初めてのフィヨルドに感動の1日

2014年8月18日
朝食前に家人は洗濯に。完全自動の洗濯機と乾燥機が用意されていることがわかったからできたのですが、長旅のときの悩みの一つです。ヨーロッパ、それもドイツから北は、どこのホテルも中を熱い空気が流れるパイプのようなものがタオル賭けになっており、そこに干せばいいので楽です。

朝イチ、午前9時フロムを出発する遊覧船でフィヨルドクルーズに。その1時間ほど前、バルト海クルーズの大きな客船が入港してきました。夕方まで停泊し、その間に、乗客(2000人くらいでしょうか)たちは観光バスに分乗して、フロム周辺の観光に行くようです。

彼らが船から降りるのとほぼ同じころ、私たちがクルーズ船に乗ったら、客は私たち2人のほか、若い中国人カップルのみ。私たちは2階の客席、彼らは下と、ほとんど貸切状態とあいなりました。乗船直前まで空はぐずついていたのですが、しばらく走ると雨はすっかりあがりました。気温は10度くらいですから、寒くはありましたが、毛布を腰に巻いてしのぎます。

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のっけからもう感動、感動の連続。まずは海の静かなこと。とても「海」とは思えないほど、波がまったくありません。そこをクルーズ船が音もなく、まるで滑るようにして進んでいくのです。

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途中10ほどの集落を見ながら進むのですが、ときどき小さなクジラと出会います。この時期、フィヨルドの奥までやってくる小さな魚を獲るためだそうで、何回か出会いました。繁殖期とも重なっているようで、皆カップルです。

両岸にそそり立つ岩の壁高くにある道というか、平らなところにヤギがあらわれることもあるという話でしたが、今日はそれには出会いませんでした。

いちばん幅がせまいところはわずか12mルだそうで、水深が深いのでほとんど心配はないのですが、さすが「ネーロ(=ノルウェー語で「狭い」の意)フィヨルド」とはよく名づけたものです。

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急峻な岩壁の上から細く落ちてくる滝もさることながら、それらの瑞夫も飲み込んだフィヨルドの海はとにかく澄んでいます。空も岩壁もその上に育っている木々や草も、きれいに水面に映っています。

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今日は曇り空ではありましたが、そのほうが落ち着いているというか、より深い神秘を感じさせていたような気がしました

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あっという間に2時間が過ぎ、グドヴァンゲンに到着。桟橋には中国人の団体ツアー客がいっぱい待っていました。すぐ近くのレストハウス兼みやげ物屋さんで軽い食事。12時半のバスで、22キロ離れたフロムに戻ります。といってもそのうちの16キロはトンネル。岩盤をくり抜いて造ったのでしょうから、さぞかし難儀したのではないかと思われます。

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ホテルでしばし休憩のあと、こんどは地上600mのところからフィヨルドを見下ろすツアーに。バスで20分ほど走るとフィヨルドが眼下に見えるステーガスタイン展望台に到着。山道を登るにつれ、フィヨルドがどんどん開けてきます。こんなところに展望橋を造った発想に驚きました。

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夕食は昨晩の教訓を生かし、フロムの駅近く(=ホテルにも近い)のカフェでオープンサンドを2つ(サーモンとエビ)、あとミートボールで済ませました。たまたまその前にすぐ近くのスーパーで缶ビール(500mlで1300円ほど。1本ですよ、1本)を買ったので、それを飲みました。しかし、食べ物のほうの味は、ホテルの9000円のヴァイキングで口にしたものと大差ありません。値段は2人で3500円ほど。前夜のおよそ5分の1で済みました。でも、日本に絵ハガキ3枚送るための切手代がNOK48(800円)! にはびっくりです。

有名な山岳鉄道に乗ってフロムへ

2014年8月17日
今日は珍しく、朝から雨。それも本降りです。これまで3日間、シャワーのような軽い雨はしょっちゅうでしたが、本降りは初めて。これは、せっかくのベルゲン特急も窓からの景色はあきらめなくては……と心配したのですが、列車に乗るころはすっかり晴れていました。北欧ではこの季節、こうした天候が当たり前のようで、1日何回か雨が降るようなのです。

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12時1分発の特急──日本でいうなら在来線の特急ですから、心地よい速さです──は途中10数カ所で停車し、夕方16時56分にミュルダール着。ここでかの有名な山岳鉄道=フロム鉄道に乗り換えるのですが、標高1100mあたりから20数キロかけて海抜2mの終点=フロムまで降りていくのですから、それはそれは息をのむような景色の連続。トンネルも20カ所ほどあり、出るたびに景色が大きく変わります。

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ミュルダールを出発して10分ほどで落差93mという「ショースの滝」。ここでは列車を止めて、滝の前で記念撮影をさせてくれます。

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よくもまあこんな急峻なところに鉄道を敷いたものだと感動しているうち列車は終点フロムに到着。1時間弱の旅です。スイスの山岳鉄道とはかなり様相が違うのですが、何が理由なのでしょうか。窓の外の景色が違うことももちろんあるでしょうが、これは研究の余地があるかもしれません。

 

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ホテルはフロムでもいちばん古いFRETHEIM。すぐ夕食を取ろうと、食堂まで行ったのですが、ヴァイキングスタイルを選択。というのも、前夜、オスロのホテルでフルコース(といってもごく簡潔な内容でしたが)を食べていたので、2日続けてというのはきついと思ったからです。

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海外に出ると、食事はかなりいい加減になります。朝が一番まともというか、バラエティーにもあふれ、量もけっこう行きます。しかし、昼は町歩きの途中ですから、どうしても行き当たりばったりが多くなるのです。それもファストフード系──といっても、マクドナルドとかではありませんよ──がほとんどですから、ごくライトな感じというか、立ち食いとか店先でちょっとつまむといった内容。

夜も、くたびれているときは食べずに眠ってしまったり、そこらのスーパーで惣菜めいたものを買って帰り、部屋で食べたり。それでもあまり当たり外れのないのがいいですね。

しかし、今日のホテルの夕食は期待外れでした。プアな内容のわりに値段が日本円換算でなんと1人分9000円! 何を食べても飲んでも高いノルウェーですが、それにしても……です。ちなみに、ヴァイキングスタイルでなくコースのほうを選んでも同じ値段だそうで、明日はもうどちらも願い下げにしようと決めました。

そこら中に彫刻がいっぱい! ヴィーゲラン公園

2014年8月16日
ホテルを出て、中央駅へ。明日乗る鉄道の乗車券を発行してもらいました。続いて、構内の両替所で日本円をNOK(ノルウェークローネ)に交換。これでやっとひと安心です。

トラム(LRT)でヴィーゲラン公園へ。街中を縫うようにして走るトラムの沿線は、豊かな住宅事情を感じさせる、こぎれいな家が並んでいます。彫刻がそこら中に置かれているヴィーゲラン公園も素晴らしく個性的で、心が大いに和み、癒されました。

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1914年にこの地でおこなわれたノルウェー憲法制定100周年記念博覧会の跡地を所有していた貴族が寄付したものらしいのですが、こういうふうに利用されていると、寄付したかいもあったというものでしょう。

広大な敷地を目いっぱい使って配置された数多くの彫刻がこの公園の売りのようです。イメージ的には札幌のモエレ沼公園といった感じでしょうか。芸術家の手が十分に尽くされたという印象を受けました。そういえば、札幌芸術の森野外美術館に、ヴィーゲランの作品が5つ展示されていたのを思い出しました。

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公園をあとにして国立美術館へ。エドヴァルド・ムンクの「叫び」の実物を見ました。ほかにも、マネ、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソなどの作品がさりげなく展示されていて、かなり充実しています。カフェで軽いランチを済ませ、王宮へ。地味な建物ですが、衛兵の交代式も見られてラッキーでした。

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カール・ヨハン通りには多くの人が出て大にぎわい。大道芸人あり、イベントあり。いかにも夏の北欧といった感じの太陽がまぶしいこと。グランドカフェでビターを1本飲んだら、すっかり気持ちよくなってしまいました。時差のせいで頭に疲れが出てきて、足取りの重いこと。地下鉄でホテルに戻ります。

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交通機関と各種施設の入場料がセットになったパスはありがたい!

2014年8月15日
オスロ2日目。ホテルからいちばん人通りが多いというカール・ヨハン通りを歩くこと15分。まずは市庁舎を見学。素晴らしいデザインの建物で、見る人を感心させます。中にはノーベル平和賞の授賞式がおこなわれる大きなホールが。壁面に描かれた絵に圧倒されます。

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見終わったあと、近くにあるツーリストインフォメーションに立ち寄り、「OSLOPASS」を購入。2人分でNOK840ですから日本円で1人あたり約7000円。でも、これさえあれば、公共交通機関の運賃とほとんどの施設の入場料がタダになるので、なんともありがたい話。

海外の主だった都市にはたいてい、この種のものがあります。それに比べると、日本はどうかと考えると、悲しいほど遅れています。たしかに、来日客はどんどん増えていますが、多くの人は不便をかこっているのでしょうか。というか、高い交通費や入館(場)料を払わせているはずです。

さて、「OSLOPASS」を持って、さっそく市庁舎のすぐ近くにあるノーベル平和文化センターに。はからずも、今日は日本では「終戦記念日」。そのタイミングで行けたのは不思議でした。「平和賞」の全受賞者がロウソクをイメージさせる細長い透明プラスチックの軸の上に置かれたタッチスクリーンのパネルに写真とともに簡単な事績が紹介されるというスタイル。壁面いっぱいに作られたパネルも、写真だけでなく、たとえばマーチン・ルーサー・キングの有名な演説シーンが音声とともに流れたりなど、さまざまな工夫が凝らされています。

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L1100045_2フェリーで対岸のビュグドイに。この一帯は博物館のメッカで、民俗博物館、ヴァイキング博物館、コンティキ号博物館、フラム号博物館と次々に「制覇」。この4つだけで入場料の合計が400NOK(約6500円)近くですから、「OSLOPASS」の効果は絶大です。

