サッカーW杯でベルギーに負けた理由

2018年7月4日
今回のサッカーW杯@ロシアは、これまでになく面白いゲームの連続でした。私のようなラグビー派はどちらかというとサッカーを好まない者が多いのではないかと思うのですが、スリリング度という点では、正直、サッカーのほうがラグビーを上まわっているかもしれないと感じました。

一昨日の決勝トーナメントで日本はベルギーと戦い、2-3で惜しくも敗れました。後半34分までは2-1とリードし、これはひょっとして……とも思わせたのですが、ゲーム終了前の10分間で立て続けにシュートを2本決められ、万事休す。善戦を称える者もいましたが、やはり「地力の違い」「鍛えられ方が足りない」など、シビアな意見が多数を占めていたようです。そうした中、日本代表の元監督ザッケローニのコメントには共感を覚えました。ちょっと長くなりますが、そっくり引用します。

「ザッケローニ氏、V弾許したのは日本人の性格も影響
サッカー元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニ氏(65)は、ワールドカップ(W杯)決勝トーナメント1回戦でベルギーに敗れた日本について「残念だった」と語ったと、4日付の伊紙ガゼッタ・デロ・スポルトが報じた。
2点を先行しながらも、後半ロスタイムに決められて初のベスト8入りを逃した日本にザッケローニ氏は「残念だ。最後に日本は無邪気なところを見せてしまった。彼らの文化やDNAにはマリーシア(ずるがしこさ)は存在しないからだ。(カウンターを仕掛けられた時に)戦術的なファウルで(失点を)防げたが、彼らには(ファウルで止めることは)理解できないことだ」とコメント。日本人の性格では決勝点となったカウンターを止められないと主張した。
「ベルギー戦で、私はまだベンチに座っているように、日本を応援し、期待した」と、日本を離れて4年が経過したが、いまだに愛着を持って見ていることを明かした。
さらに今回の敗戦が日本にとって失望ではなく、今後の成長につながる希望の敗戦になるという。
「この敗戦が日本にとって問題となるわけではない。日本国民の代表に向けるリスペクトと情熱は常に高く、8強に近づいたことは誇りをさらに持たせ、この敗退を最悪の事態とは受け取らずに、経験をより豊富にし、さらに向上するためのチャンスと受け取るだろう」と、日本人のひたむきな性格が日本のサッカー界をさらに押し上げるだろうと語った。」
https://www.nikkansports.com/soccer/russia2018/news/201807040000661.html

「無邪気なところ」というのは、もう少し突っ込んだ言い方をすれば「勝負弱さ」とか「厳しさの不足」といったニュアンスなのでしょうが、要は、農耕民族の日本人はキホン「お人好し」なところがあるということなのかも。狩猟民族とは本質的に違う文化・環境の中で生を営んできた日本人に「malizia(マリツィア)」を求めることはできないと。

もちろん、日本のプレーヤーにも「勝負への執着・こだわり」はあります。でも、それはあくまで、お互いが生き延びるという前提があってのことで、相手を蹴落としたり叩きのめしたりことにはならないのですね。蹴落としたり叩きのめさなければ生き続けることのできない「狩猟文化」社会においては、それもまた人間に求められる重要な資質なのだと言われてしまえば、黙るしかありません。ザッケローニは、日本代表の監督を務めている間ずっと、そうした部分を、勝負とどのように調和させるかで悩み抜いていたのでしょう。サッカーは、ほんの10秒かそこらで勝負が決まることも少なくないので、怖いと言えます。

東京湾に浮かぶ、唯一の自然島・猿島へ

2018年6月23日
今日は、太平洋戦争の悲惨さを象徴する沖縄の地上戦が終わった日。なんとはなしに厳粛な気持ちになります。それと直接の関わりはありませんが、今日、こんな話を聞きました。8月15日に日本が無条件降伏を受け入れ、その文書に調印したのは9月2日。場所は東京湾に浮かぶ戦艦ミズーリの艦上です。連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーがこの船を選んだのは、時の大統領ハリー・S・トルーマンがミズーリ州の出身だったからだそうです。しかも、同船が停泊していたのは、かつてペリーが日米和親条約調印の際に旗艦ポーハタン号を停泊させていたのと同じ位置。

