ついに我が家にもコロナの波が!!

●先週土曜日(8/20)の夕方から家人が発熱、翌朝自宅で抗原検査をしたら陽性。これはヤバいということで病院で診てもらおうとしたのですが、日曜日のためかなわず、結局月曜日に。念のため朝イチで抗原検査をしたらやはり陽性。娘があちこち当たってくれ、ようやく自宅近くのクリニックで予約が取れました(テレビによく出ていた東京都医師会会長の先生のところ)。


●改めてPCR検査を受けるまでもなく、自宅でやった抗原検査の結果だけで即「アウト」の診断。高齢者・高血圧・高血糖ぎみと、重症化リスクがそろっているため、それを抑える薬をもらいました。おかげで徐々に体温も下がり、喉の痛みも緩和しつつあるようです。ワクチン接種を4回受けていたのがよかったとのこと。


●濃厚接触者の私と、同居の娘・2人の孫も月曜日の昼前PCR検査を受けたところ、全員陰性でほっとしました。ただ、3年ぶりの開催で楽しみにしていた8/28の「琉球フェスティバル」@日比谷野外音楽堂、8/29〜31の夏季研修会@都わすれ(秋田県)には行けなくなり、家人はガックリ。私も「琉フェス」はあきらめました。8/21のNHKのど自慢@石垣島に、BEGINと夏川リミが審査員で出ていたのがせめてもの慰めでしょうか。


●そんなことで気持ちも下向きになりかけていた昨日(8/23)、素晴らしいニュースが。「北前船フォーラム」のパリ開催(10/17〜20)が正式発表となり、新聞(といっても地方紙ですが)にも報じられたのです。(https://www.sanyonews.jp/article/1299619)。北前船がなぜパリで? についてはFBでおいおいお伝えするとして、とりあえず大きな楽しみができ、ありがたい限り。これから先2カ月、コロナに感染しないよう、細心の注意を払いながら過ごすことにします。(2022/8/24)

人混みのない軽井沢で買い物、酷暑の群馬でゲルニカを鑑賞

●3日間はあっという間。ただ、一度も渋滞に巻き込まれなかったおかげで、どこに行ってもサクサク動けました。最終日はまず軽井沢に立ち寄り。まだ休み前で、人の出もそこそこ。ジョン・レノンが大好きだったというパン屋さんでは家人お気に入りのアップルパイとフランスパンetc. ハム&ソーセージ屋さんでもすんなり買い物ができました。


●軽井沢に別れを告げ、次の目的地・群馬県高崎へ。娘と孫2人の希望を容れて、地場の焼肉チェーン店でランチです。いまや日本一暑い群馬県とあって、車のドアを開けたとたん目がくらむような熱気が。念のため予約を入れておいたのですが、大正解でした。


●食事のあとは最終目的地の県立近代美術館。お目当ては、世界に3点しかない『ゲルニカ』のタペストリーです。光による劣化を防ぐため、1年のうち展示できる期間が限られているため、今年の展示も2カ月間。せっかくの機会なので、2人の孫の夏休み自由研究のテーマにしたらとの思いからですが、はてさて採用してくれるかどうか‥‥。見終わるまで、”パプリカ・ピカソのゲロニカ”などと言っていましたからね。


●3日間の夏休みは日取りがよく、どこも混んでいなかったせいもあり、疲れずに済みました。休んで疲れるのは最悪です。日本ではお盆の時期にしか休みが取れない人が大半ですが、いかにそこを外すか。それさえクリアできれば、本来の意味での「休み」になるのでしょう。(2022/8/11)

添加物なしの自家製ハム、ソーセージを売っています。
人通りのない写真が簡単に撮れました。
このアップルパイ、シナモンが薄めで、わたし的には最高! しかも安い!
美術館のある「群馬の森公園」。
暑かったせいか、人の姿はまばら。
余裕ある空間は、最近の美術館の特徴かも。

©NHK 8/13の昼間、NHK-BSプレミアムで「ゲルニカ」が取り上げられていました。

イタリアンを食べたら、泊まっているホテルもそれっぽく?

●黒部ダムで1時間半たっぷり楽しんだあとは━━。時間はまだ11時。地図をチェックしてみると、1時間足らずで行けそうなところに、ワサビで有名な安曇野[あずみの]が。そのすぐ近くにイタリア料理の店もあるとわかり、まずはそちらに向かいました。


●行ってみると、またまた予約で席が埋まっていたので、先にワサビ農園へ。入場無料のせいもあってでしょう、たいそうにぎっていました。駐車場で車のナンバープレートを見ると、首都圏・東海・関西と各方面から。ワサビが植えられた田んぼは時節柄ビニールシートで覆われていましたが、体をかがめると、冷たい水の中でみごとに成育しているのが見えます。


●レストランに戻り、用意しておいてくれたテーブルに。前日のそば屋さん同様、素材も味も素晴らしく、それでいて値段は東京の半額といった印象。アトホームな接客とあいまって、心地よい時間を過ごせました。アルプスに近いイタリアのドロミーティ地方を思わせる外観もよかったです。


●私たちが泊まっているホテルの難点は食事。朝夕ともバイキングなのですが、メニューが和と中華に偏っていて(味はまずまず)、洋ものがほとんどないのです。それはともかく、エントランス周辺は丹念に手入れされたさまざまな花が配され、夜など、ヨーロッパのリゾート地かと錯覚しそう。ま、イタリアンを満喫できたおかげかもしれません。(2022/8/10)

黒部ダムがこんなに近くにあったとは!

●今回は白馬に2連泊。しかも温泉付きなのでゆっくりできそうだと期待していたのですが、日本人の習い性というか、ボーッとして過ごすことができません。2日目の今日は県境を越え、富山県の黒部ダムに行くことに。白馬村は長野県のほぼ北西端にあるので、黒部までは40分ほどで行けてしまうのです。
●旅の情報集めの落とし穴は、メインの行き先にしか注意が向かないこと。黒部は30年ほど前の夏休み、家族で旅しましたが、そのときも白馬がこんな近くにあるなどということはまったく意識しませんでした。今回はその逆というわけですが、ネットに頼ることが多い最近は、その傾向がさらに強まった気がします。点には強いが面には弱いデジタルの落とし穴かもしれません。
●たとえば鹿児島県に行ったとしましょう。この県は北が熊本県、東北が宮崎県と接しているのに、観光地図を見ると、鹿児島県内のことは詳しく出ていても、県境の先は真っ白。「えーっ、ここから先は何もないワケ?」と言いたくなりますよね。なぜか、全国どこに行ってもこのパターンは変わりません。
●名古屋出身のせいか「ついで」「おまけ」が大好きな私。仕事でどこかに出張すれば、近くのどこかに立ち寄って息抜き・遊びをくっつけるのがほとんどクセになっています。身近に地域限定的な情報しかないと、”ついで・おまけ探し”に時間とエネルギーを割かなくてはなりません。もっとも、それがまた旅の大きな楽しみでもあるのですが。(2022/8/9)

