パカタにも紙幣がある! 当たり前か……

2015年3月10日
昨日午後の便で台北からマカオにやってきました。マカオでは今回初めて日本の「オークラ」に泊まってみました。ここの「オークラ」には、当たり前といえば当たり前なのですが、中華料理レストランはありません。あるのは和食の「山里(日本では鉄板焼きレストランの店名ですね)」とメインダイニングっぽい「TERRAS RESTAURANT 和庭餐庁」の二つ。台北の「オークラ」には中華料理レストラン「桃花林」があるのですが、日本人以外だれが利用するのだろうかと考えると、不思議でなりません。たぶん、日本からの宿泊客と現地駐在の日本人ビジネスなのでしょうね。

さて、それはともかく、今回はギャンブル三昧の2日間を過ごしました。ただし、「オークラ」にはカジノがないので、遊ぶのは隣り合わせのホテル「GALAXY」になります。ラスベガスでもそうですが、マカオでは最近は、カジノを併設していないホテルが目につきます。「FOUR SEASONS」「MANDARIN」「HYATT」「RITZ CARLTON」など、すべて超高級ホテルです。こうしたところは、宿泊と食事だけを提供し、遊ぶのはほかのホテルでというスタンスを取っているわけです。


ただ、「GALAXY」ホテルのカジノはなぜか異常に照明が明るく、遊んでいてもいまイチ落ち着きません。カジノが不健康な遊びなどとは毛頭思いませんが、それでも、もう少し“怪しげ”な雰囲気があったほうが、遊ぶ側にとって心地よいのではないかと、私は思います(はなはだ勝手な見解であることは百も承知の上でですが)。なんだかんだいっても、要は鉄火場なのですから。


それと、狭さというか広さも、遊び心を刺激する上でけっこう大事な要因です。狭すぎても息苦しさを感じ、長くいたいと思いませんし、広すぎたら広すぎたで、熱がさめやすくなってしまいます。その分、冷静になりすぎ、「早く部屋に戻って寝よう」とか「ここらでもう引かなくては」などと、理性が頭をもたげてきてしまうのです。ころあいの広さというのは、負けを忘れさせるほどではないが、かといってカジノから早く離れようという気にもさせない──適度の緊張感を保たせることをいうのではないでしょうか。もっとも、根っからのギャンブル好きである中国人にとっては、こういうデリケートなことなどまったく気にならないかもしれません。


Photo今日、初めてマカオの紙幣を手にしました。マカオのカジノで使われているのはなぜか香港ドル紙幣だけです。これも細かな理由はよくわからないのですが、香港の紙幣は発行元によって、それぞれ絵柄が違っています。ただ、どこが発行元であっても、香港ドルは香港ドル。こちらは香港でもマカオでも使えます。ところが、カジノでは、なぜか地元のマカオ紙幣は使われていないのです。そもそも、最近まで紙幣があることすら知りませんでした。というのも、ショップでコーヒーや食事をしたときの釣り銭としてしかマカオの通貨=パカタは触ったことがないからです。しかし、硬貨というのはあくまで補助通貨にすぎないので、紙幣があっても不思議ではありませんよね。こんな当たり前の事実にいまさら気がつくというのも、おかしな話です。ギャンブルに熱くなりすぎていたのかもしれませんね(笑)。

“ロマンチックな観光スポット”のはずなのですが

2015年3月8日

一昨日、台中のランタン・フェスティバルに行って正解でした。昨夜の混雑ぶりは大変なものだったようです。おまけに、城内に展示されている巨大な羊の像の首から上の部分が地上に落っこちてしまい、修復工事までおこなわれたとのこと。さぞかし騒ぎになったにちがいありません。

L1010642さて、台湾の観光ガイドのどれを見ても、「デートスポットとして人気」とか「台北からわずか40分。日常の喧騒から離れて散策してみるのも……」とか書かれているのが淡水です。たしかに、名前もそれっぽいですし、実際、私たちが泊まっている中山からもMRTで40分足らず。

たまたま日曜日だったこともあるのでしょう、まあ、人、人、人でした。駅のすぐそばから始まる老街(旧市街)など、身動きが取れないほどでした。道路幅が狭いのでよけいです。

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そこで、海に近い川岸の遊歩道に移動したのですが、こちらはまた飲食店、みやげ物店、ゲームセンターや射的場などがびっしり並び、さながら夏の湘南海岸の態。カップルもいるにはいますが、それより家族連れ、グループ連れのほうが圧倒的に目立ちました。

ロケーション的には間違いなしに「デートスポット」です。前にはゆったりした川があり、対岸には美しい姿の山(=観音山)。その間を小ぶりの白いフェリーがゆっくり渡っていきます。夕日の名所でもあるらしく、天気さえよければもう最高でしょう。

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ただ、日曜日の午後とあって、日本でよく目にする“団体の中国人”的な光景がそこにはありました。もっとも、ここは台湾ですから、私たちのほうが部外者なのですが……。それに、いまさらロマンチックな雰囲気を求めてきたわけでもないので、そんなことはちっとも気にはなりません。

川岸の遊歩道から老街に戻り、しばらく歩くと有名な店が。「蝦倦(エビ巻き)」が名物で、長い行列ができていました。

L1010655そこからしばらく歩くと、マッケイ博士の銅像があります。札幌のクラーク博士のような存在だったらしく、台北の街中にもその名前を冠した病院がありましたが、こちらがその発祥の地だそうです。

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そこから坂を登っていくと、ようやく「ロマンチック」な雰囲気を漂わせたエリアに到達。教会、最初に開いた医院、旧関税事務所などが点在するあたりは、人通りも少なく、建物もクラシックな雰囲気をただよわせており、散歩するには絶好でしょう。

ミッション系の大学の校舎を過ぎると急な坂道を下ります。そこにあるのがこの界隈最大の観光スポット・紅毛城。旧イギリス領事館だった建物ですが、それ以前は川岸の防衛を担う要塞だったといいます。ズラリと並んだ大砲がその時代をしのばせます。城を見終えるとはや夕刻。バスで淡水まで行き、MRTで都心まで戻りました。

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といってもホテルではなく、雙連で降り、前夜も行った寧夏夜市で早い夕食を取ろうと。さすが時間も早かったので、前夜ほどの混雑ではありません。今回まだ食していない「粽」や「下水湯」などにトライしてみたかったのですが、その前に「芋丸」です。昨夜は50人近い行列であきらめたのですが、今日はそれほど多くはありません。それでも、20人以上は並んでいたでしょうか。

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芋丸には2種類あり、ふかしたサツマイモを練って丸くしたものをさっと揚げたのと、中にゆで卵の黄身と肉鬆を詰めて揚げたもの。最初は前者をオーダーしたのですが、やはり後者のほうがおいしそうだったので、変更してもらいました。揚げ立てをその場でトライしてみましたが、これも上々の味でした。

デザート的なメニューですが、こんなところで順番にこだわる必要もありません。次は「粽」です。夜市の端っこに近いあたりにある屋台の看板に「粽」と「猪腸湯」の文字を見つけ、おばちゃんの前にすわりました。発音ができないので、看板を指さしての注文です。こちらもまたまたおいしく、十分に満足。帰りがけ、これまた前夜も買って帰った「紅豆芝麻湯圓」を。ホテルでゆっくりいただきました。

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今日の夜は台中でランタン・フェスティバル

2015年3月6日

明日・明後日は土・日なので混みそうということで、今日、台中の「ランタン・フェスティバル(台灣燈會)」に行ってきました。ランタン・フェスティバルという名称から、昨日楽しんだ「天燈」と一緒くたにされることも多いようですが、これはまったくの別物です。ただ、その起源は、おそらく「天燈」にあるのではないでしょうか。「平渓天燈祭」がおこなわれる時期に合わせ、台湾のほぼ全域でおこなわれるイベントのようですから。

 

 

L1010489日中は迪化街に行ってみました。MRTの駅からやや遠くこれまで一度も行ったことがなかったので、今回は初めての挑戦。ホテルからタクシーで3メーターほどでたいした距離ではなかったのですが、さすが19世紀半ば、清朝末期の時代に開けた街ということで、旧市街のなかでも突出した感じがします。

 

20世紀の初め、台湾は日本統治下にありましたが、この当時は台湾全土から乾物、漢方薬、茶、布などを扱う商店が集中、大規模な商業エリアを形成していたといいます。通りの左右にバロック調の建築物が並び、裕福な商人たちが店を開いていました。

 

その入口にある永樂市場からスタートしました。建物自体はたぶん8階建てで、4階までがショッピングフロア。5階だか6階には演芸場がありました。きっと、ここで仕事をしている人たちのための施設なのでしょう。

 

 

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L1010508_2下の方は1階と4階が食べ物屋で、4階のほうはフードコート風の造り。まず1階の入口を入ってすぐのところにある「林合發油飯店」で、今回念願の「油飯」を買いました。「飯店」と名乗ってはいますが、実際は売店です。売り場には行列ができており、お目当てはだれもが名物の「油飯」。ずっしりとした重さに驚きました。調べてみると、なんと600グラムだそうです。本当は、「少な目」とか「半分の量で」といった具合に注文すればいいそうですが、台湾語がわからないので仕方ありません。

 

 

 

 

 

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それを手に持ってエレベーターで4階まで上がります。日本語の上手なお姉さんの誘いに応じ、水餃(水ギョーザ)と炒麺(焼きそば)を注文。水餃はこれまで食したなかでいちばん美味でした。中身もぎっしり詰まっていて、皮とのバランスも抜群です。炒麺の味付けもユニークでした。

 

降りて会館を出ると、まわりには屋台風の飲食店がびっしり。しばらく行くと「青草茶 茅根茶 苦茶」の看板が。滋生青草店です。そこで、風邪予防に最高という「苦茶」を呑んでみたのですが、まあ、苦いこと苦いこと。あまりの苦さに途中であきらめ、歩き始めました。
迪化街を北に向かうと、両側に「医食同源」の国らしく、漢方関係の食材を売る店がびっしり。しかも、北へ上がれば上がるほど建物が古くなります。そこらまでは観光客も足を延ばさないからでしょう。

 

 

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もうここまでかというところまで北上したところに突然、こじゃれた店がありました。それが李香亭という餅(お菓子)屋さん。中秋節や旧正月の前になると、長蛇の列ができるほどの老舗だそうです。「平安亀」という名のお菓子は、亀の甲羅を型どり、中央には寿の文字。ピーナッツ風味の生地の中に胡麻餡が入っています。地元の人に人気があるのは「平西餅」。これは、オリジナル、ミルク味、カレー味の3種類ありました。

 

 

L1010504_2この店を右折すると、日本の昭和30年代を彷彿させる一角につきあたります。途中「家庭理髪」という看板がありました。どうやら、家の一角を使って散髪をしてあげている店のようです。それにしても、写真右上にある看板の「山本頭」とはなんのことでしょうか。

さらにそのまままっすぐ進むと民楽街。そこを北に上がったところが民権路で、上には高速道路が走っています。右に曲がってすぐにMRTの大橋頭駅が。「大橋」とは、すぐ西にある台北大橋のことのようです。したがって「大橋頭」とは「台北大橋のとっつき」といった意味でしょうか。

 

ホテルに戻り、ネットで「山本頭」を調べてみました。なんと「山本」は連合艦隊の司令長官「山本五十六」のことでした。「山本頭」自体は、職人さんなどに見られる丸刈りのことだといいます。ちなみに、「平頭」は角刈りだそうです。

 

 

さて、少し早目に台中までということで、MRTで台北車站まで行きました。ところが、午後3時過ぎだというのに、構内は大変な混雑です。なかでも高鐵(新幹線)の切符売り場にはえらい行列が! 「えーー、これ、みんな、台中へ行くわけ?」と思いつつ自動販売機で乗車券を購入。

 

L1010523_3台中までは1時間ほど。5時前には到着しましたが、予想以上の人出です。広大な敷地に所狭しと光のオブジェが並べられているのは壮観のひと言。この時間はまだ明るいのですが、あと1時間ほど経てば暗くなりますから、さぞかし美しいにちがいないと期待を抱かせます。

 

写真をご覧いただけばおわかりのとおり、これでもかこれでもかといった感じの、光、光、光。「燈會」などという平凡なネーミングではとても追いつかない感じでした。会場内には2カ所、野外フードコートのようなスペースがあり、ここはもう完全な夜市状態。どこも皆、大変な人でごった返していました。

 

 

 

 

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今回のメインイベントは「平溪天燈」

2015年3月5日

今回は台北で同じホテルに5泊しますが、朝食込みにしませんでした。街中で食べたいと思ったからです。


L1010429今日がその最初。MRT雙連駅まで歩くと、その脇に青空市場があります。両脇にびっしり店が並んだ細い道をぶらぶらしながら物色していると、狭い路地の一角に、おじさん・おばさんの夫婦でやっているお粥の店が

