岡崎――っ! プレミアリーグ「レスターC」の試合も観戦

2015年9月26日
今日は土曜日で、夕方からプレミアリーグのサッカーを見る予定にしています。場所はノッティンガムから車で1時間ほどのところにあるレスターという町。そう、あの岡崎慎司が所属している「レスターシティー」のホームグラウンドです。ラグビーを観戦しに来ているのになぜサッカーなんて、と思われるかもしれません。でも、プレミアリーグの試合だけを観戦にイギリスまでやってくる気は私にはさらさらないのです。ちょうど、レスターの近くにいて、しかも岡崎が出そうだというので、チケットを予約しておいたわけで、近くの別の町で試合があれば、そちらを観にいっていたことでしょう。要するに、一度でいいから「プレミアリーグ」の試合をナマで観てみたいだけ。まして、日本人の岡崎が試合に出ているとなれば、いうことなしです。

L1040917_22時少し前にスタジアムに隣接するホテルにチェックインし、荷ほどきもそこそこにすぐスタジアムへ。キックオフは午後3時の予定ですが、スタンドはすでに観客でいっぱい。相手のアーセナルFC(本拠地はロンドン)は最近こそリーグ上位になっていませんが、名門のチームです。岡崎は先発で出場していましたが、調子がいまイチだったのか、プレーは精彩を欠いていました。というか、アーセナルがこの日は絶好調で、試合も5対2でアーセナルの勝ち。地元レスターのファンにしてみるとフラストレーションがたまったことでしょう。

試合後、選手が帰路に着くころになると、選手の出入り口近くに超デラックスな大型バスが横付けになります。選手を乗せて空港とか次の試合が開催される町まで移動するためのバスなのでしょう。中はよく見えませんでしたが、とにかくえらく豪華なつくりで、きっとゆっくり体を休めることができるだろうなぁと想像させるボディーでした。

レスターの選手はここが地元でしょうから、それぞれ自分の車に乗って帰り始めます。しばらくその近くで待っていると、岡崎も出てきました。待ち構えるサポーターからサインをせがまれたり写真撮影を頼まれたりしています。でも、すごいなと思ったのは、そのすべてに笑顔で応じていたこと。試合で体も疲れているにちがいないのに、そんなことはオクビにも出しません。私たちの前に近づいたころは試合終了後すでに1時間以上が経過していました。ちょうどサポーターとの交流も終わり、車に乗り込もうとするところだったので、運転席にすわり走り始めたタイミングでシャッターを押してみました。

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「ラグビー」発祥の地に来ました!

2015年9月25日

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今日でチェルトナムとはお別れ。レンタカーで最初の目的地チッピンカムデンに向けて出発です。チッピングカムデンもコッツウォルズ地方の一角にある小さな町なのですが、ここに行きたかったのは、「近代オリンピック」の発祥と関わっているからです。詳しくは今年の初めに上梓した『語源に隠れた世界の歴史 世界史の重要知識もわかる!』(三笠書房・知的生きかた文庫)にも記しましたが、かのクーベルタン男爵が、古代ギリシャでおこなわれていたスポーツの祭典=オリンピックを復活させようとしたとき、それにちなんだ催しがあると知って訪れたのがこの町だそうです。

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L1040767中心部からクルマで4、5分ほど走ったドーバーの丘がその舞台。1612年といいますから、400年も前から「コッツウォルド・オリンピックゲームズ」という名前の競技会が毎年開催されてきたのです。もちろん、それよりはるか以前から同じような催しはあったのですが、それに「オリンピック」と名づけたのは、この町の牧場主で弁護士でもあったロバート・ドーバーという人物。会場となった丘もドーバーの所有地でした。

競技は「足のすねの蹴り合い」「綱引き」「障害物競走」などで、終わったあとは巨大な焚き火や花火が打ち上げられたといいます。ただ、実際は始まって30年ほど経ったころから廃れてしまい、最後は単なる飲めや歌えのバカ騒ぎになり果ててしまったとのこと。それでも、「オリンピック・ゲームズ」という名前で1852年までは続いていたようです。2012年のロンドンオリンピックのときは、聖火リレーがこの町を通過したそうですから、イギリスの人たちはいまでもこの催しのことを忘れてはいないのでしょう。

さて、その次はストラッドフォード・アポン・エイボン、シェークスピアの生誕地として有名な街ですね。高校1年のときに英語のサイドリーダーの教材が『ハムレット』で、その教師がこの町のことを何度も話していたので、私の頭の中にもその名前がこびりついています。

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さて、来てみると、まさしく世界的な観光地で、いろいろな国の人が歩き、さまざまな言葉が飛び交っていました。どこを見ても中世風建物が建ち並んでいるのですが、「いかにも」といった感じで、渋さというか手つかず感のようなものはほとんどゼロ。まあ、それだけ安心できるのは間違いないのですが。

ストラッドフォード・アポン・エイボンから、次の目的地ラグビーに急ぎます。文字どおりラグビー発祥の地で、高校時代からいつかは行ってみたいなと思っていました。私のごく個人的な趣味なのですが、こういう「□□発祥の地」とか「最〇端」とか「沿線で標高が最高の場所△△」という類の場所は大好きです。要は、“真ん中”が好きではないアマノジャクといいますか。家人にはまったくそういう趣味はないようですが。

L1040838ラグビーの町自体は大きくありません。しかし、ときがとき、W杯真っ最中のこととて、町全体にW杯を盛り上げる工夫がほどこされています。そのものズバリというラグビー校のグラウンドには自由自在に入れませんが、その芝生の美しさは感動的でした。ラグビー校というのはイングランドの貴族の子弟が通っていた学校(日本でいうなら私立の中高一貫校)ですが、規模とか設備を見ると、日本の大学並み、いやそれ以上かもしれません。

L1040854正面玄関前の路上には、これまでのW杯で優勝したチームのもっとも印象的な場面を撮った写真が並べられていましたが、どれも素晴らしい絵柄ばかり。
L1040855そういえば、私が初めてW杯を観たのは第2回(1991年・英仏で開催。宿澤&平尾のJAPANがこれまで唯一勝ったことのある大会)大会だったと、思い出しました。ちょうどヨーロッパへの出張があり、たまたまロンドンにいた私は、ウェールズ対西サモア(現在はサモア)の一戦を、ウェールズ・カーディフのアームズパークで観戦できたのです。試合は西サモアが予想を裏切ってウェールズに勝ちましたが、そのあまりのレベルの高さに驚いた記憶があります。いまと違いアマチュアだったので、当日、スタジアムで買えたチケットも安かったこと。それでいて、ほぼハーフウェーライン付近の、前から5、6列目という、いまならSS席でした。

L1040857すぐ近くに「ラグビー博物館」があるとガイドブックに書かれていたので、それらしい建物を一生懸命探して歩いてみたものの、なかなか見つかりません。仕方なく、ラグビー用品を売っている店に入ってみました。ところが、その店の奥が「博物館」だったのです。ラグビーが生まれた当時のボールとかジャージ(ユニフォーム)などが狭いスペースに展示されていましたが、これでは外をいくら探してもわからないはずです。ラグビーが誕生したときの模様を描いたテーブルクロスを買い求め、そこをあとにしました。

Dsc_0361ラグビーからはいよいよ今日の最終目的地ノッティンガムです。この町にやってきたのは、明日からの移動に便がいいのと、イングランド北部では数少ない、日本料理店(1989年創業)があると聞いていたからです。「HIGOI」という店でしたが、当日ホテルから予約を入れようとすると、すでに満席という答え。明日なら何時でも大丈夫だというのですが、明日はノッティンガムにはいません。そこで、「いや、私たちには今晩しかチャンスがありません。あなたの店に行くためにわざわざ日本からやってきたんです」と多少オーバートークを交えながら迫ると、「わかりました。夜8時半からならなんとかテーブルを用意します」との返事が。

ホテルからタクシーを飛ばして行ったところ、テーブルが6、7個ほどのホント小さな店でした。でも、おいしかったですよ。久しぶりの本格的な日本料理だったのでよけいでしょうが、これならメディアで紹介されているのもよくわかるという気がしました。デザートのどら焼き! まで完食し大満足。閉店まぎわだったので、店を出るとき、オーナーシェフにお目にかかりたいとお願いすると、わがままを聞いてくれるではありませんか。店の奥から出てきてくださった加藤さんはなんと、私と同じ愛知県・岡崎の出身だとか。一緒に写真まで撮らせていただき、店を後にしました。ホテルに戻ったのは11時前。

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コッツウォルズをまる1日かけてドライブ

2015年9月24日
今日はホテルでの朝食をパス。昨日目をつけておいた町中のカフェで食べました。値段は12ポンド少々しましたが、コーヒーもまっとうでしたし、文句なしです。イギリスはロンドン以外、キホン路上駐車がOK(1時間までならだいたい無料)なので、クルマは店の近くに止めておきました。

L1040623今日は1日かけてコッツウォルズをドライブ。最初はこの地域最大の町サイレンセスターです。チェルトナムからはクルマで40分少々。ローマ時代からある古い町だそうで、教会(Parish Church of St John Baptist)が町の中心にあります。コッツウォルズ地方の町や村はいずれも、かつては毛織物産業で栄えたところが多いらしく、現在の人口規模に比べると異常なほど多くの教会があるといいます。この教会もたいそう立派でした。

クルマは町の中心部にある公営の有料駐車場に止めようと思ったのですが、ちょうどランチタイムと重なってしまい、なかなか空きがありません。そこで路上駐車に方針を転換してゆっくり走っていると、中心にわりと近いエリアの道路に、今朝と同じような駐車スペースがあったので、そこに止めました。人口が9000余というわりには、こじゃれた店がいくつも並ぶ町をぶらぶらし、クルマを止めたところまで戻ったのですが、看板に「RESIDENTS ONLY」とあるではありませんか! なんのことはない、住民専用の駐車スペースだったのです。時間も短かったのでおとがめなしに済みましたが、注意しなくては……。

L1040636次の目的地テトベリーには、30分足らずで着きました。クルマは中心部の公営駐車場に(料金は1時間まで50ペンス)。ここもまた歴史が古く、8世紀から続く町です。羊毛の取引で栄えた時代は町全体が豊かだったことがつぶさに感じられます。アン王女やチャールズ皇太子の別荘もあると、ガイドブックには書かれていました。アンティークを扱う店が数多くあり、古くからある聖メアリー教会の庭には、古いお墓がズラリ。1655年に建てられというマーケットハウスの建物が可愛らしかったですね。町の中心にほど近いところにあるカフェで軽くランチをしました。


今日3つ目の訪問地はバイブリーです。有名な19世紀の詩人・芸術家ウィリアム・モリスがこの村を訪れたとき、「イギリスでもっとも美しい村」と絶賛したといいます。旅行ガイドにも「屈指の人気」とありますが、人口はわずか600人ほど。ところが、ここがまた出色の美しさで、評判にいつわりはありませんでした。


L1040683クルマを路上に止め、川沿いに中心部まで3、4分歩くと、古めかしい、でも由緒ありげなホテルがあり、そのはす向かいが「養鱒場」。3ポンド50ペンスの入場料を払って中に入ると、みごとなまでに美しくすがすがしい雰囲気。中にマスを養殖している池がいくつもあり、そこにカモや白鳥も同居しているのですが、なんともいえない落ち着きがあります。家人など、すっかり虜になってしまったようです。

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ガイドブックに「ハチミツ色の美しい石造りの家並み」とありましたが、まさしくそのとおりで、14世紀に建てられて以来綿々と続いている小さな家、水車小屋などがすぐそばを静かに流れる小川とあいまって、なんともいえぬのどかな光景を形作っていました。そのあと小川沿いの遊歩道もまわってみたのですが、どこをどう区切っても、絵になりそうな風景です。そういえば、数年前訪れたベルギーの「ミニヨーロッパ」のイギリスエリアにも、この村の「アーリントン水車小屋」のミニチュア模型が展示されていたのを思い出しました。帰りがけに、先ほど見かけたSWAN HOTEL(1650年創業)でアフタヌーンティーをして、クルマに戻りました。

帰りは30分ほどでホテルに。途中は「これがコッツウォルズだ~!」っぽい景色が続きました。ときおり雨も降りましたが、なぜかクルマを降りるとやみ、それにも助けられた感じがします。ただ、気温はやや低かったようで、このエリアの観光もいまどきがラストチャンスかもと思った次第。


ホテルでしばし仕事を片付け、8時半近くになって夕食へ。といっても、近くにはパブのようなところしか見当たりません。それでもなんとか、おいしいものが食べられそうな店を見つけました。入ってすぐのところにあるカウンターで飲み物を注文し、キャッシュオンデリバリーでビールを。できるだけビターなのをと頼んだら、バーテンがグラスを3つ取り出してくれます。それぞれに異なるビールが少しだけ注いであり、味見しろというのです。ひと口ずつ飲み、最初のグラスに決めました。銘柄を聞くと「AM:PM」との答えが。


L1040734ソーンブリッジ(Thornbridge)醸造所の製造で、度数は4・5%とそれほど強くはないものの、ミント風味が利いています。マンゴー、タンジェリンなど、フルーツ系のホップビターが特徴で、「AM:PM」という名前のとおり、朝から1日中飲んでも抵抗を感じさせないビールという気がしました。


食事を注文しようとメニューを差し出すと、そちらは地下でといわれたので、飲み物を持って階段を下りると、おしゃれな雰囲気のレストランスペースがあり、びっくり。家人は「YAKITORI PLATE」、私は「イベリコ豚のグリル」を注文。これがかなりのレベルで、大正解の店選びでした。

残念ながらスコットランド戦は完敗!

