ついに、あこがれの「CAVERN CLUB」に!

2014年8月22日
やはりイギリスです。食事はどうにもいただけません。ホテルでビュフェスタイルの朝食を取ったのですが、まわりの人が食べているのを見ても、不健康な内容のものばかり。生野菜などほとんどゼロといっていいでしょう。どうにも太っている人が多いのは当然かもしれません。

あこがれの町リバプール。いうまでもなく、BEATLESのふるさとです。ここでは毎年8月後半、「インターナショナル・ビートルウイーク(International Beatleweek)」というイベントがおこなわれています。世界各国で選ばれたビートルズのコピーバンドが100以上もやってきて、ほぼ1週間、市内各地で演奏するというものです。しかも、今年はビートルズのデビュー50周年。この機会にぜひということで、やってきた次第。

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10時ごろからまずは「CAVERN CLUB」の周辺=キャヴァンスクエアです。その名も「ハードデイズナイトホテル」は、外壁にビートルズ4人の石像があるのが印象的。1階はグッズの店になっています。「CAVERN CLUB」の向かい側には「tHE LENNON’S BAR」。右を見ても左を見ても、上を見ても下を見てもBEATLES! もう舞い上がりそうで、眩暈すらします。

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港の北側・旧市街の周辺は、往年の栄華を感じさせる建物が立ち並んでいます。今日最初のイベントがあるタウンホールも、ヨーロッパの古い町と比べてもまったく遜色ありません。

11時過ぎに行ったのですが、チケット(バウチャー)を受け取らないといけないようで、アデルフィホテルまで行きました。そこで3日間通しのチケットを受け取ります。やはりBEATLESデビュー50周年ともなると、世界中からファンが繰り込んでいるようです。

それから夕方まで。ランチは、ヨーロッパでいちばん古いよいわれるチャイナタウンで。しかし、そこはもう終わっている一角といっていいほどさびれた感じ(ゲートはたいそう立派なのですが)で、つぶれている店が多い、公爵街(Duke Street)と書かれた看板にその名残がありました。

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ショッピングゾーンはえらい人出。ノルウェーほどではありませんが、雨が1日中、降ったりやんだりするので、大変です。

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タウンホールでのレセプション。けっして御大層なものではなく、カウンシル(女性でした)の挨拶がある程度でしたが、会場のパーティールームはそれなりの装飾がほどこされ、多少は改まった気分にさせられます。カウンシルとは、日本でいうなら区長のようなものでしょうか。

後半はコンサート。ただ、内容は期待したほどではなく、音響、ミキシングがいまイチで、あまり満足できませんでした。

終わったあとは、再び町へ。地元サッカーチーム(EVERTON)のオフィシャルショップに立ち寄りおみやげなどを購入。振り返ってみると、今日は朝の10時過ぎにホテルを出て12時間ずっと外にいたことになります。さすがにくたびれました。

工事現場に「土」がない国ノルウェー

2014年8月21日
今日は移動日。ベルゲンからコペンハーゲン経由でマンチェスター、さらにリバプールまでなのですが、まる1日かかります。

 

出発まで多少時間があったので、午前中はホテル近くのハンザ博物館、ローセンクランツの砦を見学。

 

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バスで空港へ。空港近くに道路工事とおぼしき工事現場がいくつかあったのですが、日本とまったく違うことがあります。積まれているのがすべて岩盤なのです。日本のように土はほとんど見当たりません。

 

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ベルゲンの空港はとても可愛らしく、さすが北欧、清潔で機能的。トイレの表示デザインなどもユニークです。

 

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食事は空港のレストラン。ビール、コーラ、サラダ、クラブサンドイッチの4品で6000円です、6000円! なにせビール1本(400ml)1700円ですから。信じがたいのですが、本当です。

 

ただし、味は皆GOOD。日本で空港のレストラン、それもファストフードっぽい店だとロクなものしか食べられませんが、ここは本格的。

 

 

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コペンハーゲンには1時間弱で到着。ここもまた美しい空港です。フロアの板張りが人の温もりを感じさせます。SASのラウンジも秀逸でした。

 

マンチェスター空港には午後5時45分着、荷物を受け取りバスでリバプールへ。1時間ほど走りターミナルとおぼしき場所に到着したのですが、えらく寒々しいところだったのにはびっくり。タクシーでホテルに着いたころには8時を回っていました。夕食はホテル内のカフェで。

 

それにしても、ホテルのスタッフの英語の訛りのすごいこと。これがかの有名なリバプール方言(スカウス=Scouse)というのでしょうか、普通に英語を習い覚えたというだけではえらく難儀させられそうです。

ハダンゲンフィヨルド観光から帰ってみたら……

2014年8月20日

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今日はベルゲンから列車でアイフィヨルド+ハダンゲンフィヨルドの観光に。1時間ほど鉄道に乗りヴォスへ。バスに乗り換えウルヴィクで降りると、あとは流れのまま。観光船に乗りいざアイフィヨルドへ。午前中は晴れていたのですが、最初の到着地アイフィヨルドに着いたころはひどい雨に。なんでもノルウェーでは当たり前のことだそうですが、やはり雨が降ると観光はきついです。

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軽く昼食を取り、またバスに乗ってフィヨルドセンターへ。屋根の上に、な、なんとまあヤギがいるではありませんか。これには驚きました。

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アイフィヨルドの桟橋まで戻り、再び観光船に乗って3時間弱。途中何度か小さな町に立ち寄りながらで、まったく飽きません。フィヨルドはあくまで変化に富んでおり、どこからどう見ても、自然の不思議さを感じさせます。3時間半ほどの遊覧を終え、終点のノールハイムスンという町で下船。ここは、ノルウェーでもっとも美しい街だそうで、ほとんど滞在時間がゼロだったのが残念。

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夕方17時40分発のバスでベルゲンまで戻りました。そのまま夕食へ。ホテル近くであちこち探しましたが、結局、タイ料理の店に。その前に、入るかどうか迷った寿司店があったのですが、予約で満席だといいます。玄関口にメニューが貼ってあったのですが、こんな値段の高い店でもたいそうな人気のようで、欧米の寿司ブームはいよいよ本物といった感じがしました。

さて、ここまではよかったのですが、部屋に戻ると、掃除もタオルの交換もまったくしてありません。すぐにフロントに電話をして、とりあえずタオルだけ交換してもらったのですが、あまりに業腹だったので、「この不始末、どう責任を取ってくれるのか!」と責任者にクレームをつけました。すると、あわてて部屋まで飛んできて、「申し訳ない。今晩の宿泊費を半額にさせていただきます」という提案をしてきたのでそれでOKしました。これまでさまざまなアクシデントに遭遇しましたが、これは初めての経験でした。

世界遺産の港町ベルゲンに移動

2014年8月19日
ホテルをチェックアウトし、バスでグドヴァンゲンに。ランチを済ませ午後3時前、グドヴァンゲンからバスに乗り、2時間ほどでベルゲンに到着。バスターミナルから鉄道の駅までちょっと歩き、さあタクシーにと思ったのですが、これがまったく来ないのです。8月とはいえ、夕方ともなると、気温も下がりけっこうな寒さ。待てども待てども来ないので、体はどんどん冷えるばかり。

20分ほどして、ようやくやってきたので、乗り込んで行き先を告げたのですが、小名じゃい名前のホテルが市内に2つあったことに気づいたのは、降りたとき。あわててまたタクシーを拾い直し、ようやく目的地のホテルに着きました。

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外装は古いレンガ造りなのですが、内部はえらくモダンに改装されています。さっそく、夕食を食べに出ましたす。ホテルの近くに、いかにもという雰囲気のレストラン(ブリュッゲロフテット&ステューゲナ)を見つけ、そこに入ったのですが、これがえらく美味。干しダラのトマト煮込みを食べたところ、これがもう感動的なおいしさで、さすがノルウェー、こういうふうにタラを食べるんだ! と感じました。

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初めてのフィヨルドに感動の1日

2014年8月18日
朝食前に家人は洗濯に。完全自動の洗濯機と乾燥機が用意されていることがわかったからできたのですが、長旅のときの悩みの一つです。ヨーロッパ、それもドイツから北は、どこのホテルも中を熱い空気が流れるパイプのようなものがタオル賭けになっており、そこに干せばいいので楽です。

