王室の元植物園が動物園に

2018年6月30日
昼間はドゥシト動物園に行ってみました。
国王ラーマ5世(在位1868~1910)の私庭(植物園)だったものを1938年、動物園としてオープンしたものだそうです。この界隈は「ウィマンメーク宮殿」(動物園と背中合わせ)や「アナンタ・サマーコム宮殿(旧国会議事堂)」など王室の施設が数多くあり、一般人とはあまり縁がなさそうな場所といった感じがします。

こちらは普通の動物園ですが、もともと植物園だっただけに、木や花がびっしり生えています。そのため木蔭が多く、歩いていても暑さがそれほど気になりません。また、園内にはカートも走っており、疲れたと思ったときはそれに乗れば楽に移動できます。

こちらもひととおりの動物がそろっており、昨日行った「サファリワールド」の動物たちより心もちおとなしそうな印象を受けました。「サファリワールド」の動物たちはのびのびしており、より“野生”が息づいているように感じましたが、こちらは“野生”よりも人間との“共生”を意識しているとでも言えばいいでしょうか。当たり前といえば当たり前ですが、動物も人間と同じく、どんな環境に置かれているかによって影響を受けるのですね。

 

予定では、このあと先に記した二つの宮殿を訪れるつもりでしたが、ギラギラ照りつける太陽のもとではそこまで行く気持ちも失せ、早々にリタイア。すぐ近くにあって場所もわかりやすい「ワット・ベーンチャマボピット(大理石寺院)」に立ち寄ってみました。イタリア産の大理石というだけあって立派な造りの建物ですし、境内に人工の水路があったりして、もう少し涼しければゆっくりくつろぐこともできたのでしょうが、ここもまた太陽から逃れるすべがありません。結局、早々にホテルに引き揚げることに。

夜は高校時代の友人Sくんの手配でフカヒレを食べに行きました。空港にほど近い場所のようでしたが、さすが在住30年近いSくんのメガネにかなった店、おいしかったです。食べても食べてもお皿の中からフカヒレが湧いてくるような感じがたまりません。日本だと、フカヒレは高級店でしか食べられないといったイメージがありますが、以前のマカオもそうだったように、中国文化圏では大衆料理=山ほど食べるのがフカヒレなのでしょう。

ちなみに、「マンダリン・オリエンタル」の一件をSくんに話したところ、こう言われました。「マンダリン・オリエンタルに行きたいときは「オリエン(タル)」とだけ言えばいいのだそうです。以前の名前のほうが通りがいいのですね。

外国人でいっぱいのバンコク

2018年6月29日
前回来てから5年(3年前にも立ち寄ってはいますが、このときはトランジットのためだけ)しか経っていないのに、バンコクは大きく変わった感じがしました。いちばんの変化は外国人旅行者が多いこと。大半は中国人で、見た目よく似ているのでさほど目立ちはしないものの、それでも団体で動いているとすぐわかります。今回はバンコクでも超有名なスポットは避けていますが、それでも、です。

今日行ったのは、「サファリワールド」。空港から比較的近いエリアにあるようで、ホテルからはゆうにタクシーで30分はかかりました。しかし、ここのサファリは大規模です。アフリカのそれとはもちろん比ぶべくもありませんが、広さがすごい。しかも、インドやオーストラリアなど、海外からの客も目につきます。

 

 

タクシーの運転手さんと帰りのことを打ち合わせしたあと、チケットを買う場所など、詳しく説明してくれたので助かりました。要するに水族館と動物園がセットになっていて、片方だけでもOKであると。ただし、その旨をはっきり窓口で伝えなくてはいけない。また、カートに乗って見学するのと、中を歩いて回るのとでは、コースも違えば料金も違う……といったたぐいのことです。私たちはカートで回るほうを選びました。