海外から年間2000万人の旅行客をと躍起になっている日本に、こういう、交通機関とさまざまな施設の入場料がセットになった「パス」はあるのでしょうか。交通機関だけのパスは以前からありますし、最近は複数の文化施設に割安で入れるパスもやっと出始めたようですが、それが一緒になったものということです。また、この種のものがなぜか日本語でしか告知されていないのも気がかりです。

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どこの国に行ってもそうなのですが、かならずこの種の「パス」が売られていて、あちこち観光施設を訪れれば訪れるほど得するようになっているので、旅行者にはとてもありがたいことです。

東京など、JRのほか、地下鉄、10社近くの私鉄、さらにバス(都営と私鉄)が入り乱れています。日本人ですらややこしいと感じていたのが、とりあえずどれでも共通で使えるsuicaやPASMOが登場したときはだれもがありがたいと思ったはず。外国人の観光客向けにも同じようなものはあるのですかね。そこにあちこちの施設の入場料が込みになっていれば、喜ばれるでしょうね。オスロも高いですが、東京(日本)だって、交通機関の運賃はかなり高いですから。

さて、ビュグドイからバスで都心に戻り、国立劇場前で下車。急に太陽が燦々と照りつけるようになり、気温も22、3度までに上がった感じがします。バス停近くの公園には人があふれていました。ソフトクリームを食べ、地下鉄で中央駅まで。

乗るときにチケットを買う買わないは、利用者の良心にまかされているのですが、この日はたまたま降りたところでチェックがありました。このときチケットを持っていないと、目の玉が飛び出すほどの罰金が科されるそうです。

地上に出て、一つ問題が発生しました。NOKの手持ち現金が底を尽き始めていました。なのに、両替がなかなかできません。とりあえず、明日に回し、夕食へ。ホテルから歩いて10分ほどのところにある中華料理店で食べましたが、味は、ちょっと??でした。

スカンジナビア航空で「消費税25%」の国へ

2014年8月14日
朝はMKタクシーで自宅から成田まで。無料で送り。某クレジットカードカードでチケットを購入したごほうびというか、罪滅ぼしというか。でも、快適この上ない移動。出発の4時間前に空港着。

SASは初めて。機材も古いがサービスはこんなものかといった感じ。子どものころからその名を知っている海外の航空会社といえばPANAM(パンナム)、BOAC(英国海外航空)、そしてSAS(スカンジナビア航空)しかありません。このうち2つはとうの昔に姿を消してしまいました。唯一生き残っているSASは、PANAMにはかないませんが、ロゴがおしゃれで、色使いもいかにもデザイン大国といったイメージがします。

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コペンハーゲン乗り継ぎでオスロまで。ほぼ予定時刻に到着。コペンハーゲンよりぐんと涼しい。バゲージで荷物を受け取るまでけっこう待ち時間が。カルーセルのまわりに、いつのものとも知れない荷物が山のように置かれています。受取人のいない=当初の予定どおりに届かなかった荷物でしょうが、そのあまりの多さに不安がきざします。すぐ近くにある航空会社や空港の受付窓口にはひっきりなしに、荷物を手にできなかった旅行客が訪れ、係員とやり取り。ですから、私と家人の荷物が出てきたときはほっとひと安心しました。

ホテルまではエアポートエクスプレスでわずか19分。距離は50キロ以上あるらしいのですが、ノンストップですから速いこと速いこと。料金はNOK(ノルウェークローネ)170(日本円で2800円)です。

 

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中央駅に着いたら、ホテルもすぐ見つかりました。駅のすぐそば、しかも市内では唯一といった感じの高層ビルですから。最近よく泊まるradissonです。

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32階の部屋からは市内が一望。港も見えて心が休まります。夕食は近くのカフェで済ませました。ポークサンド、ビール(小・生)とコーラ(500ml)で4000円と少しですから。それにしても、物価の高さは想像以上。しかも、表向きの価格の5分の1は税金(消費税率はなんと25%)です。食後、隣のコンビニで買った500mlのミネラルウオーターが450円とか500円!!。もう1滴残さず飲み干そうっていう気になります。

ただ、ペットボトルの素材が素晴らしくよかったのが印象的でした。最近よくあるペニャンペニャンの、ちょっと力を入れたら壊れてしまいそうな感じはまったくなし(環境的にはどうかなというところもあるのでしょうが)。

高野山には青い目の外国人がいっぱい!

2014年8月8日

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朝食を済ませると、昨晩泊まった「普門院」をチェックアウト。高野山のメインというか、金剛峰寺・奥之院まで足を運びました。話には聞いていましたが、そこら中に、歴史上の有名人の墓や供養塔があります。有名企業の社墓地も多いようです。

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しかし、何より驚かせられたのは外国人の多いこと。聴けば、年間15万人近く、外国から観光客がやってくるのだそうです。しかも、青い目をした外国人の姿が目につきました。家族連れもいれば、学生風の若者などさまざまでしたが、なかには1カ月、2カ月かけて修行していく人もいるとのこと。「世界遺産」の強みを改めて感じました。

二人お昼前に高野山をあとにし、山を下ります。480号線で道の駅「紀の川万葉の里」へ立ち寄ると、何十年ぶりかで黄色いメロンを見つけ、迷わず購入しました。子どものころメロンといえば、これしか食べたことがありませんでした。プリンスメロンや夕張メロンなどというのは、見たこともないという時代だったのですね。桃も安かったので、一緒に買います。

大和郡山をめざすも、家人のスマホで調べると、城の天守閣は登れないことがわかり、予定を変更して法隆寺に行くことにしました。ところが、法隆寺近くはひどいというか、「本当にこんなところに国宝が、世界遺産があるのか?」といった感じの環境。でも、渋滞する国道25号からちょっと入ると、そこはまったくの別世界です。生れてこのかたなぜか行く機会のなかった法隆寺を初めて目にし、その造形美に感動しました。

金堂、宝物館、夢殿をじっくり見てまわり、4時ごろ法隆寺をあとにし、京都に移動します。複雑な道のりでしたが、ほとんど高速道路で行けたため、スムーズに到着。しかし、京都はひどい雨で、外出は無理な状態。夕食はホテル内のレストランで済ませることに。1日に二つの世界遺産を訪れる旅は、こうして終わりました。

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伊勢神宮から世界遺産の高野山へ

2014年8月7日
今回のドライブ計画でいちばんハードな1日です。伊勢神宮を見たあと、さらに高野山まで移動してしまおうというのですから、それも当然でしょう。

伊勢神宮はもともと、地名も何もつかない、ただの「神宮」と呼ばれていたそうです。明治時代から戦前までの近代社格制度においても、すべての神社の上に位置する、別格の扱いを受けていました。

太陽を神格化した天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)を祀る豊受大神宮の二つの正宮から成っています。皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれており、内宮と外宮は離れているものの、まず外宮を参拝し、そのあとで内宮に詣でるのが正しいのだそうです。

また、もっともよく知られている伊勢市だけでなく、その周辺、度会(わたらい)郡大紀(たいき)町・玉城(たまき)町・度会町、志摩市、松阪市、鳥羽市、多気(たき)郡多気町と合わせた4市2郡に合計125の神社があります。

内宮の前にある「おかげ横丁」のにぎわいは大変なものです。内宮の鳥居前にかかる宇治橋から五十鈴川に沿って続く800mほどの参道があり、かつては大変なにぎわいを見せていました。江戸時代の参詣客は1年間で200~400万人を数えたといわれています(当時の日本の人口は3500万ほどでしたから、かなりの割合です)。

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江戸時代の庶民は皆、伊勢をめざしていたといっても過言ではありません。「生きているうちに一度でいいからお伊勢さまにお参りを」という言葉もあったほどです。地方の農村では、「伊勢講」といって、参詣の旅費や宿泊費を積み立てるための講を作り、毎月講員が集まっては一定の費用を積み立て、年に1回、クジ引きで参詣者を選ぶ仕組みがあったといいます。

選ばれた人は、初春か晩秋の農閑期や年末から年頭の時期に伊勢に行きます。出発するときは、講員が餞別を渡し水杯を酌み交わして村境まで見送り、留守家庭にはお見舞いが届けられました。帰ってくると、村境まで迎えに行きそこで酒宴を張り、伊勢音頭を歌ってにぎやかに村に入ります。お伊勢参りに行かせてもらった人は神宮のお札と伊勢のおみやげを講員に配りました。村を代表としてお伊勢参りに行く人はそれこそ責任重大。まわりの人たちからは羨望の眼で見られました。

全国から集まってくる参詣客は、御師(おんし)と呼ばれる世話役に手厚いもてなしを受けました。伊勢の御師は全国各地に派遣され、現地で伊勢講の面倒を見、その地の人が伊勢参りに訪れた際には自己の宿坊で迎え入れ、あれこれ便宜を図った。ときにはお祓いや神楽までおこなうこともあったので、その一帯を「おはらい町」と呼んだそうです。

ところが、高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半になると、最盛期にはおはらい町を訪れる参詣客が500万人もいたのに、なんと20万人に激減。せっかく参詣に来てくれても、そのほとんどは「おはらい町」通りと平行して走る国道23号でバスやクルマで宇治橋前まで乗りつけ、参拝を終えるとおはらい町には立ち寄らず、鳥羽や志摩半島方面に行ってしまうようになってしまったからです。年々進む近代化の波に飲まれ、伊勢らしい建物がすっかり姿を消した「おはらい町」が魅力を失っていたことも大きな理由といわれています。

そうした状況に地元の関係者の多くが頭を痛めていた中、この地で江戸時代から営業を続けていた名物「赤福」が、大胆なプロジェクトを立ち上げました。最初に手がけたのは、
古い街並みの保存活動です。1979(昭和54)年からスタートした活動は、市の協力も得ながら順調に進み、「おはらい町」は、この地に特有の妻入・切妻・入母屋造りの木造建築物が建ち並ぶようになり、すっかり様変わりしたもです。

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それだけではありません。「赤福」は多額の費用を投じ、「おはらい町」の中央エリアに別の「町」を作ったのです。1993(平成5)年=式年遷宮の年に完成したこの「町」は「おかげ横丁」と名付けられ、いまや大変な観光スポットになりました。往時の建築物や蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築されているのでまるで小さなテーマパークのような印象を与えます。