日が出ていたので、ダムの放水と虹が重なりました。
こんな険しいところによく造ったものです。
白・青・緑がそれぞれ強烈に自己主張。
最近、新しい車体が導入されたようです。
人工湖を遊覧船で巡るのはパスしました。

夏休み──信州も、この日は暑かった

●8/8〜10の3日間、コロナ禍のまっただ中ですが、レンタカーで娘一家と信州の白馬村へ夏休み旅行に。お盆休みにはちょい早く、高速道路もスイスイ、上信越自動車道長野ICで降りたのは11時半でした。さぞかし涼しかろうと期待していたのですが、あにはからんや軽く30℃超え。こうなると、日本列島全体がレンジの中といった感じでしょうか。


●さて、信州初日の昼食はやはりそば。店に入ろうとすると、「ご予約は?」とたずねられドキッ。まだ11時半過ぎだというのに、私たちが入って席がほぼ埋まりました。写真のそばランチ(天ざる+炊き込みご飯+小鉢)は味よし・量よし・値段よしで900円と、コストパフォーマンス抜群。ひっきりなしにお客がやってくるのも納得です。


●白馬は、すぐ近くの八方尾根で40数年前スキーをしに来て以来ですが、この季節は初めて。ロープウェイで15分登ったところにある展望台からは北アルプスの山々が間近に見えます。ただ、雲が少し多かったのが残念。その分暑さも多少やわらいでいたのは不幸中の幸いというか。


●ふと下を見ると、展望台のすぐ横にパラグライダーのテイクオフ地点が。最近、シロウトがドローンを使って撮った写真をよく見かけます。たしかに、360度パノラマ、それも三次元とあっては、気持ちをそそられそう。人生一度でいいから”鳥人間”になってみたいと思っているのですが、「やめたほうがいいんじゃない」と家人に言われ、今回もパスとあいなりました。(2022/8/8)

充実した内容に感動です。

店構えはごく普通。

そば屋さんの店先に成っていたのはカリン。
北アルプス最北部に連なる八方尾根の山々。
テイクオフ寸前のパラグライダー。

オオチダケサシ。初めて見ました。
山地の草原、丘陵地などに自生するオオバギボシ(大葉擬宝珠)。
こちらはマルバタマノカンザシという花だそうです。

竿燈は静かな祭━━と思っていましたが、どうしてどうして

●8月3〜5日は秋田県へ。竿燈まつり・さんさ踊り(盛岡)の時期と重なり、新幹線は満席です。そのうえ秋田県内に大雨が降り、盛岡から秋田に向かう「こまち」が運休に。盛岡駅前で、2泊する田沢湖の旅館が差し向けてくれたバスを待っていると、雨上がりの青空に岩手山がくっきり見えました。


●バスで1時間半、県道から脇にそれ、片側が高い杉、逆サイドが断崖絶壁の細い道を抜けると宿に到着。このあたりの空は、人里離れた山間[やまあい]に似つかわしく、”透明度100%”。その空に向かってそそり立つ木々の凛とした緑に、こちらの気持ちもさわやか度100%。


●4日の夜は秋田市で竿燈まつりを楽しみました。以前中国の大連で開催されたイベントで見たことがあるのですが、それは昼間で、しかも郊外の公園。でも、夜、都会の真ん中で繰り広げられる本来の竿燈はまったく別物でした。50個ほどの提灯をつけた、高さ12mの竹竿が一人の手、肩、腰、額に乗せられ屹立する様は、激しい動きこそありませんが、スリリングで迫力満点。


● 竿燈は静かな祭といったイメージがあったのですが、実際その場に身を置いてみると、その間違いに気づきました。時間の経過とともに気持ちがどんどん高揚、ずっとその場にいたくなるのです。演じる側のエネルギーが見る側にも伝わり、両者が一体となってそれがさらに強まるのでしょう。病魔や邪気を払う厄除け、五穀豊穣という地上の願いを天に伝える竿燈の意味合いを実感できました。(2022/8/6)

盛岡駅の連絡通路から岩手山をのぞむ。
雫石あたりを走るバスの中から。
地元の人も、こんなくっきりとした姿はなかなか……と語っていました。
バスの窓から見上げると。
2本の竿燈が連携して。
風にあおられ倒れてしまうことも。
繰り出した竿燈は280本。

港と道路が消えたら、どんなに栄えた街もパワーを失ってしまう

●羽州街道━━。名前はともかく、どこをどう通っているのか、正直ほとんど知りませんでした。でも今回、1週間かけゆっくり走り抜けてみると、穴場というか、名前は知られていなくても一見の価値があるスポットが点在していることがわかりました。最後の宿泊地・弘前を出て向かった黒石市もその一つ。羽州街道の宿場ではありませんが、小さな城下町としてにぎわっていたようです。


●往時の面影を残すのが中町こみせ通り。「こみせ」とは、両側に並ぶ店が、雪が降ってもお客が楽に出入りできるように、道路との間に作った、いまでいうアーケードのこと。道路と接する部分にも防雪用の板を立てるなど、こまやかな気遣いが行き届いた街並みは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。


●津軽三味線の演奏会などさまざまなイベントを催すなどして集客を図っているようですが、ひっそり感は否めません。知名度がいまひとつなのは、宣伝力が弱いのかも。でも、「津軽の三ふり(①えふり=いいふり・いいかっこする②へふり=ないのにあるふりをする③おべだふり=知ったかぶりをする)」からすると、そうでもなさそうな気もするのですが。


●ツアーのゴール油川宿は、羽州街道の終点であるとともに松前街道の起点。しかし、明治に入って新しい道路が作られて以降はすっかりさびれてしまいました。北前船でにぎわった港も青森に一本化され、いまでは「羽州街道 松前街道 合流之地」と記された碑と、黒石と同じような「こみせ」を残す蔵元(元は近江商人)が当時をしのばせるくらいです。海上交通の重みを改めて実感した次第。(2022/7/27)

朝ご飯をもう一度、ならばもう一泊。な〜んて旅があってもいい

●ツアー最終日は弘前泊。有名なのにさほどにぎにぎしくない駅前に建つシティホテルでした。東京あたりなら”過去の遺物”扱いされそうなフツーの外観。でもこれが大当たり! 朝食がずば抜けて素晴らしかったのです。

