「オリエント・エクスプレス」の旅・1日目

2013年2月15日
さて、今日からは「オリエント・エクスプレス」の旅です。「オリエント」はご存じのように「東方」という意味。本来の「オリエント・エクスプレス」は、西ヨーロッパと「東方」、つまり東ヨーロッパ、さらにトルコとを結ぶ鉄道でした。しかし、航空機輸送の発達で、かつてのような鉄道でゆっくり移動する旅は廃れていく一方。「オリエント・エクスプレス」もさまざま変遷を経て、いまは、ヨーロッパを走る「ベニス・シンプロン・オリエントエクスプレス(基本路線はパリ・ヴェネツィア間)」と東南アジアを南北に結ぶ「イースタン&オリエンタル(E&O)エクスプレス」の2つです。

1883年から運行が始まった「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)」は、本来の姿を色濃く残しているようです。「豪華」「優美」「洗練」といった言葉が似合う雰囲気が売りで、ロンドン、パリ、ウィーン、ベニス(ヴェネツィア)、ベルリン、ブダペスト、ブカレスト、イスタンブールの各都市をさまざまなルートで結んでいます。こちらはやはりフォーマルな服装で乗らなければ……といった感じがします。値段はいちばん安いもの(1泊2日、ロンドン・パリ間)でも1000ドルほどでしょうか。

これに対し、アジア版の「E&O=イースタン&オリエンタルエクスプレス」は、1993年から運行が始まった、いうならばリゾート路線。年中暑い地域を走っているのですから当然といえば当然かもしれません。シンガポールとバンコクとを結ぶ路線「E&O」には2つのパターンがあります、1つはバンコク→シンガポールで3泊4日、もう1つはシンガポール→バンコクで2泊3日。もちろん、後者のほうが値段は手ごろですし、いくらなんでも3日連続でフレンチのフルコースでは辟易しそうだということで、後者に決めました。

“走るホテル”と呼ばれているくらいですから、列車に乗る前に「チェックイン」の手続きがあります。場所は、市内の「リージェント・ホテル」。スタッフからさまざまな説明を聞き、荷物を預けると、カフェでしばしスタンバイ。飲み物や軽食、おつまみなど、すべて無料(というか、こういうものもすべて込みで値段がついているのですね)。

所定の時間が来ると、スタッフが呼びに来ます。専用のバスに乗り、マレーシアとの国境近くにあるウッドランズ駅まで移動。ここでシンガポール出国とマレーシア入国の手続きを済ませ、待ちに待った乗車が始まります。

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ダークグリーンとクリームカラーに塗り分けられている車体からは、気品すら感じられます。なんでも、その昔はニュージーランドを走っていたそうで、さらにさかのぼると、1970年代の日本製の寝台車両を改装したものだとのこと。編成は22両(もちろん、東南アジアでは最長の旅客列車)で、132人の乗客を乗せられるといいます。

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私たちが予約した「ステイト・キャビン(広さ=7・1平方m)」という個室(コンパートメント)があるのは7号車。このタイプの車両には個室が6つあります。車両ごとにスチュワードがおり、その案内で個室まで行きます。通路の内装はローズウッドで、真鍮の金具はピカピカ。キーを差し込んでドアを開け中に入ると、ソファー(夜になると2台のシングルベッドに変わる)と小さなテーブルがあり、窓にはシルクのカーテンがかかっています。そのほかワードローブ、セーフティーボックス、バス(もちろんシャワーですよ)・トイレの使い方やら、食事などについて、懇切丁寧な説明がありました。食事の時間が来ると、スチュワードが呼びにくるそうです。

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L1050145出発時刻は午後12時15分。最後部の22号車は展望車です。食堂車(ダイニングカー)が全部で3~4両、ほかに売店車両やマッサージルームの付いた車両、バー車両などがあります。展望車は唯一タバコも吸える車両で、この先何度もお世話になりそうです。椅子が並べられたデッキの上に屋根が付いていて完全なアウトドアなのですが、すぐ隣にバーラウンジ車両が設けられているので、そこでお酒など飲み物を頼み、外に出てゆっくりすわりながら過ごせるわけです。街の中より田園地帯を走る時間が圧倒的に長いので、意外と気持ちがゆるみます。

しばらく走ると早くもランチです。食事も、「オリエント・エクスプレス」の大きな楽しみといわれています。最初は前菜が、「サーモンフィレ・オランデーズソース アスパラガスとホウレン草添え」、メインが「鴨胸肉のロースト黒コショウソース 野菜のつけ合わせ」という内容。デザートは「パイナップル ライムのシャーベット添え」、そして飲み物という組み合わせでした。もちろん、どれも美味。

車内での食事は1日目の昼・夜、2日目の3食、そして3日目の朝昼のつごう7回。朝食はルームサービスなので、食堂車で食べるのはそれ以外の5回です。どの食事も2回の時間帯に分かれていただくシステムなのですが、食堂車の内装も素晴らしく、見ているだけで楽しめる仕掛けになっています。

L1050152夕食は、アミューズのあと、「温かいホタテのテリーヌ ロブスターのビスクとキュウリのミカド・サラダ沿え」の前菜、メインは「牛肉のメダイヨン」か「マレー風鶏の煮込みカレー」のチョイス。デザートは「レモンのムースとドラゴンフルーツとイチゴ添え」とプチフールで、最後がコーヒーまたは紅茶。

L1050249_2その昔、アガサ・クリスティーの小説で読んだ元祖「オリエント・エクスプレス」の食事は、どの客も正装に近い服装をしていましたが、熱帯の国々を走る「E&O]ではあまり気にしなくてもOKのよう。それでも、いちおうジャケットを着てネクタイも締めました。もちろん、カジュアルでも問題はなさそうでした。個室に戻ると、ベッドが整えられ、いつ横になってもOK。感激です!

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出発して7時間半ほどでクアラルンプールの駅に到着。ここから乗ってくるお客もいますが、人数はそれほどでもありません。停車駅ごとに、水や食材など、さまざまなものが運び込まれているようでした。そのため、停車時間も1時間半近くになります。

午後9時25分、出発。しばらくすると列車は真っ暗闇の中を走ります。前日に朝食を持ってきてもらう時刻を告げてあるので、それに間に合うように起床すればOK。列車の走る音はごく単調ですから、よほど神経質な人でないかぎりぐっすり寝ることができるはずです。

ベッドで横になる前にシャワーを浴びました。シャワージェルやシャンプーはブルガリ。お湯の出もまったく問題ありません。下手なホテルよりきちんとしている感じすらあります。これ以上は無理といってもいいほどギリギリの空間なのですが、けっこう快適でした。

リトル・インディアからチャイナタウンへ

2013年2月14日
海外旅行での朝食はホテルのレストランで取るのがキホンですが、それだけに、滞在中は気分の行方を大きく左右するところがあります。「マリーナベイ・サンズ」の朝食もバイキングスタイルですが、中華とマレーとインド。さらにヨーロッパのバランスが取れており、おいしく食べることができました。広いですし、入口で係員が人の出入りを上手にコントロールしているので、足の踏み場もないほど中が混雑しているといったこともありません。このあたりは、マカオのヴェネシアンあたりとはかなり違います。

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今日はまず動物園です。ホテルからはタクシーで30分ほど。しかし着いたころ、激しい雨が降り始めました。キリンにもゆっくり挨拶できず、残念ながら「次の機会にまたゆっくりと」というハメに。でも、これが大事なのです、旅というのは。1回ですべてをクリアしてしまうと、「もう行かなくてもいいや」ということになりかねないのです。

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結局、動物園は早目に切り上げ、中心部に戻りました。前に一度来たときは1泊しただけで、町の中を歩く時間がほとんどありませんでした。最初はリトル・インディアと呼ばれるエリアへ。小さな店がびっしり並ぶ「アーケード」にはインドものがあふれ返っています。その先に「スリ・ヴィラマカリアマン寺院」があります。ヒンドゥー教寺院なので、シンガポール中のインド系住民がここを訪れているようです。ヒンドゥー教の寺院を間近で見たのは初めてですが、その色彩には驚かされました。極彩色というのでしょうが、建物の入口にある塔門には、それこそありとあらゆる原色がこれでもこれでもかと塗られているのです。

L1050106リトル・インディアからMRT(地下鉄)に乗って3駅ほど行くとチャイナタウンです。地上に出ると、すぐそのまま「ピープルズ・パーク・コンプレックス」というショッピングモールです。衣料品、靴・カバン、電気製品、カメラ・時計などを売る小さな店がびっしり入っていて、ほとんどなんでもそろう感じ。そこを出るとパゴダストリート。それと交差するのがトレンガヌストリート。さらにスミスストリートやテンプルストリートなど、このあたりはカオスというか、いかにも中国っぽい匂いがふんだんに漂っています。その中に突然、極彩色のヒンドゥー教の寺院(スリ・マリアマン寺院)があったのには驚いてしまいました。でも、以前はこの一帯にもインド人が多く住んでいた名残のようです。

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ちょうど旧正月を過ぎてまだ間もないころだったせいか、お祭りめいた行事もあちこちで見られました。夕食はその一角のある小さなお店で、春巻きや焼きそばを食べましたが、けっこう美味でしたね。

シンガポールの食べ物は、中国 and/or マレー and/or インドというのがそのエッセンスといわれますが、これは多民族国家であるが故です。「中国」といっても、大きな柱になっているのは華南(福建とか広東あたり)で、そこに中国の流浪の民=客家【はっか】の料理も加わりますから、バリエーションにあふれた食事が楽しめる仕掛けになっています。マレーもインドもカレーなどのスパイスを多用しており、これがまた私の趣向にはピッタリ。

ホテルに戻ったあとはまたカジノ三昧。美しい街並みと食事(どちらかというとB級系)だけが魅力のように思われていたシンガポールに、別の楽しみが加わり、これからもちょくちょく来たくなるのではないかという気がします。

天下一品のポップコーンと海南鶏飯に出会う

2013年2月13日

L1050075_2今日は朝食後さっそく、「世界一高い場所にあるプール」を楽しむため、屋上に上がりました。百聞は一見に如かずとは、まさにこのことをいうのでしょう。階数にしてみると60階近くの高さに相当する屋上のプールはまさに別世界。プールの端まで行くと、眼下にはシンガポールの中心エリアが見渡せます。反対側には温水プールや子どもが水遊びを楽しむための小さなプールがあります。そして、バーやカフェもずらり並んでいて、明るいうちはここでゆっくり時間を過ごすことができるというわけです。私たちも童心に帰り、水着に着替えてプールにザブン。年甲斐もなく、はしゃぎながら楽しませてもらいました。

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L1050056午後はオーチャード通りをぶらぶら歩き。ヒルトンホテル隣の「フォーラム」というショッピングモールの前にある屋台に大きな人だかりがしています。何かと思い見てみると、ポップコーン屋でした。アメリカのシカゴで1949年に創業して以来大変な人気を誇る「ギャレット(Garrett)」という店で、試しに買ってみると、これがおいしいのなんの! いやらしい甘さが一切なく、食べ始めたらもう止まりません。キャラメル味とチーズ味をそれぞれ1袋ずつ買って帰ったのですが、ひと晩で全部なくなってしまいました。

