花菖蒲、鏑木清方、ポンペイよりもイタリアン!

●京都2日目は、小学校の修学旅行以来60年ぶりという平安神宮の神苑から。應天門に貼られた「花菖蒲見頃」の文字が期待をそそります。神苑とは庭園のことですが、大きな池に群生する2千株の花菖蒲は圧巻。お昼近い時間でしたが、蓮の花もまだ開いたままで、朝早ければ池の水面が見えないほどだったかも。

●平安神宮周辺は一大文化ゾーンになっていて、そこから歩いて5分のところにある国立京都近代美術館が、3連チャンの二つ目、「鏑木清方」展の会場。中に入るまでは有名な美人画家といった認識くらいしかありませんでしたが、自身の無知を思い知らされました。美人画といっても、顔かたちだけでなく、着物・履き物、髪飾りや簪[かんざし]など一つひとつが丁寧に描かれているのにびっくり。

●それ以上に感動したのが庶民の生活・風俗を描いた作品。展覧会に出品するような大作とは趣きが違い、親しみやすい素材なのですが、こまやかな観察眼は、穂積和夫を思い出させます。感動の余韻にひたりながら、すぐ向かい側に建つ京セラ美術館の「ポンペイ」展。3連チャンのラストで、期待が大きかった分、裏切られた感も大。ポンペイの遺跡はやはり、現地で観るしかないのかもしれません。

●夏の京都の定番「鍵善」の葛切りで疲れをいやそうとしましたが、癒しきれぬままホテルへ帰還。ポンペイの仇はやはりイタリア料理で━━はこじつけですが、ホテルのすぐ近くで見つけたカジュアルなお店が大当たり! これはと思った品を少しずつ食べられる「おばんざい」っぽいスタイルで、昼間の疲れはきれいさっぱり消えました。(2022/6/11)

京都で美術館3連チャンの1日目

●土曜日に京都で仕事があり、せっかくなので、木曜日からこちらにやってきました。折しもアジサイや花菖蒲が真っ盛りの時期。そちらも楽しもうと、ネットで検索すると、あちこち”名所”が。選んだのはアサヒビール大山崎山荘美術館。その庭園が素晴らしいとあったので、そちらに決めました。「ポンペイ」展、「鏑木清方」展を観に行くつもりだったので、図らずも3連チャンに。

●京都駅から大阪方面へ5つ目の山崎駅で下車。美術館はかの有名な天王山の麓、5500坪の敷地に建っており、もとは大阪の実業家の別荘だったそうです。本人も遺族も亡くなり、長い間使われずに荒れ果ててしまったのをアサヒビールが買い取り、美術館としてよみがえらせたのが1996年。そのコレクションは、モネ、ルオー、ユトリロ、ヴラマンク、カンディンスキーらの絵画、バーナード・リーチ、宮本憲吉、濱田庄司の陶芸、イサム・ノグチの彫刻など、超一級品ばかりです。

●何よりの魅力は、それらが展示されている建物。新たに増築したコンクリートの展示館も安藤忠雄の設計だそうで、木造山荘風の本館にすんなりなじんでいます。2階のカフェテラスから木津川、宇治川、桂川が合流、淀川になる地点を見下ろす眺望は抜群。その入口には、ドイツ製、その名もMikado というオルゴールが鎮座していました。

。●美術館のあと庭園を散策し、送迎バスで阪急の大山崎駅へ。一路河原町をめざします。関西の私鉄は首都圏のそれと車体の色使いがまったく違い、阪急電車はあずき色。河原町から少し歩き、夕食は先斗町[ぽんとちょう]のおばんざいです。この季節ならではの素材をふんだんに用いたメニューを、こちらの腹具合にも気を配りながら勧めてくれる心づかいに感動。もちろん、味も最高でした。(2022/6/9)

森と海の不思議な力が、絵と書を呼吸させるのかも

●”大人の社会見学”小田原&真鶴編”の2日目です。高校の同期生が━男子でも━7人もそろうと、話にとめどがなくなり、布団に入ったのは午前1時過ぎ。干物の朝食を済ませると、しゃべり過ぎて喉が……と、さっそく「ういろう」のお世話になるメンバーもいました。


●周りを散策に出ると、民宿の裏手から東映映画のオープニング映像で有名な巨岩(+波しぶき)のある海岸まで「お林」と呼ばれる大きな森が広がっています。「お」が付いていることからもわかるように、もともとは皇室の御用林。「お林」は俗称らしく、正式には「魚つき保安林」といって、魚の繁殖、保護を目的として海岸や湖岸に設けられた森林のことだそうです。


●森林の土に含まれる栄養分が地下水と一緒に海に流れ出るとプランクトンが繁殖、豊かな海を育てます。また、木々が直射日光を遮断して水温の急激な変化を防ぐなど、海の生物の繁殖を促す役割も。おいしい魚介類が穫れるのに大きく貢献しているというわけです。


●お林の一角に、生前この地で過ごした中川一政の個人美術館が。コンクリート打ち放しの建物ですが、周りの木々に溶け込むような感じがします。そこから少し歩くと相模湾が大きく開け、この日は向かい側の初島もくっきり見えました。アトリエがあったのもそのあたり。97歳まで創作を続けた中川の作品は天衣無縫というか、油絵も書も力みがなく、のびのびしています。彼が装丁した向田邦子の『あ・うん』は、まさしく”ジャストフィット”。森にも海にも備わる不思議な力が彼の才覚をいっそう刺激したのかもしれません。(2022/5/18)

改めて感じた、生産地でしか手に入らない物のありがたみ

●小田原駅から南へ、正面に城の櫓[やぐら]を見ながら歩くこと15分。国道1号線に面した所にその建物はあります。外観は城のようですが、「ういろう」という薬と和菓子を売る店です。1368年中国の元が滅び、日本の博多に亡命した一人の外交官が陳外郎と名乗り明から輸入したのが始まり。その後京都に移り朝廷に仕えていましたが、応仁の乱で焼け野原となってしまったため、1504年、北条早雲の招きで小田原に移り、店を開いたそうです。お菓子のういろ(う)は全国に広まりましたが、薬はここ小田原だけにしかありません。


●店の裏手にある博物館でその歴史を話してくださったのは、25代目の御当主。この日参加した高校時代の仲間6人全員、薬のほうを購入しました。というか、いまどきまれな、ネットでは販売していない(郵送も不可)ので、お店で買うしかないのです(それも1人3箱まで)。全国を相手にするとすぐ売り切れてしまい、地元や近隣の人たちが必要になったとき買えないからだといいます。「小田原で長く商売させていただいていることへの感謝」とは御当主の言葉。


●すぐ隣の蕎麦屋さんで昼食を済ませ、真鶴[まなづる]の料理民宿へ。ひと風呂(温泉ではありません)浴びたあと、地魚の刺身舟盛り+煮魚+焼き魚を囲んでの夕食となりました。宿の真ん前の海で獲れた魚しか出さないのがこの宿の信条だそうで、マグロ、ハマチといった刺身の定番もナシ。肉料理はもちろん、野菜の付け合わせ等も一切ありません。


