「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなんだ」

2018年3月16日
5パーセントの奇跡

この4日間で3本目の映画です。今日は『5パーセントの奇跡~嘘から始まる素敵な人生~』を観ました。

「幸せになるための道なんてない。道それ自体が幸せなんだ」。主人公サリヤ・カハヴァッテが「ブッダ(釈迦)の言葉」と紹介するこの台詞で映画は始まります。後味がいいというか、なんともさわやかな作品で、感動しました。ちょうど、ピョンチャンでパラリンピック冬季大会がおこなわれていることとも重なっていたのも影響しているかもしれません。そう、主人公は障碍者なのです。

 

 

映画は、ドイツで実際にあった話に基づいて作られたようです。サリヤはスリランカ人の父親とドイツ人の母親を持つハーフ。彼が自身の体験を、本に書いたのが10年ほど前で、釈迦の言葉を引き合いに出しているのは、敬虔な仏教徒だからです。

高校卒業の直前、網膜剥離で5%の視力しかなくなってしまったサリヤは、5つ星ホテルに勤めたいという夢を実現するため、視覚に障碍があることを隠し(=嘘をついて)、ミュンヘンの超一流ホテルの研修生に応募します。首尾よく採用されたところから、研修(インターン)期間を終え、その修了試験を受けるまでの顛末【てんまつ】を描いたもの。

同じ「嘘」が素材でも、3日前に観た『嘘八百』という日本映画とは比べものにならないくらい、脚本がよくできていました。私の好きな、”こうなってほしい映画”そのものといえます。撮影に使われていた超一流ホテルが、昨年秋ミュンヘンを訪れたとき、ガイドさんが教えてくれた「シュヴァイツァーホフ(Schweizerhof)」だったのも、作品に親しみを感じた理由の一つでしょう。

この映画の宣伝チラシにも「幸福とは、結果ではなく、夢を諦めずに苦しみながら進んだ人生そのもの」とありますが、それは冒頭の「ブッダの言葉」とみごとに重なりました。予告編がまだネットで見られるようですので、時間があったらチェックしてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=XA_bDKjOEVk

エンドロールのカットに、この実話の主であるサリヤ・カラヴァッテ本人が顔を見せているのに気づきました。彼はあるラジオ放送のインタビューで「人生のモットー」を問われ、これまた釈迦の言葉だとして “The only constant in the world is change.”と答えています。この映画のヒットによって、さらに大きな「変化」を経験することになるかもしれません。

 

IMG_3549それにしても、この作品を上映していた桜坂劇場は、那覇でも不思議なエリアの一角にあります。昭和40年代の匂いをまだ色濃く残しているこの界隈にも再開発の波が押し寄せており、つい2、3年前にはアメリカ系の高級ホテル「Hyatt Regency」が開業しましたし、こじゃれたフレンチレストランもちらほら。でも、桜坂劇場のすぐ近くにはその手がまだ及んでいません。

 

IMG_3550それがはっきり感じられるのが劇場の真ん前にある駐車場。いまどきの「100駐」ではありません。小屋のような建物があって、そこに「管理者不在の場合は 備付けの封筒に車両番号と駐車時間を記入し 封筒に500円を入れ(おりまげ)投入口に入れてください」と書かれた掲示があったりします。東京のような、殺伐とした都会では考えもつかないチョーのんびりした話で、このゆるさが沖縄の魅力なのですね。

1日で春・夏・秋をいっぺんに体験!

