花も団子も温泉も━━ちょっと欲張りが過ぎるかなぁ?

●今週末は24日が家人の誕生日だったこともあり、ケーキやらクッキーやら、甘いもののオンパレード。当日の夜は同居する小学生の孫たちもいるので、無難なメニューでしたが、とうの立った私たちにはいまイチ感が拭えません。というわけで、翌日の昼、もろもろ用事もあって都心まで出たついでに、長らく通っている和食のお店を予約しました。

●大将は私と出身地が同じ。京都で修業したあと上京し、目白にこじんまりした京料理のお店を開きました。この日は全6品+デザート&抹茶から成るランチコース。なかでも、鯛の中落ちを軽く焼いたメインは最高でした。聞けば、この2年間の実質営業時間は通常時の半分以下なのだとか。この日も金曜日だというのに、客は私たち二人だけだそうです😢

●週末は気温が一気に上昇、あちこちで草花が一気に咲き始めました。ウォーキングの途中、ホトケノザやラッパ水仙、ハナニラなど、どれも皆小ぶりながらも、にっこり微笑んでいるかのようです。梅も白と紅がそろい、春はすぐそこ感がありあり。歩くにつれて気持ちも軽くなってきます。

●3月にあと一、二度は寒の戻りもありそうです。でも、それより春到来への期待のほうが上。春は英語で spring ですが、spring には「バネ」という意味も。草花の芽が勢いよく出てくる様がバネに通じるからでしょう。そういえば「泉」も spring だったっけ。そうだ、久しぶりに温泉へ行こう! と思いつき、計画を立てることにしました。(2022/2/27)

断髪式で鋏を入れさせていただきました

●引退相撲(断髪式)に行くのは2回目です。2年前の豪風[たけかぜ](現押尾川親方)、そして昨日が嘉風[よしかぜ]。ともに現役時代は尾車部屋の所属で、最高位は関脇でした。嘉風は中村親方を襲名し、二所ノ関(元横綱稀勢の里)部屋の所属に。10数年前に尾車親方と出会い、『人生8勝7敗』という本をプロデュース(2013年)したご縁で声をかけていただきました。

●コロナ禍第6波のまっただ中とあって、横綱照ノ富士を筆頭に19人もの関取が感染。横綱の土俵入りはなく、取り組みも大幅カットになってしまいましたが、これはもう致し方ありません。それでも、4千人近くの方が来られ、私も鋏[はさみ]を入れさせていただきたいという願いがかないました。

●嘉風関にとっては、2019年秋の引退後二度も延期を余儀なくされた断髪式。大相撲力士にとって「断髪」は、単に髷[まげ]を切り落とすだけでなく、人生のケジメをつけるという意味があるようです。多くの方に見守られながら第二の人生に向け船出することができ、本当によかったのではないでしょうか。

●「髪」とはとうの昔におさらばしている私はといえば、ここ何年か、家人や同居の孫たちから「断煙」を求められています。決断したら、「断煙式」とか開いてくれるのかなぁ。目の前にタバコをズラリと並べ、1本ずつハサミで切り刻んで……な〜んて想像すると、寿命が縮まってしまいそうです。(2022/2/6)

残念! 楽しみにしていた出張が中止に

●椎名誠が「冒険への憧れも探検家になる夢も、すべてはこの本との出会いから始まった」という、子ども向け冒険小説『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ 作・1888年)。なんと60年ぶりで手に取りました。小学生のころ、それこそかがり糸が擦り切れるほど繰り返し読んだ、私にとっても忘れられない作品です。

●夏休みのニュージーランド近海クルーズを楽しむため小型船に乗り込んだ15人の少年(14〜8歳)が大海をさまよったあげく無人島に漂着、以後2年もの間さまざまな困難に遭遇しながらも、全員が力を合わせ生き延びていくという内容。130年以上前の話ですが、そこにはいまも変わらぬ民族間の対立や人種蔑視、また人間の心に備わる美醜が描かれています。イギリス人は子どもの頃からフランス人を嫌っている、黒人はそもそも「人」と見なされていなかったなど、今回改めて学んだこともあります。