●ホテルの朝食というと、国内外を問わずバイキングが標準仕様。ただ、ヨーロッパでは、それぞれの国・地域・都市の個性がよく出ていて十分楽しめます。ここも同じで、地元で獲れた旬の野菜・果物、肉、乳製品を駆使したメニューが多彩(ガーリック豚の極上ハム、ほたてとリンゴの炊き込みご飯、板きり麩すき煮仕立て、いがめんち、若鶏の源たれ焼き、けの汁など)で、どれを皿に載せるか迷いっぱなし。1回(1泊)ではとても食べきれません。


●日本の観光地が海外のそれと決定的に違うのは、「滞在」「連泊」を想定していないこと。休暇は英語でvacation、フランス語ではvacanceですが、どちらも、ラテン語で「空っぽ」を意味する vaco に由来しています。体も頭も空っぽにするのが休暇の本来の目的なのでしょう。それには、何もせずにぼーっとしているのが一番。でも働き者の日本人は、そんなふうに時間を過ごすと罪悪感にさいなまれてしまうのかも。


●旅に出ると、1日目はここに行って、2日目はああしてこうして……と目いっぱい詰め込まずにはいられない、なんとも悲しい性[さが]というか。当然、同じところに何泊もしてのんびり、などという発想はありません。ようやくここ数年、欧米風の休み方に合わせたホテルや旅館、あるいはツアープランも現れ始め、個人的にはとてもうれしく思っています。ここの朝飯を食べたいからもう1泊━━そんな旅があってもいいですよね。(2022/7/24)

コロナ禍で海外の観光客が来なくなったらお手上げ、では情けない

● ツアー6日目は、大館宿からバスで30分、青森県との境にある矢立[やたて]峠から。標高258mとさほど高くはありませんが、天然の秋田杉の間を縫うように作られた遊歩道はまさに昼なお暗き態(てい)。吉田松陰、前田利家、伊能忠敬、高山彦九郎、明治天皇、大久保利通、イザベラ・バードなど、歴史にその名を残す人たちもこの地を訪れています。


●峠を下ったところにある碇ヶ関[いかりがせき]は江戸時代、箱根より厳しい取り調べがおこなわれた関所といいます。ここを抜けると温泉とスキーで有名な大鰐[おおわに]宿。一時は熱海と競うほどのにぎわいを見せていたようですが、いまその面影はまったくなし。


●コロナ禍の前は、全国の観光地の多くがインバウンド(といっても、そのほとんどは中国から)需要の恩恵に浴していました。さほど努力をしなくても次々やってくるツアー客に浮かれていた業者も少なくなかったはず。それがもう2年以上もストップしているのですから、沈没していくところがあっても不思議ではありません。


●インバウンドの中でもお金持ちに狙いを絞っていたところもあります。いまは国内の富裕層が相手なのでしょうが、1泊2食付きで1人5〜10万円もする旅館やホテルを利用する人がそれほどいるのかとなると。まして観光地としては地味な北東北ですし。「旅」に求めるものがますます多様化しているいま、どこまで創意と工夫を凝らせるかが、これからの浮沈を左右しそうです。(2022/7/23)

鳥居のない神社に仰天、大館市役所の新庁舎に感動

●前夜は秋田に泊まりましたが、同じ時間帯に同じホテルを東京の知人が仕事で訪れていたのをFBで知りびっくり! こんなこともあるのですね〜。ホテルの真ん前は久保田城のお堀。早起きして、蓮の花を観に行きました。あと10日もすればお堀の水面が見えないほど満開になりそうです。


●5日目最初の訪問地は、男鹿半島から少し東にある五城目〔ごじょうめ]町。以前住んでいた豊島区に同じ名前の秋田料理店があり、地名は知っていました。城と朝市が有名なようで、今回の目的はその朝市。有名な輪島にはかないませんが、500年以上も前から続いているのだそうです。ただ、この日は平日、それに雨模様の天候も災いし、客は私たち一行だけ。救いは”観光毒”にさいなまれている風が一切ないこと。


●午後は男鹿半島へ。おもしろかったのは、なまはげ館と隣り合わせの真山[しんざん]神社。当初は神を祀っていましたがその後仏教寺院が併設され、明治初めの神仏分離令により神社に戻ったようです。仁王門はあっても鳥居はないまま。皆さん、どこに向かって手を合わせたらいいのかとまどっていました。


●宿泊地の大館は、一昨年10月に訪れたばかり。夕方フリーの時間があったので、完成して間もない市役所新庁舎を訪問、見学させてもらいました。木の温もりを生かした、素朴ですが心地よい空間に感動。夕食は前回と同じ店でしたが、季節柄きりたんぽ鍋ではなく、料理長が腕によりをかけたメニューを堪能。なかでも南瓜スープ、金目鯛枝豆焼き、リンゴ釜グラタンは出色でした。ちなみに、きりたんぽ鍋はこの店で生まれたのだそうです。(2022/7/22)

落ち着いた空気に心が休まるのは、歳を取った証拠!?

●最上川の舟下りを終えた日の宿は新庄。山形新幹線の開通を機に新駅舎ができ、周辺を大々的に整備、ガラス張りの巨大な地域交流施設も建っています。ただ、利用しているのは高校生ばかりで、駅前の商店街は人っ子ひとりいません。人口減に歯止めがかからない地方都市の、ある種典型的な姿を呈しています。


●ツアー4日目、最初の訪問地は山形県最後の宿場となる金山[かねやま]町。二度目の訪問ですが、「美しいまちなみ大賞」に輝いている心地よい空間に改めて感動。当地特産の杉で造った木造の橋から川や山々を見ているだけで、ほっこりした気持ちになります。


●秋田県に入り八代目佐藤養助総本店の稲庭うどんでランチの後、前総理の故郷でもある湯沢を経て「蔵の町」増田(横手市)へ。旧羽州街道の両サイドには、家の中に蔵がある大きな商家(奥行き110〜120m!!)がズラーっと建ち並び、重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。吉永小百合が出ていたJR東日本のCMをご記憶の方もいるのではないでしょうか。


●それにしても、蔵の規模、お金のかけ具合には驚くばかり。いま実際に人が暮らす家の中にあり、しかも使われているので、ホコリっぽさとは無縁。金山町もそうでしたが、いかにもそれっぽいカフェとか安直な土産物店もなく、ゆっくり落ち着いて楽しめる観光地といえます。早い話、それだけ歳を取ったのかも。(2022/7/21)

羽州街道の旅ならでは!? まだまだある未知の観光スポット

●昨夜の泊まりは山形宿。花笠まつりのパレードがおこなわれる通りに面したホテルでした。早朝近くを散歩すると、宿場町だった頃を彷彿させる風情の建物に遭遇。山形県には明治期に建てられた洋風建築物もあちこち残っていますが、その多くは三島通庸の推進した建築土木政策の所産のようです。


