いささか期待外れの「琉球海炎祭」でした

2017年4月8日

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いよいよ今晩は、今回のメインイベント「琉球海炎祭」。那覇市内でまだ足を踏み入れたことのないエリア波の上宮近くにある三重城【みえぐすく】小船溜にある桟橋から船に乗って、会場の宜野湾まで船でひとっ走り。年間を通じて全国で最初という触れ込みの花火大会を海の上から楽しむというものです。

6時半ごろ那覇を出て宜野湾沖合まで45分ほど。8時10分前になって、ようやくスタートしました。ただ、連続してバンバン打ち上がる花火大会を期待していると、うーんということになってしまいます。陸上に特設舞台のようなものがしつらえられ、そこにすわりながら楽しむというのが本筋のようで、今回は安室奈美恵とかが歌を披露していたようです。MCの進行に合わせているので、その様子がわからない海の上では、待ち時間がやたら長く感じられました。

DSC01885花火の打ち上げは1時間ほどで終わりましたが、迫力的にはいまひとつ。また、その間ずっと海上に浮かんだままなのでビミョーな揺れがあり、あまり心地よくありません。ふだんはシュノーケリングとかホエール・ウオッチングに使われている小型船だそうですから、こういう用途にはそもそも不向きなのかも。もっと大きな船で、それなりに広い甲板に大きなテーブルがあって、船内ではビールや軽食が売られ、それをつまみながら……などと勝手に思い込んでいたこともあり、欲求不満が残りました。天気がよかったのがせめてもの慰みかも。

「首里そば」の上をいく「骨汁定食」=980円なり!

2017年4月7日

沖縄も今日でちょうど1週間。前回は「首里そば」についてお伝えしましたが、今回はその名も「骨汁定食」。この店では、名物のそばを作るのに、豚骨に玉ねぎ、泡盛を加えて煮込んだ出しをベースにしているそうですが、それに豚のスネ肉を入れショウガを加えてさらに6時間グツグツ。大ぶりの丼に入って供されますが、まずそのボリュームにビックリ。上から下まで骨、骨、骨。たっぷりの汁の中に、バラバラになった肉、肉、肉。汁はすべてコラーゲンかといった感じもします。ショウガが効いていて、ひとすすりするだけで元気が出てきて、食べ終わったころには顔の肌もつるつる(ウソです)。これで980円は、安~い!

骨汁定食 before

骨汁定食 after 

付け合わせのごはんも、沖縄の定番=じゅうしぃでなく白飯なのは、味付けが濃厚(でも、しつこくはありませんよ)だからでしょう。ご覧のとおり、久しぶりの完食。これほどの大ヒットメニューに遭遇できたのは偶然。前日(4月6日=“新聞をヨム日”)目にした新聞広告──それも、1面のコラム左横という地味な場所で見つけたのが気になり、行ってみたおかげです。

ちなみに、この店の名前は「御殿山(うどぅんやま)」。見た瞬間「おー、沖縄にもうどんの店があるのか」と思ったのですが、琉球方言では「御殿」と書いて「うどぅん」と読むんですね。それと、「そば」は「すば」と言います。「4・6=読む日」に限らず、新聞、読みましょう!

まだまだ“知らない沖縄”が……

2017年4月4日

1日から沖縄に来ています。2日までは「寒気の来襲で真冬並み」だったのですが、昨日からは沖縄らしいポカポカ陽気。今日は「4月下旬並み」の暖かさでした。久しぶりにドライブを楽しむことにし、ここ数年インバウンド需要で大いに盛り上がっているという南城市と、隣接する糸満市へ。

最初に行ったのは知念岬公園。太平洋を見渡す高台にあり、眺望抜群。海岸べりなので、心地よい風が吹いています。パラグライダーの名所らしく、空を気持ちよさそうに飛んでいるのがうらやましい!

