台湾グルメ旅に出発、1日目の夜は?

2015年3月4日

L1010410何度来ても思うのですが、台湾はやはり近い! 時差がマイナス1時間なので、よけいそれを実感します。

午前9時20分のANA便に乗り、12時過ぎには台北松山空港着。午後1時過ぎにはホテルでチェックインしていました。

予報と違い気温が低く、いつ降り出してもおかしくない空模様。夕食も近場でということになり、ホテルから歩いて5分ほどの「青葉餐庁」という店に行きました。事前に読んでいたユニークなガイドブックに、この店の名メニュー「卵焼き」が出ていたからです。

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店は、台湾では珍しいけっこうきちんとした造り。日本のビジネスマンの接待・打ち合わせ用に使われているという、ガイドブックの説明に納得。味も、日本人向けにアレンジされているそうで、たしかに、「炒四糸」も「炒空芯菜」も、皆GOODでした。

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最後の麺も、おまけで出されたデザート「緑豆湯」も◎でした。何より、ボリュームが半分になっているのがありがたかったです。

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タッチの差でウィリアム王子と……

2015年3月1日

単行本のインタビュー取材で宮城県の石巻を訪れました。場所は石巻日日【ひび】新聞の資料館的な施設=「絆の駅NEWSee(ニューゼ)」。私が着いた3時間ほど前まで、イギリスのウィリアム王子が同じ場所を訪問されていたと聞きビックリ。

インタビューは2階のカフェでおこなったのですが、同じテーブルに、小さなトレーに乗ったティーカップが置かれていました。「すみません、こちら、片付けていただけますか」とお願いしたところ、お店の人が「いえ、これは今日1日だけ、このままに……」。「ひょっとして、王子が飲まれたカップとか」というと、「そーなんです!」。

さっそくカメラを取り出しシャッターを押してしまいましたが、このイスにすわるのは遠慮しました。まだ王子のオーラがそのあたりに残っているような感じもする中、インタビューはさくさく進み、予定より早く終えることができました。

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家に戻り、ネットをチェックしてみると、資料館の館長・武内さん(1月にインタビューさせてもらった方)が、王子を相手に汗をかきながら説明しているニュース映像や写真がいっぱい。当然、本国のBBC→http://www.bbc.com/news/uk-31681184でも報じられていました。

なんだか不思議な縁を感じてしまい、今年の9月に予定しているイギリス行きが急に待ち遠しくなりました。

新宿にも中国人がいっぱい!

2015年2月20日

旧正月=春節の休暇に入った中国・台湾から、いま日本中に旅行客が訪れています。テレビや新聞のニュースで知ってはいますが、今日、新宿に行ったら、その一団に出くわしました。やはりナマで見るとすごいです。

とくに新宿3丁目から新宿駅に向かう通りの歩道には、2人連れのカップルから20人近くのグループ・団体客まで、中国のそこかしこに。両手に買い物袋をいっぱい持った人もいれば、配送にしたのか何も持っていない人もいますが、それにしてもその数の多さには圧倒されます。どの店も、外側には「?烈?迎(=熱烈歓迎)」や「?迎(=歓迎)光臨」「免税」の文字を大書したポスターや看板を掲げ、客寄せに必死のようです。

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たまたま立ち寄った伊勢丹デパート1階の化粧品売り場も、この日はほとんどが中国人女性客。どこかの学生なのか、全員が黒い制服のようなものを着ており、しかも前のエリにはバッジが。どのカウンターでも大量に商品を買っている人が目立ちました。おかげで日本の経済もうるおっているわけですから、中国人さまさまであることは間違いありません。

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“残念な”JRの「グランクラス」車両

2015年2月18日

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ホテルの近くにあるコンビニで地元の新聞=「デーリー東北」を買いました。1面トップはもちろん、前日の「えんぶり」です。青森県では「東奥日報」のほうが有名ですが、この地域では「デーリー」のほうが上。八戸市での普及率は75%とのことです。

3月に開通する北陸新幹線でも導入されるようですが、「グランクラス」の車両に、試しで乗ってみました。見たところは国際線飛行機のビジネスクラス(それも上級の)を思わせるシートが、ゆっくりしたピッチで並び、「お-っ!」という印象。腰をおろすと、ついシートベルトをしなくては……なんて気にさせられます。

すわってしばらくすると、アテンダントと呼ばれている女性が席までやってきて、熱いおしぼり(しかもタオル地が厚い)を渡してくれました。これは日本人にはうれしいですね。次に、「お食事は?」「お飲み物は?」といった型どおりの質問をしてきます。飲み物はアルコール、ソフトドリンクなどからいくつでも自由に選べます。食べ物は和か洋のどちらか一方とのことでした。私のチョイスした「洋」はサンドイッチとフルーツの組み合わせ。

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ただ、恩着せがましいとまではいいませんが、いかにも大仰な印象がするのは否めません。たしかに、普通のグリーン車より5000円以上(!!)高い(八戸→大宮間)ので、そうしたサービスを提供しようというJRの気持ちもわからないではありません。でも、「はやぶさ」や「はやて」は、普通のグリーン車に乗ってもソフトドリンクは無料で1杯いただけます。アルコールや軽食、ちょっと贅沢な感じのシートだけでこれだけの金額を上乗せするのは、どうかなぁと思いました。

前にもこのブログで紹介しましたが、スペインのビジネスクラス車両のほうが、金額は日本のグリーン車よりも割安で、サービスもお気楽な感じがして心地よさは上。もっとも日本には、ヘビーで、ウェットな感じのサービスを好む客も多いのかもしれませんが。

そういうサービスより、私は、駅にラウンジを用意するとか、新聞は無料にするとか、無料のWI-FIサービスをつけるとかいったほうが大事ではないかという気がします。それに、リクライニングやランバーサポートなどシートのグレードは高いものの、肝心のすわり心地が皮張りの割にはいまイチ。これなら普通のグリーン車で十分ではないでしょうか。

