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『96時間 レクイエム』

2015年1月13日

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大好きな『96時間』シリーズの、たぶん最終版ではないかと思われる『96時間 レクイエム』を観ました。主役はいつもと同じリーアム・ニーソンですが、今回はいきなり別れた妻が殺されてしまうところから始まります。

  

せっかくこれまで何度も命がけで救ってきたのに……と、一瞬ガクッと来るのですが、それが今回のベース。相手役は、娘キムのマギー・グレイス。でも、それより存在感があったのがフォレスト・ウイテカーです。『大統領の執事の涙』『ケープタウン』で、どちらも、味のある主役を演じている黒人の俳優が今回も渋い刑事役を演じていました。

 

『レクイエム』の舞台がロサンゼルスというのも新鮮でした。これまでのパリ、イスタンブールと違って、カーチェイスがよく似合いますし、別れた妻が殺されるという暗さを思わず忘れさせてくれます。終わりには小さなどんでん返しもあり、素直に楽しめました。アメリカでも興行成績は好調だそうです。

インド映画最大のヒット作『チェイス!』

2015年1月8日
2014年にインドで公開され、『きっと、うまくいく』(2009)を抜いて、史上最高の興行成績(日本円にして約47億円だとか)を記録したのが『チェイス!』です。アメリカでも全米週末興行ランキングで9位にランクされたアクションエンタテインメント作品ですが、そこには深い人間ドラマが描かれていました。

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2カ月ほど前、どこかの映画館でチラシを見たときはいまイチ食指が動きませんでした。ただ、主演が『きっと、うまくいく』のアーミル・カーンだったので、見逃して公開しては……との思いがきざし、急きょ観に行った次第。

よかったです、観て。ストーリーは省きますが、シカゴ市内を縦横無尽に走り回るカー(&バイク)アクションだけでも一見の価値ありでしょう。強烈にアクロバティックな「chase(チェイス)」の迫力ときたら! それもこれも、主人公がサーカスの団長ゆえのこと。冷静に考えると荒唐無稽な感じもなくはないのですが、それより天衣無縫といったほうが正確かもしれません。

インド映画の専売特許といもいえる「集団ダンス」も、昔と違い、適切な場面で適切に出てきます。これなら、日本人もアメリカ人も納得できるのではないでしょうか。

気になったのは、予告編でやっていた『ミルカ』です。タイトルの「ミルカ」とは、アジア大会男子400メートルで1958・62年と2回連続で金メダルを取った実在の選手(ミルカ・シン)の名前。その数奇な運命を描いた作品のようですが、「シン」という名前は、子どものころから強烈に私の頭に焼きついています。

昔から、ターバンとヒゲがトレードマークというのがインド人のイメージですが、ターバンを巻くのはインドの中でもシーク教徒だけ。彼らが多く住む北部のパンジャブ州(すぐ西隣はパキスタン)には、「シン」という苗字がとても多いようです。そういえば、かつてプロレスで活躍したタイガー・ジェット・ソンもこのシーク教徒でした。

1947年8月、イギリスのインド植民地解体に際し、当初の筋書きが大きく狂ってしまいました。その根底にあったのは宗教対立です。結局、ヒンドゥー教徒がインド連邦、イスラーム教徒がパキスタンを作りました。しかも、イスラーム教徒はインドをはさんで東西に分かれるという、なんとも不自然な形になりました(東パキスタンは後にバングラディシュとして分離独立)。

分離独立の方針が決まったとき、インド領内にいたイスラーム教徒はパキスタンへ、パキスタン領内のヒンドゥー教徒はインドへ、それぞれ迫害を逃れて大移動が始まります。その過程で悲惨な衝突が起こりました。ガンディーが暗殺されたのも、この両国=両宗教の対立にからんでのことです。また、北部のカシミール州の帰属問題がもとで、独立直後に起こったインド=パキスタン戦争はいまに至るまで最終決着を見ていません。両国が核兵器まで持つようになったのは、それが原因とされています。

このインド・パキスタン両国の分離独立にあたり、シーク教徒はインド連邦に帰属することを選びました。それが、この映画のポイントのようなのですが、エンタテインメント作品ばかりが目立つインド映画の中でこうしたシリアスなテーマがどのように作られるのか、詳しくは観てのお楽しみですね。

トーハクで等伯!

2015年1月6日
東京国立博物館のことを最近は「トーハク」と呼ぶらしいですね。館長の銭谷眞美さん自身がそう呼んでいるので、“俗称・通称”といったレベルではなさそうです。

そのトーハクで年頭から開催されているのが恒例の「博物館に初もうで」。トーハクで所蔵している、その年の干支に関わる美術品を軸に、松竹梅や鶴亀、富士山など、新年にふさわしい作品をセレクトして展示した、企画性に富むユニークなイベントです。今年の目玉は、別にシャレたわけではないでしょうが、長谷川等伯(とうはく)の『松林図屏風』(国宝)です。実物を観る機会はめったにないと、家人の提案もあり、行ってみようということになりました。

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展示の期間が2日から12日までと短いですし、正月休みの期間と、最後の3連休は込み合うだろういうことで平日の今日を選んだのは正解でした。

国立博物館の周辺は以前とすっかり様変わりしたようで、正面玄関の前には美しい池と噴水があります。その左右にはカフェも設けられており、そこだけ切り取ると、ほとんどヨーロッパの風情。海外からやってきた人など、さすが日本を代表する博物館という印象を受けるのではないでしょうか。

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さて、今年の干支は「未」。ふだんは「羊」と書きますが、古来、神への最適な捧げものとされていたそうです。「よきもの」という意味があるとされ、「美」「善」などの文字の中にも「羊」が使われています。私自身の名前(=祥史)の「祥」という漢字も、シメス偏に「羊」です。それにふさわしい生涯を送りたいと、常々思っています。

というわけで、まずは「羊」にまつわる品々が展示されている「ひつじと吉祥」という展示を観ようと、本館・特別1室へ。『羊と遊ぶ唐美人と唐子』(北尾重政筆/江戸時代・18世紀)『十二神将立像 未神』(重要文化財/京都・浄瑠璃寺伝来/鎌倉時代・13世紀)『よきことを菊の十二支』(歌川国芳筆/江戸時代・19世紀)など、興味深い作品が所狭しと並べられていました。

その中で私が気に入ったのは『灰陶羊』という、 中国・漢時代(前3~後3世紀)の置き物。「灰冬」とは、「陶質土器の一種で、鉄分が還元されて灰青色の色調を呈する」と辞書にはありますが、高さ20センチほどのもので、なんとも愛嬌のある顔をしています。

続いては、今回の本命・国宝『松林図屏風』。安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の水墨画で、六曲一双になっています。等伯は、狩野永徳、海北友松(かいほくゆうしょう)らとともに活躍、墨の濃淡や光の効果的表現を追求した人ですが、この作品は等伯の代表作で、近世水墨画の傑作とされています。

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写真ではわかりませんが、学芸員の説明にはこう書かれていました。「白い和紙の上に墨の濃淡だけで、風と光の情景が生み出されています。画面に近づいて松の葉をみると、その激しい筆勢に押されて、後ずさりするくらいです。(略)繊細でありながら迷いなく筆を進め、一気に線を引いていることが見てとれます。(略)さまざまな工夫と技術によってあらわされたこの松林には、霧の晴れ間から柔らかな光が差し込んで、遠く雪山がのぞき、冷たく湿った空気が漂います。艶(つや)やかな墨の色と相まって。風の流れや盛りの清清しい香りまで実感できるでしょう」

一読して、なるほどなぁと感じました。作品が展示されていたのは「国宝室」という専用スペースで、広々としており、リッチな気分で観賞できます。イスにすわってじっくり楽しんでいる人も多くいました。

展示品の数が多いので、あとはサクサクとまわってしまいましたが、お正月ということで、版画・浮世絵にもそれっぽい作品がいっぱい。その中で印象に残ったのが、歌川国貞の『二見浦曙の図』です。昨年、伊勢神宮に行ったときは通り過ぎただけだったので、さほど印象がなかったのですが、こうして絵になったものを観ると、すごい場所だったということがよくわかります。

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もう一つ、歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』のうちの「するがてふ(駿河町)」という作品もGOODです。 いまの中央区日本橋室町3丁目あたりらしいのですが、もともと駿河国から出てきた人たちが住みついた町で、名前もそれにちなんでいます。駿府(いまの静岡市)の七間町から見た城と富士山とそっくりの景色が再現されている地域だったのでしょう。

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61年ぶりの大雪・京都から戻りました

2015年1月3日
昨日・今日と京都で仕事でした。すでに元旦から雪が降っていたようで、関ヶ原周辺は完全な雪景色。そこへさらに、2日の夜ドカーンと降ったため、今朝、ホテルの窓から見えたのはまっ白の市街。テレビによると積雪は21㎝で、これは61年ぶりのことだそうです。

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仕事先は京都市内でも北部、それも都心より標高が高い高雄のほうでしたので、21㎝どころか30㎝以上はありそうに見えました。幸い、一日中天気もよかったので、どんどん溶けていきましたが、普通の家やビルではなく、寺院が多い京都では、雪も一段と味わいがあるように感じます(一般家庭では雪かきが大変でしょうが)。

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昨日は当初、ホテルの中華料理店を予約していました。しかし、年末4日間が“中華漬け”だったのでさすがに……ということになり、1日にキャンセルの電話を。結局、東京駅のエキナカ店で買っていった惣菜で済ませたのですが、正解でした。
巷ではけっこう話題になっているらしい「賛否両論弁当」というのを買った(これで3回目)のですが、中身がとても充実しているのです。駅弁には珍しく、タンパク質系の品が数多く並んでいて、味もかなりのレベル。なんでも、恵比寿にある同名の店が作っているそうですが、1500円ほどの値段の価値は十分にあります。

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帰りの新幹線は、関ヶ原周辺で徐行運転があるので当然遅れがあり、品川で下車。昨年は東京駅到着目前で、ホームが満杯で列車が入線できずかなり待たされたためです。結局、自宅に着いたのは夜10時過ぎでしたが、予想よりは早かったように思います。

「インターコンティネンタル香港」の朝食をパスするとは!?