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内宮の見学を済ませたあと私たちも、そこで名物の伊勢うどんなどを食したあと、外宮に向かいました。戦前日本を訪れた建築家のブルーノ・タウトは、その著『日本美の再発見』に「日本がこれまで世界に与えた一切のものの源泉、あくまで独自な日本文化を開く鍵、完成した形の故に全世界の賛美する日本の根源? それは外宮、内宮および荒祭宮を持つ伊勢である」と記しつつ、とりわけ外宮を絶賛しています。たしかに、外宮は内宮とは対照的に落ち着いた風情の中に神秘的な空気がただよい、やはり両方をセットにして楽しんだほうがいいなと感じました。

午後3時ごろ、伊勢をあとにし、次の目的地・高野山に向かいました。ただ、これが予想をはるかに上まわる難行苦行。最後の25キロほどはとんでもない山道、、しかもくねくねした坂が続いていたので目がまわりそうになりました。結局、宿坊に着いたのは、夕食の時刻を2時間も過ぎた夜8時。荷解きもそこそこに、私たち2人のためにだけ用意された精進料理の夕食を広い部屋に正座していただいたのですが、なんだかとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

それでも、ベッドがしつらえられた部屋は快適そのもの、お風呂も温泉で、それはそれは心地よく眠りに就くことができました。

娘一家と箱根へ

2014年8月5日
昨日は箱根へ。20年ぶりくらいになるでしょうか、箱根の小涌園に泊まりました。孫がここのところ鉄道車両にはまっているようなので、小田急ロマンスカーで行きました。といっても、3歳ですから、乗ってしばらくすると飽きてしまいます。箱根湯本からの登山鉄道で多少は興奮していましたが、小涌谷の駅に着いたころはもう限界。駅で、別途クルマでやってきた娘のダンナと合流、一緒にホテルまで行きました。

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小さな子どもたちの相手は、正直疲れます。まして、1泊2日という長い時間を一緒に過ごすので覚悟はしていましたが、やはり大変です。

10時ごろチェックアウトし、娘一家はクルマで帰路に。私と家人は一緒にバスに乗り、まず小田原まで。家人は今日・明日と、西伊豆の温泉で1泊する「女子会」に行くので、駅で別れます。明日からは伊勢志摩・高野山・京都・名古屋というコースでドライブ旅行に出るので、今日はゆっくり体を休ませなくてはなりません。夕方は映画でもとおもっていましたが、結局あきらめ、自宅でのんびり過ごしました。

新緑の山形・金山町へ

2014年5月20日
昨日・今日と山形県に行ってきました。新幹線で新庄まで行き、そこからクルマで30分ほど。目的地は秋田県境に近い金山町。同じ名前の町は全国で3カ所(あと2つは福島県と岐阜県)あるようです。

江戸時代は羽州街道(福島の桑折から、小坂、金山の2つの峠を越えて秋田県を縦断し青森に至る)の宿場町として栄えたとのことで、その雰囲気をいまもとどめています。クルマのなから見ていても、白壁造りに土蔵など、ほかの町とはちょっと違うなと感じたのはそのためです。戊辰戦争のときは戦場にもなったと聞きました。

昨日は、シェーネスハイム金山というリゾート施設でコンサートが開かれ、それを楽しませてもらいました。親しくしているAさんから声をかけていただいたのですが、そういうことでもなければ、たぶんここまで来ることはなかったでしょう。冬はスキーも楽しめ、春から秋にかけてはハイキングの基点といった感じです。雄大な杉の森に囲まれたこのホテル、木造で、内装も木がふんだんに使われているせいか、とても居心地がよく、しかも食事がおいしくて。長期滞在する人も少なくないと聞きましたが、それもよくわかります。

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今日は、東京に帰るまでの数時間、街歩きを楽しみました。1878(明治11)年の夏、イギリスの女性作家イザベラ・バードがこの地を訪れ、その著『日本奥地紀行』 にも、「険しい尾根を越えて非常に美しい風変りな盆地に入った。ピラミット型の杉の 林で覆われ、その麓に金山の町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。私はここ2、3日ここに滞在したいと思う……」と書かれていますが、たしかにそのとおり。町の側も、そうした雰囲気を残すべく、古い建物や通りを当時のままに残そうと努めています。町の中を流れる水路をベースにした親水公園には鯉がいました。

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物好きも極まれり! またまた足利へ

2014年5月13日
先月末に行ってきて感動した「あしかがフラワーパーク」にまた行ってしまいました。今度は夕方現地着。目的はライトアップされた大藤を見るのがメイン。それと、前回はまだ花が咲いていなかった白藤と黄藤を見るためです。残念ながら、白藤はゴールデンウイーク、それもほんの数日間しか見ることができないようで、今日は完全に姿を消していました。

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黄藤は残念ながら満開を過ぎていたようですが、それでも8割かたはまだ花をとどめており、初めて目の当たりにすることができたしだい。その色の美しさたるや、なんとも表現しがたいものがあります。黄色なのですが、気品を感じさせるというか。

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それよりすごかったのはシャクヤクです。いたるところで満開になっていたのですが、色彩もバラエティー豊かで、大変な迫力でした。それよりちょっと丈の短いボタンもさまざまな色の花を咲かせています。バラも、開花の早い品種が妍を競っており、なかにはかぐわしい香りのするものも。まあ、どこを見ても花のない場所はないといった感じで、大いに楽しめました。

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台北市立動物園

2014年5月8日
昨日は、日月潭をあとにし、台中を経て新幹線で台北へ。今回は、最近オープンした、日本のホテルオークラ系ホテルに泊まりました。台北の駅にも近く、まわりはけっこうな繁華街ですから、とても便利ですし、何より新しいのがGOODです。

今日は、まだ行ったことのない台北動物園に行ってきました。台北の地下鉄(MRT)路線図に「動物園」という駅があり、以前から気にはなっていたのですが、まだ行ったことがなかったからです。

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開園は、日本統治時代の1914(大正3)年といいますから、先の「The La-Lu(涵碧樓)」のもとになった休養施設がオープンする2年前です。もともとは北部の圓山公園(現在は「花博公園」となっている)内にあったため圓山動物園と呼ばれ、いまの場所に移転したのは1986(昭和61)年。

台北の中心部から地下鉄の「動物園」駅までは20分ほど。ここからロープウェーが出ていて、お茶の名所「猫空」にも行けます。

さて、動物園の入口にはかつての門柱がモニュメント的に置かれています。しかし、中に入るとビックリ。なにせ広いので、動物園につきものの鉄柵がまったくありません。どの動物も広いエリアに放し飼い状態といった感じで、たぶんストレスもないのでしょう、のびのびとした感じがします。

人気はやはりジャイアントパンダのようで、休日ともなると、観るには、パンダ館に入るための整理券をもらわなくてはなりません。2008(平成20)年12月に中国から團團(オス)と圓圓(メス)が寄贈されたのが最初で、いまでは子ども「圓仔」もいるので3頭に増えたそうです。

すべてを観てまわるのは大変ですが、お目当てのキリンも観ましたし、2時間ほどいて帰りましたが、動物園のスタイルはどうやら大きく変わりつつあるのを痛切に感じました。

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夕食はホテルの近くにある「新葡苑」という上海料理の店で。普通の値段でとてもおいしく食べられます。台北市内はもちろん、東京の赤坂にも支店があるようです。

日月潭の湖上を船で遊覧

2014年5月7日
日月潭は、標高749mのところにある台湾最大の淡水湖で、水深は23・5m。ふだんは深緑色の水に覆われているのですが、日射しの具合で、翡翠色や紺碧に見えることもあります。いちばん美しいのは夜明けどきだそうです。

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湖の真ん中にあるのが拉魯(ラルー)島という小さな島。ここは、先住民のサオ族の人たちの間で精霊の集う場所としてあがめられていたとのこと。日本の植民地だった時代は玉島、戦後は光華島と呼ばれていたそうですが、いまはサオ族の呼称=ラルー島と呼ばれています。この島を境に東側は円形なので「日」潭、西側は三日月形なので「月」潭といい、それが日月潭という名称のもとだそうです。

 

湖畔にはいくつか船着き場があり、そこから全行程1時間半ほどの遊覧船でまわります。途中、蒋介石の母親を祀ってあるという慈恩塔、三蔵法師の遺骨が安置される玄光寺、玄奘寺、大きな獅子の像が立つ文武廟など、いくつかの名所がありましたが、私たちは船着き場近くの寺院をいくつかかじっただけ。

昨夜は中華料理を食べましたが、今朝はビュッフェ形式の朝飯。寿司や点心なども充実しています。そして、遊覧船から帰ってきてからは中華料理を軽く食べ、夕方近く、ホテルをあとにしました。

台中から日月潭へ

2014年5月6日
台湾3大観光地の一つ日月潭──。以前からウワサには聞いてはいましたが、なんとも素晴らしいところです。台中の駅からバスで行くのですが、途中までは高速道路。最後は山道を20分ほど走り、トータル1時間20分ほどで今回泊まる「The La-Lu(涵碧樓)」というホテルに到着。有名なアマングループ系に属しているだけあって、とんでもなく素晴らしいリゾートホテルでした。台湾国内でも大変な人気を誇っているようです。



20世紀の初め、日本が日月潭に水力発電所を開発していたころ、一人の日本人がこの地に休養施設を設けたのですが、それが始まりだそうです。1923(大正12)年、皇太子(昭和天皇)が台湾を視察で訪れることになり、それを機に2階建てにに改築、東と西に8室のVIPルーム、レストラン、会議室などを含めた施設とし、政府の宿泊所となったのです。



太平洋戦争が終わり、1949(昭和24)年、国民党政府が台湾に移ったあとは蒋介石総統の別荘になり、ときには、台湾を訪れてくる外国用心を接待する場所として利用されてたといいます。この施設が1998(平成10)年、民間に売却され、宮殿式の6階建ての建物の梁と柱と床だけを残し大改装をほどこされ、2002(同14)年3月、新しいリゾートホテルとしてオープンしたのだそうです。

