ついに完成した中国語版の「県民性」!

2018年4月15日
一昨年の春からスタートした企画がようやく“形”になりました。拙著『新 出身県でわかる人の性格』『鹿児島学』『新 不思議の国の信州人』など7冊、さらに新聞・雑誌等への寄稿したものを再編集し、中国語に翻訳した『細説日本』全4巻が完成したのです。

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全国を東西南北4つのエリアに分け、都道府県別に県民性や歴史・地理、独特の食べ物、中国(秦の時代から)と由緒のある観光スポットなどを紹介する内容で、読者ターゲットは、近頃どんどん増えている訪日中国人観光客。「日本を訪れる前にぜひ予習を」という狙いです。何せ人口が日本とひと桁違う国ですから、1000人に1人が買ってくださったとしてもかなりの部数になります。

再編集の作業はもちろん、私自身がおこなったのですが、これが予想以上に手間取り、版元の当代世界出版社(北京)に原稿を渡すまでにほぼ1年。さらに、翻訳作業に1年かかり、やっと刊行までこぎつけた次第。翻訳文のクオリティーを判断できないなど、歯がゆい部分もあります。それはそれとして、全4巻となると、形になってみるとやはり壮観です。

中国の出版事情も日本とよく似ているらしく、版元の編集長は「人口より、出る本の点数のほうが多いくらいで」と、ジョークを言っていました。そうした状況の中、売れるといいのですが……。
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「石見銀山」をあきらめ、広島へ

2018年4月12日
前夜テレビのニュースで、つい4日前この地方で起こった地震のため、「石見銀山」もかなり被害を受けていることを知りました。いちばん観たいと思っていた「龍源寺間歩【りゅうげんじまぶ】」(「間歩」とは鉱山の掘り口)も立ち入り禁止になっているというではありませんか。石垣や狛犬【こまいぬ】の台座が割れたり崩れたりと、映像で見てもたしかに危険な印象を受けました。

こうなると、今日の動きを練り直さなければなりません。結局、午前中は津和野で昨日回れなかった「森鴎外記念館」「乙女峠マリア聖堂」「太皷谷稲成【たいこだにいなり】神社」を訪れ、早めに広島に移動することに。

DSC05291「乙女峠マリア聖堂」は、津和野駅の近くにある小高い山の中腹にひっそりと建っていました。なぜ、こんなところに? と思いながら山道を5分ほど歩くと、なんとも質素な木造の教会がありました。「聖堂」の周囲にはいくとも石碑や石像が立てられており、その一つひとつに碑文が刻まれています。この「聖堂」は、1939年、この土地を購入したカトリック教会広島司教区が、殉教した隠れキリシタンを偲ぶため質素な記念堂を建て、それがのちに「聖堂」と呼ばれるようになったのだとか。

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幕末の1865年、長崎で隠れキリシタンに対する大規模な弾圧があり、長崎・浦上の信者153人を津和野への流刑に処したのです。彼らは、当時廃寺になっていた光琳寺に連行・収容されました。改宗させるために連日連夜厳しい拷問をおこない、最終的には37人が命を奪われたのだそうです。

「聖堂」の前を掃除する老女に挨拶しドアを開けて中を見させてもらうと、30畳足らずの広さしかありません。質素な祭壇をはさむ左右の壁に8枚のステンドグラスがあり、そこには拷問の様子が描かれていました。

「森鴎外記念館」は「乙女峠マリア聖堂」とは対照的に、すばらしくモダンな建築の建物です。津和野に生まれ育ったものの、10歳で故郷を離れ東京で陸軍軍医になった鴎外は、「石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と遺言したそうです。そのため、墓地は東京・三鷹とここ津和野の寺院にあるのですが、津和野と鴎外とのつながりを事細かに示す展示は充実した内容でした。この夏、鴎外が留学したベルリンに行く予定があるので、現地でぜひ下宿して家を訪れてみたいと思います。

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DSC05301「太皷谷稲成〔たいこだにいなり〕神社」は、京都の「伏見稲荷大社」と同じような千本鳥居が山のすそを縫うようにして立ち並んでいるので、前日、山口から走ってきた道路からもはっきり見てとれました。ちょうど新緑の季節にさしかかっている時期なので、余計に朱色が冴えています。山の中腹から約300m続く石段を登ったところに本殿があるのですが、そのすぐ近くに駐車場もあるので、階段を上らなくてもお参りはできるようです。今日もまた天気はよく、ここから見渡せる津和野の町は素晴らしかったですよ。