●小5から中3にかけて、ヘディンの中央アジア(ゴビ砂漠、シルクロード)探検、シュリーマンのトロイ遺跡発掘、ウィンパーのアルプス、アンデス登攀、ダーウィンやヘイエルダールの南太平洋航海など、探検・冒険・登頂・航海記の類を読みまくりました。そうした中で旅好きの骨格がつちかわれていったのかもしれません。

● 実を言うと、1/24から福岡・佐賀・長崎に出張の予定がありました。楽しみにしていたのですが、新型コロナの感染者数が連日過去最高を更新している折でもあり、先方の要請で中止に。”旅こそ我が命”の私にとっては残念至極。『十五少年漂流記』でも、引くべきところは引いていましたから。(2022/1/21)

カレーライスも“インドの叡智”

2019年4月20日
私も含め日本人が大好きなカレーライス。そのルーツがインドというのは、どなたもご存じのことでしょう。東京都心の神田神保町を中心としたエリアには、いまや500軒を越えるカレーライスの店があるのだとか。毎年11月に開催される「神田カレーグランプリ」も年を追うごとに参加者が増えているといいます。

といって、神田神保町とインドとの間に深いつながりがあるわけではありません。この一帯が昔から学生街だったことでカレーの店が増えたと言われています。手軽で安く食べられるのは、ふところのさびしい学生にとって最大の魅力だからです。

その日本で初めて本場インド流のカレーを提供したのは新宿中村屋だそうです。そう、寺山修司がその昔、「週刊プレイボーイ」の人生相談を担当していたとき、自殺したいという男性に、「君は新宿中村屋のカリーを食べたことがあるか? なければ食べてからもう一度相談しなさい」と答えたという、中村屋のカリーです。

中村屋が新宿にレストランをオープンしたのは1927年。そのときのメニューに登場したのが「純印度式カリー」でした。その当時、カレーはすでに広く食べられていましたが、それはあくまで欧州式、正確には英国式のもの。インドの宗主国だったイギリスが、現地のスパイスを小麦粉と一緒に使いシチュー風のカレーを国内に広めたのですが、そのレシピを日本人が持ち帰り、日本人好みのアレンジをほどこしたものです。

しかし、インド人からしてみると、それは本来のカレーとはほど遠いものでした。「東京のカレー・ライス、うまいのないナ。油が悪くてウドン粉ばかりで、胸ムカムカする。~略~カラければカレーと思つてゐるらしいの大變間違ひ。~略~安いカレー・ライスはバタアを使はないでしョ、だからマヅくて食へない」(中村屋ウェブサイト)と嘆いたのが、インド独立運動の志士ラース・ビハーリー・ボース(1886~1945)。 ボースは1912年、独立運動の中でイギリスのハーディング総督に爆弾を投げつけたカドでイギリス政府に追われ、15年に日本に亡命します。日英同盟を結んでいた日本政府はボースに国外退去命令を出しましたが、そのときボースをかくまったのが中村屋の創始者・相馬愛蔵。逃避行を続けるボースを支えたのが相馬の娘で、二人はやがて結婚しました。

その後、“無罪放免”となったボースは日本に帰化、中村屋の役員に。そして、相馬が新宿にレストランを開くとき、メニューに「純印度式カリー」を取り入れたのです。最初はその味を敬遠する日本人も多かったようですが、ひとたび慣れ始めると大好評を博するように。このころ町の洋食屋のカレーが10~12銭だったのに対し、中村屋のカリーは80銭しましたが、飛ぶように売れたそうです。

ボースは同じくインドの独立をめざして活動していたマハトマ・ガンディーとは考え方を異にしていたため別々の道を歩み、1945年、独立を見届けることなくこの世を去りますが、その伝記『アジアのめざめ─印度志士ビハリ・ボースと日本─』(相馬黒光【こっこう】・相馬安雄共著 1953)に今日出会いました。場所は文京区・本駒込の東洋文庫。たまたま見に行った「マハトマ・ガンディー生誕150周年記念 インドの叡智展」に展示されていたのです。

