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軍事パレード間近で天安門の周辺は厳重警戒

2015年8月29日
北京もいよいよ今日で最後。帰国便は16時40分発なので、それまではゆっくりできます。そこで、天安門広場まで行ってみることにしました。

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さすがこの周辺は警備がことのほか厳重で、目の前にテレビの画面で見慣れた天安門が見えるのですが、そちらには渡っていけないようになっています。門の前の広場には軍事パレードの観覧席やイベント用なのでしょう、巨大な造作物があります。そうしたものを観ながら南に降りていこうとしましたが、これがストレートに渡れず、別の道を迂回しなくてはなりません。地下道を渡るのですが、階段を下りていくとまた所持品検査の列が……。いい加減イヤになってしまいますが、そこを通らないと目的地までは到達できないので、仕方なく従います。

ようやく「前門(正陽門)」という巨大な門があるところまで行ったあたりでランチタイムに。今年は日本との戦争が終わって70年という区切りでしょうか、「隆重紀念中国人民抗日战争 暨世界反法西斯战争胜利70周年」と書かれた看板があちこちに立てられていますし、『誘狼』『百団大戦』などという戦争映画も公開されているようです。といって、中国の人たちが私たち日本人に冷たい視線を浴びせるわけではありませんよ。

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L1030702_2そうした看板を横目に見ながら「前門大街」というちょっとレトロな雰囲気の場所を歩きました。中国風の建物に入ったスターバックス(中国では「星克巴」と書く)の店があったので、そこでひと休み。さすが、2時間も外にいると、汗びっしょりになります。そのあと、近くの大衆中華といった雰囲気の店で食事を済ませ、タクシーでホテルに。荷物を受け取りタクシーに乗りましたが、時間が夕方のラッシュが始まる前だったせいか、予定より早く到着。4泊5日の北京旅行もこれにて終了です。


「万里の長城」は2万2千キロ、ボルトの金は100メートル

2015年8月28日
さて、今日は今回の観光では目玉となる「万里の長城」ツアーです。朝、ホテルのロビーでガイドとドッキングし、一路車でGO。1時間ほどで到着しましたが、駐車場から長城の入り口まではけっこうな距離の上り坂を歩きます。日差しも強い中、懸命に歩きました。ガイドからコースの説明(初心者向けと健脚者向けの2つあるのです)を受け、迷わず初心者コースへ。

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L1030630しかし、「初心者」にとっても、けっして楽ではありません。見かけよりはるかに傾斜がきつく、しかも歩いても歩いても、最高地点までは着きません。全行程の半分ほどのところで、時間もかなりおしてきた感じがした(半分は弁解ですが)ので、長城のすぐ脇を降りていく別のルートを戻りました。午後に行っていたらもっときつかったにちがいなく、朝に歩いたのは正解でした。端から端までは、なんと2万2千キロもあるそうで、東端(河北省山海関)は黄海に面しているとか。たしかに、北にいる異民族(=匈奴【きょうど】)の侵入を防ぐためのものですから、漏れなく築かなくてはならないのはよくわかるのですが。よくもまあ、こんなシロモノを中国全土に作りあげたものだと感心しました。

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午後早くに現地を出発、ホテルには3時過ぎには戻ってこれました。今日もまた、地下鉄で「鳥の巣」まで。そうそう、北京では地下鉄に乗るにも手荷物検査があります。世界陸上の開催中だからとか軍事パレードが迫っているからといったことではなく、日常的におこなわれているとのことです。それはそれとして、ウサイン・ボルトの100メートル金メダル獲得の瞬間をこの目で見られたのが最高でした。「万里の長城」の22万の1の距離ですが……。今日は昨日よりさらにスムーズにホテルまで戻れました。

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中国の人たちが読んでいる旅行ガイドブック

2015年8月27日

L1030604_2この時期、たまたまですが、9月の初めに天安門広場で軍事パレードがおこなわれるとかで、「故宮」がクローズされています。残念ながら今回は見送らざるを得ず、日程を調整の上、今日は北京最大の繁華街「王府井【ワンフーチン】」に行きました。地下鉄の駅を上がると、中国銀行と北京飯店があり、その2つにはさまれ北に向かう道路の両サイドに有名な店が並んでいます。その一つに大きな書店がありました。

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ビル丸ごと書店という中に入って、最近日本にいちばん多くの観光客を送り込んでいる中国の人たちがどんなガイドブックを読んでいるのか、のぞいてみました。すると、台湾でもそうでしたが、旅行書のコーナーには大変な数の本が並んでいます。『地球の歩き方』の中国語訳(かどうかはわかりませんが、装幀はそっくり)もほとんど全部がそろい、その充実ぶりはハンパではありません。「なるほど、こういうのを読んでくれば、日本のどこに行っても中国人の姿を見かけるはず」と納得したしだい。昼食は5月に来たとき連れていってもらった「東方餃子王」で。

夕方からは「鳥の巣」ですが、今日は昨日の“学習成果”をもとに地下鉄で行きました。その成果でしょう、行きも帰りもほぼ余裕。入場券とセットになっている食事はそれほどのレベルではありませんが、ボランティア・メンバーの手厚いケアもあり、心地よく過ごせます。今日も日本選手の活躍は見られないままでしたが、ウサイン・ボルトの走りをほぼゴールの真上で観られたのが救い。

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本場北京で食べた北京ダック、安~っ!

2015年8月26日
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午前中は、清の時代、西太后が夏の別荘として利用していた頤和園【いわえん】に行き、あまりのスケールの大きさに度肝を抜かれたあと、昼食はJさんご推薦の「大菫」という店で烤鴨(北京ダック)を食べました。かの有名な「全聚徳」にいた人が独立開業した店だそうです。値段がそちらよりはるかにリーズナブルなため好評なようで、数年のうちにいくつもの店舗を開業するまでになったとか。私たちが行ったのは南新倉文化レジャー街の一角にある店でしたが、お洒落な空間が魅力的、もちろん味も素晴らしく、しかも、ウソみたいに安かったです。

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ホテルに戻り着替えたあと、タクシーで「鳥の巣」まで。ただ、「鳥の巣」の真ん前までは行けず、比較的近いところでおろされました。しかしそこからが大変で、入り口を探すのに右往左往、中に入るまでに1時間。この日の競技で日本人選手が出場するのはヤリ投げでしたが、日本はまったく不振で、優勝したのはなんとケニアの選手でした。伝統的にこの種目に強い北欧の選手を押しのけての優勝ですから、快挙といっていいでしょう。ホテルには地下鉄を乗り継いで帰りましたが、駅がどこにあるのかなかなかわかりません。しかたなく、「最近地鉄站?」とボールペンで書いたメモ用紙を警官に見せて教えてもらったのですが、それも実はウソで、結局人の流れについていってようやく見つけました。

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ホテルの近くを流れる川で水泳にはびっくり

2015年8月25日

L1030509世界陸上の観戦も今回で6回目。2005年のヘルシンキが最初ですから早いもので10年になります。朝9時10分・羽田発のANA便で北京に出発しました。北京は今年の5月に行ったので私は2回目、家人は初めてです。5月も8月も、PM2・5の心配は無用。ただ、今回はかなり暑いのではないか、心配はそれだけです。

北京国際空港には4時間で到着。空港からは道路の渋滞を避け、地下鉄でホテルまで行くことにしました。高校時代の友人で、ついこの3月までこちらで日本企業の中国現地法人社長を務めていたYくんが教えてくれた崑崙飯店です。空港からも遠くなく、世界陸上がおこなわれる「国家体育場」(=「鳥の巣」)もわりと近いので、ここに決めました。機場線と10号線を乗り継ぎ亮馬橋駅までは1時間足らずでしたが、駅から地上に出るのがややこしく、ホテルもすぐにそれとはわかりにくかったためもたついてしまいました。4つ星ですが、日本人のビジネスマンには好評のようです。周辺に日本企業の現地法人や支店・営業所が多くあるからでしょう。


L1030512北京にしては珍しく緑の多い場所、しかも川沿いに立っているホテルで、私たちの部屋の窓からもそうした風景が見えます。夜までたっぷり時間があるので、さっそく周辺を散策してみました。夏休み期間とはいえ、今日はウイークデー。でも、泳いでいる人や釣り糸を垂れている人がけっこういます。「水深危険 禁止遊泳 垂釣 滑氷」と書かれた掲示板が立っているのにです。よく見ると、リタイアした男性ばかり。中国人の行動の一端が垣間見えるような気がしました。

L1030517川の向こう側にはオランダ、デンマーク、スイス、タンザニア、イラン、アルゼンチン、メキシコ、ナイジェリアなどの大使館やシェラトンホテル、道路の向かい側には日本始め内外の大企業が入っている大きなオフィスビルやウエスティン、ケンピンスキー、ヒルトン、フォーシーズンズといった5つ星のホテルもあり、場所的には安全なのでしょう。ただ、東京の大使館密集エリアのようなあか抜けた雰囲気はまったくありません。真っ昼間から川で泳ぎや釣りを楽しんでいる人がいるのですからね。

6時過ぎ、5月に来たときもお世話になった中国人ビジネスマンJさんがロビーまで迎えに来てくださいました。車に乗り、近くの「鼎泰豊」北京支店に。名物の小籠包や鶏スープ、炒飯(どれも皆、台北の本店よりレベルは上かも)をいただき、そのあと、故宮の北西に位置する北海公園を散策しました。5月のときと同様、多くの人でにぎわっています。まして、いまは8月。街の真ん中にこれほどの池(北海)があれば、だれだって夕涼みに行きたくなるでしょう。もともとは、橋でへだてられた中海とともに宮廷の庭園でしたが、明の時代、そのさらに南側に南海が作られました。ロシアの「クレムリン」、韓国の「青瓦台【せいがだい】」と同じく、中国で「中南海」といえば、権力中枢の代名詞にもなっていますが、それはこの一帯に中国共産党中央書記処があるため。ただ、北海だけは一般市民にも開放されているというわけです。

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利用価値の高そうなフィン航空ヘルシンキ空港

2015年8月6日

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P8060641P8060644ロシアツアーの途中ですが、7日に京都で仕事がある私は、家人とともにひと足先に帰国します。モスクワのシェレメチェヴォ空港からからヘルシンキ経由で関空へ。ヘルシンキ空港はハブ空港にしてはコンパクトですが、居心地のよさではハイレベルです。喫煙スペースは広く、しかも美しく、思い切りくつろげます。それより何より、空港のサイズがちょうどころあいというか、動き回って疲れることがありません。高級ブランドが軒を並べている国際空港を期待している人にとってはフラストレーションを感じるかもしれませんが。

ただ、私たちが到着してしばらく経つと、どんどん混み合ってきました。出発便が集中する時間帯に入ってきたのでしょう。4時間後、ヘルシンキを発つフィンエアで一路関空へ飛び立ちました。日本・ヨーロッパを最短距離・最短時間で結ぶ路線だけに、この先も利用価値がありそうです。

モスクワ大学を見学

2015年8月5日

今日の午前中の目玉はクレムリン。なかでも武器庫は出色の施設で、古今東西の武器や兵器、衣服・調度品、乗り物などが所狭しと並べられていました。2年前もそう思いましたが、全部をゆっくり見てまわると、まる1日はかかりそうです。

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ここで思わぬアクシデントが発生しました。ツアーに同行している女性2人が忽然と姿を消してしまったのです。それも60代後半と70代半ばの方ですから、私たちはびっくり。最初は全員で探し回りましたが、そのうち次の訪問先を訪れる時刻が迫ってきたので、やむを得ず中断、添乗員一人を残して、とりあえず腹ごしらえに行きました。