夕食は、「マンダリン・オーチャード・ホテル」にある「チャターボックス」という店の「海南鶏飯」にしようと決めていました。しかし、6時前だというのにもう20人近く並んでいます。並んだ甲斐はあって、とてもおいしかったですよ。クセになりそうな感じがします。

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ホテルに戻ったあとは夫婦でギャンブル。マカオ同様、中国人客が圧倒的に多いシンガポールですから、「大小」のテーブル、マシンが目立ちます。2フロアに分かれていて、吹き抜けになっているのですが、なぜか上のフロアが禁煙になっています。ギャンブルは、勝ち負けももちろん大事ですが、私たちの場合、いかに楽しく遊べるるかがいちばんのポイント。ハナから熱くなっている中国人とはそのあたりが根本的に違うように思えます。「甘い」といわれればそれまでですが。

“世界一高い場所にあるプール”を体験

2013年2月12日
キャセイ・パシフィックのマイレージがたまったので、それを使って香港経由の「シンガポール+バンコク旅行」(航空券代無料)をすることにしました。目標は2つ。1つ目は、シンガポールでいま話題になっている「マリーナベイ・サンズ」という超大型ホテルに泊まること。何せ、ホテルの最上階(57階)にプールがあるというのですから、話のタネにはもってこいなのではないかと。2つ目は「オリエント・エクスプレス」の旅です。

というわけで、昨日の朝、羽田から香港、55分後のシンガポール行きに乗り換え、夜7時前にはチャンギー空港着。途中で飛行機を乗り換えるのは、気持ち的にリラックスでき助かります。しかも今回は前半が3時間20分、後半が3時間50分ですから、バランスも理想的。日本からダイレクトで行くのと、疲れの度合いはほとんど変わりませんし。

「マリーナベイ・サンズ」は空港からタクシーで20分ほど。オープンしてからまだ2年半しか経っていないので、ピカピカに輝いています。最近の空港ターミナルビルに似たような、曲線をふんだんに使った建物で、これまでのホテルとはかなり趣が違います。

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L1050052_2“世界一高い場所(地上200m)にあるプール”というのが売りで、世界中からお客が来ているとのことですが、もう1つ、世界で最大規模のカジノを併設しているのも売り。国の方針でカジノを観光の目玉にしようと、もう1つ、シンガポールのすぐ南側にあるセントーサ島にもカジノ付きのホテルがひと足早く、半年ほど前にオープンしています。マカオだけに独占させておくのはもったいないと考えたのでしょうね。

ただ、シンガポールはご存じのように、道徳に厳しさにかけては、アジアでもいちばんという国。人々がチューインガムの噛みかすを路上に吐き捨てるのに業を煮やし、チューインガムの持ち込み自体を禁止してしまったくらいですから。タバコもゴミも、所定外のところに捨てたりすると、とんでもない額の罰金が科されます。そんなお国柄なのにカジノだなんて、ちょっと考えると不思議な気もします。でも、そこが逆にシンガポールらしいところ。経済的にうるおっていなければ、人間として大切な道徳も守れないという儒教思想によって立つことにしたのです。そう、「恒産なくして恒心なし」ですね。

カジノで国の経済がうるおう→国民のふところが豊かになる→道徳をきちんと守り、ますます一生懸命に働く→社会がさらに豊かになる、といった図式でしょうか。しかも最初のステップであるカジノでの遊びは、もっぱら海外からの観光客に的を絞っているようです。外国人はパスポートさえ見せればカジノへの出入りは自由、でも、シンガポール国民は毎回入場料を取られる仕組みになっているのです。これなら、自国民がカジノ依存症になることも防げるので、まさしく一石二鳥といえます。カジノで遊んでばかりではいけない=きちんと仕事をしなさいということですね。しかも、大規模なカジノ付きホテルを作ったことで、大きな雇用も確保できます。どこかの国の指導者もしっかり学んでほしいなと思うのですが……。

小倉城とその周囲の景色はどうなの?

2013年1月28日
 今日は鳥取から小倉へ。新幹線はかならず止まりますが、「小倉」という市はいまからちょうど50年前、北九州市の誕生によって消滅しているので、いまは「区(小倉北区)」になっています。しかし、さすが城下町だっただけあって、いまなお北九州市の顔は小倉ですし、実際、それに見合った大きな繁華街も駅前にあります。

 ただ、駅周辺の再開発がおこなわれたためか、いかにもいま風の駅前で、機能的で整ってはいるのですが、地方的な色合いは乏しい感じがします。その極致が城の周辺で、10年ほど前に話題になったリバーウオークという建物があるため、どうにも違和感がぬぐえません。小倉上の北側に建っているリバーウオークは有名な外国人設計家の手になるものだそうで、洗練された色使いや全体の構成を見ると、日本人にはこういう芸当はできないだろうなと思います。

 茶(大地)、黒(日本瓦)、白(漆喰壁)、赤(漆)、黄(稲穂)という色の構成は、それぞれ「日本」を意識したといいます。ただ、それは外国人設計者の感覚であって、それだけを、またリバーウオークの中から城を見る分には心地よいかもしれません。

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 しかし、南側から城を見ると、バックに写る赤や黄色はあまりに対照的すぎ、なんだかおかしな感じがするのです。日本の城はたいてい、周囲の景色まで取り込んで設計されているので、小倉城を最初に築いた人がこれを見たら目を丸くするかもしれません。

城もいいが、やっぱりカニが──鳥取

2013年1月27日
 神戸に1泊し、今日は鳥取に来ました。新神戸からは2時間足らずで、意外と近いんだなということを実感します。予報では終日雪となっていたのですが、大外れで、えらくいい天気です。雪は26日の夜に降ってしまっていたようで、砂丘は真っ白でした。砂の上より雪のほうが歩くのはよほど楽で、いい運動になりました。真冬なのに太陽さんさんという日本海はなんとなく意外で、昨年のいまごろ見た秋田から青森にかけてのそれと同じ海だとはとても思えません。

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 砂丘の入り口近くにその名も「砂丘会館」という観光客向けに施設があるのですが、ここで食べたランチの「イカ丼」は予想以上にグーでした。

 砂丘を観たあと、タクシーで鳥取城址に移動。運転手さんの話では、「城があったのは山の上。クルマはふもとまでしか行けませんから」とのことです。たしかに、タクシーを降りたところは急な山を見上げる場所で、これは大変だと心配したのですが、実際はちょっと上るだけで済みました。門をくぐってきつい階段をゆっくり上っていくと、平らなところが。二の丸御殿があった場所のようで、そこまで行っただけで、市街地は十分に見下ろせます。たしかに、山の上にも小さな櫓はあったようですが、殿様や上級家臣がいたのは二の丸御殿とその近くだけだったようで、ほっと胸を撫でおろしたしだい。

 L1050020 下へおりると、真っ白い洋館がありました。なんでも大正天皇が行幸されたときに宿泊施設として建てたものだとか。「仁風閣」というのですが、たいそうお金をかけてこさえたようです。洋風の庭園もあり、よくもまあこんなところに……と驚きました。もとは殿様の庭園があった場所だったとのことで、それを建て替えてつくったそうです。

 城内にはこの県随一の名門・鳥取西高がありました。ちょっとのぞいてみると、あちこちに城の石垣があるのでまたまたびっくり。鳥取城そのものはいまはもうその姿をとどめていないのですが、これだけ石垣があるのを見ただけで、その規模の大きさがうかがい知れるというものです。

 城址をあとに、かつての城下町に向かって歩き始めると──。なんともいえない落ち着きがいまでも感じられます。とくに城に近いあたりは上級家臣や中級家臣の住まいだったらしく、敷地もけっこう広くとってあるので、空間的にも余裕があります。そのせいでしょう、街全体からなんともいえない落ち着きが感じられるのですが、人通りも、その分少ないです。

 いまでも高層の建物が少なく、駅までゆっくり歩いて30~40分ほどの一帯では、どこにいても城が見えたことでしょう。江戸時代の城は、最高権力者である殿様の住まいですから、人々の意識にはいつもそれがあったはずで、いい悪いは別にして、当然「秩序」感覚がはぐくまれていったにちがいありません。鳥取県民の保守的な気質も、存外、そんなことによって生まれたのかも……という気がします。L1050012

 ホテルに戻りひと休みしてから、夕食に。ホテルの外にもいくつかいい感じの店はあったのですが、冬の鳥取とくればやはりカニでしょう。ちょうど雪も降り始めていたので、ホテルの地下にある店でカニしゃぶを食べることにしました。例によって写真は撮り忘れてしまいましたが、やはりおいしかったです。

「ヨーロッパ」を感じさせてくれるケベックシティー

2012年10月13日
 今年2度目のカナダ。今回はケベックシティーまでやってきました。日本を出発したのは10月12時午前0時5分のANA便。この時間ですから、ロサンゼルス到着は前日(11日)の夕方になります。なんだかとても得した気分ですが、その分は帰りに“返済”しなくてはならないので、トータルとしては同じ。ただ、日本からの便はこれしかないので、入国手続きがあっという間に終わります。しかも、出発したらすぐ眠りに就くことができ、体も楽で助かります。11日の夜は空港近くのホテル泊。

 12日はほぼまる1日かけての移動。ロサンゼルス発10時19分、ワシントン(ダレス空港)着18時18分、18時59分発の便でケベックシティーです。わずか40分しかありませんから、降りたところから航空会社差し回しのクルマで次の便が出るところまで移動。「なるほど、だからこんな短時間でも乗り継ぎができるんだ」と納得。到着は20時54分。ホテルにチェックインしたのはもう10時近くでした。夕食はホテルのすぐ近くのカフェで軽く済ませたのですが、そのわりには内容もけっこうよかったです。

13_2 今日はケベックシティーがどんな町なのか、市内をひととおり観てまわることにしました。お天気に恵まれ、暑いくらいです。風もさほど強くなく、絶好の観光日和です。ほとんど車が走ることもない落ち着いた通りを5分ほど行くと、広場に出ます。近くのスケートリンクで使われた氷が道端に積んであったりするものですから、思わず、雪でも降ったのかと誤解したり。13_3
Photo それを通り過ぎると、シタデルと呼ばれる城塞の城門に着きました。最初この町を支配していたのはフランスですが、それを奪い取ったイギリスが作ったものです。海に向かって何門もの大砲が並んでいるのですが、いかにも堅固な要塞といった感じで、ここがとても重要な場所であったことがよくわかります。

 これまでカナダというのはなんとも不思議な国だと思ってきました。アメリカのすぐ隣にあって、ベタで国境を接していながら、その趣きがまったく違うからです。かつての宗主国イギリスの匂いがアメリカより濃厚にただよっているからでしょうか。アメリカではそうしたものをほとんど感じません。話されている英語も、アメリカ英語とは一線も二線も画しています。

 ところがケベックとなると──。ハナからイギリスの匂いがありません。完全にフランスなのです。言葉も看板も、建物も、そして人もまごうことなきフランスですから、カナダのほかの地域とは勝手が違います。
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 カナダのこの地域がフランスの支配下にあったのは1534年から1763年までの約230年もの長きにわたります。その後イギリス領になったものの、1867年「自治領」となることで実質的な独立を勝ち取るまではおよそ100年。これでは、フランスの影響のほうが強いのは当然かもしれません。