それだけではありません。ミズーリ号が掲げていた星条旗は、1853(嘉永6)年、ペリーが浦賀に来航した際に乗っていた旗艦サスケハナ号に掲げられていた星条旗だったといいますから、なんとも念が入っています。日本人はすぐに歴史を忘れてしまうと言われるのに対し、アメリカ人はこういうふうにして、歴史を忘れない=風化させないようにしているのです。

今日から明日の1泊2日で、恒例の「東京明和会・大人の社会見学」。今回の行き先は横須賀で、三笠桟橋から小さな船に乗って10分ほどの沖合にある猿島がメインの目標です。ガイドさんから先の話を聞きながら、無条件降伏の署名がおこなわれた場所を見ることもできました。

猿島は東京湾に浮かぶ、唯一の自然島で、面積は横浜スタジアムのグラウンドの4倍ほど。旧日本海軍の要塞だったため、戦前は一般人の立ち入りが禁止されていたといいます。木々が生い茂る中、レンガ積みのトンネルや砲台跡などの旧軍施設が残っていました。どちらかというとマイナーなスポットでしょうが、意外や意外、若い人がけっこう来ているのには驚きます。

猿島からそろそろ横須賀に戻ろうというときに雨が降り出しました。三笠桟橋に戻り、係留されている「戦艦三笠」を見学。数年前、取材で訪れたところですが、今日はたまたまボランティアガイドさんの説明付きの時間帯だったため、たっぷり1時間半、詳しいお話を聞きながらの見学となりました。

下船したときは2時をとうに回っており、予定していた横須賀海軍カレーの昼食に間に合うかどうか。案の定、その店に行ってみると、「CLOSED」の看板が……。アチャーッとなりましたが、幹事のNくんが店主にかけあい、半ば強引にドアを開けてもらいました。そこまでした甲斐があり、おししい横須賀海軍カレーを食べることが。牛乳とサラダと一緒に食べるというのがミソのようです。かつては、ビタミン不足で死に至る海軍の兵士が多かったからなのだとか。

続いて行ったのがヴェルニー公園。構内に階段がまったくなく、改札口からそのままホームに行けるようになっていることで知られるJR横須賀駅の手前にあります。園内にはフランス式花壇や音楽に合わせて水が動く噴水、洋風のあずまやも。少しずつ時期を変えながら花開くバラの数は2000株ほど。この日も、雨の中、美しい花を咲かせているバラが数十本見られました。「日本の都市公園100選」「日本の歴史公園100選」に選ばれているそうで、海沿いのボードウォークを歩けば、潮風がさぞかし心地よいのではないでしょうか。

   

ところで、ヴェルニーというのは1865から76年まで日本に滞在したフランス人技師の名前です。横須賀製鉄所、横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックや灯台など、さまざまな施設の建設を指導し、日本の近代化に貢献した人物。その横須賀製鉄所が対岸に望めることにちなんで公園の名がつけられたそうです。

横須賀本港に係留されている船やアメリカの海軍基地、海上自衛隊地方総監部を見ながら公園を抜けたところに建つのが「ヴェルニー記念館」。幕末、同製鉄所に持ち込まれたスチームハンマー(国指定重要文化財)が保存・展示されています。そう言われても理解できない私はじめ文科系出身の仲間に、理科系出身のMくんやNくんがきちんと説明してくれました。急傾斜の屋根と石の壁は、ヴェルニーの故郷ブルターニュ地方の住宅の特徴を取り入れているのだとか。

ラグビーはやっぱり空の下がいい!

2018年6月16日
前週から次週にかけて、ラグビーのテストマッチが3試合組まれています。日本だけでなく、このひと月ほどの間は、世界各国の代表チームがそれぞれテストマッチをおこなうよう、「ワールドラグビー=WR」という統括団体がスケジューリングしているのです。ちなみに、次の予定は今年の10月下旬から1カ月間です。

前の週、日本代表はイタリア代表との試合で快勝しました。2015年のW杯で南アを破り、「奇跡」と言われてからまだ3年弱。それでも、この間に日本代表が強くなったのは誰もが認めるところです。今週もそのイタリアと対戦するというので、名古屋でのインタビュー取材のついでに、神戸まで足を延ばしてみました。