2015年9月23日

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今日はW杯予選プールの第2戦で、相手はスコットランド。会場はチェルトナムから鉄道で10分ほどのグロスター、駅から歩いて数分のキングスホルム(Kingsholm)というスタジアムです。いちおうスタジアム風ではあるのですが、よく見ると4方にある観客席のうち2つがスタンディング。そのうちの1つは、すぐ後ろが一般の住宅になっています。ラグビー専用のグラウンドで、イスの設けられた部分は傾斜がかなり急なため、グランドが非常に近く見えます。

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私たちの席も「BALCONY」とはよくいったもので、2階席の上に設けられているのですが、地面に近い感じですし、フェンスとグラウンドの距離も狭いので、非常にスリリングでした。今日も、「HOSPITALITYシート」を購入してあるので、試合前には食事が付いていますし、ドリンクも飲み放題。

Photo_4「HOSPITALITYシート」で何より楽しみなのは、試合前、食事をしている時間帯に有名プレーヤーのレクチャーがあることです。この日、私たちの前に姿をあらわしたのは、2007年のフランス大会から11年のNZ大会まで日本のヘッドコーチを務めたジョン・カーワン。カーワンといえば、NZ代表(オールブラックス)の一員として出場した第1回W杯(1987年)のイタリア戦で、90メートル独走トライを決めたことで名を馳せたスーパースターです。現役時代晩年の1997年から99年まで3シーズンは日本のNECグリーンロケッツでプレーしていました。


L1040566話自体はさほど長くないのですが、日本のファンなら知らない人はいないので、終わったあとは会場内でサインや写真撮影のリクエスト。ミーハーな私たちも、その恩恵にあずかったのはいうまでもありません。

さて、このキングスホルム・スタジアム、1891年に作られたといいますから、“ラグビーの聖地”とされるロンドンのトゥイッケナム・スタジアム(1909年開場・8万2千人収容)より歴史が長いのです。その当時はイングランド代表チームが使っていた由緒ある競技場で、スタンディングで観戦するのが“通”のファンだといいます。いまでも、地元のプロチーム=グロスター・ラグビー(1873年創立)のホームスタジアムとして使用されているとのことです。同チームはイングランドの国内リーグ(Premier League)ではここ数年低迷しているものの、2006-07、2007-08の2シーズン、優勝したことがあります──と教えてくれたのは、ハーフタイムのとき私たちのテーブルで隣の席にすわったイギリス人男性。奥さんは日本人で、一緒に観戦にきたのだとかで、「ほかの町のスタジアムとはおよそ格が違う」とも話していました。

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さて、試合のほうは、残念ながら完敗。南アフリカとの第1戦から中3日では、疲れがかなり残っていたにちがいありませんそれに、わずか4日前にあまりの“おおごと”をやってのけてしまった興奮がまだ収まり切っていなかったのか、地に足がついていないようにも思えました。それでも、前半14分、相手の反則で得たキックを敵陣深いところに蹴り出したFB五郎丸のキックは芸術的でした。そのあとのラインアウトで、フォワードがモールを押し込みみごとトライしています。このときは「おーっ、やるじゃん!」と思ったのですが……。

前半はスコットランドを4本のPGだけに押さえ、7対12で終了。しかし、健闘したのは後半10分まででしょうか。後半最初に敵陣に攻め込んだときマフィのトライが決まっていれば流れも変わっていたような気もしますが、それはいっても詮ないことでしょう。後半はスコットランドに5トライを決められ、終わってみれば10対42というスコアでした。

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終わったあと、駅まで歩いていく途中、民族衣装に身を固めたスコットランドのサポーターと交流できたのはよかったですね。お互い、次戦の健闘を約束し合いながら盛り上がったのですが、W杯のときならではのことで、改めてサッカーとの違いを強く感じたしだい。

朝から面倒事の連続

2015年9月22日
外は朝から雨がしとしと降っています。5泊したロンドンともとりあえずお別れなのですが、朝から厄介なトラブルが。チェックアウトを済ませ、3つのスーツケースのうちいちばん大きくて重いものを、月末またここに泊まりにくるから、それまで預かってもらえないかと頼むと、なんとNGだというのです。「1日ならOKですがそんなに長い期間は預かれません」と。想定外の事態に「まいったなぁ」と思ったのですが、どうしようもありません。そこで、どうすればいいかアドバイスを求めました。

すると、すぐ近くのセントパンクラス駅構内に荷物を預かってくれるところがあるといいます。ただ、前日たまたま中を通ったセントパンクラスの駅はフランスやベルギーへのユーロスター特急の始発駅で、えらく大きいのです。そこまで、しかも雨の中を移動していくのも大変だなと思い、荷物を運びながら、預かり所まで案内してほしいとお願いするとOKの返事。家人にホテルのドアマンが付き添い、カートに大きなスーツケースを載せ、一緒に運んでくれました。

一方、私のほうは近くのユーストン駅まで雨の中を歩いていき、地下のレンタカーオフィスに。予約しておいたVOLVOのワゴン(カーナビ付き)を借り受け、ホテルまでとって返しました。家人も無事戻ってきてクルマに乗り、まずはナビのセットから。今日の目的地はオックスフォードなのですが、最初は使い方がわからずまたまた大往生しました。結局、目的地とは反対方向に15分も走ったあげく、やっとその使い方がわかり、目的地を入力してGO。

L1040458それでも、途中で目的地を2回も入力し直したりしたため、予定よりおよそ2時間遅れです。オックスフォードは大学の町。というと大きな大学が1つあってその周囲に教員や学生の住まいが……などと想像しがちですが、とんでもない! 「大学」といっても、日本と違って40近くの「カレッジ」から成っており(どのカレッジにもいかにも由緒がありそうな紋章がある)、その1つひとつが日本でいうなら小ぶりの大学なのです。

Photoほかにも「学科」があるなど、日本とはまったく違う仕組みになっているのでわかりにくいのですが、いずれにしても、こじんまりした印象はまったくありません。

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実際、市の人口も15万に近く、その多くは大学関係者でしょう。校舎や寄宿舎はもちろん、ショッピングモールや市場、劇場、映画館、図書館、博物館などの施設がびっしり建ち並んでいます。公園やグラウンドも数多くあります。しかし、何より多いのは教会で、これは、教育と宗教とが深く結びついていたことによる影響。ロンドンから鉄道で1時間、クルマで2時間弱の場所にあるので、人々もひんぱんに行き来しているにちがいないと思うのですが、いわゆる大都市的なにおいはまったくといっていいほど感じられません。やはり長い歴史に裏打ちされた学術・文化がこの町の中心軸になっているような気がします。

オックスフォードを出たあとは雨もあがり、ドライブにはもってこいのコンディション。夕方、チェルトナムのホテルに到着し、なんとかチェックインしましたが、いつものことながら、外国で車を運転するのは大変です。それでも、日本と同じ左側通行なのが多少は救いでした。

夕食はホテル近くのパブで。なぜかゲーム機と大きなテレビが置いてある中、飲み物と軽く食べ物を注文。なんとか食事にありつくことができました。

1カ月の大旅行も、今日でほぼ折り返し点に

2015年9月21日
今回の「アメリカ+イギリス大旅行」も今日でほぼ折り返し点近くに。W杯の第3戦・サモアとの試合がある10月3日まで間があるので、しばらくロンドンを離れることにしました。

午前中はケンジントン宮殿に行き、その帰り、ケンジントン・ハイストリート駅近くの「ホールフーズマーケット(Whole Foods Market)」に立ち寄りました。今回の旅ではNYでも、またロンドンドンでも行っていますが、今日はまた別の店舗。

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ホールフーズマーケットはアメリカを中心に、カナダ、イギリスで300以上の店舗を構える食品スーパーです。自然食品、オーガニック・フードを中心とした品ぞろえで、「値段は多少高くても健康な食べ物を」というのが基本方針。そのあたりが家人も気に入っているのでしょう。ほかにも輸入食品やワイン、冷凍食品、サプリメントなど豊富なラインナップが並び、「グルメ・スーパーマーケット」とも呼ばれているとのことです。ケンジントンにあるこの店はイギリスでは最大規模のようで、地下から2階まで3フロアあります。

L1040431昼は、その2階にある「ボーンダディーズ(Bone Daddies)」という大きな店でラーメンを食べました。もう1つ「Genji Sushi Bar」という、これまた和食屋っぽい店が隣にありましたが、今日は迷わず麺系です。私は担担麺、家人はT22というネーミングのしょう油ラーメン。あと、ダメ元で注文してみたギョウザもそこそこおいしかったですよ。日本で食べるのとほとんど遜色はありません。海外の日本食、確実にレベルも上がっている感じです。ちなみに、この近くには、王室御用達のスーパー「ウェイトローズ(Waitrose)」や高級スーパーの老舗「マークス&スペンサー(M&S)」もあり、このあたりはけっこう激戦地なのでしょう。

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L1040444店を出ると雨が本降りに。すぐ下に降り、地下鉄に乗ってスローンスクエア駅まで。駅近くのキャサリン王妃御用達という食品スーパー「パートリッジ(Partridge)」に入り、おみやげをいくつか買い求めると、近くで見つけた「Comptoir Libanais」というカフェに入りました。なんというか中東風の店で、メニューの表紙には、Sirine Jamal al Dineという往年のレバノン女優のイラストがフィーチャーされています。ただ、彼女の存在をまったく知らない私たちにとっては、ユニークな感じがするだけ。でも、中近東出身の人たちで彼女の名前が知らない者はいないのかもしれません。なかなかいい雰囲気で、食べ物もおいしかったですよ。ロンドンとその周辺に10店舗以上あるようです。


夕食はタクシーに乗って日本料理店へ。ただし、オーナーは日本人ではなく、店員はみな韓国人です。厨房はインド人やアラブ系の人のようでしたが、味はまずまず。ただ、サービスがでたらめで、最初の10分で食べ物が全部そろいかけているというのに、飲み物がまだ来ていないというありさま。せっかく久しぶりの焼酎(=黒霧島)にありつけると期待していたのに、なんだか興ざめしてしまいました。

