていました。クリームのように泡がふんわり盛り上がった状態で出てきますが、その下には明るい銅色をしたビールが。アルコール度はやや高く、味は濃厚です。

この日までほとんど毎日、昼・夜とあれこれビールを試してみましたが、これがいちばんおいしかったというか、私の舌には会いました。ついでながら、家人はこのとき「リンデマンス・フランボアーズ」というビールにトライ。フランボアーズとは木イチゴのことで、強い香りがします。ビール特有の苦味はほとんどなく、木イチゴの甘ずっぱさが印象的でした。

ユニークなおもちゃ屋さんをのぞいたりしながらグランブラスに行くと、市庁舎の2階バルコニーからフラワーカーペット全体を見下ろすことができるとわかり、さっそくチケットを買いました。2回に上がり、テラスのような外廊下から見下ろしてみると、みごとな“作品”であることがよくわかります。よくもまあ、こういうイベントを考え出したものだと、そのアイデアに感心しました。

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L1040378夕食は、タルタルステーキとムール貝を食べました。そのあとグランブラスに立ち寄ってみると、夕方よりさらに多くの人でにぎわっています。期間中は夜10時になると、広場の4隅からライトアップされ、花火も打ち上がるのです。またステージも設けられており、そこではコンサートもおこなわれていました。

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出たーっ! オーロラが!!

2012年2月24日
 午前0時を過ぎ、24日になりました。そう、家人のウン回目の誕生日です。

 予感はありました。23日の夜11時ごろから小さなオーロラが何回か出ていたからです。オーロラというのはなんとも不思議な現象で、それこそ一瞬でその形、大きさ(高さと奥行き)、色、その濃淡を変えます。ホント、まさしく一瞬なのです。

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 ちょっと目を離しているスキに消えてしまっていたなどということになるわけで、ほとんど運のものといっても過言ではありません。だからといって、氷点下20度とか30度とかの屋外で、長い時間じーっと待っているわけにもいかないので、コテージに行ったりテント(キャビン)で休んだりしながら待つしかないのです。

Photo_6  退屈をまぎらわす目的もあってのことでしょう、屋外では、「氷点下30度がどんなものなのか」ということを実感させるためのイベントもおこなわれていました。スパゲティーが凍ってしまうとか、肉をハンマーで切るとかいうシーンを見せてくれるのです。他愛ないと言えば他愛ないのですが、やはりいざ実際に目にすると、驚きます。

 さて、オーロラが姿をあらわしたとしても、レベルの高低があります。レベル1だと、薄くて小さくて、しかもぼやーっとしていますし、気がつかないことさえあります。観賞に来ている人の「出ましたよ!」の声に、あわててテントから外に出たときは影も形もないなどということもあります。

 これがレベル3とか4になると、それこそ空全体を覆わんばかりのスケールの大きなものになります。持続時間も、1、2に比べると長いようです。この夜はレベル1から2のオーロラがすでに何回か出現していたのですが、なんとなくハンパな感じがして、物足りませんでした。ところが、午前0時4分、まさしく日が変わったとたんのこと。出ました、出ました! レベル3の大きな、またはっきりとしたオーロラです!!

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 家人と2人で興奮しました。家人は、自身のふだんの心がけのよさを強調したかったにちがいありません。たしかに、観賞ツアー初日に観られたのですから、大変な幸運です。はるばるイエローナイフまで来たかいがありました。これでもう思い残すところはありません、……なんてウソですよ。来年の誕生日は何をプレゼントしようかなどと、気の早い私は考え始めていました。まあ、何はともあれ、HAPPY BIRTHDAY!!