浜辺の茶屋3次に訪れたのは、静かな海岸に建つ「浜辺の茶屋」。ここは大当たりのスポットでした。目の前が砂浜というロケーションで、3階建ての古いロッジ風の建物で、3階が地上と同じ高さでルーフバルコニー。2階が屋根付きの普通な感じの店舗、階段を降りた1階はビーチの上にテーブルとイスが並んでいます。

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奥武島のてんぷら屋

次は、7~8年前に行ったきりで、すっかりご無沙汰している奥武島【おうじま】。目標は、本当から橋を渡ってすぐのところにある刺身とてんぷらが名物の魚屋さん。前は屋台に毛が生えたくらいのちっぽけな店だったのが、いまでは3階建てのビルに変身。1階が即売店、2階はレストランになっています。名物のてんぷら売り場にはなんと行列が! メモ帳に記された品名に数を書き込む、近代的な(?)スタイルになっています。

さらに、海に近いところにも別の3階建ての真新しい建物を発見。中に入ってみると、あるお店のおかみさんが、「おかげさまで2年前にここ(建物)ができまして……」とうれしそうな顔で話してくれました。見ると、隣もその隣も、台湾、韓国からやって来た感じの人たちばかり。いやはや、インバウンド恐るべしです。

 

ジョン万次郎上陸の地奥武島からさらに西へ走り、次に訪れたのは「ジョン万次郎上陸の地」。前こちらを走ったときはなかったスポットで、これも1、2年ほど前に記念碑が建てられたばかりのようです。ジョン万次郎が10年間のアメリカ生活を終えて帰国する際、鎖国を敷いていた日本に直接戻るのを避け、当時は独立国だった琉球を選んだのだとか。そして、無事上陸を果たしたのが糸満市大度【おおど】浜だったそうです。

そこからさらに西へ、ひめゆりの塔を過ぎ南に下ると喜屋武【きゃん】岬があります。沖縄本島最南端の地──と思ったのですが、スマホでググってみると、「東南東約1.4km離れた荒崎が実の最南端」と。この一帯は沖縄戦の激戦地で、アメリカ軍から逃げたきた住民・日本軍は自決し最期を遂げたとのこと。慰霊塔が建っているのはそのためなんですね。最北端の辺土【へど】岬は観光客がいっぱいですが、こちらはなぜかまばら。270度といった感じのパノラマビューで太平洋と東シナ海が見渡せる素晴らしい場所なのですが……。

岬から車で5分、やはり海岸の崖っぷちにある具志川城跡もユニークでした。石灰サンゴで作られた石垣が海城であることの証。よくもまあこんな場所に城をと思わずにはいられません。

具志川城跡2

糸満市の中心部に入ると、マイナーながらもあちこちに観光スポットがあります。漁業がメインのこの町の氏神を祀る白銀堂。小ぶりな神社ですが、素晴らしい色彩の屋根が印象的です。本殿が背後の山にくっつくように建っているのは神社の伝統的なスタイルでしょうか。

糸満 山巓毛山巓毛【さんてぃんもう】は、糸満の海近くにある展望台のような場所。太平洋戦争中は、防空監視所として使われていたのだとか。レーダーなどという近代的なものは、こんなひなびた場所にはなかったようです。ただ、軍事的にはかなり重要な場所ではないかと思いますが。

最後に行ったのは高嶺小学校の敷地の中にある南山【なんざん】城址(歴史的にはこの逆でしょうか)。すっかり荒れ果ててしまっていますが、往時は威容を誇っていたのでしょう。墓所とおぼしき横長の巨大な石とガジュマルの群生が印象的でした。

南山城跡2

「イッペー」の花城跡の向かい側にある高嶺中学校の敷地に咲き誇っていた黄金色の花の美しかったこと。この季節、沖縄のあちこちで見かけますが、通称「イッペー(イペー)」といいます(正しくは、ノウゼンカズラ科の落葉高木で、コガネノウゼンまたはキバナノウゼン)。もともとはブラジル原産の落葉樹(国花でもあるそう)=イペー(Ipe)だそうで、琉球方言で「いっぱい」「とっても」を意味する「いっぺー」と一体化してしまったようです。

「ロマノフ王朝展」と夜のしだれ桜を一気に

2017年3月30日

来週は東京を離れるので、その間に開催が終わってしまう「ロマノフ王朝展」を観にいきました。会場は文京区の本駒込【ほんこまごめ】にある「東洋文庫ミュージアム」。入場料は正規だと800円ですが、シニア料金(!)で半額。初めて行ったのですが、たいそう立派な施設で、驚きました。

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本駒込といえば、東京では古くからのハイクラスな住宅街ですが、そこを東西に走る広い通り沿いに建っているので、すぐにそれとわかります。「東洋文庫」というくらいですから、もともとは図書を収蔵するところ。1917年、三菱の第3代当主・岩崎久彌が中華民国総統府政治顧問G・E・モリソンの蔵書を購入し、24年に財団法人東洋文庫を設立しました。国内では最古・最大の東洋学の研究図書館だそうで、蔵書数は現在約100万冊。その中から、国宝・重要文化財にも指定されている貴重な書を選んで展示するミュージアムが2011年にオープンしたそうです。

