2戦目の「サンウルブズ」は……

2018年3月3日
開幕戦よりさらに観客が減った(11181人)第2戦。今日の相手はメルボルンからやってきたレベルズです。日本代表のFWアマナキ・レレィ・マフィー(トンガ出身)が所属しているチームですが、対戦は1年目の第3戦以来。このときは9対35で敗れています。さて、今年はどうでしょうか。少しでもスコアを縮めることができるか、楽しみにしながら観に行ってきました。結果は、残念ながら17対37で負け。

今日の試合は、緒戦とメンバーがかなり変わったものの、同じチームなのかと目を疑いたくなるくらい、アタックのレベルが落っこちていました。前半のトライは、サンウルブズあるいは日本代表がよく喫するインターセプトからのトライ。見ていていちばんしらけるというか、情けない(今日は逆で、ラッキー!)と思えるトライです。しかし、その後は攻撃がまったくと言っていいほどつながりません。それでもなんとか10対10のタイで前半を折り返します。

しかし後半になると、開始12分ほどの間に立て続けに3本もトライを奪われるなど、泣きたくなる展開に。また、前半から引き続きケガ人が続出、3選手が脳震盪の疑い(HIA=Head Injury Assessment)で一時退場したのですが、結局全員そのまま復帰できず、交代となってしまいました。うち一人は、私たちが昨年チリのサンチアゴ空港で一緒に写真を撮ってもらったサム・ワイクス(ロック)、もう一人は家人が好きな山田章仁(ウィング)で、この先が心配です。

とにかくノックオンは多いし、スクラムは不安定。ひどかったのはラインアウトで、マイボールを奪われることもしばしば。こうまでボロボロでは勝てるわけがありません。こんな状態で来週から南アフリカに遠征するのですが、片目が開くのはいつになるのでしょうか。

「熊楠」の次は「熊谷」!?

2018年3月2日
私の住む東京・豊島区に「熊谷守一美術館」という、小さな美術館があります。もともと熊谷の自宅だった家を建て替え私設美術館としてオープン(館長は次女の熊谷榧)しましたが、2007年11月から豊島区立となったそうです。住宅街のただ中にあるので地味な感じがしますが、彼のファンがあちこちから訪れているようで、以前から気に懸かっていました。

今年はその熊谷守一没後40年。それにちなんで、『熊谷守一 生きるよろこび』と銘打たれた展覧会が竹橋の「東京国立近代美術館」でおこなわれているというので、足を運んでみることに。

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広い会場には、驚くほど多くの人が来ていました。展示点数も200近く、東京美術学校時代から亡くなる直前まで、ほとんど全作品が網羅されていたようです。客の数もかなりのもので、こういう場にいると、私たちの世代はホント元気で活動的なんだなと、つくずく感じます。

 

 

IMG_1776「明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られ……特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています」と「西洋近代美術館」のwebサイトにもありますが、初期の陰鬱で暗い作品群とは真逆と言ってよい、晩年の明るく楽しい作品が数多く展示されていました。もともと理科系的な頭脳の持ち主だったようですが、年老いるにつれて、シンプルながら緻密に計算された、それでいてほのぼのとした雰囲気もただよう絵を描いた熊谷守一。めっぽう若い感性の持ち主だったことが想像できます。若い女性にウケているのも、それが理由でしょう。

 

好奇心をかき立てられた「南方熊楠展」

2018年2月25日
『南方熊楠【みなかたくまぐす】展──100年早く生まれた智の人』にやっと行けました。今週いっぱいで終わりなので、滑り込みセーフといったところでしょうか。

場所は上野の「国立科学博物館」。先日、二人の孫を連れて行ったばかりです(65歳以上は入場無料というのがありがたい)。世界中どこの美術館・博物館でもシニアは優遇されていますが、「無料」というのはなかなかありません。

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それほど広いスペースでないこともあってでしょう、けっこう混み合っていました。しかも、若い人の姿が目立ちます。来館者のほとんどがそれこそシニア世代ではないかと予想していたので、これは意外でした。そもそも南方熊楠という人物自体、それほど広く知られた存在ではないと思いますし。