2018年3月14日
沖縄ならではの贅沢をしました。1日で春・夏・秋をいっぺんに体験したのです。春はツツジ、夏はひまわり、秋はコスモスです。

今日のメインの目的地は北東部の東村【ひがしそん】。東村までは首里からたっぷり2時間はかかります。途中の宜野座【ぎのざ】までは高速道路が走っているのですが、そこから先は一般道。宜野座と東村のちょうど中間あたりでランチタイムとなり、目に入ってきた「わんさか大浦」という、道の駅っぽいところに入りました。

その直前で通り過ぎたのが、あの辺野古【へのこ】です。宜野座と東村にはさまれたあたりの海岸に名護市辺野古はあります。本島北部の中心都市・名護の市域は西海岸から東海岸にわたっていることを初めて知りました。東海岸は西海岸と違って、人の手があまり入っていません。とくに北部は自然がほとんど残っているため、辺野古から大浦湾にかけては、美しい砂浜、海岸のすぐ近くまで迫る緑に覆われた山々など、素晴らしい環境に恵まれています。

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それにしても、こんなところに、しかも海をわざわざ埋め立ててまで基地を作ろうなどと、よく考えついたものです。沖縄県と国との間で工事差し止めをめぐって裁判になっているのもよくわかります。道路のあちこちに「行ってみよう! 辺野古に」と染め抜かれた旗や手書きのポスターが見えましたが、たしかに、実際自分の目で見ると、そうした気持ちがよくわかります。

「わんさか大浦」の駐車場には、なんとコスモスが咲いていました。さすが沖縄です。そこに行くまでの道すがら、昨年もこのブログで紹介した「イッペー」の黄色い花をあちこちで見ました。こちらは春の花なのですが、コスモスは秋の花。それが同じ時間帯・同じ空間で見られるのはやはり自然の恵みでしょう。

IMG_E3504 イッペー

その食堂でおいしいゴーヤチャンプル、沖縄そばを食べ、再び海岸に沿って走ります。目的地の「東村・村民の森」には1時半ごろ到着。この時期は「つつじ祭り」が開催されており、「村民の森」がある丘は丸ごとツツジに覆われています。いまから40年ほど前、当時の村長だった宮里金次が音頭を取って整備したのだそうです。宮里金次はかの宮里藍・宮里優作兄弟の叔父にあたる人物なのだとか。沖縄本島東北部の無名の村だった東村を盛り上げようと、5年間かけて「村民の森」を整備したと碑文に書かれていました。と同時にパイナップルの栽培にも力を注ぎ、いまでは日本一の生産地になっているようです。

IMG_E35393月前半の土・日は大々的なイベントもあり、村人たちが総出でおもてなし。今日は平日でしたが、それでもかなりの人がやってきていました。

 

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帰り道、北中城【きたなかぐすく】、観に行くことに。一般人の所有する畑にひまわりがびっしり植わっていました。脇に車を止め観にいってみると、観光客の姿が。私たちと同じく、ネットでその情報をキャッチし、訪れたのでしょうね。

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久しぶりに京都でお楽しみ

  2018年3月9日
年に何回か仕事で訪れる京都ですが、いつもトンボ帰りばかり。でも、たまには京都らしいものも見たい、味わいたいと、今回は早めに現地に移動し、二条城を訪れてみました。なぜか、これまで一度も行ったことがないのです。

京都の駅に降り立つと、やはり寒い! 底冷えの町ですから致し方ありません。タクシーの運転手さんに言わせると、「京都は住むとこじゃおまへん。観光するとこだす」なのですが、二条城はさらに寒かったです。ちょうど雨も降り始めたところだったせいもあります。

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IMG_E3480それでも、さすが世界遺産、二条城にはたくさんの人がやって来ていました。早めにクローズする二の丸御殿から先にということで、中に入ります。土足はNGなので、入り口で靴を脱ぐのですが、これでよけい寒さが募ります。二条城も、外国のこの種の宮殿も、その空間はすさまじく広いのですが、二条城は木造の日本家屋。外の空気がほとんどもろに入ってくるので、ヨーロッパの石造りの建物とはまったく違い、中に長くいると寒くて寒くて……。しかも、床のほとんどは木ですから、靴を脱いだ足に下から冷気がどんどん伝わってきて、長い時間歩いているともう我慢できなくなります。