所要時間は1時間弱。広い園内を屋根付き・ガラス貼りのカートで移動していくのですが、どの動物も大変な数がいます。キリンに至っては100頭近くいましたし、ライオンやトラも軽く20頭以上。これだけの数のキリンですから、間近で見たかったですし、エサやりなどというイベントもあったようなので、そちらにも参加したかったのですが、時間の制約もあります。それでも、次から次へ、窓の向こうにあらわれる動物たちを見て満足しました。

  

「サファリワールド」からホテルまで戻り、午後はゆっくりすることにしました。とにかく、暑かったのです。ホテルの中は寒いくらいエアコンが利いていますし、それより何より、このホテルのアフタヌーンティーはとても人気があると知っていたので、早いうちに席を確保する必要があります。広々としたコーヒーラウンジ(3つくらいのエリアに分かれている)の一角に案内され、手渡されたメニューを見ると前菜風のパートが3パターン。私が選んだのはオリエンタル風の品々でそろえたものです。本場のイギリスでも、もちろん日本でも目にしたことのない内容で、新鮮な感じがしました。

 

夜は、ホテルの船着場から川を下ったところにある「アジアティーク・ザ・リバーフロント」に行ってみました。もともと倉庫街だった場所を巨大なショッピングモールにリノベーションしたようです。といっても、中は1坪ショップのような小さな店がびっしり(1500軒もあるのだとか!)。どの通路も細く、すれ違うのがやっとといった感じです。周りはほとんどがレストランで、日本食の店(“もどき”も含めて)もあります。そして、ここもまた外国人客でいっぱいでした。

バンコク「マンダリン」ホテルのミステリー

2018年6月28日
久しぶりにタイのバンコクを訪れました。雨季で暑い時期でもありますが、キャセイパシフィックのマイレージが貯まっていたので、その消化もかねての訪問です。キャセイなので、羽田からは香港を経由し、バンコク到着は夕方です。飛行機代が浮いたので、バンコクでの宿泊は最高級と言われるマンダリン・オリエンタルを奮発。もちろん、家人のためですよ。

市内までは空港からタクシーに乗ったのですが、このドライバーが「?」でした。「着きましたよ」とドアを開けてくれ、トランクからおろした荷物はドアマンがさっさと建物の中に運び込みます。さっそくフロントでチェックインしようとしたのですが、係員が「お名前が見当たりませんが……」と。予約確認書のプリントアウトを取り出して見せると、これがなんと「マンダリン」違い。実はバンコクにはもう一つ、「マンダリン」と名のつくホテルがあるのだそうです。私たちが予約していたのは「マンダリン・オリエンタル」で、こちらはただの「マンダリン」でした。ドライバーが早合点して後者のほうでおろしてしまったわけですが、「じゃあ、移動しなくては」となったときは、そのタクシーの姿はありません。仕方なく別のタクシーで移動したのですが、こんなこともあるのですね。

「オリエンタル」のほうはチャオプラヤ川のほとりにあり、たしかに「超高級」といった感じがありあり(念のため書き添えておきますが、ただの「マンダリン」のほうもそこそこ高級そうでしたよ)。なにせバンコクで初めて(1887年創業)の西洋風ホテル(名称は「ジ・オリエンタル・バンコク」)ですから当然でしょう。その後「マンダリン・オリエンタルホテル」グループに買収された後も長らく創業当初のままでしたが、2008年から「マンダリン・オリエンタル・バンコク」に変わったのだそうです。

それはともかく、部屋に案内されると、立派なウエルカムフルーツが置かれ、部屋からの眺めも最高。高層ビルの姿が水面に美しく映え、川を行き交う大小の船もロマンチックな雰囲気を醸し出しています。

 

「アドベンチャーワールド」から「アジサイ曼荼羅園」へ

2018年6月4日
正直、田辺市の「アドベンチャーワールド」にはほとんど興味がありませんでした。どうせ「富士サファリワールド」の亜流だろうくらいにしか思っていなかったからです。ただ、昨年、大分の「九州サファリワールド」に行ってから、次第に認識が変わりつつありました。今回ぜひ一度……と思うようになった決め手は、ハバナの「サファリ」です。車(バスやカートもあり)に乗って、放し飼いになった動物たちに接するのも、街中にある普通の動物園とはまた違う楽しみがあるということに気がつきました。実は、先月訪れた山口県の秋吉台にもサファリパークがあったのですが、時間の関係で行けなかったので、今回を楽しみにしていたのです。

