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もったいなさすぎのオルセー美術館

2013年8月7日
パリ2日目。早朝から雨で、出かけるときは降りがひどかったので、タクシーでオルセー美術館まで行きました。前回来たときは、昨日のヴェルサイユ宮殿と同様、地下鉄や国鉄職員のストライキのため観られなかったところです。美術館の職員が、ストライキで出勤できないという理由でした。日本ではあまり考えられない理由ですが、フランスではけっこう当たり前みたいです。ただ、そのおかげでリノベーションを済ませた新オルセー美術館をゆっくり観ることができました。

L106034120130807 10時前に着いたのですが、美術館のチケット売り場は早くも長蛇の列。私たちは「ミュージアムパス」のおかげですんなり入れました。それでも、中はもう大変な数の客。荷物チェックを受け、リュックサックをクロークに預けてスタート。5階か6階の建物のほとんどが吹き抜けというあまりのスケールの大きさに最初から驚きの連続です。

L106034320130807 それも当然で、もとの建物は1900年に開催された万国博覧会に合わせて作られた鉄道駅舎兼ホテルなのです。かまぼこ状の大屋根の地下に10以上のホームを備えていましたが、狭かったため、一時は取り壊しの話もあったとのこと。しかし、政府が保存活用のプランを検討、19世紀の美術作品を展示する美術館として生まれ変わることになり、1986年、オルセー美術館としてオープンしたというわけです。

しかし、それにしても、いきなりミレーの「晩鐘」に「落穂拾い」ですから。あとはもう、盆と正月がいっぺんにやってきた感じというか。セザンヌ、モネ、ドガ、クールベ、ゴーギャン、ロートレック、ルノアール、マネ、シスレーといった印象派の巨匠の、美術の教科書とかでさんざん観た作品が、これでもかこれでもかというぐあいに、そこらじゅう展示されているのですから。途中、イスが随所に置かれて休憩もできるのですが、その脇に彫刻が置いてあるので、ふと作品名を見ると、ロダンとかマイヨールとかで。なんだか、ありがたみが感じられず、いい意味で呆れてしまいました。

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日本にいたら、それこそ一人ひとり3、4カ月の期間で国立美術館あたりで展覧会ができるような作家ばかりです。それがここまでそろってしまっているとなると、入った瞬間、これは1日、それも何時間かで観てしまってはいけない、罪悪感とはまた違うのですが、とりあえず半分くらいにしておこうということにしました。残りは「また次回!」です。

L106035520130807 美術館を出てセーヌ川を渡るとそこはルーブル美術館。こちらは初めてパリに来たとき一度行っているので、とりあえず今回はパスします。夜はホテル近くを探し、歩いてすぐのパサージュに中で見つけたお気楽フレンチの店に。セットメニューで13~14ユーロほどでしたが、前菜と肉料理だけでほぼ満腹。デザートは残念ながらパスでした。敷地の中を抜けて「グランパレ」近くのカフェでランチ。 ここはかつて1900年のパリ万博の際に建てられた美術館だったそうです。その後はすっかり廃れてしまったものの、2005年に大幅なリノベーションがなされ、さまざまなイベント用の施設として生まれ変わったとのこと。L106036220130807_2

そのあと「グランパレ」の中を通りながら、すぐ北側にいくつかある「パサージュ」へ。いちおう屋根付きの商店街というスタイルなのですが、昔の面影はないようで、人通りはまばらです。そのまま歩き続け、昨夜歩いた日本料理の店が集中しているあたりを抜けてホテルに戻りました。L106037020130807

予約していたホテルが消滅!?

2013年8月6日
6年ぶりのパリです。羽田発の深夜便で来たので、シャルル・ド・ゴール空港到着はなんと朝の5時50分。空はまだ暗かったです。そんな時間ですから、空港にいる人は少なく、入国手続きも税関もスイスイ。6時半には、ターミナルビルの外で、コーヒーを片手に一服できました。

空港内の観光案内所でミュージアム・パスなど必要なものを購入し、タクシーで一路、市内へ。渋滞もなく30分ほどで、オペラ座近くにあるホテルに着いたはずなのですが、ホテルの名前が違っていいます。3カ月前に予約しておいたのは「Radisson Blu Ambassador」というホテルなのですが、タクシーが止まったのは「Marriott Opera Ambassador」。でも住所は間違いありません。念のため、近くをひとまわりしてもらったのですが、やはり間違いなさそうです。

とりあえずタクシーを降り、フロントで聞いてみると、「間違いありませんよ、ここです。ひと月前に名前が変わりました」とのこと。日本でいうなら、ホテルオークラを予約しておいたはずが、行ってみたら帝国ホテルに変わっていたようなものです。まあ、欧米ではホテルの買収は当たり前のことではありますが、それにしても驚きました。L1060509ambassador20130809

でも、幸いなことに部屋が空いていたので、すぐにチェックインでき、荷物も部屋に運び込んでもらいました。さっそく行動開始で、長年の課題であるヴェルサイユ宮殿に行きました。前回来たときは行けなかったので、今度こそです。L106029020130806 ホテルを出てオペラ座の駅からメトロと電車を乗り継いで1時間。着きました! ヴェルサイユに。

ところが、まあ、ある程度は予想していたとはいえ、その聞きしに勝る混雑ぶりにはびっくり。入場券を買うのに30分くらいは待つ感じでしょうか。ミュージアムパスを購入しておいたので、その部分はスルーできるのですが、今度は、中に入るための行列に並ばなけれがなりません。まともに待っていたら1時間以上はゆうにかかりそうです。L106033420130806

そこで、宮殿の中に入るのは後回しにし、その奥にある庭園や王妃のための離宮のほうから先に観ることにしました。しかし、さすが世界遺産、宮殿ほどではないにしても、どこも人が多く、しかも夏休みのただ中。世界中から人が来ているのですから、やはりこの時期は鬼門といった感じです。

「宮殿は次来たときに」と、またのパリ旅行の理由づけもできました。「今回しかない」と思えばそういうわけにも行かないのですが、最近はだんだんずうずうしくなってきています。

木々と水で構成されている庭園はやはり大変なスケール。噴水のショーなどもあり、ゆっくりした時間を過ごすことができます。なにせ、真夏のこの時期なのに最高気温が25℃ほどですから、体の楽なこと。歩き疲れはしても、暑さにやられることはありません。結局3時半ごろまでいて、市内に戻りました。

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L106032420130806 夕方部屋に戻り、ひと休みしたあと、夕食に出ました。歩いて15分のところの界隈はやたらに日本料理の店が多かったのですが、結局は昨年の同じ時期、ブリュッセルで食べたムール貝の店の支店があったので、そちらに。ただ、同じところで取れた貝を使っているはずなのに、ブリュッセルの店のほうが数段おいしかったです。

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台湾に行きたくなってしまいます

2013年7月15日
久しぶりに東中野ポレポレに行きました。知る人ぞ知るミニシアターです。収容人員100人余、スクリーンまで、いちばん後ろの席からでも10mほどでしょう。

今日は『台湾アイデンティティー』という、妙に固いタイトルのドキュメンタリー映画。3、4年前だったか、同じ酒井充子【あつこ】監督(1969年・山口県生まれ)の『台湾人生』を観たことがあり、その続編です。台湾という、実はとても複雑な国で生まれ育ち、その上に日本軍兵士として出征したり、日本統治時代に現地の師範学校で学んだり、奥さんが日本人だったり、父親が台湾人で母親が日本人だったりなど、さらに輪をかけて複雑な環境で育った人たちが、太平洋戦争終了後どんな人生を追いかけたもの。

スクリーンに登場してくるのは82歳から91歳までの台湾人(厳密には違うのですが)のお年寄りばかり、でも全員日本語ペラペラです。全員元気で、各人が自身の人生を語る口調には、それぞれの感慨があります「生まれた時代が悪かった」というのが共通した思いのようですが、といって、それをことさら悲しんでいるわけでも悔いているわけでもありません。「幸せだった」と確言するのです。

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台湾の持つ独特の雰囲気は、やはり大陸中国とは異なる歴史を刻んできたからでしょう。先住民族の顔つきを見ると、南太平洋系が混じっていることもありありと感じられ、そういう人たちの集落に漢字だけの垂れ幕やポスターしかない冒頭の場面など、なんともおかしな感じがします。観念の上ではわかっていても、実際それを目にすると、不思議な感覚にとらわれてしまうのですね。

父親が蒋介石・国民党政府の弾圧を受け銃殺された女性に、生前の父親が送っていた手紙の文章(日本語)の達筆で、しかも読みやすいこと、それと、小学校の教師をしていた男性が話している画面の後ろに見える机の上に「広辞苑」がさりげなく置かれていたのが印象的。台湾の摩訶不思議な部分がスクリーン全体から伝わってきて、また行きたくなりました。

登場人物の一人に、台北市内で旅行会社を経営する男性がいたのですが、その会社が画面に映ったとき、見覚えのある街が。家に帰って調べてみると農安街とわかりました。いつも止まるホテルから歩いて数分のところですから納得です。その会社が入っているビルの1階に「三井日式餐庁」とかいう文字が出ていたので、そこにも一度行ってみたいと、ひらめいた次第。いけたらまた、お知らせします。

激しい夕立の中で盛り上がった「琉フェス」

2013年7月14日
それはいまから42年前の1971年7月17日、いまの東京ドームがあるその場所にあった後楽園球場を思い出させました。猛烈な雷雨に雹【ひょう】まで落ちてくる中、GFR(グランドファンクレイルロード)の野外ライブコンサートがあったのです。ロングヘアー、Tシャツ、ジーンズという観客が9割かた。グラウンド上に設けられたアリーナ席にいた人はもちろん、スタンド席ももう全身びしょ濡れになりました。“wet to the skin”とはまさにこのことかと納得。それより、メンバーの楽器や、特設ステージに所狭しと置かれた音響機材にいつ雷が落ちるのではと、正直怖かったです。

GFRのときは観客が4万人だったことを思えば、今夜の「琉球フェスティバル」@日比谷野音の4千人はちゃちい感じもしますが、雷鳴の怖さはまったく同じ。始まって1時間を過ぎたころから30分ほど続いたでしょうか、それほど凄い降りでした。ただ、だれ一人帰る人はいません。この季節の野外ライブですから、皆カッパやポンチョ持参。上半身が濡れるのはなんとか防げたのですが、足もとは完全アウト。靴の中までびしょびしょになりました。半月ほど前の「うたの日コンサート」とは対照的な天候ですね。

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でも、オープニングの「きいやま商店」も、「よなは徹」も「大工哲広」も「パーシャクラブ」も、ずぶ濡れの私たちを十分に楽しませてくれました。また、途中、元世界フライ級チャンピオンの具志堅用高も飛び入りで、盛り上げに貢献しました。相変わらずのとぼけたキャラが冴えていました。Photo_3

さえなかったのは、12年ぶりの登場という触れ込みだった、沖縄音楽界の大立者「的」存在「喜納昌吉+チャンプルー」。もう彼の時代は“終わった”というのが実感です。トリだったのですが、観客のノリもいまイチ。あれだけの豪雨にもめげずにいたのに、「喜納昌吉」には水を差された感じで、テンションが下がってしまった人が多かったように感じます。

去年までは正真正銘の大立者「登川誠仁」がいたのですが、今年3月、帰らぬ人になってしまったため、トリにふさわしいミュージシャンが正直いなかったのかもしれません。「大立者」と「大立者的」とではやはり違います。来年からは、構成というか、ステージメイクの考え方を少し改める必要があるかもしれません。でも、サラ・ブライトマンよりは楽しめましたよ!

