偶然知ったドミンゴのワンデイショーに大感動

2015年9月15日
今日はメキシコの独立記念日だそうです。それがわかったのは、夜、シーザースパレスでおこなわれたプラシード・ドミンゴのワンデイショーでのこと。こちらに来るまで知らなかったのですが、空港内の看板でそのショーがあるのを家人が見つけ、「じゃあ行こうか」となった次第。日本でドミンゴのショーとなれば、おそらく7、8万円は取られるでしょう。ところが、ネットで調べてみると、その半額くらいなのです。ホテルのコンシェルジュにお願いし、その場で手配してもらいました。

L1040102

さて、夜8時にショーはスタート。世界3大テノールの1人らしく、オープニングこそ、オペラの曲を高らかに歌ったドミンゴでしたが、途中からそれがガラっと変わります。まず、ブロードウェー・ミュージカルの名曲を2つ、3つ披露したところでもうびっくり。ドミンゴですから当然メッチャ聞かせてくれましたが、選曲に「えーっ!?」です。

L1040111ところがそのあと、「今日はメキシコの独立記念日。おめでとう!」と叫んでからは、もうメキシコの歌謡曲オンパレード。「ベサメムーチョ」「キサスキサスキサス」と、これでもかこれでもかと有名な曲を歌っていきます。場内も大盛り上がりで、拍手、歓声でそれに応えていました。メキシコ国歌のときはもう最高潮。ほとんど全員が大きな声で歌い上げています。あのドミンゴがここまで……というくらいのノリでポピュラーソングを歌うなんて、大感動でした。

Dsc_0265_2

そういえば、ホテルにも、外を歩いてもやけにスペイン語が多いなぁと思っていたのですが、祝日で休みの人が多かったのでしょう。

快適な朝食が食べられるホテルwynn

2015年9月14日

L1040090朝は、ホテル(wynn)のバフェットで。たまたまイベント等の端境期のようで、予想外に空いていました。入口の天井が吹き抜けのガラス張りで、自然光が燦々と降り注ぐのが心を癒してくれます。広~い広~いラスベガスでは、こういう場所で食べてこその朝食でしょう。

L1040093

午前中はホテルのすぐ向かい側にあるショッピングモール(FASHIONSHAW MALL)をぶらぶらし、孫のおみやげ(子ども服)などを買いました。これはアメリカの大きな特徴なのですが、洋服とか靴が非常に安いのです。高級ブランドの商品は別でしょうが、日常身に着ける実用的な服はとにかく安い。「BUY 1 GET 1(1つ買うともう1つは無料)」といったキャッチフレーズのバーゲン(ディスカウント)をやっていることも多く、結果的には日本で買う半額ほどで買えてしまいます。モール内のフードコートでファストフードのメキシカンを食べ、ホテルに戻りましたが、まあ暑いというか、日差しの強いこと。逆に、どこの建物も中はエアコンがガンガンに効いていて寒いくらいなので、上に羽織るものなしでいられません。

夜はすぐ近くにある(といっても3キロほどは離れているでしょうか)ベラージョというホテルまで夕食を取りに行きました。しかし、あまりの寒さに、食事と遊びで3時間もいたら体中がかじかんでしまう始末。早々にwynnに戻りました。

NYからラスベガスはひとっ飛び

2015年9月13日
朝、石巻からやってきた「ぜってぇまげね合唱団」のメンバーをお見送りし、荷物をまとめたあと、私たちもチェックアウトしてニューアーク空港へ。空港では2時間半の待ち時間。ユナイテッド航空のだだっ広いラウンジで待っていたのですが、新聞を読もうと棚のところまで行ってびっくり。ニューヨークタイムズの日曜日があったのですが、昔と同様、相変わらず200ページ以上はあろうかというシロモノです。こんなものを新聞少年はどうやって配達していたのだろうかと、不思議でなりません。

L1040078L1040079_2


ニューヨークから次の目的地ラスベガスまでは直行便。いつも思うのですが、ラスベガスに向かう飛行機には一種独特の空気が流れています。それは、ハレの場所に行くという高揚感のなせる業かもしれません。いつもとは違う場所、目いっぱいおめかししたくなる場所、ギャンブルという人間本来が持っている投機本能をかき立てる「サムシング」がそれぞれの人に影響を及ぼしているのでしょう。要するに、乗客全員がキホン、遊びに行くわけですから、重い空気の入り込む余地などないということかもしれません。ニューヨークで歩いて疲れ、地下鉄で疲れ、タクシーで疲れたはずの家人ですが、体の動きがどことなく素軽い感じです!

ですから、予定より15分でも30分でも早く到着すると、とてもお得感があります。今日もそうで、45分ほど早く着きましたが、それだけでなんだかとてもうれしく、気持ちもが高ぶってきます。それでも初日ですから、およそ5時間という移動の疲れもあり、カジノからは早々に引き揚げてきました。

グラウンドゼロに行ってみました

2015年9月12日
朝起きると、「YAHOO!トピックス」でニュースをチェックするのが私の習慣ですが、昨夜のイベントの模様が日本のメディアでも報じられていました。まずは毎日新聞(東京版夕刊)です。

メモリアルコンサート:「9・11」「3・11」音楽会 NYで宮城の合唱団 「日米懸け橋」しのぶ
 米同時多発テロと東日本大震災の犠牲者を追悼する「9・11風の環(わ)メモリアルコンサート」が11日、米ニューヨークで開催された。宮城県の被災者らの「ぜってぇまげね合唱団」が招待され、赴任先の石巻市で津波の犠牲になった英語指導助手、テイラー・アンダーソンさん(当時24歳)の祖国・米国で、感謝の歌とメッセージをささげた。

 テイラーさんはバージニア州出身で「日米の懸け橋になりたい」と2008年に来日。合唱団の杉山彩音さん(19)は中学校で、妹の大愛(だいあ)さん(11)は幼稚園で、テイラーさんに英語を習った。

 現在は仙台市の旅館で働く彩音さん。舞台で涙に声をつまらせながらも「仕事で疲れたときは、彼女の『ファイト』という言葉を思い出します」と英語の手紙を読み上げた。その後、合唱団が被災地支援への感謝を込めた「ARIGATOU」など5曲を披露した。

 この日で同時テロ発生から14年。コンサートは日本人犠牲者を悼むため、ニューヨーク在住の白田正樹さん(65)=仙台市出身=らが08年に始め、11年からは震災の犠牲者も追悼している。【ニューヨーク草野和彦】
という内容です。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150912dde041040022000c.html

昨夜はTBSテレビも取材に来ていたとのことなので、そちらも探してみると、ありました。こちらはもちろん動画です。
https://www.youtube.com/watch?v=O4Q_Q8StdNw&feature=player_embedded
見ると、私や家人まで映像に出ているのがわかり恥ずかしくなりました。しかし、宮城からほとんどまる1日かけてニューヨークまでやってきた合唱団の皆さんの後ろでしたから、大恥はかかずにすみ助かりました。

大任を果たし終えた解放感から、今日はどこかに出かけようということに。とりあえず、朝がた旅行会社の人から聞いたブロードウェーのストリートマーケットをのぞき、タイムズスクエアまで。どちらの方向を見ても、夜になればさぞかし……と思わせる巨大なネオンサインがそびえ立っています。そんな様子を見ながら、「せっかくこの時期に来たのだから」ということで、グラウンドゼロに行こうと決めました。

Img_0751地下鉄でワールド・トレードセンターまで行き、地上に出ると、大変な数の人が訪れています。土曜日でもあったのでよけいでしょう。この一帯に、新たに4本の高層ビルが建てられる予定だそうで、うち2本はすでに完成、残り2本も建設のまっただ中です。旧ワールド・トレードセンター(北と南の2本)が取り壊された跡には2つの「9・11」メモリアル・プールとメモリアル・センター&ミュージアム(2011~13年)が作られました。それを機にこのエリアは一大観光地となったようです。交通の便をよくするため、ワールド・トレードセンターの駅は周辺の地下鉄駅とも地下道で結ばれています。

Img_0759_3

L1040019

グラウンドゼロから再び地下鉄3号線と7号線でグランドセントラル駅まで行きました。そこで降りて、その近く46丁目にあるうどん屋で昼食。なんと、博多から出店しているWESTです。ニューヨークにいるのに、出されているうどんは博多と同じくやわらかなもの。唐揚げカレーうどんを食べましたが、日本にはないメニューで、けっこういけました。

L1040021ホテルに戻ろうと、店の前を走っていたタクシーを止めます。行き先を聞かれ「ヒルトン・ミッドタウン」と答えると、「いまひどい渋滞だから、勘弁してくれ」と断わられてしまいました。仕方なく歩いていくと、途中5番街が通行止めになっています。44番通りから、セントラルパークの東側を67番通りまで行進する毎年恒例の「レイバーデー・パレード」に遭遇してしまったのです。パレードの列が途切れたタイミングで、ようやく渡らせてもらい帰り着きました。

ツアーのメンバーのなかにはブロードウェーでミュージカルを楽しんだ人もいたようです。ただ、夕方からは「ジャパン・クラブ」(57丁目)で映画の上映会が開催されます。テイラー・アンダーソンの半生を追ったドキュメント“Live your dream”と、もう1本は『夢は400年の時空を越えて』という作品。こちらは、スペイン・セヴィーリャのハポン姓の人たちのルーツを探るやはりドキュメントです。

引き続きレセプションがおこなわれました。白田さん夫妻や地元合唱団のメンバー、宮城から来た「ぜってぇまげね合唱団」、ハポン姓の方々20人などが初めて一堂に会したこともあり、あちこちで話の輪が生まれ、写真を撮り合い、プレゼントを交換し合うなど、大盛り上がり。故テイラー・アンダーソンさんのご両親の来られており、ご主人がみごとなピアノ演奏を披露してくださいました。帰るころには雨が降っていましたが、それも気にならないほど、だれもが興奮していました。

L1040047_2L1040063L1040035

「9・11メモリアル・コンサート」に“出演”

2015年9月11日
さて、いよいよ今日です。今回の最初の目的であるNYでの「9・11メモリアル(追悼)コンサート」。朝、ホテルのロビーに、主に宮城県(石巻市、東松島町など)からやってきたメンバーと合わせて40人ほどの参加者が集合。バスに乗って最初の目的地であるニュージャージー州バーゲン郡のオーバペック・パーク(Overpeck Park)に移動します。公園の中に、「9・11」で犠牲になった同郡在住者154人の慰霊碑(The World Trade Center Memorial)があり、そこには日本人(主に駐在のビジネスマン)の名前も刻まれていました。その慰霊碑を寄贈された方の1人である白田正樹(仙台出身、NYで会社を経営)さんが、今日のコンサートの主催者でもあります。

L1030957

L1030973立派な碑のまわりには植樹もなされており、遠い将来になっても事件が忘れられることはなさそうです。そこから再びバスでマンハッタン(アッパーウェストサイド)に戻りました。会場はセントラルパークのすぐ西側、64丁目にあるニューヨーク倫理文化協会の本部が入っている古いビルです。そこで降りてランチをということでしたので、私たちはコロンバス・アベニューにあるスーパー=ホールフーズマーケット(Whole Foods Market)地階のフードコートに行きました。

