アメリカで見つけたデンマーク

2013年3月9日
 今朝、早く起きたので、朝食の前にホテル近くを散歩してみました。小さな町なりに、こぎれいな通りがあり、家々もスペイン風の趣きがします。L1050552
ホテルから15分も歩けばそこはもう太平洋。といってもおだやかな海ですから、荒々しさはまったくありません。こんな町を拠点にしたキリスト教の伝道師たちはいったいどんな気持ちで布教に歩いたのか、考えてみると不思議な気がします。たしかに人々の生活は貧しかったでしょうし、そうした人々にとっては何より心の支えが必要だったにちがいありません。

 さて、今日のスケジュールはかなりハードです。サンタバーバラからオークランドまで600キロ近くのドライブ。ハンドルを握るのは私ひとりです。途中、何か楽しみでも見つけておかなければ、とてもではありませんが、走り切れないだろうということで、あらかじめ仕込んでおいたのが「西海岸でいちばんおいしいパンケーキを食べさせるカフェ」。それは、サンタバーバラから数10キロの途中のソルバングという町にあるとのことです。「よ-し、食べてみようか」というわけで、サンタバーバラのホリディインエクスプレスを出発しました。

 アメリカはむずかしくいうと複合民族国家、わかりやすくいうなら、いろいろな人種・民族がゴッタ煮のように暮らしている国です。かつて宗主国だったイギリスはよく知られていますが、それ以外にも、たとえばニューオーリンズ(ルイジアナ州)はフランス、サンアントニオ(テキサス州)はドイツ、エル・パソ(同)はスペイン、ニューヨークはオランダ……と、それぞれ、その地に定住し始めた国の人たちがいます。ニューヨークなど、もともとはニューアムステルダムと名づけていたのを、イギリス人がそこを買って名前を変えた町です。

 また、カリフォルニア州の南部はスペイン人がやってきてこさえた町がほとんどです。町の名前からしてスペイン語のオンパレード。ロサンゼルス(Los Angeles)もサクラメント(Sacramento)もそうです。それぞれ「天使たち」「秘蹟」という意味ですが、いちばん多いのはキリスト教(カトリック)の聖職者にちなんだもの。サンディエゴ(San Diego)、サンフランシスコ(San Francisco)がその代表でしょう。San(=聖)とかSanta(=聖なる)という言葉が頭につけられている町が多いのは、スペイン人がキリスト教を布教するため、そこに伝道所を設けたことにちなんでいるからです。
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  昨日泊まったサンタバーバラ(Santa Barbara)にしても同類です。ロサンゼルスからクルマで1時間半ほどしか離れていないのですが、なんとも落ち着きがあります。その気になれば、ロサンゼルスから鉄道(AMTRAK)という鉄道で訪れることもできます。といっても、1日数本しか走っておらず、日本でいうならローカルのお、それも第3セクターが運営しているような感じでしょうか。駅(下の写真)もどこかのんびりした感じでしょう?

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 そんなことを考えながら今日、足を踏み入れたソルバング(Solvang)というところはアメリカでは珍しい、デンマーク人の作った町でした。ソルバングとは、デンマーク語で「日の当たる平地(sunny field)」という意味だそうですが、これは1911年、中西部に移民していたデンマーク人たちがこちらに移りコミュニティーを作ったことによります。いまでもその当時の街並みがほぼそのまま保存されていて、一瞬ここはどこだったっけ? と錯覚してしまうくらい、かなり広い
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エリアがデンマーク風になっています。L1050563 風車がこの町のシンボルのようで、その合間にパン屋、チョコレート屋、ワイン店、雑貨品店、食器店など、若い女性が涙を流しそうなかわいらしい店が立ち並んでいます。

 そうそう、パンケーキです。店の名前は「Paula’s Pancake House」といいます。町の中心にあるので、すぐわかります。たしかに、店の前には行列ができていました。日曜日、それも11時ごろという時間帯もあってでしょう、ブランチを食べにやってくる近所の家族連れがほとんど。もちろん近郊からクルマを飛ばしてやってきた観光客の姿もあります。私たちも20分ほど待たされて店内に。といってもアウトドアのテーブルで、天気がよくてホントよかったです。

 パンケーキの味は……。「西海岸一」なのでしょう。もちろん、日本のそれよりはおいしいです。ただ「アメリカ一」でも「世界一」ではけっしてありませんから。ちなみに、私はオランダのロッテルダム、運河を走る「パンケーキボート」で食べたほうが好きですね。L1050580

 ソルバングを昼過ぎに出て、あとは一路オークランドへ。夕方6時前、空港の近くにあるにホテル「コートヤードバイマリオット」に到着しました。荷ほどきもそこそこに、ホテルのすぐそばに建つオラクルアリーナに移動。目的はNBAです。すぐ隣がMBAアスレティックスの本拠地球場、その奥のアリーナも美しいフォルムで、素晴らしく立派でした。

 お腹が空いていたので、入場口の手まで立ち売りしていたホットドッグをとりあえずほおばります。入口の荷物チェックはけっこう念入りで、私が背負っていたリュックは預けさせられました。食べ物の持ち込みもNGだそうで、夜食用にとソルバングで買っておいたデンマーク風のパンも没収──悔し~い! チケットはかなり前にネットで買っておいたのですが、中はほぼ満員でした。L1050587 ゲームのレベルはもちろん高いのですが、観客を楽しませるための演出となると、ロサンゼルスのレイカーズなどのほうがはるかに上を行っているという感じを受けました。 


 

太平洋を背景にのびのび遊ぶキリン

2013年3月8日
 ラスベガスからJETBLUE便でロングビーチへ。JETBLUEという航空会社はいま流行のLCCの先駆者的な存在ですが、機材が非常に清潔なのが売り。同じLCCでも、サウスウェストと比べるとかなり差があります。

Photo_7  ロングビーチの空港は改装なって、えらくきれいになっていました。といっても、日本の地方都市の空港よりこじんまりした、かわいい空港です。ここでレンタカーを借り、今日はサンタバーバラまで走ります。目的はサンタバーバラの動物園。
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  時間ギリギリでしたがなんとか入園させてもらい、一路キリンのところへ。動物園自体が海に面しているので、ほかの町とは趣がかなり違います。キリンも温かい日差しを浴び、えらくリラックスしていました。環境自体がせせこましくないので、キリンにかぎらずどの動物もそうした感じがします。L1050513

 動物園の中は、たいていのところがそうですが、トラムや、ここサンタバーバラのようなミニレールが走っています。大人も子どもも、気持ちを一つにして園内をあちこと見まわしながら楽しめるわけですが、ホント、いい光景が見られます。

 さて、閉園ギリギリまで楽しんだあとは、町のちょっとはずれにある観光スポット集中地域へ急ぎました。明日の出発が肺ので、今日のうちにできるだけ町の中を見て歩かないといけんません。まずは、その昔スペインからやってきた伝道師たちが根拠地にした教会(伝道所)を見学。1786年にネイティブアメリカンに布教活動をするために建築され、現在はアメリカの歴史的建造物へ登録されているそうです。白いレンガの壁と赤い屋根のコントラストがなんとも美しい建物です。

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 夜になると猛烈な風。そして気温の低いこと。海辺のシーフードレストランで魚や貝を目いっぱい食べました。

初めて行った「コカコーラストアー」で

2013年3月6日
 日本出発が3月5日の午前0時5分だったので、時差の関係で、ラスベガスに着いたのは前日の夜9時過ぎ。1日儲けたような気分ですが、帰りに帳尻を合わせなくてはならないのでトータルとしては損も得もありません。

Photo_11  さて、そういうわけで、今日はラスベガス2日目。朝食を済ませるとストリップを歩き、「コカコーラストアー」に行きました。甥っ子の1人が、飲み物としてではない「コカコーラ」文化としての「コカコーラ」にハマっているようで、ぜひ行ってみたいというのです。ガラス張りの巨大なコカコーラボトル(中はエレベーター) が入口の前にドーンと構えるこの施設は以前、コカコーラのすべてがわかるミュージアムと、ロゴ入りグッズなどを売るオフィシャルギフトショップだったのですが、2000年にミュージアムは閉鎖され、現在はショップだけが営業しています。

 小さなものから大きなものまで、また古いものから新しいものまでさまざまなロゴ入りグッズを取り扱っており、その品ぞろえはマニアも驚くばかりとのこと。何十年も前の広告要看板やロゴの入ったプロモーション用グッズなど、骨董の域に達しているものもありました。

 あっという間に2時間ほどが過ぎ、大いに楽しませてもらいました。不思議なことに、中に入ってしばらくすると無性にコカコーラが飲みたくなり、つい口にしてしまいました。だれだって、そういうことってありますよね?

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Photo_10  その後はストリップ沿いでショッピングとホテル見学。まあ、大変な距離を歩きました。夜はトレジャーアイランドでショーです。今回はシルクドゥソレイユの『Mystere』。堪能しました。ショーが終わったあとは食事を楽しみ、そのあとはトレジャーアイランドの隣にあるミラージュへ。名物の「火山大爆発」を見て、甥っ子たちはびっくり仰天。ラスベガス2日目の夜も終わりです。興奮のあまり、眠れなかったなどということがなければいいのですが。明日、2人は早朝から「グランドキャニオン遊覧飛行」ツアーですから。

初の海外旅行先がラスベガスって、どうなのか?

2013年3月5日
 甥っ子2人を連れてアメリカに来ました。高校を無事卒業し、4月から大学に入る2人へのささやかな(いや、ビッグか!?)プレゼントです。もちろん2人にとっては初めての海外旅行。ただ、その初訪問地がラスベガスとなると、我ながら不安というか、疑問があるのもたしかです。

 なぜそうなったのかといえば──。このブログにもすでに何回か登場しているロサンゼルスのHさん夫妻に日本からあるものを届ける必要があり、最初の寄港地がどうしてもロサンゼルスになります。羽田発の便なので、夕方にロサンゼルス空港着。いままではそこでひと晩泊まり、翌日から動き始めるのですが、今回は甥っ子2人とも、「ロサンゼルスにはとくに観たいものはありません」ということでした。

 まあ、そういわれればたしかにそうで、ディズニーランドもユニバーサルスタジオも日本にありますし、ジョン・ウェインもマリリン・モンローも知らないいまどきの高校生にチャイニーズシアターもさして魅力はなさそうです。というわけでロサンゼルスは完全パスということになり、着いた時間が夕方はやいこともあって、Hさん夫妻とお会いしただけで、そのままラスベガスに移動することになったしだい。じつは、Hさん夫妻とも翌々日ラスベガスで会いましょうということで話がついていました。ラスベガスへはLCCの優等生サウスウェスト航空の便です。カウンターの前で取ったのが甥っ子2人が海外で初めて撮った写真。やっぱ、うれしそうですよね!