2014年12月30日
初日と2日目(昨日)の夕食を、あまりの短時間で、しかも大量に食べすぎてしまった報いか、家人が昨日・今日と朝食をパスしました。昨日はマカオのシェラトンですからともかくとしても、せっかくの香港、しかも長男一家にとっては初めてだというので、インターコンティネンタルホテルに泊まったのに、なんとも残念なことです。

 

初めて口にしたとききほどの興奮・感動とまでは行かないものの、相変わらずこのホテルの朝食は出色。スクィーズしたてのオレンジジュースはよほどの自慢らしく、ウエイターは何度もすすめてきます。洋食系も中華系も素晴らしく、近ごろは韓国系も充実。もちろん、和食系も豊かな品ぞろえです。それをパスとは……。さぞかし悔しかったことでしょう。

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今日は長男一家と家人の妹はディズニーランドへ。私たちは香港島の南側にあるスタンレー(赤柱)まで行ってきました。九龍と香港島北側の沿岸部はあちこち行っているのですが、南側は初めて。

中環(セントラル)駅前のバスターミナルから路線バスで行きます。行き先は英語で「Stanley Prison」とありますが広東語にすると「赤柱監獄」なので一瞬ドキっとさせられます。ヴィクトリアピークのある山を越えて行くのですが、道幅がとても狭く、バスがすれ違うときは大変。しかも工事による片側交互通行や渋滞が重なり、ふだんなら30分で行けるのが、今日は50分ほどかかりました。

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しかし、着いてみれば、これまで知っていた香港とはまったく違う空間で、楽しかったです。ヨーロッパのクラシックなリゾートといった趣で、ここが香港かと思ってしまいました。それかあらぬか、青い目の外国人観光客が多く、まわりの風景、雰囲気にも実によくなじんでいます。海岸沿いに並ぶ飲食店のすぐ裏側=陸地側に、こちらはいかにも昔の香港っぽい商店街があり、外国人の客でびっしり。安手の衣料品店やお土産物屋はともかく、骨董品店などは多くの客でひしめいていました。

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帰りはそのさらに裏側にあるターミナルから再びバス。路線が違ったせいか、こんどは渋滞もなく、すんなり中環まで戻れました。

 

夕方は地下鉄で香港島の金鐘(Admilarty)の飲茶レストラン「名都酒家」。ただし、時間を過ぎてしまっており、ワゴン式の飲茶にはありつけませんでした。それでも、それ系のメニューをいくつか見つけ、これがまた美味。アラカルトの中から選んだ福建炒飯も極めつけといっていいでしょう。日本の聘珍樓系であることをあとで知り納得しましたが、これもまた多くの人数で行ったから楽しめたこと。中華は多人数に限りますね。

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料理も最後に近い段階になって、突然チャーハンのようなものが入った皿が運ばれてきました。「こんなの頼んでないよね!?」と、だれとなく疑問を口にしたので、私も箸が止まりました。「ひょっとして、ほかのテーブルで注文したのが間違えて運ばれてきたんじゃない?」ととりあえず結論してはみたのですが、念のため、お店の人に聞いてみました。すると「先ほどの北京ダックの残りを野菜と一緒に炒めたものです」との答え。たしかに、口にしてみるとそのとおりだとわかり、一同納得。日本だと、北京ダックは皮のところしか食べませんが、こちらではフルに食べるようなのです。なんだか、えらく得した気分でした。

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長男一家とマカオ・香港へ

2014年12月29日
昨日から長男一家3人と、私たち夫婦、家人の妹、計6人でマカオにやってきました。羽田出発なので楽は楽なのですが、マカオへの直行便はないため香港経由となります。結局マカオのホテルにチェックインしたのは夕方5時半で、ほとんど丸1日をかけての移動です。

 

荷ほどきもそこそこに町に出て夕食を済ませたのですが、どういうわけかどこもかしこもクリスマスのイルミネーションが。中国文化圏では旧正月のほうがメインなので、12月31日→1月1日の年越しは日本のようにお休みにはなりません。大みそかのカウントダウンイベント(でも大々的に花火を打ち上げるようですよ)があるくらいです。ただ、クリスマスから1週間も経っていませんし、イベントを盛り上げるためにも、イルミネーションは残しておいてほうが効果的だろうということで、そのまま残しているのではないでしょうか。

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それはともかく、昨夜行った「Dumbo(小飛象葡國餐)」という巨大なレストランでは、30分ほど行列したあと、わずか30分という驚異のスピードで10品以上の注文を食べ尽くしました。味はハイレベル、値段は格安ですから、大変な行列も納得です。なかでも、炒飯の下世話ながら格別の味は印象的でした。

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マカオの料理は純粋な中華とはやや趣を異にしています。400年という長い間宗主国だったポルトガルはインドやアフリカにも植民地を持っていたので、そちらの影響もかなりあるのでしょう。カレーなど香辛料を巧みに使ったバラエティーにあふれたメニューを堪能しました。それにしても30分とは……。私は早々にリタイアを余儀なくさせられましたが、そのあとで出たポークカツレツはかなりおいしかったようです。しかし、このときの“記録的短時間大食”が家人には大きな影響を与えてしまったようです。

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ただ、それだけではありません。今日の夕食も素晴らしい内容でした。以前からすすめられていた「王子飯店」という店に行ったのですが、どれもこれも感動的なおいしさ。コースメニューにしたのですが、魚介類、肉類が少しずつ、さまざまな形で食べられました。考えてみると、香港でコースの中華を食べたのは初めて。逆にいうと、これまではたいがい、そこいらの安手の店で済ませていたわけです。まあ、これも多人数で来たからできることで、その意味では長男一家に感謝です。

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全員満腹になってホテルに戻る途中、すぐ近くにある、かの有名な「ペニンシュラーホテル」の前を通りました。そのイルミネーションのセンスたるや、さすがです。壁面を屋上部分から地上すれすれのところまで垂れ下がっている電飾がまず目を射ます。しかし、感心したのは、左右両翼の棟をつなぐようにしてともされているサンタクロースや大小の星の電飾。まるで空中に浮かんでいるような趣で、とても変化に富んでいるのです。

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そのまま海沿いの遊歩道(星光大道)を歩きました。映画制作にまつわるものが銅像として飾られ、路上には、ハリウッドのチャイニーズシアターのように、有名俳優の手形が埋め込まれています。しばらく進むと、大変な人だかりとまばゆいフラッシュの嵐が。ブルース・リーの銅像です。有名なポーズをそのままかたどった像の前で記念撮影する人が後を絶ちません。昼夜を問わずえらい人気だそうです。

1時間ほど歩きようやくホテルに戻ると、対岸の美しい夜景がロビーからパノラマのように見えてきました。さっそく、奥のラウンジに入ります。まだ9時過ぎですから、香港的には宵の口でしょう。さしものお腹もこなれたのか、家人はお気に入りの「ヴァージンモヒート」、私は「リキッド・センセーション」と名付けられた冬のオリジナルカクテルを注文。カルーア、フランジェリコ、コワントロー、レモンハート151、エスプレッソ、フレッシュミルクというレシピなので、キホン甘いのですが、テーブル上で最後のパフォーマンスを見せてくれ、一同大喜び。

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語源に隠れた世界の歴史

著者:岩中祥史
価格:590円+税
[三笠書房 知的生き方文庫・2014/12]

「カーディガン」(クリミア戦争での、ある伯爵のひらめき)「ボウリング」(ゲームに使うピンは“堕落した聖職者”!?)「バーボン」(フランスにも支配されていたアメリカ大陸)「アルゼンチン」(“銀の国”の異名)「ウォール街」(世界の金融センターにあった「壁」)。語源という窓から、世界の歴史をちょっとのぞいてみませんか?

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今年も楽しめた「BEGIN」のコンサート

2014年11月24日
昨年に続いて、三軒茶屋の昭和女子大人見記念講堂で開かれた「BEGIN」のコンサートに行きました。聴くたあびに、新しい境地を開いている感じがする「BEGIN」のコンサートはとても楽しみです。

 

昨年はブラジルの影響が大でしたが、今年はさらにハワイが加わりました。ブラジルもハワイも、日本からまた沖縄から多くの人が移民した国。現地で触れ合った日系2世、3世たちの思いが演奏・歌に乗り移っているような気がしました。彼らのオリジナル曲ももちろん支持されているのですが、実は、故郷・日本の唱歌が聴きたいというリクエストが後を絶たないようなのです。そんなリクエストに応えようと、比嘉栄昇は、その種の曲を集めたソロアルバム(『えいしょうか』)を9月に出したといいますから、よほど強烈なリクエストだったのでしょう。

 

沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」や、「赤とんぼ」「仰げば尊し」などといった曲、さらにオリジナル曲「郵便ポストに投函した日」など10曲が収められているそうです。12月には第2弾も出すようですから、楽しみですね。

 

「BEGIN」も来年でデビュー25周年だそうですから、いろいろな意味での区切りといった気持ちもあるにちがいありません。2015年の「うたの日」コンサートは、故郷の石垣島でおこなうという発表もありました。行きたいなと一瞬思ったのですが、さて、実現できるかどうか……。

 

また、今後はソロでのライブも開こうというく考えもあるようです。「3人で旅をするのは楽しいが、ソロだったらフットワークも軽くなる。待っていてくださる方の近くに行って、歌うことができたらいいですね」という比嘉の発言もあるので、それはそれで面白いステージに出会えるのではないでしょうか。

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“最後の晩餐”は停電で大幅変更

2014年11月2日
長かった南アフリカツアーも今日が最終日。最後の夕食は、ウォーターフロントの一角にあって、窓から湾が見渡せるレストランという話だったので朝から楽しみです。もっとも、もとはイギリスの植民地ですから、イタリアやスペインほどの期待はできないかも。

今日はまず、植物園です。テーブルマウンテンの南斜面に広がるカーステンボッシュ植物園にはなんと9千種もの植物が栽培されているそうです。すべての植物・樹木に名札がつけられており、美しく整備された遊歩道をゆっくり歩きながら見ていきます。数多くの花がいまを盛りと咲き誇っており、時間があれば1日いても飽きないでしょう。現地のガイドさんが花や木の名前、特徴についてとても詳しかったのには驚きました。

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植物園の次はバスで小1時間ほどの「ワインランド」地域の一角にあるステレンボッシュの町。南アフリカのワインは、先の「ボーア人」のうち、フランスからやってきたユグノー教徒たちがブドウ栽培を始めたのがその始まり。南アフリカではケープタウンに次ぐ古い町で1679年に作られたといいます。