場所はボリショイ劇場の斜め前、マルクスの像が立つ広場の奥にあるレストランです。ここの店もまた、いかにもいった感じのする風格があり、おそらくはだれか高貴なる方のセカンドハウスかなんかだったのかもしれません。

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そのあとモスクワ大学に移動し、本館の28階へ。スターリン建築と呼ばれる建物の一つで、えらくお金がかかっている建物です。

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28階からのながめはすばらしかったです。そこからさらに32階まで上がると、そこは小さな会議場というか、イベントスペースです。通常はなかなか入れないそうで、今回はE団長の人脈でここまで足を踏み入れることができたようです。

P8050625それにしても、この大学の広さといったら、想像を絶するものがあります。しかも、敷地の半分以上はまだ手つかず。さて、大学を出てしばらく経ったころ、行方不明だった2人が見つかり無事保護されたとのニュースが届き、バスの中は大拍手。誰もが胸を撫でおろしました。

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ホテルに戻りPCを開きニュースをチェックしてみると、、東京は異常な暑さのようで、1週間連続で猛暑日だとか。正直、その期間にこんな涼しいところにいられてホントよかったと思いました。それにしても、訪問団の団長Eさんも添乗員さんも胆を冷やしたことでしょう。

王様と貴族が作った町はやはり違うようです

2015年8月4日

P8040525_2午前中はサンクトペテルブルクのメインストリート=ネフスキー大通り周辺の散策。最初は、「創業は1848年。当地の上流階級のために建てられたアーケード街」(『地球の歩き方』)=パッサージュに行きました。午前中、しかもどの店も店を開けて間もないとあって、中はガラガラ。それでもかなりいい雰囲気の空間で、ゆっくり楽しめました。そのあと、近くのホテルヨーロッパでお茶をしたのですが、メニューがアイパッド風で、びっくり。

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さすが、世にいう“グランドホテル”だけあって、建物はそれに恥じない風格で、玄関のドア周辺も、いずまいを正さずにはおけない威厳があります。ドアマンの顔つきもきりっとしていました。中のデザインも余裕があるというか、落ち着きに満ちており、外の喧騒を忘れさせてくれます。

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P80405431時間ほどゆっくりし、再び集合。ランチを食べに移動します。今日は、サンクトペテルブルクの貴族の屋敷を改造した店だそうです。私たちが食事をした1階はそれほどでもなかったのですが、帰りがけ、1階の玄関近くにいるガードマン風の男性が、ドアのすぐ横にある小さなプロジェクターを指差し、「これを見ていけよ」といっている様子。そこで画面に目をやると、絢爛豪華な内装の部屋が映し出されています。「2階はこうなっているんだぜ」と自慢顔を見せるガードマン。たしかに、エカテリーナ宮殿も顔負けの部屋で、なるほど、貴族のお屋敷だったことがよくわかりました。

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ランチのあと、3時過ぎ出発のモスクワ行き特急に乗るため駅に急ぎました。その名もモスクワ駅。ロシアでは行き先がそのまま駅の名前になっていることが多く、私たちが着いたのも「モスクワ駅」でした。

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P8040557夜7時過ぎに(モスクワの)レニングラード駅(ややこしいですね)に到着し、バスでホテルに向かいます。今回は中心部からかなり離れた場所にあるようで、ラッシュとも重なったため、1時間ほどかかりようやく到着してチェックイン。すぐに食事でしたが、これがいまイチ、いないま2の感じですかねぇ。食後すぐにホテルの敷地内にある24時間営業の店に駆け込み、バナナやらカップ麺を買いました。夜中にお腹がすいて眠れなくなっては困りますので。備えあれば憂いなしです。

ホテルの周囲は再開発が進んでいるらしく、大々的な道路工事の真っ最中。部屋の窓からどの方向を見ても、どこかしら落ち着きを欠いている様子が見て取れます。去年も同じホテルに泊まった人の話を聞くと、状況はほとんど変わっていないとのこと。中国に比べると、建築・土木の工事はゆるりとしている感じです。

エカテリーナ宮殿の前で「君が代」とは!

2015年8月3日

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午前中は「ネヴァ川+フィンランド湾」のクルージングです。といっても、ポンポン船のような船ですから、甲板に上がったりしたの船室に降りたり自由自在で、気楽なものです。前回は行かなかったペトロパヴロフスク要塞のある島をぐるっとまわる大回りのコースでした。この大きな川と湾が、冬になると全部凍りついてしまうというのですが、とても想像できません。

P8030418ランチを終え、バスでエカテリーナ宮殿まで行きます。入口手前の路上に4人編成の楽隊が立っていて、国歌「君が代」の演奏でお出迎え。もちろんチップを払ってあげました。私たちの前では中国人の団体を前に「義勇軍行進曲」を演奏する楽隊もいました。い合わせた中国人のほぼ全員がそれに合わせて歌っています。なかには指揮を執る人もいました。

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P8030477_2宮殿内は相変わらずの人、人、人です。「琥珀の間」に一同、大感動。そちらをあとにし、市内に戻りました。ランチは午後2時からと遅めのスタート。食べ終えるとバスでペトロハヴロフスク要塞へ。いまは造幣局として使われているそうです。中の教会がたいそう立派で、ニコライ王朝歴代の皇帝、王妃の棺が安置されていました。

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ロシアの教会はとにかく、金(ゴールド)が好きなようで、ここもまた中はそこかしこに金箔がほどこされていました。ロシア正教というのは、キリスト教のなかでもどんな位置にあったのか、一度学んでみたくなりました。

夕食は7時から。前回当地を訪れたときランチをした店「1913」でした。夕食を済ませると、今回のツアーを主催しているNPO法人「日ロ創幸会」代表理事のEさんが、畏友・ヴォロビヨヴァ女史のご自宅を表敬訪問するというので、同行させてもらいました。女史は、「人に善をなすことを教え、助け合うこと、思いやりを持つこと、自分を磨いて向上させていくことを重視する」法華経の研究で名を成した方で、「法華経研究の母」ともいわれているそうです。80に近いお歳にもかかわらずすこぶる元気。「博士」といってもたいそう庶民的な方で、通訳をされていたロシアの女性も、その人柄に心を打たれたようでした。

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中国人であふれるサンクトペテルブルクのホテル

2015年8月2日

朝食バフェットの中国人の多さには度肝を抜かれました。しかも、ほとんど全員がポット持参。食事が終わると、ジュースやコーヒーをそれに入れて出ていくのです。

P8020253今日はまずエルミタージュ美術館です。10時前には美術館前の広場に到着。まだ林せいか、本当ならズラリと並んでいるはずの観光バスが1台も見えません。というか、今日はロシア軍特殊部隊(かの有名なスペツナズですね!)の何やらの記念日らしく、一般車両の駐車が禁止されているようなのです。その代わり、街宣車が1台止まっていて、それが耳をつんざくような軍歌をずっと流し続けていました。

P802030610時30分に入場し、ガイドさんの案内で館内を回っていきます。同じツアーでも、ガイドさんによって、その中身の充実度が大きく変わりますが、今回は大正解の人。なんでもサンクトペテルブルクのどこかの大学で教鞭を取っている(民俗学だとか)方のようで、とにかく博識なこと。しかも、それをいやみを感じさせずに話してくださり、前回観たときとは格段の内容でした。日本語も巧みで、ダジャレまでいえるくらいでしたから、かなりの語学力といっていいでしょう。

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エルミタージュを見終えるとランチ。前回来たときも訪れたレストランでした。そのあとはペテルゴーフの「夏の宮殿」です。「夏の宮殿」は、サンクトペテルブルクの中心部から30kmほど西、フィンランド湾の南岸にあり、宮殿と庭園ピョートル1世の命により当時の先端技術をふんだんに投入して建設されたものです。前回はエルミタージュ美術館近くの船着場から水中翼船で行ったので35分で到着しましたが、今回はバスでの移動。小1時間ほどかかりました。

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Img_0510ペテルゴーフ宮殿の建設は1714年、ピョートル大帝から始まり、1723年に完成したそうです。噴水がここの名物ですが、電力などは一切使われていません。ひたすら、標高差だけを利用しているというのですから、驚くしかありません。

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この日はかなりのハードスケジュールで、夜は地元の「日本に関心を持っている人たちの会」(正式の名称はわかりません)との交流会が催されました。場所はホテルからはちょっと離れたところにある中華料理店「ニーハオ」。えらく大きな店で、入り口を入って左側はカフェバー風、右側は普通のレストランになっていて、今日は私たちでそちらを貸切りといった感じです。

私たちとは別に20人近くの人が集まりました。日本人もいますが、ロシア人もほとんどが日本語ペラペラ。宴たけなわといったタイミングで、予定していた盆踊り大会に。東京から持参した「大東京音頭」と「キヨシのずんどこ節」の2曲が入ったDVDから流れる曲に合わせ、総勢40人ほどで盛り上がりました。私と家人もとっておきの浴衣に着替え、楽しみました。

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踊りのあとは、6つの丸テーブルすべてが一段とにぎやかに。全体的には日本人が3分の2を占めましたが、3分の1のロシア人の存在感も強烈。それというのも、皆、日本語がペラペラなのです。日本のアニメを見て日本に興味を持ち、それがきっかけで日本語を勉強し始めた人が多いのには驚きました。話には聞いていましたが、アニメの影響力はすさまじいものがあります。いま流行りの言葉でいうと「クール」なのでしょうが、それがどうにも理解できません。やはり年齢のせいかも……なんて思うと、ガックリきてしまいました。

交流会が終わったの時はもう9時をはるかに回っていました。店から歩いて10分のところが最寄りの地下鉄駅。地下に潜ってさらに3、4分歩くと。やっと切符売り場があり、そこから降りること、70mほどでしょうか。ホームにたどり着きました。そこからひと駅乗って乗り換え。そのために3、4分歩き、乗り換え駅へ。そこからひと駅乗って、ホテルの近くにあるマヤコフスカヤ駅で下車。店を出てから小1時間は経っていたのではないでしょうか。

60年以上も前のオリンピック・スタジアムに感動

2015年8月1日
今日は日中がヘルシンキ市内観光に充てられています。10時過ぎに出発、まずはオリンピックスタジアムへ。10年前、私たちが世界陸上の観戦に行った場所ですが、そのときは2日間とも夜でした。しかし、明るいところで見るスタジアムは、まったく趣が違います。スタンドにだれもいないせいもあるでしょう。

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このスタジアムは1952年のオリンピックのために造られたとのことので、とても質素に造られています。観客用のイスも木製です。当時のこととて、プラスチックがほとんど使われていません。木、石、鉄、あとはガラスくらいなものでしょうか。東京の新国立競技場のように2300億円かかるとかかからないといった話が、絵空事のように思えます。これで十分なんじゃないのと、改めて思いました。

それより、古いから、世界中からやってくる観客を「お・も・て・な・し」するには、デザインにもお金をたっぷりかけて豪華に……という発想に疑問を抱いてしまいます。このヘルシンキのスタジアムは観光スポットにもなっているのですが、フィンランドという国を通じて見た「オリンピック」というものを考えさせる工夫が随所にほどこされていました。

「フィンランドとオリンピック」との関わりで思い出すのは、日本の村社【むらこそ】講平という、宮崎県出身の小柄な(162cm・50㎏)陸上長距離選手のことです。もちろん、実際に見たわけではなく、子どものころ読んだ本に書かれていた話です。