店員にクレームをつけたのですが、いまイチわかってくれていない様子。外国の店で食事をすると、かならずといっていいほど、途中で「いかがですか。ほかにご注文はありますか」とか「おいしく食べていただいていますか」といった質問をしてくるのに、なぜかこの店ではそれもありません。聞かれたらすぐひと言……と思ったのですが、それもままならず、フラストレーションがたまります。

南アフリカに勝ったのは世紀の一大事

2015年9月20日
興奮で早朝に目が覚めたので、ホテル近くのセントパンクラス駅まで新聞を買いに行きました。アメリカと同じく、日曜版のページ数の多さはハンパではありません。本紙だけでも100ページをはるかに超えるところに付録までついています。5紙買ってポリ袋に入れてくれましたが、歩いてわずか5分の距離でも腕がちぎれそうです。ペットボトルの水を無料でくれた(理由は不明)のはその苦労に報いるためかもしれません。

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新聞は5紙ともページを繰らずに済みました。昨日の歴史的な大番狂わせを伝える記事が1面に出ています。なかには、トップで扱っている新聞もありました。とくに「THE SUNDAY TIMES」はすさまじく、中のスポーツセクションもまるまる1ページを割いて、昨夜の日本対南アフリカ戦の模様を伝えています。さっそく写真に撮りフェイスブックに投稿しました。ラグビーの本場イギリスにとっても、よほどショッキングなできごとだったのでしょうね。

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さて、今日はパディントン駅から列車に乗り郊外へ。メイドンヘッドで下車しタクシーでタプローコートというところに行きました。その昔ある貴族の所有していた広大な敷地にお屋敷があり、現在は社会活動団体の保有になっています。イギリスの貴族のお屋敷など初めてで、そのスケールの大きさには言葉が出ませんでした。


L1040402夕方早い時間に戻り、夕食はオクスフォード・ストリートにある地下鉄ボンド・ストリート駅の向かい側から少し入ったセントクリストファー・プレースでタイ料理を。路地の入口に立っていた案内板によると、「1967年までにすっかりさびれてしまったこの一帯を再開発してできたショッピング&ダイニング地域」だそうで、いかにも渋い感じの店が軒を連ねています。アラブ系の人が集う中近東料理のレストランも多いようです。入口が極端に狭く、昼ならつい通り過ぎてしまいそうな路地を入ったところにありますが、こういうところを穴場というのでしょうね。

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夜遅くなってからお腹が空いたときに備え、ボンド・ストリート駅の入口にあるトルコ系ファストフード店「シミットサライ(simit sarayi)」で中東風のサンドウィッチ、ベーグル風のパンを買ってホテルに戻りました。これはGOODでしたよ。ロンドンも4日目ともなると、地下鉄ももう慣れたもので、帰りはあっという間でした。

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南アに逆転勝利! ラグビーの歴史を塗り替えた日

2015年9月19日

L1040176今日は、今回の世界一周旅行のメインイベント=ラグビーW杯です。試合は夕方4時半からなので、午前中は、ホテルにほど近いところにあることがわかったダヴィストック・スクエアへ。特段の観光スポットというわけではありませんが、マハトマ・ガンジーの銅像、広島・長崎の原爆犠牲者を慰霊する銘板があることで知られています。そこを観たあと地下鉄でヴィクトリア駅へ。

ここからはサザンレイルに乗り、ブライトンまでおよそ40分。そこで乗り換え5~6分でファルマー駅へ。駅前のコミュニティースタジアムには2時半ごろ着きましたが、芝が美しく輝く、素晴らしいラグビー場です。

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ニュージーランドでの前回大会と違い、赤と白のストライプのレプリカユニフォームを着た日本人の姿がえらく多いのにまずびっくり。さすが次回のW杯開催国。会場入り口では、例によって日の丸と南アの国旗が配られていました。

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今回は「HOSPIRALITY」という、食事・飲み物付きのかなりハイレベルの席を買い込みました。スタンド席から自由に出入りできるスペース(そこに丸いテーブルが20ほど並べられ、自由に飲食ができる)には200人ほどいたでしょうか。4分の1が日本人でした。

昨日から始まったW杯の今日は2日目。予選プールBの日本は南アフリカが最初の相手です。世界ランキング3位、過去に2度優勝を経験している強豪ですから、まず勝ち目はないだろうと思っていたのですが、な、な、なんと劇的な逆転勝ちで終わりました。W杯はこれまで2引き分けをはさんで16連敗、勝ったのは第2回大会(1991年)のジンバブエ戦以来24年ぶり。大金星というか、日本のラグビーの歴史を変える一大事です!!

 

L1040230まさか勝てるなどとは思ってもいなかったので、前半29分、ラインアウトからモールを作り押し込み最後はリーチマイケルが押さえてのトライで8対7、五郎丸のコンバージョンも決まって10対7とリードしたときは、こんなスコアになることは(この試合で)二度とあるまいと、シャッターを押してしまいました。案の定その4分後、まったく同じパターンで南アにトライを許し逆転されます。しかし、前半終了時でわずか2点差ですから、それだけでもアッパレ! でしょう。これまでの日本なら、ここまで善戦しても、後半20分過ぎあたりからガタッと崩れてしまうのが常でしたが、今日はまだまだ行けそうな感じがします。ノックオンなどハンドリング・ミスがほとんどないのが最大の違いです。

面白いのは、3万人収容のスタンドに日本人は1割足らずしかいないのに、「ニッポン!」「JAPAN!」、その2つが混ざり合った「ジャッパン!」という声援が目立ったこと。「ジャイアントキリング」に対する期待なのでしょうか。前回までの大会ではまず目にすることのなかった光景です。

ハーフタイムでスタンド奥のテーブル席に戻っても、皆かなり興奮気味。それはそうです、南アを相手に10対12なのですから。だれもが多弁になり、笑顔でまわりの人と言葉を交わしています。「タックルが低いよね」「いままでの日本とは別の国のチームみたい」「ここまで強くなってるとは思わなかった」と、後半への期待も盛り上がります。それでも私は、これまで50年間のファン経験から、「でも……」と半信半疑、いな3信7疑といった感じで、アタマの片隅では冷静を保っていました。

さて、後半が始まりました。始まってすぐ南ア陣22メートルライン近くでペナルティーを獲得、五郎丸がPGを決め、13対12に。しかし、その直後、キックオフからのディフェンスの一瞬の穴を衝かれ13対19と逆転されます。その3分後南アのペナルティーがありPKで16対19、さらに、後半10分過ぎ、南アが自陣でペナルティーを犯し、また五郎丸がPGを決め同点に。このあたり、後半5分過ぎから入ったFWのマフィのフィジカルの強さが目立ちます。

後半16分、日本陣内で得たPGを南アが決め、19対22。しかし、19分に得たゴール正面のPKを日本が決めまたまた同点に。しかし、21分に、南アFW1列のアドリアーン・ストラウス(体重102キロ)にゴールポスト下にトライを決められ(コンバージョンも成功)22対29。このあたりが限界かという思いも一瞬きざしましたが、日本選手の動きは、これまでの大会とはまったく違います。

後半28分、日本陣内で得たPKを南ア陣に蹴り込みラインアウトに。素早い球出しからバックスの小野→松島→五郎丸とつないで、右中間になんとも美しいトライ。コンバージョンも決まり、29対29の同点に。しかし、31分に自陣ゴール前で与えたペナルティーを南アに決められ29対32に。それにしても、その前の南アの攻撃を必死で止める日本のディフェンスの素晴らしいこと。もう感動的です! 過去の日本の面影はどこにもありません。

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後半35分からフェイズ19まで続いた南ア陣内での連続攻撃は、もうすさまじいのひと言。南アゴールラインまで攻め、そこで得たペナルティー(この時点で南アのFWがシンビンで退場)。PGを選ばずタッチに蹴り出してラインアウト。これは同点狙いでなく、もう勝ちに行っています。そこからバックスまで加わったモールを押し込みトライかとも思われましたが、ほんのわずか足らなかったようで、5mスクラムに。この直前、ヘスケスが交替でウイングに入っていました。

40分を超えたところでまた南アがペナルティー。ここで日本はスクラムを選びます。私の後ろで観戦していた同年齢の男性はラグビーのプレー経験があるようで、「ウソだろ! ショットだろう!」と叫んでいましたが、当然でしょう。24年間勝っていないのですから。まして南アなら引き分けで十分じゃない? でも、今回の日本は“Brave Blossoms(勇気あるサクラ)”です。崩れかけたスクラムからギリギリの球出しで、ハーフの日和佐から左へ。その後も右、左、右と攻撃をつなぎます。こういうところでハンドリングミスやペナルティーを犯さないのも、これまでの日本とは大違い。プレーが途切れたら、引き分けどころか負けです。

ところが、43分、マフィから交代したばかりのヘスケスにつなぎ、左中間隅にトライ!!!!! 日本の勝ちです。その瞬間、スタジアムの興奮・歓声は頂点に。選手は皆、体を震わせて泣いています。南アの選手は皆、アンビリーバボーの表情。HCのエディー・ジョーンズも「信じられない」とコメントしていたくらいですから、だれもがこの瞬間を、そうした思いで見ていにちがいありません。

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もちろん、私もマジで泣きました。高校時代初めて楕円級のボールを手にして以来50年。半世紀ですよ! エディー・ジョーンズがHCになる前まで、上位ランク相手のテストマッチで勝ったのは、宿澤JAPANのスコットランド戦(1989年)くらいしか記憶にありません。負けはしたものの、対イングランド戦(1971年・秩父宮)もあわやという戦いぶりでした。それが2013年以降は、ウェールズにも勝ちましたし、トンガ、サモアとも互角の勝負ができるようになり、かなり勝ち星をあげています。カナダやアメリカとのゲームも安心して見ていられるようになりました。もう、信じられないくらいの進歩です。

私たちのすぐ前にすわっていた南アのサポーターは全員、ガックリ下を向いてしまいました。「そんなバカな!」「あり得ない」「ウソだろう」と、どの人の目もそういっています。
大番狂わせとはまさにこのことです。95年大会でNZ相手に屈辱的な大敗を喫した日本。勝ちとなると、24年前までさかのぼらなくてはなりません。そのときの相手はジンバブエです。その後W杯には出場さえ果たしていません。

ジョン・カーワンに率いられて出場した前回ニュージーランド大会も、「前より強くなった」といわれながら1試合も勝てませんでした。それがなんとなんと、南ア相手に土壇場の大逆転勝利。スタンドから部屋に戻ると、どのテーブルも乾杯、乾杯で沸き返っています。私たちのすわっている席も同じ。ただ、4人いた南アサポーターのうち女性2人がなんとも不機嫌な顔を見せていたのが印象的でした。

会場を出てからも、見も知らぬ人からどんどん声をかけられます。何人とハイタッチ、握手、ハグしたでしょうか。数え切れません。1時間半以上かけてロンドン市内ヴィクトリア駅まで戻っても状況は同じ。手を振って歓声を上げながら祝福してくれます。いやいや、今夜は眠れそうにありません。

ちなみに、このゲームで光ったのはFWではアマナキ・レレイ・マフィ、リーチマイケル、バックスでは松島幸太朗、立川理道、そして五郎丸歩でしょうか。あと、トンプソンルーク(ロック)、堀江翔太(フッカー)も素晴らしかったですね。

「PRIMAX」の大繁盛ぶりにはびっくりです

9月18日
ホテル近くにある公園に行ってみました。観光ガイドには出ていませんが、ここがけっこうイケました。ジョージ2世公園とかいうようですが、お墓がいくつか建っています。急に雨が降り始めたので、あわててラッセル・スクエアの駅まで歩き、マーブル・アーチ駅まで
。オックスフォード・ストリートのどこかの店で傘を買おうと歩いていると、大変な人通り。それも全世界からといった感じがありありです。