街並みもこじゃれたリゾート地といった感じ(添乗員は「軽井沢っぽい」と評していました)で、このエリアが経済的に恵まれていることを感じさせます。おみやげ物屋や雑貨店、ギャラリー、教会、カフェ、レストランも多く、どこも皆ちょっとのぞいてみたくなるほどセンスのよさが。いいワインができるからこうしたレストランもやっていけるのでしょう。住宅も1つひとつ個性的なつくりで住民のセンスのよさが出ています。

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町の中をしばし散策したのち、こんどはワイナリーを訪ねます。町中からちょっと離れ、曲がりくねった田舎道を抜けた先の広い敷地にボッシェンダール・ワイナリーはありました。試飲用テーブルが屋外に用意され、そこで6種類のワインを試飲します。私個人はワインならなんでもOKという、超いい加減な人間なものですから、話もあまり熱心には聞いていません。それより終わったあと、敷地内のレストランでのランチに興味が行ってしまっています。バイキングスタイルでしたが、とても充実した内容でした。

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Pb020819_2夕方早めにホテルに戻ったのは、最後にショッピングのチャンスが用意されていたからです。V&Aウォーターフロントには大小さまざまなショッピングモールがあるのですが、日曜日とあってさまざまなイベントもおこなわれていました。それを横目に見ながら1つのモールに入ると、雑貨や民芸品、子ども服などのお店がビッシリ。レストランやカフェ、ファストフード店などもいっぱいありました。地下は地元の大手スーパーで、多くの客が訪れています。ワインなど、信じられないほどの安さです。私はキリンの絵をデザインしたワインを白赤各1本ずつ購入。1本500円もしませんでした。

6時にそのモールに隣接する建物にあるBaiaというシーフードレストランで“最後の晩餐”のはずだったのですが、そこが入っている建物全体がなんと停電! 復旧することはするのだが、時間がはっきりしないとのことらしく、急遽場所が変更に。添乗員は冷や汗をかいたことでしょう。それでもなんとか宿泊しているホテルのレストランにテーブルを確保。昨夜も同じところなので、メニューも変え、なおかつ料金は今日予定していたお店と同じに……と、さまざまな条件もあるでしょうからかなり苦労したはずです。それでも、けっして不満はありませんでしたから、脱帽です。いまどき停電なんてこともあるんですね。でも、南アフリカではさほど珍しくはないのだそうです。

喜望峰で風に吹き飛ばされそうに

2014年11月1日

Pb010560今日はケープタウンの観光の目玉といってもいいテーブルマウンテンの観光から。その名のとおり、頂上部分が真っ平らになっています。早めに動き始めたおかげで、すんなり登れました。標高1087メートルというこの山は雨や霧にたたられることも多いようで、1年のうち3分の1は頂上まで上がれないといいますから、登れるだけでもラッキー。しかも、現地ガイドの機転で、この日最初の訪問地としてスケジューリングしてくれていました。おかげで。それほど混雑もしておらず、ロープウェーにも長い時間待たずに乗れました。天気も快晴でしたから、すぐ下にあるテーブル湾など、頂上からの眺望は抜群です。

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Pb010624次に訪れたのが、ここからケープ半島を南下したボルダービーチというペンギンの生息地。砂浜にびっしり、ペンギンが遊んでいるというか寝そべっているというか。あまりの数の多さにペンギンなのか岩なのか、区別がつかないほどでした。周囲に、南アフリカ特産のアロエ成分の入った化粧品やらクリームを売っている店がいくつもあり、女性陣はかなりの量を買い込んでいました。値段も日本に比べるとえらく安かったようです。

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Pb010720昼食後は一路「喜望峰」へと向かいます。周囲は自然保護区で、さまざまな植物、樹木が生えており、野生動物も数多く生息しているとのことです。赤い花を咲かせるプロテアという木がいちばん有名とかで、国花にもなっています。ケープスノーという草花も密生しており、これがあたり一帯に白い花を咲かせるころは壮観だそうです。ただ、いまは残念ながらその季節ではありません。

Pb010691そうした中、いちばん印象深かったのはダチョウです。展望台から下の海岸まで降りるバスのすぐ横まで平気でやってくるのには驚きました。チャップマンバブーン(ヒヒの一種)やボンテボック(シカの一種)などもけっこう人なつっこい感じで、駐車してある自家用車のルーフの上で遊んでいたりします。その分、野生味は感じられませんでしたが……。

そうした中を30分ほど走るといよいよ「喜望峰」です。1488年、ポルトガルの探検家バルトロメウ・ディアスがこの地に到達したのですが、周辺があまりにも荒れる海域であったため、Cabo Tormentoso(「嵐の岬」)と命名したそうです。ただ、その後ヴァスコ・ダ・ガマがこの近くを通る航路を発見し、香辛料貿易のルートが大幅に短縮されたこともあり、のちにポルトガル国王が「希望の岬」(Cabo da Boa Esperanca)と改めさせたとのこと。日本ではそれがなぜか「喜望峰」という呼び名(文字がおかしくありませんか?)で定着しているわけです。

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しかし、最初に「嵐の岬」と名づけられたのは、けっししていわれなきことではありません。私たちもケーブルカーで10分ほどの展望台(高さ248メートル)まで上りましたが、かなりの風が吹き荒れていました。それでもやはり、快晴で大西洋とインド洋を同時に見晴らせる眺めは感動ものです。

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すさまじかったのは、展望台の下にある「Cape Point」。海っぷちにあるため、ちょっと油断するとすさまじい強風が吹き、正直、立っているのがやっとという状態でした。「KAAP DIE GOEIE HOOP」とアフリカーンズ語で記された表示板の前で写真を撮りましたが、しがみついていなければ吹き飛ばされそうになるほど。歴史や地理の教科書では知っていましたが、実際には初めて訪れた喜望峰で、歴史のひと幕を垣間見たような気分で、とても有意義なひとときでした。きっと、南アメリカの最南部にあり、マゼランが通過したホーン岬も同じようなものだろうなぁと想像したりもしました。

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夕方ホテルに戻ると、昨日停泊していた中国船に代わり、日本の漁船が停まっていました。神奈川県三浦市からやってきているようです。今日は旅行会社が気を利かせたのでしょう、夕食は市内の日本食レストラン(Fujiyama)。久しぶりのしょうゆ味にほっとしました。ケープタウンは魚の水揚げ港でもあるので、魚介類はふんだんに出回っているようです。そのわりにFujiyamaの刺身はいまイチでしたが。

ジャカランダの満開は過ぎていましたが

2014年10月31日
Pa310430今日はまず、ユニオンビルからスタート。ホテルのすぐ近くにある国の施設ですが、ネルソン・マンデラの巨大な像が圧倒的な存在感を示していました。マンデラが南アフリカの大統領に就任する式典をおこなったことでも知られている建物、まだ作られてからさほど時間が経っていないようで、多くの人が見学に来ていました。プレトリアは南アフリカでもいちばん治安が悪い都市ともいわれていますが、昼ひなか、こういう場所にいるかぎりは何も問題なさそうです。

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そのあと、園内にジャカランダがたくさん植えられているというアルカディア公園を見学し、さらにジャカランダの街路樹がいっぱいのハーバー・ベイカー通りまで。どちらもバスを降りてしばし散策したのですが、残念ながら1週間ほどの差でその時期は終わっていたようです。満開のときにい合わせれば、満足度はもっと高かったことでしょう。

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Pa310462しかし、ここでガイドさんが機転を利かせ、ちょっと珍しいジャカランダが植わっている地域に寄り道することになりました。そこは高級住宅街のようで、どの敷地もかなり広く、周りが塀で囲われているような家ばかり。門には警備装置が備わっていて、なかには有刺鉄線や電気を通す仕掛けのある塀も見受けられました。しばらく走ると、ありました! 花びらが白いジャカランダです。ジャカランダといえば紫色しか思い浮かばない私たち日本人にとっては、とても新鮮でした。

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午後はヨハネスブルグに移動し、そこからケープタウンまでは飛行機。V&Aウォーターフロント地域の中にあるホテル(Cape Grace)にチェックインします。ここはいかにも格式がありそうで、以前オバマ大統領も泊まったことがあるとのこと。場所が桟橋の真横で、今日はたまた中国の漁船が停泊していました。窓を開けたちょうど真ん前に船のマストがある部屋をあてがわれた人もいるようです。私たちの部屋はそれとは反対側で、目の前がヨットハーバー、その彼方にテーブルマウンテンが見えました。夕食は、ホテル内レストランの片隅。本格的なフルコースに一同大満足。

乾季でもたいそうな迫力。これが雨季なら……と思うと

2014年10月30日
今日は地上から滝を見に行きます。バスでの移動ですが、途中、バオバブという巨木がある場所で下車すると、遠足か修学旅行か、それを見学に来ていた対岸の国ザンビアの小学生とおぼしき一団と遭遇。一緒に写真を写したりなどして交流したのですが、子どもたちのなんとも純真そうな瞳が印象的でした。

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マダガスカルが原産地というバオバブは、幹が徳利のような形をしており、20~30メートルの高さにまで成長するといいます。幹も直径10メートル近くにまでなるそうですが、年輪がないので樹齢はつかみにくいとのこと。ただ、中は空洞になっていて、大量の水分をたくわえており、乾季になるとその水分で生き延びるとガイドが教えてくれました。

Pa300281滝の手前の広場のようなところに、この滝をビクトリア滝と命名した探検家リビングストンの大きな銅像がありました。小学生のときその伝記を読んだ記憶がありますが、探検家としてしか覚えていません。しかし、もともとはスコットランド生まれの宣教師で、その一方で医学も学び、布教活動のためにアフリカに赴いたところすっかりその虜になってしまったとのこと。以後はアフリカ各地を探検しながら、布教と医療にいそしんだといいます。探検家業はその副産物のようなもので、それでも、彼がいなければ今日のアフリカは存在し得なかったといっても過言ではありません。

それを過ぎるといよいよ滝への遊歩道に入ります。乾季とはいえ、滝の近くは空気のほとんどが水蒸気といった感じで、この日も湿度はおそらく80%以上あったのではないでしょうか。それもこれも滝から上がってくる水煙のためです。気温もかなり高いので、全身汗だくになってしまいました。