新神戸から地下鉄を乗り継いで行ったのが御崎【みさき】公園という駅。そこから10分ほど歩くと会場のノエビアスタジアムがあります。もちろん初めてなのですが、なんと、屋根が付いているではありませんか。もともとはメインスタンドとバックスタンドだけに屋根が設けられていたようですが、サッカーW杯(2002年)がおこなわれたあと、開閉式の屋根が作られたとのこと。

 

夜のゲームならそれほどでもないでしょうが、この日は日中のゲームで、外はピーカンなのに、グラウンドの上が3分の2ほど屋根に覆われていると、どうにも違和感を禁じ得ません。雨でも少々の雪でも試合がおこなわれるラグビーですが、私自身がプレーしていた時代はキホン、夏を除く3シーズン、なかでも秋から冬にかけての時期の昼間というのが常識でした。しかし、時代を経るにつれ、夜の試合も増え、季節にもこだわらなくなっています。

それでもやはり、昼間のラグビーの試合は青空の下でというのが、いまなおわたし的な常識なので、どうにも気になって仕方ありません。来年の9月26日、このスタジアムでラグビーW杯予選Cプールの「イングランドvsアメリカ」の試合を観ることになっていますが、そのときはどうなるのか、いまから気がかりです(ただし、試合は夜)。

ラグビーで室内のスタジアムというと、ニュージーランドのダニーデンという町にある「オタゴ・スタジアム(現フォーサイスバー・スタジアム)」が有名です(まだ行ったことはありません)。こちらは、ピッチの37メートル上に太陽光を通す透明の天井があり、さらにその上にも可動式の屋根が設けられている完全な屋内スタジアムで、スーパーラグビーの強豪ハイランダースの本拠地。ニュージーランドでは唯一の室内球技場で、それでいて100%天然芝といいますから、素晴らしいですね。一度、このスタジアムで観戦してみたいと思っているのですが、まだまだ先のことになりそう。ちなみに、コベルコスタジアムは日本では初めてというハイブリッド芝(天然芝96%+人工芝4%)だそうです。

東京・椎名町で見つけた“お寺カフェ”

2018年5月16日
お寺や教会の副業といえば昔から幼稚園と相場は決まっていたような気がしますが、最近はそうでもないようです。私が住む私鉄駅の隣駅(椎名町)の真ん前にある「金剛院」というお寺は、門の脇にカフェを作りました。名前は「なゆた」。「なゆた(那由他)」とは、仏典に出てくる数字の単位(ゼロが72個)で、要はとんでもなく多い数のこと。

カフェなので、ドリンク類のほかに「お寺ごはん」というネーミングのランチも提供しています。内容は「精進料理」とまでは行かないものの、「薬膳料理」に近いもの。ライスも、普通の精白米と玄米ご飯の2種類から選べます。

 

このカフェの魅力はそのロケーション。お寺のほぼ入口横にあり、床から天井まで窓が大きく取られています。前には、こぎれいに整えられた庭園が広がっており、奥のほうに本堂が見えます。さほど広くはありませんが、食前食後に園内を歩いてみるのもいいですし、食べながら飲みながら四季の花々や木々を愛でるのもよし。テーブルや椅子も天然木の風合いで、すわっただけで落ち着いた気分になれます。私が行ったのは3日前の日曜日でしたが、ちょうど正午過ぎだったこともあり、ほぼ満席。今月開店したばかりだというのに、近頃の情報の早さはすごいですね。

そういえば、都心の神谷町には、僧侶がウエイターをし、ときには悩み相談にも応じてくれるお寺があることを思い出しました。いな、それよりもっと前から四谷3丁目には「坊主バー」というバーがありましたね。僧侶がバーテンをしているというだけで、メニューとかは普通のバーと一緒。違うのは、店の奥に仏像が安置してあり、お香が焚かれていることくらい。できた当時は話題になり、私も一度行った記憶があります。ただ、その後すっかりウワサを聞かなくなったので、とっくの昔につぶれたのかと思っていましたが、いまでも健在のようです。

バーはともかく、“お寺(または神社)カフェ”というのはけっこう全国あちこちにあるようで、
先月訪れた香川県・金刀比羅宮参道の脇にある「神椿」も、“神社カフェ”と言えなくもありません。私は階段を歩いて上るのを避けるために利用しただけですが、そうした不埒な理由でなく入っている人もいそうです。

