滋賀大学経済学部同窓会で講演しました

 昨日、名古屋で講演をしました。滋賀大学経済学部同窓会(名前を「陵水会」といいます)の名古屋支部が年に一度開催する総会のゲストとしてお招きいただいたのです。

 もともと、高校3年生のとき同じクラスだったWくんから頼まれ引き受けたのですが、「同窓」という言葉の持つ意味を、改めて考えさせられました。

 感動的だったのは、参加者全員で校歌を斉唱する場面。滋賀大学経済学部は戦前の彦根高商が前身なのですが、高商時代の卒業生まで含め、百数十名が一瞬にして「学生」に戻ってしまうのですから、不思議といえば不思議です。と同時に、この学校の強烈なアイデンティティーの強さを感じました。それくらい、声に力がこもっていたのです。それらの学校とはまったく関係のない私ですら、目頭が熱くなってしまったほどです。

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 いま思うと、『不思議の国の信州人』(KKベストセラーズ刊)という本を書くきっかけになったのも、こうした大合唱でした。長野県出身者は、集まるとかならず全員で「県歌」を歌うという話を聞き、「それはおかしい、おもしろい」と思いました。当の長野県人にたずねると、「なんで? 県歌を歌うなんて、当たり前のことじゃないの」と不思議そうな顔で問い返してきます。

 「いやー。いまどき、校歌だってまともに歌わないのに、県歌ですよ。だいたい、県歌なんてシロモノがあること自体、レア過ぎでしょう」といっても、納得した様子がありません。そこで、信州には他の県にない、おかしなこと、不思議なことがほかにもまだいっぱいあるのではないかということで、取材を始めると、あるわ、あるわ。ということで、それを材料にして、本を書き上げた次第です。もう10年以上前の話です。

 大きな声で歌を歌うだけで、人間そのものが変わる──。この原理は古今東西変わらないようです。先月観たアメリカ映画の中でも、プリンストン大学の同窓生が校歌だか寮歌だかを大合唱するシーンがあったのですが、そこでも、ふだんはきちんとしたビジネスマンや公務員、学者が、酒の勢いもあるにせよ、まるで別人のような顔を見せながら、大声を出していました。

 そういえば、4月末に名古屋であった「ラグビー部創部60周年を祝う会」に集まった面々も、年齢・立場に関係なく、校歌を歌っていたっけ。その輪の中にいる自分は、もちろん高校生でした。