興南高校の甲子園優勝から2週間。でも、まだ興奮!

1日から沖縄に来ています。8月31日は台風のため、沖縄行きのフライトがほとんど欠航。私の沖縄入りはその翌日でしたから、とてもラッキーでした。沖縄の台風は、以前もこのブログで書きましたが、〝産直〟ですから新鮮そのもの、強烈で荒々しいことこの上ありません。

昨日(4日)も、本当なら9号が来襲するとの予測でしたが、幸いコースが少し逸れたため、さほどではありませんでした。でも、初めて観にいく予定にしていた「全島エイサー祭」が1週間延期になってしまったのは残念至極。また、来年ですね。

Rimg0017_2 それにしても、ここ沖縄ではいまだ、甲子園での春夏連続優勝の興奮がさめやりません。空港でも、街でも、お店でも、「祝 興南高校連覇」のステッカーが、そこここに貼られていますし、本屋さんに行くと、興南優勝を特集した地元新聞社刊行の「緊急特別号」が山積みされ、ベストセラーにもランクされています。新聞もほぼ毎日、それについての連載記事やコラムを掲載。ここではやはり、「甲子園」が人々を大いに励ますのでしょう。

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でも、これは、大都市を抱えていない地方に共通する現象のように思えます。夏の甲子園でベスト8にすら進んだことのない山形県の代表校が優勝でもしようものなら、それこそ上を下への大騒ぎになることでしょう。でも、それはそれで、非常に健全なことのように思えます。

東京のように、何が起こってもほとんど当たり前としか受け止められない大都会に住んでいる人はむしろ不幸かもしれません。人間、やはり、驚き、喜び、悲しみ、感激がダイレクトに経験できることほど幸せなことはないのではないでしょうか。その点、沖縄の人たちがうらやましく思えました。

トホホ……! 年齢には勝てないのにガックリ

昨日は、年甲斐もなく、1日でコンサート2本という無謀な経験をしてしまいました。午後3時から、渋谷のオーチャードホールでジェイク・シマブクロ(ウクレレ)。そして、夜6時からは青山で登川誠仁(琉球民謡)のライブです。しかも、登川誠仁のほうはスタンディングでしたから、ほとほとこたえました。

狭い会場でのスタンディングというのは、還暦間近の身には腰に来ます。もっとも、だからこそ大いに楽しむこともできたわけですが、これが逆の順番だったら、もう少し楽だったかもしれません。

でも、登川誠仁の、とても78歳とは思えないパワフルなパフォーマンスを見ると、そんな弱音を吐くのは罰当たりではないかという気がします。昨年も日比谷野外音楽堂の「琉球フェスティバル」(今年は10月10日。また、行きます!)で登川の演奏を観ましたが、このときは半分酔っ払っている(?)ような感じで、迫力はいまイチでした。しかし、今回のステージは一人きりですから、張り切りようも違っていたのでしょう。

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昼間のジェイク・シマブクロのコンサート、これは興奮しました。〝ウクレレのジミヘン〟と呼ばれているだけあって、機械仕掛けのような手指の動きは聴き手を感心、いや感動させます。それ故、ときおり交えるバラード調の曲も目立つというものでしょう。ウクレレ特有のやさしい音色も、それに味わいを添えていました。

「シマブクロ」という名前からすると、先祖は沖縄からの移民でしょうか。そういえば、今年、甲子園で春夏連覇を果たした興南高校のエースも島袋洋奨といいました。ジェイクは5世ですから、日本語はほとんどしゃべりません。それでも顔つきは日本人そのものなので、親しみが感じられます。それも、日本でたくさんのファンをつかんでいる理由かもしれません。

ただ、それ以上にアメリカ本土でウケているのも間違いない事実です。9月前半で日本ツアーを終えると、10月から来年3月までは本土でのコンサートがぎっしり詰まっています。

ジェイクに感心させられたのは、そのパワフルさです。昨日のコンサートも、2時間半の長丁場でしたが、なんと休憩なし! でした。32歳という年齢からすれば不思議ではないかもしれません。しかし、ジェイクの激しい手の動き、活発なボディアクションを考えると、やはり感動ものです。