ロンドンに来ると、ニューヨーク以上に多国籍・多民族都市という印象を受けます。観光名所がより多いせいでしょうか。ニューヨークは「個人」で動くのがふさわしい都市ですが、ロンドンはそうした観点からすると、「団体」でも動きやすい都市といえるかもしれません。観光スポットではありませんが、驚いたのはオックスフォード・ストリートに立ち並ぶ店の多さ。それも、どちらかというと安売り系のところが目立ちます。「年間2億人以上が訪れる、ヨーロッパで最も人通りが多いストリート」という「wikipedia」の表現もけっしてウソではないでしょう。

なかでも、イギリスを中心にヨーロッパ各国に多くの店舗を展開しているファストファッションの店「PRIMARK(プライマーク)」は人であふれ返らんばかりでした。1969年創業で、本社はアイルランドの首都ダブリンにあるそうですが、ここ数年で猛烈な成長を見せているといいます。この店の愛用者はプライマニア(Primania)と呼ばれているのですが、マニアになるのも理解できます。とにかく、どれもこれもメチャ安。ただ、クオリティーの点ではどうかなぁ……というのが正直な印象です。

同じ通りにユニクロやH&M、FOREVER21、ZARA、MUJI(無印良品)などもありましたが、ここは別格。実際、ユニクロなど、日本国内よりはるかに高い感じで、日本での値段を知っていれば、とても買う気にはなれません。

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あこがれの(といっても50年近く前のこと)カーナビー・ストリートに行くと、「NORTHFACE」がありました。中に入ると、えらくカッコいいアウターウェアを売っています。まったく予定にはありませんでしたが、「いいものがあったら、その場で」の方程式に従い、買ってしまいました。帰りに、NYでも行ったホールフーズマーケット(Whole Foods Market)に立ち寄り、テイクアウトの食べ物(惣菜)を少々。これも、夜になってから小腹が空いたときの備えです。コンビニがないので、これはけっこう大事ですよ。

 

ヒースロー空港は完全にラグビー・モード

2015年9月16・17日
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16日の午前中も目いっぱい遊び、夕方早い時間の飛行機でいよいよロンドンに移動です。ヒューストンで国際線に乗り継ぎ、9時間ほどの飛行。ヒースロー空港に到着したのは日付が1日進んだ昼の12時半ごろでした(時差は8時間)。空港にはラグビーW杯のポスターやバナーがそこここで見られ、ラグビー一色といった感じです。ホテルまではロンドン名物の黒いタクシー。いかにもイギリス人、それもタクシー運転手ひと筋50年といった風情のお年寄りドライバーが、年齢に似合わぬスピードで飛ばしあっという間にホテルに着きました。

今回のホテルは、ベルリンの世界陸上のとき気に入ったプルマンホテルで、場所はユーストン駅、キングスクロス駅のすぐ近く。あまり深くは考えずに選んだのですが、まだできてそれほど古くはなさそうでした。ただ、ちょっとデザイナーホテル風の匂いはしましたが。バスタブのある部屋を予約しておいたつもりだったのですが、私たちの予約したカテゴリーの部屋にはそもそも備わっていないということがわかりました。「下のカテゴリーならあります」といわれたので、翌日からそうしてくれるようにお願いしました。


荷ほどきを済ませ、地下鉄でコヴェントガーデンへ。夕食はガイドブックで見つけた日本料理店へ。現地の人がひっきりなしにやってきて、店は大繁盛の様子です。日本食ブームの広がりはもはや世界中、場所を問わない感じがします。

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偶然知ったドミンゴのワンデイショーに大感動

2015年9月15日
今日はメキシコの独立記念日だそうです。それがわかったのは、夜、シーザースパレスでおこなわれたプラシード・ドミンゴのワンデイショーでのこと。こちらに来るまで知らなかったのですが、空港内の看板でそのショーがあるのを家人が見つけ、「じゃあ行こうか」となった次第。日本でドミンゴのショーとなれば、おそらく7、8万円は取られるでしょう。ところが、ネットで調べてみると、その半額くらいなのです。ホテルのコンシェルジュにお願いし、その場で手配してもらいました。

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さて、夜8時にショーはスタート。世界3大テノールの1人らしく、オープニングこそ、オペラの曲を高らかに歌ったドミンゴでしたが、途中からそれがガラっと変わります。まず、ブロードウェー・ミュージカルの名曲を2つ、3つ披露したところでもうびっくり。ドミンゴですから当然メッチャ聞かせてくれましたが、選曲に「えーっ!?」です。

L1040111ところがそのあと、「今日はメキシコの独立記念日。おめでとう!」と叫んでからは、もうメキシコの歌謡曲オンパレード。「ベサメムーチョ」「キサスキサスキサス」と、これでもかこれでもかと有名な曲を歌っていきます。場内も大盛り上がりで、拍手、歓声でそれに応えていました。メキシコ国歌のときはもう最高潮。ほとんど全員が大きな声で歌い上げています。あのドミンゴがここまで……というくらいのノリでポピュラーソングを歌うなんて、大感動でした。

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そういえば、ホテルにも、外を歩いてもやけにスペイン語が多いなぁと思っていたのですが、祝日で休みの人が多かったのでしょう。

快適な朝食が食べられるホテルwynn

2015年9月14日

L1040090朝は、ホテル(wynn)のバフェットで。たまたまイベント等の端境期のようで、予想外に空いていました。入口の天井が吹き抜けのガラス張りで、自然光が燦々と降り注ぐのが心を癒してくれます。広~い広~いラスベガスでは、こういう場所で食べてこその朝食でしょう。

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午前中はホテルのすぐ向かい側にあるショッピングモール(FASHIONSHAW MALL)をぶらぶらし、孫のおみやげ(子ども服)などを買いました。これはアメリカの大きな特徴なのですが、洋服とか靴が非常に安いのです。高級ブランドの商品は別でしょうが、日常身に着ける実用的な服はとにかく安い。「BUY 1 GET 1(1つ買うともう1つは無料)」といったキャッチフレーズのバーゲン(ディスカウント)をやっていることも多く、結果的には日本で買う半額ほどで買えてしまいます。モール内のフードコートでファストフードのメキシカンを食べ、ホテルに戻りましたが、まあ暑いというか、日差しの強いこと。逆に、どこの建物も中はエアコンがガンガンに効いていて寒いくらいなので、上に羽織るものなしでいられません。

夜はすぐ近くにある(といっても3キロほどは離れているでしょうか)ベラージョというホテルまで夕食を取りに行きました。しかし、あまりの寒さに、食事と遊びで3時間もいたら体中がかじかんでしまう始末。早々にwynnに戻りました。

NYからラスベガスはひとっ飛び

2015年9月13日
朝、石巻からやってきた「ぜってぇまげね合唱団」のメンバーをお見送りし、荷物をまとめたあと、私たちもチェックアウトしてニューアーク空港へ。空港では2時間半の待ち時間。ユナイテッド航空のだだっ広いラウンジで待っていたのですが、新聞を読もうと棚のところまで行ってびっくり。ニューヨークタイムズの日曜日があったのですが、昔と同様、相変わらず200ページ以上はあろうかというシロモノです。こんなものを新聞少年はどうやって配達していたのだろうかと、不思議でなりません。

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ニューヨークから次の目的地ラスベガスまでは直行便。いつも思うのですが、ラスベガスに向かう飛行機には一種独特の空気が流れています。それは、ハレの場所に行くという高揚感のなせる業かもしれません。いつもとは違う場所、目いっぱいおめかししたくなる場所、ギャンブルという人間本来が持っている投機本能をかき立てる「サムシング」がそれぞれの人に影響を及ぼしているのでしょう。要するに、乗客全員がキホン、遊びに行くわけですから、重い空気の入り込む余地などないということかもしれません。ニューヨークで歩いて疲れ、地下鉄で疲れ、タクシーで疲れたはずの家人ですが、体の動きがどことなく素軽い感じです!

ですから、予定より15分でも30分でも早く到着すると、とてもお得感があります。今日もそうで、45分ほど早く着きましたが、それだけでなんだかとてもうれしく、気持ちもが高ぶってきます。それでも初日ですから、およそ5時間という移動の疲れもあり、カジノからは早々に引き揚げてきました。

グラウンドゼロに行ってみました

2015年9月12日
朝起きると、「YAHOO!トピックス」でニュースをチェックするのが私の習慣ですが、昨夜のイベントの模様が日本のメディアでも報じられていました。まずは毎日新聞(東京版夕刊)です。

メモリアルコンサート:「9・11」「3・11」音楽会 NYで宮城の合唱団 「日米懸け橋」しのぶ
 米同時多発テロと東日本大震災の犠牲者を追悼する「9・11風の環(わ)メモリアルコンサート」が11日、米ニューヨークで開催された。宮城県の被災者らの「ぜってぇまげね合唱団」が招待され、赴任先の石巻市で津波の犠牲になった英語指導助手、テイラー・アンダーソンさん(当時24歳)の祖国・米国で、感謝の歌とメッセージをささげた。

 テイラーさんはバージニア州出身で「日米の懸け橋になりたい」と2008年に来日。合唱団の杉山彩音さん(19)は中学校で、妹の大愛(だいあ)さん(11)は幼稚園で、テイラーさんに英語を習った。

 現在は仙台市の旅館で働く彩音さん。舞台で涙に声をつまらせながらも「仕事で疲れたときは、彼女の『ファイト』という言葉を思い出します」と英語の手紙を読み上げた。その後、合唱団が被災地支援への感謝を込めた「ARIGATOU」など5曲を披露した。

 この日で同時テロ発生から14年。コンサートは日本人犠牲者を悼むため、ニューヨーク在住の白田正樹さん(65)=仙台市出身=らが08年に始め、11年からは震災の犠牲者も追悼している。【ニューヨーク草野和彦】
という内容です。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150912dde041040022000c.html

昨夜はTBSテレビも取材に来ていたとのことなので、そちらも探してみると、ありました。こちらはもちろん動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=O4Q_Q8StdNw&feature=player_embedded
見ると、私や家人まで映像に出ているのがわかり恥ずかしくなりました。しかし、宮城からほとんどまる1日かけてニューヨークまでやってきた合唱団の皆さんの後ろでしたから、大恥はかかずにすみ助かりました。

大任を果たし終えた解放感から、今日はどこかに出かけようということに。とりあえず、朝がた旅行会社の人から聞いたブロードウェーのストリートマーケットをのぞき、タイムズスクエアまで。どちらの方向を見ても、夜になればさぞかし……と思わせる巨大なネオンサインがそびえ立っています。そんな様子を見ながら、「せっかくこの時期に来たのだから」ということで、グラウンドゼロに行こうと決めました。

Img_0751地下鉄でワールド・トレードセンターまで行き、地上に出ると、大変な数の人が訪れています。土曜日でもあったのでよけいでしょう。この一帯に、新たに4本の高層ビルが建てられる予定だそうで、うち2本はすでに完成、残り2本も建設のまっただ中です。旧ワールド・トレードセンター(北と南の2本)が取り壊された跡には2つの「9・11」メモリアル・プールとメモリアル・センター&ミュージアム(2011~13年)が作られました。それを機にこのエリアは一大観光地となったようです。交通の便をよくするため、ワールド・トレードセンターの駅は周辺の地下鉄駅とも地下道で結ばれています。

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グラウンドゼロから再び地下鉄3号線と7号線でグランドセントラル駅まで行きました。そこで降りて、その近く46丁目にあるうどん屋で昼食。なんと、博多から出店しているWESTです。ニューヨークにいるのに、出されているうどんは博多と同じくやわらかなもの。唐揚げカレーうどんを食べましたが、日本にはないメニューで、けっこういけました。

L1040021ホテルに戻ろうと、店の前を走っていたタクシーを止めます。行き先を聞かれ「ヒルトン・ミッドタウン」と答えると、「いまひどい渋滞だから、勘弁してくれ」と断わられてしまいました。仕方なく歩いていくと、途中5番街が通行止めになっています。44番通りから、セントラルパークの東側を67番通りまで行進する毎年恒例の「レイバーデー・パレード」に遭遇してしまったのです。パレードの列が途切れたタイミングで、ようやく渡らせてもらい帰り着きました。