Pa300300_2Pa300306ヘリコプターから見たときはそれほどでもないように感じたのですが、地上から見ると、乾季とはいえ、その迫力はやはりすさまじいものがあります。幅数キロにわたって水が落ちてくるはずが、途切れ途切れになっているのですが、どこからも猛烈な水煙が立ち上がっていました。雨季のときに来れば、その迫力、スケールはいかほどのものかと想像させられます。途中、滝の上で水泳を楽しんでいたりはるか下に見える滝壺を小さな船で遊覧しているのが見えましたが、さぞかし楽しかろうとうらやましく思いました。とにもかくにも、ビクトリア滝の魅力はその「高さ」にあることは間違いなさそう。イグアス、ナイアガラとの違いもその点にあるのではないかと思いました。

Pa300310Pa3003271時間ほど歩きながらさまざまな角度から滝(の片鱗)を見終えたら、次の目的地「ジャカランダの街」ともいわれる首都プレトリアに移動。周辺も合わせるとこの町にはおよそ7万本ものジャカランダが街路樹として植えられているとか。それがいま満開だというので、なんとも楽しみです。


ビクトリアフォールズからヨハネスブルグまで1時間45分、入国手続きを済ませたあとバスで1時間ほど走りプレトリア市内に。さすが、首都だけに市街地は美しく整備されています。中心部に近づいてくると、なるほどそこここにジャカランダの花が見えてきました。

Pa300368ホテル到着前に一カ所、「フォールトレッカー開拓者記念堂」に立ち寄ることに。町の南にある丘の上に建つ褐色の四角い建物なのですが、遠目にもえらく目立っていました。「フォールトレッカー(Voortrekker)」とはアフリカーンズ語で、「先頭に立って開拓の旅に出た人」といった意味のよう。。ケープタウン周辺に「アフリカーナ」(のちにボーア人)と呼ばれるオランダの移住民が入植して以来の歩みがよくわかります。南アフリカの歴史などほとんど知りませんでしたが、とても勉強になりました。

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フォールトレッカーたちは1838年12月16日、1万人にも満たない人々が「血の川の戦い」でズールー王国との戦いに勝利したのですが、それをバネに、彼らが2つの独立国家を築き上げたということでした。毎年12月16日の正午、建物中央の真上から光が差し込むように設計されているのだそうです。最上階で上と下を見てみると、その設計の巧みさに驚くとともに、なんともおごそかかというか、神聖な雰囲気に満ちた空間が作られていることがわかります。

Pa310398しかし、何よりうれしかったのは、この記念堂のすぐ近くでシマウマを見つけたこと。丘のふもとを走るハイウェイ沿いに小ぶりながら牧場のような草地があり、そこに10頭近くもいたのです。これで「BIG5」を制覇したことになり、ツアー参加者一同、大喜び。ちなみに、ヌーも2頭いましたよ。それにしても、なんでこんな町中に野生動物がいるのか不思議でなりません。

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ゾウの行進に感無量

2014年10月29日
チョベ国立公園でのサファリゲームも今日が最終日。まだ見ることができていないライオンに会いたい! 皆の思いも同じでしょう。朝6時に出発し、一路公園へ。私たちのガイドを務めてくれている人はこの間ずっと一緒ですから、「なんとか見て帰ってほしい」といった思いがあるようです。走っている途中ですれ違うほかのジープのガイドと情報を交換し合いながら、こっちへあっちへと走り回ります。

Pa290143_41時間ほど経ったところで、ようやく希望の明かりがともりました。川の近くでライオンの足跡、それもまだ新しいものが見つかったというのです。どのジープも一斉にそちらに向けて走り出しました。川に沿って数百メートル進んだ左側、陸地に少しだけ入った小高い場所に、2頭のライオンが横たわっています。ただし2頭ともメスです。ときどき起き上がってまわりに目をやっているようですが、しばらくはそこで体を休めようとしている感じがします。ジープに乗ったまま懸命にカメラを向け、シャッターを切りました。

そこをあとにし、場所的にはその真裏あたりにある「Stretch Point」でしばらく休憩。さすが、1時間以上運転し続けたためガイドもやや疲れ気味です。15分ほど体を休め、いよいよ最終ステージ。公園の出口をめざしながら、やや小高いエリアを走り始めました。

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しばらくすると、進行方向の右手700~800メートルほど前方にゾウが何頭か歩いているのが見えてきました。しかも、数頭の1家族ではなく、何十頭もついてきているではありませんか! ゾウの行進です。先頭を歩くのは、いちばん体の大きな、いかにもリーダーといった風情のゾウ。ガイドがジープをゆっくり前進させました。私たちの4~5メートルほど前を威風堂々とした態度で横断し、残りのゾウがそのあとにゆっくりと続きます。リーダーにつき従っていけばなんの心配もないといった様子で、感動的ですらあります。こんな素晴らしい場面を目の当たりにすることができ、3日間4回にわたって通い詰めた甲斐がありました。

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興奮がまださめやらぬうちに、最後の「モーニングサファリ」は終了。ホテルに戻り朝食、チェックアウトを済ませると、マイクロバスに乗って次の目的地ビクトリアフォールズの街に向けて出発。家人の荷物は、今日私たちが泊まるホテルで受け取れることで話がついたとのこと。ビクトリアフォールズの空港には、私たちが到着した翌日きっちり届いていたのですが、それをチョベまで運んでもらうにはえらく手間がかかるのだそうです。チョベはジンバブエでなく、隣国ボツワナにあるというのがその理由。荷主が一緒にいない荷物を国境越えさせるのは手続きげ面倒だそうで、本当に届くのかについても不安があります。そこで空港から直接、ビクトリアフフォールズのホテルまで届けておいてもらうことになったわけです。これなら同じジンバブエ国内での輸送になり、安全確実というわけですね。

ビクトリアフォールズに入り、中心街にあるホテルが近づいてくると、いかにもイギリスの植民地だった国の町らしく、道路も街並みも美しく整えられています。リゾート地・観光地でもあるので、そのレベルもかなり高そうです。

Pa300227ホテルに到着。家人もフロントでスーツケースを受け取りひと安心。1904年創業の老舗ホテルというだけあって、入口もロビーも廊下も中庭も年季が入っており、時間とお金があれば、何泊かゆっくり泊まりたい感じです。昼食を取ったホテル内のテラスレストランからはザンベジ川とそこにかかる鉄橋(対岸はザンビア共和国)、ビクトリア滝の一部も見えます。雨季だと、滝の水が落ちるときに生まれる水しぶきまで見えるといいますから、さぞかし素晴らしい眺めなのでしょう。

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部屋の割り振りが終わり、いよいよ滝へ。全体的には大変な大きさですから、まずはヘリコプターから見下ろすプランになっていました。私としては生涯3回目のヘリコプター、家人は初めてです。乗る前に体重測定があり、それによって機内でのすわる場所が決まります。空から見ても滝のスケールの大きさは十分感じられるのですが、乾季のため水の量が5分の1か10分の1ほどだとのこと。これが雨季なら、いまよりはるかにすさまじい迫力があるのではないでしょうか。そちらは次回の楽しみですね。

Pa290215_3ヘリコプターによる滝の見学は12分間で終わり。ホテルに戻り、夕食までしばし自由時間ということで、近くの商店街まで買い物も兼ねて散歩することにしました。歩いていると、現地の人がさかんに声をかけてきます。ジンバブエの紙幣を買わないかという誘いです。過去にハイパーインフレが起こったため、この国の旧紙幣は紙くず同然になってしまったのですが、その「ハイパー」ぶりが半端ではありません。

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なんとなんと、「100兆ジンバブエドル」といった紙幣が存在したらしく、それをおみやげにというわけです。まあ、世界中探してもそうそう出くわすシロモノでもないでしょうから、売り物になるのもわからないではありません。超巨額の紙幣はかの「イグノーブル賞(人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究)に贈られる賞」」の副賞にもなっているほどですから。私たちは残念ながら遠慮しましたが、ツアー参加者のなかに、あまりに執拗な声かけに負けて買った人もいました。3枚で2USドルだったそうです。

夕食はホテル内のレストラン(個室)でフレンチのフルコース。部屋に戻り、ネットで調べてみたのですが、日本のamazon では1枚4000から5000円で売られていたのにはびっくりしました。「だったら買っておけばよかった」と後悔してもあとの祭り。でも、これまた次回のお楽しみですかね。

「サファリ」とは狩りではなく、探して観て楽しむこと

2014年10月28日
今日も1日、朝からサファリです。といっても、もちろん狩猟ではありません。その昔、ヨーロッパの列強がアフリカ各地を支配していた時代、「サファリ」は動物を「狩る」ことだけを意味していましたが、いまは動物を保護するために保護区的な施設が作られています。となると、「探して観て楽しむ」のが目的で、「サファリゲーム」といういい方をするのはそのためのようです。英語の「ゲーム」は「獲物」「目標」「標的」という意味。一方、「サファリ」はスワヒリ語で、もともとは「旅行」全般のことでした。それが「狩り」しか意味しなかったのは昔の話で、いまは特定の保護区の中で野生動物を探して見て楽しむ(観光)ツアーという意味になっています。

かつて「ゲームサファリ」の主目的が狩猟だった時代の名残でしょう、「BIG5」という言葉があるそうです。ライオン、サイ、ヒョウ(レパード)、アフリカ水牛(バッファロー)、ゾウの5種類の動物を狩るのが最高の成果といいます。それがいまは、この5つの動物の姿を見ることができれば目標達成ということになります。個人的にはこれにキリンとシマウマ(ゼブラ)を加えて「BIG7」にしたいのですが……。

午前6時、「モーニングサファリ」に出発。まあ、とてつもなく広大な公園ですから、いつ、どこで、どんな動物に出会えるかは成り行きしだいです。私たちが訪れているのは、この国立公園でも北東部にある「セロンデラ」というエリア。流れているチョベ川のすぐ向こう岸はナミビア共和国です。先にあげた5つのほかにも、サル、カバ、ジャッカル、マングース、トカゲ、ワニなどのほか、ワシ(フィッシュイーグル)、ハチクイドリなど鳥も数多く生息しています。なかでもアフリカゾウの数は5万頭と半端ではありません。

Pa280024ジープから降りて動物を見られるのは、危険防止と環境保護のため、「Stretch Point」という表示板のあるところだけ。トイレや休憩所もあり、そこでジープのドライバーどうし、「どこそこの近くにシマウマがいた」「あそこにライオンの足跡があった」など、最新の情報を交換しています。もちろん、走っている最中も無線で連絡を取り合っているようでした。ただ。すべてのジープに無線機が備わっているのではないらしく、それを補っているのが「Stretch Point」での情報交換というわけです。バッファローは比較的簡単に見られました。ヒョウも1回だけですが、見ることができました。ゾウとサイはすでに昨日見ています。今朝の成果はそこまでといったところでしょうか。