まだ試行錯誤の段階なのかもしれませんが、大騒ぎしていたわりには中途半端。「ファーストクラス」などと呼ぶにはいささか残念なレベル。早晩姿を消すか、大々的に改められるかという思いを抱きながら、下車しました。

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「えんぶり」にはやはり雪がよく似合いそう

2015年2月17日
今日が「えんぶり」の本番です。「えんぶり」という言葉は「いぶリ(揺り)」に通じているとかで、大地を揺さぶる、揺さぶり起こす、かき混ぜるといった意味が込められているそうです。けっして派手な催しではないのですが、鎌倉時代以来という長い伝統があるだけに、様式はきちんと整っています。

この日はまず、町の中心にある長者山新羅【しんら】神社に朝早くから、30いくつかのえんぶり組(阿波踊りでいうなら「連」のようなもので、親方以下総勢20~30人から成る)が集まり、本殿の前で順番にえんぶり摺【ず】り=舞いを披露します。「えぶり」と呼ばれる農具を使って田んぼの土を平らにならすことを「摺る」ということから来ているそうです。舞うのは「太夫【たゆう】」と呼ばれる3人もしくは5人。それに「お囃子【はやし】(太鼓、笛、手平鉦、歌い手、太鼓持ちなど)」が加わります。

L1010247_2神事が終わると、各組が一定の間隔で町中に繰り出し、お囃子に合わせて舞いながら練り歩きます。もともとがその年の豊作を祈願するための舞い。太夫が馬の頭をかたどった烏帽子(全体に地味めの衣装の中でこれだけは派手で華麗)をかぶり、頭を大きく振る独特の所作に特徴があります。また、舞いも、種まきや代掻【しろか】き、田植え、刈り取りなどの動作を表現したもので、飛んだり跳ねたりといった派手派手しさはありません。

L1010293それでも、練り歩きの途中、中心街の大通りで「のろし」を合図におこなわれる「一斉摺り」は迫力があります。すべての組が行進をやめ、それぞれ舞いを披露するのですが、その中で演じられる子どもたちの祝福芸(「松の舞」「えびす舞」「えんこえんこ」「大黒舞」)も、ユーモラスでけっこう楽しいものです。

L1010331これとは別に「お庭えんぶり」という行事があります。その昔は、「だんな様」と呼ばれる大地主や有力商家などの土間や座敷で
「えんぶり」が披露されていたそうです。それをもとに、その時代の風情を観光客にも感じてもらおうという目的でおこなわれるようになったのが「お庭えんぶり」で、会場も、国の登録有形文化財になっている「更上閣(明治期の財閥・泉山家が1897年ごろに建てた木造の純和風建築)」の庭園が使われます。

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午後は「八食センター」で昼食を取り、すぐ近くの日帰り温泉(「新八温泉」)でひと風呂浴びたあと(途中で地震があったのにはびっくり!)、夕刻になって更上閣に出向くと、丁重なお出迎えを受けます。靴を脱いで座敷に上がると、甘酒と八戸せんべい汁が振る舞われ、それこそ「だんな様」気分でえんぶりの一部始終が楽しめます。ただ、この時期の八戸では珍しく雪がいまイチ不足気味。雪がもっと深ければ、「えんぶり」の動きも一段と冴えたにちがいなく、それが残念でした。

このあとは、代表何組かによる「かがり火えんぶり」が、日の暮れた市役所前の広場でおこなわれます。市役所の職員による「組」もあり、こちらはこちらでそれなりの練習を積んできたようで、けっこう楽しめました。

地方都市はどこでもそうですが、八戸の楽しみもやはり食事です。この日の夜は、江戸時代創業の酒蔵「河内屋」の旧本社で、大正年間に建てられたという歴史的建造物(国の登録有形文化財)を利用した「ほこるや」という店。なんでも、当時流行したロシア風建築とアールデコ調の様式を取り入れた建物だそうで、外観も内装も非常にユニークです。なるほど、「八戸市まちの景観賞」を最初に受賞しただけのことはあります。ここでも、土地の料理をふんだんに楽しみました。なかでも、この地方に伝わる郷土食「蕎麦かっけ」は最高! 「秘蔵酒」も心地よい味わいでしたよ。

L1010315八戸は、地方にある数多くの都市のなかでも、「観光」という部分では成功している部類ではないでしょうか。東北新幹線の青森延伸を機に、途中駅であるがために通り過ぎていってしまいそうな観光客を下車させて引き止めるのはけっして容易なこととは思えません。それを、「八食センター」や「はっち」といった施設を武器に呼び込むことに成功しているのです。私たちもこの日「八食センター」に足を運びましたが、昭和55(1980)年に開業したというわりには、多くの客が訪れていました。明るく広々とした市場の雰囲気は素晴らしく、いればいるだけお腹がいっぱいになります。買った魚介を、その場で炭火で焼いて食べることができるのもウケているのでしょう。青森県で断トツの入込客数を誇っているのもうなずけるというものです。

初めての八戸訪問です

2015年2月16日
今日から青森県・八戸の一大行事である「えんぶり」を見に来ました。「えんぶり」はこの地方を代表する民俗芸能で、国の重要無形民俗文化財にも指定されているそうです。また、青森冬の三大まつり、みちのく五大雪まつりの一つにも数えられています。

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本番は明日なのですが、朝のスタートが早いので前日から泊まることにしました。八戸を訪れたのは初めて。17世紀の半ばを過ぎたころに作られた城下町ですが、遺構としては土塁、本丸跡などくらいしか残っていません。角【かど】御殿表門だけが長らく風雪に耐えてきたものの、昭和53年に倒壊してしまい、2年後に復元されたそうです。しかし、道筋や町の形、名前はいまも変わらないまま残されています。

町自体はこじんまりしています。1時間もあれば隅から隅まで歩いて回れる感じで、ちょうどいい運動になりました。それでもさすが旧城下町、どことなく気品というか風情がありますし、これまた城下町らしく、かつての呉服店(いまはほとんどが洋品店かアクセサリーの店)も目につきます。おしゃれな書店もありました。