●山形をあとに、次に訪れたのは寒河江[さがえ]宿の慈恩寺。天平18(746)年、聖武天皇の勅命でインド僧婆羅門[ばらもん】が開山したと伝えられる古刹です。江戸時代は幕府の保護を受け、東北随一の大寺院として栄えたとのこと。1300年もの長い歴史の中で数々の文化財が残されており、国指定重要文化財も多数あります。


●この寺の存在はまったく知らず、いまさらながら自身の不勉強を恥じいったしだい。とくに素晴らしかったのは、個性的な姿・表情をした仏像の数々。弥勒菩薩、釈迦如来、薬師如来、聖徳太子立像、十二神将立像(重要文化財)など多くが木掘りで、それがまたなんとも言えない柔和さを強調しています。


●午後はこの地域の名産・紅花を見て楽しむ設定。しかし、6月の異常な暑さもあってか、例年より半月早く散ってしまったよう。そのあと行った最上川三難所舟下りも、前日の雨で水量が増したため難所を示す岩がすっかり姿を消し、スリルを味わう楽しみは”日散雨消”とあいなりました。桜とか紅葉を楽しむのがテーマのツアーは、時の運に左右されるきらいがあるのが悩ましいですね。(2022/7/20)

雨の山寺にはお手上げ。それでも……。

●「羽州街道の旅」初日は福島駅からバスで15分ほど、皇室献上桃の産地・桑折[こおり]が出発点です。この地で奥州街道から分岐する脇往還[わきおうかん]なので、東海道や中山道ほどメジャーではありません。宿場の名を聞いても知らないところばかり。


●そんな中、1泊目の上山[かみのやま]宿は、以前”日本一おいしい芋煮を食べる会”のイベントで泊まったこともある町。宿場町でありながら城下町、しかも温泉まであるというレアな存在なのだとか。有馬屋、しまづなどの名を冠した旅館があるのは、明治初期に県令(いまの知事)を務めた薩摩藩士・三島通庸[みちつね]との縁でしょうか。”土木県令”とも呼ばれ、県内の道路・橋梁・トンネルなどインフラ整備に辣腕をふるった三島ですが、サクランボ栽培の普及にも貢献しています。


●しかし、この日の焦眉はやはり立石寺[りっしゃくじ]。別名を山寺というように、頂上近くの奥之院までは1015段。根本中堂から始まり、途中、開山堂、納経堂などいくつかのお堂や仁王門、松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」を詠んだ場所も。1時間半かけて登りきったのですが、ひどい雨で、全身ほとんどずぶ濡れになりました。


●山の上からの景観どころか、見えたのは雲と霧のみ。それでも、達成感はひとしおで、天に少しでも近づきたいという人間の本性に偽りはなさそうです。それに加え、登り口にある売店で食べたさくらんぼソフトクリームのおいしかったこと。これも三島通庸のおかげでしょうか。せっかくなので一句。
 山寺の雨もかなわぬ桜桃━━(笑)。(2022/7/19)

大きな仕事にひと区切り。7/18から長めの息抜き旅です

●ここ2週間、リフォーム工事もありほとんど缶詰め状態だったため、仕事には集中できました。いまだかつてないボリュームの本の編集を仰せつかり、なかなか前に進めずにいたのですが、思わぬ形で最後のスパートがかない、ひと区切り。もちろん第二ラウンドが控えてはいるのですが、まずはほっとしました。


●この2年半コロナ禍もあり、それまでは”日常”だった国内外の旅がほほストップ。あるのは家事の手伝いと仕事だけという状態が続いていましたが、時間がたっぷりあるからといって仕事がはかどるわけではありません。私の場合ある程度時間を限らないと、かえってダラダラしてしまうのです。たまたま、明日から1週間旅に出る予定を組んでいたので、それが効いたのでしょう。


●仕事の対極にあるのは遊びと、よく言われます。なかには、来る日も来る日も、朝から晩まで仕事に励む人もいます。でも、休みや遊びが適当に混じり合っていてこそ仕事もはかどり、しかもそのレベルも上がるというのが私のパターン。そのメリハリをうまくつけられるかどうかが、私のような自由業の者には大事だと思っています。


●自由業の定義は「一定の雇用関係によらず、また時間に束縛されることもなく、独立して営む職業」。なんだかいいことずくめのようですが、そこには先のような落とし穴も。コロナ禍がなければ、いまごろはアメリカのオレゴン州ユージーンで世界陸上を楽しんでいるはずでした。今回それはかなわなかったので、せめて18日から出かける「羽州街道の旅」で憂さ晴らしをしようかと思っています。(2022/7/18)

神戸元町で過ごした濃厚な15時間

●旅に出ても、朝5時過ぎには目が覚めます。朝食までの時間があったので、ホテルの回りを歩いてみました。場所は神戸の元町、明治時代初期の外国人居留地です。元の姿をとどめている場所は数えるほどしかありませんが、それでも多少は往時の匂いをとどめているような気がします。

●急な用件があり、兵庫県の加古川まで行ったのは昨日。夕刻神戸まで戻り、旧友と会いました。東京ではなかなか食べられないビフカツをリクエストしたところ、連れて行ってくれたのが地元では名の知れた洋食屋さん。関西で”肉”といえば牛肉のことで、「カツ」は牛カツ=ビ(ー)フカツを指すようです。海老クリームコロッケとセットになった定食を注文しましたが、★3つでした。

●この種のメニューは、野菜サラダがつきものですが、それがきっちり作ってあれば”本体”もレベルが高いというのが私の持論。そこで、まずサラダに箸をつけると━━。ドレッシングの風味が抜群で、”本体”への期待がいやおうなしに高まります。ビフカツは小ぶりにカットされ食べやすく、肉もしっとりしていい噛み心地。コロッケはちょい大ぶりのタマネギの微塵切りが海老のプリプリ感を引き立てており、大満足。

●朝食は、前々から行きたいと思っていたホテル近くの老舗喫茶店へ。ホットケーキが名物なのでトライしてみたのですが、焼き加減がいまイチかなぁ。好みの違いやその日の出来不出来もあるので断定的なことは言えませんが、こういうシンプルなものほど難しいのでしょう。それにしても、”濃厚な15時間”は言い過ぎかも(笑)。(2022/6/16)

花菖蒲、鏑木清方、ポンペイよりもイタリアン!

