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大学のある町に流れる空気──私の「マイクロツーリズム」⑱

●10日ほど前、隣駅の江古田(北口)にある大学=日芸(日大芸術学部)とムサオン(武蔵野音楽大学)周辺までウォーキング。そろって鉄筋コンクリートの立派な建物に建て替わっており、1970年代の牧歌的な面影はありません。ただ、どちらも芸術系とあって、周りにはそれっぽい空気が流れています。ムサオンの校舎横には「ショパンプロムナード」なるものも。近くを歩いていたとき、どこからともなく聞こえてくるピアノの音に癒されました。
●江古田駅には南口に武蔵大学もありますが、「らしさ」という点ではこちらのほうが上を行っているかもしれません。練馬区の文化財にもなっている大講堂(1928年築)は、早稲田大学大隈講堂や日比谷公会堂と同じ建築家の設計。小さなキャンパスでも、”フンイキ”なのです。
●ただ、日本の大学はいまどこも皆、ピカピカの校舎にゴミひとつ落ちていないキャンパスのところばかり。それはそれでいいのかもしれませんが、ヨーロッパの”大学都市”のように、学生と住民の接触によって醸(かも)される混沌、またそれから発する自由の空気、匂いとなると日本は?
●家に戻ろうと江古田駅近くを歩く私に、何かが「おいでおいで」をしてきます。パンの匂いです。といっても、近ごろブームの高級食パンではなく、いわゆる惣菜パン。いずれ折を見て詳しく書こうと思っていますが、有名チェーンではないおいしい惣菜パンの店がある町は魅力的というのが私の持論。今回もいくつか買ってしまいました。ウォーキングの成果は台無しになるかも。

Facebook Post: 2021-02-20T08:46:31

音楽・スポーツが商業主義に毒されると……

●1990年、イタリアで開催されたサッカーW杯の決勝戦前夜、古代ローマの遺跡カラカラ浴場に、ルチアーノ・パヴァロッティ(故人)、プラシド・ドミンゴ、ホセ・カレーラスの三大テノールが初めて勢ぞろいしたコンサートは、全世界で7億人が観たといいます。W杯では94(アメリカ)、98(フランス)、02(日本・韓国)の3大会、それ以外にも03年まで各国でコンサートを開催し大きなブームに。その一部始終を追ったドキュメンタリー映画「甦る三大テノール 永遠の歌声」を観てきました。
●初回こそ3人の心が通い合うイベントだったものの、ブームになってからはお金儲けに大きく傾いていったなどという裏話も。いまその開催で揺れている東京オリンピックも、中止の決断が下せないのは、一にも二にも商業主義の論理が強力に支配しているからでしょう。
●三大テノールの共演は、パヴァロッティの死去でピリオドを打ちました。一方オリンピックは、誰も想像していなかったパンデミックと重なり、しかもいまだ終息の見通しが立たない状況。無観客でテレビ中継だけ流すという手もあるのでしょうが、長い目で見ると、これは自分で自分の首を絞める恐れがあります。
●たとえば、ドイツのブンデスリーガは「無観客+テレビ中継のみ」のスタイルを続けた結果、これまで地元のスタジアムに通い続けてきたサポーターがどんどん減っているとのこと。選手もプレーにいまひとつ魂が入らないようです。放映権収入が入場料収入を大きく上回っているため、経営判断なのだとか。でも、これでは本末転倒という気がします。
●帰りに立ち寄ったデパートで、たまたま出店していた太宰府名物「梅ヶ枝餅」をGET。左遷された菅原道真が、食事もままならずにいるところへ、老婆が梅の枝の先に刺して餅を差し入れたことに由来する焼き菓子です。見て楽しむ花の梅も可憐ですが、“食べる梅”はさらによし。でも、これって本末転倒かな?

Facebook Post: 2021-02-18T11:04:14

青春を刻んだ店が次々と消えていく中で

●東京・神田神保町ではここ2、3年、「キッチン南海(洋食)」、「いも屋(天ぷら)」、「スヰートポーヅ(餃子)」など、昭和から続いていた店が次々クローズしています。喫茶店も「白十字」「エリカ」が閉店。学生時代ひんぱんに出入りしていたところなので、残念至極、残っているのは「神田伯剌西爾[ブラジル]」くらいでしょうか。
●そうした中、池袋東口のジュンク堂書店にほど近い洋食屋「キッチンABC」に先日お邪魔しました。創業は50年以上前なのですが、なぜか、これまで一度も訪れたことがありません。ホームページを見ると、店の売りは「味・量・値段」+「個性」。となると、メインのターゲットは学生や若いサラリーマンなのでしょう。
●店構えも昭和そのもので、いま風のおしゃれな雰囲気とはほぼ無縁。この日はたまたま、あちこち探しまわる時間がなく、いわばしょうことなしに入ったのですが、これがどうしてどうして、とんでもないヒットでした。「味」は少し濃いめ。ただ、これはこうしたタイプの店に共通するもので、問題ありません。「量」はガッツリで、いまの私には少々ヘビーでしたが、残すほどでもないという感じ。「値段」もリーズナブルでした。
●ならば、「個性」とは何かと思ったのですが、どうやら店主のさわやかなキャラクターにあったようです。「寒い中お待たせして申し訳ありません」「すぐにご案内できますよ」「またのご来店をお待ちしております」など、特段変わったフレーズではありませんが、古希を過ぎた海千山千の私でも、おやっと思うほど心がこもっているのです。私が中にいたのは30分余りですが、その間、客の出入りが止まることはなし。繁盛店のなんたるかを改めて知らされました。