 

エントランスは竹藪をイメージさせる造り。コンクリート打ちっぱなしの建物に入ると左側にフロントがあるのですが、そのバックのガラス窓には日月潭が。右奥にあるカフェに案内され、しばしウェルカムドリンク(中国茶)を飲みながらゆっくりしていると、スタッフがやってきてそのままチェックインの手続き。

 

客室は広いバルコニー付きのスイートのみ。私たちの部屋は2人用でしたが、それでも31坪もあるというのですから、たいそうゆったりした造りです。窓を開けてバルコニーに出ると、目の前には湖が広がっています。ホテルの名前の由来となっている拉魯(ラルー)島も見えます。そこを遊覧船がゆったりと行き来していて、向こう岸にはなだらかな山々が。

 

インテリアはナチュラルシックというのでしょうか、落ち着いた中に気品がただよう感じで、ある程度年齢の行った客には落ち着きます。ベッドの脇にバスルームがあり、バスタブからも外の景色を楽しむことができるようです。バルコニーの一角にも寝転がっていられるベッドが。さすが、「アマン」ならではの緻密な計算というか。



部屋をひととおりチェックしたあとは、ホテルを見学。茶藝館スタイルのティーハウスで、中国茶をいただきました。

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沖縄にも温泉が──瀬長島「龍神の湯」体験記

2014年5月4日
日本最南端の温泉は宮古島にあるそうです。以前は西表島にあったようですが、こちらはすでに廃業してしまっているため、繰り上がったのだとか。

しかし、沖縄本島にも最近(2012年12月)、天然の温泉がいくつか掘られ、営業を始めています。その中でもいちばん新しい豊見城市・瀬長島の「龍神の湯」に行ってきました。

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私たちが沖縄にやってきたのは2日前のこと。さっそく、いつものように「燕郷房」での夕食を楽しみ、昨日はのんびり過ごしました。そして、今日は、その温泉を楽しもうと、クルマで30分もかからずに行ける瀬長島に行ってみたのです。

瀬長島──。「島」といっても、本島と海中道路で結ばれているためクルマでも徒歩でも往き来できます。那覇空港に隣接していることから、離着陸する飛行機を間近で見られます。野球場もあるし、潮干狩りや釣りも楽しめるので、休日ともなると行楽客でにぎわうそうです。ここから15㎞ほど西の慶良間諸島に沈む夕日と那覇空港の滑走路が一望できる露天風呂が売りだそうです。

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クルマでしか行きにくい場所のようなので、そうしました。ホテルも敷設されていて、日帰り温泉の私たちも入口近くに駐車場があるのですが、この駐車場からの景色はGOODです。

露天風呂も素晴らしいのですが、温泉につかったあとの楽しみという点ではいまイチの感があります。風呂と受付の間に狭い和室スペースがあるのですが、壁に囲まれていて開放感がありません。ベンチとかイスがあればいいのですが、何もなし。ただ、すわるか横になるか(これも正直、厳しいかも)しかありません。もちろん、レストランもあるのですが、日中はランチバイキングのみ。3時を過ぎないとカフとしては使えないのです。

日帰り入浴よりホテルのほうがメインといった感じがするので仕方ないといえば仕方ないのですが、せっかく素晴らしい場所にあるだけに惜しい気がしました。

驚きの大藤@「あしかがフラワーパーク」

2014年4月28日
 もう、とんでもない藤です。というか、この「あしかがフラワーパーク」そのものが、これまでの常識では考えられないようなエンタテインメントの場です。

 

 朝5時起床、6時半過ぎには出発してわざわざ出向いたかいがありました。広大な──といっても、歩ききれないほどではありません──園内には、これでもかこれでもかというほど藤が植えられ、とりあえずは紫藤だけでしたが、目を楽しませてくれました。これからしばらくすると、白藤、さらに黄藤と、時期を追って順に花を開き、さらにカラフルな空間になるとのこと。初めてでしたが、半月後にまた来てみようと思ったしだい。「再入園割引券」がもらえたのも納得です。

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 家人が教えてくれた「あしかがフラワーパーク」。日本一の藤の花が楽しめるところだそうです。高速で行けば自宅から1時間ちょいで行けるというので、朝イチで出発。午後になると駐車場に車を止めるだけのために1時間以上も待つこともあると聞けば、多少の早起きは苦になりません。

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8時過ぎには到着し、クルマも難なく止められました。ゲートにもほど近く、大正解でした。まあ、聞きしに勝るとはこのことで、紫や白の大藤が大きな棚から下がっています。なかには半円形のゲート状の棚もあり、フォルム的にも変化に富み、たいそう楽しめました。黄花藤はまだちょい早かったようで、ほとんど見られませんでしたが、このゴールデンウイークに合わせて順序よく咲かせるための努力は並大抵のものではないでしょう。

 

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 いちばんすごかったのはシャクナゲです。クレマチスもあちこちで花を開いていました。バラも品種によっては見頃のものがあり、隅々まで楽しむことができました。

 

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 「足利」というところは初めてでしたが、行きつけの寿司屋の大将から事前に予備知識を仕込んでおいたのが役に立ちました。フラワーパークからクルマで15分ほど走ったところに史跡足利学校、鑁阿(ばんな)寺という名所があり、そこに立ち寄りました。

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 とくに足利学校には感動しました。地味な観光スポットなのですが、訪れてくる人の多さには驚きます。いつ、まただれによって作られたのかがはっきりしていないほど古くからあるようなのですが、とりあえずは日本で最古の学校のようです。一時期取り壊されそうになったのをなんとか残した田崎草雲という人物は尊敬に値します。

 

 
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 鑁阿寺の境内にある茶店のようなところで、足利名物のシュウマイ──といっても、刻んだタマネギに片栗粉をまぶし、皮で包んだもの──にトライ。ソースをつけて食べるべしと聞いていたのでそのとおりにしました。まあ、いうならばシュウマイもどきですか。もう一つがいもフライという名のフライドポテト。これもいかにもB級といった感じのメニューでした。

 

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 もう一つおまけがあります。今日は行きが関越、帰りが東北道を使いました。行き帰り同じ道というのはなんともイヤな私なので、たとえ遠回りでも別の道を選ぶのが常なのですが、今日は理由があります。それは、帰り道の東北道上り。羽生パーキングエリアに興味深い施設があったからです。名付けて「鬼平江戸村」というのですが、ここが大当たりしているようで、実際大変なお客がいました。池波正太郎の『鬼平犯科帳』に登場する食べ物やが軒を連ねるつくりになっていて、しかも、その作りがおそらくは江戸時代そのまま。外観を見ただけで興奮してしまいそうです。

 

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 そこの立ち寄りたかったものですから、先のようなコースを選んだのですが、たしかに面白く、これはアイデアの勝利だと感じました。本来はしょぼいPAなのでしょうが、それも工夫しだいでが集客につながるという素晴らしい教訓を学びました。

念願の「花見山公園」に

2014年4月17日
 ここ10年ほどずっと、「行きたい」と願っていた場所の一つに福島の「花見山公園」があります。その昔、写真家の秋山庄太郎が絶賛する記事を読んだことがあり、以後「いつかは……」と思っていたのですが、毎年スケジュールが合わなかかったり、合えば合ったで花がまだしていなかったりなど、なかなか縁がなかったのですが、とうとうそれが実現することになりました。

 早起きして東北新幹線で福島に着いたのは午前8時48分。9時からピストンバスが運行されており、それに乗っていざ「花見山公園へ。9時半からはもう、あたり一面を覆うさまざまな花に包まれていました。「梅と桃と桜が一斉に花を開く」というのが売りなのですが、今日もほぼそれに近い状況。さすがに、梅はほとんど散ってしまっていましたが、桃はまだまだ残っていますし、桜はほぼ満開。それ以外にもツツジにサツキ、モクレン、レンギョウ、ボケが花を咲かせており、それはそれは感激です。

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 花を堪能して、昼過ぎには福島駅前のそば屋で昼食。普通はこれで帰るのでしょうが、今回は翌日秋田、さらに翌々日は京都で仕事がありました。そこで、持ち前の「ついでに」精神が頭をもたげ、まずは田沢湖の温泉旅館「都わすれ」を訪れました。2008年4月以来ですから7年ぶりでしたが、相変わらずの充実ぶりで、食事は最高、湯も最高。前回と違い、部屋にインターネット回線が引かれていたので、ズバリ「都わすれ(=仕事忘れ)」というわけには行きませんでしたが、それだけに利便性もアップし、またいつか来ようという気持になりました。

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初めて見た「源平桜」

2014年4月11日
桃の花には紅白に咲き分ける「源平桃」と呼ばれる品種があるそうです。同じ幹から色の違う花が咲くこと自体、大きな驚きです。だったら桜にも……期待したくなりますが、残念ながら、紅白の花を咲かせる桜はありません。

ただし、桜にも「源平桜」と呼ばれるものがあるとのこと。しかしこちらは、別々の木がたまたま隣り合わせで育ち、枝がからまり合ったもので、一瞬、白とピンクの花が同じ幹から咲いているのではと錯覚してしまいます。

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その「源平桜」を、今日訪れた国立博物館で初めて見ました。たしかに、なんとも不思議な感じがします。もちろん、白=源氏、赤=平家という、それぞれの旗の色にちなんで名づけられているのですが、いかにも日本人好みのネーミングではありますね。

初めての豊橋、そして三河湾から京都へ

2014年3月9日
 3月8日に京都で仕事があったので、その前に三河湾で温泉でもと思い立ち、6日に東京を出ました。そのついでに、豊橋というところに行ってみたいというのもありました。
 

 

 豊橋は私の出身地・愛知県にありますが、とんと用事がなく、一度も行ったことがない町なのです。旧城下町で、『城下町の人々』という著書でも、それなりの記述はしたものの、やはり実際に行ったことがないと、きちんとしたことは書けません。

 