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 夜9時過ぎに着いたのですが、空から見るラスベガスの夜景はもう最高で、それだけで興奮をかき立てます。ホテルは今回、Hさん夫妻がそこにロハで泊まれるという事情もあり、それに合わせてParisというところにしました。日本からのツアーではよく使われているようです。かつてAraddinという名前だったころ一度泊まったことがありますが、さほど好きなホテルではありません。ふところに余裕があれば、向かい側のBellagioとかがよかったのですが、致し方なしということで。

Photo  このホテルの売りは、ホテルの中にエッフェル塔(の下部)があるということ。エッフェル塔の上の部分はホテルの天井を突き抜け、空に向かって立っています。それはそれでいいのですが、何より気に入らないのは、空(といっても、要は天井なのですが)に下でギャンブルをするというコンセプトです。これでは、どうにも気が進まないのです。やはり派手なシャンデリアやギラギラの照明の下でやるのがギャンブルというものではないかと。そのせいか、初日はまったくいいところなしで終わりました(言い訳にしか聞こえないでしょうが)。

 甥っ子2人は未成年ですから、もちろんカジノでは遊べません。軽めの夕食を済ませたら即就寝とあいなりました。

初めて、タイをきちんと観光してみました

2013年2月19日
私がタイを初めて訪れたのは、四半世紀以上も前のこと。当時私がかかわっていた出版社で、客家に詳しい著者による単行本を企画、そのインタビュー取材でシンガポールに来たとき、ついでにということで、先のSくんと再会するためでした。このときは観光などする時間はまったくなく、ひと晩過ごしただけです。

というわけで、ほとんど初めて同然(家人は正真正銘の初訪問)のタイですから、今回は多少「観光」を盛り込みました。それでもわずか2泊しかできないとなれば、イキているのは1日だけといっても過言ではありません。

「王宮」、そして「ワット・プラ・ケーオ」「ワット・アルン」「ワット・ポー」の4カ所をまとめて観たのですが、どこがどこだったかも思い出せません。アジアの宗教建築はおそらくどこもそうなのでしょうが、とにかくきらびやか。外壁にびっしり仏像や神さまの彫像がほどこされているパターンが多いので、新しかったり保存状態がよかったりすると、それこそ光り輝いています。

「ワット・プラ・ケーオ」は「王宮」に隣接しており、別名をエメラルド寺院といいます。その昔、国王がラオスから戦利品として持ち帰ってきた翡翠【ひすい】の仏像がエメラルドグリーンをしていたことからその名がついたようです。境内にはどれも皆派手な金箔がほどこされており、見る角度によってはまぶしくて仕方ありません。

もともとは仏教寺院だったのが、その後ヒンドゥー教の影響を受けたため、そちらの神様なんぞも祀【まつ】られています。極彩色で覆われているのは、そうした影響もあるのでしょう。とにかく目立つこと、目立つこと。同じ仏教であるにもかかわらず、日本の禅宗っぽい質素さ、渋さといったものは微塵も感じられません。

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次に行ったのが「ワット・アルン」寺院。王宮の脇にある桟橋から渡し船でチャプラヤ川を渡って行く「ワット・アルン」。こちらは外壁が中国陶器で覆われていて、きらびやかさとはほとんど無縁です。もちろん、外壁を覆う小さな彫刻は一つひとつ細やかな細工がほどこされており、全体としては派手なのですが、金ピカなイメージはありません。高さ81mという仏塔の途中まで歩いて登れるのですが、階段が急でかなりのハードワークでした。

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このあともう一度渡し船で川を渡り、最後に訪れたのが「ワット・ポー」。こちらは本堂に安置されている“寝仏”が有名なようです。巨大な仏像は頭のてっぺんから足先まで金箔が塗られていて、まばゆいばかり。ただ、顔の表情はなんとも柔和で、成仏を示す半眼半口(目と口が半分開いている)の表情が印象的です。足の裏には精巧な螺鈿【らでん】の細工がほどこされていました。

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夕食の前に、ホテルの隣にあるヒンドゥー教寺院「エラワン・プーム」をのぞいてみました。ここは、日本でいえば町中の神社風の場所で、1日中参詣の人が。だれもが線香を焚くのですさまじい煙と香りが漂っています。日本の線香と成分が違うのでしょう、香りもドぎついというか、独特です。
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食事は、そのすぐ近くにあるショッピングモール「セントラルワールド」へ。ここには伊勢丹が入っているせいもあってか、日本の食べ物屋(フランチャイズチェーン系)もイヤというほど出ています。ただ、タイ飯をまだ食べていなかったので、スープやら麺やら、軽いメニューで済ませました。昼間まばゆいものをずっと見続けていた疲れもあったのかもしれません。

今回は時間がなかったのであきらめましたが、次に来たときは、都心の官庁街のただ中にあるという「ドゥシット動物園」にぜひ行ってみたいいなと思いながら、バンコク観光は終わりました。この「次に来たとき」というのが、大事なのですね、海外旅行では。

「オリエント・エクスプレス」の旅・3日目

2013年2月17日

L1050264さて、今日で「オリエント・エクスプレス」の旅も終わり。予定では、午前10時ごろカンチャナブリという駅に停車し、そこから、映画『戦場にかける橋』で知られているクワイ川を観光するはずなのですが、列車の進行が遅れてしまっていたようで、先にランチを済ませました。お昼前に駅に着き、そこからしばらく歩いたところにある桟橋で船に乗り換え、甲板にしつらえられた野外教室のようなところに一同着席。ガイドさんの英語によるレクチャーがあります。

内容は、私たち日本人にとってはかなり辛辣です。韓国人慰安婦や強制労働、中国・南京での大虐殺など、戦争というのはしばしば日ごろの常識では考えられないような行為を平気でしてしまう恐ろしさを秘めていますが、ここで起こったこともそれに似ています。それも、冷静な理性が稼働している状況下のことなので、悲しさと恐ろしさがいっそう強く感じられます。

太平洋戦争当時、東南アジアに侵攻した日本軍は、タイとビルマ(現ミャンマー)とを結ぶ全長415㎞の鉄道(泰緬【たいめん】鉄道)を建設しようとしました。それまでビルマの宗主国だったイギリスが、何度も計画したものの、過酷な自然条件のためにあきらめていた鉄道です。しかし、日本陸軍にとってこの鉄道は、物資や兵員の輸送のため、何がなんでも作る必要がありました。そして、実際にそれを実行に移したのです。

陸軍は、各地の戦いに勝って捕虜にしたイギリス、アメリカ、オーストラリア、オランダの兵士6万2千、タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシアから徴用した現地人労働者30数万、合わせて40万人ほどを動員し工事が始まったのですが、過酷な自然や厳しい地形、劣悪な労働環境などで、その半数が犠牲となりました。なかでも、このカンチャナブリ近くを流れるクワイ川に鉄橋を架けるは困難をきわめ、ことのほか多くの犠牲者が出ました。しかも皮肉なことに、彼らが作った橋を、軍事作戦上の必要から、最後は彼ら自身の手でその橋を爆破してしまうのです。当然のこと、これは捕虜の保護を義務づけているジュネーブ協定に違反した非人道的な残虐行為として、東京裁判などで厳しく糾弾されました。

レクチャーが終わると船が出発、チーク材で作られた昔風の家々を見ながらクワイ川を下り、降りるとバスに乗り換えて博物館「泰緬鉄道センター」へ。そのあとはすぐ向かい側にある「ドンラック戦没者墓地(鉄道建設で亡くなった人たちの共同墓地)」を訪れて献花、再びカンチャナブリ駅に戻りました。

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さて、列車は、住宅が建ち並ぶバンコク郊外から終着駅が近づくにつれ、スピードが大幅にスローダウンします。予定の16時45分より2時間近く遅れて、バンコクのフアランポーン駅に到着。ちょうど日が沈むころでしたが、50数時間、2160kmの豪華列車旅の終わりです。

ステップを降りると、ホームの出口に向かって歩き始めます。すると、旅の間、私たちのお世話してくれた担当スチュワードを始め、車掌、食堂車・売店・バーのスタッフが全員、プラットホームに立ち並び、「Thank you」といいながら手を振って見送ってくれるのです。最初から最後まで、真心あふれるホスピタリティーに強く感心させられました。姿・形は「列車」ですが、その空間は1から10まで上質の高級ホテルそのもの。料金だけは高級でも、サービスは2流以下というホテルも少なくありませんからね。

ホームの端で荷物を受け取り、あとはそれぞれの旅路へ。私は高校時代の友人で、バンコクで会社を経営しているSくんの出迎えで、予約していたグランドハイアット・エラワン・ホテルまで送ってもらいました。本当は夕食をともにするはずでしたが、Sくんがその夜のフライトで大阪に行かなければならなくなり、ホテルのロビーでお別れ。残念ですが致し方ありません。そもそもお腹が減いておらず、夕食は結局、近くのショッピングモールにあったアメリカの老舗ハンバーガー店で済ませました。

「オリエント・エクスプレス」の旅・2日目

2013年2月16日

L10501762日目の朝。私たちのキャビンを受け持つスチュワードがドアをノックします。さあ、朝食です。温かいクロワッサンとデニッシュ、オレンジジュース、コーンフレーク、ヨーグルト、コーヒー、水。どれも皆、気品のある器とともに供されました。見ているだけでも優雅な気分にひたることができます。

午前9時、バターワース駅に到着。ここで専用バスに乗り換え、近くのペナン島まで観光に。橋を渡ると、島の中心・ジョージタウンという港町でバスをおり、こんどはトライショー(人力車)に乗って街の中をひと回り。イギリス人の造った町はどこも皆共通していますが、美しいのが特徴です。町自体は6年前に大学時代の先輩夫妻と来たことがあるのですが、トライショーに乗って動くと、また異なる印象を受けます。これ以上はないというほどの好天で、気持よい時間を過ごすことができました。

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11時15分、ジョージタウンを出発、バターワースの駅に戻り再び列車に。涼しい車内でひと息ついたころがランチタイムで、食堂車へ移りました。

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今日のランチは「トム・ヤム・ヴィシソワーズ」「うずらのメダイヨンと野菜のタリアテッレ」、メインは「白身魚のフライ 四川風野菜添え」、デザートは「ラズベリー入りライチのムース バナナソース添え」+コーヒー(または紅茶。けっこうヘビーな内容で、ただじっとしているだけだったら、半分は残していたでしょう。でも、観光で適度に体を動かしているので、サクサクいけてしまいました。

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午後からはいよいよタイに入ります。マレーシア出国、タイ入国の手続きは担当スチュワードにパスポートを預け、そちらで済ませてくれます。その間、私たちはアフタヌーンティーをゆっくり楽しめるというわけです。窓にはタイの田舎の景色が広がり、農作業にいそしんでいる人々や学校帰りの子どもたちが列車に向かって手を振っています。

L1050232タバコを吸いに展望車まで行くと、それこそいろいろな国からやってきている乗客に出会います。だれもがリラックスしているというか、そうそう体験できない優雅な列車旅を堪能している様子。天気にも恵まれ、いうことなしです。

地続きなのに、マレーシアとタイとでは外の景色が大きく違います。タイのほうが村々も田畑も豊かな感じがするのは、産業構造のせいもあるのでしょう。マレーシアはだだっ広い熱帯樹林が続くだけ、たまに見えてくる畑もどことなく殺伐とした印象です。それに対しタイのほうは田んぼあり、野菜畑あり、果樹園ありと変化に富んでいるためか、気持ちがおだやかになってきます。国民性の違いもあるのかしれません。「風土」という言葉の持つ意味を考えさせられました。

今日の夕食は遅めのスタート。でも、お腹の空き具合からしてちょうどよかった感じがします。たっぷり2時間近くかけてのディナータイムなど、日本にいるとなかなか味わえません。たいそうなボリュームなのですが、話をしながらゆっくり食べると、すっかり完食。これには自分でも驚いてしまいました。でも、正直、そろそろ日本蕎麦が食べたい心境です。「2泊3日」のコースにして正解でした!