熊楠は和歌山県の田辺生まれなので、私の父方とルーツが同じです。田辺にはこれまで二度行ったことがあります(実はもう一度行ってはいるのですが、それは広域合併で田辺市に編入された熊野エリア)。旧田辺市内にある立派な「顕彰館」にも行けていません。こちらは2005年7月にオープンしたのだそうで、その約1年後には、南方熊楠旧邸も、実際に住んでいた当時の雰囲気を彷彿させるよう、復元・改修されたといいます。それとは別に、1965年に白浜町にも「記念館」が作られており、同じ地域に二つの施設が競合する形になっています。

博物学の大家として世に知られる南方熊楠は「子供の頃から驚異的な記憶力を持つ神童だった」と言われる人物。数日間で100冊を越える本を読み、そこに書かれていた内容を、家に帰って書写するという超人的能力を持っていたようですから、ハンパじゃありません。東大予備門を中退後、19歳から約14年間、アメリカ、イギリスなどに留学、さまざまな言語で書かれた文献を読み込み、それを克明にメモしていったといいます。植物、とくにキノコ類にめっぽう詳しかったようですが、人文科学にも精通井し、民俗学の分野では柳田國男と並ぶ重要な存在でもあります。

いわゆる学術論文はほとんど書いていませんし、官職に就いたこともないものの、昭和天皇にもご進講(1929年)するなど、その力量は高く評価されていました。ご進講自体、昭和天皇ご自身が望まれたようで、「聖上田辺へ伊豆大島より直ちに入らせらる御目的は、主として神島及び熊楠にある由にて」と、軍令部長にご自身の所信を書かせたとのこと。1962年、和歌山を33年ぶりにご訪問された昭和天皇は、神島(かしま=田辺湾沖合の島)を目にしながら、「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠んだそうです。

しかし、数年前、こんな話を聞きました。明治時代半ばごろ、政府が実施しようとした神社合祀政策に、思いもよらない角度から異を唱え、最後はその主張が受け入れられたというのです。熊楠の主張の根拠が、田辺の沖合に浮かぶ神島の話。神島には多種多様な照葉植物が自生していましたが、神社合祀によってこの島唯一の神島神社もなくなることが明らかになりました。神社がなくなれば、森林は自由に伐採できるようになり、植生が失われてしまいます。それを知った熊楠は、生物学的見地からその保護を主張、東京大学教授・松村任三と貴族院書記長官・柳田國男にも書簡を送り訴えます。そして、最終的には天然記念物に指定されることになったそうです。生物学などまったくの門外漢である私は、熊楠についてもさほど関心がありませんでしたが、それがきっかけで深い興味を抱くようになりました。

今回の展示を見て知ったのは、熊楠の関心が途方もなく広範囲にわたっていること。ここまで……と思うほど、あれやこれや、ほとんどどんなテーマについても自身の考えを、きちんとした調査に基づいて披歴していることです。インターネットも何もなかった時代によくぞと言いたくなるくらい圧倒的な量の情報が熊楠の頭の中には収まっていたのでしょう。「顕彰館」「記念館」の両方とも、近いうちに訪れてみたいと思いました。

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帰り道、上野公園の一角に冬の桜が花を咲かせていました。最初は梅かなと思ったのですが、木の幹に「冬桜」と記した札がつけられていたのです。あとひと月もすれば、この一帯は春の桜=ソメイヨシノで覆われるのですね。

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3年目に入った「サンウルブズ」、緒戦は健闘

2018年2月24日
秩父宮に行ってきました。「スーパーラグビー」3年目を迎えたサンウルブズのシーズン緒戦。対戦相手の「ブランビーズ」は、2年前、私たちがオーストラリアのキャンベラまで観に行った前で惨敗を喫した相手です。敵地とはいえ、サンウルブズはまったくいいところなし。それでなくても寒い夜だった上に、試合内容はもっとお寒く、5対66で負けました。

