東海道五十三次バスツアー③

●いつもその前を通り過ぎているのになんの店かわからない。しょっちゅう目にしているのに一度も入ったことがない━━。それをクリアしたときのスッキリ&サッパリ感は、けっこう心地よいものです。ツアー3日目に訪れた浜松の先、浜名湖が太平洋とつながっているあたりがそうでした。東海道五十三次でいうと、舞阪(まいさか)宿と荒井(あらい)宿です。
●このあたり、新幹線に乗るたび窓から目にしていながら、実際には一度も行ったことがありません。今回ツアーに参加しなければ、ずっとそのままだったはず。訪れてみると、たしかに、5分と空けずに新幹線が右に左に”飛んで”いきます。それを横目にゆっくり歩いたことで、世界が大きく広がりました。聞くと見るとでは大違い、見ると歩くとでは段違いなのです。
●私のような生業(なりわい)にとって「取材」は命。文字や映像の情報をどれだけ集めたとしても、確かさという点では、現場に足を運び、ときにはそこにしばらく留まり、自分の五体で感じ取ったものにはかないません。だからこそコロナ禍の中でも旅に出る……と弁解がましく書いてはみたものの、実際は単なる”旅中毒”なのかも。
●移動の自由が厳しく制限されていた江戸時代は”旅中毒”など、そもそも罹りようがありません。そうした中、東海道を2週間以上かけて歩いてのお伊勢参りは人々にとって憧れだったようで、行ける人はそれこそ村のヒーロー扱い。この時期「Go to」の制限や自粛の要請があっても出かけてしまう私のような者は、とんでもないヤツと思われても仕方ありません。ただ、禁を犯すことの快感は古今東西変わらないような気がします。

Facebook Post: 2020-12-13T08:31:58