 というわけで、新幹線を豊橋で降り、レンタカーを借りました。まずは昼飯と、市役所近くのウナギ屋で腹ごしらえして吉田城跡へ。ここもまた川を見下ろす、いかにもという場所に建っていたしろのようです。そこからクルマで、三河湾沿いを西浦までゆっくりドライブ。愛知県はトヨタ自動車の本拠地ですから、とにかく道路がやたらよく整備されていて、走りやすさにかけてはこの上ないといった感じがします。西浦の温泉も海を見ながらのお湯で、十分楽しめました。

 

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バレンタインの日、男4人で伊豆の温泉へ

2014年2月15日
 昨日・今日と、高校時代の同期生4人で伊豆の温泉に行ってきました。ま、、この年になるとバレンタインも何も関係ありませんし。もともとは伊豆でゴルフをという話だったのですが、この寒い時期のゴルフも辛かろうというわけで、「19番ホールのみ」のゴルフ会=アフターゴルフだけの会に企画を変更したのです。

 ところが昨日の関東地方は、朝から猛烈な雪。はたして伊豆までたどり着けるのやらという感じでしたが、東京駅を午後3時過ぎの新幹線で出発。相変わらずけっこうな降りではあったのですが、小田原を過ぎると一変、猛烈な雪。これはこれは、今晩は雪見酒かと一同興奮したものの、どういうわけか、三島で新幹線を降りるころにはすっかりあがっていました。

 三島から伊豆急で長岡まで行き、旅館に着いたころからまた雪が激しくなり始めたのですが、部屋で食事を食べ酒を飲んでいるうち、そんなこともすっかり忘れていました。食後のカラオケで大盛り上がりし、最後、寝る前にひと風呂浴びるころはもう止んでいました。

 前日の話で、昼は三島でうなぎを食べることで一意していたので、その間の時間をつぶす必要があります。そこで、「社会科見学」に出ました。「韮山の反射炉」「江川邸(江戸時代の代官・江川太郎左衛門の屋敷)」「源頼朝配流の地跡(=蛭ヶ島)」を見学し三島広小路の駅で下車。そこから3、4分歩いて目的の「桜家」へ。近ごろはうなぎも品不足のようで、年々値根も上がっていますが、この店もけっして安くはありません。ただ、それに見合うだけのレベルで、もうとにかくおいしかったです。

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 「韮山の反射炉」は幕末、欧米諸国が日本の開国を求め、次々とやってきたのに備え、当地の代官・江川太郎左衛門が幕府に進言して築いた大砲鋳造炉です。反射炉というのは、熱をアーチ型の天井に反射させて鉄の溶解温度(1700度)を得る構造をしているため、その名で呼ばれたのだとか。山口県の萩にもありました。

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 韮山では江戸・品川沖に造られたお台場(砲台)に据える大砲を鋳造。安政4(1854)年の完成から約10年間、大小の大砲数百門を作ったといいます。炉体と煙突が完全な形で現存している世界唯一の産業遺産だそうです。

 うなぎでお腹いっぱいになった4人で、「楽寿園」(明治維新で活躍したという小松宮彰仁親王が明治23年に別邸として造営したもの)、三島大社をのぞきながら駅までぶらぶら歩き。充実した2日間の旅を終えました。

街の真ん中にある動物園は一見図書館・博物館風でした


2013年12月11日
いよいよ今日が最後。帰国便は夜なので、それまでの時間を利用してフランクフルトの動物園に行きました。ホテルからタクシーで行きましたが、着いたところはとても動物園の入口には見えません。えらく立派な建物が建っているのです。つい何年か前までは、まさしくその建物が動物園の入場口とのこと。見た感じは図書館か博物館・美術館といった印象です。

 

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入場料が安いのは、小ぶりだからでしょう。たしかに、中に入ってみるとコンパクトなサイズで、全部見てまわるのに1時間もあれば十分といった感じです。日中の予想最高気温が4度でしたから、それはそれで助かりました。

 

寒さのせいか室内にいたトラの子どもの可愛いこと。見学に訪れていた小学生の集団たちが大騒ぎしていました。キリンは外にいましたよ! ここは全部で5頭ですが、アフリカ原産の動物のなかでは、どこの動物園でもいちばん動きが活発なのが共通しています。

 

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キリンにお別れを告げ、地下鉄で都心に。最初行ったのは「クラインマルクトハレ」という食品マーケット。小さな店がビッシリ入っているのですが、ちょうどランチタイム時だったこともあり、けっこうな人でにぎわっていました。その中の1軒でパンを買い求め、日本に持ち帰ることにしました。

ドイツはやはりパンです。ホテルのビュフェスタイルの朝食でも10種類くらい出ているでしょうか、とにかく多種多様。しかも、どれも皆すこぶるつきのおいしさです。面白いのは、日本のような真っ白のパンをほとんど見かけないこと。地でつくられているのはすべて茶色というか、皮の部分も中身も天然の感じがします。となると、どのくらいの期間もつかはわかりませんが、この季節ですから、まあ4、5日は大丈夫そうだということで、2種類、それぞれ500グラムずつ購入したしだい。

 

ランチは昨日同様、日本食。近くに「にしき」という名前の店があったので、そこで食べました。前夜とはうって変わって真っ当な店で、値段もごくリーズナブル。それでいて味もよく、ここなら安心して利用できます。焼き魚定食は久しぶりに「日本」を感じさせてくれました。

いま世界中が寿司を中心にした日本食への関心が強いようで、ここフランクフルトも回転寿司やラーメンの看板が目につきます。しかし、外国の人はともかく、日本人の胃袋を満足させてくれる店となると、なかなか見つかりません。ニュージーランドではありませんが、看板には「日本料理」とか「寿司」とあっても、経営者は韓国人・中国人、作っているのはミャンマー人・ベトナム人といったパターンが多く、でき上がってくる料も、「これが日本かよ!?」といったものばかり。それでも醤油さえきちんとしていれば、私たちの舌もなんとかごまかせるものです。その点、昨夜の店は醤油がおかしいというか、どこ仕様なのかはっきりしない感じで、それも不満を抱いた理由です。看板には「Kikkoman」とあったのですが……。

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初めて観光してみたフランクフルト

2013年12月10日
昼過ぎの列車でフランクフルトに移動するまでの間、ニュルンベルク中央駅近くにある鉄道博物館に行ってみました。一時はヨーロッパの鉄道界をリードしたこともあるドイツの鉄道。実物も展示してあるのですが、ミニチュアを走らせるジオラマの模型もあります。

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鉄道も航空も船舶など、「交通機関」にまつわる博物館というのは、いわくいいがたいのですが、無条件で面白い。夢をそそるというか、その造形美のすばらしさというか、あるいはまた乗務員・乗組員のいでたち、持っている道具など、何をとってもカッこいいのです。いうならば、一定の形式が備える美の体系、その完成度が人々の興味をそそるのでしょう。2時間ほどでしたが、たっぷり楽しませてもらいました。

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さて、フランクフルトというと単なる通過点のイメージが強い町です。日本からヨーロッパに行くときのゲイトウェイとしていちばんポピュラーですし、どこに行くにも1~2時間なので、便利さの点でも図抜けています。

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私たちはニュルンベルクからですから、鉄道。2時間ほどで着き、中央駅から歩いて、マイン河畔のインターコンチネンタルホテルに。ホテルの入口で出迎えてくれるドアマンから、「こんにちは」と日本語で声をかけられると、なんだか無性にうれしくなります。ホテルによっては「ニーハオ」とか「アンニョンハセヨ」など、別の国の言葉で声をかけられるケースもあり、そういうときはわざと「コンニチハ」と返事をし、「ノットチャイニーズ」「ノットコリアン」とお断わりするのですが、欧米の人にとってアジア人を峻別するのはなかなかむずかしいようです。

荷物を置くとさっそく、中心部に向かいました。川沿いの道からカイザーマルクト通りに入ってゲーテ広場へ。何年か前に来たときと同じように、ゲーテの立像が人々を見守っています。カタリーナ教会からツァイルと呼ばれる歩行者天国の道に入って東に進んだところが、中世の時代の市の壁跡が残るコンスターブラーヴァッへ。

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道幅の広いツァイルは大変な人通りで、ここもやはり世界中から観光客がやってきている印象です。続いて見えてきたのは聖パウルス教会。その向かい側にある旧市庁舎と南側のニコライ教会に囲まれたレーマー広場がクリスマスマーケットの中心です。屋台につけられた登録番号の票を見ると400番台まであるので、その規模の大きさがわかります。

本当なら子ども向けのはずのメリーゴーラウンド(カルーセル)に乗っているのも大人ばかり。とにかく、人の数はさすがドイツ2番目の都市だけのことはあります。ここいら一帯以外にとりたてて観光スポットはないようですが、それでも初めてゆっくりと見て回ることができたのはよかったです。

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夕食はシュタインベルガー・フランクフルターホフという老舗のホテルに入っている日本料理店を選びましたが、ガイドブックに「接待向け」とあるように、値段はかなりのものです。今回の旅行でいちばんの金額でしたが、そのわりには味もサービスもいまイチ。海外に古くから店を開いている日本料理店によくありがちの、なんとなく偉そうな感じのする店でした。

ニュルンベルクソーセージは焼いて食べるべし

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 今日は午前中、例によって動物園に行ってきました。ホテルの前からトラムに乗って15分ほどで到着。ここでも、キリンは元気そうにしていました。面白いのは、自然の地形を生かしてのことか、高い崖を思わせるような場所に、ヨーロッパアルプス・ローカルの動物がいたこと。冬の動物園で元気がいいのはアザラシやイルカの類だけです。

 

 

 

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動物園のあとは、ナチスが歴史的な党大会を開いた会場跡(ドク・ツェントルム)を見学。当時の様子を彷彿させる写真や映像がふんだんに展示されており、ドイツの高校生・大学生も多く見学に訪れていました。ドイツではいまでもなお、「ナチス」に関しては「100%悪」「二度とおかしてはならない過ち」という歴史教育の方針が徹底しており、このあたりが日本とは根本的に違います。変に隠蔽しようとしたり逃げ隠れしない姿勢はやはり、学ぶべきものがあるように感じました。