●そのため色彩的には地味ですが鮮度は抜群、しかも美味。〆の伊勢海老の味噌汁もおいしくいただきました。山間[やまあい]の温泉宿で刺身が出てくるのを昔から疑問に思っている私も納得。「お客さんっていっても、ここらの人ばっかだからね」とは女将の言。地元への愛を最優先しているのが感じられます。どこにいてもすべて手に入るのが当たり前といういまの時代、なんだかホッコリした気持ちになりました。(2022/5/17)

なじみの薄いデザイナーズホテル━━でも、心地よかった

●浜松から名古屋までは新幹線で30分足らず。”楽器の町”ならではの駅ピアノを横目にホームに上がり、乗った車両はガラ空きです。名古屋駅近くの中華料理店で中学時代からの友2人に再会。やたら話し好きの店員さんもときおり巻き込みながら大盛り上がりし、スリーショットの写真を撮ってもらうのを忘れてしまうほどでした。


●さて、今回の旅で泊まった2つのホテルは対照的でした。1泊目は、出入口のフロアにはピアノの鍵盤、ロビーにはバイオリンとピアノ、窓には楽譜と、浜松らしく音楽にちなむデザインやツールがそこここにあしらわれている老舗ホテル。朝食のレストランの名もFigaro(フィガロ)でした。部屋はオールドタイプですが、慣れているので落ち着きます。

●夜は、高校の同期生がオーナーシェフの洋食店で弟夫婦と。コロナ禍の影響を心配していましたが、営業を続けていて何よりでした。二人と会うのもほぼ3年ぶりで、積もり積もった話に花が咲き、いまは人と会って話をするのが元気の素であることを実感。

●2泊目の名古屋は、最近増えてきたいわゆるデザイナーズ風。このテのホテルはなじみがなく心配していましたが、スタッフのカジュアルな服装も、ロビーや部屋のしつらえもすこぶる心地よかったです。朝食はプリフィックスというか、固定の部分(3パターンから選ぶ)+パンやスープ、フルーツ、サラダ、飲み物などを自分で選ぶスタイル。”和洋なんでもそろっています。お好きにどうぞ”式のフルバイキングが苦手な私にとっては、ありがたく感じられました。(2022/5/7)


浜松式の乾杯「やらまいか!」で元気いっぱい

●今年のGWでいちばん混んでいなさそうな5/5〜7の期間を利用し、旧友たちと会いに浜松&名古屋へ。初日の5/5は浜松です。たまたま「浜松まつり」の最終日で、呼び物の一つ大凧揚げ大会がおこなわれていました。徳川家康の城下町時代の町ごとに作った大凧を遠州灘の中田島砂丘で揚げる催しで、100年ほど前から続いているそう。浜松は空っ風が有名ですが、それを利用してのことでしょう。


●この日は風がいまイチでしたが、地上では各町の若い衆が、ベテランの指揮で糸を引いたり伸ばしたりの”重労働”。士気を鼓舞するラッパの音が乾いた空気に力強く鳴り響き、それに合わせるかのように凧が広い空を舞います。


●凧揚げのあとは駅の近くでご当地名物の餃子。といっても居酒屋で、はからずも昼飲みとなりました。乾杯は、年長者が「やらまいか!」と声に出したら同席者が「おいしょ
お!!」と応じ、グラスに口をつけるというのがこの店の流儀。「やらまいか」(やってやろうじゃないか)は、新しいことに積極果敢に挑む、この地方特有の進取の気風を示す言葉で、お店の人に教えられたとおり声に出すと元気になります。ヤマハ、河合楽器、ホンダ、スズキの淵源[えんげん]はこれなのかと納得。


●夜は、各町に伝わる山車[だし]が辻々に止められ、私たちを楽しませてくれます。本来なら全部合わせて数十台ある山車がそろって行列するのですが、コロナ禍でここ2年は取り止め。今年ようやく各町内を練り歩くまではOKになったそうで、法被[はっぴ]を着込んだ人たちの表情も生き生きしていました。浜松人の「ケ」の充実は、こうした「ハレ」がある故なのでしょうね。(2022/5/6)

母の母校は国の有形文化財になっていた!

●萩は、10年前に亡くなった母の出身地。高等女学校を出て間もなく、朝鮮半島の北西端、中国と国境を接する新義州[シニジュ]という町に一家で移り住みましたが、終戦後シベリアに抑留された父親(私にとっては祖父)を残し、母親(祖母)、弟(おじ)の3人で帰国したと聞いています。その母が通っていたのが明倫小学校。

●かつて藩校明倫館(1719年創立)があった場所に新築された(1935年)校舎で母は学んだようです。2014年まで使われていましたが、移転にともない旧校舎を修理保存、いまは観光拠点の一つになっています。せっかくなので、ツアー4日目、フリータイムを利用し見に行くことに。その前に、名刹東光寺にある祖父母のお墓参りもしました。

● 明倫小学校は外観からしていかにも由緒ありげ、国の登録有形文化財になっているのも納得です。現存する木造校舎としては日本最大規模だそうで、廊下の長さは90mも。復元教室も残されており、ここで母が6年間学んでいたのかと思うと、ウルウルしてしまいました。

●そういえば、我が母校愛知県立明和高校の「明」も、旧制明倫中学の「明」から採ったもの。その「明倫」は1783年に創立された尾張藩の藩校「明倫堂」に由来しています。どちらもルーツは同じというわけで、それもウルウルにひと役買っていたのかも。ちなみに、「明倫」は孟子の「人倫[じんりん]を明らかにする」という言葉から。それに少しでも近づくためにも、また旅に出ようと決めました━━な〜んて、こじつけですが。(2022/4/23)

知らなかったぁ! タバコにも花が咲くとは!

●ツアー旅行は中日に疲れが出ると言われますが、たしかにたしかに。前日、5時間以上かけて石見銀山を歩いたのですから、当然かもしれません。温泉で多少は癒えたものの、70を過ぎた体にはまだ不足かと。さて、3日目の行程は温泉津[ゆのつ]から山陰線で、赤い石州瓦に見とれながら益田まで。そこからバスで向かった先は4年ぶりの津和野(山口県)。小さな城下町で、50年前「アンノン族」であふれ返って以来半世紀、町ぐるみで観光に力を入れてきたようです。ただ、ホテル・旅館がわずかしかなく、”ついでに観光”の域にとどまっています。


●津和野は画家・安野光雅の生まれ故郷で、21年前にその名を冠した美術館が作られました。白と黒のなまこ壁がなんとも印象的。たまたま展示されていた名作『旅の絵本10オランダ編』の原画に、旅情をかき立てられます。


●昼食後は萩へ移動。こちらは10年ぶりです。萩観光の定番・松陰神社は藤が満開でしたが、それをはるかにしのいでいたのが、宿泊先の庭園。広い敷地に色合い、大小、高低などを配慮した植え分けがなされ、いくら見ていても飽きません。秀逸はタバコの花。葉のほうにはかれこれ50年以上お世話になっていますが、花は初めて。葉っぱの”毒性”とは似つかわしくない可憐さに心を打たれました。