 

結局、建物の中にいたのは1時間足らず。あとは庭園のまわりや門を見て回りましたが、2時間ほど経った頃には体の芯まで冷え切った感じです。こうなると食べ物で体を温めるしかありません。というわけで、夜は鴨川べりにある店で鶏の水炊きを食しました。店を出る頃には体も心もホコホコ(ふところのほうは少し寒くなりましたが)、気分よくホテルに戻りました。

2戦目の「サンウルブズ」は……

2018年3月3日
開幕戦よりさらに観客が減った(11181人)第2戦。今日の相手はメルボルンからやってきたレベルズです。日本代表のFWアマナキ・レレィ・マフィー(トンガ出身)が所属しているチームですが、対戦は1年目の第3戦以来。このときは9対35で敗れています。さて、今年はどうでしょうか。少しでもスコアを縮めることができるか、楽しみにしながら観に行ってきました。結果は、残念ながら17対37で負け。

今日の試合は、緒戦とメンバーがかなり変わったものの、同じチームなのかと目を疑いたくなるくらい、アタックのレベルが落っこちていました。前半のトライは、サンウルブズあるいは日本代表がよく喫するインターセプトからのトライ。見ていていちばんしらけるというか、情けない(今日は逆で、ラッキー!)と思えるトライです。しかし、その後は攻撃がまったくと言っていいほどつながりません。それでもなんとか10対10のタイで前半を折り返します。

しかし後半になると、開始12分ほどの間に立て続けに3本もトライを奪われるなど、泣きたくなる展開に。また、前半から引き続きケガ人が続出、3選手が脳震盪の疑い(HIA=Head Injury Assessment)で一時退場したのですが、結局全員そのまま復帰できず、交代となってしまいました。うち一人は、私たちが昨年チリのサンチアゴ空港で一緒に写真を撮ってもらったサム・ワイクス(ロック)、もう一人は家人が好きな山田章仁(ウィング)で、この先が心配です。

とにかくノックオンは多いし、スクラムは不安定。ひどかったのはラインアウトで、マイボールを奪われることもしばしば。こうまでボロボロでは勝てるわけがありません。こんな状態で来週から南アフリカに遠征するのですが、片目が開くのはいつになるのでしょうか。

「熊楠」の次は「熊谷」!?

2018年3月2日
私の住む東京・豊島区に「熊谷守一美術館」という、小さな美術館があります。もともと熊谷の自宅だった家を建て替え私設美術館としてオープン(館長は次女の熊谷榧)しましたが、2007年11月から豊島区立となったそうです。住宅街のただ中にあるので地味な感じがしますが、彼のファンがあちこちから訪れているようで、以前から気に懸かっていました。

今年はその熊谷守一没後40年。それにちなんで、『熊谷守一 生きるよろこび』と銘打たれた展覧会が竹橋の「東京国立近代美術館」でおこなわれているというので、足を運んでみることに。

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広い会場には、驚くほど多くの人が来ていました。展示点数も200近く、東京美術学校時代から亡くなる直前まで、ほとんど全作品が網羅されていたようです。客の数もかなりのもので、こういう場にいると、私たちの世代はホント元気で活動的なんだなと、つくずく感じます。

 

 

IMG_1776「明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風で広く知られ……特に、花や虫、鳥など身近な生きものを描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に愛されています」と「西洋近代美術館」のwebサイトにもありますが、初期の陰鬱で暗い作品群とは真逆と言ってよい、晩年の明るく楽しい作品が数多く展示されていました。もともと理科系的な頭脳の持ち主だったようですが、年老いるにつれて、シンプルながら緻密に計算された、それでいてほのぼのとした雰囲気もただよう絵を描いた熊谷守一。めっぽう若い感性の持ち主だったことが想像できます。若い女性にウケているのも、それが理由でしょう。

 

