2011年10月29日
チェコソロヴァキアはかつて、共産圏ではソ連に次ぐ工業国として知られていました。シュコダという自動車もつくられ、ひょっとして当時のイタリアやフランスの車より性能がよかったとのではないかとの説もあります。そのシュコダもいまでは、プラハの街中を観光のために走っています。
そうした時代、1968年の春から初夏にかけて、私などまだ高校生のときです。ベルリンの壁がなくなるはるか以前のことですから、プラハは旧チェコスロヴァキアの首都でした。その中心にあるヴァーツラフ広場にワルシャワ軍事同盟軍(といっても、ほとんどは旧ソ連軍ですが)の戦車が乱入、共産主義政治の民主的な改革を唱えていた時のドプチェク政権に有無をいわせぬ圧力をかけました。その結果、ドプチェク首相はスボボダ大統領とともに失脚、またまた旧来のかたくなな共産主義政治体制が復活してしまいます。
ベルリンの壁が消え東欧全体が民主化されたあとは国もチェコとスロヴァキアの二つに分かれました。チェコの首都となったプラハで最大のヴァーツラフ広場は、若い人たちであふれ返っていました。広場の両側にはやたらカジノが目につき、お洒落な店も少なくありません。 広場に建つ正面に国立博物館(改装のため休館中)の前にあるヴァーツラフの像のすぐ近くに、ワルシャワ軍事同盟軍の侵入に抵抗して命を失った2人の青年の碑がありました。だれが手向けたのか、花束も置かれています。チェコの若者たちの多くはそうした歴史があったことすら知らないかもしれませんが、日本から来た私たちがそんな記憶をよみがえらせたことに年齢を感じてしまいました。
今日はプラハ最後の夜なので、夕食は思い切り豪勢にということで4人の意見が一致。しかし、どこで食べようかとなると、頭を抱えてしまいます。しかたなくインターネットで探し出した、ホテル近くの店に行ってみました。しかし、残念ながら満席で、1時間半待ちとのこと。あきらめて、そのまわりにある、これはとひらめいた店を2、3軒あたってみたのですが、土曜日の夜とあって、どこも皆、入れませんでした。しかたなく、いかにも地元の人が出入りしていそうな居酒屋風の店に。しかし、ここが意外にも“当たり”だったのです。とにかく、量がべらぼうに多く、しかも値段はバカ安。ソーセージや肉のグリルなど地元のメニューを堪能し、大満足でホテルに戻りました。
この日の朝、プラハ滞在も最後ということもあり、ホテル近くにあるスメタナ博物館のところまで散歩しました。結局、中は見ることができなかったのですが、早朝だったせいもあり、肌寒さを感じながら、なんとなく凛とした気持ちになったのは、ヴルタヴァ川の雄大な流れのせいでしょうか。