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広島に出発する前に道の駅「津和野温泉 なごみの里」に立ち寄ってみました。地域住民のコミュニティーセンター的な感もありますが、天然ラドン温泉、レストラン、野菜市場、お土産屋、体験工房などから成っていて、けっこう客がやってきます。このひ休業していた温泉が開いていれば、もっと多いのでしょう。まわりも素晴らしい自然に恵まれ、津和野がリッチであることがよくわかります。

広島までは2時間少々。予定より4時間も早く着いたので、かの有名な「八丁座」で映画を観たりして過ごし、夜は流川の「さわ田」で、おいしい洋風夕食を楽しみました。

山口から津和野へ

2018年4月11日
午前中は山口市内の歴史スポットを何カ所か訪れました。スタートは「香山【こうざん】公園」。その一角にある「瑠璃光【るりこう】寺五重塔」は国宝で❝日本三大五重塔❞の一つだそうで、1422年の創建といいますから、築600年! とても味わいのある建物です。本堂のほうはさほどでもありませんでしたが、隣接する毛利家の菩提寺「洞春寺〔とうしゅんじ〕観音堂」に向かう途中にある「沈流亭」は薩長連合の密議がおこなわれた建物とかで、2階は当時のままだそうです。山口県は明治維新と深く関わる地だけに、このテのスポットには事欠きません。

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DSC05216次に訪れたのが、山口県庁に隣接してある「旧山口藩庁門」、大正建築の粋を集めたという「山口県旧県会議事堂(国指定の重要文化財)」とそのすぐ隣にある「旧県庁舎」。議事堂の議場に入り、議長席に座ったり演壇に立ったりして遊びました。その時代の県会議員はさぞかし偉かったのでしょうね。旧県庁舎の中にそのまま残されている知事室を見ると、それよりさらに偉かったのが県知事だというのがよくわかります。いまもその名残は多くの県で残っているようですが。

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そのあと「龍福寺本堂」「八坂神社本殿」(どちらも重要文化財)を訪れ、最後は「山口ザビエル記念聖堂」。もともとの建物は火事で焼失してしまったため、新しく建て替えられたのですが、これがめっぽうユニークな建物で、中もいま風というか、シンプルがコンセプトの斬新な設計です。新しい時代のキリスト教会の代表作というか、昔観たフランス北部の町ルーアンで観た「聖ジャンヌ・ダルク教会」を思い出しました。あっさりした中にも威厳を感じさせるステンドグラスが印象的です。

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ただ、もっと印象に残ったのは、そのすぐ近くにあるベーカリー&カフェ「ザビエル・カンパーナ」。ベーカリーのほうはたいそうな人気で、お客であふれていましたし、カフェのほうもランチタイムはバイキングスタイルで営業しており、充実した内容。なんといっても「シニア料金(=2割引き)」があるのが気に入りましたね(笑)。

山口から次の目的地・津和野(島根県)に向かいます。車で1時間ですからあっという間でしたが、ここもまた閑散としていました。1970年代だったか、津和野が“アンノン族の聖地”としてもてはやされた時代は、人であふれていたのでしょうが、いまその面影はありません。ちなみに、「アンノン族」という言葉はいまでは死語のようで、「ファッション雑誌やガイドブックを片手に一人旅や少人数で旅行する若い女性」(wikipedia)を意味します。

もちろん、津和野の町自体は「小京都」と言われるだけあって、すばらしく魅力的です。江戸時代の最初から最後まで同じ殿様家が治めていたこともあり、なんとも言えない落ち着きがあります。「安野光雅美術館」など、さほど広くない中心エリアを4時間近く歩き通しで、足も疲れ、のども渇いたのでお茶でも飲もうかと、喫茶店とお土産屋を兼ねた店に入りました。

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兼業店といっても、どちらも本格的な造りです。時刻は4時半。ところが、テーブルに座ってメニューを見ていると、店員から「喫茶のほうはもう終わりです」と言われました。これには唖然茫然。私たちのすぐ後から入ってきた外国人のカップルも、愕然とした様子。それはそうでしょう。だって、まだ4時半! ですからね。「おもてなし」とか「ホスピタリティー」という言葉をあちこちで耳にするこの頃ですが、その片鱗すら感じさせない冷たい仕打ちとしか言いようがありません。