好奇心をかき立てられた「南方熊楠展」

2018年2月25日
『南方熊楠【みなかたくまぐす】展──100年早く生まれた智の人』にやっと行けました。今週いっぱいで終わりなので、滑り込みセーフといったところでしょうか。

場所は上野の「国立科学博物館」。先日、二人の孫を連れて行ったばかりです(65歳以上は入場無料というのがありがたい)。世界中どこの美術館・博物館でもシニアは優遇されていますが、「無料」というのはなかなかありません。

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それほど広いスペースでないこともあってでしょう、けっこう混み合っていました。しかも、若い人の姿が目立ちます。来館者のほとんどがそれこそシニア世代ではないかと予想していたので、これは意外でした。そもそも南方熊楠という人物自体、それほど広く知られた存在ではないと思いますし。

熊楠は和歌山県の田辺生まれなので、私の父方とルーツが同じです。田辺にはこれまで二度行ったことがあります(実はもう一度行ってはいるのですが、それは広域合併で田辺市に編入された熊野エリア)。旧田辺市内にある立派な「顕彰館」にも行けていません。こちらは2005年7月にオープンしたのだそうで、その約1年後には、南方熊楠旧邸も、実際に住んでいた当時の雰囲気を彷彿させるよう、復元・改修されたといいます。それとは別に、1965年に白浜町にも「記念館」が作られており、同じ地域に二つの施設が競合する形になっています。

博物学の大家として世に知られる南方熊楠は「子供の頃から驚異的な記憶力を持つ神童だった」と言われる人物。数日間で100冊を越える本を読み、そこに書かれていた内容を、家に帰って書写するという超人的能力を持っていたようですから、ハンパじゃありません。東大予備門を中退後、19歳から約14年間、アメリカ、イギリスなどに留学、さまざまな言語で書かれた文献を読み込み、それを克明にメモしていったといいます。植物、とくにキノコ類にめっぽう詳しかったようですが、人文科学にも精通井し、民俗学の分野では柳田國男と並ぶ重要な存在でもあります。

いわゆる学術論文はほとんど書いていませんし、官職に就いたこともないものの、昭和天皇にもご進講(1929年)するなど、その力量は高く評価されていました。ご進講自体、昭和天皇ご自身が望まれたようで、「聖上田辺へ伊豆大島より直ちに入らせらる御目的は、主として神島及び熊楠にある由にて」と、軍令部長にご自身の所信を書かせたとのこと。1962年、和歌山を33年ぶりにご訪問された昭和天皇は、神島(かしま=田辺湾沖合の島)を目にしながら、「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」と詠んだそうです。

しかし、数年前、こんな話を聞きました。明治時代半ばごろ、政府が実施しようとした神社合祀政策に、思いもよらない角度から異を唱え、最後はその主張が受け入れられたというのです。熊楠の主張の根拠が、田辺の沖合に浮かぶ神島の話。神島には多種多様な照葉植物が自生していましたが、神社合祀によってこの島唯一の神島神社もなくなることが明らかになりました。神社がなくなれば、森林は自由に伐採できるようになり、植生が失われてしまいます。それを知った熊楠は、生物学的見地からその保護を主張、東京大学教授・松村任三と貴族院書記長官・柳田國男にも書簡を送り訴えます。そして、最終的には天然記念物に指定されることになったそうです。生物学などまったくの門外漢である私は、熊楠についてもさほど関心がありませんでしたが、それがきっかけで深い興味を抱くようになりました。

今回の展示を見て知ったのは、熊楠の関心が途方もなく広範囲にわたっていること。ここまで……と思うほど、あれやこれや、ほとんどどんなテーマについても自身の考えを、きちんとした調査に基づいて披歴していることです。インターネットも何もなかった時代によくぞと言いたくなるくらい圧倒的な量の情報が熊楠の頭の中には収まっていたのでしょう。「顕彰館」「記念館」の両方とも、近いうちに訪れてみたいと思いました。