朝イチ、午前9時フロムを出発する遊覧船でフィヨルドクルーズに。その1時間ほど前、バルト海クルーズの大きな客船が入港してきました。夕方まで停泊し、その間に、乗客(2000人くらいでしょうか)たちは観光バスに分乗して、フロム周辺の観光に行くようです。

彼らが船から降りるのとほぼ同じころ、私たちがクルーズ船に乗ったら、客は私たち2人のほか、若い中国人カップルのみ。私たちは2階の客席、彼らは下と、ほとんど貸切状態とあいなりました。乗船直前まで空はぐずついていたのですが、しばらく走ると雨はすっかりあがりました。気温は10度くらいですから、寒くはありましたが、毛布を腰に巻いてしのぎます。

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のっけからもう感動、感動の連続。まずは海の静かなこと。とても「海」とは思えないほど、波がまったくありません。そこをクルーズ船が音もなく、まるで滑るようにして進んでいくのです。

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途中10ほどの集落を見ながら進むのですが、ときどき小さなクジラと出会います。この時期、フィヨルドの奥までやってくる小さな魚を獲るためだそうで、何回か出会いました。繁殖期とも重なっているようで、皆カップルです。

両岸にそそり立つ岩の壁高くにある道というか、平らなところにヤギがあらわれることもあるという話でしたが、今日はそれには出会いませんでした。

いちばん幅がせまいところはわずか12mルだそうで、水深が深いのでほとんど心配はないのですが、さすが「ネーロ(=ノルウェー語で「狭い」の意)フィヨルド」とはよく名づけたものです。

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急峻な岩壁の上から細く落ちてくる滝もさることながら、それらの瑞夫も飲み込んだフィヨルドの海はとにかく澄んでいます。空も岩壁もその上に育っている木々や草も、きれいに水面に映っています。

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今日は曇り空ではありましたが、そのほうが落ち着いているというか、より深い神秘を感じさせていたような気がしました

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あっという間に2時間が過ぎ、グドヴァンゲンに到着。桟橋には中国人の団体ツアー客がいっぱい待っていました。すぐ近くのレストハウス兼みやげ物屋さんで軽い食事。12時半のバスで、22キロ離れたフロムに戻ります。といってもそのうちの16キロはトンネル。岩盤をくり抜いて造ったのでしょうから、さぞかし難儀したのではないかと思われます。

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ホテルでしばし休憩のあと、こんどは地上600mのところからフィヨルドを見下ろすツアーに。バスで20分ほど走るとフィヨルドが眼下に見えるステーガスタイン展望台に到着。山道を登るにつれ、フィヨルドがどんどん開けてきます。こんなところに展望橋を造った発想に驚きました。

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夕食は昨晩の教訓を生かし、フロムの駅近く(=ホテルにも近い)のカフェでオープンサンドを2つ(サーモンとエビ)、あとミートボールで済ませました。たまたまその前にすぐ近くのスーパーで缶ビール(500mlで1300円ほど。1本ですよ、1本)を買ったので、それを飲みました。しかし、食べ物のほうの味は、ホテルの9000円のヴァイキングで口にしたものと大差ありません。値段は2人で3500円ほど。前夜のおよそ5分の1で済みました。でも、日本に絵ハガキ3枚送るための切手代がNOK48(800円)! にはびっくりです。

有名な山岳鉄道に乗ってフロムへ

2014年8月17日
今日は珍しく、朝から雨。それも本降りです。これまで3日間、シャワーのような軽い雨はしょっちゅうでしたが、本降りは初めて。これは、せっかくのベルゲン特急も窓からの景色はあきらめなくては……と心配したのですが、列車に乗るころはすっかり晴れていました。北欧ではこの季節、こうした天候が当たり前のようで、1日何回か雨が降るようなのです。

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12時1分発の特急──日本でいうなら在来線の特急ですから、心地よい速さです──は途中10数カ所で停車し、夕方16時56分にミュルダール着。ここでかの有名な山岳鉄道=フロム鉄道に乗り換えるのですが、標高1100mあたりから20数キロかけて海抜2mの終点=フロムまで降りていくのですから、それはそれは息をのむような景色の連続。トンネルも20カ所ほどあり、出るたびに景色が大きく変わります。

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ミュルダールを出発して10分ほどで落差93mという「ショースの滝」。ここでは列車を止めて、滝の前で記念撮影をさせてくれます。

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よくもまあこんな急峻なところに鉄道を敷いたものだと感動しているうち列車は終点フロムに到着。1時間弱の旅です。スイスの山岳鉄道とはかなり様相が違うのですが、何が理由なのでしょうか。窓の外の景色が違うことももちろんあるでしょうが、これは研究の余地があるかもしれません。

 

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ホテルはフロムでもいちばん古いFRETHEIM。すぐ夕食を取ろうと、食堂まで行ったのですが、ヴァイキングスタイルを選択。というのも、前夜、オスロのホテルでフルコース(といってもごく簡潔な内容でしたが)を食べていたので、2日続けてというのはきついと思ったからです。

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海外に出ると、食事はかなりいい加減になります。朝が一番まともというか、バラエティーにもあふれ、量もけっこう行きます。しかし、昼は町歩きの途中ですから、どうしても行き当たりばったりが多くなるのです。それもファストフード系──といっても、マクドナルドとかではありませんよ──がほとんどですから、ごくライトな感じというか、立ち食いとか店先でちょっとつまむといった内容。

夜も、くたびれているときは食べずに眠ってしまったり、そこらのスーパーで惣菜めいたものを買って帰り、部屋で食べたり。それでもあまり当たり外れのないのがいいですね。

しかし、今日のホテルの夕食は期待外れでした。プアな内容のわりに値段が日本円換算でなんと1人分9000円! 何を食べても飲んでも高いノルウェーですが、それにしても……です。ちなみに、ヴァイキングスタイルでなくコースのほうを選んでも同じ値段だそうで、明日はもうどちらも願い下げにしようと決めました。

そこら中に彫刻がいっぱい! ヴィーゲラン公園

2014年8月16日
ホテルを出て、中央駅へ。明日乗る鉄道の乗車券を発行してもらいました。続いて、構内の両替所で日本円をNOK(ノルウェークローネ)に交換。これでやっとひと安心です。

トラム(LRT)でヴィーゲラン公園へ。街中を縫うようにして走るトラムの沿線は、豊かな住宅事情を感じさせる、こぎれいな家が並んでいます。彫刻がそこら中に置かれているヴィーゲラン公園も素晴らしく個性的で、心が大いに和み、癒されました。

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1914年にこの地でおこなわれたノルウェー憲法制定100周年記念博覧会の跡地を所有していた貴族が寄付したものらしいのですが、こういうふうに利用されていると、寄付したかいもあったというものでしょう。

広大な敷地を目いっぱい使って配置された数多くの彫刻がこの公園の売りのようです。イメージ的には札幌のモエレ沼公園といった感じでしょうか。芸術家の手が十分に尽くされたという印象を受けました。そういえば、札幌芸術の森野外美術館に、ヴィーゲランの作品が5つ展示されていたのを思い出しました。

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公園をあとにして国立美術館へ。エドヴァルド・ムンクの「叫び」の実物を見ました。ほかにも、マネ、ゴーギャン、セザンヌ、ピカソなどの作品がさりげなく展示されていて、かなり充実しています。カフェで軽いランチを済ませ、王宮へ。地味な建物ですが、衛兵の交代式も見られてラッキーでした。

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カール・ヨハン通りには多くの人が出て大にぎわい。大道芸人あり、イベントあり。いかにも夏の北欧といった感じの太陽がまぶしいこと。グランドカフェでビターを1本飲んだら、すっかり気持ちよくなってしまいました。時差のせいで頭に疲れが出てきて、足取りの重いこと。地下鉄でホテルに戻ります。

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交通機関と各種施設の入場料がセットになったパスはありがたい!

