記念すべき「サンウルブズ」の第1戦を観戦

2016年2月27日
今年から「スーパーラグビー」に日本チーム(「サンウルブズ」)の参加が決まったのは昨年の秋。ワールドカップで見せた大健闘の余韻がまだ残っている時期でした。

「スーパーラグビー」といえば、南半球に本拠を置く16のプロチームが3つのブロックに分かれて覇を競うもので、毎年7月から8月(南半球では真冬)、プレーオフが始まるころは、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの3カ国では、各チームのサポーターのテンションもかなり高まるそうです。準決勝、決勝ともなれば、開催地のスタジアムは満員札止め、入場券もプレミアがつき、簡単に手に入らない状況になるとも。日本でもJ-SPORTSが全試合を生で中継しており、画面からも興奮がひしひしと伝わってくるくらいですから、生で観戦すればさぞかし……といった感じがします。

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オーストラリアなど、これとは別に「NRL(ナショナルラグビーリーグ)」、さらにラグビーから派生した「オージーボール」という競技もおこなわれています。また、「スーパーラグビー」が終わると、8月・9月は「ラグビー・チャンピオンシップ」。こちらは、南半球4カ国の総当たり対抗戦です。ざっくりした「ラグビー」ファンの数となると、日本の比ではないでしょう。もちろん、オーストラリアには日本と違い、野球はほとんど根づいていませんし、相撲もなければバレーボールもありません。それ故、単純に比較するのはむずかしいのですが、ラグビーだけにかぎれば、むこうのほうがはるかに先を行っています。

ラグビーファンというのは昔から、サッカーのように大衆化するのをこころよしとしない、おかしな気質がありました。サッカーは労働者、ラグビーは貴族のスポーツという、いまの世の中ではまったく理解されない“伝統”のせいもあるのでしょうが、もはやそんなこともいっていられない状況に関係者が気づいたのが1990年代。そこからラグビーは一気にプロ化し、いまではれっきとしたスポーツビジネスにもなっています。ただ、それまで長らく、大衆化を実現するための努力を怠ってきたがために、サッカーにはまったく追いついていないというのが現実です。

日本の場合、プロ化がさらに遅れを取ったのは、大学とか高校レベルでのラグビーが曲がりなりにも国民行事化(もちろん、野球の比ではありませんが)していたため。“ラグビーはアマチュアの最後の砦”といった式の考えがけっこうしつこく残っていたからです。気がついたときは、それまでさほど大きな差のなかったサッカーのはるか後塵を拝するという状況になっていました。

それでも、今世紀に入ると諸外国にならい、それまで「社会人」というくくりでおこなわれていたのを、「トップリーグ」という形でセミプロ化し、ここまでなんとかやってきました。しかし、ファンの厚さという点では悲惨で、プレーオフの準決勝、決勝になっても観客は1万そこそこ入ればいいほうでした。

そこに大きなインパクトを与えたのが「2019年のW杯開催地決定」と昨年のW杯での「南ア戦勝利」です。それによってラグビーの注目度が一気に高まり、ファンも激増しました。ところが、悲しいかな、スタジアムひとつとっても、聖地・秩父宮でさえ2万5千弱しか収容できません。高校ラグビーの聖地・花園のほうは3万人で、こちらのほうが大きいのです。

しかも、秩父宮は開催試合の数が多すぎるため、毎年、準決勝・決勝がおこなわれる1月から2月にかけての時期は芝の傷みがひどく、「よく、こんなところで最高レベルの試合をするなぁ」と、ファンも嘆くようなありさま。W杯開催を機に建て替えられることになりましたが、肝心の本番には間に合わないそうです。

ラグビー専用のスタジアムを作るには、一定数以上のファンが、継続的に観戦しに来るという見込みが立たないとむずかしいのはよくわかります。一時のブームで終わってしまっては、W杯のあとはいつも閑古鳥、維持費ばかりがかさむという事態になりかねません。そうした悲惨な状況におちいらないようにするためにも、ラグビー関係者は真剣に悩んだはずで、それが「スーパーラグビー」への参入にもつながったのでしょう。

世界レベルの試合が、日本的にはシーズンオフの時期(3月から7月半ば)に見られるとなれば、まずはコアなファンが足を運ぶはずですし、そこからさらなる広がりを見せれば、そのまわりに新しいファンも生まれてきます。最初はにわかファンであってもかまわないわけで、その心さえつかめば持続するからです。

ただ、そうした大事な時期のただ中に置かれているわりには、関係者の対応がまだ追いついていません。今日も、日本のラグビー史に大きな足跡を刻む一大イベントであるわりには、どうにもおとなしすぎる感じがしました。女性の群舞と太鼓くらいだけというのはさびしすぎるでしょう。小型飛行機でも飛ばして空からラグビーボールを投げ落とせとはいいませんが、もう少しやりようがあったように思えるのです。

スケジュールの点でも気がかりなことがあります。日本での開催は全部で5試合なのですが、5月7日と7月2日のゲームも、冬場と同じ昼間のキックオフが予定されています。5月はまだしも、真夏の7月(南半球は1月!)、それも昼間に、南半球のチームを迎えて試合をやるつもりでいるのでしょうか。「仮」のスケジュールだとしてもお粗末すぎるというか、ホスピタリティーがまったく感じられない設定です。「お・も・て・な・し」はオリンピックだけではないはず。国際試合なのですから、どんなスポーツであっても、まずはファン、そして相手チームのことを考えてあげるべきではないでしょうか。

もうひとつ、腹が立ったことがあります。こうしたハイレベルの試合ではかならずシーズンガイドとかゲーム出場メンバーを紹介したガイド(小冊子)が販売されるのですが、「シーズンブック」なるシロモノが、月刊誌『ラグビーマガジン』の付録と中身がそっくり同じだったこと。表紙だけを差し替えて売られていたのです。しかも1000円でです。『ラグビーマガジン』の4月号は付録込みで980円。いったい、なんなんでしょうか!! こういうファンを愚弄するような姿勢が垣間見えるようでは、先行きが大いに心配です。

l1060291今日の、記念すべき試合は、予想どおり「サンウルブズ」の負けでしたが、まだまだ緒戦。チーム作りも遅れを取り、選手もコーチも、そのほかのスタッフも陣容が十分整っていないという現実もあります。今シーズンは仕方ないにしても、少なくとも、来シーズンまでには十分な体制を整え、「ラグビー」にもっと光が当たるような流れを作ってほしいですね。

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これで3回目の「大人の修学旅行」

2016年2月15日
おととい・昨日と、1泊2日で「大人の修学旅行」に行ってきました。いかにもとってつけたような“エクスキューズ”を感じさせるネーミングですが、今回は文字どおりの内容。メンバーは例によって高校時代の同期生で、私も入れて6人。そのうちの1人・Yくんがたまたま江ノ島に「別邸」を購入したというので、そこに泊まらせてもらいつつ、近くの鎌倉、そしてご当地・江ノ島を見てまわろうという計画です。

13日(土)朝10時半に横須賀線・北鎌倉駅に集合。前夜までは「曇、午後から雨」という予報報でしたが、明けてみれば温かな日差しがいっぱいで、風もない、絶好の修学旅行日和です。

l1050996まずは駅から歩いてすぐの円覚寺【えんがくじ】。続いて建長寺へ。名前は知っていましたが、やはり実物はすごい! 地元に住むMくんの解説付きでの見学ですから、「なるほど」「そうだったのか」の連続。

境内のいちばん奥にあるのが「半僧坊」。山の中腹にあるので、そこまで登っていくのが大変でした。でも、お天気がよければここから富士山も見えるといいます。すぐ下には鎌倉学園中学校・高等学校の校舎とグラウンドが。たしか、堺正章とかサザンの桑田佳祐の母校ですよね。
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l1050991昼食は近くの「新とみ」で。ラーメン屋さんが本業であるにもかかわらず、なぜか寿司もあり、これがまた上出来の味。鎌倉らしさには欠けますが、あまりのおいしさにもう一皿、もう一皿と追加。もちろん、ビール、日本酒をぐいぐい空けていくメンバーもおり、けっこうな金額を使ってしまいました。

そのあと、駆け込み寺、縁切り寺だったことで知られる東慶寺から海蔵寺へとぶらぶら歩いたあと、夜に備えての買い物。といっても、自分たちで作るわけではありません。ワインやらビールやらおつまみになる食べ物をしこたま買い込みました。

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江ノ電で江の島まで移動し、初めて見るYくんのセカンドハウスに一同感動。不動産の買い物が上手なYくんですが、ここは出色の物件といった感じがします。雨が降り出す中、すぐ近くの高級ファミリーレストランに夕食へ。例によって食べるわ食べる、飲むわ飲むで、ワインを3本、空っぽに。帰るころには雨もあがり、上機嫌でYセカンドハウスに戻りました。あとは例によって、遅くまで大盛り上がり。