20180321221646689(←クリックしてください)

帰り道、上野公園の一角に冬の桜が花を咲かせていました。最初は梅かなと思ったのですが、木の幹に「冬桜」と記した札がつけられていたのです。あとひと月もすれば、この一帯は春の桜=ソメイヨシノで覆われるのですね。

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3年目に入った「サンウルブズ」、緒戦は健闘

2018年2月24日
秩父宮に行ってきました。「スーパーラグビー」3年目を迎えたサンウルブズのシーズン緒戦。対戦相手の「ブランビーズ」は、2年前、私たちがオーストラリアのキャンベラまで観に行った前で惨敗を喫した相手です。敵地とはいえ、サンウルブズはまったくいいところなし。それでなくても寒い夜だった上に、試合内容はもっとお寒く、5対66で負けました。

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それが今日はどうでしょう。前半戦だけで3トライ。それも皆、気持ちよい、スカッとしたトライばかり。「今年は違う」というのをありありと感じさせる内容です。後半こそブランビーズが本領を発揮し始めましたが、それでも後半30分過ぎまで10点差。そこから粘っこく攻めに攻め、終了直前、相手ゴール前ほぼ正面の位置でペナルティーを得ました。PKで3点を取り、7点差で試合を終わらせればボーナスポイント(勝ち点1)を確保できます。スクラムなりタッチキックなりで攻めればトライのチャンスもなくはないのですが、万が一取れずじまいだと10点差のままなので、ボーナスポイントはゼロ。結局PKを選び勝ち点を確保するほうを選びましたが、こんなことで選手たちが悩んだのは初めての経験のはず。でも、結果としてはよかったのではないでしょうか。

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運営面はだいぶ進歩してきた感じがします。ボランティアの数も増えていますし、全体としてすっきりわかりやすくなりました。これで箱がよければなおよしですが、何せ取り壊し目前ですから、それは致し方ないかも。スクラムを組むたびにグラウンドの芝がはがれるスタジアムなど、世界中探してもないでしょう。あざといイヤーブックの販売もありませんでしたし、キャラクターグッズもリーズナブルな値段になっています。あとは最寄り駅である東京メトロ外苑前駅の整備ですね。

高校同期生の社会見学──今回は横浜・野毛

2018年2月17日
一昨日、ヨーロッパから帰ってきたばかりですが、今日は高校同期生が集まっての社会見学。行先は横浜・桜木町の伊勢山皇大神宮です。横浜総鎮守でもあるこの神社、実はかなり格式が高いようで、いうならば“関東のお伊勢さま”。

行って驚いたのは、2014(平成26)年におこなわれた本家・伊勢神宮の式年遷宮で建て替えられた古社殿が、こちらにそのまま移されていたこと。それが2020(同32)年に、ここ伊勢山皇大神宮の本社殿になるのだそうです。堀立柱の唯一神明造、伊勢と同じ茅葺きですから、完成したときはさぞかし神々しい雰囲気がただようことになるのでしょう。

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社会科見学は小1時間で早々に終了、本来の目的である「野毛【のげ】のディープな居酒屋で昼呑み」に移ります。伊勢山皇大神宮が建つ場所はもともと、標高50mほどの野毛山という名前で知られていたそうです。幕末の1859年、横浜が開港すると、外国人貿易商を相手に商売をする日本人の豪商たちが住まうようになったのがこのあたり。87年には日本で初めての近代水道用の配水池が敷設されています。1949年に開催された日本貿易博覧会の会場にもなり、その2年後には動物園も完成。

まあ、このように由緒ある場所なのですが、なぜか山のふもと一帯は横浜随一の飲み屋街になっています。狭いエリアに数えきれいくらいの居酒屋、バーが密集し、食べられるものも焼鳥、おでん、ホルモン(もつ)、寿司、てんぷら、中華など、なんでもアリといった感じ。それにしても、この界隈がそうなったのか、不思議な気がします。