私たちが泊まるホテルのすぐ近くに「はっち」という名前(正式には「八戸ポータルミュージアム」といいオープンは2011年)の観光案内所っぽい施設があったので、そこに立ち寄ってみました。とてもおしゃれな建物で、中も充実しており、八戸に関する情報はほとんどここで手に入ります。

L10102433階の展示の中に、いま住んでいる「豊島区」の文字を見たときは驚きました。日本の女性ジャーナリストの草分けである羽仁もと子が始めた「女性の解放」「自由教育の推進」運動の拠点「婦人之友社」は、以前私がオフィスを借りていた豊島区西池袋にありますが、その羽仁もと子はここ八戸の出身だったのです。

地元の小学校在学中は成績優秀で文部省から表彰され、女子でただ一人高等科へ進学したもと子は、明治22(1889)年に上京、東京府立第一高等女学校に入り、在学中にキリスト教の洗礼を受けます。その後当時の報知新聞社に入社し、女性記者として活躍しましたが、同34(1901)年に同じ職場の羽仁吉一と結婚し退職。そして同36(1903)年に「婦人之友」の前身である「家庭之友」を創刊したとありました。羽仁もと子記念館には行けませんでしたが、もと子ゆかりの場所にオフィスを構えていたことの縁にうれしくなってしまいました。

夜はホテル近くの屋台広場「みろく横丁」の一角で魚介類を堪能。さすが海のすぐ近く、とてもおいしかったです。

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ニッポン放送に出演しました

2015年2月13日

ニッポン放送の『テリー伊藤のフライデースクープ』という番組に出演させていただきました。毎週金曜日の夕方4時から5時30分までオンエアされている番組で、この日のタイトルは「県民性の不思議」。“困ったときの県民性”と私はひそかに思っているのですが、番組の企画ではいちばん無難で、しかも内容に幅があります。もちろん、リードする人の才覚にもよるのでしょうが、その点、テリー伊藤さんのようなキャラクターは適任です。


聴視者からもメールがバンバン届いていたようですし、あらかじめ済ませた打ち合わせのとおりにはまったく行かないところが面白く感じます。このあたりは、予定調和が重んじられるテレビとの大きな違いでしょう。


テレビはやはりその影響力の大きさからでしょうが、とにかく打ち合わせが綿密です。本番のときに話すネタを、事前に3回も4回も話すと、どんどんテンションが下がってきて、本番のときは、かなり面白いネタのはずなのに、話している本人も、つまらなそうな感じになってしまっています。もっとも、そこがプロとの違いなのでしょうが。


その点ラジオは、「一過性」の魅力が最大限に生きる媒体という気がします。1分前に電波に乗った話を覚えている人などまず一人もいません。だからといって言いたい放題というわけではないのですが、その場のノリやとっさのひらめきだけでどんどん進んでいくのがスリリングですし、面白いように思えます。

とりあえず当日の中身がかいつまんで紹介されていますので、下記ウェブサイトをご参照ください。

http://www.1242.com/program/terry/2015/02/13184500.html

それにしても、さすが、江戸っ子のテリー伊藤さん、進行スピードの速いこと、速いこと。驚きました。

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アンベール城──生まれて初めて象に乗る

朝7時半にホテルを出発。こんなに早いのはワケがあります(後述)。「ピンクシティーという別名を持つジャイプールの市街地を抜け、バスは郊外へ。なぜそんな別名があるかというと、19世紀後半、インドがイギリスの植民地だったころ、本国から王子様が来られるということで、ピンクが好みだった王子のために、町中の建物をピンクに塗ったからだそうです。

L1000620最初に訪れたのは「風の宮殿(ハワー・マハル)」。かなり色褪せてはいるものの、ここも確かに外壁はピンク色でした。ジャイプルを支配していたマハラジャの居宅で、あとで行く「シティ・パレス」の一部だといいます。

インドは古いだけあって、城が多い国です。しかも、絶対権力者が支配した王朝が多いせいか、ハンパな規模ではありません。今日訪れたアンベール城もその一つ。もともと砦があった場所に、ムガール帝国第3代皇帝アクバルの軍司令官であったラージプート族のラージャ・マーン・シングが大きな城を築き始めたのは1592年。その後も150年間にわたり、ずっと改築が続けられたそうです。

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岩の丘の上に立っているのですが、その全景は、城よりかなり手前にある場所からしか観ることができません。すぐ近くに着いても、本体はその150m上。しかも、大変急な坂です。歩いていく人もいるにはいますが、私たちはもちろん、名物の「象のタクシー」を利用しました。

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その昔は、象もヘトヘトになるまで仕事をさせられたのでしょうが、いまは1日の回数が制限されているとのことで、昼前には任務終了。仕事を終えた象は城から長い道を村まで戻るのですから、たしかに大変でしょう。

象のドライバーはえらく愛想がよく、日本語も達者。私たちが乗った象のドライバーは「ナマムギナマゴメナマタマゴ」という早口言葉を披露してくれたりしました。愛想よくしておけばチップをはずんでくれるのではという下心でしょうね。

時間にすればわずか数分の道中なのですが、妙にゆっくりした感じがします。途中、カメラを持ったインド人が次々とあらわれ、私たちの写真を撮ります。ポーズを指示する人もいました。

降りる際にチップ(早口言葉の割り増しはなし!)を支払い、中庭から周囲を見渡すと、「世界一美しい門」と言われるガネーシヤ門が目に入ってきました。まあ、それ以上に目につくのはみやげ物売り。まあ、次から次へ、絵ハガキ、民芸品、ボールペン、額に貼りつける「ビンディ」(既婚女性はかならず貼りつけている)、そのほかなんだかワケのわからないものまで、いろいろなものを手に大声を出していました。

