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初めて観光してみたフランクフルト

2013年12月10日
昼過ぎの列車でフランクフルトに移動するまでの間、ニュルンベルク中央駅近くにある鉄道博物館に行ってみました。一時はヨーロッパの鉄道界をリードしたこともあるドイツの鉄道。実物も展示してあるのですが、ミニチュアを走らせるジオラマの模型もあります。

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鉄道も航空も船舶など、「交通機関」にまつわる博物館というのは、いわくいいがたいのですが、無条件で面白い。夢をそそるというか、その造形美のすばらしさというか、あるいはまた乗務員・乗組員のいでたち、持っている道具など、何をとってもカッこいいのです。いうならば、一定の形式が備える美の体系、その完成度が人々の興味をそそるのでしょう。2時間ほどでしたが、たっぷり楽しませてもらいました。

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さて、フランクフルトというと単なる通過点のイメージが強い町です。日本からヨーロッパに行くときのゲイトウェイとしていちばんポピュラーですし、どこに行くにも1~2時間なので、便利さの点でも図抜けています。

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私たちはニュルンベルクからですから、鉄道。2時間ほどで着き、中央駅から歩いて、マイン河畔のインターコンチネンタルホテルに。ホテルの入口で出迎えてくれるドアマンから、「こんにちは」と日本語で声をかけられると、なんだか無性にうれしくなります。ホテルによっては「ニーハオ」とか「アンニョンハセヨ」など、別の国の言葉で声をかけられるケースもあり、そういうときはわざと「コンニチハ」と返事をし、「ノットチャイニーズ」「ノットコリアン」とお断わりするのですが、欧米の人にとってアジア人を峻別するのはなかなかむずかしいようです。

荷物を置くとさっそく、中心部に向かいました。川沿いの道からカイザーマルクト通りに入ってゲーテ広場へ。何年か前に来たときと同じように、ゲーテの立像が人々を見守っています。カタリーナ教会からツァイルと呼ばれる歩行者天国の道に入って東に進んだところが、中世の時代の市の壁跡が残るコンスターブラーヴァッへ。

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道幅の広いツァイルは大変な人通りで、ここもやはり世界中から観光客がやってきている印象です。続いて見えてきたのは聖パウルス教会。その向かい側にある旧市庁舎と南側のニコライ教会に囲まれたレーマー広場がクリスマスマーケットの中心です。屋台につけられた登録番号の票を見ると400番台まであるので、その規模の大きさがわかります。

本当なら子ども向けのはずのメリーゴーラウンド(カルーセル)に乗っているのも大人ばかり。とにかく、人の数はさすがドイツ2番目の都市だけのことはあります。ここいら一帯以外にとりたてて観光スポットはないようですが、それでも初めてゆっくりと見て回ることができたのはよかったです。

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夕食はシュタインベルガー・フランクフルターホフという老舗のホテルに入っている日本料理店を選びましたが、ガイドブックに「接待向け」とあるように、値段はかなりのものです。今回の旅行でいちばんの金額でしたが、そのわりには味もサービスもいまイチ。海外に古くから店を開いている日本料理店によくありがちの、なんとなく偉そうな感じのする店でした。

ニュルンベルクソーセージは焼いて食べるべし

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 今日は午前中、例によって動物園に行ってきました。ホテルの前からトラムに乗って15分ほどで到着。ここでも、キリンは元気そうにしていました。面白いのは、自然の地形を生かしてのことか、高い崖を思わせるような場所に、ヨーロッパアルプス・ローカルの動物がいたこと。冬の動物園で元気がいいのはアザラシやイルカの類だけです。

 

 

 

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動物園のあとは、ナチスが歴史的な党大会を開いた会場跡(ドク・ツェントルム)を見学。当時の様子を彷彿させる写真や映像がふんだんに展示されており、ドイツの高校生・大学生も多く見学に訪れていました。ドイツではいまでもなお、「ナチス」に関しては「100%悪」「二度とおかしてはならない過ち」という歴史教育の方針が徹底しており、このあたりが日本とは根本的に違います。変に隠蔽しようとしたり逃げ隠れしない姿勢はやはり、学ぶべきものがあるように感じました。

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午後3時ごろから、ニュルンベルクの街を象徴する「カイザーブルク」という古城へ。街の北の端の小高い丘に建つこの城の見ものは、そこからの景色でしょう。建物の中に入らず、塔の脇にあるところから街全体を見下ろす景色には圧倒されます。しかし、この日、私たちはなんと「虹」に出くわしました。それも180度のダブルの虹! 雨上がりだったということもありますが、東の空にくっきりと浮かんだニュルンベルクの虹は一生の思い出になりそうです。

 

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もう一つ、塔の脇に建つ小ぶりな建物の中にあった古井戸も印象的でした。上からピッチャーに入れた水を落とすのですが、その水が40mほど下まで到達するのに3秒ほどかかります。ポッチャーンという音が聞こえてきたときはもう絶句。しかも、落ちて行く様子が、ロウソク付きのカメラで実際に見られるのです。

L1080576_2城をあとにし、旧市庁舎前にあるレストランで夕食。お客さんは世界中から来ているようで、私たちが着いたテーブルはアメリカからやってきた4人連れのグループでした。彼らが帰ったあとその席にすわったのはブラジルの人。食べたのはニュルンベルク・ソーセージの炭焼きでしたが、これはたいそう美味でした。なんといっても、炭火の香りが魅力的で、ニュルンベルクソーセージは焼いて食べるにかぎるといわれるのも納得です。

 

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田舎町で聴いた少年合唱団の美声

2013年12月8日

昨夜、ガイドブックに目を通していたら、おもしろい情報に出くわしました。ニュルンベルクから鉄道で小1時間のところにあるレーゲンスブルクの大聖堂で、日曜日の朝10時から、少年合唱団の歌声を楽しめるというのです。「ドームシュパッツェン(大聖堂のスズメたち)」という名の合唱団だそうですが、これがウィーン少年合唱団も顔負けの美声を聞かせてくれるというので、ホテルを早めに出て、聴きにいきました。

 

 



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駅から歩いて10分、まだ9時半を過ぎたばかりだというのに、大聖堂の中はすでにほぼ満席。後ろのほうの席に遠慮深く腰をおろしてからしばらく経つと、毎週日曜日におこなわれているミサが始まりました。讃美歌から始まるその式次第の途中、何回か合唱団が歌うのですが、たしかに素晴らしい美声です。なかには、彼らに向けてカメラを構えている人もおり、要するに、私たちと同様、ミサよりそちらが主目的という人がけっこういたのです。この教会の壁にかかるパイプオルガンも、このタイプとしては世界最大ということで、それもまた目的のようでした。

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ドナウ河畔にあるこの町の売りは大聖堂くらいのものだと思うのですが、それでもミサのあと外に出てドナウ川近くの石橋あたり(世界遺産です!)まで行くと、なんと日本人の団体ツアーに出くわしました。クリスマスマーケット見学ツアーの流れで立ち寄ったのでしょうが、こんな、名前すら聞いたこともない町を訪れるのですから、たいしたものです。

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大聖堂近くに旧市庁舎があり、その1階にある食堂でランチ。ここのドイツ風ピザがとてもおいしいのが印象に残りました。そのあと、駅に近い聖エメラム教会など、ドイツでも屈指の富豪が保有する城のまわりを歩き──なんと、その中庭でもクリスマスマーケットが開かれていました!──レーゲンスブルクをあとにし、ドナウ川をもう少し下ったところにあるパッサウという町に向かいました。

 

鉄道でさらに1時間、この町はドイツ、オーストリア、チェコの国境にあります。さすが、ここまでやってくる日本人もいないようで、人はけっこう出ていたものの、ほとんどが欧米系でした。とりたてて見所があるわけでもないので当然といえば当然なのですが、それでもクリスマスマーケットがおこなわれており、日曜日ということでけっこうなにぎわいでした。

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パッサウから鉄道で2時間。ニュルンベルクに戻ると相変わらずの人出で街は大にぎわい。7時半くらいに着いたのですが、「これから」とおぼしき人の姿も目につきました。とにかく、ドイツ国内はもちろん、周辺の国、さらにアメリカあたりからやって来ている人も多いようで、さすがニュルンベルクのクリスマスマーケットは、ほかの街とはひと味もふた味も違うようです。

ミュンヘンからニュルンベルクに移動

2013年12月7日

今日は移動日。といっても特急で2時間ほどですから、さほど大変ではありません。中央駅から11時15分発のICEの1等席を予約してみました。スペインの1等車とどのくらい違うのか確かめてみたかったからですが、快適さという点ではスペインのほうが断然上を行っています。

 

おもしろいのは席のヴァリエーション。1人用、2人用、3人用、それ以上の人数用といったぐあいに並んでいるのです。ネットで予約すると、空いているかぎり好みのタイプの席を指定できるので、向かい合わせの席にしてみました。ただ、サービスはほとんどなく、せいぜい新聞が無料でもらえるくらいのもの。飲み物も食べ物も有料で、道中、車掌がオーダーを取りに来てくれます。なぜか、「HARIBO」というブランドのグミをかなず配っているのがおもしろかったかな。

ニュルンベルクもミュンヘン同様、ホテルは駅のすぐ近く。かつての「グランドホテル」ですから、創業以来150年ほどの建物。それ以上に驚いたのは駅舎です。何様式というのかは知りませんが、とてつもなくクラシックな建物で、かつて鉄道に「権威」がつきまとっていた時代を思わせるご大層な駅舎でした。町も、その駅舎にふさわしく古いところで、1000年以上の歴史を刻んでいます。

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ホテルで荷ほどきをするとすぐ町歩きに出発。駅前から旧市街に通じるケーニヒ通りに一歩足を踏み入れると、早くもクリスマスマーケットが始まっています。アウグスブルクくらいの小さな町だとクリスマスマーケットの屋台があるのは1カ所だけですが、ここは違うようです。

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屋台といっても、屋根付き、ひさし付きのコテージ、キャビンといった趣きで、それぞれがかなりの数の商品を並べています。飲食を提供する屋台の前はグリューワインやソーセージ(ハム)をはさんだパンを手にした人が固まっているので、通り過ぎるのも大変なことがしばしば。グリューワイン1杯(約200cc)がだいたい3ユーロほどなのですが、容器代としてとりあえず2ユーロ程度のデポジットが上乗せされます。飲み終えたあと店に返せば全額戻ってくる仕組みになっています。