仕方なく予約していた旅館にチェックインすることにしましたが、ここもまた、「昔はよかったんだろうけど……」といった印象です。向かいにある老舗っぽい旅館もかなり前に廃業したのか荒れ果てていました。

今回の旅をプランニングしているとき、津和野の街中には「ホテル」が一つもないことを知りました。あるのは「旅館」と「ユースホステル」的な宿泊施設だけ。かの「アパホテル」もありません。うーんとも思ったのですが、翌日「石見【いわみ】銀山」に行くことを考えると、山口に戻るのも非効率です。ほかに選択肢がないので旅館を予約したのですが、いかにも欧米の人たちが好みそうな観光資源を抱えているのに、とてももったいない感じがします。ただ、この旅館、食事だけはハイレベルでした。

なんともさびし~い、山口の夜

2018年4月10日
「こんぴら歌舞伎」を楽しんだ翌日は山口です。高松からはまず、今年で開通30周年を迎えた瀬戸大橋の上を走るJRで岡山まで。新幹線に乗り換えて広島に行き、ここで下車してレンタカーを借ります。最近できた広島都市高速から山陽道を経て、まずは秋芳洞【あきよしどう】まで行きました。今日は絶好のドライブ日和で、快適そのもの。

秋芳洞は、カルストが目いっぱい広がる秋吉台とセットになっている観光スポット。平日とあって、どちらも閑散としていました。現在全国に56カ所ある国定公園のなかでも比較的早い時期(1955年)に指定を受けているので、ある意味“終わった観光スポット”なのかもしれません。しかし、初めて訪れた私の目にはたいそう新鮮な景色に映りました。

DSC05124カルスト(Karst)とは、石灰岩など、水に溶けやすい岩石で構成された大地が雨水、地表水、土壌水、地下水などによって侵蝕されてできた地形(鍾乳洞などの地下地形も含む)で、秋吉台は日本最大の広さ。その地下にあるのが、国の特別天然記念物に指定されている秋芳洞【あきよしどう】です。ほかのものも合わせると、秋吉台には450以上もの鍾乳洞があるとのこと。

 

日本一というだけあって、秋芳洞も秋吉台も、圧倒的な迫力です。秋芳洞の中へ年間いつでも気温17℃だそうですから、真夏に行ったらたまらないでしょうね。全長1km超、アップダウンもけっこうあるので体力は要りますが、次から次へとあらわれてくる摩訶不思議で神秘的な石灰岩の自然アートを目にすると、疲れも吹き飛びました。

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そのあと秋吉台も観て、今日の宿泊地・山口市までは車で30分。「西の京」とも呼ばれる町なので、けっこう期待していました。しかし、実際に行ってみると、いやはやなんとも……。地方都市の常ですが、人通りが少ないのです。

 

DSC05177 秋吉台にて

夕食も、店を見つけるのにひと苦労しました。私たちのホテルは県庁や市役所に近い旧市街にあったのですが、近頃、山口市の中心地(人が多く集まるという意味ですが)は湯田温泉に移っています。2年前ロシアのプーチン大統領も訪れた場所です。宿泊施設(といってもホテルはほとんどありません)の多くはそちらに集中しており、旧市街一帯はもぬけの殻状態。かつてはこちらのほうが人も集まったのでしょうが、いまやその面影はないようです。

ホテルを夜7時に出て、「米屋【こめや】町商店街」「中市【なかいち】商店街」まで歩いていきましたが、飲食店はほぼゼロ。7時半過ぎには明かりがほとんど消えかけており、歩いている人の姿もありません。「これはヤバい」と思い、スマホでググって見つけた、ホテルからもほど近い店も廃業したようで真っ暗。仕方なくそこから戻る途中で見つけた店に入りました。ただ、これがまずまずのヒットで、かろうじて満足の行く夕食を摂ることができました。「うーん、県庁所在地なのに……」とも思いましたが、山口市自体、人口は20万に満ちず、県庁所在地のなかでは45位(それより少ないのは鳥取市と甲府市)。一時は最下位でしたから、これも仕方ないかとは思いますが。それにしても、夜7時半過ぎだというのに人っ子ひとりいない商店街というのは気味が悪いものです。

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江戸時代の人は、こんな所で観劇を楽しんだ!