タバコの花──毒性があるとは信じられません
こちらも品種は違うものの、やはりタバコ
これが支那藤


●もう一つは、花びらの大きな藤。支那藤という品種なのだとか。花や草木の手入れをしている女性が、庭園の階段の手すりやイスまで丁寧に拭き清めているところをたまたま目にしました。花だけでなくそれを囲む環境をもないがしろにしない心が、美しさをいっそう引き立てているにちがいありません。(2022/4/22)

昼は世界遺産の銀山、夜は日本遺産の神楽で石見[いわみ]を満喫

●「一畑[いちばた]電鉄」。日本一人口の少ない島根県内を走っている私鉄ですが、初めて乗りました。目的はコンビニに行くため(泊まったホテルが不便な場所だったもので)。JR西日本でさえローカル線の多くが赤字に苦しむ中、大丈夫なのかと心配になりますが、これがけっこう健闘しているようなのです。2両編成の車輌はかつて東急東横線を走っていた中古のよう。朝7時半頃とあって、乗客の9割は高校生でした。


●ツアー2日目のメインは世界遺産の石見銀山。戦国期から江戸中期まで、ここで掘られた銀は世界の主要国で貨幣の原材料になっていたそうです。佐渡の金と同じく鉱山一帯は幕府の天領で、代官所が置かれ、その周囲の町並みがみごとに保存されています。


●ここで採れた銀の積出港が、ツアー2日目の宿泊地・温泉津[ゆのつ]。その当時は北前船の寄港地としても大いに栄えた町ですが、いまは昭和30年代で時計がパタッと止まってしまったような雰囲気で、いまその面影が残っているのはおだやかそうな入江の奥にある港と温泉旅館の並ぶ細い通りだけです。ちなみに、耐火性に富む石見粘土で高温焼成され、硬く割れにくい大きな水甕[がめ]も北前船で全国各地に。それを焼く上がり窯[かま]もみごとでした。


●よくよく考えてみると、この県は「古事記」「日本書紀」に描かれている国生み神話の舞台。それもあってか、文化面での蓄積は並はずれたものがあります。その一つが日本遺産の石見神楽で、今回それをナマで観ることができました。会場は旅館近くにある小さな神社の拝殿とあって、舞いもお囃子[はやし]も目の前で迫力満点でした。小さな私鉄を支えているのも、数百年も続くこうした文化が生活の基底に息づいているからかもしれません。(2022/4/21)

まばゆいばかりの白い灯台に興奮

●日曜日から山陰の旅です。島根県は3年ぶり。朝10時の便なので、9時には羽田がマスト。となると東久留米からではちょいキツく、前泊しました。ピンクムーンの満月を見ながら部屋でゆっくりし、出発当日はいつもどおり5時起き。北アルプスを見ながらひとっ飛びで、昼前には出雲縁結び空港に到着。名物の出雲そばを食べ、大社[おおやしろ]へ。参道にウクライナを思わせる幟[のぼり]が立っていたのには驚きました。


●次に向かったのは鷺浦[さぎうら]地区。出雲大社から車で20分ほどの、日本海に面した小さな小さな漁村で、観光で訪れることはまずありません。しかし今回参加したツアーはなぜかここと温泉津[ゆのつ]が組み込まれており、それが参加した大きな動機。いずれも江戸から明治にかけて、北前船の寄港地としてたいそう栄えた港町なのです。


●鷺浦の集落を歩くと、「塩飽[しわく]屋」という看板を掲げたかつての回船問屋が。「江戸時代後期より明治にかけての船主で塩飽本島(香川県丸亀市)の塩を取り扱い財を成した」と説明されていました。北前船の果たした役割の大きさにいまさらながら感心しました。


●ただ、観光という見地からすると、この日の焦眉は日御碕[ひのみさき]。日本海に突き出た島根半島の先端に立つ白亜の灯台は海面から63.3m、地上から43.65mと、石造の灯台としては日本一の高さで、国の重要文化財にもなっています。この日は素晴らしい青空+おだやかな日本海に見るも鮮やかに映えていました。ツアーでなければ、日の入りの時刻までいたかったのですが、それはかなわず。後ろ髪を引かれる思いで出雲市に戻りました。(2022/4/17)

お・ん・せ・ん、で〜すっ!

およそ1年半ぶりの羽田。行き先はおんせん県を名乗る大分です。2月の末「温泉にいくぞーっ」と思い立ったのが実現しました。念ずれば通ず()。といっても、JALから「マイレージが期限切れになります」とのメールが届いたので決めたのですが。飛行機代ゼロは大きい!

大分は2年半前、ラグビーW杯の観戦で訪れて以来です。今回は湯布院と別府で1泊ずつと決めてあるだけで、あとはフリー。1日目の昨日は、大分空港でからレンタカーで湯布院へ。日曜日だというのに、高速道路はガラガラで、あっという間に到着しました。ところが行ってびっくり、湯布院のメインストリートは竹下通り状態。若い人ばかりで、修学旅行の中学生までいました。

お土産店がびっしり並んでいるのはよしとしても、ソフトクリーム、唐揚げ、コロッケのオンパレードにはげんなり。71歳の老夫婦がくつろげるような場所はありません。考えてみれば、湯布院でもこの一帯に来たのは初めて。もっと落ち着いた温泉地だと思っていたのですが。

●でも、ある店で「日本名物処〇〇屋」という看板を見て気がつきました。そうか、インバウンドが押し寄せるようになってからこうなったんだ!?  もっとも、コロナ禍でそれがストップした店にしてみれば、とりあえずいまを乗り切るのが第一。四の五の言ってはいられません。明日は喧騒から離れ、もう少し落ち着けるスポットを探すことにします。(2022/3/13)

残念! 楽しみにしていた出張が中止に

●椎名誠が「冒険への憧れも探検家になる夢も、すべてはこの本との出会いから始まった」という、子ども向け冒険小説『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ 作・1888年)。なんと60年ぶりで手に取りました。小学生のころ、それこそかがり糸が擦り切れるほど繰り返し読んだ、私にとっても忘れられない作品です。

●夏休みのニュージーランド近海クルーズを楽しむため小型船に乗り込んだ15人の少年(14〜8歳)が大海をさまよったあげく無人島に漂着、以後2年もの間さまざまな困難に遭遇しながらも、全員が力を合わせ生き延びていくという内容。130年以上前の話ですが、そこにはいまも変わらぬ民族間の対立や人種蔑視、また人間の心に備わる美醜が描かれています。イギリス人は子どもの頃からフランス人を嫌っている、黒人はそもそも「人」と見なされていなかったなど、今回改めて学んだこともあります。

●小5から中3にかけて、ヘディンの中央アジア(ゴビ砂漠、シルクロード)探検、シュリーマンのトロイ遺跡発掘、ウィンパーのアルプス、アンデス登攀、ダーウィンやヘイエルダールの南太平洋航海など、探検・冒険・登頂・航海記の類を読みまくりました。そうした中で旅好きの骨格がつちかわれていったのかもしれません。