屋台にはだいたい、クリスマス関係の品物が並べられています。ロウソク、ツリーの飾り付け用グッズ、そのほか人形や部屋の飾りなど種々雑多ですが、要は日本の年越し用品を思い浮かべればいいでしょう。それぞれの品々のテイストも地域によってかなり違うようで、そのあたりがバイエルン州の広さを感じさせます。

L10803846、7分歩いて聖ロレンツ教会の前まで来ると、もう芋を洗うようなにぎわい。まっすぐ前に歩くこともままならない状況になってきます。ニュルンベルクのクリスマスマーケットはドイツでも屈指のようで、とにかく人また人。まして、この日は土曜日でしたから余計です。国内はもとより、フランスやオランダ、ベルギー、イタリアなどから泊まりがけで来ていると思しき人の姿も目立ちました。ちなみに、日本人も多いこと、多いこと。ここ2、3年、ドイツ各地の「クリスマスマーケット」を訪れるツアーが目につきますが、人気のほどを実感させられました。

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しかし、このあたりはまだ序の口で、ニュルンベルクのクリスマスマーケットの花はペグニッツという名の小さな川を渡ってから。フラウエン教会と市庁舎の周辺は、もう身動きが取れないほどの混雑ぶりでした。この町のクリスマスマーケットは「子ども」を強く意識しているようでした。つきもののカルーセルはもちろん、子ども向けの商品をそろえた屋台が集中している場所もありました。もちろん、食べ物も同じ。これはほかの街にはなさそうで、そこにも人気の原因があるのかもしれません。

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ミュンヘン最後の夜はオペラ

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2013年12月6日

クリスマスマーケットだけでは飽きもするだろうと、出発前に買い求めておいたオペラ『トスカ』の上演が今晩です。バイエルン州立歌劇場というのは、たかだか「州」でこんなにも立派な劇場をというくらい素晴らしい建築物。なにせ最初に訪れた、王様の住居「レジデンツ」とセットになっている建物ですから、相当なものです。もっとも、バイエルンはいまでこそ「州」ですが、かつては独立した国家だったので、当然かもしれません。ただ、ウイーンのオペラ座のように内外に贅を尽くした派手派手しさはありません。ドイツ的というか、権威的な感じはありますが、これ見よがしの装飾などは極力排されているようです。

 

開演は7時だったので、昼間町に出たときにウイルコールでチケットの受け取りを済ませておきました。中央駅近くのカールスバッドというドイツでは有名なデパートをのぞき、その足でカールスプラッツ(広場)を経てマリエンプラッツまでぶらぶら歩き。

 

今日は朝から風が強く、気温もかなり低い感じです。しかも、出発前に家人が風邪をひいており、こちらに来てもなかなかよくならなかったため、午後は部屋で休んでもらい、私は一人で、強風で雪が舞う中を、旧市街地の東側を流れるイーザル川の中洲にあるドイツ博物館の見学へ。これがまた、とんでもなく広い博物館で、機械好き、鉄道好き、飛行機好き、船好きの人にはたまらない場所なのではないでしょうか。

 

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私自身はそれほどのマニアでもなんでもないのですが、3時間近くいて飽きることはなく、疲れも感じませんでした。ナチスドイツが第2次大戦中に使ったVロケットやUボートの実物を目にしたときは、それまで知識としてしか知らなかったものだけにやはり感銘を受けました。

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しかし、何より度肝を抜かれたのは、博物館の地下にある「炭鉱採掘ジオラマ」です。実際と同じスケールで複雑な坑道やら運搬用のトロッコ、選鉱のための施設など、ありとあらゆるものが忠実に再現されているのには感心を飛び越え、感動しました。途中、階段を上ったり降りたりするうちに妙に息苦しくなったりもし、非常にリアルなのです。30分ほども見てまわり、最後ようやく1階に上がっていったときはホッとしたというか、実際にその仕事に従事していた人たちの思いもかくあらんというか、ドイツ人のこだわりのようなものを感じさせられました。

 

博物館、それもいかにも男くさそうなシロモノばかりを集めたところですから、客層は例によって、中年過ぎのマニアックを絵に描いたようなオッサンがほとんどではないかと思っていました。しかし、これがどうしてどうして、若いカップルやら家族連れなど意外な感じの客が多いのには驚きました。今回私が見られたのは全体の半分ほど。まったく足を踏み入れなかったエリアもまだまだあり、全体を見学していたら、おそらく丸1日はかかるのではないでしょうか。

 

オペラのほうは事前の予習が足らず、ストーリーをよく理解しないままで臨んだものですから、楽しみも半ばというところでした。しかし、チケットは早々に完売になっていましたし、しっかりお洒落をしてきている客がほとんどで、会場の素晴らしさとともに、そうした時間の過ごし方ができるドイツ、というかヨーロッパの人たちの心の余裕のようなものを感じたしだい。ちなみに、私たちの買い求めたチケットは2人で240ユーロほど。前から15列目、左右のちょうど真ん中あたりという素晴らしい席でしたから、“授業料”としては安いものでしょう。

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半日がかりのお城見学ツアー

2013年12月5日

今回唯一のレディーメイド「現地ツアー」に申し込み、かの有名な「ノイシュヴァンシュタイン城」を観に行ってきました。ホテルでゆっくり朝食を取っている時間はないので、中央駅構内の立ち食いカフェでサンドイッチ。ただし、どの店で食べても、日本でよく売られている冷凍ものよりははるかにイケます。ドイツのパンはとにかくうまいのです。

 

同じく駅構内にあるSTARBUCKSが集合場所。定刻の8時になると、あちこちから、なんと50人を超える日本人が集まってきたではありませんか。私の事前の予想では、こんな城なんて、団塊おじさん・おばさんばかりでは……だったのですが、若い人がほとんど。私たちのほうがむしろ浮いている感じです。

 

 

まだ薄暗い中、バスは一路、ミュンヘン南西にあるシュヴァンガウの町へ。アウトバーン+一般道でほぼ2時間半走ると到着です。ノイシュヴァンシュタイン城の見学は個人客は非常に不利な仕組みにできており、こうした団体ツアーでなければ内部を見ることはできないようです。おみやげ屋の前でバスを降り、待つこと小1時間。ガイドさんに連れられて坂道を30分弱登ると、写真で見たのと同じ城が。しかし、そのときどきで異なるようですが、5から10分刻みで、だいたい30~50人ずつのグループに分かれ、中に入ります。

 

 

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ヨーロッパの城にもいろいろありますが、キホン、エレベーターなどあろうはずもないので、例によって羅旋階段を根気よくのぼり、上へ上へ。ミュンヘンというかバイエルン地方を治めていたヴィッテルバッハ家のルートヴィヒ2世が17年間かけて造らせた城ということで、中はさまざま趣向が凝らされており、好きな人が見れば、それなりに興味深いのでしょう。

 

 

ただ、この城の売りはそのロケーションに尽きます。まわりはほとんど断崖絶壁の山。北側に平地が広がり、シュヴァンガウの町を見はるかすことができます。その先にあるフォルッゲン湖と合わさっての景観は素晴らしく、その取り合わせを楽しめばいいのではないでしょうか。

 

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私たちは、○○風の装飾がどうの、××風の内装がこうのといわれても、ほとんど右から左に聞き流すだけ。そうした細かなことより、こんな場所に、これだけ手間ヒマかけて、おとぎ話に出てくるような城を造らせたという事実に感じ入りました。ディズニーランドのシンデレラ城もこの城がモデルとかいわれているようで、それが若い人たちの興味をそそるのかもしれません。

 

 

何より恵まれたのは、天気がおだやかだったこと。時と場合によっては、麓どころか、城の真ん前まで行っても城の姿が見えないこともあるということでした。それを考えると、今日は日もさんさんと差していましたし、シュヴァンガウの町や湖もくっきり見え、とてもラッキーでした。

 

L1080245私たちが城を見終え次の目的地に出発するお昼過ぎころからは、もうひっきりなしに見物客が訪れてきており、ふもとの店はどこも皆大変な混雑。ゆっくりランチを取る時間もなかったので、朝、駅の構内で取った朝食の残りとバナナで済ませ、バスに乗り込みました。そこから小1時間で世界遺産のヴィース教会へ。さまざまいわくのある教会のようですが、名物というか、それを観に世界中から、年間100万を超える人が訪れるという「涙のキリスト」像をちらっと見ただけで、そこをあとにしました。

 

ツアー最後の目的地は。観光ガイドには出ていない小さな町でクリスマスマーケットを見学するというものです。ものの15分もあればすべて見てまわれるほどの規模ですし、お腹も空いたのでカフェにもぐり込みお茶して過ごしました。5時半過ぎに街を出て帰路へ。7時前にはミュンヘンに着き、今日こそはとちゃんとした夕食を食べました。といっても場所はやはり駅構内。数少ないレストランで、これまた定番の肉を食しておしまいです。

 

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このあたりは今週の予想最高気温が摂氏3から6℃。朝は-3~0℃ですから、1日中ほとんど変化がありません。冬の間は毎日がそんな状態らしく、風が吹けば体感温度はもっと低く感じられ、お日様が照ればさほど寒く感じずに済みます。また日なたと日陰でもたいそう違いがあります。

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元大関・琴風、その人生は「まわりみち」の連続だった。力士時代の二度の大怪我、尾車部屋でのさまざまな苦難、そして頸髄(けいずい)捻挫による全身麻痺……それでも、人生、最後に勝てばよい!
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「城下町の謎」を知れば、日本の真実が見えてくる! 日本人はなぜ「城」が好きなのか。何が城下町独特の雰囲気を生み出しているのか。城下町出身の人は、なぜおしゃれなのか、なぜ「上から目線」になってしまうのか……など「城下町」にまつわる疑問をさまざまな角度から展開した、思わずヒザをたたきたくなる痛快エッセー。

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ドイツで中華饅頭とは!

