2015年2月16日
今日から青森県・八戸の一大行事である「えんぶり」を見に来ました。「えんぶり」はこの地方を代表する民俗芸能で、国の重要無形民俗文化財にも指定されているそうです。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりの一つにも数えられています。
本番は明日なのですが、朝のスタートが早いので前日から泊まることにしました。八戸を訪れたのは初めて。17世紀の半ばを過ぎたころに作られた城下町ですが、遺構としては土塁、本丸跡などくらいしか残っていません。角【かど】御殿表門だけが長らく風雪に耐えてきたものの、昭和53年に倒壊してしまい、2年後に復元されたそうです。しかし、道筋や町の形、名前はいまも変わらないまま残されています。
町自体はこじんまりしています。1時間もあれば隅から隅まで歩いて回れる感じで、ちょうどいい運動になりました。それでもさすが旧城下町、どことなく気品というか風情がありますし、これまた城下町らしく、かつての呉服店(いまはほとんどが洋品店かアクセサリーの店)も目につきます。おしゃれな書店もありました。
私たちが泊まるホテルのすぐ近くに「はっち」という名前(正式には「八戸ポータルミュージアム」といいオープンは2011年)の観光案内所っぽい施設があったので、そこに立ち寄ってみました。とてもおしゃれな建物で、中も充実しており、八戸に関する情報はほとんどここで手に入ります。
3階の展示の中に、いま住んでいる「豊島区」の文字を見たときは驚きました。日本の女性ジャーナリストの草分けである羽仁もと子が始めた「女性の解放」「自由教育の推進」運動の拠点「婦人之友社」は、以前私がオフィスを借りていた豊島区西池袋にありますが、その羽仁もと子はここ八戸の出身だったのです。
地元の小学校在学中は成績優秀で文部省から表彰され、女子でただ一人高等科へ進学したもと子は、明治22(1889)年に上京、東京府立第一高等女学校に入り、在学中にキリスト教の洗礼を受けます。その後当時の報知新聞社に入社し、女性記者として活躍しましたが、同34(1901)年に同じ職場の羽仁吉一と結婚し退職。そして同36(1903)年に「婦人之友」の前身である「家庭之友」を創刊したとありました。羽仁もと子記念館には行けませんでしたが、もと子ゆかりの場所にオフィスを構えていたことの縁にうれしくなってしまいました。
夜はホテル近くの屋台広場「みろく横丁」の一角で魚介類を堪能。さすが海のすぐ近く、とてもおいしかったです。