「オリエント・エクスプレス」の旅・1日目

2013年2月15日
さて、今日からは「オリエント・エクスプレス」の旅です。「オリエント」はご存じのように「東方」という意味。本来の「オリエント・エクスプレス」は、西ヨーロッパと「東方」、つまり東ヨーロッパ、さらにトルコとを結ぶ鉄道でした。しかし、航空機輸送の発達で、かつてのような鉄道でゆっくり移動する旅は廃れていく一方。「オリエント・エクスプレス」もさまざま変遷を経て、いまは、ヨーロッパを走る「ベニス・シンプロン・オリエントエクスプレス(基本路線はパリ・ヴェネツィア間)」と東南アジアを南北に結ぶ「イースタン&オリエンタル(E&O)エクスプレス」の2つです。

1883年から運行が始まった「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)」は、本来の姿を色濃く残しているようです。「豪華」「優美」「洗練」といった言葉が似合う雰囲気が売りで、ロンドン、パリ、ウィーン、ベニス(ヴェネツィア)、ベルリン、ブダペスト、ブカレスト、イスタンブールの各都市をさまざまなルートで結んでいます。こちらはやはりフォーマルな服装で乗らなければ……といった感じがします。値段はいちばん安いもの(1泊2日、ロンドン・パリ間)でも1000ドルほどでしょうか。

これに対し、アジア版の「E&O=イースタン&オリエンタルエクスプレス」は、1993年から運行が始まった、いうならばリゾート路線。年中暑い地域を走っているのですから当然といえば当然かもしれません。シンガポールとバンコクとを結ぶ路線「E&O」には2つのパターンがあります、1つはバンコク→シンガポールで3泊4日、もう1つはシンガポール→バンコクで2泊3日。もちろん、後者のほうが値段は手ごろですし、いくらなんでも3日連続でフレンチのフルコースでは辟易しそうだということで、後者に決めました。

“走るホテル”と呼ばれているくらいですから、列車に乗る前に「チェックイン」の手続きがあります。場所は、市内の「リージェント・ホテル」。スタッフからさまざまな説明を聞き、荷物を預けると、カフェでしばしスタンバイ。飲み物や軽食、おつまみなど、すべて無料(というか、こういうものもすべて込みで値段がついているのですね)。

所定の時間が来ると、スタッフが呼びに来ます。専用のバスに乗り、マレーシアとの国境近くにあるウッドランズ駅まで移動。ここでシンガポール出国とマレーシア入国の手続きを済ませ、待ちに待った乗車が始まります。

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ダークグリーンとクリームカラーに塗り分けられている車体からは、気品すら感じられます。なんでも、その昔はニュージーランドを走っていたそうで、さらにさかのぼると、1970年代の日本製の寝台車両を改装したものだとのこと。編成は22両(もちろん、東南アジアでは最長の旅客列車)で、132人の乗客を乗せられるといいます。

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私たちが予約した「ステイト・キャビン(広さ=7・1平方m)」という個室(コンパートメント)があるのは7号車。このタイプの車両には個室が6つあります。車両ごとにスチュワードがおり、その案内で個室まで行きます。通路の内装はローズウッドで、真鍮の金具はピカピカ。キーを差し込んでドアを開け中に入ると、ソファー(夜になると2台のシングルベッドに変わる)と小さなテーブルがあり、窓にはシルクのカーテンがかかっています。そのほかワードローブ、セーフティーボックス、バス(もちろんシャワーですよ)・トイレの使い方やら、食事などについて、懇切丁寧な説明がありました。食事の時間が来ると、スチュワードが呼びにくるそうです。

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L1050145出発時刻は午後12時15分。最後部の22号車は展望車です。食堂車(ダイニングカー)が全部で3~4両、ほかに売店車両やマッサージルームの付いた車両、バー車両などがあります。展望車は唯一タバコも吸える車両で、この先何度もお世話になりそうです。椅子が並べられたデッキの上に屋根が付いていて完全なアウトドアなのですが、すぐ隣にバーラウンジ車両が設けられているので、そこでお酒など飲み物を頼み、外に出てゆっくりすわりながら過ごせるわけです。街の中より田園地帯を走る時間が圧倒的に長いので、意外と気持ちがゆるみます。

しばらく走ると早くもランチです。食事も、「オリエント・エクスプレス」の大きな楽しみといわれています。最初は前菜が、「サーモンフィレ・オランデーズソース アスパラガスとホウレン草添え」、メインが「鴨胸肉のロースト黒コショウソース 野菜のつけ合わせ」という内容。デザートは「パイナップル ライムのシャーベット添え」、そして飲み物という組み合わせでした。もちろん、どれも美味。

車内での食事は1日目の昼・夜、2日目の3食、そして3日目の朝昼のつごう7回。朝食はルームサービスなので、食堂車で食べるのはそれ以外の5回です。どの食事も2回の時間帯に分かれていただくシステムなのですが、食堂車の内装も素晴らしく、見ているだけで楽しめる仕掛けになっています。

L1050152夕食は、アミューズのあと、「温かいホタテのテリーヌ ロブスターのビスクとキュウリのミカド・サラダ沿え」の前菜、メインは「牛肉のメダイヨン」か「マレー風鶏の煮込みカレー」のチョイス。デザートは「レモンのムースとドラゴンフルーツとイチゴ添え」とプチフールで、最後がコーヒーまたは紅茶。

L1050249_2その昔、アガサ・クリスティーの小説で読んだ元祖「オリエント・エクスプレス」の食事は、どの客も正装に近い服装をしていましたが、熱帯の国々を走る「E&O]ではあまり気にしなくてもOKのよう。それでも、いちおうジャケットを着てネクタイも締めました。もちろん、カジュアルでも問題はなさそうでした。個室に戻ると、ベッドが整えられ、いつ横になってもOK。感激です!

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出発して7時間半ほどでクアラルンプールの駅に到着。ここから乗ってくるお客もいますが、人数はそれほどでもありません。停車駅ごとに、水や食材など、さまざまなものが運び込まれているようでした。そのため、停車時間も1時間半近くになります。

午後9時25分、出発。しばらくすると列車は真っ暗闇の中を走ります。前日に朝食を持ってきてもらう時刻を告げてあるので、それに間に合うように起床すればOK。列車の走る音はごく単調ですから、よほど神経質な人でないかぎりぐっすり寝ることができるはずです。

ベッドで横になる前にシャワーを浴びました。シャワージェルやシャンプーはブルガリ。お湯の出もまったく問題ありません。下手なホテルよりきちんとしている感じすらあります。これ以上は無理といってもいいほどギリギリの空間なのですが、けっこう快適でした。

リトル・インディアからチャイナタウンへ

2013年2月14日
海外旅行での朝食はホテルのレストランで取るのがキホンですが、それだけに、滞在中は気分の行方を大きく左右するところがあります。「マリーナベイ・サンズ」の朝食もバイキングスタイルですが、中華とマレーとインド。さらにヨーロッパのバランスが取れており、おいしく食べることができました。広いですし、入口で係員が人の出入りを上手にコントロールしているので、足の踏み場もないほど中が混雑しているといったこともありません。このあたりは、マカオのヴェネシアンあたりとはかなり違います。

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今日はまず動物園です。ホテルからはタクシーで30分ほど。しかし着いたころ、激しい雨が降り始めました。キリンにもゆっくり挨拶できず、残念ながら「次の機会にまたゆっくりと」というハメに。でも、これが大事なのです、旅というのは。1回ですべてをクリアしてしまうと、「もう行かなくてもいいや」ということになりかねないのです。

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結局、動物園は早目に切り上げ、中心部に戻りました。前に一度来たときは1泊しただけで、町の中を歩く時間がほとんどありませんでした。最初はリトル・インディアと呼ばれるエリアへ。小さな店がびっしり並ぶ「アーケード」にはインドものがあふれ返っています。その先に「スリ・ヴィラマカリアマン寺院」があります。ヒンドゥー教寺院なので、シンガポール中のインド系住民がここを訪れているようです。ヒンドゥー教の寺院を間近で見たのは初めてですが、その色彩には驚かされました。極彩色というのでしょうが、建物の入口にある塔門には、それこそありとあらゆる原色がこれでもこれでもかと塗られているのです。

L1050106リトル・インディアからMRT(地下鉄)に乗って3駅ほど行くとチャイナタウンです。地上に出ると、すぐそのまま「ピープルズ・パーク・コンプレックス」というショッピングモールです。衣料品、靴・カバン、電気製品、カメラ・時計などを売る小さな店がびっしり入っていて、ほとんどなんでもそろう感じ。そこを出るとパゴダストリート。それと交差するのがトレンガヌストリート。さらにスミスストリートやテンプルストリートなど、このあたりはカオスというか、いかにも中国っぽい匂いがふんだんに漂っています。その中に突然、極彩色のヒンドゥー教の寺院(スリ・マリアマン寺院)があったのには驚いてしまいました。でも、以前はこの一帯にもインド人が多く住んでいた名残のようです。

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ちょうど旧正月を過ぎてまだ間もないころだったせいか、お祭りめいた行事もあちこちで見られました。夕食はその一角のある小さなお店で、春巻きや焼きそばを食べましたが、けっこう美味でしたね。

シンガポールの食べ物は、中国 and/or マレー and/or インドというのがそのエッセンスといわれますが、これは多民族国家であるが故です。「中国」といっても、大きな柱になっているのは華南(福建とか広東あたり)で、そこに中国の流浪の民=客家【はっか】の料理も加わりますから、バリエーションにあふれた食事が楽しめる仕掛けになっています。マレーもインドもカレーなどのスパイスを多用しており、これがまた私の趣向にはピッタリ。

ホテルに戻ったあとはまたカジノ三昧。美しい街並みと食事(どちらかというとB級系)だけが魅力のように思われていたシンガポールに、別の楽しみが加わり、これからもちょくちょく来たくなるのではないかという気がします。

天下一品のポップコーンと海南鶏飯に出会う

2013年2月13日

L1050075_2今日は朝食後さっそく、「世界一高い場所にあるプール」を楽しむため、屋上に上がりました。百聞は一見に如かずとは、まさにこのことをいうのでしょう。階数にしてみると60階近くの高さに相当する屋上のプールはまさに別世界。プールの端まで行くと、眼下にはシンガポールの中心エリアが見渡せます。反対側には温水プールや子どもが水遊びを楽しむための小さなプールがあります。そして、バーやカフェもずらり並んでいて、明るいうちはここでゆっくり時間を過ごすことができるというわけです。私たちも童心に帰り、水着に着替えてプールにザブン。年甲斐もなく、はしゃぎながら楽しませてもらいました。

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L1050056午後はオーチャード通りをぶらぶら歩き。ヒルトンホテル隣の「フォーラム」というショッピングモールの前にある屋台に大きな人だかりがしています。何かと思い見てみると、ポップコーン屋でした。アメリカのシカゴで1949年に創業して以来大変な人気を誇る「ギャレット(Garrett)」という店で、試しに買ってみると、これがおいしいのなんの! いやらしい甘さが一切なく、食べ始めたらもう止まりません。キャラメル味とチーズ味をそれぞれ1袋ずつ買って帰ったのですが、ひと晩で全部なくなってしまいました。

夕食は、「マンダリン・オーチャード・ホテル」にある「チャターボックス」という店の「海南鶏飯」にしようと決めていました。しかし、6時前だというのにもう20人近く並んでいます。並んだ甲斐はあって、とてもおいしかったですよ。クセになりそうな感じがします。

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ホテルに戻ったあとは夫婦でギャンブル。マカオ同様、中国人客が圧倒的に多いシンガポールですから、「大小」のテーブル、マシンが目立ちます。2フロアに分かれていて、吹き抜けになっているのですが、なぜか上のフロアが禁煙になっています。ギャンブルは、勝ち負けももちろん大事ですが、私たちの場合、いかに楽しく遊べるるかがいちばんのポイント。ハナから熱くなっている中国人とはそのあたりが根本的に違うように思えます。「甘い」といわれればそれまでですが。