今年初めての「しんこ」食べましたよー

2013年7月11日
小肌の稚魚、新子を食べました。ここのところ夢にまで出てきていたので、うれしかったこと。ほぼ初物だったようで、頭の先からしっぽの先までの大きさが、小指の長さの半分くらい。握り一貫に3枚載せてもらう。数あるすしネタの中で、お寿司屋さんがいちばんこだわるのだそうです。私も、その存在を知ったのは、今日食べた池袋の寿司Mです。

今年は2年ぶりで江戸前のものが入っているそうです。江戸前が不良のときは三河湾(愛知県)の三谷【みや】のものを使うといいますが、やはり江戸前がいちばんというのは大将の弁。

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でも、新子は寿司職人泣かせのネタなのだそうです。身の丈3、4センチほどしかないいのに、小骨を抜き取る手間は小肌と同じ。大きさによって締め方も違うようで、その按配がえらく難しいようですが、それだけに、客にはたまりません。新子3枚をのっけた握りを、2カン行ってしまいました!

“高級学芸会”に行ってきました!

2013年7月4日
沖縄の「うたの日コンサート」の感動がまださめやらずにいる今日。サラ・ブライトマンの日本公演に行ってきました。有楽町の東京国際フォーラムAホールですから、お客の数は3、4000人でしょう。チケット代は15000円! 追加公演もあったくらいですから、たいした人気のようです。家人が「1回、聴いてみたい」というので、好奇心の旺盛な私としても、行かないわけには行きません。

歌は素晴らしかったです。オペラ歌手出身ですから、声域が広いのは当然にしても、透明感のある、それでいて奥行きも十分な声は、日本人にはなかなか真似できないかもしれません。

ただ、正直いって、サラ・ブライトマンという名前はよく耳にしていましたが、顔は知りませんし、何を歌っているのかも知りませんでした。2007年の大阪・世界陸上のとき開会式で絶唱していた歌手だということを知ったのもずっとあとの話で、関心のない歌手の典型的パターンですね。

なんでも1991年の紅白歌合戦に出て『オペラ座の怪人』のナンバー「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」を歌ったそうですし、翌92年のバルセロナオリンピックの閉会式ではスペインのオペラ歌手ホセ・カレーラスとのデュエットで公式テーマ曲『アミーゴス・パラ・シエンプレ』を歌ったといいます。テレ朝のサッカー関連の番組でも、彼女の歌った曲のメロディーが使われていますし、2008年の北京オリンピックの開会式でも大会公式テーマ曲を歌いましたし、09年のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の主題歌も歌っているとのこと。なのにほとんど何も知らない私はよほど鈍感だったのでしょう。

でも、でも、です。エンターテイナーとしてはどうかなと思います。最初から最後までずっと目をつぶって聴いていても、まったく問題ありません。バックにCGを駆使した映像がバンバン出てくるのと、光のページェント風の照明がその一端を担っているのでしょうが、私のように興味なければ、それもたして意味はありません。とにかく、彼女自身の動きがほとんどないのです。

舞台に出てくるときは両手を肩の高さで開いた姿。歌うときは片手にマイクを固定。MCも「トウキョウノミナサン、コンバンワ。ニホンニコレテシアワセデス……」だけで、ほとんどなし。最初から最後まで歌だけでしたから、彼女の声のファンにとっては大満足のステージなのでしょうが、私にはちょっと……という感じでした。ひいきにしている人には申し訳ないいい方ですが、正直、“高級学芸会”といった趣き。

客層は、はっきりいってお金持ちそうな感じの人が多いです。若いチャラチャラした風にの人はほとんど見かけません。団塊の世代で、最前線からは引いて時間もあって、ふところにも余裕がある人たち。グッズもえらく売れていました。彼女の公式ウェブサイトに世界ツアーの予定が出ていたので、のぞいてみました。アジアからスタートしてアメリカ、カナダ、メキシコ、そして12月の南米までビッシリ。しかも、チケットもよく売れています。でも、つい5日前に心ゆくまで楽しんだ「うたの日」コンサートのほうが、エンターテインメントとしてははるかに上出来です!

沖縄──まだまだ行くところがありそう

2013年7月2日
これだけ何度も沖縄に来ているのに、まだまだ行っていないところが多いのに驚いてしまいます。まあ、よく考えてみるまでもなく、一つの県なのですから、そうそう簡単に“制覇”するなんて、そもそも無理な話かもしれません。

というわけで、今日も那覇港泊埠頭のちょい北にある泊魚市場に行ってきました。それに隣接して、一般人向けの卸売りの店が30軒ほどあります。まあ、安いこと安いこと。何人かで沖縄に行ったと時はここで材料を仕入れればえらく安上がりで、おいしい魚が楽しめそうです。

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その真ん中に通称「まぐろ食堂」(那覇地区漁業協同組合まぐろセンター)があり、これまたえらく安い値段で、まぐろ丼や海鮮丼が食べられます。しかも、新鮮なことといったらありません。

L1060270帰りはとまりん(泊埠頭旅客ターミナルビル)まで海っ淵を歩いて帰ったのですが、最初、左手、泊高校のすぐ隣に墓地が見えました。白い十字架が並んでいていかにも外人墓地風なので、確かめたら、そのとおり。通称「ウランダ(琉球方言でオランダのこと)墓」といい、アメリカ人や中国人、イギリス人など5カ国22人が葬られているとのことです。いちばん古いものは1718年に埋葬された中国(清)人の墓であることもわかりました。中にはペリー上陸地の碑も立っており、ペリー艦隊の乗組員も5人眠っています。戦後はアメリカ軍人・軍属の墓地として使われているようで、1979年には那覇市の文化財に指定されています。

L1060271墓地を過ぎると、同じ側にボロジノ食堂も見えました。南大東島の料理が食べられると聞いていますので、今度機会があったら行ってみようと思っています。国道58号の手前を右に曲がり泊港橋を渡るととまりんです。この橋はまだ新しいようで、欄干に竜(ドラゴン)があしらわれているのが印象的。そこから、港の出口に見える泊大橋も素晴らしく美しく、夕日のころ見れば感動するのではないでしょうか。東京には明日、戻ります。
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暑い、熱いの「うたの日コンサート」に大感動!

2013年6月29日
おととし以来2年ぶりの「うたの日コンサート」です。会場は嘉手納の兼久(かねく)海浜公園。那覇のバスセンターから路線バスで行ったものですから1時間20分たっぷりかかりました。

会場に着いたのはほとんど2時。開演の1時間半も前です。この日はまさしくピーカンで、屋根も何もない会場は完全な熱帯状態。32、3度は間違いなく行っていたでしょう。地面の上はおそらく40度近いはずで、ブルーシートを通じてジワジワと熱くなってきます。

L1060265 それでも会場はけっこうな数の客で埋まっていました。会場の後ろにズラリ並んだ屋台で飲み物や軽い食べ物を仕入れ、水分補給に励んだのですが、飲んでも即蒸発していくような感じですから、開演してからも、何度も何度も屋台と席とを往復していました。

今年で13回目だそうですが、内容は年々充実している様子。呼びかけ人というか、いいだしっぺのBEGINはもちろん、古謝美佐子、パーシャクラブのレギュラー陣に加え、毎年、高橋優、虎姫一座、ボロジノ娘……と、方向性もジャンルもまったく違う面々が入っていて飽きさせません。今年はプログラムに「完熟トリオ」とあったので、だれかと思ったら、これがなんと、小坂忠+鈴木茂+中野督夫の3人。小坂忠は『エイプリル・フール』、鈴木茂は伝説の『はっぴいえんど』ですから、たまげました。

13年前の第1回は、もっとマイナーなイベントだったようです。でも、こんなビッグな名前も出ているくらいですから、これから先もっとメジャーなコンサートになるかもしれません。でも、トータル的にはなにげにバランスが取れていて、気楽に、それでいて心ゆくまで楽しめました。

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ただ、公演のただ中に、嘉手納の基地に出入りするアメリカ軍用機の爆音が響いてくるのはいただけないというか、不快でした。でも、嘉手納の人たちはそうした中で毎日の生活を営んでいることを思うと、そんなことで不満を抱いてはいけないと、自分を戒めました。

L1060264 3時半からスタートしたコンサートが終わったのは夜8時半。最後はカチャーシーで締めくくるのはいつもどおりなのでしょう。場所が沖縄ですから、日の入りも遅く、7時半まではまだ明るかったです。ちょうどそのくらいのころだったでしょうか、西の空に奇妙な形をした雲が出てきて、思わず写真を撮ってしまいましたが、何を意味しているのでしょうか。

『旅立ちの島唄~十五の春』に出演した大竹しのぶも登場し、歌っていましたが、けっこううまかったです。そういえば大昔、彼女もミーハーな曲を歌っていたのを思い出してしまいました。

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帰りも路線バスで那覇まで。でも、行きよりは早かったですね。今年は3年ぶりの沖縄本島での開催ということでしたが、来年、石垣島での開催ならぜひ足を運びたいと、将来スケジュールにインプットしたしだい。(最後の写真は「デイリースポーツ」掲載のものです)

歴史的なウェールズ戦は、残念、テレビ観戦

2013年6月16日
「歴史的瞬間」をナマで体験するチャンスを逃してしまいました。仕事が立て込んでいて、というか〆切に迫られている事情で、息抜きもままならいため、観戦に行くつもりだったラグビーのウェールズ戦@秩父宮。予定表に。今年の2月あたりに書き込み、ずっと青字(「確定していない」の意)だったのですが、とうとう3日前にdeleteせざるを得ませんでした。

結局、テレビで観ることになってしまったのですが、なんと、勝ちました。23対8の快勝で、ウェールズ相手では1973年の初対決以来ですから、40年間かかったことになります。また、SIX NATIONS(6カ国対抗)に属する国相手の「テストマッチ」で勝利したのは1989年のスコットランド戦以来のことですから、すごいことです。

その前の週、大阪・花園での試合もあと一歩だったのですが、PG(ペナルティーゴール)を2本も外してしまい。勝てずに終わってしまいました。それを1週間で修正しての勝利ですから、やはり価値があります。こんどのヘッドコーチ=エディー・ジョーンズの腕がいいのか、選手たちの力が着いてきたのか、それともメンタルな面が成長したのか、それはこれからおいおいわかるのでしょうが、ともかくも、おめでとう! です。

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たしかに、ウェールズのメンバーは“1・5軍”ですし、気候的にも日本独特の蒸し暑さの中という優位さはあったものの、スクラムハーフの田中の動きは素晴らしい物がありました。さすが、日本人ただ一人スーパーラグビーでプレーしているだけのことはあります。田中の果敢な動き、とっさの判断力はやはり「スーパー」で、それに引っ張られるかのように、ほかの14人も動く感じです。それに、イージーミスが減っています。5年前、そして去年のワールドカップのときのように、そこを衝かれて相手に逆襲されるとなす術もなくやられっ放しということはありませんでした。

何より「変わったな」と思わせるのは、チーム全員が声を出していたこと。テレビを通じてでさえ、かけ声が聞こえていましたから、コミュニケーションがよく取れているのでしょう。ですから、15人が1本の糸でつながっている感じがありありと伝わってきました。このまま伸びていけば、もっと強くなれそうです。観客も21062人で、2004年以降の代表戦では最多。あーあ、その1人になれなかったのはホント残念!(写真はサンケイスポーツHPより転載しました)

やっぱり強い村上幸史!