那覇市内に残る唯一の自然林

2016年1月31日
昨日の雨がウソのように、今日は朝から晴れ渡っています。沖縄に来るたび、どこか一つでいいから新しいスポット(観光でもグルメでも)を見つけて帰りたいと願っているのですが、今日はそれを2つクリアできました。

1つ目は、那覇市内でも一等地といっていい泉崎(県庁・市役所の近く)にあるカフェ。もともとは浦添のアメリカ人用住宅の一角で営業していたケーキ屋さんだったのですが、その後大発展したようで、大きな店舗を構えています。それもケーキだけでなく、パン全般。さらに、普通の料理も食べられるカフェに様変わりしているようです。浦添時代の面影はまったくありません。

中は広々しており、天井も高く開放的な雰囲気。朝7時半からオープンしているそうで、なるほど、ここなら気持ちよく食べられそうです。パンケーキをベースにしたブランチっぽいメニューを選びましたが、さっぱりした味わいが印象的。

そのあと、絶好のドライブ日和に敬意を表し、首里の一角にある「末吉公園」というところに立ち寄ってみました。「那覇に残る唯一の自然林」というのがうたい文句のようです。丘陵を覆う森林を利用して作られた広い公園はアップダウンの連続。「森の探検ウォーキング」などという催しがおこなわれているのも当然かもしれません。

駐車場から公園全体を見渡すと、木々がうっそうと生い茂っています。その先には東シナ海も見え、いかにも「オキナワー!」といった景色が。さっそく歩き始めると、目の前にいきなり急角度の下り階段です。「降りるのはいいけど、最後はこれだけの登りがあるんだろうな」と、不安を抱きながら歩き始めました。

すぐに遭遇したのが1本の寒緋桜。全体の半分ほどが清楚な花を咲かせており、いながらにしてお花見ができました。園内のどこかにまとまった桜並木でもあるのでしょうが、とりあえずはこの1本。でも、今年初めて見た桜に大満足です。

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階段を下り切ったあたりで、川のせせらぎのような音が聞こえてきます。ふと前を見ると石でできた橋が架かり、その下に小さな川が流れていました。安謝【あじゃ】川といい、そこから山間【やまあい】に向かっていくと、途中に滝もあります。夏に来ればさぞかし涼しく感じられるのではないでしょうか。

一度大きく下ったあとはゆるい上りがずっと続いており、「これなら最後でガックリということはなさそうだ」とひと安心。ただ、ここまで歩いてくる間、どこにも「案内図(マップ)」がないのが気になりました。どこをどう歩いているのか、さっぱり見当がつかないのです。子どもたちも来るだろうに、いささか心配になりました。もっとも、観光スポットらしい派手派手しさには欠ける場所で、来ているのは那覇市民ばかりのようでしたから、そうした心配は無用なのかもしれませんね。

相変わらず大混雑の浅草ですが

2015年3月23日

Attachment月に3回ほど通っている温熱療法のため、浅草に行きました。ここ2年ほどずっとそうですが、今日もまた大変な数の外国人でにぎわっていました。「ASAKUSA」はいまや世界的なブランドですから、よくわかります。それにしても、「VISIT JAPAN」キャンペーンは大当たりのようですね。やはり円安が利いているのでしょう。

これだけ多くの外国人が足を運んでくれるのですから、地元にしてみればなんともありがたい話です。ただ、いい場所に店をかまえて外国人観光客にも入ってもらおうというのなら、少なくとも「ENGLISH MENU AVAILABLE」を掲げ、きちんとしたものを用意してほしいなぁと思います。「いまごろになって」とか、「遅すぎる」とはいいませんが、こういう地道な手間を惜しんでいてはいけないのではないでしょうか。難しいことをたずねられても、それを見せながら、「You can read……OK?」とでもいえばいいのですから。


台湾は、どんな田舎、こんな場末の屋台でというようなところのおじちゃん、おばちゃんでも日本語がほぼOK。青い目の外国人には英語でやり取りしていました。根性が違うというか、世界中どこででも商売をしてきたCHINESEの強さを感じさせられます。


その点、日本はどうなのかなぁと心配でなりません。都会はこれから先、急速にこうした準備が進むはずです。東京都も政府も必死ですから。でも、「2020」を「東京」だけで終わらせてしまうのはあまりにもったいない話ではないでしょうか。東京で競技を観るのも目的の一つにちがいありませんが、それ以上に、「日本」全国に足を運んでもらい、いろいろな場所を観て、いろいろなことを経験してほしいと私は思います。

それには、最低限の英語がマストツールでしょう。受験英語とはまったく違う中身ですから、ちょっとトレーニングすればOKのはず。

事のついでに、公共輸送機関で使われている言葉について触れておきましょう。台湾で使われている言語は、いわゆる中国語です。当然、台北市内とその周辺を走る地下鉄MRTでも、車内には中国語のアナウンスが流れています。

ただ、アナウンスを聞いていて「ちょっと長すぎないか?」と思う人もいるのではないでしょうか。よく聞くとわかるのですが、実は4つの言語が使われています。ただ最初の3つは、その違いが歴然としているときもあれば、ほとんど同じに聞こえる場合があります。要するに、中国語のバリエーションということです。

4つの言語のうち1つ目はもちろん、台湾の公用語=中国語(北京官話)です。ただし、大陸中国とは大きな違いがあります。それは、使われているのが、漢字は漢字でも「繁体字」(日本でいう旧漢字)だということです。大陸中国では「簡体字」といって、本来の漢字をもとにして作った文字が使われています。これは、中国革命のあと、教育がまだ行き届いていない状況を踏まえ、人々がより覚えやすいようにということで、共産党政府が簡略化したからです。

2つ目が台湾語。台湾の中国人の多くは17~18世紀にかけて中国南部の福建省閩南【びんなん】地方から海を越えて渡ってきた人たちです。彼らがもともと使っていた言葉がルーツの台湾語は、日常どこでも耳にします。南部に行くと、一般市民はだいたい台湾語を使っているようです。

3つ目は客家【はっか】語といい、主に広東省・福建省・河西省から渡ってきた「客家」と呼ばれる人たちの言葉です。客家系中国人は台湾の総人口の6分の1を占めています。これがタイ、マレーシア、シンガポールあたりではなんと3分の1にもなるので、もう一大勢力といっていいでしょう。


そして最後は、ご想像どおり英語です。

ただ、最初の3つは発音こそ違いますが、文字にすると同じです。通常の会話では、文法構造や使用単語、表現方法にビミョーな差があるのですが、駅名のような固有名詞はすべて同じ。ですから、MRTでも、構内や車両、あるいは車内の表示は「漢字」と「英語」の2種類で済んでいます。

どうりで、台湾から日本に多くの人が来るはずです

2015年3月7日
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台湾に来るとかならず立ち寄るお茶屋さんがあります。忠孝復興という駅の近くにある「和昌茶荘」というお店ですが、いまの店主のお父さんのころから出入りしているので、もう20年近くのお付き合いでしょうか。今日もそこに行って凍頂烏龍茶のパックや高山茶など、買い込みました。

そのあと立ち寄った「誠品書店敦南店」(忠孝敦化駅近く)という、いま台湾全国で勢いを伸ばしている本屋さんに行きました。日本でもあちこちで真似されていますが、書店とこじゃれたカフェ、あるいは雑貨品、文房具屋、骨董品、民芸品屋、インテリア・家具、カルチャーセンターなどを複合させた、ちょっとお洒落なショッピングモールになっています。

しかも、ここは台湾で初めて24時間営業を始めた書店だそうで、宵っ張りが多い台湾神の間ではとても重宝しているとのこと。1989年の誕生といいますから、もう25年以上経っていることになります。

その書店で驚くものを見つけました。旅行ガイドの本を集めたコーナーです。そこには日本の旅行ガイドが、よくもまあというくらい数多く並べられていました。しかも、その内容たるや、精緻をきわめています。日本人でも知らない人がいてもおかしくない、かなりマニアックなところまでカバーしているのには感心しました。

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最近、東京でも沖縄でも、それこそ日本のどこに行っても台湾、あるいは中国の人の姿を見かけますが、「なるほど、こういうガイドを読んでから来ているんだ」と納得させられました。タイトルも『東京達人天書』とか『沖縄王』とか、そのものズバリといった感じです。

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Photo_3試しに、浅草の項を見てみました。「雷門」「浅草寺「仲見世通商店街」「伝法院通」「合羽橋道具街」はもちろん、有名な店(たとえば浅草今半、鮨よしだ、大黒屋天麩羅、駒形どぜう、前川、色川、犬印鞄製作所、時代屋など)、さらに「人力車」「屋形船」まで掲載されています。天ぷらで有名な「三定」の説明には「一に浅草、二に観音、三に三定」などという、私も知らないような言葉も出ていてビックリ。

銀座、浅草、渋谷、新宿、池袋、赤坂、原宿、青山、六本木といったメジャーな場所だけではありません。お台場、汐留、恵比寿、代官山、中目黒、自由が丘、下北沢、中野、秋葉原、上野、吉祥寺、築地など、渋いエリアまで漏れなくガイドされてしまっていました。どこに行っても「台湾語」や「中国語」「広東語」を耳にするはずです。

ついでに『沖縄王』のほうものぞいてみました。私の会社の分室がある「首里」の項に沖縄料理の店「富久屋」が出ていたのには、目が点になりました。国内の観光客でも、かなりの通【つう】というかリピーターでも知らないはずの店です。ここまでカバーしているとは!!! たしかに、那覇の国際通りで、夜すれ違う旅行者の3分の2は台湾、中国からの人たちですものね。なんでも、週に1回だか2回だか、クルージングの船が那覇の港に立ち寄り、3~4000人の乗客が降りるという話をタクシーの運転手さんから聞いたことがあります。そういう人たちが、先のようなガイドブックを手にしながらあちこち行くのでしょう。

本を子細に見てみると、裏表紙には香港での値段も出ていましたから、同じ内容のものが香港でも売られているわけです。大陸にも出回っているかまではわかりませんが、少なくとも北京や上海あたりでは売られているのではないでしょうか。

新宿にも中国人がいっぱい!