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Img_0054_2ガネーシャ門を観ながら、城の中に入っていきます。見ものの一つが、小さな鏡の散りばめられた「鏡の間」。天井や壁に無数の壁が埋め込まれているのですが、これだけたくさんあれば、電灯のなかった時代でも、ロウソクの明かりがあちこちに反射・増幅し、室内はさぞかし明るかったことでしょう。

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いちばん奥には舞台があり、ここでは毎晩、宴会があったとか。ハーレムの各室も、壁や天井など、平らなところにはすべて手の込んだ装飾がほどこされていました。床には水路を通して涼しい空気が入ってくるようになっています。暑い国は暑いなりに、それと付き合うための工夫を編み出すというわけです。

帰りはジープ。とんでもなく年代物も多く、道も悪いので、まあ揺れる揺れる。麓の集落まで行き、そこでバスに乗り換えます。 街に戻る途中のマン・サガール湖に「レイクパレス(水の宮殿)」が浮かんで見えました。5~6月は、夏の別荘として王家一族が涼を求めて住んだといわれる建物です。そこを通り過ぎ再び街に入ると、着いた先が天文台=ジャンタル・マンタル。
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インドでは古代から天文学が発達していたらしく、日時計やら12星座のオブジェやらが屋外に並んでいます。ガイドさんがいろいろ説明してくれましたが、もともとそちらの分野にほとんど関心のない私にはほとんど理解不能。申し訳ありませんが、近くを勝手に歩き回ったりしていました。唯一理解できたのは12星座のモニュメント(?)。そこを見学したあとは「シティパレス」。マハラジャの宮殿です。いまでもその末裔の方(41代目とか)が住んでいると聞き驚きました。

さらに衣裳博物館や武器博物館、大会議場などを見学したあと、昼食を取りに再びアンベール城へ。パレスの出口近くにヘビ使いがおり、ずうずうしく一緒に写真を撮ってもらったり。

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Img_0093_2もう午後になっていましたから、アンベール城へは最初からジープで登ります。途中、仕事を終えた象と何頭もすれ違いました。昼食は城内の一角にあるレストラン。えらく、高級そうな内装でした。「ターリー」と呼ばれるインド独特のランチ。丸か四角い皿にいくつかの仕切りがあり、その一つひとつにライスやチャパティ、カレーなどが盛られているもので、さまざま楽しめます。

Img_0094主人公はやっぱりカレーです。カレー好きの私にはもうたまりません。これを別々に食べるのではなく、一緒に混ぜて食べるのがインド式だとか。こうすると、さまざまなスパイスが混じり合い、単独で食べるのとは別の風味が出てくるといいます(ただし、ホウレン草カレーは例外))。さっそく試してみましたが、これはイケます。だからインドの人は手で食べるんだと、納得してしまいました。フォークよりすばやく混ぜられるのです。

ターリーに十分満足したあとは、朝のときと同じようにジープで麓の集落まで行き、そこでバスに乗り換えて街に戻ります。途中、インド更紗、細密画、宝石店などに立ち寄りながらホテルに戻ったのは夕方5時半。今日の夕食は同じレストランですが、内容はセットメニュー―でした。ワインもけっこういけます。なんでも、インドでは最近ワインに力を入れているそうです。そういえば、私の自宅近くでひいきにしているインド料理の店でも最近、ワインのメニューが増えていたことを思い出しました。

初めてのインドにGO!

2015年2月5日


昨日の夕方、成田を17時15分に出発するANA便でインドにやってきました。同じANA国際線でも、インド便はなぜかキャビンアテンダントの質がいまイチという感じがしました。サービスのクオリティーがまだ発展途上なのでしょうか。

今日の午前0時過ぎ、デリーに到着。空港近くのJWマリオットホテルで、いちおう「宿泊」ではあるのですが、実質は休憩に近い感じです。モーニングコールが7時ですから。


今回のインド旅行は「世界の旅情」のツアー(JTB)です。インドとなると、あまり知識もなく、個人旅行では難しそうな気がしたからです。もともとは、昨年秋の南アフリカ旅行(同じく「世界の旅情」ツアー)で一緒になった方々が口をそろえて「インドはよかった」と話していたので、私たちも、予定を大幅に前倒して決行した次第。本当は、まだまだ当分先、おそらくは、70歳近くになってから元気なら……といった位置づけでした。


さて、朝9時にホテルを出発し、まずは市内観光です。この季節、朝の時間帯は霧が出ることが多いらしく、この日も出発してしばらくの間は、霧で窓の外の景色がよく見えませんでした。しかし、車道のすぐ脇、歩道を歩く人々の姿はよく見えます。歩道を通っても未舗装で、雨でも降ったら大変だろうなと思わせます。

L1000538中心部は美しく整備されており、とくに官庁街は素晴らしく整備されています。そこを抜けて旧市街(=オールドデリー)へ。最初の見学スポットは「ラール・キラー(英語名はレッドフォート=赤い砦)」。周りにはおびただしい数のおみやげ売りが、手に手に何かしらを持って声をかけてきます。バイクや三輪タクシー、普通のクルマ、バスなどごったになって渋滞している道路を渡ったところから、美しい赤砂岩でつくられたレッドフォートがその全貌を見せてくれます。ホントきれいな赤です。世界遺産だそうですが、すぐ隣にあるのはヒンドゥー教寺院のようでした。

1526年から北インド、17世紀末から18世紀の初めごろはインド南端部を除くインド亜大陸のほぼ全域を支配し、1858年まで存続したトルコ系イスラーム王朝=ムガール帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンが築いたものです。

1639年、アーグラ(今回のツアー後半で行く)から都を移したとき、そこをシャージャハーナーバード (Shahjahanabad=シャーじゃハーンの町)と名づけたのですが、その居城として9年の歳月をかけて築いたそうです。残念ながら、内部には入れませんでしたが、えらく広大なようで、中には市場もあったとのこと。というか、町全体が城壁で囲まれていたのですね。ちなみに、インドの地名によくある「~アバード(-abad)」は、ヒンディー語で「城砦」とか「集落」「都市」「移住地」「植民地」といった意味とのことです。アーメダバードとかハイデラバードとか、地図で見た覚えがあります。