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午後3時ごろから、ニュルンベルクの街を象徴する「カイザーブルク」という古城へ。街の北の端の小高い丘に建つこの城の見ものは、そこからの景色でしょう。建物の中に入らず、塔の脇にあるところから街全体を見下ろす景色には圧倒されます。しかし、この日、私たちはなんと「虹」に出くわしました。それも180度のダブルの虹! 雨上がりだったということもありますが、東の空にくっきりと浮かんだニュルンベルクの虹は一生の思い出になりそうです。

 

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もう一つ、塔の脇に建つ小ぶりな建物の中にあった古井戸も印象的でした。上からピッチャーに入れた水を落とすのですが、その水が40mほど下まで到達するのに3秒ほどかかります。ポッチャーンという音が聞こえてきたときはもう絶句。しかも、落ちて行く様子が、ロウソク付きのカメラで実際に見られるのです。

L1080576_2城をあとにし、旧市庁舎前にあるレストランで夕食。お客さんは世界中から来ているようで、私たちが着いたテーブルはアメリカからやってきた4人連れのグループでした。彼らが帰ったあとその席にすわったのはブラジルの人。食べたのはニュルンベルク・ソーセージの炭焼きでしたが、これはたいそう美味でした。なんといっても、炭火の香りが魅力的で、ニュルンベルクソーセージは焼いて食べるにかぎるといわれるのも納得です。

 

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田舎町で聴いた少年合唱団の美声

2013年12月8日

昨夜、ガイドブックに目を通していたら、おもしろい情報に出くわしました。ニュルンベルクから鉄道で小1時間のところにあるレーゲンスブルクの大聖堂で、日曜日の朝10時から、少年合唱団の歌声を楽しめるというのです。「ドームシュパッツェン(大聖堂のスズメたち)」という名の合唱団だそうですが、これがウィーン少年合唱団も顔負けの美声を聞かせてくれるというので、ホテルを早めに出て、聴きにいきました。

 

 



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駅から歩いて10分、まだ9時半を過ぎたばかりだというのに、大聖堂の中はすでにほぼ満席。後ろのほうの席に遠慮深く腰をおろしてからしばらく経つと、毎週日曜日におこなわれているミサが始まりました。讃美歌から始まるその式次第の途中、何回か合唱団が歌うのですが、たしかに素晴らしい美声です。なかには、彼らに向けてカメラを構えている人もおり、要するに、私たちと同様、ミサよりそちらが主目的という人がけっこういたのです。この教会の壁にかかるパイプオルガンも、このタイプとしては世界最大ということで、それもまた目的のようでした。

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ドナウ河畔にあるこの町の売りは大聖堂くらいのものだと思うのですが、それでもミサのあと外に出てドナウ川近くの石橋あたり(世界遺産です!)まで行くと、なんと日本人の団体ツアーに出くわしました。クリスマスマーケット見学ツアーの流れで立ち寄ったのでしょうが、こんな、名前すら聞いたこともない町を訪れるのですから、たいしたものです。

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大聖堂近くに旧市庁舎があり、その1階にある食堂でランチ。ここのドイツ風ピザがとてもおいしいのが印象に残りました。そのあと、駅に近い聖エメラム教会など、ドイツでも屈指の富豪が保有する城のまわりを歩き──なんと、その中庭でもクリスマスマーケットが開かれていました!──レーゲンスブルクをあとにし、ドナウ川をもう少し下ったところにあるパッサウという町に向かいました。

 

鉄道でさらに1時間、この町はドイツ、オーストリア、チェコの国境にあります。さすが、ここまでやってくる日本人もいないようで、人はけっこう出ていたものの、ほとんどが欧米系でした。とりたてて見所があるわけでもないので当然といえば当然なのですが、それでもクリスマスマーケットがおこなわれており、日曜日ということでけっこうなにぎわいでした。

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パッサウから鉄道で2時間。ニュルンベルクに戻ると相変わらずの人出で街は大にぎわい。7時半くらいに着いたのですが、「これから」とおぼしき人の姿も目につきました。とにかく、ドイツ国内はもちろん、周辺の国、さらにアメリカあたりからやって来ている人も多いようで、さすがニュルンベルクのクリスマスマーケットは、ほかの街とはひと味もふた味も違うようです。

ミュンヘンからニュルンベルクに移動

2013年12月7日

今日は移動日。といっても特急で2時間ほどですから、さほど大変ではありません。中央駅から11時15分発のICEの1等席を予約してみました。スペインの1等車とどのくらい違うのか確かめてみたかったからですが、快適さという点ではスペインのほうが断然上を行っています。

 

おもしろいのは席のヴァリエーション。1人用、2人用、3人用、それ以上の人数用といったぐあいに並んでいるのです。ネットで予約すると、空いているかぎり好みのタイプの席を指定できるので、向かい合わせの席にしてみました。ただ、サービスはほとんどなく、せいぜい新聞が無料でもらえるくらいのもの。飲み物も食べ物も有料で、道中、車掌がオーダーを取りに来てくれます。なぜか、「HARIBO」というブランドのグミをかなず配っているのがおもしろかったかな。

ニュルンベルクもミュンヘン同様、ホテルは駅のすぐ近く。かつての「グランドホテル」ですから、創業以来150年ほどの建物。それ以上に驚いたのは駅舎です。何様式というのかは知りませんが、とてつもなくクラシックな建物で、かつて鉄道に「権威」がつきまとっていた時代を思わせるご大層な駅舎でした。町も、その駅舎にふさわしく古いところで、1000年以上の歴史を刻んでいます。

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ホテルで荷ほどきをするとすぐ町歩きに出発。駅前から旧市街に通じるケーニヒ通りに一歩足を踏み入れると、早くもクリスマスマーケットが始まっています。アウグスブルクくらいの小さな町だとクリスマスマーケットの屋台があるのは1カ所だけですが、ここは違うようです。

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屋台といっても、屋根付き、ひさし付きのコテージ、キャビンといった趣きで、それぞれがかなりの数の商品を並べています。飲食を提供する屋台の前はグリューワインやソーセージ(ハム)をはさんだパンを手にした人が固まっているので、通り過ぎるのも大変なことがしばしば。グリューワイン1杯(約200cc)がだいたい3ユーロほどなのですが、容器代としてとりあえず2ユーロ程度のデポジットが上乗せされます。飲み終えたあと店に返せば全額戻ってくる仕組みになっています。

屋台にはだいたい、クリスマス関係の品物が並べられています。ロウソク、ツリーの飾り付け用グッズ、そのほか人形や部屋の飾りなど種々雑多ですが、要は日本の年越し用品を思い浮かべればいいでしょう。それぞれの品々のテイストも地域によってかなり違うようで、そのあたりがバイエルン州の広さを感じさせます。

L10803846、7分歩いて聖ロレンツ教会の前まで来ると、もう芋を洗うようなにぎわい。まっすぐ前に歩くこともままならない状況になってきます。ニュルンベルクのクリスマスマーケットはドイツでも屈指のようで、とにかく人また人。まして、この日は土曜日でしたから余計です。国内はもとより、フランスやオランダ、ベルギー、イタリアなどから泊まりがけで来ていると思しき人の姿も目立ちました。ちなみに、日本人も多いこと、多いこと。ここ2、3年、ドイツ各地の「クリスマスマーケット」を訪れるツアーが目につきますが、人気のほどを実感させられました。

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しかし、このあたりはまだ序の口で、ニュルンベルクのクリスマスマーケットの花はペグニッツという名の小さな川を渡ってから。フラウエン教会と市庁舎の周辺は、もう身動きが取れないほどの混雑ぶりでした。この町のクリスマスマーケットは「子ども」を強く意識しているようでした。つきもののカルーセルはもちろん、子ども向けの商品をそろえた屋台が集中している場所もありました。もちろん、食べ物も同じ。これはほかの街にはなさそうで、そこにも人気の原因があるのかもしれません。

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ミュンヘン最後の夜はオペラ

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2013年12月6日

クリスマスマーケットだけでは飽きもするだろうと、出発前に買い求めておいたオペラ『トスカ』の上演が今晩です。バイエルン州立歌劇場というのは、たかだか「州」でこんなにも立派な劇場をというくらい素晴らしい建築物。なにせ最初に訪れた、王様の住居「レジデンツ」とセットになっている建物ですから、相当なものです。もっとも、バイエルンはいまでこそ「州」ですが、かつては独立した国家だったので、当然かもしれません。ただ、ウイーンのオペラ座のように内外に贅を尽くした派手派手しさはありません。ドイツ的というか、権威的な感じはありますが、これ見よがしの装飾などは極力排されているようです。

 

開演は7時だったので、昼間町に出たときにウイルコールでチケットの受け取りを済ませておきました。中央駅近くのカールスバッドというドイツでは有名なデパートをのぞき、その足でカールスプラッツ(広場)を経てマリエンプラッツまでぶらぶら歩き。

 

今日は朝から風が強く、気温もかなり低い感じです。しかも、出発前に家人が風邪をひいており、こちらに来てもなかなかよくならなかったため、午後は部屋で休んでもらい、私は一人で、強風で雪が舞う中を、旧市街地の東側を流れるイーザル川の中洲にあるドイツ博物館の見学へ。これがまた、とんでもなく広い博物館で、機械好き、鉄道好き、飛行機好き、船好きの人にはたまらない場所なのではないでしょうか。

 

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私自身はそれほどのマニアでもなんでもないのですが、3時間近くいて飽きることはなく、疲れも感じませんでした。ナチスドイツが第2次大戦中に使ったVロケットやUボートの実物を目にしたときは、それまで知識としてしか知らなかったものだけにやはり感銘を受けました。

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しかし、何より度肝を抜かれたのは、博物館の地下にある「炭鉱採掘ジオラマ」です。実際と同じスケールで複雑な坑道やら運搬用のトロッコ、選鉱のための施設など、ありとあらゆるものが忠実に再現されているのには感心を飛び越え、感動しました。途中、階段を上ったり降りたりするうちに妙に息苦しくなったりもし、非常にリアルなのです。30分ほども見てまわり、最後ようやく1階に上がっていったときはホッとしたというか、実際にその仕事に従事していた人たちの思いもかくあらんというか、ドイツ人のこだわりのようなものを感じさせられました。