リハーサルのスタートまではまだ2時間以上もあります。食後はセントラルパークの一角で待つことに。いまさら、今日歌う曲の練習をしても始まりませんし、なんともおだやかで心地のよい木蔭でのんびりした時間を過ごすことができました。

L1030980_3午後4時過ぎ、会場に入りましたが、えらく立派なホールなのにびっくり。たしかに、「歴史的建造物」と記したプレートが貼られていましたし、設備も古いのですが、音響という点ではどこのホールと比べても遜色なさそうです。「えーっ、こんなすごいところで、下手な歌と踊り(これはもちろん、私たちだけですが)をするのか……」と、ハナからビビり気味。

3年前の3月18日、東京・銀座でおこなわれた、「東日本大震災」の被災者112人によるミュージカル『飛びだす100通りのありがとう!』のごく一部分を、この日演じることになっているのですが、40人のうち、実際に本番で歌ったり踊ったりしたのは20人ほど。残り半分は、公演の裏方を務めたりチケットの販売に協力したりお金を寄付したりなど、演技を経験したわけではありません。なのに、この日のコンサートでトリを仰せつかったから、「予定してた20人じゃ格好がつかない」というので、狩り出された(というと失礼ないい方になってしまうのですが)人たちです。私たちもそちらの部類で、8月のお盆のころ、2回ほど練習しただけ。それでいきなりの本番ですから、ビビるのも当然でしょう。

L1030991

ただ、「案ずるより産むが易し」とはよくいったもので、まあまあとどこおりなく務めることができたようです。なんと、800人近い観客全員がスタンディングオーベーションで応えてくれましたから。これにはまぶたが熱くなりました。人生で初めての経験ですからね。


私たちの前には、マンハッタン交響楽団の演奏や、現地在住の日本人合唱団、またスペインからやってきた「ハポン(Japon)」さん一族など、白田さんの関わるさまざまな会やグループの人たちが出演、「9・11」を偲びました。終了後は、会場地下のホールで簡単なレセプションがあり、成功の喜びを分かち合うとともに、お互いの苦労をねぎらいました。

広~いブロンクス動物園でキリン6頭と対面

2015年9月10日
朝から本降りの雨。昨夜、私たちよりちょっとあとに到着した寺本建雄さん・祖父江真奈さん夫妻と娘のらららさん一家と昼前に再会しました。いよいよ明日に迫った「9・11追悼コンサート」の準備で忙しそうです。

L1030912

L10309223人を尻目に、私たちはといえば、ニューオーリンズに次いで、ニューヨークのキリンに挨拶するため、ホテルから地下鉄で40分ほどのところにあるブロンクス動物園へ。空模様がいまイチですが、それもものかは、動物園に着いたら即アフリカエリアに。いました、いました、キリンが6頭も。この動物園はとても広々としていて、どの動物もえらくのびのびした様子。今日は平日ですし、天気のせいもあってか園内は閑散としています。そのため、ますます広く感じられました。とにかく自然がいっぱいという印象で、ニューヨークにもこんな場所があることに驚きます。秋にでも来たら、さぞかし紅葉がきれいだろうなと思ったしだい。実際、動物園を出て地下鉄の駅まで間に川が流れており、その両岸は落ち着いた公園になっていました。

L1030937同じ地下鉄に乗って帰ったのですが、駅のすさまじさには驚きました。このあたりは高架になっているのですが、線路を支える鉄骨は錆び放題、見た目はいつ崩れてもおかしくない印象です。ホームも、電車が入線してくるとビミョーに揺れます。地下鉄の車両も、日本やヨーロッパと比べると安手というか、実用一点張り(日本の川崎車輛製ですが)。よく揺れますし、うるさいですし、車体には落書きもまだ残っています(前はもっとひどかった)。

それにしても、NYの地下鉄の不快さときたら……。駅も構内も地上との連絡階段も乗り換え用の通路も、最初に作られたままという感じ。古くて換気が悪いせいか、地上から降りていくと独特の饐【す】えたにおいがただよってきます。天井が低く、階段や通路の幅も狭いので息苦しいというか、ひどい圧迫感があるのです。しかも、案内表示は少ないですし、あってもわかりにくい。エレベーターはほとんど皆無で、バリアフリーなどまったくどこ吹く風なので、ひたすら階段、階段です。高齢者にとっては辛い地下鉄ですね。ニューヨーカーが東京の地下鉄に乗ったら、おそらく目を丸くすることでしょう。

家人もさすがに辟易したようで、「ニューヨークは今回が最後かもね」などという不吉な言葉を口にしていました。私はといえば、表向き「うん」と答えつつも、「いやいやまだまだ。コニーアイランドだって行ってないし、だいいちヤンキースタジアムにも行かずにニューヨークの話はできないんじゃないの」などと思っていたしだい。

ニューヨーク滞在中は「ツアー」の一員

2015年9月9日
旅行に出ても、朝のヒゲ剃りは欠かせない身だしなみの1つです。しかし、今回のように1カ月もの長旅となると、けっこう悩まなくてはなりません。自宅で使っているものを持参しようかとも思いました。1週間ほどで切れ味が鈍ってくるので、替えの刃を持っていくにしても3~4枚で済むわけですから、むしろ楽かもという気もします。

ただ、これまで長い間にストックしてきた、国内外各ホテルのアメニティーが大量にあるものですから、それも10本ほどポーチに入れておきました。各ホテルと書きましたが、これがまた多種多彩。1本の仕入れ価格が5円かそこらではないかという低クオリティーのものから、40~50円はしそうなものまでいろいろあります。


わたし的には「KAI(貝印)」の安物はダメという評価なのですが、今回持参した、同じ「KAI」の「best Y3」は上物でした。この手のものとしては珍しく3枚刃ですから、当然切れ味もいいですし、何より引っかかりがありません。「KAI」でも安手のものはその点まったくNGで、初回の使用であっても、剃っていると不愉快な気持ちになってきます。それで顔を切ってしまったりした日には目も当てられません。おろしたてのワイシャツに血の赤いシミがついたりすると、泣くに泣けないといった感じです。初めてつけた明るい色のネクタイにギョウザのタレを食いこぼてしまったのとどっこいどっこいでしょうか。

L1030877

この種のアメニティーでまあまあ安心して使えるのは「Gillette」です。特にすぐれているわけでもないのですが、「KAI」のようにハズレがほとんどないので、安心して使えます(ただし、切れ味がいいワケではありませんよ、念のため)。不愉快にならずに使えるというレベルです。

というわけで、今回の旅に持参した「KAI best Y3」も今日が最後のおつとめ。気持ちよくヒゲを剃ったあとは、ニューオーリンズも今日が最後なので、ホテル近くをしばしウォーキングしました。ホテルの裏にあるイタリア広場から、3ブロックほど離れたところにあるラファイエット広場までぶらぶら歩き。

L1030881L1030885L1030896

ホテルのチェックアウトは、アメリカではよくあることですが、10分ほど待たされてようやく終わり(正確には未了で、明細はeメールで送るとか!)空港へ。ニューオーリンズの空港は、国際空港というわりにはたいそう小ぶりで、ターミナルも1つ。定刻どおりに出発したUA便でニューヨークに飛び立ちました。7、8年ぶりでしょうか。ただし空港はおなじみのJFK(ジョン・F・ケネディ空港)ではなく、隣のニュージャージー州にあるニューアーク空港(EWR)で、こちらは私も初めてです。

ホテルまではタクシー。本当ならJFKよりEWRのほうが近いはずなのですが、道路が大渋滞。タクシーのメーターはどんどん上がっていきます。結局100ドルも払ってしまいました。

ホテルに着くと、近畿日本ツーリストの現地駐在員がロビーで待ってくれていました。実はこの瞬間からチェックアウトまでは「ツアー」なのです。宮城県石巻とその周辺から30人ほどでやってくるツアーに、途中からなのですが、合流することにしました。明日から「9・11」の追悼コンサートが終わるまでは団体行動になるわけです。

ツアー客のなかでは私たちが一番乗りのようで、皆さんが到着するまでしばらく休憩です。ホテルも、私たちが日本を出発後、ヒルトンに変更になっていました。ヒルトンは私が30年ほど前、初めてニューヨークを訪れたときに泊まったところ。その後何度もリノベーションされているためだいぶ様子は変わってしまっていますが、場所は同じですし、だだっ広いのも変わらず。部屋もNYにしては広く、まあまあです。

南部の旧大農園を見学

2015年9月8日
出発の数日前だったか、産経新聞の記者さんから連絡があり、電話で取材を受けた「滋賀県はスマホの普及率が全国で1位なのだが、なぜか? 県民性との関係は?」という質問へのコメントが記事になって掲載(9月7日午後3時以降)されましたとのメールが届いていました。さっそくのぞいてみると、『産経WEST』の【関西の議論】というページにそれがあります。
http://www.sankei.com/west/news/150907/wst1509070006-n1.html
こういう統計データは個人的にも関心があるので、なぜなのかということを考える作業もおもしろいものです。

それはさておき、今日の午後は、19世紀アメリカの大農園を見学する現地ツアーに参加することにしました。本当はミシシッピー川のクルージングにしようかと思っていたのですが、ニューオーリンズという町の魅力がいまイチなので、それもどうかということになり、急遽申し込んだしだい。

Gray Line社主催のバスツアー出発地は、フレンチクオーターの南、ミシシッピー川外輪遊覧船が出発する桟橋近く。その前に遅い朝食を、かの有名な「CAFE du MONDE」でということにしました。ホテルから、今日も暑い中を歩くこと10分。食事といっても、フレンチドーナツに細かなパウダーシュガーを山ほどまぶした「ベニエ」という名前のお菓子で、それにカフェオレというのが定番のようです。広い店内は満席で、次から次へ客が。とても1人では食べ切れそうにはないと判断し、2人で1人前(3個)だけにしましたが、正解でした。

L1030839L1030840_2


Img_0729そのあと、初日はすでにクローズして入れなかったジャクソン広場に。広場前の道路には、客を待つ馬車がたむろしています。美しく整備された広場を抜けたところがセントルイス大聖堂。中に入るとチョー涼しい! 涼しいというより寒いほどで、長い時間はいられませんが、生き返った心地がします。内部は、ヨーロッパの教会にも見劣りしない感じです。


そこを出ると、教会の前で2人の黒人がベンチにすわってジャズの生演奏。2人の間に少しだけスペースがあったので、そこにすわり写真を撮らせてもらいました。もちろん、チップは払いましたよ。なんのことはありません、そのためにスペースを空けてあるのです。こうした街頭プレイヤーが週末になると、そこここにいるのですから、騒々しいはずです。かならず、まわりに踊る人や歌う人もいますし。

L1030852今日は前日までとうって変わり、まわりが静かで、2人の演奏もやけに響きます。陽気で心地のよいホルンとトランペットの音色に聴き入っているとけっこう上手なんですね。

ぼちぼち歩いて桟橋近くに行くと、あちこちにツアーの出発を待つ人たちがたむろしています。2ドルのペットボトル入り水を苦労の末に購入し、出発までしばし休憩。今日あたり、休み明けでツアーの客などほとんどいないのいではないかと思っていたのですが、どうしてどうして、20人近くもいました。