  

ひょんなことでひょんな知識が得られるのは大きな喜びですが、これもその一例。まして好きなカレーにまつわる話ですから、テンションは大いに上がりました。ちなみに、ボースの腹心として活動していたのが、同じ時期に京都大学に留学中のA・M・ナイル(1905~1990)で、ナイルは1949年、東京・銀座に日本初のインド料理店「ナイルレストラン」を開業しています。

帰り道、家人の案内で、“日本一ショートケーキがおいしい”という「フレンチパウンドハウス 大和郷店」に立ち寄ったのも利いたかもしれません。店名に見える「大和郷(やまとむら)」という言葉のいわれも深いものがあるようです。大和郷はいまは文京区本駒込六丁目になっていますが、都内でも屈指の高級住宅街のこと。場所は六義園【りくぎえん】のすぐ近く。六義園は、もともと加賀藩の下屋敷を幕府側用人【そばようにん】の柳澤吉保が拝領したあとに造らせた庭園です。吉保は隠居後もそのまま住み続ける一方、柳澤家が大和郡山へ転封となったため「大和」の名が残ったといいます。

明治に入り六義園も新政府に返上されましたが、それを購入したのが旧三菱財閥の祖・岩崎彌太郎。彌太郎は六義園の修築に力を入れるとともに、周辺の土地も購入し、その一角に別宅も構えたそうです。 その後、三菱の3代目・岩崎久彌が1922年、それらの土地を「大和郷」として分譲し、近代的住宅地として造成したといいます。三菱の関係者はもちろん、第24代首相・加藤孝明、第25・28代首相・若槻礼次郎、第44代首相・幣原喜重郎【しではらきじゅうろう】と、歴代首相が3人も住んでいたことでも知られています。

 

 

 

亀戸で見た梅

2019年1月26日
恒例となった高校時代の同窓生7人が集まっての新年会。今年の会場は亀戸で、私にとってはほとんど初めての場所。梅と藤でも有名な亀戸天神の境内にある蠟梅【ろうばい】が可憐な花を咲かせていました。まあ、それよりきれいなのは紅一点のSさんかも?

近くの老舗和菓子店「船橋屋」は行列ができていて入れませんでしたが、幹事が予約してくれていたちゃんこ鍋はたいそう美味でした。

中学時代の旧友とラグビーを観戦

2019年1月20日
昨日は「トップリーグ杯」の順位決定戦を観ました。それも名古屋の瑞穂【みずほ】ラグビー場(ネーミングライツがあるためいまは「パロマ」が頭についています)です。高校でラグビーをしていたころ、試合で来たのは一度だけ。ただ、年末年始になるとここでタッチジャッジをした記憶があります。いまでもおこなわれている「全国地区対抗大学ラグビー」という地味な大会の会場がここ瑞穂で、わが母校のラグビー部が毎年、タッチジャッジを仰せつかっていたのです(顧問の先生が、県ラグビー協会の幹部だったためでしょう)。

一緒に観戦したのは中学時代の親友Hくん(愛知県小牧市在住)。4年前のワールドカップで、日本vsサモア戦を一緒に観に行く予定をしていたのですが、私が帯状疱疹に罹り、約束を果たせませんでした。しかし、試合後、ロンドン市内の駅(Euston)までやってきて、ホテルのベッドからかろうじて這い出して会いに行った私におみやげをくれました。昨年、奥さんに先立たれ、お線香をあげに自宅まで行きましたが、それ以来の再会。

いまも88歳の義母の面倒を見ながら元気な日々を送っていますが、気分転換も兼ねたまには自宅から足を延ばすのもいいのではと思い、誘ってみたところ、二つ返事でOK。この日は2試合あったのですが、1試合目から会場に来ており、私がラグビー場の入口に着いて連絡を入れると、スタンドから降りてきてチケットを渡してくれました。