Facebook Post: 2021-02-15T12:28:41

余談・独断・油断には要注意──私の「マイクロツーリズム」⑰

●昨年11月から始まった「石岡瑛子回顧展」@東京都現代美術館。新聞の案内などには最初のうち「予約制」と出ていましたが、しばらく経つとその文字が消滅。きっと空いているのだろうと思い込み、9日に行ってみたら、なんとチケット売り場は長蛇の列、建物の外にまで続いているではありませんか。「70〜80分はかかります」と言われ、あっさりあきらめました。12月下旬から感染者数が急増したことで、しばらく客の入りも減っていたのでしょうが、最終日まであと数日と迫り、多くの人が一気に詰めかけたようです。
●意外に思ったのは若い人が多かったこと。石岡瑛子が国内で活躍していたのは1980年代初め頃まで。フェイ・ダナウェイの写真と「モデルだって顔だけじゃダメなんだ。」というコピーから成るPARCOのポスターは強烈なインパクトがありました。その後ニューヨークに活動の場を移しアカデミー賞やグラミー賞を受賞するなどしていますが、50代以下の人たちにとってはどうなのかなと。これも私の勝手な思い込みでしょうか。
●それにしても、木場にこんな立派な施設があったとは知りませんでした。都内で初めて行った施設はこの1年間だけでも、練馬区立美術館、東京都庭園美術館、府中市郷土の森博物館……とかなりの数。ほかにも、国立公文書館、NHK放送博物館、切手の博物館、大倉集古館、根津美術館、松岡美術館、三鷹の森ジブリ美術館、日本近代文学館、世田谷文学館、国営昭和記念公園、GAS MUSEUM、江戸東京たてもの園、羽村市動物公園など、行ってみたいと思っている場所は十指に余ります。それが実現するのが先か、コロナ禍の収束が先か。行手はまだ見えません。
●ただ、そんなことを思いながら過ごすようにしないと脳が老化してしまいそうなのも事実。いつ、どこに行くか。何を見るべきか。行ったついでに、どこの店で何を食べるか。安全面は大丈夫かなどと、あれこれ思いをめぐらせていると、気持ちが浮き浮きしてきます。この高揚感に脳が刺激されるのは間違いなさそうですが、今回のように不発に終わってしまうことも。予断・独断・油断にはくれぐれも要注意です。

Facebook Post: 2021-02-14T17:35:08

渋沢栄一に敬意を表しつつ、甘いものをほおばる

●聖バレンタインデーの明日からスタートする大河ドラマ「青天を衝け」。その主人公・渋沢栄一の誕生日が今日。そして昨日は、偶然にもその銅像に出くわしました。場所は日本銀行本店近くの常盤橋公園。公園といっても、首都高速の地下化や周辺一帯の再開発工事のため現在は閉鎖されており、銅像だけが残された形になっています。オリジナルは1933年に作られましたが、太平洋戦争中の金属類回収令で撤去されてしまい、戦後の1955年に再建したものなのだとか。
● はからずもタイミングよく渋沢の銅像を見られたわけですが、実を言うと、これは日本橋三越で開催中の「あんこ博覧会」のおかげ。14日が最終日だというので、混雑を避けるにはこの日しかないということで行くことにしました。会場に着いたのは午前11時だったのに、浅草・亀十のどら焼きはすでに売り切れ(浅草まで行けばあっさり手に入るのですがね)。
●それを横目に、まずは札幌名物「月寒(つきさむ)あんぱん」に大きな栗がそっくり包まれた「まるごと栗あんぱん」をゲット。続いて、福井の冬の定番スイーツ「水ようかん」。福井の水ようかんは黒糖がベースになっているため糖度が低く、保存が効きません。そこで、気温の低い冬に廊下や縁側に置いて天然保存し、それをコタツに入りながら家族で食べる習慣があるのだとか。たしかに、さっぱりした風味で、おいしくいただきました。
●もう一つ、長野県飯島町(飯田市の北)から出品されていたモンブランも購入。いちどきには食べられないので、それぞれ賞味期限のチェックは必須。渋沢栄一も甘いものが好きだったそうですが、ここまで執着はなかったかも。いちばんの好物は煮ぼうとう(生地の埼玉県深谷市で穫れる野菜をふんだんに使い、幅広[約2.5cm]で厚め[約1.5mm]の麺を生の状態から煮込んだもの)だったと言いますから、質素な食生活を送っていたのでしょう。そうでないと、あれほどの偉業は成し遂げられないような気がします。

Facebook Post: 2021-02-13T17:20:49

府中まで探梅[たんばい]ドライブ──私の「マイクロツーリズム」⑯

●とても暖か・おだやかだった先週末の2日間。家の中にいたのではもったいないと、ちょっとばかり遠出することに。思い立った瞬間コロナウィルスのことなどすっかり忘れてしまっているのが怖くはあるのですが、気がついたときはイグニッションのボタンを押していました。
●日曜日(7日)の目的地は、自宅から30分ほどの「府中の森博物館」。博物館といっても”フィールドミュージアム”で、広い敷地に江戸・明治期の建物や田んぼ、雑木林、小川、水車小屋などを配してあるユニークな施設です。もちろん、いわゆる博物館(プラネタリウムも付設)もあります。
●でも、いちばん有名なのは梅林のようで、私たちのお目当ても蝋梅(ろうばい)と早咲きの梅。どちらも可憐な花を咲かせていました。梅はまだまだこれからですが、満開になればたくさんの人が押しかけてきそうなので、ちょうどよいタイミングだったのかも。思いもかけず、福寿草にも出会えましたよ。
●府中というと、競馬場と3億円強奪事件くらいしか思い浮かばない私ですが、こんなスポットがあることを知ったのはテレビのおかげ。コロナ禍が始まってほぼ1年、家の外に出る機会が減ったぶん、テレビを見る時間がめっきり増えました。といっても、ドラマとバラエティーには興味がないので、見るのはほとんどが情報系、それも旅を扱ったものがほとんど。いつか機会があればとメモを取りながら見ているのですが、遠い場所となると、まだまだ先になりそうです。

Facebook Post: 2021-02-11T07:56:35

頭をガーンと殴られた本2冊

●この1年、本に触れる機会がめっきり増えました。東京に雪が降った日、近所のスーパーで買った北海道・厚岸(あっけし)のカキめしを温めながら読み始め、2日、恵方巻きを頬張りながら読み終えたのが「地下鉄道」(文庫版)。泣きました。200年ほど前、アメリカで黒人奴隷がどんな扱いを受けていたのかを描いた小説。昨年広く知られるようになった社会運動BLM(Black Lives Matter)の底にある人種差別の、想像を絶する根深さを改めて知り、ハンマーで頭をかち殴られたようでした。小説なので読み通せましたが、ノンフィクションだったら耐えられなかったかも。
●もう1冊は、33歳の経済&社会思想学者・斎藤幸平の力作「人新世(ひとしんせい)の資本論」。「いまさらマルクスかよ?」などと思う人も多そうですが、著者はそれに真っ向から対峙します。気候変動と環境破壊により存続の危機に瀕している人類を救うには、人々が”脱成長”という考え方に立つしかないと。
●経済的に恵まれた暮らしをしたいと思うのは人間の本能ではない、ましてそれと幸福とはイコールでもなんでもないことがよくわかります。問題は、そうした考え方を私たちが日常の中でどのように取り入れていくか。とりあえず、ガツガツしない・背伸びしない・遊びすぎないといったことくらいしか思いつきません。
●ただ、自分も含め、頭のてっぺんからつま先までドップリ資本主義につかってしまっている人がほとんどというのが現代社会。その中で、これまで当たり前と思っていたライフスタイルを変えるにはどうすればいい? まあ、70歳も過ぎたことだし、「心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」と言えなくもないでしょうが、「やっぱウナギはうまいなぁ。半年ぶりだし」なんて無邪気に喜んでいられなくなるかもしれません。