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それが今日はどうでしょう。前半戦だけで3トライ。それも皆、気持ちよい、スカッとしたトライばかり。「今年は違う」というのをありありと感じさせる内容です。後半こそブランビーズが本領を発揮し始めましたが、それでも後半30分過ぎまで10点差。そこから粘っこく攻めに攻め、終了直前、相手ゴール前ほぼ正面の位置でペナルティーを得ました。PKで3点を取り、7点差で試合を終わらせればボーナスポイント(勝ち点1)を確保できます。スクラムなりタッチキックなりで攻めればトライのチャンスもなくはないのですが、万が一取れずじまいだと10点差のままなので、ボーナスポイントはゼロ。結局PKを選び勝ち点を確保するほうを選びましたが、こんなことで選手たちが悩んだのは初めての経験のはず。でも、結果としてはよかったのではないでしょうか。

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運営面はだいぶ進歩してきた感じがします。ボランティアの数も増えていますし、全体としてすっきりわかりやすくなりました。これで箱がよければなおよしですが、何せ取り壊し目前ですから、それは致し方ないかも。スクラムを組むたびにグラウンドの芝がはがれるスタジアムなど、世界中探してもないでしょう。あざといイヤーブックの販売もありませんでしたし、キャラクターグッズもリーズナブルな値段になっています。あとは最寄り駅である東京メトロ外苑前駅の整備ですね。

映画『カメジロー』と野中広務の死

2018年1月27日
自民党の元幹事長で、小渕恵三内閣の内閣官房長官を務めた野中広務が92歳で亡くなったそうです。自民党にいながら常に“野党的”なスタンスを崩すことなく、是は是・非は非、また戦争は絶対悪という立場を守り抜きながら生涯をまっとうした政治家というのが、大方の評価のようです。死去を報じる記事の中に、「ポツダム宣言すら読んだことのない首相が、この国をどういう国にするのだろうか。死んでも死にきれない」(2015年5月、同宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会で答弁した安倍晋三首相について)と語ったという一文が私の頭を射抜きました。

はからずもそれと関わることになるのですが、一昨日、沖縄でしかチャンスがないだろうと思い、映画『カメジロー』を観に行ってきました(正しくは『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』)。日本復帰の前、アメリカ占領下にあった30数年間、沖縄でアメリカ軍政府に不屈の抵抗を貫いた瀬長亀次郎という政治家の生涯を描いたドキュメンタリーです。

IMG_3137名前だけは私も知っていました。1970年11月におこなわれた国政参加選挙で衆議院議員に当選した5人のうちの1人だからです。残りの4人は西銘【にしめ】順治(自民党)、上原康助(社会党)、国場【こくば】幸昌(自民党)、安里積千代【あさとつみちよ】(沖縄社会大衆党)、参議院のほうは喜屋武【きゃん】真栄(革新統一候補・任期は74年まで)と稲嶺一郎(自民党・71年まで)で、いずれも沖縄の政治、というより戦後の沖縄史を語るのに欠かせない錚々たる面々ばかり。

瀬長は沖縄人民党の代表でしたが、復帰後は日本共産党に合流、衆議院議員を通算7期務めました(もっとも、自身が共産党員であるとは生涯認めなかったそうですが)。ただ、瀬長はやはり「県民」党というのが似合っているように思えます。

その瀬長が自身の政治信条の土台としたのは「ポツダム宣言」だったという話が作品に描かれていました。瀬長が人民党を作るときに掲げた綱領は、日本が無条件降伏の際に受け入れた、「ポツダム宣言」の趣旨にのっとったものだったというのです。

同宣言は全部で13項目から成っていますが、その10番目に「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ(中略)日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙【しょうがい】ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝【ならび】ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」とあります。野中の頭の中にあったのも、おそらくこの一文でしょう。

瀬長の立脚点はまさにこの一点にあったというわけです。たしかに、人民党の綱領には、「わが党は労働者、農民、漁民、俸給生活者及び中小商工業者等全勤労大衆の利害を代表しポツダム宣言の趣旨に則りあらゆる封建的保守反動と斗い政治、経済、社会並に文化の各分野に於て民主主義を確立し、自主沖縄の再建を期す」という一文があります。

その小さな体から発する声・叫びは沖縄県民の心を捕らえました。それは職業や社会的立場、思想信条、信仰のいかんを問わなかったように思えます。政治家としてでなく、沖縄人として、また人間として吐く瀬長の言葉は、人々の脳裏に深く突き刺さったようです。集会の警備にあたっていた元警察官が、そんなふうに話すシーンがありました。だからこそ、沖縄(琉球)を占領していたアメリカ軍は瀬長を強く恐れ、人々からとことん遠ざけようとしたのでしょう。