1年でもいちばん寒いこの時期なのに、この日はなぜかポカポカ陽気。風もほとんど吹かず、素晴らしい日和でした。神戸製鋼vs東芝という好カードで、試合も接戦。東芝のリーチマイケル、神戸のダン・カーターのどちらも出場していませんでしたが、十分満足できました。誰と一緒に観るか——スポーツ観戦では大事なファクターなのです。

 

Hくんはいまから55年も前、中学時代からラグビーをしていた、当時としては変わり種。私たちが通っていたのは名古屋市立北陵中学。私とHくんのクラス担任で、体育を教えていたK先生が、ラグビーの愛知県教員団チームの一員として国体に出場していたこともあり、ラグビー部を作ったのです。そのときK先生に声をかけられて部員になったのがHくん。当時を思い出すと、Hくんの体型はたしかにフォワード第1列向けでした。この時代、中学のラグビー部は名古屋市内、愛知県内でもほんの数えるほどしかなく、K先生のおかげもあってどんどん強くなったようです。

北陵中学は全国大会でも何度か優勝したことがあります。花園でおこなわれる高校ラグビーの県代表・中部大学附属春日丘【はるひおか】高校の出場選手に何人も名前を連ねているほどです。

Hくんにも「よく誘ってくれた」と感謝され、恐縮してしまいましたが、こういう場で旧友と再会できたのは大きな喜びでした。たわいのない思い出話をしながら美しい芝生のグラウンドを見ていると、気持ちも若返ります。

今日は高校時代同じラグビー部だった旧友Mくんとランチを共にしました。店も、高校時代の同期生Aくんがやっている洋食屋さん。しかも、たまたまその近くで、これまた高校時代の同期生Nくんが絵の個展をやっているというので、そちらにも顔を出しました。N君は残念ながらインフルエンザにやられてしまったため、会場に来ることができませんでしたが、それでも、旧友と楽しい時間を共にできたうれしさは何物にも代え難いですね。年齢的にそういう時期にさしかかっているのでしょうが、友というのはホントありがたいものです。

「東国三社」のバスツアーに参加

2019年1月17日
JR東日本の「大人の休日倶楽部」主催の「勝ち年祈願! 鹿島神宮と香取神宮」という日帰りバスツアーに参加しました。“●茨城県南部と千葉県にまたがる「東国三社」と呼ばれる「鹿島神宮」「香取神宮」「息栖神社」の3つの神社を日帰りでめぐる初詣ツアーです。●昼食は明治30年より鹿島神宮のお膝元で続く歴史ある食事処「鈴章」にて名物の鯰(ナマズ)の薄造りを盛り込んだ料理をご用意いたします”という触れ込み。「国内旅行傷害保険つき」とはいえ、価格は13800円です。

毎月送られてくる機関誌でこのツアーを知り、申し込んでみたのですが、実際に行ってみると、コストパフォーマンスがすこぶる悪く、不満が残りました。道路の混雑状況で戻りの時間が遅れる恐れもあるとはいえ、「午前9時出発 午後7時・東京駅帰着予定」が、実際の帰着は午後5時40分。そのせいもあって、中身は必要以上に間延びした感じで、どの神社でも時間を持て余し気味。しかも平日ですから、道路もほとんど渋滞なしとなれば、こういうことになってしまうのでしょう。これだけ余裕があるのなら、最後、香取神宮のあとに伊能忠敬記念館の見学とか、佐原の街並み歩きでも組み込めばいいのにと思ってしまいます。

最後に訪れた香取神宮の駐車場にはとバスの車が止まっているのに気がついたので、スマホでググってみると、はとバスでもほぼ同じ内容の企画がありました。値段を見るとこちらは7980~8480円。違いは添乗員がつかないのと、昼食が「ANAクラウンプラザホテル成田 (バイキングの昼食)」という点。添乗員がつくとここまで値段が変わるものなのかという疑問はさておき、JR東日本の価格はちょっと高すぎではないかというのが正直な感想です。ランチもはとバスのほうはたぶん3000円見当なのに対し、私たちが行ったの「鈴章(ミニAコース)」は1800円。ナマズもものめずらしくていいのですが、好き嫌いもありそうですし。となると、ますます価格設定に疑問が湧いてきます。