Facebook Post: 2021-02-04T14:56:46

買い物ついでに冬の山登り──私の「マイクロツーリズム」⑮

●この年齢になって人生初の体験ができるのもコロナ禍ならではの話。今日は真冬の登山にチャレンジしました。というと驚くかもしれませんが、23区内にある人造の山としては最高峰、標高44.6メートルの箱根山を”制覇”したのです。それも買い物の帰り道、文字どおり事のついで。でも、立派な「登頂証明書」もいただきましたよ!
●拙宅から車で15分、23区のど真ん中に”そびえる”この山”はもともと、江戸時代、尾張徳川家下屋敷山荘の庭園内に作られた築山(つきやま)で、いまは新宿区立戸山公園の一部。ただし、二つのエリアに分かれているこの公園の総面積は5万6千坪ほどで、ハンパな広さではありません(できた当初は13万6千坪)。
●尾張藩は言わずと知れた御三家の筆頭。だからこその広さなのですが、維新後は国有地となり、陸軍の戸山学校、軍医学校、練兵場がありました。 戦後、軍事施設はすべて廃止、現在は都営住宅、戸山公園、国際医療センターなどになっています。ちなみに、尾張藩の中屋敷は現在の紀尾井町の上智大学、また上屋敷(藩邸)は市ヶ谷の防衛省(三島由紀夫が割腹した場所)にありました。いまさらながら「尾張」の存在感を感じずにはおれません。
●箱根山の頂上からは西新宿の高層ビル群が見え、ふもとには蝋梅(ろうばい)や椿が。山の手線の内側にこんな空間があるのは驚きです。目白のおとめ山、日比谷の三笠山はすでに登りましたが、ほかにも古くからの桜の名所・飛鳥山(王子)、御殿山(五反田)、かつてNHKの放送塔があった愛宕山など、23区内にはまだまだいくつか「山」があるようなので、これからぼちぼち登ってみようっと!

Facebook Post: 2021-01-26T16:35:27

南青山で向田邦子に触れる──私の「マイクロツーリズム」⑭

●「台湾一周鉄道の旅」を終え帰国したのはちょうど1年前。いまのところ、これが”最後の海外旅行”になっています。その台湾で40年前、飛行機事故に遭って亡くなった向田邦子。ラジオやテレビドラマの脚本、小説、エッセイなどで絶頂にあった彼女を偲ぶ特別イベント「いま、風が吹いている」が南青山でおこなわれていると知り、行ってみました。
●正直、”向田ワールド”との接点は皆無。学生時代はテレビを持ち合わせず、「寺口貫太郎一家」も「時間ですよ」も見たことありません。直木賞に輝いた1980年頃は仕事がチョー忙しく、短編小説を読む時間すらない毎日。そんな私にとって「向田邦子」は一般常識の一部分でしかありませんでした。妹の和子さんがやっている赤坂の小料理屋がおいしいものを食べさせてくれるという話は聞いており、一度行ってみたいなと思っていたくらいです。
●会場の中は9割かたが女性。うちのカミさんも含め、その多くが生前の彼女に憧れや敬意、親しみを抱いていたのでしょう。ふだん使っていた湯呑みや茶碗・皿、身につけていた洋服、愛読していた本など、心ならずも遺していった品々にも強い関心を寄せていたようです。
●会場を後にし、原宿の駅まで表参道を歩いていくと、冬枯れた樹々に温かい日差しが注いでいます。枝の合間からは抜けるような青い空が。その向こうに、どんなに忙しくても、”自分らしく気持ちよく暮らしたい”という人生を、いささかも力むことなく生きていた彼女のさわやかな笑顔がのぞき見えたような気がしました。

Facebook Post: 2021-01-22T22:18:54

コロナ禍でもタバコはうまい──私の「マイクロツーリズム」⑬

●「STAY HOME」に入って1週間。今日は天気もよかったので、少し遠出してみました。目的は、本所吾妻橋(ほんじょあづまばし・都営地下鉄浅草線)にある「たばこと塩の博物館」で開催中の「明治のたばこ王 村井吉兵衛」という展覧会。村井のライバルで、鹿児島県出身の岩谷(いわや)松平を拙著で取り上げたことがあり、それ以来関心を抱いていました。昨年の秋その開催を知り、ようやく願いがかなった次第。
●本所吾妻橋駅の真ん前には東京スカイツリーが。雲ひとつない冬の青空に立つスカイツリーのソフトな曲線が寒さを和らげてくれているかのようです。駅から歩いて10分ほどで到着。その昔、たばこと塩とアルコールの販売は、専売公社が独占していました。しかし、明治時代は、タバコの製造・販売が自由。それまで刻みタバコしかなかった日本にアメリカ風の紙巻きタバコが入り始めた頃で、京都の村井と岩谷の二人が熾烈な競争を展開しました。結局は国が専売事業化したため、どちらも手を引かされたのですが、岩谷が不遇な晩年を過ごしたのと対照的に、村井はその後も充実した人生を満喫します。
●それにしても、人間が生命を維持するのに欠かせない塩とタバコが同じ扱いを受けていたとは! タバコの常設展示のフロアには「客あればお茶より先にタバコ盆」「今日も元気だタバコがうまい」など、かつて一世を風靡したCMコピーが紹介されていましたが、いまからすると考えられない文言です。そういえば、昔は病院の待合室、駅のプラットホーム、飛行機の中……ほとんどどこでもOK。タバコが体に悪いなどとは、誰も考えていなかったのでしょうね。
●塩のフロアも見て回ったので、たっぷり1時間半楽しめました。その間入館者は私一人で、途中でマスクはポケットに。建物を出ると、脳が「聖なる儀式」を求めているのがわかります。入口に立つシンボルモニュメント(19世紀初めにスウェーデンのタバコ屋が看板として使用していたものが原型だそう)の前で、携帯灰皿片手に一服。脳だけでなく全身がリフレッシュし、めっきり元気になりました!