Photo_3 城壁の上を歩いて行くと、川(セントローレンス川)──といっても海のように大きいのですが──に到達。こんどは川に沿って作られた遊歩道を歩きました。「ケベック」はフランス語で「狭い水路」という意味だそうですが、川の対岸の町レヴィやオルレアン島がすぐ近くに見えます。それでも、川幅はかなりありますし、何より深そうです。城塞の下、川辺にある港にえらく大きなクルーズ舟が接岸していたのを観てもそれがよくわかります。

 それにしても、こじんまりした街、とくに中心部は城塞があるなど、いかにもヨーロッパといった感じですから、すぐ隣のアメリカから手軽に「ヨーロッパ」を味わいにくるには格好のロケーションといっていいでしょう。ニューヨークから1時間ちょっと、時差もなしとなればよけいです。どうりで、アメリカからやってきたとおぼしきお年寄り夫婦の姿が目立つはずです。

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Photo_4  城塞から海辺のほうに急な坂道を降りて行ったところが「ロウワータウン(lower town)」と呼ばれるエリアです。ケーブルカーもありますが、まずは「首折階段」という階段で。この界隈はお洒落なショップ、カフェ、レストランがずらり並ぶ「プチ・シャンブラン」といいます。Photo_5
 そんなレストランの一つで食事を取り、紅葉をながめたりしながらブラブラ歩くと、あっという間に時間が経っていきます。家の壁いっぱいに描いた絵も面白かったですし、小さな教会では結婚式に出くわしたり、飽きることがありません。ようやくケーブルカーで上に戻ったときはもう夕方近くになっていました。

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 上がるとそこは「アッパータウン(upper town)」。四方はすべて城壁に囲まれているのですが、そういう感じはしません。いかに城塞が広大かということがよくわかります。第2時世界大戦の最中、チャーチルとルーズヴェルトが会談したという老舗ホテル「フェアモント・ル・シャトー・フロントナック」がその中央にドーンと構えているのですが、それほど圧迫感はありません。Photo_9 そのまわりにある広場や公園にはリスがいたりなど、とても100万都市とは思えないような落ち着きがあるのです。

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 ようやく散策を終えてホテルに戻ったのは6時をまわっていました。ひと休みして夕食を取りに再び街中へ。しかし、この夜は中華で大失敗! その昔アメリカのソルトレークシティーというところでやはり同じような経験をしたことがあるのですが、今回はそれ以上でした。中華は世界中どこに行っても食べられ、しかも大外れすることはない(最悪でも、「可もなく不可もなし」)のですが、このときばかりは、とにかくベタベタに甘い味付けで辟易しました。「こんなひどい中華、食べたことない!」というほど、ひどかったのです。

 しかし、ケベックシティーの中華はそれ以下でした。フランス文化圏なのに首をかしげましたが、まあ、こんなこともあるとあきらめました。ベルギーのブリュッセルで食べた中華が期待を裏切っておいしかっただけに、それと逆の結果だとけっこう落ち込みます。

帰国前日は、さすがに日本メシが食べたくなり……

2012年8月16日
「フラワーカーペット」のテーマが「アフリカ大陸」だったからというわけではありませんが、今日はブリュッセルの南東、テルヴューレンというところにある国立中央アフリカ博物館に行ってみました。トラム(44番)に乗ったのですが、途中の道筋はほとんど森林公園のよう。車の量が一気に減るせいか、ホント郊外といった印象です。トラムそのものも味わいのある乗り物ですが、こうした中を走っていくと、いっそう落ち着きが感じられますね。電停を降り数分歩くと立派な博物館に着きました。

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19世紀の終わりごろ、ベルギーの国王レオポルド2世は、アフリカのコンゴ(旧国名はザイール、現在はコンゴ民主共和国)を私有地化しました。ベルギーにとっては唯一の海外領土です。いまでもダイヤモンドと金の生産地として有名なコンゴから生まれる富を国王は握ろうとしたのです。

1897年、ブリュッセルで万国博が開催された折り、現地から運んだ楽器や工芸品などの芸術作品、動物の剥製(キリンの剥製もあるとのことでしたが発見できませんでした)、岩石など貴重な品々を人々に見せ、コンゴがどんなところなのかを広めるために作ったのがこの博物館です。その後、国王からコンゴを買収したベルギーはコンゴを植民地化しましたが、1960年に独立を果たしています。さすが国王が命じて建てさせたルイ16世様式の建築物ですから、えらく立派。いまもアフリカの調査研究の世界的な中心で、その有数のコレクションから「アフリカ文明の殿堂」とも呼ばれています。

44_2見学を終えると、またトラムに乗って「KAMO」という日本料理店に行きました。こちらに来てまだ一度も日本メシを口にしていなかったので、どこかないかとネットで探し見つけた店です。学生街のような場所の一角にこじんまりとした店があり、主に地元で暮らす日本人が出入りしているようでした。もちろん、舌の肥えていそうなベルギー人もいましたよ。久しぶりの日本料理にほっこりした気分になり、ランチの定食をペロリ平らげてしまいました。おいしかったです!

L1040411ホテルまでトラムで戻り、最後の夜はホテル近くの居酒屋のような店で夕食。長かったベルギーの旅もようやく終わりです。「フロリアード」は、思っていたような内容ではありませんでしたが、想定外の「フラワーカーペット」と出会うことができ──しかもその前日の作業まで間近に見られたのはラッキー以外の何ものでもありません。

博物館のタイトル“3連チャン”

2012年8月14日
朝ホテルを出てメトロに乗り、3つ先のシューマン駅まで行きました。目的は、駅を上がったところにあるサンカントネール博物館、王立軍事歴史博物館、さらにオートワールドというこちらは自動車博物館の“3連チャン”です。この中で抜群に面白かったのはオートワールド。

第2次世界大戦以前のベルギーは自動車産業が盛んで、モーターショーも開催されていたといいます。1880年に作られたこの建物は、その会場になっていた場所。1886年から1970年代の車がこれでもかこれでもかというほど展示され、最初から最後まで飽きることがありません。初代のジャガーやホンダS800といった伝説の名車から、昔の消防車やパトカー、さらには霊柩車まで、どれも皆興味深かったですね。この一帯は1897年に開催されたブリュッセル万国博の会場として整備されたとかで、いまでは公園になっています。

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L1040319シューマン駅から再び地下鉄を乗り継ぎ、ルイーズ駅で下車。最高裁判所やブリューゲルの家、プチサブロン、グランサブロンを観ながら王宮まで歩きました。もう、足全体が棒のようになっています。ようやくグランプラスまで戻ってくると、広場のほぼ全体が花で覆われているではありませんか! そうだ、明日から、あの有名な「フラワーカーペット」が始まるんだ。その植え込み作業の真っ最中だったのです。家人とともに思わずにんまりしてしまいました。疲れも一気に吹き飛んだのはいうまでもありません。

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2年に1度おこなわれる「フラワーカーペット」(1971年から始まり、8月半ばの4日間開催される)ですが、出発前には今年あるということをまったく認識していませんでした。しかも、それがまさにスタートするタイミングで現地にいるというのは、望外の幸せです。

前祝い(?)にと、今日は有名な「LEON」という店で夕食を取りました。もちろん予約などしていないので、外のいちばん端っこのテーブルです。同じムール貝でも、こちらは多少上品な印象はありましたが、食べ終わった殻を別のバケツに放り込むのは同じ。私たちも食が進みました。付け合わせのフリッツはもちろん、「クロケット・オ・クルヴェット(衣がカリッとした小エビのコロッケ、味つけが濃厚で、ソースなしでいけます)」も美味でした。

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ホテルに戻ると、夜10時ごろから騒がしい音楽の音と花火の音が聞こえてきました。そう、「フラワーカーペット」の前夜祭というか、明日の正式開幕を前にしての祝宴です。これは楽しみですね、明日が。

心がなごんだブルージュの街

2012年8月13日 
日本を出発する前には予定していなかったのですが、こちらでガイドブックを繰っているうち、ブルージュまで行ってみようということになりました。中央駅から列車で西に1時間のところです。しかし、これが大ホームラン! ブリュッセルと違って落ち着きがある街で、心がなごみました。

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「水の都」ともいわれるブルージュ。運河で囲まれたエリアは全体が世界遺産になっています。駅を降りそちらに向かうやいなや、もう1つの世界遺産・ベギン会修道院が。それを右に見ながら州庁舎のあるマルクト広場をめざします。州庁舎の立派さは大変なもの。その近くにそそり立つベルフォート(鐘楼)も印象的で、鐘の音がひんぱんに聞こえてきました。広場を取り囲むようにして立つギルドハウスは、まるでお菓子のような趣でした。

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L1040230街全体の様子をつかもうと、馬車に乗って観光してみることにします。30分で36€とけっして安くはありませんが、おおかたの名所はクリアでき、サービスも満点。ランチのあとは運河クルーズです。街の外側をほぼ半周するコースで、途中で街の中にも入り込み、さまざまな建物を別の角度から、しかも間近に見ることができます。ほぼ1時間のクルーズですが、大いに楽しめました。半日ではもったいないほど、見どころのある街です。

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夕方遅めにブルージュを出てブリュッセルに戻りました。でも、この季節のヨーロッパは日がとても長く、夜8時を過ぎてもまだまだ明るいのです。そのため、なかなか夕食気分になりにくく、駅からイロ・サクレ地区の方向にぶらぶら歩いていきましたが、王立モネ劇場(オペラがおこなわれる)の先で見つけた中華料理店で食べました。モネ劇場の美しい姿が印象的でした。

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ブルージュとかモネとか、その語感から察することができるように、ベルギーという国はフランス語が公用語の1つになっています。しかし、お気づきの方もおられるでしょうが、最初に泊まったアントウェルペンはフランス語的な感じがしません。こちらはむしろ、明らかにドイツ語的な雰囲気を持つ、オランダ語です(正式にはその方言=フラマン語)。もちろん、フラマン語も公用語です。

ベルギー北部のフランドル地方はフラマン語、南部のワロン地方はフランス語が主に使われており、ほか、ドイツ国境に近いエリアではドイツ語も話されているそうです。この国には「言語戦争」という言葉もあるほどで、フラマン語を話す人たちとフランス語を話す人たちとの間に根深い対立があり、一時は大変な状況になったこともあるといいます。

空腹に合ったベルギーの郷土料理

2012年8月12日
まずは朝イチでレンタカーの返却に南駅にあるオフィスまで。そのあとはまた、グランプラス周辺を歩くことにしました。「世界でいちばん美しい」といわれるだけあって、本当に飽きない場所です。市庁舎、ビール博物館、ブラバン公爵の館といった有名な建物を始め、天使の館・鳩の家、王の家、兜の館、孔雀の館、スペイン王の館、袋の館、狐の館など、どれも皆いわく因縁のありそうな名前のギルドハウスに四方を囲まれた広場の上には真っ青な空が。

ギルドハウス の「ギルド」はその昔世界史の授業で習いましたが、「同業者組合」のこと。中世から近世にかけて、都市の商工業者が相互扶助を目的に結成したものですが、その寄合所的な役割を果たしていた建物のことをいいます。ギルドなるものはとうの昔に解体されましたが、建物のほうは残り、それがレストランなどに使われているわけですね。よく見ると、どの建物の外壁にも、往時の職業を示す紋章やら彫像がついているのに気がつきます。