L1000552次に行ったのは「ラージガート」。ここはガンディーが埋葬されたところで、いうならば神聖な場所ですね。墓碑の前には記念のトーチがあり、火が燃えてウづけていました。靴を脱いですぐ近くまで行きましたが、人々は皆、神妙な面持ちです。

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その後はインド門(第1次世界大戦で戦死した9万人のインド兵士を顕彰するために建てられた)で、これも立派な建築物でした。今日の見学はこれで終わり、ランチタイムになりました。「Moti Mahal Delux」という、タンドリーチキン発祥とされる店で、本場のインド料理を初めて食べました。もちろん、カレー系です。カレーにはやはりビールがよく合います。日本人のツアーではだいたい訪れる店のようです。

午後1時半ごろ、再びバスに乗り、270キロほど南西の大都市(人口320万ほど)ジャイプールへ。途中、州を越えるたびに通行税のようなものを徴収されるようで、検問所でバスもしばし停まります。

ジャイプールまでの景色は退屈でした。たまに目につくのは日本でいう祠【ほこら】ヒンドゥー教の寺院です。もう一つ、壊れて人が住まなくなっている家も目立ちます。とくに、道路に面したところが多いようです。

ときどき街を通り過ぎるのですが、とにかく人の多いこと! 国土が広いとはいっても、日本の人口の10倍ほどですから、それもいたしかたないでしょう。もちろん、牛も羊もヤギも犬もラクダも、そこいら中にいます。猿もいました。だれかにきちんと飼われているのでなく、「野良」もいるといいます。そこに自転車、歩行者、バイク、クルマなどが加わりますから、もうごった煮状態。まさしく「カオス」そのものといった感じでしょうか。

なぜか、外で見かけるのは男性が8割といった感じです。男尊女卑の風習が根強く残っているインドでは、女性が外を出歩くのはまだまだタブー視されているとかで、たまに見かけても顔を隠している人がほとんどといった感じです。もちろん、デリーのような大都会では、そういうことはないですよ。


カオスといえば、インドの交通事情に触れておかなくてはいけませんね。テレビの映像などでも見た記憶がありますが、それはもう想像を絶する状況です。まず、「乗車定員」がほとんど無視されています。日本でいう軽自動車に定員いっぱいは当たり前、だいたいはプラス2~3人、場合によっては倍の人数が乗っています(もちろん、うち1~2人は子ども)。軽トラックの運転席に3人、荷台に8~10人などというのはごく当たり前です。普通のバスもほとんどがすし詰め状態。すわっている人とほぼ同じ数の人が立ったまま乗っています。私が今日見た最高は、50人近くが乗っていたマイクロバスでしょうか。おそらく、定員は15人ほどと思われるのですが、タイヤなどかなり扁平になっていましたから。


L1000517_3それだけならまだしも、それが道路の上をびっしり埋め尽くしています。重体のときなど、本来3車線しかないはずの道路が4車線、ひどいときは5車線になってしまっているのです。ちょっとでも隙間があれば、すぐに割り込んでいくのですから、当然でしょう。もちろん、渋滞が緩和するとあら不思議、ごく自然に本来の車線数に戻ります。バスに乗って走っていて、その“変化”の様子を目の当たりにしたときはビックリしました。走っているドライバーにしてみると、一瞬たりとも気が抜けないので、くたびれるにちがいありません。それに、多くのクルマが、丸坊主のタイヤを履いていました。そういうことはまったく気に懸けていないようです。

L1000589L1000539_2普通の乗用車に加え、インド特有の車がタクシー。といっても、日本で見るようなタクシーはまれで、ほとんどは「(オート)リクショー」という小型3輪トラックを改造したもの。その昔、日本でも目にしたダイハツミゼットをもうひとまわり小さくしたくらいでしょうか。これもまた、運転席に3人、後部の客席に3~5人乗っていたりするのですから、ほとんど曲芸の世界。普通のクルマの間を縫うようにしながらスイスイ走っていきます。どの道路脇にも客待ちの「リクショー」が止まっていて、利用者もかなり多い感じがしました。

「リクショー」の起源は日本の人力車です。明治40年代には、年間1万台が日本から輸出され、「リキシャ」、それがなまった「リクショー」といった名前で広く根づきました。いまはその多くが「オートリクショー」という名の軽三輪トラックを改造したものに代わっています。どのリクショーも車自体がかなり古く、安全性の点では心配ですが、道路上にはそれ以上の心配がいっぱいあるので、たいした問題ではないのかもしれません。

夜7時前にホテル着。夕食はホテルの中のレストラン。バフェットスタイルなので、ほとんどなんでもありでした。でも、やはりカレー系がおいしかったです。

『100歳の華麗なる冒険』に詰まった世界史

2015年1月21日

Poster2沖縄に来たら映画──これは私と家人の定番です。今日は、東京で予告編を見て、「これは」と思っていた『100歳の華麗なる冒険』を観ました。どちらかといえば、マイナーな映画でしょう。しかし、最近はインド映画と並んで、スウェーデン映画がけっこう注目されています。そういえば、ミステリー小説もここ数年、スウェーデンの作品が次から次へ翻訳。・出版されていますね。

その昔は「マルティン・ベック」シリーズくらいしかありませんでした。マイ・シューヴァル(Maj Sjowall)とペール・ヴァールー(Per Wahloo)夫妻による『ロゼアンナ』『蒸発した男』『バルコニーの男』『笑う警官』『テロリスト』など、とても面白く読んだ記憶があります。コルベリ、ラーソン、メランデル、ルンといったそれぞれ個性的な刑事を率いるのが殺人課主任のマルティン・ベック警部。全編、いかにも北欧らしいクールさにあふれているのが印象的でした。