“世界一高い場所にあるプール”を体験

2013年2月12日
キャセイ・パシフィックのマイレージがたまったので、それを使って香港経由の「シンガポール+バンコク旅行」(航空券代無料)をすることにしました。目標は2つ。1つ目は、シンガポールでいま話題になっている「マリーナベイ・サンズ」という超大型ホテルに泊まること。何せ、ホテルの最上階(57階)にプールがあるというのですから、話のタネにはもってこいなのではないかと。2つ目は「オリエント・エクスプレス」の旅です。

というわけで、昨日の朝、羽田から香港、55分後のシンガポール行きに乗り換え、夜7時前にはチャンギー空港着。途中で飛行機を乗り換えるのは、気持ち的にリラックスでき助かります。しかも今回は前半が3時間20分、後半が3時間50分ですから、バランスも理想的。日本からダイレクトで行くのと、疲れの度合いはほとんど変わりませんし。

「マリーナベイ・サンズ」は空港からタクシーで20分ほど。オープンしてからまだ2年半しか経っていないので、ピカピカに輝いています。最近の空港ターミナルビルに似たような、曲線をふんだんに使った建物で、これまでのホテルとはかなり趣が違います。

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L1050052_2“世界一高い場所(地上200m)にあるプール”というのが売りで、世界中からお客が来ているとのことですが、もう1つ、世界で最大規模のカジノを併設しているのも売り。国の方針でカジノを観光の目玉にしようと、もう1つ、シンガポールのすぐ南側にあるセントーサ島にもカジノ付きのホテルがひと足早く、半年ほど前にオープンしています。マカオだけに独占させておくのはもったいないと考えたのでしょうね。

ただ、シンガポールはご存じのように、道徳に厳しさにかけては、アジアでもいちばんという国。人々がチューインガムの噛みかすを路上に吐き捨てるのに業を煮やし、チューインガムの持ち込み自体を禁止してしまったくらいですから。タバコもゴミも、所定外のところに捨てたりすると、とんでもない額の罰金が科されます。そんなお国柄なのにカジノだなんて、ちょっと考えると不思議な気もします。でも、そこが逆にシンガポールらしいところ。経済的にうるおっていなければ、人間として大切な道徳も守れないという儒教思想によって立つことにしたのです。そう、「恒産なくして恒心なし」ですね。

カジノで国の経済がうるおう→国民のふところが豊かになる→道徳をきちんと守り、ますます一生懸命に働く→社会がさらに豊かになる、といった図式でしょうか。しかも最初のステップであるカジノでの遊びは、もっぱら海外からの観光客に的を絞っているようです。外国人はパスポートさえ見せればカジノへの出入りは自由、でも、シンガポール国民は毎回入場料を取られる仕組みになっているのです。これなら、自国民がカジノ依存症になることも防げるので、まさしく一石二鳥といえます。カジノで遊んでばかりではいけない=きちんと仕事をしなさいということですね。しかも、大規模なカジノ付きホテルを作ったことで、大きな雇用も確保できます。どこかの国の指導者もしっかり学んでほしいなと思うのですが……。

小倉城とその周囲の景色はどうなの?

2013年1月28日
 今日は鳥取から小倉へ。新幹線はかならず止まりますが、「小倉」という市はいまからちょうど50年前、北九州市の誕生によって消滅しているので、いまは「区(小倉北区)」になっています。しかし、さすが城下町だっただけあって、いまなお北九州市の顔は小倉ですし、実際、それに見合った大きな繁華街も駅前にあります。

 ただ、駅周辺の再開発がおこなわれたためか、いかにもいま風の駅前で、機能的で整ってはいるのですが、地方的な色合いは乏しい感じがします。その極致が城の周辺で、10年ほど前に話題になったリバーウオークという建物があるため、どうにも違和感がぬぐえません。小倉上の北側に建っているリバーウオークは有名な外国人設計家の手になるものだそうで、洗練された色使いや全体の構成を見ると、日本人にはこういう芸当はできないだろうなと思います。

 茶(大地)、黒(日本瓦)、白(漆喰壁)、赤(漆)、黄(稲穂)という色の構成は、それぞれ「日本」を意識したといいます。ただ、それは外国人設計者の感覚であって、それだけを、またリバーウオークの中から城を見る分には心地よいかもしれません。

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 しかし、南側から城を見ると、バックに写る赤や黄色はあまりに対照的すぎ、なんだかおかしな感じがするのです。日本の城はたいてい、周囲の景色まで取り込んで設計されているので、小倉城を最初に築いた人がこれを見たら目を丸くするかもしれません。

城もいいが、やっぱりカニが──鳥取

2013年1月27日
 神戸に1泊し、今日は鳥取に来ました。新神戸からは2時間足らずで、意外と近いんだなということを実感します。予報では終日雪となっていたのですが、大外れで、えらくいい天気です。雪は26日の夜に降ってしまっていたようで、砂丘は真っ白でした。砂の上より雪のほうが歩くのはよほど楽で、いい運動になりました。真冬なのに太陽さんさんという日本海はなんとなく意外で、昨年のいまごろ見た秋田から青森にかけてのそれと同じ海だとはとても思えません。

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 砂丘の入り口近くにその名も「砂丘会館」という観光客向けに施設があるのですが、ここで食べたランチの「イカ丼」は予想以上にグーでした。

 砂丘を観たあと、タクシーで鳥取城址に移動。運転手さんの話では、「城があったのは山の上。クルマはふもとまでしか行けませんから」とのことです。たしかに、タクシーを降りたところは急な山を見上げる場所で、これは大変だと心配したのですが、実際はちょっと上るだけで済みました。門をくぐってきつい階段をゆっくり上っていくと、平らなところが。二の丸御殿があった場所のようで、そこまで行っただけで、市街地は十分に見下ろせます。たしかに、山の上にも小さな櫓はあったようですが、殿様や上級家臣がいたのは二の丸御殿とその近くだけだったようで、ほっと胸を撫でおろしたしだい。

 L1050020 下へおりると、真っ白い洋館がありました。なんでも大正天皇が行幸されたときに宿泊施設として建てたものだとか。「仁風閣」というのですが、たいそうお金をかけてこさえたようです。洋風の庭園もあり、よくもまあこんなところに……と驚きました。もとは殿様の庭園があった場所だったとのことで、それを建て替えてつくったそうです。

 城内にはこの県随一の名門・鳥取西高がありました。ちょっとのぞいてみると、あちこちに城の石垣があるのでまたまたびっくり。鳥取城そのものはいまはもうその姿をとどめていないのですが、これだけ石垣があるのを見ただけで、その規模の大きさがうかがい知れるというものです。

 城址をあとに、かつての城下町に向かって歩き始めると──。なんともいえない落ち着きがいまでも感じられます。とくに城に近いあたりは上級家臣や中級家臣の住まいだったらしく、敷地もけっこう広くとってあるので、空間的にも余裕があります。そのせいでしょう、街全体からなんともいえない落ち着きが感じられるのですが、人通りも、その分少ないです。

 いまでも高層の建物が少なく、駅までゆっくり歩いて30~40分ほどの一帯では、どこにいても城が見えたことでしょう。江戸時代の城は、最高権力者である殿様の住まいですから、人々の意識にはいつもそれがあったはずで、いい悪いは別にして、当然「秩序」感覚がはぐくまれていったにちがいありません。鳥取県民の保守的な気質も、存外、そんなことによって生まれたのかも……という気がします。L1050012

 ホテルに戻りひと休みしてから、夕食に。ホテルの外にもいくつかいい感じの店はあったのですが、冬の鳥取とくればやはりカニでしょう。ちょうど雪も降り始めていたので、ホテルの地下にある店でカニしゃぶを食べることにしました。例によって写真は撮り忘れてしまいましたが、やはりおいしかったです。

あっという間に7~8センチの積雪

2013年1月14日
 たまたま所用があり、2日続けて国立競技場の近くまで行くことになりました。ところが、昼前から雪が降り始め、それが猛烈な勢い。1時には信濃町の駅周辺は7、8センチ積もっていました。仕事場に立ち寄り、しばらく雑用を片付けていたのですが、いっこうに衰えないので心配に。池袋から西武線で帰ろうとしたのですが、積もった雪の重みで線路内に木の枝が倒れていることがわかりストップ。仕方なくタクシーで帰宅とあいなりました。


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 池袋駅周辺は人の姿もほとんどなく、タクシーも皆客を乗せており早々にあきらめ、隣の目白まで山手線で。そこでようやくつかまえたのですが、どのクルマものろのろ運転で道路は大渋滞。結局、自宅まで30分近くかかり、料金もいつもの倍かかりました。

 前日の天気予報をはるかに上まわる雪で、明日からの混乱が心配です。東京は雪にはからっきし弱いですから。

ラグビー大学選手権で帝京が4連覇

2013年1月13日
 国内でラグビーを観るのは何年ぶりでしょうか。大学ラグビーの決勝戦(帝京大 vs 筑波大)を観に国立競技場に行きました。チケットは知り合いから頂戴したのでロハ。ただし、自由席です。

 今日は1月とは思えないポカポカ陽気。キャップもマフラーはまったく不要。コートを着ていると暑いくらいでした。

 国立大学として初めて決勝に進んだ筑波ということで、別の意味で注目されてはいるのですが、さすが決勝ともなると、地力の差は歴然。最初の10分ほどは、双方とも落ち着きを欠いていたようで、ノックオンの連続でしたが、それを過ぎてからは帝京のワンサイドといってもいいくらい、とにかくスピードで筑波を圧倒していました。

 気持ちよくパスがまわるので、観ていて気持ちのいい試合でした。スクラムが非常に少なかったことからも、どちらも球出しがスムーズだったのがよくわかります。後半の最後、筑波が意地でトライを二つ決めましたが、時すでに遅し。最終スコアは39対22で、帝京が史上初の4連覇を決めました。

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 2019年のワールドカップは日本での開催が決まっていますが、そのわりに盛り上がりに欠けているのはなんとも残念。オリンピックもいいでしょうが、それよりまずはラグビーに、もっともっと力を入れるべきではないかと思うのです。

 今年も3月末にはセブンス(7人制)の大会が開かれますが、PRはいまイチ、どころかいま2で、ラグビーサークル以外の人はほとんど知らないのではないでしょうか。こんな状態では、いくら6年後といっても、会場が満杯になるなど夢のまた夢という気がしてしまいます。

「ヨーロッパ」を感じさせてくれるケベックシティー

2012年10月13日
 今年2度目のカナダ。今回はケベックシティーまでやってきました。日本を出発したのは10月12時午前0時5分のANA便。この時間ですから、ロサンゼルス到着は前日(11日)の夕方になります。なんだかとても得した気分ですが、その分は帰りに“返済”しなくてはならないので、トータルとしては同じ。ただ、日本からの便はこれしかないので、入国手続きがあっという間に終わります。しかも、出発したらすぐ眠りに就くことができ、体も楽で助かります。11日の夜は空港近くのホテル泊。

 12日はほぼまる1日かけての移動。ロサンゼルス発10時19分、ワシントン(ダレス空港)着18時18分、18時59分発の便でケベックシティーです。わずか40分しかありませんから、降りたところから航空会社差し回しのクルマで次の便が出るところまで移動。「なるほど、だからこんな短時間でも乗り継ぎができるんだ」と納得。到着は20時54分。ホテルにチェックインしたのはもう10時近くでした。夕食はホテルのすぐ近くのカフェで軽く済ませたのですが、そのわりには内容もけっこうよかったです。