ツアーのメンバーのなかにはブロードウェーでミュージカルを楽しんだ人もいたようです。ただ、夕方からは「ジャパン・クラブ」(57丁目)で映画の上映会が開催されます。テイラー・アンダーソンの半生を追ったドキュメント“Live your dream”と、もう1本は『夢は400年の時空を越えて』という作品。こちらは、スペイン・セヴィーリャのハポン姓の人たちのルーツを探るやはりドキュメントです。

引き続きレセプションがおこなわれました。白田さん夫妻や地元合唱団のメンバー、宮城から来た「ぜってぇまげね合唱団」、ハポン姓の方々20人などが初めて一堂に会したこともあり、あちこちで話の輪が生まれ、写真を撮り合い、プレゼントを交換し合うなど、大盛り上がり。故テイラー・アンダーソンさんのご両親の来られており、ご主人がみごとなピアノ演奏を披露してくださいました。帰るころには雨が降っていましたが、それも気にならないほど、だれもが興奮していました。

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「9・11メモリアル・コンサート」に“出演”

2015年9月11日
さて、いよいよ今日です。今回の最初の目的であるNYでの「9・11メモリアル(追悼)コンサート」。朝、ホテルのロビーに、主に宮城県(石巻市、東松島町など)からやってきたメンバーと合わせて40人ほどの参加者が集合。バスに乗って最初の目的地であるニュージャージー州バーゲン郡のオーバペック・パーク(Overpeck Park)に移動します。公園の中に、「9・11」で犠牲になった同郡在住者154人の慰霊碑(The World Trade Center Memorial)があり、そこには日本人(主に駐在のビジネスマン)の名前も刻まれていました。その慰霊碑を寄贈された方の1人である白田正樹(仙台出身、NYで会社を経営)さんが、今日のコンサートの主催者でもあります。

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L1030973立派な碑のまわりには植樹もなされており、遠い将来になっても事件が忘れられることはなさそうです。そこから再びバスでマンハッタン(アッパーウェストサイド)に戻りました。会場はセントラルパークのすぐ西側、64丁目にあるニューヨーク倫理文化協会の本部が入っている古いビルです。そこで降りてランチをということでしたので、私たちはコロンバス・アベニューにあるスーパー=ホールフーズマーケット(Whole Foods Market)地階のフードコートに行きました。

リハーサルのスタートまではまだ2時間以上もあります。食後はセントラルパークの一角で待つことに。いまさら、今日歌う曲の練習をしても始まりませんし、なんともおだやかで心地のよい木蔭でのんびりした時間を過ごすことができました。

L1030980_3午後4時過ぎ、会場に入りましたが、えらく立派なホールなのにびっくり。たしかに、「歴史的建造物」と記したプレートが貼られていましたし、設備も古いのですが、音響という点ではどこのホールと比べても遜色なさそうです。「えーっ、こんなすごいところで、下手な歌と踊り(これはもちろん、私たちだけですが)をするのか……」と、ハナからビビり気味。

3年前の3月18日、東京・銀座でおこなわれた、「東日本大震災」の被災者112人によるミュージカル『飛びだす100通りのありがとう!』のごく一部分を、この日演じることになっているのですが、40人のうち、実際に本番で歌ったり踊ったりしたのは20人ほど。残り半分は、公演の裏方を務めたりチケットの販売に協力したりお金を寄付したりなど、演技を経験したわけではありません。なのに、この日のコンサートでトリを仰せつかったから、「予定してた20人じゃ格好がつかない」というので、狩り出された(というと失礼ないい方になってしまうのですが)人たちです。私たちもそちらの部類で、8月のお盆のころ、2回ほど練習しただけ。それでいきなりの本番ですから、ビビるのも当然でしょう。

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ただ、「案ずるより産むが易し」とはよくいったもので、まあまあとどこおりなく務めることができたようです。なんと、800人近い観客全員がスタンディングオーベーションで応えてくれましたから。これにはまぶたが熱くなりました。人生で初めての経験ですからね。


私たちの前には、マンハッタン交響楽団の演奏や、現地在住の日本人合唱団、またスペインからやってきた「ハポン(Japon)」さん一族など、白田さんの関わるさまざまな会やグループの人たちが出演、「9・11」を偲びました。終了後は、会場地下のホールで簡単なレセプションがあり、成功の喜びを分かち合うとともに、お互いの苦労をねぎらいました。

広~いブロンクス動物園でキリン6頭と対面

2015年9月10日
朝から本降りの雨。昨夜、私たちよりちょっとあとに到着した寺本建雄さん・祖父江真奈さん夫妻と娘のらららさん一家と昼前に再会しました。いよいよ明日に迫った「9・11追悼コンサート」の準備で忙しそうです。

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L10309223人を尻目に、私たちはといえば、ニューオーリンズに次いで、ニューヨークのキリンに挨拶するため、ホテルから地下鉄で40分ほどのところにあるブロンクス動物園へ。空模様がいまイチですが、それもものかは、動物園に着いたら即アフリカエリアに。いました、いました、キリンが6頭も。この動物園はとても広々としていて、どの動物もえらくのびのびした様子。今日は平日ですし、天気のせいもあってか園内は閑散としています。そのため、ますます広く感じられました。とにかく自然がいっぱいという印象で、ニューヨークにもこんな場所があることに驚きます。秋にでも来たら、さぞかし紅葉がきれいだろうなと思ったしだい。実際、動物園を出て地下鉄の駅まで間に川が流れており、その両岸は落ち着いた公園になっていました。

L1030937同じ地下鉄に乗って帰ったのですが、駅のすさまじさには驚きました。このあたりは高架になっているのですが、線路を支える鉄骨は錆び放題、見た目はいつ崩れてもおかしくない印象です。ホームも、電車が入線してくるとビミョーに揺れます。地下鉄の車両も、日本やヨーロッパと比べると安手というか、実用一点張り(日本の川崎車輛製ですが)。よく揺れますし、うるさいですし、車体には落書きもまだ残っています(前はもっとひどかった)。

それにしても、NYの地下鉄の不快さときたら……。駅も構内も地上との連絡階段も乗り換え用の通路も、最初に作られたままという感じ。古くて換気が悪いせいか、地上から降りていくと独特の饐【す】えたにおいがただよってきます。天井が低く、階段や通路の幅も狭いので息苦しいというか、ひどい圧迫感があるのです。しかも、案内表示は少ないですし、あってもわかりにくい。エレベーターはほとんど皆無で、バリアフリーなどまったくどこ吹く風なので、ひたすら階段、階段です。高齢者にとっては辛い地下鉄ですね。ニューヨーカーが東京の地下鉄に乗ったら、おそらく目を丸くすることでしょう。

家人もさすがに辟易したようで、「ニューヨークは今回が最後かもね」などという不吉な言葉を口にしていました。私はといえば、表向き「うん」と答えつつも、「いやいやまだまだ。コニーアイランドだって行ってないし、だいいちヤンキースタジアムにも行かずにニューヨークの話はできないんじゃないの」などと思っていたしだい。

ニューヨーク滞在中は「ツアー」の一員

2015年9月9日
旅行に出ても、朝のヒゲ剃りは欠かせない身だしなみの1つです。しかし、今回のように1カ月もの長旅となると、けっこう悩まなくてはなりません。自宅で使っているものを持参しようかとも思いました。1週間ほどで切れ味が鈍ってくるので、替えの刃を持っていくにしても3~4枚で済むわけですから、むしろ楽かもという気もします。

ただ、これまで長い間にストックしてきた、国内外各ホテルのアメニティーが大量にあるものですから、それも10本ほどポーチに入れておきました。各ホテルと書きましたが、これがまた多種多彩。1本の仕入れ価格が5円かそこらではないかという低クオリティーのものから、40~50円はしそうなものまでいろいろあります。


わたし的には「KAI(貝印)」の安物はダメという評価なのですが、今回持参した、同じ「KAI」の「best Y3」は上物でした。この手のものとしては珍しく3枚刃ですから、当然切れ味もいいですし、何より引っかかりがありません。「KAI」でも安手のものはその点まったくNGで、初回の使用であっても、剃っていると不愉快な気持ちになってきます。それで顔を切ってしまったりした日には目も当てられません。おろしたてのワイシャツに血の赤いシミがついたりすると、泣くに泣けないといった感じです。初めてつけた明るい色のネクタイにギョウザのタレを食いこぼてしまったのとどっこいどっこいでしょうか。

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この種のアメニティーでまあまあ安心して使えるのは「Gillette」です。特にすぐれているわけでもないのですが、「KAI」のようにハズレがほとんどないので、安心して使えます(ただし、切れ味がいいワケではありませんよ、念のため)。不愉快にならずに使えるというレベルです。

というわけで、今回の旅に持参した「KAI best Y3」も今日が最後のおつとめ。気持ちよくヒゲを剃ったあとは、ニューオーリンズも今日が最後なので、ホテル近くをしばしウォーキングしました。ホテルの裏にあるイタリア広場から、3ブロックほど離れたところにあるラファイエット広場までぶらぶら歩き。

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ホテルのチェックアウトは、アメリカではよくあることですが、10分ほど待たされてようやく終わり(正確には未了で、明細はeメールで送るとか!)空港へ。ニューオーリンズの空港は、国際空港というわりにはたいそう小ぶりで、ターミナルも1つ。定刻どおりに出発したUA便でニューヨークに飛び立ちました。7、8年ぶりでしょうか。ただし空港はおなじみのJFK(ジョン・F・ケネディ空港)ではなく、隣のニュージャージー州にあるニューアーク空港(EWR)で、こちらは私も初めてです。

ホテルまではタクシー。本当ならJFKよりEWRのほうが近いはずなのですが、道路が大渋滞。タクシーのメーターはどんどん上がっていきます。結局100ドルも払ってしまいました。

ホテルに着くと、近畿日本ツーリストの現地駐在員がロビーで待ってくれていました。実はこの瞬間からチェックアウトまでは「ツアー」なのです。宮城県石巻とその周辺から30人ほどでやってくるツアーに、途中からなのですが、合流することにしました。明日から「9・11」の追悼コンサートが終わるまでは団体行動になるわけです。

ツアー客のなかでは私たちが一番乗りのようで、皆さんが到着するまでしばらく休憩です。ホテルも、私たちが日本を出発後、ヒルトンに変更になっていました。ヒルトンは私が30年ほど前、初めてニューヨークを訪れたときに泊まったところ。その後何度もリノベーションされているためだいぶ様子は変わってしまっていますが、場所は同じですし、だだっ広いのも変わらず。部屋もNYにしては広く、まあまあです。

南部の旧大農園を見学

2015年9月8日
出発の数日前だったか、産経新聞の記者さんから連絡があり、電話で取材を受けた「滋賀県はスマホの普及率が全国で1位なのだが、なぜか? 県民性との関係は?」という質問へのコメントが記事になって掲載(9月7日午後3時以降)されましたとのメールが届いていました。さっそくのぞいてみると、『産経WEST』の【関西の議論】というページにそれがあります。
http://www.sankei.com/west/news/150907/wst1509070006-n1.html
こういう統計データは個人的にも関心があるので、なぜなのかということを考える作業もおもしろいものです。

それはさておき、今日の午後は、19世紀アメリカの大農園を見学する現地ツアーに参加することにしました。本当はミシシッピー川のクルージングにしようかと思っていたのですが、ニューオーリンズという町の魅力がいまイチなので、それもどうかということになり、急遽申し込んだしだい。

Gray Line社主催のバスツアー出発地は、フレンチクオーターの南、ミシシッピー川外輪遊覧船が出発する桟橋近く。その前に遅い朝食を、かの有名な「CAFE du MONDE」でということにしました。ホテルから、今日も暑い中を歩くこと10分。食事といっても、フレンチドーナツに細かなパウダーシュガーを山ほどまぶした「ベニエ」という名前のお菓子で、それにカフェオレというのが定番のようです。広い店内は満席で、次から次へ客が。とても1人では食べ切れそうにはないと判断し、2人で1人前(3個)だけにしましたが、正解でした。