L1030871バスに乗ること1時間、目的地のオークアレー(Oak Alley)に到着。途中はずっとミシシッピデルタで、バイヨー(水路)やスワンプ(沼地)がそちこちに。そうした中、かつての大農園が散在しています。オークアレーもその1つで、樹齢300年を超えるカシの並木が人気だそうです。たしかに、何百本とそびえているカシの木の迫力は相当で、なかには枝振りが地を這っているものも。その奥に農園経営者の豪華な屋敷があります。映画『風と共に去りぬ』の世界ですね。

ガイドさんがいろいろ説明してくれていましたが、こちらの関心はもっぱらカシの木ですから、ほとんど聞き流し。それでも、1861年の南北戦争で当主が破産してしまい、すべての資産=3億円ほどを競売で取られたという話には驚きました。それまで奴隷として働かされていた人たちがすべて解放されたのですから、たしかに働き手を失った農園はどこも皆立ち行かなくなってしまったのでしょう。それでも、ここはその後の経過がまっとうだったようで、今日は財団が管理し、観光スポットとして多くの人を集めているのですから、まだましなほうなのかもしれません。

Dsc_0238_2Dsc_0243_3

Dsc_0250

帰りは途中ひどいスコールのような雨に降られましたが、幸いバスの中だったので事なきを得ました。夜は私たちのホテルからすぐ近くにあるHarrah’sのレストランでがっつり肉食。

亜熱帯特有の「ゆるさ」を感じさせるニューオーリンズ

2015年9月7日
今日は恒例のキリンさん表敬訪問です。

Img_0686

朝から、ニューオーリンズの西部にある「オーデュボン動物園(Audubon Zoo)」まで行ってきました。センスのいい動物園で、けっこう楽しめます。亜熱帯、しかも9月ということで、これまでの経験から、過大な期待は抱いていなかったのですが、あにはからんや、動物たちは、夏の熱い日差しを受けているにもかかわらず、外に出て元気な姿を見せてくれていました。何より可愛かったのはヒョウの親子。いちばん客に近いところで、仲よくくつろいでいたので、こんな写真も。まるで私の飼いヒョウのような絵が撮れました。

Img_0719もちろん、キリンもいい感じでした。餌にありつく2頭と、順番を待っている2頭のふた組に分かれていましたが、どちらの組もおだやかな表情を見せています。とにかく、客に近い場所にいるのがいいですね。これはおそらく動物園の環境というか、設計が優れているためでしょう。

Img_0705
Img_0687


行き帰りともバスを利用しましたが、制限速度20マイル(=32キロ)の道を、おそらく30マイル(=48キロ)近くで走るので、心配でした。しかも、信号待ちの折や停留所で止まったときなど、路上にいる知り合いとおぼしき人と言葉を交わしたり、なんとものんびりしています。これがアメリカ南部なのでしょうか。

L1030829

ダウンタウンに戻り、川沿いをフレンチマーケットまで歩くと、風が吹いてはいるものの、やはり蒸しています。人通りもまだ多いので、それだけで暑苦しくて。ランチは、そこから少し北にある住宅街の一角にあるカフェで済ませました。おいしいクロワッサンサンド(ツナサラダ)とアイスカプチーノ。家人はチョコレートクロワッサンとオレンジジュース。食後、テイクアウトでさらに2つ、パンを買ってしまったほどです。


外へ出るとあまりの暑さに絶句。タクシーでホテルに戻りました。時刻は3時近く。ところが、部屋に戻ると、驚いたことに掃除が終わっていません。そういえば昨日チェックインしようとしたとき──午後4時をとうに回っていたのに──、「部屋の掃除がまだ終わっていないので……」などといっていましたっけ。まあ南部だから、と思いもしますが、大丈夫かなと心配になってしまいます。

夕刻、少し涼しくなってから、外出しました。出がけに、コンシェルジュデスクにいた女性に「部屋の掃除、お願いしますよ」と、ひとこと念押ししたのはいうまでもありません。そうでないと、いつかのベルゲン(ノルウェー)のホテルのような事態になりかねませんから。私たちの泊まっているホテルのすぐそばに、なぜか大きなカジノ(ラスベガスにもある Harrah’sです)があったので、そこに入ってみました。すると、ここがまた異常なほどの涼しさ。エアコンがガンガンに効いていて、5分も中にいると寒気がしてくるほどです。結局、落ち着いて遊ぶこともできず、外に出てぶらぶらとフレンチクオーターのほうに行くことに。

Dsc_0206今日はこの時間になっても人通りが少なく、昨夜の喧騒がウソのよう。同性愛者のカップルとときおりすれ違うなど、多少の余韻はまだありますが、街は全体的に落ち着きを取り戻した感じがします。ニューオーリンズに来たからは一度「ケージャン料理」をということで、「ジャンバラヤ」や「ガンボ」「シュリンプクレオール」などにチャレンジ。下世話な味ですが、個人的には好みに合っていて、気に入りました。

帰りは昨夜通ったバーボンストリートの1本南側を走るロイヤルストリートを。こちらは、ギャラリーやちょっとグレードの高いおみやげ物店が目につき、老舗のホテルもあります。おかげで落ち着いた気分で歩けました。それにしてもバーボンストリートはウワサに違わぬ猥雑さと喧噪に満ちていました。もともとの地域特性=フランス植民地だったころから歓楽地帯であることに加え、亜熱帯気候から来るある意味怠惰な気風が、退嬰【たいえい】的な雰囲気をはぐくみ、こういうエリアができ上がったのでしょう。「SOUTHERN DECADANCE」なるイベントはその象徴の一つなのかもしれません。

ただ、落ち着きという点ではいまイチの感じがします。投げやりな雰囲気というか、規則を重んじないというか、欲望にあまり歯止めをかけようとしないというか。さまざまな表現ができそうですが、アメリカに特徴的なプロテスタントの匂いがまったくありません。聞けば、カリブ海に伝わるブードゥー教の影響もあるようで、そうしたことともあいまって、道徳・倫理の風は薄そうです。

信じられないほど太った人(それも女性が断然多い!)の姿が、西海岸に比べてはるかに目につくのもその影響でしょうか。とにかく、どこを歩いても、どこにいても、ハンパでなく太った人がいます。それでいて、どうにかしよう・したいという気もないようで、スタバで買ったコーヒーにいやというほど白砂糖やシロップを入れていたりラージサイズ(バケツ大)のコークを一滴残らず飲み干していたりなど、「あちゃー」といいたくなるような人の多いこと。かなりヤバい感じです。

ジョン・ウェインからルイ・アームストロングへ

2015年9月6日
L1030730今日はほぼまる1日かけてニューオーリンズまでの移動。ホテル発6時のシャトルバスでオレンジ・カウンティ(ジョン・ウェイン)空港まで。5分もかからずに到着しチェックインしたときは出発時刻まで2時間以上の余裕が。こういうローカルの空港はこじんまりしているので、乗降客が圧倒的に少なく、何をするにも時間がかからない利便さが最大のメリットです。私が惹かれる理由もその点にあります。ロサンゼルスといえばLAX(国際空港)しか知られていませんが、実は、オレンジ・カウンティのほか、オンタリオ、ロングビーチ、バーバンクと、LAXからクルマで1時間もかからないほどの近くに4つもあるのです。

さて、驚いたのは手荷物検査で、PCをカバンから出す必要はありませんし、靴を脱いだりベルトを外したりもせずに済みます。スクリーニングの装置が最新式なのでしょうね。それもあって、あっという間に出発ゲートのすぐ近くまで行けました。

ところが、ここでアクシデントが発生。空港のデザインがとてもおしゃれなので写真を撮っていたのですが、突然カメラが不具合をきたしてしまったのです。写した写真をチェックするための画面はきれいに再現されるのですが、肝心の撮影時に何も画像が見えません。真っ黒のままなのです。そのため、撮影するときは、小さなファインダーをのぞかなければならず、不自由なことこの上ありません。幸先の悪いスタートに気分がガックリ落ち込みます。いまのカメラ(=LEICAなのですが)はホント“呪われている”のか相性が悪いのか、買ってまだ1年足らずなのに、あちこちに不調が出てくるのです。ハズレだったのかもしれません。

ロスから3時間ほどでヒューストン着。乗り換えのため一度機を降り、ターミナルも移動し、別の便で夕刻ニューオーリンズ空港(こちらの別名は「ルイ・アームストロング」空港)に到着。こういうときは荷物がちゃんと着いているかどうか心配なのですが、問題なし。よかったです。空港からホテルへはタクシーを使いました。しかし、ホテルの部屋がまだ準備できていなかったようで、待つこと30分。ようやく部屋に入ったときはすでに5時を回っていました。ちなみに、ニューオーリンズはロスと時差が2時間あるので、最初“稼いだ”16時間はここで14時間に減りました。

ホテルを出てかの有名なフレンチクオーター付近まで歩きましたが、暑いことといったらありません。夕食は広場にほど近い場所にあり、客の入りもよさそうな店にしたのですが、これが大ハズレ。客が多かったのは、便利な場所にあるからということだけのようでした。


そのあと、有名なバーボンスリートを歩いて帰りましたが、今週は「SOUTHERN DECADANCE(=南部の頽廃【たいはい】)」という、年に一度の“同性愛者大集合”の催しがあったせいか、どこもかしこもその世界の人であふれ返っている様子。しかも、今日が最終日のせいもあるのでしょうか、異常なまでの盛り上がりで、町中が大騒ぎです。歩道の片隅でひっくり返って眠り込んでいる人の姿も目立ちます。逃げるようにしてホテルに戻りましたが、まあここまで騒々しいとやはりストレスを感じてしまいます。もっと若い時分に来ていればよかったのでしょうが、やはり年齢のせいでしょうね。

L1030765L1030771L1030779

とりあえず16時間「得」をするのですが

2015年9月5日
スタートは9月6日午前0時5分羽田発のANA便。ロサンゼルス到着は「前日=5日」の夕方6時ごろという、ミステリアスなフライトです。なんだか得をしたような気もしますが、それもこれも東京とアメリカ西海岸の時差が大きいせいで、どういう経路で帰国するにしても、この差はかならず埋まります。日本では夜8時ギリギリまで荷造りや仕事に追われバタバタ。羽田で多少はのんびりできますが、乗ったらすぐ就寝ですから効率もよく、むしろ助かります。

起きてしばらくすると、もうロサンゼルス。ターミナルビルの改装が済み、えらく美しくなっていました。ただ、入国手続きには時間がかかりました。指紋取りから顔写真の撮影まで、全部こちらにさせて、係官の仕事は減っているはずなのですが、結局なんだかんだで1時間。しかも、税関の係員も以前とは大違いで、それなりに「仕事」をしています。下手をすると、スーツケースを開けさせられかねません。


やっとすべてを終えて、外に出ると、Hさんご夫妻が迎えに来てくれていました。クルマで、明日の出発地オレンジ・カウンティ空港(別名「ジョン・ウェイン」空港)まで移動。ホテルにチェックインして荷物を部屋に放り込み、すぐ夕食に出ます。ホテル近くのイタリアンでしたが、ちょうどHさんの次女一家が近くにいたとかで合流し、にぎやかな食事になりました。