13_2 今日はケベックシティーがどんな町なのか、市内をひととおり観てまわることにしました。お天気に恵まれ、暑いくらいです。風もさほど強くなく、絶好の観光日和です。ほとんど車が走ることもない落ち着いた通りを5分ほど行くと、広場に出ます。近くのスケートリンクで使われた氷が道端に積んであったりするものですから、思わず、雪でも降ったのかと誤解したり。13_3
Photo それを通り過ぎると、シタデルと呼ばれる城塞の城門に着きました。最初この町を支配していたのはフランスですが、それを奪い取ったイギリスが作ったものです。海に向かって何門もの大砲が並んでいるのですが、いかにも堅固な要塞といった感じで、ここがとても重要な場所であったことがよくわかります。

 これまでカナダというのはなんとも不思議な国だと思ってきました。アメリカのすぐ隣にあって、ベタで国境を接していながら、その趣きがまったく違うからです。かつての宗主国イギリスの匂いがアメリカより濃厚にただよっているからでしょうか。アメリカではそうしたものをほとんど感じません。話されている英語も、アメリカ英語とは一線も二線も画しています。

 ところがケベックとなると──。ハナからイギリスの匂いがありません。完全にフランスなのです。言葉も看板も、建物も、そして人もまごうことなきフランスですから、カナダのほかの地域とは勝手が違います。
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 カナダのこの地域がフランスの支配下にあったのは1534年から1763年までの約230年もの長きにわたります。その後イギリス領になったものの、1867年「自治領」となることで実質的な独立を勝ち取るまではおよそ100年。これでは、フランスの影響のほうが強いのは当然かもしれません。

Photo_3 城壁の上を歩いて行くと、川(セントローレンス川)──といっても海のように大きいのですが──に到達。こんどは川に沿って作られた遊歩道を歩きました。「ケベック」はフランス語で「狭い水路」という意味だそうですが、川の対岸の町レヴィやオルレアン島がすぐ近くに見えます。それでも、川幅はかなりありますし、何より深そうです。城塞の下、川辺にある港にえらく大きなクルーズ舟が接岸していたのを観てもそれがよくわかります。

 それにしても、こじんまりした街、とくに中心部は城塞があるなど、いかにもヨーロッパといった感じですから、すぐ隣のアメリカから手軽に「ヨーロッパ」を味わいにくるには格好のロケーションといっていいでしょう。ニューヨークから1時間ちょっと、時差もなしとなればよけいです。どうりで、アメリカからやってきたとおぼしきお年寄り夫婦の姿が目立つはずです。

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Photo_4  城塞から海辺のほうに急な坂道を降りて行ったところが「ロウワータウン(lower town)」と呼ばれるエリアです。ケーブルカーもありますが、まずは「首折階段」という階段で。この界隈はお洒落なショップ、カフェ、レストランがずらり並ぶ「プチ・シャンブラン」といいます。Photo_5
 そんなレストランの一つで食事を取り、紅葉をながめたりしながらブラブラ歩くと、あっという間に時間が経っていきます。家の壁いっぱいに描いた絵も面白かったですし、小さな教会では結婚式に出くわしたり、飽きることがありません。ようやくケーブルカーで上に戻ったときはもう夕方近くになっていました。

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 上がるとそこは「アッパータウン(upper town)」。四方はすべて城壁に囲まれているのですが、そういう感じはしません。いかに城塞が広大かということがよくわかります。第2時世界大戦の最中、チャーチルとルーズヴェルトが会談したという老舗ホテル「フェアモント・ル・シャトー・フロントナック」がその中央にドーンと構えているのですが、それほど圧迫感はありません。Photo_9 そのまわりにある広場や公園にはリスがいたりなど、とても100万都市とは思えないような落ち着きがあるのです。

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 ようやく散策を終えてホテルに戻ったのは6時をまわっていました。ひと休みして夕食を取りに再び街中へ。しかし、この夜は中華で大失敗! その昔アメリカのソルトレークシティーというところでやはり同じような経験をしたことがあるのですが、今回はそれ以上でした。中華は世界中どこに行っても食べられ、しかも大外れすることはない(最悪でも、「可もなく不可もなし」)のですが、このときばかりは、とにかくベタベタに甘い味付けで辟易しました。「こんなひどい中華、食べたことない!」というほど、ひどかったのです。

 しかし、ケベックシティーの中華はそれ以下でした。フランス文化圏なのに首をかしげましたが、まあ、こんなこともあるとあきらめました。ベルギーのブリュッセルで食べた中華が期待を裏切っておいしかっただけに、それと逆の結果だとけっこう落ち込みます。

帰国前日は、さすがに日本メシが食べたくなり……

2012年8月16日
「フラワーカーペット」のテーマが「アフリカ大陸」だったからというわけではありませんが、今日はブリュッセルの南東、テルヴューレンというところにある国立中央アフリカ博物館に行ってみました。トラム(44番)に乗ったのですが、途中の道筋はほとんど森林公園のよう。車の量が一気に減るせいか、ホント郊外といった印象です。トラムそのものも味わいのある乗り物ですが、こうした中を走っていくと、いっそう落ち着きが感じられますね。電停を降り数分歩くと立派な博物館に着きました。

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19世紀の終わりごろ、ベルギーの国王レオポルド2世は、アフリカのコンゴ(旧国名はザイール、現在はコンゴ民主共和国)を私有地化しました。ベルギーにとっては唯一の海外領土です。いまでもダイヤモンドと金の生産地として有名なコンゴから生まれる富を国王は握ろうとしたのです。

1897年、ブリュッセルで万国博が開催された折り、現地から運んだ楽器や工芸品などの芸術作品、動物の剥製(キリンの剥製もあるとのことでしたが発見できませんでした)、岩石など貴重な品々を人々に見せ、コンゴがどんなところなのかを広めるために作ったのがこの博物館です。その後、国王からコンゴを買収したベルギーはコンゴを植民地化しましたが、1960年に独立を果たしています。さすが国王が命じて建てさせたルイ16世様式の建築物ですから、えらく立派。いまもアフリカの調査研究の世界的な中心で、その有数のコレクションから「アフリカ文明の殿堂」とも呼ばれています。

44_2見学を終えると、またトラムに乗って「KAMO」という日本料理店に行きました。こちらに来てまだ一度も日本メシを口にしていなかったので、どこかないかとネットで探し見つけた店です。学生街のような場所の一角にこじんまりとした店があり、主に地元で暮らす日本人が出入りしているようでした。もちろん、舌の肥えていそうなベルギー人もいましたよ。久しぶりの日本料理にほっこりした気分になり、ランチの定食をペロリ平らげてしまいました。おいしかったです!

L1040411ホテルまでトラムで戻り、最後の夜はホテル近くの居酒屋のような店で夕食。長かったベルギーの旅もようやく終わりです。「フロリアード」は、思っていたような内容ではありませんでしたが、想定外の「フラワーカーペット」と出会うことができ──しかもその前日の作業まで間近に見られたのはラッキー以外の何ものでもありません。

早朝、夕方、夜と「フラワーカーペット」3回楽しみました

2012年8月15日
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今日から「フラワーカーペット」が始まります。早起きしてグランブラスまで行ってみると、ベゴニアのじゅうたんがみごとに完成していました! 75×24メートルの広さ(1800平方メートル)に60万本もの花。それを、ボランティアの園芸職人さん(100人ほど)たちが1日がかりで置いていったのです。専門家が描いた設計図というかデザイン画に従って、1平方メートルあたり300本もの花を1本1本ていねいに置いていくことを想像してみてください。1人が担当するのが18平方メートルとしても300×18で5400本! 考えただけでも、気が遠くなりそうになります。

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ベゴニアは西インド諸島原産。強烈な日差しにも寒さにも、また雨や風などの荒天にも強い花なので、夏のヨーロッパでも4日間ならなんとかその美しさを保てるのだそうです。「フラワーカーペット」は毎年テーマが設けられ、今年は「アフリカ大陸」。そのせいか、黄と赤のほか、黒も目立ちます。それと、アフリカ原住民が使っていた盾でなじみ深い幾何学模様緑(ケニアの国旗を思い浮かべてみてください)。壮観というか、なんとも素晴らしい光景に息をのんでしまいました。

L1040357朝から美しい花で心を癒されたのもつかの間、今日はワーテルローの古戦場まで足を伸ばす予定で、午前中から暑い中を列車に乗りました。ワーテルローはおよそ200年前、ナポレオンとプロシア・イギリスの連合軍が激しい戦闘を繰り広げ、ナポレオン軍が負けたところです。イギリス軍を率いたウエリントン将軍の名をつけた博物館を見たあと軽くランチ。そこからバスで古戦場まで行くと、周囲は何もない平地の真ん中に小高い丘があります。ライオンの丘というのですが、200段以上ある階段を上っていくと、広大な古戦場がパノラミックに見えました。

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有名な古戦場はどこでもそうだといいますが、要するに周りに何もない場所。まわりのどこかに数多くの兵隊が陣地を敷いているのですが、そこから双方が馬に乗ったり歩いたりしながらぶつかり合ったわけですね。ライオンの丘の下にパノラマ館という施設があり、そこで戦いの一部始終を映像化し流していました。期待していたほどではありませんでしたが、まあ、行ったことに意義があるということで。

夕方ブリュッセルに戻り、乾いた喉をうるおそうと、またまたビールを。ホテルのラウンジの屋外エリアで、「パウエル クワック(Pauwel Kwak)」という、一風変わったビールを飲みました。独特の形をしたグラスに入れて飲むのですが、これには理由があるそうです。

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もともとデンデルモンド(アントワープから電車で20分ほど)という町で、宿屋を経営していたパウエル・クワック(醸造士でもある)が、毎日そこに立ち寄る郵便馬車の御者のために、馬の鐙【あぶみ】にすわったままビールを飲めるグラスをということで考案したものだそうです。味もベルギーのビールらしい甘みが際立っていました。クリームのように泡がふんわり盛り上がった状態で出てきますが、その下には明るい銅色をしたビールが。アルコール度はやや高く、味は濃厚です。

この日までほとんど毎日、昼・夜とあれこれビールを試してみましたが、これがいちばんおいしかったというか、私の舌には会いました。ついでながら、家人はこのとき「リンデマンス・フランボアーズ」というビールにトライ。フランボアーズとは木イチゴのことで、強い香りがします。ビール特有の苦味はほとんどなく、木イチゴの甘ずっぱさが印象的でした。

ユニークなおもちゃ屋さんをのぞいたりしながらグランブラスに行くと、市庁舎の2階バルコニーからフラワーカーペット全体を見下ろすことができるとわかり、さっそくチケットを買いました。2回に上がり、テラスのような外廊下から見下ろしてみると、みごとな“作品”であることがよくわかります。よくもまあ、こういうイベントを考え出したものだと、そのアイデアに感心しました。

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L1040378夕食は、タルタルステーキとムール貝を食べました。そのあとグランブラスに立ち寄ってみると、夕方よりさらに多くの人でにぎわっています。期間中は夜10時になると、広場の4隅からライトアップされ、花火も打ち上がるのです。またステージも設けられており、そこではコンサートもおこなわれていました。

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博物館のタイトル“3連チャン”

2012年8月14日
朝ホテルを出てメトロに乗り、3つ先のシューマン駅まで行きました。目的は、駅を上がったところにあるサンカントネール博物館、王立軍事歴史博物館、さらにオートワールドというこちらは自動車博物館の“3連チャン”です。この中で抜群に面白かったのはオートワールド。

第2次世界大戦以前のベルギーは自動車産業が盛んで、モーターショーも開催されていたといいます。1880年に作られたこの建物は、その会場になっていた場所。1886年から1970年代の車がこれでもかこれでもかというほど展示され、最初から最後まで飽きることがありません。初代のジャガーやホンダS800といった伝説の名車から、昔の消防車やパトカー、さらには霊柩車まで、どれも皆興味深かったですね。この一帯は1897年に開催されたブリュッセル万国博の会場として整備されたとかで、いまでは公園になっています。