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9時前にいったんホテルに戻って朝食を取りしばらく休憩。日中は動物たちの多くも休憩時間に入っており、パーク内を動き回っていることはないようです。ただ家人は朝食のあと、添乗員(今回は女性です)と一緒に、ホテル近くのマーケットまで買い物に行くことになりました。なにせ、身のまわりのものはほとんど全部スーツケースに入れたままなのですから、洗顔用品・化粧品から下着・靴下など、最小限のものはとりそろえなければなりません。

L1000210_2アフリカ、それもボツワナで、どんな品物が手に入れられるのか、興味半分でついて行ったのですが、まあ、かなりプアではありました。それでも、場所柄でしょう、ドイツ人やアメリカ人、デンマーク人など、世界各国からお客さんが来ており、さまざまな言葉が飛び交っています。

家人が連れていってもらった店も、広くはあるものの中は薄暗く、見ると、床に商品が落っこちていたりします。そうした中から必要なものを探すのは大変だったようですが、30分もすると、荷物を抱えて出てきました。「まいったわ~」という顔をしていたので、けっこう悩ましい買い物だったのでしょう。L1000212_2

部屋に戻り着替え始めてすぐ、「さっき買ったブラの紐、もう切れちゃった」と。それほど胸は大きくないはずなのですが(笑)。「コットン100%の服なんて1つもなくって。ぜ~んぶ化繊。安いことは安いんだけどね……」とほとんどあきらめ顔でした。


夕方、再びサファリゲームに出発。メインはチョベ川でのボートクルーズです。船着き場から大型のボートに乗り2時間ほどかけて川をめぐります。あちこちに何十頭ものカバの集団が、泳いでいたりじっと眠っていたり(?)していました。ワニやさまざまな鳥が岸辺でまったりしていたのもよかったです。

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しばらくすると、ボートを運転しているガイドが「あっ、あそこにキリンが見える!」と興奮した声を出しました。しかし、ガイドの指差す方向にいくら目をやっても見えません。「あそこだ、あそこだよ」と指で差し示していのは川からはるか離れたところにある森と森の小さな切れ目のような場所。たしかに、双眼鏡をじっとのぞいてみると、頭の部分だけがかすかに見えました。「あんなに遠いのに、よくもまあ」と感心したのですが、聞けば、数キロ先までははっきり見えるといいます。モンゴルの大平原でヒツジを追っている遊牧民と同じなのですね。視力検査をしたら、たぶん4とか5とかあるでしょう。

残るはいよいよライオンだけ。これは明日のモーニングサファリでの幸運を祈るしかありません。それにしても、チョベ川に落ちる夕日の美しかったこと! いくつもの中洲を縫うようにしながら走るボートの上から見た、真っ赤な太陽がゆっくり沈んでいく光景は忘れられないでしょう。

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南アフリカに向け、いざ出発!

2014年10月27日
家人と私の2人してずーっとあこがれていた「ビクトリア滝」。それを楽しむ旅が今日から始まります。「世界3大瀑布【ばくふ】=滝」の1つで、イグアス(ブラジル&アルゼンチン&ウルグアイ)とナイアガラ(アメリカ&カナダ)はすでに制覇したので、ここだけが残っていたのです。

ビクトリア滝はアフリカ南部、ジンバブエ共和国とザンビア共和国の国境にあります。「な~んだ、南アフリカにあるわけじゃないんだ」と知ったのは、つい最近。ただ、どちらの国も日本からの直行便はないので、南アフリカから入っていくしかありません。まして、ツアーとなれば当然のこと、滝だけではマニアックに過ぎるでしょうから、ほかの観光スポットをいくつか組み合わせてあります。

今回のツアーでプラスされているのは「チョベサファリ」。野生の動物を見て楽しむ、けっこう人気の企画だそうです。家人が申し込んだとき、「滝がメインなら初夏、いまはジャカランダです」といわれたとのこと。10~11月はジャカランダが満開になる一方、滝のほうは乾季のため水量が乏しく、そちらをメインで考えているのなら……という話でした。どちらも捨て難く、迷いもありましたが、広告でこのツアーを見つけたのも何かの縁だと思い、決めたしだい。ちなみに、ジャカランダは「世界3大花木」の1つ(ほかの2つは火焔【かえん】木と鳳凰【ほうおう】木)だそうですが、美しさでは一番のようです。

日本を出発したのは昨日の午後6時25分。ANA便でまず香港まで行き、そこで1時間15分後のSA(南アフリカ航空)便に乗り換えるのですが、香港→ヨハネスブルグは13時間15分! ヨハネスブルグに降り立ったのは今朝7時20分でした。そして、3時間ほど待って、ビクトリアフォールズ(ジンバブエ共和国)行きの便に乗り換え1時間45分でようやく到着です。

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ジンバブエへの入国にはビザが必要なので、カウンターに並んでパスポートとビザの申請書、それに現金45USドルを添えて差し出すと、パスポートにビザを添付して返してくれます。チョベは、ボツワナ共和国の最北端に位置する国立公園の名前で、私たちが滞在するのはそのすぐ隣にあるカサネという町。日本からはジンバブエ共和国を経由しないと行けないわけですね。

ところが、ここでトラブルが起こりました。ビクトリアフォールズ空港で荷物を受け出そうとしたときです。なんと家人のスーツケースだけが出てこないのです。国際線ではつきものといってもいいロストバゲージです。私たちも何度か経験しているので驚きはしません。今回の移動は途中2回乗り継いでいますから、可能性としては2つ、香港かヨハネスブルグの空港で積み忘れたのでしょう。

現地ガイドのアシストを受けながら空港のカウンターで調べてもらおうとしたのですが、職員は「コンピューターシステムがダウンしちゃって……」と首を振るばかり。ロストバゲージ自体はさほど珍しいことではありませんが、普通、どこで置き去りにされたかくらいはすぐわかります。チェックインのとき、コンピューターにID番号が記録され、そのクレームタグをこちらが受け取っているのですから。しかし、システムがダウンしているとなると、どうしようもありません。

これまでの経験から、だいたいは翌日の便で届くものですが、家人はなんとも心配顔で戻ってきました。くだんの職員は、家人の申告を、カーボン式の複写用紙に書き込んでいたというのです。そんな場面を目の当たりにすれば、たしかに不安にもなるでしょう。とりあえずは遅れてでもこの空港まで届くことを祈るしかありません。

さて、空港からはバス。見渡すかぎり木々と草花ばかりというサバンナ(熱帯草原)を2時間弱、走り続けます。道すがらアフリカゾウに出会ったりして、早くも期待を抱かせてくれました。途中に国境があり、そこでジンバブエ出国+ボツワナ入国の手続きがありました。日本にいてはなかなか体験できない陸路での国境通過とあって、どんな具合におこなわれるのか興味津々。マレーシア+タイでも経験はしていますが、このときは人まかせでしたから。実際は、かなりくたびれた木造の建物にこの2カ国の出入国管理のオフィスが同居しているようで、それぞれパスポートを見せて通過します。もちろん、スタンプも押されました。

ところで、今回のツアー参加者はわずか7人。出発日のひと月半ほど前からエボラ出血熱の騒ぎが報じられ、「アフリカは危ない」という人はキャンセルしたようです。世の中には用心深い人がいるんですね。ただ、エボラ出血熱が発生したのはアフリカでも西の端の話。私たち2人は、キャンセルしようなど、毛ほども思いませんでした。


L1000215カサネのホテルに着いたのは夕方4時過ぎ。小ぎれいできちんとしたホテルです。それにしても、長~い移動でした。早い話まる1日以上、なんと29時間を費やしたことになります。

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それでも、7人全員、テンションが上がっており、添乗員の「これから軽くサファリに出ることもできますが、いかがですか」という言葉に、迷わず「行くぞーっ」。というわけで大型のジープに乗り、すぐ近くのチョベ国立公園に出発。タイミング的にちょうどよかったのか、アフリカゾウの群れが川で泥浴び・水浴びをする場面に遭遇しました。泥浴びを済ませた直後のゾウはもちろん泥まみれですが、そのあとすぐ水を浴びます。毎日かならず川辺まで出てきて泥浴びをするのは、体についた虫を退治するためだそうです。と同時に、ゾウは肌のキメが粗いので、それを少しでもこまやかに保つ目的もあるとか。そういえば、人間社会にも「泥パック」というのがありますからね。

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この日、私たちが見られた野生動物は、ほかにも、サイ、インパラ(中型のカモシカで、お尻を上げる独特のジャンピングフォームが特徴)、イボイノシシ(泥浴びを好み、水場周辺に多い)、バブーン(ヒヒ)、リス、アフリカ水牛(バッファロー)、ウォーターバック(中型のカモシカ。水場の周辺にいることからその名がついた)、クドゥ(大型のカモシカで、角が枝別れしていないのが特徴)、プクーなど。鳥もホロホロ鳥(これは可愛いです!)はじめ、レッドホーンビル、クチバシサイチョウ、アフリカハゲコウ、リラックプリステローラなど、けっこういました(ただし、ホロホロ鳥以外、名前と姿・形はまったく一致しません)。

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夕食はホテルの食堂で。公園内で目にしたインパラを始め、ワニやさまざまな鳥など、肉が中心。おっかなびっくりというか、ひととおり食べてはみましたが、味は、……でした。

中華料理店が寿司も出すスタイルにどんどん模様替え

2016年8月27日
午前中は、ユールゴルデン島にあるスカンセンまで、トラムを降り正門まで歩いて行ったとたん、家人が「前に来たことある、ここ!」とひと言。私もはたとそのことに気づきました。前回来たとき、こちらの知人が連れて行ってくれた場所だったのです。すぐにそこを出て、停留所で2つ戻ったところにある北方民俗博物館、そしてヴァーサ号博物館へ。こちらは大変な人気のようでした。

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その後ホテルに戻り、Kさんと待ち合わせ。3人で食事に行きました。駅のちょい先にある富都閣(CHOPSTICKS)という店。ここももとは中華料理店だったのでしょうが、いまは寿司も扱うスタイルに。ヴァイキング方式で1人100クローナほどで食べ放題。さすが中華のほうはどれも皆おししかったです。寿司もこちらにしてはまあまあではないでしょうか。

その後、地下鉄とバスを乗り継ぎ、郊外のドロットニングホルム宮殿まで。1時間ほど見学しましたが、さすが「北欧のヴェルサイユ宮殿」といわれるだけあって、美しい庭園が。宮殿内部も、天井画、壁紙、家具調度など、それも皆それとわかるレベルの高さです。

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船で1時間ほどかけて市内へ。最後の20分ほどはストックホルムの町を海の上から見ることができ、心ゆくまで楽しめました。明日はいよいよ帰国です。

2度目の北欧でしたが、何を見ても、デザインの素晴らしさには感心します。物価は相変わらずべらぼうに高いのが難点ですが、それ以上に、見るものすべてが、形といい色といい、とにかく美しいのです。買い物をしなければこれほど楽しいところもないのではないでしょうか。

名物のロールキャベツは最高!