2014年8月15日
オスロ2日目。ホテルからいちばん人通りが多いというカール・ヨハン通りを歩くこと15分。まずは市庁舎を見学。素晴らしいデザインの建物で、見る人を感心させます。中にはノーベル平和賞の授賞式がおこなわれる大きなホールが。壁面に描かれた絵に圧倒されます。

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見終わったあと、近くにあるツーリストインフォメーションに立ち寄り、「OSLOPASS」を購入。2人分でNOK840ですから日本円で1人あたり約7000円。でも、これさえあれば、公共交通機関の運賃とほとんどの施設の入場料がタダになるので、なんともありがたい話。

海外の主だった都市にはたいてい、この種のものがあります。それに比べると、日本はどうかと考えると、悲しいほど遅れています。たしかに、来日客はどんどん増えていますが、多くの人は不便をかこっているのでしょうか。というか、高い交通費や入館(場)料を払わせているはずです。

さて、「OSLOPASS」を持って、さっそく市庁舎のすぐ近くにあるノーベル平和文化センターに。はからずも、今日は日本では「終戦記念日」。そのタイミングで行けたのは不思議でした。「平和賞」の全受賞者がロウソクをイメージさせる細長い透明プラスチックの軸の上に置かれたタッチスクリーンのパネルに写真とともに簡単な事績が紹介されるというスタイル。壁面いっぱいに作られたパネルも、写真だけでなく、たとえばマーチン・ルーサー・キングの有名な演説シーンが音声とともに流れたりなど、さまざまな工夫が凝らされています。

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L1100045_2フェリーで対岸のビュグドイに。この一帯は博物館のメッカで、民俗博物館、ヴァイキング博物館、コンティキ号博物館、フラム号博物館と次々に「制覇」。この4つだけで入場料の合計が400NOK(約6500円)近くですから、「OSLOPASS」の効果は絶大です。

海外から年間2000万人の旅行客をと躍起になっている日本に、こういう、交通機関とさまざまな施設の入場料がセットになった「パス」はあるのでしょうか。交通機関だけのパスは以前からありますし、最近は複数の文化施設に割安で入れるパスもやっと出始めたようですが、それが一緒になったものということです。また、この種のものがなぜか日本語でしか告知されていないのも気がかりです。

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どこの国に行ってもそうなのですが、かならずこの種の「パス」が売られていて、あちこち観光施設を訪れれば訪れるほど得するようになっているので、旅行者にはとてもありがたいことです。

東京など、JRのほか、地下鉄、10社近くの私鉄、さらにバス(都営と私鉄)が入り乱れています。日本人ですらややこしいと感じていたのが、とりあえずどれでも共通で使えるsuicaやPASMOが登場したときはだれもがありがたいと思ったはず。外国人の観光客向けにも同じようなものはあるのですかね。そこにあちこちの施設の入場料が込みになっていれば、喜ばれるでしょうね。オスロも高いですが、東京(日本)だって、交通機関の運賃はかなり高いですから。

さて、ビュグドイからバスで都心に戻り、国立劇場前で下車。急に太陽が燦々と照りつけるようになり、気温も22、3度までに上がった感じがします。バス停近くの公園には人があふれていました。ソフトクリームを食べ、地下鉄で中央駅まで。

乗るときにチケットを買う買わないは、利用者の良心にまかされているのですが、この日はたまたま降りたところでチェックがありました。このときチケットを持っていないと、目の玉が飛び出すほどの罰金が科されるそうです。

地上に出て、一つ問題が発生しました。NOKの手持ち現金が底を尽き始めていました。なのに、両替がなかなかできません。とりあえず、明日に回し、夕食へ。ホテルから歩いて10分ほどのところにある中華料理店で食べましたが、味は、ちょっと??でした。

スカンジナビア航空で「消費税25%」の国へ

2014年8月14日
朝はMKタクシーで自宅から成田まで。無料で送り。某クレジットカードカードでチケットを購入したごほうびというか、罪滅ぼしというか。でも、快適この上ない移動。出発の4時間前に空港着。

SASは初めて。機材も古いがサービスはこんなものかといった感じ。子どものころからその名を知っている海外の航空会社といえばPANAM(パンナム)、BOAC(英国海外航空)、そしてSAS(スカンジナビア航空)しかありません。このうち2つはとうの昔に姿を消してしまいました。唯一生き残っているSASは、PANAMにはかないませんが、ロゴがおしゃれで、色使いもいかにもデザイン大国といったイメージがします。

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コペンハーゲン乗り継ぎでオスロまで。ほぼ予定時刻に到着。コペンハーゲンよりぐんと涼しい。バゲージで荷物を受け取るまでけっこう待ち時間が。カルーセルのまわりに、いつのものとも知れない荷物が山のように置かれています。受取人のいない=当初の予定どおりに届かなかった荷物でしょうが、そのあまりの多さに不安がきざします。すぐ近くにある航空会社や空港の受付窓口にはひっきりなしに、荷物を手にできなかった旅行客が訪れ、係員とやり取り。ですから、私と家人の荷物が出てきたときはほっとひと安心しました。

ホテルまではエアポートエクスプレスでわずか19分。距離は50キロ以上あるらしいのですが、ノンストップですから速いこと速いこと。料金はNOK(ノルウェークローネ)170(日本円で2800円)です。

 

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中央駅に着いたら、ホテルもすぐ見つかりました。駅のすぐそば、しかも市内では唯一といった感じの高層ビルですから。最近よく泊まるradissonです。

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32階の部屋からは市内が一望。港も見えて心が休まります。夕食は近くのカフェで済ませました。ポークサンド、ビール(小・生)とコーラ(500ml)で4000円と少しですから。それにしても、物価の高さは想像以上。しかも、表向きの価格の5分の1は税金(消費税率はなんと25%)です。食後、隣のコンビニで買った500mlのミネラルウオーターが450円とか500円!!。もう1滴残さず飲み干そうっていう気になります。

ただ、ペットボトルの素材が素晴らしくよかったのが印象的でした。最近よくあるペニャンペニャンの、ちょっと力を入れたら壊れてしまいそうな感じはまったくなし(環境的にはどうかなというところもあるのでしょうが)。

台風の中を京都から名古屋、そして帰京

2014年8月10日
昨日夕方、京都での仕事を終えるとすぐ名古屋に向かいました。京都東インターから名神に乗ったものの、雨がひどいため新名神が一部通行止めに。そのため、ずっと名神を走らざるを得ません。今日は三重県のほぼ全域に大雨特別警報が出ていて、7日・8日に走った、県北部から中央部一帯を走る高速道路も軒並み通行止めでした。タッチの差で助かったという感じでしょうか。

養老SAあたりから渋滞が始まっていたので、大垣ICでおり、南へ下って東名阪・桑名東インターから名古屋をめざすコースに変更。これが大正解で8時前にはホテル到着できました。夜遅くになってしまいましたが、弟夫婦にも会えることに。

今日の朝、台風11号がやっと高知県室戸岬近くに上陸。時速20㎞と自転車並みだったので、とにかく時間がかかったようです。本当なら、今日は母の3回忌をするつもりでしたが、それも中止せざるを得なくなり、各自で追善回向することにしました。

高野山には青い目の外国人がいっぱい!