Facebook Post: 2021-01-19T20:39:25

いまになってぶり返してきた? 私のADHD

●「ADHD」とは精神医学の言葉で、注意欠如(集中力がない)、多動症といった子どもの発達障害を指すのだそうです。授業に集中できない、しょっちゅう忘れ物をするなどの”症状”が特徴で、教師から叱られることが多いとも。私自身も子どもの頃そういう傾向が多分にありましたが、病気とは思いも思われもしませんでした。幸い、「叱られてばかりで自信を失い、追い詰められてしまう」という事態には至らずには済んでいますが。
●ただ、緊急事態のさ中にあって、いまの私は「A あちこち出かけないと D どうかなってしまう H ひじょうに D Dangerous な気分」にあるようです。大人なのでおとなしく我慢してはいますが、自分でも気がつかないうちにストレスがたまっているのは事実。それだけに、今週土曜日のラグビー🏉トップリーグ開幕戦を楽しみにしていた(もちろんテレビ観戦)のですが、今日時点で6チーム62人がコロナに感染したため中止→延期となってしまいました。
●ラグビーの試合では、敵味方の選手が立ったままボールを奪い合う「モール」という場面が何回かありますが、モールとはそのものズバリ「密集」という意味。それも朝の通勤電車以上のレベルですから、考えただけで怖くなります。その意味で、すべての球技でいちばん感染リスクが高いのがラグビーと言っていいでしょう。
●W杯で大きく飛躍した日本のラグビー。大会で活躍した各国のスーパープレーヤーが多数加入したのに、なんとも残念でなりません。昨年に続き(シーズン途中で打ち切り)今年もまたつまずいてしまったことで、遅れを取るのは必至。この先どのように挽回できるか見当もつきませんが、これはもう、祈りながら待つしかなさそうです。

Facebook Post: 2021-01-14T19:44:38

天理大学の優勝に大拍手!

●「緊急事態宣言」後初めての3連休。初日と2日目はウォーキングや買い物に出かけましたが、昨日は震えるような寒さで、とても外出する気になれません。代わりに、大学ラグビーの決勝をテレビで楽しみました。結果は、私も応援していた天理大が早稲田を55対28でくだし初優勝。昨年夏、部員寮でコロナの集団感染が発生し、1カ月間活動ストップを余儀なくされたハンディを乗り越えての栄冠で、大拍手です。
●ここのところずっと関東が優勢だった大学ラグビーで、関西のチームが勝ったのは同志社大以来36年ぶり。高校ラグビーのエリート選手をズラリとそろえた早稲田(なぜか、リザーブに我が母校の出身者がいたのには驚きましたが)に対し、天理大のメンバーはほとんどが無名。それでもハードな練習を積み重ねてこうした結果につなげたのはあっぱれのひと言です。高校ラグビーは関西を中心に西日本勢が強いのですが、卒業するとほとんどが関東の大学に進学。それがそのまま反映されている大学ラグビーの勢力図に風穴を開けたことがわたし的にはうれしくてたまりません。
●もう一つ、外国人留学生の存在も大きく影響していそうです。早稲田・明治・慶應など伝統校から成る「対抗戦グループ」が”純血主義”にこだわっているのに対し、新興の東海・大東文化・関東学院など「リーグ戦グループ」、また「関西リーグ」ではここ数年、留学生がどんどん増えています。ただし、「対抗戦グループ」でも、加入してまだ歴史が浅い帝京大は留学生の力を活かし、大学ラグビー9連覇という前人未到の結果を残しました。
●2019W杯でベスト8を勝ち取ったJAPANのメンバーを見ればわかるように、ラグビーではいまや外国人選手は欠かせない存在。野球、サッカーはもちろん、バスケ、バレー、相撲、陸上競技、駅伝など、日本のスポーツ界はいまやどんどんグローバライズされつつあります(ここは日本なのになぜ外国人が……とめくじらを立てている人もかつてはいましたが)。そうしたトレンドを素直に受け入れ、というかむしろ積極的に進めないと、世界から取り残されてしまいそうです。

Facebook Post: 2021-01-12T09:50:44

「孤独のグルメ」だけでは健康は保てないかも

●大晦日・元旦と、テレビ東京の「孤独のグルメ」を見続けていた私。35年前に原作者のデビュー作に編集者として関わったこともあり、いまでも追いかけています。夕方、ドアホンが鳴るので出てみると、「amazon からで〜す」の声が。カミさん宛で、中身は本が3冊(写真)。しかも、硬そうなタイトルばかりです。そういえば、年末もけっこう難しい本を読んでいたようで、お気楽な番組を見呆けていた私はドキッとしました(笑)。
●「血管をよみがえらせる食事」は、主として心臓など循環器系のリスクを防ぐために、ベジタリアン的な食生活の実践を説いたもののよう。私自身が抱えているリスクはいまのところ代謝系(糖尿病寸前)で、この1年家にいる時間がぐんと増えたことで食事が偏り、心配な面はあります。ただ、循環器系と代謝系とでは食生活コントロールのあり方に違いがあるので、先の本に書かれているスタイルはカミさんにはよくても、私自身には合わないような気もします。
●三が日も朝8時から夕方4時頃まで、柿の種やらミカンやら最中やらクッキーやらせんべいやらを食べながらテレビの前から離れず、結局外には一歩も出ずじまい。血管を傷めつけたのは間違いなさそうです。「孤独のグルメ」に登場する食べ物は、そうしたことに配慮したメニュー選びはありませんでしたし。
●そこに今度は首都圏の「緊急事態宣言」。半月もすれば範囲はさらに拡大しそうで、昨年の春から初夏の頃と同じような状況になるのでしょう。断捨離はひととおり終わっているので、今度は料理に真剣な関心を払えます。よ〜し、これからは栄養や健康管理にも気をつけながら頑張ってみよう━━そんな思いがきざしてきました。

Facebook Post: 2021-01-06T22:21:55

駅伝ランナーたちが走った道を1日遅れで追体験⁉︎

●駒澤大が劇的な逆転優勝を果たした箱根駅伝。その翌日、小田原に行きました。2区と3区との中継所・鈴廣蒲鉾店にほど近い「ういろう」という店です。名古屋名物の一つ”ういろう”は、米や小麦など穀粉に砂糖と湯水を練り合わせたものを型に入れて蒸したお菓子。でも、もともとは薬(見た目は仁丹そっくり)の名前で、江戸時代はそれこそ万能薬として広く普及していたといいます。カミさんにとってはいまなお「何かあったらういろう」と言うほどの欠かせないもの。
●京都でその製造にたずさわっていた外郎(ういろう)家が室町時代に小田原に移り住み、今日まで続いているのですが、その一方でお菓子のういろうも作っている、考えてみれば不思議な店です。しかも、ネットでは販売しておらず、店に行かないと手に入れられません。
●前日駅伝のランナーたちが走り抜けた国道1号線に面して立つ店は小田原城を模した建物で、目立つこと目立つこと。我が家から80㎞も離れており、ただ行って帰ってくるだけではもったいないので、併設の中華料理店でランチを食べることに。「杏林(きょうりん)亭」という小さな店ですが、なんとかもぐり込めました。オーダーした飲茶セットは、お正月色をほどこした6点盛りの前菜、中身ぎっしりの春巻、小籠包に焼売、京風のさっぱりしたスープの麺、デザートが杏仁豆腐+ういろうという内容。ここ1週間ずーっと和風の食事が続いていたこともあり、中華は新鮮でした。
●帰りがけ、すぐ近くにある松永安左エ門記念館を訪れてみたのですが、リニューアル工事のため休館していたのが残念でした。松永は「日本の電気王」「電力の鬼」とも称された人物で、記念館は、亡くなるまで住んでいた自宅。それにしても、今年のお正月は元旦からずっとほぼ快晴で、富士山もくっきり。澄み切った空のようなスカッとした1年になるでしょうか。