そこから四方八方に広がる狭い通り・路地に入ると、またまた気を引く大小の店があります。500メートル四方のエリアですが、1つひとつ見て回るまでの余裕はないので、そぞろ歩きで、気に入ったところ、面白そうなところがあればドアを開けて「お邪魔しま~す」。もうイヤというほど歩き回りました。もちろん、“世界三大がっかり”の1つ小便小僧も見ましたよ。でも、いわれるほどがっかりはしませんでした。

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ベルギーといえばワッフルが名物なので、それにもトライ。老舗の「ダンドワ」という店が有名らしいのですが、ここはお客が列をなしていたのでパス。近くの別の店で買って食べましたが、うま~~いっ! 全体のレベルが高いのですね。グランプラスから離れ、東の方向に歩くとマドレーヌ教会があり、その向かいが中央駅です。ここで切符の買い方をチェックしたあと、バスに乗ってアトミウムとミニヨーロッパがある北のほうに足を延ばしてみました。

アトミウムというのは、なんともユニークな形をした展望台のような施設なのですが、けっこうにぎわっていました。ミニヨーロッパはそのすぐ近くにある屋外ジオラマパーク。ヨーロッパ各地にある美しい建物を25分の1の模型にし、それが全部で300も並べられており、こちらもまずまずの人出です。

L1040170それにしても、きょうはよく歩きました。さすがにこれだけ歩くとお腹も空きます。今日もまたイロ・サクレ地区に。あれこれ迷ったあげく、私たちが選んだのはベルギーの郷土料理。「ラ・ローズ・ブロンシュ」という店で、名産のビールのあと、「トマト・オ・クルヴェット(クルヴェット・クリーズ=北海の夏の特産・灰色の小エビにマヨネーズを和え、中身をくり抜いたトマトに詰めたオードブル)」と「ワーテルゾーイ(鶏肉にジャガイモ、ニンジンなどを加えクリームソースで煮たもの)の2品をシェアして食べたらお腹いっぱいになりました。

美の国ルクセンブルクからブリュッセルに

2012年8月11日
昨日に続いて、今日もドライブ。ただし、アントワープとは今日でお別れ。ルクセンブルク大公国経由でブリュッセルに移動します。高速道路を走っている途中にドライブインがあったので、のどをうるおそうと立ち寄ってみました。日本の高速道路にあるサービスエリアのようなもので、売店とレストランもしくはカフェ、ガソリンスタンド、トイレ、子ども向けの遊び場などがひととおりそろっています。その売店で見たのがワインとビールがびっしり並べられた棚。たしかに、ベルギーはビールの国ですが、ドライブインで売るなんて……。まさかここで飲むわけでもないでしょうし、家に戻って飲もうというドライバーのために売っているのですかね。

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それにしても、ルクセンブルクは美しいところでした。というか「国」です。わずか2600平方キロメートルといいますから、神奈川県と同じくらいでしょうか。人口は50万弱で、首都圏でいうなら江東区・松戸市・市川市とほぼ同じ。でも、1人あたりのGDPはここ20年以上にわたって世界第1位です。首都も同じくルクセンブルクといい、その「古い街並みと要塞群」は世界遺産になっています。

L1040107着いたのがちょうどお昼どきだったので、すぐランチにしました。スープを取り、2人でスモークサーモンのサンドイッチをシェアした(私はそれにビール)のですが、なんとも爽快な味で大満足。気持ちのいいアウトドアの席で食べたのもよかったのでしょう。

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そこから要塞(ヴェンツェルの環状城壁)まで行く間に、アルム広場、ノートルダム大聖堂、大公宮、市庁舎といった有名な観光スポットがほぼカバーできてしまいます。念のためと思い、おとぎの国のような可愛い市内遊覧バスにも乗ってみましたが、歩いて回ったのとほとんど同じところでした。これで“1国制覇”などといっては叱られそうですが、それくらいコンパクトな首都なのです。夕方早い時間には車を駐車場から出すことができました。

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ヴェンローから高速道路で一本道のブリュッセルまでは2時間少々。ホテルの駐車場がややこしく車を入れるのにひと苦労しましたがなんとかパーキングは完了。6連泊するホテルはアントワープと同じRadison Bludです。チェックインを済ませると、さっそく夕食を取りがてらグランプラスに向かいました。

L1040147途中、ギャルリー・ロワイヤル・サンテュベールというショッピングアーケードを抜けていきます。1847年に完成したヨーロッパで最古のアーケード商店街だそうで、ガラスで作られた高い天井から柔らかな光が注いでくるので、快適この上ありません。王室御用達のスイーツの店もあればチョコレートのノイハウスもある、タバコ屋もあればワインショップもあり、ここに来ればなんでも買えそう。レストランとカフェも気さくな雰囲気で、入りやすい感じです。

そんなことで左右に目移りがしてしまい、通り過ぎるのにけっこう時間がかかりました。夕食はどこでとも決めていなかったのですが、とりあえずいちばん選択肢の多そうなイロ・サクレ地区に。場所は、グランブラスの北側です。歩いていると客引きの声がすさまじく、左右で数十軒並んでいる中で適当に選びました。ただ、どの店にも共通しているのはムール貝です。私たちもトライしてみたのですが、これがとんでもないおいしさ。しかもメチャ安! 日本でムール貝というと、どこかよそよそしいというか、おごちそうといったイメージがありますが、ここではだれもが食べる大衆料理。

ムール貝をセロリと一緒に白ワインで蒸したもの(Moules mariniere)ですが、何より驚いたのはその量で、1人前がバケツのような鍋に1杯、それも山盛りで出てきます。1つ食べると殻が出ますが、その殻で次の貝の身を取って食べるのが基本スタイル。食べても食べても減らないのですが、不思議なことになかなかお腹いっぱいになりません。付け合わせで出てくるフリッツ(フライドポテトのことで、ベルギーが発祥の地)もビールと白のワインによく合いました。結局あとはサラダと、ムール貝のうまみが凝縮した鍋底のスープにパンをひたして食べておしまいでしたが、ムール貝というものを見直しました。

勝手にイメージしていたのとは違ったフロリアード

2012年8月10日
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さて、今日は「フロリアード」に行ってきました。レンタカーを借り、開催地のオランダ・リンブルフ州フェンロー(Venlo)へ。ナビ付きなので、目的地の住所を入力すれば事足ります。E34号という道をまっすぐ走り、途中で国境を越えるとこんどはA67号、1時間40分ほどで到着です。途中いくつもの町・村を通過しますが、これまで一度も聞いたことのないところばかりでした。

フェンローは人口9万ほど。町自体の歴史は古く、ローマ時代までさかのぼるようです。マース川(水源はフランス北東部。ベルギーからオランダで北海に注ぐ)上流の交易地として発展し、ハンザ同盟のメンバーでもありました。戦略的に重要な位置にあることから、1702年のスペイン継承戦争でも激しい戦闘があり、その結果、ネーデルラント連邦共和国の連邦直轄地となったため、のちオランダ王国に組み込まれます。2003年には「ヨーロッパでもっとも緑の豊富な町」として表彰されており、そうしたこともフロリアードの会場に選ばれた背景にはあるのでしょう。

こうした大規模なイベントだと、日本的な物差しでは全国から多くの見物客が詰めかけ、中はびっしりといった雰囲気をイメージするのですが、その予想はまったく大外れ。駐車場にはすんなり車を止められましたし、入場券もほとんど並ばずに買えました。会場の中も思ったほど混雑していません。たしかに国際的なイベントではありますが、夏休み期間でもあり、ほかの国に遊びに出かけてしまっている人も多いからではないでしょうか。それでも、ベルギーやドイツとの国境の近くにあるので、駐車場に止めてある車のナンバープレートを見ると10カ国以上にわたっていました。

L1040094もともとは花卉【かき】業界、園芸業界が主体の催しだったようですが、いまでは花や木に興味を持っている一般の人たちも入場できるスタイルになっています。開催期間は4月5日から10月7日までで、開会式にはオランダのベアトリーチェ女王も出席されたとのこと。今回は世界42カ国が参加し、66ヘクタール(サッカー場約100個分)にも及ぶ会場(うち展示スペースは44ヘクタール、室内展示用スペースが7000平方メートル)に、100を超えるパビリオンというかブースがあります。会場がとにかく広いため、移動用のケーブルカーを走らせて来場者の便宜を図るなど、主催者の意気込みが伝わってきました。

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会場内には、180万個の球根、19万鉢の多年草、1万8千本の灌木、15000本の生け垣用植物、3000本の樹木が植えられているとのこと。期間中は春・夏・秋の3回、切花、観葉植物、鉢物など品種別のコンテストもあり、そこで得た評価が園芸産業の振興に役立つといいます。日本政府(主体は農林水産省)も出展しており、伝統の花卉、種苗といった分野の技術の成果を協力にアピールしていました。

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会場は5つのエリアに分かれ、「エリア1」は「リラックスと癒し:健康と幸福のための園芸の重要性」。「エリア2」は「グリーンエンジン:環境にやさしいエネルギーの供給者としての園芸」。「エリア3」は「教育とイノベーション:革新および教育と発展との関係」。「エリア4」は「環境:緑豊かな労働・生活環境は、質の高い生活に多大に貢献」。「エリア5」は「ワールド・ショー・ステージ:自然は素晴らしい劇場であり、感動、楽しさ、そしてエンターテインメントの源」という構成になっています。

Photo_6ただ、オランダといえば、やはりチューリップ。いまは8月ですから、すでに終わってしまっていたのが残念といえば残念です。ネットでこの会場の春の様子を写した写真を見ると、それはもうチューリップのじゅうたんがみごとに敷き詰められたような塩梅になっていました。

もちろん、どのブースもこの時節にいちばん美しく咲く花を並べてアピールしています。そうした中、入り口近くに建つメインビル内のヴィラフローラ(屋内展示会場)には日本のラン各種が陳列され、「エリア2」のグリーンエンジンには日本政府出展のブースもありました。どの国も自慢の花や樹木を、その国の風物などとともにさまざまな工夫を凝らした形で展示していました。

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屋外会場の随所になにげに置かれているオブジェも傑作ぞろい。


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「エリア1」と「エリア5」とを結ぶ全長1・1㎞のケーブルカー(片道6€)にも乗ってみましたが、上から見ると会場の広さがまざまざと感じられます。このあたりは、チェルシーの「フラワーショー」には見られないスケールの大きさでしょう(もっとも、イベントの性格が異なるので当然のことではありますが)。ただ、イベントそのものに対するイメージが、あらかじめ思い描いていたのとかなり隔たりがあったのはたしか。かといって不満なわけではありませんが……。

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アントワープ中央駅は立派な観光名所

2012年8月9日
L1030989今回もさっそく、キリンとの対面です。アントワープ動物園は中央駅のすぐ隣にありますが、こうしたロケーション自体、ごくまれです。完成後100年以上を経ている中央駅自体も見るからに重厚で荘厳、交通の要所というより観光スポットといったほうが的確なのではないかと思うくらいインパクトがあります。