もう一つ印象的だったのが、映像の中に登場した元総理・佐藤栄作です。佐藤に関しては、私自身とても偏った見方しかしていませんでした。高校・大学時代、リアルタイムで佐藤の発言や行動を見聞きしていただけなので仕方ない部分もありますが、もっと保守反動で、国民を抑圧するタイプの政治家ではないかと思っていたのです。しかし、日本の国会に初めて登場し予算委員会で質問に立った瀬長を相手に答弁する様子を見ると、そんなうわべだけの見方をしていた自分が恥ずかしくなってしまいました。総理になった政治家は数多くいますが、そうしたなかでも図抜けた存在だったように思えました。

ここ4、5年同じ立場にある安倍晋三が、「総理」という立場にはまったく似つかわしくないことを改めて痛感しました。安倍個人というより、日本の政治自体が大きくレベルダウンしているのがひしひしと伝わってくる作品でした。たまには、こんな硬派の映画を観るのもいいものです。

1日に3連チャンのイベント

2018年1月19日
スケジュールの都合で、今日はえらく忙しい日になりました。午後イチで「写真展 オードリー・ヘプバーン」@三越本店、3時から大相撲初場所@国技館、そしてそのあと6時半過ぎから「ふるさと祭り」@東京ドーム。当初は2イベントだったのですが、大相撲が飛び込みで加わったため、息つくひまもないことになってしまいました。

写真展は、最終日=22日が迫っているとあって、大変なにぎわい。

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膨大な数の写真が展示され、その多くにキャプションが付されているのですが、私は写真もさることながらこちらに心を惹かれました。その中に、
“幸福のこんな定義を聞いたことがあります。
「幸福とは、健康と物忘れの早さである」ですって!
わたしが思いつきたかったくらいだわ。
だって、それは真実だもの。“

うーん、名言ですねぇ。ほかにも、「名言」と思しき言葉があちこち掲げられており、ヘプバーンが一介の名女優ではないことに、改めて気づかされました。

それにしても、客の多さには驚くばかりです。1950年代から60年代にかけて活躍したわけですから、ファンの中心は60代以上のはず。実際、70代、80代の人も目につきました。しかも、写真集やクリアファイル、カレンダーなどのキャラクター商品を買うために、彼(彼女)たちがとんでもなく長い行列を作っているのです。まあ、我慢強さにかけては、だれもこの世代の人たちにはかなわないでしょうから、不思議ではありません。

日本橋からタクシーを飛ばして国技館に行くと、こちらもまた人、人、人。今日から横綱・稀勢の里も休場ということでコストパフォーマンスは大きく低下しているのですが……。このところの相撲人気はたいしたものです。

037私が応援している尾車部屋の豪風は負けてしまいましたが、今日の土俵はとても充実していました。朝乃山(今場所絶好調)vs石浦、大翔丸vs阿炎(長身でイケメンが人気のよう)、栃ノ心(体の大きさにはたまげます)vs貴景勝、御嶽海(観客の声援がすごい!)vs北藤富士、嘉風(尾車部屋)vs豪栄道、阿武咲(鮮やかな赤の締め込みが印象的)vs高安と、どの一番も見ごたえがありましたし、結びの鶴竜vs琴奨菊も大熱戦。序盤、琴奨菊の攻めをしのいだ鶴竜が最後寄り切りで勝ったのも、横綱の力を見せつけた感じで大満足。今場所はひとり横綱なので、鶴竜もかなり気合が入っています。

今日の席は西の花道のすぐ脇、目の前には場内アナウンスを流す役員がすわっております。花道の脇には呼び出し衆がひんぱんに出入りし、塩の交換や土俵のお清めに備えていたり、懸賞金を入れた袋を用意したり、結びの一番の前に打つ拍子木や弓取り式用の弓を持ってきたり、懸賞旗を準備したり……。さまざまなことをテキパキと、段取りよくこなしていく場面を間近で目にしました。それ以上に驚いたのは力士の体の大きさ。テレビの画面を通じて見てもそれは感じられますが、目の前で見ると、その迫力がまったく違います。長年大相撲を見ていますが、こんな席は初めてで、貴重な経験をさせてもらいました。