Facebook Post: 2021-01-05T08:53:24

静かにじっと過ごすお正月は久しぶり

●元旦の夜の楽しみは、NHK Eテレでウィーンフィルのニューイヤーコンサート。今年はコロナ禍もあり、無観客でおこなわれましたが、見ごたえ・聴きごたえ十分の3時間でした。ラストの「美しき青きドナウ」とアンコールの定番「ラデツキー行進曲」を聴くと、新しい年が始まった! という実感が湧いてきます。
●とはいえ、コロナ禍のためあちこち出かけるわけでもなく、子どもや孫たちがやって来るわけでもありません。ここ10数年続いていた京都での仕事(1月2・3日)も今年は中止になり、久しぶりにの〜んびりした三が日を過ごせそう。今日もずっとテレビの前で、箱根駅伝、大学ラグビー準決勝、高校時代の友人がプロデュースしたドラマ「若冲」(NHK)と、切れ目なしです。
●お正月といえばとにかく”静か”というのが、子どもの頃の記憶。車も走っていなければ、買い物に出かける人も皆無。たまに聞こえてくるのは、初詣から帰ってくる近所の人の足音くらいだったでしょうか。どこの家でも、コタツでミカンを食べながらテレビを見たりトランプをしたり。”社会全体がお休み”というのがお正月だったように思います。
●そんな時代がずーっと続いていれば、コロナ禍などというのも起こらなかったかもしれません。動けばかならず反作用があるのが世の中の法則。私も「動きたい」と思っている一人ですが、その場所と範囲についてはよほど慎重に検討する必要がありそうです。━━な〜んてきれいごとを書いてしまいましたが、さて、どうなることやら。

Facebook Post: 2021-01-02T17:56:03

新しい年の無事を願いたい

●昨年の秋から、庭に10数個ある鉢植えにテキトーなインターバルで水をやっていたら、年の押し詰まった頃、その一つで可愛らしい花が咲き始めました。キングイエローという水仙の仲間で、さわやかなレモン色が、新年の到来を静かに祝ってくれているかのよう。
●11月下旬に植え込んだチューリップも芽をのぞかせています。こちらは2年目なので、どの程度まで咲くか見当がつきませんが、あと3カ月弱しっかり育ってほしいものです。こんな余裕のコメントを書けるのも、今日のおだやかな日差しのおかげかもしれません。
●年末年始は、数年に一度の寒波が日本列島に襲来との予報が出ていました。でも、なぜか東京とその周辺だけは温暖。そういえば、夏の異常な豪雨や強烈な台風は、もう何年も東京にはやってきていません。この地を首都に選んだ徳川家康の炯眼に感心するばかりですが、その分負のエネルギーがどんどん蓄積されているのではと不安になります。
●それはともかく、新しい年の出発はおせちから。今年並んだのは既製が4点にカミさんの手製が9点。唯一、ミックスナッツ田作りは私が煎りました。例年なら重箱に並べるのですが、コロナ禍で来客もない今年は品数を減らし、それも省略。でも、そのほうがかえってよく食べられ、箸も進みます。この調子で新しい年が何ごとも順調にと、願うばかりです。

Facebook Post: 2021-01-01T21:08:37

歌の世界も、東京一極集中?

●大晦日だというのに、朝からテレビに見入ってしまいました。「新日本風土記 東京紅白歌合戦」(NHKBSプレミアム)がそれ。1936年から2017年まで80年ほどの間に、タイトルや歌詞に”東京”が出てくる曲と、それにまつわるさまざまな人の物語を集めたオムニバス風のノンフィクションです。
●”東京”がらみの歌の多さはなんとなく感じてはいましたが、21世紀に入ってからはそれがさらに増えているよう。逆に言うと、その分”地方”の存在が薄れたのかもしれません。その昔は札幌、京都、大阪、函館、神戸、博多、長崎など地方都市もけっこう歌になっていました。こんな部分でも東京一極集中が進んでいることに気づかされ、慄然としました。コロナ禍が東京の動向に大きく左右されているのも致し方なさそうです。
●お昼前、池袋のデパートまで、買い忘れていた栗きんとんを探しに行くと食品売り場は密も密、ふだんの年末と変わらぬ人出。帰宅後はおせち作りのラスト(ミックスナッツ田作り)に取りかかります。テレビが東京の今日の新感染者が1300人を越えたと伝えていましたが、池袋での密ぶりからすると必然かも。
●年越しそばで夕食を済ませたあとは、今年のクラシック音楽シーンを振り返るNHK Eテレの番組。今年1月、映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズの指揮でウィーンフィルが「スターウォーズ」を演奏したときの映像です。女性団員が誕生するまでに155年かかったウィーンフィル。コロナ禍が終息するまでに、まさか155年ということはないでしょうが……。来年、少しでも進展がありますように。

Facebook Post: 2020-12-31T22:59:14

本は消えても、中身は残る

●今年の春、家の中の大整理&大掃除をしました。折からのコロナ禍もあり、まるまる2カ月、来る日も来る日も作業に専念。おかげで、「ここまでできるのか!」と自分でも感心するくらいスッキリしたのですが、いちばんの要因は6000冊もの本を処分したことにあります。愛着のあるものもたくさんありましたが、涙を飲んでおさらばした次第。
●その後、「コロナ禍で時間ができ、昔読んだ本を再読してみた」といった新聞記事やSNSをあちこちで目にしているものの、私にとってはいまさら詮ないことと、あきらめています。そんな中、手許に残した1冊が「いのちの初夜」。18歳でハンセン病に罹り、施設に隔離された北條民雄という作家がその体験を描いた短編小説集です。高校2年のとき現代国語の先生が教えてくれた本で、すぐに買い求め、ひと晩で読み終えた記憶があります。
●それが今年、角川文庫で復刊されたという記事を目にしました。「自然は絶え間なく人間を滅ぼそうと試みている。生命とは自然の力と戦うもう一つの意志なのだ」との一節がいま、胸に刺さってきます。多感な時期にこの本に触れた経験が、いまの自分の、ほんのわずかかもしれませんが、一部になっているのは間違いないはず。
●ハウツーものの出版社に勤めていたころ、「”おもしろい・わかりやすい・役に立つ”の三つそろっているのがいい本だ」と教えられました。退社してからもずっと本の世界で仕事をしていますが、「いつ、どのような社会にあっても、読んだ人の心を揺さぶる」というのも、”役に立つ”に含まれるのではないかと。そんな本を書ける自分に成長したいものです。