2013年6月9日
 昨日は調布にある味スタに行ってきました。日本陸上選手権の観戦です。世界陸上は何度も観ているのに、日本陸上は初めてというのが、自分でもおかしな気がします。

L1060238  ヤリ投げと男子100メートルの決勝がお目当てですが、同じことを考える人はいっぱいいるようで、観衆はなんと1万7千とか。国内でこれだけ多くの人を集める陸上の大会もそうはないのではという気がします。やはり強い選手が出れば、観に来る人も多いということです。100メートルは日本人初の9秒台が期待される桐生祥秀が出場するというので、S席は大会前に売り切れだとか。といっても、S席自体、150ほどしかないそうです。しかも、その値段も3千円。

 でも、日本陸連も弱気だなという感じがします。いくらこれまでたいした数の観客しか集まったことがないといっても、ちょっと自信なさすぎではないでしょうか。同じ地平で比べるのはかわいそうなきもしますが、世界陸上など、S席から売れ始め、値段も日本円で3~4万円です。

L1060237  さて、気温は多少高いものの、湿度はそれほどでもなく、天気も晴れに近い曇りという、陸上としては絶好のコンディション。今回は、洛南高校(京都)3年生の桐生祥秀が大注目。ゴール近くには100人近いカメラマンが陣取って「その瞬間」を待ち受けていましたが、残念ながら10秒25止まり。優勝はロンドンオリンピックにも出た山縣亮太(慶應大)で10秒11でした。9秒台なんて、そんな簡単に出るものじゃありませんからね。

L1060248 L1060249 ヤリ投げも、ベテランの村上(32歳)が、ここのところ急上昇のディーン元気(早稲田大)を抑え堂々11回目の優勝。6投目での逆転勝利でした。投てき種目は、若さだけでは勝てないのがよくわかります。今日のハンマー投げで日本選手権19連覇を達成した室伏広治も38歳ですからね。でも初優勝は20歳のときということになるので、その非凡さがよくわかります。どちらも、世界陸上が楽しみです。

広島へ。たった10カ月の間に大変化

2013年5月20日
 昨日夕方早く、広島にやってきました。市内でおこなわれる「八丁堀シンポジウム」にパネラーとして参加するためです。Mtfuji20130519_2 東京を出て名古屋まではえらく好天で、新幹線の車窓から富士山がくっきり見えました。なぜか、富士山を見ると興奮してしまう──これはもう日本人の習性でしょうか。

 さて、シンポジウムの会場は「八丁座」。広島の中心部にある老舗デパート福屋の8階、全国でもおそらく唯一の、デパートの中にある映画館です。映画館といってもそんじょそこらのそれとは違います。だいたい、地方都市で中心商店街に映画館があること自体、画期的です。

Hattyouza2_3  近ごろ、映画館といえばちょっと郊外にあるシネコンというのが通り相場ですから。地方都市になればなるほどその傾向は顕著で、それが若い人たちの映画復帰を実現したのもまちがいないのですが、ただクルマで行って帰ってくるというのでは、なんだかさびしい気もします。古い考えなのかもしれませんが、映画というのはやはり、それプラス食事とかお酒とか、もう少し色気があってもいいのではないかと思います。

 こんな映画館をつくったのは地元・広島の蔵本順子さん。まわりからは「素敵な暴挙」ともいわれたそうですが、新しいことに躊躇なくチャレンジする、初めてのことへの挑戦が大好きという広島人の面目躍如といっていいでしょう。昨日のシンポジウムはその蔵本さんもパネラーのお一人でした。

  八丁座のシートはとにかくゆったり(幅85センチ、畳半畳分の大きさ)した造り。ソファー総張仕様と木肘仕様という2つのタイプがあり、最後部には、スタンドバーのような雰囲気のカウンター席、グループで観られる畳席もあって、それだけでまず驚きます。

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Hattyouzaroby  内装もユニークです。日本アカデミー賞最優秀美術賞を2度受賞した広島市出身の映画美術監督・部谷【へや】京子さんがデザインを担当、「江戸時代の芝居小屋」をイメージしたというだけに、東映京都撮影所から譲り受けた襖【ふすま】絵や実際の映画で使われた行燈などの小道具もあしらわれたりしていますし、スタッフも半纏を着ており、非日常の気分がふんだんに味わえます。

 そんな会場で、もうお1人、広島国際学院大学社会学部長の迫勝則さんの計3人で「八丁堀」をテーマにお話しさせていただいた次第。銀幕をバックにしたステージが造られ、そこにすわったのですが、聴衆がああまでゆったりすわっているのを見ると、とてもうらやましく思います。

http://www.mecsumai.com/hatchobori/event.html

L1060226_2  終了後、『広島学』の取材で大変お世話になったNさんと、えびす通りの「忠茶【ただちゃ】」という居酒屋へ。日曜日は休みなのですが、Nさんと懇意ということでわざわざ開けてくれたそうです。「ねぶと(天竺鯛)」「よりエビ」の唐揚げ、焼きカレーなど、お店の名物を次々出してくださり、どれもみな感激の味ばかり。一発でファンになってしまいました。

Dassai  山田錦でない、普通のコメでつくった日本酒もよかったですし、その後飲んだ獺祭【だっさい】の米焼酎(大変なレアもののようです!)がまたまた捨てがたい。焼酎とはとても思えない香りが、アルコール度の高さ(33度)をまったく感じさせません。

 「ねぶと」というのは初めて口にしましたが、身の丈8~10センチにしかならない、鞆の浦特産の小魚だそうで、頭を落とした身だけを揚げたもの。そのサクサク感たるや、ほっぺたが落ちそうになります。

 〆にいただいたのが「鉄皿焼きカレー」。見た感じはグラタンかピザのイメージ。実際、チーズがたっぷり乗っかっていて、カレーは隠れてしまっています。ところが口にすると、中はころあいに混ぜたカレーライス。その心地よい辛さが舌を覆います。あとはもう一気。

L1060231_2 それにしても、たった10カ月来なかっただけというのに、市内の変わりようには驚きました。駅前の再開発が始まっていましたし、八丁堀のデパート天満屋が撤退し、その建物にはヤマダ電機、ユニクロ、丸善+ジュンク堂さんが入っていました。近ごろ、街の変化のスピードは、ホント早いです。

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新装歌舞伎座のこけら落とし

2013年5月17日
Photo_8  新装成った歌舞伎座のこけら落とし公演に行ってきました。以前の歌舞伎座の外装はほぼそのまま残し、それをすっぽりと覆うように「カブキザタワー」という高層ビルが建っています。地下鉄日比谷線の東銀座駅から直で上がれるのでえらく便利なこと。そのため地下のホールが新しくでき、弁当屋さんやおみやげもの屋さんなどが入っています。Photo_9
 こけら落としのせいでしょう、演し物は別段どうということのない有名作品ばかりのようで、私たちが観たのは『鶴亀』という踊りと、『菅原伝授手習鑑 寺子屋』『三人吉三巴白浪』。メインは「寺子屋」ですが、初めて観る者にとっては筋書きと首っ引きでないとよくわからない面倒な作品で、ちょっと退屈してしまいました。20130520205057125_0001

 それを救ってくれたのが、軽い昼食にと買い求めた大阪は新世界(恵比須町)にあるグリル梵【ぼん】の「ビーフヘレカツサンド」! ハーフサイズで下が、これがウワサどおりのおいしさで、大満足でした。一度、大阪の本店でお皿に乗っかったヘレカツサンド、豚カツやらハヤシライスを食べてみたいものです。

 『三人吉三』は名セリフが出てくる場面で、これは菊五郎、仁左衛門、幸四郎という豪華な顔ぶれがそろい、さすがという感じです。

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今年初めて“いい映画”に遭遇

2013年5月13日
 昨夜から沖縄は雨。そろそろ梅雨ですから、仕方ありません。ゴールデンウイークに観た2本の映画はどちらもアウトでしたが、今日はいい映画を観させてもらいました。『旅立ちの島唄~十五の春』という日本映画。舞台は、那覇から東へ360km離れた絶海の孤島、南大東島です。

 この島には高校がないため、中学を終えた子どもたちは皆、十五歳の春に島を旅立ち、沖縄本島の高校に行くことになります。ベテランの小林薫、大竹しのぶと、ほとんど新人に近い三吉彩花という少女を中心に繰り広げられるストーリーは詳しく書きませんが、沖縄が舞台なので、こちらで先行上映されていたのです。

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 観たのは、渋いラインナップが魅力で、国際通りの裏手にある桜坂劇場。テーマは「家族のつながり」ということなのでしょうが、けっこう重い内容で、深く考えさせる作品です。でも、観終わったあとの爽快感はなんともいえません。「考えさせる」映画はたくさんありますが、数日前に観たイタリア映画とはえらい違い。ぜひご覧になってください。

Image1_2   沖縄に来るとかならず1回は行く「燕郷房【えんきょうぼう】」で夕食しました。家人の大好きな、毎度おなじみ香草拌干絲(パクチーサラダ)に、今回はエビ&ニラ饅頭、冷やし鶏など。何を食べても外れはありません。

