親日でも、民族としての誇りは忘れない

2012年3月28日
Photo_3  今日は1日中、もう目いっぱい歩いてまわりました。以前、時間が足らずに行けなかった国立歴史博物館からスタート。この界隈は、日本統治時代の香りがいまも濃厚に残っています。戦前に建てられた学校が残されていたりするからです。博物館の裏にも中国と西欧をミックスしたような独特の庭園があるなど、この一帯は独特の雰囲気があります。

Photo_4 Photo_9 Photo_10  かなりいいかげんな地図を頼りに東へ西に迷いながら歩き続け、小鳥だけを売っている商店街を抜けると、日本統治時代の商店街の建物をそっくりそのまま残した風致地区のようなエリアに遭遇しました。かつて半世紀(1895~1945)もの長きにわたって日本の統治下に置かれていた、国として屈辱的な歴史を風化させないためにこうしたものを残しているのでしょう。このエリアの入り口には地図とともに、そうした経緯を簡潔に記した看板がありました。Photo_6
 
 台湾は、朝鮮半島(韓国・北朝鮮)と同様、戦前は日本が植民地統治していた国ですが、その評価はかなり違います。朝鮮半島の人々との間にはいまでも、いわゆるシビアな歴史認識の問題が存在するように、日本の統治政策がけっしてプラスには受け止められてはいません。それに対し、台湾では何かにつけて日本が評価されています。もちろん、日本語を強制したり、神社を創建させたりなど、日本がとんでもないことをした点では朝鮮半島も台湾も同じです。

 にもかかわらず、台湾の人たちは総じて親日的です。ただ、プラスの面もあればマイナスの面もあったのはまちがいなく、後者について──民族としての誇りを踏みにじったという観点でしょう──の記憶を忘れてはいけないという、台湾=中華民国としての考え方がそうしたものを残している基本スタンスだと思われます。けっして、私たち日本人も忘れてはならない視点でしょう。

Photo_7  さて、そこを抜けてしばらく歩くと、「西門紅樓(台北市成都路10号)」という場所に着きました。「西門」とその周辺の商店街は以前行ったことがあります。「台北の原宿」などともいわれているように、どちらかというと若い人の姿が目につくエリアです。

 ただ、この「西門紅樓」はその端っこにあり、前に行ったときはその存在に気づきませんでした。MRT西門駅の前に建つレンガ造りの建物がそれなのですが、1908(明治41)年に建造されたそうですから、戦前の日本を彷彿させるのは当然かもしれません。建物の内部もレトロ調につくられていて、昭和初期の看板などを展示したコーナーもあります。Photo_8

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