Facebook Post: 2020-12-30T22:03:43

この歳になっても、初めての寿司屋に入るのは……

●年賀状書きとお墓参りを終えると、お正月間近という気分になります。でも今年は、コロナ禍の影響もあってか気分が乗らず、なかなか進みません。それでも、公私合わせて400枚をようやく書き終えて投函、ひと区切りついたので自宅近くの寿司屋に。
●実はこの店、これまで数え切れないほどその前を通っていながら、一度も暖簾をくぐったことがありません。昭和っぽい店がまえはまだしも、存在感が希薄なのです。でも、11月に初めて入ってみたところ、これがめっぽうおいしく、近々もう一度と思った次第。カウンター席が8つと小ぶりなので予約を入れておこうと、12月22日に電話したところ、「年内最後になりますが、27日の昼なら空いています」とのことで、それでお願いしました。
●でも、味はやはり素晴らしかったです。下ごしらえがしっかりしていて、その日なら大丈夫というネタが中心。ただ、黙々と握る大将の前で写真を撮る雰囲気ではありません(なので、写真は「dancyu」という雑誌からの無断借用)。「○○です。塩を振ってあるので、このままでどうぞ」と出されると、こちらも黙々と口へ。絶妙のテンポで次のネタ、またその次と、流れるように出てきます。定番ネタに旬の品も含め全12品。これで3700円(+税)は格安です。
●寿司屋というのは、入るのにけっこう度胸がいるもの。ただ私の場合は幸い、その店の常連に連れて行ってもらったのが最初というパターンがほとんどで、初めて一人で入るときもギクシャクせずに済みました。それでも、たまたま大将となじみの客ばかりだったりすると気後れしてしまうのは、この歳になっても変わりません。初めての店でも、何食わぬ顔をして入れるようになるのは、この先もむずかしそうです。

Facebook Post: 2020-12-29T15:22:41

今日は食べる喜びより作る喜び

●年末の定番の一つがカレンダーの取り替え。「定番」とはいささか大げさな言い方ですが、1年365日、目にしない日はないと思うと、気合が入ります。ここのところ気に入っているカレンダーの一つが、ミシェル・ドラクロワのリトグラフで構成したもの。古きよきパリの街並みを精密ながらも優しいタッチで描いた作品は、いつ、どんな場所で目にしても心がなごみます。
● ドラクロワというと、ルーヴル美術館に展示されている「民衆を導く自由の女」を誰もが思い浮かべるでしょうが、こちらはウジェーヌ・ドラクロワ。フランス革命時の民衆決起の様を描いたそれと比べると、ミシェルのほうは真逆の画風と言えます。
●仕事場からキッチン、寝室、洗面所、トイレ……全部取り替えると空腹と疲労が。でも、今日の夕食のメインは、ひと月ほど前にトライして成功した「スペアリブとボルペッティーニ(肉団子)のトマト煮」と決めているので、休んでいるひまはありません。副菜のマッシュポテトも含めるとトータルで2時間はかかる料理なのです。
●1㎏のスペアリブと600gの合挽肉など、材料のボリュームもかなりのもので、下ごしらえだけでもかなりのエネルギーを消費(といってもこちらはカミさんの役目ですが)します。炒めたり焼いたり煮たりと、脂まみれになりながらやっと完成。「料理には食べる喜びと作る喜びがある」とはカミさんの言からすれば、「作る喜び」を堪能した今回のメニューでした。こんな経験も、コロナの副産物と言えますね。

Facebook Post: 2020-12-26T22:25:24

優美なバレエに癒される

●クリスマス・イブの昨日はチャリティーのコンサート。私の関わっているNPO法人も後援しているので、ささやかながらお手伝いを。会場は2019年11月にオープンしたばかりの豊島区民センター多目的ホール。チケットは破格の2000円でしたが、来られた方は皆、これ以上はないプレゼントを手にした気がしたのではないでしょうか。
●第1部のメインは天野加代子さん(メゾソプラノ)のさわやかな歌声。私自身は一昨年ロシア大使館のクリスマスコンサート以来2年ぶりでしたが、からだ全体から、歌う喜びが。コロナ禍で今年はほとんど活動できずにいたことを思うと、当然かもしれません。
●第2部はバレエ。出演者の多くが名門ロシアのワガノワバレエアカデミーで学んだ経験の持ち主だけに、鍛え抜かれた優美な動きに魅了されます。コロナ禍で知らず知らずのうちにできていた心のトゲがすーっと抜けていくような気持ちになりました。
●それにしても池袋周辺の人出は驚くばかり。クリスマス・イブといっても平日です。なのに、駅のコンコース、デパートの地下売場、地上の歩道……どこもかしこも人、人、人。マスクはしていますが、このまま夜になったらどうなんだろうと心配になりました。帰宅しニュースを見ると「東京は888人」だったとか。誰に言われなくても、心するしかありません。

Facebook Post: 2020-12-25T22:24:11

「第九」で体の芯から熱くなった

●”ベートーヴェンの全交響曲制覇”のラストはもちろん「第九」です。「第九」で思い出すのは高校2年のときの文化祭。名(迷)物のクラブ対抗合唱大会で、私の属するラグビー部の選んだのが、なんと「歓喜の歌」。それも原語(ドイツ語)で歌おうというのですから、これはもう”神をも恐れぬ所業”と言っていいでしょう。
●準備期間は3日。練習を終えヘトヘトの体に鞭打ちながら、「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン トホテル アウス イーリージウム……(Freude,schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium……)」と大声を張り上げました。もちろん、付け焼き刃もいいところで本番はさんざんでしたが、体育館は大爆笑&大拍手。おかげでこの部分だけはいまでもソラで歌えます。
●さて、今回のバーンスタイン&ウィーンフィルのシネコンサートで気がついたことが。演奏時期が1978年前後=40年ほど前ということもあって、女性の楽団員が一人もいないのです。メンバーは気むずかしそうな顔をしたおじさんばかり。女性が多くソフトな雰囲気がただよう最近のオーケストラに比べると、いかにも硬い印象を受けます。ゲルマン民族らしいといえばそれまでですが、こんなところにも時代の隔たりがあらわれているのですね。
●それにしても、からだ全体で100人もの演奏者を自由自在にコントロールしていくバーンスタインの素晴らしさ。全方向に視線を送る、目をつむる、ときにはメロディーを口ずさみ、横を向き上を向き、前に乗り出し後ろにそり返る、表情は千変万化……一つの楽章を終えただけで汗だくです。聴いているだけの私も体が熱くなりました。会場を出て、夜の寒気に包まれ始めた恵比ガーデンプレイスをあとにするとき、「フロイデ シェーネル…」と口ずさんでいたのはご想像のとおり。