それより何より、なんでもきちんと比較してから申し込む(買う)ようにしないと、こういう墓穴を掘ってしまうのだなと反省させられました。そもそも、「東国三社めぐり」というのは、それほど斬新な企画でもないようで、この時期の定番。となればよけいそうした思いにさせられます。また、真剣にお参りしたり、近ごろはやりの「御朱印」集めといったモチベーションもない私のような者にとっては、いまイチのバスツアーでした。

大相撲初場所で稀勢の里最後の相撲

2019年1月16日
初日は御嶽海、2日目が逸ノ城と、連敗して迎えた大相撲初場所の3日目(昨日)。対戦相手は栃煌山です。しかし、あっさり土俵を割ってしまいました。3連敗となると、座布団も舞いません。結局、今日引退を発表したのですが、せっかくの日本人横綱も短命でした。

ラグビー日本選手権は神戸製鋼が優勝!

2018年12月16日
まあ、昨日はとにかく寒い日でした。最高気温は9℃だったそうですが、風が強く、外の体感温度はそれより3~4℃は低かったにちがいありません。「外」というのは、ラグビーの日本選手権決勝(神戸製鋼 vsサントリー)の話です。

それにしても、日本選手権@秩父宮のピッチ上で、元ニュージーランド代表のダン・カーター(キャップ数112)、元オーストラリア代表のマット・ギタウ(同103)、アダム・アシュリクーパー(同116)の3人がそろってプレーするなどということを、10年前、いな5年前でも想像したラグビーファンがいるでしょうか。しかし、それが今日、現実になったのです!

もちろん、3人とも全盛期は過ぎています。といっても、3年前のワールドカップに出場、大活躍しました。しかも、ニュージーランド、オーストラリアという、世界でもトップクラスの国の代表選手としてキャップ数が3桁を超えているのですから、実力は折り紙付き。そうした選手と一緒にプレーすれば、日本の選手もごく自然に力をつけていくことでしょう。ここ3、4年でJAPANが力をつけてきたのも、その影響が大です。

 

秩父宮は指定席も自由席もほぼ満員。日本ラグビフットボール協会の招待券で入った私など、自由席でもいちばん劣る、バックスタンドとサイドスタンドの狭間、通路のすぐ近くだったので風通しがよすぎ、寒いことといったらありません。2時間ほどすわっていましたが、足の先からすっかり冷え切ってしまいました。終了10分前で神戸48対サントリー5というスコアで、最後、サントリーが意地を見せてワントライは返してほしいなと思いつつ、早々にスタンドをあとにしたのですが、逆に神戸が1トライを追加。55対5という、日本選手権には似つかわしくないワンサイドゲームでした。フルバックの松島幸太朗など、「自分たちのゲームは1分間もさせてもらえなかった」と試合後コメントしていたくらいです。

私が愛用しているビジネスホテル「ロイネット」

2018年12月2日
前日、京都での仕事を終え神戸に移動しました。三ノ宮までは新快速で1時間ほどですからすぐです。3カ月ぶりの神戸ですが、土曜日、それもいちばんにぎやかな三ノ宮とあって、けっこうな人出でした。

ホテルは駅から徒歩5分ほどのロイネット。ひとりで動く場合は、ほとんどこのブランドに決めています。駅から近い、値段が高くない、部屋が広い(ワーキングスペースも)、そして喫煙OKの部屋がある、コンビニが近いといったところが主な理由です。「主な」と書きましたが、これだけの条件がそろったホテルというのは、そうそうあるものではありません。唯一の欠点は、ビジネスホテルなので、「朝食付き」といっても、同じ建物に入っている居酒屋とかカフェに毛が生えたような店で食べるケースがほとんど。そのため、内容がいまひとつなのです。