ところが今朝、たまたま見たテレビ番組で紹介されていたロンドンの「教会カフェ」にはたまげました。シティ(金融街)にある「聖メアリー・オルダーメリー教会」がそれで、350年ほど前の創建だといいます。しかも、ここは建物の一部とか敷地の一角というレベルではなく、教会がそっくりそのままカフェになっているのです。聖堂(お寺でいうなら本堂)内には信者がすわるベンチのような椅子が何列も並んでおり、そのベンチの間に小さなテーブルが置かれています。また、聖堂の扉を開けてすぐのところにあるけっこう広いスペースにもいくつかテーブルが(ネットにアップされている写真を転載しておきます)。

 

 

メニューは食べ物がスープとパン、あとはコーヒーなどの飲み物だけのようですが、持ち込み自由なので、近くの金融機関に勤める人たちも自由に出入りしている様子。教会側としては、訪れることのない人にも教会に親しみを持ってもらいたいというのが狙いだそうです。カフェの売り上げは修繕費や地域のボランティア活動の一助に回されています。今度ロンドンを訪れたとき、ぜひ足を運んでみたいと思いました。

ちなみに、「金剛院」の場合、カフェの入っている建物の2階に集会所のようなスペースも併設されているらしく、そこではヨガ教室やがん患者の心のケア講座など、さまざまな催しがおこなわれているようです。社会における宗教施設の存在意義を考えさせられました。

待ちに待ったサンウルブズの初勝利!

2018年5月12日
2月のスーパーラグビー開幕以来、ここまでなんと9連敗を続けていたわがサンウルブズ。今日の国内最終戦でようやく今季初勝利をあげました。相手はレッズ(ブリスベン)、スコアは63対28ですから、快勝といっていいでしょう。ファンのだれもが「最初からこういうゲームをしてほしいよなぁ!」と思ったのではないでしょうか。

もちろん、日本国内ではこのゲームが今シーズン最後で、ここらでいいとこを見せとかないと……という選手・チームの強い思いもあったにちがいありません。ただ、それにしても長すぎますよね、3カ月は!

日本代表チームも外国人選手が多いのですが、サンウルブズとなるとその比率はもっと高まります。ラグビーのナショナルチーム代表資格の規定がちょっと複雑なせいもあるのですが、ナショナルチームではないプロ球団となると、ややゆるやかなので、こうした現象が起こります。ただ、「外国人」といっても見かけのことで、日本国籍を取得している者もいれば国籍は持たずとも日本語ペラペラの者も。

この日の試合は、今シーズンからサンウルブズに加入したリーチマイケルが7週間ぶりに戦列復帰したことで、核ががっちり固まった感じを受けましたし、姫野和樹(トヨタ自動車)の素晴らしい動き、好判断も光りました。ヘイデン・パーカーがプレースキックを100%成功させ、5ゴール(コンバージョン)+7PGと31点をたたき出したのも大きいですね。トライも1本決めているので合計36点。得点の半分以上を一人で稼いだことになります。

来週は香港でのホームゲームで、相手は南アフリカ・ケープタウンのストーマーズ。ここで勝つことができれば、かなり勢いがつくのではないでしょうか。ぜひ、素晴らしいゲームを見せてほしいものです。昨シーズンまでほぼ同じランキングだったアルゼンチンのジャガーズが今期はめっぽう頑張っているだけになおさらです。

「吉田茂」漬けの1日に興奮!

2018年4月1日
いまやすっかり恒例行事となった、高校の同期生による社会見学。今回はおととい(3月30日)から2泊3日のスケジュールで、私以外の6人は箱根で1泊。残念ながら私は2日目(3月31日)からの参加になってしまいましたが、それでも夕方訪れた「旧吉田茂邸」はよかったです。

IMG_E3753実はこの日の昼前、九段下にある九段坂病院まで友人の見舞いに行きました。そのあと集合場所の大磯まで列車に乗るため東京駅まで行くことにしていたのですが、天気があまりによく、歩きなさいなと言わんばかり。そこで、九段下からお濠沿いを、途中から北の丸公園、さらに皇居東御苑と歩きました。清水門から北の丸公園に入ってしばらく歩くと、吉田茂の銅像が立っています。今日の夕方「旧吉田茂邸」に行く身にとっては、これは無視できません。近づいて写真を撮りました。