村社は1936年のベルリンオリンピック陸上5000mと10000mに出場しました。10000mで、ラスト1周のところまでトップを走っていた村社をいとも簡単に抜き去っていったのが、1位になったサルミネンなどフィンランドの3選手。結果は同国のワンツースリーで、村社は4位に終わってしまいました。このときの模様はレニ・リーフェンシュタールの映画『民族の祭典』にも描かれています。

この映画を観て感銘したチェコスロバキアの少年が、のちに“人間機関車”の異名を取ったエミール・ザトペック(チェコスロバキア)です。ザトペックは、1948(ロンドン)の10000mで金メダルに輝きましたが、1952年のヘルシンキ大会では5000m、10000m、そしてマラソンでも金を取るという、いまでは考えられないような離れ業を成し遂げています。

P8010137オリンピックスタジアムをあとにして向かったのがシベリウス公園。家人は、この国が生んだシベリウスに敬意を表し、出発前にわざわざCDまで買ってその作品(『交響曲フィンランディア』)を聴いてきたとのこと(ただ、暗~い曲で途中でやめたとも)。公園は、その曲とはうって変わって、明るい日差しに満ちた素晴らしい場所です。もちろん、フィンランドの象徴である森がたっぷりあって、気持ちよく歩けました。

P8010146次に行ったのは、岩盤の中に造ったというルター派の教会です。中央駅からさほど遠くない住宅街の一角にあり、岩盤でできた小さな丘をくり抜いた中が教会になっています。側面の上のほうにガラスがはめ込まれていて、自然光が入り込むようになっているので、けっこう明るく感じます。世界各地から年間数十万の人が訪れるこの教会、音響効果も優れているらしく、コンサートホールなども開かれるそうです。


P8010181このあとランチは、昨日も訪れた、駅近くのFORUM。ただし、今日は別の建物の中にあるフィンランド料理の店。時間がかなりおしていたようで、当初歩いて移動するはずだった港まで、急遽トラムを利用することになり、ギリギリのタイミングで船に乗りました。目的地は船で15分のところにある世界遺産・スオメンリンナ要塞。ほとんど期待していなかった場所でしたが、これが意外に楽しめました。

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要塞からまた港まで戻り、夜7時56分発のサンクトペテルブルク行き国際特急の出発まで自由時間。小腹がすいていた私たちは、ちょっと何か食べておくことにし、駅前にある「レオナルド」か「ダ・ヴィンチ」かで迷ったのですが、結局「ダ・ヴィンチ」にしました。どちらもイタリアンで、こちらはピザが有名なのだとか。両店は経営的には関係ないらしく、たまたますぐ近くにあるだけのようです。

7時少し半前にホームに移動し、列車に乗り込みました。ほぼ海に沿って走りながら途中で国境を越えてロシアに入ります。日本にいてはもちろん、海外でもなかなか体験できないことなのですが、けっこう緊張しました。

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フィンランドからの出国手続きを終え、しばらく走るとロシア領。こんどは入国審査ですが、こちらはやはり緊張させられます。出発から4時間弱でサンクトペテルブルクに。日にちが変わる直前の到着だったので、ホテルにチェックインしたときはほとんど午前1時前でした。

同じ北の国でも、フィンランドとロシアとでは、やはり違います。ホテルのロビーは明かりが半分消されていて、暗い中で添乗員からキーを渡されるのを待っている間、疲れがどっと襲ってきました。私たちの部屋はチョー狭く、スーツケースを開けるスペースもありません。最低限のものだけ出して、即就寝です。

ホテルの部屋が狭いのは圧迫感のせいもありますが、なんともプアな気持ちにさせられるものです。ほかにも快適なホテルの条件はいくつがありますが、せっかく日常を離れるのですから、できるかぎりリッチな気分を味わいたいもの。その第一条件が部屋の広さというのが、私の考えです。その点、このオクチャーブリスカヤというホテルは厳しいものがあります。ツアーで決められているので仕方ないのですが、この次サンクトペテルブルクに来るときは、もう少しグレードの高いホテルにしてほしいというのが正直な気持ち。

旅行ガイドに「利用者」はいても、「読者」はいない!?

2015年7月31日

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9時半にホテルを出て、地下鉄でハカニエミの市場(マーケット)へ。地下鉄は心なしかロシア風の感じで、だだっ広いホームです。違うのは、車両のデザインの斬新さと静かなこと。モスクワのそれと違い、最初から民用として作られたからでしょう。

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Img_0406_3いつも思うことですが、海外では市場(マーケット)がいちばん興味深く、しかも楽しめます。その地の人たちの暮らしぶりがよくわかるからです。1階は、おいしそうな食べ物(肉や魚、チーズなど)を並べた店が40~50軒ほど。でも、なかには、店じまいしてしまったのか、空いているところも。近ごろこの種の市場は、どんどん衰えつつあるようなのです。

階段で2階に上がるとMARIMEKKOの店。ここには日本人の女性客がいっぱいいました。だれもが、「かわい~い」の連発。ついて行けないので、すぐさま移動します。

市場をあとにし、「デザインディストリクト」と呼ばれるエリアに行ってみました。逆方向のトラムに乗ってしまったことに気づき、2つ目の停留所で下車して乗り換え。それもこれも、フィンランド語に親しみがないせいです。ゲルマン系でもラテン系でもないので、単語の99%は、意味の見当がまったくつきません。韓国でハングル文字に囲まれているようなものです。ただ、なまじ普通のアルファベットが使われているので、ついつい読み取ろうとしても、結局は???。トラムの場合はまだ番号がついているので、最後はそれを頼りにすればいいのですが、途中のコース、降りる停留所を確かめるには、図とそこに書かれた文字を読まねばならず、えらく時間がかかってしまいます。

それでもなんとか、「デザインディストリクト」とおぼしきところまでたどり着きました。ところが、私たちが今回購入した『わがまま歩き』というガイドブックの編集がいまイチ不親切といいうか、わかりにくいのですね。地図上にはたしかに「デザインディストリクト」という言葉があるにはあるのですが、どこにもその線引きが見当たりません。結局、このあたりだろうと目星をつけて降りてみた停留所は、その端っこにあることが、あとになってかりました。

別のページに書かれていたショップガイドに出ている店の半分が、実は「デザインディストリクト」エリアにあったのですが、それは、お店のアドレスを見ないとわからないようになっています。「デザインディストリクト」という項目のところに、せめて店の名前と概要だけでも書き並べればいいものを、ショップはショップのページでということにこだわり過ぎているせいか、要は二重構造になってしまっているわけです。そのため、利用者にとっては不便な構成になってしまっている次第。

旅行ガイドというのは、最初から最後まで通読する人ばかりではありません。私のように、そのとき初めてページを開く者もいるので、さまざまな読者、というか利用者の便宜を考えた編集にしてほしいなと思います。

Img_0408_2結局、「デザインディストリクト」のほんの一角をなめたところでランチタイムになってしまい、トラムで中央駅近くのFORUMへ。2階に寿司屋を見つけ、そこで済ませました。もちろん、欧米人向けの寿司屋なので、それなりの内容です。

FORUMに行ったのはワケがあり、前日行ったムーミンワールドで見つけたハサミを購入するため。ここにはムーミンショップがあるのですが、なんと目標のハサミは置いてないとのこと。ホテル近くのKAMPIというモールに入っているITTALAの店に行けばあると教えられました。

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なら、あとで行けばいいということで、ヘルシンキのメインストリート=エスプラネード通りへ足を向けます。途中ITTALAの店があったので入ってみると、そこにハサミが! 家人が自分用・孫へのおみやげ用のものを見つけて購入。

Img_0424店を出て少し歩くとアウトドアのカフェがあったので、そこでお茶をしようと入りました。外のテーブルにすわり、ガイドブックで見るとえらく有名なところのようでした。ところが、途中、猛烈な雨が降り始めました。夕立っぽい感じもするためか、なかにはそのまま席を立たずにいる客もいます。傘をさしてコーヒー、ビールを飲む姿は泣かせます。「どうせすぐに止むんだから、気にすることないじゃない」というスタンスですね。

私たちは近くの停留所からトラムに乗ってホテルに戻りました。夕刻、ロビーに降りて待っていると、「日ロ創幸会研修旅行団」のご一党21人が予定どおり到着。聞けば、私たちがカフェで雨に遭っていたころ、ヘルシンキの空港の上で旋回しながら天候の回復を待っていたとか。それくらいひどい雨だったのです。夜の食事はホテル内のSEVILLAというレストラン。明日からは旅行団に合流し、行動をともにすることになります。

1年を3カ月で勝負するムーミンワールド

2015年7月30日

Img_033510時2分発の列車に乗るため、早めに中央駅へ行きました。切符売り場の立派なことといったらありません。老舗の銀行の本店といったような雰囲気でしょうか。ただ、掛け時計の示す時刻が遅れていたのが不思議でした。ほかの場所ならともかく、鉄道駅ですからね。

Img_0325ヘルシンキ中央駅を出発しふた駅過ぎると、両サイドとも畑と森だけ。それ以外は何も見えません。途中いくつかの駅で停車しましたが、家が建っているのはその近くだけです。それにしても、クリーンな国といった印象がします。

2時間後、トゥルクという駅に到着。駅前からタクシーでムーミンワールドのすぐ近くまで行くと、素晴らしい雰囲気です。海辺にあるリゾート地なのでしょうが、閑静なという言葉がぴったりです。日本の湘南とかハワイのワイキキといった風情はまったくありません。ヨットハーバーの近くにバフェットスタイルのレストランを見つけ、シーフードランチを。

ランチを終えてぶらぶら歩き始めると、ムーミンワールドの入口が。

 

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しかし、派手派手しい看板が立っているわけでなく、左右2本の棒で支えただけの布製の幕があるだけです。そこに、これまたつつましく「MOOMINなにやら」という文字が染め抜かれています。そこから歩いて橋を渡ったところが目的地。きれいな海とどこまでも晴れわたっている青空が印象的でしたが、こういう季節は6~9月の実質3カ月間だけなのです。ムーミンワールドの営業期間もそれと同じですから、看板や表示にお金をかけたりしていてはペイしないわけですね。Img_0359

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中もこじんまりしていて、1時間もあれば全部観て回れます。お金がかかるのは食事とお土産もの(キャラクターグッズ)だけ。とにかく、人工の香りがほとんどありません。その分、自然との距離がぐんと縮まりそうな感じがします。子どもたちにとっては天国のような場所といえそうです。

 

そこをあとにして、帰りの列車の時間から逆算すると、まだまだ時間があります。近くの教会をのぞき、トゥルクの町まで行くバスターミナルまでの道を歩きました。きれいに手入れされた道筋、それに沿って建つ家々のこぎれいなこと。空気も澄んでいて、なんとも快適でした。

 

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バスでトゥルクの中心部まで。降りた場所からホントはすぐ近くを流れる川まで行き、のんびりしようかと画策していたのですが、地図を読み間違え、とんでもない方角へ。30分の無駄歩きをしてしまいました。しかも、そこに突然の雨に遭い、あわてて近くのカフェバーで雨宿り。道を尋ねながら、駅まで歩いていったのですが、着いたのは出発ギリギリでした。

 

ヘルシンキに戻ったのは夜の7時。昨夜の轍を踏んではいけないので、そのまま夕食を食べに行きました。空も怪しい感じがします。トラムに乗って数駅。目標は、そのすぐ近くにある和食の店です。「料理家 ほしと」という看板がありました。これがめっちゃうまい。海外でこれほどの日本食を食べられるとは! 全8品のコースでしたが、1品1品、手が込んでいて、素材のよさが最大限に生かされている感じがしました。

