またまた浅草、またまた全国座長公演

 先週に続いて、またまた浅草です。今回は浅草公会堂での「全国座長公演」。以前もこのブログでご紹介したかと思いますが、地方の大衆演劇で活躍している役者さんが勢ぞろいし、自由闊達に演技を、歌を、殺陣を披露するというイベントです。

 主催しているのは沢龍二さん。今年もまた、ニューヨークで公演したそうで、元気一杯です。その昔、梅沢富美男さんが東京の篠原演芸場から全国区に大ブレークしたのが、大衆演劇に注目が集まり始めたきっかけといっていいでしょう。実際、地方にもそれに続く逸材がけっこうおり、最近では早乙女太一にスポットが当たっているようです。

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 この日も次から次へ登場するローカルの花形に、場内は興奮のるつぼ状態。演技中、舞台の上を移動し自分の近くにやってくると、ファンがご祝儀をどんどん渡していきます。渡すといっても、帯にさしはさんだり、袂に突っ込んだりなど、露骨そのものですから、金額はもろ見え。渡すほうも、1万円札を1枚ずつ、それとわかるように渡していきますし、役者さんもそれを誇らしげに見せびらかします。こうした、ホンネ丸出しの面白さが大衆演劇の魅力でしょう。

 毎年だと辟易するかもしれませんが、たまにこうした舞台を観るのも一興です。一度、足を運んでみることをおすすめします。

浅草花月で吉本を楽しむ

 知らぬ間に、浅草のちょっとはずれたところに「花月」ができていました。5656(ゴロゴロ)会館といって、西浅草=浅草寺の真裏あたりに建つ建物の中にあるこじんまりした劇場なのですが、大阪の花月とまったく違う雰囲気がします。

 ガンを発生させる大きな引き金の一つはストレスだそうですが、それを少しでも減らすには笑うにかぎるということで、家人も最近、この種の公演があると、すぐ誘いをかけてきます。私自身も、ストレスの怖さにはうすうす気づいているので、大きな支障がないかぎり、ほとんど二つ返事でOKし、どんどん行こうと思っているのです。

 ただ、吉本の本場・大阪と東京とでは、客のかもし出す雰囲気もかなり違うような気がします。なかには、最初から最後まで調子を出せずにいる芸人もいました。

 この日登場してきた若手の中でいちばん面白かったのはNON STYLEの2人。まだ十分若いし、キャリアもそれほど長くないのでしょう、ハナに出てきたのですが、呼吸はピタリ、テンポもよくて、ネタもユニークでした。去年だったか、NHKの「爆笑オンエアバトル」のチャンピオンになっていますが、そのうち、この2人、大きな賞を取るのではないかと思います。

 トリを取ったのは桂三枝でしたが、このあたりはもう大ベテラン。安心してすわっていられます。それにしても、なんだかんだいわれながらも、吉本はいい芸人を数多くそろえているものです。また大阪に行くのが楽しみになりました。

札幌で味わえるドイツ風のクリスマス

 『札幌学』も脱稿し、初校ゲラが出るまで、しばしひと息ついています。そんな中、取材を済ませていないイベントがあることに気づきました。本来、取材には1年通しての期間が必要なわけですから、11月から12月にかけてのイベントは、実地では体験していません。でも、この間に現地取材を済ませておけば、初校ゲラにそれを反映させることもできます。そこで、今回またまた札幌にやってきたしだい。

 最大の目標は「ミュンヘン・クリスマス市」です。今年は11月28日から12月24日まで、大通り公園にドイツのクリスマスを前面に出した店が10数店出てきて、関連の品々を販売、もちろん、ドイツならではの食べ物もあれこれ食べられるという内容です(www.city.sapporo.jp/christmas-market/vender.htmlを参照)。

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 ミュンヘンは札幌と姉妹都市提携をしており、「夏まつり」のときも、秋の「オクトーバー・フェスト」のときもさまざまな形で関わっています。しかし、このクリスマス市はほとんど独壇場といった感じになるので、ぜひ来てみたいと思っていたイベントでした。
 どの店も、クリスマスにつきもののリースやキャンドル、人形、ガラスの工芸品などを所狭しと並べています。私が行った日の夜は雪まで降り、雰囲気は最高でした。手がかじかんでしまうほど冷え込んだ屋外で、ドイツ名物のホットワイン(グリューワイン)を片手に、ときにはソーセージをほおばりながらあちこちの店を見てまわるうち、ドイツに行ってみたいなという気分がわき上がってきます。来年の夏、ベルリンで開かれる世界陸上選手権、かならず行こうと決めました。

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 イベントというのは、一見一過性のもののように思えますが、かならず、私のような思いを抱く人が出てきます。その意味ではまちがいなく情報発信の場であって、企業や自治体など、さまざまなところでさまざまなイベントが企画・実行されるのは理にかなったことなのです。
 ちなみに、ローストアーモンド(殻を取り除いた皮付きのホール状アーモンドを煎ったもの。香ばしい風味とカリッとした食感が特徴)というお菓子を初めて食べたのですが、とてつもなく美味でした。ぜひ一度お試しあれ。

標高2000メートルで雪体験

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 家族全員で、万座高原というところに行きました。うれしいことに、私の誕生日(11月26日)、私たち夫婦と長女の結婚記念日(どちらも11月23日)をまとめて祝おうというファミリーイベントです。

 8月の手術後、初めてのゴルフも体験できました。スコアはまるで関係なし、とにかく元気でグリーンを歩けたのが何よりの喜びでした。
 それにしても、ここの温泉は最高です。長野県でも、浅間山周辺の温泉はどこも皆、いかにも「おんせ~ん!」といった感じのお湯が出るところが多いのですが、万座はまた格別。湯の色はほとんど真っ白、ギンギンの硫黄臭も加わり、近づいただけでその気になってきます。

 標高2000メートルを楽に越えていますから、朝夕の冷え込みも格別。私たちが行った前日あたりから雪が降ったようで、道路にはかなりの積雪も見られました。
クルマも当然のことチェーンなしでは走れません。東京からたかだか200キロほどしか離れていないのにこうまで違うとは。そんなあたりにも、新鮮さを感じることができたのかもしれません。仕事も何もすべて忘れ、楽しい3日間を過ごすことができました。

WAHAHA本舗はハコが小さいから盛り上がる

 夕方、突然妻が「今晩、何かなかったっけ?」と口にしました。そう言われた私は、記憶の糸を懸命にたどります。そして、思い出したのがWAHAHA本舗の公演。新宿御苑の近くにあるシアターサンモールという小さな芝居小屋で、柴田理恵主演の舞台があった! というわけで、あわててタクシーに乗って劇場まで行きました。

 原作・演出は喰始、柴田理恵のほか梅垣義男と山本リンダ、白川和子が共演するという『ずっこけ一座の花道 女探偵・伴内多羅子シリーズ第4章』という出し物で、これがまた笑える笑える。そして、また泣ける。

 ストーリーは割愛しますが、小さな劇場で観たほうがいい舞台というのはやはりあるもので、これなどその典型でしょうか。

 私はここ15年ほど劇団ふるさときゃらばんの応援団員をしていますが、こちらもやはり同様で、小ぶりな劇場──といっても「ふるきゃら」の場合は700~800人くらいのキャパがいいのですが──だと、出演者と観客とで舞台というのができ上がる様子がホント、よくわかるんですね。

 新橋演舞場とかの大きくて本格的な劇場で観る舞台も、それはそれでいいのですが、こういう300人くらいの小さな劇場で観るのもまた、面白い感じがします。まあ、いずれにせよ、笑うというのは体にもいいわけで、その後で食べた焼肉のおいしかったこと! 結局、なんだかんだ言っても、私にとっての楽しみは「食べる」ことにしかないようで……。

生まれて2回目のヘリコプター体験

 『札幌学』の取材もいよいよ最後にさしかってきました。9月29日から10月12日までの2週間で、すべて終わらせなくてはなりません。すでに原稿のほとんどは書き終えていますが、それでも、いざ書き出すと、「あそこはどうだったっけ?」とか「こっち側は取材できたけど、天気が悪くなって逆サイドはあきらめた」などというところが出てくるものです。そこで、今回はそれを一気に挽回しようという取材です。

 宿泊先はいつものようにホテルオークラ札幌。ここはこじんまりした、手ごろなサイズのホテルで、しかも地の利が抜群ときているので、今年の3月からスタートした「札幌学」の取材では、ホント重宝しました。

 『札幌学』の取材先の多くをアレンジしてくださったNさんのはからいで、今回はなんと、空から札幌の街を見下ろすというチャンスにも恵まれました。なんと、ヘリコプターが私たちを乗せて市の上空を遊覧するのです。

L1020585 公園の中に都市=札幌が実感できる

 出発地の丘珠(おかだま)空港は、市内東区にある、「かわいい」という言葉がピッタリの空港。札幌から、函館、釧路など道内各地へのローカル便が飛んでいます。

 ヘリコプターに乗るのは、今回が生まれて2回目。最初に乗ったのは、大阪の伊丹空港から和歌山県の田辺まででした。このときは30~40分ほどだったでしょうか。最初から最後まで興奮しっぱなしで、じっくり観察する余裕などありませんでした。しかし、今回はその点が違います。これまで何度となく取材したあちこちのスポットを空から見るとどうなるか──。そんな楽しみすらありました。

L1020592_2モエレ沼公園も空から見るとその魅力がよくわかる!