2018年4月9日
念願の「こんぴら歌舞伎」を観ました。場所は香川県琴平【ことひら】にある「金丸【かなまる】座」。1835年に建てられた、現存するわが国最古の芝居小屋です。朝7時40分羽田発のJAL便で高松まで飛び、空港でレンタカーを借りて琴平まで。歌舞伎が始まるまでの数時間は、「金刀比羅【ことひら】宮】」=「こんぴらさん」に上ったり、周辺のスポットをくまなく見て回るなどして楽しみました。

20180409~13琴平・山口・津和野 030車は刀比羅宮」参道の途中(500段目)にあるカフェ「神椿」に駐車。ここは東京・銀座の資生堂パーラー直営で、飲食さえすれば駐車OKなのです。参道の階段は、「本宮」までで785段ありますから(実はまだその先に奥社=「厳魂【いずたま】神社)があり、そこまでだと1368段だそうです!)、その途中にあるのは大助かり。

 

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「神椿」から、それほどきつくない階段をえっちらおっちら上っていくとありました、「本宮」が! しかし、思っていたほどの“けばさ”はありません。伊勢神宮もそうでしたが、世に名の知れた神社はどこも皆、深閑とした空気が流れているもの。「神妙」という言葉もあるように、神社の境内に身を置くと不思議にすがすがしい気持ちになります。その点、仏教寺院はなんとも俗的というか、あれもありこれもありで、世俗の匂いがぷんぷん漂っているように思えてなりません。本宮の奥のほうに「絵馬殿」がありました。「金刀比羅宮」は昔から航海安全祈願の信仰を集めていたことから、圧倒的に多いのは船の絵馬です。ほかにも、全国各地から奉納された絵馬が数多く飾られていました。
本宮の奥のほうに「絵馬殿」がありました。「金刀比羅宮」は昔から航海安全祈願の信仰を集めていたことから、圧倒的に多いのは船の絵馬です。ほかにも、全国各地から奉納された絵馬が数多く飾られていました。

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「金刀比羅宮」を下り、JR琴平駅のユニークな洋風駅舎(国の文化財)、往時のにぎわいを思い起こさせる「鞘【さや】橋」、「高燈籠」(1865年に完成、高さ27mは日本一の高さ。瀬戸内海を航行する船から「金刀比羅宮」を拝む際の目標となっていた。国の重要文化財)、「琴平町公会堂」(1932年に造られた和風の建物で国の文化財で、現在も使われている)などを訪れる合間に、「虎屋」でうどんの昼食。ここは400年近く前に創業された旅館で、昭和天皇・皇后両陛下も泊まられたことがあるとのこと。現在、旅館のほうは廃業)で、その帳場がいまは食堂になっています。2階は客室だったそうで、窓の前=高欄に彫られた虎が往時をしのばせます。

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「金丸座」は、「金刀比羅宮」参道のすぐ近くにあることから想像できるように、かつては、参拝者の楽しみのために年に3回、仮設の小屋が造られ、歌舞伎などの興業がおこなわれていました。江戸時代中ごろから金毘羅信仰が盛んになり、参道を中心に門前町が形成されると、常打ちの小屋が建てられ、「金毘羅大芝居」が始まりました。江戸、大坂の役者も数多く登場したといいます。

1985年に復活した「こんぴら歌舞伎」にはこれまで、日本歌舞伎界の錚々たる役者がやってきています。そういえば、先の「虎屋」で、うどんを注文したあと店内を見渡すと、1枚の古い写真が貼ってあるのに気がつきました。「こんぴら歌舞伎」が始まったころ、子役5人が一堂に会したものです。写っているのは勘三郎・時蔵・又五郎・三津五郎・雀右衛門。おそらく30年ほど前でしょうが、貴重な写真です。