 

博物館、それもいかにも男くさそうなシロモノばかりを集めたところですから、客層は例によって、中年過ぎのマニアックを絵に描いたようなオッサンがほとんどではないかと思っていました。しかし、これがどうしてどうして、若いカップルやら家族連れなど意外な感じの客が多いのには驚きました。今回私が見られたのは全体の半分ほど。まったく足を踏み入れなかったエリアもまだまだあり、全体を見学していたら、おそらく丸1日はかかるのではないでしょうか。

 

オペラのほうは事前の予習が足らず、ストーリーをよく理解しないままで臨んだものですから、楽しみも半ばというところでした。しかし、チケットは早々に完売になっていましたし、しっかりお洒落をしてきている客がほとんどで、会場の素晴らしさとともに、そうした時間の過ごし方ができるドイツ、というかヨーロッパの人たちの心の余裕のようなものを感じたしだい。ちなみに、私たちの買い求めたチケットは2人で240ユーロほど。前から15列目、左右のちょうど真ん中あたりという素晴らしい席でしたから、“授業料”としては安いものでしょう。

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半日がかりのお城見学ツアー

2013年12月5日

今回唯一のレディーメイド「現地ツアー」に申し込み、かの有名な「ノイシュヴァンシュタイン城」を観に行ってきました。ホテルでゆっくり朝食を取っている時間はないので、中央駅構内の立ち食いカフェでサンドイッチ。ただし、どの店で食べても、日本でよく売られている冷凍ものよりははるかにイケます。ドイツのパンはとにかくうまいのです。

 

同じく駅構内にあるSTARBUCKSが集合場所。定刻の8時になると、あちこちから、なんと50人を超える日本人が集まってきたではありませんか。私の事前の予想では、こんな城なんて、団塊おじさん・おばさんばかりでは……だったのですが、若い人がほとんど。私たちのほうがむしろ浮いている感じです。

 

 

まだ薄暗い中、バスは一路、ミュンヘン南西にあるシュヴァンガウの町へ。アウトバーン+一般道でほぼ2時間半走ると到着です。ノイシュヴァンシュタイン城の見学は個人客は非常に不利な仕組みにできており、こうした団体ツアーでなければ内部を見ることはできないようです。おみやげ屋の前でバスを降り、待つこと小1時間。ガイドさんに連れられて坂道を30分弱登ると、写真で見たのと同じ城が。しかし、そのときどきで異なるようですが、5から10分刻みで、だいたい30~50人ずつのグループに分かれ、中に入ります。

 

 

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ヨーロッパの城にもいろいろありますが、キホン、エレベーターなどあろうはずもないので、例によって羅旋階段を根気よくのぼり、上へ上へ。ミュンヘンというかバイエルン地方を治めていたヴィッテルバッハ家のルートヴィヒ2世が17年間かけて造らせた城ということで、中はさまざま趣向が凝らされており、好きな人が見れば、それなりに興味深いのでしょう。

 

 

ただ、この城の売りはそのロケーションに尽きます。まわりはほとんど断崖絶壁の山。北側に平地が広がり、シュヴァンガウの町を見はるかすことができます。その先にあるフォルッゲン湖と合わさっての景観は素晴らしく、その取り合わせを楽しめばいいのではないでしょうか。

 

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私たちは、○○風の装飾がどうの、××風の内装がこうのといわれても、ほとんど右から左に聞き流すだけ。そうした細かなことより、こんな場所に、これだけ手間ヒマかけて、おとぎ話に出てくるような城を造らせたという事実に感じ入りました。ディズニーランドのシンデレラ城もこの城がモデルとかいわれているようで、それが若い人たちの興味をそそるのかもしれません。

 

 

何より恵まれたのは、天気がおだやかだったこと。時と場合によっては、麓どころか、城の真ん前まで行っても城の姿が見えないこともあるということでした。それを考えると、今日は日もさんさんと差していましたし、シュヴァンガウの町や湖もくっきり見え、とてもラッキーでした。

 

L1080245私たちが城を見終え次の目的地に出発するお昼過ぎころからは、もうひっきりなしに見物客が訪れてきており、ふもとの店はどこも皆大変な混雑。ゆっくりランチを取る時間もなかったので、朝、駅の構内で取った朝食の残りとバナナで済ませ、バスに乗り込みました。そこから小1時間で世界遺産のヴィース教会へ。さまざまいわくのある教会のようですが、名物というか、それを観に世界中から、年間100万を超える人が訪れるという「涙のキリスト」像をちらっと見ただけで、そこをあとにしました。

 

ツアー最後の目的地は。観光ガイドには出ていない小さな町でクリスマスマーケットを見学するというものです。ものの15分もあればすべて見てまわれるほどの規模ですし、お腹も空いたのでカフェにもぐり込みお茶して過ごしました。5時半過ぎに街を出て帰路へ。7時前にはミュンヘンに着き、今日こそはとちゃんとした夕食を食べました。といっても場所はやはり駅構内。数少ないレストランで、これまた定番の肉を食しておしまいです。

 

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このあたりは今週の予想最高気温が摂氏3から6℃。朝は-3~0℃ですから、1日中ほとんど変化がありません。冬の間は毎日がそんな状態らしく、風が吹けば体感温度はもっと低く感じられ、お日様が照ればさほど寒く感じずに済みます。また日なたと日陰でもたいそう違いがあります。

ドイツで中華饅頭とは!

2013年12月4日

 今日はミュンヘンから鉄道で約1時間の古都アウグスブルクに行ってきました。よく聞く「ロマンティック街道」にあるこの町は、人口も27万程度と、さほど大きくはありませんが、味わいに富んでいました。

 

 

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なにせ、町の名前からして、古代ローマの皇帝アウグストゥスにちなんでいるというのですから、その歴史の長さは想像を絶しています。駅から歩きケーニヒ広場というところまで行くと、大々的な工事がおこなわれていましたが、その先は石畳の道も多く、ちょっと横丁や路地に入ると2000年前──というといささか大げさに過ぎますが──、少なくとも500年前くらいの香りはただよってきそうです。

   

まず、ドイツの町では定番の大聖堂を拝観。1100年前から建築が始まったそうで、ステンドグラスは世界最古のものだといいます。そのあとは市庁舎へ。ここでは「黄金のホール」と呼ばれる部屋を観ました。「市庁舎」という名前からすると、市役所のような無機質な建物をつい思い浮かべてしまいそうですが、ドイツではそれは当たりません。たいがいは、大聖堂と並んでその町でいちばん古い建築物で、町のいちばん偉い人たちが出入りしていたのでしょう。それがために、絢爛豪華な内装をほどこした部屋を備えていたりするようです。

 

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その市庁舎の前を走るのがいわゆる「ロマンティック街道」。文字のとおりに訳すと「ローマへの巡礼の道」ということになります。そこを60をとうに過ぎた私と家人とが、たとえ手をつないで歩いたとしても、別の意味での「ロマンティック」な気持ちは沸きそうにありません(笑)。道すがら、夏になればさぞかし楽しい時間が過ごせそうなカフェもけっこうあるのですが、真冬ですから、そうした店にも入ろうという気にもなりにくく、結局、ひたすら歩き続けることにあいなります。

 

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「黄金のホール」を見たあと、裏手の坂道を下り「フッグライ」という、一風変わった場所に行きました。これまた世界最古という触れ込みの、社会福祉住宅(日本流にいうとタウンハウスでしょうか)が建ち並ぶエリアだそうです。社会福祉住宅といっても、日本人の感覚からするとけっこう立派な建築物で、いまなお人が住んでいます。ただ、家賃が驚くほど安く、観光ガイドには年100円(!)ほどと書かれています。住民が家を出入りする姿を目にすることはありませんでしたが、どこの家もこぎれいな感じで、窓にクリスマスの到来を思わせる飾りつけがなされている家もありました。

 

 

 

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L1080172市庁舎昨日に続き、今日もまた町歩きをしながらグリューワインやらソーセージやらシュトーレンというお菓子やらをちょこちょこ口にしてしまうため、決定的な空腹を感じるときがなかなかありません。

夕方4時を過ぎ、空が暗くなるのに合わせて寒さが増してくるので、遅くまで歩いていようという気にもなれません。結局、寒さをしのぐのと、ちょっと休憩したいの一心だけで、ロマンティック街道から少し入ったところにカフェを見つけ、そこでお茶を飲みました。ただ、ケーキがあまりにおいしそうで、チョコレート系のものを一つ見つくろい、それを家人と分けながら食べました。それでも3分の1は残しましたが……。

 

 5時半ごろに店を出ると、市庁舎前広場のクリスマスマーケットはもう大変なにぎわい。そうした中で見かけはまごうことなき「中華饅頭」という食べ物を見つけました。店のオーナーは中国系の人かと思って目をやったのですが、その気配はまったくなし。完全なゲルマンの顔です。地元の人の様子を見ると、お皿に乗せた上から何やらスープめいたものをかけて食べています。

 ものは試しと、さっそく一つ買って口にしたのですが、これがまたとんでもないシロモノ。スープのように見えたのは実はシロップで、中華饅頭(といっても、ミルクと油で蒸し焼きにした酵母入りのふわふわのパン)も中身はなくすべて皮だけといったもの。これでシロップでもおいしければイケたのでしょうが、ただただ甘いだけ。申し訳ないとは思いましたが、ひと口だけでやめました。名前は“Dampfnudel Ungefullt"。私たちが買ったのは、それに“mit Vanillesosse”とありましたから、なるほど甘いはずです。 

 

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7時にはアウグスブルクを出発、帰路に着きました。ミュンヘン着は8時ごろ。今日もまた夕食は食べたような食べないような。駅中の、よくもまあこれほど……と思わされるほどたくさんあるパン屋でサンドイッチを買い、部屋でそれを食べるというパターンで終わりました。

念願のドイツ・クリスマスマーケットに

2013年12月3日

昨日夜遅く、フランクフルト経由でミュンヘン着。


今回はJALのマイレージが貯まってもらった特典チケットなので、往復の運賃はゼロです。

さすがに、ホテルからは一歩も出ずに休んで、今朝は朝イチから街に出ました。Uバーンでマリエンプラッツまで出て、まずは「レジデンツ」の見学。

 