 

!cid_5DD6D9820CCECB49820FBB40AC1C8F7595F8C26C@edithousejp_onmicrosoft“今年(2017)はロシア革命から百年。裏を返していうと、ロマノフ王朝が滅亡してから百年ということになります。 かつてヨーロッパからアジアにまたがる広大な領域を支配した強大にして華麗なるロマノフ王朝。今日のロシアの社会と文化の礎はロマノフ王朝300年の歴史の中で築かれたといっても過言ではありません。 ロシアは日本から最も近い隣国です。史上まれにみる巨大帝国の栄枯盛衰を、日本との交流という視点からたどってみましょう”と案内のチラシに書かれているように、宝物展ではなさそうです。

 

私が関わっているNPO法人「日ロ創幸会」の研修で行ったサンクトペテルブルクやモスクワでも、ロマノフ王朝の宝物をたくさん観ましたが、今回展示されているのは知的財産というか、史料的価値の高いものばかり。キラキラ・ピカピカの宝物とはまた違う、文化・文明への探求心とあこがれが感じられます。

 

入ってすぐのホールに「特別名勝 六義園【りくぎえん】」のジオラマが、解説付きで展示されていました。そういえば、「東洋文庫」の前の広い通りを渡ってすぐのところにあるのですね。しかもちょうど「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」という催しが4月2日まで開催されているというので、行ってみることに。

 

入口で入園料(こちらもシニア料金で半額!)を払い中に入ると、木曜日だというのに、けっこうな人出です。正門を入ってすぐのところに植わっている大きなしだれ桜の前にはカメラを手にした人が群がっていました。高さは10m以上あるでしょうか、花びらは鮮やかな濃い目のピンク。ソメイヨシノとは趣が違います。しかも、樹高の高い部分はピンクが少し薄めに見えます。その微妙な差が前方の濃い目のピンクをいっそう引き立てていました。

 

!cid_0F60769BD77E85226E55FF23D0DB756B28B7BD42@edithousejp_onmicrosoft「六義園」というのは元禄年間、川越藩主・柳沢吉保が7年の歳月をかけて作った回遊式築山泉水の大名庭園。それが明治時代になって、三菱の創業者・岩崎彌太郎の別邸になり、1938年、東京市(当時)に寄贈されたとのこと。和歌に歌われる88の景勝地にちなんだポイントが随所に配されており、なかでも紀ノ川、片男波【かたをなみ】、仙禽橋【たずのはし】、芦辺【あしべ】、新玉松【にいたままつ】、藤白峠【ふじしろとうげ】など、紀伊国(和歌山県)の景勝地が多いようです。

若の浦に 潮満ちくれば 潟【かた】をなみ 葦辺をさして 鶴【たづ】鳴き渡る

 

高校時代、古文の授業で習いましたが、『万葉集』にある山部赤人【やまべのあかひと】の有名な歌にそのいくつかが出ています。たしか、古典の文法の要素がぎっしり詰まった素材として覚えさせられたように記憶していますが、そんなことより、三十一文字の中にいくつも名所が散りばめられていることを知り驚きました。

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 帰路、「六義園」といい「東洋文庫」といい、この一帯はすべて三菱の所有だったことを思い起こしました。そういえば、上野の近くにも「旧岩崎邸庭園」というのがあります。三菱は丸の内だけではないのですね。家に帰り、「東洋文庫」のウェブサイトを見てみると、スポンサーには三菱系の大企業がびっしりと名前を連ねていました。拙宅の大家さんもその末裔といわれる岩崎さん。不思議な縁を感じます。

函館で出会った素晴らしいスペイン料理

2017年3月22日
今日は充実した食生活を経験できました。今回2泊したホテルの朝食バイキングもよかったのですが、今日は古川市場の名物「のっけ丼」を食べようと決めていました。7時半過ぎにホテルを出て5、6分歩くと市場が。