2015年2月20日

旧正月=春節の休暇に入った中国・台湾から、いま日本中に旅行客が訪れています。テレビや新聞のニュースで知ってはいますが、今日、新宿に行ったら、その一団に出くわしました。やはりナマで見るとすごいです。

とくに新宿3丁目から新宿駅に向かう通りの歩道には、2人連れのカップルから20人近くのグループ・団体客まで、中国のそこかしこに。両手に買い物袋をいっぱい持った人もいれば、配送にしたのか何も持っていない人もいますが、それにしてもその数の多さには圧倒されます。どの店も、外側には「?烈?迎(=熱烈歓迎)」や「?迎(=歓迎)光臨」「免税」の文字を大書したポスターや看板を掲げ、客寄せに必死のようです。

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たまたま立ち寄った伊勢丹デパート1階の化粧品売り場も、この日はほとんどが中国人女性客。どこかの学生なのか、全員が黒い制服のようなものを着ており、しかも前のエリにはバッジが。どのカウンターでも大量に商品を買っている人が目立ちました。おかげで日本の経済もうるおっているわけですから、中国人さまさまであることは間違いありません。

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ニッポン放送に出演しました

2015年2月13日

ニッポン放送の『テリー伊藤のフライデースクープ』という番組に出演させていただきました。毎週金曜日の夕方4時から5時30分までオンエアされている番組で、この日のタイトルは「県民性の不思議」。“困ったときの県民性”と私はひそかに思っているのですが、番組の企画ではいちばん無難で、しかも内容に幅があります。もちろん、リードする人の才覚にもよるのでしょうが、その点、テリー伊藤さんのようなキャラクターは適任です。


聴視者からもメールがバンバン届いていたようですし、あらかじめ済ませた打ち合わせのとおりにはまったく行かないところが面白く感じます。このあたりは、予定調和が重んじられるテレビとの大きな違いでしょう。


テレビはやはりその影響力の大きさからでしょうが、とにかく打ち合わせが綿密です。本番のときに話すネタを、事前に3回も4回も話すと、どんどんテンションが下がってきて、本番のときは、かなり面白いネタのはずなのに、話している本人も、つまらなそうな感じになってしまっています。もっとも、そこがプロとの違いなのでしょうが。


その点ラジオは、「一過性」の魅力が最大限に生きる媒体という気がします。1分前に電波に乗った話を覚えている人などまず一人もいません。だからといって言いたい放題というわけではないのですが、その場のノリやとっさのひらめきだけでどんどん進んでいくのがスリリングですし、面白いように思えます。

とりあえず当日の中身がかいつまんで紹介されていますので、下記ウェブサイトをご参照ください。

http://www.1242.com/program/terry/2015/02/13184500.html

それにしても、さすが、江戸っ子のテリー伊藤さん、進行スピードの速いこと、速いこと。驚きました。

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今年も楽しめた「BEGIN」のコンサート

2014年11月24日
昨年に続いて、三軒茶屋の昭和女子大人見記念講堂で開かれた「BEGIN」のコンサートに行きました。聴くたあびに、新しい境地を開いている感じがする「BEGIN」のコンサートはとても楽しみです。

 

昨年はブラジルの影響が大でしたが、今年はさらにハワイが加わりました。ブラジルもハワイも、日本からまた沖縄から多くの人が移民した国。現地で触れ合った日系2世、3世たちの思いが演奏・歌に乗り移っているような気がしました。彼らのオリジナル曲ももちろん支持されているのですが、実は、故郷・日本の唱歌が聴きたいというリクエストが後を絶たないようなのです。そんなリクエストに応えようと、比嘉栄昇は、その種の曲を集めたソロアルバム(『えいしょうか』)を9月に出したといいますから、よほど強烈なリクエストだったのでしょう。

 

沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」や、「赤とんぼ」「仰げば尊し」などといった曲、さらにオリジナル曲「郵便ポストに投函した日」など10曲が収められているそうです。12月には第2弾も出すようですから、楽しみですね。

 

「BEGIN」も来年でデビュー25周年だそうですから、いろいろな意味での区切りといった気持ちもあるにちがいありません。2015年の「うたの日」コンサートは、故郷の石垣島でおこなうという発表もありました。行きたいなと一瞬思ったのですが、さて、実現できるかどうか……。

 

また、今後はソロでのライブも開こうというく考えもあるようです。「3人で旅をするのは楽しいが、ソロだったらフットワークも軽くなる。待っていてくださる方の近くに行って、歌うことができたらいいですね」という比嘉の発言もあるので、それはそれで面白いステージに出会えるのではないでしょうか。

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台風の中を京都から名古屋、そして帰京

2014年8月10日
昨日夕方、京都での仕事を終えるとすぐ名古屋に向かいました。京都東インターから名神に乗ったものの、雨がひどいため新名神が一部通行止めに。そのため、ずっと名神を走らざるを得ません。今日は三重県のほぼ全域に大雨特別警報が出ていて、7日・8日に走った、県北部から中央部一帯を走る高速道路も軒並み通行止めでした。タッチの差で助かったという感じでしょうか。

養老SAあたりから渋滞が始まっていたので、大垣ICでおり、南へ下って東名阪・桑名東インターから名古屋をめざすコースに変更。これが大正解で8時前にはホテル到着できました。夜遅くになってしまいましたが、弟夫婦にも会えることに。

今日の朝、台風11号がやっと高知県室戸岬近くに上陸。時速20㎞と自転車並みだったので、とにかく時間がかかったようです。本当なら、今日は母の3回忌をするつもりでしたが、それも中止せざるを得なくなり、各自で追善回向することにしました。

まだ見ぬ本籍地を訪ねて

2014年8月6日
今日から大ドライブ旅行です。初日は、西伊豆から戻ってきた家人を三島駅でピックアップし、一路西へ移動。第一目的地は伊勢神宮なのですが、せっかくの機会なので、その前にぜひとも済ませておきたいことがありました。それは、長年、私の本籍地だった「三重県志摩郡阿児町鵜方441」を訪ねること。本籍があったにもかかわらず、生まれてこのかた、一度も行ったことがないからです。

平成の大合併で、志摩郡阿児町は現在「志摩市」になってしまっていますが、鵜方以下は変わっていないので、ナビさえあればOKのはず。名古屋から伊勢自動車道を伊勢西ICで下りて、そこから国道167号線を20kmほど走ったあたりが目的地のようです、表通りからは引っ込んだところにあるようで、探しに探し、やっと見つけました。

周囲はまだ畑や森で、住宅はポツリポツリとしか建っていません。それでも、宅地開発が始まっているらしく、土地分譲の看板がそこここに見えます。どこが「鵜方441」なのか、探し回っていると、ようやくそれらしいところにたどり着きました。

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父から聞かされた話では、祖父が戦後間もないころから、この地で自給自足の生活を営んでいたそうです。自力で畑を開墾し、そこで米や、野菜・果物など食べ物を作り、本業である絵を描く──そうした暮らし方を選んだといいます。きっとこのあたりに質素な家を、やはり自力で建て、そこに暮らしていたのだろうなと思いをはせながら見ていたのですが、心が熱くなりました。

一級建築設計士だった私の父親は、現場監理か何かがあって、たぶんこの近辺にやってくることになったのでしょう。そして、どうせならということで、しばらくの間祖父の家に厄介になっていたのではないか……。父の生前、正確な事実関係を聞く機会はなかったので、想像をたくましくするしかありませんが、そうでもなければ、こんなところに本籍があるわけがなさそうです。そして、生まれて3カ月もしないうちに東京まで戻ったといいますから、おそらくそんな流れだったような気がします。