「粥BAR」の看板には笑ってしまいました。メニューは10種類で、鶏肉と魚仔とあと皮蛋を足すかどうかの組み合わせ。「請付◎款」なので先払い。待つこと30秒。出されたお粥は最高でした。

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店を出たところに「潤餅」の専門店があり、そこで家人が1個買ってきたのを立ち食い。こちらも美味でした。

ホテルに戻り、午後からは西門へ。MRT中山駅でパス=EASY PASSを購入。100元のデポジットを払い、そのあと好きな金額を足して作るシステム。日本のsuicaと同じようなものですが、大きな違いは運賃が2割引きになること。とてもありがたく、suicaも見習ってほしいものです。新しく開通した地下鉄で2駅目が西門です。前にも来たことはありますが、相変わらず若い人の姿が目立ちます。その昔行ったことがある「阿宗麺線」の店のあまりの変貌ぶり=大発展に驚きました。

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私たちが入ったのは路地にある小さな店。おばあさん一人と息子夫婦+お手伝いさんが。説明なしの壁貼りメニューから、米苔目と魯肉飯(小)。まったく言葉が通じない店でしたが、ジェスチャーと指差しでなんとか突破しました。

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西門からMRTを乗り継いで動物園駅。空は雨模様で、気温もけっこう低く、寒いくらいです。ここが、今回のメインイベント=「平溪天燈」への出発地点。次々と出発するバスに乗り込みます。平溪線という人気のローカル鉄道で行く手もあるのですが、インターネットで調べると、かなり混雑するようですし、時間も遅れたりするというので今回はパスしました。

会場は台北市を取り囲むようにしてある新北市平溪の十分広場。新北市は「新しい台北市」の略だそうで、人口(396万)は台北より多いとのこと。以前行った烏来の温泉もこの新北市内にあります。

その平溪でおこなわれるのが「天燈」。気球と同じ原理で作った紙製の天燈(=ランタン)の外側に、自分の願いを書き込み、夜空に飛ばすというものです。毎年、旧正月から15日目、最初の満月の日=元宵節の夜に開催され、10万もの人たちが観に訪れるといいます。

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台北市内を出て郊外に出ると、どんどん上っていくのがわかります(平溪の標高は600mほど)。それにつれて空も雲でいっぱい。現地はどしゃ降りかも……と不安に駆られながらの小1時間でしたが、あにはからんや
、そうでもありませんでした。

始まるまで2時間以上もあり、その間、近くの商店街(十分老街)をぶらついたり立ち食いをしたりしながら時間をつぶし、会場に。そのすぐ手前に「台湾のナイアガラ」と呼ばれる「十分大瀑布」があるのですが、この日は残念ながらクローズしており、そこへの入口にある、滝もどきで我慢するしかありません。


時間が経つにつれ、どんどん人が集まってきます。日本人の姿も目につきますが、それより多いのが青い目の人たち。「天燈」はいま、世界的にもユニークなイベントになっているようです。打上げは夜6時過
ぎから8回に分けておこなわれ、1回あたり250個が夜空に上がっていきます。今回最大のものはなんと高さ8メートル。この「天燈」のイベントを考案した方とその娘さんの二人で作り上げたとのことです。

L1010470台北市と新北市の2市(=合わせて「雙北」という)合同による天燈もありました。いま台湾では、この隣り合う2つの市が、国全体の牽引力になっているようで、いかに連携し合っていくかが大きな課題になっているからです。2人の市長がそれぞれ「雙北合作 神采飛羊」「雙北合作 天佑台灣」という文字を赤い墨汁で書いていました。

イベントのMCが大きな声で「さあ、いよいよ上がります。1、2、3!」のかけ声とともに一斉に夜空に上がっていく様は壮観、そしてなんとも幻想的でした。

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2回目まで見て、帰ることにしました。これからますます混み合ってきそうな感じがしたからです。行きもそうでしたが、帰りのバスも冷房がガンガンに利いています。なんでも、バスの中のエアコンが利かず体調を悪くしたりする人が出ると、バス会社の責任が問われるのだそうで、それを防ぐために、外気温に関係
なく冷房を全開にしておくのだとか。でも、寒かったです。


途中の停留所の名前が前の電光掲示板に次々と出てくるのですが、「菁桐坑」とか「五坑」とか「深坑」など、このあたりでかつて石炭が採れたことを偲ばせる名前が次々に。石炭産業が1970年代を過ぎ急速に衰え
、十分の町がすっかりさびれてしまったのをなんとかしたいということで始まったのが「平溪天燈」の由来だそうです。なるほど、と思いました。日本の“消滅”しかかっている町や村も見習いたい話です。

台湾グルメ旅に出発、1日目の夜は?

2015年3月4日

L1010410何度来ても思うのですが、台湾はやはり近い! 時差がマイナス1時間なので、よけいそれを実感します。

午前9時20分のANA便に乗り、12時過ぎには台北松山空港着。午後1時過ぎにはホテルでチェックインしていました。

予報と違い気温が低く、いつ降り出してもおかしくない空模様。夕食も近場でということになり、ホテルから歩いて5分ほどの「青葉餐庁」という店に行きました。事前に読んでいたユニークなガイドブックに、この店の名メニュー「卵焼き」が出ていたからです。

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店は、台湾では珍しいけっこうきちんとした造り。日本のビジネスマンの接待・打ち合わせ用に使われているという、ガイドブックの説明に納得。味も、日本人向けにアレンジされているそうで、たしかに、「炒四糸」も「炒空芯菜」も、皆GOODでした。

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最後の麺も、おまけで出されたデザート「緑豆湯」も◎でした。何より、ボリュームが半分になっているのがありがたかったです。

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“残念な”JRの「グランクラス」車両

2015年2月18日

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ホテルの近くにあるコンビニで地元の新聞=「デーリー東北」を買いました。1面トップはもちろん、前日の「えんぶり」です。青森県では「東奥日報」のほうが有名ですが、この地域では「デーリー」のほうが上。八戸市での普及率は75%とのことです。

3月に開通する北陸新幹線でも導入されるようですが、「グランクラス」の車両に、試しで乗ってみました。見たところは国際線飛行機のビジネスクラス(それも上級の)を思わせるシートが、ゆっくりしたピッチで並び、「お-っ!」という印象。腰をおろすと、ついシートベルトをしなくては……なんて気にさせられます。

すわってしばらくすると、アテンダントと呼ばれている女性が席までやってきて、熱いおしぼり(しかもタオル地が厚い)を渡してくれました。これは日本人にはうれしいですね。次に、「お食事は?」「お飲み物は?」といった型どおりの質問をしてきます。飲み物はアルコール、ソフトドリンクなどからいくつでも自由に選べます。食べ物は和か洋のどちらか一方とのことでした。私のチョイスした「洋」はサンドイッチとフルーツの組み合わせ。

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ただ、恩着せがましいとまではいいませんが、いかにも大仰な印象がするのは否めません。たしかに、普通のグリーン車より5000円以上(!!)高い(八戸→大宮間)ので、そうしたサービスを提供しようというJRの気持ちもわからないではありません。でも、「はやぶさ」や「はやて」は、普通のグリーン車に乗ってもソフトドリンクは無料で1杯いただけます。アルコールや軽食、ちょっと贅沢な感じのシートだけでこれだけの金額を上乗せするのは、どうかなぁと思いました。

前にもこのブログで紹介しましたが、スペインのビジネスクラス車両のほうが、金額は日本のグリーン車よりも割安で、サービスもお気楽な感じがして心地よさは上。もっとも日本には、ヘビーで、ウェットな感じのサービスを好む客も多いのかもしれませんが。

そういうサービスより、私は、駅にラウンジを用意するとか、新聞は無料にするとか、無料のWI-FIサービスをつけるとかいったほうが大事ではないかという気がします。それに、リクライニングやランバーサポートなどシートのグレードは高いものの、肝心のすわり心地が皮張りの割にはいまイチ。これなら普通のグリーン車で十分ではないでしょうか。

まだ試行錯誤の段階なのかもしれませんが、大騒ぎしていたわりには中途半端。「ファーストクラス」などと呼ぶにはいささか残念なレベル。早晩姿を消すか、大々的に改められるかという思いを抱きながら、下車しました。

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「えんぶり」にはやはり雪がよく似合いそう

2015年2月17日
今日が「えんぶり」の本番です。「えんぶり」という言葉は「いぶリ(揺り)」に通じているとかで、大地を揺さぶる、揺さぶり起こす、かき混ぜるといった意味が込められているそうです。けっして派手な催しではないのですが、鎌倉時代以来という長い伝統があるだけに、様式はきちんと整っています。

この日はまず、町の中心にある長者山新羅【しんら】神社に朝早くから、30いくつかのえんぶり組(阿波踊りでいうなら「連」のようなもので、親方以下総勢20~30人から成る)が集まり、本殿の前で順番にえんぶり摺【ず】り=舞いを披露します。「えぶり」と呼ばれる農具を使って田んぼの土を平らにならすことを「摺る」ということから来ているそうです。舞うのは「太夫【たゆう】」と呼ばれる3人もしくは5人。それに「お囃子【はやし】(太鼓、笛、手平鉦、歌い手、太鼓持ちなど)」が加わります。

L1010247_2神事が終わると、各組が一定の間隔で町中に繰り出し、お囃子に合わせて舞いながら練り歩きます。もともとがその年の豊作を祈願するための舞い。太夫が馬の頭をかたどった烏帽子(全体に地味めの衣装の中でこれだけは派手で華麗)をかぶり、頭を大きく振る独特の所作に特徴があります。また、舞いも、種まきや代掻【しろか】き、田植え、刈り取りなどの動作を表現したもので、飛んだり跳ねたりといった派手派手しさはありません。

L1010293それでも、練り歩きの途中、中心街の大通りで「のろし」を合図におこなわれる「一斉摺り」は迫力があります。すべての組が行進をやめ、それぞれ舞いを披露するのですが、その中で演じられる子どもたちの祝福芸(「松の舞」「えびす舞」「えんこえんこ」「大黒舞」)も、ユーモラスでけっこう楽しいものです。

L1010331これとは別に「お庭えんぶり」という行事があります。その昔は、「だんな様」と呼ばれる大地主や有力商家などの土間や座敷で
「えんぶり」が披露されていたそうです。それをもとに、その時代の風情を観光客にも感じてもらおうという目的でおこなわれるようになったのが「お庭えんぶり」で、会場も、国の登録有形文化財になっている「更上閣(明治期の財閥・泉山家が1897年ごろに建てた木造の純和風建築)」の庭園が使われます。

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午後は「八食センター」で昼食を取り、すぐ近くの日帰り温泉(「新八温泉」)でひと風呂浴びたあと(途中で地震があったのにはびっくり!)、夕刻になって更上閣に出向くと、丁重なお出迎えを受けます。靴を脱いで座敷に上がると、甘酒と八戸せんべい汁が振る舞われ、それこそ「だんな様」気分でえんぶりの一部始終が楽しめます。ただ、この時期の八戸では珍しく雪がいまイチ不足気味。雪がもっと深ければ、「えんぶり」の動きも一段と冴えたにちがいなく、それが残念でした。

このあとは、代表何組かによる「かがり火えんぶり」が、日の暮れた市役所前の広場でおこなわれます。市役所の職員による「組」もあり、こちらはこちらでそれなりの練習を積んできたようで、けっこう楽しめました。

地方都市はどこでもそうですが、八戸の楽しみもやはり食事です。この日の夜は、江戸時代創業の酒蔵「河内屋」の旧本社で、大正年間に建てられたという歴史的建造物(国の登録有形文化財)を利用した「ほこるや」という店。なんでも、当時流行したロシア風建築とアールデコ調の様式を取り入れた建物だそうで、外観も内装も非常にユニークです。なるほど、「八戸市まちの景観賞」を最初に受賞しただけのことはあります。ここでも、土地の料理をふんだんに楽しみました。なかでも、この地方に伝わる郷土食「蕎麦かっけ」は最高! 「秘蔵酒」も心地よい味わいでしたよ。

L1010315八戸は、地方にある数多くの都市のなかでも、「観光」という部分では成功している部類ではないでしょうか。東北新幹線の青森延伸を機に、途中駅であるがために通り過ぎていってしまいそうな観光客を下車させて引き止めるのはけっして容易なこととは思えません。それを、「八食センター」や「はっち」といった施設を武器に呼び込むことに成功しているのです。私たちもこの日「八食センター」に足を運びましたが、昭和55(1980)年に開業したというわりには、多くの客が訪れていました。明るく広々とした市場の雰囲気は素晴らしく、いればいるだけお腹がいっぱいになります。買った魚介を、その場で炭火で焼いて食べることができるのもウケているのでしょう。青森県で断トツの入込客数を誇っているのもうなずけるというものです。