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L1040319シューマン駅から再び地下鉄を乗り継ぎ、ルイーズ駅で下車。最高裁判所やブリューゲルの家、プチサブロン、グランサブロンを観ながら王宮まで歩きました。もう、足全体が棒のようになっています。ようやくグランプラスまで戻ってくると、広場のほぼ全体が花で覆われているではありませんか! そうだ、明日から、あの有名な「フラワーカーペット」が始まるんだ。その植え込み作業の真っ最中だったのです。家人とともに思わずにんまりしてしまいました。疲れも一気に吹き飛んだのはいうまでもありません。

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2年に1度おこなわれる「フラワーカーペット」(1971年から始まり、8月半ばの4日間開催される)ですが、出発前には今年あるということをまったく認識していませんでした。しかも、それがまさにスタートするタイミングで現地にいるというのは、望外の幸せです。

前祝い(?)にと、今日は有名な「LEON」という店で夕食を取りました。もちろん予約などしていないので、外のいちばん端っこのテーブルです。同じムール貝でも、こちらは多少上品な印象はありましたが、食べ終わった殻を別のバケツに放り込むのは同じ。私たちも食が進みました。付け合わせのフリッツはもちろん、「クロケット・オ・クルヴェット(衣がカリッとした小エビのコロッケ、味つけが濃厚で、ソースなしでいけます)」も美味でした。

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ホテルに戻ると、夜10時ごろから騒がしい音楽の音と花火の音が聞こえてきました。そう、「フラワーカーペット」の前夜祭というか、明日の正式開幕を前にしての祝宴です。これは楽しみですね、明日が。

心がなごんだブルージュの街

2012年8月13日 
日本を出発する前には予定していなかったのですが、こちらでガイドブックを繰っているうち、ブルージュまで行ってみようということになりました。中央駅から列車で西に1時間のところです。しかし、これが大ホームラン! ブリュッセルと違って落ち着きがある街で、心がなごみました。

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「水の都」ともいわれるブルージュ。運河で囲まれたエリアは全体が世界遺産になっています。駅を降りそちらに向かうやいなや、もう1つの世界遺産・ベギン会修道院が。それを右に見ながら州庁舎のあるマルクト広場をめざします。州庁舎の立派さは大変なもの。その近くにそそり立つベルフォート(鐘楼)も印象的で、鐘の音がひんぱんに聞こえてきました。広場を取り囲むようにして立つギルドハウスは、まるでお菓子のような趣でした。

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L1040230街全体の様子をつかもうと、馬車に乗って観光してみることにします。30分で36€とけっして安くはありませんが、おおかたの名所はクリアでき、サービスも満点。ランチのあとは運河クルーズです。街の外側をほぼ半周するコースで、途中で街の中にも入り込み、さまざまな建物を別の角度から、しかも間近に見ることができます。ほぼ1時間のクルーズですが、大いに楽しめました。半日ではもったいないほど、見どころのある街です。

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夕方遅めにブルージュを出てブリュッセルに戻りました。でも、この季節のヨーロッパは日がとても長く、夜8時を過ぎてもまだまだ明るいのです。そのため、なかなか夕食気分になりにくく、駅からイロ・サクレ地区の方向にぶらぶら歩いていきましたが、王立モネ劇場(オペラがおこなわれる)の先で見つけた中華料理店で食べました。モネ劇場の美しい姿が印象的でした。

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ブルージュとかモネとか、その語感から察することができるように、ベルギーという国はフランス語が公用語の1つになっています。しかし、お気づきの方もおられるでしょうが、最初に泊まったアントウェルペンはフランス語的な感じがしません。こちらはむしろ、明らかにドイツ語的な雰囲気を持つ、オランダ語です(正式にはその方言=フラマン語)。もちろん、フラマン語も公用語です。

ベルギー北部のフランドル地方はフラマン語、南部のワロン地方はフランス語が主に使われており、ほか、ドイツ国境に近いエリアではドイツ語も話されているそうです。この国には「言語戦争」という言葉もあるほどで、フラマン語を話す人たちとフランス語を話す人たちとの間に根深い対立があり、一時は大変な状況になったこともあるといいます。

空腹に合ったベルギーの郷土料理

2012年8月12日
まずは朝イチでレンタカーの返却に南駅にあるオフィスまで。そのあとはまた、グランプラス周辺を歩くことにしました。「世界でいちばん美しい」といわれるだけあって、本当に飽きない場所です。市庁舎、ビール博物館、ブラバン公爵の館といった有名な建物を始め、天使の館・鳩の家、王の家、兜の館、孔雀の館、スペイン王の館、袋の館、狐の館など、どれも皆いわく因縁のありそうな名前のギルドハウスに四方を囲まれた広場の上には真っ青な空が。

ギルドハウス の「ギルド」はその昔世界史の授業で習いましたが、「同業者組合」のこと。中世から近世にかけて、都市の商工業者が相互扶助を目的に結成したものですが、その寄合所的な役割を果たしていた建物のことをいいます。ギルドなるものはとうの昔に解体されましたが、建物のほうは残り、それがレストランなどに使われているわけですね。よく見ると、どの建物の外壁にも、往時の職業を示す紋章やら彫像がついているのに気がつきます。

そこから四方八方に広がる狭い通り・路地に入ると、またまた気を引く大小の店があります。500メートル四方のエリアですが、1つひとつ見て回るまでの余裕はないので、そぞろ歩きで、気に入ったところ、面白そうなところがあればドアを開けて「お邪魔しま~す」。もうイヤというほど歩き回りました。もちろん、“世界三大がっかり”の1つ小便小僧も見ましたよ。でも、いわれるほどがっかりはしませんでした。

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ベルギーといえばワッフルが名物なので、それにもトライ。老舗の「ダンドワ」という店が有名らしいのですが、ここはお客が列をなしていたのでパス。近くの別の店で買って食べましたが、うま~~いっ! 全体のレベルが高いのですね。グランプラスから離れ、東の方向に歩くとマドレーヌ教会があり、その向かいが中央駅です。ここで切符の買い方をチェックしたあと、バスに乗ってアトミウムとミニヨーロッパがある北のほうに足を延ばしてみました。

アトミウムというのは、なんともユニークな形をした展望台のような施設なのですが、けっこうにぎわっていました。ミニヨーロッパはそのすぐ近くにある屋外ジオラマパーク。ヨーロッパ各地にある美しい建物を25分の1の模型にし、それが全部で300も並べられており、こちらもまずまずの人出です。

L1040170それにしても、きょうはよく歩きました。さすがにこれだけ歩くとお腹も空きます。今日もまたイロ・サクレ地区に。あれこれ迷ったあげく、私たちが選んだのはベルギーの郷土料理。「ラ・ローズ・ブロンシュ」という店で、名産のビールのあと、「トマト・オ・クルヴェット(クルヴェット・クリーズ=北海の夏の特産・灰色の小エビにマヨネーズを和え、中身をくり抜いたトマトに詰めたオードブル)」と「ワーテルゾーイ(鶏肉にジャガイモ、ニンジンなどを加えクリームソースで煮たもの)の2品をシェアして食べたらお腹いっぱいになりました。

美の国ルクセンブルクからブリュッセルに

2012年8月11日
昨日に続いて、今日もドライブ。ただし、アントワープとは今日でお別れ。ルクセンブルク大公国経由でブリュッセルに移動します。高速道路を走っている途中にドライブインがあったので、のどをうるおそうと立ち寄ってみました。日本の高速道路にあるサービスエリアのようなもので、売店とレストランもしくはカフェ、ガソリンスタンド、トイレ、子ども向けの遊び場などがひととおりそろっています。その売店で見たのがワインとビールがびっしり並べられた棚。たしかに、ベルギーはビールの国ですが、ドライブインで売るなんて……。まさかここで飲むわけでもないでしょうし、家に戻って飲もうというドライバーのために売っているのですかね。

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それにしても、ルクセンブルクは美しいところでした。というか「国」です。わずか2600平方キロメートルといいますから、神奈川県と同じくらいでしょうか。人口は50万弱で、首都圏でいうなら江東区・松戸市・市川市とほぼ同じ。でも、1人あたりのGDPはここ20年以上にわたって世界第1位です。首都も同じくルクセンブルクといい、その「古い街並みと要塞群」は世界遺産になっています。

L1040107着いたのがちょうどお昼どきだったので、すぐランチにしました。スープを取り、2人でスモークサーモンのサンドイッチをシェアした(私はそれにビール)のですが、なんとも爽快な味で大満足。気持ちのいいアウトドアの席で食べたのもよかったのでしょう。

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そこから要塞(ヴェンツェルの環状城壁)まで行く間に、アルム広場、ノートルダム大聖堂、大公宮、市庁舎といった有名な観光スポットがほぼカバーできてしまいます。念のためと思い、おとぎの国のような可愛い市内遊覧バスにも乗ってみましたが、歩いて回ったのとほとんど同じところでした。これで“1国制覇”などといっては叱られそうですが、それくらいコンパクトな首都なのです。夕方早い時間には車を駐車場から出すことができました。

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ヴェンローから高速道路で一本道のブリュッセルまでは2時間少々。ホテルの駐車場がややこしく車を入れるのにひと苦労しましたがなんとかパーキングは完了。6連泊するホテルはアントワープと同じRadison Bludです。チェックインを済ませると、さっそく夕食を取りがてらグランプラスに向かいました。

L1040147途中、ギャルリー・ロワイヤル・サンテュベールというショッピングアーケードを抜けていきます。1847年に完成したヨーロッパで最古のアーケード商店街だそうで、ガラスで作られた高い天井から柔らかな光が注いでくるので、快適この上ありません。王室御用達のスイーツの店もあればチョコレートのノイハウスもある、タバコ屋もあればワインショップもあり、ここに来ればなんでも買えそう。レストランとカフェも気さくな雰囲気で、入りやすい感じです。

そんなことで左右に目移りがしてしまい、通り過ぎるのにけっこう時間がかかりました。夕食はどこでとも決めていなかったのですが、とりあえずいちばん選択肢の多そうなイロ・サクレ地区に。場所は、グランブラスの北側です。歩いていると客引きの声がすさまじく、左右で数十軒並んでいる中で適当に選びました。ただ、どの店にも共通しているのはムール貝です。私たちもトライしてみたのですが、これがとんでもないおいしさ。しかもメチャ安! 日本でムール貝というと、どこかよそよそしいというか、おごちそうといったイメージがありますが、ここではだれもが食べる大衆料理。

ムール貝をセロリと一緒に白ワインで蒸したもの(Moules mariniere)ですが、何より驚いたのはその量で、1人前がバケツのような鍋に1杯、それも山盛りで出てきます。1つ食べると殻が出ますが、その殻で次の貝の身を取って食べるのが基本スタイル。食べても食べても減らないのですが、不思議なことになかなかお腹いっぱいになりません。付け合わせで出てくるフリッツ(フライドポテトのことで、ベルギーが発祥の地)もビールと白のワインによく合いました。結局あとはサラダと、ムール貝のうまみが凝縮した鍋底のスープにパンをひたして食べておしまいでしたが、ムール貝というものを見直しました。

勝手にイメージしていたのとは違ったフロリアード

2012年8月10日
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さて、今日は「フロリアード」に行ってきました。レンタカーを借り、開催地のオランダ・リンブルフ州フェンロー(Venlo)へ。ナビ付きなので、目的地の住所を入力すれば事足ります。E34号という道をまっすぐ走り、途中で国境を越えるとこんどはA67号、1時間40分ほどで到着です。途中いくつもの町・村を通過しますが、これまで一度も聞いたことのないところばかりでした。