 

食後、大将の星利昌さんが声をかけてくださいました。聞けば、神戸の出身で、まだ30歳だといいます。こちらに来て8年、自分の店を開いてまだ5年だとか。「海外で、日本国内の和食よりおいしいものを作って出すのが目標」だそうです。自分の名前の最初の3文字をそのまま店の名前にしたとも。でも、外国で、きちんとした日本の文字を見るとうれしくなるので不思議です。店を出ると、外は猛烈な雨。急いでトラムに乗り、ホテルに戻りました。

4時間で往復できてしまう外国

2015年7月29日

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タクシーに乗り、早めに港まで行きました。難なくタリンまでの往復チケットを買え、ほっとひと安心。待合所近くをぶらぶらしていると、どんどん乗客がやってきます。空も雲ひとつない快晴で、高速フェリーの乗り心地も快適。

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タリンの港からは歩いて旧市街に。しばらく歩くと、そこはもうほとんどおとぎの国のような光景。300年だか400年だか昔の建物がびっしり並んでいて、さすがという感じです。世界中から観光客がやってくるのもよくわかります。日本人の姿もけっこう目につきました。

L1030423L1030433ガイドブックを持たずに行ったので、頼りは船に乗る前にもらった英語版の地図だけ。それを見ながら、歩き始めました。どの道を選んでも興味津々で、おもしろいこと、この上ありません。こういう街の歩き方もたまにはいいものです。分厚いガイドブック──それも文字が小さくて読みにくい──を見ながらあちこち歩くのは案外疲れますから。

途中くたびれたので、人力車というか自転車タクシーのようなものに乗りました。主要な観光スポットの近くに、かならず何台かスタンバっているのです。地図を見せながら「このあたりまで行きたいんだけど」と、とりあえず英語で希望を告げると、「30分くらいかかるかな。大丈夫ですよ。30ユーロでどう?」というので、OKして乗せてもらいました。えらく英語がうまい青年で、要所要所で止まりながら、簡単なガイドをしてくれます。途中から急な坂もあったりして、このチョイスは正解でした。歩いていってたら、たぶんネをあげていたでしょう。

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L1030468バルト3国のなかでは文化水準がいちばん高いとかで、たしかにそのとおりの風趣を感じさせる街でした。元の場所に戻って30ユーロを払いながら、「英語がうまいけど、こっちの人?」と聞いたら、なんのことはない、イギリスから夏休みのアルバイトに来ている大学生でした。エストニアはECに加盟しているので、どこの国からも自由に働きに行けるようなのです。物価も非常に安いので、ここで観光客相手にひと夏稼げば、かなりの実入りになるのではないでしょうか。こういうふうにしてアルバイトができるのは、ヨーロッパならではですね。

それにしても、日帰りで外国に行けるというのは、なんとも不思議な感じがします。日本でも、福岡からなら韓国のプサンまで日帰りが可能です。飛行機ならもちろん、ソウルでも上海でも大丈夫でしょう。ただ、ヘルシンキ・タリン(エストニア)はおなじECの域内なので、パスポートさえ要りません。東京・名古屋間を往復するのと同じだと思えばOKです。

こういうことが可能である、またそれが実際に経験できるという環境の中にずっといれば、国境とか国といったことに関わる感覚が日本人と違ってくるのは当然かもしれません。、

さて、その後近くをぶらつきながら入ったカフェの素晴らしかったこと。しかも、中に入ってしばらくしたら、突然の雨。短時間でしたがかなり激しい降りで、雨宿りも兼ねることができました。まわりを見ると、ほとんど地元の人といった感じで、値段もリーズナブル。これは正解でした。

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夕方の帰航便の出発時刻に合わせて港まで戻る途中、1800年代半ばの創業と記されているカフェがあったので、そこにも入ってみました。気がつくと食べ詰めといった感じで、ヘルシンキに着き、ホテルに戻ってもあまり空腹を感じません。そのまま部屋で仕事をしていると、家人が「晩ご飯どうする?」と聞いてきます。「あっ」と思って時計を見るとなんと8時半をまわっているではありませんか。夏の北欧はとにかく日が長いので、まさかそんな時間になっていようとは想像もしていませんでした。

あわててホテルを出て探しに行ったのですが、時間が遅く、なかなか見つかりません。結局、なんとなんと中央駅の地下にあるマクドナルドで持ち帰りのハンバーガーを買って、部屋食。まさか、ヘルシンキでマックとは……。

10年ぶりのヘルシンキと2年ぶりのロシア

2015年7月28日
今日から「ヘルシンキ+ロシアの旅」です。今回は初めてフィンエア(フィンランド航空)に乗ってみました。先々の日程の都合もあって選んだのですが、これが大正解。成田のラウンジはカンタスと共有で、これがけっこうハイレベルで、ANAやJALより上を行っている部分もあります。

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わたし的には、ラウンジ内のコピー&FAX&プリンター複合機にスキャナー機能もついていて、しかもそれが使えるというのが大きな要因。ANAのラウンジにも同じような設備はあるのですが、スキャナー機能は×印がついていて使用できません。6月に乗ったアリタリアが使っているデルタ航空のラウンジなど論外もいいところ。コピーもプリントもFAXもすべてアウト! ビジネスマンはどうしているのでしょうか? それに比べると、食事もワインもそろっているので、これは使えます。

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フィンエアのいいところはもう一つあります。所要時間が9時間少々と、短いこと。フランクフルトやパリ、ロンドンより1時間半も短いので、疲れ方が違います。シートも当然フルフラットですし、エンタテインメントもアリタリアより充実していました。食事もかなりレベルが高いように思えます。何より、デザイン大国だけあって、食器(カップや皿)も紙ナフキンもMARIMEKKOが使われていました。そういえばスリッパもやはりMARIMEKKOで、洒落ています。当然、テイクアウェイです(笑)。


午後2時にはヘルシンキに到着し、空港からはバスで市内へ。中央駅近くの停留所で降りたのですが、ホテルに行くのに難儀しました。10年前に来たときの記憶はまったく役に立ちません。そもそも、10年前はストックホルムからシリヤラインのクルーズ船でヘルシンキ入りしたので、港だったのです。そこからホテル(今回と同じホテル)まではタクシーでした。

さて、中央駅のすぐ近くなのは間違いないのですが、地図がわかりにくいというか、道もまっすぐになっていないため、自分たちのいる場所が駅に対しどのような位置にあるのかがなかなかつかめません。地図を手にしながら思案投げ首。ようやく、方向が決まったと思い歩き出したら、これが逆。また元の場所まで戻り、やっと正しい方向に動き始めることができました。

ところが、道が石畳のため、スーツケースの重いこと、重いこと。思うように転がってくれないのです。結局、バスを降りてからホテルにチェックインするまで30分以上かかってしまいました。どのガイドブックにも共通しているのですが、距離は短くても、石畳の道が続いていたり、実はえらく高低差があったりといった情報はきちんと書かれていないのがほとんど。事前にかなり気合を入れてチェックしておかないかぎり、こうした目に遭うリスクを覚悟しておく必要がありそうです。


いつもと同じく、部屋に入るとすぐノートPCに向かいます。翌日はヘルシンキから船で2時間ほどで行ける対岸のタリン(エストニアの首都)に行こうと、日本を出発する直前に思いついたので、ネットでチケットを予約しようとしたのですが、なかなかうまく行きません。フロントまで行ってホテルのスタッフの手を借りたのですが、最後の支払いの段で暗礁に。ネット予約は結局あきらめ、「明日、早目に港まで行けばいいんじゃないか」と決めました。

夕食はホテルの近くでということで、周辺を探しがてら歩いていたら、まあまあお客の入っている中華料理店があったので、そちらへ。歩いていて気づいたのは、中華の多いこと。ここにもやはり、中国人がたくさん来ているのでしょうね。

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アリタリア航空の乗り継ぎとなると心配ですが……

2015年7月3日
帰りはボローニャ空港からローマ乗り継ぎのアリタリア便。バゲージがちゃんと成田まで着くかいささか心配ですが、そんなことを気に病んでも詮ないこと。空港はまだできて間もないようで、とても清潔。何よりコンパクトなのがありがたいです。

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この町で生まれた発明家グリエルモ・マルコーニにちなんで、「マルコーニ空港」といいます。マルコーニは無線電信の開発で知られ、ノーベル物理学賞も受賞しています。また、1912年のタイタニック号遭難の際、同乗していたマルコーニの無線電信会社の社員が救難信号を送信したことでも有名になりました。空港に、こうした人の名前をつけるのはいかにも欧米らしさが感じられ面白いですよね。

ローマの乗り継ぎで1時間半ほど遅れての出発になりましたが、はたしてバゲージの運命やいかに……。

ボローニャで眺めた美しい満月

2015年7月2日
L1030322イタリアの旅も今日が実質的に最終日です。町の中でまだ行っていないところがいくつかあったので訪問することにしました。最初は世界最古の大学ともいわれるボローニャ大学。1068年にできた大学で、世界で初めて人体解剖がおこなわれた部屋もあります。

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ただし、こちらは旧校舎(アルキジンナージォ宮)のほうで、いまの校舎とは別の場所。新校舎といっても200年近く前にできたシロモノですから、実際この目で見ると、日本の建物とは風格がまったく違います。

大学の前にベルディ劇場があるとか、劇場の斜向かいには聖チェチリア礼拝堂(聖チェチリアは音楽の守護聖人)、1267年創建のサン・ジャコモ・マッジョーレ教会、さらにすぐ近くにロッシ-ニ広場があるとか、どこに行っても、「これはかなわないな」という気持ちになります。とくにサン・ジャコモ・マッジョーレ教会の壮大さ、内部の壁画の数々には度肝を抜かれました。


L1030297そこをあとにして、ボローニャ滞在3日目にしてやっと「斜塔 (アシネッリの塔とガリセンダの塔)」とご対面です。かつては100本ほど建っていたという塔も、いまではこの2本だけとか。高いほうのアシネッリの塔は上まで階段で昇れるそうですが、とてもそんな元気はありません。下から眺めるだけで十分。「斜塔」とはいうものの、観る場所によっては斜めに傾いていることに気がつきません。でも、ボローニャ大学の新校舎から歩いていくと、それがよくわかります。

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斜塔のあとは、「何はなくともマッジョーレ広場」に向かい、その近くでランチ。この日はワインバーの屋外テーブルで。またまたGOODでした。このあたり一帯はマーケットがあり魚介類の匂いがぶんぶん漂っています。家人はおみやげ用にパスタを何袋か購入していました。さらに、近くの老舗チョコレート店「Venchi」(1878年創業)でもいくつかを。ちょうどシエスタタイムになったのでホテルに一度戻ります。ちなみに、この日も35℃近くあったでしょうか。

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夕方涼しくなったころを見計らって、また外に出ます。ボローニャをその昔流れていたという運河をのぞき、インデペンデンツァ通りから2本裏の通りをマッジョーレ広場方向へ。こんな通りにもけっこうお店やホテルがあるんですね。ただ、店はだいたいがクローズしている時間帯だったのでもっぱらウインドーショッピング。そして、最後の夕食に選んだのは、これまた当地在住の方の推薦店の1つ「Ristorante Da Nello al Montegrappa」。これがまた超ハイレベル(値段ではありませんよ!)の店。私たちが入って30分もしないうちに満席になりました。客のほとんどが地元の人のようで、このあたりもいい雰囲気です。