初めての八戸訪問です

2015年2月16日
今日から青森県・八戸の一大行事である「えんぶり」を見に来ました。「えんぶり」はこの地方を代表する民俗芸能で、国の重要無形民俗文化財にも指定されているそうです。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりの一つにも数えられています。

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本番は明日なのですが、朝のスタートが早いので前日から泊まることにしました。八戸を訪れたのは初めて。17世紀の半ばを過ぎたころに作られた城下町ですが、遺構としては土塁、本丸跡などくらいしか残っていません。角【かど】御殿表門だけが長らく風雪に耐えてきたものの、昭和53年に倒壊してしまい、2年後に復元されたそうです。しかし、道筋や町の形、名前はいまも変わらないまま残されています。

町自体はこじんまりしています。1時間もあれば隅から隅まで歩いて回れる感じで、ちょうどいい運動になりました。それでもさすが旧城下町、どことなく気品というか風情がありますし、これまた城下町らしく、かつての呉服店(いまはほとんどが洋品店かアクセサリーの店)も目につきます。おしゃれな書店もありました。


私たちが泊まるホテルのすぐ近くに「はっち」という名前(正式には「八戸ポータルミュージアム」といいオープンは2011年)の観光案内所っぽい施設があったので、そこに立ち寄ってみました。とてもおしゃれな建物で、中も充実しており、八戸に関する情報はほとんどここで手に入ります。

L10102433階の展示の中に、いま住んでいる「豊島区」の文字を見たときは驚きました。日本の女性ジャーナリストの草分けである羽仁もと子が始めた「女性の解放」「自由教育の推進」運動の拠点「婦人之友社」は、以前私がオフィスを借りていた豊島区西池袋にありますが、その羽仁もと子はここ八戸の出身だったのです。

地元の小学校在学中は成績優秀で文部省から表彰され、女子でただ一人高等科へ進学したもと子は、明治22(1889)年に上京、東京府立第一高等女学校に入り、在学中にキリスト教の洗礼を受けます。その後当時の報知新聞社に入社し、女性記者として活躍しましたが、同34(1901)年に同じ職場の羽仁吉一と結婚し退職。そして同36(1903)年に「婦人之友」の前身である「家庭之友」を創刊したとありました。羽仁もと子記念館には行けませんでしたが、もと子ゆかりの場所にオフィスを構えていたことの縁にうれしくなってしまいました。

夜はホテル近くの屋台広場「みろく横丁」の一角で魚介類を堪能。さすが海のすぐ近く、とてもおいしかったです。

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アンベール城──生まれて初めて象に乗る

朝7時半にホテルを出発。こんなに早いのはワケがあります(後述)。「ピンクシティーという別名を持つジャイプールの市街地を抜け、バスは郊外へ。なぜそんな別名があるかというと、19世紀後半、インドがイギリスの植民地だったころ、本国から王子様が来られるということで、ピンクが好みだった王子のために、町中の建物をピンクに塗ったからだそうです。

L1000620最初に訪れたのは「風の宮殿(ハワー・マハル)」。かなり色褪せてはいるものの、ここも確かに外壁はピンク色でした。ジャイプルを支配していたマハラジャの居宅で、あとで行く「シティ・パレス」の一部だといいます。

インドは古いだけあって、城が多い国です。しかも、絶対権力者が支配した王朝が多いせいか、ハンパな規模ではありません。今日訪れたアンベール城もその一つ。もともと砦があった場所に、ムガール帝国第3代皇帝アクバルの軍司令官であったラージプート族のラージャ・マーン・シングが大きな城を築き始めたのは1592年。その後も150年間にわたり、ずっと改築が続けられたそうです。

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岩の丘の上に立っているのですが、その全景は、城よりかなり手前にある場所からしか観ることができません。すぐ近くに着いても、本体はその150m上。しかも、大変急な坂です。歩いていく人もいるにはいますが、私たちはもちろん、名物の「象のタクシー」を利用しました。

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その昔は、象もヘトヘトになるまで仕事をさせられたのでしょうが、いまは1日の回数が制限されているとのことで、昼前には任務終了。仕事を終えた象は城から長い道を村まで戻るのですから、たしかに大変でしょう。

象のドライバーはえらく愛想がよく、日本語も達者。私たちが乗った象のドライバーは「ナマムギナマゴメナマタマゴ」という早口言葉を披露してくれたりしました。愛想よくしておけばチップをはずんでくれるのではという下心でしょうね。

時間にすればわずか数分の道中なのですが、妙にゆっくりした感じがします。途中、カメラを持ったインド人が次々とあらわれ、私たちの写真を撮ります。ポーズを指示する人もいました。

降りる際にチップ(早口言葉の割り増しはなし!)を支払い、中庭から周囲を見渡すと、「世界一美しい門」と言われるガネーシヤ門が目に入ってきました。まあ、それ以上に目につくのはみやげ物売り。まあ、次から次へ、絵ハガキ、民芸品、ボールペン、額に貼りつける「ビンディ」(既婚女性はかならず貼りつけている)、そのほかなんだかワケのわからないものまで、いろいろなものを手に大声を出していました。

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Img_0054_2ガネーシャ門を観ながら、城の中に入っていきます。見ものの一つが、小さな鏡の散りばめられた「鏡の間」。天井や壁に無数の壁が埋め込まれているのですが、これだけたくさんあれば、電灯のなかった時代でも、ロウソクの明かりがあちこちに反射・増幅し、室内はさぞかし明るかったことでしょう。

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いちばん奥には舞台があり、ここでは毎晩、宴会があったとか。ハーレムの各室も、壁や天井など、平らなところにはすべて手の込んだ装飾がほどこされていました。床には水路を通して涼しい空気が入ってくるようになっています。暑い国は暑いなりに、それと付き合うための工夫を編み出すというわけです。

帰りはジープ。とんでもなく年代物も多く、道も悪いので、まあ揺れる揺れる。麓の集落まで行き、そこでバスに乗り換えます。 街に戻る途中のマン・サガール湖に「レイクパレス(水の宮殿)」が浮かんで見えました。5~6月は、夏の別荘として王家一族が涼を求めて住んだといわれる建物です。そこを通り過ぎ再び街に入ると、着いた先が天文台=ジャンタル・マンタル。
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インドでは古代から天文学が発達していたらしく、日時計やら12星座のオブジェやらが屋外に並んでいます。ガイドさんがいろいろ説明してくれましたが、もともとそちらの分野にほとんど関心のない私にはほとんど理解不能。申し訳ありませんが、近くを勝手に歩き回ったりしていました。唯一理解できたのは12星座のモニュメント(?)。そこを見学したあとは「シティパレス」。マハラジャの宮殿です。いまでもその末裔の方(41代目とか)が住んでいると聞き驚きました。

さらに衣裳博物館や武器博物館、大会議場などを見学したあと、昼食を取りに再びアンベール城へ。パレスの出口近くにヘビ使いがおり、ずうずうしく一緒に写真を撮ってもらったり。

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Img_0093_2もう午後になっていましたから、アンベール城へは最初からジープで登ります。途中、仕事を終えた象と何頭もすれ違いました。昼食は城内の一角にあるレストラン。えらく、高級そうな内装でした。「ターリー」と呼ばれるインド独特のランチ。丸か四角い皿にいくつかの仕切りがあり、その一つひとつにライスやチャパティ、カレーなどが盛られているもので、さまざま楽しめます。

Img_0094主人公はやっぱりカレーです。カレー好きの私にはもうたまりません。これを別々に食べるのではなく、一緒に混ぜて食べるのがインド式だとか。こうすると、さまざまなスパイスが混じり合い、単独で食べるのとは別の風味が出てくるといいます(ただし、ホウレン草カレーは例外))。さっそく試してみましたが、これはイケます。だからインドの人は手で食べるんだと、納得してしまいました。フォークよりすばやく混ぜられるのです。

ターリーに十分満足したあとは、朝のときと同じようにジープで麓の集落まで行き、そこでバスに乗り換えて街に戻ります。途中、インド更紗、細密画、宝石店などに立ち寄りながらホテルに戻ったのは夕方5時半。今日の夕食は同じレストランですが、内容はセットメニュー―でした。ワインもけっこういけます。なんでも、インドでは最近ワインに力を入れているそうです。そういえば、私の自宅近くでひいきにしているインド料理の店でも最近、ワインのメニューが増えていたことを思い出しました。

初めてのインドにGO!

2015年2月5日


昨日の夕方、成田を17時15分に出発するANA便でインドにやってきました。同じANA国際線でも、インド便はなぜかキャビンアテンダントの質がいまイチという感じがしました。サービスのクオリティーがまだ発展途上なのでしょうか。

今日の午前0時過ぎ、デリーに到着。空港近くのJWマリオットホテルで、いちおう「宿泊」ではあるのですが、実質は休憩に近い感じです。モーニングコールが7時ですから。


今回のインド旅行は「世界の旅情」のツアー(JTB)です。インドとなると、あまり知識もなく、個人旅行では難しそうな気がしたからです。もともとは、昨年秋の南アフリカ旅行(同じく「世界の旅情」ツアー)で一緒になった方々が口をそろえて「インドはよかった」と話していたので、私たちも、予定を大幅に前倒して決行した次第。本当は、まだまだ当分先、おそらくは、70歳近くになってから元気なら……といった位置づけでした。


さて、朝9時にホテルを出発し、まずは市内観光です。この季節、朝の時間帯は霧が出ることが多いらしく、この日も出発してしばらくの間は、霧で窓の外の景色がよく見えませんでした。しかし、車道のすぐ脇、歩道を歩く人々の姿はよく見えます。歩道を通っても未舗装で、雨でも降ったら大変だろうなと思わせます。

L1000538中心部は美しく整備されており、とくに官庁街は素晴らしく整備されています。そこを抜けて旧市街(=オールドデリー)へ。最初の見学スポットは「ラール・キラー(英語名はレッドフォート=赤い砦)」。周りにはおびただしい数のおみやげ売りが、手に手に何かしらを持って声をかけてきます。バイクや三輪タクシー、普通のクルマ、バスなどごったになって渋滞している道路を渡ったところから、美しい赤砂岩でつくられたレッドフォートがその全貌を見せてくれます。ホントきれいな赤です。世界遺産だそうですが、すぐ隣にあるのはヒンドゥー教寺院のようでした。

1526年から北インド、17世紀末から18世紀の初めごろはインド南端部を除くインド亜大陸のほぼ全域を支配し、1858年まで存続したトルコ系イスラーム王朝=ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが築いたものです。

1639年、アーグラ(今回のツアー後半で行く)から都を移したとき、そこをシャージャハーナーバード (Shahjahanabad=シャーじゃハーンの町)と名づけたのですが、その居城として9年の歳月をかけて築いたそうです。残念ながら、内部には入れませんでしたが、えらく広大なようで、中には市場もあったとのこと。というか、町全体が城壁で囲まれていたのですね。ちなみに、インドの地名によくある「~アバード(-abad)」は、ヒンディー語で「城砦」とか「集落」「都市」「移住地」「植民地」といった意味とのことです。アーメダバードとかハイデラバードとか、地図で見た覚えがあります。

L1000552次に行ったのは「ラージガート」。ここはガンディーが埋葬されたところで、いうならば神聖な場所ですね。墓碑の前には記念のトーチがあり、火が燃えてウづけていました。靴を脱いですぐ近くまで行きましたが、人々は皆、神妙な面持ちです。

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その後はインド門(第1次世界大戦で戦死した9万人のインド兵士を顕彰するために建てられた)で、これも立派な建築物でした。今日の見学はこれで終わり、ランチタイムになりました。「Moti Mahal Delux」という、タンドリーチキン発祥とされる店で、本場のインド料理を初めて食べました。もちろん、カレー系です。カレーにはやはりビールがよく合います。日本人のツアーではだいたい訪れる店のようです。

午後1時半ごろ、再びバスに乗り、270キロほど南西の大都市(人口320万ほど)ジャイプールへ。途中、州を越えるたびに通行税のようなものを徴収されるようで、検問所でバスもしばし停まります。

ジャイプールまでの景色は退屈でした。たまに目につくのは日本でいう祠【ほこら】ヒンドゥー教の寺院です。もう一つ、壊れて人が住まなくなっている家も目立ちます。とくに、道路に面したところが多いようです。

ときどき街を通り過ぎるのですが、とにかく人の多いこと! 国土が広いとはいっても、日本の人口の10倍ほどですから、それもいたしかたないでしょう。もちろん、牛も羊もヤギも犬もラクダも、そこいら中にいます。猿もいました。だれかにきちんと飼われているのでなく、「野良」もいるといいます。そこに自転車、歩行者、バイク、クルマなどが加わりますから、もうごった煮状態。まさしく「カオス」そのものといった感じでしょうか。