 この日は、これぞまさしくヘリコプター飛行日和といってもいいくらいの、雲ひとつない快晴。隅から隅まで、札幌の街を見渡し、見下ろすことができました。それだけでも心が洗われるのに、空を自由自在に飛ぶ快感。人類が長い間夢見ていたのが、改めて実感できたように思いました。

「これで見納め」広島市民球場

広島カープは私にとってひじょうに思い出深い球団です。というのも、小学校3年生のとき、母親に連れられて行った当時の中日球場で、生まれて初めて観戦したプロ野球の試合が中日対広島だったからです。いまでも、3塁側内野スタンドから目にした、カクテル光線に映える鮮やかな芝生の色は頭の片隅に強く焼きついています。

 その広島(いまは東洋がつきます)カープが、今シーズンでその役目を終える広島市民球場で戦う“正真正銘のラストゲーム”を観にいきました。

 まずは、晴れたことに最大の感謝です。というのも、予定では、この日の東京ヤクルトスワローズ戦が「ラストゲーム」なのですが、万一、雨でも降ると、試合は中止です。また、それより1、2日前に予定されているゲームが雨天中止になると、全体としてスケジュールが繰り下がり、ヤクルト戦が「ラストゲーム」でなくなってしまう恐れがあります。
 もちろん、万一を想定し、“ラスト候補”2試合のチケットもいちおう購入してはいたのですが、日にちがズレると、広島に来れなくなる恐れもあります。今週は、週の初めから、天気予報をこまめにチェック、なんとか大丈夫そうだということで、今日の朝早く、羽田を出発、空路広島入りしました。

 試合は午後2時からでしたが、昼過ぎには球場へ。周辺一帯はもう興奮のルツボでした。当然、広島名物のダフ屋もいっぱい出ています。でも、来年、新しい球場がオープンしたら、彼らの姿も消えてしまうでしょう。
 ダフ屋が似合うというのも変ないい方ですが、とにかく広島市民球場というところは、いかにも古めかしいのです。外観はともかく、球場内は通路も狭いし、座席も前後のスペースが小さいため、移動するのもひと苦労。それでも、このラストゲームを見ようというファンでスタンドはいっぱいでした。

 老若男女という言葉がありますが、観客もまさしくそうした塩梅で、カープこそこの街のシンボルといったことがありありと感じられます。いや、シンボルというより、もはや生活の一部ではないでしょうか。地元にプロのチームがいることは、これほどうれしいことなのだと改めて実感しました。
 この球場の名物は「うどん」らしく、その出店には長蛇の列。私も、炭水化物ストップのドクター指令がなければ、まちがいなく列に並んだでしょう。

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 いかにも最後の試合らしく、試合開始前にさまざまなセレモニーがおこなわれましたが、残念なことに、こちらはそれほど感銘を与える内容ではありませんでした。1970年代半ばから80年代末までの赤ヘル黄金時代を築いた山本浩二や衣笠祥雄、水谷実郎、高橋慶彦、大下剛史、達川光男、長嶋清幸、野村謙二郎、水沼四郎、三村敏之、ホプキンス、シェーン、ライトル、ギャレット、小早川毅彦、正田耕三、江藤智、緒方孝市、木下富雄、北別府学、佐々岡真司、外木場義郎、大野豊、江夏豊、川口和久……。古くは白石勝巳、古葉竹識、安仁屋宗八、横溝桂、大和田明、藤井弘、森永勝也、山本一義、大石清、長谷川良平、備前喜夫、阿南準郎……など、主役、脇役を問わず、歴代の名選手に列席してもらうとかすればと、一段と盛り上がったにちがいありません。帽子をはじめカープのシンボルカラーをいまの「赤」に変え、それまでテールエンドだった広島カープのチームカラーをがらり一変させたジョー・ルーツ監督などにも声をかけてあげればよかったのにと思ったのは私だけではないでしょう。

 アメリカ大リーグのヤンキースタジアム、シェイスタジアム(どちらもニューヨーク)も今年限りだそうですが、かの地でこうしたイベントがおこなわれるとしたら、どのように盛り上げるのか、ふと思いました。

 たしかに、広島カープは、どこかの球団と違って、お金持ちではありません。でも、かりにその、どこかの球団がこの種のイベントをおこなうと仮定しても、今回のカープと大差ないのではないかという気がするのです。
 お金持ちであるとかないとかいうことではなく、野球、プロスポーツに対する考え方そのものが、日本の場合、まだまだ遅れているのではないかと思うのです。

最初のリハビリは、赤坂で歌舞伎見物

 高校時代の友人Yくんがここ2年ほどかけて取り組んでいた「中村勘三郎 赤坂大歌舞伎」がとうとう実現しました。TBSの敷地内につくられた赤坂ACTシアターに、昨夜それを観にいくことができたのです。退院してまだ1週間しか経っていませんいが、自分としては“リハビリ”第1弾といった思いです。

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 勘三郎はいま最高に乗っている歌舞伎役者だと思いますが、それより何より、病院というなんとも味気ない空間とはうって変わり、華のある空間に身を置くことができた喜びのなんと大きなことか! そのうれしさを味わえたのが最高の収穫でした。

 演目は「狐狸狐狸(こりこり)ばなし」といい、歌舞伎が初めてという人でも十分に楽しめるストーリーです。しかも、オチが二重三重になっていて、しっかり楽しむことができました。劇場自体は「常打ち」というにはいささか物足らない感じもしましたが、舞台そのものの面白さがそれも帳消しにしてくれます。

タバコをやめられないまま、明日退院

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 さすが、退院してから1週間ほどは、自宅で、ほとんど何もせずに過ごしました。スタッフの書いた原稿のチェック以外、プリントアウトを手にすることもありませんし、メールの返事を出す以外パソコンに向かうこともありませんでした。生涯初めての経験といっていいかもしれません。

 退院にあたり、担当の医師からは、術後の過ごし方に関しさまざまのアドバイスを頂戴しました。食事、酒、運動などの生活習慣、仕事に対する取り組み、リラックスのしかたなど、それは多岐にわたっています。タバコは「百害あって一利なし」で、手術を受けたのを機にやめるよういわれました。でも、それで「はい、わかりました」といってやめられるシロモノではありません。タバコにはやはり中毒性があるのです。
 といって、それ以上にひどい中毒性を持っているのが砂糖というか、糖質であることは意外と知られていないようです。実際、「糖質に中毒性がある」ということはだれも教えてくれません。一部、そうしたことを説く医師や栄養学者はいるのですが、そうした主張はなかなか浮上してこないようです。

 私が以前から信頼している医師は、そのことを主張してやまぬ数少ない一人です。だからというわけではないのですが、私も、タバコより糖質を断つことにエネルギーを向けています。もちろん、それはそれでむずかしいのですが、ここ1年ほど、米やパンに対する執着はほとんどなくなりました。

 たまに、仕事の付き合いで、やむを得ず米をほんのひと口、ふた口食べただけでも、その影響は顕著にあらわれてきます。まぶたが腫れぼったくなる、体が重い、眠たくなる……というのが主だった現象ですが、そんなとき「あっ、ヤバい」と感じます。糖質の中毒症状はタバコ以上であることを実感します。

術後2日目に歩き、3日目には原稿書き

 生まれて初めての入院、生まれて初めての手術を経験した2日後。体のあちこちにチューブをつけられ、それらを取りまとめるのに欠かせない車輪付きの器具をひきずりながら、院内を歩きました。なんでも、「安静にしている必要はありません。むしろ、無理してでも体を動かすようにしたほうが回復も早いですし、退院してからも楽になります」ということのようです。