● 実を言うと、1/24から福岡・佐賀・長崎に出張の予定がありました。楽しみにしていたのですが、新型コロナの感染者数が連日過去最高を更新している折でもあり、先方の要請で中止に。”旅こそ我が命”の私にとっては残念至極。『十五少年漂流記』でも、引くべきところは引いていましたから。(2022/1/21)

宇治で人生初の普茶料理を経験

●京都のレポートもこれが最後。スキップしてもよかったのですが、初めて体験した「普茶[ふちゃ]料理」のことをぜひお伝えしたいと思いまして。ツアー3日目の12月14日は京都市の南にある宇治市へ。宇治といえばお茶と源氏物語、あとは平等院でしょうか。今回訪れたのは宇治上[がみ]神社&宇治神社、平等院鳳凰堂、萬福寺の4カ所です。
●なかでも興味深かったのは黄檗[おうばく]宗大本山萬福寺。黄檗宗は禅宗の一派ですが、日本に伝えられたのがもっとも遅かったため、寺院、檀徒とも非常に少ないようです。ちなみに、母の実家は山口県萩市にある黄檗宗東光寺(戦国期中国地方全域を支配していた毛利氏の菩提寺)の檀家でした。
●萬福寺の境内は、左右対称に配置された堂宇伽藍がすべて屋根付きの回廊でつながっています。「卍くずし」の装飾をほどこした勾欄、アーチ形の天井、円形の窓、桃の実の形をした飾りが彫られた扉など、中国風のデザイン、技法が多用され、異国情緒満点。僧侶の読経も中国語なのだとか。
●その萬福寺で供されるのが「普茶[ふちゃ]料理」。見学に訪れた者も、希望すれば食べることができます。精進料理なので肉類は皆無ですが、ゴマ油を使った揚げ物の多いこと。メニューで「油糍[ゆじ]」に分類されている10品+数品、全体のほぼ半分がそれで、いまの唐揚げの起源とも言われています。肉や魚に擬した「もどき」料理も特徴で、胡麻豆腐は白身魚の刺身のよう。途中でギブアップした家人をよそに、私は完食。食べられる場は、全国的でも数えるほどしかないだけに、貴重な経験でした。(2021/12/14)

Facebook Post: 2021-12-24T22:30:41

おいしい食べ物屋は自力で見つけるのがいちばん

●京都ツアーの6日目は終日フリー。テレビなどでよく伝えられる将棋のタイトル戦の会場を初めてナマで見ました。「竜王戦」の第2局(豊島将之竜王vs藤井聡太三冠=この時点で)がおこなわれた仁和寺[にんなじ]の宸殿[しんでん]です。とんでもなく広い部屋で、しつらえもハンパありません。それもそのはず、宸殿とは天皇がお寝みになる場所のこと。
●仁和寺は世界遺産ですが、高校の古典で習った『徒然草』に登場していたのを覚えているくらいです。平安時代半ばから宇多法皇が寺の敷地内に「御室(おむろ)」を造営、日々を過ごされたことから、「御室御所」と呼ばれるようになったといいます。以来天皇家との関わりが深く、格式も高い寺なのだとか。広い境内には庭園や国宝・重要文化財の建物がいくつもあり、さすがという感じです。
●この日は、仁和寺見学のあと四条烏丸近くの京料理店でランチ。夕方から気温が下がり雨もパラつき始めたので、早々にホテルに戻りました。夕食は近くで簡単に済ませようと、向かいのそば屋に。ごくフツーの店構えなのですが、何かしらピンと来るものがあったからです。体を温めようと注文した鍋焼きうどんは関西風というか、昆布で出汁がとってあり、鶏肉がいっぱい。 おいしくいただきました。
●近ごろはグルメ情報があふれていますが、店の数が少ない地方の町ならいざ知らず、大都市ではあまりアテになりません。むしろ自分で歩いて探すほうが面白いですし、結果にも納得が行きます。その点、このそば屋はヒットでした。町歩きや旅の大きな楽しみと言えるでしょう。(2021/12/17)

Facebook Post: 2021-12-23T13:35:52

京都で見つけた名古屋の”飛び地”

●話は前後しますが、京都の4日目(12/15)は終日完全フリーでした。実を言うと、今回のツアーで最大の魅力はこれ。ツアーといえば、出発から解散まで、添乗員の掲げる小旗のもと完全団体行動というのが常識です。旅先でそんな一団に出くわすと、「ああまでして……」と、これまでは正直思っていました。
●ただ、歳を重ねるにつれ、悔しいことに、スーツケースの重さが体にこたえるように。でも、ツアーだと自力で運ばなくてもいいのです。一度その恩恵にあずかってしまうと、もういけません。以来、海外旅行も3回に2回はツアーで参加しています。それでも、根が団体行動嫌いなので、個人で動ける比率が高い今回のようなスケジュールはとても好都合です。
●というわけで、この日は蓮華王院三十三間堂へ。金色の千手[せんじゅ]観音が1001体ずらり並んでいるのはやはり壮観です。その向かいにある国立博物館、豊国神社、方広寺、東側の妙法院、智積[ちしゃく]院まで含めた広大な地に、奈良のそれをしのぐ大仏を建立させたのは豊臣秀吉。大仏殿はいま豊国神社が建っているあたりにあり、全国から参拝客が訪れたといいます。
●その後大仏は地震や火災に遭い、そのたびに再建されたものの、1973年の火事で完全に消滅。方広寺には例の「国家安康」の文字を刻んだ巨大な鐘もありました。「家」と「康」が切り離されているのはけしからんと家康が怒り、大坂の陣につながったという話で有名な鐘です。豊国神社には秀吉が祀られており、この一帯はさながら名古屋の”飛び地”状態でした。(2021/12/16)

Facebook Post: 2021-12-21T16:01:42

通りを一本、山ひとつ越えただけで……

●今日は東京に戻る日。前夜から今朝にかけ雪との予報でしたが、ホテルのある二条通り周辺は軽くパラついた程度。でも、タクシーの運転手さんによると、京都では丸太町通りを越えて北に行くと大きく変わるそうです。実際、金閣寺はうっすら雪化粧、大原や貴船[きぶね]あたりではかなりの積雪があったといいます。
●午前中出かけた青蓮[しょうれん]院、知恩院、円山公園は前夜の風で晴れわたっていましたが、京都駅を出て山科のトンネルを抜け滋賀県に入ると白一色。空もどんより曇り、すっかり別世界です。それが関ヶ原を過ぎると一転、再び青空が。三河安城あたりでは、妙に横長の雲が地上すれすれの高さに這っていたり。目まぐるしい空の変化に、弁当もゆっくり食べていられません。
●弁当といえば、今日は久しぶりに大阪・水了軒の八角弁当。13〜14種のおかずが隙間なく収まり最後まで楽しめる、駅弁の傑作。以前は大阪出張というと、これが楽しみでたまりませんでした。京都駅でもそれが売られているのを知ったのはつい最近。今回は京都での乗車時刻がランチタイムと重なり、一も二もなくゲットしました。
●1週間で20カ所近いスポットを訪れた今回のツアーですが、最後の長楽館は出色。もともとは、明治期にタバコの製造販売で大成功を収めた村井吉兵衛が円山公園近くに建てた別荘なのですが、いまは高級ホテル&レストランに。せめてお茶でもと、訪れてみました。ただ、タバコ王が作った建物なのに「全館禁煙」とは。村井もあの世で苦笑いしているかもしれません。(2021/12/18)