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Img_0729そのあと、初日はすでにクローズして入れなかったジャクソン広場に。広場前の道路には、客を待つ馬車がたむろしています。美しく整備された広場を抜けたところがセントルイス大聖堂。中に入るとチョー涼しい! 涼しいというより寒いほどで、長い時間はいられませんが、生き返った心地がします。内部は、ヨーロッパの教会にも見劣りしない感じです。


そこを出ると、教会の前で2人の黒人がベンチにすわってジャズの生演奏。2人の間に少しだけスペースがあったので、そこにすわり写真を撮らせてもらいました。もちろん、チップは払いましたよ。なんのことはありません、そのためにスペースを空けてあるのです。こうした街頭プレイヤーが週末になると、そこここにいるのですから、騒々しいはずです。かならず、まわりに踊る人や歌う人もいますし。

L1030852今日は前日までとうって変わり、まわりが静かで、2人の演奏もやけに響きます。陽気で心地のよいホルンとトランペットの音色に聴き入っているとけっこう上手なんですね。

ぼちぼち歩いて桟橋近くに行くと、あちこちにツアーの出発を待つ人たちがたむろしています。2ドルのペットボトル入り水を苦労の末に購入し、出発までしばし休憩。今日あたり、休み明けでツアーの客などほとんどいないのいではないかと思っていたのですが、どうしてどうして、20人近くもいました。

L1030871バスに乗ること1時間、目的地のオークアレー(Oak Alley)に到着。途中はずっとミシシッピデルタで、バイヨー(水路)やスワンプ(沼地)がそちこちに。そうした中、かつての大農園が散在しています。オークアレーもその1つで、樹齢300年を超えるカシの並木が人気だそうです。たしかに、何百本とそびえているカシの木の迫力は相当で、なかには枝振りが地を這っているものも。その奥に農園経営者の豪華な屋敷があります。映画『風と共に去りぬ』の世界ですね。

ガイドさんがいろいろ説明してくれていましたが、こちらの関心はもっぱらカシの木ですから、ほとんど聞き流し。それでも、1861年の南北戦争で当主が破産してしまい、すべての資産=3億円ほどを競売で取られたという話には驚きました。それまで奴隷として働かされていた人たちがすべて解放されたのですから、たしかに働き手を失った農園はどこも皆立ち行かなくなってしまったのでしょう。それでも、ここはその後の経過がまっとうだったようで、今日は財団が管理し、観光スポットとして多くの人を集めているのですから、まだましなほうなのかもしれません。

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帰りは途中ひどいスコールのような雨に降られましたが、幸いバスの中だったので事なきを得ました。夜は私たちのホテルからすぐ近くにあるHarrah’sのレストランでがっつり肉食。

亜熱帯特有の「ゆるさ」を感じさせるニューオーリンズ

2015年9月7日
今日は恒例のキリンさん表敬訪問です。

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朝から、ニューオーリンズの西部にある「オーデュボン動物園(Audubon Zoo)」まで行ってきました。センスのいい動物園で、けっこう楽しめます。亜熱帯、しかも9月ということで、これまでの経験から、過大な期待は抱いていなかったのですが、あにはからんや、動物たちは、夏の熱い日差しを受けているにもかかわらず、外に出て元気な姿を見せてくれていました。何より可愛かったのはヒョウの親子。いちばん客に近いところで、仲よくくつろいでいたので、こんな写真も。まるで私の飼いヒョウのような絵が撮れました。

Img_0719もちろん、キリンもいい感じでした。餌にありつく2頭と、順番を待っている2頭のふた組に分かれていましたが、どちらの組もおだやかな表情を見せています。とにかく、客に近い場所にいるのがいいですね。これはおそらく動物園の環境というか、設計が優れているためでしょう。

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行き帰りともバスを利用しましたが、制限速度20マイル(=32キロ)の道を、おそらく30マイル(=48キロ)近くで走るので、心配でした。しかも、信号待ちの折や停留所で止まったときなど、路上にいる知り合いとおぼしき人と言葉を交わしたり、なんとものんびりしています。これがアメリカ南部なのでしょうか。

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ダウンタウンに戻り、川沿いをフレンチマーケットまで歩くと、風が吹いてはいるものの、やはり蒸しています。人通りもまだ多いので、それだけで暑苦しくて。ランチは、そこから少し北にある住宅街の一角にあるカフェで済ませました。おいしいクロワッサンサンド(ツナサラダ)とアイスカプチーノ。家人はチョコレートクロワッサンとオレンジジュース。食後、テイクアウトでさらに2つ、パンを買ってしまったほどです。


外へ出るとあまりの暑さに絶句。タクシーでホテルに戻りました。時刻は3時近く。ところが、部屋に戻ると、驚いたことに掃除が終わっていません。そういえば昨日チェックインしようとしたとき──午後4時をとうに回っていたのに──、「部屋の掃除がまだ終わっていないので……」などといっていましたっけ。まあ南部だから、と思いもしますが、大丈夫かなと心配になってしまいます。

夕刻、少し涼しくなってから、外出しました。出がけに、コンシェルジュデスクにいた女性に「部屋の掃除、お願いしますよ」と、ひとこと念押ししたのはいうまでもありません。そうでないと、いつかのベルゲン(ノルウェー)のホテルのような事態になりかねませんから。私たちの泊まっているホテルのすぐそばに、なぜか大きなカジノ(ラスベガスにもある Harrah’sです)があったので、そこに入ってみました。すると、ここがまた異常なほどの涼しさ。エアコンがガンガンに効いていて、5分も中にいると寒気がしてくるほどです。結局、落ち着いて遊ぶこともできず、外に出てぶらぶらとフレンチクオーターのほうに行くことに。

Dsc_0206今日はこの時間になっても人通りが少なく、昨夜の喧騒がウソのよう。同性愛者のカップルとときおりすれ違うなど、多少の余韻はまだありますが、街は全体的に落ち着きを取り戻した感じがします。ニューオーリンズに来たからは一度「ケージャン料理」をということで、「ジャンバラヤ」や「ガンボ」「シュリンプクレオール」などにチャレンジ。下世話な味ですが、個人的には好みに合っていて、気に入りました。

帰りは昨夜通ったバーボンストリートの1本南側を走るロイヤルストリートを。こちらは、ギャラリーやちょっとグレードの高いおみやげ物店が目につき、老舗のホテルもあります。おかげで落ち着いた気分で歩けました。それにしてもバーボンストリートはウワサに違わぬ猥雑さと喧噪に満ちていました。もともとの地域特性=フランス植民地だったころから歓楽地帯であることに加え、亜熱帯気候から来るある意味怠惰な気風が、退嬰【たいえい】的な雰囲気をはぐくみ、こういうエリアができ上がったのでしょう。「SOUTHERN DECADANCE」なるイベントはその象徴の一つなのかもしれません。

ただ、落ち着きという点ではいまイチの感じがします。投げやりな雰囲気というか、規則を重んじないというか、欲望にあまり歯止めをかけようとしないというか。さまざまな表現ができそうですが、アメリカに特徴的なプロテスタントの匂いがまったくありません。聞けば、カリブ海に伝わるブードゥー教の影響もあるようで、そうしたことともあいまって、道徳・倫理の風は薄そうです。

信じられないほど太った人(それも女性が断然多い!)の姿が、西海岸に比べてはるかに目につくのもその影響でしょうか。とにかく、どこを歩いても、どこにいても、ハンパでなく太った人がいます。それでいて、どうにかしよう・したいという気もないようで、スタバで買ったコーヒーにいやというほど白砂糖やシロップを入れていたりラージサイズ(バケツ大)のコークを一滴残らず飲み干していたりなど、「あちゃー」といいたくなるような人の多いこと。かなりヤバい感じです。

ジョン・ウェインからルイ・アームストロングへ

2015年9月6日
L1030730今日はほぼまる1日かけてニューオーリンズまでの移動。ホテル発6時のシャトルバスでオレンジ・カウンティ(ジョン・ウェイン)空港まで。5分もかからずに到着しチェックインしたときは出発時刻まで2時間以上の余裕が。こういうローカルの空港はこじんまりしているので、乗降客が圧倒的に少なく、何をするにも時間がかからない利便さが最大のメリットです。私が惹かれる理由もその点にあります。ロサンゼルスといえばLAX(国際空港)しか知られていませんが、実は、オレンジ・カウンティのほか、オンタリオ、ロングビーチ、バーバンクと、LAXからクルマで1時間もかからないほどの近くに4つもあるのです。

さて、驚いたのは手荷物検査で、PCをカバンから出す必要はありませんし、靴を脱いだりベルトを外したりもせずに済みます。スクリーニングの装置が最新式なのでしょうね。それもあって、あっという間に出発ゲートのすぐ近くまで行けました。

ところが、ここでアクシデントが発生。空港のデザインがとてもおしゃれなので写真を撮っていたのですが、突然カメラが不具合をきたしてしまったのです。写した写真をチェックするための画面はきれいに再現されるのですが、肝心の撮影時に何も画像が見えません。真っ黒のままなのです。そのため、撮影するときは、小さなファインダーをのぞかなければならず、不自由なことこの上ありません。幸先の悪いスタートに気分がガックリ落ち込みます。いまのカメラ(=LEICAなのですが)はホント“呪われている”のか相性が悪いのか、買ってまだ1年足らずなのに、あちこちに不調が出てくるのです。ハズレだったのかもしれません。

ロスから3時間ほどでヒューストン着。乗り換えのため一度機を降り、ターミナルも移動し、別の便で夕刻ニューオーリンズ空港(こちらの別名は「ルイ・アームストロング」空港)に到着。こういうときは荷物がちゃんと着いているかどうか心配なのですが、問題なし。よかったです。空港からホテルへはタクシーを使いました。しかし、ホテルの部屋がまだ準備できていなかったようで、待つこと30分。ようやく部屋に入ったときはすでに5時を回っていました。ちなみに、ニューオーリンズはロスと時差が2時間あるので、最初“稼いだ”16時間はここで14時間に減りました。

ホテルを出てかの有名なフレンチクオーター付近まで歩きましたが、暑いことといったらありません。夕食は広場にほど近い場所にあり、客の入りもよさそうな店にしたのですが、これが大ハズレ。客が多かったのは、便利な場所にあるからということだけのようでした。


そのあと、有名なバーボンスリートを歩いて帰りましたが、今週は「SOUTHERN DECADANCE(=南部の頽廃【たいはい】)」という、年に一度の“同性愛者大集合”の催しがあったせいか、どこもかしこもその世界の人であふれ返っている様子。しかも、今日が最終日のせいもあるのでしょうか、異常なまでの盛り上がりで、町中が大騒ぎです。歩道の片隅でひっくり返って眠り込んでいる人の姿も目立ちます。逃げるようにしてホテルに戻りましたが、まあここまで騒々しいとやはりストレスを感じてしまいます。もっと若い時分に来ていればよかったのでしょうが、やはり年齢のせいでしょうね。

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とりあえず16時間「得」をするのですが

2015年9月5日
スタートは9月6日午前0時5分羽田発のANA便。ロサンゼルス到着は「前日=5日」の夕方6時ごろという、ミステリアスなフライトです。なんだか得をしたような気もしますが、それもこれも東京とアメリカ西海岸の時差が大きいせいで、どういう経路で帰国するにしても、この差はかならず埋まります。日本では夜8時ギリギリまで荷造りや仕事に追われバタバタ。羽田で多少はのんびりできますが、乗ったらすぐ就寝ですから効率もよく、むしろ助かります。

起きてしばらくすると、もうロサンゼルス。ターミナルビルの改装が済み、えらく美しくなっていました。ただ、入国手続きには時間がかかりました。指紋取りから顔写真の撮影まで、全部こちらにさせて、係官の仕事は減っているはずなのですが、結局なんだかんだで1時間。しかも、税関の係員も以前とは大違いで、それなりに「仕事」をしています。下手をすると、スーツケースを開けさせられかねません。


