まだ見ぬ本籍地を訪ねて

2014年8月6日
今日から大ドライブ旅行です。初日は、西伊豆から戻ってきた家人を三島駅でピックアップし、一路西へ移動。第一目的地は伊勢神宮なのですが、せっかくの機会なので、その前にぜひとも済ませておきたいことがありました。それは、長年、私の本籍地だった「三重県志摩郡阿児町鵜方441」を訪ねること。本籍があったにもかかわらず、生まれてこのかた、一度も行ったことがないからです。

平成の大合併で、志摩郡阿児町は現在「志摩市」になってしまっていますが、鵜方以下は変わっていないので、ナビさえあればOKのはず。名古屋から伊勢自動車道を伊勢西ICで下りて、そこから国道167号線を20kmほど走ったあたりが目的地のようです、表通りからは引っ込んだところにあるようで、探しに探し、やっと見つけました。

周囲はまだ畑や森で、住宅はポツリポツリとしか建っていません。それでも、宅地開発が始まっているらしく、土地分譲の看板がそこここに見えます。どこが「鵜方441」なのか、探し回っていると、ようやくそれらしいところにたどり着きました。

L1090986
L1090987


父から聞かされた話では、祖父が戦後間もないころから、この地で自給自足の生活を営んでいたそうです。自力で畑を開墾し、そこで米や、野菜・果物など食べ物を作り、本業である絵を描く──そうした暮らし方を選んだといいます。きっとこのあたりに質素な家を、やはり自力で建て、そこに暮らしていたのだろうなと思いをはせながら見ていたのですが、心が熱くなりました。

一級建築設計士だった私の父親は、現場監理か何かがあって、たぶんこの近辺にやってくることになったのでしょう。そして、どうせならということで、しばらくの間祖父の家に厄介になっていたのではないか……。父の生前、正確な事実関係を聞く機会はなかったので、想像をたくましくするしかありませんが、そうでもなければ、こんなところに本籍があるわけがなさそうです。そして、生まれて3カ月もしないうちに東京まで戻ったといいますから、おそらくそんな流れだったような気がします。

自分の誕生のことなのに、正確なことがはっきりわからないというのも不思議ですが、そういうことをきちんと聞く機会もなかったわけで、いい加減な親子だったといわれても仕方ないですね。

鵜方訪問を済ませ、そこからクルマで15分ほどの宿泊先へ。今日は、英虞(あご)湾に面した賢島(かしこじま)にある「志摩観光ホテルクラシック」(近鉄系)。その名のとおり、1951(昭和26)年創業という古いホテルで、かつてはこのエリアの迎賓館的な存在だったそうです。現在でも、皇族方が三重県に泊まる際に利用されているといいます。建物の設計も村野藤吾ですから、それもむべなるかなでしょう。そういえば、山崎豊子作の『華麗なる一族』の舞台にもなっていましたね。

いかにもといった感じのフロントでチェックインを済ませて部屋に入ると、窓からはリアス式の海岸が一望できます。その向こうに現代的な外観の新館(こちらは「志摩か恩候補手売るベイスイート」という名称)が見えました。しかし、内装やしつらえに年季が入り格調も高い「クラシック」のほうが落ち着けそうな気がします。

Dsc_0309

しかも、「ベイスイート」に比べ、「クラシック」のほうは値段も格安。どちらも、地元の上質な食材を活用したフランス料理が広く知られているので、料理目当てで来る客も多いとか。なかでもアワビのステーキやはこのホテルの看板メニューとして有名ですよね。

1421718346141
1421718349480