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それにしても、「金丸座」の座席は限界を超えるほどの狭さでした。私たちが予約購入していたのは1階のます席ですが、左右50cm、前後1mほどのスペースに置かれた二つの座椅子におとな2人が座るのは、途中休憩があるといっても、やはり無理というものでしょう。江戸時代の日本人のサイズに合わせているのかとは思いますが、ここいらは少し考えてほしいものです。きついと思えば2階の両サイドにある桟敷席を買えばいいのですが、こればかりは実際に来てみなければわかりませんからね。でも、この日は幸い、急なキャンセルが出たとかで、場内で客のおもてなしをする女性ボランティア=お茶子【ちゃこ】さんから、「ちょっと後ろになりますが、そちらの席に移られますか」と言葉をかけられ、迷わずそちらに移動しました。おかげで楽に観ることができました。

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席に着き、あちこち目をやると、顔見世提灯(出演する役者の屋号の家紋が入った提灯がぶどう棚の舞台寄りに吊られている)や明かり窓(場内の明るさを調整するためのもので、手動)が。江戸時代の人々はこういう場所で観劇を楽しんでいたのだというのがよくわかります。演目の最後、踊りのときに上のぶどう棚から大量の紙吹雪が。これには文句なしに感動しました。

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「吉田茂」漬けの1日に興奮!

2018年4月1日
いまやすっかり恒例行事となった、高校の同期生による社会見学。今回はおととい(3月30日)から2泊3日のスケジュールで、私以外の6人は箱根で1泊。残念ながら私は2日目(3月31日)からの参加になってしまいましたが、それでも夕方訪れた「旧吉田茂邸」はよかったです。

IMG_E3753実はこの日の昼前、九段下にある九段坂病院まで友人の見舞いに行きました。そのあと集合場所の大磯まで列車に乗るため東京駅まで行くことにしていたのですが、天気があまりによく、歩きなさいなと言わんばかり。そこで、九段下からお濠沿いを、途中から北の丸公園、さらに皇居東御苑と歩きました。清水門から北の丸公園に入ってしばらく歩くと、吉田茂の銅像が立っています。今日の夕方「旧吉田茂邸」に行く身にとっては、これは無視できません。近づいて写真を撮りました。

 

東京駅から大磯までは約1時間。駅の改札でほかの6人と合流し、バスに乗って城山【じょうやま】公園で下車したところに「旧吉田茂邸」があります。数年前火事で全焼したものをその後再建したのですが、まわりの庭園は往時のまま。歩いてみると、ここにも吉田茂の銅像があるではないですか! こちらは北の丸公園のそれと違って、和服姿、手にはトレードマークだった葉巻を持っています。海をバックに立つ銅像の吉田茂の目はサンフランシスコの方角を向いているとのこと。太平洋戦争後の講和条約にサインしたのは吉田ですから、なるほどです。

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「旧吉田茂邸」をあとにし、茅ヶ崎まで戻って夕食。これでいちおう見学会の全日程は終了。ただ、そのあとの「もう1泊」が盛り上がるのですね。江の島までタクシーで戻り、駅前のコンビニで酒やつまみをしこたま買いました。

そして、飲みながら、また交代で風呂につかりながら、テレビのスイッチを入れると、NHKが2週連続で放送していたドラマ『地図に出ていない国』の後編が始まりました。参加者7人のうち、前篇を観ていたのは3人でしたが、せっかくなので後編も観ることに。ところが、その中になんと吉田茂が登場したのです。

IMG_E3823このドラマは終戦後、ソ連が占領した旧満州にいた日本軍兵士や、移民で現地に行っていた民間人、合わせて150万人ほどが悲惨な状況に置かれているので、彼らを1日も早く故国へ帰してあげたいと行動を起こした日本人3人の物語。それを実現するため、3人がひそかに日本に戻って、進駐軍GHQのマッカーサー元帥と交渉するのですが、それを陰で支援したのが吉田茂だったのです。画面に登場した吉田茂を見て、私たちのテンションも上がりました。それはそうでしょう、夕方まで吉田茂の居所にいたのですから。私なんぞは、朝、昼、夜と1日に3回も吉田茂と出会ったわけで、興奮しっぱなし。まあ、そのわりには夜グッスリ眠りましたが(笑)。世の中、こんな不思議なこともあるのですね。