太平洋戦争のあと伊勢佐木町など横浜の中心部の大半は進駐軍に接収されたため、このエリアは復員兵や軍需工場の労働者など日本人の生活の中心地として機能したといいます。生活用の物資が慢性的に不足する中、闇市と屋台が並ぶ野毛は「ここに来ればなんでもそろう」と言われ、職と食を求める人々でごった返していたようです。

IMG_E3446いまでも街全体に昭和の匂いがかなり濃厚にただよっており、昼ひなかから営業している飲み屋も少なくありません(これは、東京・浅草と同じく、JRAの場外馬券売り場=WINSが近くにあるためです)。その一角で、ピョンチャン冬季五輪の男子フィギュアをテレビ観戦するのも一興ではないかと、今日参加した8人全員の意見が一致。さっそくあたりを徘徊して見つけたのが中華料理屋。なんの変哲もない店でしたが、どうしてどうして味はハイレベル。中国・福建省出身のおかみさんを相手に会話も楽しみながら、羽生結弦選手の金メダル確定の瞬間を全員で祝いました。

キャンプは野球のほうがおもしろい

2018年1月28日
今日で沖縄も最後。こちらでJリーグのチームがキャンプをしていることを知り、のぞきに行ってみました。金武町という本島中部、東側の海に面した“基地(キャンプ・ハンセン)の町です。ここでトレーニングしているのは浦和レッズ。掲示を見ると「午後3時50分~」とあるのですが、実際に始まったのは4時半近くでした。東京あたりと比べると日の入りも1時間ほど遅いですし、やはりウチナー(沖縄)時間でしょうか。

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始まる前に記念撮影などもあり、選手たちがボールを蹴り始めたときは5時近くになっていました。槙野智章もいます。阿部勇樹も森脇良太も興梠慎三もマウリシオもいます。これまでテレビでしか見たことのない顔が目の前にいるというのは、やはり興奮するものです。

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ただ、野球と比べるとサッカーの練習というのはバリエーションが少ないといいますか、見ていても退屈してしまうのです。もちろん、私自身がサッカーファンでないということもあるでしょうが。それに加え、サッカーはファンの絶対数がまだ少ないので、来ている人もほんの数えるほど。でも、かりにファンの数が大幅に増えたとしても、野球のキャンプほどにぎわうことはなさそうな気がします。

 

初めて行った金武町ですが、経済的にはかなり恵まれている印象を受けました。そこに一昨年2月、スポーツコンプレックス、野球場とサッカーグラウンドが2面、クラブハウスなどを広い敷地にまとめた施設が作られました。まだすべて完成はしていないようですが、サッカーグラウンドに張られている天然芝の素晴らしさには驚きました。こんな恵まれた環境でシーズン前のトレーニングに打ち込めるレッズ。強くなって当然かもという気もします。同じ敷地内には野球場もあり、そこでは2月1日からプロ野球の楽天がキャンプを張るようです。

でも、ふと空を見上げると、サッカーグラウンドのすぐ近くの上空をアメリカ軍のヘリコプター(ここひと月、不時着やら部品の落下やらが頻発しているにもかかわらず)が飛んでいるではないですか! 沖縄県民の願いはなかなか通じないのが、残念でなりません。カメジローの生きざまを映像で観ただけに、いつも以上に強く、そんな思いを抱きました。

映画『カメジロー』と野中広務の死

2018年1月27日
自民党の元幹事長で、小渕恵三内閣の内閣官房長官を務めた野中広務が92歳で亡くなったそうです。自民党にいながら常に“野党的”なスタンスを崩すことなく、是は是・非は非、また戦争は絶対悪という立場を守り抜きながら生涯をまっとうした政治家というのが、大方の評価のようです。死去を報じる記事の中に、「ポツダム宣言すら読んだことのない首相が、この国をどういう国にするのだろうか。死んでも死にきれない」(2015年5月、同宣言を「つまびらかに読んでいない」と国会で答弁した安倍晋三首相について)と語ったという一文が私の頭を射抜きました。