2014年8月8日

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朝食を済ませると、昨晩泊まった「普門院」をチェックアウト。高野山のメインというか、金剛峰寺・奥之院まで足を運びました。話には聞いていましたが、そこら中に、歴史上の有名人の墓や供養塔があります。有名企業の社墓地も多いようです。

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しかし、何より驚かせられたのは外国人の多いこと。聴けば、年間15万人近く、外国から観光客がやってくるのだそうです。しかも、青い目をした外国人の姿が目につきました。家族連れもいれば、学生風の若者などさまざまでしたが、なかには1カ月、2カ月かけて修行していく人もいるとのこと。「世界遺産」の強みを改めて感じました。

二人お昼前に高野山をあとにし、山を下ります。480号線で道の駅「紀の川万葉の里」へ立ち寄ると、何十年ぶりかで黄色いメロンを見つけ、迷わず購入しました。子どものころメロンといえば、これしか食べたことがありませんでした。プリンスメロンや夕張メロンなどというのは、見たこともないという時代だったのですね。桃も安かったので、一緒に買います。

大和郡山をめざすも、家人のスマホで調べると、城の天守閣は登れないことがわかり、予定を変更して法隆寺に行くことにしました。ところが、法隆寺近くはひどいというか、「本当にこんなところに国宝が、世界遺産があるのか?」といった感じの環境。でも、渋滞する国道25号からちょっと入ると、そこはまったくの別世界です。生れてこのかたなぜか行く機会のなかった法隆寺を初めて目にし、その造形美に感動しました。

金堂、宝物館、夢殿をじっくり見てまわり、4時ごろ法隆寺をあとにし、京都に移動します。複雑な道のりでしたが、ほとんど高速道路で行けたため、スムーズに到着。しかし、京都はひどい雨で、外出は無理な状態。夕食はホテル内のレストランで済ませることに。1日に二つの世界遺産を訪れる旅は、こうして終わりました。

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伊勢神宮から世界遺産の高野山へ

2014年8月7日
今回のドライブ計画でいちばんハードな1日です。伊勢神宮を見たあと、さらに高野山まで移動してしまおうというのですから、それも当然でしょう。

伊勢神宮はもともと、地名も何もつかない、ただの「神宮」と呼ばれていたそうです。明治時代から戦前までの近代社格制度においても、すべての神社の上に位置する、別格の扱いを受けていました。

太陽を神格化した天照大御神(アマテラスオオミカミ)を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神(トヨウケノオオミカミ)を祀る豊受大神宮の二つの正宮から成っています。皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれており、内宮と外宮は離れているものの、まず外宮を参拝し、そのあとで内宮に詣でるのが正しいのだそうです。

また、もっともよく知られている伊勢市だけでなく、その周辺、度会(わたらい)郡大紀(たいき)町・玉城(たまき)町・度会町、志摩市、松阪市、鳥羽市、多気(たき)郡多気町と合わせた4市2郡に合計125の神社があります。

内宮の前にある「おかげ横丁」のにぎわいは大変なものです。内宮の鳥居前にかかる宇治橋から五十鈴川に沿って続く800mほどの参道があり、かつては大変なにぎわいを見せていました。江戸時代の参詣客は1年間で200~400万人を数えたといわれています(当時の日本の人口は3500万ほどでしたから、かなりの割合です)。

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江戸時代の庶民は皆、伊勢をめざしていたといっても過言ではありません。「生きているうちに一度でいいからお伊勢さまにお参りを」という言葉もあったほどです。地方の農村では、「伊勢講」といって、参詣の旅費や宿泊費を積み立てるための講を作り、毎月講員が集まっては一定の費用を積み立て、年に1回、クジ引きで参詣者を選ぶ仕組みがあったといいます。

選ばれた人は、初春か晩秋の農閑期や年末から年頭の時期に伊勢に行きます。出発するときは、講員が餞別を渡し水杯を酌み交わして村境まで見送り、留守家庭にはお見舞いが届けられました。帰ってくると、村境まで迎えに行きそこで酒宴を張り、伊勢音頭を歌ってにぎやかに村に入ります。お伊勢参りに行かせてもらった人は神宮のお札と伊勢のおみやげを講員に配りました。村を代表としてお伊勢参りに行く人はそれこそ責任重大。まわりの人たちからは羨望の眼で見られました。

全国から集まってくる参詣客は、御師(おんし)と呼ばれる世話役に手厚いもてなしを受けました。伊勢の御師は全国各地に派遣され、現地で伊勢講の面倒を見、その地の人が伊勢参りに訪れた際には自己の宿坊で迎え入れ、あれこれ便宜を図った。ときにはお祓いや神楽までおこなうこともあったので、その一帯を「おはらい町」と呼んだそうです。

ところが、高度経済成長の時代を過ぎた1970年代後半になると、最盛期にはおはらい町を訪れる参詣客が500万人もいたのに、なんと20万人に激減。せっかく参詣に来てくれても、そのほとんどは「おはらい町」通りと平行して走る国道23号でバスやクルマで宇治橋前まで乗りつけ、参拝を終えるとおはらい町には立ち寄らず、鳥羽や志摩半島方面に行ってしまうようになってしまったからです。年々進む近代化の波に飲まれ、伊勢らしい建物がすっかり姿を消した「おはらい町」が魅力を失っていたことも大きな理由といわれています。

そうした状況に地元の関係者の多くが頭を痛めていた中、この地で江戸時代から営業を続けていた名物「赤福」が、大胆なプロジェクトを立ち上げました。最初に手がけたのは、
古い街並みの保存活動です。1979(昭和54)年からスタートした活動は、市の協力も得ながら順調に進み、「おはらい町」は、この地に特有の妻入・切妻・入母屋造りの木造建築物が建ち並ぶようになり、すっかり様変わりしたもです。

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それだけではありません。「赤福」は多額の費用を投じ、「おはらい町」の中央エリアに別の「町」を作ったのです。1993(平成5)年=式年遷宮の年に完成したこの「町」は「おかげ横丁」と名付けられ、いまや大変な観光スポットになりました。往時の建築物や蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築されているのでまるで小さなテーマパークのような印象を与えます。

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内宮の見学を済ませたあと私たちも、そこで名物の伊勢うどんなどを食したあと、外宮に向かいました。戦前日本を訪れた建築家のブルーノ・タウトは、その著『日本美の再発見』に「日本がこれまで世界に与えた一切のものの源泉、あくまで独自な日本文化を開く鍵、完成した形の故に全世界の賛美する日本の根源? それは外宮、内宮および荒祭宮を持つ伊勢である」と記しつつ、とりわけ外宮を絶賛しています。たしかに、外宮は内宮とは対照的に落ち着いた風情の中に神秘的な空気がただよい、やはり両方をセットにして楽しんだほうがいいなと感じました。

午後3時ごろ、伊勢をあとにし、次の目的地・高野山に向かいました。ただ、これが予想をはるかに上まわる難行苦行。最後の25キロほどはとんでもない山道、、しかもくねくねした坂が続いていたので目がまわりそうになりました。結局、宿坊に着いたのは、夕食の時刻を2時間も過ぎた夜8時。荷解きもそこそこに、私たち2人のためにだけ用意された精進料理の夕食を広い部屋に正座していただいたのですが、なんだかとても申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

それでも、ベッドがしつらえられた部屋は快適そのもの、お風呂も温泉で、それはそれは心地よく眠りに就くことができました。

まだ見ぬ本籍地を訪ねて

2014年8月6日
今日から大ドライブ旅行です。初日は、西伊豆から戻ってきた家人を三島駅でピックアップし、一路西へ移動。第一目的地は伊勢神宮なのですが、せっかくの機会なので、その前にぜひとも済ませておきたいことがありました。それは、長年、私の本籍地だった「三重県志摩郡阿児町鵜方441」を訪ねること。本籍があったにもかかわらず、生まれてこのかた、一度も行ったことがないからです。

平成の大合併で、志摩郡阿児町は現在「志摩市」になってしまっていますが、鵜方以下は変わっていないので、ナビさえあればOKのはず。名古屋から伊勢自動車道を伊勢西ICで下りて、そこから国道167号線を20kmほど走ったあたりが目的地のようです、表通りからは引っ込んだところにあるようで、探しに探し、やっと見つけました。

周囲はまだ畑や森で、住宅はポツリポツリとしか建っていません。それでも、宅地開発が始まっているらしく、土地分譲の看板がそこここに見えます。どこが「鵜方441」なのか、探し回っていると、ようやくそれらしいところにたどり着きました。

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父から聞かされた話では、祖父が戦後間もないころから、この地で自給自足の生活を営んでいたそうです。自力で畑を開墾し、そこで米や、野菜・果物など食べ物を作り、本業である絵を描く──そうした暮らし方を選んだといいます。きっとこのあたりに質素な家を、やはり自力で建て、そこに暮らしていたのだろうなと思いをはせながら見ていたのですが、心が熱くなりました。

一級建築設計士だった私の父親は、現場監理か何かがあって、たぶんこの近辺にやってくることになったのでしょう。そして、どうせならということで、しばらくの間祖父の家に厄介になっていたのではないか……。父の生前、正確な事実関係を聞く機会はなかったので、想像をたくましくするしかありませんが、そうでもなければ、こんなところに本籍があるわけがなさそうです。そして、生まれて3カ月もしないうちに東京まで戻ったといいますから、おそらくそんな流れだったような気がします。