なぜか、外で見かけるのは男性が8割といった感じです。男尊女卑の風習が根強く残っているインドでは、女性が外を出歩くのはまだまだタブー視されているとかで、たまに見かけても顔を隠している人がほとんどといった感じです。もちろん、デリーのような大都会では、そういうことはないですよ。


カオスといえば、インドの交通事情に触れておかなくてはいけませんね。テレビの映像などでも見た記憶がありますが、それはもう想像を絶する状況です。まず、「乗車定員」がほとんど無視されています。日本でいう軽自動車に定員いっぱいは当たり前、だいたいはプラス2~3人、場合によっては倍の人数が乗っています(もちろん、うち1~2人は子ども)。軽トラックの運転席に3人、荷台に8~10人などというのはごく当たり前です。普通のバスもほとんどがすし詰め状態。すわっている人とほぼ同じ数の人が立ったまま乗っています。私が今日見た最高は、50人近くが乗っていたマイクロバスでしょうか。おそらく、定員は15人ほどと思われるのですが、タイヤなどかなり扁平になっていましたから。


L1000517_3それだけならまだしも、それが道路の上をびっしり埋め尽くしています。重体のときなど、本来3車線しかないはずの道路が4車線、ひどいときは5車線になってしまっているのです。ちょっとでも隙間があれば、すぐに割り込んでいくのですから、当然でしょう。もちろん、渋滞が緩和するとあら不思議、ごく自然に本来の車線数に戻ります。バスに乗って走っていて、その“変化”の様子を目の当たりにしたときはビックリしました。走っているドライバーにしてみると、一瞬たりとも気が抜けないので、くたびれるにちがいありません。それに、多くのクルマが、丸坊主のタイヤを履いていました。そういうことはまったく気に懸けていないようです。

L1000589L1000539_2普通の乗用車に加え、インド特有の車がタクシー。といっても、日本で見るようなタクシーはまれで、ほとんどは「(オート)リクショー」という小型3輪トラックを改造したもの。その昔、日本でも目にしたダイハツミゼットをもうひとまわり小さくしたくらいでしょうか。これもまた、運転席に3人、後部の客席に3~5人乗っていたりするのですから、ほとんど曲芸の世界。普通のクルマの間を縫うようにしながらスイスイ走っていきます。どの道路脇にも客待ちの「リクショー」が止まっていて、利用者もかなり多い感じがしました。

「リクショー」の起源は日本の人力車です。明治40年代には、年間1万台が日本から輸出され、「リキシャ」、それがなまった「リクショー」といった名前で広く根づきました。いまはその多くが「オートリクショー」という名の軽三輪トラックを改造したものに代わっています。どのリクショーも車自体がかなり古く、安全性の点では心配ですが、道路上にはそれ以上の心配がいっぱいあるので、たいした問題ではないのかもしれません。

夜7時前にホテル着。夕食はホテルの中のレストラン。バフェットスタイルなので、ほとんどなんでもありでした。でも、やはりカレー系がおいしかったです。

嘉手納のアメリカ軍基地を上からながめてみました

2015年1月20日

昨日から沖縄に来ています。1月ですから、沖縄といえども、肌寒い感じがします。気温は19度ほどで、東京などより6、7度は高いのですがね。

今日は、嘉手納のアメリカ軍基地に行ってきました。もちろん、中に入ったわけではありません。基地と道路をはさんだところに、「道の駅かでな」というところがあるのです。

4階建ての建物の最上階が「展望台」になっており、そこから広大な基地の空港部分がほとんど全部見渡せます。見学に訪れている人も多く、私たちが行ったときも100人近い高校生の修学旅行で来ており、大変なにぎわいでした。

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それにしても、4000mの滑走路が2本というのは、大変なものです。成田空港でも、4000mのA滑走路ができたのはつい2、3年ほど前ですし、B滑走路はまだ2500mのまま。また、横風用のC滑走路はいまだ滑走路になっておらず、誘導路のままです。

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もちろん、軍用ですからターミナルビルとかは一切ありません。そのため、成田のほうが全体としては広々とした印象(総面積は現在940ha)はありますが、嘉手納のほうは1995haで倍以上。日本最大の羽田空港(1270ha)と比べても1・5倍ほどです。

しかも日中は、戦闘機や偵察機、哨戒機、燃料輸送機などがひっきりなしに離着陸しています。戦闘機の離陸はとりわけひどい騒音を出すので、住民たちはほとほと困り果てているにちがいありません。戦闘機が急上昇したり加速したりするときの騒音は、1回聞いただけで耳がおかしくなりそうです。飛び去ったあとしばらくは耳の中がキンキンしていました。

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「道の駅」の入り口に騒音のレベルを表示する電光掲示板があるのですが、交差点のそばなので、通常でも60~75デシベルほどです。しかし、戦闘機がすぐ上空を飛んでいるときは100近くまで上昇します(ただ、なぜか、そのときは掲示板の電光表示が消えてしまいます)。騒音レベルは毎日公表されているようで、多いときは1日に200回を超えていますから、羽田や成田の比ではないでしょう。http://www.mod.go.jp/rdb/okinawa/03soon/H26/2701k.pdfでチェックしてみてください。

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いくら慣れたとしても、いつしか精神的なバランスが崩れてしまうのではと、他人事ながら心配でになってしまいます。3階の資料室では、『基地の町・嘉手納』というタイトルのビデオ(5分間)が上映されていました。もちろん、そういうことには触れていません。あくまで「基地」と共存しながら暮らしている嘉手納町民といったニュートラルな内容なので、住民の実感とはかなりズレがありそうです。

基地の外で墜落事故でも起こったら、悲惨な状況になるのは目に見えています。基地内から汚染物質が外に流れ出てくる恐れもあります。事実、これまでも危機一髪というレベルの事故が何度か起こっていますし、すぐ近くにある弾薬庫も心配です。沖縄、沖縄と、政治家や有識者がよく口にしていますが、遠目からほんのちょっとだけでも、肉眼で見、肉耳で聞けば、うかつな発言はできないでしょう。

嘉手納にいまアメリカ軍の基地があるのは、1944年(昭和19)年9月に、旧日本陸軍航空隊の中飛行場として開設されたことに起源があるようです。沖縄戦が終わりアメリカ軍が上陸してきてから、嘉手納のこの飛行場をそのまま徴用、戦後どんどん拡張していきました。4000m級滑走路を整備したのは1967(昭和42)年。米ソ冷戦がピークの状態にある時代で、アジアではベトナム戦争の真っただ中でした。それから50年近くが経過しているのに、まだそのままというのは、どう考えても間尺に合わない気がします。

61年ぶりの大雪・京都から戻りました

2015年1月3日
昨日・今日と京都で仕事でした。すでに元旦から雪が降っていたようで、関ヶ原周辺は完全な雪景色。そこへさらに、2日の夜ドカーンと降ったため、今朝、ホテルの窓から見えたのはまっ白の市街。テレビによると積雪は21㎝で、これは61年ぶりのことだそうです。

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仕事先は京都市内でも北部、それも都心より標高が高い高雄のほうでしたので、21㎝どころか30㎝以上はありそうに見えました。幸い、一日中天気もよかったので、どんどん溶けていきましたが、普通の家やビルではなく、寺院が多い京都では、雪も一段と味わいがあるように感じます(一般家庭では雪かきが大変でしょうが)。

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昨日は当初、ホテルの中華料理店を予約していました。しかし、年末4日間が“中華漬け”だったのでさすがに……ということになり、1日にキャンセルの電話を。結局、東京駅のエキナカ店で買っていった惣菜で済ませたのですが、正解でした。
巷ではけっこう話題になっているらしい「賛否両論弁当」というのを買った(これで3回目)のですが、中身がとても充実しているのです。駅弁には珍しく、タンパク質系の品が数多く並んでいて、味もかなりのレベル。なんでも、恵比寿にある同名の店が作っているそうですが、1500円ほどの値段の価値は十分にあります。

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帰りの新幹線は、関ヶ原周辺で徐行運転があるので当然遅れがあり、品川で下車。昨年は東京駅到着目前で、ホームが満杯で列車が入線できずかなり待たされたためです。結局、自宅に着いたのは夜10時過ぎでしたが、予想よりは早かったように思います。

「インターコンティネンタル香港」の朝食をパスするとは!?

2014年12月30日
初日と2日目(昨日)の夕食を、あまりの短時間で、しかも大量に食べすぎてしまった報いか、家人が昨日・今日と朝食をパスしました。昨日はマカオのシェラトンですからともかくとしても、せっかくの香港、しかも長男一家にとっては初めてだというので、インターコンティネンタルホテルに泊まったのに、なんとも残念なことです。

 

初めて口にしたとききほどの興奮・感動とまでは行かないものの、相変わらずこのホテルの朝食は出色。スクィーズしたてのオレンジジュースはよほどの自慢らしく、ウエイターは何度もすすめてきます。洋食系も中華系も素晴らしく、近ごろは韓国系も充実。もちろん、和食系も豊かな品ぞろえです。それをパスとは……。さぞかし悔しかったことでしょう。

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今日は長男一家と家人の妹はディズニーランドへ。私たちは香港島の南側にあるスタンレー(赤柱)まで行ってきました。九龍と香港島北側の沿岸部はあちこち行っているのですが、南側は初めて。

中環(セントラル)駅前のバスターミナルから路線バスで行きます。行き先は英語で「Stanley Prison」とありますが広東語にすると「赤柱監獄」なので一瞬ドキっとさせられます。ヴィクトリアピークのある山を越えて行くのですが、道幅がとても狭く、バスがすれ違うときは大変。しかも工事による片側交互通行や渋滞が重なり、ふだんなら30分で行けるのが、今日は50分ほどかかりました。

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しかし、着いてみれば、これまで知っていた香港とはまったく違う空間で、楽しかったです。ヨーロッパのクラシックなリゾートといった趣で、ここが香港かと思ってしまいました。それかあらぬか、青い目の外国人観光客が多く、まわりの風景、雰囲気にも実によくなじんでいます。海岸沿いに並ぶ飲食店のすぐ裏側=陸地側に、こちらはいかにも昔の香港っぽい商店街があり、外国人の客でびっしり。安手の衣料品店やお土産物屋はともかく、骨董品店などは多くの客でひしめいていました。

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帰りはそのさらに裏側にあるターミナルから再びバス。路線が違ったせいか、こんどは渋滞もなく、すんなり中環まで戻れました。

 

夕方は地下鉄で香港島の金鐘(Admilarty)の飲茶レストラン「名都酒家」。ただし、時間を過ぎてしまっており、ワゴン式の飲茶にはありつけませんでした。それでも、それ系のメニューをいくつか見つけ、これがまた美味。アラカルトの中から選んだ福建炒飯も極めつけといっていいでしょう。日本の聘珍樓系であることをあとで知り納得しましたが、これもまた多くの人数で行ったから楽しめたこと。中華は多人数に限りますね。

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料理も最後に近い段階になって、突然チャーハンのようなものが入った皿が運ばれてきました。「こんなの頼んでないよね!?」と、だれとなく疑問を口にしたので、私も箸が止まりました。「ひょっとして、ほかのテーブルで注文したのが間違えて運ばれてきたんじゃない?」ととりあえず結論してはみたのですが、念のため、お店の人に聞いてみました。すると「先ほどの北京ダックの残りを野菜と一緒に炒めたものです」との答え。たしかに、口にしてみるとそのとおりだとわかり、一同納得。日本だと、北京ダックは皮のところしか食べませんが、こちらではフルに食べるようなのです。なんだか、えらく得した気分でした。

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長男一家とマカオ・香港へ

2014年12月29日
昨日から長男一家3人と、私たち夫婦、家人の妹、計6人でマカオにやってきました。羽田出発なので楽は楽なのですが、マカオへの直行便はないため香港経由となります。結局マカオのホテルにチェックインしたのは夕方5時半で、ほとんど丸1日をかけての移動です。

 

荷ほどきもそこそこに町に出て夕食を済ませたのですが、どういうわけかどこもかしこもクリスマスのイルミネーションが。中国文化圏では旧正月のほうがメインなので、12月31日→1月1日の年越しは日本のようにお休みにはなりません。大みそかのカウントダウンイベント(でも大々的に花火を打ち上げるようですよ)があるくらいです。ただ、クリスマスから1週間も経っていませんし、イベントを盛り上げるためにも、イルミネーションは残しておいてほうが効果的だろうということで、そのまま残しているのではないでしょうか。