軍事パレード間近で天安門の周辺は厳重警戒

2015年8月29日
北京もいよいよ今日で最後。帰国便は16時40分発なので、それまではゆっくりできます。そこで、天安門広場まで行ってみることにしました。

L1030675

さすがこの周辺は警備がことのほか厳重で、目の前にテレビの画面で見慣れた天安門が見えるのですが、そちらには渡っていけないようになっています。門の前の広場には軍事パレードの観覧席やイベント用なのでしょう、巨大な造作物があります。そうしたものを観ながら南に降りていこうとしましたが、これがストレートに渡れず、別の道を迂回しなくてはなりません。地下道を渡るのですが、階段を下りていくとまた所持品検査の列が……。いい加減イヤになってしまいますが、そこを通らないと目的地までは到達できないので、仕方なく従います。

ようやく「前門(正陽門)」という巨大な門があるところまで行ったあたりでランチタイムに。今年は日本との戦争が終わって70年という区切りでしょうか、「隆重紀念中国人民抗日战争 暨世界反法西斯战争胜利70周年」と書かれた看板があちこちに立てられていますし、『誘狼』『百団大戦』などという戦争映画も公開されているようです。といって、中国の人たちが私たち日本人に冷たい視線を浴びせるわけではありませんよ。

L1030698_2L1030699_2L1030721_2

L1030702_2そうした看板を横目に見ながら「前門大街」というちょっとレトロな雰囲気の場所を歩きました。中国風の建物に入ったスターバックス(中国では「星克巴」と書く)の店があったので、そこでひと休み。さすが、2時間も外にいると、汗びっしょりになります。そのあと、近くの大衆中華といった雰囲気の店で食事を済ませ、タクシーでホテルに。荷物を受け取りタクシーに乗りましたが、時間が夕方のラッシュが始まる前だったせいか、予定より早く到着。4泊5日の北京旅行もこれにて終了です。


「万里の長城」は2万2千キロ、ボルトの金は100メートル

2015年8月28日
さて、今日は今回の観光では目玉となる「万里の長城」ツアーです。朝、ホテルのロビーでガイドとドッキングし、一路車でGO。1時間ほどで到着しましたが、駐車場から長城の入り口まではけっこうな距離の上り坂を歩きます。日差しも強い中、懸命に歩きました。ガイドからコースの説明(初心者向けと健脚者向けの2つあるのです)を受け、迷わず初心者コースへ。

L1030627_2

L1030630しかし、「初心者」にとっても、けっして楽ではありません。見かけよりはるかに傾斜がきつく、しかも歩いても歩いても、最高地点までは着きません。全行程の半分ほどのところで、時間もかなりおしてきた感じがした(半分は弁解ですが)ので、長城のすぐ脇を降りていく別のルートを戻りました。午後に行っていたらもっときつかったにちがいなく、朝に歩いたのは正解でした。端から端までは、なんと2万2千キロもあるそうで、東端(河北省山海関)は黄海に面しているとか。たしかに、北にいる異民族(=匈奴【きょうど】)の侵入を防ぐためのものですから、漏れなく築かなくてはならないのはよくわかるのですが。よくもまあ、こんなシロモノを中国全土に作りあげたものだと感心しました。

L1030639_2

午後早くに現地を出発、ホテルには3時過ぎには戻ってこれました。今日もまた、地下鉄で「鳥の巣」まで。そうそう、北京では地下鉄に乗るにも手荷物検査があります。世界陸上の開催中だからとか軍事パレードが迫っているからといったことではなく、日常的におこなわれているとのことです。それはそれとして、ウサイン・ボルトの100メートル金メダル獲得の瞬間をこの目で見られたのが最高でした。「万里の長城」の22万の1の距離ですが……。今日は昨日よりさらにスムーズにホテルまで戻れました。

L1030649L1030652

中国の人たちが読んでいる旅行ガイドブック

2015年8月27日

L1030604_2この時期、たまたまですが、9月の初めに天安門広場で軍事パレードがおこなわれるとかで、「故宮」がクローズされています。残念ながら今回は見送らざるを得ず、日程を調整の上、今日は北京最大の繁華街「王府井【ワンフーチン】」に行きました。地下鉄の駅を上がると、中国銀行と北京飯店があり、その2つにはさまれ北に向かう道路の両サイドに有名な店が並んでいます。その一つに大きな書店がありました。

L1030605

ビル丸ごと書店という中に入って、最近日本にいちばん多くの観光客を送り込んでいる中国の人たちがどんなガイドブックを読んでいるのか、のぞいてみました。すると、台湾でもそうでしたが、旅行書のコーナーには大変な数の本が並んでいます。『地球の歩き方』の中国語訳(かどうかはわかりませんが、装幀はそっくり)もほとんど全部がそろい、その充実ぶりはハンパではありません。「なるほど、こういうのを読んでくれば、日本のどこに行っても中国人の姿を見かけるはず」と納得したしだい。昼食は5月に来たとき連れていってもらった「東方餃子王」で。

夕方からは「鳥の巣」ですが、今日は昨日の“学習成果”をもとに地下鉄で行きました。その成果でしょう、行きも帰りもほぼ余裕。入場券とセットになっている食事はそれほどのレベルではありませんが、ボランティア・メンバーの手厚いケアもあり、心地よく過ごせます。今日も日本選手の活躍は見られないままでしたが、ウサイン・ボルトの走りをほぼゴールの真上で観られたのが救い。

L1030618_2

本場北京で食べた北京ダック、安~っ!

2015年8月26日
L1030550

午前中は、清の時代、西太后が夏の別荘として利用していた頤和園【いわえん】に行き、あまりのスケールの大きさに度肝を抜かれたあと、昼食はJさんご推薦の「大菫」という店で烤鴨(北京ダック)を食べました。かの有名な「全聚徳」にいた人が独立開業した店だそうです。値段がそちらよりはるかにリーズナブルなため好評なようで、数年のうちにいくつもの店舗を開業するまでになったとか。私たちが行ったのは南新倉文化レジャー街の一角にある店でしたが、お洒落な空間が魅力的、もちろん味も素晴らしく、しかも、ウソみたいに安かったです。

L1030573L1030577


ホテルに戻り着替えたあと、タクシーで「鳥の巣」まで。ただ、「鳥の巣」の真ん前までは行けず、比較的近いところでおろされました。しかしそこからが大変で、入り口を探すのに右往左往、中に入るまでに1時間。この日の競技で日本人選手が出場するのはヤリ投げでしたが、日本はまったく不振で、優勝したのはなんとケニアの選手でした。伝統的にこの種目に強い北欧の選手を押しのけての優勝ですから、快挙といっていいでしょう。ホテルには地下鉄を乗り継いで帰りましたが、駅がどこにあるのかなかなかわかりません。しかたなく、「最近地鉄站?」とボールペンで書いたメモ用紙を警官に見せて教えてもらったのですが、それも実はウソで、結局人の流れについていってようやく見つけました。

L1030589

ホテルの近くを流れる川で水泳にはびっくり

2015年8月25日

L1030509世界陸上の観戦も今回で6回目。2005年のヘルシンキが最初ですから早いもので10年になります。朝9時10分・羽田発のANA便で北京に出発しました。北京は今年の5月に行ったので私は2回目、家人は初めてです。5月も8月も、PM2・5の心配は無用。ただ、今回はかなり暑いのではないか、心配はそれだけです。

北京国際空港には4時間で到着。空港からは道路の渋滞を避け、地下鉄でホテルまで行くことにしました。高校時代の友人で、ついこの3月までこちらで日本企業の中国現地法人社長を務めていたYくんが教えてくれた崑崙飯店です。空港からも遠くなく、世界陸上がおこなわれる「国家体育場」(=「鳥の巣」)もわりと近いので、ここに決めました。機場線と10号線を乗り継ぎ亮馬橋駅までは1時間足らずでしたが、駅から地上に出るのがややこしく、ホテルもすぐにそれとはわかりにくかったためもたついてしまいました。4つ星ですが、日本人のビジネスマンには好評のようです。周辺に日本企業の現地法人や支店・営業所が多くあるからでしょう。


L1030512北京にしては珍しく緑の多い場所、しかも川沿いに立っているホテルで、私たちの部屋の窓からもそうした風景が見えます。夜までたっぷり時間があるので、さっそく周辺を散策してみました。夏休み期間とはいえ、今日はウイークデー。でも、泳いでいる人や釣り糸を垂れている人がけっこういます。「水深危険 禁止遊泳 垂釣 滑氷」と書かれた掲示板が立っているのにです。よく見ると、リタイアした男性ばかり。中国人の行動の一端が垣間見えるような気がしました。

L1030517川の向こう側にはオランダ、デンマーク、スイス、タンザニア、イラン、アルゼンチン、メキシコ、ナイジェリアなどの大使館やシェラトンホテル、道路の向かい側には日本始め内外の大企業が入っている大きなオフィスビルやウエスティン、ケンピンスキー、ヒルトン、フォーシーズンズといった5つ星のホテルもあり、場所的には安全なのでしょう。ただ、東京の大使館密集エリアのようなあか抜けた雰囲気はまったくありません。真っ昼間から川で泳ぎや釣りを楽しんでいる人がいるのですからね。

6時過ぎ、5月に来たときもお世話になった中国人ビジネスマンJさんがロビーまで迎えに来てくださいました。車に乗り、近くの「鼎泰豊」北京支店に。名物の小籠包や鶏スープ、炒飯(どれも皆、台北の本店よりレベルは上かも)をいただき、そのあと、故宮の北西に位置する北海公園を散策しました。5月のときと同様、多くの人でにぎわっています。まして、いまは8月。街の真ん中にこれほどの池(北海)があれば、だれだって夕涼みに行きたくなるでしょう。もともとは、橋でへだてられた中海とともに宮廷の庭園でしたが、明の時代、そのさらに南側に南海が作られました。ロシアの「クレムリン」、韓国の「青瓦台【せいがだい】」と同じく、中国で「中南海」といえば、権力中枢の代名詞にもなっていますが、それはこの一帯に中国共産党中央書記処があるため。ただ、北海だけは一般市民にも開放されているというわけです。

L1030530L1030542

利用価値の高そうなフィン航空ヘルシンキ空港

2015年8月6日

P8060645

P8060641P8060644ロシアツアーの途中ですが、7日に京都で仕事がある私は、家人とともにひと足先に帰国します。モスクワのシェレメチェヴォ空港からからヘルシンキ経由で関空へ。ヘルシンキ空港はハブ空港にしてはコンパクトですが、居心地のよさではハイレベルです。喫煙スペースは広く、しかも美しく、思い切りくつろげます。それより何より、空港のサイズがちょうどころあいというか、動き回って疲れることがありません。高級ブランドが軒を並べている国際空港を期待している人にとってはフラストレーションを感じるかもしれませんが。

ただ、私たちが到着してしばらく経つと、どんどん混み合ってきました。出発便が集中する時間帯に入ってきたのでしょう。4時間後、ヘルシンキを発つフィンエアで一路関空へ飛び立ちました。日本・ヨーロッパを最短距離・最短時間で結ぶ路線だけに、この先も利用価値がありそうです。