夕食を食べに出たのですがなかなか見つからず、結局、駅からさほど遠くない豚カツ屋さんで牛カツ飯というのを食べました。関西はやはり牛肉文化で、「豚カツ」を名乗ってはいても、メニューの多くを「牛肉」ものが占めています。

三ノ宮駅周辺には、いわゆる神戸っぽさを感じさせるおしゃれな店が並ぶ商店街もいくつかあります。ただ、その一方で、昭和風というか、レトロで猥雑な飲食店街もあるのです。そうした店の中で行列ができているのは、串揚げ(串カツ)かギョウザで、このあたりは東京とはかなり様相が異なります。

さて、今日は早起きして、まず王子動物園へ。三ノ宮からJRで一つ目の灘という駅から歩いてすぐのところです。隣の駅だというのに三ノ宮とはうって変わって静かな駅で、あとでわかったことなのですが、文化関連の施設がいくつかあります。

動物園自体はこじんまりしていますが、日本で唯一ジャイアントパンダとコアラを同時に見ることができる動物園なのだそうです。しかし、園内に重要文化財の建物があるのには驚きました。歩いていて、あんなところに洋館が見えるなぁ、なんだろう? と不思議に思っていたのですが、神戸にいくつかある異人館の一つで、1889年に建てられたといいます。かつての所有主エドワード・ハズレット・ハンター(イギリス人の実業家で、日立造船の前身の会社を興した人物)にちなんで「旧ハンター住宅」と呼ばれ、もとは市内北野町にあったもの。1963年に王子動物園内に移築され、66年に国の重要文化財に指定された、たいそう由緒のある建物のようです。

3頭いるキリンにも挨拶し、園を出ると、「横尾忠則現代美術館」の表示が目に入りました。時間もありましたし、せっかくだからとそちらに向かいます。その手前に建っているのは「兵庫県立美術館原田の森ギャラリー」、向かい側に建つレンガ造りの建物は「神戸文学館」です。

ただ、建物の脇に「関西学院発祥の地」という看板が立っていました。説明文を見ると、もともとは1904年に建てられた関西学院の初代チャペルなのだとか。関西学院はその後、西宮市に移転しましたが、チャペルはこの地にとどまりました。しかし、太平洋戦争中、空襲に遭って大破。1950年にあらかた修復されてからは、さまざまな公共施設として転用されたようです。そして93年、塔の復元とともに市民ギャラリーとなったのち、現在の神戸文学館となったとありました。

「横尾忠則 在庫一掃大放出展」というタイトルでおこなわれていたのは、これまでこの美術館で一度も展示されたことのない作品ばかりを集めたもの。ほとんどの作品につけられていた横尾直筆の注釈メモを読むと、その人柄がよくあらわれているように思いました。

三ノ宮に戻りそごうデパートで昼食を買い、地下鉄でノエビアスタジアムへ。今日はラグビー・トップリーグの順位決定戦2回戦、神戸製鋼vsリコーの試合です。勝てばベスト4ですから、レベルは高いはず。ダン・カーター見たさで行ったのですが、やはり身のこなしがしなやかというか、ラグビーボールを持って生まれたのではないかと思わせるような、無駄のない、それでいて力強さも感じさせるプレーにまたまた感動しました。

試合終了後、三ノ宮まで戻り、次の目的地・姫路へ移動。ホテル(10月にオープンしたばかりのロイネット)でひと仕事終え、夕食を食べに出たのですが、この町は「食」についてはいまひとつの感があります。数年前に来たときも感じたのですが、行ってみたいなと思わせる店があまりないというか(それほど強いこだわりがあるわけではないのですが……)。結局、駅ビルにある「ゴーゴーカレー(金沢風で有名!)」で済ませたのですが、この店のカレーは、若い人に人気とだけあってボリュームが勝ちすぎのきらいがあり、私のような年齢の者には少々キツ~い感じがしました。