Facebook Post: 2021-12-18T18:10:12

京都・嵐山のイルミネーション━━でも、人が多すぎ

●ブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚像、シンガポールのマーライオンといえば、”世界観光名所の三大ガックリ”。有名なわりに、行ってみると大したことがないと。それになぞらえて言うなら、嵐山は”京都三大ガックリ”にノミネートしていいかもしれません。そのココロは、ちょっとお茶でもと思っても、”おとな”向けの店がほとんど見当たらないのです。
●嵐山は京都でも一、二を争う人気スポット。渡月橋、天龍寺、化野[あだしの]念仏寺、常寂光寺、二尊院、祇王寺、落柿舎[らくししゃ]、大河内山荘、竹林の径[みち]……と、観光資源には事欠きません。何もしなくてもお客━━といっても、若い人とインバウンドがほとんど━━がやってくるので、それに甘んじていられるのでしょう。
●そのため、半世紀以上前と同じとしか思えないような、いかにも団体向けのレストハウスや土産物屋、あとは東京・原宿の竹下通りなどによくある風の雑貨屋や飲食店が軒を並べています。そうした中を歩いてようやく見つけたコーヒーショップTully’s に入ったところ、私たちのような者のたまり場といった感が。
●滞在4日目(12/15)の夜、今年で最後というので「花灯路」に足を運んでみたのですが、平日にもかかわらず大変な人出。押し合いへし合いしながら竹林のライトアップにスマホのカメラを向けてみたものの、疲れました。家人に言わせると、「竹はやっぱり昼間がいい」。なるほどそうかもしれません。先週自宅近くの竹林を歩きましたが、心の癒やされ度はそちらのほうが高かったような気がします。(2021/12/15)

Facebook Post: 2021-12-17T08:50:47

初めて訪れた南山城の3カ寺

●今回泊まっているのは二条城近くのビジネスホテルで、部屋の広さは20㎡=7畳弱。そこに家人と2人ですから、「暮らすような旅 京都長期滞在7日間」というツアータイトルが泣きそうな狭さです。もっとも、部屋でゆっくりしているより外に出たほうがいいと捉えれば、ふだんどおり。場所が京都に変わっただけで、私にとっては「暮らすような旅」ではあります(笑)。
●2日目(12/13)は、南山城エリアの古寺3カ所を訪ねました。現在の京都府は旧山城国・丹波国・丹後国東部という3つのエリアから成っており、旧山城国のうち京都市以外が南山城。ホテルから南へバスで20分も走ると、伏見区の南部あたりからにわかに田園風景が広がってきます。昔はこのあたりに湖と言ってもいいくらい大きな池があり、太平洋戦争前に埋め立てられのだとか。住むには不向きなのでしょう、いまでもほとんどが田んぼのままです。
●そのさらに南側、京田辺市・木津川市にある観音寺、蟹満[かにまん]寺、浄瑠璃寺が目的地。どの寺も住職みずからその来歴や概要を語ってくださるなど、ツアーならではのメリットを味わえました。なかでも浄瑠璃寺は、いかにも女性好みといった感じで、ほかの2カ寺に比べ、訪れる客も多いようです。つい先日行った称名寺@金沢文庫と同じく浄土庭園が特徴です。仏堂の前面に蓮池を配置し、池の手前を此岸(現世)、仏堂の側を彼岸(極楽浄土=死後の世界)になぞらえた独特のスタイルが浄土庭園の特徴。
●今日の観光は南山城の3カ寺だけなので、午後1時過ぎにはホテルに戻りました。近くのイタリアンで昼食を済ませ、三条通り商店街へ。長さ800mの両側に昭和レトロ風の店がびっしり建ち並び、地元の人たちに長く親しまれているようです。キラキラ・ピカピカとは無縁のこういう場所を歩きくと気持ちもなごみ、まさに「暮らすような」感じ。充実した一日を過ごせました。(2021/12/13)

Facebook Post: 2021-12-15T21:48:26

上白石萌音のおかげで、久しぶりにドラマを堪能

●今日(12/12)から京都に来ています。東京駅を出て、富士山が見えるあたりまでは元気いっぱいでしたが、それから先は京都までほぼ白河夜船状態。前日(12/11)テレビを見過ぎたからです。もともとこの日は、上映時間274分(!)というチョー長尺の映画『ボストン市庁舎』を観に行こうと決めていたのですが、朝刊のテレビ欄を見て、即あきらめました。おもしろそうな番組が5本もあったからです。こちらは合わせて6時間半で、そこへさらに5時間近い映画を加えるのは、体力的にも無理だろうと。
●テレビのほうは、『あの日あの時あの番組 太平洋戦争80年▽日本人はなぜ戦争へと向かったか』『伝説のお笑い講師登場』『この道わが旅 すぎやまこういち音楽の旅路を』『ブラタモリ 南紀白浜 “一大リゾート”への道のりとは!?』ドラマ『忠臣蔵狂詩曲(ラプソディー)No.5 中村仲蔵出世階段[しゅっせのきざはし]』の5本。最初の4本がNHK、ドラマもNHKBSプレミアムでした。
● 民放をほとんど観なくなってから、もう10年以上経つでしょうか。コロナ禍が始まってからは、『羽鳥慎一モーニングショー』をほぼ毎日観ていましたが、今年9月以降はパッタリ。最近はNHKオンリーと言っても過言ではありません。
●それにしても、『忠臣蔵〜』(後半)はなんとも痛快なドラマでした。予定調和の極致と言ってしまえばそれまでですが、そこに至る”階段[きざはし]”=ストーリーメイクの巧みさ。キャスティングも、主人公の中村仲蔵を演じた勘九郎に加え、七之助、市村正親、高嶋政宏、段田安則と秀抜でした。なかでも、仲蔵の妻を演じた上白石萌音の非凡さといったら。デビュー作『舞妓はレディ』(2014年)で日本アカデミー賞新人俳優賞。京都旅の初日、東寺で持たれたオリエンテーションの余興で登場した本物の舞妓さんも真っ青でしょう。(2021/12/12)