Photo_2  県庁の近く、泉崎というところにあるのですが、今年でまだ9年目だそうです。しかも、沖縄の人=ウチナンチューでなく、横浜からやってきた人がやっているよう。でも、店の雰囲気は、もう何十年も前から営業しているかのような感じ。調度や内装が古いとかいった意味ではないのですが。こちらも、一度足を運んでみるとよろしいかと。

 
http://www.okinawa-style.com/article.php/20090504150630645

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をチェックしてみてください。

生まれて初めて観た「闘牛」

2013年5月12日
 今日は日曜日。前日から行動予定は決まっていて、午前中にローズガーデンというアメリカンレストランでブランチをして、それが終わったらうるま市で開催される「沖縄闘牛」の観戦という流れでした。20130517091230418_0001 なにせ、数日前の「沖縄タイムズ」など、まるまる1ページを使って「県知事杯争奪 第99回春の全島闘牛大会」の記事を掲載しています。沖縄での闘牛の位置づけがありありと感じられ、それを見つけた家人は迷うことなく、「今回の目玉は闘牛!」と口にしていました。

 ところが、ちょっと出遅れたのがたたってか、11時にローズガーデンに着くと、ウエイティングの客が店の外にたむろしているではありませんか! あろうことか、駐車場には整理のための係員まで出ています。ウエイティングリストのエントリーをして戻ってきた家人によると「私たちの前に10組」。20分ほど待ったのですが、なかなかハケません。しかも、その場でエントリーして待っている10組のほか、予約が5組もいるといることがわかりました。結局あきらめ、闘牛を観終わった帰りに寄ろうということに方針転換。L1060204

 すぐ車に乗って高速道路で石川インターまで10分。闘牛の会場「石川多目的ドーム」はインターからすぐのところなのですが、駐車場はとっくの昔に満員。しかたなく、近く(といっても歩けば10分)に路上駐車し、会場にとって返しました。3000円(女性は2000円)の入場料を支払って中に入ると、始まったばかりにもかかわらず、早くも大変な熱気です。ただ、3000円も入場料を取るのですから、プログラムはもう少し、それなりのものを作ってほしいですね。凝らなくてもいいので。こんな紙切れ1枚だけでは、ショボすぎます!

20130518101837386_0001  この日の取り組みは全部で13番。最後の3番は優勝決定戦なのですが、いったいいつになったらそこまで行くのか、皆目見当もつきません。勝負はそれこそ30秒で決まるものもあれば、10分、15分経っても決着がつかない対戦もあります。

 観客の8割は男性でしょうか。なかにはアメリカ人と思しき人もいました。なかには、片手に分厚い札束を握り締めながら声援を送っている人もおり、これは賭けをしてりにちがありません。どうりで、熱くなっているはずです。まして、屋台で売られているオリオンビールや泡盛が入っているとなればますますテンションはUP。

 沖縄の闘牛と、スペインのそれとはまったく異なり、牛と牛とが頭をくっつけ、お互いタイミングを計りながら押し合うだけ。ときには引くこともあり、それは勝負のチャンス。その瞬間、観客席がどっと沸きます。そして、一方が相手を押し続け、丸い土俵の際まで追い詰め、相手がひっくり返ったりお腹を見せたりすると勝負あり。それ以前に、背中を見せて逃げる動きをしても負けというルールのようです。
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 ただ、ひとたび勝負に出て押し始めると、やはり闘争本能に火がつくのでしょう、相手をとことん倒すまでぶつかっていく牛もいました。土俵を囲むフェンスにドシーンとぶつけられ、半分動けなくなった相手を、さらに尖った角で刺す──そんな牛もいました。相手はそれで気絶してしまい、まったく動けません。体重が1000㎏(1トン)近くもあるのですから、それも仕方ないでしょう。ロープを体にかけ、勢子(闘牛士)たちが20人ほどで引っ張っても動かない牛のお腹からは真っ赤な血が出ていました。

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 この日の大会は春と秋の2回おこなわれる全島チャンピオンを決めるものでしたが、4000人もの観客は大いに楽しめたのではないでしょうか。

L1060214  観戦を終え、ローズガーデンまで戻ると、午前中の混雑はウソのように、すんなりテーブルに案内されました。「パンケーキ2枚+ハムステーキ+フライドエッグ」のモーニングセット(といっても一日中食べられる)を注文。家人は「ロシア風ビーフストロガノフ」にsたのですが、どちらもめっぽうおいしく大満足で帰途につきました。

 そうそう、もう一つ、この店のメニューで見逃せないのが「グリーントマトのフライ」です。小麦粉が違うのか、揚げ方が違うのかよくわかりませんが、えらくサクっとした歯ざわりが心地よく、前菜に最適。これも一度試してみてください。

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香港は相変わらずの活気

2013年5月11日
 9日の夕方、沖縄・那覇空港から香港ドラゴン航空の飛行機で香港へ。2時間少々で着くのでとても楽です。泊まりはいつもと同じ、九龍半島側尖沙咀のインターコンチネンタルホテルのハーバービューの部屋。家人は、このタイプの部屋に入り、窓いっぱいに広がるヴィクトリア港、対岸の高層ビルを見ると、「あー、香港に来た!」と心から実感するそうです。それと、朝食が最高!

Photo_5  今回は観光的な要素はほとんどなく、取材と雑用。10日は雨の中、それでかけずりまわっていました。昼食はこれまた私たちにとっては定番の一つ、対岸にあるIFC(国際フィナンシャルセンター)内の「正斗」。この店はいつ行っても行列ができているのですが、さすが午後3時近い時間となるとそれも一段落し、並ばずに入れました。

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Photo_4  今回は、最近その味を知った福州炒飯にトライしてみたのですが、もう最高! 写真も撮りましたので、いちおう出しておきます。家人は、写真上の焼きそばでしたが、これもまた素晴らしく美味。

Photo  着いた日の夜は尖沙咀の路地裏の店で済ませ、そのあと香港最大の人気スイーツチェーン店「許留山」で買い求めた「單吊西芒果 (マンゴ入りジュース)」に舌鼓を打ちました。「ジュース」と呼んでいいものやら、とにかく、中にはマンゴーの切り身がこれでもかこれでもかというほど入っています。それがすべてストローから上がってくるのですから、もう大満足。

 この日は昼食でほぼお腹いっぱい。結局、夜はホテルのバーでということになり、ヴィクトリアハーバーと対岸の夜景を見ながらカクテルやらビールやら。それにつまみを少々というスタイルで済ませてしまいました。

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 そして今日のお昼過ぎの便で沖縄に戻ったのですが、なんともライトな海外旅行でした。

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「灯台もと暗し」とはまさしく……

2013年4月29日
 今日でGWの前半も終わり。家人がたまたま何かの雑誌で見つけた“観光スポット”に行ってみることにしました。といっても、自宅からそれこそ30分ほどで行けるところで、大手町にある皇居東御苑です。

Photo いまでこそ天皇・皇后両陛下のお住まいがある皇居ですが、明治維新までは江戸城で、徳川将軍家の本拠地でした。しかし、「江戸城址」より「皇居」といったほうがピンと来るくらいですから、徳川将軍家の住まいだったことなどつい忘れてしまいがちです。しかし、実際に行ってみると、その巨大な権勢を改めて感じずにはいられません。たしかに、江戸城は300年近い間、日本の実質的な中心だったのです。

 とにかく、その大きいこと。ほかのどの城もかないません。江戸城の総構え全体の面積は230万平方メートルで、ヴェルサイユ宮殿(195万平方メートル)よりも広いといいますから、世界一といってもよさそうです。先日外装の修復工事が完成したJR東京駅や現在JPタワー(中央郵便局がある)が建っているあたりまでスッポリ総構えの中に含まれていたのですから、当然といえば当然です。

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 石垣も、ほかの城とは比べるべくもないほど立派で、きちんと整形されているものがほとんど。野連(のづら)積みのように、切り出してきたまま積み上げた石垣とは天地雲泥の差があります。さすが、将軍が住まわれていただけのことはあります。

Photo_2 本丸まで行く途中に大小の番所がいくつもあるところをみると、セキュリティーにも万全を期していたことがうかがえます。内堀通り沿いに建つパレスホテルの向かい、大手門から本丸の天守台までは、歩いてゆうに20分はかかります。その途中、いまは広場になっているところに大奥や中奥、政務所が建っていたわけですから、実際にはもっと時間がかかったにちがありません。

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 皇居東御苑というのは、広い江戸城の一部分、本丸と二の丸、三の丸があったエリアを公園として公開したものですが、それにしても広いことといったらありません。天守台はそれほど高い位置にあるわけではないのですが、まわりの広さを考えると、高くする必要もなかったのでしょう。台にのぼっただけで、まわりはかなり広範囲に見渡せますし、ましてそこにかつて建っていた天守閣に登れば、それこそ当時の広い、しかもビルなどまったくない江戸の市街地すべてを目に入れることができたことでしょう。

 これまで全国各地の有名な城・城下町を数多く取材してきた私ですが、さすが江戸城の大きさ、広さ、そして立派さには舌を巻かざるを得ません。自分の暮らしている東京の、それもど真ん中にこんな素晴らしいスポットがあったとは、まさに「灯台もと暗し」です。実際、ここを訪れているのは、そのほとんどが、連休を利用して地方から上京してきた観光客のように思えます。また、外国人の多さも目につきました。都民は意外と、訪れたことがないのではないかという気がします。

Photo_5 江戸城址に意外な喜びを感じたをあと、話題のJPタワーの展望台にも上ってみましたが、GWのせいか人、人、人でぎっしり。レストランもすべて満席で、とても入れません。それでも、上からながめる東京駅の駅舎は味わいがあり、けっこう楽しめました。結局、そのまま有楽町の朝日ホールまで歩き、イタリア映画祭に。『フォンターナ広場 イタリアの陰謀』という映画を観たのですが、これが最悪。喜びも半ばといった感じで帰路についたしだい。

せっかく月曜日を開けてくれているのですが……

2013年4月21日
 前日の夕方から京都へ。今日は朝早くに所用を済ませ、9時4分京都駅発園部行きの嵯峨野線(=山陰本線)ローカル電車に乗り、福知山へと向かいました。途中、亀岡という駅で特急「はしだて1号」に乗り換え、10時40分着。京都から30分も走らないのに、保津峡の駅を過ぎると、都会の喧騒とはまったく無縁といった感じの田園風景が広がり始めることに改めて驚きます。

 それでも特急が停車する亀岡とか綾部はまだ「町」で、福知山ともなると、駅もえらく大きくて立派です。それもそのはず、福知山は山陰本線、福知山線、北近畿タンゴ鉄道(KTR)の3線が交わる交通の要衝ですから。その昔、ここには旧国鉄の大きな車両基地があったため、いまでも駅のすぐわきにJR西日本の支社があります。