Facebook Post: 2020-12-18T21:41:40

一挙公開! ツアーで出会ったお菓子の数々

●「東海道五十三次バスツアー」もいよいよ最終日。6日間、朝から夕方まで勉強と歩きが続きましたが、そのエネルギー源となる「食」は充実していました。ただ、今回のツアーはその名からも想像できるように、昼も夜も日本料理。「食」は旅の楽しみの大きな要素ですが、「和」がここまで続くと……。救いは、その合い間で出会った魅力いっぱいのお菓子です。
●箱根・甘酒茶屋の甘酒、府中宿(いまの静岡)の「大政奉還プリン」、島田宿・清水屋の「黒大奴(くろやっこ)」と「パコロ」、荒井宿の「あと引きせんべい」。岡崎宿・カクキューの「味噌せんべい」と「味噌かりんとう」、関宿の「志ら玉」、大津宿の「おきしまえびせんべい」と石山寺の「石餅」などがそれ。
●なかでも、カミさんともども気に入ったのが「あと引きせんべい」「パコロ」、そして「石餅」です。後者二つはカミさんの選んだもので、家に帰ってから賞味しましたが、どちらも秀逸。京都の伊勢丹では、この時期ならではの新栗を使った林万昌堂の「あまぐり」と北山マールブランシュの「茶の菓」を。駅構内の土産物店で偶然見つけた出町柳ふたばの「豆餅」(日曜日のみ数量限定で販売していました!)もついでに購入。
●こうなるとブレーキの壊れた車のようなもので、東京駅でも、最近オープンしたグランスタで松戸Zopf(ツォップ)の「カレーパン」をゲットしました。すべて炭水化物(要は砂糖です)系の品ばかりで、体によくないことは百も承知。それでも、古希を越えればこまかなことは気にしない。帰京の翌日(12月14日)は朝から晩まで絶え間なく、あれやこれや少しずつ口にしていました。※詳しくは写真キャプションをご参照ください。

Facebook Post: 2020-12-16T21:23:39

東海道五十三次バスツアー⑤

●4日目(12月11日)は岡崎宿を出て桑名宿、亀山宿、関宿を訪れ、草津宿から琵琶湖湖畔のホテル(守山市)まで。そして5日目は、午前中大津宿の古い町並みを歩き、瀬田の唐橋、石山寺と回りました。大津は、平城京・平安京より前に都が置かれたこともある場所。いまから400万年前にできたという琵琶湖の周辺は、想像以上に古い時期から開けていたようです。
●ガイドの口からは、日本史で勉強したはずなのに忘れてしまった人名や事件名が次々と飛び出してきます。最終日(12月12日)京都の三条大橋で、数々のことを学びました。橋脚の一部は豊臣秀吉の時代のものであるとか、幕末の池田屋事件のとき橋まで追いかけてきた新選組隊士がつけた刀傷が擬宝珠(ぎぼし)に残っているとか…。どれも初めて耳にすることばかりで、歴史との距離が一気に近づいたような気がします。
●今回のバスツアーで回ったのは東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・三重県・滋賀県・京都府の1都1府5県。でも、気持ち的には7つの外国を訪れたような感じがします。当たり前の話ですが、日本国内にも、見ず知らずのこと・ものがまだまだいっぱい。桑名や草津など、別の機会にゆっくり訪れてみたいと思いますし、琵琶湖の周辺には、好奇心をそそるものがふんだんに詰まっていそうです。
●旅に出ると、かならず別の旅を思いつく──これは私の持論。ほぼ1年ぶりに乗った新幹線での帰り道、「Go to」があろうがなかろうが、コロナ禍が収束しようがしまいが、いずれまた足を運ぶことになると確信しました。

Facebook Post: 2020-12-15T19:30:11

東海道五十三次バスツアー④

●今回の「東海道五十三次バスツアー」を企画したのはW社。もともと海外旅行が専門で、それもしごく個性的(ときにはマニアック)なテーマのツアーが多いという会社です。しかし。コロナ禍でそれが不可能になったため、今年の3月以降はやむを得ず国内旅行に注力しています。同社のツアーにはさまざまな魅力がありますが、その一つが食事。どこの国・地域・都市を訪れてもほとんど外れがありません。国内旅行でもそれは変わらないようです。
●前日(12月10日)岡崎宿で泊まり、今日はまず有松(ありまつ)宿を訪れました。有松は名古屋市の南部に位置し、桶狭間(おけはざま)古戦場のすぐ近く。重要伝統的建物保存地区の指定を受けていて、特産品の有松しぼりの問屋など、土蔵造りの町屋が10数軒残っている町並みは、江戸時代の東海道を彷彿させます。
●有松宿の次に訪れたのは桑名宿。ここでは街の探訪はなく、昼食を摂るだけですが、それが名物の蛤(はまぐり)でした。添乗員から「今日は蛤づくしの昼食をお召し上がりください」と言われて訪れたのは地元の老舗「魚重楼」という店。焼き蛤や佃煮は食べたことがありますが、蛤の南蛮漬け、酢味噌がけ、陶板焼き、磯辺揚げは初めて。最後の蛤鍋と煮汁で食べるおじやも最高でした。
●食は地もとで獲(採)れたものを食べるのがベストと言われます。蛤の9割は中国・韓国産だそうですが、この店では木曽三川(揖斐(いび)川、長良川、木曽川)の河口で採れる地ものを使っているとのこと。地産地消の素晴らしさを改めて実感しました。

