沖縄というところの不思議さ

12月23日から沖縄に来ています。例年よりも暖かいそうですが、それにしても、この季節に半袖(ときには半パンもOK)で過ごせるのはなんともありがたいものです。

さて、これまで何度か来たものの、那覇市内から足を踏み出す機会がなかったのですが、昨日は初めて南部のほうに足を延ばしてみました。クルマに乗って国道331号線を走ったのですが、途中、両サイドにシュロの木が立ち並ぶところもあり、とても日本とは思えません。目的地は世界遺産にもなっている斎場御嶽(セーファウタキ)、平和祈念公園、ひめゆりの塔でしたが、なかでも斎場御嶽はなんとも不思議なところでした。

御嶽(ウタキ)とは琉球古来の聖地、本土でいえば神社のようなところの総称です。それぞれの地域にかならずそうした場所があるようで、昨日行った南城(なんじょう)市にあるのもそのひとつです。なかでも、ここ斎場御嶽は琉球開闢(かいびゃく)の神=アマキヨミが定住したとされており、ほかの斎場より格が高いとされています。

見た目はうっそうとしたただの林なのですが、中が六つのエリアに分かれています。ご神体を祀る神殿や鳥居こそありませんが、岩穴、あるいは鍾乳石など、自然そのままの場所がそれぞれ役割を持っており、そこにいるだけでなんとも不思議な気持ちになるのは、やはり聖地とされるゆえんでしょう。

いちばん奥にある三庫理(サングーイ)は拝所でもあるのですが、そこから東を見るとアマキヨミが降臨したという聖地中の聖地・久高島(くだかじま)を望むことができ、思わず手を合わせたくなります。那覇市内にとどまっているだけではけっして見えてこない沖縄、いな琉球という別世界を肌身に感じることができ、来て本当によかったと思いました。

その後に訪れた平和祈念公園も、修学旅行の生徒がかならず見学に訪れる場所のようですが、戦争の悲惨さをいやというほど感じさせられる意義ある施設といえます。沖縄はご存じのように、太平洋戦争中ただひとつ国内で戦闘がおこなわれたところです。若いうちにこうした場所を訪れることの意味を改めて問う必要があるでしょう。資料館内部の展示は一つひとつがていねいにつくられており、戦争の悲しさ、むごたらしさをいやというほど訴えてきます。これまでもこうした施設、展示を何度となく見ましたが、ここほどそれを深く感じさせられるところはありませんでした。

太平洋に面している施設全体のロケーションもさることながら、資料館の建物や公園の造作もすばらしく、そうしたものを目にすると、平和であることに対する感謝の気持ちが心の底から湧き上がってくるのは、けっして私だけではないでしょう。
沖縄は47都道府県のひとつでしかありませんが、そこはやはり本土とはまったく異質の風土、文化を感じさせる空間です。この地で長い時間を過ごせば過ごすほど、これまでつちかった感性と異なるものを得ることができるのではないかということを実感できた1日となりました。

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