65年前、本当の戦争があった場所で

6月23日、ここ沖縄では「祝祭日」の扱いで、役所や学校は休みです。といっても、この日には「祝」の要素もなければ「祭」の要素もありません。太平洋戦争で、日本国内唯一の地上戦がおこなわれた沖縄。その最終決着がついたのがこの日で、沖縄における戦闘で亡くなった、24万人もの戦没者の霊を慰める日なのです。「戦没者」といっても兵士だけでなく、その多くは民間人であったことが、沖縄の大きな特徴です。

L1040699_2 この日を中心として、沖縄県内ではさまざまな行事がおこなわれ、人々が「戦争」に思いをはせる時期になっています。早朝から深夜まで、「戦争は絶対許さない!」という言葉をひんぱんに見聞きします。年に1回といってしまえばそれまでですが、多くの人が「戦争」について深く、真剣に考えさせられるチャンスがあるのは、ほかの都府県では見られない現象といえます。それでも、「戦争体験が風化しつつある。このままでは後世に伝わらない」と危機感を抱く人も少なくないようです。

22日に沖縄入りした私と家人は昨日、菅直人新総理も列席・挨拶をしたという式典が終わったころを見計らって、本当南部の糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園に出かけました。着いたころから雨が降り始めたのですが、この日は早朝から戦没者の遺族をはじめ、多くの人が訪れていたようで、雨を気にするふうはありません。アメリカ軍の砲弾や銃弾、火炎などを雨あられと浴びせられたことに比べればどうということない、との思いでしょう。

L1040695地元沖縄の戦没者は市町村別、それ以外の人は道府県別に、「平和の礎(いしじ)」にその名が刻まれ、どの礎の前にも多くの花束が手向けられていました。もちろん、戦前は日本の植民地だった朝鮮や台湾、樺太、さらにはアメリカ兵のものもあり、こちらの前にも小さな花輪や国旗が置いてあります。すでに65年も前のこととはいえ、実際に戦争がおこなわれた場所で、その当時の悲惨きわまりない状況を想像するのは、遠く離れた場所にいるのとでは、格段の差があることを痛感したしだい。こんなところでも、「アナログ主義」は、人間に深い影響を与えるのです。