Facebook Post: 2021-12-13T20:14:11

男7人で抹茶をいただきながら紅葉を楽しむ

●東京の紅葉スポットで今年も断トツの人気なのが、神宮外苑のイチョウ。広い道の両サイドにまぶしいほど黄色い葉に覆われた高い木々が並び立ち、奥にはレトロモダンな絵画館と、舞台装置も抜群とくれば、それも当然でしょう。週末ともなれば人であふれ返っているようです。
●前回お伝えした「横浜・鎌倉ウォーキング」は、土日にもかかわらずそうした喧騒とは無縁で、紅葉をゆったりと楽しめました。朝比奈の切り通しを歩き抜き、十二社[じゅうにそう]近くの蕎麦屋でランチを済ませると、後半最初の目的地・浄妙寺へ。境内は黄色いイチョウと赤いモミジが織りなす「秋」が全開。枯山水の庭、水琴窟[すいきんくつ]を楽しみながら茶屋で抹茶をいただいたり。70歳過ぎの男7人がずらっと並んで茶碗を回す姿は”壮観”でした。
●次は、竹林で有名な報国寺。山門を出たところに水仙と万両が遠慮がちに咲いているのを発見、お正月が近いのを感じます。鶴岡八幡宮に着いたのは3時過ぎ。数年前同じメンバーで流鏑馬[やぶさめ]を楽しんだ参道から、源義経を祀る白旗[しらはた]神社を抜けると本宮。七五三の参詣客でそこそこ混み合ってはいましたが、密までは行っていません。
●鶴岡八幡宮を出て段葛[だんかずら]を一路鎌倉駅へ。大船までは2駅で、改札を出るのももどかしく、忘年会で予約している居酒屋へ急ぎます。開店して半年も経っていない店ですがたいそうな人気で、私たちの盛り上がりも最高潮。メンバーの一人が保有する江ノ島の”研修ハウス”に着くと、その彼がプロデュースしたテレビドラマがちょうど始まるところ。テレビの前に全員がすわり、当人の解説を聞きながら、1時間半楽しみました。(2021/12/5)

Facebook Post: 2021-12-08T11:57:07

エサがないと体が動かない? 高校同期7人で切り通しを踏破

●高校同期の仲間が集まり、1泊2日の「社会見学(今回は自然探索もプラス)」を楽しみました。コロナ禍で長らく中断していたのですが、先週末およそ2年半ぶりで実現。今回のコースは、金沢文庫から朝比奈切り通しを経て鶴岡八幡宮という長丁場。全行程12kmのほとんどが歩きという設定で、70・71歳の男7人にとってけっして楽とは言えません。それでも、終わったあとの忘年会を楽しみに、まあ歩いたこと。スマホの万歩計には、24000という驚異的な数字が出ていました。
●京浜急行金沢文庫駅に集合し、最初に訪れたのは称名寺[しょうみょうじ]。称名寺は、執権・北条時頼、時宗の補佐役でもあった北条実時が屋敷内に建てた持仏堂が起源です。朱塗りの赤門をくぐり参道を抜けると仁王門が建ち、高さ4mの仁王像が二体。背後には「浄土」になぞらえた立派な庭園が広がります。ボランティアガイドに案内され歴史を学びながら、紅葉も楽しみました。
●金沢文庫のほうは建物だけ見て終わり。モノレールで金沢八景まで移動し、バスで朝比奈へ。ここから十二所[じゅうにそう]までの1.5kmが切り通しになっています。切り通しとは、山を切り開き人や馬が通れるようにした道のこと。高さ10mはあろうかという崖にはさまれた未舗装の道の幅は4mほどで、側溝の水があふれぬかるんでいる箇所も。都会の商店街を歩くのとはわけが違います。
●足もとに不安をかかえている仲間もおり、踏破するのに小一時間ほどかかりましたが、快晴の空の下、せせらぎ(といっても側溝ですが)を流れる水の心地よい音に足の疲れも癒されます。高周波・超高周波が重なり合って生まれるハイレゾな自然音はやはりたいしたものですね。◇つづく◇(2021/12/5)

Facebook Post: 2021-12-07T12:27:41

奈良の旅⑤妙にとがっておらず、落ち着ける町・奈良

●奈良公園近くの道路上に、「鹿に注意」書かれた表示を見つけたときは驚きました。たしかに、その一帯を歩くと、数え切れないほど多くの鹿と出会います。鹿をホルンで呼び寄せる「鹿寄せ」という伝統行事があるそうですが、ホルンのお世話にならずとも、煎餅を見せるだけで10頭以上は近寄ってきます。煎餅をやると頭を下げるなどというのは、鹿にも古都奈良の余裕が乗り移っているとしか思えません。都としてのキャリアは奈良のほうが京都より上。とがったところがなく、町の隅々まで大人っぽい落ち着きがただよっているのです。
●そんな奈良でいま熱いのは「ならまち」エリア。古民家が建ち並ぶ中にいかにも”インスタアップされ狙い”風のお店が増えているようです。それでもまだ京都ほどではないので、心配は無用(笑)。前回取り上げた老舗の和菓子店もその一角にありました。
●今回私たちが2泊した奈良ホテルは「ならまち」の近くにある、いわゆるクラシックホテル。近ごろ流行りのデザイナー風のたたずまい・しつらえではありませんが、高齢の身にはそのほうがくつろげるように思えます。部屋の窓から興福寺五重塔が見える部屋もあるようで、それだけで”奈良にいる感”が堪能できそう。ただ、来年4月から長期の修復工事に入ると、それがかなわなくなりますが……。
●今回の旅では奈良の主なスポットを訪れましたが、小学校の修学旅行で行ったきりの春日大社をじっくり見て回りたかったですね。奈良の余裕・落ち着きを象徴するスポットではないかという気がするからです。それと、冥土の土産にぜひと思っているのが吉野山の桜。まだまだ欲は尽きないなぁと思いつつ帰路へ。我が町・東久留米が真っ赤な富士でお出迎えしてくれました。(2021/12/2)

Facebook Post: 2021-12-03T22:02:28

奈良の旅④60年ぶりで訪れた東大寺大仏殿

●奈良の定番観光スポットといえば東大寺大仏殿、春日大社、興福寺五重塔、薬師寺、唐招提寺、平城宮跡と言ったところでしょうか。60年前、小学校6年生の修学旅行で訪れたときも最初の三つでした。東大寺自体は、3年前にも訪れていますが、そのときは二月堂のお水取りを見ただけです。夜の行事ということもあり、見た場所もほんの一部。しかし、今回は朝の見学で、二月堂の上階までのぼり隅々まで見て回れたので、お水取りのすさまじさが実感できました。大仏殿でも、大仏の表情や巨大な建物の構造上の秘密などの解説を聞け、大人的な興味が大いに満たされた次第。
●その前、朝8時過ぎから興福寺国宝館へ。開館前に入り、貸し切り状態で僧侶の詳しい解説が聞けました。そこで知ったのが、東大寺も興福寺も、ある意味特別な寺院であること。両寺に元興寺[がんごうじ]、大安寺、西大寺、薬師寺、法隆寺を加えた「南都[なんと]七大寺」は朝廷の保護を受けていたため檀徒が不要(=寺の維持にエネルギーを費やす必要がない)、仏教を学ぶためだけの場だったのですね。
●そのうちの一つ元興寺がホテルのすぐ近くにあるので、足を運んでみました。ところが、かつては広大な寺域を誇り、国宝が二つ、重要文化財が五つもあるというのにいまは人影もまばら。なんでこれほどまでに廃れてしまったのかと深い疑問が湧いてきます。
●「旅をすれば感覚が研ぎ澄まされ……今まで無関心だったことにも、不意に何かを感じるようになる」とは、スウェーデンの作家ペール・アンデションの言ですが、今回の奈良の旅はまさにそうなっています。もちろん、これまで関心を抱いていた物への感度も大幅アップ。帰りに立ち寄った店で食べた「葛餅2種+求肥+餡」はいつになく美味でした。(2021/11/30)