2013年12月4日

 今日はミュンヘンから鉄道で約1時間の古都アウグスブルクに行ってきました。よく聞く「ロマンティック街道」にあるこの町は、人口も27万程度と、さほど大きくはありませんが、味わいに富んでいました。

 

 

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なにせ、町の名前からして、古代ローマの皇帝アウグストゥスにちなんでいるというのですから、その歴史の長さは想像を絶しています。駅から歩きケーニヒ広場というところまで行くと、大々的な工事がおこなわれていましたが、その先は石畳の道も多く、ちょっと横丁や路地に入ると2000年前──というといささか大げさに過ぎますが──、少なくとも500年前くらいの香りはただよってきそうです。

   

まず、ドイツの町では定番の大聖堂を拝観。1100年前から建築が始まったそうで、ステンドグラスは世界最古のものだといいます。そのあとは市庁舎へ。ここでは「黄金のホール」と呼ばれる部屋を観ました。「市庁舎」という名前からすると、市役所のような無機質な建物をつい思い浮かべてしまいそうですが、ドイツではそれは当たりません。たいがいは、大聖堂と並んでその町でいちばん古い建築物で、町のいちばん偉い人たちが出入りしていたのでしょう。それがために、絢爛豪華な内装をほどこした部屋を備えていたりするようです。

 

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その市庁舎の前を走るのがいわゆる「ロマンティック街道」。文字のとおりに訳すと「ローマへの巡礼の道」ということになります。そこを60をとうに過ぎた私と家人とが、たとえ手をつないで歩いたとしても、別の意味での「ロマンティック」な気持ちは沸きそうにありません(笑)。道すがら、夏になればさぞかし楽しい時間が過ごせそうなカフェもけっこうあるのですが、真冬ですから、そうした店にも入ろうという気にもなりにくく、結局、ひたすら歩き続けることにあいなります。

 

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「黄金のホール」を見たあと、裏手の坂道を下り「フッグライ」という、一風変わった場所に行きました。これまた世界最古という触れ込みの、社会福祉住宅(日本流にいうとタウンハウスでしょうか)が建ち並ぶエリアだそうです。社会福祉住宅といっても、日本人の感覚からするとけっこう立派な建築物で、いまなお人が住んでいます。ただ、家賃が驚くほど安く、観光ガイドには年100円(!)ほどと書かれています。住民が家を出入りする姿を目にすることはありませんでしたが、どこの家もこぎれいな感じで、窓にクリスマスの到来を思わせる飾りつけがなされている家もありました。

 

 

 

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L1080172市庁舎昨日に続き、今日もまた町歩きをしながらグリューワインやらソーセージやらシュトーレンというお菓子やらをちょこちょこ口にしてしまうため、決定的な空腹を感じるときがなかなかありません。

夕方4時を過ぎ、空が暗くなるのに合わせて寒さが増してくるので、遅くまで歩いていようという気にもなれません。結局、寒さをしのぐのと、ちょっと休憩したいの一心だけで、ロマンティック街道から少し入ったところにカフェを見つけ、そこでお茶を飲みました。ただ、ケーキがあまりにおいしそうで、チョコレート系のものを一つ見つくろい、それを家人と分けながら食べました。それでも3分の1は残しましたが……。

 

 5時半ごろに店を出ると、市庁舎前広場のクリスマスマーケットはもう大変なにぎわい。そうした中で見かけはまごうことなき「中華饅頭」という食べ物を見つけました。店のオーナーは中国系の人かと思って目をやったのですが、その気配はまったくなし。完全なゲルマンの顔です。地元の人の様子を見ると、お皿に乗せた上から何やらスープめいたものをかけて食べています。

 ものは試しと、さっそく一つ買って口にしたのですが、これがまたとんでもないシロモノ。スープのように見えたのは実はシロップで、中華饅頭(といっても、ミルクと油で蒸し焼きにした酵母入りのふわふわのパン)も中身はなくすべて皮だけといったもの。これでシロップでもおいしければイケたのでしょうが、ただただ甘いだけ。申し訳ないとは思いましたが、ひと口だけでやめました。名前は“Dampfnudel Ungefullt"。私たちが買ったのは、それに“mit Vanillesosse”とありましたから、なるほど甘いはずです。 

 

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7時にはアウグスブルクを出発、帰路に着きました。ミュンヘン着は8時ごろ。今日もまた夕食は食べたような食べないような。駅中の、よくもまあこれほど……と思わされるほどたくさんあるパン屋でサンドイッチを買い、部屋でそれを食べるというパターンで終わりました。

念願のドイツ・クリスマスマーケットに

2013年12月3日

昨日夜遅く、フランクフルト経由でミュンヘン着。


今回はJALのマイレージが貯まってもらった特典チケットなので、往復の運賃はゼロです。

さすがに、ホテルからは一歩も出ずに休んで、今朝は朝イチから街に出ました。Uバーンでマリエンプラッツまで出て、まずは「レジデンツ」の見学。

 

名前からすると、この一帯を治めていたバイエルン選帝侯の居所なのでしょう。
それはそれは広大な建築物なのですが、ウィーンやパリ、サンクトペテルブルグで見たような、きらびやかな雰囲気とは違います。なんだかんだいっても、ドイツはやはりヨーロッパの後進地域だったわけですし、皇帝の絶対権力もさほど強くはなかったのでしょう。
上を見ても下を見てもどこも皆ピカピカという感じではありません。
それでも、代々の王、その一族の肖像画をズラリと並べた祖先画ギャラリーと、同じくその彫像を並べてあるところは、ほかの宮殿には例がなく、一見の価値があります。

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「レジデンツ」をあとにし、マリエンプラッツに戻ると、まだ昼前だというのにどんどん人が出始めていて、クリスマスマーケットを盛り上げる屋台もボチボチ店を開け始めます。
そんな仲の1軒でグリューワインとシュトーレンという名物を軽くやり、第2目標の動物園へ。
マリエンプラッツという大繁華街からUバーンで6つ目、わずか12、3分乗っただけで、地上は大都市であることをまったく感じさせない文字どおりの田園風景。
川がゆるやかに流れています。
駅から地上に出てその川にかかる橋を渡ったところが動物園で、
今年でオープン140周年だそうです。

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お目当てはいつもどおりキリン。
入場料12ユーロなりを支払って中に入ると、5分も歩かないうちにキリンが! 
おとな3頭、子ども1頭が悠々とその姿を見せてくれました。
園内を流れている川の一部は凍っていますし、動物がいる柵の中もところどころ地面に雪が積もっていたり霜で固まっていたりなど、さすが冬の動物園。
ホッキョクグマだのペンギン、アザラシなどにとっては快適な環境でしょうが、アフリカやインドなどが原産の動物たちにしてみるとやはりしんどい毎日のはず。
動きが鈍いというか、なんだかボーっとした様子を見せています。
インドゾウなど、最初から外にも出ていませんでした。

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冬の動物園、それも平日となるとどこかうらさびしい印象もあるのですが、それでもゆったりとしているので、気持ち的にはゆるみます。これで寒くさえなければ最高なのですが。

動物園は1時間で切り上げ、再びマリエンプラッツに戻り軽い昼飯。
温かいコーヒーとサンドイッチのごく軽い内容ですが、それでも全部を食べ切るとなると容易ではありません。
基本的にボリュームが違うので、どうしても残してしまいます。

そのあと、かの有名なBMWミュージアムまで行きました。
BMWとはそもそも「Bayern Motoren Werke」の頭文字を並べたもので、ミュンヘンに本社があります。
ちなみに、メルセデス・ベンツとポルシェはもう少し西のシュトゥットガルトが本拠地。
かつて1972年に開催されたミュンヘンオリンピックの跡地を利用したのでしょう、巨大な工場とショールーム、さらにミュージアムからなるこの一帯はまさしくBMW城下町。
世界中から工場やミュージアムの見学を目的とした人がいっぱい訪れてきます。

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ショールームを見終わり、ミュージアムに移動したのですが、あいにく午後2時からはイベントがあるそうでクローズ。またの機会にということで、そちらをあとにしました。

一度ホテルに戻ってひと休みした後、夕方6時からクリスマスマーケット夜の部へ。
昼間よりさらに多くの人が出ていて、マリエンプラッツ周辺はごった返しています。
フランスから来ている人がいちばん多いように思えるのは、カトリックの国ですぐ近くだからでしょうか。
クリスマスを盛大に祝うのは、ドイツがプロテスタントの国だからにちがいありません。
カトリックの国フランスではこうした場はあまりなさそうな気がします。

私たちはマリエンプラッツから歩いて10分ほどのところにある「レジデンツ」の中庭でおこなわれているマーケットに行きました。
グリューワイン、リンゴのフライ、ピーナッツの煎り菓子など、以前『札幌学』執筆のため取材した札幌のクリスマス市で経験したことのあるこの時期の名物を次々と買っては飲み、食べ、堪能しました。

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「日ロ創幸会」の設立準備会に参加

2013年11月23日

正午から始まる会があり、祭日だというのにネクタイまで締め、丸の内まで出かけました。

 

 

8月にロシアを訪れたのが一つのきっかけなのですが、「日ロ創幸会」という名のNPO法人と関わることになったからです。

その名のとおり、「日本」と「ロシア」の人々との間を結ぶことで「幸」福の歴史を「創」っていきましょうという基本趣旨にのっとって発足することになった会の、きょうは設立準備会なのです。

同法人の発起人は、夏ロシアでご一緒したEさん。下のお名前が「幸作」ということもあり、「創幸」という名称は早くから決めておられたようです。

ロシアのあちこちを一緒に回っていた折、雑談の中でそうした話はされていたのですが、まさかこれほど早く形になるとは思ってもいませんでした。

「NPO法人」という言葉はよく耳にしますし、実際、私自身も講演の依頼を受けたり、会合にお招きいただいたりなど、いくつかのNPO法人と接点はあります。しかし、今回は「理事」の役を引き受けてくれませんかとのお話でした。

もちろん、Eさんには奥様ともどもに大変お世話になっているので、二つ返事でお引き受けしたのですが、自分のような者に果たして何ができるかと考えてみると、なんともおぼつかないというのが現実です。

 

私自身、昔もいまも、とりたててロシアに関心を寄せていた(いる)わけではありません。そもそも、今年の夏ロシアに行くことになったのも理由は簡単明瞭。モスクワで世界陸上選手権が開催されたからです。

ただ、そうはいっても、ロシアです。行く前には根拠のない不安があり、それを少しでもやわらげたいとの思いで、Eさんに相談を持ちかけたのが事の始まりでした。

 

しかし、人生というのは面白いものです。Eさんにとってはむしろそれがきっかけとなって、ソ連の時代も含め、仕事としてこれまで40年近く関わってきたロシアという国、またその中でつちかった広範な人間関係を、仕事をやめたからといって放り出してしまうのはもったいないと感じたのではないでしょうか。その思いがあっという間に熟成され、3カ月も経たないうちに、具体的な形になったということです。

私自身も、8月中旬に帰国して以来、新聞や雑誌で「ロシア」という文字があると、なんだか吸い寄せられるように読んでしまうといったことが、何度となくありました。

また、ロシアという国が、文字どおり「百聞は一見にしかず」で、私の好奇心を大いに刺激してくれたことはまちがありません。

次はなんとしても「冬のサンクトペテルブルグを、ぜひ自分の目で見てみたい!」と思ったくらいですから。しかも、その思いはいっこうに衰えを見せません。

 