 本当にこれが自分の体なのだろうかと感じつつ、ゆっくりゆっくり歩を進めます。5分も経つとあちこと痛みが出てきます。とくにメスで掻っ切った腹部の傷跡周辺のいたみといったら、もうたまりません。それでもあと少しあと少しと、自分を叱咤しながら10分間歩き続けました。健康であることのすごさを改めて感じずにはおれません。

 ベッドに戻ると、会社から「原稿の最終チェックを」ということで、スタッフがプリントアウトを持ってきました。読めばかならず、直したい箇所が出てきます。400字7~8枚の原稿に、大小取り混ぜ訂正指示が20箇所近く。頭だけはきっちり働いています。でも、逆に、そのことに感謝し、心はもう次の仕事に向かっていました。

 9月に上梓する『名古屋の品格』の「まえがき」を書きました。私が入院している病院の敷地はなんとも不思議なことに、江戸時代、尾張藩の下屋敷があった場所なのです。よりにもよって、これほど縁の深い場所で……ということに感慨を覚えつつ、あっという間に書き終えてしまいました。

 たしかに、私の仕事は因果な仕事で、体さえ動けば、どんな場所でもできてしまいます。手が動かなければ、口述筆記などという方法まであります(私には経験がないが)。病室に持ち込んだパソコンでワープロソフトを立ち上げれば、あとは頭に浮かんだことを次々打ち込んでいけばそれでいい。プリントし推敲を加え、それを入力し再度プリントしてチェック。それで問題なければ入稿です。

 入稿といっても、かつてのように原稿を直接編集者に渡すこともなければ、プリントアウトしたものをファックスする必要もありません。入力したデータをメールに添付して送ればそれで完了です。おかげで、いいことか悪いことかわかりませんが、私が編集者をしていたころに比べ、著者と顔を合わせる機会はめっきり減りました。

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世界遺産を観に、羽田からソウルへ

 7月13日から16日まで、韓国に行きました。目的は世界遺産のひとつである水原(スウォン)の城跡を観ることです。前々回行ったときも観たいと思ったのですが、ソウル市内から行くのがけっこう面倒くさそうだったので、そのときはあきらめました。そこで今回は、ホント久しぶりに「ツアー」に申し込んだのです。羽田から行けるというのも魅力でした。

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 たしかに、自宅から成田まで2時間もかけて移動し、そこからまた2時間以上飛行機に乗って、着いた先はソウルではなくインチョン(仁川)。インチョンからソウルまでさらに1時間。これはなんともバカバカしい感じがします。
羽田なら自宅から1時間ほど。そこから2時間弱でもうソウルの金浦空港なのですから。近ごろは上海にも羽田から行けるのでかなり楽です。つい何年か前までは、台北へは羽田から行けたのです。それが、チャイナエアラインの便が成田発着に変わってしまったため、それもできなくなってしまいました。

でも、台北や香港、マカオ、北京や杭州など、東アジア各国・各地のような近場には羽田から行けるようにしたほうがはるかに効率的です。欧米はこれまでどおり成田からでいいでしょう。どうせその後10時間以上も飛ぶわけですから、成田までの2時間も、たいして負担には感じません。むしろ、「さあ、外国に行くぞ!」という高揚感をさらに高めてくれ、「非日常」への移動を演出するにはもってこいかもしれません。

 台北や香港、マカオなど4時間もかからないのですから、成田まで行くのは消耗感が先に立つばかりで、疲れが先に来てしまいます。それが今回はないわけですから、出発前から気持ちも軽く、これはいいなと思いました。胃にガンを抱えていてもそうでしたから、100%健康なら、もっとよかったでしょう。

 でも、飛行機に乗れば、ガンのことなどすっかり忘れてしまいました。まして、外国に出向いているわけですから、「日常」とは大きなへだたりがあり、ますますそうした意識は薄まります。これほど「非日常」を強く感じさせられた経験はなく、ガン発見よりも前に決めていた韓国ツアーですが、いつも以上に新鮮味を感じたしだい。

病気は、ひとり治そうと思わないほうがいい

 先月末から沖縄に来ています。長男一家が早めの夏休みを取って遊びにやってきました。西海岸に点在する数多くのリゾート地のうち、ブセナテラスというところを選んで長男一家とともに2泊しました。

 胃ガンの宣告を受けてからまだ半月もたっていません。気持ちは相変わらず、不思議なくらいフラットのままです。医師の話では、「死」というものを意識させられるほど差し迫ったステージにまで達していないようなので、それが幸いしているのかもしれません。でも、時間をともに過ごす家族がいるだけでも自分は恵まれているのだということを痛感しました。

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 東シナ海に沈む夕日をバックに、私たち夫婦と長男一家とで交互に写真を撮り合ったりしたのですが、なんだか胸が熱くなってきました。病気と闘うのは自分ひとりだけじゃない、妻もいれば、同じ屋根の下に住んでいるわけではないけれども、長男の一家もいる。娘夫婦もいる、次男もいる……。そう思うと、胸の中につかえていたものがすーっと消えていきます。生まれて初めての経験です。

生まれて初めての胃カメラでガンが見つかる

 一昨日から昨日にかけ、1泊2日で人間ドックに行ってきました。生まれて初めて胃カメラなるものを飲みました。それで、なんと「胃ガン」が見つかったのです。大きさは4センチ弱で、かなりのものです。

 それにしても胃カメラに写った自分の胃の中を自分の目で見るというのは、なんとも奇妙な経験です。もう10年以上前のこと、大腸の内視鏡検査を受けたときと同じくらいの衝撃を受けました。ましてや、それでシロウト目にもわかるくらいのガンが見つかり、しかもそれを自分の目で見られるというのは、なんというか……。

 まさか、この自分がガンになるなんて、驚きです。ほかの人はなっても、この自分だけは絶対に、そうした病に冒されることはあるまいと思っていましたから(もちろん、なんの根拠もないなのですが)。

 でも、医師からその旨を告げられたとき、「よし、自分の運命として受け容れよう」と、不思議に覚悟が決まり、ほとんど動揺しませんでした。ガンの怖さは、知識として、あるいは情報としてはイヤというほど知っているつもりでした。でも、いざそれが自分自身の体に発症しているとなると、そうした知識や情報は、まったく意味を持たないことにも気づかされました。

 自分の体は、自分がいちばんよく知っているようでいて、実際にはまったくわかっていないものなのです。幸か不幸か、いまはインターネットという道具があります。さっそくガンについて調べようとすると、あまりに膨大な量の情報に圧倒されました。それだけで、もうメゲそうになります。それでも……と思い、片っ端からクリックして目を通すのですが、同じことについて人ぞれぞれ、それは医師であろうが患者であろうが、ことごとく異なる内容のことを伝えています。

 そのうち、こんなことをいくら続けても意味がないと思いはじめました。医師を信じ、家族を信じ、友人を信じるしかないのではないか。そして、何より、自分自身を信じようと最後、決めました。そのとたん、急に気持ちが楽になりました。

ゴミの集積場がユニークな公園に変身

 5日から始まった札幌取材を終え、東京に戻りました。この1カ月で、5月21日、28日、6月11日と3回もゴルフをしました。6月6日もプレーする予定でいたのですが、あいにくの豪雨でキャンセルせざるを得なくなってしまい、本当なら4回、平均すると週1ペースでプレーするはずでした。自分でも驚くほどの熱中ぶりです。でも、それくらい、沖縄でのプレーが私を変えてしまったのです。

 沖縄から大阪に立ち寄り、打ち合わせをした後帰京したのが5月17日。その翌々日には、東京でプレーするとき用にと、新宿の中古ゴルフ用品店に行き、沖縄でのできごとを話しながら、またまた安く道具を買いそろえました。その2日後、埼玉県の石坂カントリーというゴルフ場でプレーしたところ、18ホール中15ホールでスコアがつけられるという私にとっては生まれて初めての快挙を達成できたのです。赤飯でも配って差し上げあげたいような気分でした。

 5月28日は札幌の羊ヶ丘カントリーというゴルフ場。北海道のゴルフ場がすばらしいのは、とにかくフェアウエイが広いことです。あちこちのゴルフ場に行くほどのキャリアは持ち合わせていない私ですが、そんな私から見ても、北海道のゴルフ場は雄大な大人の遊び場といった感じです。どのティーグラウンドからも、ほとんどグリーンのフラッグが見えます(左右に曲がっているコースなど、まずありません!)。それゆえOBもほとんどないわけで、これは初心者にとってはありがたい限りです。この日も気分よく打ち終えホールアウトできました。

