広島人にとって「その日」とは?

 8月3日から、取材で広島に来ています。今回のテーマは、「その日」を迎える広島(人)の表情を追うこと。「その日」とはもちろん、8月6日、人類史上初めて、原爆が人間に向かって使われた日(1945年)のことです。

 すでに前々日あたりから、広島市には国内各地はもちろん、世界中から多くの人たちが次々と訪れてきています。ホテルはどこもみな満杯、私も2カ月以上前に予約を入れたのですが、それでも望んでいたところは取れませんでした。「その日」の前日、夕方に平和記念公園を歩きましたが、多くの人たちが精霊流しに加わり、被爆して亡くなった15万人もの人々の霊を慰めていました。

それにしても、「その日」に対する広島人の思い入れは、部外者の思いをはるかに上まわる強さがあるように感じました。前夜、市内随一の盛り場・流川の一角で食事し、そのあと立ち寄った近くのバーのオーナーが、「うちも、おばあちゃんが被爆して亡くなりましたから。店を閉めたら、その足で慰霊祭に行きます」と、しみじみした表情で語るのを聞き、そう思ったのです。

ここでは、いま、どんな状況にあれ、身内に被爆者がいる人はだれでも、「その日」をことのほか敬虔な思いで迎えるようです。それくらい、原爆は重く、また長く人々にのしかかっているのでしょう。人々のそうした素朴な思いに「反戦思想」や「平和主義」といった言葉をかぶせるのは簡単ではあるのですが、それだけではいい尽くせない気がしました。

 今朝、朝食もそこそこに、爆心地である平和記念公園の慰霊祭会場に行ったのですが、早朝からそこを訪れている人のだれもが、いつになく真剣な表情をしていました。かの田母神俊雄・前航空幕僚長は、「あの慰霊祭は実は日本弱体化の左翼運動だ。あそこに広島県民、市民はほとんどいない。原爆被害者も被爆2世もいない。並んでいるのは全国からバスで集まった左翼ばかりだ」と述べているそうですが、少なくとも私の見たかぎり、これはひどい事実誤認のように思えます。

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色あせたイデオロギー的な言辞ほど、広島の「その日」に似つかわしくないものはありません。そして、この一点だけ取り上げても、氏の〝インテリジェンス〟の欠如がはっきり示されているのではないでしょうか。