Photo大理石で作られた駅舎とコンコース、そしてホームの上にかぶさっている巨大なドームは、鉄(高さ44メートル・長さ185メートル)とガラスで構成されています。駅から3・8㎞にわたって延びている高架橋には200本以上の石柱が両サイドに立っており、これまた見る人の目を楽しませてくれます。「鉄道の大聖堂」と呼ばれているといいますが、それも納得できます。駅舎内にある巨大な時計の美しさもハンパではありません。また、構内にあるカフェはその昔は貴賓室だったらしく、国王一家も利用しているそうです。

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L1030993一方、動物園も、入り口が大理石と鉄柵で作られており、権威を感じさせます。一国の王様が下々の者に「見せてやるぞよ」とのたまっていた時代の産物ですから、当然といえば当然かもしれません。園内のどこにいても中央駅が見えるのがなんとも不思議です。こんな動物園、そうそうないのでは。

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さて、キリンに挨拶を終えると、王様も入られたという、駅構内のカフェでカプチーノを飲んでひと休み。それから街に出ました。駅の正面を背にして中心街に向かうと、日本ではおよそ見たこともないシュールな“交通標識”に出会い、「なんだ~~、これは!」と思わず叫んでしまいました。車を運転している人は見て解読するヒマなどなさそうです。スケボー禁止、自転車乗り入れ禁止、トラック走行禁止……など、それらしいものもありますが、よく見ると、「写真撮影禁止」とか「飲酒禁止」「携帯電話使用禁止」など、ジョークっぽいものがほとんど。要するにオブジェのようで、真面目に受け止めようとした自分を笑ってしまいました。

建ち並ぶ家々のほとんどは、スリムで背丈の高いギルドハウス風。ただし木造ではなく石造りです。グローテ・マルクト(広場)に面して建つ市庁舎のファサードがことのほかきらびやかなのは「ダイヤモンドの町」だからでしょうね。そこここに見かけるオブジェも皆、存在感があります。「ファッションの町」と呼ばれているからでしょうか? 手の巨大なオブジェを前にした家人は、それに包まれうっとり(?)。巨大な手首を投げようとしている像もありました。ほかにも、思わず何かアクションしたくなるものがいっぱいで、見て楽しむだけためのものではないのかもしれません。

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ノートルダム大聖堂を見たあとウオーターフロントのほうに向かって歩き続けると、MAS(Museum aan de stroom=川岸の博物館)という博物館がありました。大航海時代からのベルギー(というかオランダも含めてでしょうね)の歴史の流れを追いかけるといった内容の展示らしいのですが、博物館というのは真剣に見始めると2時間くらいすぐ経ってしまう場所です。今回はパスし、次の機会にゆずることに。


Photo_2「アントワープ」というの英語で、オランダ語では「アントウェルペン(Antwerpen)」といいます。antwerpenとは「手を投げる」という意味だそうです。その昔、巨人アンティゴーンが街を流れるスヘルデ川の通行人に高額の通行税を課し、払えない人がいると、その手を切って川に放り捨てていたのだとか。そこに出現した古代ローマの英雄ブラボーがアンティゴーンを退治し、その手を切って川に投げ込んだという伝説があるとのこと。町の名前はそれに由来しているといい、市庁舎の前に、切り取られた手を投げるブラボーの銅像(噴水でもある)があったのもそれが理由なのですね。夕食はホテルの近くのアルゼンチン牛ステーキの店で。なぜか、このあたりは「アルゼンチン」の文字が目立ちます。貿易港だったころのなごりでしょうか。

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子ども時分から名前には親しみがあるアントワープ

2012年8月8日
去年の5月、ロンドン・チェルシーの「フラワーショー」を見物したあと、熱病に浮かされたように、その種の催しで面白いものはないかとあれこれ探しまわっていました。それで引っかかってきたのが、「10年に一度開催されるオランダのフロリアード」というイベントです。「フロリアード」とは英語の「flower」と「olympiad(オリンピックのこと)」を組み合わせた造語でしょう。正式には「国際園芸博覧会」といい、1960年が第1回、今年でまだ6回目だそうです。

オリンピックは「4年に一度」、今年の夏もロンドンでおこなわれます。ところが、こちらは「10年に一度」で、それに惹かれました。しかも、それがなんと今年だというのです。この希少価値が私の好奇心を突き動かさないわけがありません。ということで、計画を立て始めました。それが今年の5月で、ちょうどチェルシーの「フラワーショー」から1年経ったころです。

「フロリアード」はオランダ国内各地の持ち回り開催で、今年はフェンローという町でおこなわれるようです。一度も見聞きしたことのない名前なので、調べてみました。すると、ベルギーのアントワープかブリュッセルから車で行くのが便利そうだとわかり、レンタカーを借りることにしました。もちろん、私のことですから、それだけでおさまるはずもなく、ついでにルクセンブルグにも足を伸ばそうということに。前々からぜひ一度ゆっくり見て回りたいと願っていたベネルクス3国なので、一石三鳥です。

最初に泊まったアントワープは、中学生のころからその名前だけはよく知っていた町です。というのも、オリンピックで日本が初めてメダルを獲得したのがアントワープ大会(1920年)だったのです。男子テニスのシングルスで熊谷一弥が、ダブルスでもその熊谷一弥と柏尾誠一郎のペアが銀メダルを取ったのですが、そもそもテニスがオリンピック種目だったことに驚きました。それが印象に残っている理由の1つ。

もう1つはフィンランドの長距離ランナーであるパーヴォ・ヌルミの大活躍です。この大会、陸上競技男子10000メートルとクロスカントリー(個人・団体)の3種目で金、同じく5000メートルで銀メダルを獲得し、国民的な英雄となりました。なぜ、こんなことが記憶に残っているかというと、当時私が、紙がすり切れるほど何度も繰り返し読んでいた本の1つに「オリンピック」の歴史を詳しく書いたものがあったのです。本というより小冊子で、「中学1年コース」(学習研究社刊)という雑誌の付録でついていたものです。1964年の東京オリンピックを前に、日本全体が「オリンピック」で沸いていた時期で、そうした流れの中でこの小冊子も作られたのでしょう。

話がとんでもない方向に脱線してしまいましたが、その当時から私の頭に強烈に残っている町がアントワープなのです。ただ、実際に行ってみると、妙ないい方ですが「過去の町」であることがわかりました。15世紀からある国際貿易港、なかでもダイヤモンドの取引が大変盛んだったことで、大いに繁栄したそうです。たしかに、中央駅の前には宝石商がびっしり軒を並べていました。それが唯一往時のにぎわいをしのばせるくらいで、ビビッドな感じはしません。どことなく埃っぽい感じさえあります。特段の観光地でもないようで、そうした人の姿も目につきませんでした。

アントワープでの3泊は、中央駅のほぼ隣といっていい場所にあるRadison Bluというホテル。Radisonは、私が気に入っているホテルチェーンの1つです。ビジネスセンターに出入りしやすいので、仕事をするのに時間のロスが少ないのが最大の理由でしょうか。

超特大のかき氷を体験!

2012年3月29日
 朝から地下鉄(MRT)に乗って忠孝新生駅まで行き、そこから新生南路を見並に下り、仁愛路とぶつかったところで西に進み永康街をめざします。仁愛路は幅の広い通りで歩道、中央分離帯に熱帯植物も植えられ、台北市内のなかでも美しい、また雰囲気のある通りです。

Photo  その仁愛路から金山南路を南下、いま地下鉄工事真っ最中の信義路に出たら東に向きを変え3、4分行くと永康路の入口が見えてきます。この地下鉄が完成すると、永康街へのアクセスはいまよりぐんと便利になるのですが、それはあと半年後のこと。

 信義路を渡って永康街をぶらぶら歩き、小腹が空いてきたなと思っていたところに、ある店の前に大変な人だかりがしているのに出くわしました。店の名前は「永康15」というようです。「FnB Gourmet Gruop」という表示もあり、こちらが親会社ということなのでしょうか。
 
 売りは特大のマンゴーアイス(カキ氷に切りたてのマンゴーをこれでもかというくらい乗せた上にコンデンストミルクとシロップをかけ、最後にマンゴーのアイスクリームを一個乗せたもの)らしく、ほとんどの客がそれをオーダーしていました。私はアズキを乗せたものにしましたが。

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 大きな店とアウトドアで食べられるスペースがあり、さっそく私たちも食べてみたのですが、食べでのあること、あること。しかも、それが飛び抜けておいしいのです。日本に戻ってから知ったのですが、「ニューヨークタイムズ」でかつて、「台北に行ったら、36時間以内に訪れるべき観光スポットの一つ」として紹介された店のようです。以前は「永康冰館(アイスモンスター)」と名前だったそうで、それが2年ほど前に突然閉店し、その後、名前を変えて再開し、大きな話題になったとのことです。

 永康街といえば、「鼎泰豊」の本店もあり、一大観光スポット。小籠包(ショウロンポウ)を食べたあとここでマンゴーアイスを楽しむというのが定番コースとされていました。私たちもこれまで2回「鼎泰豊」の本店に行ったことがありますが、このマンゴーアイスは知りませんでした。それを遅まきながら経験することができ、よかったよかった!

 それにしても、いくらボリュームたっぷりとはいえ、1個180元は(台湾的には)高いでしょう。だって、弁当が普通50元とか70元なのですから。ただ、それだけの価値はあります。

Photo_13  永康街の散歩を終えホテルに戻り、預けておいた荷物を受け取ってタクシーで空港へ。帰りはすぐ近くの松山空港ですから、通常、国際線で使う桃園空港のように時間はかかりません。10分ほどで到着したのですが、行ってびっくり。えらくきれいになっていたのです。

Photo_14  以前は、日本の古い地方空港の趣きだったのですが、リニューアルされてすっかり生まれ変わりました。外観も内部もすっきり清潔。いかにも最近の空港らしい設計で、心地よく待ち時間を過ごし、羽田へ向かいました。「松山・羽田」便は、「成田・桃園」便に比べると天地雲泥の差があります。

親日でも、民族としての誇りは忘れない

2012年3月28日
Photo_3  今日は1日中、もう目いっぱい歩いてまわりました。以前、時間が足らずに行けなかった国立歴史博物館からスタート。この界隈は、日本統治時代の香りがいまも濃厚に残っています。戦前に建てられた学校が残されていたりするからです。博物館の裏にも中国と西欧をミックスしたような独特の庭園があるなど、この一帯は独特の雰囲気があります。

Photo_4 Photo_9 Photo_10  かなりいいかげんな地図を頼りに東へ西に迷いながら歩き続け、小鳥だけを売っている商店街を抜けると、日本統治時代の商店街の建物をそっくりそのまま残した風致地区のようなエリアに遭遇しました。かつて半世紀(1895~1945)もの長きにわたって日本の統治下に置かれていた、国として屈辱的な歴史を風化させないためにこうしたものを残しているのでしょう。このエリアの入り口には地図とともに、そうした経緯を簡潔に記した看板がありました。Photo_6
 
 台湾は、朝鮮半島(韓国・北朝鮮)と同様、戦前は日本が植民地統治していた国ですが、その評価はかなり違います。朝鮮半島の人々との間にはいまでも、いわゆるシビアな歴史認識の問題が存在するように、日本の統治政策がけっしてプラスには受け止められてはいません。それに対し、台湾では何かにつけて日本が評価されています。もちろん、日本語を強制したり、神社を創建させたりなど、日本がとんでもないことをした点では朝鮮半島も台湾も同じです。