前夜泊まったホテルからは車で20分ほど。今日も朝からピーカンで、温度計のメモリもぐんぐん上昇。午前10時にはおそらく28℃はあったでしょう。「アドベンチャーワールド」は、「サファリ」の部分もさることながら、ほかに多種多様な遊戯施設があるので、1日中いても楽しめる施設です。今年で開園40年を迎えたそうで、月曜日だというのに朝からけっこうな数のお客さんが並んでいました。動物園・水族館・遊園地の3つをあわせ持つテーマパークは珍しいといいますし、それに広さがハンパではありません。

ここで有名なのはジャイアントパンダで、東京・上野動物園と違い、親と子どもたちが別々に飼育・展示されています。園内の随所にある売店もたいそう充実しており、それはそれで飽きさせません。そうしたこともあってでしょう、親子連れ、カップルはもちろん、祖父母・父母・子どもといった3世代連れの姿も目立ちます。

園内は、ケニア号という4両編成のトラムに乗って草食動物ゾーンから肉食動物ゾーンを30分ほどで回るのですが、頭数も多く、けっこう楽しめます。キリンも数頭、シマウマと一緒にいましたよ。

目と鼻の距離で観られ、しかも5頭いるのでパンダの子は本当にのびのびした様子。並んだり待ったりする必要もなく、あっけないほど簡単に対面できるので、観る側も余裕です。それがパンダにも伝わるのでしょうか、サービス精神たっぷりで、えさを食べたりゴロゴロしていたり。ここまでリラックスしたパンダはなかなか観られないのではないでしょうか。

関西空港から乗る飛行機の出発時間まで多少余裕があったので、車で10分ほどのところにある「アジサイ曼荼羅園」というところまで行くことに。西牟婁【むろ】郡上富田【かみとんだ】町にある救馬溪【すくまけい】観音の敷地内にあります。ここは飛鳥時代、修験道【しゅげんどう】の開祖・役行者【えんのぎょうじゃ】が開山したといい、その後953年空也【くうや】上人がみずから刻んだ観音像を奉安、のちに熊野詣に行幸された鳥羽天皇が堂宇を建立されたという歴史を持つ由緒深い寺院です。その一角に2002年オープンしたのが「アジサイ曼荼羅園」で、最盛期には約2000坪の敷地に120種・1万株のアジサイが咲き誇るとのこと。

ちょうどいまごろが真っ盛りでは……と期待しつつ行ってみましたが、最盛期にはもうひと息といったタイミングでした。それでも、けっこうアップダウンのある園内は花見客でにぎわっており、私たちも十分楽しませてもらいました。

「曼荼羅園」から関空まで車を飛ばし、レンタカーを返却。夕方の便で沖縄に。あわただしくも充実した1日でした。

紀伊田辺・白浜で南方熊楠にひたる

2018年6月3日
昨日は京都での仕事を終えたあと、近鉄電車で大阪に移動しました。上本町【うえほんまち】という近鉄発祥の地(1914年に同社最初の路線である上本町・奈良間が開業=現・近鉄奈良線)ともいえる駅近くにホテルを取ったのですが、なんばや天王寺の近くにあるエアポケットといった感じがします。近鉄が開業した当時はそれなりのにぎわいが見られたようです。

今朝はホテル近くの、すこぶる居心地のいい喫茶店で朝食を食べ、レンタカーで紀伊田辺に向かいました。先日、東京・上野の「国立科学博物館」で観て刺激を受けた南方熊楠の聖地を訪ねるためです。田辺市とすぐ隣の白浜町には熊楠ゆかりの施設があります。市にあるのが「顕彰館」、町にあるのが「記念館」で、まず行ったのは「顕彰館」。

 