2014年8月26日
旅行も13日目となると、さすがに疲れが隠せません。足取りもしばしば重くなります。まして、今日のように朝からしとしと雨に降られると余計です。

それでも、ホテルの窓からも見える市庁舎に行きました。ノーベル賞受賞者の晩餐会、そのあとの舞踏会がおこなわれる由緒深い場所です。ブルーホール、黄金の間など、ガイドツアーでしか見られない場所に行けました。市議会の議場も設計が工夫されているとのガイドの話に感心。

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一度ホテルに戻り地下鉄に乗って市場へ。朝テレビで紹介されていた店がありました。KALDOMARという名の料理(ロールキャベツ)を家人が、私はスウェーデン家庭料理の代表ミートボールを。ミートボールはとても塩辛くて、しんどかったです。途中で知ったのですが、カウンターの上に置いてあるジャムをかけて食べるのが正解のようです。ロールキャベツ(中身は牛ひき肉)のほうはたいそうおいしく食べられました。

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それにしても、言葉がまるでわからず、苦労しました。メニューの2行目に英語で書かれていたので、なんとか注文できたしだい。

地下鉄に乗って逆方向のガムラスタン(旧市街)へ。ハンザ商人の作ったドイツ教会から路地を歩きながらノーベル博物館まで。疲れはもう頂点に達しています。中のカフェへに入ると、名物のイスがありました。裏側に受賞者のサインが書かれているのです。小柴昌俊というサインを見つけました。我が明和高校の先輩・小林誠さんのサインもありましたよ! ここにあるイスは記念晩餐会で使われたイスだそうです。外に出るとまた雨。その中を歩いてホテルに戻りました。

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最終目的地ストックホルムへ

2014年8月25日
旅もそろそろ終盤に差しかかってきました。今日は、リバプールをあとにし、ストックホルムに移動する日。朝から雨。今日もまた寒そうです。

早朝、ライムストリートの駅からマンチェスター空港行きの電車。古い車両に狭苦しい座席。荷物置き場もなし。よくこんなひどい電車を走らせているなとガックリしました。1時間少々で空港に着き、チェックインを済ませてラウンジへ。

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2時間ほどでストックホルム到着。リバプールの重い空とうはうって変わって快晴。アーランダ空港から市内に向かう電車は素晴らしい車両です。しかも速いので、20分で中央駅に。ホテルは駅の前、川のほとりにあります。前回この地を訪れたとき、このホテルはありませんでした。

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荷ほどきを済ませ街の中へ。スウェーデン語なので、通りの名前がとにかくむずかしく、とても覚えられそうにありません。歩いてグスタフ・アドルフ広場からショッピングセンターのギャラリエンまで。寒い国によくありそうな設計です。

外に出ると、正面がこの国いちばんの老舗デパートNK。スウェーデン風デザインのキッチン雑貨とかが山ほど積まれています。ただ、日本と違うのはお客さんが少ないこと。どこのフロアもゆっくり見られます。店内のカフェで飲んだビールのおいしかったこと。

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食事のできる場所を探しながら、駅の方向へ歩き始めたら、雨が降り出しました。探すのも面倒なので、駅のすぐ近くにあった「中日酒楼」という店へ。店名からも想像できるように、かつては中華料理店だったにちがいありません。それがいまでは日本料理がメインのようです。寿司ブームでそちら始めたという感じでしょうか。

でも、焼きそばと餃子はけっこう行けました。店内にはテレサ・テンの歌が。続いて「北国の春」「そして神戸」……。なんとも奇妙な感じがします。焼きそば、寿司、鶏肉のカシューナッツ炒め、餃子、ワイン、日本茶で、しめて420クローナ。
駅を通り抜けてホテルまで。

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リバプールの旧市街は世界遺産

2014年8月24日
なにせ、「海商都市リバプールは、ユネスコの世界遺産リストなのです。ピア・ヘッド 、アルバート・ドック 、ウィリアム・ブラウン・ストリートなど、多くのランドマークが含まれる中心市街の6つの区画が対象。趣の富んでいるのは当然といえるでしょう。18世紀から19世紀にかけて世界でもっともにぎわった港の一つがリバプールでした。

今日はいい天気。午前中はのんびり。昼少し前から外に。アルバート・ドックに向かいました。日曜日とあってけっこうな人出です。アルバート・ドックはピア・ヘッドの南に位置していて、マージーサイド海洋博物館、テート・ギャラリー、ビートルズ・ストーリーなどの観光名所が集中しています。

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最初は「THE BEATLES STORY」という博物館。まずはパート1を見終え、南に降りていくと昔の倉庫街があります。その一帯を再開発したのでしょう、レストラン、カフェ、おみやげ屋などが軒を連ねていました。目の前は桟橋があったのだろうとおぼしき港です。

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続いてパート2へ、たっぷり2時間かけて見学。BEATLES誕生前からの歴史が、展示や店やスタジオなどを再現しながら懇切丁寧に解説されていました。オーディオガイドもきちんとした日本語で安心して聞けました。この種のガイドはいいかげんな日本語が多い中、これは出色といっていいでしょう。

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見終えると夕刻。リバプール観光で欠かせない「マージー川のフェリーボート」に乗りました。ジェリーとペースメイカーズによる同名の曲がヒットしたのは1965年。特段魅力的なコースというわけではありませんが、感慨にひたれました。

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夕方5時に下船し、ホテルに戻って休憩。6時半ごろ、夕食に。ホテルの近くに日本料理店を見つけ。そこに行きました。「SETSU」という女性が経営する店なのですが、行ったら予約で満員のよう。なんとかもぐり込んで寿司や厚揚げ豆腐、とんかつ、餃子を。餃子はおいしかったです。寿司と揚げ出し豆腐はいまイチ。

BEATLES漬けの1日


2014年8月23日
朝11時から「CAVERN CLUB」に。1日中、ビートルズ漬け。市内に会場がいくつかあり、今回参加しているバンドが持ち回りで演奏。

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正午からのバンドは出色でした。ランチのあと、午後2時から日本のバンドが出るというのでもう一度「CAVERN CLUB」へ。しかし、やはりネイティブでない分、クオリティーの点で不満が残ります。リズム感もパンチも、英語もすべて……。ここでもなぜかミキシングに難があり、それもマイナス材料になっていました。ボーカルの質の低さをごかすために楽器のボリュームを上げているのではと勘繰りたくなります。でも、やはり厳しいですネ。

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夕方、もう一つ日本のバンドが登場していたのでのぞいてみましたが、こちらもやはり……。残念ながら、こればかりは仕方ありません。途中であきらめ、向かい側にある「CAVERN PUB」に。こちらの演奏は最高でした。

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夕食はそこらのファストフード店で勝ったサンドイッチ(ただし、めっぽう美味い! しかも値段がわずか1ポンド)で済ませ、王立劇場へ。前日よりちょっと到着が遅れたのがたたり、文字どおりのスタンディング状態。しかし、内容が素晴らしく、なかなか帰るきっかけがつかめないまま、気がついたら2時間以上が経過。でも、迫力があり、さすが王立劇場でソロを張るだけのことはありました。

ついに、あこがれの「CAVERN CLUB」に!

2014年8月22日
やはりイギリスです。食事はどうにもいただけません。ホテルでビュフェスタイルの朝食を取ったのですが、まわりの人が食べているのを見ても、不健康な内容のものばかり。生野菜などほとんどゼロといっていいでしょう。どうにも太っている人が多いのは当然かもしれません。

あこがれの町リバプール。いうまでもなく、BEATLESのふるさとです。ここでは毎年8月後半、「インターナショナル・ビートルウイーク(International Beatleweek)」というイベントがおこなわれています。世界各国で選ばれたビートルズのコピーバンドが100以上もやってきて、ほぼ1週間、市内各地で演奏するというものです。しかも、今年はビートルズのデビュー50周年。この機会にぜひということで、やってきた次第。

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10時ごろからまずは「CAVERN CLUB」の周辺=キャヴァンスクエアです。その名も「ハードデイズナイトホテル」は、外壁にビートルズ4人の石像があるのが印象的。1階はグッズの店になっています。「CAVERN CLUB」の向かい側には「tHE LENNON’S BAR」。右を見ても左を見ても、上を見ても下を見てもBEATLES! もう舞い上がりそうで、眩暈すらします。

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港の北側・旧市街の周辺は、往年の栄華を感じさせる建物が立ち並んでいます。今日最初のイベントがあるタウンホールも、ヨーロッパの古い町と比べてもまったく遜色ありません。

11時過ぎに行ったのですが、チケット(バウチャー)を受け取らないといけないようで、アデルフィホテルまで行きました。そこで3日間通しのチケットを受け取ります。やはりBEATLESデビュー50周年ともなると、世界中からファンが繰り込んでいるようです。

それから夕方まで。ランチは、ヨーロッパでいちばん古いよいわれるチャイナタウンで。しかし、そこはもう終わっている一角といっていいほどさびれた感じ(ゲートはたいそう立派なのですが)で、つぶれている店が多い、公爵街(Duke Street)と書かれた看板にその名残がありました。

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ショッピングゾーンはえらい人出。ノルウェーほどではありませんが、雨が1日中、降ったりやんだりするので、大変です。

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タウンホールでのレセプション。けっして御大層なものではなく、カウンシル(女性でした)の挨拶がある程度でしたが、会場のパーティールームはそれなりの装飾がほどこされ、多少は改まった気分にさせられます。カウンシルとは、日本でいうなら区長のようなものでしょうか。