 

東京駅から大磯までは約1時間。駅の改札でほかの6人と合流し、バスに乗って城山【じょうやま】公園で下車したところに「旧吉田茂邸」があります。数年前火事で全焼したものをその後再建したのですが、まわりの庭園は往時のまま。歩いてみると、ここにも吉田茂の銅像があるではないですか! こちらは北の丸公園のそれと違って、和服姿、手にはトレードマークだった葉巻を持っています。海をバックに立つ銅像の吉田茂の目はサンフランシスコの方角を向いているとのこと。太平洋戦争後の講和条約にサインしたのは吉田ですから、なるほどです。

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「旧吉田茂邸」をあとにし、茅ヶ崎まで戻って夕食。これでいちおう見学会の全日程は終了。ただ、そのあとの「もう1泊」が盛り上がるのですね。江の島までタクシーで戻り、駅前のコンビニで酒やつまみをしこたま買いました。

そして、飲みながら、また交代で風呂につかりながら、テレビのスイッチを入れると、NHKが2週連続で放送していたドラマ『地図に出ていない国』の後編が始まりました。参加者7人のうち、前篇を観ていたのは3人でしたが、せっかくなので後編も観ることに。ところが、その中になんと吉田茂が登場したのです。

IMG_E3823このドラマは終戦後、ソ連が占領した旧満州にいた日本軍兵士や、移民で現地に行っていた民間人、合わせて150万人ほどが悲惨な状況に置かれているので、彼らを1日も早く故国へ帰してあげたいと行動を起こした日本人3人の物語。それを実現するため、3人がひそかに日本に戻って、進駐軍GHQのマッカーサー元帥と交渉するのですが、それを陰で支援したのが吉田茂だったのです。画面に登場した吉田茂を見て、私たちのテンションも上がりました。それはそうでしょう、夕方まで吉田茂の居所にいたのですから。私なんぞは、朝、昼、夜と1日に3回も吉田茂と出会ったわけで、興奮しっぱなし。まあ、そのわりには夜グッスリ眠りましたが(笑)。世の中、こんな不思議なこともあるのですね。

今日もまた丸一日、ずーっと「研修」

2018年3月26日
昨日は帰りの高速道路が渋滞し、帰宅したのは夜10時を過ぎていました。しかし、今日もまた丸一日お勉強=「知求アカデミー オープンカレッジ」。テーマは「スペイン」「フランス」「世界のお祭り」「インスブルック(オーストリア)」の4つ。旅行会社の主催とあって、内容のベースはすべて「旅」です。

会場は重要文化財でもある目白の「明日館」。フランク・ロイド・ライト設計の瀟洒な洋館の前には大きな桜の古木がそびえ、前の通りを歩く人々の目をなごませてくれます。前はこのすぐ近くに私の仕事場があったのですが、移転してから久しぶりで訪れました。「明日館」の中に入ったことはありますが、今日は講堂にまで入れる貴重なチャンスで、楽しみにしながらやって来ました。

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講座のほうは非常にためになるものもあれば、全編これコマーシャルといった感じのものもありましたが、メインの目的は正直、「桜+明日館」だったので、まあよしとしましょう。それでも、この夏行くことにしているインスブルックの話はとても役に立ちました。

 

 

かつて2度も冬季オリンピックを開催したインスブルックは、ずっと前から一度行ってみたいと思っていた町です。そこに、この8月、8日間滞在するという、一風変わったツアーを申し込みました。夢のような話ですが、この町をベースに、近辺に集中する冬季オリンピック開催地(シャモニー、アルベールビル、グルノーブル、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、サンモリッツ=こちらは2月に行きましたが)を見て回る旅は、10年以上前から抱いていた願い。その一部が今夏やっとかないそうで、いまから興奮しています。

 

体力が要る(!?)BEGINのコンサート

 

2018年3月22日
四半世紀以上前に一度だけ入ったことがある東京・渋谷のNHKホールでBEGINのコンサートがありました。ちょうど2年ぶり、通算6回目ですが、相変わらずの人気で、子どもから70歳をとうに過ぎていそうなおじい・おばあまで、幅広い年齢層のファンが場内を埋め尽くしています。