熊楠が後半生を過ごした居宅の土蔵に、生涯をかけて集めた人文・自然科学の膨大な研究資料と蔵書のほとんどが遺されています。これらがほとんど、当時使っていたであろう大きな木箱に入っていたり、自作の棚に並べられていたりなど、そのままの状態で保存されているのです。

居宅と庭も同じです。庭には高い楠や柿、熊楠自身が好んで食したという安藤ミカン(ミナカタオレンジとも呼ばれる文旦の一種で、徳川時代、田辺藩士・安藤治兵衛の屋敷内に自生していたことにちなんで名づけられた。熊楠がグレープフルーツの代わりにと普及に努めたことで知られる)の木のほか、顕花植物も数百種あります。柿の木から新種の変形菌(粘菌)を発見した……といったエピソードをボランティアガイドの方からお聞きしました。雑然としている庭ですが 、まさしく研究の場といった観を呈しています。

「顕彰館」を後にし、旧城下町である田辺の町を歩いてみました。地方都市の常ですが、ここもまた昼間は人通りがほとんどありません。日曜日となればなおさらです。それでも、この神社とゆかりの深い弁慶の立像は印象的ですし、その名前が興味をそそる「闘鶏神社」にはそれなりに人が訪れていました。

「闘鶏神社」はもともと、熊野権現(現・熊野本宮大社)を勧請【かんじょう】し田辺宮と称したのに始まるそうです。平安時代の末、熊野別当・湛快【たんかい】がさらに天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増【たんぞう】が田辺別当となりました。弁慶はその子どもと伝えられています。

 

治承・寿永の乱(源平合戦)のとき、湛増はどちらにつくべきか迷ったといいます。そこで、鶏を紅白2色に分けて闘わせたところ、白の鶏が勝ったので源氏に味方しようと決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したとのこと。それから「闘鶏権現」と呼ばれるようになったと、境内の看板に書かれていました。

田辺市から白浜町に移動し、「南方熊楠記念館」へ。もともとはこちらのほうが先に作られたようですが、「顕彰館」とはコンセプトがまったく違います。子どものころに描いた絵や作文、アメリカ、私自身つい先日訪れたキューバ、イギリスに渡ってから書き綴った論文や、読んだ本のメモ書き(というには膨大すぎるボリュームですが)、日本帰国後に書いた著書の下書きや採集品など、もっぱら展示にウエイトが置かれています。「国立科学博物館」で目にしたものもありましたが、その量には圧倒されました。

1911(明治44)年起こした神社合祀反対運動の詳しい経緯も知ることができました。その中で書き綴った柳田國男ほか宛の書簡の中でエコロジーまたはエコロギーという言葉を使っていることを知り、この時期に早くもそうした考え方を持っていたことに驚かされます。

「記念館」の屋上にある展望台から周囲を見ると、熊楠がはぐくんだ壮大な知識欲の根源が息づいているようにも感じました。島々や海岸の砂や石・岩肌、土、森、草花など、目に入ってくるものすべてが、「客観的に観察してほしい」と訴えているかのような表情をしているのです。熊楠としては「わかった、わかった。いまこちらの絵を描いているから、そのあとで」といったような心境だったのではないでしょうか。

修学院離宮には田んぼがいっぱい

2018年6月1日
若い頃から行ってみたいと思っていた京都の「修学院離宮」をようやく訪れる機会が来ました。3カ月以上も前からネットで申し込み、いったんは当選したのですが、あいにくその日は都合がつかなくなり、結局キャンセル。そのあとまた仕切り直しして、今日午後3時の見学会に参加することができたのです。

まだ6月だというのにこの日の京都は強烈な日差しで、暑いのなんの。それでも、京都駅近くのホテルから電車とバスとタクシーを乗り継いで門の前に着いたときは早くも数人の見学客が並んでいました。定員が決まっているので並んだところでさしてメリットはないのですが、「修学院離宮」となるとやはり思いもひとしおなのでしょう。

