相撲協会に疑問符

 一昨日、昨日と2日連続で大相撲を見に行きました。昨日の観戦は昨年、チケットの売り出しと同時に購入していたもの。今場所から横綱朝青龍が復帰するので予想はしていたのですが、それをはるかに上まわる勢いでチケットは売れたようで、この日の分しか取れなかったのです。ところが、ひょんなことから一昨日(20日)も相撲を観ることになり、結局連日の国技館行きとなりました。

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 しかも、一昨日は正面土俵下のたまり席だったので、大変な迫力でした。横綱の土俵入りも、目の前7、8メートルの距離ですから、それこそ汗のひとしずくまで見ることができます。対戦に負けた力士が土俵下にもんどりうって落ちたときの地響きも体感できました。
テレビ中継のアナウンサーがよく口にする「時間いっぱいとなり、最後の仕切り。両者、体が真っ赤に紅潮してきました」というのも、そのとおりだということがよく分かります。そうした意味では、あらゆるスポーツのなかで、もっとも至近距離で一部始終が見られるという点では相撲が最高といっていいでしょう。

それにしても、大相撲は昨年1年、朝青龍の欠場、時津風部屋の不祥事など、ホント悲惨な状況でした。明るい話題といえば、白鵬が横綱に昇進したことくらいで、これでは客足が遠のくのも当然です。それでも、協会関係者は朝青龍個人の問題、時津風親方だけの責任と言うばかりで、自分たちが反省している、対策を講じなければいけないなどといった言葉はただのひとこともありませんでした。

しかも、朝青龍が復帰したとたん、一気に観客が増えるのですから、ますます増長してしまいそうです。私自身、いまの理事長(北の湖)が横綱を張っていたときも、個人的には好みの力士ではありませんでしたが、この1年で、それにますます拍車がかかってしまいました。時津風部屋で、まだ17歳という若手力士が命を落としたにもかかわらず、遺族のもとに理事長が駆けつけなかったときはホント腹が立ちました。正直、「おいおい、そういうもんじゃないだろ」と言いたかったのです。

巨人軍の人気に過剰に負っていたプロ野球もそうですが、偏頗な構造を温存したまでは、大相撲もいずれ廃れてしまうのではないか、そんな危惧すら抱いています。それが杞憂に終わることを祈っていますが、相撲協会はもっともっと考え直す必要があるのではないでしょうか。

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