 にもかかわらず、台湾の人たちは総じて親日的です。ただ、プラスの面もあればマイナスの面もあったのはまちがいなく、後者について──民族としての誇りを踏みにじったという観点でしょう──の記憶を忘れてはいけないという、台湾=中華民国としての考え方がそうしたものを残している基本スタンスだと思われます。けっして、私たち日本人も忘れてはならない視点でしょう。

Photo_7  さて、そこを抜けてしばらく歩くと、「西門紅樓(台北市成都路10号)」という場所に着きました。「西門」とその周辺の商店街は以前行ったことがあります。「台北の原宿」などともいわれているように、どちらかというと若い人の姿が目につくエリアです。

 ただ、この「西門紅樓」はその端っこにあり、前に行ったときはその存在に気づきませんでした。MRT西門駅の前に建つレンガ造りの建物がそれなのですが、1908(明治41)年に建造されたそうですから、戦前の日本を彷彿させるのは当然かもしれません。建物の内部もレトロ調につくられていて、昭和初期の看板などを展示したコーナーもあります。Photo_8

またまた丸林魯肉飯です

2012年3月27日
 鹿児島取材を終え、3月23日、沖縄に移動しました。鹿児島からはなんと1時間半足らずで着いてしまうので、目と鼻の先とまではいいませんが、断然近い感じがします。

 その沖縄から一昨日、これまた1時間半で着いてしまう台北へ。ただし、台北(桃園空港)は飛行機の乗り換えだけで、目的地はマカオです。マカオ航空で台北から1時間45分。なんだか、信じられません。マカオで2泊したあと、今日(3月27日)、再び台北(桃園)に到着。しばらく来ていなかったので、2日ほどゆっくりしていこうというわけです。

 最近よく泊まる欧華飯店(リヴィエラホテル)にチェックインするやいなや、早くも夕食。ホテルのすぐ近くに、これまた私たちが大好きな丸林魯肉飯があるので、迷わずそこに行きました。

Photo  場所は市内のやや北側、中山北路と民族東路の交差点から3分ほど歩いたところです。店の名前からもわかるように、この店は、看板にも大きく書かれているように、「魯肉飯」という屋台料理がメイン。魯肉飯は、豚のひき肉を醤油でじっくり煮込み、それを白飯にかけただけのもの。ごくシンプルなのですが、これがバカうまなのです。値段は、一杯25元(大は38元)。日本円にしてなんと100円もしません。

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 もちろん、これだけでは不足なので、店内にズラリ並んでいる30種類を超えるメニューの中から、好きな物を自分で選んで盛りつけます。どれも値段は20~70元ほど。ほとんどが日本でもおなじみのものなのですが、なかには「何、これ?」と首をかしげたくなるようなものもあります。でも、だいたいはひと目見ればだいたい想像がつくものですから、さほど迷うことはありません。2人で5、6点、適当に選んで食べましたが、大満足でした。

氷の町から砂漠の町へ

2012年2月26日
 今朝はゆっくり起きて朝食。午前中は日本と仕事のやり取りで忙殺されました。イエローナイフの空港に就いたのは、私たちが乗ってきたのと同じ便が到着する時間とほぼ重なっていました。ふと見ると、ロビー内に面白いオブジェがあることに気づき、思わずシャッターを押してしまいました。私たちのときは、バゲージの積み忘れのケアでそれどころではありませんでしたから。Photo_16

 午後1時40分イエローナイフ発のウエストジェット航空の便でまずエドモントンまで。3時20分ごろ到着したのですが、隣どうしとはいっても、いちおう別の国ですから、エドモントンで国境を超える形になります。エドモントンからラスベガスへ行く便は4時30分発ですから、たいそうあわてて出入国手続きを済ませました。

 手続きは無事終了し、飛行機を乗り換えます。ウエストジェットというのはカナダのLCCですが、機材もまだ新しい感じで、快適でした。3時間ほどでラスベガス到着。国際線の真新しいターミナルで、これまで何度も来ているラスベガスの空港とは違って新鮮な印象を受けました。空港全体が以前よりさらに大きくなるとともに、リノベーションも進み、ますますきれいになっています。

Photo_17  荷物を受け取ると、宿泊先のBELLAGIOまで。イエローナイフと違い、ここには雪などありません。そもそもが砂漠の上につくられた町ですから、気温も基本高め。それでも、この季節は日本ほどではないにせと、そこそこ冷え込んではいます。

 ホテルのロビーで、ロサンゼルスからやってきたHさんご夫妻と合流し、ロビー近くでさっそく記念撮影。28日の夕刻までまる2日間、楽しむことになります。

イエローナイフでの観光もひととおり

2012年2月25日
 最大の目標であるオーロラを、最初の日の夜に観られましたから、すぐにでもアメリカに戻るなり、別の町に行きたいのはやまやまなのですが、そういうワケにも行きません。というのも、私たちの申し込んだオーロラ観賞ツアーは3泊4日コースだからです。2泊3日も4泊5日もあるのですが、観られない場合のリスクを考えると3泊4日コースがいちばん頃合いといった読みでした。1日目に観られたのは、いうならば僥幸(ぎょうこう)で、結果論でしかありません。

 ツアーの主催者もそうした読みから、市内観光や犬ゾリ体験など、空振りに終わった場合に備えた穴埋め的な楽しみを用意しています。当然、私たちもそうしたものにエントリーしていました。昨日は、イエローナイフ市内半日観光、そして今日は犬ゾリ体験です。

Photo_8  昨日の昼間参加した市内半日観光も、乗っかるのはオーロラ観賞に行くときと同じスクールバスです。ノースウェスト準州議事堂から始まって、その隣のノーザン・ヘリテージセンター、グレートスレーブ湖、オールドタウン、ギフトショップで終わるというコースで、目玉はやはりグレートスレーブ湖のアイスロードでしょう。

 グレートスレーブ湖は、淡水湖としては世界で10番目の広さですから、たいしたものです。そのグレートスレイブ湖は冬場凍りついてしまうのですが、その上に散水をして氷を厚くし、車の通行ができるようにしているのがアイスロードです。Photo_9 そこでバスが止まり、降りて写真を撮ったり、寝転んでみたりなど、それこそ童心に返って遊ぶわけですが、それはそれで楽しいひとときでした。なぜか、アイスロードを少し外れたところに白のストレッチリムジンが走っていたりして、興趣をそそりました。Photo_10
Photo_11  そして今日は、オーロラビレッジでの犬ゾリ体験。夜、それも照明がほとんどないオーロラビレッジを昼ひなかに見てみると、なるほど、こういう場所だったのかというのが実感されるのですが、簡単にいえば、単なる野原です。その内側を犬ゾリに乗って1周するだけのことなのですが、予想以上のスピードで走るのに驚きました。


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Photo_13  乗り終わったら、ほかの皆さんが終えるまで、キャビンやテント近くで焚火で焼いた、この地方特有のマシュマロをほおばったりなど、素朴な楽しみを味わうことになります。

 でも、最終日の夜、レベル4に近いオーロラをまたまた観ることができたのはラッキーでした。この時期、イエローナイフ3泊4日のツアーでは見られる確率が96%だそうですから、今回、極寒の地まではるばるやってきたかいはありました。

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 あすはいよいよ、最後のお楽しみ=ラスベガスです。

とうとうやって来ました、イエローナイフ!

2012年2月23日
Photo_5  カルガリーからイエローナイフまでは、エドモントン経由で2時間少々。ただ人口2万人ほど、18世紀に毛皮の交易で生まれたこの町は金鉱の発見で発展し、最近はすぐ近くのダイヤモンド採掘でまずまずにぎわっているようです。ただ、観光資源といえばオーロラだけですから、空港といっても建物が一つあるだけ。飛行機の扉に吹きさらしのタラップがつけられ、そこを降りていくだけです。

 バゲージを受け取ってタクシーでホテルまで行くつもりでしたが、なんと届いていません。日本ではめったにないことでしょうが、海外ではさほど珍しいことではなく、私たちもこれで4回目の経験です。次の便で届かなければ翌日ということで、あきらめてホテルに。Photo_2 エリザベス女王も泊まったことがあるというのですが、実際着いてみれば、「ホンマかいな」と首をかしげたくなるようなところでした。考えてみれば、こんな小さな町に女王陛下が何をしに来たのか、そもそも疑問ではあります。

 それはともかく、さっそく町に出てみると、フランクリン通りという名のメインストリートが。何軒かあるおみやげ屋さんはどこも皆、けっこうな人でした。さすが、ウールの防寒用帽子や手袋など、北極圏仕様というか、本格的なものが売られています。

Photo_18  早々にホテルに戻ると、この夜から3夜連続のオーロラ観賞のための「防寒キット」がホテルに届いていました。頭のてっぺんから足の先まですべてを覆うわけですが、すべて身に着けてみるとたいそうな重さです。サイズもピッタリでしたので安心しました。そうこうしているうちに日没の時間が。ここまで緯度が高くなると、3時過ぎには日が完全に落ちてしまいます。逆に、夏場は夜9時を過ぎてもまだ明るいということになります。

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 氷点下20度という寒さの中、町に出てみました。こんな鄙(ひな)にはまれといってもいいフランス料理店で早めの夕食を済ませ、出発に備えます。私たちが泊まっているホテルからオーロラ観賞ツアーに参加するのはどうやら30人ほど。全員が日本人です。

 出発時刻の少し前に移動用のバスがやってきました。といっても、スクールバスのお古というか、ごくごく簡素なバスです。ヒーターもついていません。全員、防寒キットで完全武装。口をきいただけで、冷たい空気が口から入ってきそうですから、ほとんどが黙っています。

 オーロラを観賞するのはホテルから雪道を30分ほど走っていったところにある、「オーロラビレッジ」という施設。広い敷地の中に200人ほどは入れそうな大きめのコテージがあり、そこでは食事をしたりお茶を飲んだりできるようになっています。Photo_3 また専門家が待機していて、さまざま案内をしてくれます。その周囲に、10~30人ほどが入れる小型のキャビン、テントから10数カ所、点在しています。

 オーロラはいつ出てくるかわかりないので、コテージ、指定されたキャビンもしくはテントで待機していることもできるのですが、そうもいってはいられません。ほとんどの人がとりあえず外に出て、適当な場所にすわったり、歩いたりしながら待っています。すると、突然出てきたりして大騒ぎになります。

 今年はオーロラの当たり年だそうですから、運さえよければすぐにでも観ることもできるそうです。でも、運に恵まれないと、3夜どころか1週間張りついていてもまったくお目にかかれないということもあるとか。さて、さて、どうなるでしょうか……。

ビルとビルとをつなぐ空中回廊が充実

2013年2月22日
 カルガリーはどちらかというとビジネス都市です。その中心は石油と天然ガス。人口も周辺部も含めると100万を超えるといいますから、経済活動は活発なのでしょう。また、黒人が少ないのも意外な感じがしました。

