嘉手納のアメリカ軍基地を上からながめてみました

2015年1月20日

昨日から沖縄に来ています。1月ですから、沖縄といえども、肌寒い感じがします。気温は19度ほどで、東京などより6、7度は高いのですがね。

今日は、嘉手納のアメリカ軍基地に行ってきました。もちろん、中に入ったわけではありません。基地と道路をはさんだところに、「道の駅かでな」というところがあるのです。

4階建ての建物の最上階が「展望台」になっており、そこから広大な基地の空港部分がほとんど全部見渡せます。見学に訪れている人も多く、私たちが行ったときも100人近い高校生の修学旅行で来ており、大変なにぎわいでした。

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それにしても、4000mの滑走路が2本というのは、大変なものです。成田空港でも、4000mのA滑走路ができたのはつい2、3年ほど前ですし、B滑走路はまだ2500mのまま。また、横風用のC滑走路はいまだ滑走路になっておらず、誘導路のままです。

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もちろん、軍用ですからターミナルビルとかは一切ありません。そのため、成田のほうが全体としては広々とした印象(総面積は現在940ha)はありますが、嘉手納のほうは1995haで倍以上。日本最大の羽田空港(1270ha)と比べても1・5倍ほどです。

しかも日中は、戦闘機や偵察機、哨戒機、燃料輸送機などがひっきりなしに離着陸しています。戦闘機の離陸はとりわけひどい騒音を出すので、住民たちはほとほと困り果てているにちがいありません。戦闘機が急上昇したり加速したりするときの騒音は、1回聞いただけで耳がおかしくなりそうです。飛び去ったあとしばらくは耳の中がキンキンしていました。

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「道の駅」の入り口に騒音のレベルを表示する電光掲示板があるのですが、交差点のそばなので、通常でも60~75デシベルほどです。しかし、戦闘機がすぐ上空を飛んでいるときは100近くまで上昇します(ただ、なぜか、そのときは掲示板の電光表示が消えてしまいます)。騒音レベルは毎日公表されているようで、多いときは1日に200回を超えていますから、羽田や成田の比ではないでしょう。http://www.mod.go.jp/rdb/okinawa/03soon/H26/2701k.pdfでチェックしてみてください。

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いくら慣れたとしても、いつしか精神的なバランスが崩れてしまうのではと、他人事ながら心配でになってしまいます。3階の資料室では、『基地の町・嘉手納』というタイトルのビデオ(5分間)が上映されていました。もちろん、そういうことには触れていません。あくまで「基地」と共存しながら暮らしている嘉手納町民といったニュートラルな内容なので、住民の実感とはかなりズレがありそうです。

基地の外で墜落事故でも起こったら、悲惨な状況になるのは目に見えています。基地内から汚染物質が外に流れ出てくる恐れもあります。事実、これまでも危機一髪というレベルの事故が何度か起こっていますし、すぐ近くにある弾薬庫も心配です。沖縄、沖縄と、政治家や有識者がよく口にしていますが、遠目からほんのちょっとだけでも、肉眼で見、肉耳で聞けば、うかつな発言はできないでしょう。

嘉手納にいまアメリカ軍の基地があるのは、1944年(昭和19)年9月に、旧日本陸軍航空隊の中飛行場として開設されたことに起源があるようです。沖縄戦が終わりアメリカ軍が上陸してきてから、嘉手納のこの飛行場をそのまま徴用、戦後どんどん拡張していきました。4000m級滑走路を整備したのは1967(昭和42)年。米ソ冷戦がピークの状態にある時代で、アジアではベトナム戦争の真っただ中でした。それから50年近くが経過しているのに、まだそのままというのは、どう考えても間尺に合わない気がします。