●京都2日目は、小学校の修学旅行以来60年ぶりという平安神宮の神苑から。應天門に貼られた「花菖蒲見頃」の文字が期待をそそります。神苑とは庭園のことですが、大きな池に群生する2千株の花菖蒲は圧巻。お昼近い時間でしたが、蓮の花もまだ開いたままで、朝早ければ池の水面が見えないほどだったかも。

●平安神宮周辺は一大文化ゾーンになっていて、そこから歩いて5分のところにある国立京都近代美術館が、3連チャンの二つ目、「鏑木清方」展の会場。中に入るまでは有名な美人画家といった認識くらいしかありませんでしたが、自身の無知を思い知らされました。美人画といっても、顔かたちだけでなく、着物・履き物、髪飾りや簪[かんざし]など一つひとつが丁寧に描かれているのにびっくり。

●それ以上に感動したのが庶民の生活・風俗を描いた作品。展覧会に出品するような大作とは趣きが違い、親しみやすい素材なのですが、こまやかな観察眼は、穂積和夫を思い出させます。感動の余韻にひたりながら、すぐ向かい側に建つ京セラ美術館の「ポンペイ」展。3連チャンのラストで、期待が大きかった分、裏切られた感も大。ポンペイの遺跡はやはり、現地で観るしかないのかもしれません。

●夏の京都の定番「鍵善」の葛切りで疲れをいやそうとしましたが、癒しきれぬままホテルへ帰還。ポンペイの仇はやはりイタリア料理で━━はこじつけですが、ホテルのすぐ近くで見つけたカジュアルなお店が大当たり! これはと思った品を少しずつ食べられる「おばんざい」っぽいスタイルで、昼間の疲れはきれいさっぱり消えました。(2022/6/11)

京都で美術館3連チャンの1日目

●土曜日に京都で仕事があり、せっかくなので、木曜日からこちらにやってきました。折しもアジサイや花菖蒲が真っ盛りの時期。そちらも楽しもうと、ネットで検索すると、あちこち”名所”が。選んだのはアサヒビール大山崎山荘美術館。その庭園が素晴らしいとあったので、そちらに決めました。「ポンペイ」展、「鏑木清方」展を観に行くつもりだったので、図らずも3連チャンに。

●京都駅から大阪方面へ5つ目の山崎駅で下車。美術館はかの有名な天王山の麓、5500坪の敷地に建っており、もとは大阪の実業家の別荘だったそうです。本人も遺族も亡くなり、長い間使われずに荒れ果ててしまったのをアサヒビールが買い取り、美術館としてよみがえらせたのが1996年。そのコレクションは、モネ、ルオー、ユトリロ、ヴラマンク、カンディンスキーらの絵画、バーナード・リーチ、宮本憲吉、濱田庄司の陶芸、イサム・ノグチの彫刻など、超一級品ばかりです。

●何よりの魅力は、それらが展示されている建物。新たに増築したコンクリートの展示館も安藤忠雄の設計だそうで、木造山荘風の本館にすんなりなじんでいます。2階のカフェテラスから木津川、宇治川、桂川が合流、淀川になる地点を見下ろす眺望は抜群。その入口には、ドイツ製、その名もMikado というオルゴールが鎮座していました。

。●美術館のあと庭園を散策し、送迎バスで阪急の大山崎駅へ。一路河原町をめざします。関西の私鉄は首都圏のそれと車体の色使いがまったく違い、阪急電車はあずき色。河原町から少し歩き、夕食は先斗町[ぽんとちょう]のおばんざいです。この季節ならではの素材をふんだんに用いたメニューを、こちらの腹具合にも気を配りながら勧めてくれる心づかいに感動。もちろん、味も最高でした。(2022/6/9)

森と海の不思議な力が、絵と書を呼吸させるのかも

●”大人の社会見学”小田原&真鶴編”の2日目です。高校の同期生が━男子でも━7人もそろうと、話にとめどがなくなり、布団に入ったのは午前1時過ぎ。干物の朝食を済ませると、しゃべり過ぎて喉が……と、さっそく「ういろう」のお世話になるメンバーもいました。


●周りを散策に出ると、民宿の裏手から東映映画のオープニング映像で有名な巨岩(+波しぶき)のある海岸まで「お林」と呼ばれる大きな森が広がっています。「お」が付いていることからもわかるように、もともとは皇室の御用林。「お林」は俗称らしく、正式には「魚つき保安林」といって、魚の繁殖、保護を目的として海岸や湖岸に設けられた森林のことだそうです。


●森林の土に含まれる栄養分が地下水と一緒に海に流れ出るとプランクトンが繁殖、豊かな海を育てます。また、木々が直射日光を遮断して水温の急激な変化を防ぐなど、海の生物の繁殖を促す役割も。おいしい魚介類が穫れるのに大きく貢献しているというわけです。


●お林の一角に、生前この地で過ごした中川一政の個人美術館が。コンクリート打ち放しの建物ですが、周りの木々に溶け込むような感じがします。そこから少し歩くと相模湾が大きく開け、この日は向かい側の初島もくっきり見えました。アトリエがあったのもそのあたり。97歳まで創作を続けた中川の作品は天衣無縫というか、油絵も書も力みがなく、のびのびしています。彼が装丁した向田邦子の『あ・うん』は、まさしく”ジャストフィット”。森にも海にも備わる不思議な力が彼の才覚をいっそう刺激したのかもしれません。(2022/5/18)

改めて感じた、生産地でしか手に入らない物のありがたみ

●小田原駅から南へ、正面に城の櫓[やぐら]を見ながら歩くこと15分。国道1号線に面した所にその建物はあります。外観は城のようですが、「ういろう」という薬と和菓子を売る店です。1368年中国の元が滅び、日本の博多に亡命した一人の外交官が陳外郎と名乗り明から輸入したのが始まり。その後京都に移り朝廷に仕えていましたが、応仁の乱で焼け野原となってしまったため、1504年、北条早雲の招きで小田原に移り、店を開いたそうです。お菓子のういろ(う)は全国に広まりましたが、薬はここ小田原だけにしかありません。


●店の裏手にある博物館でその歴史を話してくださったのは、25代目の御当主。この日参加した高校時代の仲間6人全員、薬のほうを購入しました。というか、いまどきまれな、ネットでは販売していない(郵送も不可)ので、お店で買うしかないのです(それも1人3箱まで)。全国を相手にするとすぐ売り切れてしまい、地元や近隣の人たちが必要になったとき買えないからだといいます。「小田原で長く商売させていただいていることへの感謝」とは御当主の言葉。


●すぐ隣の蕎麦屋さんで昼食を済ませ、真鶴[まなづる]の料理民宿へ。ひと風呂(温泉ではありません)浴びたあと、地魚の刺身舟盛り+煮魚+焼き魚を囲んでの夕食となりました。宿の真ん前の海で獲れた魚しか出さないのがこの宿の信条だそうで、マグロ、ハマチといった刺身の定番もナシ。肉料理はもちろん、野菜の付け合わせ等も一切ありません。