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それはともかく、昨夜行った「Dumbo(小飛象葡國餐)」という巨大なレストランでは、30分ほど行列したあと、わずか30分という驚異のスピードで10品以上の注文を食べ尽くしました。味はハイレベル、値段は格安ですから、大変な行列も納得です。なかでも、炒飯の下世話ながら格別の味は印象的でした。

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マカオの料理は純粋な中華とはやや趣を異にしています。400年という長い間宗主国だったポルトガルはインドやアフリカにも植民地を持っていたので、そちらの影響もかなりあるのでしょう。カレーなど香辛料を巧みに使ったバラエティーにあふれたメニューを堪能しました。それにしても30分とは……。私は早々にリタイアを余儀なくさせられましたが、そのあとで出たポークカツレツはかなりおいしかったようです。しかし、このときの“記録的短時間大食”が家人には大きな影響を与えてしまったようです。

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ただ、それだけではありません。今日の夕食も素晴らしい内容でした。以前からすすめられていた「王子飯店」という店に行ったのですが、どれもこれも感動的なおいしさ。コースメニューにしたのですが、魚介類、肉類が少しずつ、さまざまな形で食べられました。考えてみると、香港でコースの中華を食べたのは初めて。逆にいうと、これまではたいがい、そこいらの安手の店で済ませていたわけです。まあ、これも多人数で来たからできることで、その意味では長男一家に感謝です。

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全員満腹になってホテルに戻る途中、すぐ近くにある、かの有名な「ペニンシュラーホテル」の前を通りました。そのイルミネーションのセンスたるや、さすがです。壁面を屋上部分から地上すれすれのところまで垂れ下がっている電飾がまず目を射ます。しかし、感心したのは、左右両翼の棟をつなぐようにしてともされているサンタクロースや大小の星の電飾。まるで空中に浮かんでいるような趣で、とても変化に富んでいるのです。

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そのまま海沿いの遊歩道(星光大道)を歩きました。映画制作にまつわるものが銅像として飾られ、路上には、ハリウッドのチャイニーズシアターのように、有名俳優の手形が埋め込まれています。しばらく進むと、大変な人だかりとまばゆいフラッシュの嵐が。ブルース・リーの銅像です。有名なポーズをそのままかたどった像の前で記念撮影する人が後を絶ちません。昼夜を問わずえらい人気だそうです。

1時間ほど歩きようやくホテルに戻ると、対岸の美しい夜景がロビーからパノラマのように見えてきました。さっそく、奥のラウンジに入ります。まだ9時過ぎですから、香港的には宵の口でしょう。さしものお腹もこなれたのか、家人はお気に入りの「ヴァージンモヒート」、私は「リキッド・センセーション」と名付けられた冬のオリジナルカクテルを注文。カルーア、フランジェリコ、コワントロー、レモンハート151、エスプレッソ、フレッシュミルクというレシピなので、キホン甘いのですが、テーブル上で最後のパフォーマンスを見せてくれ、一同大喜び。

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“最後の晩餐”は停電で大幅変更

2014年11月2日
長かった南アフリカツアーも今日が最終日。最後の夕食は、ウォーターフロントの一角にあって、窓から湾が見渡せるレストランという話だったので朝から楽しみです。もっとも、もとはイギリスの植民地ですから、イタリアやスペインほどの期待はできないかも。

今日はまず、植物園です。テーブルマウンテンの南斜面に広がるカーステンボッシュ植物園にはなんと9千種もの植物が栽培されているそうです。すべての植物・樹木に名札がつけられており、美しく整備された遊歩道をゆっくり歩きながら見ていきます。数多くの花がいまを盛りと咲き誇っており、時間があれば1日いても飽きないでしょう。現地のガイドさんが花や木の名前、特徴についてとても詳しかったのには驚きました。

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植物園の次はバスで小1時間ほどの「ワインランド」地域の一角にあるステレンボッシュの町。南アフリカのワインは、先の「ボーア人」のうち、フランスからやってきたユグノー教徒たちがブドウ栽培を始めたのがその始まり。南アフリカではケープタウンに次ぐ古い町で1679年に作られたといいます。


街並みもこじゃれたリゾート地といった感じ(添乗員は「軽井沢っぽい」と評していました)で、このエリアが経済的に恵まれていることを感じさせます。おみやげ物屋や雑貨店、ギャラリー、教会、カフェ、レストランも多く、どこも皆ちょっとのぞいてみたくなるほどセンスのよさが。いいワインができるからこうしたレストランもやっていけるのでしょう。住宅も1つひとつ個性的なつくりで住民のセンスのよさが出ています。

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町の中をしばし散策したのち、こんどはワイナリーを訪ねます。町中からちょっと離れ、曲がりくねった田舎道を抜けた先の広い敷地にボッシェンダール・ワイナリーはありました。試飲用テーブルが屋外に用意され、そこで6種類のワインを試飲します。私個人はワインならなんでもOKという、超いい加減な人間なものですから、話もあまり熱心には聞いていません。それより終わったあと、敷地内のレストランでのランチに興味が行ってしまっています。バイキングスタイルでしたが、とても充実した内容でした。

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Pb020819_2夕方早めにホテルに戻ったのは、最後にショッピングのチャンスが用意されていたからです。V&Aウォーターフロントには大小さまざまなショッピングモールがあるのですが、日曜日とあってさまざまなイベントもおこなわれていました。それを横目に見ながら1つのモールに入ると、雑貨や民芸品、子ども服などのお店がビッシリ。レストランやカフェ、ファストフード店などもいっぱいありました。地下は地元の大手スーパーで、多くの客が訪れています。ワインなど、信じられないほどの安さです。私はキリンの絵をデザインしたワインを白赤各1本ずつ購入。1本500円もしませんでした。

6時にそのモールに隣接する建物にあるBaiaというシーフードレストランで“最後の晩餐”のはずだったのですが、そこが入っている建物全体がなんと停電! 復旧することはするのだが、時間がはっきりしないとのことらしく、急遽場所が変更に。添乗員は冷や汗をかいたことでしょう。それでもなんとか宿泊しているホテルのレストランにテーブルを確保。昨夜も同じところなので、メニューも変え、なおかつ料金は今日予定していたお店と同じに……と、さまざまな条件もあるでしょうからかなり苦労したはずです。それでも、けっして不満はありませんでしたから、脱帽です。いまどき停電なんてこともあるんですね。でも、南アフリカではさほど珍しくはないのだそうです。

喜望峰で風に吹き飛ばされそうに

2014年11月1日

Pb010560今日はケープタウンの観光の目玉といってもいいテーブルマウンテンの観光から。その名のとおり、頂上部分が真っ平らになっています。早めに動き始めたおかげで、すんなり登れました。標高1087メートルというこの山は雨や霧にたたられることも多いようで、1年のうち3分の1は頂上まで上がれないといいますから、登れるだけでもラッキー。しかも、現地ガイドの機転で、この日最初の訪問地としてスケジューリングしてくれていました。おかげで。それほど混雑もしておらず、ロープウェーにも長い時間待たずに乗れました。天気も快晴でしたから、すぐ下にあるテーブル湾など、頂上からの眺望は抜群です。

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Pb010624次に訪れたのが、ここからケープ半島を南下したボルダービーチというペンギンの生息地。砂浜にびっしり、ペンギンが遊んでいるというか寝そべっているというか。あまりの数の多さにペンギンなのか岩なのか、区別がつかないほどでした。周囲に、南アフリカ特産のアロエ成分の入った化粧品やらクリームを売っている店がいくつもあり、女性陣はかなりの量を買い込んでいました。値段も日本に比べるとえらく安かったようです。

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Pb010720昼食後は一路「喜望峰」へと向かいます。周囲は自然保護区で、さまざまな植物、樹木が生えており、野生動物も数多く生息しているとのことです。赤い花を咲かせるプロテアという木がいちばん有名とかで、国花にもなっています。ケープスノーという草花も密生しており、これがあたり一帯に白い花を咲かせるころは壮観だそうです。ただ、いまは残念ながらその季節ではありません。

Pb010691そうした中、いちばん印象深かったのはダチョウです。展望台から下の海岸まで降りるバスのすぐ横まで平気でやってくるのには驚きました。チャップマンバブーン(ヒヒの一種)やボンテボック(シカの一種)などもけっこう人なつっこい感じで、駐車してある自家用車のルーフの上で遊んでいたりします。その分、野生味は感じられませんでしたが……。

そうした中を30分ほど走るといよいよ「喜望峰」です。1488年、ポルトガルの探検家バルトロメウ・ディアスがこの地に到達したのですが、周辺があまりにも荒れる海域であったため、Cabo Tormentoso(「嵐の岬」)と命名したそうです。ただ、その後ヴァスコ・ダ・ガマがこの近くを通る航路を発見し、香辛料貿易のルートが大幅に短縮されたこともあり、のちにポルトガル国王が「希望の岬」(Cabo da Boa Esperanca)と改めさせたとのこと。日本ではそれがなぜか「喜望峰」という呼び名(文字がおかしくありませんか?)で定着しているわけです。

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しかし、最初に「嵐の岬」と名づけられたのは、けっししていわれなきことではありません。私たちもケーブルカーで10分ほどの展望台(高さ248メートル)まで上りましたが、かなりの風が吹き荒れていました。それでもやはり、快晴で大西洋とインド洋を同時に見晴らせる眺めは感動ものです。

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すさまじかったのは、展望台の下にある「Cape Point」。海っぷちにあるため、ちょっと油断するとすさまじい強風が吹き、正直、立っているのがやっとという状態でした。「KAAP DIE GOEIE HOOP」とアフリカーンズ語で記された表示板の前で写真を撮りましたが、しがみついていなければ吹き飛ばされそうになるほど。歴史や地理の教科書では知っていましたが、実際には初めて訪れた喜望峰で、歴史のひと幕を垣間見たような気分で、とても有意義なひとときでした。きっと、南アメリカの最南部にあり、マゼランが通過したホーン岬も同じようなものだろうなぁと想像したりもしました。

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夕方ホテルに戻ると、昨日停泊していた中国船に代わり、日本の漁船が停まっていました。神奈川県三浦市からやってきているようです。今日は旅行会社が気を利かせたのでしょう、夕食は市内の日本食レストラン(Fujiyama)。久しぶりのしょうゆ味にほっとしました。ケープタウンは魚の水揚げ港でもあるので、魚介類はふんだんに出回っているようです。そのわりにFujiyamaの刺身はいまイチでしたが。

ジャカランダの満開は過ぎていましたが

2014年10月31日
Pa310430今日はまず、ユニオンビルからスタート。ホテルのすぐ近くにある国の施設ですが、ネルソン・マンデラの巨大な像が圧倒的な存在感を示していました。マンデラが南アフリカの大統領に就任する式典をおこなったことでも知られている建物、まだ作られてからさほど時間が経っていないようで、多くの人が見学に来ていました。プレトリアは南アフリカでもいちばん治安が悪い都市ともいわれていますが、昼ひなか、こういう場所にいるかぎりは何も問題なさそうです。

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そのあと、園内にジャカランダがたくさん植えられているというアルカディア公園を見学し、さらにジャカランダの街路樹がいっぱいのハーバー・ベイカー通りまで。どちらもバスを降りてしばし散策したのですが、残念ながら1週間ほどの差でその時期は終わっていたようです。満開のときにい合わせれば、満足度はもっと高かったことでしょう。

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Pa310462しかし、ここでガイドさんが機転を利かせ、ちょっと珍しいジャカランダが植わっている地域に寄り道することになりました。そこは高級住宅街のようで、どの敷地もかなり広く、周りが塀で囲われているような家ばかり。門には警備装置が備わっていて、なかには有刺鉄線や電気を通す仕掛けのある塀も見受けられました。しばらく走ると、ありました! 花びらが白いジャカランダです。ジャカランダといえば紫色しか思い浮かばない私たち日本人にとっては、とても新鮮でした。

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午後はヨハネスブルグに移動し、そこからケープタウンまでは飛行機。V&Aウォーターフロント地域の中にあるホテル(Cape Grace)にチェックインします。ここはいかにも格式がありそうで、以前オバマ大統領も泊まったことがあるとのこと。場所が桟橋の真横で、今日はたまた中国の漁船が停泊していました。窓を開けたちょうど真ん前に船のマストがある部屋をあてがわれた人もいるようです。私たちの部屋はそれとは反対側で、目の前がヨットハーバー、その彼方にテーブルマウンテンが見えました。夕食は、ホテル内レストランの片隅。本格的なフルコースに一同大満足。

乾季でもたいそうな迫力。これが雨季なら……と思うと

2014年10月30日
今日は地上から滝を見に行きます。バスでの移動ですが、途中、バオバブという巨木がある場所で下車すると、遠足か修学旅行か、それを見学に来ていた対岸の国ザンビアの小学生とおぼしき一団と遭遇。一緒に写真を写したりなどして交流したのですが、子どもたちのなんとも純真そうな瞳が印象的でした。