それどころか、今日の会で隣にすわられたEさんが、「来年3月にぜひまた来てくださいとセルゲイさから連絡があったんですよ」などという話をされたときも、「来年3月は、どんなスケジュールになっていたっけ?」と自問自答していたほどです。

そのセルゲイさんとは、モスクワでご挨拶をしただけで、ゆっくりお話することができなかったのが、私たちにとっては大きな心残りになっていました。しかし、こうしたことが、旅への意欲、モチベーションを高めていくのです。

8月のロシア行きにしても、当初はEさんお1人でということのようだったのですが、何度か打ち合わせをしているうちに、奥様もその気になられたとのことです。

ご主人が40年近くにわたってソ連─ロシアを、都合80数回も訪問したにもかかわらず、奥様は一度も同行されたことがないというのは、考えてみれば不思議な話です。

 

ただ、Eさん自身にしてからが、そもそも「公」以外でロシアを訪れたことはないというのですから、致し方のないことだったのでしょう。

でも、これまでの仕事にいちおうピリオドが打たれたのですから、これから先は「私」でロシアに行ってもいいはずです。そこに奥様はじめ、ご家族のだれかが同行しても、むしろ「いい話」ではないかと、私などは思います。

「お父さんは、こういう人たちと仕事をしていたんだ」とか「こういう場所にいつも行っていたのか」といった経験をすれば、違った父親像が見えてくることもあり得るでしょうし、それがまた思わぬ展開をもたらすこともあるかもしれません。

おそらくは、そういうことの積み重ねによって個々人の人生は変わり、ときにはドラマを生み、ひょっとしたら世界を変えるなどということさえ考えられるわけです。

何事も経験とはよくいったもので、そこに私個人の生き方も焦点を合わせて生きています。

ちなみに、今日は私と家人の37回目の結婚記念日でした。2人でどこかで豪勢な食事でも……などと考えなくもなかったのですが、今日の会は十分、その代わりになりました。

飽きるほど見慣れているいつもの2人より、多くの方と一緒にテーブルを囲んで食べるほうが楽しいに決まっています。「日ロ創幸会、万歳!」と叫びたくなりました。

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素晴らしい思い出となる経験をさせていただいたEさん、また奥様に乾杯! です。ありがとうございました。

50年ぶりで訪れた犬山

2013年11月13日

高校のかなり後輩──もちろんまったく知らない相手です──から、会社のホームページを通じてアクセスがあり、講演を頼まれていたのですが、それで今日。というわけで、愛知県の犬山市に行ってきました。小学生の遠足で訪れて以来のことですから、およそ50年ぶりでしょうか。

その間に明治村という全国的にも有名な観光スポットもでき、昔とはまったく変わったのではないと思いつつ、名古屋駅前のホテルを出ました。

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市内を流れる木曽川沿いに、国宝にもなっている犬山城があります。先日脱稿した「城下町」がテーマの単行本に関連し、本当なら取材に行きたかったのですが、時間の都合でそれがかなわずにいました。でも、はからずも今回現地に足を運ぶことができ、よかったです。

そういわれれば、愛知県内にある旧城下町の岡崎や豊橋といったところは、もともと同じ県ということもあり、一度も行ったことがないことに気づきました。まさしく「灯台もと暗し」なのですが、こういうことではいけないなと反省したしだい。

犬山は「城」を観光の目玉にしようと、さまざまな試みを続けている町で、かなり意欲的。旧城下町の界隈は、電線をすべて地下化する徹底ぶりで、うまくすればフィルムコミッション的な活動も展開できそうです。

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ただ、観光地としては、名古屋からやってきて宿泊するほど遠くないのがネックかもしれません。しかし名古屋に固執せず、もっと遠くからやって来させるための工夫をすれば、なんとかなりそうな気もします。

明治村というすぐれたテーマパークもあるのですから、歴史好きの段階世代や若い人に焦点を当てることで、観光客をいま以上に増やすのけっして夢ではないでしょう。あとは宿泊施設をどう増やすか、どうビジネス的に成り立たせるか。そのあたりのアイデア勝負という気がします。

楽天が、「日本一になったぞ~!」

2013年11月3日

 

パリーグの楽天が巨人に4勝3敗で破り、日本一。最高にうれしいですね。星野監督はけっして好きではありませんが、それより何より、どうひいき目に見ても戦力的には劣っている楽天が勝ったのが気持ちいい!

田中将大を9回のアタマから投げさせたときはどうなることかと思いましたが、杞憂に終わりました。ヒット2本を打たれたものの、3つのアウトをきっちり取って、役目を果たしましたから。

先発の美馬やリリーフに立った則本も浮かばれました。嶋のリードも冴えに冴えていましたし、銀次のガッツあふれるバッティングもすべて実ったのですから、ファンにとっては最高の幕切れといえます。

それでも巨人ファンがまだまだ圧倒的多数を占めている日本のプロ野球はやはり遅れているのではないでしょうか。

いつもいうのですが、人口が日本の2倍のアメリカには32チームの野球チームがあります。日本の12チームは、どう考えても少ないとしかいいようがありません。

アメリカには野球以外に、メジャーなものだけでも、アメリカンフットボール、バスケット、アイスホッケーという、全部で4つのプロスポーツがあるのですから、見かけ以上の差があるのは明らかです。

新潟のアルビレックスが地域に根ざしたプロスポーツをめざし、サッカー、野球、バスケットの世界で地道な努力を続けていますが、ほかにそういう都市はまだありません。

アメリカと比べてみるとよくわかると思うのですが、日本には人口40万を超える都市が47(50万以上でも28都市)あるのですから、それぞれ1チームずつ(野球とサッカーで棲み分けも可能)あってもおかしくはないはずというのが私の正直な思いです。

きょう日のトレンドからすれば野球よりサッカーでしょうが、それも近ごろは観客数の減少がひどいようで、2シーズンのような、ワケのわからないアイデアが出てきたりしています(考え直すことになったようですが)。

プロのチームを経営するほうもするほうなら、楽しむ側も楽しむ側というか、要するにまだ未熟なのです。

楽天の日本一が、そういう「野球は巨人」的な考え方にとらわれている日本人の、プロスポーツに対する考え方にそろそろピリオドを打つきっかけになればいいのですが、やっぱり無理でしょうねー。

「判官びいき」などというのは、悪い意味での「島国・日本」でしか成り立たないのではないかと思います。

まだまだ分厚い、オールブラックスの壁

2013年11月2日

ラグビーのジャパン対オールブラックス(NZ)のテストマッチを観戦しました。

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2年前のワールドカップの予選プールで対戦して以来の対戦ですが、短い間にジャパンが長足の進歩を遂げたのが感じられ、とてもうれしかったです。

 

 

とはいっても、まだまだ手が届くところではありません。

しかし2年前のオールブラックスにとって「赤子の手をひねる」ような相手だったのに比べれば、中学生くらいのレベルには成長したのではないでしょうか。

 

 

それにしてもオールブラックスはまったくスキがないというか、したたかというか、どんな形容詞を並べ立てても表現できない、ほとんど神様のようなチームです。

 

 

 

そのオールブラックスを相手に、最初の20分間と最後の5分間は「おーっ」と思いました。ドラマチックだったのは最後の5分間ですが、これは一方的に負けているほうが最後に来て必死になることでよく見られるシーンなので、驚くにはあたりません。

 

 

Photo_3 ジャパンの成長を実感させられたのは最初の20分間です。気合いが入っていたこともあるでしょう。

 

ワールドカップのときは、戦う前からもう小さく見えましたが、今回はそういう印象はありませんでした。低いスクラムで相手を押し込みボールを奪うこともありましたし、相手が密集に寄ってくるより一瞬早くパスを回す場面もありました。

互角というと語弊があるかもしれませんが、NZに「これは2年前とは違うぜ!」という印象を持たせるに十分な内容でした。

 

 

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それでも、NZのあげたキック(ハイパント)を日本がキャッチし損ねた一瞬を逃さずボールを奪い取り、あっという間の初トライ。そのあとNZの反則で得たPGを2本決め、7対6になってからは、NZの真剣度は一気にアップ、結局は地力の差がそのまま数字にあらわれた(54対6、NZの8トライに対しジャパンはPG2本のみ)のではないでしょうか。

 

タックルのあとのブレークダウン(ボールの争奪)ではやはり後手にまわってしまうのがいちばん大きい差のように思えます。それでも、ときおり見せてくれた連続攻撃は2年前にはほとんどなかっただけに、その分は成長したといえるでしょう。最後の5分間の攻防も見ごたえがありました。

 

 

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でも、いちばん印象に残ったのは、絶対にトライを取らせまいとするオールブラックスの強烈な執念です。大学生でただ一人出場したウィングの福岡がゴール左隅に飛び込む寸前、2人がかりでラインの外に押し出したタックルのすごさは、さすがとしかいいようがありません。 

 

でも、なんだかこれからがとても楽しみになりました。日本でのワールドカップ開催は2019年ですが、まずは2年後のロンドン大会で、予選プールを勝ち上がれるかどうか。それが実現すれば、19年の大会もかなり期待できそうです。

 

今日観戦した20454人のファン全員がそう思ったことでしょう。

日本銀行を大人の社会見学

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2013年10月31日

1カ月半ほど前でしたか、新聞で「日本銀行の見学ツアー参加者募集」の記事を見つけた家人が「行ってみない?」と提案してくれました。もちろん即座に了解し、インターネットで申し込んだところみごと当選。

 

なんでも、ガイドツアーというのは1年に1度しかないらしく、けっこうな人気だそうで、私たちは今日がその日です。

日本橋の三越本店に買い物に行ったときに目にはするものの、実際、その敷地・建物に入るのは初めて。集合時間より15分も前に行ったのに、もう100人近い人が集まっています。

3つのグループに分かれ、それぞれ決められた順序で見学するのですが、貴重な経験になりました。1億円の札束のボリュームも初めて体感し、想像以上の重さにびっくり。
いうならば“大人の社気見学”ですが、まだまだ知らないことがいっぱいあることを改めて自覚し、やはり長生きしなくては……と思ったしだい。

とりあえず、ガンを“卒業”!

2013年10月30日

5年前の6月に発見され8月に手術した胃ガン。

術後の経過を観察する規定の期間が過ぎ、その最終検査の結果が今日出ました。

担当に医師から告げられたのは「再発・転移の心配はない」ということで、とりあえず無事“卒業”です!