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入口を入ってすぐのところにある小さな店先にすわっているおばちゃんから食券を買います。10枚つづりで1080円也。市場の中に魚屋、八百屋、乾物屋があるのですが、どの魚屋でもいいので、好きな食材を選び、ご飯の上にのっけてもらいます。それぞれ必要な食券の枚数が決まっていて、それを渡します。そうやってマイ丼を作り、最後に味噌汁とおしんこを受け取って(食券1枚)朝食が完成。市場のところどころにテーブルとイスが並べられていて、そこで食べるのです。

女子旅とおぼしきグループや老夫婦、単身赴任風の男性、外国人のバックパッカーなど、平日なのでお客の数はそれほど多くはないのですが、バラエティーたっぷり。私ののっけ丼=中トロとハマチ、甘エビ、シラス、しめ鯖、タラの白子をのっけた丼は、写真を撮るのを忘れてしまうほどおいしそう(言い訳にしか思えないでしょうが)。もちろん、最高においしかったですよ。

夜は新青森から新函館北斗まで新幹線で移動し、そこから乗り継ぎの電車で函館駅まで。東埠頭近くのホテルには7時半にチェックインしました。フロントで名前を告げると、「前とご住所はお変わりありませんか?」と尋ねられました。なんと、10年前にこのホテルに泊まっていたのです。そこまでリサーチしているこのホテル、たしかに部屋は快適、眺めも最高です。

!cid_7d6d5887-e028-46a3-9ba5-add30c484ee1@apcprd04_prod_outlook夕食を取ろうと、部屋でさっとググってあたりをつけた店に直行。「ラ・コンチャ」というスペイン料理のレストランでしたが、ピンチョスのおいしかったこと。ひとりで6、7種類食べられれば、いうことなしです。ワインも進み、グラスで3杯空けてしまいました。ここ1週間、横メシとおさらばしていたせいもあるのでしょうが、素晴らしい夕食でした。

青森で経験した哀しい時間

2017年3月21日
昨日は3連休の最後の日。夜8時半ごろ。食事にしようとホテルを出ました。県庁所在地の駅前を走るメイン通りに出たのですが、でも、夕食を食べる店がないのです! おいおい、ここは魚の名産地じゃないのかと、街を歩く人──といっても、ごく少ないのですが──にききたくなってしまいます。

「食べる」というのは不正確で「食べたい」が正確な表現でしょうか。あるのは、日本海庄や、笑笑、魚民、山内農場、弁慶といった全国チェーンの居酒屋ばかり。匠庵、月あかり、北のまつり、三代目網元、井戸端は地元の居酒屋チェーン店。さらに吉野家、ガストときてはもうお手上げです。70歳近くなって吉野家でもありますまい。

30分ほどあちこち探し歩いたあげく、結局コンビニで出来合いの串焼きとチーズを買って、チューハイで流し込みました。いかにも体に悪そうですが、致し方ありません。

IMG_0504しかし、平日の今日のほうがはもっと悲惨でした。早く店も閉まるのだろうと、6時半にホテルを出たのですが、食べたい店がないのです。最後はあきらめて、そば屋で済ませました。通りには信号がありますが、どの交差点も、信号無視で悠々渡ることができるのも驚きました。クルマの往来が少ないというか、信号などあってもなくても同じ。さびしいのを通り越し、もう哀しくなってしまいます。ALASKAと書かれた看板を目にしましたが、アラスカの雪原の中にいるような気持ちにさせられました。

でも、地方の都市の現実というのはこんなものなのでしょう。鳥取や佐賀でも同じようなことを経験しましたが、青森ほどではありませんでした。そういえば、昨日の夜、降りた新青森の駅も、まわりには何もなかったなぁ。東海道新幹線が開業したときの新大阪駅のまわりもさびしいものでした。でも、50年以上が経ったいまでは、そこそこにぎわいを見せています。新青森駅にそういう日が来そうかと聞かれると、黙るしかありません。

高校時代の仲間が台湾に大集合!