20120220  美術や演劇、音楽などの活動が活発で、市内にはグレンボウ博物館、ジュビリー公会堂、EPCORセンターなど文化施設がも非常に充実しています。初日の夜と翌日の朝に足を運んだ、ホテル近くの公園も洒落た設計でしたが、そうしたセンスのよさが随所に見られました。

 また、都心部には近代的な高層ビルが10本以上建っていますし、デパートやショッピングモールもいくつかあります。Photo_12

 ただ、冬場の寒さに備え、それらのオフィスビル、商業施設などをつなぐ空中回廊(屋内歩道橋)がバッチリ整備されています。その規模は世界一だそうです。5、6ブロック離れた建物までも行けるくらいですから、それはそれはたいそう本格的。そのまま商店街になっているところもありますし、そうでない場合も、途中、そこここに店があるので、地上に降りなくても、ほとんど用が足りてしまいます。

Photo_13  当然、人々はそちらを歩くことになり、地上に人の姿が少ないのも納得です。もちろん、夏場にやってくれば雰囲気もかなり違うのでしょうが、ここまで空中回廊を整えてしまうのもどうかなという感じはしました。スターバックス・コーヒーもあるのですが、店の外装など、けっこう凝っているのに、町を歩いている人がいないために、なんだかさびしく見えてしまいます。でも、夜になれば、そうしたさびしい雰囲気もすべて消えてしまうようです。というか、闇にまぎれるので、普通の町と変わらなくなるということでしょうか。

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北緯51度の動物園でも元気なキリン

2013年2月21日
 朝食のあと、昨夜立ち寄ったオリンピックプラザにもう一度行きました。明るいときに見てみたかったからです。表彰四季がおこなわれたところは、いかにもセレモニーをとりおこなうのにふさわしい雰囲気で、神聖な気分になります。Photo_11

 昼間はカルガリーの動物園に行きました。電車で15分ほどのところにあるのですが、駅のホームがいかにもそれらしく、夢をかき立てます。動物園というのは、その地その地でさまざまな工夫がほどこされていますが、このホームは出色です。

 中に入ると、さすが真冬のせいか人影はまばら。私たちが行ったのも平日でしたが、家族連れやカップルなど、ポツポツ訪れていました。さて、私のいちばんの目標はキリンです。さっそく案内図をチェックしてみると、比較的早めにで会えそうです。

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Photo_4  キリンは寒いので、建物の中にいました。でも、本来は外にいるみたいです。たまたまそいう時間帯だったのでしょう。ただ、動物を室内に入れると、中がどうしても匂います。それに耐えながらの見物でした。Photo_5

 もちろん、外の気温は氷点下。しかし、それでもシマウマもトラもゾウもライオンもオランウータンもいます。もともと熱帯地域に生息する動物たちばかりですから、本当はしんどいのでしょうが、けっこう平気な顔をしているのには驚きました。まあ、寒いといってもカルガリーは、北緯51度あたりですから、日本の近くでいうなら樺太の中央部よりやや北。極寒の地というわけではありません。

 ただ、彼らにしてみれば、人間の楽しみのためだけに、こんな場所にまで来させられているのですから、たまったものではないでしょう。トナカイやシロクマならまだしも、かわいそうだな思ってしまうのですが、彼らにとっては寒くても安全ですし、エサもふんだんに食べられるし、野生のままでいるよりむしろ幸せなのかもしれません。ペンギンやシロクマにとってはまさしく天国ですね。

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Photo_8  動物園をあとにしホテルでひと休みしてから、アイスホッケーの観戦に行きました。会場は、電車で10分足らずのところにあるベングロース・サドルドーム。地元のFRAMESとエドモントンのOILERSの対戦で、どちらもNHLの中ではそれほど強いチームではありません。しかし、カナダそれも西部となると、冬場の楽しみはかぎられますから、アリーナはほぼ満員でした。Photo_18
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広島から羽田経由でロサンゼルス、そしてカルガリーへ

2013年2月20日
 19日の夕刻、広島市中区の「まちづくり大会」での公演を終え、空港までリムジンで移動し、夜の便で羽田へ戻りました。といっても、これは正確ないい方ではなく、立ち寄っただけです。というのも、20日午前0時5分発のロサンゼルス行きANA便に乗るからです。羽田空港に、家人が長女のダンナが運転するクルマに乗って大きなスーツケース2個とともにやってきました。

 ただ、ロサンゼルスは経由地で、今回の目的はカナダでオーロラを観ることです。2月24日が家人の誕生日で、そのプレゼントにオーロラを、というのが動機です。ウフフ、カッコいいでしょう!

 オーロラを観ることのできる場所はカナダ、アラスカ、スウェーデン、フィンランドなどあちこちあります。日本からも比較的近いカナダでは、北極圏に近いイエローナイフという町でオーロラ観賞ができるというので、現地発のツアー(3泊4日)に申し込みました。カナダも日本も同じ北半球なので、冬なのですが、やはり寒さは違います。まして北極圏の近くとなれば、ハンパではないでしょう。というわけで、体を少し慣らしてから現地に行くことにしました。カルガリーがその「慣らし」ポイントというわけです。

 20日に日本を出ても、時差があるのでロサンゼルス到着は前日(19日)の夕方。空港に迎えに来てくれた現地在住のHさんご夫妻と合流し、近くのホテルまで送っていただきました。Hさんが日常食べている「小麦ふすまパン」(日本でしか作られていない)をお渡ししました。軽く食事をし、数日後ラスベガスでお会いすることを約し別れました。

Photo  そして、今日は10時55分発のエアカナダ便でアルバータ州の州都カルガリーへ。近づくにつれ、地上波どんどん白くなり、着陸前はほとんど真っ白です。いつだったか冬季オリンピックを開催したところですから、空港は明るくモダンですが、この季節は動いている人が少ないためでしょうか、やはり寒い感じがします。

 中心部にあるホテルまでは乗合のシャトルに乗って移動。今日から3泊、DELTA BOW VALLEYというところに泊まります。本当の中心部から2、3ブロック離れているだけなのですが、道幅を広く取り、町がゆったりと作ってあるので、やはり寒々しは否めません。でも、本当の理由は、歩いている人が少ないせいでしょう。人が多いと、やはり熱を発している分、どうしても暖かくなるのですね。

Photo_2  この夜は近くのステーキ屋さんで夕食。有名なアルバータ牛の本場ですから、やはりおししかったです。夕食後、ホテルのすぐ裏にあるオリンピックプラザを、震えながら散策。オリンピックのとき、表彰式がおこなわれたところだそうで、いまでは公園になっています。なかには小さなスケートリンクがありました。Photo_15

寒いところには、寒い時期に行くのがいちばん!

2012年1月24日
 長年あこがれていた冬の日本海。昨日から明日まで、2泊3日の予定で、ようやく実現することができました。「リゾートしらかみ」というJRの特急に乗って、秋田から鰺ヶ沢を経て、青森までという行程です。
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 この特急、なかなか予約が取れないので、今回はパック旅行にしました。本意ではないのですが、やむを得ません。23日の早朝に出発、上野から秋田までは新幹線。秋田で食事をして、14時10分発の特急で鰺ヶ沢着は17時18分です。3時間少々の旅ですが、やはり真冬の日本海沿いを走るのですから、迫力があります。雪こそ降っていませんでしたが、とにかく波のすごいこと。それだけ風が強いわけですが、海岸の岩にぶち当たって跳ね上がるしぶきの強烈さは、なんともいいようがありません。

Photo_2 途中、深浦で待ち合わせのためしばらく停車しますが、昨日は鰺ヶ沢に泊まりましたが、魚はこの季節、やはりおいいしいです。今朝は宿を早く出て、近所の物産センターに行ったり、元小結の舞の海の博物館(というほどでもありませんが)を訪れたり。旅に出ると、どうしようもなく早起きになってしまうのが面白いですね。見知らぬ土地だと、少しでもそこで長い時間“生きた時間”を過ごそうというのは、貧乏根性なのかもしれませんが、もはや完全に習性となっています。

 鰺ヶ沢をあとにし、木造、五所川原、弘前を経て青森まで2時間少々。どこも皆、関取が数多く輩出している町で、なじみがあります。冬の東北、それも津軽となると、外を歩くのもはばかられそうです。実際、青森についたときは大変な雪で、凍えそうでした。しかし1時間も経つと天気は一変、まるで春を思わせるような日差しになり、積もった雪がなんともまぶしく感じられました。
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 寒い季節はやはり寒いところに行くのがいちばん楽しいように思えます。来月はカナダ、それも北極にかなり近いところまでオーロラを観に行く予定なのですが、いまから楽しみです。

鹿児島で「チェコ」に出会ってびっくり!

2011年11月4日
11月2日から1回目の鹿児島取材をスタートしました。鹿児島に着いた夜は、市内随一の繁華街・天文館で、鹿児島最大の行事「おはらまつり」の前夜祭を見学。花電車を観るなんて、何十年ぶりのことでしょうか。そして、昨日は一日中、おはらまつり漬けでした。

L1020382 それにしても、鹿児島市内を走る路面電車の軌道には芝生が植わっていて、えらく風情があります。路面電車というのは近ごろ全国的に注目されていますが、都会に暮らす人間にとって落ち着きを取り戻させてくれる貴重な装置であることを実感しました。その軌道に芝生があるのですから、ますます存在感があります。先だって訪れたウィーンもプラハも路面電車が市内を縦横無尽に走っていましたが、芝生までは見られませんでした。

さて、3日目の今日は、天文館のホテルから鹿児島中央駅まで路面電車で移動し、そこから甲突川近くにある公園を抜け、町のあちこちに立つ幕末から明治にかけての偉人たちの銅像や記念碑を見ながらの取材です。L1020402 最後、天文館の近くにあるフランシスコ・ザビエル公園に行くと、そこには凛々しい顔つきをしたザビエルの像がありました。公園の向かい側には教会もあります。ほんの数日前プラハのカレル橋で見たザビエルの銅像と引き比べながらじっくり見てみると、なんだか不思議な気持ちになりました。

おもしろかったのは、天文館から空港に行くバスで、空港到着の直前、道路に「チェコ村」と記された看板を見つけたことです。「なんでまた、こんなところにチェコがあるわけ? ひょっとしてザビエルつながりか?」と思ったのですが、横にすわっていた家人が、つい最近使い始めたスマートフォンでインターネットにアクセスして調べ、画面を見せてくれました。それによると、「焼酎を中心とした鹿児島の文化と、チェコのピルスナービール文化を融合させた鹿児島空港至近のテーマパーク」だそうで、中では、焼酎、チェコのビールはもちろん、チェコ料理も楽しめるとのこと。これはぜひ一度、足を運ばなくてはとメモしたしだいです。

行くところ行くところ、なぜか不思議につながっていることに驚きを覚えるとともに、やはり、何を取り上げるにしても、実際、現地におもむき、しかも注意深く観察することの大切さを思い知らされました。市内から空港へ行くバスなどというのは、普通は格好の居眠りチャンスなのでしょうが、私はそういうことはしない、というかできない気質なのです。何も見逃さない、聞き逃さない──これからもこの鉄則は守っていこうと思います。

それにしても、天文館の一角にある黒豚専門店で食べた豚カツは絶品でした。黒豚のカツに真っ黒なソースがかかっているのですが、こればかりは、その見た目に驚き、きっちり写真に撮りました!