自分の誕生のことなのに、正確なことがはっきりわからないというのも不思議ですが、そういうことをきちんと聞く機会もなかったわけで、いい加減な親子だったといわれても仕方ないですね。

鵜方訪問を済ませ、そこからクルマで15分ほどの宿泊先へ。今日は、英虞(あご)湾に面した賢島(かしこじま)にある「志摩観光ホテルクラシック」(近鉄系)。その名のとおり、1951(昭和26)年創業という古いホテルで、かつてはこのエリアの迎賓館的な存在だったそうです。現在でも、皇族方が三重県に泊まる際に利用されているといいます。建物の設計も村野藤吾ですから、それもむべなるかなでしょう。そういえば、山崎豊子作の『華麗なる一族』の舞台にもなっていましたね。

いかにもといった感じのフロントでチェックインを済ませて部屋に入ると、窓からはリアス式の海岸が一望できます。その向こうに現代的な外観の新館(こちらは「志摩か恩候補手売るベイスイート」という名称)が見えました。しかし、内装やしつらえに年季が入り格調も高い「クラシック」のほうが落ち着けそうな気がします。

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しかも、「ベイスイート」に比べ、「クラシック」のほうは値段も格安。どちらも、地元の上質な食材を活用したフランス料理が広く知られているので、料理目当てで来る客も多いとか。なかでもアワビのステーキやはこのホテルの看板メニューとして有名ですよね。

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娘一家と箱根へ

2014年8月5日
昨日は箱根へ。20年ぶりくらいになるでしょうか、箱根の小涌園に泊まりました。孫がここのところ鉄道車両にはまっているようなので、小田急ロマンスカーで行きました。といっても、3歳ですから、乗ってしばらくすると飽きてしまいます。箱根湯本からの登山鉄道で多少は興奮していましたが、小涌谷の駅に着いたころはもう限界。駅で、別途クルマでやってきた娘のダンナと合流、一緒にホテルまで行きました。

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小さな子どもたちの相手は、正直疲れます。まして、1泊2日という長い時間を一緒に過ごすので覚悟はしていましたが、やはり大変です。

10時ごろチェックアウトし、娘一家はクルマで帰路に。私と家人は一緒にバスに乗り、まず小田原まで。家人は今日・明日と、西伊豆の温泉で1泊する「女子会」に行くので、駅で別れます。明日からは伊勢志摩・高野山・京都・名古屋というコースでドライブ旅行に出るので、今日はゆっくり体を休ませなくてはなりません。夕方は映画でもとおもっていましたが、結局あきらめ、自宅でのんびり過ごしました。

『グランド・ブダペスト・ホテル』は面白い!

2014年6月16日
映画を観てきました。タイトルは『グランド・ブダペスト・ホテル』。第1次世界大戦と第2次世界大戦との間の時期、ヨーロッパ東部の架空の国ズブロフカ共和国に1軒の高級ホテルがありました。そこを仕切る伝説のコンシェルジュとベルボーイが繰り広げるミステリアスな冒険をコメディータッチで描いた作品です。とはいっても、ヨーロッパでナチスドイツが台頭してくる様子なども盛り込まれていますし、ホテル業界の影のネットワークのようなものも巧みに描かれ、最後まで飽きません。

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作品の面白さ。楽しさもさることながら、私が興味を抱いたのは、この映画が撮られた場所。ベルリンとドイツ・チェコ・ポーランド3国の国境に近いゲルリッツ(Gorlitz)であるとwikipediaに記されていますが、実際のホテルすべてを覆う大規模なセットが作られたのはゲルリッツだそうです。

ゲルリッツとはスラヴ語で「燃やされた土地」(町を切り開く際に土地が焼かれたことから)を意味するそうで、最初に文献に登場するのは1071年といいますから、千年近くも前のことです。13世紀以降は交易によって大いに発展したともありますが、さまざまな写真(下の写真はwikipediaから)を見ていると、たいそう美しい町であることがわかり、機会があればいつか行ってみたいと思いました。

新緑の山形・金山町へ

2014年5月20日
昨日・今日と山形県に行ってきました。新幹線で新庄まで行き、そこからクルマで30分ほど。目的地は秋田県境に近い金山町。同じ名前の町は全国で3カ所(あと2つは福島県と岐阜県)あるようです。

江戸時代は羽州街道(福島の桑折から、小坂、金山の2つの峠を越えて秋田県を縦断し青森に至る)の宿場町として栄えたとのことで、その雰囲気をいまもとどめています。クルマのなから見ていても、白壁造りに土蔵など、ほかの町とはちょっと違うなと感じたのはそのためです。戊辰戦争のときは戦場にもなったと聞きました。

昨日は、シェーネスハイム金山というリゾート施設でコンサートが開かれ、それを楽しませてもらいました。親しくしているAさんから声をかけていただいたのですが、そういうことでもなければ、たぶんここまで来ることはなかったでしょう。冬はスキーも楽しめ、春から秋にかけてはハイキングの基点といった感じです。雄大な杉の森に囲まれたこのホテル、木造で、内装も木がふんだんに使われているせいか、とても居心地がよく、しかも食事がおいしくて。長期滞在する人も少なくないと聞きましたが、それもよくわかります。

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今日は、東京に帰るまでの数時間、街歩きを楽しみました。1878(明治11)年の夏、イギリスの女性作家イザベラ・バードがこの地を訪れ、その著『日本奥地紀行』 にも、「険しい尾根を越えて非常に美しい風変りな盆地に入った。ピラミット型の杉の 林で覆われ、その麓に金山の町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。私はここ2、3日ここに滞在したいと思う……」と書かれていますが、たしかにそのとおり。町の側も、そうした雰囲気を残すべく、古い建物や通りを当時のままに残そうと努めています。町の中を流れる水路をベースにした親水公園には鯉がいました。

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物好きも極まれり! またまた足利へ

2014年5月13日
先月末に行ってきて感動した「あしかがフラワーパーク」にまた行ってしまいました。今度は夕方現地着。目的はライトアップされた大藤を見るのがメイン。それと、前回はまだ花が咲いていなかった白藤と黄藤を見るためです。残念ながら、白藤はゴールデンウイーク、それもほんの数日間しか見ることができないようで、今日は完全に姿を消していました。

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黄藤は残念ながら満開を過ぎていたようですが、それでも8割かたはまだ花をとどめており、初めて目の当たりにすることができたしだい。その色の美しさたるや、なんとも表現しがたいものがあります。黄色なのですが、気品を感じさせるというか。

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それよりすごかったのはシャクヤクです。いたるところで満開になっていたのですが、色彩もバラエティー豊かで、大変な迫力でした。それよりちょっと丈の短いボタンもさまざまな色の花を咲かせています。バラも、開花の早い品種が妍を競っており、なかにはかぐわしい香りのするものも。まあ、どこを見ても花のない場所はないといった感じで、大いに楽しめました。

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台北市立動物園

2014年5月8日
昨日は、日月潭をあとにし、台中を経て新幹線で台北へ。今回は、最近オープンした、日本のホテルオークラ系ホテルに泊まりました。台北の駅にも近く、まわりはけっこうな繁華街ですから、とても便利ですし、何より新しいのがGOODです。

今日は、まだ行ったことのない台北動物園に行ってきました。台北の地下鉄(MRT)路線図に「動物園」という駅があり、以前から気にはなっていたのですが、まだ行ったことがなかったからです。

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開園は、日本統治時代の1914(大正3)年といいますから、先の「The La-Lu(涵碧樓)」のもとになった休養施設がオープンする2年前です。もともとは北部の圓山公園(現在は「花博公園」となっている)内にあったため圓山動物園と呼ばれ、いまの場所に移転したのは1986(昭和61)年。

台北の中心部から地下鉄の「動物園」駅までは20分ほど。ここからロープウェーが出ていて、お茶の名所「猫空」にも行けます。

さて、動物園の入口にはかつての門柱がモニュメント的に置かれています。しかし、中に入るとビックリ。なにせ広いので、動物園につきものの鉄柵がまったくありません。どの動物も広いエリアに放し飼い状態といった感じで、たぶんストレスもないのでしょう、のびのびとした感じがします。