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最近のBEGINは、私たちになじみ深い彼ら自身のヒット曲もさることながら、「マルシャ」がメインといってもいいほど。この日も第2部は全編「マルシャ」で、私たちは1時間半ずっと立ちっぱなし、というか踊りっぱなし。

ブラジルの「サンバ」の起源という「マルシャ」は2拍子。勘のいい人なら、「マルシャって、英語のマーチ(march)=行進のことじゃないの?」と想像されるでしょうが、そのとおりで、「march」はポルトガル語(ブラジル語)」で「marcha(マルシャ)」です。行進曲と同じ2拍子なので親しみやすく、聞いているだけで自然に体が動きます。たしかに、リオのカーニバルでも流れているのはこのリズムでした。

聴衆全員が席を立ち、BEGINの奏でる内外の名曲メドレー(それがすべて「マルシャ」アレンジ)に合わせて体を動かします。途中ほとんど休みもなく、「ランナーズハイ」にも似た感じで、とても心地がよく、体にもよさそう。でも、これほど体力が要る(?)コンサートはBEGINくらいのものでしょうね。

2戦目の「サンウルブズ」は……

2018年3月3日
開幕戦よりさらに観客が減った(11181人)第2戦。今日の相手はメルボルンからやってきたレベルズです。日本代表のFWアマナキ・レレィ・マフィー(トンガ出身)が所属しているチームですが、対戦は1年目の第3戦以来。このときは9対35で敗れています。さて、今年はどうでしょうか。少しでもスコアを縮めることができるか、楽しみにしながら観に行ってきました。結果は、残念ながら17対37で負け。

今日の試合は、緒戦とメンバーがかなり変わったものの、同じチームなのかと目を疑いたくなるくらい、アタックのレベルが落っこちていました。前半のトライは、サンウルブズあるいは日本代表がよく喫するインターセプトからのトライ。見ていていちばんしらけるというか、情けない(今日は逆で、ラッキー!)と思えるトライです。しかし、その後は攻撃がまったくと言っていいほどつながりません。それでもなんとか10対10のタイで前半を折り返します。

しかし後半になると、開始12分ほどの間に立て続けに3本もトライを奪われるなど、泣きたくなる展開に。また、前半から引き続きケガ人が続出、3選手が脳震盪の疑い(HIA=Head Injury Assessment)で一時退場したのですが、結局全員そのまま復帰できず、交代となってしまいました。うち一人は、私たちが昨年チリのサンチアゴ空港で一緒に写真を撮ってもらったサム・ワイクス(ロック)、もう一人は家人が好きな山田章仁(ウィング)で、この先が心配です。

とにかくノックオンは多いし、スクラムは不安定。ひどかったのはラインアウトで、マイボールを奪われることもしばしば。こうまでボロボロでは勝てるわけがありません。こんな状態で来週から南アフリカに遠征するのですが、片目が開くのはいつになるのでしょうか。

「熊楠」の次は「熊谷」!?

2018年3月2日
私の住む東京・豊島区に「熊谷守一美術館」という、小さな美術館があります。もともと熊谷の自宅だった家を建て替え私設美術館としてオープン(館長は次女の熊谷榧)しましたが、2007年11月から豊島区立となったそうです。住宅街のただ中にあるので地味な感じがしますが、彼のファンがあちこちから訪れているようで、以前から気に懸かっていました。

今年はその熊谷守一没後40年。それにちなんで、『熊谷守一 生きるよろこび』と銘打たれた展覧会が竹橋の「東京国立近代美術館」でおこなわれているというので、足を運んでみることに。

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広い会場には、驚くほど多くの人が来ていました。展示点数も200近く、東京美術学校時代から亡くなる直前まで、ほとんど全作品が網羅されていたようです。客の数もかなりのもので、こういう場にいると、私たちの世代はホント元気で活動的なんだなと、つくずく感じます。

 

 

IMG_1776「明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られ……特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています」と「西洋近代美術館」のwebサイトにもありますが、初期の陰鬱で暗い作品群とは真逆と言ってよい、晩年の明るく楽しい作品が数多く展示されていました。もともと理科系的な頭脳の持ち主だったようですが、年老いるにつれて、シンプルながら緻密に計算された、それでいてほのぼのとした雰囲気もただよう絵を描いた熊谷守一。めっぽう若い感性の持ち主だったことが想像できます。若い女性にウケているのも、それが理由でしょう。