Facebook Post: 2021-12-02T19:50:26

奈良の旅③法隆寺 見れば柿より うなぎかな

●3日目のメインは法隆寺ですが、その前に、橿原市内の今井町を訪れました。戦国期から、のちに称念寺となる御坊を中心に発達した寺内[じない]町で、周囲を堀で囲み、部外者の干渉を許さなかった自治都市。安土桃山時代・江戸時代には、「海の堺、陸の今井」「大和の金は今井に七分」と言われるほど、繁栄を謳歌したそうです。
●今井町は東西約600m、南北約310mで、面積は17.4haほど。重要伝統的建造物群保存地区にも選定されていて、域内760戸のうち3分の2が伝統的建造物。一地区内の数としては日本一だそうです。電柱・電線の完全な地中化も進んでおり、”歴史的町並みファンにとっては垂涎の的かもしれません。
●午後は斑鳩[いかるが]の里・法隆寺へ。今回が2回目ですが、資格を持ったガイドさんがつきっきりで説明してくれるので、そのすごさがよくわかりました。━━五重塔が実は一階建てで、真ん中に立つ一本の芯柱で全体を支える免震構造になっている。東京スカイツリーもそれにヒントを得て作られた。日本でいちばん多くの国宝(38点)を持つ寺である等々。まあ、そうしたことを知らずとも、1300年前に建てられた世界最古の木造建築物だというだけで十分ではあるのですが。
●ただ、この日いちばんの感動は夕食のうなぎ。蒲焼きと白焼きをいっぺんに味わえる「あい乗せ重」なるものをいただきました。こんな食べ方は初めてです。場所は興福寺に近い料亭「菊水楼」。皇族の方も来られるくらい格式が高いというのでビビりましたが、うなぎを供する「うな菊」はその脇にある別棟ですし、店員もツナギのユニフォーム姿だったので、普通に食べられました。値段も平均的ですし、奈良に行かれた際はぜひお試しあれ。(2021/11/29)

Facebook Post: 2021-12-01T18:32:48

奈良の旅②地形・地勢の影響? 決意をうながす吉野山、おだやかな飛鳥

●奈良2日目は、今回のメインイベント=「蔵王権現」の見学。最初この4文字を目にしたときは、樹氷で有名な蔵王周辺のお寺かと思ったほど無知でした。それが祀られている吉野山の金峯山寺[きんぷさんじ]を開いたのは修験道[しゅげんどう]の創始者・役小角[えんのおづね]だともいうので、出羽三山と関係しているのかもなどと、勝手に思い込んだり。
●わが国最大の秘仏蔵王権現が開帳されるのは5年ぶりのこと。詳しくはネットに出ていますが、今回見に行こうと決めたのは、広告の写真に見たその色。この種の像としては稀有な青黒[しょうこく]に塗られており、強烈な印象を与えます。こんな色をした仏像はほかに知りません。
●吉野山といえば古くから桜と杉で有名ですが、後醍醐天皇が京都から朝廷を移し、南朝を開いたことでも知られています。なぜ吉野山だったのか、考えてみると不思議な気がします。華やかな都から遠く離れ、右を見ても左を見ても杉ばかり。わかりやすく言えばとんでもない僻地です。ただそれだけに、後醍醐に付き従ってきた公家や武士たちも諸々の雑音に動揺することなく、再起・復活の決意を固めていったのではないでしょうか。地形・地勢が人の心理・行動に強い影響を与えるのかもしれません。
●吉野山を下って到着した飛鳥でその思いはいっそう強まりました。それは、588年創建という日本で最初の寺=飛鳥寺で、日本最古の仏像=飛鳥大仏(釈迦如来坐像)のにこやかな微笑みを真近で観たときです。こんな表情を刻めるのは、四方が真っ平らでおだやかな空気が流れる飛鳥だからこそでしょう。すぐ近くの高松塚壁画館で見た古墳の壁画に描かれていた男女の顔もそうでした、それと、古民家をリノベした和食の店で食べたランチのなんともマイルドな味わいも、そうした考えに導いていったのかもしれません。(2021/11/28)

Facebook Post: 2021-11-30T17:24:27

奈良の旅①7カ月ぶりの東海道新幹線で奈良の旅に出発

●結婚記念日(11/23)と小生の誕生日(11/26)を合わせたお祝い、というわけではありませんが、今日から奈良にやってきました。土曜日+快晴とあって、品川駅はたいそうな混みよう。名古屋を過ぎたあたりから雲行きが少しあやしくなり、伊吹山のふもとには大きな虹がかかっていました。こちらも混み合う京都駅で、東京周辺では見たことのないような色調とデザインの近鉄特急に乗り換え、最初の目的地・橿原[かしはら]神宮へ。最初は雨模様でしたが、途中から空も明るくなりひと安心。
●橿原神宮は明治期の創建とはいえ、神武天皇が即位した神聖な場所とされています。明治神宮・靖國神社などと同じく勅祭社(祭祀に際し、天皇より勅使が遣わされる神社のこと)で、本殿は京都御所の賢所[かしこどころ]が下賜・移築された建物。いまの上皇ご夫妻、天皇皇后両陛下も何度となく参拝されているそうです。
●すぐ隣の神武天皇御陵に向かう頃になると雨がポツポツと。深閑とした森の奥にたたずむ墓所の前に立つと、思わず凛とした気持ちになりました。気温はどんどん下がり、帽子、マフラーを総動員。それでも鼻水が止まりません。寒さにふるえながらホテルに戻り大浴場で温泉につかると、やっと人心地。
●その頃には神聖な気分もどこへやら。1万2千歩以上も歩きお腹が空いていたせいもあり、頭の中は夕食のことでいっぱい。よくある団体食メニューでしたが、唯一、デザートが出色でした。タピオカゼリーのまん中にメロンが浮かび、生卵と見まがうばかり。日本シリーズの決着を見届け、ベッドに入ると、サイドテーブルには定番の聖書でなくなんと古事記が。さすが、橿原!(2021/11/27)