名前からすると、この一帯を治めていたバイエルン選帝侯の居所なのでしょう。
それはそれは広大な建築物なのですが、ウィーンやパリ、サンクトペテルブルグで見たような、きらびやかな雰囲気とは違います。なんだかんだいっても、ドイツはやはりヨーロッパの後進地域だったわけですし、皇帝の絶対権力もさほど強くはなかったのでしょう。
上を見ても下を見てもどこも皆ピカピカという感じではありません。
それでも、代々の王、その一族の肖像画をズラリと並べた祖先画ギャラリーと、同じくその彫像を並べてあるところは、ほかの宮殿には例がなく、一見の価値があります。

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「レジデンツ」をあとにし、マリエンプラッツに戻ると、まだ昼前だというのにどんどん人が出始めていて、クリスマスマーケットを盛り上げる屋台もボチボチ店を開け始めます。
そんな仲の1軒でグリューワインとシュトーレンという名物を軽くやり、第2目標の動物園へ。
マリエンプラッツという大繁華街からUバーンで6つ目、わずか12、3分乗っただけで、地上は大都市であることをまったく感じさせない文字どおりの田園風景。
川がゆるやかに流れています。
駅から地上に出てその川にかかる橋を渡ったところが動物園で、
今年でオープン140周年だそうです。

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お目当てはいつもどおりキリン。
入場料12ユーロなりを支払って中に入ると、5分も歩かないうちにキリンが! 
おとな3頭、子ども1頭が悠々とその姿を見せてくれました。
園内を流れている川の一部は凍っていますし、動物がいる柵の中もところどころ地面に雪が積もっていたり霜で固まっていたりなど、さすが冬の動物園。
ホッキョクグマだのペンギン、アザラシなどにとっては快適な環境でしょうが、アフリカやインドなどが原産の動物たちにしてみるとやはりしんどい毎日のはず。
動きが鈍いというか、なんだかボーっとした様子を見せています。
インドゾウなど、最初から外にも出ていませんでした。

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冬の動物園、それも平日となるとどこかうらさびしい印象もあるのですが、それでもゆったりとしているので、気持ち的にはゆるみます。これで寒くさえなければ最高なのですが。

動物園は1時間で切り上げ、再びマリエンプラッツに戻り軽い昼飯。
温かいコーヒーとサンドイッチのごく軽い内容ですが、それでも全部を食べ切るとなると容易ではありません。
基本的にボリュームが違うので、どうしても残してしまいます。

そのあと、かの有名なBMWミュージアムまで行きました。
BMWとはそもそも「Bayern Motoren Werke」の頭文字を並べたもので、ミュンヘンに本社があります。
ちなみに、メルセデス・ベンツとポルシェはもう少し西のシュトゥットガルトが本拠地。
かつて1972年に開催されたミュンヘンオリンピックの跡地を利用したのでしょう、巨大な工場とショールーム、さらにミュージアムからなるこの一帯はまさしくBMW城下町。
世界中から工場やミュージアムの見学を目的とした人がいっぱい訪れてきます。

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ショールームを見終わり、ミュージアムに移動したのですが、あいにく午後2時からはイベントがあるそうでクローズ。またの機会にということで、そちらをあとにしました。

一度ホテルに戻ってひと休みした後、夕方6時からクリスマスマーケット夜の部へ。
昼間よりさらに多くの人が出ていて、マリエンプラッツ周辺はごった返しています。
フランスから来ている人がいちばん多いように思えるのは、カトリックの国ですぐ近くだからでしょうか。
クリスマスを盛大に祝うのは、ドイツがプロテスタントの国だからにちがいありません。
カトリックの国フランスではこうした場はあまりなさそうな気がします。

私たちはマリエンプラッツから歩いて10分ほどのところにある「レジデンツ」の中庭でおこなわれているマーケットに行きました。
グリューワイン、リンゴのフライ、ピーナッツの煎り菓子など、以前『札幌学』執筆のため取材した札幌のクリスマス市で経験したことのあるこの時期の名物を次々と買っては飲み、食べ、堪能しました。

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AVEの一等車のサービスは日本より上

2013年10月9日
今日はセビリヤの最終日です。午前中はホテルのすぐ近くにある、目立たないのですが、味わいのある広場を見に行きました。

Photo_36ずっと探していたのですが、やっと見つけることができました。週末になるとノミの市が開かれるそうで、それに遭遇できなかったのがなんとも残念です。

ホテルをチェックアウトし、サンタフスタの駅からAVEでマドリードに戻ります。帰りは奮発して1等車に乗りました。日本のJRでいうグリーン車ですが、これがまたグリーン車をはるかにしのぐサービスのよさ。乗ったらすぐ飲み物(ジュースか水かワインから選べます)が届けられ、しばらくすると新聞・雑誌。1時間ほど経つと軽食が配られ、またまた無料の飲み物が提供されます。

Renfeセビリヤからマドリードまでは東京・大阪間と同距離。値段も日本のグリーン車とほぼ同じですから、はるかにお値打ちな感じがします。

日本もスペインも、鉄道は独占事業ですから、この種のサービスも、なければないで済んでしまうのですが、スペインはなぜか、素晴らしいサービスを提供してくれました。日本のグリーン車については、以前もこのブログで不満を記したことがありますが、改めてその思いを深くしたしだい。

さて、マドリードのアトーチャ駅に着き、そこからタクシーで前と同じホテルにチェックイン。それにしても、駅前にあるオブジェは笑わせます。Photo_47
意味がよくわからないのですが、子どもの首から上の部分がころがっているのですから。

 

預けておいた荷物を部屋まで運んでもらったあと、まだ一度も足を踏み入れていないサラマンカ地区まで出かけました。

 

これまで何度となく歩いたダウンタウン=旧市街とはまったく趣きが異なります。おしゃれというか、ハイブローというか、高級ブティックがいくつも軒を連ね、地元のややレベルの高そうな店も少なくありません。Photo_37

そんな中で見つけた紳士服店があったのですが、ちょうどシエスタに引っかかりドアが閉まっています。再オープンはなんと午後5時だそうで、1時半からなんと3時間半も昼休みを取っている計算になります。でも、それを待ってでも……という価値のありそうな店だったので、ほかのところで時間をつぶしながら待ちました。

やっとの思いで中に入ったのですが、やはり洒落た服がいっぱいでした。そこで日本にはない色使いのシャツとコーデュロイのジーンズを買い店をあとにしたのですが、値段も安く、とても気分がよかったです。

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ホテルに戻る前に、近くにあるシベレス広場に立ち寄りました。マドリードでいちばん美しいともいわれるスポットだといいます。周囲には19世紀から20世紀にかけて建てられたリナレス宮殿、シベレス宮殿(マドリード支庁舎本部)、スペイン銀行(バンコデスパーニャ)、ブエナビスタ宮殿と、4つも歴史的建造物があります。広場の中心にある、マドリードの象徴=シベレスの噴水は、カルロス3世により18世紀に計画されたプラド通りの装飾の一部として造られたもの。また、レアル・マドリードの優勝を祝うパレードの最終地点とのことです。

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夜は、20数年前にも訪れたことがある日本料理店「どん底」で幕の内弁当を食べました。日本人の姿は皆無で、私たちがいた1時間半の間に来店したのはすべてスペイン人。初めてといった感じの人もいたようですが、大半は常連ではないでしょうか。スペインでも日本食は人気があるのですね。

短縮されたシエスタ

2013年10月8日
ホテルのパティオにある屋外レストランでバフェットの朝食を済ませ、まず闘牛場の見学に。
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途中ビールとサングリア。その昔イングリッド・バーグマンも泊まったというインテグレッサホテルの前まで歩きました。そこから北へ行くと、「世界最大の木造建築」という触れ込みの奇妙な建物があります。いったいなんのための建物か、さっぱりわかりません。ホント、いったいなんなのでしょう。

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それにしても天気がよすぎるというか、今日もピーカンです。日なたを歩き続けると、さすがに暑さがこたえます。マドリードより5、6度は気温が高いようで、今日の予想最高気温は30度でしたから、それも当然でしょう。天空にアーケードというか布の覆いをほどこしてある商店街もありました。

Photo_33途中で見かけたスイーツの店(=「サンパブロ」)で買ったお菓子が美味。1個1ユーロなのですが、日本にはない味です。商店街を終えたところにあったLOEWEで買い物。日本人もけっこう来ている様子です。

そこから歩いて10分のところにあるカテドラルへ。30分で見学し、昼食。おみやげを買いにブラブラし、陶器のお皿を選びました。そのあとホテルでシエスタ。シエスタ中の店はシャッターをおろしており、完全に「準備中」の構え。以前はたっぷり3時間はとっていたのですが、観光当局のお達しもあり、近ごろは2時間から2時間半に短縮されたそうです。開いているのはバールのみでした。

昼寝から目が覚めたのは夕方6時過ぎ、といっても外はまるで真昼のように明るいのですが、スペイン広場まで歩いていきました。途中、まだ一度も通っていない道をということで、古い王立タバコ工場の前を歩いて行ったのですが、ここはいまなんと大学になっています。一つのブロックをまるまる占める広大な敷地に建物が一つだけですから、その大きさがうかがい知れます。

Photo_34それにしてもタバコ工場の跡地、いや跡建物でしょうか、に大学というのはとてもおしゃれな感じがしました。ちょっと校舎の中をのぞいてみたのですが、さすが「王立」、なんとも立派なつくりです。

ホテルを出て、15分ほどでスペイン広場に着きました。これまたなんとも広い敷地に半径200メートルという半円形の建物が一つあるだけですが、そのスケールの大きさときたら。もともと1929年に開催された万国博覧会(イベロ・アメリカ博覧会)のパビリオンとして建てられたそうで、半円形に延びる長い回廊と、それを囲む壁にスペイン各県の歴史的できごとを描いたタイル絵がズラッと並んでいました。写真を撮るには格好の場所で、私たちもそれこそ何十枚と撮り、またときには撮ってもらいました。Photo_35