自分の誕生のことなのに、正確なことがはっきりわからないというのも不思議ですが、そういうことをきちんと聞く機会もなかったわけで、いい加減な親子だったといわれても仕方ないですね。

鵜方訪問を済ませ、そこからクルマで15分ほどの宿泊先へ。今日は、英虞(あご)湾に面した賢島(かしこじま)にある「志摩観光ホテルクラシック」(近鉄系)。その名のとおり、1951(昭和26)年創業という古いホテルで、かつてはこのエリアの迎賓館的な存在だったそうです。現在でも、皇族方が三重県に泊まる際に利用されているといいます。建物の設計も村野藤吾ですから、それもむべなるかなでしょう。そういえば、山崎豊子作の『華麗なる一族』の舞台にもなっていましたね。

いかにもといった感じのフロントでチェックインを済ませて部屋に入ると、窓からはリアス式の海岸が一望できます。その向こうに現代的な外観の新館(こちらは「志摩か恩候補手売るベイスイート」という名称)が見えました。しかし、内装やしつらえに年季が入り格調も高い「クラシック」のほうが落ち着けそうな気がします。

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しかも、「ベイスイート」に比べ、「クラシック」のほうは値段も格安。どちらも、地元の上質な食材を活用したフランス料理が広く知られているので、料理目当てで来る客も多いとか。なかでもアワビのステーキやはこのホテルの看板メニューとして有名ですよね。

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初めてのLCC体験

2014年5月5日
沖縄から、最近流行りのLCC(ローコストキャリア)で台湾に行くことにしました。ピーチアビエーション(ピーチ航空)というANA系の会社です。沖縄・台北間は1時間半ほどなので、ビジネスクラスでなくてもいっこう気になりません。これがなんと往復で1人2万4千円ほど。GWのまっただ中ですから。これでも比較的高い運賃設定です。ハイシーズンを外せば、もっと値段は下がります。

数年前、イギリスで easyjet というLCCに乗ったことがあるのですが、乗客は人間というより荷物感覚で扱う雰囲気がありありと感じられました。ただ、easyjet はもうメジャーになっていますし、アメリカの Southwest もドイツの Air Berlin も、元をたどればLCCです。

さて、ピーチ航空です。那覇空港国内線ターミナルのすぐ隣に以前あった国際線ターミナルが一度取り壊され、2年足らずで新しいビルに建て替わったので、そちらから出発するのかと思い込んでいたのですが、これが違っていました。なんと、貨物ターミナルの一角に間借りしているような感じのLCC専用ターミナルを使っているのです。

「間借り」と書きましたが、ホントその言葉がピッタリ。天井が非常に高い倉庫の一室のようなスペースがロビーとしてあてがわれていて、そこまでは国内線ターミナルビルの前からシャトルバスで移動。もちろん出国の手続きもあるので、それなりの緊張感はあるのですが、何かいじけた感じで、「だから安いんだ」という印象を受けます。

普通のフライトのように、空港ビルと飛行機を結ぶ蛇腹の通路もありません。滑走路に停まっている飛行機の近くまで歩き、タラップを上って機内に入るというスタイルです。この日は折しも大変な雨と風で、全員が傘をさして歩く姿は、なんだかおかしな感じがしました。

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それでも中に入れば、そんなこともすっかり忘れてしまいます。最低限の飲み物は無料でもらえますし、1時間半ですから、退屈するヒマもありません。客席はフルに埋まっていて、見たところ若い人がほとんどでした。台湾に戻るお客の中には、不動産の物件情報を熱心に読んでいる人がいたりします。「富裕層」の人なのでしょう、那覇とかで投資用物件を見に行った帰りなのかもしれません。

 

朝の9時55分出発予定時刻でしたが、雨で遅れたこともあり、台北に着いたのは予定の10時20分(現地時刻)を大きくまわり11時過ぎでした。そこから、今回の第一目的地である台中へ移動します。空港からバスで高鐡桃園駅まで30分ほど、そこから鉄道(新幹線)で。

台湾には何度も行っているのですが、台中は初めて。もっとも、観光的にはそれほど見るべき場所はないようです。もう少し早ければ「桐花祭」のタイミングと合ったのですが、すでに桐の花は散ったあと。そこで1泊だけにし、明日からの日月潭がメインです。楽しみです。

ようやく片付けのメドもつき、沖縄へ

2014年2月3日
 今日から1週間は沖縄。引っ越し疲れを癒すためです。
 いつも書いていますが、沖縄の不思議さは、行っただけで気分が一新されること。仕事が佳境に入っているといきも、疲れて休みたいと思っているときも、何もしたくないというときも、とにかく「沖縄」へ。空港に降り立ったときに全身で浴びる亜熱帯の空気が心地よいのです。

 沖縄に着いた日の夕食はほとんど、県庁近くの中華料理店で食べます。この日も同じ。でも、今回は新しい発見がありました。四川風の鶏唐揚げ(「辣子鶏(ラーズーチー)」といいます)を初めて食したのです。これが、得もいわれぬおいしさ。山ほどの唐辛子の中に唐揚げの姿がかろうじて見えるというメニューなのですが、これまで一度も注文したことがなく、今回が初めてでした。

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 以前上海に行ったとき、これと同じような魚料理を食べたことがあります。唐辛子だけでなく山椒もたっぷり入っていました。日本なので、辛さの点では上海ほどではありませんでしたが、それでもかなりの辛さで、一つ口にしただけで、頭のてっぺんからは猛烈な汗が噴き出していました。

 結局、全部は食べきれず、残りは唐辛子ごとテイクアウトしましたが、これはハマってしまいそうです。

昨日、創業以来5回目の引っ越しをしました。

2014年1月17日
 

昨日、創業以来5回目の引っ越しをしました。

初が千代田区二番町(番町ハイム107号室)。次に同じ町内で、麹町駅の真上(麹町駅プラザ8F)。次が豊島区目白3丁目のヒカリハイツ3F。さらに、同じ町内のDAIGOの4F。ここまではすべてマンションかビル。そして、西池袋2丁目の一戸建。そして、今回です。

 

 10年前、豊島区南長崎に自宅を借りたのですが、家族が2人減って空室ができてしまいました。しかもそれが物置状態になっており、なんとももったいないと思っていました。一方、西池袋の一戸建ても、仕事が年々バーチャライズし、スタッフが交通費を使って、毎日決まった時間にわざわざ出勤する必要が薄れてきました。というわけで、自宅と事務所を一体化することにしたのです。

 

 上記のような無駄が省ける半面で、デメリットもあります。それは、私自身のメンタルな面ですが、公私のメリハリがつかなくなるということです。極端な話、朝から晩まで同じ格好でいることもかのうですし、それが高じると、顔も洗わない、歯も磨かない、ヒゲも剃らないという、ひどい状況におちいる恐れもあります。

 

 そうしたことにならないようにするには、自分なりのルールを決めれば済むのですが、元来がいい加減な性格ですから、果たしてどうなるか、自信がありません。まあ、それはそれ、出たとこ勝負ということで、昨年夏に、この方針を決め、事務所の荷物減らしに入りました。自宅に移れば、これまでのように、事務機器も減らさなければなりませんし、何より資料用の書籍や印刷物も大幅に減らす必要があります。書籍は4000冊は処分しましたし、不要な書類も大半は捨てました。

 

 事務所にデスクを置いていた2名の制作スタッフも、それぞれ不要な(=自宅に持ち帰れない)資料等を処分、最後はほとんどの部屋が空っぽになったしだい。逆に考えるなら、それだけ無駄なものを保管していたわけですから、物のスリム化は大成功。しかも、それが出費のスリム化にもつながるのですから、会社的には画期的なコスト減らしになります。

 

 1月16日の朝イチからスタートした引っ越しは夕方にはすべて完了。これからは荷ほどきとなりますが、さてさて、どうなることやら。気分が大きく変わり、仕事がこれまでよりはかどるようになるといいのですが。

静かでおだやか、そして何より暖かい沖縄で迎えた新年

2014年1月1日
明けましておめでとうございます!