●そのため色彩的には地味ですが鮮度は抜群、しかも美味。〆の伊勢海老の味噌汁もおいしくいただきました。山間[やまあい]の温泉宿で刺身が出てくるのを昔から疑問に思っている私も納得。「お客さんっていっても、ここらの人ばっかだからね」とは女将の言。地元への愛を最優先しているのが感じられます。どこにいてもすべて手に入るのが当たり前といういまの時代、なんだかホッコリした気持ちになりました。(2022/5/17)

なじみの薄いデザイナーズホテル━━でも、心地よかった

●浜松から名古屋までは新幹線で30分足らず。”楽器の町”ならではの駅ピアノを横目にホームに上がり、乗った車両はガラ空きです。名古屋駅近くの中華料理店で中学時代からの友2人に再会。やたら話し好きの店員さんもときおり巻き込みながら大盛り上がりし、スリーショットの写真を撮ってもらうのを忘れてしまうほどでした。


●さて、今回の旅で泊まった2つのホテルは対照的でした。1泊目は、出入口のフロアにはピアノの鍵盤、ロビーにはバイオリンとピアノ、窓には楽譜と、浜松らしく音楽にちなむデザインやツールがそこここにあしらわれている老舗ホテル。朝食のレストランの名もFigaro(フィガロ)でした。部屋はオールドタイプですが、慣れているので落ち着きます。

●夜は、高校の同期生がオーナーシェフの洋食店で弟夫婦と。コロナ禍の影響を心配していましたが、営業を続けていて何よりでした。二人と会うのもほぼ3年ぶりで、積もり積もった話に花が咲き、いまは人と会って話をするのが元気の素であることを実感。

●2泊目の名古屋は、最近増えてきたいわゆるデザイナーズ風。このテのホテルはなじみがなく心配していましたが、スタッフのカジュアルな服装も、ロビーや部屋のしつらえもすこぶる心地よかったです。朝食はプリフィックスというか、固定の部分(3パターンから選ぶ)+パンやスープ、フルーツ、サラダ、飲み物などを自分で選ぶスタイル。”和洋なんでもそろっています。お好きにどうぞ”式のフルバイキングが苦手な私にとっては、ありがたく感じられました。(2022/5/7)


浜松式の乾杯「やらまいか!」で元気いっぱい

●今年のGWでいちばん混んでいなさそうな5/5〜7の期間を利用し、旧友たちと会いに浜松&名古屋へ。初日の5/5は浜松です。たまたま「浜松まつり」の最終日で、呼び物の一つ大凧揚げ大会がおこなわれていました。徳川家康の城下町時代の町ごとに作った大凧を遠州灘の中田島砂丘で揚げる催しで、100年ほど前から続いているそう。浜松は空っ風が有名ですが、それを利用してのことでしょう。


●この日は風がいまイチでしたが、地上では各町の若い衆が、ベテランの指揮で糸を引いたり伸ばしたりの”重労働”。士気を鼓舞するラッパの音が乾いた空気に力強く鳴り響き、それに合わせるかのように凧が広い空を舞います。


●凧揚げのあとは駅の近くでご当地名物の餃子。といっても居酒屋で、はからずも昼飲みとなりました。乾杯は、年長者が「やらまいか!」と声に出したら同席者が「おいしょ
お!!」と応じ、グラスに口をつけるというのがこの店の流儀。「やらまいか」(やってやろうじゃないか)は、新しいことに積極果敢に挑む、この地方特有の進取の気風を示す言葉で、お店の人に教えられたとおり声に出すと元気になります。ヤマハ、河合楽器、ホンダ、スズキの淵源[えんげん]はこれなのかと納得。


●夜は、各町に伝わる山車[だし]が辻々に止められ、私たちを楽しませてくれます。本来なら全部合わせて数十台ある山車がそろって行列するのですが、コロナ禍でここ2年は取り止め。今年ようやく各町内を練り歩くまではOKになったそうで、法被[はっぴ]を着込んだ人たちの表情も生き生きしていました。浜松人の「ケ」の充実は、こうした「ハレ」がある故なのでしょうね。(2022/5/6)

母の母校は国の有形文化財になっていた!

●萩は、10年前に亡くなった母の出身地。高等女学校を出て間もなく、朝鮮半島の北西端、中国と国境を接する新義州[シニジュ]という町に一家で移り住みましたが、終戦後シベリアに抑留された父親(私にとっては祖父)を残し、母親(祖母)、弟(おじ)の3人で帰国したと聞いています。その母が通っていたのが明倫小学校。

●かつて藩校明倫館(1719年創立)があった場所に新築された(1935年)校舎で母は学んだようです。2014年まで使われていましたが、移転にともない旧校舎を修理保存、いまは観光拠点の一つになっています。せっかくなので、ツアー4日目、フリータイムを利用し見に行くことに。その前に、名刹東光寺にある祖父母のお墓参りもしました。

● 明倫小学校は外観からしていかにも由緒ありげ、国の登録有形文化財になっているのも納得です。現存する木造校舎としては日本最大規模だそうで、廊下の長さは90mも。復元教室も残されており、ここで母が6年間学んでいたのかと思うと、ウルウルしてしまいました。

●そういえば、我が母校愛知県立明和高校の「明」も、旧制明倫中学の「明」から採ったもの。その「明倫」は1783年に創立された尾張藩の藩校「明倫堂」に由来しています。どちらもルーツは同じというわけで、それもウルウルにひと役買っていたのかも。ちなみに、「明倫」は孟子の「人倫[じんりん]を明らかにする」という言葉から。それに少しでも近づくためにも、また旅に出ようと決めました━━な〜んて、こじつけですが。(2022/4/23)

知らなかったぁ! タバコにも花が咲くとは!