モスクワ大学を見学

2015年8月5日

今日の午前中の目玉はクレムリン。なかでも武器庫は出色の施設で、古今東西の武器や兵器、衣服・調度品、乗り物などが所狭しと並べられていました。2年前もそう思いましたが、全部をゆっくり見てまわると、まる1日はかかりそうです。

P8050589

P8050593P8050600

ここで思わぬアクシデントが発生しました。ツアーに同行している女性2人が忽然と姿を消してしまったのです。それも60代後半と70代半ばの方ですから、私たちはびっくり。最初は全員で探し回りましたが、そのうち次の訪問先を訪れる時刻が迫ってきたので、やむを得ず中断、添乗員一人を残して、とりあえず腹ごしらえに行きました。


場所はボリショイ劇場の斜め前、マルクスの像が立つ広場の奥にあるレストランです。ここの店もまた、いかにもいった感じのする風格があり、おそらくはだれか高貴なる方のセカンドハウスかなんかだったのかもしれません。

P8050606

そのあとモスクワ大学に移動し、本館の28階へ。スターリン建築と呼ばれる建物の一つで、えらくお金がかかっている建物です。

Img_0620

28階からのながめはすばらしかったです。そこからさらに32階まで上がると、そこは小さな会議場というか、イベントスペースです。通常はなかなか入れないそうで、今回はE団長の人脈でここまで足を踏み入れることができたようです。

P8050625それにしても、この大学の広さといったら、想像を絶するものがあります。しかも、敷地の半分以上はまだ手つかず。さて、大学を出てしばらく経ったころ、行方不明だった2人が見つかり無事保護されたとのニュースが届き、バスの中は大拍手。誰もが胸を撫でおろしました。

P8050634

ホテルに戻りPCを開きニュースをチェックしてみると、、東京は異常な暑さのようで、1週間連続で猛暑日だとか。正直、その期間にこんな涼しいところにいられてホントよかったと思いました。それにしても、訪問団の団長Eさんも添乗員さんも胆を冷やしたことでしょう。

王様と貴族が作った町はやはり違うようです

2015年8月4日

P8040525_2午前中はサンクトペテルブルクのメインストリート=ネフスキー大通り周辺の散策。最初は、「創業は1848年。当地の上流階級のために建てられたアーケード街」(『地球の歩き方』)=パッサージュに行きました。午前中、しかもどの店も店を開けて間もないとあって、中はガラガラ。それでもかなりいい雰囲気の空間で、ゆっくり楽しめました。そのあと、近くのホテルヨーロッパでお茶をしたのですが、メニューがアイパッド風で、びっくり。

P8040528

さすが、世にいう“グランドホテル”だけあって、建物はそれに恥じない風格で、玄関のドア周辺も、いずまいを正さずにはおけない威厳があります。ドアマンの顔つきもきりっとしていました。中のデザインも余裕があるというか、落ち着きに満ちており、外の喧騒を忘れさせてくれます。

P8040538Img_0584


P80405431時間ほどゆっくりし、再び集合。ランチを食べに移動します。今日は、サンクトペテルブルクの貴族の屋敷を改造した店だそうです。私たちが食事をした1階はそれほどでもなかったのですが、帰りがけ、1階の玄関近くにいるガードマン風の男性が、ドアのすぐ横にある小さなプロジェクターを指差し、「これを見ていけよ」といっている様子。そこで画面に目をやると、絢爛豪華な内装の部屋が映し出されています。「2階はこうなっているんだぜ」と自慢顔を見せるガードマン。たしかに、エカテリーナ宮殿も顔負けの部屋で、なるほど、貴族のお屋敷だったことがよくわかりました。

Img_0597_2

P8040544

ランチのあと、3時過ぎ出発のモスクワ行き特急に乗るため駅に急ぎました。その名もモスクワ駅。ロシアでは行き先がそのまま駅の名前になっていることが多く、私たちが着いたのも「モスクワ駅」でした。

P8040555

P8040557夜7時過ぎに(モスクワの)レニングラード駅(ややこしいですね)に到着し、バスでホテルに向かいます。今回は中心部からかなり離れた場所にあるようで、ラッシュとも重なったため、1時間ほどかかりようやく到着してチェックイン。すぐに食事でしたが、これがいまイチ、いないま2の感じですかねぇ。食後すぐにホテルの敷地内にある24時間営業の店に駆け込み、バナナやらカップ麺を買いました。夜中にお腹がすいて眠れなくなっては困りますので。備えあれば憂いなしです。

ホテルの周囲は再開発が進んでいるらしく、大々的な道路工事の真っ最中。部屋の窓からどの方向を見ても、どこかしら落ち着きを欠いている様子が見て取れます。去年も同じホテルに泊まった人の話を聞くと、状況はほとんど変わっていないとのこと。中国に比べると、建築・土木の工事はゆるりとしている感じです。

エカテリーナ宮殿の前で「君が代」とは!

2015年8月3日

P8030388

午前中は「ネヴァ川+フィンランド湾」のクルージングです。といっても、ポンポン船のような船ですから、甲板に上がったりしたの船室に降りたり自由自在で、気楽なものです。前回は行かなかったペトロパヴロフスク要塞のある島をぐるっとまわる大回りのコースでした。この大きな川と湾が、冬になると全部凍りついてしまうというのですが、とても想像できません。

P8030418ランチを終え、バスでエカテリーナ宮殿まで行きます。入口手前の路上に4人編成の楽隊が立っていて、国歌「君が代」の演奏でお出迎え。もちろんチップを払ってあげました。私たちの前では中国人の団体を前に「義勇軍行進曲」を演奏する楽隊もいました。い合わせた中国人のほぼ全員がそれに合わせて歌っています。なかには指揮を執る人もいました。

P8030436P8030458P8030433_2

P8030477_2宮殿内は相変わらずの人、人、人です。「琥珀の間」に一同、大感動。そちらをあとにし、市内に戻りました。ランチは午後2時からと遅めのスタート。食べ終えるとバスでペトロハヴロフスク要塞へ。いまは造幣局として使われているそうです。中の教会がたいそう立派で、ニコライ王朝歴代の皇帝、王妃の棺が安置されていました。

P8030484

P8030482

ロシアの教会はとにかく、金(ゴールド)が好きなようで、ここもまた中はそこかしこに金箔がほどこされていました。ロシア正教というのは、キリスト教のなかでもどんな位置にあったのか、一度学んでみたくなりました。

夕食は7時から。前回当地を訪れたときランチをした店「1913」でした。夕食を済ませると、今回のツアーを主催しているNPO法人「日ロ創幸会」代表理事のEさんが、畏友・ヴォロビヨヴァ女史のご自宅を表敬訪問するというので、同行させてもらいました。女史は、「人に善をなすことを教え、助け合うこと、思いやりを持つこと、自分を磨いて向上させていくことを重視する」法華経の研究で名を成した方で、「法華経研究の母」ともいわれているそうです。80に近いお歳にもかかわらずすこぶる元気。「博士」といってもたいそう庶民的な方で、通訳をされていたロシアの女性も、その人柄に心を打たれたようでした。

P8040516

中国人であふれるサンクトペテルブルクのホテル

2015年8月2日

朝食バフェットの中国人の多さには度肝を抜かれました。しかも、ほとんど全員がポット持参。食事が終わると、ジュースやコーヒーをそれに入れて出ていくのです。

P8020253今日はまずエルミタージュ美術館です。10時前には美術館前の広場に到着。まだ林せいか、本当ならズラリと並んでいるはずの観光バスが1台も見えません。というか、今日はロシア軍特殊部隊(かの有名なスペツナズですね!)の何やらの記念日らしく、一般車両の駐車が禁止されているようなのです。その代わり、街宣車が1台止まっていて、それが耳をつんざくような軍歌をずっと流し続けていました。

P802030610時30分に入場し、ガイドさんの案内で館内を回っていきます。同じツアーでも、ガイドさんによって、その中身の充実度が大きく変わりますが、今回は大正解の人。なんでもサンクトペテルブルクのどこかの大学で教鞭を取っている(民俗学だとか)方のようで、とにかく博識なこと。しかも、それをいやみを感じさせずに話してくださり、前回観たときとは格段の内容でした。日本語も巧みで、ダジャレまでいえるくらいでしたから、かなりの語学力といっていいでしょう。

P8020327_2P8020329


エルミタージュを見終えるとランチ。前回来たときも訪れたレストランでした。そのあとはペテルゴーフの「夏の宮殿」です。「夏の宮殿」は、サンクトペテルブルクの中心部から30kmほど西、フィンランド湾の南岸にあり、宮殿と庭園ピョートル1世の命により当時の先端技術をふんだんに投入して建設されたものです。前回はエルミタージュ美術館近くの船着場から水中翼船で行ったので35分で到着しましたが、今回はバスでの移動。小1時間ほどかかりました。

P8030370

Img_0510ペテルゴーフ宮殿の建設は1714年、ピョートル大帝から始まり、1723年に完成したそうです。噴水がここの名物ですが、電力などは一切使われていません。ひたすら、標高差だけを利用しているというのですから、驚くしかありません。

P8020348

この日はかなりのハードスケジュールで、夜は地元の「日本に関心を持っている人たちの会」(正式の名称はわかりません)との交流会が催されました。場所はホテルからはちょっと離れたところにある中華料理店「ニーハオ」。えらく大きな店で、入り口を入って左側はカフェバー風、右側は普通のレストランになっていて、今日は私たちでそちらを貸切りといった感じです。

私たちとは別に20人近くの人が集まりました。日本人もいますが、ロシア人もほとんどが日本語ペラペラ。宴たけなわといったタイミングで、予定していた盆踊り大会に。東京から持参した「大東京音頭」と「キヨシのずんどこ節」の2曲が入ったDVDから流れる曲に合わせ、総勢40人ほどで盛り上がりました。私と家人もとっておきの浴衣に着替え、楽しみました。

P8030363
踊りのあとは、6つの丸テーブルすべてが一段とにぎやかに。全体的には日本人が3分の2を占めましたが、3分の1のロシア人の存在感も強烈。それというのも、皆、日本語がペラペラなのです。日本のアニメを見て日本に興味を持ち、それがきっかけで日本語を勉強し始めた人が多いのには驚きました。話には聞いていましたが、アニメの影響力はすさまじいものがあります。いま流行りの言葉でいうと「クール」なのでしょうが、それがどうにも理解できません。やはり年齢のせいかも……なんて思うと、ガックリきてしまいました。

交流会が終わったの時はもう9時をはるかに回っていました。店から歩いて10分のところが最寄りの地下鉄駅。地下に潜ってさらに3、4分歩くと。やっと切符売り場があり、そこから降りること、70mほどでしょうか。ホームにたどり着きました。そこからひと駅乗って乗り換え。そのために3、4分歩き、乗り換え駅へ。そこからひと駅乗って、ホテルの近くにあるマヤコフスカヤ駅で下車。店を出てから小1時間は経っていたのではないでしょうか。

60年以上も前のオリンピック・スタジアムに感動

2015年8月1日
今日は日中がヘルシンキ市内観光に充てられています。10時過ぎに出発、まずはオリンピックスタジアムへ。10年前、私たちが世界陸上の観戦に行った場所ですが、そのときは2日間とも夜でした。しかし、明るいところで見るスタジアムは、まったく趣が違います。スタンドにだれもいないせいもあるでしょう。