そのスウェーデンで100万部以上売れたというベストセラー小説『窓から逃げた100歳老人』が原作の映画。子どものころから病的な爆破狂だった主人公アランが、100歳の誕生日に老人ホームから脱出するところから物語は始まります。なけなしの小銭をはたいて、最寄りのバスターミナルからバスに乗ろうとしたとき、ふとしたことから大金入りスーツケースを手に入れます。

それは麻薬か何かでギャングが稼いだお金らしく、そうとは知らないアランは、行った先々で珍道中を繰り広げます。それを面白おかしく描いたこの作品、本国ばかりかヨーロッパ各国で大ヒットを記録したそうです。

主人公アランは100歳ですから、2度の世界大戦、そして冷戦も経験しており、フランコもスターリンもお友だち。スパイ稼業に身をやつしたこともあるようで、歴史のお勉強もできたりします。

嘉手納のアメリカ軍基地を上からながめてみました

2015年1月20日

昨日から沖縄に来ています。1月ですから、沖縄といえども、肌寒い感じがします。気温は19度ほどで、東京などより6、7度は高いのですがね。

今日は、嘉手納のアメリカ軍基地に行ってきました。もちろん、中に入ったわけではありません。基地と道路をはさんだところに、「道の駅かでな」というところがあるのです。

4階建ての建物の最上階が「展望台」になっており、そこから広大な基地の空港部分がほとんど全部見渡せます。見学に訪れている人も多く、私たちが行ったときも100人近い高校生の修学旅行で来ており、大変なにぎわいでした。

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それにしても、4000mの滑走路が2本というのは、大変なものです。成田空港でも、4000mのA滑走路ができたのはつい2、3年ほど前ですし、B滑走路はまだ2500mのまま。また、横風用のC滑走路はいまだ滑走路になっておらず、誘導路のままです。

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もちろん、軍用ですからターミナルビルとかは一切ありません。そのため、成田のほうが全体としては広々とした印象(総面積は現在940ha)はありますが、嘉手納のほうは1995haで倍以上。日本最大の羽田空港(1270ha)と比べても1・5倍ほどです。

しかも日中は、戦闘機や偵察機、哨戒機、燃料輸送機などがひっきりなしに離着陸しています。戦闘機の離陸はとりわけひどい騒音を出すので、住民たちはほとほと困り果てているにちがいありません。戦闘機が急上昇したり加速したりするときの騒音は、1回聞いただけで耳がおかしくなりそうです。飛び去ったあとしばらくは耳の中がキンキンしていました。

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「道の駅」の入り口に騒音のレベルを表示する電光掲示板があるのですが、交差点のそばなので、通常でも60~75デシベルほどです。しかし、戦闘機がすぐ上空を飛んでいるときは100近くまで上昇します(ただ、なぜか、そのときは掲示板の電光表示が消えてしまいます)。騒音レベルは毎日公表されているようで、多いときは1日に200回を超えていますから、羽田や成田の比ではないでしょう。http://www.mod.go.jp/rdb/okinawa/03soon/H26/2701k.pdfでチェックしてみてください。

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いくら慣れたとしても、いつしか精神的なバランスが崩れてしまうのではと、他人事ながら心配でになってしまいます。3階の資料室では、『基地の町・嘉手納』というタイトルのビデオ(5分間)が上映されていました。もちろん、そういうことには触れていません。あくまで「基地」と共存しながら暮らしている嘉手納町民といったニュートラルな内容なので、住民の実感とはかなりズレがありそうです。

基地の外で墜落事故でも起こったら、悲惨な状況になるのは目に見えています。基地内から汚染物質が外に流れ出てくる恐れもあります。事実、これまでも危機一髪というレベルの事故が何度か起こっていますし、すぐ近くにある弾薬庫も心配です。沖縄、沖縄と、政治家や有識者がよく口にしていますが、遠目からほんのちょっとだけでも、肉眼で見、肉耳で聞けば、うかつな発言はできないでしょう。

嘉手納にいまアメリカ軍の基地があるのは、1944年(昭和19)年9月に、旧日本陸軍航空隊の中飛行場として開設されたことに起源があるようです。沖縄戦が終わりアメリカ軍が上陸してきてから、嘉手納のこの飛行場をそのまま徴用、戦後どんどん拡張していきました。4000m級滑走路を整備したのは1967(昭和42)年。米ソ冷戦がピークの状態にある時代で、アジアではベトナム戦争の真っただ中でした。それから50年近くが経過しているのに、まだそのままというのは、どう考えても間尺に合わない気がします。

『96時間 レクイエム』

2015年1月13日

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大好きな『96時間』シリーズの、たぶん最終版ではないかと思われる『96時間 レクイエム』を観ました。主役はいつもと同じリーアム・ニーソンですが、今回はいきなり別れた妻が殺されてしまうところから始まります。

  

せっかくこれまで何度も命がけで救ってきたのに……と、一瞬ガクッと来るのですが、それが今回のベース。相手役は、娘キムのマギー・グレイス。でも、それより存在感があったのがフォレスト・ウイテカーです。『大統領の執事の涙』『ケープタウン』で、どちらも、味のある主役を演じている黒人の俳優が今回も渋い刑事役を演じていました。

 

『レクイエム』の舞台がロサンゼルスというのも新鮮でした。これまでのパリ、イスタンブールと違って、カーチェイスがよく似合いますし、別れた妻が殺されるという暗さを思わず忘れさせてくれます。終わりには小さなどんでん返しもあり、素直に楽しめました。アメリカでも興行成績は好調だそうです。

インド映画最大のヒット作『チェイス!』

2015年1月8日
2014年にインドで公開され、『きっと、うまくいく』(2009)を抜いて、史上最高の興行成績(日本円にして約47億円だとか)を記録したのが『チェイス!』です。アメリカでも全米週末興行ランキングで9位にランクされたアクションエンタテインメント作品ですが、そこには深い人間ドラマが描かれていました。