●ツアー旅行は中日に疲れが出ると言われますが、たしかにたしかに。前日、5時間以上かけて石見銀山を歩いたのですから、当然かもしれません。温泉で多少は癒えたものの、70を過ぎた体にはまだ不足かと。さて、3日目の行程は温泉津[ゆのつ]から山陰線で、赤い石州瓦に見とれながら益田まで。そこからバスで向かった先は4年ぶりの津和野(山口県)。小さな城下町で、50年前「アンノン族」であふれ返って以来半世紀、町ぐるみで観光に力を入れてきたようです。ただ、ホテル・旅館がわずかしかなく、”ついでに観光”の域にとどまっています。


●津和野は画家・安野光雅の生まれ故郷で、21年前にその名を冠した美術館が作られました。白と黒のなまこ壁がなんとも印象的。たまたま展示されていた名作『旅の絵本10オランダ編』の原画に、旅情をかき立てられます。


●昼食後は萩へ移動。こちらは10年ぶりです。萩観光の定番・松陰神社は藤が満開でしたが、それをはるかにしのいでいたのが、宿泊先の庭園。広い敷地に色合い、大小、高低などを配慮した植え分けがなされ、いくら見ていても飽きません。秀逸はタバコの花。葉のほうにはかれこれ50年以上お世話になっていますが、花は初めて。葉っぱの”毒性”とは似つかわしくない可憐さに心を打たれました。

タバコの花──毒性があるとは信じられません
こちらも品種は違うものの、やはりタバコ
これが支那藤


●もう一つは、花びらの大きな藤。支那藤という品種なのだとか。花や草木の手入れをしている女性が、庭園の階段の手すりやイスまで丁寧に拭き清めているところをたまたま目にしました。花だけでなくそれを囲む環境をもないがしろにしない心が、美しさをいっそう引き立てているにちがいありません。(2022/4/22)

昼は世界遺産の銀山、夜は日本遺産の神楽で石見[いわみ]を満喫

●「一畑[いちばた]電鉄」。日本一人口の少ない島根県内を走っている私鉄ですが、初めて乗りました。目的はコンビニに行くため(泊まったホテルが不便な場所だったもので)。JR西日本でさえローカル線の多くが赤字に苦しむ中、大丈夫なのかと心配になりますが、これがけっこう健闘しているようなのです。2両編成の車輌はかつて東急東横線を走っていた中古のよう。朝7時半頃とあって、乗客の9割は高校生でした。


●ツアー2日目のメインは世界遺産の石見銀山。戦国期から江戸中期まで、ここで掘られた銀は世界の主要国で貨幣の原材料になっていたそうです。佐渡の金と同じく鉱山一帯は幕府の天領で、代官所が置かれ、その周囲の町並みがみごとに保存されています。


●ここで採れた銀の積出港が、ツアー2日目の宿泊地・温泉津[ゆのつ]。その当時は北前船の寄港地としても大いに栄えた町ですが、いまは昭和30年代で時計がパタッと止まってしまったような雰囲気で、いまその面影が残っているのはおだやかそうな入江の奥にある港と温泉旅館の並ぶ細い通りだけです。ちなみに、耐火性に富む石見粘土で高温焼成され、硬く割れにくい大きな水甕[がめ]も北前船で全国各地に。それを焼く上がり窯[かま]もみごとでした。


●よくよく考えてみると、この県は「古事記」「日本書紀」に描かれている国生み神話の舞台。それもあってか、文化面での蓄積は並はずれたものがあります。その一つが日本遺産の石見神楽で、今回それをナマで観ることができました。会場は旅館近くにある小さな神社の拝殿とあって、舞いもお囃子[はやし]も目の前で迫力満点でした。小さな私鉄を支えているのも、数百年も続くこうした文化が生活の基底に息づいているからかもしれません。(2022/4/21)

まばゆいばかりの白い灯台に興奮

●日曜日から山陰の旅です。島根県は3年ぶり。朝10時の便なので、9時には羽田がマスト。となると東久留米からではちょいキツく、前泊しました。ピンクムーンの満月を見ながら部屋でゆっくりし、出発当日はいつもどおり5時起き。北アルプスを見ながらひとっ飛びで、昼前には出雲縁結び空港に到着。名物の出雲そばを食べ、大社[おおやしろ]へ。参道にウクライナを思わせる幟[のぼり]が立っていたのには驚きました。


●次に向かったのは鷺浦[さぎうら]地区。出雲大社から車で20分ほどの、日本海に面した小さな小さな漁村で、観光で訪れることはまずありません。しかし今回参加したツアーはなぜかここと温泉津[ゆのつ]が組み込まれており、それが参加した大きな動機。いずれも江戸から明治にかけて、北前船の寄港地としてたいそう栄えた港町なのです。


●鷺浦の集落を歩くと、「塩飽[しわく]屋」という看板を掲げたかつての回船問屋が。「江戸時代後期より明治にかけての船主で塩飽本島(香川県丸亀市)の塩を取り扱い財を成した」と説明されていました。北前船の果たした役割の大きさにいまさらながら感心しました。


●ただ、観光という見地からすると、この日の焦眉は日御碕[ひのみさき]。日本海に突き出た島根半島の先端に立つ白亜の灯台は海面から63.3m、地上から43.65mと、石造の灯台としては日本一の高さで、国の重要文化財にもなっています。この日は素晴らしい青空+おだやかな日本海に見るも鮮やかに映えていました。ツアーでなければ、日の入りの時刻までいたかったのですが、それはかなわず。後ろ髪を引かれる思いで出雲市に戻りました。(2022/4/17)

お・ん・せ・ん、で〜すっ!

およそ1年半ぶりの羽田。行き先はおんせん県を名乗る大分です。2月の末「温泉にいくぞーっ」と思い立ったのが実現しました。念ずれば通ず()。といっても、JALから「マイレージが期限切れになります」とのメールが届いたので決めたのですが。飛行機代ゼロは大きい!

大分は2年半前、ラグビーW杯の観戦で訪れて以来です。今回は湯布院と別府で1泊ずつと決めてあるだけで、あとはフリー。1日目の昨日は、大分空港でからレンタカーで湯布院へ。日曜日だというのに、高速道路はガラガラで、あっという間に到着しました。ところが行ってびっくり、湯布院のメインストリートは竹下通り状態。若い人ばかりで、修学旅行の中学生までいました。

お土産店がびっしり並んでいるのはよしとしても、ソフトクリーム、唐揚げ、コロッケのオンパレードにはげんなり。71歳の老夫婦がくつろげるような場所はありません。考えてみれば、湯布院でもこの一帯に来たのは初めて。もっと落ち着いた温泉地だと思っていたのですが。

●でも、ある店で「日本名物処〇〇屋」という看板を見て気がつきました。そうか、インバウンドが押し寄せるようになってからこうなったんだ!?  もっとも、コロナ禍でそれがストップした店にしてみれば、とりあえずいまを乗り切るのが第一。四の五の言ってはいられません。明日は喧騒から離れ、もう少し落ち着けるスポットを探すことにします。(2022/3/13)

書店の「旅行本」コーナーも、コロナ禍で大きく様変わり

●一昨年前半までは毎月のように行っていた吉祥寺。背骨コンディショニングという施術(マッサージの一種)を受けるのが目的でしたが、コロナ禍で閉店となり、すっかり足が遠のいてしまいました。

●いつの頃からかこの街に行ったときは、①Linde でドイツパン ②ブックス・ルーエで本・雑誌 ③スーパー三浦屋で青研のリンゴジュース ④さとうでメンチカツを買って帰るのが定番に。②以外は代替がきかず、吉祥寺に行くしかなかったのです。また、ときおり④さとうの2階(とんでもなく急勾配の階段を昇る)にある直営レストランでステーキのランチを楽しんだりもしていました。

●一昨日、その吉祥寺を今年初めて訪れました。①Lindeのライ麦100%パンは重たくて運ぶのが大変です。ただ、普通の食パンと比べ食物繊維は2倍、糖質の代謝に欠かせないビタミンB1も多く含まれ、血糖値チョイ高めの私にはありがたい限り。③は、原料のリンゴが葉を取り過ぎないように栽培されており、栄養分が豊富。砂糖も香料も無添加なのに、とてもおいしく飲めます。ランチは今回、うな鐡でうな重にしました。安くてうまいのがありがたい!