P8010110

このスタジアムは1952年のオリンピックのために造られたとのことので、とても質素に造られています。観客用のイスも木製です。当時のこととて、プラスチックがほとんど使われていません。木、石、鉄、あとはガラスくらいなものでしょうか。東京の新国立競技場のように2300億円かかるとかかからないといった話が、絵空事のように思えます。これで十分なんじゃないのと、改めて思いました。

それより、古いから、世界中からやってくる観客を「お・も・て・な・し」するには、デザインにもお金をたっぷりかけて豪華に……という発想に疑問を抱いてしまいます。このヘルシンキのスタジアムは観光スポットにもなっているのですが、フィンランドという国を通じて見た「オリンピック」というものを考えさせる工夫が随所にほどこされていました。

「フィンランドとオリンピック」との関わりで思い出すのは、日本の村社【むらこそ】講平という、宮崎県出身の小柄な(162cm・50㎏)陸上長距離選手のことです。もちろん、実際に見たわけではなく、子どものころ読んだ本に書かれていた話です。

村社は1936年のベルリンオリンピック陸上5000mと10000mに出場しました。10000mで、ラスト1周のところまでトップを走っていた村社をいとも簡単に抜き去っていったのが、1位になったサルミネンなどフィンランドの3選手。結果は同国のワンツースリーで、村社は4位に終わってしまいました。このときの模様はレニ・リーフェンシュタールの映画『民族の祭典』にも描かれています。

この映画を観て感銘したチェコスロバキアの少年が、のちに“人間機関車”の異名を取ったエミール・ザトペック(チェコスロバキア)です。ザトペックは、1948(ロンドン)の10000mで金メダルに輝きましたが、1952年のヘルシンキ大会では5000m、10000m、そしてマラソンでも金を取るという、いまでは考えられないような離れ業を成し遂げています。

P8010137オリンピックスタジアムをあとにして向かったのがシベリウス公園。家人は、この国が生んだシベリウスに敬意を表し、出発前にわざわざCDまで買ってその作品(『交響曲フィンランディア』)を聴いてきたとのこと(ただ、暗~い曲で途中でやめたとも)。公園は、その曲とはうって変わって、明るい日差しに満ちた素晴らしい場所です。もちろん、フィンランドの象徴である森がたっぷりあって、気持ちよく歩けました。

P8010146次に行ったのは、岩盤の中に造ったというルター派の教会です。中央駅からさほど遠くない住宅街の一角にあり、岩盤でできた小さな丘をくり抜いた中が教会になっています。側面の上のほうにガラスがはめ込まれていて、自然光が入り込むようになっているので、けっこう明るく感じます。世界各地から年間数十万の人が訪れるこの教会、音響効果も優れているらしく、コンサートホールなども開かれるそうです。


P8010181このあとランチは、昨日も訪れた、駅近くのFORUM。ただし、今日は別の建物の中にあるフィンランド料理の店。時間がかなりおしていたようで、当初歩いて移動するはずだった港まで、急遽トラムを利用することになり、ギリギリのタイミングで船に乗りました。目的地は船で15分のところにある世界遺産・スオメンリンナ要塞。ほとんど期待していなかった場所でしたが、これが意外に楽しめました。

P8010191_2

P8010205P8010216

要塞からまた港まで戻り、夜7時56分発のサンクトペテルブルク行き国際特急の出発まで自由時間。小腹がすいていた私たちは、ちょっと何か食べておくことにし、駅前にある「レオナルド」か「ダ・ヴィンチ」かで迷ったのですが、結局「ダ・ヴィンチ」にしました。どちらもイタリアンで、こちらはピザが有名なのだとか。両店は経営的には関係ないらしく、たまたますぐ近くにあるだけのようです。

7時少し半前にホームに移動し、列車に乗り込みました。ほぼ海に沿って走りながら途中で国境を越えてロシアに入ります。日本にいてはもちろん、海外でもなかなか体験できないことなのですが、けっこう緊張しました。

P8020241

フィンランドからの出国手続きを終え、しばらく走るとロシア領。こんどは入国審査ですが、こちらはやはり緊張させられます。出発から4時間弱でサンクトペテルブルクに。日にちが変わる直前の到着だったので、ホテルにチェックインしたときはほとんど午前1時前でした。

同じ北の国でも、フィンランドとロシアとでは、やはり違います。ホテルのロビーは明かりが半分消されていて、暗い中で添乗員からキーを渡されるのを待っている間、疲れがどっと襲ってきました。私たちの部屋はチョー狭く、スーツケースを開けるスペースもありません。最低限のものだけ出して、即就寝です。

ホテルの部屋が狭いのは圧迫感のせいもありますが、なんともプアな気持ちにさせられるものです。ほかにも快適なホテルの条件はいくつがありますが、せっかく日常を離れるのですから、できるかぎりリッチな気分を味わいたいもの。その第一条件が部屋の広さというのが、私の考えです。その点、このオクチャーブリスカヤというホテルは厳しいものがあります。ツアーで決められているので仕方ないのですが、この次サンクトペテルブルクに来るときは、もう少しグレードの高いホテルにしてほしいというのが正直な気持ち。

旅行ガイドに「利用者」はいても、「読者」はいない!?

2015年7月31日

Img_0393
9時半にホテルを出て、地下鉄でハカニエミの市場(マーケット)へ。地下鉄は心なしかロシア風の感じで、だだっ広いホームです。違うのは、車両のデザインの斬新さと静かなこと。モスクワのそれと違い、最初から民用として作られたからでしょう。

Img_0405

Img_0406_3いつも思うことですが、海外では市場(マーケット)がいちばん興味深く、しかも楽しめます。その地の人たちの暮らしぶりがよくわかるからです。1階は、おいしそうな食べ物(肉や魚、チーズなど)を並べた店が40~50軒ほど。でも、なかには、店じまいしてしまったのか、空いているところも。近ごろこの種の市場は、どんどん衰えつつあるようなのです。

階段で2階に上がるとMARIMEKKOの店。ここには日本人の女性客がいっぱいいました。だれもが、「かわい~い」の連発。ついて行けないので、すぐさま移動します。

市場をあとにし、「デザインディストリクト」と呼ばれるエリアに行ってみました。逆方向のトラムに乗ってしまったことに気づき、2つ目の停留所で下車して乗り換え。それもこれも、フィンランド語に親しみがないせいです。ゲルマン系でもラテン系でもないので、単語の99%は、意味の見当がまったくつきません。韓国でハングル文字に囲まれているようなものです。ただ、なまじ普通のアルファベットが使われているので、ついつい読み取ろうとしても、結局は???。トラムの場合はまだ番号がついているので、最後はそれを頼りにすればいいのですが、途中のコース、降りる停留所を確かめるには、図とそこに書かれた文字を読まねばならず、えらく時間がかかってしまいます。

それでもなんとか、「デザインディストリクト」とおぼしきところまでたどり着きました。ところが、私たちが今回購入した『わがまま歩き』というガイドブックの編集がいまイチ不親切といいうか、わかりにくいのですね。地図上にはたしかに「デザインディストリクト」という言葉があるにはあるのですが、どこにもその線引きが見当たりません。結局、このあたりだろうと目星をつけて降りてみた停留所は、その端っこにあることが、あとになってかりました。

別のページに書かれていたショップガイドに出ている店の半分が、実は「デザインディストリクト」エリアにあったのですが、それは、お店のアドレスを見ないとわからないようになっています。「デザインディストリクト」という項目のところに、せめて店の名前と概要だけでも書き並べればいいものを、ショップはショップのページでということにこだわり過ぎているせいか、要は二重構造になってしまっているわけです。そのため、利用者にとっては不便な構成になってしまっている次第。

旅行ガイドというのは、最初から最後まで通読する人ばかりではありません。私のように、そのとき初めてページを開く者もいるので、さまざまな読者、というか利用者の便宜を考えた編集にしてほしいなと思います。

Img_0408_2結局、「デザインディストリクト」のほんの一角をなめたところでランチタイムになってしまい、トラムで中央駅近くのFORUMへ。2階に寿司屋を見つけ、そこで済ませました。もちろん、欧米人向けの寿司屋なので、それなりの内容です。

FORUMに行ったのはワケがあり、前日行ったムーミンワールドで見つけたハサミを購入するため。ここにはムーミンショップがあるのですが、なんと目標のハサミは置いてないとのこと。ホテル近くのKAMPIというモールに入っているITTALAの店に行けばあると教えられました。

Img_0421

なら、あとで行けばいいということで、ヘルシンキのメインストリート=エスプラネード通りへ足を向けます。途中ITTALAの店があったので入ってみると、そこにハサミが! 家人が自分用・孫へのおみやげ用のものを見つけて購入。

Img_0424店を出て少し歩くとアウトドアのカフェがあったので、そこでお茶をしようと入りました。外のテーブルにすわり、ガイドブックで見るとえらく有名なところのようでした。ところが、途中、猛烈な雨が降り始めました。夕立っぽい感じもするためか、なかにはそのまま席を立たずにいる客もいます。傘をさしてコーヒー、ビールを飲む姿は泣かせます。「どうせすぐに止むんだから、気にすることないじゃない」というスタンスですね。

私たちは近くの停留所からトラムに乗ってホテルに戻りました。夕刻、ロビーに降りて待っていると、「日ロ創幸会研修旅行団」のご一党21人が予定どおり到着。聞けば、私たちがカフェで雨に遭っていたころ、ヘルシンキの空港の上で旋回しながら天候の回復を待っていたとか。それくらいひどい雨だったのです。夜の食事はホテル内のSEVILLAというレストラン。明日からは旅行団に合流し、行動をともにすることになります。

1年を3カ月で勝負するムーミンワールド

2015年7月30日

Img_033510時2分発の列車に乗るため、早めに中央駅へ行きました。切符売り場の立派なことといったらありません。老舗の銀行の本店といったような雰囲気でしょうか。ただ、掛け時計の示す時刻が遅れていたのが不思議でした。ほかの場所ならともかく、鉄道駅ですからね。

Img_0325ヘルシンキ中央駅を出発しふた駅過ぎると、両サイドとも畑と森だけ。それ以外は何も見えません。途中いくつかの駅で停車しましたが、家が建っているのはその近くだけです。それにしても、クリーンな国といった印象がします。

2時間後、トゥルクという駅に到着。駅前からタクシーでムーミンワールドのすぐ近くまで行くと、素晴らしい雰囲気です。海辺にあるリゾート地なのでしょうが、閑静なという言葉がぴったりです。日本の湘南とかハワイのワイキキといった風情はまったくありません。ヨットハーバーの近くにバフェットスタイルのレストランを見つけ、シーフードランチを。

ランチを終えてぶらぶら歩き始めると、ムーミンワールドの入口が。

 

Img_0349

 

Img_0354
しかし、派手派手しい看板が立っているわけでなく、左右2本の棒で支えただけの布製の幕があるだけです。そこに、これまたつつましく「MOOMINなにやら」という文字が染め抜かれています。そこから歩いて橋を渡ったところが目的地。きれいな海とどこまでも晴れわたっている青空が印象的でしたが、こういう季節は6~9月の実質3カ月間だけなのです。ムーミンワールドの営業期間もそれと同じですから、看板や表示にお金をかけたりしていてはペイしないわけですね。Img_0359