 それにしても、宿泊していたホテルから地下鉄とタクシーを乗り継ぎわずか30分ほど(!)で行けるのですから、それだけで感動ものです。埼玉の石坂カントリーも自宅からクルマに乗ってドアトゥードアで1時間。これでも近いほうだといわれますが、その比ではありません。
ただ、北海道のゴルフ場は一般に、11月から4月半ばごろまでは積雪のため営業休止となります。そのことを別にすれば、スコアに関係なく爽快な気分でプレーできるという点では全国でも屈指なのではないでしょうか。

 サラリーマンが転勤したい都市のランキングで、札幌は福岡と並びかならず1位か2位になります。その理由がよくわかるような気がしました。おそらくは単身赴任でほとんであろうサラリーマン諸氏にとって、首都圏などの自宅に戻らないときの週末、ゴルフは最大の楽しみでしょうから。

 そんな札幌をいま、私は取材しています。今回の取材で行った「モエレ沼公園」というところは、なんとも素晴らしい魅力に満ちた場所でした。もともとは川っぷちにあるゴミの集積場だったところを公園に作り替えてしまったのです。それもハンパな公園ではありません。イサム・ノグチという日系アメリカ人の彫刻家が全体をプロデュースしたのですが、何度行っても飽きが来ないようになっているのです。

L1020254_2  小高い山に広々とした広場、野外コンサート場があり、野球場に陸上競技用のグラウンド、ガラスづくりの資料館・レストラン+管理棟、水遊び用プール、噴水、春になると桜の生い茂る森など、そんじょそこらにはないような公園です。イサム・ノグチが生前、実現できなかった夢のすべてをモエレ沼公園で形にしたといってもいいでしょう。

 私が行ったのは、いまでは札幌のイベントの双璧を成す「YOSAKOIソーラン」の最終日の昼間でしたが、それでも大変なにぎわいでした。そうしたたぐいのイベントがない日曜日など、駐車場は早い時間から満杯とのこと。札幌に行かれる方はぜひ一度、足を運んでみてはいかがでしょう。

オペラを観にくる客層

 前日、札幌から帰京。今日は上野の東京文化会館にオペラを観に行きました。あいにく、前の日から降り続いていた雨で、着ていく服にそれほど配慮することができませんでした。でも、オペラというのは、好むと好まざるとにかかわらず、そういうことを考えなくてはならない代物なのです。歌舞伎とオペラに共通しているのは、その点にあるといっても過言ではなさそうです。違うのは、オペラのほうがチケット代がべらぼうに高いことでしょうか。歌舞伎のような「ちょい立ち見で」といった席も、オペラにはありません。

 そんなオペラに、大枚はたいて行ったのですから、肩が凝るのはしかたないかも……というのが正直な思いでした。でも、実際に観てみると、これがけっこう楽しめるのですよ。歌舞伎も、日本語なのに現代人には理解できない台詞が多いので、ときにイヤホンガイドのお世話になることがありますが、そういう意味ではオペラも同類かもしれません。
出演者は皆外国人で、台詞はイタリア語だったりドイツ語だったり。舞台の両サイドにプロンプターというのでしょうか、台詞を日本語に訳した文字が流れ出てくる電光掲示板のようなものが用意されているので、ストーリーもほぼ理解できるわけです。まあ、演し物によっては、内容がほぼ想像できる場合もあるようですが。

 いまさらながら驚いたのは、観客の素性がふだん私のような者が接している人たちとかなり隔たりがあるということです。自分で楽器をひいたり歌を歌っているとおぼしき、いかにもといった感じの人も多いのですが、「趣味 オペラ鑑賞」これはもう“別人種”といったほうがよいかもしれません。

ゴルフにハマりつつある今日このごろ

 11日から沖縄に滞在しているのですが、昨日はゴルフをしました。ゴルフなるものを、自分でもやってみようかと思ったのは55歳を過ぎてから。それでも、さしたる意欲はなく、自分で道具を買い揃えてみようと思ったこともなければ、ましてや自分からゴルフ場に行きたいと思ったこともありません。だいたい、ゴルフなんぞにうつつを抜かす人の気が知れなかったのです。それと、なぜか小さなころから、ピンポンとか小さな球は苦手で……。

それが、なぜに、突然?

 4月30日に、ほぼ半年ぶりくらいでクラブ(これももらいもの)を手にしたのですが、スコアカードをつけるまでもないような、全ホール“アンカウンタブル”の結果。ただ、その日の夜、せっかくお金を出し、貴重な時間を費やして遊ぶ以上は、何か楽しみを得られないと……と、ふと思ったのです。「モト」は取りたいなというという、名古屋的な発想といってもいいでしょう。

 そして沖縄に入ると、すばらしくさわやかな天気。こういうときにゴルフなんかすると、きっと楽しめるんだろうなと思ったものの、グリーン上での悪戦苦闘ぶりを思うとためらってしまいます。でも、もちろん、道具など持ってきていません。そこで、とりあえず中古品でいいから揃えてみようかと思い立ちました。インターネットで検索すると、沖縄にも中古のゴルフ用品店がいくつかあります。その中で、分室のあるところから近い店を選び足を運んでみました。

そこで出会ったスタッフが、実にすばらしい人だったのです。これまでの実情を正直に話すと、「たしかに、初心者のうちは道具に支配される部分が多いですね。自分の力、体格に合わない道具を使うと、おかしなクセができちゃって、その後進歩しなくなりますから」とのこと。なるほどと思いました。

とりあえず「いまの自分に合ったものをそろえたい」とお願いしました。中古のゴルフ用品店には珍しく、試打ができるコーナーまであります。そこで、スイングらしいことをしてみせると、そのスタッフは何本か、私に合っていそうなクラブを持ってきてくれました。そして、次々と試し打ちをし、ドライバー、ユーティリティー、アイアン6本、サンドウエッジ、パターと全部で10本のクラブを選んでくれました。靴やら手袋など、プレーに必要なものをそろえ、なんとなく高揚した気分で店を後にしました。

それからゴルフ場を自分で予約し、15日にグリーンに出たのです。サザンリンクスという、どのホールのティーグラウンドからも海が見えるような、いかにも沖縄らしさに満ちたコースでしたが、自分でも信じられないくらいのプレーができました。まあ、楽しかったこと楽しかったこと。第一打がまっすぐ、そしてある程度遠くまで飛んでいくことがこれほど気持ちのいいことだとは! 後で聞くと、けっこうレベルの高いゴルフ場だったようですが、そんなことは関係ありません。プレーする人が楽しめれば、それでいいのです。

この経験を機に、しばらくゴルフに真剣に取り組んでみようという気持ちになったのはいうまでもありません。「弘法は筆を選ばず」という言葉がありますが、ゴルフ初心者にとっては、「道具がプレーヤーを選ぶ」のだと思ったしだい。

「リゾート」の意味するもの

 福岡から東京に戻った翌7日、今度は札幌に飛びました。来年のいまごろ刊行予定の単行本の取材です。明日はまた沖縄に移動します。

 沖縄・那覇に会社の分室を設けて9カ月。この間、何度も足を運びましたが、来るたびにさまざまな新しい発見があります。「時間がスローに流れる」という言葉を最近よく見聞きしますが、それを実感するのもその一つです。

 クルマで走っていても、首都圏のように「急(せ)く」ドライバーのなんと少ないことか。信号が黄色だと、たいていのクルマが停車します。赤に変わっても強引に進むクルマが多い首都圏などとはまったく違います。優先権のない通りからメインの通りに出ようとするときなど、驚くほどの寛容さで道を譲ってくれます。クラクションの音もめったに耳にしません。

 東京に長く暮らしていると、あわてない、急がないという暮らし方を、すっかり忘れ去ってしまっているのですが、そのことの不健全さを改めて実感するのが沖縄といっていいでしょう。

 東京から来るときは、ふだんのクセというか習慣で、つい多くの仕事を持ってきます。高い送料を払って、段ボール箱にぎっしり資料を事前に送ったりもしました。ところが、那覇の空港に降り立ち、その空気に触れたとたん、仕事モードは消えてしまいリラックスモードに支配されます。そこがまた、リゾート地・沖縄の魅力なのかもしれません。
「リゾート」という言葉の語源はフランス語の“resortir”で、「再び出かける」という意味だそうです。一回こっきりで終わるのでなく、何回でもそこに行きたくなる場所──ということでしょうか。そして、その地でもう一度自分を取り戻す、もう一度自分を見つめ直す。それを実現するための空気というか土台というか、そんなパワーを秘めているのが「リゾート」なのではないかと思います。