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ヴァーツラフ広場で〝プラハの春〟に思いを寄せる

2011年10月29日
チェコソロヴァキアはかつて、共産圏ではソ連に次ぐ工業国として知られていました。シュコダという自動車もつくられ、ひょっとして当時のイタリアやフランスの車より性能がよかったとのではないかとの説もあります。そのシュコダもいまでは、プラハの街中を観光のために走っています。

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そうした時代、1968年の春から初夏にかけて、私などまだ高校生のときです。ベルリンの壁がなくなるはるか以前のことですから、プラハは旧チェコスロヴァキアの首都でした。その中心にあるヴァーツラフ広場にワルシャワ軍事同盟軍(といっても、ほとんどは旧ソ連軍ですが)の戦車が乱入、共産主義政治の民主的な改革を唱えていた時のドプチェク政権に有無をいわせぬ圧力をかけました。その結果、ドプチェク首相はスボボダ大統領とともに失脚、またまた旧来のかたくなな共産主義政治体制が復活してしまいます。

ベルリンの壁が消え東欧全体が民主化されたあとは国もチェコとスロヴァキアの二つに分かれました。チェコの首都となったプラハで最大のヴァーツラフ広場は、若い人たちであふれ返っていました。広場の両側にはやたらカジノが目につき、お洒落な店も少なくありません。L1020295 広場に建つ正面に国立博物館(改装のため休館中)の前にあるヴァーツラフの像のすぐ近くに、ワルシャワ軍事同盟軍の侵入に抵抗して命を失った2人の青年の碑がありました。だれが手向けたのか、花束も置かれています。チェコの若者たちの多くはそうした歴史があったことすら知らないかもしれませんが、日本から来た私たちがそんな記憶をよみがえらせたことに年齢を感じてしまいました。

今日はプラハ最後の夜なので、夕食は思い切り豪勢にということで4人の意見が一致。しかし、どこで食べようかとなると、頭を抱えてしまいます。しかたなくインターネットで探し出した、ホテル近くの店に行ってみました。しかし、残念ながら満席で、1時間半待ちとのこと。あきらめて、そのまわりにある、これはとひらめいた店を2、3軒あたってみたのですが、土曜日の夜とあって、どこも皆、入れませんでした。しかたなく、いかにも地元の人が出入りしていそうな居酒屋風の店に。しかし、ここが意外にも“当たり”だったのです。とにかく、量がべらぼうに多く、しかも値段はバカ安。ソーセージや肉のグリルなど地元のメニューを堪能し、大満足でホテルに戻りました。

L1020310 この日の朝、プラハ滞在も最後ということもあり、ホテル近くにあるスメタナ博物館のところまで散歩しました。結局、中は見ることができなかったのですが、早朝だったせいもあり、肌寒さを感じながら、なんとなく凛とした気持ちになったのは、ヴルタヴァ川の雄大な流れのせいでしょうか。

プラハ城観光後、カフェの窓からからくり時計を楽しむ

2011年10月28日
今日は、これも前日予約した、日本語ガイド付きの市内観光です。お昼近くにホテルを出発し、まず、プラハ最大の観光名所として知られるプラハ城に行きました。私たちがガイドに連れられて入城したのは北門。L1020104 この日はちょうどチェコの建国記念日(休日)にあたっていたため、正門周辺や城内にある大統領府の周辺では国軍も参加しての記念行事が朝からおこなわれていたようで、私たちが着いたときも、兵士の姿が目につきました。しかし、それ以上に多かったのが国内外からの観光客で、城の内外は人でいっぱいです。

城の内部には入れないのですが、その敷地の広さには驚きました。大きな教会や修道院が建っているだけでなく、屋敷や元の牢獄もあり、ひとつの街といった感じです。L1020150 職人たちの仕事場兼住居が軒を連ねていた黄金の小道は、「道」といっても、人ひとりがやっと通れるほどの幅しかなかったそうです(いまは拡幅されている)が、とても味わいのあるエリアでした。フランツ・カフカが住んでいたという家の前で写真を撮ったのですが、地下室を合わせても15坪、あるかないかでしょう。でも、優秀な作品はそうした条件とは無関係に生まれてくるもののようです。

驚いたのは、教会の中がことのほか明るかったことです。それというのも、天蓋に近い壁面部分に窓が大きく取られているからで、床のあたりからその窓のあたりまで延びるステンドグラスもえらく大きなものでした。絵柄も色彩もほかの教会とは趣きがかなり異なり、独特の印象を与えます。

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広いプラハ城を抜け、車でもう一つの観光名所であるカレル橋に移動すると、ここも人でいっぱいでした。ヴルタヴァ川に架かる橋の両側の欄干には30もの銅像が建てられており、そのいちいちに「いわく」があるようです。驚いたのはフランシスコ・ザビエルの銅像と一体になっている日本人でした。L1020181

銅像のザビエルは二人の男に担がれていますが、二人とも、17世紀当時この地域でイメージされていた東洋人だそうです。ただ、頭には丁髷があり、腰には二本の刀を差しているところからすると、日本人ではないかとの説もうなずけないことはありません(顔はちょっと違う気がしますが)。

だとすれば、ザビエルとともに鹿児島に上陸し、通訳を務めながら布教に歩いたヤジロウ(薩摩か大隅出身の海賊といわれる)あるいは、来日したザビエルから洗礼を授かって信者となり、その後ともに布教に歩いただけでなく、ザビエルが日本を去っていったあとも同行、さらにヨーロッパに留学したという薩摩出身の日本人ベルナルド(洗礼名)ではないかということになります。ちょうど「鹿児島」の取材を始めようかというときなので、写真に収めておきました。

カレル橋のたもとに、とてもいい香りを放っている小さなカフェがありました。店の外に屋台のようなものがあり、そこで焼き上げられているお菓子(名前は忘れましたが、近ごろプラハっ子の間では大人気とのこと)の匂いです。L1020238 街中を歩いていても、焼いたソーセージや、それをパンでくるんだものなど、素朴な感じのおやつを売っている店や屋台があちこちにあります。どれも皆すこぶるいい香りで、つまらないスナック菓子を食べるよりよほどおいしそうです。

カレル橋から旧市街広場に移動、教会や、宗教改革で有名なフスの像などを見学、レストランやカフェ、みやげ物屋などがびっしり並ぶ一角に、正時を告げる旧市庁舎のからくり時計があります。L1020199 このあたりではいちばんの見もので、地上は何百人もの見物客でごった返しています。私たちは、その様子を正面にあるカフェの2階の窓から、コーヒーを飲みながら見ることができました。

共産政権時代の匂いがするプラハの人形劇場

2011年10月27日
今日はウィーンから鉄道に乗ってプラハに移動です。中央ヨーロッパのほとんど森と畑しかない退屈な沿線ですが、急行で5時間。夕方早い時間にプラハ中央駅に到着しました。さて、ホテルまでどのように行こうかとタクシー乗り場まで荷物を引いていったのですが、どうにも怪しい雰囲気です。だいいち、タクシーに乗る客が1人もいません。

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ヒマを持て余している運転手たちは車を降り、喫煙所でタバコを吸いながら雑談しているだけ。たまに近づいてくる旅行客に声をかけ、私たちにも、「どこまで行くんだい?」と英語で話しかけてきました。ホテルの名前を告げると、900コルナ(1コルナは約4・5円)とのこと。事前に観光案内所で確かめたときは300コルナほどという話だったので、とんでもない吹っかけぶりです。

「いや、案内所では300コルナといってたよ」と断わると、「それはクレイジーな値段だ」と、最初はせせら笑っていたのですが、私たちがかたくなに断わり続けると、「じゃあ、600でどうだ」と言ってきます。「ダメダメ」と突っぱねたら、「なら500にまけるよ」とさらなるダンピング。結局、「話にならない」と突っぱね、ホテルに電話を入れて事情を説明しました。すると「絶対、乗らないでください。こちらから迎えの車を出しますので」とのこと。ようやくメルセデスが来てくれ、ホテルまで無事行き着きました。もちろん、無料ではなく、400コルナかかりました。

観光ガイドブックにも、「駅のタクシーはボッタクリが多いので要注意、事前に金額の交渉を」と書かれてはいましたが、ここまでひどいとは! まして、首都の玄関口、中央駅なのにこのありさまでは、初めてプラハを訪れた旅行客の印象はグンと悪くなります。オーストリアとのえらい違いにあきれてしまいました。

ホテルはヴルタヴァ(モルダウ)川に架かるプラハ一の観光名所カレル橋のすぐ近く、ほとんど川のたもとにありました。部屋の窓からは対岸のプラハ城もそっくり見え、ロケーション的には文句なしといっていいでしょう。

L1020174 今夜は、あらかじめ予約を入れておいたチェコ名物の人形劇(マリオネット)鑑賞を予約していたのですが、小腹がすいていたので、その前にアウトドアのカフェ(ただし、秋冬はテントで覆われ、電気ヒーターも置かれている)に立ち寄ってビールを流し込み、軽いつまみを口にしました。人形劇鑑賞は夕食とセットになっており、国立マリオネット劇場近くのレストランでチェコ料理を食べ、それから劇場へ。モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』を楽しみました。客は世界中からやって来ている感じで、内容も理解しやすいのですが、共産政権時代そのままといった感じで、イスのすわり心地や設備はいまイチです。

世界でいちばんゆったりパンダが観られる動物園

2011年10月26日
今日はウィーン最後の日。まず、午前中は動物園です。朝方からあいにくの雨でしたが、それもなんのその。タクシーを飛ばし、開園とほぼ同時に入りました。場所はなんとシェーンブルン宮殿の一角。「現存する世界最古の動物園」だそうで、マリア・テレジアの夫フランツ=ヨーゼフ1世が1752年、初めてお客を迎え入れたという記録があるため、開園はこの年になっています。

L1020001 入口を入ると、真正面に黄色いパビリオンが見えます。動物園にはあまり似つかわしくない建物なのですが、この当時は、中央に芝生を作り、そこから放射状に動物の飼育場を設け、パビリオンの中からぐるりと動物たちの姿を見わたせるという配置でした。放射状に16の区画があり、そのうち13区画に動物がいたそうです。

その後、大規模に拡張され、いまではたいそう大きな動物園に生まれ変わっています。マリア・テレジアは夏の間、毎朝、宮殿から子どもたちを連れてパビリオンを訪れ(もちろん、その中にはマリー・アントワネットもいたそうです!)、動物をながめながら朝食をとっていたとか。なんと優雅な生活なのでしょう!

L1010992 ここの見ものはやはりパンダです。この日は雨だったので、2頭とも室内にいましたが、孟宗竹をおいしそうに食べている様子をすぐ目の前で見ることができました。子パンダは外の木の上におり、東京の上野動物園とはまったく違う楽しみ方ができます。

ウィーン最後の夜は楽友協会ホールでのコンサートです。毎年お正月におこなわれるニューイヤーコンサートは世界的に知られていますが、チケットはプラチナもいいところですから、とりあえず、会場の雰囲気だけでも味わえたらと思い、行ってみました。ウワサにたがわぬ豪華で気品のある会場に観劇。もちろん、演奏のほうもハイレベルで、モーツァルトの名作の数々を堪能できました。

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