自分自身の体では、たぶん大丈夫だろうとは感じてはいましたが、やはり医師から太鼓判を押されるまでは、思い込みといわれても仕方ありません。

でも、実際に太鼓判を押されれば、文字どおり天に昇るような気持ちになるものです。

医師も、今日はそうしたことを告げる担当患者が私で2人目ということで、声もはずんでいました。そういう日はありそうで、なかなかないのだそうです。

もちろん、この日を迎えられたのも家人をはじめ、家族やまわりの人たちのおかげで、病気は本人ひとりだけではけっして治せないということを痛感します。

なかでも、37年連れ添った家人のサポートにはただただ頭が下がるばかり。

心から「ありがとう!」を叫びたい気持ちです。

これから先どれだけ感謝しても感謝しきれません。

AVEの一等車のサービスは日本より上

2013年10月9日
今日はセビリヤの最終日です。午前中はホテルのすぐ近くにある、目立たないのですが、味わいのある広場を見に行きました。

Photo_36ずっと探していたのですが、やっと見つけることができました。週末になるとノミの市が開かれるそうで、それに遭遇できなかったのがなんとも残念です。

ホテルをチェックアウトし、サンタフスタの駅からAVEでマドリードに戻ります。帰りは奮発して1等車に乗りました。日本のJRでいうグリーン車ですが、これがまたグリーン車をはるかにしのぐサービスのよさ。乗ったらすぐ飲み物(ジュースか水かワインから選べます)が届けられ、しばらくすると新聞・雑誌。1時間ほど経つと軽食が配られ、またまた無料の飲み物が提供されます。

Renfeセビリヤからマドリードまでは東京・大阪間と同距離。値段も日本のグリーン車とほぼ同じですから、はるかにお値打ちな感じがします。

日本もスペインも、鉄道は独占事業ですから、この種のサービスも、なければないで済んでしまうのですが、スペインはなぜか、素晴らしいサービスを提供してくれました。日本のグリーン車については、以前もこのブログで不満を記したことがありますが、改めてその思いを深くしたしだい。

さて、マドリードのアトーチャ駅に着き、そこからタクシーで前と同じホテルにチェックイン。それにしても、駅前にあるオブジェは笑わせます。Photo_47
意味がよくわからないのですが、子どもの首から上の部分がころがっているのですから。

 

預けておいた荷物を部屋まで運んでもらったあと、まだ一度も足を踏み入れていないサラマンカ地区まで出かけました。

 

これまで何度となく歩いたダウンタウン=旧市街とはまったく趣きが異なります。おしゃれというか、ハイブローというか、高級ブティックがいくつも軒を連ね、地元のややレベルの高そうな店も少なくありません。Photo_37

そんな中で見つけた紳士服店があったのですが、ちょうどシエスタに引っかかりドアが閉まっています。再オープンはなんと午後5時だそうで、1時半からなんと3時間半も昼休みを取っている計算になります。でも、それを待ってでも……という価値のありそうな店だったので、ほかのところで時間をつぶしながら待ちました。

やっとの思いで中に入ったのですが、やはり洒落た服がいっぱいでした。そこで日本にはない色使いのシャツとコーデュロイのジーンズを買い店をあとにしたのですが、値段も安く、とても気分がよかったです。

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ホテルに戻る前に、近くにあるシベレス広場に立ち寄りました。マドリードでいちばん美しいともいわれるスポットだといいます。周囲には19世紀から20世紀にかけて建てられたリナレス宮殿、シベレス宮殿(マドリード支庁舎本部)、スペイン銀行(バンコデスパーニャ)、ブエナビスタ宮殿と、4つも歴史的建造物があります。広場の中心にある、マドリードの象徴=シベレスの噴水は、カルロス3世により18世紀に計画されたプラド通りの装飾の一部として造られたもの。また、レアル・マドリードの優勝を祝うパレードの最終地点とのことです。

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夜は、20数年前にも訪れたことがある日本料理店「どん底」で幕の内弁当を食べました。日本人の姿は皆無で、私たちがいた1時間半の間に来店したのはすべてスペイン人。初めてといった感じの人もいたようですが、大半は常連ではないでしょうか。スペインでも日本食は人気があるのですね。

短縮されたシエスタ

2013年10月8日
ホテルのパティオにある屋外レストランでバフェットの朝食を済ませ、まず闘牛場の見学に。
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途中ビールとサングリア。その昔イングリッド・バーグマンも泊まったというインテグレッサホテルの前まで歩きました。そこから北へ行くと、「世界最大の木造建築」という触れ込みの奇妙な建物があります。いったいなんのための建物か、さっぱりわかりません。ホント、いったいなんなのでしょう。

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それにしても天気がよすぎるというか、今日もピーカンです。日なたを歩き続けると、さすがに暑さがこたえます。マドリードより5、6度は気温が高いようで、今日の予想最高気温は30度でしたから、それも当然でしょう。天空にアーケードというか布の覆いをほどこしてある商店街もありました。

Photo_33途中で見かけたスイーツの店(=「サンパブロ」)で買ったお菓子が美味。1個1ユーロなのですが、日本にはない味です。商店街を終えたところにあったLOEWEで買い物。日本人もけっこう来ている様子です。

そこから歩いて10分のところにあるカテドラルへ。30分で見学し、昼食。おみやげを買いにブラブラし、陶器のお皿を選びました。そのあとホテルでシエスタ。シエスタ中の店はシャッターをおろしており、完全に「準備中」の構え。以前はたっぷり3時間はとっていたのですが、観光当局のお達しもあり、近ごろは2時間から2時間半に短縮されたそうです。開いているのはバールのみでした。

昼寝から目が覚めたのは夕方6時過ぎ、といっても外はまるで真昼のように明るいのですが、スペイン広場まで歩いていきました。途中、まだ一度も通っていない道をということで、古い王立タバコ工場の前を歩いて行ったのですが、ここはいまなんと大学になっています。一つのブロックをまるまる占める広大な敷地に建物が一つだけですから、その大きさがうかがい知れます。

Photo_34それにしてもタバコ工場の跡地、いや跡建物でしょうか、に大学というのはとてもおしゃれな感じがしました。ちょっと校舎の中をのぞいてみたのですが、さすが「王立」、なんとも立派なつくりです。

ホテルを出て、15分ほどでスペイン広場に着きました。これまたなんとも広い敷地に半径200メートルという半円形の建物が一つあるだけですが、そのスケールの大きさときたら。もともと1929年に開催された万国博覧会(イベロ・アメリカ博覧会)のパビリオンとして建てられたそうで、半円形に延びる長い回廊と、それを囲む壁にスペイン各県の歴史的できごとを描いたタイル絵がズラッと並んでいました。写真を撮るには格好の場所で、私たちもそれこそ何十枚と撮り、またときには撮ってもらいました。Photo_35

セビリヤに新幹線で移動

2013年10月7日
今日はセビリヤに移動します。午前11時にアトーチャ駅を出て10分も走ると、車窓に見えるのは荒野というか、背丈の低い木が生えているだけでほかには何も見えなくなります。テレビの旅行番組などではよく目にしていたのですが、実際に見てみると、単調すぎて退屈してしまいます。私たちの乗ったAVEは途中、コルドバにしか停車しないので、途中1時間半ほどじっくり本を読んだりしながら過ごしました。

定刻の13時30分より6、7分早くセビリヤのサンタフスタ駅に到着。こじんまりしてすっきりとした駅です。地上に出ると、まぶしい光にびっくり。時間も時間なのでしょうがありませんが、気温も高そうです。タクシーの運転手は「30度」といっていましたが、たしかにそのくらいはありそうです。Photo_42

10分足らずでホテルに到着。セビリヤでは「アルフォンソ・トレッセ」という、クラシックホテルです。Photo_41

「トレッセ」は「XⅢ」で、国王アルフォンソ13世の名前を冠したことからも想像されますが、いかにも重厚な外観が印象的。バロック様式やムーア様式を採り入れた客室はいかにも上品で、格式のある豪華さがただよっています。

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朝食はパティオで食べるのですが、それがまたフンイキで。

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中庭の見下ろせる部屋にチェンジしてもらい、さっさと荷ほどきを済ませ、すぐ町に出ました。カテドラルは時間が足らずに翌日まわしにしましたが、アルカサルというスペイン王室の宮殿は息をのむほどの美しさ。イスラム時代の宮殿の跡地に作られたもので、グラナダのアルハンブラ宮殿にもどこか似た雰囲気があります。

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そのあと名物の馬車で市内をめぐりました。セビリヤ万博のときに作られたパビリオンがいまでも残っているスペイン広場の周辺は心地よく、世界中から多くの人がこの町を訪れてくるのがよくわかります。それに、なんといってもすべての観光スポットに歩いて行けるのがありがたいです。かつてはユダヤ人が住んでいたというなサンタクルス街はほとんど迷路のようで、歩くというよりを探検するといった感じでしょうか。ガイドブックに出ている地図もほとんどアテになりません。

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歩き疲れホテルでひと休みののち、再び町へ。夕食は結局、近くのレストランでパエリヤを選び、今回のスペイン旅行で初めてワインを飲みました。さすが、パエリヤ発祥の地といわれるだけあって、えらく美味でした。

Photo_25このレストランの界隈は、地図と首っ引きで歩いてもワケがわからなくなる感じで、カンを頼りに歩くしかありません。この店もそうした中で見つけたのですが、BINGOでした。

食べ終わると疲れがどっと出てきたのか即座に酔いがまわり、ホテルに戻ると即就寝。

サッカー応援の成熟度

2013年10月6日
今日は日曜日。サッカー(リーガ・エスパニョーラ)の試合観戦です。出かける前に、昨日と同じくカフェで軽い朝食。今日の店は昨日と違い、多少本格的なカフェで、オレンジジュースの味もひときわ本格的。やはりしぼりたてのオレンジジュースは最高です。

地下鉄を乗り継いでピラミデス(Pyramides)という駅で降りると、試合開始2時間前だというのに、まわりはもう人、人、人。男性が7割かたを占めていましたが、家族連れもけっこう目立ちます。Photo_16

日本から予約しておいたチケットを受け取るのは、スタジアムの地下にあるスポーツレストランの一角。なんとも狭苦しいところに、同じようにチケットを受け取る客がひしめくように並んでいます。パスポートを見せて受け取り、さっそくスタジアムの中へ。5万人収容という大きさですが、設計がよくできているせいか、非常に見やすいつくりです。

試合は今シーズン絶好調、ここまでリーグ戦では負けなしのアトレティコ・マドリード対セルタ。2対1でマドリードが勝ちましたが、そのスピードには驚くばかりでした。日本も強くなったとはいえ、まだまだというのが正直な印象です