有名な「ボロネーゼ」は、肉をベースとしたパスタソースかと思っていましたが、ここでは「タリアテッレ・アル・ラグー(Tagliatelle al ragu)」のことのようです。

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ホテルに戻ったのは9時前。まだまだ外は明るいのですが、これくらいの時間から一気に暗くなり、10時には正真正銘の夜。この夜は満月で、何年か経って「あの日ボローニャで眺めた月が……」なんて口ずさむ日が来るかもしれません。それほど美しい月でした。

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ボローニャの古さはローマともヴェローナとも違い、暗くてほこりっぽい感じが特徴なのではないかという気がします。歩道のほとんどがポルティコで覆われていることによる暗さも影響しているのかもしれません。実際、建物はどれをとっても数百年経っているものばかり。ローマはときおり新しい建物もあり、道も広くてわかりやすいですし、ヴェローナは街全体に多少新しさも感じられます。しかし、ここボローニャは中世そのままといった印象が非常に濃厚。後世の人が手を入れた痕跡が薄いというか。紀元前9世紀には人が住み始めていたというのですから、それもむべなるかなでしょう。

初めての町は、乗り降り自由の周遊観光バスで

2015年7月1日
昨日で1年の半分が終わってしまいました。ボローニャの2日目、まずは、昨夜の「合意」に従い、行動を縮小することに。暑い時間帯はシエスタ(昼休み)にしようと。朝食後、まずは駅前へ。町の主だったところを回る観光遊覧バスに乗ることにしました。

L1030269出発場所を探すのに手間取りましたが、駅前でタクシーの交通整理にあたっている人に確かめ、ようやっと見つけました(それでも、最終的には50メートルほどずれていましたが)。定刻から15分遅れで到着した2階建てバスに乗り込み、日本語のイヤホンガイドを聞きながら、1時間30分かけて町の中をめぐります。町のイロハを知るにはこれがいちばんいいんですね。出発してすぐ、私たちの泊まっているホテルの斜め向かいの小さな広場にまたまたガリバルディの像が建っているのが見えました。イタリアはなんだかんだいっても、ガリバルディあっての国なのです。

ボローニャは中世そのものの町なので、それでも乗っている最中は目が離せません。「ここは紀元前6世紀に……」「西暦1100年にだれだれが……」という言葉がイヤホンの奥から次々と流れてくるので、そのたびに右を見たり左を見たり。たしかに町全体が世界遺産だとはいえ、あまりの古さには驚いてしまいます。

午後1時過ぎにマッジョーレ教会の脇でバスを降り、ランチ。これまでと同じように屋外にテーブルを並べている店です。今日も正解でした。3時になったのでホテルまで戻り、6時まで部屋でシエスタです。33℃か34℃はあるでしょうから、当然といえば当然かも。

夜は、フィレンツェにいる元社員で、いまも仕事をお願いしている女性のダンナさんから手に入れたグルメ情報をチェックし、ホテル近くにあるレストラン「VIctoria」へ。うまかった! です。どこの店もさほど大外れはないのでしょうが、今日はかなり高レベルです。シーフードリゾットがおいしいとのことでしたが、もう1品のボローニャ風カツレツもGOODでした。

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デセンツァーノからボローニャへ

2015年6月30日
早朝からホテルの前の道路一帯にワゴン車やバンが行きかっています。何かと思ってベランダから見てみると、どうやら「市」が立つ様子。朝食のため1階まで降りていくころには道路の左右いっぱいに店が並んでいました。

L1030196朝食はこれまでで最高の雰囲気のレストラン。内容はほとんど変わりありませんが、グレードが2段階くらいアップしている感じです。真っ黄色のスクランブルエッグ。コーヒーも泡が立っていて一見カプチーノ風(でも、ミルクも生クリームも入っていません)。ハムもおいしいこと、この上ありません。腹ごなしに「市」をのぞきに湖岸沿いをゆっくり散歩。アクセサリー屋さんがあり、家人はネックレスを買いました。

L1030200デセンツァーノは、観光スポットがたくさんあるわけではありません。欧米では当たり前なのでしょうが、数日滞在してゆっくりする場所です。ただ、こういう時間の使い方は、私たち日本人にはなかなかできません。イタリアに来る前に新聞で、旅行会社の広告に「北海道9日間滞在」と謳ったプランが出ているのを目にしました。行きと帰りのフライトが決まっていて、あとはすべてフリー。食事も現地で決めればOK。レンタカーを借りて出かけるもよし、旅行会社が手配したヨガとかウォーキング、写生ハイキングなどさまざまなプランに参加するのもよしといった中身です。こういうスタイルの休暇が定着すれば面白いでしょうが、どうかなぁ……という気もします。

さて、チェックアウトを済ませ、出発までの間、ホテル近くの教会や城をのぞいたあとデセンツァーノ・デル・ガルダの駅前でお茶(といっても実際はビールですが)。午後2時前の列車で最終目的地ボローニャに向かいます。途中、ヴェローナで特急に乗り換え、トータル1時間45分ほどで到着。

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ボローニャの駅は大きな駅です。私たちが下車したホームは地下3階くらいでしょうか。そこからエスカレーターで地上に出て、やっとのことで駅前の広場へ。旅行案内所がクローズしているようで、仕方なく警官にホテルの場所を聞きました。歩いていけそうなところだとわかり、スーツケースを転がしながら6、7分で到着。時間的にいちばん暑い時間帯だったので、それだけでもけっこうこたえます。

予約しておいたホテル(Hotel Internazionale)はインデペンデンツァ通りに面しているのでわかりやすく、部屋もこぎれい。ガイドブックでボローニャのページを開くと、かならず「マッジョーレ広場から歩いて」とか「マッジョーレ広場を目標に」ウンヌンというフレーズが出てきます。つまり、この町を歩くときは「何はなくともマッジョーレ広場」ということなのでしょう。私たちも夕方、ホテルの前のインデペンデンツァ通りを10分ほど歩いてマッジョーレ広場まで行ってみました。

L1030241強い日差しの中でしたが、この町は主だった歩道がすべてポルティコ(要はアーケードですね)に覆われているので、それが救いです。広場に着くと、周辺が道路工事や建物の修復工事のためほこりっぽい感じはしますが、それでも人がいっぱい。6月の中旬から、連日「野外映画会」が上映されているらしく、広場にはパイプ椅子が並べられていました。私も小学生のころ何度か経験しましたが、なつかしいですね。ポスターから察すると、明日は『カサブランカ』のようです。

L1030247L1030251_4帰りに夕食をと思いましたが、適当な店がなかなか見つかりません。ホテルの近くで小さな店があったので、そこに入りました。路上にもテーブルを並べてある、こちらではごく当たり前のスタイルです。それが3軒並んでいたのですが、不思議なことに、客の入り具合にけっこう差があります。ウエイターが片言の日本語で「いらっしゃい、日本語メニューあるよ」とかなんとかいいながら声をかけてくるところはパス。やはりスタッフが忙しそうに動いているところのほうが安心です。

この夜入った店も、道路寄りの空いているテーブルを所望したところ「予約のお客で」と断わられ、奥のテーブルになってしまいましたが、それでもあっという間に満席に。それからすると、この店を選んだのはどうやら間違いなさそうです。実際、タルタルステーキをおいしく食べさせてもらいました。さすが「肥満都市(ラ・グラッサ)」という異名を持つ町だけのことはあります。

ボローニャはほかにも「学問都市(ラ・ドッタ)」とか「赤い都市(ラ・ロッサ)」というニックネームがあるといいます。「赤」は中心部の歴史地区に軒を並べる家々の屋根の色を指していますが、第2次世界大戦後から1999年まで、この町が社会主義・共産主義の牙城であったことにも由来しているようです。

食事中、家人との話題は、長期の旅行がだんだんしんどくなってきていること。寄る年波というといささか早そうな気もしますが、やはり若い時分とは体そのものが変化してきているのは否めない、今日も朝から、明日も何時にどこそこへといったスタイルの旅はそろそろ変えなければ……ということになりました。限られた日数なので、ついつい毎日さまざま詰め込もうとするのですが、そうしたパターンにそろそろ終止符を打たなければならなくなってきたということでしょうね。でも、これがなかなか……。悲しいかな、貧乏根性がしみついてしまっているものですから。

9月の初めからは、30日間のアメリカ・イギリス旅行を予定しています。まだ、航空チケットをおさえてあるだけですが、行先は最低でも、ロサンゼルス、ニューオーリンズ、ニューヨーク、ラスベガス、ロンドンといくつかあります。イギリスではラグビーW杯を3試合観戦することだけが決まっているのですが、途中、観戦予定のない日があり、そこをどうするかということであれこれプランを練っていました。ずっと果たせずにいたスコットランド周遊も、その気になれば可能です。南部のバースやソールズベリ、コッツウォルズ地方を全部観てまわるといった選択もあります。

ただ、団体ツアーと抜本的に違うのは、すべてが自力手配なので、行動も自力になります。重い荷物を転がしながらの移動、観光スポットも、地図と首っ引きしながら自分で探す……など、手間がかかるわけですね。もちろん、それはそれで楽しみではあるのですが、家人のほうはだんだん辛くなってきたということなのでしょう。

旅の途中でリゾート地を訪れた理由

2016年6月29日
旅行の前はいつもあれこれ計画を練るのですが、今回は当初、ヴェローナに3泊するつもりでした。その次の目的地ボローニャまで列車ですぐ行けるからです。でも、直前になって、暑いさなかだし、あちこち歩けばきっと疲れるのではないかという思いがきざしたのです。

そこで、ヴェローナの3泊目は取りやめにし、近くのリゾート地でのんびりしようということにしました。調べてみると、ヴェローナから西に30キロほど行ったところ、ミラノの手前にデセンツァーノ・デル・ガルダという小さな町があります。イタリアでいちばん大きいガルダ湖の岸辺にある町で、列車で行ってもすぐなのですが、疲れてもいたのでホテルからタクシーで行こうと決めました。ホテルに頼んで手配してもらったのですが、タクシーといってもハイヤーに近いタイプのようで、値段は90ユーロとのこと。少々高くはありましたがOKということで。

ホテルを11時に出発、「ヴェローナは初めてか?」「オペラは観たか?」などと質問してきました。「夕立だったけど、上演されてよかったな」といっていました。しばらくすると、パバロッティのCDを流してくれます。えらく高尚な趣味を持ったドライバーのようで、驚くとともに感動しました。オペラなど、日常生活の一部でしかないといった感じなのです。さすがヴェローナというか。

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40分ほどでデセンツァーノのホテルに到着。荷物を預け、近くの港からこの界隈では随一の観光地シルミオーネへ。桟橋のまわりにはレストラン、カフェ、ジェラテリア、お土産物屋がびっしり並んでいます。ここにもスカラ家の城塞があり、そこをざっと見たのですが、そこから北に伸びる半島の突端近くにローマ時代の遺跡があるというので、歩いていくことに。20分以上暑い中を歩いたのですが、あいにく休みだとわかりガックリ。


ただ、帰り道に見つけたマリア・カラスの別荘と、桟橋周辺のお店がずらっと並んでいるエリアの建物がみごとな花で飾られているのが印象的でした。それにしても、ゆっくりするはずが、性懲りもなしに歩いている自分にあきれるというか。貧乏根性はやはり治りませんね。桟橋から再び船でデセンツァーノに戻り、夕食。海辺のホテル近くにあるレストランで食べましたが、またまたbuono(おいしかった)です!