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打ち出しの櫓太鼓を聞きながら総武線に乗って水道橋まで。最後は「ふるさと祭り」です。10年前から始まったイベントですが、一度は行ってみたいと思っていました。ドームに足を運んだのは20年以上前でしょうか。前回はローリング・ストーンズのコンサートでした(2006年)。

中に入ると、予想以上の人が詰めかけています。バックネット前からピッチャーズマウンドのあたりに大きな舞台が設けられ、そこでは各地のお祭りの実演が。これが目玉のプログラムなのでしょう。その裏側から外野エリアのほとんどを占めるのが食べ物と物産品のブースです。北海道から沖縄まで全国から出展していて、どこも皆大変な人気。なかには数十人もの行列ができているところもありました。ここで飲み物・食べ物をそろえ、スタンドに座って祭りを楽しむという流れになっているのでしょうね。

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あまりの混雑ぶりにびびってしまい、早めに引き上げようと出口に向かって歩き始めたとき、舞台のほうから聞こえてくる熱いかけ声に足が止まりました。毎年秋におこなわれるという四国は愛媛県新居浜市の「太鼓祭り」がすさまじい迫力だったのです。山車も絢爛豪華で引き手の男たちも真剣そのもの。急遽方針を変更、スタンドを昇り、イスに腰かけて見惚れてしまいました。その次は「秋田竿燈まつり」で、これもまた実物を見たことがないので、この際と思い、結局7時半過ぎまでいたでしょうか。「竿燈」はさすがたいそうな迫力で、その技には脱帽・感動・拍手。

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ただ、さすがに1日3イベントは、観るだけにもかかかわらず、くたびれました。

「大北海道展」もいいけれど、豚丼はやはり……

2018年1月18日
毎年新春恒例の「大北海道展」(東京・池袋の東武デパート)が後半戦に入りました。デパートのこの種の催しといえば1週間が相場。ところが「大北海道展」は1月10日から23日までの2週間ぶっ通しですから、ハンパじゃありません。

今回は初日、それも朝イチで行ってみましたが、早くも30人以上の行列ができているブースが。昼食にと、帯広名物「豚丼」を買って帰り、自宅で食べました。もちろん、それなりのレベルではありましたが、いまひとつ物足りません。

!cid_722ab9eb-e669-4ade-9c0e-22fc5731693d@apcprd04_prod_outlookそれを今日改めて痛感しました。年に5、6回は足を運んでいる「豚っく」という、ユニークな名前の店が御徒町にあります。銀座から浅草に地下鉄で移動する間がちょうど昼飯どきだったので途中下車して立ち寄ったのですが、東武デパートに出ていた店より断然おいしいのです。値段もさほど変わりません。数年前、道東を旅したとき帯広に泊まり、やはり豚丼を食したことがあります。店の数は10を軽く超えるのですが、帯広出身の友人からあらかじめ情報を仕込んでおいたので、迷わずその店に行きました。ここもやはりおいしかったのですが、御徒町の「豚っく」はその上を行っています。

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客も最近は国際的になっており、これまで中国人、韓国人、タイ人、インド人のそれぞれ数人連れグループと出会ったことがあります。SNSとかでどんどん広がっているのでしょう。

明日の夜は東京ドームでいまおこなわれている「日本ふるさと祭り」に行ってみるつもりですが、ひょっとしてそこでも豚丼に出会うかもしれません。でも、2日続けてとなると、ちょっと気が引けますね。北海道にはまだまだほかにもおいしいものがいっぱいあるのですから。

富士山、スーパームーン、雪、そして孫のインフルエンザ

2018年1月4日
本当は今日から3泊4日で台北に行く予定でした。ところが、一緒に行くはずだった孫の一人がインフルエンザとわかり、急遽中止に。飛行機やホテル、旅行保険のキャンセル手続きに、昨日の夕方から今日の午前中いっぱい忙殺されました。