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おもしろいのはサポーターの応援スタイル。スペインらしくないというか、実に整然としています。見る前は、もっと勝手気ままというか、ワインかなんかを飲んで全員酔っぱらっているのかと想像していたのですが、これがあにはからんや。ラッパの類は一切なしで、鳴りものといえば太鼓だけ。そのリズムに合わせてサポーターの集団が声を出す、歌う、旗を上下に振る、腕を突き上げる……統一された動きの素晴らしさを久しぶりに目の当たりにしました。こういう点でもヨーロッパは日本より先を行っているのかもしれません。

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サッカー場から地下鉄でプエルタ・デル・ソルに戻り、昨日見つけた、行列のできるお菓子屋へ。店外のショーケースに並べられている各種ケーキやらクッキーやら、どれも皆、見ただけでよだれが落ちそうになるほど。今日はその中の選りによったアイテムを食してみたのですが、やはり見た目と実際の味とは違うもの。もっとも、日本人の舌に合わないということもあるのかもしれませんが。

あたりをブラブラしたあと、遅めの昼食でウドンを。その名も「UDON」という店だったのですが、ここもやはり不発に終わってしまいました。でも、スペイン人は皆、おいしそうに食べています。このあたりも味覚の違いでしょうか。

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元気なマドリードのキリン5頭

2013年10月5日
今日は、恒例の動物園訪問。ホテルを出て地下鉄の駅まで歩いて行く途中に、いかにも安手のというかお手軽なカフェがあったので、そこでごく軽目の朝食をとりました。家人はしぼりたてのオレンジジュースのみ。私はクロワッサンのサンドイッチとチュロス。
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こちらはチュロスの本場というか、日本で食べるそれとはまったく違い、ちょっと塩味がします。これをホットチョコレートにつけて食べるらしく、それゆえ塩味になっているのでしょう。たしかに美味です。

朝食を済ませ地下鉄に。といっても15分ほど乗ると高架になってしまい、あっという間に到着。駅から動物園までは歩いて15分ほどですが、土曜日とあってけっこうな人出でした。

お目当てのキリンは、えらく数がいます。これまで見た動物園のなかでも最多でしょう。エサを食べるのが近くで見られるように、地上から3~4mほどの高さに観覧席のような場所があります。どこの動物園で見ても、可愛さはキリンがいちばんです!Photo_10Photo_11

動物園の帰り、王宮に。ヴェルサイユ宮殿ほど大きくはないのですが、それでもといった感じです。王宮の中はどこも皆似たりよったりですが、まあ金にあかせて作ってありますから、「参りました!」としかいいようがありません。

王宮のあとは近くにある有名なスペイン広場に立ち寄りました。プエルタ・デル・ソルとはうって変わり、周囲に近代的なビルがいくつも目に入ります。ドンキホーテとサンチョ・パンサの像があって撮影スポットとして、世界中からやってきている観光客でいっぱい。どこの国の人なのかを確かめようと、その言葉に耳を傾けていると疲れてしまいます。Photo_12

駅の中に熱帯植物園が!

2013年10月4日
今回つごう5泊する Palace Hotel の豪華朝食に舌鼓を打つと、さっそくプラド美術館に行ってきました。
Photo_8ここも20数年前に来たことがあるのですが、なんとも立派なつくりの建物で、しかも展示作品は一流のものばかり。客も世界中からという感じで、小雨の中を30分ほど並んでチケットを購入しましたが、それだけの価値は十分にあります。ただ、中が広い、というかゆったりした展示になっているせいか、サンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館ほどには混んでいません。

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プラド美術館をあとにしたのは昼過ぎ。後日のセビリヤ行きに備え、アトーチャ駅までぶらぶら歩いていきました。ヨーロッパでは駅の構造が日本と大きく異なる場合が多いので、せめて大きさくらいはチェックしておかなくてはなりません。

案の定、とてつもなく大きな駅で、びっくりしました。外側はレンガ造り、4階建てほどの高さののシンプルな建物なのですが、中は大きな吹き抜けになっています。

Photo_4しかも、そのエリアには、なんと「熱帯植物園」になっています。壁に沿った部分は回廊風になっていて、列車の乗り場があるのは2階と3階。切符売り場は1階、熱帯植物園のまわりです。

どのホームから乗るかは、発車20~30分前にならないとわからないようで、電光掲示板をよく注意しながら見ておく必要がありそうです。乗る前に手荷物のX線検査もあるようで、このあたりは日本とだいぶ違います。もっとも、幹線の特急でも1時間に1本ほどですから、日本の新幹線の駅のようなせわしなさはまったくありません。のんびりとしたものです。

Photo_5アトーチャ駅をひとととおり見物したあと、ピカソの「ゲルニカ」を観に、近くのソフィア女王美術館に行きました。ただ、ここは私たちにはとてもついて行けない感じで、「ゲルニカ」だけを観てさっさとおさらばです。

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そのあと、地下鉄に乗ってプエルタ・デル・ソルへ。周囲のどこを見渡しても人、人、人です。雨もすっかりあがってほとんどピーカン状態になり、それなりに暑いのですが、空気が乾燥しているのが救いで、日陰に入るとゾクッとくることもあるほど。それだけに、ビールのうまさは格別です。

家人はもっぱらサングリアですが、スペインのビール=セルベッサには感心しました。しかも値段がコーラやジュース、ミネラルウォーターと同じ。「酒」としては扱われていないようです。

ヘビーな朝食がまだ十分こなれていないようだったので、そこらの店で軽く、タパスをつまみました。スペイン人というのはなんでも1日5回は食事するそうで、タパスのようなものをちょちょいつまんでは、その間にケーキを食べたりビスケットをつまんだりして、遅い夕食に備えるのだそうです。

この日の夜、私たちが「今日は遅めに」といって8時過ぎに店に入っても、閑散としている店が少なくありません。「こんなガラ空きで大丈夫だろうか」と、疑問を抱きながら食べていると、9時ごろから客がボチボチやってきます。そして、私たちがお勘定を済ませる10時ころ、ようやく店の中がいっぱいになるのですから、かなり感覚が違うことがよくわかります。

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さて、プエルタ・デル・ソルから数分歩くと、かの有名なマヨール広場(Plaza de Mayor)です。旧市街のど真ん中にあるこの広場、プエルタ・デル・ソルとセビリャ広場から数ブロックしか離れていません。129m×94メートルの長方形をしており、広場に面して237カ所のバルコニーを持つ3階建ての建築物に取り囲まれていると、ガイドブックにはあります。マドリード最大の市場が開かれていたそうで、闘牛やサッカーの試合、公開処刑もおこなわれた広場を取り囲みように、老舗の商店やカフェがいっぱい並んでいます。

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夜はホテルから20分ほど歩き、元のマーケットをリノベーションして作ったバールの集合店舗といった感じのところで店を探して食べました。シーフード中心、肉中心など、それぞれの店に特徴があり、そこから好きなものを自分で選び、その場で支払うシステム。どの店も客でギッシリ、ようやく見つけた席で体を小さくして食べた次第。値段はなんとも安く、2人でお腹いっぱい食べても1500円ほどでしょうか。

スイスは“喫煙先進国”

2013年10月3日
マドリードは日本から直行便がないため、ヨーロッパのどこかの都市で乗り継がねば行くことができません。今回はスイス航空を利用したので、チューリヒ経由。2時間の待ち合わせです。となると、スモーカーの私にとっては、何がなんでもタバコを吸うチャンス、というか吸わずにはいられません。チューリヒまでの飛行時間が11時間30分ともなると、それも当然でしょう。

しかし、美しい自然の国、清潔好きの国民性が売りのスイスというと、国をあげて、喫煙(者)に対しは厳しいのではないか──そんなイメージを抱きがちです。ところが、あにはからんや。飛行機を降りたすぐそこの通路に、「スモーカーズラウンジ」と名づけられたコーナーがあったのです! それも、日本の空港のように、いじけた、暗い、そして何より臭い(当たり前か!)喫煙コーナーとはほど遠い、滑走路に向けて目いっぱい広く取られた窓があり、すわり心地もよい長イスが備わった“天国”のようなスペース。さっそく、そこへ飛び込んで一服。気持ちが癒されることはいうまでもありません。Photo

これならあと2時間弱はなんとか我慢できそうだと思いながら、国内線のターミナルに移動すると、なんとなんと。もう、そこかしこに「スモーカーズラウンジ」が。それもすべて滑走路に向けて設けられているので開放感に満ちています。これは喫煙者にとってはありがたいというか、心が休まるというか。別にそこで吸いまくるわけではないのですが、そういうスペースが目につく場所にあるという、その事実だけで、安心できるのが大きいのです。

Photo_2ついでながら、私たちはスイス航空のラウンジを利用できたのですが、その一部にも「スモーカーズバー」という、禁煙になっているラウンジよりはるかに広々とした、ゆっくりくつろげるスペースがありました。ドイツのフランクフルト、ミュンヘン空港にも喫煙コーナーはありますが、数が少ないため、そこへ行くのにえらく難儀しますし、ロンドンやパリなど、そうした施設そのものがありません。これからのヨーロッパ出張はいつもチューリヒ経由にしようか……と、真剣に考えてしまいました。

モスクワのホテルでスターリンの肖像画に遭遇!