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さすがスカラ家の町──どこに行っても家紋が


2015年6月28日

L1030046今日はヴェローナ市内の観光です。しかし朝から暑いこと、暑いこと。途中までバスに乗り、アディジェ川の近くで降りると、味わいのある古い教会(サン・フェルモ・マッジョーレ教会)がありました。それを見ながら、川沿いをテアトロ・ロマーノまで歩きます。思い切りきつい階段を上らねばならず、途中で何度もネをあげそうになりました。それでも難行苦行のあとにはこの上ない楽しみが。上から見下ろす川、街の景色の美しいこと。ゆっくり下り、さらに川沿いを歩くこと10分。ピエトロ橋を渡ったところがドゥオーモです。

L1030055そのすぐ脇に見つけたお洒落なカフェで昼食を取ることにしました。入口を入った奥が吹き抜けというかアウトドアになっているのですが、まわりが壁に囲まれているので涼しいのがありがたい!

隣のテーブルのお客が少し濃いめのオレンジ色をした飲み物を飲んでいたので、ウエイトレスに何かと聞いてみると、「スプリッツ・アペロール」というカクテルだそうです。なんでもイタリアの若い人たちの間で人気らしく、氷とスライスしたオレンジをグラスに入れ、白ワイン(3)、ソーダ(1)、そして最後にアペロール(2)を注いで作る(数字は割合)のだとか。アペロール(Aperol)はハーブリキュールのブランド名です。さっそく家人がオーダーして飲んでみると、これがえらく口に合ったよう。たしかにキリっとさっぱりした感じの味で、いまどきの季節にはドンピシャリかもしれません。

カフェを出て、ロメオの家とジュリエッタの家を見たのですが、観光客が自由に出入りできるのはジュリエッタの家。13世紀に建てられた家は、中庭に出ると物語で有名なバルコニーがあり、前庭にはジュリエッタの像も立っています。

L1030082_2この像、右の胸に触ると恋愛が成就し結婚できるという伝説があり、観光客もみな胸に触っていました。ジュリエッタの家の住所にジュリエッタ宛で恋愛相談の手紙を書くと、ちゃんと返信が返ってくるという話を前にテレビで見たことがあります。「ジュリエットクラブ」という団体があり、そこのボランティアスタッフが「ジュリエットの秘書」の名で、すべての手紙に返事を書いて送っているのだとか。1年間に世界各国からなんと4万通もの手紙が届くといいますから、ハンパではありません。 

狭い路地を抜けエルベ広場に向かう途中、インデペンデンツァ広場の一角にまたまたガリバルディの像がありました。ジュゼッペ・ガリバルディは19世紀半ばにイタリア統一運動を推進し、イタリア王国の成立に貢献した軍人だそうです。1860年には、千人隊(赤シャツ隊)を組織してシチリアの反乱を援助、両シチリア王国を滅ぼしました。こうして征服した地をさらにサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世に献上、これがイタリア統一の原動力になったといいます。ひょっとして、シチリア島に行くと扱いが正反対なのかもしれません。シチリア島は10年以上も前から行きたいと思っているのですが、いまだに果たせていません。こういうことをきっかけに、近いうちに行って確かめてみようと、家人に提案しておきました。

ランベルティの塔に昇ろうとして中に入ると、エレベーターで行くこともできるとわかり、外で待っていた家人にメール。すぐ飛んできましたね。降りてボルサーリ門まで歩き、そこでひと休み。ホテルにはバスで戻りました。

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L1030096夕方、ホテルからタクシーに乗ってサン・ゼーノ・マッジョーレ教会を見学、そこから川沿いの道を歩き、スカラ家の建てた古城=カステル・ヴェッキオまで行きました。裏側はアディジェ川で、そこに架かる小さな橋を渡ると城全体の姿が見えます。ヴェローナとその周辺はスカラ家が支配していたので、あちこちの建物にその紋章が付いています。ちなみに、「スカラ」とは梯子とか階段という意味だそうで、紋章もそれをかたどったもの。夕食はブラ広場の一角にある店で済ませました。

ヴェローナの野外オペラに大感激!

2015年6月27日
今日でローマともお別れです。出発までまだ余裕があったので、ホテルにいちばん近くにありながら一度も観ていないサンタマリア・マッジョーレ教会に行ってみます。ここもまた韓国人観光客がいっぱいでした。そこから歩いて3、4分のところにある「パネッラ」パン屋さんで朝食を取ることに。店の中と外にテーブルが。ひっきりなしにお客がやってくるのを見ても、地元では人気があるのでしょう。

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10時15分テルミニ発の特急に乗り、“ロメオとジュリエットの町”ヴェローナまで移動します。事前にTORENITALIAのウェブでチケットを買い求めてはあったのですが、座席が進行方向と逆。これが私は苦手なのです。気持ちが悪くなったりすることはないのですが、どうにも不自然というか……。ビジネスクラスの車両なので、新聞はタダで配ってくれますし、飲み物とスナック菓子も無料。ワゴンがやってきてほしい物を聞いていくのです。もちろん、ヨーロッパの鉄道には珍しく、検札もきっちりおこなわれました。

約3時間でヴェローナ(ポルタ・ヌオーヴァ)駅に到着。駅前の広場は工事の真っ最中で、タクシー乗り場がやや離れた場所に移されているようです。でも、予約してあるホテルはタクシーに乗るほど離れてはいません。実はこれがいちばん厄介で、結局スーツケースを引きずりながら、地図と首っ引きで15分ほど歩き、無事チェックイン。中心街からは離れているので、まわりは地味で静か。週末の野外オペラ開催日と重なっていて、思うようにホテルの予約が取れなかったのです。

L1020973荷ほどきを済ませるとすぐ、バスで中心街にあるアレーナ(円形闘技場)まで行くことに。噴水と公園があり、それを取り囲むようにして広がっているのがブラ広場。何かのイベントなのでしょう、新旧のシトロエン車がずらり駐車していました。私たちが見ている間にも続々到着し、なかには1930年代に製造されたとおぼしきものまであります。シトロエンは第1次世界大戦後の1919年、大砲用の砲弾製造で財を成したフランスのアンドレ・シトロエンが、ヨーロッパにおける自動車の大衆化をめざして設立したメーカーで、先鋭的な技術開発で注目されました。ただ、そうした経営手法はだいたいうまく行かないのが常のようで、いまはプジョーの傘下に入っているとのこと。

L1020975ここいら一帯はヴェローナの中心地で、レストランとカフェが軒を連ねており、どこで食べるか、決めるのが大変です。それでも、写真付きのわかりやすいメニューを店先に出している店を選んで食べました。今回も◎です。イタ飯というのはまずハズレがないので、ありがたいことこの上ありません。

食後、とりあえず街の中をぶらっと歩いてみようと、高級ブランドの店がずらりそろったマッツィーニ通りを抜けるとまたまた大きな広場が。エルベ広場というのだそうですが、土曜日ということもあって大変なにぎわいです。広場のほぼ全体にテントを張った店が出ていました。その中にあるのがランベルティの塔。まあ、高いこと高いこと。たしかに、84mの高さまで上がればさぞかし眺めもよかろうと思われます。

13~14世紀にこの町を支配していたスカラ家の廟【びょう】からサンタナスターシア教会をのぞいたところで、一度ホテルに戻ります。あまりの暑さのため、タクシーです。しばし休憩ののち着替え。オペラなので、Tシャツに半パンというわけにも行かず、いちおうジャケットを羽織り、革靴に履き替えました。

再びバスに乗ってアレーナのすぐ近くまで行ったのですが、なんとなんと、降りたとたん雲行きがあやしくなってきました。野外オペラには大きなリスクがあって、雨がひどいと中止になってしまうのです。そんなことになったら、苦労して買い求めたチケットがパア。いっときの夕立で済むことを願いつつ、とりあえず腹ごしらえをしておかなければと、ブラ広場の一角にある店へ。オペラファンがイタリア国内はもちろん、隣国のスイスやドイツからも来ているようで、どのお店も大繁盛です。

7時半ごろから案の定、猛烈な雨が降り始めました。レストランやカフェはどこも皆、店の外にもにテーブルをかなりの数並べているので、テントを張ってあるとはいえ、けっこう影響があります。軒先には、ポンチョを売りに来る人もおり、私たちもとりあえず2着買いました。

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オペラでも野外での公演となると、日本ではなかなか経験できるものではありません。ヴェローナという古い町の魅力もさることながら、今回ここを訪れた最大の目的はこれです。幸い、食べ終わるころには夕立もほぼ止み、アレーナの入口でしばらく待機させられましたが、ようやく中に入ることができました。今日の演目は『アイーダ』。客席まで歩いていく間、そのセットに度肝を抜かれました。野外で高さや幅に制限がないので、思い切り大きく作ってあるのです。しかも、舞台はメッチャ広く、役者の動きもダイナミック。雨あがりの澄んだ空に月、星が冴え、その下で縦横無尽に繰り広げられるオペラの演技に感動したのはいうまでもありません。

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ローマに韓国人観光客が多いのはなぜ?。

2015年6月26日
今日は郊外のアッピア街道に行くつもりでいたのですが、ボツになってしまいました。というのも、前は走っていた現地直行のバスがサービスをやめてしまったからです。アッピア街道は1960年のローマ・オリンピックでマラソンコースとして使われました。そう、エチオピアのアベベが裸足で走って金メダルを取った大会です。

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代わりに、ホテルからも近いボルゲーゼ公園に行くことにしました。事前の調べで、その一角に市営の動物園があるとわかったので、キリンとも対面できることに。キリンたちはずっとマイペースでエサを食べていました。

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動物園を出て、シエナ広場からピンチアーナ門へ。古代ローマ時代そのままといわれるだけあって、まわりの建物とは色が違います。その脇を抜けるとヴェネト通りが始まります。すると、すぐ右に、かの有名な「ハリーズバー」が! ヴェネツィアにある本店は、エリザベス女王とかヘミングウェイとか、たくさんの著名人が訪れたという伝説の店ですが、その支店でしょうか。これは望外の偶然で、たしかに、たたずまいといいウェイターの立ち居振る舞いといい、どこかハイブローな匂いがします。家人はパスタ、私はカルパッチョを注文、居心地のよさにうっとりしながらいただきました。

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そこから坂を下り、もともとは宮殿だったというアメリカ大使館の前を通って、まずはバルベリーニ広場まで。そこに至るまでの通り沿いには、いまはどうか知りませんがかつては一流だったと目されるホテルがずらっと並んでいます。しかし、広場から先はどちらの方向に行っても下町っぽい雰囲気の通りばかり。私たちは坂を上って、スペイン広場の方向へ。今日もまだまだ暑くなりそうです。

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上からスペイン広場を見下ろすと、噴水を取り囲むようにえらい数の人が集まっています。ただし、日蔭になる場所にいるので、よけい密集度が高い感じがします。噴水の前にある店でポロシャツを購入、またまた高級ブランドの店がズラリと並ぶ有名なコンドッティ通りを歩きました。ガイドブックの地図では、通りが終わるあたりにサンタマリア・マッジョーレの店があるはずなので、立ち寄ってみることに。
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ところがあたりを回ってみてもありません。『地球の歩き方』の地図に出ているのと場所が違っていた(このケースは多いですよ!)ため少し往生しましたが、やっと見つけることが。店員が2人とも韓国人で、お客も韓国から来ている人ばかりだったのには驚きました。そういえば、ローマはどこに行っても、個人・団体を問わず、韓国の人が多いようです。愛用のシェービング・フォームを買い求め店を出ましたが、それにしても、なんでまた韓国の人がこうも多いのでしょうか。韓国はキリスト教徒(ただしプロテスタントのほうがカトリックの倍)が多いので、その本家本元であるイタリアに引き寄せられるのかも……などと想像してみたのですが、果たして正解は。