2017年3月19日

16日から台北に来ています。昨年11月初めの“合宿”で決まった台湾行きが実現したのです。最初は4人の予定でしたが、日本のメーカーN社の中国現地法人で最後は総経理(社長)を務めていたYNくん(名古屋在住)が、「それはおもしろい。私も行きたい」と手を挙げました。大学も中国語専攻でしたし、上海・天津・北京に通算20年も赴任していたとあって中国語はペラペラのYNくんですから、私たちにとっては心強いかぎりです。そこで、5人分の航空券やらホテルの予約をしました。

年が明けた2月、同じ高校の仲間で、30年前にバンコクで会社を立ち上げたSくんから、久しぶりに電話がかかってきました。私からSくんのことを聞いた同じ高校の友人Hくんがバンコクに自分を訪ねてきたというのです。それで電話をくれたのですが、何の気なしに、「今度、私と、MIくん、MUくん、Yくん、YNくんの5人で台湾に行くことになった」という話をしたら、「それはいいね。私も仲間に入れてくれ」とのこと。中華料理は、人数が多いほど楽しめるので、異存などあろうはずがありません。電話のあとすぐ、私たちのフライトや宿泊先の情報をメールしました。

 その2日後、「飛行機は予約したし、ホテルも同じところを取ったから」というメールが。というわけで、5人が東京から(うち1人は名古屋から)、1人がバンコクから台北に集結。同じ明和高校同窓同期の仲間としては、記念すべき(!?)初めての“海外合宿(=研修会)”となったしだい。羽田発のEVA航空で台北松山空港に着いたのは午後2時前。ボーディングパスにキティちゃんには笑ってしまいました。還暦をはるかに過ぎたオヤジですよ。乗客は若い女性や子どもだけではないのに……。空港まで、YNくんの古巣N社台湾法人の方が車で出迎えてくれました。

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  IMG_0425 (3) IMG_0436 (6)ホテルに着きチェックインすると、すぐ「故宮博物院」へ。途中、お茶屋さん(「昇祥茶行」)と、台湾随一というパイナップルケーキ屋さん(「李製餅家」)に立ち寄ってお土産を買い、そのあと中山北路と南京東路の交差点近くにあるレストラン(「山海楼」)へ。いささか高級に過ぎたきらいもありますが、100年以上前に建てられた屋敷をそのままレストランにしたというこの店、とても印象深く、記憶に残りそうです。最後は台湾の定番・足裏マッサージで疲れを癒しホテルに。バンコクから飛んできたSくんもチェックインを済ませているとわかり、食事がまだというSくんと一緒に、またまた食べに出ました。

 

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IMG_0468 (4)翌日は九份へ。茶館(「九份茶坊」)でお茶を飲み、土産物街をうろうろ。あいにくの天気で眺望は楽しめませんでしたが、昼食は東海岸の景勝地・鼻頭角にある海鮮レストラン「海園」。ここはたいそう美味でした。台北に戻りしばし休憩ののち、士林の夜市へ。ここからのアテンドはなんとN社の台湾法人C社長。食事のあとはその案内で行ったカラオケに興じました(林森北路「ひまわり」)。C社長のお話どおり、ママの歌はプロも顔負けのうまさ。聞けば、お姉さんはプロの歌手で、日本でもときどきコンサートをおこなっているとのことです。

ちなみに、この店の女性は全員、少数民族(先住民)の末裔で、夜10時になると、民謡を合唱で聞かせてくれます。最後は私たちも全員、女性たちの輪に加わり、声を出しながら踊りました。キホン明るいメロディーなのですが、どことなく悲哀を感じさせる曲に、なぜか目がウルウル。台湾における少数民族の歴史はいささか物悲しく、全員、飲みながらも複雑な思いを抱きながらホテルに戻りました。

部屋に戻ってノートPCをググってみると、ママのお姉さんは愛称「阿妹(アーメイ)」といい、プユマ族(卑南族)の出身だとか。本当の名前はグリライ・アミトゥ(Kulilay Amit)とあります(中国名は張惠妹)。妹(「ひまわり」のママ)は張惠春という名で、従姉妹の陳秋琳と3人で組んだユニット「阿妹妹(アーメイメイ)」もあることがわかりました。日本でも何度か公演しているようで、こんど来日したときはぜひ行かなくては。

IMG_0490 (3)3日目は、戦前からある老舗の茶館(=「紫藤盧」)で昼食。なんでも、「2・28事件」のとき、蒋介石政権に反旗をひるがえした仲間たちのたまり場だったといいます。その後、「2・28記念館」を見学し、北投【ペイトウ】の温泉地へ。川っぷちにある「川湯」という日帰り温泉でひと風呂浴びたあとはまたまた宴会に。

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風呂上がりのビールは格別でした。夜は、おいしさと安さでなかなか予約が取れないといういう北京ダックの店「龍都酒楼」へ。食べる前に、焼き上がったダックを丸ごと披露してくれたのにはびっくり。味もハイレベルでしたよ。

 

 

 

