日本人があまり行きたがらない街もいいですよ!

L1030995_2  9月29日から昨日まで、アメリカ・テキサス州のサンアントニオという街に行っていました。今回の訪米は、学生時代の先輩の娘さんがロサンゼルスで結婚式をするので、それに参加するためです。ただ、それだけではもったいないというので、以前から、一度行ってみたいと思っていたサンアントニオをくっつけた次第。

 でも、サンアントニオなんて、ご存じない方も多いでしょう。NBAのファンなら、スパーズ(spurs)の本拠地として知っているかもしれません。しかし、これが予想以上に魅力的な街でした。

L1040019_2 まず、今回初めて知ったのですが、テキサス州というのはもともと、アメリカではありませんでした。多くのアメリカ人がテキサス州のことをどこか特別扱いしているように感じられたのはそういうわけだったのです。この地域は16世紀以来、スペインの支配下にあり、1821年メキシコがスペインから独立を勝ち取ったときも、その一部でした。メキシコ政府はその開発を進めるべく、隣接するアメリカからの移民を認めたため、アメリカ人が増えていきます。しかし、彼らとメキシコ政府との間に摩擦が起こります。

奴隷制を認めないメキシコの政策に不満を感じたアメリカ人移民は1835年、メキシコからの分離をめざして反乱を起こし、翌36年、「テキサス共和国」として一方的に独立を宣言しました。これに対しメキシコ軍は、アメリカ人たちがたてこもっていたサンアントニオのアラモ伝道所(18世紀の初めにつくられた)の砦を攻撃、テキサス独立軍の守備隊189人が全滅してしまいました。これが有名なアラモの戦いです。しかし、その後もテキサス独立軍は、「アラモを忘れるな」(“Remember the Alamo”)を合言葉にメキシコ軍と戦い続けます。そして、サンタ・アナ将軍率いるメキシコ軍をサン・ハシントの戦いで撃破、将軍も捕えられたこともあって、メキシコはとうとうテキサス共和国の成立を認めました。

ところがその後、テキサスがアメリカ合衆国28番目の州として併合されたため、翌1846年、メキシコはアメリカに宣戦布告、米墨戦争が勃発します。この戦争はアメリカが終始優勢で、48年、アメリカの勝利に終わります。負けたメキシコはアメリカに現在のカリフォルニア州、アリゾナ州など、南西部をアメリカに割譲させられました。

L1040010_2  というわけで、テキサスはいまのアメリカ領土を確定する引き金になったともいえる存在で、その原点の地がサンアントニオというわけです。それほどの長い歴史があるところですから、街には、ロサンゼルスやサンフランシスコ、あるいはニューヨークなどともかなり趣が異なる、独特の雰囲気があります。

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ロサンゼルスやサンフランシスコにもスペインの香りが多少残っていますが、サンアントニオの比ではありません。メキシコというフィルターを経てではありますが、古きよき時代のスペインの空気が流れているように思えました。いまも高層ビルが少なく、それも、独特の雰囲気を保つのに貢献しているようです。その最大の目玉は、市内を流れるサンアントニオ川沿岸の遊歩道(リバーウオーク)です。リバーウオーク沿いには、こじゃれたレストランやカフェが山ほどあり、どこに行ったらいいのか、毎回迷っていました。

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なお、アメリカに併合されてからこの街を築いたのはなぜかドイツからの移民だったらしく、市の南端には、キング・ウィリアムズ・ヒストリックエリアという、19世紀にドイツ人が住んでいた屋敷がそのまま残され、落ち着いた高級住宅街を構成しています。そこでいまも営業している元製粉所の敷地内にあるレストランが印象的でした。

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