2013年8月14日
4泊したサンクトペテルブルグとも今日でお別れ。サンクトぺテルブルグからモスクワへの移動です。午前中はホテル近くを散策。L106095520130814 マリインスキー劇場など、今回ゆっくり観ることのできなかったスポットを少しでもカバーしようと、ギリギリまで粘ります。ホテルに戻り、おみやげ品選びにしばし悩みました。結局、ホテル内の売店で見つけたグラスを選んだのですが、豪華な雰囲気の中に感じられる繊細な色使い、紋様はさすが、王室があったためでしょう。

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L106097220130814 モスクワへは、市内の「モスクワ駅」から午後1時30分発の特急「サプサン(Сапсан=はやぶさ)」号に乗りました。所要時間は3時間余。途中3つほどの駅に停車しますが、その周辺以外の沿線は白樺の林など、森か原野でほとんど何もありません。いまさらながらロシアのだだっ広さに感心します。

しかし、モスクワ版新幹線の乗り心地は意外とよかったです。時間も正確のようですし、安全という観点からも、きちんとした対策が施されているようです。鉄道では初めての経験ですが、ホームに行く前に荷物検査もあります。そこを通過しないといけませんし、乗るときにも車掌がチケットを一人ひとり確認して乗せていきます。このあたりは、だれでもすぐに乗れる日本の新幹線とはだいぶ事情が違うなと思いました。

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モスクワ着は午後5時前。レニングラード駅といいます。行き先が駅名になっているので、わかりやすいといえばわかりやすいのですが、レニングラードはいまはもうない都市名ですから、なんだかおかしい気もします。

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駅から迎えの車でホテルへ。しかし、道路は聞きしにまさる大渋滞で、ドライバーはすぐ裏道に迂回し、予想の半分、30分ほどで着きました。「Historical Hotel Sovietky」は、予想はしていましたが、えらく古めかしいホテルです。

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外の看板には「1950年創業」とあるので、私の生まれ年にオープンしたことになります。当時はまだ東西冷戦の時代。1階から2階、2階から3階に上がっていく階段の広い踊り場にフルシチョフやブレジネフ(いずれも首相を務めた)の肖像画が麗々しく飾られていましたが、その名残でしょう。L1070076 それにしても、スターリンの肖像画まであったのには驚きます。

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古きよき時代をしのばせる高い天井、幅の広い廊下に敷かれた赤い絨毯。部屋の家具やカーテン等々。たしかに、「historical」の名に恥じないといえます。事実、フロントの前には、これまで60余年間にこのホテルに泊まったお歴々の写真がさりげなく貼ってありました。

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この日は、そろそろ日本メシか中華が食べたいタイミングだったので、歩いて15分ほどのところにある日本料理店「一番星」に行きました。ホテルのスタッフがすすめてくれたのですが、味はバッチリ。しばらく前にモスクワを訪問した安倍首相のレセプションで、料理を出した店のようですから、それも不思議ではありません。久方ぶりの「日本」に心がなごみました。

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部屋に戻ってバスタイム。ただ、さすが「historical」、バスタブに十分な量のお湯を入れるのになんと30分以上かかりました。待ち切れず、途中で飛び込んでしまいましたが、洗面台のほうがお湯の出はよかったようです。おそらくオープン当時のものがそのまま使われているのでしょう。

噴水は「夏」へのあこがれ?

2013年8月13日
今日も絶好の晴天。午前中から船に乗って「ペテルゴーフ」まで行きました。エルミタージュ美術館の前にある船着場から高速艇で30分ほど走ったところにある、ピョートル大帝の「夏の宮殿」です。L106084520130814

ここは要するに王室の別荘です。もちろん、別荘といっても、ハンパな大きさではありません。そして、冬は極寒の地となるサンクトペテルブルグですから、暖かさ、太陽の光に対するあこがれがそこかしこに感じられます。それを象徴するのが噴水です。

とにかく、どこに行ってもあるのは噴水、また噴水。よくもこれほどといいたくなるほど、ありとあらゆるスタイルの噴水があります。朝のオープンも、噴水から水が噴き上がるのがその合図になっているほど、それは徹底しています。たしかに、私たちもそうですが、「夏」の盛りに噴水、zるいは滝を目にすると、大いに涼しさを感じます。サンクトペテルブルグの夏はけっして暑くなどないはずなのですが、それでも噴水が象徴する冷涼感が、短い夏をフルに楽しみたいという強烈な願いに通じているのでしょう。

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再び市内に戻り、夕方からは世界でも屈指の作品が展示されているエルミタージュ美術館。L106091720130814

夏のエルミタージュは世界でも指折りの混雑ぶりだそうですが、それにしても人であふれ返っていました。なんでも、冬に来るとガラ空きだそうで、これは真剣に考えたほうがいいかもしれないと思ったしだい。冬は、市内を流れるネヴァ川、それが注ぎ込むフィンランド湾がすっかり凍りついてしまい、人も歩けるのだそうです。大きな川や海が凍ってしまうなど、目にしたことがないので、一度確かめてみたいという好奇心が湧き起こってきたしだい。

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しかし、ここに残されている膨大な数の貴重な美術品も、先のドイツ軍のレニングラード包囲戦の直前、市民有志が列車でウラル地方まで待避させていたために守られたものだそうです。この戦いで街は荒廃したものの、今日なお歴史的、文化的価値のある建造物が残されているのは、自分の命さえ危うい激戦のさなかにあっても、そうした価値ある遺産を後世に残そうと努めた市民たちのおかげでしょう。

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L106094520130813夕食を済ませたあとはネフスキー大通りで買い物と散策。さすがサンクトペテルブルグの目抜き通りだけに、クラシックでしゃれた建築物がいっぱいあります。ほかにも、ペトロパヴロフスク要塞、クンストカメラ(博物館)、アレクサンドル・ネフスキー大修道院、アレクサンドリー劇場、カザン聖堂、血の上の救世主教会など、当初予定していたところの大半が行けずじまいにおわってしまっただけに、せめてこの通りを少しでも観たかったのです。

ホテルに戻る前に、近くの食料品店で水やらビールを買い求めました。空気が乾いているので、そうしたものがとてもおいしく感じられるのです。ビールは基本的に2種類あって、アルコール分の少ないものと濃いもの。日本でも最近はプレミアム系のビールが人気のようですが、ちょっと油断するとコーンスターチなどという、本来ビールとはまったく関係のない成分が混ざっています。その点、ヨーロッパではそういう裏切りには遭いませんから安心できます。子の日も、就寝前に、乾いた喉をうるおしてくれる1杯を。

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エカテリーナ宮殿を堪能

2013年8月12日
午前中は、Eさんのご主人が懇意にしておられるポポワ東洋学研究所所長を訪問。門外不出の資料を特別のはからいで拝見しました。その価値は専門家であればあるほど理解できるようですが、ど素人の私たちでも、その希少性、重要性というか価値は多少理解できるつもりです。

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午後は隣のプーシキンという町にある「エカテリーナ宮殿」の見学です。マイクロバスで40分ほどで到着しましたが、それはそれは贅を尽くしたところで、私たちは事前に予約していたので特別の入口から入場、ゆっくり観てまわることができました。

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帰途、早めの夕食(ロシア料理)を済ませましたが、ここもけっこうレベルが高く、こうしてみると、ロシア料理も捨てたものではないということがよくわかります。ただ、ボリュームのすさまじさはここも同じ。人数分を頼んだりすると、半分以上は残してしまうのではないでしょうか。

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予定より早く街に戻ったので、夜は運河クルーズを楽しむことに衆議一決。夜といっても、緯度が高いせいか、8時ごろだとまだ十分明るく、実感がありません。ただ、さすが、屋根のない船に乗って走れば足もとが冷えるので毛布を貸してくれます。そして、これがとても重宝しました。

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海側からながめるサンクトペテルブルグの街並みはなんとも味わい深いものがあります。さすが“北のベニス”と呼ばれるだけのことはあります。大都会ではありますが、高層ビルがないため、無機質な部分がありません。それが最大の要因でしょうが、都会らしいにぎわい、力強い輝きのようなものが十分感じられるので、私は一発でファンになりました。共産政権の時代を何十年も経てきたにもかかわらず、よくぞここまでクラシックな分行きの街並みがきちんと残ったものだと、むしろそのことに感心しました。

ちなみに、今朝訪れた東洋学研究所の全景を船上から確認することができました。たいそう立派な建物で、感動を新たにした次第です。

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雨のサンクトペテルブルグは重い1日に

2013年8月11日
今日がサンクトペテルブルクの実質的な初日。しかし、あいにくの雨で当初の予定を変更、今日は市内にとどまることになりました。

最初に行ったのは、旧市街の東北端、ネヴァ河畔にあるスモーリヌイ聖堂。18世紀に女帝エリザベートが女子教育の場として創設、その後エカテリーナ2世が女学校を開き、革命直前まで貴族の令嬢たちの教育がおこなわれた修道院だそうです。L106056220130811 いまはコンサートホールとして使われているとのことですが、1917年10月のロシア革命のとき、レーニンに率いられた革命派の作戦本部がここに置かれ、ソビエト政権の樹立を宣言(10月25日)、首都がモスクワに移るまでは、政権の中心だったという場所です。そういえば、もともと「サンクトペテルブルグ」という名前だったこの町は、ロシア革命のあと「レニングラード」というふうに改められたことを思い出しました。

ここからバスと地下鉄、さらにバスに乗ってピスカリョフ墓地に足を運びました。驚いたのは地下鉄の深いこと、深いこと。この町はもともと、ネヴァ川がフィンランド湾に注ぎ込む湿地帯に築かれた人工都市です。そのため、地下鉄を作る際、掘っても掘っても水が出てきて、結局、とんでもない深さに軌道を設けることになったのだとか。東京の地下鉄千代田線の小川町という易があり、初めてこの駅に降りて行ったとき、あまりの深さに驚きましたが、その比ではありません。近ごろは、都営大江戸線に代表されるように、ちょっとやそっと深くても、「あとで作ったんだから仕方ない」とも思うようになりましたが、それすらも上まわる深さです。

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駅も荘重というか、えらく豪勢なつくりです。そのわりに車両はかなり古く、騒音がすごいですし、乗り心地もいまイチ。でも、料金が25コペイカ(約8円)であることを考えればいた仕方ないのかも。

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さて、ピスカリョフ墓地ですが、ペテルブルク市街の北部にある広大な戦没者墓地です。第2次世界大戦のさなか、1941年6月の独ソ開戦によってドイツ軍の攻撃を受けたレニングラードは、9月8日からなんと872日間、1944年1月27日まで包囲されていました。この間、投下された爆弾の数は15万を超え、電気も水道もストップしたこの街で、多いときには1日3万人近くの人が餓死したというのですから、そのすさまじさは想像を絶します。そうして亡くなっっていった市民をそれぞれの遺族が仮埋葬していたのがやがて墓地になったそうです。

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広大な敷地には、「墓地」というにはあまりに悲しい、幾多の市民・兵士がひとまとめにして葬られた大きな盛り土が連なっています。墓標には、遺体・遺骨が見つかった年が記してあるだけで、「個」の存在はほとんど感じさせません。それでも、第2次大戦で死んだアメリカ軍兵士を上まわる数の市民が葬られているとのこと。「★」は、埋められているのが兵士であることを示しているそうです。

いちばん奥に立つモニュメントの背後の壁には、「“Никто не забыт и ничто не забыто”(=だれ一人忘れまい、何ひとつ忘れまい)」という、女流詩人オリガ・ベルゴーリツの鎮魂の詩が刻まれていました。