途中、観客席にも降りてきて、歩きながらスローバラードを披露していましたが、観客の顔に目を遣りながらですから、気を抜くことはできません。4歳のときから母親にウクレレを教え込まれただけあって、プロ根性もハンパではないのです。一度、ジェイクの本拠地ホノルルでのコンサートを観てみたいと思いました。そう思ったからには、かならず実現するのが私の流儀。実行したらかならず報告しますので、このブログを楽しみにしていてください。

ディキシーランド・ジャズを見直す

ジャズの好きな人ならだれでも、一度は通り過ぎているはずのディキシーランド。さほどジャズと縁がなくても、『ベイズン・ストリート・ブルース』とか『聖者の行進』といえば、「ああ、あれか」とうなずく人は多いでしょう。行進曲風のリズムとメロディーラインが初期のディキシーランドの特徴なので、親しみやすさという点では、ジャズの中でもいちばんではないかという気がします。

ただ、それだけに単調で……と、私自身も思っていたので、昨日の「浅草ニューオーリンズ・ジャズ」のコンサートは、目からうろこが落ちるといった感じで聴きました。これまでそっぽを向いていたのは申し訳なかったなとすら思ったしだいです。

Rimg0007 ディキシーランド・ジャズが生まれたのはアメリカ南部ルイジアナ州ニューオーリンズ。20世紀の初めごろに発達し、それが1910年代、シカゴやニューヨークに広まっていったことで、今日のジャズが生まれました。ピアノ、バンジョー、ドラムス、コントラバスなどのリズム・セクションにトランペット、トロンボーン、クラリネットといった編成が基本です。

スゥインギーで陽気、という点ではジャズのなかでも最右翼でしょうから、聴いてい
てこれほど楽しい音楽はありません。とくにアップテンポの曲は、始まるとすぐ、体が揺れてきます。バラードも、ディキシーランド風にアレンジされると、明るく楽しい曲になってしまいます。ディキシーランド・ジャズもバカにしたものではないなと、再認識させられました。

ああ、しんど! 酷暑の広島で5日間の取材

今年の猛暑は常軌を逸していますが、8月16日から取材で訪れている広島の暑さも大変なものがありました。とにかく、日射しの強さといったらありません。サングラスなしではまぶしすぎてたまらないといった感じでしたから、往生しました。それでも毎日、市内のあちこちを歩きまわり、一昨日は、宇品にある広島港から江田島、さらに呉市へと足を伸ばしてきました。

L1050150 江田島はご存じのように、かつて海軍兵学校(将校を養成する教育機関)があったところです。その昔、私がまだ小学生だったころ、母親が「江田島の海軍兵学校は、全国から優秀な生徒が集まってきて、女学校に通う女の子のあこがれの的だったのよ」と、よく口にしていたことを思い出しました。実際、その敷地に入ると、なかには素晴らしいレンガ造りの校舎や講堂が当時のまま残されていて、いかにもといった印象を受けました。思わず絵葉書を買い、母親に送ってやったほどです。

海軍の将校というのは、世界的に共通することのようですが、頭脳明晰なだけでなく、マナーや社交術といった面でもきちんとした教育を授けていたようで、だれもが国際人として通用する力を備えていたといいます。太平洋戦争のさなかにあっても、ここだけは英語の教育が続けられていたことからも、それは理解できるでしょう。江田島も、校舎はイギリス人の設計によるものだそうですし、教育参考館はギリシャの神殿風、講堂の外壁には花崗岩を使うなど、とにかくお洒落な感じなのです。

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もちろん、お洒落なところで教育を受けたからといって即お洒落な人間に育つわけではありません。でも、教育というものの一指針を示しているような気はします。

L1050175 江田島からフェリーで20数分のところにある呉は、かの名画『仁義なき戦い』の冒頭のシーンが強く印象に残る、かつての海軍の街。同時に、戦艦大和など数々の軍用艦を建造した軍事産業のメッカでもありました。戦後、ここにもあったヤミ市が、昭和40年代初めまで続いた、ヤクザどうしの激しい抗争の出発点だったと思うと、不思議な感じがします。

映画で何度となく目にしているせいか、中通りの繁華街、また、それにつながる路地にあるスナックなどの飲食店を見ても、初めて訪れた場所とは思えません。深作欣二監督がこの映画で徹底的にリアリズムを追求したのが実感したしだいです。

早くも、次回のスイス行きを計画!?