●ルーエでは旅関係の棚をチェック。このご時世なので、ありきたりのガイドブックが少ない代わり、とんがったテーマの本が目立ちます。そんな中、私自身も長らくお世話になっているTさんが営む書肆侃侃房[しょしかんかんぼう]の本がズラリ並んでいるのがうれしかったですね。本社は福岡、でもローカルにこだわらず、ナショナル、グローバルなテーマの本を意欲的に出版しています。そういえば、福岡もすっかりご無沙汰。なじみにしていた中洲のバーが昨年開店20周年を迎え、お祝いに駆けつけたかったのですが、それもかなわず。うーん、コロナが憎い!(2022/2/23)

東久留米で見つけたアメリカ

●前回の投稿からあっという間に10日以上過ぎてしまいました。週2ペースを心がけているのですが、申し訳ありません。さて、先週の3連休初日は絶好のウォーキング日和。降雪がそれほどでもなかったので道は歩きやすく、しかも好天で風もなし。誰でも考えることは同じようで、けっこう人が歩いていました。

●今回はいつもとコースを変え、まずは黒目川を下り、途中落合川と合流するところ(ここがほぼ埼玉県との境)で方向転換、自宅に向かいます。航空写真地図の下方を流れるのが落合川、上方が黒目川です。落合川より広々とした印象のある黒目川ですが、両岸に整備されている遊歩道はどちらの川もほぼ同じ。

●いまの時期、草花はまだまだなので、視線は自然と上へ。ときおり椿や山茶花、梅が姿を見せてはくれるものの、じっと眺めているというレベルには到達していません。それでも、いちばん多く植わっている桜は、ツボミが少しずつふくらみつつあるようで、これから先が楽しみです。

●そんな中でひときわ背丈の高い木が並んでいるのに遭遇しました。ネットで調べると、モントレー糸杉という名の常緑針葉樹のようで、剪定されていまは素っ裸状態。でも、暖かくなると、一気に葉を繁らせそうです。たまに鉢植えのものも目にしますが、もともとはカリフォルニア州モントレー(映画『エデンの東』、ジャズフェスティバルで有名)の固有種なのだとか。帰り道、いつも前を通るアメリカ(それも西海岸から中西部)っぽいアパートを見たとき、みごとにつながりました。(2022/2/17)

冬場の河畔は野鳥の天国

●昨年7月末、西武池袋線の東長崎駅から、同線東久留米駅に引っ越してきて半年余り。どちらもアタマに「東」がついているのですが、「長崎」と「久留米」とでは大きく違うのをすぐ感じました。当初は暑さ、そしていまは寒さの違いです。家やマンションが立て込んでいない分、どちらも「久留米」のほうがキツいというか。こちらに長く住んでいる方の話では、夏は+3℃、冬は➖3℃の気温差があるとのこと。

●それにしても、東京都内に長崎、久留米とは。同じ沿線に九州を思わせる駅名があるなんて、不思議に思いませんか? ひょっとしてその昔、長崎や久留米から移り住んできた人の集落でもあったのだろうかと考えたくなります。答えはNO。「長崎」はその一帯を支配していた武士(北条氏の御家人)の苗字から、「久留米」は当地を流れる川の名前=黒目(くろめ)が変化したものだそうです。

●その黒目川に合流するのが我が家の近くを流れる落合川。さすがに冬場は早朝というわけにはいきませんが、暖かい日の昼間は、川の両岸に設けられた遊歩道をウォーキングするようにしています。野鳥の様子を見るのがいまの楽しみ。コガモ、カルガモ、アオサギ、コサギ、シロセキレイなど、冬は20種ほどが棲息しているようです。

●ただ、この季節、花にはなかなかお目にかかれません。伊豆半島の南まで河津桜なんぞ観に行ければいいのですが、コロナ禍でそれもままならず。近所でも梅のつぼみくらいはもうふくらんでいるでしょうから、明日はそれを探しに歩いてみることにします。でも、寒そう。(2022/2/3)

おいしいコーヒーが飲めるお店第二号を発見

●豊島区に暮らしていた昨年の夏までは、わざわざコーヒーを飲みに出たりすることなど、ほとんどありませんでした。ラーメン、蕎麦、中華、寿司、インドカレー、フレンチ、イタリアン、和食などの店が近場にあり、そうしたところにちょくちょく行っていると、カフェや喫茶店に足を運ぶ機会がそもそもなかったのです。”コーヒーは自宅で”というのがすっかり当たり前になっていました。

●いまでも、朝5時過ぎに目を覚まし、まずやるのはコーヒーを立てること。といってもマシンなので、豆を挽くのもボタンを押すだけ。あとは粉をペーパーフィルターに放り込めばOKなので、「立てる」はいささかおこがましいかもしれません。

●本格的なコーヒーを飲み始めたのは学生時代。神田神保町の喫茶店でアルバイトしていたN先輩がミル、サーバー、ネルドリップ等を取りそろえアパートに持ち帰ってきたのですが、それを毎日飲ませてもらうようになってからです。以来コーヒーは、しっかりした味わいのブレンドかストレートで楽しむようになって半世紀ほど経ちました。

●外食がめっきり減り、せめてコーヒーくらい外でと思い始めた最近、すぐ近く━━といっても車で10分ほど走るのですが━━に一軒見つけました。店があるのは、古くから建っている団地の商店街の一角。2フロアあるうちの1階で焙煎もしているので、扉を開けると素晴らしい香りが漂ってきます。テーブルも椅子も照明器具も”年季”の入ったものばかりで、それこそ40〜50年くらい前から営業しているのでは……という雰囲気なのですが、なんと4年前の開店とのこと。もちろん、コーヒーもおいしく飲めました。もう一軒、駅の近くにもカフェ(こちらが第一号)を見つけたのですが、そちらについてはまた別の機会に。(2022/2/1)