 

新年のスタートは沖縄から。12月26日の夕方から昨日の午前中までは2人の孫(3歳と1歳)も一緒だったので、嵐のような5日間でした。先に東京に戻る孫たちを那覇空港まで送って戻ってくると、今回初めて、のんびりした時間を過ごすことができました。

 

 

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2人の孫は可愛いことこの上ないのですが、年齢が年齢だけに聞き分けがなく、しかも、大人の都合などおかまいなしに朝早くから起き、騒ぎ、散らかし、泣き、叫び続けます。こちらに来る前、家人が「これでゆっくりできるわ」などと夢まぼろしのようなことを口にしていました。内心、何を考えているのかとも思いましたが、ふだんせわしない日々が続いているので、そうありたいと願う気持ちもわからないではないので、何もいわずにいました。

 

 

夜は夕食を兼ね、以前からよく行っているライブハウス「鳩間島」へ。初めて行ってからもう6年が過ぎ、店長は息子さんに替わっている様子。ライブハウスではありますが、海ブドウ、もずくの天ぷら、ゴーヤチャンプルーなど、食事がことのほかおいしく、とても重宝しています。

 

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ライブの最後は、いつもどおり、「鳩間の港」。店のスタッフのリードで客全員が曲に合わせて踊ります。手をずっと上げっぱなしの動かしっぱなしなので、4番になると完全に息切れてしまい、手拍子だけに。久しぶりに泡盛を飲んだ影響もあるかもしれませんが。

 

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今日は今回でいちばん暖かい一日でした。初日の出こそ見られませんでしたが、天気はどんどんよくなり昼前にはほぼ快晴。気温は20度にまで上がり、しかも風もありませんから、おだやかな元旦になりました。

 

 

せっかくなので、これまでずっと行きたくて行けなかった福州園に行ってみました。琉球は中国が明の時代、福州との交流が深かったそうです。そこで、那覇市の市制70周年・福州市との友好都市締結10周年の記念事業として、1992年に開園した中国式庭園。設計から施工まで福州市の職人たちが、福州市の資材を使用して作ったのですが、 小さな園内に、三山(千山、烏山、屏山)、二塔(白塔、烏塔)、一流(閩江)など、福州を代表する風景を模したものが凝縮して収められ、独特の風情が感じられます。周囲は白壁で囲まれ、そこに一つひとつすべて異なる形をした窓があるのも印象的でした。

 

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そのあと世界遺産にもなっている識名園へ。ここは2度目でしたが、1799年、琉球王家の別荘としてつくられ、 王族の人たちの保養や中国皇帝の使者である冊封使の接待に利用されていたというだけあって、たいそう立派な庭があります。

 

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池のまわりを歩きながらさまざまな景色を楽しむスタイルの庭園ですが、池に浮かぶ島に中国風の六角堂(これは美しいです!)や琉球石灰岩でつくったアーチ橋など、中国の様式をふんだんに取り入れ、独特の味わいがあります。第2次世界大戦で園内のほとんどの建造物が破壊されたため、復元されたものですが、近くの首里城とともに、「琉球」を感じさせるスポットになっています。

 

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1年ぶりのBEGINコンサート

2013年12月22日
昨年は中野サンプラザでしたが、今年は昭和女子大・人見記念講堂でした。いまどき珍しい、全年齢入場可のコンサートということもあってか、聴きに来ている人の幅広さは屈指でしょう。それでも今年は、コンサートの中身にかなり変化が見られ、前半はソロ中心、後半がいつものBEGIN風でした。エンタテインメントの度合いは相変わらずで、それなりの成長も見られます。印象に残ったのは、リーダー比嘉栄昇の「ぼくのお師匠さんはバタやん(田端義夫)」という言葉。「なるほどなー」と感心しました。それに加えること、「レッドツェッペリンが少し」というのは泣かせます。

 

 

 

島袋優と上地等の2人で繰り広げたソロかけ合いの場面では、いまさらながらブルースの影響が強いんだと感心。沖縄だけに、本土以上にアメリカ音楽の影響がおそらく強いのでしょう。来年がさらに楽しみになりました

ほのぼのとした「尾車親方の快気を祝う会」

2013年12月21日
私が(正確にいうと、フラッシュアイデアは家人なのですが)プロデュースした尾車親方(元大関・琴風)の本『人生8勝7敗 最後に勝てばよい』の完成に合わせ、「快気を祝う会」が開かれました。出席者はなんと265人。飯田橋のエドモントホテルの大きな宴会場が、文字どおり芋の子を洗うほどビッシリという大盛会で、ホントよかったなと思いました。

 

当初は『復活力』という仮タイトルでスタートしたものの、途中、月刊誌にインタビュー記事が掲載され、その中に出てきた「人生8勝7敗」という名文句にタイトルを変えたのも正解。頸髄損傷(捻挫)という重傷からおよそ2年かけて立ち直った精神力を支えたのは、家族(奥さんと2人の子ども)の団結。精神科クリニックを開業している、大学時代の友人がいつも口にしている「病気は、家族で治すもの」という言葉があるのですが、まさしくそのとおりといった経過をたどってきたように思えます。

 

そんな闘病の様子を彷彿させるかのように、今日の「祝う会」も、会場の隅々にまでほのぼのとした空気が流れ、お歴々の挨拶も、ビジネス色がただよう通常のパーティーとは大違い。それがまた色を添える結果になったのではないかと感じました。

 

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予定を30分以上もオーバーする長丁場でしたが、いいパーティーでした。この種の会は主客一体となって成り立つものですが、やはり主人公である親方の人徳がその最大の要因でしょう。これがきっかけで、本がガーンと売れるといいのですが。

来日外国人がどんどん増えているのですが

2013年12月20日
訪日観光客が1000万人を突破。BUT……。
政府がここ数年大きな国家目標として掲げていた「訪日外国人観光客1000万人」。それがとうとう実現したと報じられました。何はともあれ、おめでたいことです。



しかし、いつもこのブログでも触れているように、けっして手放しで喜ぶことはできません。それは「お・も・て・な・し」という点では、そのレベルがかなり低いと思われるからです。たしかに、私たち日本人が外国を観光で訪れたときも、100%満足できるような「おもてなし」を受けるわけではありません。それは日本人が求める「おもてなし」のレベルが高いからですが、それと同じようなことを、海外から日本にやってきた人たちも感じるのではないかと思うのです。

 

高級レストランならフランス語のメニューがあれば十分なのでしょうが、「1000万人」といったら、ごく普通の人たちが大半を占めているにちがいなく、そうなるとフランス語などとはまず無縁。英語でさえどうかなという気がします。ただ、韓国や中国の人たちも、とりあえず「英語」の表記があればなんとかついて行けるでしょうから、せめて食事のメニューくらいはかならず英語バージョンがそろえておくのが最低限の「おもてなし」ではないかという気がします。

 

ひと月ほど前だったか、東京の通りや各種施設の名前を外国人にもわかりやすく表記しようというので、これまでの「○○ dori」を「○○ Avenue」と改めるとのニュースが報じられていました。でも、これだって、外国人から「ヤマテアヴェニュー?」とたずねられ、とっさに「山手通り」のことだと察知できる人はまだ少ないのではないでしょうか。「アラリヴァーは?」と尋ねられ、それが「荒川」だと気づくのも時間がかかりそうです。「Yamate Dori Avenue」とか「Arakawa River」というふうに表記しないとかえってわかりにくくなる、というか肝心の日本人のほうがとまどってしまうのでは……と心配になってしまいます。「六本木」を「Six Trees」とは表記しないにしても、「青山1丁目」を「Aoyama One chome」とか「第三京浜」を「The Third Keihin」などといわれたときのことを考えると、そのおかしさに気づくことでしょう。

 

街を歩いていて、外国人からいきなり「Please show me the way to the National Theater」といきなり聞かれても、平河町の「国立劇場」のことだと思う人はそうそういないはずです。こうした類はほかにも枚挙にいとまがありません。日本語の難しさといってしまえばそれまででしょうが、単純に英語にすればOKというものでもなさそうです。もともとがアルファベットではない、外国人にとってはおそらく判じ物としかいいようのない漢字・ひらかな・カタカナという3種類の文字から成っている日本語なのですから、私たち日本人がもっと悩まなくてはならないのではないかとも思えます。



これが首都高などの高速道路、バスなどになると、ほとんど野放しというか手つかず状態もいいところ。外国に行っても比較的楽にクルマで走ることのできた経験と照らし合わせてみると、どうにも心配になります。もっとも、街中を走る路線バスは、外国に行っても、同じように不親切で、そのあたりは日本だけが困った状況にあるわけではありません。



ただ、首都・東京でさえそうなのですから、これが地方の小さな都市だったりすると話はさらにややこしくなります。7年後にオリンピックを開こうという東京こそ、道路や施設の表記だけでもいいので、まずモデルになるようなパターンを確立する必要があるのではないでしょうか。

50年ぶりで訪れた犬山

2013年11月13日

高校のかなり後輩──もちろんまったく知らない相手です──から、会社のホームページを通じてアクセスがあり、講演を頼まれていたのですが、それで今日。というわけで、愛知県の犬山市に行ってきました。小学生の遠足で訪れて以来のことですから、およそ50年ぶりでしょうか。

その間に明治村という全国的にも有名な観光スポットもでき、昔とはまったく変わったのではないと思いつつ、名古屋駅前のホテルを出ました。

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市内を流れる木曽川沿いに、国宝にもなっている犬山城があります。先日脱稿した「城下町」がテーマの単行本に関連し、本当なら取材に行きたかったのですが、時間の都合でそれがかなわずにいました。でも、はからずも今回現地に足を運ぶことができ、よかったです。