Img_0369
中もこじんまりしていて、1時間もあれば全部観て回れます。お金がかかるのは食事とお土産もの(キャラクターグッズ)だけ。とにかく、人工の香りがほとんどありません。その分、自然との距離がぐんと縮まりそうな感じがします。子どもたちにとっては天国のような場所といえそうです。

 

そこをあとにして、帰りの列車の時間から逆算すると、まだまだ時間があります。近くの教会をのぞき、トゥルクの町まで行くバスターミナルまでの道を歩きました。きれいに手入れされた道筋、それに沿って建つ家々のこぎれいなこと。空気も澄んでいて、なんとも快適でした。

 

Img_0386

Img_0387

バスでトゥルクの中心部まで。降りた場所からホントはすぐ近くを流れる川まで行き、のんびりしようかと画策していたのですが、地図を読み間違え、とんでもない方角へ。30分の無駄歩きをしてしまいました。しかも、そこに突然の雨に遭い、あわてて近くのカフェバーで雨宿り。道を尋ねながら、駅まで歩いていったのですが、着いたのは出発ギリギリでした。

 

ヘルシンキに戻ったのは夜の7時。昨夜の轍を踏んではいけないので、そのまま夕食を食べに行きました。空も怪しい感じがします。トラムに乗って数駅。目標は、そのすぐ近くにある和食の店です。「料理家 ほしと」という看板がありました。これがめっちゃうまい。海外でこれほどの日本食を食べられるとは! 全8品のコースでしたが、1品1品、手が込んでいて、素材のよさが最大限に生かされている感じがしました。

 

食後、大将の星利昌さんが声をかけてくださいました。聞けば、神戸の出身で、まだ30歳だといいます。こちらに来て8年、自分の店を開いてまだ5年だとか。「海外で、日本国内の和食よりおいしいものを作って出すのが目標」だそうです。自分の名前の最初の3文字をそのまま店の名前にしたとも。でも、外国で、きちんとした日本の文字を見るとうれしくなるので不思議です。店を出ると、外は猛烈な雨。急いでトラムに乗り、ホテルに戻りました。

4時間で往復できてしまう外国

2015年7月29日

L1030412
タクシーに乗り、早めに港まで行きました。難なくタリンまでの往復チケットを買え、ほっとひと安心。待合所近くをぶらぶらしていると、どんどん乗客がやってきます。空も雲ひとつない快晴で、高速フェリーの乗り心地も快適。

Img_0314_2

タリンの港からは歩いて旧市街に。しばらく歩くと、そこはもうほとんどおとぎの国のような光景。300年だか400年だか昔の建物がびっしり並んでいて、さすがという感じです。世界中から観光客がやってくるのもよくわかります。日本人の姿もけっこう目につきました。

L1030423L1030433ガイドブックを持たずに行ったので、頼りは船に乗る前にもらった英語版の地図だけ。それを見ながら、歩き始めました。どの道を選んでも興味津々で、おもしろいこと、この上ありません。こういう街の歩き方もたまにはいいものです。分厚いガイドブック──それも文字が小さくて読みにくい──を見ながらあちこち歩くのは案外疲れますから。

途中くたびれたので、人力車というか自転車タクシーのようなものに乗りました。主要な観光スポットの近くに、かならず何台かスタンバっているのです。地図を見せながら「このあたりまで行きたいんだけど」と、とりあえず英語で希望を告げると、「30分くらいかかるかな。大丈夫ですよ。30ユーロでどう?」というので、OKして乗せてもらいました。えらく英語がうまい青年で、要所要所で止まりながら、簡単なガイドをしてくれます。途中から急な坂もあったりして、このチョイスは正解でした。歩いていってたら、たぶんネをあげていたでしょう。

L1030446

L1030468バルト3国のなかでは文化水準がいちばん高いとかで、たしかにそのとおりの風趣を感じさせる街でした。元の場所に戻って30ユーロを払いながら、「英語がうまいけど、こっちの人?」と聞いたら、なんのことはない、イギリスから夏休みのアルバイトに来ている大学生でした。エストニアはECに加盟しているので、どこの国からも自由に働きに行けるようなのです。物価も非常に安いので、ここで観光客相手にひと夏稼げば、かなりの実入りになるのではないでしょうか。こういうふうにしてアルバイトができるのは、ヨーロッパならではですね。

それにしても、日帰りで外国に行けるというのは、なんとも不思議な感じがします。日本でも、福岡からなら韓国のプサンまで日帰りが可能です。飛行機ならもちろん、ソウルでも上海でも大丈夫でしょう。ただ、ヘルシンキ・タリン(エストニア)はおなじECの域内なので、パスポートさえ要りません。東京・名古屋間を往復するのと同じだと思えばOKです。

こういうことが可能である、またそれが実際に経験できるという環境の中にずっといれば、国境とか国といったことに関わる感覚が日本人と違ってくるのは当然かもしれません。、

さて、その後近くをぶらつきながら入ったカフェの素晴らしかったこと。しかも、中に入ってしばらくしたら、突然の雨。短時間でしたがかなり激しい降りで、雨宿りも兼ねることができました。まわりを見ると、ほとんど地元の人といった感じで、値段もリーズナブル。これは正解でした。

L1030472

L1030475

夕方の帰航便の出発時刻に合わせて港まで戻る途中、1800年代半ばの創業と記されているカフェがあったので、そこにも入ってみました。気がつくと食べ詰めといった感じで、ヘルシンキに着き、ホテルに戻ってもあまり空腹を感じません。そのまま部屋で仕事をしていると、家人が「晩ご飯どうする?」と聞いてきます。「あっ」と思って時計を見るとなんと8時半をまわっているではありませんか。夏の北欧はとにかく日が長いので、まさかそんな時間になっていようとは想像もしていませんでした。

あわててホテルを出て探しに行ったのですが、時間が遅く、なかなか見つかりません。結局、なんとなんと中央駅の地下にあるマクドナルドで持ち帰りのハンバーガーを買って、部屋食。まさか、ヘルシンキでマックとは……。

10年ぶりのヘルシンキと2年ぶりのロシア

2015年7月28日
今日から「ヘルシンキ+ロシアの旅」です。今回は初めてフィンエア(フィンランド航空)に乗ってみました。先々の日程の都合もあって選んだのですが、これが大正解。成田のラウンジはカンタスと共有で、これがけっこうハイレベルで、ANAやJALより上を行っている部分もあります。

L1030384


わたし的には、ラウンジ内のコピー&FAX&プリンター複合機にスキャナー機能もついていて、しかもそれが使えるというのが大きな要因。ANAのラウンジにも同じような設備はあるのですが、スキャナー機能は×印がついていて使用できません。6月に乗ったアリタリアが使っているデルタ航空のラウンジなど論外もいいところ。コピーもプリントもFAXもすべてアウト! ビジネスマンはどうしているのでしょうか? それに比べると、食事もワインもそろっているので、これは使えます。

Image1Image2_2

フィンエアのいいところはもう一つあります。所要時間が9時間少々と、短いこと。フランクフルトやパリ、ロンドンより1時間半も短いので、疲れ方が違います。シートも当然フルフラットですし、エンタテインメントもアリタリアより充実していました。食事もかなりレベルが高いように思えます。何より、デザイン大国だけあって、食器(カップや皿)も紙ナフキンもMARIMEKKOが使われていました。そういえばスリッパもやはりMARIMEKKOで、洒落ています。当然、テイクアウェイです(笑)。


午後2時にはヘルシンキに到着し、空港からはバスで市内へ。中央駅近くの停留所で降りたのですが、ホテルに行くのに難儀しました。10年前に来たときの記憶はまったく役に立ちません。そもそも、10年前はストックホルムからシリヤラインのクルーズ船でヘルシンキ入りしたので、港だったのです。そこからホテル(今回と同じホテル)まではタクシーでした。

さて、中央駅のすぐ近くなのは間違いないのですが、地図がわかりにくいというか、道もまっすぐになっていないため、自分たちのいる場所が駅に対しどのような位置にあるのかがなかなかつかめません。地図を手にしながら思案投げ首。ようやく、方向が決まったと思い歩き出したら、これが逆。また元の場所まで戻り、やっと正しい方向に動き始めることができました。

ところが、道が石畳のため、スーツケースの重いこと、重いこと。思うように転がってくれないのです。結局、バスを降りてからホテルにチェックインするまで30分以上かかってしまいました。どのガイドブックにも共通しているのですが、距離は短くても、石畳の道が続いていたり、実はえらく高低差があったりといった情報はきちんと書かれていないのがほとんど。事前にかなり気合を入れてチェックしておかないかぎり、こうした目に遭うリスクを覚悟しておく必要がありそうです。


いつもと同じく、部屋に入るとすぐノートPCに向かいます。翌日はヘルシンキから船で2時間ほどで行ける対岸のタリン(エストニアの首都)に行こうと、日本を出発する直前に思いついたので、ネットでチケットを予約しようとしたのですが、なかなかうまく行きません。フロントまで行ってホテルのスタッフの手を借りたのですが、最後の支払いの段で暗礁に。ネット予約は結局あきらめ、「明日、早目に港まで行けばいいんじゃないか」と決めました。

夕食はホテルの近くでということで、周辺を探しがてら歩いていたら、まあまあお客の入っている中華料理店があったので、そちらへ。歩いていて気づいたのは、中華の多いこと。ここにもやはり、中国人がたくさん来ているのでしょうね。

L1030389

アリタリア航空の乗り継ぎとなると心配ですが……

2015年7月3日
帰りはボローニャ空港からローマ乗り継ぎのアリタリア便。バゲージがちゃんと成田まで着くかいささか心配ですが、そんなことを気に病んでも詮ないこと。空港はまだできて間もないようで、とても清潔。何よりコンパクトなのがありがたいです。

L1030352
この町で生まれた発明家グリエルモ・マルコーニにちなんで、「マルコーニ空港」といいます。マルコーニは無線電信の開発で知られ、ノーベル物理学賞も受賞しています。また、1912年のタイタニック号遭難の際、同乗していたマルコーニの無線電信会社の社員が救難信号を送信したことでも有名になりました。空港に、こうした人の名前をつけるのはいかにも欧米らしさが感じられ面白いですよね。

ローマの乗り継ぎで1時間半ほど遅れての出発になりましたが、はたしてバゲージの運命やいかに……。

ボローニャで眺めた美しい満月

2015年7月2日
L1030322イタリアの旅も今日が実質的に最終日です。町の中でまだ行っていないところがいくつかあったので訪問することにしました。最初は世界最古の大学ともいわれるボローニャ大学。1068年にできた大学で、世界で初めて人体解剖がおこなわれた部屋もあります。

L1030328
ただし、こちらは旧校舎(アルキジンナージォ宮)のほうで、いまの校舎とは別の場所。新校舎といっても200年近く前にできたシロモノですから、実際この目で見ると、日本の建物とは風格がまったく違います。