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マダガスカルが原産地というバオバブは、幹が徳利のような形をしており、20~30メートルの高さにまで成長するといいます。幹も直径10メートル近くにまでなるそうですが、年輪がないので樹齢はつかみにくいとのこと。ただ、中は空洞になっていて、大量の水分をたくわえており、乾季になるとその水分で生き延びるとガイドが教えてくれました。

Pa300281滝の手前の広場のようなところに、この滝をビクトリア滝と命名した探検家リビングストンの大きな銅像がありました。小学生のときその伝記を読んだ記憶がありますが、探検家としてしか覚えていません。しかし、もともとはスコットランド生まれの宣教師で、その一方で医学も学び、布教活動のためにアフリカに赴いたところすっかりその虜になってしまったとのこと。以後はアフリカ各地を探検しながら、布教と医療にいそしんだといいます。探検家業はその副産物のようなもので、それでも、彼がいなければ今日のアフリカは存在し得なかったといっても過言ではありません。

それを過ぎるといよいよ滝への遊歩道に入ります。乾季とはいえ、滝の近くは空気のほとんどが水蒸気といった感じで、この日も湿度はおそらく80%以上あったのではないでしょうか。それもこれも滝から上がってくる水煙のためです。気温もかなり高いので、全身汗だくになってしまいました。

Pa300300_2Pa300306ヘリコプターから見たときはそれほどでもないように感じたのですが、地上から見ると、乾季とはいえ、その迫力はやはりすさまじいものがあります。幅数キロにわたって水が落ちてくるはずが、途切れ途切れになっているのですが、どこからも猛烈な水煙が立ち上がっていました。雨季のときに来れば、その迫力、スケールはいかほどのものかと想像させられます。途中、滝の上で水泳を楽しんでいたりはるか下に見える滝壺を小さな船で遊覧しているのが見えましたが、さぞかし楽しかろうとうらやましく思いました。とにもかくにも、ビクトリア滝の魅力はその「高さ」にあることは間違いなさそう。イグアス、ナイアガラとの違いもその点にあるのではないかと思いました。

Pa300310Pa3003271時間ほど歩きながらさまざまな角度から滝(の片鱗)を見終えたら、次の目的地「ジャカランダの街」ともいわれる首都プレトリアに移動。周辺も合わせるとこの町にはおよそ7万本ものジャカランダが街路樹として植えられているとか。それがいま満開だというので、なんとも楽しみです。


ビクトリアフォールズからヨハネスブルグまで1時間45分、入国手続きを済ませたあとバスで1時間ほど走りプレトリア市内に。さすが、首都だけに市街地は美しく整備されています。中心部に近づいてくると、なるほどそこここにジャカランダの花が見えてきました。

Pa300368ホテル到着前に一カ所、「フォールトレッカー開拓者記念堂」に立ち寄ることに。町の南にある丘の上に建つ褐色の四角い建物なのですが、遠目にもえらく目立っていました。「フォールトレッカー(Voortrekker)」とはアフリカーンズ語で、「先頭に立って開拓の旅に出た人」といった意味のよう。。ケープタウン周辺に「アフリカーナ」(のちにボーア人)と呼ばれるオランダの移住民が入植して以来の歩みがよくわかります。南アフリカの歴史などほとんど知りませんでしたが、とても勉強になりました。

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フォールトレッカーたちは1838年12月16日、1万人にも満たない人々が「血の川の戦い」でズールー王国との戦いに勝利したのですが、それをバネに、彼らが2つの独立国家を築き上げたということでした。毎年12月16日の正午、建物中央の真上から光が差し込むように設計されているのだそうです。最上階で上と下を見てみると、その設計の巧みさに驚くとともに、なんともおごそかかというか、神聖な雰囲気に満ちた空間が作られていることがわかります。

Pa310398しかし、何よりうれしかったのは、この記念堂のすぐ近くでシマウマを見つけたこと。丘のふもとを走るハイウェイ沿いに小ぶりながら牧場のような草地があり、そこに10頭近くもいたのです。これで「BIG5」を制覇したことになり、ツアー参加者一同、大喜び。ちなみに、ヌーも2頭いましたよ。それにしても、なんでこんな町中に野生動物がいるのか不思議でなりません。

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ゾウの行進に感無量

2014年10月29日
チョベ国立公園でのサファリゲームも今日が最終日。まだ見ることができていないライオンに会いたい! 皆の思いも同じでしょう。朝6時に出発し、一路公園へ。私たちのガイドを務めてくれている人はこの間ずっと一緒ですから、「なんとか見て帰ってほしい」といった思いがあるようです。走っている途中ですれ違うほかのジープのガイドと情報を交換し合いながら、こっちへあっちへと走り回ります。

Pa290143_41時間ほど経ったところで、ようやく希望の明かりがともりました。川の近くでライオンの足跡、それもまだ新しいものが見つかったというのです。どのジープも一斉にそちらに向けて走り出しました。川に沿って数百メートル進んだ左側、陸地に少しだけ入った小高い場所に、2頭のライオンが横たわっています。ただし2頭ともメスです。ときどき起き上がってまわりに目をやっているようですが、しばらくはそこで体を休めようとしている感じがします。ジープに乗ったまま懸命にカメラを向け、シャッターを切りました。

そこをあとにし、場所的にはその真裏あたりにある「Stretch Point」でしばらく休憩。さすが、1時間以上運転し続けたためガイドもやや疲れ気味です。15分ほど体を休め、いよいよ最終ステージ。公園の出口をめざしながら、やや小高いエリアを走り始めました。

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しばらくすると、進行方向の右手700~800メートルほど前方にゾウが何頭か歩いているのが見えてきました。しかも、数頭の1家族ではなく、何十頭もついてきているではありませんか! ゾウの行進です。先頭を歩くのは、いちばん体の大きな、いかにもリーダーといった風情のゾウ。ガイドがジープをゆっくり前進させました。私たちの4~5メートルほど前を威風堂々とした態度で横断し、残りのゾウがそのあとにゆっくりと続きます。リーダーにつき従っていけばなんの心配もないといった様子で、感動的ですらあります。こんな素晴らしい場面を目の当たりにすることができ、3日間4回にわたって通い詰めた甲斐がありました。

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興奮がまださめやらぬうちに、最後の「モーニングサファリ」は終了。ホテルに戻り朝食、チェックアウトを済ませると、マイクロバスに乗って次の目的地ビクトリアフォールズの街に向けて出発。家人の荷物は、今日私たちが泊まるホテルで受け取れることで話がついたとのこと。ビクトリアフォールズの空港には、私たちが到着した翌日きっちり届いていたのですが、それをチョベまで運んでもらうにはえらく手間がかかるのだそうです。チョベはジンバブエでなく、隣国ボツワナにあるというのがその理由。荷主が一緒にいない荷物を国境越えさせるのは手続きげ面倒だそうで、本当に届くのかについても不安があります。そこで空港から直接、ビクトリアフフォールズのホテルまで届けておいてもらうことになったわけです。これなら同じジンバブエ国内での輸送になり、安全確実というわけですね。

ビクトリアフォールズに入り、中心街にあるホテルが近づいてくると、いかにもイギリスの植民地だった国の町らしく、道路も街並みも美しく整えられています。リゾート地・観光地でもあるので、そのレベルもかなり高そうです。

Pa300227ホテルに到着。家人もフロントでスーツケースを受け取りひと安心。1904年創業の老舗ホテルというだけあって、入口もロビーも廊下も中庭も年季が入っており、時間とお金があれば、何泊かゆっくり泊まりたい感じです。昼食を取ったホテル内のテラスレストランからはザンベジ川とそこにかかる鉄橋(対岸はザンビア共和国)、ビクトリア滝の一部も見えます。雨季だと、滝の水が落ちるときに生まれる水しぶきまで見えるといいますから、さぞかし素晴らしい眺めなのでしょう。

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部屋の割り振りが終わり、いよいよ滝へ。全体的には大変な大きさですから、まずはヘリコプターから見下ろすプランになっていました。私としては生涯3回目のヘリコプター、家人は初めてです。乗る前に体重測定があり、それによって機内でのすわる場所が決まります。空から見ても滝のスケールの大きさは十分感じられるのですが、乾季のため水の量が5分の1か10分の1ほどだとのこと。これが雨季なら、いまよりはるかにすさまじい迫力があるのではないでしょうか。そちらは次回の楽しみですね。

Pa290215_3ヘリコプターによる滝の見学は12分間で終わり。ホテルに戻り、夕食までしばし自由時間ということで、近くの商店街まで買い物も兼ねて散歩することにしました。歩いていると、現地の人がさかんに声をかけてきます。ジンバブエの紙幣を買わないかという誘いです。過去にハイパーインフレが起こったため、この国の旧紙幣は紙くず同然になってしまったのですが、その「ハイパー」ぶりが半端ではありません。

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なんとなんと、「100兆ジンバブエドル」といった紙幣が存在したらしく、それをおみやげにというわけです。まあ、世界中探してもそうそう出くわすシロモノでもないでしょうから、売り物になるのもわからないではありません。超巨額の紙幣はかの「イグノーブル賞(人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究)に贈られる賞」」の副賞にもなっているほどですから。私たちは残念ながら遠慮しましたが、ツアー参加者のなかに、あまりに執拗な声かけに負けて買った人もいました。3枚で2USドルだったそうです。

夕食はホテル内のレストラン(個室)でフレンチのフルコース。部屋に戻り、ネットで調べてみたのですが、日本のamazon では1枚4000から5000円で売られていたのにはびっくりしました。「だったら買っておけばよかった」と後悔してもあとの祭り。でも、これまた次回のお楽しみですかね。

「サファリ」とは狩りではなく、探して観て楽しむこと

2014年10月28日
今日も1日、朝からサファリです。といっても、もちろん狩猟ではありません。その昔、ヨーロッパの列強がアフリカ各地を支配していた時代、「サファリ」は動物を「狩る」ことだけを意味していましたが、いまは動物を保護するために保護区的な施設が作られています。となると、「探して観て楽しむ」のが目的で、「サファリゲーム」といういい方をするのはそのためのようです。英語の「ゲーム」は「獲物」「目標」「標的」という意味。一方、「サファリ」はスワヒリ語で、もともとは「旅行」全般のことでした。それが「狩り」しか意味しなかったのは昔の話で、いまは特定の保護区の中で野生動物を探して見て楽しむ(観光)ツアーという意味になっています。

かつて「ゲームサファリ」の主目的が狩猟だった時代の名残でしょう、「BIG5」という言葉があるそうです。ライオン、サイ、ヒョウ(レパード)、アフリカ水牛(バッファロー)、ゾウの5種類の動物を狩るのが最高の成果といいます。それがいまは、この5つの動物の姿を見ることができれば目標達成ということになります。個人的にはこれにキリンとシマウマ(ゼブラ)を加えて「BIG7」にしたいのですが……。

午前6時、「モーニングサファリ」に出発。まあ、とてつもなく広大な公園ですから、いつ、どこで、どんな動物に出会えるかは成り行きしだいです。私たちが訪れているのは、この国立公園でも北東部にある「セロンデラ」というエリア。流れているチョベ川のすぐ向こう岸はナミビア共和国です。先にあげた5つのほかにも、サル、カバ、ジャッカル、マングース、トカゲ、ワニなどのほか、ワシ(フィッシュイーグル)、ハチクイドリなど鳥も数多く生息しています。なかでもアフリカゾウの数は5万頭と半端ではありません。

Pa280024ジープから降りて動物を見られるのは、危険防止と環境保護のため、「Stretch Point」という表示板のあるところだけ。トイレや休憩所もあり、そこでジープのドライバーどうし、「どこそこの近くにシマウマがいた」「あそこにライオンの足跡があった」など、最新の情報を交換しています。もちろん、走っている最中も無線で連絡を取り合っているようでした。ただ。すべてのジープに無線機が備わっているのではないらしく、それを補っているのが「Stretch Point」での情報交換というわけです。バッファローは比較的簡単に見られました。ヒョウも1回だけですが、見ることができました。ゾウとサイはすでに昨日見ています。今朝の成果はそこまでといったところでしょうか。

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9時前にいったんホテルに戻って朝食を取りしばらく休憩。日中は動物たちの多くも休憩時間に入っており、パーク内を動き回っていることはないようです。ただ家人は朝食のあと、添乗員(今回は女性です)と一緒に、ホテル近くのマーケットまで買い物に行くことになりました。なにせ、身のまわりのものはほとんど全部スーツケースに入れたままなのですから、洗顔用品・化粧品から下着・靴下など、最小限のものはとりそろえなければなりません。