そういわれれば、愛知県内にある旧城下町の岡崎や豊橋といったところは、もともと同じ県ということもあり、一度も行ったことがないことに気づきました。まさしく「灯台もと暗し」なのですが、こういうことではいけないなと反省したしだい。

犬山は「城」を観光の目玉にしようと、さまざまな試みを続けている町で、かなり意欲的。旧城下町の界隈は、電線をすべて地下化する徹底ぶりで、うまくすればフィルムコミッション的な活動も展開できそうです。

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ただ、観光地としては、名古屋からやってきて宿泊するほど遠くないのがネックかもしれません。しかし名古屋に固執せず、もっと遠くからやって来させるための工夫をすれば、なんとかなりそうな気もします。

明治村というすぐれたテーマパークもあるのですから、歴史好きの段階世代や若い人に焦点を当てることで、観光客をいま以上に増やすのけっして夢ではないでしょう。あとは宿泊施設をどう増やすか、どうビジネス的に成り立たせるか。そのあたりのアイデア勝負という気がします。

楽天が、「日本一になったぞ~!」

2013年11月3日

 

パリーグの楽天が巨人に4勝3敗で破り、日本一。最高にうれしいですね。星野監督はけっして好きではありませんが、それより何より、どうひいき目に見ても戦力的には劣っている楽天が勝ったのが気持ちいい!

田中将大を9回のアタマから投げさせたときはどうなることかと思いましたが、杞憂に終わりました。ヒット2本を打たれたものの、3つのアウトをきっちり取って、役目を果たしましたから。

先発の美馬やリリーフに立った則本も浮かばれました。嶋のリードも冴えに冴えていましたし、銀次のガッツあふれるバッティングもすべて実ったのですから、ファンにとっては最高の幕切れといえます。

それでも巨人ファンがまだまだ圧倒的多数を占めている日本のプロ野球はやはり遅れているのではないでしょうか。

いつもいうのですが、人口が日本の2倍のアメリカには32チームの野球チームがあります。日本の12チームは、どう考えても少ないとしかいいようがありません。

アメリカには野球以外に、メジャーなものだけでも、アメリカンフットボール、バスケット、アイスホッケーという、全部で4つのプロスポーツがあるのですから、見かけ以上の差があるのは明らかです。

新潟のアルビレックスが地域に根ざしたプロスポーツをめざし、サッカー、野球、バスケットの世界で地道な努力を続けていますが、ほかにそういう都市はまだありません。

アメリカと比べてみるとよくわかると思うのですが、日本には人口40万を超える都市が47(50万以上でも28都市)あるのですから、それぞれ1チームずつ(野球とサッカーで棲み分けも可能)あってもおかしくはないはずというのが私の正直な思いです。

きょう日のトレンドからすれば野球よりサッカーでしょうが、それも近ごろは観客数の減少がひどいようで、2シーズンのような、ワケのわからないアイデアが出てきたりしています(考え直すことになったようですが)。

プロのチームを経営するほうもするほうなら、楽しむ側も楽しむ側というか、要するにまだ未熟なのです。

楽天の日本一が、そういう「野球は巨人」的な考え方にとらわれている日本人の、プロスポーツに対する考え方にそろそろピリオドを打つきっかけになればいいのですが、やっぱり無理でしょうねー。

「判官びいき」などというのは、悪い意味での「島国・日本」でしか成り立たないのではないかと思います。

まだまだ分厚い、オールブラックスの壁

2013年11月2日

ラグビーのジャパン対オールブラックス(NZ)のテストマッチを観戦しました。

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2年前のワールドカップの予選プールで対戦して以来の対戦ですが、短い間にジャパンが長足の進歩を遂げたのが感じられ、とてもうれしかったです。

 

 

とはいっても、まだまだ手が届くところではありません。

しかし2年前のオールブラックスにとって「赤子の手をひねる」ような相手だったのに比べれば、中学生くらいのレベルには成長したのではないでしょうか。

 

 

それにしてもオールブラックスはまったくスキがないというか、したたかというか、どんな形容詞を並べ立てても表現できない、ほとんど神様のようなチームです。

 

 

 

そのオールブラックスを相手に、最初の20分間と最後の5分間は「おーっ」と思いました。ドラマチックだったのは最後の5分間ですが、これは一方的に負けているほうが最後に来て必死になることでよく見られるシーンなので、驚くにはあたりません。

 

 

Photo_3 ジャパンの成長を実感させられたのは最初の20分間です。気合いが入っていたこともあるでしょう。

 

ワールドカップのときは、戦う前からもう小さく見えましたが、今回はそういう印象はありませんでした。低いスクラムで相手を押し込みボールを奪うこともありましたし、相手が密集に寄ってくるより一瞬早くパスを回す場面もありました。

互角というと語弊があるかもしれませんが、NZに「これは2年前とは違うぜ!」という印象を持たせるに十分な内容でした。

 

 

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それでも、NZのあげたキック(ハイパント)を日本がキャッチし損ねた一瞬を逃さずボールを奪い取り、あっという間の初トライ。そのあとNZの反則で得たPGを2本決め、7対6になってからは、NZの真剣度は一気にアップ、結局は地力の差がそのまま数字にあらわれた(54対6、NZの8トライに対しジャパンはPG2本のみ)のではないでしょうか。

 

タックルのあとのブレークダウン(ボールの争奪)ではやはり後手にまわってしまうのがいちばん大きい差のように思えます。それでも、ときおり見せてくれた連続攻撃は2年前にはほとんどなかっただけに、その分は成長したといえるでしょう。最後の5分間の攻防も見ごたえがありました。

 

 

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でも、いちばん印象に残ったのは、絶対にトライを取らせまいとするオールブラックスの強烈な執念です。大学生でただ一人出場したウィングの福岡がゴール左隅に飛び込む寸前、2人がかりでラインの外に押し出したタックルのすごさは、さすがとしかいいようがありません。 

 

でも、なんだかこれからがとても楽しみになりました。日本でのワールドカップ開催は2019年ですが、まずは2年後のロンドン大会で、予選プールを勝ち上がれるかどうか。それが実現すれば、19年の大会もかなり期待できそうです。

 

今日観戦した20454人のファン全員がそう思ったことでしょう。

日本銀行を大人の社会見学

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2013年10月31日

1カ月半ほど前でしたか、新聞で「日本銀行の見学ツアー参加者募集」の記事を見つけた家人が「行ってみない?」と提案してくれました。もちろん即座に了解し、インターネットで申し込んだところみごと当選。

 

なんでも、ガイドツアーというのは1年に1度しかないらしく、けっこうな人気だそうで、私たちは今日がその日です。

日本橋の三越本店に買い物に行ったときに目にはするものの、実際、その敷地・建物に入るのは初めて。集合時間より15分も前に行ったのに、もう100人近い人が集まっています。

3つのグループに分かれ、それぞれ決められた順序で見学するのですが、貴重な経験になりました。1億円の札束のボリュームも初めて体感し、想像以上の重さにびっくり。
いうならば“大人の社気見学”ですが、まだまだ知らないことがいっぱいあることを改めて自覚し、やはり長生きしなくては……と思ったしだい。

とりあえず、ガンを“卒業”!

2013年10月30日

5年前の6月に発見され8月に手術した胃ガン。

術後の経過を観察する規定の期間が過ぎ、その最終検査の結果が今日出ました。

担当に医師から告げられたのは「再発・転移の心配はない」ということで、とりあえず無事“卒業”です!

自分自身の体では、たぶん大丈夫だろうとは感じてはいましたが、やはり医師から太鼓判を押されるまでは、思い込みといわれても仕方ありません。

でも、実際に太鼓判を押されれば、文字どおり天に昇るような気持ちになるものです。

医師も、今日はそうしたことを告げる担当患者が私で2人目ということで、声もはずんでいました。そういう日はありそうで、なかなかないのだそうです。

もちろん、この日を迎えられたのも家人をはじめ、家族やまわりの人たちのおかげで、病気は本人ひとりだけではけっして治せないということを痛感します。

なかでも、37年連れ添った家人のサポートにはただただ頭が下がるばかり。

心から「ありがとう!」を叫びたい気持ちです。

これから先どれだけ感謝しても感謝しきれません。

激しい夕立の中で盛り上がった「琉フェス」

2013年7月14日
それはいまから42年前の1971年7月17日、いまの東京ドームがあるその場所にあった後楽園球場を思い出させました。猛烈な雷雨に雹【ひょう】まで落ちてくる中、GFR(グランドファンクレイルロード)の野外ライブコンサートがあったのです。ロングヘアー、Tシャツ、ジーンズという観客が9割かた。グラウンド上に設けられたアリーナ席にいた人はもちろん、スタンド席ももう全身びしょ濡れになりました。“wet to the skin”とはまさにこのことかと納得。それより、メンバーの楽器や、特設ステージに所狭しと置かれた音響機材にいつ雷が落ちるのではと、正直怖かったです。

