2018年1月27日
自民党の元幹事長で、小渕恵三内閣の内閣官房長官を務めた野中広務が92歳で亡くなったそうです。自民党にいながら常に“野党的”なスタンスを崩すことなく、是は是・非は非、また戦争は絶対悪という立場を守り抜きながら生涯をまっとうした政治家というのが、大方の評価のようです。死去を報じる記事の中に、「ポツダム宣言すら読んだことのない首相が、この国をどういう国にするのだろうか。死んでも死にきれない」(2015年5月、同宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会で答弁した安倍晋三首相について)と語ったという一文が私の頭を射抜きました。
はからずもそれと関わることになるのですが、一昨日、沖縄でしかチャンスがないだろうと思い、映画『カメジロー』を観に行ってきました(正しくは『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』)。日本復帰の前、アメリカ占領下にあった30数年間、沖縄でアメリカ軍政府に不屈の抵抗を貫いた瀬長亀次郎という政治家の生涯を描いたドキュメンタリーです。
名前だけは私も知っていました。1970年11月におこなわれた国政参加選挙で衆議院議員に当選した5人のうちの1人だからです。残りの4人は西銘【にしめ】順治(自民党)、上原康助(社会党)、国場【こくば】幸昌(自民党)、安里積千代【あさとつみちよ】(沖縄社会大衆党)、参議院のほうは喜屋武【きゃん】真栄(革新統一候補・任期は74年まで)と稲嶺一郎(自民党・71年まで)で、いずれも沖縄の政治、というより戦後の沖縄史を語るのに欠かせない錚々たる面々ばかり。
瀬長は沖縄人民党の代表でしたが、復帰後は日本共産党に合流、衆議院議員を通算7期務めました(もっとも、自身が共産党員であるとは生涯認めなかったそうですが)。ただ、瀬長はやはり「県民」党というのが似合っているように思えます。
その瀬長が自身の政治信条の土台としたのは「ポツダム宣言」だったという話が作品に描かれていました。瀬長が人民党を作るときに掲げた綱領は、日本が無条件降伏の際に受け入れた、「ポツダム宣言」の趣旨にのっとったものだったというのです。
同宣言は全部で13項目から成っていますが、その10番目に「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ(中略)日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙【しょうがい】ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝【ならび】ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」とあります。野中の頭の中にあったのも、おそらくこの一文でしょう。
瀬長の立脚点はまさにこの一点にあったというわけです。たしかに、人民党の綱領には、「わが党は労働者、農民、漁民、俸給生活者及び中小商工業者等全勤労大衆の利害を代表しポツダム宣言の趣旨に則りあらゆる封建的保守反動と斗い政治、経済、社会並に文化の各分野に於て民主主義を確立し、自主沖縄の再建を期す」という一文があります。
その小さな体から発する声・叫びは沖縄県民の心を捕らえました。それは職業や社会的立場、思想信条、信仰のいかんを問わなかったように思えます。政治家としてでなく、沖縄人として、また人間として吐く瀬長の言葉は、人々の脳裏に深く突き刺さったようです。集会の警備にあたっていた元警察官が、そんなふうに話すシーンがありました。だからこそ、沖縄(琉球)を占領していたアメリカ軍は瀬長を強く恐れ、人々からとことん遠ざけようとしたのでしょう。
もう一つ印象的だったのが、映像の中に登場した元総理・佐藤栄作です。佐藤に関しては、私自身とても偏った見方しかしていませんでした。高校・大学時代、リアルタイムで佐藤の発言や行動を見聞きしていただけなので仕方ない部分もありますが、もっと保守反動で、国民を抑圧するタイプの政治家ではないかと思っていたのです。しかし、日本の国会に初めて登場し予算委員会で質問に立った瀬長を相手に答弁する様子を見ると、そんなうわべだけの見方をしていた自分が恥ずかしくなってしまいました。総理になった政治家は数多くいますが、そうしたなかでも図抜けた存在だったように思えました。
ここ4、5年同じ立場にある安倍晋三が、「総理」という立場にはまったく似つかわしくないことを改めて痛感しました。安倍個人というより、日本の政治自体が大きくレベルダウンしているのがひしひしと伝わってくる作品でした。たまには、こんな硬派の映画を観るのもいいものです。