Facebook Post: 2021-11-28T17:22:04

最後の宿・草津にはガッカリ──中山道バスツアー⑥

●琵琶湖の東岸、近江富士の脇から日が昇り始めました。ツアーもいよいよ終わりに近づき、6日目の今日は電車での移動。琵琶湖畔のホテルを出発、JR大津駅から草津駅へ。草津は中山道と東海道とが分岐する交通の要衝で、本陣・脇本陣が2軒ずつ、旅籠が70軒以上という大きな宿でした。
●いまも江戸時代の立派な姿をとどめる本陣は、現存する中では最大規模。吉良上野介、浅野内匠頭[たくみのかみ]、土方歳三、徳川慶喜など、誰もがその名を知っている人物も宿泊しています。しかし、残念なのは周囲の光景。隣も向かいも、いま片っ端から高層マンションが建設されているのです。街並み保存とは真逆の状況にガッカリしてしまいました。
●たしかに、大阪梅田からJRで1時間以内、本陣のあるあたりは駅から徒歩圏内ではありますが、これはないでしょう。江戸時代を彷彿させる建物も何軒か残ってはいるものの、街道としての味わいは台無し。観光より開発を重視する姿勢が露骨に感じられます。逆に言えば、観光をアテにしなくても経済的に成り立つのが草津なのです。
●いささか興をそがれた心持ちで大津に戻りましたが、午後訪れた三井寺[みいでら](正式には園城[おんじょう]寺)を歩いたことで持ち直しました。比叡山延暦寺と何百年にもわたって争いを続けたことでも知られていますが、豊臣秀吉、毛利輝元、徳川家康など、錚々たる武将の寄進した建造物が境内各所に。高台院(秀吉の正室)の寄進によって建てられた金堂は国宝で、その姿は優雅のひと言。(2021/4/15)

Facebook Post: 2021-04-17T21:01:49

半世紀ぶりに訪れた大井と醒ヶ井──中山道バスツアー⑤

●昨日は馬籠宿から中津川宿を経由し、大井宿(恵那市)の旅館「いち川」泊。江戸時代は40軒ほどあった旅籠[はたご]のうち、いまでも続いているのはここだけなのだとか。夕食のときは、14・15・16代目の女将がそろって挨拶。客は私たちのツアー参加者だけ─それもおそらく久しぶりだったはず─でしたから、けっこう気合いが入っていました。
●今日は美濃路をさらに西へ。まずは、中山道三大難所の一つ木曽川の渡しがあった太田宿。幕末期に水戸天狗党の首領・武田耕雲斎も訪れたという本陣と脇本陣(国の重要文化財)をじっくり見学しました。木曽川もここまで下ると、川幅もぐんと広くなります。日本ライン下りの出発点で、小学生のとき家族で来たことを思い出しました。終点の犬山で下船し、川原で昼のお弁当を食べた記憶があります。お弁当といえば今日の昼食は、その名も「和宮御膳」。和宮が太田宿に泊まられたとき本陣で供された食事の一部を再現したものなのだとか。
●太田宿の次に訪れたのは垂井[たるい]宿。ここに立ち寄ったのは、たぶん時間調整のためでしょう。ツアーには、そうしたネックがあることを覚悟しておく必要があります。その次に訪れた醒ヶ井[さめがい]宿のほうがよほど見でがありました。この町に昔からある養鱒場を、中学生の頃だったか家族旅行で訪れたことがあるので、55年ぶりです。
●中山道をしのばせる建物などは皆無ですが、夏でも涼しさを感じさせるというバイカモ(梅花藻)が自生する清流=地蔵川の素晴らしいこと。「古事記」にも登場する透き通るような流れを見れば、旅人も疲れが吹き飛んだのではないでしょうか。醒ヶ井から大津のホテルまでは、夕刻にもかかわらずすんなり。夕食は滋賀県が本家のチャンポン亭で済ませました。(2021/4/14)

Facebook Post: 2021-04-16T21:23:00

木曽路のハイライト=妻籠と馬籠──中山道バスツアー④

●ツアーもあっという間に中日[なかび]。今日の目玉は木曽路を代表する観光スポットでもある妻籠[つまご]宿と馬籠[まごめ]宿です。このあたりは、桜より花びらがふっくらしている花桃が満開。白、薄紅色、その二つが混ざり合ったものと、バラエティーにも満ちています。雨模様の空に、鮮やかさもひとしおでした。
●さて妻籠は、全国で100を超える重要伝統的建造物群保存地区の嚆矢[こうし]。1976年9月といいますから、半世紀近くも前に、「売らない・貸さない・壊さない」を基本スタンスにして街並み保存をスタートさせました。電柱をすべて家屋の裏へ回して隠すなどして、江戸時代の街の姿を復元したのだそうです。
●いまでは当たり前の電線地中化ですが、その技術がなかった当時としては、日本で初めての試み。欧米では観光地・市街地を問わず、電柱は目に見えないのが当たり前なので、空間全体がスッキリしています。自動販売機やケバい看板がないのも、それにひと役買っているはず。
●それにつけても、妻籠の先見性には脱帽です。お隣の馬籠や奈良井もそれに習って街並み保存に努め、宿場町としての魅力をいまに保っています。妻籠も馬籠も、家々は出梁[でばり]造りの二階屋、竪繁(たてしげ)格子、卯建[うだつ]など、江戸時代のまま残され、”とってつけた感””人工感”がありません。インバウンドといっても、欧米からの観光客が多いのも、そのあたりに深い共感を覚えるからでしょう。馬籠で食べたランチ=純日本風の栗おこわ定食も、どこか国際性を秘めているように感じました。(2021/4/13)

Facebook Post: 2021-04-15T22:36:24

信州の真ん中を横断──中山道バスツアー③

●今回のツアーは長野県のど真ん中をほぼ東西まっすぐに横断します。いまは鉄道や車があるので、さほど困難もなく行き来できますが、江戸時代はただただ歩くだけ。それを追体験しようと、実際に中山道を歩いて楽しむ人もいるようです。今回はA地点からB地点まで、次回はB地点からC地点までといった風に、何年もかけて全行程を歩くのだとか。
●ただ、江戸時代の中山道の道筋どおりに歩こうとしても、実際には道が消失してしまっている箇所が少なくありません。近代に入り、鉄道や道路を整備するとき、もともとあった道を埋めたり壊したりしたためでしょう。道は残っていても建物や施設の一部あるいはすべてが姿を消しているケースも。その地の人々、自治体がどのような意識を持っていたかがいまになって問われているのです。
●さて、今日は御柱[おんばしら]で有名な諏訪大社下社秋宮[しもしゃあきみや]、木曽路の入口・贄川[にえかわ]宿の関所、奈良井宿がメイン。諏訪大社の境内に立つ御柱を見たときは、こんなに太くて長い木を4本も、最大斜度35°という坂を、それも長さ100mにわたって落とすことを想像すると、怖くなりました。
●奈良井宿は、長さ1kmにわたって古い街並みがそっくり残されているのが圧巻。東海道にはこれほどまでに往時の姿をとどめている宿はありません。ポイントは電柱と電線を見えなくしていること。観光地としての”本気度”がよくわかります。ただ、コロナ禍が始まる前は多くの人が訪れていた奈良井宿もいまはひっそり。飲食店や土産物店も8割かたは閉じていますが、なんとか持ちこたえてほしいものです。(2021/4/12)

Facebook Post: 2021-04-14T23:09:34