「台北動物園」「猫空」「中正紀念堂」「士林夜市」「台北101」

2018年3月30日
今日で台北も最後。2日目(3月28日)の朝食は、「世界豆漿大王」で、鹹豆漿、蛋餅、小籠湯包、焼餅猪排起士蛋エトセトラの台湾メシ。これで〆て1000円足らずですから、安~っ! いかにも大人っぽいメニューで、2人の孫にはあまり好評ではなかったようですが、1回くらいは我慢してもらわないと……。その日は朝から「台北動物園」。子どもたちはパンダをゆっくり観られて大喜び。ほかにもキリンやカバ、ライオン、シマウマ、チンパンジーなどを堪能したようです。

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ただ、さすがは台湾、まだ3月末だというのに、朝から気温はグングン上昇。30℃近い中を歩き回り、さすがに疲れました。そのあとはロープウェーで「猫空」へ。子どもたちにとっては怖さ半分・楽しみ半分だったにちがいありません。それなりにはしゃいではいたので、まあ成功でしょう。バスで下まで降りたあとはいったホテルで休憩。

3日目は「大安森林公園」へ。名前のわりには木が少なく、カンカン照り、気温も30℃近い中で1時間ほど遊びましたが、早々に疲れが来ていたようです。迪化街の入口にある「永楽市場」までタクシーを飛ばしました。その1階に店を構える、1894年創業の「林合發油飯店」で行列して私たちの大好物「油飯」を買い、ホテルに戻ってランチ。ひと休みしたあと、夕方、地下鉄に乗って「中正紀念堂」に行き、衛兵の交代式を見学。夜はこれまた定番の「士林夜市」へ。

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最終日の今日は「台北101」に上りました。昨年、高校の同期生と来たときは曇って何も見えなかったのに、今日は素晴らしい好天で、ほぼ100%のパノラマ。ランチは何がなんでも魯肉飯をというので、タクシーを飛ばして行ったのですが、なんと50人近い人が行列しています。これでは帰りの飛行機に間に合わないと、近場を歩いて探すと、台湾全土に50以上も店舗を展開している「?鬚張魯肉飯」がありました。迷わずそこに飛び込んでセーフ。でも、けっこうおいしかったですよ! 唐山排骨と貢丸湯もおいしかったですよ。

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図らずも、孫と一緒に台北旅行

2018年3月27日
昨年に続き台北出張です。ただ今回は、今年の1月4~7日、娘と、その孫2人を連れて台北旅行を計画していたのが、孫の一人がインフルエンザに罹ったためドクターストップがかかり、中止に。そのリベンジをと、娘が相乗りしてきたため、だいぶ様相が変わりました。

松山空港からホテルまではタクシーで10分少々。部屋で荷ほどきを済ませ、夕食へ。といってもまだ4時前です。ただ、孫は7歳と5歳なので、すべて早め早めになるのはやむを得ません。4時半に永康街の「鼎泰豊」本店へ。この年齢で生意気にも小籠包が好きだという2人のお目当てもそれだったようです。幸い、すぐ席に案内され、さくさくと食べることができました。

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驚いたのは店を出たたとき。6時ちょい前だったのですが、店の前には早くも大行列が。小籠包の本家本元というだけあって、地元の人はもちろん、日本人(こちらのほうが多そうでした)、さらに青い目の人たちやらでごった返していました。早めに店に入って大正解だったということになります。そのあとは近くの雑貨屋に入ったり、有名な「思慕昔(台湾語でスムージーと発音するらしい)」で超ビッグサイズのマンゴアーアイスを食べたりしながらしてブラブラし、7時過ぎにはホテルに戻りました。

今日もまた丸一日、ずーっと「研修」

2018年3月26日
昨日は帰りの高速道路が渋滞し、帰宅したのは夜10時を過ぎていました。しかし、今日もまた丸一日お勉強=「知求アカデミー オープンカレッジ」。テーマは「スペイン」「フランス」「世界のお祭り」「インスブルック(オーストリア)」の4つ。旅行会社の主催とあって、内容のベースはすべて「旅」です。

会場は重要文化財でもある目白の「明日館」。フランク・ロイド・ライト設計の瀟洒な洋館の前には大きな桜の古木がそびえ、前の通りを歩く人々の目をなごませてくれます。前はこのすぐ近くに私の仕事場があったのですが、移転してから久しぶりで訪れました。「明日館」の中に入ったことはありますが、今日は講堂にまで入れる貴重なチャンスで、楽しみにしながらやって来ました。