2日前、氷河特急に乗ってやってきたサンモリッツのホテルをバスで出発、近くの登山電車で展望台まで登りました。今日は、今回の最終宿泊地であるルツェルンをめざします。

ルツェルン市内を観光後、湖畔に建つアールデコホテル・モンタナにチェックインしました。ミシュランで★印をもらっている、小さいながらも高級感あふれるホテルということで、部屋もえらくおしゃれな造りです。ツアー最終日の夕食、ホテルのレストランとはいえ個室で食べたのですが、従業員の接客レベルの高いのには感心しました。そういえば、客層もセレブ風というか、古きヨーロッパの香りをただよわせていました。部屋からルツェルン湖が見られなかったのはなんとも残念なかぎりです。次回泊まるときはぜひ、湖側の部屋にしたいですね。

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その「次回」ですが、私の頭の中では、いつにするか、もう決まっています。ローザンヌの近くにチャップリン博物館がオープンする2012年で、そのときは、今回ゆっくり滞在できなかったルツェルンとチューリヒ、あと、バーゼルなども加えてスケジュールを組みたいと考えています。

マッターホルンに大感動!

今朝早く、待望の、朝焼けに燃えるマッターホルンを目にすることができました。前日、頂上のすぐ手前にある展望台まで行き、間近で見たマッターホルンも、もちろん素晴らしいものでした。空はどこまでも青く、空気はかぎりなく澄みわたり、四方はすべて3000~4000メートル級の山ばかり。7月23日は悪天候のために見損ねたユングフラウまでくっきり見えたほどですから、いかに天気がよかったかということです。ただ、展望台の気温は零下5度、しかも大変な強風で、とても7月の暑い盛りとは思えませんでしたが。

さて、早朝のマッターホルンは、日中のそれとはまったく別の表情を見せます。朝日が昇り始め、徐々に高くなるにつれ表情を変えていく様子はあまりに荘厳というか、心から感動しました。マッターホルンに登る人のほとんどは、ふもとにあるツェルマットに泊まるのですが、私たちが泊まったのは、そこから登山電車で登っていったところにある山岳ホテルで、真ん前にマッターホルンがそびえ立っていました。そこに泊まったかいがあったというものです。

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さて、朝食を済ませると、ツェルマットの駅まで下ります。今日はそこから「氷河特急」です(どうやら復旧し、運転も再開されたとのこと)。5日前に大変な事故が起こったばかりですから、いくぶん緊張はしましたが、いざ走り始めると、窓外の美しい景色に目を奪われっぱなし。南部のサンモリッツまで、全行程8時間余という長い列車旅に、ツアー参加者全員、期待で胸がいっぱいという感じです。申し訳ないことですが、事故のことなど、正直、すっかり忘れていました。

途中、私たちの車両に、朝日新聞パリ支局の記者と東京からやってきたカメラマンが乗り込んできました。事故のわずか3日後に運転を再開したことに、日本国内ではけっこう批判的な声があがっていたようで、それに対する感想やら、なぜスイスに来たのかなど、いろいろ聞きたいというのです。しかも、それが7月29日の夕刊に写真入りで掲載されたようで、日本から届いた友人・知人の電話やメールでそのことを知りました。これには驚き、さっそく会社からその記事のコピーをホテル宛、ファックスしてもらいました。

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参照<朝日新聞.com>

氷河特急で脱線転覆事故が……

昨日の昼ごろ(日本時間では夜)、氷河特急で脱線転覆事故があり、日本人観光客1人が亡くなり2人が重傷を負ったというニュースを、前夜遅くにかかってきた日本からの電話で知りました。たまたま、私たちの泊まっていたホテルが、テレビどころか、ラジオも新聞もインターネットもない山岳ホテルだったためですが、今朝聞いてみると、添乗員の方も知りませんでした。私たちが氷河特急に乗るのは4日後の28日ですが、それまでに復旧・運転再開になるものなのか、なんとも気がかりです。

長年恋い焦がれていたスイスに出発!