L1000210_2アフリカ、それもボツワナで、どんな品物が手に入れられるのか、興味半分でついて行ったのですが、まあ、かなりプアではありました。それでも、場所柄でしょう、ドイツ人やアメリカ人、デンマーク人など、世界各国からお客さんが来ており、さまざまな言葉が飛び交っています。

家人が連れていってもらった店も、広くはあるものの中は薄暗く、見ると、床に商品が落っこちていたりします。そうした中から必要なものを探すのは大変だったようですが、30分もすると、荷物を抱えて出てきました。「まいったわ~」という顔をしていたので、けっこう悩ましい買い物だったのでしょう。L1000212_2

部屋に戻り着替え始めてすぐ、「さっき買ったブラの紐、もう切れちゃった」と。それほど胸は大きくないはずなのですが(笑)。「コットン100%の服なんて1つもなくって。ぜ~んぶ化繊。安いことは安いんだけどね……」とほとんどあきらめ顔でした。


夕方、再びサファリゲームに出発。メインはチョベ川でのボートクルーズです。船着き場から大型のボートに乗り2時間ほどかけて川をめぐります。あちこちに何十頭ものカバの集団が、泳いでいたりじっと眠っていたり(?)していました。ワニやさまざまな鳥が岸辺でまったりしていたのもよかったです。

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しばらくすると、ボートを運転しているガイドが「あっ、あそこにキリンが見える!」と興奮した声を出しました。しかし、ガイドの指差す方向にいくら目をやっても見えません。「あそこだ、あそこだよ」と指で差し示していのは川からはるか離れたところにある森と森の小さな切れ目のような場所。たしかに、双眼鏡をじっとのぞいてみると、頭の部分だけがかすかに見えました。「あんなに遠いのに、よくもまあ」と感心したのですが、聞けば、数キロ先までははっきり見えるといいます。モンゴルの大平原でヒツジを追っている遊牧民と同じなのですね。視力検査をしたら、たぶん4とか5とかあるでしょう。

残るはいよいよライオンだけ。これは明日のモーニングサファリでの幸運を祈るしかありません。それにしても、チョベ川に落ちる夕日の美しかったこと! いくつもの中洲を縫うようにしながら走るボートの上から見た、真っ赤な太陽がゆっくり沈んでいく光景は忘れられないでしょう。

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南アフリカに向け、いざ出発!

2014年10月27日
家人と私の2人してずーっとあこがれていた「ビクトリア滝」。それを楽しむ旅が今日から始まります。「世界3大瀑布【ばくふ】=滝」の1つで、イグアス(ブラジル&アルゼンチン&ウルグアイ)とナイアガラ(アメリカ&カナダ)はすでに制覇したので、ここだけが残っていたのです。

ビクトリア滝はアフリカ南部、ジンバブエ共和国とザンビア共和国の国境にあります。「な~んだ、南アフリカにあるわけじゃないんだ」と知ったのは、つい最近。ただ、どちらの国も日本からの直行便はないので、南アフリカから入っていくしかありません。まして、ツアーとなれば当然のこと、滝だけではマニアックに過ぎるでしょうから、ほかの観光スポットをいくつか組み合わせてあります。

今回のツアーでプラスされているのは「チョベサファリ」。野生の動物を見て楽しむ、けっこう人気の企画だそうです。家人が申し込んだとき、「滝がメインなら初夏、いまはジャカランダです」といわれたとのこと。10~11月はジャカランダが満開になる一方、滝のほうは乾季のため水量が乏しく、そちらをメインで考えているのなら……という話でした。どちらも捨て難く、迷いもありましたが、広告でこのツアーを見つけたのも何かの縁だと思い、決めたしだい。ちなみに、ジャカランダは「世界3大花木」の1つ(ほかの2つは火焔【かえん】木と鳳凰【ほうおう】木)だそうですが、美しさでは一番のようです。

日本を出発したのは昨日の午後6時25分。ANA便でまず香港まで行き、そこで1時間15分後のSA(南アフリカ航空)便に乗り換えるのですが、香港→ヨハネスブルグは13時間15分! ヨハネスブルグに降り立ったのは今朝7時20分でした。そして、3時間ほど待って、ビクトリアフォールズ(ジンバブエ共和国)行きの便に乗り換え1時間45分でようやく到着です。

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ジンバブエへの入国にはビザが必要なので、カウンターに並んでパスポートとビザの申請書、それに現金45USドルを添えて差し出すと、パスポートにビザを添付して返してくれます。チョベは、ボツワナ共和国の最北端に位置する国立公園の名前で、私たちが滞在するのはそのすぐ隣にあるカサネという町。日本からはジンバブエ共和国を経由しないと行けないわけですね。

ところが、ここでトラブルが起こりました。ビクトリアフォールズ空港で荷物を受け出そうとしたときです。なんと家人のスーツケースだけが出てこないのです。国際線ではつきものといってもいいロストバゲージです。私たちも何度か経験しているので驚きはしません。今回の移動は途中2回乗り継いでいますから、可能性としては2つ、香港かヨハネスブルグの空港で積み忘れたのでしょう。

現地ガイドのアシストを受けながら空港のカウンターで調べてもらおうとしたのですが、職員は「コンピューターシステムがダウンしちゃって……」と首を振るばかり。ロストバゲージ自体はさほど珍しいことではありませんが、普通、どこで置き去りにされたかくらいはすぐわかります。チェックインのとき、コンピューターにID番号が記録され、そのクレームタグをこちらが受け取っているのですから。しかし、システムがダウンしているとなると、どうしようもありません。

これまでの経験から、だいたいは翌日の便で届くものですが、家人はなんとも心配顔で戻ってきました。くだんの職員は、家人の申告を、カーボン式の複写用紙に書き込んでいたというのです。そんな場面を目の当たりにすれば、たしかに不安にもなるでしょう。とりあえずは遅れてでもこの空港まで届くことを祈るしかありません。

さて、空港からはバス。見渡すかぎり木々と草花ばかりというサバンナ(熱帯草原)を2時間弱、走り続けます。道すがらアフリカゾウに出会ったりして、早くも期待を抱かせてくれました。途中に国境があり、そこでジンバブエ出国+ボツワナ入国の手続きがありました。日本にいてはなかなか体験できない陸路での国境通過とあって、どんな具合におこなわれるのか興味津々。マレーシア+タイでも経験はしていますが、このときは人まかせでしたから。実際は、かなりくたびれた木造の建物にこの2カ国の出入国管理のオフィスが同居しているようで、それぞれパスポートを見せて通過します。もちろん、スタンプも押されました。

ところで、今回のツアー参加者はわずか7人。出発日のひと月半ほど前からエボラ出血熱の騒ぎが報じられ、「アフリカは危ない」という人はキャンセルしたようです。世の中には用心深い人がいるんですね。ただ、エボラ出血熱が発生したのはアフリカでも西の端の話。私たち2人は、キャンセルしようなど、毛ほども思いませんでした。


L1000215カサネのホテルに着いたのは夕方4時過ぎ。小ぎれいできちんとしたホテルです。それにしても、長~い移動でした。早い話まる1日以上、なんと29時間を費やしたことになります。

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それでも、7人全員、テンションが上がっており、添乗員の「これから軽くサファリに出ることもできますが、いかがですか」という言葉に、迷わず「行くぞーっ」。というわけで大型のジープに乗り、すぐ近くのチョベ国立公園に出発。タイミング的にちょうどよかったのか、アフリカゾウの群れが川で泥浴び・水浴びをする場面に遭遇しました。泥浴びを済ませた直後のゾウはもちろん泥まみれですが、そのあとすぐ水を浴びます。毎日かならず川辺まで出てきて泥浴びをするのは、体についた虫を退治するためだそうです。と同時に、ゾウは肌のキメが粗いので、それを少しでもこまやかに保つ目的もあるとか。そういえば、人間社会にも「泥パック」というのがありますからね。

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この日、私たちが見られた野生動物は、ほかにも、サイ、インパラ(中型のカモシカで、お尻を上げる独特のジャンピングフォームが特徴)、イボイノシシ(泥浴びを好み、水場周辺に多い)、バブーン(ヒヒ)、リス、アフリカ水牛(バッファロー)、ウォーターバック(中型のカモシカ。水場の周辺にいることからその名がついた)、クドゥ(大型のカモシカで、角が枝別れしていないのが特徴)、プクーなど。鳥もホロホロ鳥(これは可愛いです!)はじめ、レッドホーンビル、クチバシサイチョウ、アフリカハゲコウ、リラックプリステローラなど、けっこういました(ただし、ホロホロ鳥以外、名前と姿・形はまったく一致しません)。

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夕食はホテルの食堂で。公園内で目にしたインパラを始め、ワニやさまざまな鳥など、肉が中心。おっかなびっくりというか、ひととおり食べてはみましたが、味は、……でした。

中華料理店が寿司も出すスタイルにどんどん模様替え

2016年8月27日
午前中は、ユールゴルデン島にあるスカンセンまで、トラムを降り正門まで歩いて行ったとたん、家人が「前に来たことある、ここ!」とひと言。私もはたとそのことに気づきました。前回来たとき、こちらの知人が連れて行ってくれた場所だったのです。すぐにそこを出て、停留所で2つ戻ったところにある北方民俗博物館、そしてヴァーサ号博物館へ。こちらは大変な人気のようでした。

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その後ホテルに戻り、Kさんと待ち合わせ。3人で食事に行きました。駅のちょい先にある富都閣(CHOPSTICKS)という店。ここももとは中華料理店だったのでしょうが、いまは寿司も扱うスタイルに。ヴァイキング方式で1人100クローナほどで食べ放題。さすが中華のほうはどれも皆おししかったです。寿司もこちらにしてはまあまあではないでしょうか。

その後、地下鉄とバスを乗り継ぎ、郊外のドロットニングホルム宮殿まで。1時間ほど見学しましたが、さすが「北欧のヴェルサイユ宮殿」といわれるだけあって、美しい庭園が。宮殿内部も、天井画、壁紙、家具調度など、それも皆それとわかるレベルの高さです。

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船で1時間ほどかけて市内へ。最後の20分ほどはストックホルムの町を海の上から見ることができ、心ゆくまで楽しめました。明日はいよいよ帰国です。

2度目の北欧でしたが、何を見ても、デザインの素晴らしさには感心します。物価は相変わらずべらぼうに高いのが難点ですが、それ以上に、見るものすべてが、形といい色といい、とにかく美しいのです。買い物をしなければこれほど楽しいところもないのではないでしょうか。

名物のロールキャベツは最高!

2014年8月26日
旅行も13日目となると、さすがに疲れが隠せません。足取りもしばしば重くなります。まして、今日のように朝からしとしと雨に降られると余計です。

それでも、ホテルの窓からも見える市庁舎に行きました。ノーベル賞受賞者の晩餐会、そのあとの舞踏会がおこなわれる由緒深い場所です。ブルーホール、黄金の間など、ガイドツアーでしか見られない場所に行けました。市議会の議場も設計が工夫されているとのガイドの話に感心。

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一度ホテルに戻り地下鉄に乗って市場へ。朝テレビで紹介されていた店がありました。KALDOMARという名の料理(ロールキャベツ)を家人が、私はスウェーデン家庭料理の代表ミートボールを。ミートボールはとても塩辛くて、しんどかったです。途中で知ったのですが、カウンターの上に置いてあるジャムをかけて食べるのが正解のようです。ロールキャベツ(中身は牛ひき肉)のほうはたいそうおいしく食べられました。

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それにしても、言葉がまるでわからず、苦労しました。メニューの2行目に英語で書かれていたので、なんとか注文できたしだい。

地下鉄に乗って逆方向のガムラスタン(旧市街)へ。ハンザ商人の作ったドイツ教会から路地を歩きながらノーベル博物館まで。疲れはもう頂点に達しています。中のカフェへに入ると、名物のイスがありました。裏側に受賞者のサインが書かれているのです。小柴昌俊というサインを見つけました。我が明和高校の先輩・小林誠さんのサインもありましたよ! ここにあるイスは記念晩餐会で使われたイスだそうです。外に出るとまた雨。その中を歩いてホテルに戻りました。

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最終目的地ストックホルムへ

2014年8月25日
旅もそろそろ終盤に差しかかってきました。今日は、リバプールをあとにし、ストックホルムに移動する日。朝から雨。今日もまた寒そうです。

早朝、ライムストリートの駅からマンチェスター空港行きの電車。古い車両に狭苦しい座席。荷物置き場もなし。よくこんなひどい電車を走らせているなとガックリしました。1時間少々で空港に着き、チェックインを済ませてラウンジへ。