人気はやはりジャイアントパンダのようで、休日ともなると、観るには、パンダ館に入るための整理券をもらわなくてはなりません。2008(平成20)年12月に中国から團團(オス)と圓圓(メス)が寄贈されたのが最初で、いまでは子ども「圓仔」もいるので3頭に増えたそうです。

すべてを観てまわるのは大変ですが、お目当てのキリンも観ましたし、2時間ほどいて帰りましたが、動物園のスタイルはどうやら大きく変わりつつあるのを痛切に感じました。

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夕食はホテルの近くにある「新葡苑」という上海料理の店で。普通の値段でとてもおいしく食べられます。台北市内はもちろん、東京の赤坂にも支店があるようです。

日月潭の湖上を船で遊覧

2014年5月7日
日月潭は、標高749mのところにある台湾最大の淡水湖で、水深は23・5m。ふだんは深緑色の水に覆われているのですが、日射しの具合で、翡翠色や紺碧に見えることもあります。いちばん美しいのは夜明けどきだそうです。

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湖の真ん中にあるのが拉魯(ラルー)島という小さな島。ここは、先住民のサオ族の人たちの間で精霊の集う場所としてあがめられていたとのこと。日本の植民地だった時代は玉島、戦後は光華島と呼ばれていたそうですが、いまはサオ族の呼称=ラルー島と呼ばれています。この島を境に東側は円形なので「日」潭、西側は三日月形なので「月」潭といい、それが日月潭という名称のもとだそうです。

 

湖畔にはいくつか船着き場があり、そこから全行程1時間半ほどの遊覧船でまわります。途中、蒋介石の母親を祀ってあるという慈恩塔、三蔵法師の遺骨が安置される玄光寺、玄奘寺、大きな獅子の像が立つ文武廟など、いくつかの名所がありましたが、私たちは船着き場近くの寺院をいくつかかじっただけ。

昨夜は中華料理を食べましたが、今朝はビュッフェ形式の朝飯。寿司や点心なども充実しています。そして、遊覧船から帰ってきてからは中華料理を軽く食べ、夕方近く、ホテルをあとにしました。

台中から日月潭へ

2014年5月6日
台湾3大観光地の一つ日月潭──。以前からウワサには聞いてはいましたが、なんとも素晴らしいところです。台中の駅からバスで行くのですが、途中までは高速道路。最後は山道を20分ほど走り、トータル1時間20分ほどで今回泊まる「The La-Lu(涵碧樓)」というホテルに到着。有名なアマングループ系に属しているだけあって、とんでもなく素晴らしいリゾートホテルでした。台湾国内でも大変な人気を誇っているようです。



20世紀の初め、日本が日月潭に水力発電所を開発していたころ、一人の日本人がこの地に休養施設を設けたのですが、それが始まりだそうです。1923(大正12)年、皇太子(昭和天皇)が台湾を視察で訪れることになり、それを機に2階建てにに改築、東と西に8室のVIPルーム、レストラン、会議室などを含めた施設とし、政府の宿泊所となったのです。



太平洋戦争が終わり、1949(昭和24)年、国民党政府が台湾に移ったあとは蒋介石総統の別荘になり、ときには、台湾を訪れてくる外国用心を接待する場所として利用されてたといいます。この施設が1998(平成10)年、民間に売却され、宮殿式の6階建ての建物の梁と柱と床だけを残し大改装をほどこされ、2002(同14)年3月、新しいリゾートホテルとしてオープンしたのだそうです。

 

エントランスは竹藪をイメージさせる造り。コンクリート打ちっぱなしの建物に入ると左側にフロントがあるのですが、そのバックのガラス窓には日月潭が。右奥にあるカフェに案内され、しばしウェルカムドリンク(中国茶)を飲みながらゆっくりしていると、スタッフがやってきてそのままチェックインの手続き。

 

客室は広いバルコニー付きのスイートのみ。私たちの部屋は2人用でしたが、それでも31坪もあるというのですから、たいそうゆったりした造りです。窓を開けてバルコニーに出ると、目の前には湖が広がっています。ホテルの名前の由来となっている拉魯(ラルー)島も見えます。そこを遊覧船がゆったりと行き来していて、向こう岸にはなだらかな山々が。

 

インテリアはナチュラルシックというのでしょうか、落ち着いた中に気品がただよう感じで、ある程度年齢の行った客には落ち着きます。ベッドの脇にバスルームがあり、バスタブからも外の景色を楽しむことができるようです。バルコニーの一角にも寝転がっていられるベッドが。さすが、「アマン」ならではの緻密な計算というか。



部屋をひととおりチェックしたあとは、ホテルを見学。茶藝館スタイルのティーハウスで、中国茶をいただきました。

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初めてのLCC体験

2014年5月5日
沖縄から、最近流行りのLCC(ローコストキャリア)で台湾に行くことにしました。ピーチアビエーション(ピーチ航空)というANA系の会社です。沖縄・台北間は1時間半ほどなので、ビジネスクラスでなくてもいっこう気になりません。これがなんと往復で1人2万4千円ほど。GWのまっただ中ですから。これでも比較的高い運賃設定です。ハイシーズンを外せば、もっと値段は下がります。

数年前、イギリスで easyjet というLCCに乗ったことがあるのですが、乗客は人間というより荷物感覚で扱う雰囲気がありありと感じられました。ただ、easyjet はもうメジャーになっていますし、アメリカの Southwest もドイツの Air Berlin も、元をたどればLCCです。

さて、ピーチ航空です。那覇空港国内線ターミナルのすぐ隣に以前あった国際線ターミナルが一度取り壊され、2年足らずで新しいビルに建て替わったので、そちらから出発するのかと思い込んでいたのですが、これが違っていました。なんと、貨物ターミナルの一角に間借りしているような感じのLCC専用ターミナルを使っているのです。

「間借り」と書きましたが、ホントその言葉がピッタリ。天井が非常に高い倉庫の一室のようなスペースがロビーとしてあてがわれていて、そこまでは国内線ターミナルビルの前からシャトルバスで移動。もちろん出国の手続きもあるので、それなりの緊張感はあるのですが、何かいじけた感じで、「だから安いんだ」という印象を受けます。

普通のフライトのように、空港ビルと飛行機を結ぶ蛇腹の通路もありません。滑走路に停まっている飛行機の近くまで歩き、タラップを上って機内に入るというスタイルです。この日は折しも大変な雨と風で、全員が傘をさして歩く姿は、なんだかおかしな感じがしました。

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それでも中に入れば、そんなこともすっかり忘れてしまいます。最低限の飲み物は無料でもらえますし、1時間半ですから、退屈するヒマもありません。客席はフルに埋まっていて、見たところ若い人がほとんどでした。台湾に戻るお客の中には、不動産の物件情報を熱心に読んでいる人がいたりします。「富裕層」の人なのでしょう、那覇とかで投資用物件を見に行った帰りなのかもしれません。

 

朝の9時55分出発予定時刻でしたが、雨で遅れたこともあり、台北に着いたのは予定の10時20分(現地時刻)を大きくまわり11時過ぎでした。そこから、今回の第一目的地である台中へ移動します。空港からバスで高鐡桃園駅まで30分ほど、そこから鉄道(新幹線)で。

台湾には何度も行っているのですが、台中は初めて。もっとも、観光的にはそれほど見るべき場所はないようです。もう少し早ければ「桐花祭」のタイミングと合ったのですが、すでに桐の花は散ったあと。そこで1泊だけにし、明日からの日月潭がメインです。楽しみです。

沖縄にも温泉が──瀬長島「龍神の湯」体験記

2014年5月4日
日本最南端の温泉は宮古島にあるそうです。以前は西表島にあったようですが、こちらはすでに廃業してしまっているため、繰り上がったのだとか。

しかし、沖縄本島にも最近(2012年12月)、天然の温泉がいくつか掘られ、営業を始めています。その中でもいちばん新しい豊見城市・瀬長島の「龍神の湯」に行ってきました。