やっとすべてを終えて、外に出ると、Hさんご夫妻が迎えに来てくれていました。クルマで、明日の出発地オレンジ・カウンティ空港(別名「ジョン・ウェイン」空港)まで移動。ホテルにチェックインして荷物を部屋に放り込み、すぐ夕食に出ます。ホテル近くのイタリアンでしたが、ちょうどHさんの次女一家が近くにいたとかで合流し、にぎやかな食事になりました。

「万里の長城」は2万2千キロ、ボルトの金は100メートル

2015年8月28日
さて、今日は今回の観光では目玉となる「万里の長城」ツアーです。朝、ホテルのロビーでガイドとドッキングし、一路車でGO。1時間ほどで到着しましたが、駐車場から長城の入り口まではけっこうな距離の上り坂を歩きます。日差しも強い中、懸命に歩きました。ガイドからコースの説明(初心者向けと健脚者向けの2つあるのです)を受け、迷わず初心者コースへ。

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L1030630しかし、「初心者」にとっても、けっして楽ではありません。見かけよりはるかに傾斜がきつく、しかも歩いても歩いても、最高地点までは着きません。全行程の半分ほどのところで、時間もかなりおしてきた感じがした(半分は弁解ですが)ので、長城のすぐ脇を降りていく別のルートを戻りました。午後に行っていたらもっときつかったにちがいなく、朝に歩いたのは正解でした。端から端までは、なんと2万2千キロもあるそうで、東端(河北省山海関)は黄海に面しているとか。たしかに、北にいる異民族(=匈奴【きょうど】)の侵入を防ぐためのものですから、漏れなく築かなくてはならないのはよくわかるのですが。よくもまあ、こんなシロモノを中国全土に作りあげたものだと感心しました。

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午後早くに現地を出発、ホテルには3時過ぎには戻ってこれました。今日もまた、地下鉄で「鳥の巣」まで。そうそう、北京では地下鉄に乗るにも手荷物検査があります。世界陸上の開催中だからとか軍事パレードが迫っているからといったことではなく、日常的におこなわれているとのことです。それはそれとして、ウサイン・ボルトの100メートル金メダル獲得の瞬間をこの目で見られたのが最高でした。「万里の長城」の22万の1の距離ですが……。今日は昨日よりさらにスムーズにホテルまで戻れました。

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中国の人たちが読んでいる旅行ガイドブック

2015年8月27日

L1030604_2この時期、たまたまですが、9月の初めに天安門広場で軍事パレードがおこなわれるとかで、「故宮」がクローズされています。残念ながら今回は見送らざるを得ず、日程を調整の上、今日は北京最大の繁華街「王府井【ワンフーチン】」に行きました。地下鉄の駅を上がると、中国銀行と北京飯店があり、その2つにはさまれ北に向かう道路の両サイドに有名な店が並んでいます。その一つに大きな書店がありました。

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ビル丸ごと書店という中に入って、最近日本にいちばん多くの観光客を送り込んでいる中国の人たちがどんなガイドブックを読んでいるのか、のぞいてみました。すると、台湾でもそうでしたが、旅行書のコーナーには大変な数の本が並んでいます。『地球の歩き方』の中国語訳(かどうかはわかりませんが、装幀はそっくり)もほとんど全部がそろい、その充実ぶりはハンパではありません。「なるほど、こういうのを読んでくれば、日本のどこに行っても中国人の姿を見かけるはず」と納得したしだい。昼食は5月に来たとき連れていってもらった「東方餃子王」で。

夕方からは「鳥の巣」ですが、今日は昨日の“学習成果”をもとに地下鉄で行きました。その成果でしょう、行きも帰りもほぼ余裕。入場券とセットになっている食事はそれほどのレベルではありませんが、ボランティア・メンバーの手厚いケアもあり、心地よく過ごせます。今日も日本選手の活躍は見られないままでしたが、ウサイン・ボルトの走りをほぼゴールの真上で観られたのが救い。

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本場北京で食べた北京ダック、安~っ!

2015年8月26日
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午前中は、清の時代、西太后が夏の別荘として利用していた頤和園【いわえん】に行き、あまりのスケールの大きさに度肝を抜かれたあと、昼食はJさんご推薦の「大菫」という店で烤鴨(北京ダック)を食べました。かの有名な「全聚徳」にいた人が独立開業した店だそうです。値段がそちらよりはるかにリーズナブルなため好評なようで、数年のうちにいくつもの店舗を開業するまでになったとか。私たちが行ったのは南新倉文化レジャー街の一角にある店でしたが、お洒落な空間が魅力的、もちろん味も素晴らしく、しかも、ウソみたいに安かったです。

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ホテルに戻り着替えたあと、タクシーで「鳥の巣」まで。ただ、「鳥の巣」の真ん前までは行けず、比較的近いところでおろされました。しかしそこからが大変で、入り口を探すのに右往左往、中に入るまでに1時間。この日の競技で日本人選手が出場するのはヤリ投げでしたが、日本はまったく不振で、優勝したのはなんとケニアの選手でした。伝統的にこの種目に強い北欧の選手を押しのけての優勝ですから、快挙といっていいでしょう。ホテルには地下鉄を乗り継いで帰りましたが、駅がどこにあるのかなかなかわかりません。しかたなく、「最近地鉄站?」とボールペンで書いたメモ用紙を警官に見せて教えてもらったのですが、それも実はウソで、結局人の流れについていってようやく見つけました。

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ホテルの近くを流れる川で水泳にはびっくり

2015年8月25日

L1030509世界陸上の観戦も今回で6回目。2005年のヘルシンキが最初ですから早いもので10年になります。朝9時10分・羽田発のANA便で北京に出発しました。北京は今年の5月に行ったので私は2回目、家人は初めてです。5月も8月も、PM2・5の心配は無用。ただ、今回はかなり暑いのではないか、心配はそれだけです。

北京国際空港には4時間で到着。空港からは道路の渋滞を避け、地下鉄でホテルまで行くことにしました。高校時代の友人で、ついこの3月までこちらで日本企業の中国現地法人社長を務めていたYくんが教えてくれた崑崙飯店です。空港からも遠くなく、世界陸上がおこなわれる「国家体育場」(=「鳥の巣」)もわりと近いので、ここに決めました。機場線と10号線を乗り継ぎ亮馬橋駅までは1時間足らずでしたが、駅から地上に出るのがややこしく、ホテルもすぐにそれとはわかりにくかったためもたついてしまいました。4つ星ですが、日本人のビジネスマンには好評のようです。周辺に日本企業の現地法人や支店・営業所が多くあるからでしょう。


L1030512北京にしては珍しく緑の多い場所、しかも川沿いに立っているホテルで、私たちの部屋の窓からもそうした風景が見えます。夜までたっぷり時間があるので、さっそく周辺を散策してみました。夏休み期間とはいえ、今日はウイークデー。でも、泳いでいる人や釣り糸を垂れている人がけっこういます。「水深危険 禁止遊泳 垂釣 滑氷」と書かれた掲示板が立っているのにです。よく見ると、リタイアした男性ばかり。中国人の行動の一端が垣間見えるような気がしました。

L1030517川の向こう側にはオランダ、デンマーク、スイス、タンザニア、イラン、アルゼンチン、メキシコ、ナイジェリアなどの大使館やシェラトンホテル、道路の向かい側には日本始め内外の大企業が入っている大きなオフィスビルやウエスティン、ケンピンスキー、ヒルトン、フォーシーズンズといった5つ星のホテルもあり、場所的には安全なのでしょう。ただ、東京の大使館密集エリアのようなあか抜けた雰囲気はまったくありません。真っ昼間から川で泳ぎや釣りを楽しんでいる人がいるのですからね。

6時過ぎ、5月に来たときもお世話になった中国人ビジネスマンJさんがロビーまで迎えに来てくださいました。車に乗り、近くの「鼎泰豊」北京支店に。名物の小籠包や鶏スープ、炒飯(どれも皆、台北の本店よりレベルは上かも)をいただき、そのあと、故宮の北西に位置する北海公園を散策しました。5月のときと同様、多くの人でにぎわっています。まして、いまは8月。街の真ん中にこれほどの池(北海)があれば、だれだって夕涼みに行きたくなるでしょう。もともとは、橋でへだてられた中海とともに宮廷の庭園でしたが、明の時代、そのさらに南側に南海が作られました。ロシアの「クレムリン」、韓国の「青瓦台【せいがだい】」と同じく、中国で「中南海」といえば、権力中枢の代名詞にもなっていますが、それはこの一帯に中国共産党中央書記処があるため。ただ、北海だけは一般市民にも開放されているというわけです。

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利用価値の高そうなフィン航空ヘルシンキ空港

2015年8月6日

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P8060641P8060644ロシアツアーの途中ですが、7日に京都で仕事がある私は、家人とともにひと足先に帰国します。モスクワのシェレメチェヴォ空港からからヘルシンキ経由で関空へ。ヘルシンキ空港はハブ空港にしてはコンパクトですが、居心地のよさではハイレベルです。喫煙スペースは広く、しかも美しく、思い切りくつろげます。それより何より、空港のサイズがちょうどころあいというか、動き回って疲れることがありません。高級ブランドが軒を並べている国際空港を期待している人にとってはフラストレーションを感じるかもしれませんが。

ただ、私たちが到着してしばらく経つと、どんどん混み合ってきました。出発便が集中する時間帯に入ってきたのでしょう。4時間後、ヘルシンキを発つフィンエアで一路関空へ飛び立ちました。日本・ヨーロッパを最短距離・最短時間で結ぶ路線だけに、この先も利用価値がありそうです。

王様と貴族が作った町はやはり違うようです

2015年8月4日

P8040525_2午前中はサンクトペテルブルクのメインストリート=ネフスキー大通り周辺の散策。最初は、「創業は1848年。当地の上流階級のために建てられたアーケード街」(『地球の歩き方』)=パッサージュに行きました。午前中、しかもどの店も店を開けて間もないとあって、中はガラガラ。それでもかなりいい雰囲気の空間で、ゆっくり楽しめました。そのあと、近くのホテルヨーロッパでお茶をしたのですが、メニューがアイパッド風で、びっくり。

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さすが、世にいう“グランドホテル”だけあって、建物はそれに恥じない風格で、玄関のドア周辺も、いずまいを正さずにはおけない威厳があります。ドアマンの顔つきもきりっとしていました。中のデザインも余裕があるというか、落ち着きに満ちており、外の喧騒を忘れさせてくれます。

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P80405431時間ほどゆっくりし、再び集合。ランチを食べに移動します。今日は、サンクトペテルブルクの貴族の屋敷を改造した店だそうです。私たちが食事をした1階はそれほどでもなかったのですが、帰りがけ、1階の玄関近くにいるガードマン風の男性が、ドアのすぐ横にある小さなプロジェクターを指差し、「これを見ていけよ」といっている様子。そこで画面に目をやると、絢爛豪華な内装の部屋が映し出されています。「2階はこうなっているんだぜ」と自慢顔を見せるガードマン。たしかに、エカテリーナ宮殿も顔負けの部屋で、なるほど、貴族のお屋敷だったことがよくわかりました。

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ランチのあと、3時過ぎ出発のモスクワ行き特急に乗るため駅に急ぎました。その名もモスクワ駅。ロシアでは行き先がそのまま駅の名前になっていることが多く、私たちが着いたのも「モスクワ駅」でした。

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P8040557夜7時過ぎに(モスクワの)レニングラード駅(ややこしいですね)に到着し、バスでホテルに向かいます。今回は中心部からかなり離れた場所にあるようで、ラッシュとも重なったため、1時間ほどかかりようやく到着してチェックイン。すぐに食事でしたが、これがいまイチ、いないま2の感じですかねぇ。食後すぐにホテルの敷地内にある24時間営業の店に駆け込み、バナナやらカップ麺を買いました。夜中にお腹がすいて眠れなくなっては困りますので。備えあれば憂いなしです。

ホテルの周囲は再開発が進んでいるらしく、大々的な道路工事の真っ最中。部屋の窓からどの方向を見ても、どこかしら落ち着きを欠いている様子が見て取れます。去年も同じホテルに泊まった人の話を聞くと、状況はほとんど変わっていないとのこと。中国に比べると、建築・土木の工事はゆるりとしている感じです。

エカテリーナ宮殿の前で「君が代」とは!