後半はコンサート。ただ、内容は期待したほどではなく、音響、ミキシングがいまイチで、あまり満足できませんでした。

終わったあとは、再び町へ。地元サッカーチーム(EVERTON)のオフィシャルショップに立ち寄りおみやげなどを購入。振り返ってみると、今日は朝の10時過ぎにホテルを出て12時間ずっと外にいたことになります。さすがにくたびれました。

工事現場に「土」がない国ノルウェー

2014年8月21日
今日は移動日。ベルゲンからコペンハーゲン経由でマンチェスター、さらにリバプールまでなのですが、まる1日かかります。

 

出発まで多少時間があったので、午前中はホテル近くのハンザ博物館、ローセンクランツの砦を見学。

 

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バスで空港へ。空港近くに道路工事とおぼしき工事現場がいくつかあったのですが、日本とまったく違うことがあります。積まれているのがすべて岩盤なのです。日本のように土はほとんど見当たりません。

 

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ベルゲンの空港はとても可愛らしく、さすが北欧、清潔で機能的。トイレの表示デザインなどもユニークです。

 

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食事は空港のレストラン。ビール、コーラ、サラダ、クラブサンドイッチの4品で6000円です、6000円! なにせビール1本(400ml)1700円ですから。信じがたいのですが、本当です。

 

ただし、味は皆GOOD。日本で空港のレストラン、それもファストフードっぽい店だとロクなものしか食べられませんが、ここは本格的。

 

 

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コペンハーゲンには1時間弱で到着。ここもまた美しい空港です。フロアの板張りが人の温もりを感じさせます。SASのラウンジも秀逸でした。

 

マンチェスター空港には午後5時45分着、荷物を受け取りバスでリバプールへ。1時間ほど走りターミナルとおぼしき場所に到着したのですが、えらく寒々しいところだったのにはびっくり。タクシーでホテルに着いたころには8時を回っていました。夕食はホテル内のカフェで。

 

それにしても、ホテルのスタッフの英語の訛りのすごいこと。これがかの有名なリバプール方言(スカウス=Scouse)というのでしょうか、普通に英語を習い覚えたというだけではえらく難儀させられそうです。

ハダンゲンフィヨルド観光から帰ってみたら……

2014年8月20日

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今日はベルゲンから列車でアイフィヨルド+ハダンゲンフィヨルドの観光に。1時間ほど鉄道に乗りヴォスへ。バスに乗り換えウルヴィクで降りると、あとは流れのまま。観光船に乗りいざアイフィヨルドへ。午前中は晴れていたのですが、最初の到着地アイフィヨルドに着いたころはひどい雨に。なんでもノルウェーでは当たり前のことだそうですが、やはり雨が降ると観光はきついです。

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軽く昼食を取り、またバスに乗ってフィヨルドセンターへ。屋根の上に、な、なんとまあヤギがいるではありませんか。これには驚きました。

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アイフィヨルドの桟橋まで戻り、再び観光船に乗って3時間弱。途中何度か小さな町に立ち寄りながらで、まったく飽きません。フィヨルドはあくまで変化に富んでおり、どこからどう見ても、自然の不思議さを感じさせます。3時間半ほどの遊覧を終え、終点のノールハイムスンという町で下船。ここは、ノルウェーでもっとも美しい街だそうで、ほとんど滞在時間がゼロだったのが残念。

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夕方17時40分発のバスでベルゲンまで戻りました。そのまま夕食へ。ホテル近くであちこち探しましたが、結局、タイ料理の店に。その前に、入るかどうか迷った寿司店があったのですが、予約で満席だといいます。玄関口にメニューが貼ってあったのですが、こんな値段の高い店でもたいそうな人気のようで、欧米の寿司ブームはいよいよ本物といった感じがしました。

さて、ここまではよかったのですが、部屋に戻ると、掃除もタオルの交換もまったくしてありません。すぐにフロントに電話をして、とりあえずタオルだけ交換してもらったのですが、あまりに業腹だったので、「この不始末、どう責任を取ってくれるのか!」と責任者にクレームをつけました。すると、あわてて部屋まで飛んできて、「申し訳ない。今晩の宿泊費を半額にさせていただきます」という提案をしてきたのでそれでOKしました。これまでさまざまなアクシデントに遭遇しましたが、これは初めての経験でした。

世界遺産の港町ベルゲンに移動

2014年8月19日
ホテルをチェックアウトし、バスでグドヴァンゲンに。ランチを済ませ午後3時前、グドヴァンゲンからバスに乗り、2時間ほどでベルゲンに到着。バスターミナルから鉄道の駅までちょっと歩き、さあタクシーにと思ったのですが、これがまったく来ないのです。8月とはいえ、夕方ともなると、気温も下がりけっこうな寒さ。待てども待てども来ないので、体はどんどん冷えるばかり。

20分ほどして、ようやくやってきたので、乗り込んで行き先を告げたのですが、小名じゃい名前のホテルが市内に2つあったことに気づいたのは、降りたとき。あわててまたタクシーを拾い直し、ようやく目的地のホテルに着きました。

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外装は古いレンガ造りなのですが、内部はえらくモダンに改装されています。さっそく、夕食を食べに出ましたす。ホテルの近くに、いかにもという雰囲気のレストラン(ブリュッゲロフテット&ステューゲナ)を見つけ、そこに入ったのですが、これがえらく美味。干しダラのトマト煮込みを食べたところ、これがもう感動的なおいしさで、さすがノルウェー、こういうふうにタラを食べるんだ! と感じました。

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初めてのフィヨルドに感動の1日

2014年8月18日
朝食前に家人は洗濯に。完全自動の洗濯機と乾燥機が用意されていることがわかったからできたのですが、長旅のときの悩みの一つです。ヨーロッパ、それもドイツから北は、どこのホテルも中を熱い空気が流れるパイプのようなものがタオル賭けになっており、そこに干せばいいので楽です。

朝イチ、午前9時フロムを出発する遊覧船でフィヨルドクルーズに。その1時間ほど前、バルト海クルーズの大きな客船が入港してきました。夕方まで停泊し、その間に、乗客(2000人くらいでしょうか)たちは観光バスに分乗して、フロム周辺の観光に行くようです。

彼らが船から降りるのとほぼ同じころ、私たちがクルーズ船に乗ったら、客は私たち2人のほか、若い中国人カップルのみ。私たちは2階の客席、彼らは下と、ほとんど貸切状態とあいなりました。乗船直前まで空はぐずついていたのですが、しばらく走ると雨はすっかりあがりました。気温は10度くらいですから、寒くはありましたが、毛布を腰に巻いてしのぎます。

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のっけからもう感動、感動の連続。まずは海の静かなこと。とても「海」とは思えないほど、波がまったくありません。そこをクルーズ船が音もなく、まるで滑るようにして進んでいくのです。

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途中10ほどの集落を見ながら進むのですが、ときどき小さなクジラと出会います。この時期、フィヨルドの奥までやってくる小さな魚を獲るためだそうで、何回か出会いました。繁殖期とも重なっているようで、皆カップルです。

両岸にそそり立つ岩の壁高くにある道というか、平らなところにヤギがあらわれることもあるという話でしたが、今日はそれには出会いませんでした。

いちばん幅がせまいところはわずか12mルだそうで、水深が深いのでほとんど心配はないのですが、さすが「ネーロ(=ノルウェー語で「狭い」の意)フィヨルド」とはよく名づけたものです。

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急峻な岩壁の上から細く落ちてくる滝もさることながら、それらの瑞夫も飲み込んだフィヨルドの海はとにかく澄んでいます。空も岩壁もその上に育っている木々や草も、きれいに水面に映っています。

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今日は曇り空ではありましたが、そのほうが落ち着いているというか、より深い神秘を感じさせていたような気がしました

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あっという間に2時間が過ぎ、グドヴァンゲンに到着。桟橋には中国人の団体ツアー客がいっぱい待っていました。すぐ近くのレストハウス兼みやげ物屋さんで軽い食事。12時半のバスで、22キロ離れたフロムに戻ります。といってもそのうちの16キロはトンネル。岩盤をくり抜いて造ったのでしょうから、さぞかし難儀したのではないかと思われます。

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ホテルでしばし休憩のあと、こんどは地上600mのところからフィヨルドを見下ろすツアーに。バスで20分ほど走るとフィヨルドが眼下に見えるステーガスタイン展望台に到着。山道を登るにつれ、フィヨルドがどんどん開けてきます。こんなところに展望橋を造った発想に驚きました。

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夕食は昨晩の教訓を生かし、フロムの駅近く(=ホテルにも近い)のカフェでオープンサンドを2つ(サーモンとエビ)、あとミートボールで済ませました。たまたまその前にすぐ近くのスーパーで缶ビール(500mlで1300円ほど。1本ですよ、1本)を買ったので、それを飲みました。しかし、食べ物のほうの味は、ホテルの9000円のヴァイキングで口にしたものと大差ありません。値段は2人で3500円ほど。前夜のおよそ5分の1で済みました。でも、日本に絵ハガキ3枚送るための切手代がNOK48(800円)! にはびっくりです。

有名な山岳鉄道に乗ってフロムへ

2014年8月17日
今日は珍しく、朝から雨。それも本降りです。これまで3日間、シャワーのような軽い雨はしょっちゅうでしたが、本降りは初めて。これは、せっかくのベルゲン特急も窓からの景色はあきらめなくては……と心配したのですが、列車に乗るころはすっかり晴れていました。北欧ではこの季節、こうした天候が当たり前のようで、1日何回か雨が降るようなのです。

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12時1分発の特急──日本でいうなら在来線の特急ですから、心地よい速さです──は途中10数カ所で停車し、夕方16時56分にミュルダール着。ここでかの有名な山岳鉄道=フロム鉄道に乗り換えるのですが、標高1100mあたりから20数キロかけて海抜2mの終点=フロムまで降りていくのですから、それはそれは息をのむような景色の連続。トンネルも20カ所ほどあり、出るたびに景色が大きく変わります。

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ミュルダールを出発して10分ほどで落差93mという「ショースの滝」。ここでは列車を止めて、滝の前で記念撮影をさせてくれます。

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よくもまあこんな急峻なところに鉄道を敷いたものだと感動しているうち列車は終点フロムに到着。1時間弱の旅です。スイスの山岳鉄道とはかなり様相が違うのですが、何が理由なのでしょうか。窓の外の景色が違うことももちろんあるでしょうが、これは研究の余地があるかもしれません。