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私たちが沖縄にやってきたのは2日前のこと。さっそく、いつものように「燕郷房」での夕食を楽しみ、昨日はのんびり過ごしました。そして、今日は、その温泉を楽しもうと、クルマで30分もかからずに行ける瀬長島に行ってみたのです。

瀬長島──。「島」といっても、本島と海中道路で結ばれているためクルマでも徒歩でも往き来できます。那覇空港に隣接していることから、離着陸する飛行機を間近で見られます。野球場もあるし、潮干狩りや釣りも楽しめるので、休日ともなると行楽客でにぎわうそうです。ここから15㎞ほど西の慶良間諸島に沈む夕日と那覇空港の滑走路が一望できる露天風呂が売りだそうです。

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クルマでしか行きにくい場所のようなので、そうしました。ホテルも敷設されていて、日帰り温泉の私たちも入口近くに駐車場があるのですが、この駐車場からの景色はGOODです。

露天風呂も素晴らしいのですが、温泉につかったあとの楽しみという点ではいまイチの感があります。風呂と受付の間に狭い和室スペースがあるのですが、壁に囲まれていて開放感がありません。ベンチとかイスがあればいいのですが、何もなし。ただ、すわるか横になるか(これも正直、厳しいかも)しかありません。もちろん、レストランもあるのですが、日中はランチバイキングのみ。3時を過ぎないとカフとしては使えないのです。

日帰り入浴よりホテルのほうがメインといった感じがするので仕方ないといえば仕方ないのですが、せっかく素晴らしい場所にあるだけに惜しい気がしました。

驚きの大藤@「あしかがフラワーパーク」

2014年4月28日
 もう、とんでもない藤です。というか、この「あしかがフラワーパーク」そのものが、これまでの常識では考えられないようなエンタテインメントの場です。

 

 朝5時起床、6時半過ぎには出発してわざわざ出向いたかいがありました。広大な──といっても、歩ききれないほどではありません──園内には、これでもかこれでもかというほど藤が植えられ、とりあえずは紫藤だけでしたが、目を楽しませてくれました。これからしばらくすると、白藤、さらに黄藤と、時期を追って順に花を開き、さらにカラフルな空間になるとのこと。初めてでしたが、半月後にまた来てみようと思ったしだい。「再入園割引券」がもらえたのも納得です。

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 家人が教えてくれた「あしかがフラワーパーク」。日本一の藤の花が楽しめるところだそうです。高速で行けば自宅から1時間ちょいで行けるというので、朝イチで出発。午後になると駐車場に車を止めるだけのために1時間以上も待つこともあると聞けば、多少の早起きは苦になりません。

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8時過ぎには到着し、クルマも難なく止められました。ゲートにもほど近く、大正解でした。まあ、聞きしに勝るとはこのことで、紫や白の大藤が大きな棚から下がっています。なかには半円形のゲート状の棚もあり、フォルム的にも変化に富み、たいそう楽しめました。黄花藤はまだちょい早かったようで、ほとんど見られませんでしたが、このゴールデンウイークに合わせて順序よく咲かせるための努力は並大抵のものではないでしょう。

 

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 いちばんすごかったのはシャクナゲです。クレマチスもあちこちで花を開いていました。バラも品種によっては見頃のものがあり、隅々まで楽しむことができました。

 

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 「足利」というところは初めてでしたが、行きつけの寿司屋の大将から事前に予備知識を仕込んでおいたのが役に立ちました。フラワーパークからクルマで15分ほど走ったところに史跡足利学校、鑁阿(ばんな)寺という名所があり、そこに立ち寄りました。

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 とくに足利学校には感動しました。地味な観光スポットなのですが、訪れてくる人の多さには驚きます。いつ、まただれによって作られたのかがはっきりしていないほど古くからあるようなのですが、とりあえずは日本で最古の学校のようです。一時期取り壊されそうになったのをなんとか残した田崎草雲という人物は尊敬に値します。

 

 
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 鑁阿寺の境内にある茶店のようなところで、足利名物のシュウマイ──といっても、刻んだタマネギに片栗粉をまぶし、皮で包んだもの──にトライ。ソースをつけて食べるべしと聞いていたのでそのとおりにしました。まあ、いうならばシュウマイもどきですか。もう一つがいもフライという名のフライドポテト。これもいかにもB級といった感じのメニューでした。

 

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 もう一つおまけがあります。今日は行きが関越、帰りが東北道を使いました。行き帰り同じ道というのはなんともイヤな私なので、たとえ遠回りでも別の道を選ぶのが常なのですが、今日は理由があります。それは、帰り道の東北道上り。羽生パーキングエリアに興味深い施設があったからです。名付けて「鬼平江戸村」というのですが、ここが大当たりしているようで、実際大変なお客がいました。池波正太郎の『鬼平犯科帳』に登場する食べ物やが軒を連ねるつくりになっていて、しかも、その作りがおそらくは江戸時代そのまま。外観を見ただけで興奮してしまいそうです。

 

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 そこの立ち寄りたかったものですから、先のようなコースを選んだのですが、たしかに面白く、これはアイデアの勝利だと感じました。本来はしょぼいPAなのでしょうが、それも工夫しだいでが集客につながるという素晴らしい教訓を学びました。

14回目を迎えた「北前船フォーラム」に参加

2014年4月19日
 昨日は秋田市で「北前船フォーラム」がありました。不定期開催のこのイベント、今回が14回目なのですが、始まったのはまだ8年前。これまでにかほ市(2008年4月)、佐渡市(2010年3月)でおこなわれた会に出席しています。ですから、私としては3回目になるのですが、日本海から日本史を振り返る、とても意義深い会なのです。

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 会場は秋田市北部の土崎にある県立大学。基本的には2日間の催しなのですが、会を追うごとに内容も充実しているようで、今回も明日まで6部に分けてパネルディスカッションや講演など、さまざまあります。「秋田を東アジアの一大拠点に」と題されたフォーラムに、急きょ代役でパネラーを引き受けたのですが、これから先、明示の初めまで日本経済を担っていた北前船について真剣に学ばなければいけないなと思ったしだい。

 そして今日は、秋田空港からセントレアまで飛んで私鉄とJRを乗り継いで京都に。3日間かけての大移動でしたが、こういう動きが個人的には大好きなのです。

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念願の「花見山公園」に

2014年4月17日
 ここ10年ほどずっと、「行きたい」と願っていた場所の一つに福島の「花見山公園」があります。その昔、写真家の秋山庄太郎が絶賛する記事を読んだことがあり、以後「いつかは……」と思っていたのですが、毎年スケジュールが合わなかかったり、合えば合ったで花がまだしていなかったりなど、なかなか縁がなかったのですが、とうとうそれが実現することになりました。

 早起きして東北新幹線で福島に着いたのは午前8時48分。9時からピストンバスが運行されており、それに乗っていざ「花見山公園へ。9時半からはもう、あたり一面を覆うさまざまな花に包まれていました。「梅と桃と桜が一斉に花を開く」というのが売りなのですが、今日もほぼそれに近い状況。さすがに、梅はほとんど散ってしまっていましたが、桃はまだまだ残っていますし、桜はほぼ満開。それ以外にもツツジにサツキ、モクレン、レンギョウ、ボケが花を咲かせており、それはそれは感激です。

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 花を堪能して、昼過ぎには福島駅前のそば屋で昼食。普通はこれで帰るのでしょうが、今回は翌日秋田、さらに翌々日は京都で仕事がありました。そこで、持ち前の「ついでに」精神が頭をもたげ、まずは田沢湖の温泉旅館「都わすれ」を訪れました。2008年4月以来ですから7年ぶりでしたが、相変わらずの充実ぶりで、食事は最高、湯も最高。前回と違い、部屋にインターネット回線が引かれていたので、ズバリ「都わすれ(=仕事忘れ)」というわけには行きませんでしたが、それだけに利便性もアップし、またいつか来ようという気持になりました。

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ごくごくシンプルなコメディーに爆笑

2014年4月16日
三谷幸喜が書き下ろした舞台劇『酒と涙とジキルとハイド』を観ました。

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19世紀末のロンドンが舞台で、人間を善悪二つの人格に分ける画期的な薬を開発したジキル博士が主人公。本当はそれを飲むと、別人格のハイド氏に変身するはずでした。ところが、学会での発表を明日に控えているというのに、薬がまったく効かないことに博士は気づきます。さあ、どうするか──!? 追いつめられた末の、起死回生の策とは? というのがストーリー。

ジキル博士を演じるのは歌舞伎俳優の片岡愛之助、脇は今回が初舞台となる優香(博士の恩師の娘で婚約者イヴ)と藤井隆(学会発表で実験台になる俳優ヴィクター)、迫田孝也(博士の助手)です。「ただ面白いだけの、笑ったあとに何も残らない喜劇を」と三谷はコメントしていたそうですが、筋立てがとてもシンプルだったこともあり、理屈抜きで笑えました。こういうエンタテインメントもいいですね!