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2カ月ほど前、どこかの映画館でチラシを見たときはいまイチ食指が動きませんでした。ただ、主演が『きっと、うまくいく』のアーミル・カーンだったので、見逃して公開しては……との思いがきざし、急きょ観に行った次第。

よかったです、観て。ストーリーは省きますが、シカゴ市内を縦横無尽に走り回るカー(&バイク)アクションだけでも一見の価値ありでしょう。強烈にアクロバティックな「chase(チェイス)」の迫力ときたら! それもこれも、主人公がサーカスの団長ゆえのこと。冷静に考えると荒唐無稽な感じもなくはないのですが、それより天衣無縫といったほうが正確かもしれません。

インド映画の専売特許といもいえる「集団ダンス」も、昔と違い、適切な場面で適切に出てきます。これなら、日本人もアメリカ人も納得できるのではないでしょうか。

気になったのは、予告編でやっていた『ミルカ』です。タイトルの「ミルカ」とは、アジア大会男子400メートルで1958・62年と2回連続で金メダルを取った実在の選手(ミルカ・シン)の名前。その数奇な運命を描いた作品のようですが、「シン」という名前は、子どものころから強烈に私の頭に焼きついています。

昔から、ターバンとヒゲがトレードマークというのがインド人のイメージですが、ターバンを巻くのはインドの中でもシーク教徒だけ。彼らが多く住む北部のパンジャブ州(すぐ西隣はパキスタン)には、「シン」という苗字がとても多いようです。そういえば、かつてプロレスで活躍したタイガー・ジェット・ソンもこのシーク教徒でした。

1947年8月、イギリスのインド植民地解体に際し、当初の筋書きが大きく狂ってしまいました。その根底にあったのは宗教対立です。結局、ヒンドゥー教徒がインド連邦、イスラーム教徒がパキスタンを作りました。しかも、イスラーム教徒はインドをはさんで東西に分かれるという、なんとも不自然な形になりました(東パキスタンは後にバングラディシュとして分離独立)。

分離独立の方針が決まったとき、インド領内にいたイスラーム教徒はパキスタンへ、パキスタン領内のヒンドゥー教徒はインドへ、それぞれ迫害を逃れて大移動が始まります。その過程で悲惨な衝突が起こりました。ガンディーが暗殺されたのも、この両国=両宗教の対立にからんでのことです。また、北部のカシミール州の帰属問題がもとで、独立直後に起こったインド=パキスタン戦争はいまに至るまで最終決着を見ていません。両国が核兵器まで持つようになったのは、それが原因とされています。

このインド・パキスタン両国の分離独立にあたり、シーク教徒はインド連邦に帰属することを選びました。それが、この映画のポイントのようなのですが、エンタテインメント作品ばかりが目立つインド映画の中でこうしたシリアスなテーマがどのように作られるのか、詳しくは観てのお楽しみですね。

トーハクで等伯!

2015年1月6日
東京国立博物館のことを最近は「トーハク」と呼ぶらしいですね。館長の銭谷眞美さん自身がそう呼んでいるので、“俗称・通称”といったレベルではなさそうです。

そのトーハクで年頭から開催されているのが恒例の「博物館に初もうで」。トーハクで所蔵している、その年の干支に関わる美術品を軸に、松竹梅や鶴亀、富士山など、新年にふさわしい作品をセレクトして展示した、企画性に富むユニークなイベントです。今年の目玉は、別にシャレたわけではないでしょうが、長谷川等伯(とうはく)の『松林図屏風』(国宝)です。実物を観る機会はめったにないと、家人の提案もあり、行ってみようということになりました。

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展示の期間が2日から12日までと短いですし、正月休みの期間と、最後の3連休は込み合うだろういうことで平日の今日を選んだのは正解でした。

国立博物館の周辺は以前とすっかり様変わりしたようで、正面玄関の前には美しい池と噴水があります。その左右にはカフェも設けられており、そこだけ切り取ると、ほとんどヨーロッパの風情。海外からやってきた人など、さすが日本を代表する博物館という印象を受けるのではないでしょうか。

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さて、今年の干支は「未」。ふだんは「羊」と書きますが、古来、神への最適な捧げものとされていたそうです。「よきもの」という意味があるとされ、「美」「善」などの文字の中にも「羊」が使われています。私自身の名前(=祥史)の「祥」という漢字も、シメス偏に「羊」です。それにふさわしい生涯を送りたいと、常々思っています。

というわけで、まずは「羊」にまつわる品々が展示されている「ひつじと吉祥」という展示を観ようと、本館・特別1室へ。『羊と遊ぶ唐美人と唐子』(北尾重政筆/江戸時代・18世紀)『十二神将立像 未神』(重要文化財/京都・浄瑠璃寺伝来/鎌倉時代・13世紀)『よきことを菊の十二支』(歌川国芳筆/江戸時代・19世紀)など、興味深い作品が所狭しと並べられていました。

その中で私が気に入ったのは『灰陶羊』という、 中国・漢時代(前3~後3世紀)の置き物。「灰冬」とは、「陶質土器の一種で、鉄分が還元されて灰青色の色調を呈する」と辞書にはありますが、高さ20センチほどのもので、なんとも愛嬌のある顔をしています。

続いては、今回の本命・国宝『松林図屏風』。安土桃山時代の絵師・長谷川等伯の水墨画で、六曲一双になっています。等伯は、狩野永徳、海北友松(かいほくゆうしょう)らとともに活躍、墨の濃淡や光の効果的表現を追求した人ですが、この作品は等伯の代表作で、近世水墨画の傑作とされています。

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写真ではわかりませんが、学芸員の説明にはこう書かれていました。「白い和紙の上に墨の濃淡だけで、風と光の情景が生み出されています。画面に近づいて松の葉をみると、その激しい筆勢に押されて、後ずさりするくらいです。(略)繊細でありながら迷いなく筆を進め、一気に線を引いていることが見てとれます。(略)さまざまな工夫と技術によってあらわされたこの松林には、霧の晴れ間から柔らかな光が差し込んで、遠く雪山がのぞき、冷たく湿った空気が漂います。艶(つや)やかな墨の色と相まって。風の流れや盛りの清清しい香りまで実感できるでしょう」