 だとすると、そういう場所に「仕事場」を設けること自体、なんだか矛盾しているような気もします。ただ、私個人についていえば、オフィスだろうが取材で出向く出張先だろうがリゾート地だろうが、そこにはいつだって「仕事」があります。どう理屈をつけようが、それから逃げることはできません。逆に言うと、どこでも、いつでもできてしまう仕事なのです。
 ただし、仕事モードの中で仕事をするのと、リラックスモードの中で仕事をするのとでは、おのずと中身が違ってくるかもしれません。来るたびに「自分を取り戻し、自分を見つめ直す」ことができるのですから、心強いことこの上ないとも言えます。その強みをこれから先の仕事に生かしていきたい、そんな殊勝な(笑い)ことを思いました。

これぞ絶品! の「たい焼」を発見

L1020157_2  今日、福岡から東京に戻りました。 福岡は雑誌の取材で行っていたのですが、取材先のひとつで感動した店があります。それは「日本一たい焼」という、その名のとおり「たい焼」屋です。取材でお邪魔したのは太宰府市にある本店で、1年間でなんと四百数十万個も売り上げるというのですから、ハンパではありません。もちろん、ここだけでなく、九州と大阪にある14店舗の合計ですが、それにしても、各店で1日千個以上は売っているわけで、それには確たる理由があるのでしょう。

 どの店も駅の近くではなく、ロードサイドにあります。そのため客は皆、クルマで買いに来るのですが、駐車場が何十台分もあり、土日・祭日ともなると、そこがギッシリ埋まるほどです。それくらい人気があるということでしょう。

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  この店のキャッチフレーズは「たい焼にも天然モノと養殖モノがある」。魚のタイも、天然もののほうが養殖ものよりはるかにおいしいのですが、同じたい焼でも、この店のものは、他の店に比べそれくらい差があるということを主張しているのでしょう。あんこを小麦粉で包んで焼いただけの単純なお菓子ですが、この店のたい焼は、もう頭のてっぺんから尻尾の先まであんこがびっしり。粉の部分はほんのわずかで、その皮がまたカリカリしているのです。身を二つに割るとポワーと湯気がでてきますが、そのにおいを楽しみながら舌をホコホコいわせながらあんこを口にすると、もうたまりません。

私自身、根っからのあんこ系(それも粒あん!)には目がないものですから、たい焼も大好きアイテムのひとつなのです。望むらくは、「日本一たい焼」が、東京近辺に店を出されんことを!

毎日が「ハレ」の日だといいのに……

 名古屋から那覇へ飛び、3月2日から福岡で雑誌の取材に明け暮れています。福岡も、ちょっと来ない間に大きく変わっており、驚きました。もともと舌の肥えた人が多く暮らしているので、飲食店の盛衰はめまぐるしいのですが、それにしても、まあ、よくぞこれほどまでにと思うほど、新しい店が次々とできています。

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 しかし、そうした中で何十年も続いているというのはやはり胸を張っていいでしょう。中洲にあるバー「七島」もそのひとつです。ちょうど、今回滞在していた3月3日に、開店50周年を迎えたというのですから、たいしたものです。その日の西日本新聞(夕刊)にも大きく報じられていましたが、オーナーの七島啓さんはすでに76歳。本当はとっくの昔に引退するつもりだったようですが、いまなお矍鑠(かくしゃく)としており、2人の娘さん(最子さん、理子さん)とともにカウンターの向こう側に立ち、シェーカーを振っています。
この店で以前、バーテンをしていた方が独立し、すぐ近くで、バーを開いている(これがまた出色の店なのです!)のですが、その店では、師匠が50周年を迎えたその日を祝うとともに、敬意を込めて、「七島」のコースターを使っていました。それを見て、なんともほほえましいというか、こういうことがさりげなくできる弟子を持った師匠をうらやましく思いました。

 福岡というところは名古屋などよりはるかにスマートな都会です。名古屋的な田舎の部分もけっこう残っているのですが、その一方で、とにかく「遊び」を大切にするというか、遊びの価値をよくわかっている人が多いので、遊びにいった人も心地よく過ごせるところなのです。「ハレ」と「ケ」という立て分けがありますが、福岡は年がら年中「ハレ」といってもいいようなところがあります。名古屋の場合、そのあたりはきっちり峻別されており、「ケ」のほうに重みが置かれています。そのため、数少ない「ハレ」の場ではドカーンと一発とばかりに大騒ぎする傾向があるのです。
もちろん、どちらがよくてどちらが悪いということではありませんが、人間やはり「ハレ」の時間が多いほうが、何ごとにつけエネルギーも高まると私などは思うですが、いかがでしょうか。

名古屋人の気づいていない名古屋の誇り

一昨日から名古屋に来ています。24日は東海テレビの生番組「ニュース+(プラス)」に出演し、昨日は名古屋JC(青年会議所)の定例会で企画されたパネルディスカッションに出席しました。これまで何度かテレビには出演する機会があったのですが、私としてはやはり生のほうが性に合っている気がしました。というのも、録画だと、打ち合わせやリハーサルが何度もあり、そこで話したことを本番のときに話すと、自分自身の内部ではほとんど新鮮みを感じないため、いまイチ迫力に欠けるのです。

しかし、生放送だとそういう心配はありません。もちろん、事前の打ち合わせになかったテーマがその場で突然出てくることもあるのですが、それはそれで面白さがあります。見ている人も、同じことを感じるのではないでしょうか。局としては、録画のほうが編集も利くので、完成度は高くなるのかもしれませんが、「つくられた」という印象はどうしたってぬぐえない気がします。

一方、パネルディスカッションのほうは、生も生、その場の丁々発止ですから、面白いことこの上ありません。「名古屋人よ、自信を持て」というテーマで、メジャーなようでなかなかメジャーになり切れない「名古屋」、そこに住んで仕事をされている人たちも、そうした呪縛から抜け出せないという現実をなんとかできないかというのが狙いと聞いていました。
司会は地元のフリーアナウンサー渡辺美香さん、パネラーは大垣相互銀行共立総合研究所の主席研究員・江口忍さん、漫画家の江川達也さん(『東大一直線』)、そして私の3人です。江川さんなど、当日、開会前に控室で紹介され懇談しているときにわかったことですが、小学校・中学校が私と同じで、住まいも、私が当時いたところから目と鼻の先、町の名前、丁目まで同じで、番地が3つか4つ違うだけでした。たまたま世代が違うので、通学時期は重なっていないのですが、そこらの原っぱで顔を合わせたことがあったのかもしれません。

江川さんも私も名古屋をとうの昔に離れてしまっており、いうならば例外的存在です。逆に、いまでも同じ名古屋に住み続けている人の場合、こうしたパターンはけっして珍しくありません。そのため、名古屋ではお互いに知り合いどうしということが非常に多いのです。その実態を知ると、名古屋がとてもではありませんが、人口が二百万人を超える大都市だとは思えないでしょう。近ごろ大流行している“隠れ家風レストラン”などというものは名古屋には存在し得ないと私は思っています。

でも、逆に考えると、名古屋のよさも、またそうした部分にあります。田舎と同じような、それこそ「隣の晩ご飯」の中身まで互いに知っているようなベタベタの間柄がいまでも存在している、それも大都市はそうそうあるものではありません。それにより、いまや全国的にも影が薄くなってしまった地域共同体も維持されているわけですから、そのことを誇りに思ってもいいのです。

沖縄と台湾の近さに、リアルな驚き

 2月9日から昨12日まで、台湾に行ってきました。といっても、那覇・台北の往復だったので、飛行時間は片道1時間半です。行きなど、1時間の時差があるので、タイムテーブル上はたった35分しかかからないわけで、沖縄と台湾とがいかに近いかを実感させられます。東京にいるときと同様、寝る前の時間帯、沖縄でNHKの「ラジオ深夜便」を聴いていると、かなりの強さで台湾のラジオ放送がかぶって聞こえてくることからもそれはよくわかります。