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講座のほうは非常にためになるものもあれば、全編これコマーシャルといった感じのものもありましたが、メインの目的は正直、「桜+明日館」だったので、まあよしとしましょう。それでも、この夏行くことにしているインスブルックの話はとても役に立ちました。

 

 

かつて2度も冬季オリンピックを開催したインスブルックは、ずっと前から一度行ってみたいと思っていた町です。そこに、この8月、8日間滞在するという、一風変わったツアーを申し込みました。夢のような話ですが、この町をベースに、近辺に集中する冬季オリンピック開催地(シャモニー、アルベールビル、グルノーブル、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、サンモリッツ=こちらは2月に行きましたが)を見て回る旅は、10年以上前から抱いていた願い。その一部が今夏やっとかないそうで、いまから興奮しています。

 

桜と富士を堪能した研修旅行

2018年3月25日
予想以上に早く桜が咲き、今日あたりは関東地方から西はどこも皆、満開かその寸前といった感じのようです。朝から素晴らしい天気で、絶好の花見日和ですが、今日の私はまる1日かけての研修。西伊豆は沼津市戸田【へだ】の「造船郷土資料博物館」と韮山(伊豆の国市)の「江川邸(江川家住宅邸)」を訪問・見学するバスツアーです。主催は私も役員を務めているNPO法人「日ロ創幸会」。

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前者は、幕末その地で日本初の洋式帆船が造られたことにちなんだもの。1854年、日本との国交樹立交渉のため伊豆半島南端の下田港に停泊していたロシアの帆船「ディアナ号」(艦長はプチャーチン)が、折からこの地を襲った安政の大地震で船底と舵を破損してしまいました。戸田の港で船を修理することになり、伊豆半島西の沖合を航行中、こんどは嵐に遭い、富士川河口近くまで流されます。戸田の漁民たちが多くの小舟を出し、ディアナ号を戸田まで曳航する一方で、500人ほどの乗組員は、現在の富士市から陸路で戸田まで移動。しかし、またもや強風に襲われ、最後は駿河湾のもくずと消えてしまいました。

そこで、プチャーチン一行がロシアに帰国するための船を新たに造ることになったのですが、当時の日本に、洋式の帆船を造る技術などありません。船造りを仰せつかった韮山代官の江川太郎左衛門英龍は、近在の船大工を総動員、ディアナ号からかろうじて運び出されていた船の設計図をもとに、ロシア人技術者と協力しながら、わずか3カ月で排水量100トンという本格的な帆船をみごとに造り上げました。

プチャーチンはその船に「ヘダ号」と命名、それに乗ってロシア人の一行は無事帰国したのですが、同じタイプの帆船をその年さらに6隻造り、江戸幕府に納めたそうです。このとき建造にたずさわった船大工たちがその後、江戸や長崎など全国各地で指導にあたったといいます。いうならば、戸田は近代造船技術始まりの地というわけですが、そうした経緯をボランティアのガイドさんから学ばせていただきました。

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今日は、朝、東京を出て東名高速を走っているときから、窓の外には次から次へ満開の桜が見えましたが、途中からそれに富士山の姿が加わりました。ちょうど3月21日に全国を寒波が襲った際、富士山の頂上付近にも雪が降り真っ白になったこともあって、どこを走っていても目立つのです。桜と富士の“そろい踏み”ですから、日本人の血が騒がないわけがありません。バスの中ではずっとハイテンションで、戸田をあとにしてからはさらにヒートアップ。誰もが、日本人が前人未到の帆船造りにチャレンジし成功したのを、同じ日本人として誇らしく思えたからでしょう。

次の目的地・韮山の「江川邸」も、庭の桜が満開。築後800年を超えるという江川家の36代当主が、戸田で造船の指揮にあたった江川太郎左衛門英龍です。鎌倉時代に日蓮みずからが書したという曼荼羅が収められた棟札箱が、屋根裏に安置されていました。ボランティアガイドさんの説明によると、その棟札があったおかげで、この屋敷は今日まで一度も火災に遭わず、地震で倒壊することもなかったとのこと。この話は江戸時代すでに広く知られていたそうです。

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それにしても、伊豆半島というのは、どこにいても富士山がよく見えます。この日はとにかく好天で、最後の最後まで富士の姿を観ながらの研修ツアーになりました。参加者の心がけがよほどよかったのでしょうね。もちろん、私もその一人ですよ、エヘン!

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