大学の前にベルディ劇場があるとか、劇場の斜向かいには聖チェチリア礼拝堂(聖チェチリアは音楽の守護聖人)、1267年創建のサン・ジャコモ・マッジョーレ教会、さらにすぐ近くにロッシ-ニ広場があるとか、どこに行っても、「これはかなわないな」という気持ちになります。とくにサン・ジャコモ・マッジョーレ教会の壮大さ、内部の壁画の数々には度肝を抜かれました。


L1030297そこをあとにして、ボローニャ滞在3日目にしてやっと「斜塔 (アシネッリの塔とガリセンダの塔)」とご対面です。かつては100本ほど建っていたという塔も、いまではこの2本だけとか。高いほうのアシネッリの塔は上まで階段で昇れるそうですが、とてもそんな元気はありません。下から眺めるだけで十分。「斜塔」とはいうものの、観る場所によっては斜めに傾いていることに気がつきません。でも、ボローニャ大学の新校舎から歩いていくと、それがよくわかります。

L1030308

斜塔のあとは、「何はなくともマッジョーレ広場」に向かい、その近くでランチ。この日はワインバーの屋外テーブルで。またまたGOODでした。このあたり一帯はマーケットがあり魚介類の匂いがぶんぶん漂っています。家人はおみやげ用にパスタを何袋か購入していました。さらに、近くの老舗チョコレート店「Venchi」(1878年創業)でもいくつかを。ちょうどシエスタタイムになったのでホテルに一度戻ります。ちなみに、この日も35℃近くあったでしょうか。

L1030312

夕方涼しくなったころを見計らって、また外に出ます。ボローニャをその昔流れていたという運河をのぞき、インデペンデンツァ通りから2本裏の通りをマッジョーレ広場方向へ。こんな通りにもけっこうお店やホテルがあるんですね。ただ、店はだいたいがクローズしている時間帯だったのでもっぱらウインドーショッピング。そして、最後の夕食に選んだのは、これまた当地在住の方の推薦店の1つ「Ristorante Da Nello al Montegrappa」。これがまた超ハイレベル(値段ではありませんよ!)の店。私たちが入って30分もしないうちに満席になりました。客のほとんどが地元の人のようで、このあたりもいい雰囲気です。

有名な「ボロネーゼ」は、肉をベースとしたパスタソースかと思っていましたが、ここでは「タリアテッレ・アル・ラグー(Tagliatelle al ragu)」のことのようです。

L1030339L1030340

ホテルに戻ったのは9時前。まだまだ外は明るいのですが、これくらいの時間から一気に暗くなり、10時には正真正銘の夜。この夜は満月で、何年か経って「あの日ボローニャで眺めた月が……」なんて口ずさむ日が来るかもしれません。それほど美しい月でした。

L1030276
ボローニャの古さはローマともヴェローナとも違い、暗くてほこりっぽい感じが特徴なのではないかという気がします。歩道のほとんどがポルティコで覆われていることによる暗さも影響しているのかもしれません。実際、建物はどれをとっても数百年経っているものばかり。ローマはときおり新しい建物もあり、道も広くてわかりやすいですし、ヴェローナは街全体に多少新しさも感じられます。しかし、ここボローニャは中世そのままといった印象が非常に濃厚。後世の人が手を入れた痕跡が薄いというか。紀元前9世紀には人が住み始めていたというのですから、それもむべなるかなでしょう。

初めての町は、乗り降り自由の周遊観光バスで

2015年7月1日
昨日で1年の半分が終わってしまいました。ボローニャの2日目、まずは、昨夜の「合意」に従い、行動を縮小することに。暑い時間帯はシエスタ(昼休み)にしようと。朝食後、まずは駅前へ。町の主だったところを回る観光遊覧バスに乗ることにしました。

L1030269出発場所を探すのに手間取りましたが、駅前でタクシーの交通整理にあたっている人に確かめ、ようやっと見つけました(それでも、最終的には50メートルほどずれていましたが)。定刻から15分遅れで到着した2階建てバスに乗り込み、日本語のイヤホンガイドを聞きながら、1時間30分かけて町の中をめぐります。町のイロハを知るにはこれがいちばんいいんですね。出発してすぐ、私たちの泊まっているホテルの斜め向かいの小さな広場にまたまたガリバルディの像が建っているのが見えました。イタリアはなんだかんだいっても、ガリバルディあっての国なのです。

ボローニャは中世そのものの町なので、それでも乗っている最中は目が離せません。「ここは紀元前6世紀に……」「西暦1100年にだれだれが……」という言葉がイヤホンの奥から次々と流れてくるので、そのたびに右を見たり左を見たり。たしかに町全体が世界遺産だとはいえ、あまりの古さには驚いてしまいます。

午後1時過ぎにマッジョーレ教会の脇でバスを降り、ランチ。これまでと同じように屋外にテーブルを並べている店です。今日も正解でした。3時になったのでホテルまで戻り、6時まで部屋でシエスタです。33℃か34℃はあるでしょうから、当然といえば当然かも。

夜は、フィレンツェにいる元社員で、いまも仕事をお願いしている女性のダンナさんから手に入れたグルメ情報をチェックし、ホテル近くにあるレストラン「VIctoria」へ。うまかった! です。どこの店もさほど大外れはないのでしょうが、今日はかなり高レベルです。シーフードリゾットがおいしいとのことでしたが、もう1品のボローニャ風カツレツもGOODでした。

L1030275
L1030272L1030271_2

 

デセンツァーノからボローニャへ

2015年6月30日
早朝からホテルの前の道路一帯にワゴン車やバンが行きかっています。何かと思ってベランダから見てみると、どうやら「市」が立つ様子。朝食のため1階まで降りていくころには道路の左右いっぱいに店が並んでいました。

L1030196朝食はこれまでで最高の雰囲気のレストラン。内容はほとんど変わりありませんが、グレードが2段階くらいアップしている感じです。真っ黄色のスクランブルエッグ。コーヒーも泡が立っていて一見カプチーノ風(でも、ミルクも生クリームも入っていません)。ハムもおいしいこと、この上ありません。腹ごなしに「市」をのぞきに湖岸沿いをゆっくり散歩。アクセサリー屋さんがあり、家人はネックレスを買いました。

L1030200デセンツァーノは、観光スポットがたくさんあるわけではありません。欧米では当たり前なのでしょうが、数日滞在してゆっくりする場所です。ただ、こういう時間の使い方は、私たち日本人にはなかなかできません。イタリアに来る前に新聞で、旅行会社の広告に「北海道9日間滞在」と謳ったプランが出ているのを目にしました。行きと帰りのフライトが決まっていて、あとはすべてフリー。食事も現地で決めればOK。レンタカーを借りて出かけるもよし、旅行会社が手配したヨガとかウォーキング、写生ハイキングなどさまざまなプランに参加するのもよしといった中身です。こういうスタイルの休暇が定着すれば面白いでしょうが、どうかなぁ……という気もします。

さて、チェックアウトを済ませ、出発までの間、ホテル近くの教会や城をのぞいたあとデセンツァーノ・デル・ガルダの駅前でお茶(といっても実際はビールですが)。午後2時前の列車で最終目的地ボローニャに向かいます。途中、ヴェローナで特急に乗り換え、トータル1時間45分ほどで到着。

L1030218

ボローニャの駅は大きな駅です。私たちが下車したホームは地下3階くらいでしょうか。そこからエスカレーターで地上に出て、やっとのことで駅前の広場へ。旅行案内所がクローズしているようで、仕方なく警官にホテルの場所を聞きました。歩いていけそうなところだとわかり、スーツケースを転がしながら6、7分で到着。時間的にいちばん暑い時間帯だったので、それだけでもけっこうこたえます。

予約しておいたホテル(Hotel Internazionale)はインデペンデンツァ通りに面しているのでわかりやすく、部屋もこぎれい。ガイドブックでボローニャのページを開くと、かならず「マッジョーレ広場から歩いて」とか「マッジョーレ広場を目標に」ウンヌンというフレーズが出てきます。つまり、この町を歩くときは「何はなくともマッジョーレ広場」ということなのでしょう。私たちも夕方、ホテルの前のインデペンデンツァ通りを10分ほど歩いてマッジョーレ広場まで行ってみました。

L1030241強い日差しの中でしたが、この町は主だった歩道がすべてポルティコ(要はアーケードですね)に覆われているので、それが救いです。広場に着くと、周辺が道路工事や建物の修復工事のためほこりっぽい感じはしますが、それでも人がいっぱい。6月の中旬から、連日「野外映画会」が上映されているらしく、広場にはパイプ椅子が並べられていました。私も小学生のころ何度か経験しましたが、なつかしいですね。ポスターから察すると、明日は『カサブランカ』のようです。

L1030247L1030251_4帰りに夕食をと思いましたが、適当な店がなかなか見つかりません。ホテルの近くで小さな店があったので、そこに入りました。路上にもテーブルを並べてある、こちらではごく当たり前のスタイルです。それが3軒並んでいたのですが、不思議なことに、客の入り具合にけっこう差があります。ウエイターが片言の日本語で「いらっしゃい、日本語メニューあるよ」とかなんとかいいながら声をかけてくるところはパス。やはりスタッフが忙しそうに動いているところのほうが安心です。

この夜入った店も、道路寄りの空いているテーブルを所望したところ「予約のお客で」と断わられ、奥のテーブルになってしまいましたが、それでもあっという間に満席に。それからすると、この店を選んだのはどうやら間違いなさそうです。実際、タルタルステーキをおいしく食べさせてもらいました。さすが「肥満都市(ラ・グラッサ)」という異名を持つ町だけのことはあります。

ボローニャはほかにも「学問都市(ラ・ドッタ)」とか「赤い都市(ラ・ロッサ)」というニックネームがあるといいます。「赤」は中心部の歴史地区に軒を並べる家々の屋根の色を指していますが、第2次世界大戦後から1999年まで、この町が社会主義・共産主義の牙城であったことにも由来しているようです。

食事中、家人との話題は、長期の旅行がだんだんしんどくなってきていること。寄る年波というといささか早そうな気もしますが、やはり若い時分とは体そのものが変化してきているのは否めない、今日も朝から、明日も何時にどこそこへといったスタイルの旅はそろそろ変えなければ……ということになりました。限られた日数なので、ついつい毎日さまざま詰め込もうとするのですが、そうしたパターンにそろそろ終止符を打たなければならなくなってきたということでしょうね。でも、これがなかなか……。悲しいかな、貧乏根性がしみついてしまっているものですから。

9月の初めからは、30日間のアメリカ・イギリス旅行を予定しています。まだ、航空チケットをおさえてあるだけですが、行先は最低でも、ロサンゼルス、ニューオーリンズ、ニューヨーク、ラスベガス、ロンドンといくつかあります。イギリスではラグビーW杯を3試合観戦することだけが決まっているのですが、途中、観戦予定のない日があり、そこをどうするかということであれこれプランを練っていました。ずっと果たせずにいたスコットランド周遊も、その気になれば可能です。南部のバースやソールズベリ、コッツウォルズ地方を全部観てまわるといった選択もあります。

ただ、団体ツアーと抜本的に違うのは、すべてが自力手配なので、行動も自力になります。重い荷物を転がしながらの移動、観光スポットも、地図と首っ引きしながら自分で探す……など、手間がかかるわけですね。もちろん、それはそれで楽しみではあるのですが、家人のほうはだんだん辛くなってきたということなのでしょう。