 台湾は2年ぶりでしたが、2月に訪れたのは初めてで、沖縄より寒かったのには驚きました。今回の目標は昨年開通して人々の間で大変な人気の新幹線(台湾高速鉄道)に乗ることです。台北と高雄をわずか1時間40分ほどで結ぶ新幹線の完成で、航空会社の国内線はどこも皆乗客が激減し、青息吐息の状況のようですが、実際乗ってみると、その快適さは日本以上といっていいかもしれません。車両は日本のものをそのまま使っていますから、台湾に来ていることを一瞬忘れてしまいそうです。

 高雄は初めて訪れた町ですが、日本の植民地だった時代の名残が台北以上に残っていますし、何より、町の中心部を川が流れているので、情緒を感じさせます。これは私の持論なのですが、川の流れている都市というのはどこか風情があります。夜ともなると、川べりの建物の灯りが水面に写り、よけいです。
 川の名前は愛河。両岸はきれいに整備されていて、夜な夜な若い恋人たちがまさに愛を語らう場としてうってつけのようです。

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 私たちが行った日の2,3日前に市内初の地下鉄が開通したようで、無料で試乗することができました。台北のそれと同じく、地下鉄の駅はどこも外光を取り入れるように設計されているので、とても開放的な雰囲気がします。日本の地下鉄も見習うといいのにと思います。

 台湾ではこれまで台北と台南しか行ったことがありません。しかし、台南よりははるかに人口も多いのに、高雄はとても落ち着いた感じがします。台北のような顕著な騒々しさはありません。サイズが適当というか、あくせくしたところがないのでしょう。港町特有の大人っぽい感じが印象的でした。

生まれて初めての砂糖作り体験

 一昨日から3日間、宮古島を旅しました。「旅」といっても、今回は個人旅行ではなく、私が以前から応援している「劇団ふるさときゃらばん」の追っかけ・応援ツアーです。だいぶ昔の話ですが、岩手県の紫波(しわ)というところまで同じような追っかけツアーに参加したことがあるのですが、今回は久しぶりでした。

 沖縄に拠点を設けたからのことなのですが、宮古島は沖縄本島とはまた異なる文化、風土があるようです。サンゴ礁に囲まれている島ですから、海岸はもうすばらしく美しいですし、何より島そのものがサンゴの化石でできているというのが驚きです。

 農業も、本島とは違い、もっぱらサトウキビ作りによって成り立っています。いまはちょうどその刈り取りの季節で、これがまたとんでもない重労働だと聞きました。畑での刈り取りを手伝うという当初の企画は結局ボツになってしまったのですが、刈り取ったサトウキビを製糖工場(といっても家内制手工業)で機械にかけて樹液を搾り取る作業のお手伝いをさせてもらいました。

L1020069  生まれて初めての経験で、大変さよりも面白さのほうが先に立ってしまったのですが、機械に通すと、茎に含まれている砂糖成分を含んだ液が搾り取られ外側のカスが排出されます。第一段階はその液をためていくのですが、それを工場の人がなめさせてくれました。なんとも甘いというか、ススキの巨大なおばけのようにしか見えないサトウキビのどこに、こんな甘い成分が隠されているのだろうかと、不思議でなりませんでした。

 不純物を取り除きながらそれを熱して、徐々にエキスを抽出していきます。最終段階でドロドロになった絞り汁を攪拌しながら乾燥させると、それが茶色をした砂糖の塊に変わっていくのです。それをひと口いただいたのですが、うまいことうまいこと! 「添加物も何も入っていないから、これはいくら食べても太りませんよ」という工場の方も話していました。ふだんだったら考えられないくらいの量を食べたのですが、胸焼けひとつしません。やはり天然自然のものだからなのでしょう。
 以前もこのブログに書きましたが、タバコや砂糖など、体にはあまりよくないといわれているものでも、天然自然であればまだ救いはあるようです。

相撲協会に疑問符

 一昨日、昨日と2日連続で大相撲を見に行きました。昨日の観戦は昨年、チケットの売り出しと同時に購入していたもの。今場所から横綱朝青龍が復帰するので予想はしていたのですが、それをはるかに上まわる勢いでチケットは売れたようで、この日の分しか取れなかったのです。ところが、ひょんなことから一昨日(20日)も相撲を観ることになり、結局連日の国技館行きとなりました。

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 しかも、一昨日は正面土俵下のたまり席だったので、大変な迫力でした。横綱の土俵入りも、目の前7、8メートルの距離ですから、それこそ汗のひとしずくまで見ることができます。対戦に負けた力士が土俵下にもんどりうって落ちたときの地響きも体感できました。
テレビ中継のアナウンサーがよく口にする「時間いっぱいとなり、最後の仕切り。両者、体が真っ赤に紅潮してきました」というのも、そのとおりだということがよく分かります。そうした意味では、あらゆるスポーツのなかで、もっとも至近距離で一部始終が見られるという点では相撲が最高といっていいでしょう。

それにしても、大相撲は昨年1年、朝青龍の欠場、時津風部屋の不祥事など、ホント悲惨な状況でした。明るい話題といえば、白鵬が横綱に昇進したことくらいで、これでは客足が遠のくのも当然です。それでも、協会関係者は朝青龍個人の問題、時津風親方だけの責任と言うばかりで、自分たちが反省している、対策を講じなければいけないなどといった言葉はただのひとこともありませんでした。

しかも、朝青龍が復帰したとたん、一気に観客が増えるのですから、ますます増長してしまいそうです。私自身、いまの理事長(北の湖)が横綱を張っていたときも、個人的には好みの力士ではありませんでしたが、この1年で、それにますます拍車がかかってしまいました。時津風部屋で、まだ17歳という若手力士が命を落としたにもかかわらず、遺族のもとに理事長が駆けつけなかったときはホント腹が立ちました。正直、「おいおい、そういうもんじゃないだろ」と言いたかったのです。

巨人軍の人気に過剰に負っていたプロ野球もそうですが、偏頗な構造を温存したまでは、大相撲もいずれ廃れてしまうのではないか、そんな危惧すら抱いています。それが杞憂に終わることを祈っていますが、相撲協会はもっともっと考え直す必要があるのではないでしょうか。

沖縄の大動脈・国道58号線

L1010972  高速道路で沖縄本島最大の観光スポットのひとつ「美(ちゅら)ら海水族館」に行ってきました。ギネスブックにも認定された世界一という水槽の迫力はハンパではありません。深さも建物でいえば3フロアー分に匹敵しますから、上から見ても横から見ても下から見ても大きいのなんの。真上から見るコースは予約をしないとかなわないそうで、今回はあきらめましたが、これは次回のお楽しみということで。

 すぐ近くにある今帰仁(なきじん)城跡にも足を伸ばしました。高原(といっても標高は100メートルにも満たないでしょう)の上にえんえん続く城壁を見ると、その当時(13世紀初めごろといわれる)としては大変な事業だったことが想像されます。内地の城とはまったく異なり、天守閣があったわけでもありません。しかし、その城を中心に大きな集落があったわけで、琉球王国の力が並々ならぬものであったことはよくわかります。
 その帰り道に通ったのが沖縄の大動脈・国道58号線。片側2~3車線(ときには4車線)の、それはそれは立派で走りやすい道路で、ほとんどアメリカの感じがします。東シナ海に沿って走る道で、交通量も首都圏のようにベラボウに多いわけではないので、快適そのもの。沖縄の人々の感性が鷹揚なのは、こういうところをいつも走っているからだろうなと、納得させられます。

南に下っていくにつれ、それまで小高い丘が続いていた陸側が突然平地、それもえらく広々としたエリアに変わってきます。ただ、道路との間は厳重なフェンスで隔てられており、そこが米軍基地(嘉手納)であるとわかります。走っても走ってもフェンスは続き、基地の大きさは想像を絶するものがあります。
いったんはそれが途切れるものの、またしばらくすると今度は普天間の基地、さらに南に下ると、海側に牧港(まちなと)の軍港。沖縄の人々は好むと好まざるとにかかわらず、いまなお「戦争」と隣り合わせで生きていることを改めて感じました。

沖縄というところの不思議さ

12月23日から沖縄に来ています。例年よりも暖かいそうですが、それにしても、この季節に半袖(ときには半パンもOK)で過ごせるのはなんともありがたいものです。

さて、これまで何度か来たものの、那覇市内から足を踏み出す機会がなかったのですが、昨日は初めて南部のほうに足を延ばしてみました。クルマに乗って国道331号線を走ったのですが、途中、両サイドにシュロの木が立ち並ぶところもあり、とても日本とは思えません。目的地は世界遺産にもなっている斎場御嶽(セーファウタキ)、平和祈念公園、ひめゆりの塔でしたが、なかでも斎場御嶽はなんとも不思議なところでした。