店員の30人がそろったところで、見学会がスタート。マイクを持たないガイドさん(宮内庁の職員です!)がゆっくりした速度で、離宮内の主だったスポットを案内していきます。途中、要所要所で詳しい説明があるのですが、要するに、ここは天皇の座を譲った上皇の隠居所だったのですね。住居のほかに庭園や田んぼも造られ、茶屋も3カ所あります。大きな人工の池も印象的でした。

 

話をうかがっていると、近在の農民が離宮内にあるた田んぼで作った米を献上していたようです。いまでも持ち主の宮内庁が農家と契約し貸しており、そこで米・野菜を作っているといいます。

「離宮」と名がつくので、閑静な庭園を思い描いていたのですが、そうはないわかり驚きました。同じ京都にある「桂離宮(こちらもいまだに行けずにいますが)」や「二条離宮(現・二条城)」にしても、「赤坂離宮(現・迎賓館)」「芝離宮(現・芝離宮恩賜庭園)」「浜離宮(現・浜離宮恩賜庭園)」「武庫離宮(現・須磨離宮公園)」にしても、キホン庭園がその敷地のほとんどを占めています。それからすると、「修学院離宮」のユニークさは際立っているのではないでしょうか。

「大連の旅」の最後に待っていたサプライズ

2018年5月27日
お城を思わせるホテルにびっくり!
大連も今日で3日目。午前中から公式行事が続き、午後は市内観光に出ましたが、夕方から大連市旅遊局主催のパーティーに出席することに。会場は「星海広場」の近く、小高い丘の上にあるホテルだったのですが、これがまあとんでもなく豪華なホテルだったのにはたまげてしまいました。

広さ110万平方メートルという「星海広場」は、もともとはゴミの埋め立てに使われていた湾だったところを、大連市制100周年記念事業として整備したもの。超高級マンション(星海国宝)、遊歩道、噴水、遊園地、会議・展示場、野外イベント会場やレストラン街などがあります。隣接する「星海公園」には自然博物館も建っています。

こから坂を少し登っていったところに建つお城のようなホテルが「大連一方城堡豪華精選酒店(The Castle Hotel, A Luxury Collection Hotel, Dalian)。見た目はディズニーランドのシンデレラ城を思わせ、誰もがひと目見ただけで一度は泊まってみたいと思うにちがいありません。たしかに、パーティー会場の3階テラスからの眺めは素晴らしいものでした。今回泊まった街中のホテルが可もなく不可もないホテルだっただけに、その差が際立ちます。まあ、近くの施設で用事でもない限り泊まることはないでしょうが、ひときわ印象に残ったのは間違いありません。

さて、アカシアはどこに?

2018年5月26日
昨日から町の中を移動するたびにアカシアを探しているのですが、なかなか見つかりません(早い話、アカシアの花が咲いている場所を通らなかっただけなのですが)。「もう散っちゃいましたよ」というガイドさんの言葉は眉唾のようで、「正仁路(槐花大道)) という通りの両側は、長さ1km以上にわたって満開だったという話を、別の参加者から聞きました。それならそれで、ガイドさんも教えてくれればいいのに……。

このところ「北前船寄港地フォーラム」の旅行手配を仕切っているN社にはいまひとつ不満を感じています。そちらのルートで申し込むホテルの料金より、ネットの予約サイトから申し込んだほうが、2~3割は安いからです。数百人という単位で予約を取っているのなら、もっと安くってもいいはずなのですが。

今回もそうした不安がありましたが、海外、それも初めての地でもあったので、やむを得ずホテルだけはN社に申し込みました。しかし、実際ネットで調べてみると、同じ値段を出せばもっとグレードの高い部屋に泊まれたようにも思えます。ガイドの質の低さにも象徴されますが、もう少し参加者を満足させる配慮がほしいですね。

