子ども時分から名前には親しみがあるアントワープ

2012年8月8日
去年の5月、ロンドン・チェルシーの「フラワーショー」を見物したあと、熱病に浮かされたように、その種の催しで面白いものはないかとあれこれ探しまわっていました。それで引っかかってきたのが、「10年に一度開催されるオランダのフロリアード」というイベントです。「フロリアード」とは英語の「flower」と「olympiad(オリンピックのこと)」を組み合わせた造語でしょう。正式には「国際園芸博覧会」といい、1960年が第1回、今年でまだ6回目だそうです。

オリンピックは「4年に一度」、今年の夏もロンドンでおこなわれます。ところが、こちらは「10年に一度」で、それに惹かれました。しかも、それがなんと今年だというのです。この希少価値が私の好奇心を突き動かさないわけがありません。ということで、計画を立て始めました。それが今年の5月で、ちょうどチェルシーの「フラワーショー」から1年経ったころです。

「フロリアード」はオランダ国内各地の持ち回り開催で、今年はフェンローという町でおこなわれるようです。一度も見聞きしたことのない名前なので、調べてみました。すると、ベルギーのアントワープかブリュッセルから車で行くのが便利そうだとわかり、レンタカーを借りることにしました。もちろん、私のことですから、それだけでおさまるはずもなく、ついでにルクセンブルグにも足を伸ばそうということに。前々からぜひ一度ゆっくり見て回りたいと願っていたベネルクス3国なので、一石三鳥です。

最初に泊まったアントワープは、中学生のころからその名前だけはよく知っていた町です。というのも、オリンピックで日本が初めてメダルを獲得したのがアントワープ大会(1920年)だったのです。男子テニスのシングルスで熊谷一弥が、ダブルスでもその熊谷一弥と柏尾誠一郎のペアが銀メダルを取ったのですが、そもそもテニスがオリンピック種目だったことに驚きました。それが印象に残っている理由の1つ。

もう1つはフィンランドの長距離ランナーであるパーヴォ・ヌルミの大活躍です。この大会、陸上競技男子10000メートルとクロスカントリー(個人・団体)の3種目で金、同じく5000メートルで銀メダルを獲得し、国民的な英雄となりました。なぜ、こんなことが記憶に残っているかというと、当時私が、紙がすり切れるほど何度も繰り返し読んでいた本の1つに「オリンピック」の歴史を詳しく書いたものがあったのです。本というより小冊子で、「中学1年コース」(学習研究社刊)という雑誌の付録でついていたものです。1964年の東京オリンピックを前に、日本全体が「オリンピック」で沸いていた時期で、そうした流れの中でこの小冊子も作られたのでしょう。

話がとんでもない方向に脱線してしまいましたが、その当時から私の頭に強烈に残っている町がアントワープなのです。ただ、実際に行ってみると、妙ないい方ですが「過去の町」であることがわかりました。15世紀からある国際貿易港、なかでもダイヤモンドの取引が大変盛んだったことで、大いに繁栄したそうです。たしかに、中央駅の前には宝石商がびっしり軒を並べていました。それが唯一往時のにぎわいをしのばせるくらいで、ビビッドな感じはしません。どことなく埃っぽい感じさえあります。特段の観光地でもないようで、そうした人の姿も目につきませんでした。

アントワープでの3泊は、中央駅のほぼ隣といっていい場所にあるRadison Bluというホテル。Radisonは、私が気に入っているホテルチェーンの1つです。ビジネスセンターに出入りしやすいので、仕事をするのに時間のロスが少ないのが最大の理由でしょうか。