小石川植物園に行ってみました

2014年4月13日
40年近く東京に住んでいながら一度も行ったことのない場所はまだまだ数多くあります。今日はその中の一つ、小石川植物園に行ってみました。桜はもうとっくに散ってしまっていますが、ほかの花が見られるのではないかという期待もあったのです。

「小石川植物園」というのは通称で、正式には「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」という長ったらしい名称だそうです。日本でもっとも古い植物園で、世界的に見ても、有数の歴史があります。320年ほど前、1684(貞享元)年に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がその前身で、1877(明治10)年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきました。

4万5千坪ほどの敷地には、台地や傾斜地、低地、泉水地などさまざまな地形が見られ、そこに4千種ほどの植物が栽培されているとのことです。

広い園内にときおり、大きな表示のある木があります。たとえば、「ニュートンのリンゴ」。物理学者のニュートンが、リンゴの実が木から落ちるのを見て「万有引力の法則」を発見したという逸話は有名ですが、それにちなみ、1964(昭和39)年に英国物理学研究所長ゴードン・サザランド卿から贈られた枝を接ぎ木したものだそうでです。

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また、「精子発見のイチョウ」は、1896(明治29)年、理学部植物学教室助手の平瀬作五郎が精子を発見したことで知られるイチョウ。イチョウには雄株・雌株があり、精子が発見された株は雌株で、秋にはギンナンがたくさん実るとのこと。

「メンデルのブドウ」は、遺伝学の基礎を築いた(グレゴール・ヨハン・)メンデル(1822~84、オーストリア)が実験に用いた由緒あるブドウの分株だということで、名前だけ見ていると、いきなり生物の教科書の中に飛び込まされたような感じがしますね。

さらに、園内には「日本庭園」もあります。もともとは徳川5代将軍綱吉が幼いころ住んでいた白山御殿の庭園がそれで、江戸時代の代表的庭園の一つといわれています。

まあ、とにかく広大な植物園ですから、「花ごよみ」(http://www.bg.s.u-tokyo.ac.jp/koishikawa/koyomi/)を見ると、何月ごろなんの花が楽しめるかがよくわかります。そのあたりに的を絞って出かけると、それほど長い時間をかけず、効率的に楽しむことができるかもしれません。

100歳のいまも矍鑠! 女性写真家の個展

2014年4月12日
笹本恒子氏さんという女性写真家の存在を今日初めて知りました。東京新聞に笹本さんの「100歳展」という催しがおこなわれる告知広告が出ているのを家人が見つけ、教えてくれたのです。会場は横浜の新聞博物館だそうです。

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なんでも、笹本さんは“日本最初の女性報道写真家”といわれているそうで、いまもなお元気に取材・執筆活動を続けているとのこと。戦前、20代で財団法人写真協会所属の報道写真の仕事を始め、日独伊三国同盟の婦人祝賀会やヒトラーユーゲントの来日、日米学生会議など、日米が戦争に突入する前の貴重なイベントの写真を撮影しています。戦後はフリーの写真家として、「60年安保」闘争の模様や画家の岡本太郎、評論家の大宅壮一、作家の宇野千代、美容化の吉行あぐり、画家の三岸節子などを撮影しました。
 
土曜日でもあるので、さっそく観に行きました。久しぶりに車に乗り、首都高を一路横浜へ。新聞博物館という会場は初めてで、ナビだけが頼りでしたが、日本大通りに面して建つ由緒ありげな建物です。

会場には笹本さんの作品134点が、「明治生まれの女性たち」「あの時代、あの人」「笹本恒子が見た時代」「いつまでも現役……笹本恒子さんの今」という4つのテーマに分けて展示されていました。まったくの偶然ですが、途中、笹本さんご自身が会場にやってこられ、お顔を拝見することができました。100歳とは思えぬ足取りで、矍鑠としておられます。居合わせた客とも気さくに言葉を交わしていましたが、まだまだこれからも仕事をされるのではないかと思えたほど元気です。

展示を見終わったあと、せっかくの機会だからということで、新聞博物館のほうもまわってみました。そういえば、中学生のころだったか、日本で最初の日刊新聞は横浜で生まれたということを教わった記憶があります。それを記念し、2000年10月にオープンしたのだそうです。新聞の歴史や新聞が作られるまでのプロセスをわかりやすく展示していました

 

博物館が設けられている「横浜情報文化センター」は、関東大震災の復興記念として建てられた商工奨励館を保存しつつ高層棟を新たに増築した歴史的建造物とのこと。近くには、横浜開港50周年を記念して建てられた開港記念会館や神奈川県庁本庁舎といった、味わい深い建物がいくつかあります。そのほか、横浜スタジアムや山下公園、大桟橋、中華街も歩いてすぐのところでした。

 

昼食どきになったので、何年ぶりかで中華街に足を運び、食事をし、さらにそのあと、赤レンガ倉庫で開催されていたHoli Festivalをのぞいてみました。こちらは、春の訪れを祝い、相手かまわず、色粉を塗り合ったり色水をかけ合ったりして祝う、ヒンドゥー教のお祭りらしいです。

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調べてみると、横浜ではこれより前から、「ディワリ(Diwali)」というお祭りが、毎年秋になるとおこなわれているとのこと。古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に起源を持つ、ヒンドゥー教で最大のお祭りで、「光の祭典」とも呼ばれているとか。“横浜がインドになる”というのがキャッチフレーズのようですが、インド商人が日本で初めて拠点を設けたのが横浜ということにちなんでいるといいます。一度、足を運んでみたいと思いました。

初めて見た「源平桜」

2014年4月11日
桃の花には紅白に咲き分ける「源平桃」と呼ばれる品種があるそうです。同じ幹から色の違う花が咲くこと自体、大きな驚きです。だったら桜にも……期待したくなりますが、残念ながら、紅白の花を咲かせる桜はありません。

ただし、桜にも「源平桜」と呼ばれるものがあるとのこと。しかしこちらは、別々の木がたまたま隣り合わせで育ち、枝がからまり合ったもので、一瞬、白とピンクの花が同じ幹から咲いているのではと錯覚してしまいます。

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その「源平桜」を、今日訪れた国立博物館で初めて見ました。たしかに、なんとも不思議な感じがします。もちろん、白=源氏、赤=平家という、それぞれの旗の色にちなんで名づけられているのですが、いかにも日本人好みのネーミングではありますね。

初めての豊橋、そして三河湾から京都へ

2014年3月9日
 3月8日に京都で仕事があったので、その前に三河湾で温泉でもと思い立ち、6日に東京を出ました。そのついでに、豊橋というところに行ってみたいというのもありました。
 

 

 豊橋は私の出身地・愛知県にありますが、とんと用事がなく、一度も行ったことがない町なのです。旧城下町で、『城下町の人々』という著書でも、それなりの記述はしたものの、やはり実際に行ったことがないと、きちんとしたことは書けません。

 

 というわけで、新幹線を豊橋で降り、レンタカーを借りました。まずは昼飯と、市役所近くのウナギ屋で腹ごしらえして吉田城跡へ。ここもまた川を見下ろす、いかにもという場所に建っていたしろのようです。そこからクルマで、三河湾沿いを西浦までゆっくりドライブ。愛知県はトヨタ自動車の本拠地ですから、とにかく道路がやたらよく整備されていて、走りやすさにかけてはこの上ないといった感じがします。西浦の温泉も海を見ながらのお湯で、十分楽しめました。

 

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