御嶽(ウタキ)とは琉球古来の聖地、本土でいえば神社のようなところの総称です。それぞれの地域にかならずそうした場所があるようで、昨日行った南城(なんじょう)市にあるのもそのひとつです。なかでも、ここ斎場御嶽は琉球開闢(かいびゃく)の神=アマキヨミが定住したとされており、ほかの斎場より格が高いとされています。

見た目はうっそうとしたただの林なのですが、中が六つのエリアに分かれています。ご神体を祀る神殿や鳥居こそありませんが、岩穴、あるいは鍾乳石など、自然そのままの場所がそれぞれ役割を持っており、そこにいるだけでなんとも不思議な気持ちになるのは、やはり聖地とされるゆえんでしょう。

いちばん奥にある三庫理(サングーイ)は拝所でもあるのですが、そこから東を見るとアマキヨミが降臨したという聖地中の聖地・久高島(くだかじま)を望むことができ、思わず手を合わせたくなります。那覇市内にとどまっているだけではけっして見えてこない沖縄、いな琉球という別世界を肌身に感じることができ、来て本当によかったと思いました。

その後に訪れた平和祈念公園も、修学旅行の生徒がかならず見学に訪れる場所のようですが、戦争の悲惨さをいやというほど感じさせられる意義ある施設といえます。沖縄はご存じのように、太平洋戦争中ただひとつ国内で戦闘がおこなわれたところです。若いうちにこうした場所を訪れることの意味を改めて問う必要があるでしょう。資料館内部の展示は一つひとつがていねいにつくられており、戦争の悲しさ、むごたらしさをいやというほど訴えてきます。これまでもこうした施設、展示を何度となく見ましたが、ここほどそれを深く感じさせられるところはありませんでした。

太平洋に面している施設全体のロケーションもさることながら、資料館の建物や公園の造作もすばらしく、そうしたものを目にすると、平和であることに対する感謝の気持ちが心の底から湧き上がってくるのは、けっして私だけではないでしょう。
沖縄は47都道府県のひとつでしかありませんが、そこはやはり本土とはまったく異質の風土、文化を感じさせる空間です。この地で長い時間を過ごせば過ごすほど、これまでつちかった感性と異なるものを得ることができるのではないかということを実感できた1日となりました。

初めての「着物」体験

L1010795  ホーチミンシティで2日間を過ごし度肝を抜かれた私たち。次の滞在地はマカオです。7月に訪れたばかりのマカオですが、また新しい大型カジノリゾートホテル(ヴェネチアン)が開業しており、一段とにぎわっていました。

 私たちが泊まったのはヴェネチアンと同じくラスベガスにもあるウィンです。事前に予約していたのはスタンダードの下手だったのですが、チェックインを済ませ部屋のドアを開けてみると、どうしたわけか、そこはスイートルームでした(料金は同じ)。145平方メートル(40畳を超える、バーカウンターバーまで付いたリビングに12畳ほどのバスルーム、マッサージ室まであります)というとてつもない広さの部屋にそれまでの疲れも一挙に吹き飛び、興奮のあまり、思わず写真を撮りまくってしまいました。

 マカオに2泊したのち12月6日に香港経由で関西空港に戻り、その日は京都に泊まりました。翌日、南座の「顔見世」を観賞するためです。京都で歌舞伎を観るということで、着物を着ていくといいのではと勝手に盛り上がっていた私。妻とともに以前から親しくさせていただいている着物屋さんにお願いし、2人一緒に着付をしてもらいました。歌舞伎が始まるのは午後4時過ぎですが、午前中には着付が終わり、昼食はそのスタイルで食べることに。

L1010832  最初のうちは慣れないため歩くのもおぼつかない状態でしたが、2時間ほど経つと、歩くくらいはなんとかこなせるようになり、段差のあるところも苦にならなくなりました。しかし、江戸時代までは、男も女もこんな姿をして活動していたわけです。おそらく、時間が過ぎていくスピードも根本的に違ったのではないでしょうか。近頃「スロ-ライフ」という言葉をよく耳にしますが、本来の「スローライフ」などとはほど遠いのではないかという気がします。
 それはともかく、南座は東京の歌舞伎座に比べるといかにも小ぶりでした。でも、サイズとしては適正規模というか、観るにはちょうど手ごろな感じがします。歌舞伎にせよなんにせよ、演劇を楽しむ場合、あまり広すぎる空間は考えものです。舞台上で役者がかもしだす熱気、それを観る側が発する熱気がほどよく混ざり合うことで、シナリオに描かれている以上の盛り上がりが生まれると思うからです。

 ニューヨークの沢竜二もそうでしたし、私が個人的に応援している「ふるさときゃらばん」という劇団の公演なども、とくにそうした感が強く、キャパが大きすぎる会場だと、せっかくの盛り上がりが薄れてしまう感じがします。

 その南座、4時過ぎに始まった夜の部がハネたのはなんと10時をまわっていました。外に出ると大変な数の人が町を歩いています。今年は空前の京都ブームだったようで、1年間に京都を訪れた人の数も5000万人を超えたというから驚きです。一つの都市でこれだけの数の人(それも9割以上は観光客のはずです)を集めるのは、世界でもまれではないでしょうか。

 5月のゴールデンウイークや11月の紅葉シーズンならともかく、12月だというのに、あふれ返るほどの人でにぎわう京都。拙著『都市の通信簿』(草思社刊)の中でも書きましたが、この点では京都にはどこの都市もかないそうもありません。1200年を超える「都」ですから、それも納得というものですが、ほかの都市が見習うべきところはいったい京都の何なのか、それを追求してみるのもおもしろいかもしれません。

バイクの大群が象徴するベトナムの将来性

 ペナンを12月2日に後にし、ベトナムのホーチミンシティ(旧サイゴン)に移動しました。タンソンニャット国際空港は完成して間もないらしくピカピカでしたが、そこから車に乗って市内に入ると、そこは一気に時代を何十年か逆戻りしたような猥雑さに満ちた街並み。道路はそこそこ整備されていて、さほど問題はないのですが、目を丸くするのはそこを縦横無尽に走るバイクの大群です。

 とにかく、その数がハンパじゃありません。車1台に対しバイクの数は目分量で50~60台くらいでしょうか。その昔、といっても5、6年前のこと、台北の街中を走るバイクの多さに驚いたことがありましたが、その比ではありません。もうウンカのごとくといった感じです。

 交差点の赤信号が青に変わったとたん、端から端までズラリ並んだバイクが一斉にうなりを上げながら走り出すのですが、一瞬ドキッとします。というのも、信号が変わっても、交差点内には遅れて走ってくるバイクが何台もいるのです。かと思うと、左折専用車線(日本で言うなら右折専用車線)がないこともあり、いまのいままで道路中央を走っていたのがいきなりいちばん左側に寄ってきたりします。こうした光景を説明したくても、私のつたない文章や写真ではとても追いつきません。動画しかないといった感じです。

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 町を歩いていても、大量の排気ガスで目は痛いわノドはガラガラになるわで、もう大変です。走っているバイクのほとんどが2人乗り。なかには3人乗り、4人乗りもいます(そのうち2人はたいてい子どもですが)。なんと5人乗りまでいました。4人乗りで走っているバイクを見つけたときにびっくりして、写真を撮らせてもらったのですが、さすがに5人乗りは想定外で、目にした瞬間体が固まってしまい、シャッターチャンスを逃したのが残念です。
 道路がさほど広いわけではありませんから、よく事故が起こらないものだと感心させられます。というか、接触したりこすったりなどというのは日常茶飯事のようで、実際、私が乗っていた小型の観光バスも、交差点で止まっている最中に2、3度「キー」とか「ドスッ」という音がしていました。でも、運転手が降りていって何か言ったりするなどということはありません。そんなことをしていたら、時間がいくらっても足らないのでしょう。

 でも、本格的な事故になったら大変ではないかと思います。ほとんどの人がヘルメットをかぶっていないのですから。やっと12月14日からヘルメットの着用が法律で義務づけられるようになると聞きましたが、はたして守られるのかどうか心配されているとのことでした。
 バスなど、公共交通機関もあるにはあるのですが、バイクがあふれていますから、走ること自体がひと苦労です。ちょっとでもスペースがあればバイクがそこを目がけてあちこちから殺到してくるので、停留所に停まることさえままならい様子です。結局バイクがいちばんということで、これから先もますます台数が増えていくにちがいありません。
しかし、ホーチミンシティを走りまわるバイクこそ、この国の勢いをまざまざと感じさせる象徴といえるのはまちがいなさそうです。