最終日の4日目(3月19日)は朝から「台北101」へ。あいにくの曇り空で、眺望はゼロ。展望台のある89階の広いフロアに、先住民とおぼしき衣装を着た団体が観光でやってきていました。一昨日そうした話を聞いていただけに、なんという民族なのか気になったのですが、結局わからずじまい。

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IMG_0499 (2)ホテルに引き返し、C社長と「中正紀念堂」を見学したあと、C社長も初めてという1人前750台湾ドル(日本円で3000円くらい!)という牛肉麺(台北牛肉麺コンテストで1位に輝いたそうです)を食べ(中山北路の「晶華酒店=リージェント台北ホテル」)、空港へ。夕方の便で帰国しました。バンコクから参加のSくんも、仕事のため後発の別便で東京へ。私たちのEVA便が遅れたため、なんと羽田の荷物受取所で再会するというおまけ付き。

YNくんは中国でN社現地法人の社長を務めていたので、現在は顧問ですが、その「御一行様」という扱いで、同社の台湾法人の皆さんには何から何までお世話になってしまいました。かえって申し訳ないことをしたなぁと、わたし的には反省もあります。でも、それ以上に、こういうフルアテンドの旅というのも、たまにはいいなと思ったりしました。次回はバンコクで「研修会」をという話もまとまり、いまから楽しみです。

2年ぶりのドミンゴ、おまけは皇后陛下!

2017年3月13日
おととしの秋、ラスベガスで偶然、楽しませてもらったドミンゴのコンサートがありました。共演はルネ・フレミング。ソプラノではいまナンバーワンといわれるアメリカのオペラ歌手です。といっても、そのレパートリーはたいそう広く、ほとんどなんでも歌いこなしてしまいます。最近も、3年前の「スーパーボウル」で、試合開始前に国歌を斉唱。これはオペラ歌手としては初めてでした。

そのフレミングが相手とあってはドミンゴも張り切るはず。名曲の数々を披露してくれましたが、いちばんノッていたのは、ラスベガスのときと同じ『ベサメ・ムーチョ』でした。母国語の歌ということもあるでしょうし、ドミンゴ自身が心の底から楽しんでいる風がありあり。

!cid_ba50c32b-dd76-457a-a101-8a2dd2106cbe@apcprd04_prod_outlookそうそう、もう一つおまけがありました。皇后陛下がお聞きにいらしていたことです。途中の休憩とき、用を済ませ席に戻ろうとしたら警備の人から「すみません、VIPが通るので、しばらくこの通路をふさがせていただいています。お急ぎなら……」といわれたのですが、はて、誰だろうと思いました。たぶん皇族だろうなとは推測しましたが、まさか皇后陛下とは! しかも、私たちが座っている2階のほとんど同じ列。距離にして10メートルほどだったでしょうか。これで去年・今年と、半年の間に2度、両陛下と出くわしたことになります。S席38000円は恐ろしい値段ですが、『ベサメ・ムーチョ』と皇后陛下で元は取れた(?)ような気がします。

 

京都っぽくない名前の「城南宮」で、しだれ梅を堪能

2017年3月7日
明日・明後日と京都で所用があり、今日は前泊の予定です。「いまごろは梅が満開じゃないかしら。せっかくだから観てみたいわね」という家人のつぶやきが聞こえました。そういう話なら、即ノリです。どうせならということで、早起きして午前10時過ぎに京都着の「のぞみ」に乗りました。

最初に行ったのは、京都駅からJR奈良線で30分ほどのところにある山城青谷【あおだに】。その近くにある「梅谷梅林」が目的地。ちょうど「梅まつり」の最中で、期待しながら向かいました。ここは、梅がたくさん植えられている庭園ではなく、いわゆる生産農家が小高い丘全体に梅を栽培しているという触れ込みだったからです。有名な北野天満宮の梅とはかなり様子が違うのではないかと。
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しかし、残念なことに花の開きがまだ二~三分で、全然物足らないのです。金曜日なので、それなりに人が訪れてはいましたが、「ワーッ!」とか「すご~い!」といった歓声は聞こえてきません。

このままでは……と思い、急遽方針を転換。近くに別の梅見の場所はないかと、タブレットで探すと──、ありました! 同じ奈良線で少し京都方向に戻り、近鉄電車に乗り換えてすぐのところに、「城南宮」というやはり梅の名所が。画面を見ると「満開」とあり、そちらに行くことにしました。

