2015年3月6日
明日・明後日は土・日なので混みそうということで、今日、台中の「ランタン・フェスティバル(台灣燈會)」に行ってきました。ランタン・フェスティバルという名称から、昨日楽しんだ「天燈」と一緒くたにされることも多いようですが、これはまったくの別物です。ただ、その起源は、おそらく「天燈」にあるのではないでしょうか。「平渓天燈祭」がおこなわれる時期に合わせ、台湾のほぼ全域でおこなわれるイベントのようですから。
日中は迪化街に行ってみました。MRTの駅からやや遠くこれまで一度も行ったことがなかったので、今回は初めての挑戦。ホテルからタクシーで3メーターほどでたいした距離ではなかったのですが、さすが19世紀半ば、清朝末期の時代に開けた街ということで、旧市街のなかでも突出した感じがします。
20世紀の初め、台湾は日本統治下にありましたが、この当時は台湾全土から乾物、漢方薬、茶、布などを扱う商店が集中、大規模な商業エリアを形成していたといいます。通りの左右にバロック調の建築物が並び、裕福な商人たちが店を開いていました。
その入口にある永樂市場からスタートしました。建物自体はたぶん8階建てで、4階までがショッピングフロア。5階だか6階には演芸場がありました。きっと、ここで仕事をしている人たちのための施設なのでしょう。
下の方は1階と4階が食べ物屋で、4階のほうはフードコート風の造り。まず1階の入口を入ってすぐのところにある「林合發油飯店」で、今回念願の「油飯」を買いました。「飯店」と名乗ってはいますが、実際は売店です。売り場には行列ができており、お目当てはだれもが名物の「油飯」。ずっしりとした重さに驚きました。調べてみると、なんと600グラムだそうです。本当は、「少な目」とか「半分の量で」といった具合に注文すればいいそうですが、台湾語がわからないので仕方ありません。
それを手に持ってエレベーターで4階まで上がります。日本語の上手なお姉さんの誘いに応じ、水餃(水ギョーザ)と炒麺(焼きそば)を注文。水餃はこれまで食したなかでいちばん美味でした。中身もぎっしり詰まっていて、皮とのバランスも抜群です。炒麺の味付けもユニークでした。
降りて会館を出ると、まわりには屋台風の飲食店がびっしり。しばらく行くと「青草茶 茅根茶 苦茶」の看板が。滋生青草店です。そこで、風邪予防に最高という「苦茶」を呑んでみたのですが、まあ、苦いこと苦いこと。あまりの苦さに途中であきらめ、歩き始めました。
迪化街を北に向かうと、両側に「医食同源」の国らしく、漢方関係の食材を売る店がびっしり。しかも、北へ上がれば上がるほど建物が古くなります。そこらまでは観光客も足を延ばさないからでしょう。
もうここまでかというところまで北上したところに突然、こじゃれた店がありました。それが李香亭という餅(お菓子)屋さん。中秋節や旧正月の前になると、長蛇の列ができるほどの老舗だそうです。「平安亀」という名のお菓子は、亀の甲羅を型どり、中央には寿の文字。ピーナッツ風味の生地の中に胡麻餡が入っています。地元の人に人気があるのは「平西餅」。これは、オリジナル、ミルク味、カレー味の3種類ありました。
この店を右折すると、日本の昭和30年代を彷彿させる一角につきあたります。途中「家庭理髪」という看板がありました。どうやら、家の一角を使って散髪をしてあげている店のようです。それにしても、写真右上にある看板の「山本頭」とはなんのことでしょうか。
さらにそのまままっすぐ進むと民楽街。そこを北に上がったところが民権路で、上には高速道路が走っています。右に曲がってすぐにMRTの大橋頭駅が。「大橋」とは、すぐ西にある台北大橋のことのようです。したがって「大橋頭」とは「台北大橋のとっつき」といった意味でしょうか。
ホテルに戻り、ネットで「山本頭」を調べてみました。なんと「山本」は連合艦隊の司令長官「山本五十六」のことでした。「山本頭」自体は、職人さんなどに見られる丸刈りのことだといいます。ちなみに、「平頭」は角刈りだそうです。
さて、少し早目に台中までということで、MRTで台北車站まで行きました。ところが、午後3時過ぎだというのに、構内は大変な混雑です。なかでも高鐵(新幹線)の切符売り場にはえらい行列が! 「えーー、これ、みんな、台中へ行くわけ?」と思いつつ自動販売機で乗車券を購入。
台中までは1時間ほど。5時前には到着しましたが、予想以上の人出です。広大な敷地に所狭しと光のオブジェが並べられているのは壮観のひと言。この時間はまだ明るいのですが、あと1時間ほど経てば暗くなりますから、さぞかし美しいにちがいないと期待を抱かせます。
写真をご覧いただけばおわかりのとおり、これでもかこれでもかといった感じの、光、光、光。「燈會」などという平凡なネーミングではとても追いつかない感じでした。会場内には2カ所、野外フードコートのようなスペースがあり、ここはもう完全な夜市状態。どこも皆、大変な人でごった返していました。