まあ、それはそれとして、1月2・3日の京都出張も無事終了。なかでも、2日の夜にスーパームーンを見られたのは幸いでした。東京を出たときは大変な好天で、新幹線から見えた富士山もいつになくくっきり。やはり、冬の空、それもお正月の時期は抜けが違います。

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しかし、西のほうから天気が崩れ始めていたようで、京都に着いたころは空もどんより。それでも、ダメ元でスーパームーンを見に、夕食のあと外に出てみました。ホテルの玄関には「根引きの松(京都独特のお正月の松飾り)」といって、根がついたままの松が飾られていますし、下に降りた駅前のロータリーには毎年恒例の華道各流派による大きな生け花が展示され、新春の情緒たっぷり。

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さて、お目当てのスーパームーンは──。少し北に渡ったところで夜空を見上げると、ほんの5分ほどの間でしょうか、雲間からすっと姿をあらわしたのです。思わず、スマホで撮ってしまいましたが、一眼レフや望遠を使って撮るような写真にはなりません。でも、それもまたよしではないかと思います。夜空に浮かぶ月だけを被写体として捉えるのは、好事家やプロに任せればよいわけですから。ただ、さすがスーパームーン。いつもの満月より大きく、明るさも強いのがよくわかります。

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3日の昼は、京都市内でも最北部にある高雄周辺での仕事でしたが、お昼近くから気温がどんどん下がり、雪が降り始めます。帰りがけに写真を撮ってみたのですが、スマホのレンズでも、それをしっかりとらえていました。ところが、バスで駅のほうまで下りていくと、雨の降った形跡はあっても、空はウソのように晴れ、気温もけっして低くはありません。同じ京都市内で、駅から15キロも離れていないのに、400近くメートル上っただけで、こうまで天気・気温が変わってしまうのですね。

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というわけで、株式投資の世界では“戌笑う”とも言われる2018年は悲喜こもごものスタート。この先「笑える」ようなことが続けばいいのですが。さて、どんな年になるでしょうか……。

古代メソポタミアの人たちが食べていたのは……

2017年10月14日

今日は一日でビッグイベントが二つあるという日。場所はいずれも福岡市内でした。

最初は、私のプロデュースした単行本『ルワンダに灯った希望の光 久美子のバナナ和紙』の著者・津田久美子さんが講演される会合です。今年の3月、福岡のユニークな出版社「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」から出版されたこの本の内容については、このブログでも前に触れたので割愛しますが、今日の会は、男女共同参画社会を作り上げようと60年も前から活動している団体が開いたもの。

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60年前といえば、まだ女性が社会に出て仕事をするなどということ自体が珍しがられた時代です。でも、実際はそのころからすでに、近ごろは当たり前のように言われていることを実現しようと行動していた人がいたことに驚きました。

女性が働く、社会に参画するのは、建前として理解できても、いざ自分が……と思うと、さまざまな障害が立ちはだかります。津田さんの場合も40代に入ってから、得意の英語を活かせる仕事に就いていたわけですが、それだけで終わらなかったのが、ユニークなところ。50歳を過ぎてからは、NPO法人を立ち上げ、アフリカのルワンダという国で、新しい「仕事」を生み出す活動にたずさわってきたのです。

資源もそれほど豊かなわけではない国の中で、それまでだれひとり思いもつかなかったことに取り組んだ勇気と実行力、そしてそれを実現するまであきらめない粘りには感服させられます。会合で津田さんのお話を聞かれた方々も大いに共感を覚えたようで、本を出して本当によかったと思いました。

 

夜は、すぐ近くのホテル(といっても、最近増えているホステルスタイルですが)で開かれた、最近話題の『歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる』という本の出版記念パーティーに参加しました。著者の遠藤雅司さんは、国際基督教大学教養学部で音楽を専攻しましたが、現在は音楽とはほとんど無関係な“歴史料理”の研究をされているとのこと。そして、初めて出されたこの本の販売促進のため、全国各地で「歴メシ」のイベントを開催しているのだそうです。

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今回の会をプロデュースしたAさんは、『博多学』を書くためにおこなった取材の折、ひとかたならぬお世話になった方。“おもしろがり”という部分で、彼女ほどセンスがあり、またそれを実際の形にする力に長けている人はそうそういません。そのAさんが最近とみに興味を引かれたというのがこの「歴メシ」。

