「鉄子さん」に「歴女」……。でも、「地理」だけは永遠に男のもの!?

 最近、「鉄子さん」とか「歴女」といった言葉をよく見聞きします。従来は男性しか興味・関心を示さなかった鉄道や歴史といった分野に、女性がどんどん入り込んできているようなのです。

 私自身も、鉄道や歴史にはそこそこの関心はあります。しかし、「地理」ほどではありません。そして、気がついたのですが、この「地理」の世界にだけはいまのところ女性の浸食は見られないように感じます。

 女性というのは概して旅行が好きです。私は男性ですが、旅行は3度のメシと同じくらい好きです。テレビで少しでも興味を惹かれる映像を目にすると、すぐ、どこの話なのかということが気になり、わかると、すぐにメモします。いずれそのうち、自分の目で見てみたいと思うからです。手近に置いてある地図をめくり、その場所も確認しておきます。

 小説を読んでも同じことをします。とくに、海外の翻訳ミステリーなどを読むと、もう大変です。読むときは付箋がマストアイテムですし、メモ帳やボールペンも欠かせません。許されるのなら、分厚い地図帳も用意しておきます。

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 どんな作品もそうなのですが、かならずどこかの都市やリゾート地が舞台に設定されています。だれも知らないような小さな村や町で物語が終わっているときもあれば、複数の都市、いくつかの国々にわたっている場合もあります。

 すでによく知っている都市や国でも、作品によって、登場してくる場所は異なります。レストラン、バー、ホテル、商店、警察署、道路、細い路地、公園、川、橋、湖沼、港、空港、スタジアム、倉庫街、高層ビル、浄水場、森林、……。それをいちいち確かめながら読んでいくのです。

 小説ですから、何が出てくるかわかりません。でも、海外の小説の多くは、現実の場所を舞台に設定しています。そこに出てくる店なら店、道路の名前なら道路の名前など、すべてメモっていきます。これがまた楽しくてしかたありません。

 ロンドンにサビルロー(Savile Row)というところがあります。スーツやジャケット、ワイシャツなど紳士服関係の店が軒を連ねている、ごく狭いエリアです。明治の初め、日本人が初めてスーツを目にしたとき、そういう服をお国ではなんと呼ぶのかとたずねた日本人がいたのでしょう。質問を受けたイギリス人が、「このスーツはサビルローの店であつらえたんだ」という話をしたのではないでしょうか。

 それを耳にした日本人が、スーツのことを英語では「サビルロー」というのだと早とちりしたにちがいありません。たしかに、ネイティブの人が「サビルロー」と発音するのを聞けば「セビロー」と聞こえるでしょう。以来、日本語では「背広」という言葉がスーツの名称として定着します。

 そのサビルローの一角に「ターンブル&アッサー」という老舗のワイシャツ専門店があります。ワイシャツでは世界的に有名なブランドらしいのですが、そんなことは知る由もありません。私がこの店の存在を知ったのは、1冊のミステリー小説にそこが登場していたからです。

 もう20年ほど前になりますか、初めてロンドンに行ったとき、さっそく、サビルローに行ってみました。すると、本当に「ターンブル&アッサー」という店があったのです。このときの感動といったら……。店の前に立った私は思わず店の中に入り、ワイシャツを1枚買ってしまったくらいです(もちろん、オーダーではなくレディーメイド)。

 店の人にも、なぜこの店に来たのかを、拙い英語で話しました。それを聞いて、その店員が拍手喝采してくれたのはいうまでもないでしょう(といって、特別のサービスがあったわけではありませんが)。

 こんな発見が、世界中どこに行っても味わえるのは地理好きの特権ではないかと思います。そのこと自体、経済的な価値はまったくありません。ミステリー小説に登場してくる場所がすべて、観光ガイドに出てくるところばかりではないのですから。むしろ、自力で探し当てることに楽しみと喜びがあるのです。

 女性の場合、旅行というと、買い物が楽しみなようです。それと、おいしいものを食べることでしょう。もちろん、それが嫌いなわけではありません。でも、それにこうした発見がプラスされることで喜んだりするのは、男性だけではないかと、ひそかに思っています。

 そんなことを思っている私なのですが、今日から、「鉄男」くんならぬ「地理男(ちりお)くん」を名乗ることにしよう。「地理」など、役に立つかどうかということからすれば、それこそ「塵(ちり)」ほどの価値もないでしょうが、少なくとも好奇心を満足させてくれる材料には事欠きません。