 まだ小学生のころ、母親と弟の3人で名古屋から東海道線で京都まで行き、山陰本線の夜行寝台に乗り換えて山口県の萩市(東萩駅)まで行ったことがあります。そのとき、この福知山駅でけっこう長い時間停車し、興奮して眠れずにいた私は列車の窓から、信じられないくらい多くのSL(蒸気機関車)を目にした記憶がかすかにあるくらいですから、よほどその数が多かったにちがいありません。いまでも駅前にはSLが1台飾られていますし、市内にはその時代をしのぶ記念館もあります。

 L1060047 さて、福知山です。北近畿の交通の要衝というわりには、それほど多くの人を見かけるわけではありません。10年ほど前に完成した駅舎はまだ新しく素晴らしくきれいなので、レストランや商業施設もさぞかしたくさんあるのかと思いきや、餃子の王将と和民、あとは小さなローカルのカフェがあるのみ、昼食を食べようにも、選択肢がありません。結局、美しくはあるものの人通りがほとんどない駅前で唯一存在感を示していたインド料理店でカレーを食べたのですが、これがえらくおいしかったです。満席だったのも無理ないことです。

 市内を2時間半かけて歩いて取材しました。駅を背にかつての中心商店街を抜け、明智光秀を祀った御霊(ごりょう)神社を観たあと、寺町(といっても3カ寺)から川沿いの旧城下町へ。そこに治水記念館という、あまり観光スポットらしくない名前の施設がありました。この町は古くから、市内を流れる由良川という川の氾濫・洪水に苦しめられていたそうです。2003(平成16)年10月、日本列島を直撃した台風23号で、福知山より少し下流にある舞鶴市でこの川の堤防が決壊、あふれた水のためにツアー客ら37人を乗せた観光バスが立ち往生し、乗客全員がバスの屋根に避難して約9時間後に救出されたということがありました。その川なのです。

 治水記念館では、毎年のように襲ってくるそうした水害とこの地の人たちがいかに戦い、いかに克服してきたかということが学べるのですが、けっこうおもしろかったです。川の堤防のすぐ脇にあるのですが、もともとは旧城下町の呉服屋さんだった建物は、1953(昭和28)年の大洪水のときも流されずに済んだとかで、説得力があるのです。それにしても、「最初の治水は明智光秀が城を築き、城下町をつくったとき、川を付け替えたのが始まり。ですから、ここでは光秀は大恩人なんです」という言葉には心がこもっていました。

 治水記念館の裏手はすぐ堤防。その上を歩いて城に向かいます。途中、なぜこんなところに? と思わせる洋館に出くわしました、えらく広い敷地に建っているのですが、重要文化財のようです。「足立音衛門」という名の洋菓子(私も古いですね、「スイーツ」のことです!)屋さんの持ち物のようで、店舗は、堤防の下を走る城下通りに面して建っていました。L1060068 見てのとおり、普通よくあるスイーツの店とはまったく趣が違うので、ちょっと見ただけでは何の店かわからないのではないでしょうか。結局、時間もなく立ちよることはできませんでしたが、通販でも商品は買えるようですし、東京・銀座の松屋デパートにも店を出していることがわかりました。えらく人気のあるお店みたいです。

 さて、戦国末期に明智光秀が築いた福知山城。外側は木造なので、大変味わいがあります。つい最近目にした木造の大洲城はまだ新しい感じがありありとするのですが、ここは修復された25年以上を経ているせいか、それなりの風格も感じました。もちろん、丸岡城(福井県)ほど風雪に耐えてきた歴史は見て取れませんよ。中身は例によって、全国どこでも同じ風でどうということはないのですが、外装のユニークさはやはり出色でしょう。Photo

 この福知山城は年中休みなしですが、ほかの施設の休館日が「火曜日」に設定されていることに感心しました。観光地であろうがなかろうが、全国どこでも、美術館や博物館といった公共施設は月曜日が休館とほぼ相場が決まっています。

 ところが、これだと困ることがあります。それは、たとえば週末から月曜日までというスケジュールを組んでも、そうした場所には行けないからです。外側だけ見ればOKという建物もなくはないのですが、内部もきちんと見学したい場合はそれが大きなネックになり、日程を短縮あるいは変更せざるを得ません。その点、福知山の場合は火曜日ですからとてもありがたいのです。自分たちの町を観光地として位置づけるのであれば、ほかのところも大いに見習っていいのではないでしょうか。ただ、福知山の場合、行きたいと思う施設が少ないのが難点でした。

母校ラグビー部が、な、なんと「全国」大会に出場!

2013年4月3日
 今日は母校・愛知県立明和高校のラグビーの試合を観戦しました。場所は埼玉県の熊谷スポーツ公園にあるラグビー場です。明和高校がなんと、「全国高校選抜ラグビー」に出場、予選リーグの最終試合が今日だったのです。

Dsc02320  創部以来60年余の歴史で初の快挙ですから、見逃すわけにはいきません。対戦相手は宮崎県の高鍋高校。試合開始直後、モールを押し込んでトライを奪ったものの、その後はさっぱりで、後半20分まで7対10でリードを許していました。後半など、風下(風速20メートル近い強風でした)であるにもかかわらず、ほとんどずっと攻めっぱなしだったのですが、肝心のところでイージーミスを犯してしまい、このまま負けたら、監督からこっぴどく叱られるだろうななどと、あらぬことまで考えていました。

Photo_3 それが残り10分のところでモールに持ち込み、押すは押すは。あっという間に25メートル近く押し込んで相手ゴール前に。それをやっとのことでものにし、ポスト下にトライ。ゴールも決めて14対10とし、そのまま逃げ切りました。

 勝つには勝ちましたが、けっしてほめられる勝ち方ではなく、監督も試合後、スタンドで声援を送っていた私たちに「お粗末な試合ですみません」などと、謝っていましたが、でも勝ちは勝ち。初めての全国大会で予選リーグ(全部で8組)の2位(2勝1敗)だったのですから、まあよしとしましょう。

 選手たちもタフな試合で疲労困憊の様子でしたが、勝ちな何にも勝る疲労回復剤。さわやかで、うれしそうな顔をしていました。それを目にした私も一緒に喜ぶことができました。何はともあれ、おめでとう!
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こんな田舎(失礼!)に素晴らしい城が

2013年4月1日
 「津山」という町をご存じでしょうか? 岡山県にあるのですが、中国山地の盆地にあるせいか地味な存在です。ところがどうして、この町には大変な魅力があります。その第一は、西日本随一の桜の名所であること。第二には、とんでもなく立派な城(跡)があることです。

 もう一つ、2012年11月、姫路でおこなわれたB級グルメの全国コンテスト「第6回B-1グランプリ」でシルバーグランプリを受賞した「津山ホルモンうどん」もよく知られています。というか、最近ではこちらのほうで市民権を得ているといっていいかもしれません。

 しかし、今回この地を訪れた目的は城下町の取材。江戸時代の初め、森忠政(森蘭丸の弟だそうです)が18万6千石で入封し津山藩がスタートし築城に着手、13年の歳月をかけて完成した城なのですが、5層の天守のほか、櫓や城門など合わせ80を超える建造物から成る大規模な近世城郭でした。こんな山奥になぜ……と不思議でならないのですが、姫路城も真っ青といってもいいほど、大きな、また立派な城です。当時の石垣がそのまま残っているのですが、高さは12mを超え、城門から天守までは500段近い階段を上る必要があります。Photo_6

 たまたま、今日から恒例の「津山城桜まつり」が始まったこともあり、平日にもかかわらず大変な人出でしたが、2000本近い桜もたいそうなものでした。聞けば、明治期には5000本もあったといいますから、それはそれは壮観だったにちがいありません。取材でもなければ、ここまで足を運ぶことはなかったでしょうが、素晴らしい場所を訪れることができ、幸福感でいっぱいでした。

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“1日3城”にチャレンジ!

2013年3月31日
 昨日は徳島城址を訪れた今回の四国取材。その後、四国を横断して宇和島へ。昨夜は宇和島名物のタイ飯やじゃこ天に舌鼓を打ちました。

 今日もまたハードな取材です。まずは宇和島城に登城。昨夜、ホテルの近くから見えた城はまさしく空中の楼閣で、ライトアップされた姿が夜空の中に浮かんでいました。きっとかなり高い場所にあるのだろうと予想はしていましたが、そのとおり。入り口から急な坂道を歩いていった先に城はありました。復興天守とはいえ、その立派な姿はやはり風情があります。

 城のあと、伊達博物館、天赦園などを見て、こんどは一路大洲へ。高速で20分も走ったところにある大洲の街も桜が満開。日曜日なので、多くの家族連れがお花見にやってきていました。こちらも復興天守ですが、できたのが新しいので、天守の中は床も壁も天井も柱もまだ真新しい感じがします。すぐ近くを流れる肱川が外堀代わりだそうですが、その流れの立派なことといったらありません。

 大洲を見終えるとまだ時間に余裕があったので、予定を変更して今治に向かいました。ここは海のすぐそばに建っている城で、堀には海水が流れ込んでいます。復興されてそれほど時間も経っていないため、新しい感じがします。

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ここなら勉強に集中できる!