 

世界各国の歴史に残されているさまざまな料理を再現するプロジェクトを「出版記念お食事会」と銘打って、Aさんの地元・福岡でもぜひ開きたいということで企画・プロデュースしたそうです。話をちょっと聞いただけで、とても面白いと思った私はすぐに参加をエントリー。ちょうど先の津田さんの講演する日と同じだったので好都合でした。

本の中身は、オリエント世界とヨーロッパ世界の8つの時代に実際に食されていた料理40品のレシピと、当時の食文化や社会背景などを解説したもの。その該博な知識もさることながら、けっして豊富にあるとは思えない資料からレシピを確定させ、それを実際に料理として作って出す努力には脱帽です。

「ヴェルサイユ宮殿の晩餐会」で出されたメニューとか、「中世イングランドの王がふだん食べていたもの」などは、なんとなくイメージできる気もしますが、この日出された「古代メソポタミア」の料理となると、ティグリス&ユーフラテスという川の名前くらいしか知らない私などにはおよそ想像もつきません。

 

この日、食したメニューは次のとおり。●かぶの煮込みスープ ●アカル(ビール風味のパン) ●メルス(古代メソポタミア風ガレット) ●レンズ豆と麦のリゾット ●古代小麦とラム肉のシチューの5品です。世界史の教科書で目にした楔形文字を解読し、そこに記されていたことから推測しながら割り出されたレシピの中には、塩・コショウを使うという記述はまったくなかったそうで、味はもっぱら、コリアンダーやらクミンといった調味料から引き出していたようです。そのため、はっきり言って、現代人の舌には物足りません。

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ただ、そのことは。著者も料理の作り手も十分承知していたのでしょう。私たちの舌を満足させようと、当日はオリジナル版とともに、塩とコショウを加えた現代人向けバージョンを作って出してくれました。豆類、ナッツ、果物など、身近で入手できるあらゆる食材をさまざま工夫することで料理に変化をつけていた様子もうかがえ、貴重な経験となりました。

 

この日の参加者は40人ほどでしたが、20代・30代の人が9割。60歳を過ぎているのは数えるほどで、別段指示されたわけではありませんが、その数人がなんとなくひとところに集まった(イスが置かれていたせいもありそう)のは自然の流れでしょう。正直、メソポタミア料理に舌鼓というわけにはいきませんでしたが、同世代の方々とのお話は、軽やかに舌が回りました(笑)。

「豪風関と語る会」に参加

2017年9月30日

4年前にプロデュースした単行本『人生8勝7敗 最後に勝てばよい』の著者は大相撲の尾車親方。そのご縁で、親方や弟子の方々とも親しくさせていただいているのですが、その一人・豪風関の「語る会」に出席しました。昨年、故郷・秋田県から県民栄誉賞を授賞した豪風関ですが、その1周年記念行事です。

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IMG_2003さまざま興味深いお話を聞かせていただきましたが、いちばん印象に残ったのは、「ベストだと自分で思い込んでいても、そうでないときがある。それは結果としてはっきりあらわれる」という言葉でした。豪風関は今年3月の春場所後、痛めていたヒジの手術を受けたそうです。場所後のことですから、5月の夏場所までは6週間しかありません。その間に回復を待ち、それからはリハビリです。これ以上は無理というほど懸命に取り組み、「自分ではベストと思える状態にこぎつけて夏場所に臨みました。ところが結果は大きく負け越し。「こんなはずじゃ……」と思ったそうですが、すぐ思い直したといいます。「ベストだと思い込んでいた自分が悪い。ケガから回復するのはそんな簡単なことじゃない」と。

 

もちろん、体の状態をいちばんよく知っているのは本人なのですが、実際の結果はごまかしがききません。勝負の世界の厳しさを改めて思い知らされたと語っていましたが、幕内最年長の関取でさえ、そうしたことがあるのです。念には念を入れるというか、いつ、どんな状況にあっても、「ベストを尽くす」のは、そうそう簡単なことではなさそうです。「これで大丈夫」と、ついつい自分を甘やかしてしまう私にとっては、耳の痛いお話でした。