一度ホテルに戻るため、タクシー乗り場まで行こうとすると、ジェラートを食べながら歩いている人がやたら目につきます。それも男性の姿が多いのです。このあたりに有名なジェラテリア(アイスクリーム屋さん)でもあるのかと探してみると、ありました、ありました。ガイドブックにも「ローマっ子のファンが多い」と紹介されている「チャンピーニ」という店です。

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買って口にしてみると、たしかにおいし~い! なぜか、ローマを歩いていると、このジェラートがほしくなるのですね。日本で食べるジェラートは甘さが過剰で、途中でイヤになってしまうのですが、ここではそんなことはありません。レシピは同じでも、やはり空気が違うのでしょうか。

夕方までしばし部屋でひと休み。エアコンの効いた部屋のなんと心地よいことか! 昔はイタリアでも、エアコン完備のホテルは珍しかったようですが、温暖化が進む近ごろはそうでもないようです。

夜になって、ホテル近くの日本料理店まで行ってみました。ローマを離れると、イタリアでは日本メシにありつける可能性がぐっと低下するからです。中に入ろうとすると、「ご予約は?」と聞かれました。「いいえ」と答えるとしばし待たされ、「9時半まででしたら」という条件付きでOKが。行ったのは8時少々前だったので、大丈夫ですと答え着席。カツ丼やらソバを食べて、なんとなくお腹が落ち着きました。私たちが食べている間も、予約客がどんどん入ってきます。それも日本人はゼロ、すべてこちらの人なのです。海外の日本食ブームはいよいよ本物になりつつありますね。

ジャニコロの丘は“一服の清涼剤”かも

L10207852015年6月25日
午前中はバスでテヴェーレ川を渡った先にあるジャニコロの丘まで行きました。ふもとまでは簡単に行けたのですが、丘に上がっていくバスの停留所がどこにあるのか、またどの路線に乗ればいいのかがわからず右往左往。ようやっと見つけ出し、5分ほどで到着。パティオの泉という噴水を横目に見ながら、もう少し上ったところが丘のいただき。ここからはローマが一望のもとに見渡せます。緑が豊かで空気もきれい、町中の喧騒がウソのように思えるゆったりした場所で、とてもくつろいだ気分になれました。ここは穴場ですね!

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L1020791ばらくのんびりし、バス停まで戻る途中に大きくて立派な像が建っています。イタリア建国の父ともいわれるガリバルディです。バスでふもとまで降りランチにしようとしたのですが、予定していた店が店仕舞いしてしまったのか、探せど探せど見つかりません。看板だけは出ているのですが……。このあたりがガイドブック頼りのつらいところです。仕方なくその近くの店で食べましたが、暑い中を歩いたダメージはけっして小さくありません。

L1020795しばし体を休めたあと再始動。最初にバスを降りたトラステヴェレ病院近くの通りを東に渡りしばらく歩くとタバコ工場が。その向かい側がサンタ・チチェーリア・イン・トラステヴェレ教会です。細い路地を川に向かっていくと、真ん前に小さな中洲がありました。中洲全体が隔離用の病院だったようです。それを左に見ながらパラティーノ橋を渡ると「真実の口広場」。その先にはフォロ・ロマーノが広がっていました。

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カンピドーリの丘を抜けオッタヴィアの列柱や、シーザーが作ったというマルケルス劇場などを見たところで今日の観光はジ・エンド。まあ、よく歩きました。

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いつものことですが、夕方でも夜でも、ホテルに戻るとまずは仕事を片付けます。メールをチェックし、私が目を通さなければならない原稿が送られているときは、プリントが必要です。ホテルにビジネスセンターが備わっている場合は、USBにデータを写し、それを持ってセンターに行けば事足りますが、ない場合は別の手立てを講じなくてはなりません。まず、プリントしたいデータファイルを添付したメールをホテル気付で自分あてに送ります。そして、フロントでそのファイルをプリントしてもらうのです。海外にはそもそも、日本のようなコンビニがないので、こういう手を使うしかありません。それでも、かつてのように日本から国際FAXで送ってもらっていたのに比べれば断然便利にはなりましたが。


ころあいを見計らってフロントまで取りに行くと、クリスティーナさんが「お元気ですか」というつもりで「お天気ですか?」と聞いてきたので、大笑いしました。「テではなくてゲです。おゲンキですか、ね」。でも、さっそくそういう接し方をしてくれるのが楽しいですね。

夕食はホテルのすぐ近く、またまた屋外で食べられる店にしました。ウエイターが案内してくれたテーブルの隣はロシア人とおぼしき男性が2人。よくしゃべりよく食べる2人で、ワインと一緒にスパゲティーを2皿(2人で4皿!)も平らげています。もちろん前菜で、メインは別に注文しているのでしょうが、私たちが食事を終わった時点でも、まだサラダか何かをパクついていました。勘定を済ませ、「スパスィーバ!」といって席を離れようとするとにっこり笑顔で応えてくれます。「ありがとう」という言葉はホント便利です。

どこに行っても飽きることのない町!

2015年6月24日
今回は、前回来たとき行けなかったスポットを中心にと思っていたので、まずはナヴォーナ広場をめざして路線バスに乗りました。停留所の名前がわからないので、当てずっぽうで降りたものの、広場らしいものは見えません。実際はバス停のすぐ近くにあったのですが、方向を間違えて歩いてしまったため、カッチェレリア宮の前を過ぎ、気がついたときは、目の前にサンタンジェロ城がありました。まあ、ローマはどこに行っても楽しめるでしょうから、こうした無駄歩きも全然気になりません。

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テヴェーレ川のたもとにある美しい姿をしたサンタンジェロ城ですが、橋を渡って城の真ん前を右に曲がると最高裁判所の建物が。その前にある別の橋を渡って、ようやくナヴォーナ広場にたどり着きました。これは余談ですが、その昔「ナボナはお菓子のホームラン王です」というコピーをよく見聞きしましたよね。ジャイアンツの王貞治がシロウトっぽく語るのがうけていたようです。東京・自由が丘の亀屋万年堂が製造・販売していた「ナボナ」というお菓子(巨人嫌いの私は、もちろん食べたことなどありません!)のCMでしたが、その元になった場所です。

有名な「ムーア人の噴水」「四大河の噴水」「ネプチューンの噴水」を見たあと、近くにある世界最大の石造建築物パンテオンへ。いちいち感動していたらキリがありませんが、まあなんとも美しい建物でした。

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そこからさらに東へ歩き、コルソ通りを右に曲がった正面がヴェネツィア広場。ここもまた世界中からの観光客でにぎわっています。広い通りを渡ってヴィットーリオ・エマヌエーレⅡ世記念堂まで上ったあと、トッレ・アルジェンティーナ広場というローマ時代の遺構へ。ここらで疲れもピークに達した感じでホテルまで戻ります。

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L1020732_2夕食はホテルの近くで探しました。「日本語のメニュー、ありますよ」「こんばんは」と、どこで習い覚えたかわからない日本語で店員が声をかけてくる店は敬遠し、自力で、カンを頼りに探した店を選びます。アウトドアの席につかせてもらいました。マグロのカルパッチョとか何品か食べましたが、どれも皆美味でした。

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今回はテルミナ前のUNAホテルに泊まっているのですが、そのフロントに、気さくでとても好感が持てる女性がいます。名札にはクリスティーナとあります。昨夕、私たちがチェックインしたときも今日も、明るい魅力的な笑顔で応対していました。仕事もできそうな印象です。片言のイタリア語で「元気?」と声をかけたら、「それ、日本語ではどういうのですか」と質問されたので、「お元気ですか?」というのだと教えてあげました。

首都ローマで、いきなりのミステリー

2015年6月23日
午後7時前にローマ・フィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ空港)に到着。入国手続きと荷物の受け取りに1時間ほどかかりました。ホテルはテルミナ駅のすぐ近くなので、レオナルド・エクスプレス(ノンストップの列車)を利用するのがベストかと思い、切符売り場に。すると、販売員が「次の列車まで20分待たなくちゃいけない。乗ってから30分。テルミナ駅は大きいから、降りてから出口まで10分。なんだかんだで1時間以上はかかる。なら、シャトルバスに乗らないか。いま5人待ってるけど、あなたたちが2人だから7人。ほら、もう1人来たよ。8人そろったらすぐ出発できる。30分で着くから」と、そちらをすすめてきます。値段は列車より1ユーロ高い(=15ユーロ)のですが、まあ、いいかとチケットを買いました。

私たちも含め8人で、1階の駐車場に止めてあったマイクロバスまでぞろぞろ歩いて行ったのですが、やっとわかりました。「白タク」ならぬ「白バス」ですね。それにしても、なんで鉄道の切符係がそういうあやしげな「白バス」に客を誘うのか、不思議でなりません。もちろん、歩戻しがあるのでしょうが、でも……といった感じです。プルマン(通常のバス)なら6ユーロ。もちろん、定時の発車ですから、それまで待つのが大儀ではあります。それに比べると白バスのほうはお客さえそろえばすぐ出発ですから、楽は楽なのですが。


首都、それも世界のローマだというのに、このテの話には事欠きません。機中で読んでいたガイドブックにもそうした話がゴマンと出ていました。「こういう手でだまされた」「集団すりに遭った」など、油断もスキもないといった感じです。旅行中無事ならばオンの字といった書き方がなされていて、明日から市内のあちこちに行こうと思っているのですが、さてさて、どうしたものやら……。

泣く子も黙る? 中国共産党の建物に入りました!