無類の旅行好きである私にとって、スイスは、かれこれ50年近くあこがれを抱き続けてきた国です。中学生のころ、私は新聞記者、それも海外特派員になりたいと思っていました。当時、朝日新聞に、本多勝一の、海外取材をもとにしたコラムが連載されており、自分もいつかこんなことを書いてみたいなと思ったのがきっかけでした。また、NHKテレビの「海外特派員報告」という番組も欠かさず観ていた記憶があります。

この当時、私の〝行きたい国〟リストに挙がっていたのはスイス、ベネルクス3国、北欧4カ国、そしてトルコでした。それとは別に、カリブ海の島々にも強く関心を持ちました。なぜか、「○○領××」と呼ばれる地域には、ぜひ行ってみたいと。そのスイスにとうとう行くことになったのですから、興奮もひとしおです。

今回は久しぶりにツアーで行くことにしました。スイスの楽しみ方にはいろいろなバリエーションが考えられますが、ここ数年興味があったのは、列車に乗ってあちこち移動し、自然に触れ、また都市も訪れるということでした。本当なら3週間くらいかかるのでしょうが、そういうわけにも行きません。それと、列車の手配がややこしそうで、これはもう業者にまかせたほうが賢明と判断しました。そこで、人気の特急列車に乗りながらスイスの山々も楽しむ内容のツアーを選んだのです。

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アイガー、ユングフラウ、モンブラン、モンテローザ、マッターホルンなど、名だたる山々の頂上に目いっぱい近づけるなど、考えただけで身震いします。そこへ行くのに、氷河特急やらゴールデンパス特急に乗れるのですから、一石二鳥ともいえます。さて、どうなりますやら……。

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あじさい満開のお寺で心を癒す

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歌舞伎を観に行ったついでに、温泉(松本市内にある!)と花で体と心を存分に癒すことができました。松本市の中心部からクルマで30分足らず、塩尻市との境近くに、別名を「信濃あじさい寺」という弘長寺があります。山裾にある本堂の裏側に所狭しと植えられ、どれも皆満開のあじさいはおよそ1000株。

この寺のアジサイは、1980年ごろから檀家の有志が植え始めたとのことで、年々数も増えてきているそうです。とにかく、その種類の多さには驚くばかりで、訪れた人が長い期間楽しめるようにと、開花時期の異なるものが約80種類そろっています。

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江戸時代から日本のアジサイは世界的にも美しいと評判だったようで、18世紀後半からヨーロッパに伝えられ、品種改良されてから西洋アジサイとして日本に里帰りしたものも少なくありません。日本のアジサイはどちらかというと、野趣あふれる味わいがあるように思えます。色も紫だけでなく、赤あり、白あり、ピンクありと多彩ですし、名前も淡雪、紅冠雪、楊貴妃、横浪の月、雷電など、これまた多様で、大いに楽しませてもらいました。鎌倉のあじさいも有名ですが、ここらまでやってくると、人もそれほど多くないので、ゆっくり鑑賞することができます。

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弘長寺は真言宗智山派の古刹で、開基は弘長3(1263)年といいますから、750年ほどの歴史があります。それにしても、寺号に年号が用いられるというのは珍しいことです。いまでこそそれほどでもありませんが、できた当初はかなり大きな、また権威のある寺だったのでしょう。

信州松本で歌舞伎見物──街ぐるみで盛り上がる

「勝手に、街魅しゅらん」1◆松本市(長野県)