はからずもそれと関わることになるのですが、一昨日、沖縄でしかチャンスがないだろうと思い、映画『カメジロー』を観に行ってきました(正しくは『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』)。日本復帰の前、アメリカ占領下にあった30数年間、沖縄でアメリカ軍政府に不屈の抵抗を貫いた瀬長亀次郎という政治家の生涯を描いたドキュメンタリーです。

IMG_3137名前だけは私も知っていました。1970年11月におこなわれた国政参加選挙で衆議院議員に当選した5人のうちの1人だからです。残りの4人は西銘【にしめ】順治(自民党)、上原康助(社会党)、国場【こくば】幸昌(自民党)、安里積千代【あさとつみちよ】(沖縄社会大衆党)、参議院のほうは喜屋武【きゃん】真栄(革新統一候補・任期は74年まで)と稲嶺一郎(自民党・71年まで)で、いずれも沖縄の政治、というより戦後の沖縄史を語るのに欠かせない錚々たる面々ばかり。

瀬長は沖縄人民党の代表でしたが、復帰後は日本共産党に合流、衆議院議員を通算7期務めました(もっとも、自身が共産党員であるとは生涯認めなかったそうですが)。ただ、瀬長はやはり「県民」党というのが似合っているように思えます。

その瀬長が自身の政治信条の土台としたのは「ポツダム宣言」だったという話が作品に描かれていました。瀬長が人民党を作るときに掲げた綱領は、日本が無条件降伏の際に受け入れた、「ポツダム宣言」の趣旨にのっとったものだったというのです。

同宣言は全部で13項目から成っていますが、その10番目に「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非ザルモ(中略)日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙【しょうがい】ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝【ならび】ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ」とあります。野中の頭の中にあったのも、おそらくこの一文でしょう。

瀬長の立脚点はまさにこの一点にあったというわけです。たしかに、人民党の綱領には、「わが党は労働者、農民、漁民、俸給生活者及び中小商工業者等全勤労大衆の利害を代表しポツダム宣言の趣旨に則りあらゆる封建的保守反動と斗い政治、経済、社会並に文化の各分野に於て民主主義を確立し、自主沖縄の再建を期す」という一文があります。

その小さな体から発する声・叫びは沖縄県民の心を捕らえました。それは職業や社会的立場、思想信条、信仰のいかんを問わなかったように思えます。政治家としてでなく、沖縄人として、また人間として吐く瀬長の言葉は、人々の脳裏に深く突き刺さったようです。集会の警備にあたっていた元警察官が、そんなふうに話すシーンがありました。だからこそ、沖縄(琉球)を占領していたアメリカ軍は瀬長を強く恐れ、人々からとことん遠ざけようとしたのでしょう。

もう一つ印象的だったのが、映像の中に登場した元総理・佐藤栄作です。佐藤に関しては、私自身とても偏った見方しかしていませんでした。高校・大学時代、リアルタイムで佐藤の発言や行動を見聞きしていただけなので仕方ない部分もありますが、もっと保守反動で、国民を抑圧するタイプの政治家ではないかと思っていたのです。しかし、日本の国会に初めて登場し予算委員会で質問に立った瀬長を相手に答弁する様子を見ると、そんなうわべだけの見方をしていた自分が恥ずかしくなってしまいました。総理になった政治家は数多くいますが、そうしたなかでも図抜けた存在だったように思えました。

ここ4、5年同じ立場にある安倍晋三が、「総理」という立場にはまったく似つかわしくないことを改めて痛感しました。安倍個人というより、日本の政治自体が大きくレベルダウンしているのがひしひしと伝わってくる作品でした。たまには、こんな硬派の映画を観るのもいいものです。