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2時間ほどでストックホルム到着。リバプールの重い空とうはうって変わって快晴。アーランダ空港から市内に向かう電車は素晴らしい車両です。しかも速いので、20分で中央駅に。ホテルは駅の前、川のほとりにあります。前回この地を訪れたとき、このホテルはありませんでした。

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荷ほどきを済ませ街の中へ。スウェーデン語なので、通りの名前がとにかくむずかしく、とても覚えられそうにありません。歩いてグスタフ・アドルフ広場からショッピングセンターのギャラリエンまで。寒い国によくありそうな設計です。

外に出ると、正面がこの国いちばんの老舗デパートNK。スウェーデン風デザインのキッチン雑貨とかが山ほど積まれています。ただ、日本と違うのはお客さんが少ないこと。どこのフロアもゆっくり見られます。店内のカフェで飲んだビールのおいしかったこと。

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食事のできる場所を探しながら、駅の方向へ歩き始めたら、雨が降り出しました。探すのも面倒なので、駅のすぐ近くにあった「中日酒楼」という店へ。店名からも想像できるように、かつては中華料理店だったにちがいありません。それがいまでは日本料理がメインのようです。寿司ブームでそちら始めたという感じでしょうか。

でも、焼きそばと餃子はけっこう行けました。店内にはテレサ・テンの歌が。続いて「北国の春」「そして神戸」……。なんとも奇妙な感じがします。焼きそば、寿司、鶏肉のカシューナッツ炒め、餃子、ワイン、日本茶で、しめて420クローナ。
駅を通り抜けてホテルまで。

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リバプールの旧市街は世界遺産

2014年8月24日
なにせ、「海商都市リバプールは、ユネスコの世界遺産リストなのです。ピア・ヘッド 、アルバート・ドック 、ウィリアム・ブラウン・ストリートなど、多くのランドマークが含まれる中心市街の6つの区画が対象。趣の富んでいるのは当然といえるでしょう。18世紀から19世紀にかけて世界でもっともにぎわった港の一つがリバプールでした。

今日はいい天気。午前中はのんびり。昼少し前から外に。アルバート・ドックに向かいました。日曜日とあってけっこうな人出です。アルバート・ドックはピア・ヘッドの南に位置していて、マージーサイド海洋博物館、テート・ギャラリー、ビートルズ・ストーリーなどの観光名所が集中しています。

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最初は「THE BEATLES STORY」という博物館。まずはパート1を見終え、南に降りていくと昔の倉庫街があります。その一帯を再開発したのでしょう、レストラン、カフェ、おみやげ屋などが軒を連ねていました。目の前は桟橋があったのだろうとおぼしき港です。

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続いてパート2へ、たっぷり2時間かけて見学。BEATLES誕生前からの歴史が、展示や店やスタジオなどを再現しながら懇切丁寧に解説されていました。オーディオガイドもきちんとした日本語で安心して聞けました。この種のガイドはいいかげんな日本語が多い中、これは出色といっていいでしょう。

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見終えると夕刻。リバプール観光で欠かせない「マージー川のフェリーボート」に乗りました。ジェリーとペースメイカーズによる同名の曲がヒットしたのは1965年。特段魅力的なコースというわけではありませんが、感慨にひたれました。

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夕方5時に下船し、ホテルに戻って休憩。6時半ごろ、夕食に。ホテルの近くに日本料理店を見つけ。そこに行きました。「SETSU」という女性が経営する店なのですが、行ったら予約で満員のよう。なんとかもぐり込んで寿司や厚揚げ豆腐、とんかつ、餃子を。餃子はおいしかったです。寿司と揚げ出し豆腐はいまイチ。

BEATLES漬けの1日


2014年8月23日
朝11時から「CAVERN CLUB」に。1日中、ビートルズ漬け。市内に会場がいくつかあり、今回参加しているバンドが持ち回りで演奏。

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正午からのバンドは出色でした。ランチのあと、午後2時から日本のバンドが出るというのでもう一度「CAVERN CLUB」へ。しかし、やはりネイティブでない分、クオリティーの点で不満が残ります。リズム感もパンチも、英語もすべて……。ここでもなぜかミキシングに難があり、それもマイナス材料になっていました。ボーカルの質の低さをごかすために楽器のボリュームを上げているのではと勘繰りたくなります。でも、やはり厳しいですネ。

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夕方、もう一つ日本のバンドが登場していたのでのぞいてみましたが、こちらもやはり……。残念ながら、こればかりは仕方ありません。途中であきらめ、向かい側にある「CAVERN PUB」に。こちらの演奏は最高でした。

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夕食はそこらのファストフード店で勝ったサンドイッチ(ただし、めっぽう美味い! しかも値段がわずか1ポンド)で済ませ、王立劇場へ。前日よりちょっと到着が遅れたのがたたり、文字どおりのスタンディング状態。しかし、内容が素晴らしく、なかなか帰るきっかけがつかめないまま、気がついたら2時間以上が経過。でも、迫力があり、さすが王立劇場でソロを張るだけのことはありました。

ついに、あこがれの「CAVERN CLUB」に!

2014年8月22日
やはりイギリスです。食事はどうにもいただけません。ホテルでビュフェスタイルの朝食を取ったのですが、まわりの人が食べているのを見ても、不健康な内容のものばかり。生野菜などほとんどゼロといっていいでしょう。どうにも太っている人が多いのは当然かもしれません。

あこがれの町リバプール。いうまでもなく、BEATLESのふるさとです。ここでは毎年8月後半、「インターナショナル・ビートルウイーク(International Beatleweek)」というイベントがおこなわれています。世界各国で選ばれたビートルズのコピーバンドが100以上もやってきて、ほぼ1週間、市内各地で演奏するというものです。しかも、今年はビートルズのデビュー50周年。この機会にぜひということで、やってきた次第。

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10時ごろからまずは「CAVERN CLUB」の周辺=キャヴァンスクエアです。その名も「ハードデイズナイトホテル」は、外壁にビートルズ4人の石像があるのが印象的。1階はグッズの店になっています。「CAVERN CLUB」の向かい側には「tHE LENNON’S BAR」。右を見ても左を見ても、上を見ても下を見てもBEATLES! もう舞い上がりそうで、眩暈すらします。

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港の北側・旧市街の周辺は、往年の栄華を感じさせる建物が立ち並んでいます。今日最初のイベントがあるタウンホールも、ヨーロッパの古い町と比べてもまったく遜色ありません。

11時過ぎに行ったのですが、チケット(バウチャー)を受け取らないといけないようで、アデルフィホテルまで行きました。そこで3日間通しのチケットを受け取ります。やはりBEATLESデビュー50周年ともなると、世界中からファンが繰り込んでいるようです。

それから夕方まで。ランチは、ヨーロッパでいちばん古いよいわれるチャイナタウンで。しかし、そこはもう終わっている一角といっていいほどさびれた感じ(ゲートはたいそう立派なのですが)で、つぶれている店が多い、公爵街(Duke Street)と書かれた看板にその名残がありました。

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ショッピングゾーンはえらい人出。ノルウェーほどではありませんが、雨が1日中、降ったりやんだりするので、大変です。

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タウンホールでのレセプション。けっして御大層なものではなく、カウンシル(女性でした)の挨拶がある程度でしたが、会場のパーティールームはそれなりの装飾がほどこされ、多少は改まった気分にさせられます。カウンシルとは、日本でいうなら区長のようなものでしょうか。

後半はコンサート。ただ、内容は期待したほどではなく、音響、ミキシングがいまイチで、あまり満足できませんでした。

終わったあとは、再び町へ。地元サッカーチーム(EVERTON)のオフィシャルショップに立ち寄りおみやげなどを購入。振り返ってみると、今日は朝の10時過ぎにホテルを出て12時間ずっと外にいたことになります。さすがにくたびれました。

工事現場に「土」がない国ノルウェー

2014年8月21日
今日は移動日。ベルゲンからコペンハーゲン経由でマンチェスター、さらにリバプールまでなのですが、まる1日かかります。

 

出発まで多少時間があったので、午前中はホテル近くのハンザ博物館、ローセンクランツの砦を見学。

 

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バスで空港へ。空港近くに道路工事とおぼしき工事現場がいくつかあったのですが、日本とまったく違うことがあります。積まれているのがすべて岩盤なのです。日本のように土はほとんど見当たりません。

 

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ベルゲンの空港はとても可愛らしく、さすが北欧、清潔で機能的。トイレの表示デザインなどもユニークです。

 

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食事は空港のレストラン。ビール、コーラ、サラダ、クラブサンドイッチの4品で6000円です、6000円! なにせビール1本(400ml)1700円ですから。信じがたいのですが、本当です。

 

ただし、味は皆GOOD。日本で空港のレストラン、それもファストフードっぽい店だとロクなものしか食べられませんが、ここは本格的。

 

 

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コペンハーゲンには1時間弱で到着。ここもまた美しい空港です。フロアの板張りが人の温もりを感じさせます。SASのラウンジも秀逸でした。

 

マンチェスター空港には午後5時45分着、荷物を受け取りバスでリバプールへ。1時間ほど走りターミナルとおぼしき場所に到着したのですが、えらく寒々しいところだったのにはびっくり。タクシーでホテルに着いたころには8時を回っていました。夕食はホテル内のカフェで。

 

それにしても、ホテルのスタッフの英語の訛りのすごいこと。これがかの有名なリバプール方言(スカウス=Scouse)というのでしょうか、普通に英語を習い覚えたというだけではえらく難儀させられそうです。

ハダンゲンフィヨルド観光から帰ってみたら……

2014年8月20日

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今日はベルゲンから列車でアイフィヨルド+ハダンゲンフィヨルドの観光に。1時間ほど鉄道に乗りヴォスへ。バスに乗り換えウルヴィクで降りると、あとは流れのまま。観光船に乗りいざアイフィヨルドへ。午前中は晴れていたのですが、最初の到着地アイフィヨルドに着いたころはひどい雨に。なんでもノルウェーでは当たり前のことだそうですが、やはり雨が降ると観光はきついです。

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軽く昼食を取り、またバスに乗ってフィヨルドセンターへ。屋根の上に、な、なんとまあヤギがいるではありませんか。これには驚きました。

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アイフィヨルドの桟橋まで戻り、再び観光船に乗って3時間弱。途中何度か小さな町に立ち寄りながらで、まったく飽きません。フィヨルドはあくまで変化に富んでおり、どこからどう見ても、自然の不思議さを感じさせます。3時間半ほどの遊覧を終え、終点のノールハイムスンという町で下船。ここは、ノルウェーでもっとも美しい街だそうで、ほとんど滞在時間がゼロだったのが残念。

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夕方17時40分発のバスでベルゲンまで戻りました。そのまま夕食へ。ホテル近くであちこち探しましたが、結局、タイ料理の店に。その前に、入るかどうか迷った寿司店があったのですが、予約で満席だといいます。玄関口にメニューが貼ってあったのですが、こんな値段の高い店でもたいそうな人気のようで、欧米の寿司ブームはいよいよ本物といった感じがしました。

さて、ここまではよかったのですが、部屋に戻ると、掃除もタオルの交換もまったくしてありません。すぐにフロントに電話をして、とりあえずタオルだけ交換してもらったのですが、あまりに業腹だったので、「この不始末、どう責任を取ってくれるのか!」と責任者にクレームをつけました。すると、あわてて部屋まで飛んできて、「申し訳ない。今晩の宿泊費を半額にさせていただきます」という提案をしてきたのでそれでOKしました。これまでさまざまなアクシデントに遭遇しましたが、これは初めての経験でした。

世界遺産の港町ベルゲンに移動

2014年8月19日
ホテルをチェックアウトし、バスでグドヴァンゲンに。ランチを済ませ午後3時前、グドヴァンゲンからバスに乗り、2時間ほどでベルゲンに到着。バスターミナルから鉄道の駅までちょっと歩き、さあタクシーにと思ったのですが、これがまったく来ないのです。8月とはいえ、夕方ともなると、気温も下がりけっこうな寒さ。待てども待てども来ないので、体はどんどん冷えるばかり。

20分ほどして、ようやくやってきたので、乗り込んで行き先を告げたのですが、小名じゃい名前のホテルが市内に2つあったことに気づいたのは、降りたとき。あわててまたタクシーを拾い直し、ようやく目的地のホテルに着きました。

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外装は古いレンガ造りなのですが、内部はえらくモダンに改装されています。さっそく、夕食を食べに出ましたす。ホテルの近くに、いかにもという雰囲気のレストラン(ブリュッゲロフテット&ステューゲナ)を見つけ、そこに入ったのですが、これがえらく美味。干しダラのトマト煮込みを食べたところ、これがもう感動的なおいしさで、さすがノルウェー、こういうふうにタラを食べるんだ! と感じました。

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