2013年3月11日
 今日はフェリーに乗って、サンフランシスコ対岸に浮かぶアルカトラス島へ。この島は1861年から1963年まで、最初は軍事刑務所、のちに連邦刑務所が設けられていたのですが、その建物がそっくりそのまま残され、いまは観光地になっています。

 L1050630 世界でも珍しい例なので、1年中、見物客が訪れます。込んでいる時など、事前に予約しておかないと、フェリーに乗るのに何時間も待たなければなりません。私たちも桟橋に着いたときは、「2時間ほどあとに出発する便にしか乗れない」といわれ、それまでフィッシャーマンズワーフをぶらぶらして時間をつぶしたほどです。

 アルカトラス島から戻り、タクシーで10分足らずのエンバーカデロという駅まで行き、そこからBART(Bay Area Rapid Transit)に乗ってバークレーに行きました。目的はUCB(カリフォルニア州立大学バークレー校)の見物です。4月から2人の甥っ子が大学(日本の)に入るので、「アメリカの大学というのはこんな感じ」というのを実際に体感してもらえればとの思いから計画したしだい。

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 私たちは2回目でしたが、やはり素晴らしかったです。いかにも勉強していますという雰囲気の学生がウジャウジャいます。といってアカデミックに片寄っているわけではありません。「知性の府」とでもいうのでしょうか。本当の勉強はこうした環境のところでするものといった感じが漂っているのです。2人とも、かなりインパクトを受けたように思いました。

 L1050673夕食はサンフランシスコに着たらかならず足を運ぶピア近くのSCOMASへ。シーフードはどれを食べても、相変わらずおいしかったです。もちろん、例によって写真はなし。すみませんが、せめて店の入り口の写真で我慢してください。

久しぶりのサンフランシスコ

2013年3月10日
 オークランドからサンフランシスコへレンタカーで移動。といっても、海峡を橋で渡るだけです。フリーウェイから見える景色は、オークランド側が工場や倉庫一色なのに対し、橋を渡ると同時にガラっと一変。歴史を強烈に感じさせる街になります。ダウンタウンをかすめながら港の南側を通り抜け、ゴールデンゲートブリッジを渡り、目的地ソーサリートへ。日曜日ですが、午前中とあってまだ人出が少なく、クルマもすんなり駐車できました。

 ソーサリートは15年ほど前訪れたときと趣きがまったく変わっておらず、東京でいうと鎌倉のような感じでしょうか、のんびりした雰囲気です。鎌倉は観光客が多すぎ、ゴチャゴチャしていますが、アメリカですから、そういうことはありません。

 L1050590 1時間ほどあたり一帯を散策、桟橋近くの公園から対岸のサンフランシスコの街並みを遠くに見ながら、ソーサリートをあとにしました。クルマをレンタカー会社のオフィスに戻し、ホテルへ。チャイナタウンの南門のすぐ隣で、ユニオンスクェアのすぐ近くなので、しごく便はよさそうです。

 荷物を預け、オファレル通りにある堂島庵で昼食。ここも10年以上前に来たときとまったく変わっていません。ただ、客は9割かた、いやそれ以上かもしれません、外国人で、日本人はほとんど見かけず。久しぶりのしょうゆ味に感動しました。

 そのあとユニオンスクェアからホップオンホップオフの観光バスで市内をひとまわり。このタイプのバスで回るのはここでは初めての経験で、知らない場所の多さを改めて感じさせられました。

 それにしても、カリフォルニアでもここまで北上すると、この季節はやはりまだ寒いです。L1050601 地上でじっとしていればむしろポカポカするのですが、屋根なしダブルデッカーの2階にすわっていると風が強烈で、体の芯まで冷え切ってしまいました。信号待ちで止まっているときはポカポカ温かいのですが、走り始めるともう凍えそうなほどの冷たさ。ゴールデンゲートブリッジの上を走り抜けるときなど、思わず体をかがめてしまいました。

 3時間ほどの観光を終え、ユニオンスクェアに戻ったときは、寒さでぐったりの感。ホテルにチェックインすると同時に風邪薬です。

 夜はすぐそばのチャイナタウンで夕食。オバマ大統領も来たことがあるらしい「迎賓閣」という店で中華料理。日本人にはいまイチの味でしたが、いかにもアメリカらしく量の多いこと。甥っ子たちがいなければ食べ切れなかったでしょう。

アメリカで見つけたデンマーク

2013年3月9日
 今朝、早く起きたので、朝食の前にホテル近くを散歩してみました。小さな町なりに、こぎれいな通りがあり、家々もスペイン風の趣きがします。L1050552
ホテルから15分も歩けばそこはもう太平洋。といってもおだやかな海ですから、荒々しさはまったくありません。こんな町を拠点にしたキリスト教の伝道師たちはいったいどんな気持ちで布教に歩いたのか、考えてみると不思議な気がします。たしかに人々の生活は貧しかったでしょうし、そうした人々にとっては何より心の支えが必要だったにちがいありません。

 さて、今日のスケジュールはかなりハードです。サンタバーバラからオークランドまで600キロ近くのドライブ。ハンドルを握るのは私ひとりです。途中、何か楽しみでも見つけておかなければ、とてもではありませんが、走り切れないだろうということで、あらかじめ仕込んでおいたのが「西海岸でいちばんおいしいパンケーキを食べさせるカフェ」。それは、サンタバーバラから数10キロの途中のソルバングという町にあるとのことです。「よ-し、食べてみようか」というわけで、サンタバーバラのホリディインエクスプレスを出発しました。

 アメリカはむずかしくいうと複合民族国家、わかりやすくいうなら、いろいろな人種・民族がゴッタ煮のように暮らしている国です。かつて宗主国だったイギリスはよく知られていますが、それ以外にも、たとえばニューオーリンズ(ルイジアナ州)はフランス、サンアントニオ(テキサス州)はドイツ、エル・パソ(同)はスペイン、ニューヨークはオランダ……と、それぞれ、その地に定住し始めた国の人たちがいます。ニューヨークなど、もともとはニューアムステルダムと名づけていたのを、イギリス人がそこを買って名前を変えた町です。

 また、カリフォルニア州の南部はスペイン人がやってきてこさえた町がほとんどです。町の名前からしてスペイン語のオンパレード。ロサンゼルス(Los Angeles)もサクラメント(Sacramento)もそうです。それぞれ「天使たち」「秘蹟」という意味ですが、いちばん多いのはキリスト教(カトリック)の聖職者にちなんだもの。サンディエゴ(San Diego)、サンフランシスコ(San Francisco)がその代表でしょう。San(=聖)とかSanta(=聖なる)という言葉が頭につけられている町が多いのは、スペイン人がキリスト教を布教するため、そこに伝道所を設けたことにちなんでいるからです。
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  昨日泊まったサンタバーバラ(Santa Barbara)にしても同類です。ロサンゼルスからクルマで1時間半ほどしか離れていないのですが、なんとも落ち着きがあります。その気になれば、ロサンゼルスから鉄道(AMTRAK)という鉄道で訪れることもできます。といっても、1日数本しか走っておらず、日本でいうならローカルのお、それも第3セクターが運営しているような感じでしょうか。駅(下の写真)もどこかのんびりした感じでしょう?

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 そんなことを考えながら今日、足を踏み入れたソルバング(Solvang)というところはアメリカでは珍しい、デンマーク人の作った町でした。ソルバングとは、デンマーク語で「日の当たる平地(sunny field)」という意味だそうですが、これは1911年、中西部に移民していたデンマーク人たちがこちらに移りコミュニティーを作ったことによります。いまでもその当時の街並みがほぼそのまま保存されていて、一瞬ここはどこだったっけ? と錯覚してしまうくらい、かなり広い
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エリアがデンマーク風になっています。L1050563 風車がこの町のシンボルのようで、その合間にパン屋、チョコレート屋、ワイン店、雑貨品店、食器店など、若い女性が涙を流しそうなかわいらしい店が立ち並んでいます。

 そうそう、パンケーキです。店の名前は「Paula’s Pancake House」といいます。町の中心にあるので、すぐわかります。たしかに、店の前には行列ができていました。日曜日、それも11時ごろという時間帯もあってでしょう、ブランチを食べにやってくる近所の家族連れがほとんど。もちろん近郊からクルマを飛ばしてやってきた観光客の姿もあります。私たちも20分ほど待たされて店内に。といってもアウトドアのテーブルで、天気がよくてホントよかったです。

 パンケーキの味は……。「西海岸一」なのでしょう。もちろん、日本のそれよりはおいしいです。ただ「アメリカ一」でも「世界一」ではけっしてありませんから。ちなみに、私はオランダのロッテルダム、運河を走る「パンケーキボート」で食べたほうが好きですね。L1050580

 ソルバングを昼過ぎに出て、あとは一路オークランドへ。夕方6時前、空港の近くにあるにホテル「コートヤードバイマリオット」に到着しました。荷ほどきもそこそこに、ホテルのすぐそばに建つオラクルアリーナに移動。目的はNBAです。すぐ隣がMBAアスレティックスの本拠地球場、その奥のアリーナも美しいフォルムで、素晴らしく立派でした。

 お腹が空いていたので、入場口の手まで立ち売りしていたホットドッグをとりあえずほおばります。入口の荷物チェックはけっこう念入りで、私が背負っていたリュックは預けさせられました。食べ物の持ち込みもNGだそうで、夜食用にとソルバングで買っておいたデンマーク風のパンも没収──悔し~い! チケットはかなり前にネットで買っておいたのですが、中はほぼ満員でした。L1050587 ゲームのレベルはもちろん高いのですが、観客を楽しませるための演出となると、ロサンゼルスのレイカーズなどのほうがはるかに上を行っているという感じを受けました。 


 

太平洋を背景にのびのび遊ぶキリン

2013年3月8日
 ラスベガスからJETBLUE便でロングビーチへ。JETBLUEという航空会社はいま流行のLCCの先駆者的な存在ですが、機材が非常に清潔なのが売り。同じLCCでも、サウスウェストと比べるとかなり差があります。

Photo_7  ロングビーチの空港は改装なって、えらくきれいになっていました。といっても、日本の地方都市の空港よりこじんまりした、かわいい空港です。ここでレンタカーを借り、今日はサンタバーバラまで走ります。目的はサンタバーバラの動物園。
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  時間ギリギリでしたがなんとか入園させてもらい、一路キリンのところへ。動物園自体が海に面しているので、ほかの町とは趣がかなり違います。キリンも温かい日差しを浴び、えらくリラックスしていました。環境自体がせせこましくないので、キリンにかぎらずどの動物もそうした感じがします。L1050513

 動物園の中は、たいていのところがそうですが、トラムや、ここサンタバーバラのようなミニレールが走っています。大人も子どもも、気持ちを一つにして園内をあちこと見まわしながら楽しめるわけですが、ホント、いい光景が見られます。

 さて、閉園ギリギリまで楽しんだあとは、町のちょっとはずれにある観光スポット集中地域へ急ぎました。明日の出発が肺ので、今日のうちにできるだけ町の中を見て歩かないといけんません。まずは、その昔スペインからやってきた伝道師たちが根拠地にした教会(伝道所)を見学。1786年にネイティブアメリカンに布教活動をするために建築され、現在はアメリカの歴史的建造物へ登録されているそうです。白いレンガの壁と赤い屋根のコントラストがなんとも美しい建物です。

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 夜になると猛烈な風。そして気温の低いこと。海辺のシーフードレストランで魚や貝を目いっぱい食べました。

初めて行った「コカコーラストアー」で

2013年3月6日
 日本出発が3月5日の午前0時5分だったので、時差の関係で、ラスベガスに着いたのは前日の夜9時過ぎ。1日儲けたような気分ですが、帰りに帳尻を合わせなくてはならないのでトータルとしては損も得もありません。

Photo_11  さて、そういうわけで、今日はラスベガス2日目。朝食を済ませるとストリップを歩き、「コカコーラストアー」に行きました。甥っ子の1人が、飲み物としてではない「コカコーラ」文化としての「コカコーラ」にハマっているようで、ぜひ行ってみたいというのです。ガラス張りの巨大なコカコーラボトル(中はエレベーター) が入口の前にドーンと構えるこの施設は以前、コカコーラのすべてがわかるミュージアムと、ロゴ入りグッズなどを売るオフィシャルギフトショップだったのですが、2000年にミュージアムは閉鎖され、現在はショップだけが営業しています。

 小さなものから大きなものまで、また古いものから新しいものまでさまざまなロゴ入りグッズを取り扱っており、その品ぞろえはマニアも驚くばかりとのこと。何十年も前の広告要看板やロゴの入ったプロモーション用グッズなど、骨董の域に達しているものもありました。

 あっという間に2時間ほどが過ぎ、大いに楽しませてもらいました。不思議なことに、中に入ってしばらくすると無性にコカコーラが飲みたくなり、つい口にしてしまいました。だれだって、そういうことってありますよね?