フェンローは人口9万ほど。町自体の歴史は古く、ローマ時代までさかのぼるようです。マース川(水源はフランス北東部。ベルギーからオランダで北海に注ぐ)上流の交易地として発展し、ハンザ同盟のメンバーでもありました。戦略的に重要な位置にあることから、1702年のスペイン継承戦争でも激しい戦闘があり、その結果、ネーデルラント連邦共和国の連邦直轄地となったため、のちオランダ王国に組み込まれます。2003年には「ヨーロッパでもっとも緑の豊富な町」として表彰されており、そうしたこともフロリアードの会場に選ばれた背景にはあるのでしょう。

こうした大規模なイベントだと、日本的な物差しでは全国から多くの見物客が詰めかけ、中はびっしりといった雰囲気をイメージするのですが、その予想はまったく大外れ。駐車場にはすんなり車を止められましたし、入場券もほとんど並ばずに買えました。会場の中も思ったほど混雑していません。たしかに国際的なイベントではありますが、夏休み期間でもあり、ほかの国に遊びに出かけてしまっている人も多いからではないでしょうか。それでも、ベルギーやドイツとの国境の近くにあるので、駐車場に止めてある車のナンバープレートを見ると10カ国以上にわたっていました。

L1040094もともとは花卉【かき】業界、園芸業界が主体の催しだったようですが、いまでは花や木に興味を持っている一般の人たちも入場できるスタイルになっています。開催期間は4月5日から10月7日までで、開会式にはオランダのベアトリーチェ女王も出席されたとのこと。今回は世界42カ国が参加し、66ヘクタール(サッカー場約100個分)にも及ぶ会場(うち展示スペースは44ヘクタール、室内展示用スペースが7000平方メートル)に、100を超えるパビリオンというかブースがあります。会場がとにかく広いため、移動用のケーブルカーを走らせて来場者の便宜を図るなど、主催者の意気込みが伝わってきました。

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会場内には、180万個の球根、19万鉢の多年草、1万8千本の灌木、15000本の生け垣用植物、3000本の樹木が植えられているとのこと。期間中は春・夏・秋の3回、切花、観葉植物、鉢物など品種別のコンテストもあり、そこで得た評価が園芸産業の振興に役立つといいます。日本政府(主体は農林水産省)も出展しており、伝統の花卉、種苗といった分野の技術の成果を協力にアピールしていました。

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会場は5つのエリアに分かれ、「エリア1」は「リラックスと癒し:健康と幸福のための園芸の重要性」。「エリア2」は「グリーンエンジン:環境にやさしいエネルギーの供給者としての園芸」。「エリア3」は「教育とイノベーション:革新および教育と発展との関係」。「エリア4」は「環境:緑豊かな労働・生活環境は、質の高い生活に多大に貢献」。「エリア5」は「ワールド・ショー・ステージ:自然は素晴らしい劇場であり、感動、楽しさ、そしてエンターテインメントの源」という構成になっています。

Photo_6ただ、オランダといえば、やはりチューリップ。いまは8月ですから、すでに終わってしまっていたのが残念といえば残念です。ネットでこの会場の春の様子を写した写真を見ると、それはもうチューリップのじゅうたんがみごとに敷き詰められたような塩梅になっていました。

もちろん、どのブースもこの時節にいちばん美しく咲く花を並べてアピールしています。そうした中、入り口近くに建つメインビル内のヴィラフローラ(屋内展示会場)には日本のラン各種が陳列され、「エリア2」のグリーンエンジンには日本政府出展のブースもありました。どの国も自慢の花や樹木を、その国の風物などとともにさまざまな工夫を凝らした形で展示していました。

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屋外会場の随所になにげに置かれているオブジェも傑作ぞろい。


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「エリア1」と「エリア5」とを結ぶ全長1・1㎞のケーブルカー(片道6€)にも乗ってみましたが、上から見ると会場の広さがまざまざと感じられます。このあたりは、チェルシーの「フラワーショー」には見られないスケールの大きさでしょう(もっとも、イベントの性格が異なるので当然のことではありますが)。ただ、イベントそのものに対するイメージが、あらかじめ思い描いていたのとかなり隔たりがあったのはたしか。かといって不満なわけではありませんが……。

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アントワープ中央駅は立派な観光名所

2012年8月9日
L1030989今回もさっそく、キリンとの対面です。アントワープ動物園は中央駅のすぐ隣にありますが、こうしたロケーション自体、ごくまれです。完成後100年以上を経ている中央駅自体も見るからに重厚で荘厳、交通の要所というより観光スポットといったほうが的確なのではないかと思うくらいインパクトがあります。

Photo大理石で作られた駅舎とコンコース、そしてホームの上にかぶさっている巨大なドームは、鉄(高さ44メートル・長さ185メートル)とガラスで構成されています。駅から3・8㎞にわたって延びている高架橋には200本以上の石柱が両サイドに立っており、これまた見る人の目を楽しませてくれます。「鉄道の大聖堂」と呼ばれているといいますが、それも納得できます。駅舎内にある巨大な時計の美しさもハンパではありません。また、構内にあるカフェはその昔は貴賓室だったらしく、国王一家も利用しているそうです。

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L1030993一方、動物園も、入り口が大理石と鉄柵で作られており、権威を感じさせます。一国の王様が下々の者に「見せてやるぞよ」とのたまっていた時代の産物ですから、当然といえば当然かもしれません。園内のどこにいても中央駅が見えるのがなんとも不思議です。こんな動物園、そうそうないのでは。

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さて、キリンに挨拶を終えると、王様も入られたという、駅構内のカフェでカプチーノを飲んでひと休み。それから街に出ました。駅の正面を背にして中心街に向かうと、日本ではおよそ見たこともないシュールな“交通標識”に出会い、「なんだ~~、これは!」と思わず叫んでしまいました。車を運転している人は見て解読するヒマなどなさそうです。スケボー禁止、自転車乗り入れ禁止、トラック走行禁止……など、それらしいものもありますが、よく見ると、「写真撮影禁止」とか「飲酒禁止」「携帯電話使用禁止」など、ジョークっぽいものがほとんど。要するにオブジェのようで、真面目に受け止めようとした自分を笑ってしまいました。

建ち並ぶ家々のほとんどは、スリムで背丈の高いギルドハウス風。ただし木造ではなく石造りです。グローテ・マルクト(広場)に面して建つ市庁舎のファサードがことのほかきらびやかなのは「ダイヤモンドの町」だからでしょうね。そこここに見かけるオブジェも皆、存在感があります。「ファッションの町」と呼ばれているからでしょうか? 手の巨大なオブジェを前にした家人は、それに包まれうっとり(?)。巨大な手首を投げようとしている像もありました。ほかにも、思わず何かアクションしたくなるものがいっぱいで、見て楽しむだけためのものではないのかもしれません。

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ノートルダム大聖堂を見たあとウオーターフロントのほうに向かって歩き続けると、MAS(Museum aan de stroom=川岸の博物館)という博物館がありました。大航海時代からのベルギー(というかオランダも含めてでしょうね)の歴史の流れを追いかけるといった内容の展示らしいのですが、博物館というのは真剣に見始めると2時間くらいすぐ経ってしまう場所です。今回はパスし、次の機会にゆずることに。


Photo_2「アントワープ」というの英語で、オランダ語では「アントウェルペン(Antwerpen)」といいます。antwerpenとは「手を投げる」という意味だそうです。その昔、巨人アンティゴーンが街を流れるスヘルデ川の通行人に高額の通行税を課し、払えない人がいると、その手を切って川に放り捨てていたのだとか。そこに出現した古代ローマの英雄ブラボーがアンティゴーンを退治し、その手を切って川に投げ込んだという伝説があるとのこと。町の名前はそれに由来しているといい、市庁舎の前に、切り取られた手を投げるブラボーの銅像(噴水でもある)があったのもそれが理由なのですね。夕食はホテルの近くのアルゼンチン牛ステーキの店で。なぜか、このあたりは「アルゼンチン」の文字が目立ちます。貿易港だったころのなごりでしょうか。

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子ども時分から名前には親しみがあるアントワープ

2012年8月8日
去年の5月、ロンドン・チェルシーの「フラワーショー」を見物したあと、熱病に浮かされたように、その種の催しで面白いものはないかとあれこれ探しまわっていました。それで引っかかってきたのが、「10年に一度開催されるオランダのフロリアード」というイベントです。「フロリアード」とは英語の「flower」と「olympiad(オリンピックのこと)」を組み合わせた造語でしょう。正式には「国際園芸博覧会」といい、1960年が第1回、今年でまだ6回目だそうです。

オリンピックは「4年に一度」、今年の夏もロンドンでおこなわれます。ところが、こちらは「10年に一度」で、それに惹かれました。しかも、それがなんと今年だというのです。この希少価値が私の好奇心を突き動かさないわけがありません。ということで、計画を立て始めました。それが今年の5月で、ちょうどチェルシーの「フラワーショー」から1年経ったころです。

「フロリアード」はオランダ国内各地の持ち回り開催で、今年はフェンローという町でおこなわれるようです。一度も見聞きしたことのない名前なので、調べてみました。すると、ベルギーのアントワープかブリュッセルから車で行くのが便利そうだとわかり、レンタカーを借りることにしました。もちろん、私のことですから、それだけでおさまるはずもなく、ついでにルクセンブルグにも足を伸ばそうということに。前々からぜひ一度ゆっくり見て回りたいと願っていたベネルクス3国なので、一石三鳥です。

最初に泊まったアントワープは、中学生のころからその名前だけはよく知っていた町です。というのも、オリンピックで日本が初めてメダルを獲得したのがアントワープ大会(1920年)だったのです。男子テニスのシングルスで熊谷一弥が、ダブルスでもその熊谷一弥と柏尾誠一郎のペアが銀メダルを取ったのですが、そもそもテニスがオリンピック種目だったことに驚きました。それが印象に残っている理由の1つ。

もう1つはフィンランドの長距離ランナーであるパーヴォ・ヌルミの大活躍です。この大会、陸上競技男子10000メートルとクロスカントリー(個人・団体)の3種目で金、同じく5000メートルで銀メダルを獲得し、国民的な英雄となりました。なぜ、こんなことが記憶に残っているかというと、当時私が、紙がすり切れるほど何度も繰り返し読んでいた本の1つに「オリンピック」の歴史を詳しく書いたものがあったのです。本というより小冊子で、「中学1年コース」(学習研究社刊)という雑誌の付録でついていたものです。1964年の東京オリンピックを前に、日本全体が「オリンピック」で沸いていた時期で、そうした流れの中でこの小冊子も作られたのでしょう。

話がとんでもない方向に脱線してしまいましたが、その当時から私の頭に強烈に残っている町がアントワープなのです。ただ、実際に行ってみると、妙ないい方ですが「過去の町」であることがわかりました。15世紀からある国際貿易港、なかでもダイヤモンドの取引が大変盛んだったことで、大いに繁栄したそうです。たしかに、中央駅の前には宝石商がびっしり軒を並べていました。それが唯一往時のにぎわいをしのばせるくらいで、ビビッドな感じはしません。どことなく埃っぽい感じさえあります。特段の観光地でもないようで、そうした人の姿も目につきませんでした。

アントワープでの3泊は、中央駅のほぼ隣といっていい場所にあるRadison Bluというホテル。Radisonは、私が気に入っているホテルチェーンの1つです。ビジネスセンターに出入りしやすいので、仕事をするのに時間のロスが少ないのが最大の理由でしょうか。

超特大のかき氷を体験!