“アカシアの大連”にやって来ました

2018年5月25日

清潔で美しい町──それが大連の第一印象です。私が大学に入った年、芥川賞に選ばれた『アカシヤの大連』という作品がありました。作者は詩人の清岡卓行で、20世紀前半に日本の租借地・大連で過ごした青年期の生活を描いたものですが、詩人として知られていた作者にとっては初めての散文。大学に入ったばかりだった私もすぐ買って読んだ記憶があるものの、さほど強烈な印象は受けませんでした。ただ、タイトルだけはいまでも覚えているというか、大連といえばほとんど反射的に「アカシア」という言葉が口をついて出てきてしまいます。

その大連で、ここ数年ずっと追いかけている「北前船寄港地フォーラム」が開催されるというので参加しようと決め、今日、成田から飛んできました。21世紀に入り大々的な発展を遂げている都市らしく、空港も街並みもたいそう清潔で美しく、中国ではないような印象すら受けます。

とにかく、どこを歩いても、道路の脇にプランターが置かれ、花が咲き誇っています。街灯の柱にもガードレールにも花、花、花……。道路もえらくきれいに保たれ、あちこちの街角で、清掃している人の姿を目にしました。北京・上海にも、もちろんそうした仕事をしている人はいるのでしょうが、ほとんど目につきません。それからすると、この町がどこを歩いてもこぎれいなのがよくわかります。日本の前にこの町を租借していたロシアの人たちがそれほど清潔好きとは思えませんし、となるとやはり、日本の影響なのでしょうか。

午前中はアカシア祭り(大連国際槐花節)の開会式。会場は海辺の公園で、式典の最後におこなわれたアトラクションでは秋田の竿灯の披露も。参列者全員が歓声をあげ、拍手喝采。ロシアの民族舞踊も登場したあたりに、大連の歴史が垣間見えます。

 

 

 

日清戦争後の三国干渉の代償として、1898年清からこの一帯(大連、旅順など)を租借したロシアが、貿易拠点として港を整備するとともに、パリをモデルとした都市作りを始めました。しかし、その7年後、日露戦争に勝った日本が、ポーツマス条約により租借権を譲渡されます。日本は、大連を貿易都市として発展させようと、関東都督府と南満州鉄道が、道路の舗装などインフラの整備、レンガ造りの不燃建築物が立ち並ぶ町作りをおこない、旧市街がほぼ現在の形となったのです。いうならば“日ロ合作”のような都市なのですが、ほかの中国の都市との違いはそのあたりに起因しそうです。山田洋次(映画監督)や遠藤周作(作家)、荒木とよひさ(作詞家)の生まれ故郷と言われてもピンときませんが、松任谷由実(『大連慕情』)も桑田佳祐(『流れる雲を追いかけて』)もこの町を歌にしている理由が理解できるような気がします。

久しぶりの札幌・初めての厚田

2018年5月9日
昨日、札幌入りしました2014年7月以来なので、ほぼ4年ぶりです。4年前はサッカーW杯ブラジル大会の終盤、準決勝・決勝の時期と重なり、毎日、夜遅くまで起きていた(もしくは早朝起き)記憶があります。

今回の目標は、今日の「厚田さくらまつり」。今年で第7回だそうですが、先月、秋田県小坂町の「観光フォーラム」でお会いした札幌のHさんから声をかけていただき、行くことにしました。

厚田というのはその昔は村でしたが、2005年、石狩市に合併されました。1977年、この地に墓地公園が開園して以来40年。いまでは園内になんと8000本ものソメイヨシノが植わっており、石狩市の、いな全道的な桜の名所として広く知られているのだとか。毎年5月の初めになると、園内の桜が一斉に花を開き、道内のあちこちから花見に訪れる客でにぎわうといいます。

 

ソメイヨシノの開花はかつて札幌市が北限とされていましたが、それより40数キロ北にあるこの地でも花を咲かせようと、桜守りの佐々木忠さん(故人)という方が奮闘され、みごとにその夢を実現したのだとか。

今年は温暖(それでも最高気温は12℃)、無風、晴天という無類の好条件下、これ以上はないというほどみごとな開花ぶりに見とれてしまいました。佐々木さんの熱い思いが園内全体に行き渡っているかのように感じられたからです。