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Photo_10  その後はストリップ沿いでショッピングとホテル見学。まあ、大変な距離を歩きました。夜はトレジャーアイランドでショーです。今回はシルクドゥソレイユの『Mystere』。堪能しました。ショーが終わったあとは食事を楽しみ、そのあとはトレジャーアイランドの隣にあるミラージュへ。名物の「火山大爆発」を見て、甥っ子たちはびっくり仰天。ラスベガス2日目の夜も終わりです。興奮のあまり、眠れなかったなどということがなければいいのですが。明日、2人は早朝から「グランドキャニオン遊覧飛行」ツアーですから。

初の海外旅行先がラスベガスって、どうなのか?

2013年3月5日
 甥っ子2人を連れてアメリカに来ました。高校を無事卒業し、4月から大学に入る2人へのささやかな(いや、ビッグか!?)プレゼントです。もちろん2人にとっては初めての海外旅行。ただ、その初訪問地がラスベガスとなると、我ながら不安というか、疑問があるのもたしかです。

 なぜそうなったのかといえば──。このブログにもすでに何回か登場しているロサンゼルスのHさん夫妻に日本からあるものを届ける必要があり、最初の寄港地がどうしてもロサンゼルスになります。羽田発の便なので、夕方にロサンゼルス空港着。いままではそこでひと晩泊まり、翌日から動き始めるのですが、今回は甥っ子2人とも、「ロサンゼルスにはとくに観たいものはありません」ということでした。

 まあ、そういわれればたしかにそうで、ディズニーランドもユニバーサルスタジオも日本にありますし、ジョン・ウェインもマリリン・モンローも知らないいまどきの高校生にチャイニーズシアターもさして魅力はなさそうです。というわけでロサンゼルスは完全パスということになり、着いた時間が夕方はやいこともあって、Hさん夫妻とお会いしただけで、そのままラスベガスに移動することになったしだい。じつは、Hさん夫妻とも翌々日ラスベガスで会いましょうということで話がついていました。ラスベガスへはLCCの優等生サウスウェスト航空の便です。カウンターの前で取ったのが甥っ子2人が海外で初めて撮った写真。やっぱ、うれしそうですよね!

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 夜9時過ぎに着いたのですが、空から見るラスベガスの夜景はもう最高で、それだけで興奮をかき立てます。ホテルは今回、Hさん夫妻がそこにロハで泊まれるという事情もあり、それに合わせてParisというところにしました。日本からのツアーではよく使われているようです。かつてAraddinという名前だったころ一度泊まったことがありますが、さほど好きなホテルではありません。ふところに余裕があれば、向かい側のBellagioとかがよかったのですが、致し方なしということで。

Photo  このホテルの売りは、ホテルの中にエッフェル塔(の下部)があるということ。エッフェル塔の上の部分はホテルの天井を突き抜け、空に向かって立っています。それはそれでいいのですが、何より気に入らないのは、空(といっても、要は天井なのですが)に下でギャンブルをするというコンセプトです。これでは、どうにも気が進まないのです。やはり派手なシャンデリアやギラギラの照明の下でやるのがギャンブルというものではないかと。そのせいか、初日はまったくいいところなしで終わりました(言い訳にしか聞こえないでしょうが)。

 甥っ子2人は未成年ですから、もちろんカジノでは遊べません。軽めの夕食を済ませたら即就寝とあいなりました。

初めて、タイをきちんと観光してみました

2013年2月19日
私がタイを初めて訪れたのは、四半世紀以上も前のこと。当時私がかかわっていた出版社で、客家に詳しい著者による単行本を企画、そのインタビュー取材でシンガポールに来たとき、ついでにということで、先のSくんと再会するためでした。このときは観光などする時間はまったくなく、ひと晩過ごしただけです。

というわけで、ほとんど初めて同然(家人は正真正銘の初訪問)のタイですから、今回は多少「観光」を盛り込みました。それでもわずか2泊しかできないとなれば、イキているのは1日だけといっても過言ではありません。

「王宮」、そして「ワット・プラ・ケーオ」「ワット・アルン」「ワット・ポー」の4カ所をまとめて観たのですが、どこがどこだったかも思い出せません。アジアの宗教建築はおそらくどこもそうなのでしょうが、とにかくきらびやか。外壁にびっしり仏像や神さまの彫像がほどこされているパターンが多いので、新しかったり保存状態がよかったりすると、それこそ光り輝いています。

「ワット・プラ・ケーオ」は「王宮」に隣接しており、別名をエメラルド寺院といいます。その昔、国王がラオスから戦利品として持ち帰ってきた翡翠【ひすい】の仏像がエメラルドグリーンをしていたことからその名がついたようです。境内にはどれも皆派手な金箔がほどこされており、見る角度によってはまぶしくて仕方ありません。

もともとは仏教寺院だったのが、その後ヒンドゥー教の影響を受けたため、そちらの神様なんぞも祀【まつ】られています。極彩色で覆われているのは、そうした影響もあるのでしょう。とにかく目立つこと、目立つこと。同じ仏教であるにもかかわらず、日本の禅宗っぽい質素さ、渋さといったものは微塵も感じられません。

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次に行ったのが「ワット・アルン」寺院。王宮の脇にある桟橋から渡し船でチャプラヤ川を渡って行く「ワット・アルン」。こちらは外壁が中国陶器で覆われていて、きらびやかさとはほとんど無縁です。もちろん、外壁を覆う小さな彫刻は一つひとつ細やかな細工がほどこされており、全体としては派手なのですが、金ピカなイメージはありません。高さ81mという仏塔の途中まで歩いて登れるのですが、階段が急でかなりのハードワークでした。

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このあともう一度渡し船で川を渡り、最後に訪れたのが「ワット・ポー」。こちらは本堂に安置されている“寝仏”が有名なようです。巨大な仏像は頭のてっぺんから足先まで金箔が塗られていて、まばゆいばかり。ただ、顔の表情はなんとも柔和で、成仏を示す半眼半口(目と口が半分開いている)の表情が印象的です。足の裏には精巧な螺鈿【らでん】の細工がほどこされていました。

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夕食の前に、ホテルの隣にあるヒンドゥー教寺院「エラワン・プーム」をのぞいてみました。ここは、日本でいえば町中の神社風の場所で、1日中参詣の人が。だれもが線香を焚くのですさまじい煙と香りが漂っています。日本の線香と成分が違うのでしょう、香りもドぎついというか、独特です。
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食事は、そのすぐ近くにあるショッピングモール「セントラルワールド」へ。ここには伊勢丹が入っているせいもあってか、日本の食べ物屋(フランチャイズチェーン系)もイヤというほど出ています。ただ、タイ飯をまだ食べていなかったので、スープやら麺やら、軽いメニューで済ませました。昼間まばゆいものをずっと見続けていた疲れもあったのかもしれません。

今回は時間がなかったのであきらめましたが、次に来たときは、都心の官庁街のただ中にあるという「ドゥシット動物園」にぜひ行ってみたいいなと思いながら、バンコク観光は終わりました。この「次に来たとき」というのが、大事なのですね、海外旅行では。

「オリエント・エクスプレス」の旅・3日目

2013年2月17日

L1050264さて、今日で「オリエント・エクスプレス」の旅も終わり。予定では、午前10時ごろカンチャナブリという駅に停車し、そこから、映画『戦場にかける橋』で知られているクワイ川を観光するはずなのですが、列車の進行が遅れてしまっていたようで、先にランチを済ませました。お昼前に駅に着き、そこからしばらく歩いたところにある桟橋で船に乗り換え、甲板にしつらえられた野外教室のようなところに一同着席。ガイドさんの英語によるレクチャーがあります。

内容は、私たち日本人にとってはかなり辛辣です。韓国人慰安婦や強制労働、中国・南京での大虐殺など、戦争というのはしばしば日ごろの常識では考えられないような行為を平気でしてしまう恐ろしさを秘めていますが、ここで起こったこともそれに似ています。それも、冷静な理性が稼働している状況下のことなので、悲しさと恐ろしさがいっそう強く感じられます。

太平洋戦争当時、東南アジアに侵攻した日本軍は、タイとビルマ(現ミャンマー)とを結ぶ全長415㎞の鉄道(泰緬【たいめん】鉄道)を建設しようとしました。それまでビルマの宗主国だったイギリスが、何度も計画したものの、過酷な自然条件のためにあきらめていた鉄道です。しかし、日本陸軍にとってこの鉄道は、物資や兵員の輸送のため、何がなんでも作る必要がありました。そして、実際にそれを実行に移したのです。

陸軍は、各地の戦いに勝って捕虜にしたイギリス、アメリカ、オーストラリア、オランダの兵士6万2千、タイ、ミャンマー、マレーシア、インドネシアから徴用した現地人労働者30数万、合わせて40万人ほどを動員し工事が始まったのですが、過酷な自然や厳しい地形、劣悪な労働環境などで、その半数が犠牲となりました。なかでも、このカンチャナブリ近くを流れるクワイ川に鉄橋を架けるは困難をきわめ、ことのほか多くの犠牲者が出ました。しかも皮肉なことに、彼らが作った橋を、軍事作戦上の必要から、最後は彼ら自身の手でその橋を爆破してしまうのです。当然のこと、これは捕虜の保護を義務づけているジュネーブ協定に違反した非人道的な残虐行為として、東京裁判などで厳しく糾弾されました。

レクチャーが終わると船が出発、チーク材で作られた昔風の家々を見ながらクワイ川を下り、降りるとバスに乗り換えて博物館「泰緬鉄道センター」へ。そのあとはすぐ向かい側にある「ドンラック戦没者墓地(鉄道建設で亡くなった人たちの共同墓地)」を訪れて献花、再びカンチャナブリ駅に戻りました。

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さて、列車は、住宅が建ち並ぶバンコク郊外から終着駅が近づくにつれ、スピードが大幅にスローダウンします。予定の16時45分より2時間近く遅れて、バンコクのフアランポーン駅に到着。ちょうど日が沈むころでしたが、50数時間、2160kmの豪華列車旅の終わりです。