2012年3月29日
 朝から地下鉄(MRT)に乗って忠孝新生駅まで行き、そこから新生南路を見並に下り、仁愛路とぶつかったところで西に進み永康街をめざします。仁愛路は幅の広い通りで歩道、中央分離帯に熱帯植物も植えられ、台北市内のなかでも美しい、また雰囲気のある通りです。

Photo  その仁愛路から金山南路を南下、いま地下鉄工事真っ最中の信義路に出たら東に向きを変え3、4分行くと永康路の入口が見えてきます。この地下鉄が完成すると、永康街へのアクセスはいまよりぐんと便利になるのですが、それはあと半年後のこと。

 信義路を渡って永康街をぶらぶら歩き、小腹が空いてきたなと思っていたところに、ある店の前に大変な人だかりがしているのに出くわしました。店の名前は「永康15」というようです。「FnB Gourmet Gruop」という表示もあり、こちらが親会社ということなのでしょうか。
 
 売りは特大のマンゴーアイス(カキ氷に切りたてのマンゴーをこれでもかというくらい乗せた上にコンデンストミルクとシロップをかけ、最後にマンゴーのアイスクリームを一個乗せたもの)らしく、ほとんどの客がそれをオーダーしていました。私はアズキを乗せたものにしましたが。

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 大きな店とアウトドアで食べられるスペースがあり、さっそく私たちも食べてみたのですが、食べでのあること、あること。しかも、それが飛び抜けておいしいのです。日本に戻ってから知ったのですが、「ニューヨークタイムズ」でかつて、「台北に行ったら、36時間以内に訪れるべき観光スポットの一つ」として紹介された店のようです。以前は「永康冰館(アイスモンスター)」と名前だったそうで、それが2年ほど前に突然閉店し、その後、名前を変えて再開し、大きな話題になったとのことです。

 永康街といえば、「鼎泰豊」の本店もあり、一大観光スポット。小籠包(ショウロンポウ)を食べたあとここでマンゴーアイスを楽しむというのが定番コースとされていました。私たちもこれまで2回「鼎泰豊」の本店に行ったことがありますが、このマンゴーアイスは知りませんでした。それを遅まきながら経験することができ、よかったよかった!

 それにしても、いくらボリュームたっぷりとはいえ、1個180元は(台湾的には)高いでしょう。だって、弁当が普通50元とか70元なのですから。ただ、それだけの価値はあります。

Photo_13  永康街の散歩を終えホテルに戻り、預けておいた荷物を受け取ってタクシーで空港へ。帰りはすぐ近くの松山空港ですから、通常、国際線で使う桃園空港のように時間はかかりません。10分ほどで到着したのですが、行ってびっくり。えらくきれいになっていたのです。

Photo_14  以前は、日本の古い地方空港の趣きだったのですが、リニューアルされてすっかり生まれ変わりました。外観も内部もすっきり清潔。いかにも最近の空港らしい設計で、心地よく待ち時間を過ごし、羽田へ向かいました。「松山・羽田」便は、「成田・桃園」便に比べると天地雲泥の差があります。

親日でも、民族としての誇りは忘れない

2012年3月28日
Photo_3  今日は1日中、もう目いっぱい歩いてまわりました。以前、時間が足らずに行けなかった国立歴史博物館からスタート。この界隈は、日本統治時代の香りがいまも濃厚に残っています。戦前に建てられた学校が残されていたりするからです。博物館の裏にも中国と西欧をミックスしたような独特の庭園があるなど、この一帯は独特の雰囲気があります。

Photo_4 Photo_9 Photo_10  かなりいいかげんな地図を頼りに東へ西に迷いながら歩き続け、小鳥だけを売っている商店街を抜けると、日本統治時代の商店街の建物をそっくりそのまま残した風致地区のようなエリアに遭遇しました。かつて半世紀(1895~1945)もの長きにわたって日本の統治下に置かれていた、国として屈辱的な歴史を風化させないためにこうしたものを残しているのでしょう。このエリアの入り口には地図とともに、そうした経緯を簡潔に記した看板がありました。Photo_6
 
 台湾は、朝鮮半島(韓国・北朝鮮)と同様、戦前は日本が植民地統治していた国ですが、その評価はかなり違います。朝鮮半島の人々との間にはいまでも、いわゆるシビアな歴史認識の問題が存在するように、日本の統治政策がけっしてプラスには受け止められてはいません。それに対し、台湾では何かにつけて日本が評価されています。もちろん、日本語を強制したり、神社を創建させたりなど、日本がとんでもないことをした点では朝鮮半島も台湾も同じです。

 にもかかわらず、台湾の人たちは総じて親日的です。ただ、プラスの面もあればマイナスの面もあったのはまちがいなく、後者について──民族としての誇りを踏みにじったという観点でしょう──の記憶を忘れてはいけないという、台湾=中華民国としての考え方がそうしたものを残している基本スタンスだと思われます。けっして、私たち日本人も忘れてはならない視点でしょう。

Photo_7  さて、そこを抜けてしばらく歩くと、「西門紅樓(台北市成都路10号)」という場所に着きました。「西門」とその周辺の商店街は以前行ったことがあります。「台北の原宿」などともいわれているように、どちらかというと若い人の姿が目につくエリアです。

 ただ、この「西門紅樓」はその端っこにあり、前に行ったときはその存在に気づきませんでした。MRT西門駅の前に建つレンガ造りの建物がそれなのですが、1908(明治41)年に建造されたそうですから、戦前の日本を彷彿させるのは当然かもしれません。建物の内部もレトロ調につくられていて、昭和初期の看板などを展示したコーナーもあります。Photo_8

またまた丸林魯肉飯です

2012年3月27日
 鹿児島取材を終え、3月23日、沖縄に移動しました。鹿児島からはなんと1時間半足らずで着いてしまうので、目と鼻の先とまではいいませんが、断然近い感じがします。

 その沖縄から一昨日、これまた1時間半で着いてしまう台北へ。ただし、台北(桃園空港)は飛行機の乗り換えだけで、目的地はマカオです。マカオ航空で台北から1時間45分。なんだか、信じられません。マカオで2泊したあと、今日(3月27日)、再び台北(桃園)に到着。しばらく来ていなかったので、2日ほどゆっくりしていこうというわけです。

 最近よく泊まる欧華飯店(リヴィエラホテル)にチェックインするやいなや、早くも夕食。ホテルのすぐ近くに、これまた私たちが大好きな丸林魯肉飯があるので、迷わずそこに行きました。

Photo  場所は市内のやや北側、中山北路と民族東路の交差点から3分ほど歩いたところです。店の名前からもわかるように、この店は、看板にも大きく書かれているように、「魯肉飯」という屋台料理がメイン。魯肉飯は、豚のひき肉を醤油でじっくり煮込み、それを白飯にかけただけのもの。ごくシンプルなのですが、これがバカうまなのです。値段は、一杯25元(大は38元)。日本円にしてなんと100円もしません。

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 もちろん、これだけでは不足なので、店内にズラリ並んでいる30種類を超えるメニューの中から、好きな物を自分で選んで盛りつけます。どれも値段は20~70元ほど。ほとんどが日本でもおなじみのものなのですが、なかには「何、これ?」と首をかしげたくなるようなものもあります。でも、だいたいはひと目見ればだいたい想像がつくものですから、さほど迷うことはありません。2人で5、6点、適当に選んで食べましたが、大満足でした。

氷の町から砂漠の町へ

2012年2月26日
 今朝はゆっくり起きて朝食。午前中は日本と仕事のやり取りで忙殺されました。イエローナイフの空港に就いたのは、私たちが乗ってきたのと同じ便が到着する時間とほぼ重なっていました。ふと見ると、ロビー内に面白いオブジェがあることに気づき、思わずシャッターを押してしまいました。私たちのときは、バゲージの積み忘れのケアでそれどころではありませんでしたから。Photo_16

 午後1時40分イエローナイフ発のウエストジェット航空の便でまずエドモントンまで。3時20分ごろ到着したのですが、隣どうしとはいっても、いちおう別の国ですから、エドモントンで国境を超える形になります。エドモントンからラスベガスへ行く便は4時30分発ですから、たいそうあわてて出入国手続きを済ませました。

 手続きは無事終了し、飛行機を乗り換えます。ウエストジェットというのはカナダのLCCですが、機材もまだ新しい感じで、快適でした。3時間ほどでラスベガス到着。国際線の真新しいターミナルで、これまで何度も来ているラスベガスの空港とは違って新鮮な印象を受けました。空港全体が以前よりさらに大きくなるとともに、リノベーションも進み、ますますきれいになっています。

Photo_17  荷物を受け取ると、宿泊先のBELLAGIOまで。イエローナイフと違い、ここには雪などありません。そもそもが砂漠の上につくられた町ですから、気温も基本高め。それでも、この季節は日本ほどではないにせと、そこそこ冷え込んではいます。

 ホテルのロビーで、ロサンゼルスからやってきたHさんご夫妻と合流し、ロビー近くでさっそく記念撮影。28日の夕刻までまる2日間、楽しむことになります。

イエローナイフでの観光もひととおり

2012年2月25日
 最大の目標であるオーロラを、最初の日の夜に観られましたから、すぐにでもアメリカに戻るなり、別の町に行きたいのはやまやまなのですが、そういうワケにも行きません。というのも、私たちの申し込んだオーロラ観賞ツアーは3泊4日コースだからです。2泊3日も4泊5日もあるのですが、観られない場合のリスクを考えると3泊4日コースがいちばん頃合いといった読みでした。1日目に観られたのは、いうならば僥幸(ぎょうこう)で、結果論でしかありません。

 ツアーの主催者もそうした読みから、市内観光や犬ゾリ体験など、空振りに終わった場合に備えた穴埋め的な楽しみを用意しています。当然、私たちもそうしたものにエントリーしていました。昨日は、イエローナイフ市内半日観光、そして今日は犬ゾリ体験です。

Photo_8  昨日の昼間参加した市内半日観光も、乗っかるのはオーロラ観賞に行くときと同じスクールバスです。ノースウェスト準州議事堂から始まって、その隣のノーザン・ヘリテージセンター、グレートスレーブ湖、オールドタウン、ギフトショップで終わるというコースで、目玉はやはりグレートスレーブ湖のアイスロードでしょう。

 グレートスレーブ湖は、淡水湖としては世界で10番目の広さですから、たいしたものです。そのグレートスレイブ湖は冬場凍りついてしまうのですが、その上に散水をして氷を厚くし、車の通行ができるようにしているのがアイスロードです。Photo_9 そこでバスが止まり、降りて写真を撮ったり、寝転んでみたりなど、それこそ童心に返って遊ぶわけですが、それはそれで楽しいひとときでした。なぜか、アイスロードを少し外れたところに白のストレッチリムジンが走っていたりして、興趣をそそりました。Photo_10
Photo_11  そして今日は、オーロラビレッジでの犬ゾリ体験。夜、それも照明がほとんどないオーロラビレッジを昼ひなかに見てみると、なるほど、こういう場所だったのかというのが実感されるのですが、簡単にいえば、単なる野原です。その内側を犬ゾリに乗って1周するだけのことなのですが、予想以上のスピードで走るのに驚きました。


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Photo_13  乗り終わったら、ほかの皆さんが終えるまで、キャビンやテント近くで焚火で焼いた、この地方特有のマシュマロをほおばったりなど、素朴な楽しみを味わうことになります。

 でも、最終日の夜、レベル4に近いオーロラをまたまた観ることができたのはラッキーでした。この時期、イエローナイフ3泊4日のツアーでは見られる確率が96%だそうですから、今回、極寒の地まではるばるやってきたかいはありました。

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 あすはいよいよ、最後のお楽しみ=ラスベガスです。