GFRのときは観客が4万人だったことを思えば、今夜の「琉球フェスティバル」@日比谷野音の4千人はちゃちい感じもしますが、雷鳴の怖さはまったく同じ。始まって1時間を過ぎたころから30分ほど続いたでしょうか、それほど凄い降りでした。ただ、だれ一人帰る人はいません。この季節の野外ライブですから、皆カッパやポンチョ持参。上半身が濡れるのはなんとか防げたのですが、足もとは完全アウト。靴の中までびしょびしょになりました。半月ほど前の「うたの日コンサート」とは対照的な天候ですね。

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でも、オープニングの「きいやま商店」も、「よなは徹」も「大工哲広」も「パーシャクラブ」も、ずぶ濡れの私たちを十分に楽しませてくれました。また、途中、元世界フライ級チャンピオンの具志堅用高も飛び入りで、盛り上げに貢献しました。相変わらずのとぼけたキャラが冴えていました。Photo_3

さえなかったのは、12年ぶりの登場という触れ込みだった、沖縄音楽界の大立者「的」存在「喜納昌吉+チャンプルー」。もう彼の時代は“終わった”というのが実感です。トリだったのですが、観客のノリもいまイチ。あれだけの豪雨にもめげずにいたのに、「喜納昌吉」には水を差された感じで、テンションが下がってしまった人が多かったように感じます。

去年までは正真正銘の大立者「登川誠仁」がいたのですが、今年3月、帰らぬ人になってしまったため、トリにふさわしいミュージシャンが正直いなかったのかもしれません。「大立者」と「大立者的」とではやはり違います。来年からは、構成というか、ステージメイクの考え方を少し改める必要があるかもしれません。でも、サラ・ブライトマンよりは楽しめましたよ!

今年初めての「しんこ」食べましたよー

2013年7月11日
小肌の稚魚、新子を食べました。ここのところ夢にまで出てきていたので、うれしかったこと。ほぼ初物だったようで、頭の先からしっぽの先までの大きさが、小指の長さの半分くらい。握り一貫に3枚載せてもらう。数あるすしネタの中で、お寿司屋さんがいちばんこだわるのだそうです。私も、その存在を知ったのは、今日食べた池袋の寿司Mです。

今年は2年ぶりで江戸前のものが入っているそうです。江戸前が不良のときは三河湾(愛知県)の三谷【みや】のものを使うといいますが、やはり江戸前がいちばんというのは大将の弁。

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でも、新子は寿司職人泣かせのネタなのだそうです。身の丈3、4センチほどしかないいのに、小骨を抜き取る手間は小肌と同じ。大きさによって締め方も違うようで、その按配がえらく難しいようですが、それだけに、客にはたまりません。新子3枚をのっけた握りを、2カン行ってしまいました!

“高級学芸会”に行ってきました!

2013年7月4日
沖縄の「うたの日コンサート」の感動がまださめやらずにいる今日。サラ・ブライトマンの日本公演に行ってきました。有楽町の東京国際フォーラムAホールですから、お客の数は3、4000人でしょう。チケット代は15000円! 追加公演もあったくらいですから、たいした人気のようです。家人が「1回、聴いてみたい」というので、好奇心の旺盛な私としても、行かないわけには行きません。

歌は素晴らしかったです。オペラ歌手出身ですから、声域が広いのは当然にしても、透明感のある、それでいて奥行きも十分な声は、日本人にはなかなか真似できないかもしれません。

ただ、正直いって、サラ・ブライトマンという名前はよく耳にしていましたが、顔は知りませんし、何を歌っているのかも知りませんでした。2007年の大阪・世界陸上のとき開会式で絶唱していた歌手だということを知ったのもずっとあとの話で、関心のない歌手の典型的パターンですね。

なんでも1991年の紅白歌合戦に出て『オペラ座の怪人』のナンバー「ミュージック・オブ・ザ・ナイト」を歌ったそうですし、翌92年のバルセロナオリンピックの閉会式ではスペインのオペラ歌手ホセ・カレーラスとのデュエットで公式テーマ曲『アミーゴス・パラ・シエンプレ』を歌ったといいます。テレ朝のサッカー関連の番組でも、彼女の歌った曲のメロディーが使われていますし、2008年の北京オリンピックの開会式でも大会公式テーマ曲を歌いましたし、09年のNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』の主題歌も歌っているとのこと。なのにほとんど何も知らない私はよほど鈍感だったのでしょう。

でも、でも、です。エンターテイナーとしてはどうかなと思います。最初から最後までずっと目をつぶって聴いていても、まったく問題ありません。バックにCGを駆使した映像がバンバン出てくるのと、光のページェント風の照明がその一端を担っているのでしょうが、私のように興味なければ、それもたして意味はありません。とにかく、彼女自身の動きがほとんどないのです。

舞台に出てくるときは両手を肩の高さで開いた姿。歌うときは片手にマイクを固定。MCも「トウキョウノミナサン、コンバンワ。ニホンニコレテシアワセデス……」だけで、ほとんどなし。最初から最後まで歌だけでしたから、彼女の声のファンにとっては大満足のステージなのでしょうが、私にはちょっと……という感じでした。ひいきにしている人には申し訳ないいい方ですが、正直、“高級学芸会”といった趣き。

客層は、はっきりいってお金持ちそうな感じの人が多いです。若いチャラチャラした風にの人はほとんど見かけません。団塊の世代で、最前線からは引いて時間もあって、ふところにも余裕がある人たち。グッズもえらく売れていました。彼女の公式ウェブサイトに世界ツアーの予定が出ていたので、のぞいてみました。アジアからスタートしてアメリカ、カナダ、メキシコ、そして12月の南米までビッシリ。しかも、チケットもよく売れています。でも、つい5日前に心ゆくまで楽しんだ「うたの日」コンサートのほうが、エンターテインメントとしてははるかに上出来です!

歴史的なウェールズ戦は、残念、テレビ観戦

2013年6月16日
「歴史的瞬間」をナマで体験するチャンスを逃してしまいました。仕事が立て込んでいて、というか〆切に迫られている事情で、息抜きもままならいため、観戦に行くつもりだったラグビーのウェールズ戦@秩父宮。予定表に。今年の2月あたりに書き込み、ずっと青字(「確定していない」の意)だったのですが、とうとう3日前にdeleteせざるを得ませんでした。

結局、テレビで観ることになってしまったのですが、なんと、勝ちました。23対8の快勝で、ウェールズ相手では1973年の初対決以来ですから、40年間かかったことになります。また、SIX NATIONS(6カ国対抗)に属する国相手の「テストマッチ」で勝利したのは1989年のスコットランド戦以来のことですから、すごいことです。

その前の週、大阪・花園での試合もあと一歩だったのですが、PG(ペナルティーゴール)を2本も外してしまい。勝てずに終わってしまいました。それを1週間で修正しての勝利ですから、やはり価値があります。こんどのヘッドコーチ=エディー・ジョーンズの腕がいいのか、選手たちの力が着いてきたのか、それともメンタルな面が成長したのか、それはこれからおいおいわかるのでしょうが、ともかくも、おめでとう! です。

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たしかに、ウェールズのメンバーは“1・5軍”ですし、気候的にも日本独特の蒸し暑さの中という優位さはあったものの、スクラムハーフの田中の動きは素晴らしい物がありました。さすが、日本人ただ一人スーパーラグビーでプレーしているだけのことはあります。田中の果敢な動き、とっさの判断力はやはり「スーパー」で、それに引っ張られるかのように、ほかの14人も動く感じです。それに、イージーミスが減っています。5年前、そして去年のワールドカップのときのように、そこを衝かれて相手に逆襲されるとなす術もなくやられっ放しということはありませんでした。

何より「変わったな」と思わせるのは、チーム全員が声を出していたこと。テレビを通じてでさえ、かけ声が聞こえていましたから、コミュニケーションがよく取れているのでしょう。ですから、15人が1本の糸でつながっている感じがありありと伝わってきました。このまま伸びていけば、もっと強くなれそうです。観客も21062人で、2004年以降の代表戦では最多。あーあ、その1人になれなかったのはホント残念!(写真はサンケイスポーツHPより転載しました)

やっぱり強い村上幸史!