滞在型リゾート──何もせずに過ごすことの魅力

 いまマレーシアのペナンというところにいます。ペナンはマレー半島の西側にあるビーチリゾートとして知られ、ここから車で2時間も走ればタイとの国境だとか。最近、日本人旅行客がけっこう目立つランカウイやヨーロッパの人たちに人気のあるプーケットなどに比べるとやや地味ですが、それでも大きなホテルがいくつかあります。

 26日にシンガポール入りし、翌日・翌々日と2日間をクアラルンプールで過ごした私たちがペナンに入ったのは昨29日。明後日まで3泊の予定ですが、日本人がいちばん不得意だといわれる「滞在型リゾート」なるものを体験しようということでやってきました。実際、昨日もホテルに付随するプライベートビーチを歩いてみたのですが、何日間も泊まっているように思える欧米人の姿が目につきました。分厚い本(多くは小説)を貸し出すサービスまであるようです。

L1010717  日がな1日海岸やプールサイドに寝そべりながら過ごしたり、マリンスポーツを楽しんだりし、夜はゆっくり食事やお酒を楽しむ、あるいはホテルの外に出てブラブラする──そんな過ごし方をするのでしょう。実際、海岸べりに立つホテルの近くには夜になると屋台がびっしり並び(その数はハンパではありません)、多くの人でにぎわっていました。

私も生まれて初めてそういう時間の過ごし方をしたのですが、これはこれでけっこう心地よいものです。なんと、エステも体験してしまったのですが、体が“ゆるむ”というのはまさしくこういうことなんだと実感できました。夢心地の3時間半はあっという間に過ぎてしまいましたが、人間、ときにはこういう時間も必要なのかもしれないと痛感したしだい。

 このペナンのリゾートに比べると、首都のクアラルンプールの都心エリアは活気にあふれています。ASEANのなかでもシンガポールと並んで発展いちじるしいマレーシア。それを象徴しているのが、私たちが泊まったホテルのすぐ近くに建つツインタワービルでした。空に向けてそそり立つ2本の高層ビル全体がライトアップされ、まるで大宇宙船といった風にさえ見え、強烈なインパクトがあります。

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NYとパリ、「食」に対する態度の違いは?

 一昨日からニューヨークに来ています。数年ぶりで訪れたのですが、相変わらず活気に満ちた魅力的な都市です。

 今回の目的は「沢竜二のオフブロードウェイ公演」を観ること。沢竜二は以前もこの欄で書きましたが、全国座長公演で初めて出会った役者さん。そのドぎつい、超アナクロといってもよいお芝居は、日本でも根強いファンがいるようです。それを昨年に続いてニューヨークでやろうというパワーに感心させられたからです。

 今年の7月、同じニューヨークで公演した中村勘三郎一座は大好評だったようですが、それとはもちろん比べものになりません。会場も、勘三郎一座のリンカーンセンターとはうって変わって、ふだんはアングラ演劇をやっているんだろうなとしか思えないちっぽけで古びた小屋ですし、装置などにもほとんどお金をかけていません。

 でも、不思議なもので、演者から伝わってくる熱気はたぶん同じレベルではないかという気がします。そして、アメリカ人の観客もそれを感じるのか、セリフも歌も理解できないはずにもかかわらず、ここぞという場面ではやはり拍手と歓声があがります。
終了後、出口で沢竜二はじめ出演した役者たちが観客を見送るのですが、全身汗びっしょりになりながら握手したり写真撮影に応じたりしているのを見ると、ここまで観にきたかいがあったと思いました。

 劇場を後にし、近くの地下鉄の駅まで歩いて行く途中、その界隈に日本料理の店がやたら多いことに気づきました。このエリアに限らず、いまニューヨークはそこここに日本料理の看板が目立ちます。聞けば千軒は軽く超えているとかで、近頃の日本食ブームは本当なんだと感じられました。

 とくに最近は、昔から定番の寿司、すきやき、天ぷらだけでなく、創作日本料理とでもいうのでしょうか、そのテのメニューを出す店が多いようで、とんでもなく値段の高い店も少なくありません。インテリアなどにもたいそうお金をかけているらしく、ホントにそういう店が長続きするのかなと、他人事ながら心配になってしまいます。

 私たちは結局、そういったたぐいのところにはまったく行かず、今年で創業120年というブルックリンのステーキ屋(ピーター・ルーガー)、グランドセントラル駅構内にあるシーフード店(オイスター・バー)など、いかにもアメリカを感じさせるような店ばかり選んで行きました。ニューヨークというところはパリなどと違い、お金を使いたくなければ、いくらでも安い店があります。テイクアウトできる店も多いので、時間がないときなどはとても助かります。

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 もちろん、ニューヨーカーなりに「食」へのこだわりはあるのでしょうが、パリジャンなどのこだわりとは根本的に違うようで、そこにアメリカとフランスのお国柄、それぞれの国民性・気質の違いも出ていそうです。朝でも昼でも、とにかくゆっくり時間をかけて食べようとするフランス人。それに対して、アメリカ人はとりあえず食べられればOKという感じが強いのでしょう。ニューヨークはやはり、忙しく走りまわるビジネスマン、ビジネスウーマン向きの都会なのです。私も食べることは大好きですが、ニューヨーク流のほうが肌に合っているような気がしました。

近頃流行りの「デザイナー」なんとかに疑問

 11月3日から上海に行き、今日帰国しました。今回は成田出発(浦東空港着)ではなく羽田からの出発、しかも上海中心部に近い虹橋空港着だったので時間的にはとても楽でした。

 わずか1年半ぶりなのですが、その間に大きく変わっています。あちこちで工事をしているため、交通渋滞がハンパでなく、以前から上海の特徴であるけたたましさ(車のクラクションをガンガン鳴らす)も手伝って、とにかく以前よりいっそうゴチャゴチャしていた感がしました。聞けば、2010年に開催される万博までの間に地下鉄が一気に延伸あるいは新たに開通するとかで、その準備に躍起ということです。

 ちょうど季節が合っていたので、最初の日の夜は上海蟹を食しましたが、それより印象に残ったのは3日目に食べた四川料理でした。日本のそれと違い、本家本元・四川省の人々の基準に合わせた辛さでしたから、辛いものがめっぽう好きな私にとってはピタリはまりました。
 なかでも、川魚を油で揚げたものの上から赤唐辛子、青唐辛子、さらに山椒を合わせたソースを、魚の姿がほとんど見えなくなるほどかけた料理(名前は不詳)は圧巻。口に入れたとたん、脳天までズシンとくる辛さが襲いかかってくるショックは強烈そのもの。といって、けっして不愉快な辛さではありません。体の内側からホカホカしてくるこの辛さこそが四川料理の真骨頂なのでしょう。

 今回泊まったのは、豫園のすぐ近くにこの夏オープンしたばかりのホテルでした。近ごろ日本でも流行っているデザイナーズホテルとでもいうのでしょうか、インテリアはいちいち凝っているのですが、使い勝手がわかりにくくてたまりません。極端な話、洗面所のコックでさえ、どこをどうすれば水(湯)が出てくるのか首をかしげてしまうのです。デザイン優先の悲喜劇といってしまえばそれまででしょうが、もう少しなんとかしてほしいなと、このテのホテルに泊まるたびに感じます。

 デザイン、とくにインテリア関係、あるいはインダストリアルの分野は、姿かたちも大事でしょうが、まず何より使い勝手がよくなくては失格ではないかと、私個人は思っています。キッコーマンのしょう油さしがいかにしてつくられたかという話を以前テレビで見たことがありますが、人間の手の動きや視線のありようなどを深く、またていねいに探求してデザインされていたのを知って感心しました。それゆえ誕生してから半世紀近く経っているいまでも同じデザインでつくられています。時代や空間を超えた普遍性がそこにはあるわけです。

 最近、「ユニバーサルデザイン」という言葉をよく耳にしますが、本当の意味で「ユニバーサル(=普遍的)」であるのはやはり大変なことなのでしょう。デザイナーはともすると、見た目のカッコよさに酔ってしまうようですが、目先のカッコよさだけでは、そのとき・その場はウケても、けっしてユニバーサルたり得ないということをよくよく知っていただきたいなと思います。