Facebook Post: 2020-12-14T08:22:54

東海道五十三次バスツアー③

●いつもその前を通り過ぎているのになんの店かわからない。しょっちゅう目にしているのに一度も入ったことがない━━。それをクリアしたときのスッキリ&サッパリ感は、けっこう心地よいものです。ツアー3日目に訪れた浜松の先、浜名湖が太平洋とつながっているあたりがそうでした。東海道五十三次でいうと、舞阪(まいさか)宿と荒井(あらい)宿です。
●このあたり、新幹線に乗るたび窓から目にしていながら、実際には一度も行ったことがありません。今回ツアーに参加しなければ、ずっとそのままだったはず。訪れてみると、たしかに、5分と空けずに新幹線が右に左に”飛んで”いきます。それを横目にゆっくり歩いたことで、世界が大きく広がりました。聞くと見るとでは大違い、見ると歩くとでは段違いなのです。
●私のような生業(なりわい)にとって「取材」は命。文字や映像の情報をどれだけ集めたとしても、確かさという点では、現場に足を運び、ときにはそこにしばらく留まり、自分の五体で感じ取ったものにはかないません。だからこそコロナ禍の中でも旅に出る……と弁解がましく書いてはみたものの、実際は単なる”旅中毒”なのかも。
●移動の自由が厳しく制限されていた江戸時代は”旅中毒”など、そもそも罹りようがありません。そうした中、東海道を2週間以上かけて歩いてのお伊勢参りは人々にとって憧れだったようで、行ける人はそれこそ村のヒーロー扱い。この時期「Go to」の制限や自粛の要請があっても出かけてしまう私のような者は、とんでもないヤツと思われても仕方ありません。ただ、禁を犯すことの快感は古今東西変わらないような気がします。

Facebook Post: 2020-12-13T08:31:58

東海道五十三次バスツアー②

●ツアー2日目の今日(12月9日)は三島宿から掛川宿まで。途中、三嶋大社、歌川広重の版画「夜の雪」で有名な蒲原(かんばら)宿、由比(ゆい)宿の東海道広重美術館、島田宿の川越(かわごし)遺跡など五十三次がらみのスポットを訪れます。トータルの歩数は1万4千歩で、掛川のホテルに着いたときはヘトヘトでした。
●いちばん印象に残ったのは、徳川最後の将軍・慶喜が大政奉還のあと20年間住んでいた屋敷跡をそのまま料亭にしたという静岡の浮月楼(ふげつろう)。ランチとしてはいささか贅沢な懐石料理は、慶喜が生前食べていたメニューや嗜好を忠実に再現したもの。静かで落ち着いた庭園をながめながらの食事は、静岡駅のすぐ近くにあることを忘れさせてくれました。
●この日は富士山にいちばん近いエリアを動いていたのに、その姿をほとんど目にしませんでした。見れば一気にテンションが上がるのが日本人。最後に訪れた蓬莱橋(「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに出ている)蓬莱橋のたもとから頂上が見えたときは、思わず声を出してしまいました。
●蒲原も由比も島田も、旧東海道の宿場町はそれぞれ、わが町の歴史をきちんと残すとともに、それを少しでも広く伝えていこうとしているはず。しかもその相手は、いわゆるインバウンドではなく、日本の観光客です。しかし現実には、ターゲットである日本人が、ほんの1時間ほど滞在するだけ。これでは集客はままならず、ましてリピーターにはなってくれないでしょう。「東海道五十三次」のような、歴史の知識が求められるような観光スポットには、まだまだ課題がありそうです。

Facebook Post: 2020-12-11T22:14:13

東海道五十三次バスツアー①

●スタートは日本橋、ゴールは京都の三条大橋。そう、東海道五十三次です。その全行程をバスでというツアーに参加しました。5泊6日の長丁場で、「Go to」を利用。ギリギリのタイミングで”東京問題”が起こったので、かなりキャンセルが出たようですが、それでも参加者は20人。しかも、古希の私が最年少だといいます。
●ツアー1日目の昨日は三島まで。まずは日本橋周辺を歩きました。魚河岸がこの地にあったなど、ボランティア・ガイドの説明にいちいち納得。50年以上も東京に住んでいながら、そうした話をきちんとした形で聞くのは初めてです。次に訪れた五十三次の10番目・小田原でも、地元のガイドさんから城をじっくり案内していただきました。
●小田原からは国道1号で箱根山へ。途中甘酒茶屋に立ち寄り、関所を訪れます。関所のすぐ近くに、杉の木が立ち並ぶ昔の街道もそっくり残されています。「昼なお暗き羊腸の小径」をしばし歩くと、すっかり江戸時代気分に。箱根山の頂きから三島に向けて道を下るバスの窓から、駿河湾に沈んでいく夕陽が。快晴の空を背に、それはそれは美しい姿を見せてくれました。
●夕方5時過ぎ、ホテルに到着。三島は五十三次では11番めの宿場で、富士山に源を発する水がふんだんに湧くことで知られています。そのおかげでおいしいウナギが獲れるそうで、夕食は蒲焼。重箱のご飯の上に乗っかっているウナギが互いに重なり合っているのにはびっくり。これでもかというくらい肉厚なのです。昼間の疲れもすっかり取れました。

Facebook Post: 2020-12-09T21:57:26

原爆ドームは、人間の心を変える

●旅に出ても、ふだんの習慣は変わりません。5時過ぎには目が覚め、体操をしたり300ccの水を飲んだり。今日の会合は午後から。それまで時間もあり、天気もめっちゃいいので、原爆ドーム行くことにしました。ただ、いまは修復工事の真っ最中。全体が足場とシートにおおわれており、おなじみの姿は見えません。来年3月いっぱいかかるそうですが、そうした状況にあっても原爆ドームは原爆ドーム。あたり一帯、どこか重々しい空気が流れています。
●そこで、今日はクルーズ船に乗り、川の上からドームを見ることに。何十回と来ている広島ですが、市内をクルーズするのは初めてです。ちなみに、代金は地域クーポンで。
●広島は川の都、橋の都。狭い市内に7本もの川が流れているので、爆心地の周辺もどこか潤いが感じられます。先の重めの空気とそれが混じり合うと、不思議と神聖な気持ちに。原爆ドームを間近で見ることの意味はやはり大きそうです。みずからの意思でこの地を訪れたチェ・ゲバラやオバマ元米大統領も、そうした感覚を味わったにちがいありません。
●会合では広島名物の一つ神楽も鑑賞。迫力満点の舞いと演奏で、元気が湧いてきました。会場を後にし、ハイテンションのまま空港へ。レンタカーを返却するとき、旧友に何年かぶりでばったり! 羽田から着いたところなのだとか。いや、こんなこともあるのですね。暮れなずむ広島空港は、人の姿もまばら。久しぶりのナイトフライトとあって、夕食代わりに生ガキと酢がきをちょっとつまみ白ワインを飲んだら機中では爆睡でした。

Facebook Post: 2020-12-05T19:46:12