2015年5月29日
今日が実質的には北京最後の日。昨晩は雨が降ったせいか、空気が心地よく湿っています。空も今日は心なしかガスが薄いようで、薄日も差しています

Photo_10午前中は洗車場で車をきれいにしました。場所は「唐人街(CHINATOWN)」と名づけられたところの近く。北京になんで「唐人街」があるわけ? と首をかしげたくなりますが、この一帯は「古き中国・古き北京」を思わせる街並みを保つよう義務づけられていて、建築物もそれに合わせなければいけないのだとか。


L1020642_2そのため、洗車場も写真のような趣。北京でどんどん店舗網を拡大している「月福」というカーケア・カー用品のチェーン店なのですが、雨の翌日とあり、えらくにぎわっていました。

近くのホテルでコーヒーを飲んだあと、「中国共産党対外連絡部」に向かいます。このころからやっと太陽が姿をあらわし始めました、北京に来て4日目、初めて見るお日さま。やっぱりうれしいですね。

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そこからメインストリートの長安街へ。北京の銀座=「王府井」を過ぎたあたりは各種の国家機関、一流ホテル、テレビ局、航空会社、統制経済の時代から続いているとおぼしきオールドタイプのショッピングモール、北京站(駅)などが並んでいます。建国門を抜け、
長安街からちょっと北に入ったあたりにありました! 「中国共産党対外連絡部」の立派な建物が。厳重な警備で、写真を取るのもはばかられる雰囲気です。そこで担当の方と打ち合わせるのですが、時間が時間でしたから、ランチミーティングのスタイルになっていました。庁内にある会議室にしつらえられた大きな丸テーブルを囲みながらの会合で、メニューは写真のとおり。味はどれも上々で、打ち合わせも順調に進みます。すべて無事終わったあと、建物1階のホールで記念の写真を撮ってもらいました。しょせんはミーハーな私ですから。

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次に行ったのは、空港にほど近いエリアにある介護ビジネスを経営する会社の新本社といいますか、なんとも説明し難いところ。いま造成中で完成間近な庭の奥に社屋──といっても木造一軒家風の建物があり、そこでのミーティングです。

L1020662床から天井までびっしりと茶道具を並べた棚があり、その前で中国茶を点てていただきながらの話し合いがひと段落すると、庭にてブレークタイム。7000平方メートルの広さだそうですが、完成したらさぞかしといった感じがします。

そうこうしているうちに夕食の時間に。広いダイニングルームで、今回口にした料理の中では最高の食事をいただきました。15人がゆったりすわれる巨大な丸テーブルに、この夜は12人。驚いたのは、そのテーブルがゆっくりと回転していること。食べ物を取るために皿に箸をつけると、自動的に回転がストップ、取り終えるとまた回り始めます。メニューは全部で20品だ近くあったでしょうか、次から次へテーブルの上に並べられ、空っぽになるまで片づけられることはありません。

この夜、生まれて初めて、「カンペイ」といいながら、お互い「さし」でグラスを空ける中国スタイルの酒を経験しました。中国の宴会は日本と違い、最初に全員で「乾杯!」ではないのです。途中、折あるごとにだれかが席まで寄ってきてグラスを差し出すと、「カンペイ」の誘い。こちらも椅子から立ち上がり、グラスを合わせて一気に飲み干して「シェーシェー」とお礼を口にして終わり。原則的にはこれを列席者全員と1回以上おこないます。途中、話の流れで、隣どうしでの「カンペイ」もあり、今日は薬用酒で14杯、ワインを2杯、パイチュウを3杯飲み干しました。ワイン以外は小さなグラスでしたので、ひどい酔い方もしないで済んだ次第。よかったです。

3日続けて空にはガスが……これではせっかくの北京も

2015年5月28日
昨夜に続いて、朝はフロントで“セルフプリント”。何せ、スタッフの女性を起こしてあげたくらいなのですから。まあ、考えてみると、お気楽なホテルで使いやすいということですが。

 

今日は観光。ガイドをお願いした劉さんとロビーで会い、出発。空は昨日と同じく晴れなのにガスのため、遠くの景色はほとんど霞んでいます。空気が澄んでいたらどんなにきれいだろうかと思うと、なんとも惜しまれます。

 

Photo_3予定では、午前中が頤和園、午後は故宮(紫禁城)。頤和園では、そのスケールの大きさに驚きました。たかだか一人の人物(=西太后)のためにここまでやるかと思うほど、至れり尽くせりの設計と配置、しかもそのいちいちに工夫がほどこされています。たしかに、夏の宮殿という触れ込みですから、いかに暑い思いをさせないかということが大きな目的ではありますが。そのために空気がよく通り抜ける長さ100m以上の廊下を作る、途中に休憩所を設ける、西太后専用の劇場を設けるなど、清朝の権力の大きさを改めて実感させられました。

 

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Photo_6昼食は「東方餃子王」というチェーン店で水餃子。東北地方のハルピン発祥の店で、えらく人気があるようです。餃子のイメージとはほど遠い、明るく清潔感いっぱいの内装が特徴で、オープンキッチン。たかが餃子なのにとも思うのですが、そのあたりにオーナーのこだわりがありそうです。

 

メニューはバラエティーにあふれていて、チョイスはガイドさんにおまかせでしたが、すべてGOODでした。「大拉皮」という、クズ切りを太く切ったもの(冷えています)の上にジャージャー麺でよく見るひき肉の味噌炒めとキュウリが乗っかっただけのシンプルな料理ですが、絶妙の味つけ。東北地方の家庭料理だそうです。

 

続いて餃子が3皿。中身は豚肉と白菜。こちらを平らげると、さらにニラと卵焼きを詰めたものを追加でひと皿。これだけで十分お腹は満足。
「餃子湯」(餃子をゆでたときの残り汁=そば湯と同じです)というのが店内に置いてあり、これは自由に飲むことができます。ラー油とおろしニンニクを適当に入れるとおいしいスープになります。

 


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腹ごしらえを済ませ、いざ故宮(紫禁城)へ。途中、テレビでしか見たことのない「天安門広場」「人民大会堂」を見て、紫禁城の北のほうにある駐車場でクルマを降ります。入場口がある南の午門まで、アンコールワットでもお世話になったトゥクトゥクというか、「リキシャ」に乗って移動。値段は交渉のようで、このときは10元でした。

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さて紫禁城ですが、これはもう超超超特大のスケール。ヴェルサイユ宮殿の敷地(1070ヘクタール)にははるかに及ばないものの72・5ヘクタール(およそ22万坪)。9999の建物があり、南北961メートル、東西753メートル、高さ10メートルの城壁で囲まれています。見るとキリがないので、この日は、皇帝が通った中央の通路を南から北に抜ける最短コース。さほどゆっくり観てまわったわけではありませんが、それでも2時間近くかかりました。

 

夜は宿泊しているホテルのレストランでNさん一行に合流、こちら側が主催の答礼宴でした。

“おふくろの味”で勝負するホテル

2015年5月27日
今回のホテルは、同行しているNさんサイドで手配してくださっています。朝食付きで1泊7000円ほどですから、ほとんど期待していませんでしたが、今日の朝食でその認識が間違っていることがわかりました。

 スタイルはいちおうビュッフェの体【てい】を取っています。しかし、並んでいるのはおふくろの味系のメニューがほとんど。ところが、これがけっこうイケるのですね。日本でいうならデパ地下の惣菜といった感じですが、どれを食べても体が癒される感じ。おかげで朝から箸が進みます。

唯一の欠点は、コーヒー・紅茶が用意されていないこと。「コーヒーは?」と係の人にたずねても、なかなか理解してもらえません。「そうか、いいかげんに発音してしまったからな」と思い直し、英語っぽく発音してみたのですが、やはり通じません。たまたま、彼女の脇にインスタントコーヒーの小さなパックが1個だけあったので、「これこれ」といったら、それしかない様子。では「ティーは?」と聞いてみましたが、これもアウト。「チャイニーズティー?」も×でした。

 結局あきらめたのですが、そのあとクルマでホテルを出発してから、北京在住の日本人に聞いてみました。「そうなんです。中国はコーヒーとパンはまだまだで」とのこと。そういえば、ビュッフェの片隅に、いかにも仕方なくといった感じで食パンとロールパンが置いてありましたが、ほとんど手つかずの状態で、見た目もパサパサでした。その近くにあった中華風の餅菓子(デザートですね)のほうがよほど食指が動きます。「中国人が朝飲むのは、牛乳が多いですね」という話に納得。たしかに、どのテーブルにも牛乳をなみなみと注いだコップを見かけました。

 ホテルを出て南西の郊外までクルマで移動。今日も、天気は晴れなのですが、空はガスでかすんでいます。途中、ディズニーランドのパクリで日本でも大きく報じられたことのある石景山というところを通りました。遊園地っぽい施設がいっぱい目につきましたが、「もう2、3年前につぶれましたね」とのこと。

 予想どおり道路の渋滞に遭いました。場所にもよるのでしょうが、ひどいところはまったくどうしようもありません。一口に「北京」といいますが、直径500キロにも及ぶ広さだそうです。東京ら京都までの距離ですから、「えーっ!?」ですよね。それはクルマも要るでしょう。人口も2000万を越えるというのですから、通勤も大変そうです。

Photo_11 帰りはすんなり中心部に戻り、胡同というエリアの一角にあるシャブシャブ屋さんで夕食とあいなりました。二つの小さな湖(=前海と后海)があり、そのほとりに店がずらりと並んでいます。若い人がいっぱい歩いていました。たしかに、店を見ると、カフェバーとかが目立ちます。「老北京」という文字の看板が数多く目につきましたが、古い街並みはそのまま、そこに造られた新しいコンセプトの店がうまくマッチしていました。地元の人だけでなく、海外からの観光客にも人気があるそうです。

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ホテルに戻るとメールが来ていました。すべて添付ファイルがついています。私がチェックしなければならない仕事の原稿です。普通はファイルをPDFに変換してUSBに落とし、それをビジネスセンターでプリントしてもらうのですが、2階にあるというビジネスセンターに行ってみると──。中国人のスタッフが2人いるにはいるのですが、どちらも英語がまったく通じません。最後は筆談で状況を理解しましたが、結局1階のフロントでプリントしてもらうことしかないということに。
 

すぐ降りていったのですが、フロントのスタッフも英語がわからないようで、USBを見せながら「print」と2、3回口にすると、やっとわかってくれ、自分のすぐ横にあるパソコンを指さします。あとは自力ですべて済ませ、プリントされた用紙だけスタッフから受け取りました。

 

まあ、とりあえず目的は達成できたのでとりあえず助かったのですが、「それにしても」といった感じです。「商務飯店」を名乗っているくらいですから、「ビジネスホテル」のはずなのに、これでいいのか……と。ただ、朝も外国人は皆無でしたし、泊まっているのは99%中国人のようでした。

な、なんなんだ! この巨大さは──北京国際空港

2015年5月26日
羽田を昼過ぎに出た中国国際航空の北京直行便。夕刻、予定どおりの時間に到着しました。着陸前から低空飛行に入るのですが、景色の“抜け”の悪いこと。聞きしにまさる汚染ぶりです。

 

クルマの排気ガスが作り出すPM2.5や黄砂のせいだというのはよく知られています。市当局は、日によってナンバープレートの奇数・偶数で、市内への乗り入れを制限しているといいますが、お金のある人は偶数・奇数の2台を保有し、日によって使い分けているそうです。結局、クルマが多く売れただけのようで、さして効果はないとのこと。

 

それにしても、北京の空港の壮大さ! 上海の浦東、香港、台北、シンガポールのチャンギー、バンコクのスワンナプーム空港も、初めて見たときは大きいなと思いましたが、それをはるかに上回る大きさ、広さです。
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それでも、中国の人の多さと引き比べると、早くも手狭になっているようで、来年にはもう一つ、国際空港がオープンするとか。改めて、中国という国の大きさを感じさせられました。

 

2時間ほど待ったころ、広島からの便で到着したNさんと合流。空港地下の駐車場も広くて立派です。高級外車もゴロゴロ止まっており、羽田空港と遜色ありません。

 

Photo空港からホテルに向かう途中にある、日本風のメニューをそろえた店で乾杯。そのあと「チャーハンが最高にうまい店」(Nさん)という触れ込みで連れていってもらったのは、なんと鼎泰豊(ティンタイフォン・台北の支店)でした。ただ、台北の店とはまったく雰囲気が違い、こちらは高級中華料理店の風。でも、チャーハンはホントおいしい! もちろん、小籠包も。しかし、それ以上に感動したのは鶏スープでした。

 

空港に近いエリアのようでクルマで走っていると、クラウンプラザ、マリオット、ウエスティン、シェラトンなど、アメリカの大手ホテルチェーンの看板が次々と目に入ってきます。ただ。これはいうならばPART1で、都心部には同じチェーンのホテルがまた別にあるようです。

 

高速道路はとても立派で、道幅も広いし、表示もわかりやすく感じます。日本風のせこせましさはまったく感じられません。

 

ホテルにチェックインしたときは、22時をとっくにまわっていました。