2013年6月9日
 昨日は調布にある味スタに行ってきました。日本陸上選手権の観戦です。世界陸上は何度も観ているのに、日本陸上は初めてというのが、自分でもおかしな気がします。

L1060238  ヤリ投げと男子100メートルの決勝がお目当てですが、同じことを考える人はいっぱいいるようで、観衆はなんと1万7千とか。国内でこれだけ多くの人を集める陸上の大会もそうはないのではという気がします。やはり強い選手が出れば、観に来る人も多いということです。100メートルは日本人初の9秒台が期待される桐生祥秀が出場するというので、S席は大会前に売り切れだとか。といっても、S席自体、150ほどしかないそうです。しかも、その値段も3千円。

 でも、日本陸連も弱気だなという感じがします。いくらこれまでたいした数の観客しか集まったことがないといっても、ちょっと自信なさすぎではないでしょうか。同じ地平で比べるのはかわいそうなきもしますが、世界陸上など、S席から売れ始め、値段も日本円で3~4万円です。

L1060237  さて、気温は多少高いものの、湿度はそれほどでもなく、天気も晴れに近い曇りという、陸上としては絶好のコンディション。今回は、洛南高校(京都)3年生の桐生祥秀が大注目。ゴール近くには100人近いカメラマンが陣取って「その瞬間」を待ち受けていましたが、残念ながら10秒25止まり。優勝はロンドンオリンピックにも出た山縣亮太(慶應大)で10秒11でした。9秒台なんて、そんな簡単に出るものじゃありませんからね。

L1060248 L1060249 ヤリ投げも、ベテランの村上(32歳)が、ここのところ急上昇のディーン元気(早稲田大)を抑え堂々11回目の優勝。6投目での逆転勝利でした。投てき種目は、若さだけでは勝てないのがよくわかります。今日のハンマー投げで日本選手権19連覇を達成した室伏広治も38歳ですからね。でも初優勝は20歳のときということになるので、その非凡さがよくわかります。どちらも、世界陸上が楽しみです。

広島へ。たった10カ月の間に大変化

2013年5月20日
 昨日夕方早く、広島にやってきました。市内でおこなわれる「八丁堀シンポジウム」にパネラーとして参加するためです。Mtfuji20130519_2 東京を出て名古屋まではえらく好天で、新幹線の車窓から富士山がくっきり見えました。なぜか、富士山を見ると興奮してしまう──これはもう日本人の習性でしょうか。

 さて、シンポジウムの会場は「八丁座」。広島の中心部にある老舗デパート福屋の8階、全国でもおそらく唯一の、デパートの中にある映画館です。映画館といってもそんじょそこらのそれとは違います。だいたい、地方都市で中心商店街に映画館があること自体、画期的です。

Hattyouza2_3  近ごろ、映画館といえばちょっと郊外にあるシネコンというのが通り相場ですから。地方都市になればなるほどその傾向は顕著で、それが若い人たちの映画復帰を実現したのもまちがいないのですが、ただクルマで行って帰ってくるというのでは、なんだかさびしい気もします。古い考えなのかもしれませんが、映画というのはやはり、それプラス食事とかお酒とか、もう少し色気があってもいいのではないかと思います。

 こんな映画館をつくったのは地元・広島の蔵本順子さん。まわりからは「素敵な暴挙」ともいわれたそうですが、新しいことに躊躇なくチャレンジする、初めてのことへの挑戦が大好きという広島人の面目躍如といっていいでしょう。昨日のシンポジウムはその蔵本さんもパネラーのお一人でした。

  八丁座のシートはとにかくゆったり(幅85センチ、畳半畳分の大きさ)した造り。ソファー総張仕様と木肘仕様という2つのタイプがあり、最後部には、スタンドバーのような雰囲気のカウンター席、グループで観られる畳席もあって、それだけでまず驚きます。

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Hattyouzaroby  内装もユニークです。日本アカデミー賞最優秀美術賞を2度受賞した広島市出身の映画美術監督・部谷【へや】京子さんがデザインを担当、「江戸時代の芝居小屋」をイメージしたというだけに、東映京都撮影所から譲り受けた襖【ふすま】絵や実際の映画で使われた行燈などの小道具もあしらわれたりしていますし、スタッフも半纏を着ており、非日常の気分がふんだんに味わえます。

 そんな会場で、もうお1人、広島国際学院大学社会学部長の迫勝則さんの計3人で「八丁堀」をテーマにお話しさせていただいた次第。銀幕をバックにしたステージが造られ、そこにすわったのですが、聴衆がああまでゆったりすわっているのを見ると、とてもうらやましく思います。

http://www.mecsumai.com/hatchobori/event.html

L1060226_2  終了後、『広島学』の取材で大変お世話になったNさんと、えびす通りの「忠茶【ただちゃ】」という居酒屋へ。日曜日は休みなのですが、Nさんと懇意ということでわざわざ開けてくれたそうです。「ねぶと(天竺鯛)」「よりエビ」の唐揚げ、焼きカレーなど、お店の名物を次々出してくださり、どれもみな感激の味ばかり。一発でファンになってしまいました。

Dassai  山田錦でない、普通のコメでつくった日本酒もよかったですし、その後飲んだ獺祭【だっさい】の米焼酎(大変なレアもののようです!)がまたまた捨てがたい。焼酎とはとても思えない香りが、アルコール度の高さ(33度)をまったく感じさせません。

 「ねぶと」というのは初めて口にしましたが、身の丈8~10センチにしかならない、鞆の浦特産の小魚だそうで、頭を落とした身だけを揚げたもの。そのサクサク感たるや、ほっぺたが落ちそうになります。

 〆にいただいたのが「鉄皿焼きカレー」。見た感じはグラタンかピザのイメージ。実際、チーズがたっぷり乗っかっていて、カレーは隠れてしまっています。ところが口にすると、中はころあいに混ぜたカレーライス。その心地よい辛さが舌を覆います。あとはもう一気。

L1060231_2 それにしても、たった10カ月来なかっただけというのに、市内の変わりようには驚きました。駅前の再開発が始まっていましたし、八丁堀のデパート天満屋が撤退し、その建物にはヤマダ電機、ユニクロ、丸善+ジュンク堂さんが入っていました。近ごろ、街の変化のスピードは、ホント早いです。

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新装歌舞伎座のこけら落とし

2013年5月17日
Photo_8  新装成った歌舞伎座のこけら落とし公演に行ってきました。以前の歌舞伎座の外装はほぼそのまま残し、それをすっぽりと覆うように「カブキザタワー」という高層ビルが建っています。地下鉄日比谷線の東銀座駅から直で上がれるのでえらく便利なこと。そのため地下のホールが新しくでき、弁当屋さんやおみやげもの屋さんなどが入っています。Photo_9
 こけら落としのせいでしょう、演し物は別段どうということのない有名作品ばかりのようで、私たちが観たのは『鶴亀』という踊りと、『菅原伝授手習鑑 寺子屋』『三人吉三巴白浪』。メインは「寺子屋」ですが、初めて観る者にとっては筋書きと首っ引きでないとよくわからない面倒な作品で、ちょっと退屈してしまいました。20130520205057125_0001

 それを救ってくれたのが、軽い昼食にと買い求めた大阪は新世界(恵比須町)にあるグリル梵【ぼん】の「ビーフヘレカツサンド」! ハーフサイズで下が、これがウワサどおりのおいしさで、大満足でした。一度、大阪の本店でお皿に乗っかったヘレカツサンド、豚カツやらハヤシライスを食べてみたいものです。

 『三人吉三』は名セリフが出てくる場面で、これは菊五郎、仁左衛門、幸四郎という豪華な顔ぶれがそろい、さすがという感じです。

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母校ラグビー部が、な、なんと「全国」大会に出場!

2013年4月3日
 今日は母校・愛知県立明和高校のラグビーの試合を観戦しました。場所は埼玉県の熊谷スポーツ公園にあるラグビー場です。明和高校がなんと、「全国高校選抜ラグビー」に出場、予選リーグの最終試合が今日だったのです。

Dsc02320  創部以来60年余の歴史で初の快挙ですから、見逃すわけにはいきません。対戦相手は宮崎県の高鍋高校。試合開始直後、モールを押し込んでトライを奪ったものの、その後はさっぱりで、後半20分まで7対10でリードを許していました。後半など、風下(風速20メートル近い強風でした)であるにもかかわらず、ほとんどずっと攻めっぱなしだったのですが、肝心のところでイージーミスを犯してしまい、このまま負けたら、監督からこっぴどく叱られるだろうななどと、あらぬことまで考えていました。

Photo_3 それが残り10分のところでモールに持ち込み、押すは押すは。あっという間に25メートル近く押し込んで相手ゴール前に。それをやっとのことでものにし、ポスト下にトライ。ゴールも決めて14対10とし、そのまま逃げ切りました。

 勝つには勝ちましたが、けっしてほめられる勝ち方ではなく、監督も試合後、スタンドで声援を送っていた私たちに「お粗末な試合ですみません」などと、謝っていましたが、でも勝ちは勝ち。初めての全国大会で予選リーグ(全部で8組)の2位(2勝1敗)だったのですから、まあよしとしましょう。

 選手たちもタフな試合で疲労困憊の様子でしたが、勝ちな何にも勝る疲労回復剤。さわやかで、うれしそうな顔をしていました。それを目にした私も一緒に喜ぶことができました。何はともあれ、おめでとう!
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