2015年8月3日

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午前中は「ネヴァ川+フィンランド湾」のクルージングです。といっても、ポンポン船のような船ですから、甲板に上がったりしたの船室に降りたり自由自在で、気楽なものです。前回は行かなかったペトロパヴロフスク要塞のある島をぐるっとまわる大回りのコースでした。この大きな川と湾が、冬になると全部凍りついてしまうというのですが、とても想像できません。

P8030418ランチを終え、バスでエカテリーナ宮殿まで行きます。入口手前の路上に4人編成の楽隊が立っていて、国歌「君が代」の演奏でお出迎え。もちろんチップを払ってあげました。私たちの前では中国人の団体を前に「義勇軍行進曲」を演奏する楽隊もいました。い合わせた中国人のほぼ全員がそれに合わせて歌っています。なかには指揮を執る人もいました。

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P8030477_2宮殿内は相変わらずの人、人、人です。「琥珀の間」に一同、大感動。そちらをあとにし、市内に戻りました。ランチは午後2時からと遅めのスタート。食べ終えるとバスでペトロハヴロフスク要塞へ。いまは造幣局として使われているそうです。中の教会がたいそう立派で、ニコライ王朝歴代の皇帝、王妃の棺が安置されていました。

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ロシアの教会はとにかく、金(ゴールド)が好きなようで、ここもまた中はそこかしこに金箔がほどこされていました。ロシア正教というのは、キリスト教のなかでもどんな位置にあったのか、一度学んでみたくなりました。

夕食は7時から。前回当地を訪れたときランチをした店「1913」でした。夕食を済ませると、今回のツアーを主催しているNPO法人「日ロ創幸会」代表理事のEさんが、畏友・ヴォロビヨヴァ女史のご自宅を表敬訪問するというので、同行させてもらいました。女史は、「人に善をなすことを教え、助け合うこと、思いやりを持つこと、自分を磨いて向上させていくことを重視する」法華経の研究で名を成した方で、「法華経研究の母」ともいわれているそうです。80に近いお歳にもかかわらずすこぶる元気。「博士」といってもたいそう庶民的な方で、通訳をされていたロシアの女性も、その人柄に心を打たれたようでした。

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中国人であふれるサンクトペテルブルクのホテル

2015年8月2日

朝食バフェットの中国人の多さには度肝を抜かれました。しかも、ほとんど全員がポット持参。食事が終わると、ジュースやコーヒーをそれに入れて出ていくのです。

P8020253今日はまずエルミタージュ美術館です。10時前には美術館前の広場に到着。まだ林せいか、本当ならズラリと並んでいるはずの観光バスが1台も見えません。というか、今日はロシア軍特殊部隊(かの有名なスペツナズですね!)の何やらの記念日らしく、一般車両の駐車が禁止されているようなのです。その代わり、街宣車が1台止まっていて、それが耳をつんざくような軍歌をずっと流し続けていました。

P802030610時30分に入場し、ガイドさんの案内で館内を回っていきます。同じツアーでも、ガイドさんによって、その中身の充実度が大きく変わりますが、今回は大正解の人。なんでもサンクトペテルブルクのどこかの大学で教鞭を取っている(民俗学だとか)方のようで、とにかく博識なこと。しかも、それをいやみを感じさせずに話してくださり、前回観たときとは格段の内容でした。日本語も巧みで、ダジャレまでいえるくらいでしたから、かなりの語学力といっていいでしょう。

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エルミタージュを見終えるとランチ。前回来たときも訪れたレストランでした。そのあとはペテルゴーフの「夏の宮殿」です。「夏の宮殿」は、サンクトペテルブルクの中心部から30kmほど西、フィンランド湾の南岸にあり、宮殿と庭園ピョートル1世の命により当時の先端技術をふんだんに投入して建設されたものです。前回はエルミタージュ美術館近くの船着場から水中翼船で行ったので35分で到着しましたが、今回はバスでの移動。小1時間ほどかかりました。

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Img_0510ペテルゴーフ宮殿の建設は1714年、ピョートル大帝から始まり、1723年に完成したそうです。噴水がここの名物ですが、電力などは一切使われていません。ひたすら、標高差だけを利用しているというのですから、驚くしかありません。

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この日はかなりのハードスケジュールで、夜は地元の「日本に関心を持っている人たちの会」(正式の名称はわかりません)との交流会が催されました。場所はホテルからはちょっと離れたところにある中華料理店「ニーハオ」。えらく大きな店で、入り口を入って左側はカフェバー風、右側は普通のレストランになっていて、今日は私たちでそちらを貸切りといった感じです。

私たちとは別に20人近くの人が集まりました。日本人もいますが、ロシア人もほとんどが日本語ペラペラ。宴たけなわといったタイミングで、予定していた盆踊り大会に。東京から持参した「大東京音頭」と「キヨシのずんどこ節」の2曲が入ったDVDから流れる曲に合わせ、総勢40人ほどで盛り上がりました。私と家人もとっておきの浴衣に着替え、楽しみました。

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踊りのあとは、6つの丸テーブルすべてが一段とにぎやかに。全体的には日本人が3分の2を占めましたが、3分の1のロシア人の存在感も強烈。それというのも、皆、日本語がペラペラなのです。日本のアニメを見て日本に興味を持ち、それがきっかけで日本語を勉強し始めた人が多いのには驚きました。話には聞いていましたが、アニメの影響力はすさまじいものがあります。いま流行りの言葉でいうと「クール」なのでしょうが、それがどうにも理解できません。やはり年齢のせいかも……なんて思うと、ガックリきてしまいました。

交流会が終わったの時はもう9時をはるかに回っていました。店から歩いて10分のところが最寄りの地下鉄駅。地下に潜ってさらに3、4分歩くと。やっと切符売り場があり、そこから降りること、70mほどでしょうか。ホームにたどり着きました。そこからひと駅乗って乗り換え。そのために3、4分歩き、乗り換え駅へ。そこからひと駅乗って、ホテルの近くにあるマヤコフスカヤ駅で下車。店を出てから小1時間は経っていたのではないでしょうか。

60年以上も前のオリンピック・スタジアムに感動

2015年8月1日
今日は日中がヘルシンキ市内観光に充てられています。10時過ぎに出発、まずはオリンピックスタジアムへ。10年前、私たちが世界陸上の観戦に行った場所ですが、そのときは2日間とも夜でした。しかし、明るいところで見るスタジアムは、まったく趣が違います。スタンドにだれもいないせいもあるでしょう。

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このスタジアムは1952年のオリンピックのために造られたとのことので、とても質素に造られています。観客用のイスも木製です。当時のこととて、プラスチックがほとんど使われていません。木、石、鉄、あとはガラスくらいなものでしょうか。東京の新国立競技場のように2300億円かかるとかかからないといった話が、絵空事のように思えます。これで十分なんじゃないのと、改めて思いました。

それより、古いから、世界中からやってくる観客を「お・も・て・な・し」するには、デザインにもお金をたっぷりかけて豪華に……という発想に疑問を抱いてしまいます。このヘルシンキのスタジアムは観光スポットにもなっているのですが、フィンランドという国を通じて見た「オリンピック」というものを考えさせる工夫が随所にほどこされていました。

「フィンランドとオリンピック」との関わりで思い出すのは、日本の村社【むらこそ】講平という、宮崎県出身の小柄な(162cm・50㎏)陸上長距離選手のことです。もちろん、実際に見たわけではなく、子どものころ読んだ本に書かれていた話です。

村社は1936年のベルリンオリンピック陸上5000mと10000mに出場しました。10000mで、ラスト1周のところまでトップを走っていた村社をいとも簡単に抜き去っていったのが、1位になったサルミネンなどフィンランドの3選手。結果は同国のワンツースリーで、村社は4位に終わってしまいました。このときの模様はレニ・リーフェンシュタールの映画『民族の祭典』にも描かれています。

この映画を観て感銘したチェコスロバキアの少年が、のちに“人間機関車”の異名を取ったエミール・ザトペック(チェコスロバキア)です。ザトペックは、1948(ロンドン)の10000mで金メダルに輝きましたが、1952年のヘルシンキ大会では5000m、10000m、そしてマラソンでも金を取るという、いまでは考えられないような離れ業を成し遂げています。

P8010137オリンピックスタジアムをあとにして向かったのがシベリウス公園。家人は、この国が生んだシベリウスに敬意を表し、出発前にわざわざCDまで買ってその作品(『交響曲フィンランディア』)を聴いてきたとのこと(ただ、暗~い曲で途中でやめたとも)。公園は、その曲とはうって変わって、明るい日差しに満ちた素晴らしい場所です。もちろん、フィンランドの象徴である森がたっぷりあって、気持ちよく歩けました。

P8010146次に行ったのは、岩盤の中に造ったというルター派の教会です。中央駅からさほど遠くない住宅街の一角にあり、岩盤でできた小さな丘をくり抜いた中が教会になっています。側面の上のほうにガラスがはめ込まれていて、自然光が入り込むようになっているので、けっこう明るく感じます。世界各地から年間数十万の人が訪れるこの教会、音響効果も優れているらしく、コンサートホールなども開かれるそうです。


P8010181このあとランチは、昨日も訪れた、駅近くのFORUM。ただし、今日は別の建物の中にあるフィンランド料理の店。時間がかなりおしていたようで、当初歩いて移動するはずだった港まで、急遽トラムを利用することになり、ギリギリのタイミングで船に乗りました。目的地は船で15分のところにある世界遺産・スオメンリンナ要塞。ほとんど期待していなかった場所でしたが、これが意外に楽しめました。

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要塞からまた港まで戻り、夜7時56分発のサンクトペテルブルク行き国際特急の出発まで自由時間。小腹がすいていた私たちは、ちょっと何か食べておくことにし、駅前にある「レオナルド」か「ダ・ヴィンチ」かで迷ったのですが、結局「ダ・ヴィンチ」にしました。どちらもイタリアンで、こちらはピザが有名なのだとか。両店は経営的には関係ないらしく、たまたますぐ近くにあるだけのようです。

7時少し半前にホームに移動し、列車に乗り込みました。ほぼ海に沿って走りながら途中で国境を越えてロシアに入ります。日本にいてはもちろん、海外でもなかなか体験できないことなのですが、けっこう緊張しました。

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フィンランドからの出国手続きを終え、しばらく走るとロシア領。こんどは入国審査ですが、こちらはやはり緊張させられます。出発から4時間弱でサンクトペテルブルクに。日にちが変わる直前の到着だったので、ホテルにチェックインしたときはほとんど午前1時前でした。

同じ北の国でも、フィンランドとロシアとでは、やはり違います。ホテルのロビーは明かりが半分消されていて、暗い中で添乗員からキーを渡されるのを待っている間、疲れがどっと襲ってきました。私たちの部屋はチョー狭く、スーツケースを開けるスペースもありません。最低限のものだけ出して、即就寝です。

ホテルの部屋が狭いのは圧迫感のせいもありますが、なんともプアな気持ちにさせられるものです。ほかにも快適なホテルの条件はいくつがありますが、せっかく日常を離れるのですから、できるかぎりリッチな気分を味わいたいもの。その第一条件が部屋の広さというのが、私の考えです。その点、このオクチャーブリスカヤというホテルは厳しいものがあります。ツアーで決められているので仕方ないのですが、この次サンクトペテルブルクに来るときは、もう少しグレードの高いホテルにしてほしいというのが正直な気持ち。