 

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ホテルはフロムでもいちばん古いFRETHEIM。すぐ夕食を取ろうと、食堂まで行ったのですが、ヴァイキングスタイルを選択。というのも、前夜、オスロのホテルでフルコース(といってもごく簡潔な内容でしたが)を食べていたので、2日続けてというのはきついと思ったからです。

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海外に出ると、食事はかなりいい加減になります。朝が一番まともというか、バラエティーにもあふれ、量もけっこう行きます。しかし、昼は町歩きの途中ですから、どうしても行き当たりばったりが多くなるのです。それもファストフード系──といっても、マクドナルドとかではありませんよ──がほとんどですから、ごくライトな感じというか、立ち食いとか店先でちょっとつまむといった内容。

夜も、くたびれているときは食べずに眠ってしまったり、そこらのスーパーで惣菜めいたものを買って帰り、部屋で食べたり。それでもあまり当たり外れのないのがいいですね。

しかし、今日のホテルの夕食は期待外れでした。プアな内容のわりに値段が日本円換算でなんと1人分9000円! 何を食べても飲んでも高いノルウェーですが、それにしても……です。ちなみに、ヴァイキングスタイルでなくコースのほうを選んでも同じ値段だそうで、明日はもうどちらも願い下げにしようと決めました。

そこら中に彫刻がいっぱい! ヴィーゲラン公園

2014年8月16日
ホテルを出て、中央駅へ。明日乗る鉄道の乗車券を発行してもらいました。続いて、構内の両替所で日本円をNOK(ノルウェークローネ)に交換。これでやっとひと安心です。

トラム(LRT)でヴィーゲラン公園へ。街中を縫うようにして走るトラムの沿線は、豊かな住宅事情を感じさせる、こぎれいな家が並んでいます。彫刻がそこら中に置かれているヴィーゲラン公園も素晴らしく個性的で、心が大いに和み、癒されました。

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1914年にこの地でおこなわれたノルウェー憲法制定100周年記念博覧会の跡地を所有していた貴族が寄付したものらしいのですが、こういうふうに利用されていると、寄付したかいもあったというものでしょう。

広大な敷地を目いっぱい使って配置された数多くの彫刻がこの公園の売りのようです。イメージ的には札幌のモエレ沼公園といった感じでしょうか。芸術家の手が十分に尽くされたという印象を受けました。そういえば、札幌芸術の森野外美術館に、ヴィーゲランの作品が5つ展示されていたのを思い出しました。

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公園をあとにして国立美術館へ。エドヴァルド・ムンクの「叫び」の実物を見ました。ほかにも、マネ、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソなどの作品がさりげなく展示されていて、かなり充実しています。カフェで軽いランチを済ませ、王宮へ。地味な建物ですが、衛兵の交代式も見られてラッキーでした。

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カール・ヨハン通りには多くの人が出て大にぎわい。大道芸人あり、イベントあり。いかにも夏の北欧といった感じの太陽がまぶしいこと。グランドカフェでビターを1本飲んだら、すっかり気持ちよくなってしまいました。時差のせいで頭に疲れが出てきて、足取りの重いこと。地下鉄でホテルに戻ります。

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交通機関と各種施設の入場料がセットになったパスはありがたい!

2014年8月15日
オスロ2日目。ホテルからいちばん人通りが多いというカール・ヨハン通りを歩くこと15分。まずは市庁舎を見学。素晴らしいデザインの建物で、見る人を感心させます。中にはノーベル平和賞の授賞式がおこなわれる大きなホールが。壁面に描かれた絵に圧倒されます。

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見終わったあと、近くにあるツーリストインフォメーションに立ち寄り、「OSLOPASS」を購入。2人分でNOK840ですから日本円で1人あたり約7000円。でも、これさえあれば、公共交通機関の運賃とほとんどの施設の入場料がタダになるので、なんともありがたい話。

海外の主だった都市にはたいてい、この種のものがあります。それに比べると、日本はどうかと考えると、悲しいほど遅れています。たしかに、来日客はどんどん増えていますが、多くの人は不便をかこっているのでしょうか。というか、高い交通費や入館(場)料を払わせているはずです。

さて、「OSLOPASS」を持って、さっそく市庁舎のすぐ近くにあるノーベル平和文化センターに。はからずも、今日は日本では「終戦記念日」。そのタイミングで行けたのは不思議でした。「平和賞」の全受賞者がロウソクをイメージさせる細長い透明プラスチックの軸の上に置かれたタッチスクリーンのパネルに写真とともに簡単な事績が紹介されるというスタイル。壁面いっぱいに作られたパネルも、写真だけでなく、たとえばマーチン・ルーサー・キングの有名な演説シーンが音声とともに流れたりなど、さまざまな工夫が凝らされています。

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L1100045_2フェリーで対岸のビュグドイに。この一帯は博物館のメッカで、民俗博物館、ヴァイキング博物館、コンティキ号博物館、フラム号博物館と次々に「制覇」。この4つだけで入場料の合計が400NOK(約6500円)近くですから、「OSLOPASS」の効果は絶大です。

海外から年間2000万人の旅行客をと躍起になっている日本に、こういう、交通機関とさまざまな施設の入場料がセットになった「パス」はあるのでしょうか。交通機関だけのパスは以前からありますし、最近は複数の文化施設に割安で入れるパスもやっと出始めたようですが、それが一緒になったものということです。また、この種のものがなぜか日本語でしか告知されていないのも気がかりです。

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どこの国に行ってもそうなのですが、かならずこの種の「パス」が売られていて、あちこち観光施設を訪れれば訪れるほど得するようになっているので、旅行者にはとてもありがたいことです。

東京など、JRのほか、地下鉄、10社近くの私鉄、さらにバス(都営と私鉄)が入り乱れています。日本人ですらややこしいと感じていたのが、とりあえずどれでも共通で使えるsuicaやPASMOが登場したときはだれもがありがたいと思ったはず。外国人の観光客向けにも同じようなものはあるのですかね。そこにあちこちの施設の入場料が込みになっていれば、喜ばれるでしょうね。オスロも高いですが、東京(日本)だって、交通機関の運賃はかなり高いですから。

さて、ビュグドイからバスで都心に戻り、国立劇場前で下車。急に太陽が燦々と照りつけるようになり、気温も22、3度までに上がった感じがします。バス停近くの公園には人があふれていました。ソフトクリームを食べ、地下鉄で中央駅まで。

乗るときにチケットを買う買わないは、利用者の良心にまかされているのですが、この日はたまたま降りたところでチェックがありました。このときチケットを持っていないと、目の玉が飛び出すほどの罰金が科されるそうです。

地上に出て、一つ問題が発生しました。NOKの手持ち現金が底を尽き始めていました。なのに、両替がなかなかできません。とりあえず、明日に回し、夕食へ。ホテルから歩いて10分ほどのところにある中華料理店で食べましたが、味は、ちょっと??でした。

スカンジナビア航空で「消費税25%」の国へ

2014年8月14日
朝はMKタクシーで自宅から成田まで。無料で送り。某クレジットカードカードでチケットを購入したごほうびというか、罪滅ぼしというか。でも、快適この上ない移動。出発の4時間前に空港着。

SASは初めて。機材も古いがサービスはこんなものかといった感じ。子どものころからその名を知っている海外の航空会社といえばPANAM(パンナム)、BOAC(英国海外航空)、そしてSAS(スカンジナビア航空)しかありません。このうち2つはとうの昔に姿を消してしまいました。唯一生き残っているSASは、PANAMにはかないませんが、ロゴがおしゃれで、色使いもいかにもデザイン大国といったイメージがします。

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コペンハーゲン乗り継ぎでオスロまで。ほぼ予定時刻に到着。コペンハーゲンよりぐんと涼しい。バゲージで荷物を受け取るまでけっこう待ち時間が。カルーセルのまわりに、いつのものとも知れない荷物が山のように置かれています。受取人のいない=当初の予定どおりに届かなかった荷物でしょうが、そのあまりの多さに不安がきざします。すぐ近くにある航空会社や空港の受付窓口にはひっきりなしに、荷物を手にできなかった旅行客が訪れ、係員とやり取り。ですから、私と家人の荷物が出てきたときはほっとひと安心しました。

ホテルまではエアポートエクスプレスでわずか19分。距離は50キロ以上あるらしいのですが、ノンストップですから速いこと速いこと。料金はNOK(ノルウェークローネ)170(日本円で2800円)です。

 

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中央駅に着いたら、ホテルもすぐ見つかりました。駅のすぐそば、しかも市内では唯一といった感じの高層ビルですから。最近よく泊まるradissonです。

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32階の部屋からは市内が一望。港も見えて心が休まります。夕食は近くのカフェで済ませました。ポークサンド、ビール(小・生)とコーラ(500ml)で4000円と少しですから。それにしても、物価の高さは想像以上。しかも、表向きの価格の5分の1は税金(消費税率はなんと25%)です。食後、隣のコンビニで買った500mlのミネラルウオーターが450円とか500円!!。もう1滴残さず飲み干そうっていう気になります。

ただ、ペットボトルの素材が素晴らしくよかったのが印象的でした。最近よくあるペニャンペニャンの、ちょっと力を入れたら壊れてしまいそうな感じはまったくなし(環境的にはどうかなというところもあるのでしょうが)。

台風の中を京都から名古屋、そして帰京

2014年8月10日
昨日夕方、京都での仕事を終えるとすぐ名古屋に向かいました。京都東インターから名神に乗ったものの、雨がひどいため新名神が一部通行止めに。そのため、ずっと名神を走らざるを得ません。今日は三重県のほぼ全域に大雨特別警報が出ていて、7日・8日に走った、県北部から中央部一帯を走る高速道路も軒並み通行止めでした。タッチの差で助かったという感じでしょうか。

養老SAあたりから渋滞が始まっていたので、大垣ICでおり、南へ下って東名阪・桑名東インターから名古屋をめざすコースに変更。これが大正解で8時前にはホテル到着できました。夜遅くになってしまいましたが、弟夫婦にも会えることに。

今日の朝、台風11号がやっと高知県室戸岬近くに上陸。時速20㎞と自転車並みだったので、とにかく時間がかかったようです。本当なら、今日は母の3回忌をするつもりでしたが、それも中止せざるを得なくなり、各自で追善回向することにしました。