墓地の入口の脇にこじんまりした資料館があります。レニングラード包囲戦の模様をつぶさに記録した展示の中に、両親・兄弟・おじ・おばなど家族を次々と失い、やがて疎開先で自身も亡くなった少女ターニャ・サビチェワの残したメモ「ターニャの日記」がありました。L106058520130811 日記の最後は「サヴィチェフ家は死んだ みんな死んだ 残ったのはターニャだけ」となっているのですが、そのあまりにシンプルな文言は百万言の言葉を費やすより圧倒的なパワーで、戦争の悲惨さを示しているように思えました。

その後、同じ経路で都心に戻り昼食。店に入るとまず席を決め、トレイを持って料理がずらっと並べられている中からほしいものを選んで店員に告げます。最後に飲み物を決め、レジ支払いを済ませるキャッシュオンデリバリー方式。ごく普通の市民生活を送っている人たちの朝食や昼食はjこうしたスタイルなのでしょう。でも、どれも皆そこそこおいsく食べられました。パリで抱いた不安はどうやら杞憂に終わりそうな感じがしてひと安心です。

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腹ごしらえをすませ、近くにあるドストエフスキー文学記念博物館を訪れました。いまでも、日本の若い人たちには人気がるかどうかわかりませんが、私が大学に行っていたころは、必読文献といった扱いで、ドストエフスキーの作品をひととおり読んでいないと、仲間の話についていけないという感じでした。

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L106061720130811 博物館を出てすぐのところにクズニェーチヌイ市場というマーケットがありました。市民の台所の一つのようですが、時間帯のせいもあって、中は比較的空いていました。食料品だけでなくおみやげを売っている店もあり、Eさんご夫妻は大量にマトリョーシカを購入されていました。

夕方近くになっても天気はまだ回復しません。市場のあとは美術館です。サンクトペテルブルク最大の美術館はいわずと知れたエルミタージュですが、今日はロシア美術館に行きました。もともとは宮殿だった建物ですから、内部の豪華なこと。ヨーロッパにはこうしたタイプの美術館や博物館が多く、作品もさることながら、建築物としても十分楽しめるのがうれしいです。

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この美術館はロシア美術の作品がふんだんに所蔵されているようです。パリのオルセー美術館で観た印象派の作品ももちろん素晴らしいのですが、個人的には、ロシア美術の“明緻な暗さ”とでもいうのでしょうか、わかりやすさが好きです。83歳で亡くなるまでなんと6000点もの絵を描いたというイヴァン・アイヴァゾフスキーの海をモチーフにした作品はその代表。

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ロシア美術館をあとにし、バスに乗ってホテルに戻ったのですが、考えてみれば、サンクトペテルブルグというところは街全体が美術館・博物館のようなもの。目に入ってくる建物いちいちが好奇心を刺激します。

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ただ、天候ともあいまって、なんとも“重い1日”でした。

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パリからサンクトペテルブルグへ

2013年8月10日
今日午後のエールフランス便でサンクトペテルブルグに移動してきました。パリからは3時間半ほどのフライトです。国際線が離着陸するわりにはさほど大きくないプルコヴォ空港からあらかじめお願いておいた迎えのクルマに乗って30分ほど走ると、ホテルに到着。都心に近づくにつれ、この町の美しさが伝わってくる感じがしました。

荷ほどきをして、近くをぶらぶら歩いてみると、運河が流れ、その両側は300年も昔に建てられた建物がびっしり並んでいます。L106052320130810 ほんのちょっと垣間見ただけですが、「パリに負けない街をつくる」との思いでこの都市を築かせたピョートル大帝のすさまじいまでの意欲が感じられます。

街をブラブラすると、とんでもなく古いクルマが走っていたり停まっていたりするのがなんともおもしろかったです。トウモロコシをゆでて食べさせる屋台があったので、さっそく買い求めてみました。2ルーブルですから、60円ほどでしょうか。トウモロコシ自体は奄美にかけ、どうということもなかったのですが、こういうものを売っているのが、古きヨーロッパとでもいうのでしょうか、そうしたものを感じさせます。

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とりあえず情報がほとんどないので、夕食はホテルの最上階にあるレストランで済ませましたが、思っていたとおり、どれも皆たいそうなボリュームで、注文の品数を抑えてよかったと胸をなでおろします。予想外だったのはそのおいしさ。「ロシア」というので、基本的に無知ですし、なんの根拠もない先入観というか、ほとんど期待していませんでした。しかし、ボルシチもビーフストロガノフもハイレベル。感動でした。
夜9時近くになって、今回ロシア9日間の旅のプランニングをはじめ、滞在期間中全体のプロデュースをお願いしたEさんご夫妻とホテルのロビーでドッキング。今日からのスケジュールを確認しました。

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ジヴェルニーの庭園に「日本」が!

2013年8月9日
今回のヨーロッパ旅行の前、高校時代の友人Nくんから教えてもらったジヴェルニーに行ってきました。「(クロード・)モネの家があって、その浮世絵コレクションがすごい! 一見の価値はある」ということでした。

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切符を買うのにひと苦労し、出発は結局お昼近くになってしまいました。パリのサン・ラザール駅から列車に乗り15分ほど走ると完全な田園地帯です。ヨーロッパの都市に多いパターンですが、住宅が密集しているエリアはほんのわずかで、今回も家が見られるのはセーヌ河畔まで。そこを過ぎるとほとんど畑ばかりです。

45分ほどでヴェルノンという駅に着き、そこからバスで15分。停留所からさらに5、6分ほど歩くと、一帯は「モネ・タウン(というよりヴィレッジです)」といった感じになっているのですが、もう完全な田舎です。L106046020130809

平屋の家がほとんどなので、それも当然でしょうか。その一角に、印象派画家の代表モネが43歳のときから86歳で亡くなるまで、人生の半分を過ごした家があります。それが当時のまま保存され、アトリエをはじめ、広大な庭園など、モネの生活がうかがわれる施設になっています。

さほど大きくもない建物に入ると、いきなり壁いっぱいに浮世絵が。その数はハンパではありません。日本人の私もいまだかつて見たことのないような作品が、これでもかといわんばかりに並んでいます。さらに幕末から明治初期にかけて描かれた錦絵もありました。なるほど、モネはこういう作品に刺激を受けて絵を描いていたのです。

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モネは16歳のころ、オランダの商船によって運ばれてきた日本の浮世絵版画に夢中になったそうです。以来モネの「日本」への傾倒は変わらず、ジヴェルニーのこの家にある庭園はほとんど日本庭園といってもいいくらいのつくりになっています。L106048920130809

しだれ柳が植えられ、池には太鼓橋が架かっています。「睡蓮」というモネの代表作はこの池に浮かぶ睡蓮を描いたもなのです。

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L1060490201308093時間ほどの滞在でしたが、心が洗われた感じがしました。パリの喧騒も楽しいのですが、思いもかけずフランスの片田舎の空気に触れることができたのはNくんのおかげ。やはり持つべきものは友だちです。ちなみに、Nくんは高校3年生のとき同じクラスでした。陸上競技部で中距離を走っていたのですが、大学に入ってからは駅伝(あまり有名ではないのですが、「六甲山駅伝」という関西のレースです)を走ったそうです。卒業後は小社に勤め、世界中をまわってきただけに、幅広い分野の知識・情報を持っています。直感と粘り強さが持ち味、近ごろは家庭菜園にもエネルギーを注いでいるとか。

L106050020130809_2今日は今回のパリ滞在最後の夕食ですが、昼間歩きまわった──万歩計によると20000歩を超えていました!──ので、かなり疲れがきています。そこで、夕食はホテル近くの小ぶりなタイ料理店で済ませました。 ところが、これが意外にもけっこうなアタリで、なかでもオードブル盛り合わせはグーでした。明日からはロシア。食べ物はあまり期待できそうにないので、おいしい食べ物を口にできたのはラッキーそのもの。

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日本にはない「川」の楽しみ方かも……

2013年8月8日
今日もまたピーカン。まずは恒例の動物園訪問です。ホテルから地下鉄で20分ほどで到着したのですが、残念ながらキリンはいませんでした。L106038620130808 仕方なく、園内のそこここに置かれているオブジェの中にカバがいたので、ツーショットで。それにしても、この動物園は植物園と一体になっており、これがまたえらく立派な建物でした。もともとすべて「王立」というか、ブルボン王朝の時代につくられた施設ですから、それも当然。ウィーンの動物園のときもそうでしたが、要は王様や王妃の道楽の一つでしかなく、庶民は、楽しむどころか、足を踏み入れるのもご法度だったにちがありません。

動物園の近くにモスクがありました。パリはご承知のとおり、かつてフランスがアフリカに多くの植民地を持っていた関係で、アラブ系の人たちが数多く済んでいます。そうした人たちが自身の信仰を建負ける場として、この種の施設がいくつかあるようです。時間があったのでちょっと立ち寄ってみたのですが、ちょうどお昼前で、モスクそのものはクローズ。本当は中をちょっとのぞいてみたかったのですが、残念なことをしました。

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その代わり──でも、なんでもないのですが──、入口近くにカフェあり、そこで、あまり見たことのないアラブ系のスイーツを見つけました。好奇心旺盛な私ですから、試してみないわけがありません。というわけで──。

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朝から午後は「サンマルタン運河クルーズ」を楽しみました。前日の夜、ネットでいちおう予約を入れておいたので、乗船はスムーズ。 バスチーユ近くのアーセナル船着場から出発する小さな船──といっても乗客は200人ほどいました──で出発です。

低いところから上流に向かってさかのぼっていくので、途中何度も閘門があり、そのたびに水深を調整するためストップします。L106041020130808 それを近くでながめている人たちもおり、とにかくのんびりとしたクルーズでした。

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2時間余をかけてようやく目的地ラ・ヴィレットに到着。ここにはパリの最西北にある大規模な公園があり、その真ん中を運河が走っています。L106043420130808 音楽博物館とラ・ヴィレット公園、片方にはジェオード(球形映画館)と科学産業博物館など、モダンな建築が数多く並んでいます。その建設と同時につくった人工湖の岸辺では、ヴァカンス時期と重なっているためか近在の人たちが遊んでいました。

そこからさらに上流に向かっていくクルーズもあるようですが、日本ではなかなか見られない遊び方といえます。ヨーロッパというのは、どこの国に行ってもこの種の運河が張り巡らされており、それを利用すると、それこそフランスからブルガリアあたりまで行けるとも聞いたことがあります。

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帰りは地下鉄で一路都心へ。30分も経たないうちに戻ることができました。デパートをのぞき、靴などを買い求めましたが、さすがプランタン。その大きさは半端でなく、日本からの客もけっこう目にしました。

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夕食はホテル近くの中華料理店で。

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