ステップを降りると、ホームの出口に向かって歩き始めます。すると、旅の間、私たちのお世話してくれた担当スチュワードを始め、車掌、食堂車・売店・バーのスタッフが全員、プラットホームに立ち並び、「Thank you」といいながら手を振って見送ってくれるのです。最初から最後まで、真心あふれるホスピタリティーに強く感心させられました。姿・形は「列車」ですが、その空間は1から10まで上質の高級ホテルそのもの。料金だけは高級でも、サービスは2流以下というホテルも少なくありませんからね。

ホームの端で荷物を受け取り、あとはそれぞれの旅路へ。私は高校時代の友人で、バンコクで会社を経営しているSくんの出迎えで、予約していたグランドハイアット・エラワン・ホテルまで送ってもらいました。本当は夕食をともにするはずでしたが、Sくんがその夜のフライトで大阪に行かなければならなくなり、ホテルのロビーでお別れ。残念ですが致し方ありません。そもそもお腹が減いておらず、夕食は結局、近くのショッピングモールにあったアメリカの老舗ハンバーガー店で済ませました。

「オリエント・エクスプレス」の旅・2日目

2013年2月16日

L10501762日目の朝。私たちのキャビンを受け持つスチュワードがドアをノックします。さあ、朝食です。温かいクロワッサンとデニッシュ、オレンジジュース、コーンフレーク、ヨーグルト、コーヒー、水。どれも皆、気品のある器とともに供されました。見ているだけでも優雅な気分にひたることができます。

午前9時、バターワース駅に到着。ここで専用バスに乗り換え、近くのペナン島まで観光に。橋を渡ると、島の中心・ジョージタウンという港町でバスをおり、こんどはトライショー(人力車)に乗って街の中をひと回り。イギリス人の造った町はどこも皆共通していますが、美しいのが特徴です。町自体は6年前に大学時代の先輩夫妻と来たことがあるのですが、トライショーに乗って動くと、また異なる印象を受けます。これ以上はないというほどの好天で、気持よい時間を過ごすことができました。

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11時15分、ジョージタウンを出発、バターワースの駅に戻り再び列車に。涼しい車内でひと息ついたころがランチタイムで、食堂車へ移りました。

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今日のランチは「トム・ヤム・ヴィシソワーズ」「うずらのメダイヨンと野菜のタリアテッレ」、メインは「白身魚のフライ 四川風野菜添え」、デザートは「ラズベリー入りライチのムース バナナソース添え」+コーヒー(または紅茶。けっこうヘビーな内容で、ただじっとしているだけだったら、半分は残していたでしょう。でも、観光で適度に体を動かしているので、サクサクいけてしまいました。

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午後からはいよいよタイに入ります。マレーシア出国、タイ入国の手続きは担当スチュワードにパスポートを預け、そちらで済ませてくれます。その間、私たちはアフタヌーンティーをゆっくり楽しめるというわけです。窓にはタイの田舎の景色が広がり、農作業にいそしんでいる人々や学校帰りの子どもたちが列車に向かって手を振っています。

L1050232タバコを吸いに展望車まで行くと、それこそいろいろな国からやってきている乗客に出会います。だれもがリラックスしているというか、そうそう体験できない優雅な列車旅を堪能している様子。天気にも恵まれ、いうことなしです。

地続きなのに、マレーシアとタイとでは外の景色が大きく違います。タイのほうが村々も田畑も豊かな感じがするのは、産業構造のせいもあるのでしょう。マレーシアはだだっ広い熱帯樹林が続くだけ、たまに見えてくる畑もどことなく殺伐とした印象です。それに対しタイのほうは田んぼあり、野菜畑あり、果樹園ありと変化に富んでいるためか、気持ちがおだやかになってきます。国民性の違いもあるのかしれません。「風土」という言葉の持つ意味を考えさせられました。

今日の夕食は遅めのスタート。でも、お腹の空き具合からしてちょうどよかった感じがします。たっぷり2時間近くかけてのディナータイムなど、日本にいるとなかなか味わえません。たいそうなボリュームなのですが、話をしながらゆっくり食べると、すっかり完食。これには自分でも驚いてしまいました。でも、正直、そろそろ日本蕎麦が食べたい心境です。「2泊3日」のコースにして正解でした!

「オリエント・エクスプレス」の旅・1日目

2013年2月15日
さて、今日からは「オリエント・エクスプレス」の旅です。「オリエント」はご存じのように「東方」という意味。本来の「オリエント・エクスプレス」は、西ヨーロッパと「東方」、つまり東ヨーロッパ、さらにトルコとを結ぶ鉄道でした。しかし、航空機輸送の発達で、かつてのような鉄道でゆっくり移動する旅は廃れていく一方。「オリエント・エクスプレス」もさまざま変遷を経て、いまは、ヨーロッパを走る「ベニス・シンプロン・オリエントエクスプレス(基本路線はパリ・ヴェネツィア間)」と東南アジアを南北に結ぶ「イースタン&オリエンタル(E&O)エクスプレス」の2つです。

1883年から運行が始まった「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス(VSOE)」は、本来の姿を色濃く残しているようです。「豪華」「優美」「洗練」といった言葉が似合う雰囲気が売りで、ロンドン、パリ、ウィーン、ベニス(ヴェネツィア)、ベルリン、ブダペスト、ブカレスト、イスタンブールの各都市をさまざまなルートで結んでいます。こちらはやはりフォーマルな服装で乗らなければ……といった感じがします。値段はいちばん安いもの(1泊2日、ロンドン・パリ間)でも1000ドルほどでしょうか。

これに対し、アジア版の「E&O=イースタン&オリエンタルエクスプレス」は、1993年から運行が始まった、いうならばリゾート路線。年中暑い地域を走っているのですから当然といえば当然かもしれません。シンガポールとバンコクとを結ぶ路線「E&O」には2つのパターンがあります、1つはバンコク→シンガポールで3泊4日、もう1つはシンガポール→バンコクで2泊3日。もちろん、後者のほうが値段は手ごろですし、いくらなんでも3日連続でフレンチのフルコースでは辟易しそうだということで、後者に決めました。

“走るホテル”と呼ばれているくらいですから、列車に乗る前に「チェックイン」の手続きがあります。場所は、市内の「リージェント・ホテル」。スタッフからさまざまな説明を聞き、荷物を預けると、カフェでしばしスタンバイ。飲み物や軽食、おつまみなど、すべて無料(というか、こういうものもすべて込みで値段がついているのですね)。

所定の時間が来ると、スタッフが呼びに来ます。専用のバスに乗り、マレーシアとの国境近くにあるウッドランズ駅まで移動。ここでシンガポール出国とマレーシア入国の手続きを済ませ、待ちに待った乗車が始まります。

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ダークグリーンとクリームカラーに塗り分けられている車体からは、気品すら感じられます。なんでも、その昔はニュージーランドを走っていたそうで、さらにさかのぼると、1970年代の日本製の寝台車両を改装したものだとのこと。編成は22両(もちろん、東南アジアでは最長の旅客列車)で、132人の乗客を乗せられるといいます。

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私たちが予約した「ステイト・キャビン(広さ=7・1平方m)」という個室(コンパートメント)があるのは7号車。このタイプの車両には個室が6つあります。車両ごとにスチュワードがおり、その案内で個室まで行きます。通路の内装はローズウッドで、真鍮の金具はピカピカ。キーを差し込んでドアを開け中に入ると、ソファー(夜になると2台のシングルベッドに変わる)と小さなテーブルがあり、窓にはシルクのカーテンがかかっています。そのほかワードローブ、セーフティーボックス、バス(もちろんシャワーですよ)・トイレの使い方やら、食事などについて、懇切丁寧な説明がありました。食事の時間が来ると、スチュワードが呼びにくるそうです。

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L1050145出発時刻は午後12時15分。最後部の22号車は展望車です。食堂車(ダイニングカー)が全部で3~4両、ほかに売店車両やマッサージルームの付いた車両、バー車両などがあります。展望車は唯一タバコも吸える車両で、この先何度もお世話になりそうです。椅子が並べられたデッキの上に屋根が付いていて完全なアウトドアなのですが、すぐ隣にバーラウンジ車両が設けられているので、そこでお酒など飲み物を頼み、外に出てゆっくりすわりながら過ごせるわけです。街の中より田園地帯を走る時間が圧倒的に長いので、意外と気持ちがゆるみます。

しばらく走ると早くもランチです。食事も、「オリエント・エクスプレス」の大きな楽しみといわれています。最初は前菜が、「サーモンフィレ・オランデーズソース アスパラガスとホウレン草添え」、メインが「鴨胸肉のロースト黒コショウソース 野菜のつけ合わせ」という内容。デザートは「パイナップル ライムのシャーベット添え」、そして飲み物という組み合わせでした。もちろん、どれも美味。

車内での食事は1日目の昼・夜、2日目の3食、そして3日目の朝昼のつごう7回。朝食はルームサービスなので、食堂車で食べるのはそれ以外の5回です。どの食事も2回の時間帯に分かれていただくシステムなのですが、食堂車の内装も素晴らしく、見ているだけで楽しめる仕掛けになっています。

L1050152夕食は、アミューズのあと、「温かいホタテのテリーヌ ロブスターのビスクとキュウリのミカド・サラダ沿え」の前菜、メインは「牛肉のメダイヨン」か「マレー風鶏の煮込みカレー」のチョイス。デザートは「レモンのムースとドラゴンフルーツとイチゴ添え」とプチフールで、最後がコーヒーまたは紅茶。

L1050249_2その昔、アガサ・クリスティーの小説で読んだ元祖「オリエント・エクスプレス」の食事は、どの客も正装に近い服装をしていましたが、熱帯の国々を走る「E&O]ではあまり気にしなくてもOKのよう。それでも、いちおうジャケットを着てネクタイも締めました。もちろん、カジュアルでも問題はなさそうでした。個室に戻ると、ベッドが整えられ、いつ横になってもOK。感激です!

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出発して7時間半ほどでクアラルンプールの駅に到着。ここから乗ってくるお客もいますが、人数はそれほどでもありません。停車駅ごとに、水や食材など、さまざまなものが運び込まれているようでした。そのため、停車時間も1時間半近くになります。

午後9時25分、出発。しばらくすると列車は真っ暗闇の中を走ります。前日に朝食を持ってきてもらう時刻を告げてあるので、それに間に合うように起床すればOK。列車の走る音はごく単調ですから、よほど神経質な人でないかぎりぐっすり寝ることができるはずです。

ベッドで横になる前にシャワーを浴びました。シャワージェルやシャンプーはブルガリ。お湯の出もまったく問題ありません。下手なホテルよりきちんとしている感じすらあります。これ以上は無理といってもいいほどギリギリの空間なのですが、けっこう快適でした。