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松本市のまつもと市民芸術館で7月上旬に「平成中村座」の公演があると知ったのは6月半ば。桟敷席の一部が追加で売り出されるという記事を見かけたのです。さっそくチケットぴあにアクセスし、首尾よく2枚をゲットできました。6月の東京公演のチケットが早々と売り切れてしまったのでやむを得ず、というより喜んで遠征することにした次第です(ついでに、松本近辺の温泉でも楽しめたらしめたもの……)。

地方都市での公演ですから、東京でのそれとはかなり様相が違うようです。『信州・まつもと大歌舞伎』の場合、公演そのものは市や商工会議所などから成る実行委員会が主催、それに関連する事業を企画・運営する市民活動委員会の二つが協力しながら進める方式で、切符もぎりや場内の座席案内など、すべて市民ボランティアがおこなう仕組みだそうです。

私自身もかつて、「劇団ふるさときゃらばん」による公演に、勧進元(主催者)である「大ナゴヤ人元気会」のスタッフの一人として何度もたずさわったことがあるので、そのあたりはよく理解できます。私の場合は、劇団の元主演女優が高校の同窓同期生だからという理由だけで関わったのですが、演目が、名にし負う中村勘三郎の、それも伝統歌舞伎ではない作品(『佐倉義民伝』)ですから、ハンパなものではないでしょう。歌舞伎が好きで、勘三郎が好きで……といったモチベーションがしっかりしていなければ引き受けられないはずです。

市内では、公演期間に合わせて、会場のまつもと市民芸術館をはじめ、市の博物館、美術館、あと松本城で、この地域における義民の歴史、歌舞伎の見どころを手ほどきする、「学び」に重点を置いたイベントがいくつか展開されていました。このあたり、勉強好きの人が多い信州らしい企画といえます。しかも、すべて入場無料とのことで、行政、地元企業・商店、市民が一体となって取り組んでいるのがよくわかります。

この種のイベントを「お祭り」の一種としてとらえれば、「お祭り」なるものが人々の創造意欲をいかにかきたてるか、理解できそうです。ゼロから何かを作り上げることの喜びを共有する楽しさとでもいうのでしょうか。でも、それは、広い意味での文化に対する関心が一定レベル以上に達しているから可能なことで、毎日の生活に汲々としているだけでは、こうしたことは実感できそうにありません。それからすると、この街のレベルはかなり高いことが感じられます。クラシック音楽の一大イベント「サイトウ・キネン・フェスティバル」が毎年開催されているのも納得です(今年は8月10日~9月9日)。

今回の歌舞伎公演は7月2日から8日までの1週間、11回。その間、手ぬぐいやうちわなどの公式グッズや、酒や伝統工芸品といった松本市の特産品を販売する「村祭りの縁日」が会場の前にある大きなロビーで開かれ、チケットがない人も立ち寄れるなどというのもおもしろい試みだなと感じました。聞けば、2年前、松本で初めて「平成中村座」の公演がおこなわれたときにも同じことをしたそうです。

私たちが行ったのは楽日の7月8日(昼の部)でした。今回はクルマで出かけたのですが、市民芸術館には駐車場がないので、その斜め向かいにある美術館にとめさせてもらいました。ちなみに、美術館に敷設されているビストロのランチも、おいしかったですよ。

会場の市民芸術館は「サイトウ・キネン・フェスティバル」のメインコンサートがおこなわれる場所で、非常にユニークな設計の建物です。ホールの前方、舞台のすぐ前にしつらえられた桟敷席というのは、座イスにすわって観るスタイルで、これは初体験でした。

串田和美による演出も、集団ラップの場面があったりエレキギターの生演奏による効果音があったりと、とても斬新で、観る者を飽きさせません。公募で選ばれた市民キャスト約50人が農民の役で出演するという工夫もあります。

11回の公演で1万4千人ほどの観客が訪れたそうですが、なんとも心地よい時間を過ごすことができました。それは、上高地に近いという恵まれた自然条件だけではありません。文化を何より大切にする松本の人たちの心の余裕によるものでしょう。いまさらながら、松本の素晴らしさ、魅力を実感し、帰路につきました。