途中昼食をはさみ、午後2時ごろ到着。最寄駅は近鉄奈良線の竹田で、駅から徒歩15分のところにあります。ただ、途中の道筋は京都らしい風情がほとんどなく、ホントこんなところにあるのだろうかと心配になりました。「城南宮」という名前も、いまひとつ京都っぽくありません。「宮」というので、最初は皇族の別邸のようなところをイメージしていたのですが、なんのことはない、神社なのです。たしかに、神社も「宮」といいますからね。

しかし、これが大ヒットでした。神社に付随する庭園の一角(といっても広いですよ)に、しだれ梅がびっしり。どの木もホント満開でした。梅は、咲いている期間が長いのが桜と違いますが、これだけ素晴らしい花を咲かせていれば、さぞかしたくさんの人が観に訪れるのではないでしょうか。

!cid_5d2f4521-d956-4f7b-a2cf-d169522673a4@apcprd04_prod_outlookちなみに、今回初めて知ったのですが、「城南宮」の創建は794年で、白河天皇が「鳥羽離宮(城南離宮)」を作られたのを機にその一部となったとのこと。歴代の天皇・上皇もしばしば訪れておられるようです。位置的に京都御所の裏鬼門にあたることから、貴族の方違【かたたがえ】用の宿所として用いられ、方除【ほうよけ】の神として信仰を集めた時期もあったといいます。その後応仁の乱で荒廃したものの、江戸時代に復興。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」では主戦場となったそうです。

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梅が植わっているのは「春の山」といに名の庭園。ほかにも4つの庭園が配されていました。それぞれ個性があり、あっという間の1時間でした。
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内容もさることながら、造本の妙味を感じさせられた本

2017年3月5日

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津田久美子さんの『ルワンダに灯った希望の光─久美子のバナナ和紙』という本ができ上がり、版元から見本が届きました。四六判並製・240ページオールカラーで、著者の心やさしさがそのまま伝わってきそうな親しみやすいカバーが、まず目をとらえます。ページをぱらぱらめくると、本文用紙のやわらかい感触が指先に伝わってきます。ふんだんに使われているカラー写真の発色がとても素晴らしく、それだけを追いかけていても飽きが来ません。みごとな仕上がりで、この1年間、その編集にたずさわってきた私にとってもうれしい一書になりそうです。

版元の書肆侃侃房【しょしかんかんぼう】さんは、15年来親しくさせていただいている田島安代さんが営む福岡の会社。柔軟でふところの深いセンスには日ごろから敬服していたのですが、今回の本で見せてくださった本づくりに、その思いをますます深くしました。というか、「造本」ということの意味合いを改めて考え直させられたように思えます。

どんな本も紙に印刷するのですが、紙といっても、写真集や画集に使うアート紙、漫画雑誌に使われているザラ紙、それと普通の本を印刷するための書籍用紙(「コート」とか「マットコート」「上質紙」「特殊紙」とかさまざま)など千差万別。広告チラシのように1枚こっきりではないので、ページを繰るときの感触が、その本のテーストにも大きく影響してきます。また、本文の印刷に使われるインクとの相性、写真や図版の映え・色の乗りなどとの関わりも含め、紙選びは本の命を左右するといっても過言ではありません。

年か8万点を超える新刊本が出版される昨今の出版界にあって、そうしたことにまでこまかく気を配る版元は少ないように思えます。しかし、田島さんのところは、そのあたりが違います。結果、そのテーマ、内容にぴったり合った造本がなされ、手に取った読者を、より心地よくしてくれるのです。いい洋服を試着したときの感覚と似ているかもしれません。
そして、ページを繰りながら読み始めると、その段階でも読み手はさまざまな感想を抱きますが、この本の場合どうでしょうか。編集者としてはとても気になる部分です。

 

内容は──。販売促進用に作られたチラシの言葉はこんふうになっています。
50代後半で一念発起、大使館勤めを機にアフリカへ。
舞台は、凄惨をきわめた内戦のあと国家再建の途上にあるルワンダ。
経済格差に苦しむ農民を支援したいと「エコ・バナナペーパー」を開発し、
新たな雇用の創出に汗を流す著者12年間の奔走記。

ちなみに、著者の津田久美子さんは、私の仲人を務めていただいた方です。些細ではありますが、ご恩返しができたような気がします。いや、売るための算段をしなければそうはならないかも……。