一読して、なるほどなぁと感じました。作品が展示されていたのは「国宝室」という専用スペースで、広々としており、リッチな気分で観賞できます。イスにすわってじっくり楽しんでいる人も多くいました。

展示品の数が多いので、あとはサクサクとまわってしまいましたが、お正月ということで、版画・浮世絵にもそれっぽい作品がいっぱい。その中で印象に残ったのが、歌川国貞の『二見浦曙の図』です。昨年、伊勢神宮に行ったときは通り過ぎただけだったので、さほど印象がなかったのですが、こうして絵になったものを観ると、すごい場所だったということがよくわかります。

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もう一つ、歌川広重の浮世絵『名所江戸百景』のうちの「するがてふ(駿河町)」という作品もGOODです。 いまの中央区日本橋室町3丁目あたりらしいのですが、もともと駿河国から出てきた人たちが住みついた町で、名前もそれにちなんでいます。駿府(いまの静岡市)の七間町から見た城と富士山とそっくりの景色が再現されている地域だったのでしょう。

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61年ぶりの大雪・京都から戻りました

2015年1月3日
昨日・今日と京都で仕事でした。すでに元旦から雪が降っていたようで、関ヶ原周辺は完全な雪景色。そこへさらに、2日の夜ドカーンと降ったため、今朝、ホテルの窓から見えたのはまっ白の市街。テレビによると積雪は21㎝で、これは61年ぶりのことだそうです。

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仕事先は京都市内でも北部、それも都心より標高が高い高雄のほうでしたので、21㎝どころか30㎝以上はありそうに見えました。幸い、一日中天気もよかったので、どんどん溶けていきましたが、普通の家やビルではなく、寺院が多い京都では、雪も一段と味わいがあるように感じます(一般家庭では雪かきが大変でしょうが)。

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昨日は当初、ホテルの中華料理店を予約していました。しかし、年末4日間が“中華漬け”だったのでさすがに……ということになり、1日にキャンセルの電話を。結局、東京駅のエキナカ店で買っていった惣菜で済ませたのですが、正解でした。
巷ではけっこう話題になっているらしい「賛否両論弁当」というのを買った(これで3回目)のですが、中身がとても充実しているのです。駅弁には珍しく、タンパク質系の品が数多く並んでいて、味もかなりのレベル。なんでも、恵比寿にある同名の店が作っているそうですが、1500円ほどの値段の価値は十分にあります。

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帰りの新幹線は、関ヶ原周辺で徐行運転があるので当然遅れがあり、品川で下車。昨年は東京駅到着目前で、ホームが満杯で列車が入線できずかなり待たされたためです。結局、自宅に着いたのは夜10時過ぎでしたが、予想よりは早かったように思います。

「インターコンティネンタル香港」の朝食をパスするとは!?

2014年12月30日
初日と2日目(昨日)の夕食を、あまりの短時間で、しかも大量に食べすぎてしまった報いか、家人が昨日・今日と朝食をパスしました。昨日はマカオのシェラトンですからともかくとしても、せっかくの香港、しかも長男一家にとっては初めてだというので、インターコンティネンタルホテルに泊まったのに、なんとも残念なことです。

 

初めて口にしたとききほどの興奮・感動とまでは行かないものの、相変わらずこのホテルの朝食は出色。スクィーズしたてのオレンジジュースはよほどの自慢らしく、ウエイターは何度もすすめてきます。洋食系も中華系も素晴らしく、近ごろは韓国系も充実。もちろん、和食系も豊かな品ぞろえです。それをパスとは……。さぞかし悔しかったことでしょう。

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今日は長男一家と家人の妹はディズニーランドへ。私たちは香港島の南側にあるスタンレー(赤柱)まで行ってきました。九龍と香港島北側の沿岸部はあちこち行っているのですが、南側は初めて。

中環(セントラル)駅前のバスターミナルから路線バスで行きます。行き先は英語で「Stanley Prison」とありますが広東語にすると「赤柱監獄」なので一瞬ドキっとさせられます。ヴィクトリアピークのある山を越えて行くのですが、道幅がとても狭く、バスがすれ違うときは大変。しかも工事による片側交互通行や渋滞が重なり、ふだんなら30分で行けるのが、今日は50分ほどかかりました。

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しかし、着いてみれば、これまで知っていた香港とはまったく違う空間で、楽しかったです。ヨーロッパのクラシックなリゾートといった趣で、ここが香港かと思ってしまいました。それかあらぬか、青い目の外国人観光客が多く、まわりの風景、雰囲気にも実によくなじんでいます。海岸沿いに並ぶ飲食店のすぐ裏側=陸地側に、こちらはいかにも昔の香港っぽい商店街があり、外国人の客でびっしり。安手の衣料品店やお土産物屋はともかく、骨董品店などは多くの客でひしめいていました。

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帰りはそのさらに裏側にあるターミナルから再びバス。路線が違ったせいか、こんどは渋滞もなく、すんなり中環まで戻れました。

 

夕方は地下鉄で香港島の金鐘(Admilarty)の飲茶レストラン「名都酒家」。ただし、時間を過ぎてしまっており、ワゴン式の飲茶にはありつけませんでした。それでも、それ系のメニューをいくつか見つけ、これがまた美味。アラカルトの中から選んだ福建炒飯も極めつけといっていいでしょう。日本の聘珍樓系であることをあとで知り納得しましたが、これもまた多くの人数で行ったから楽しめたこと。中華は多人数に限りますね。

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料理も最後に近い段階になって、突然チャーハンのようなものが入った皿が運ばれてきました。「こんなの頼んでないよね!?」と、だれとなく疑問を口にしたので、私も箸が止まりました。「ひょっとして、ほかのテーブルで注文したのが間違えて運ばれてきたんじゃない?」ととりあえず結論してはみたのですが、念のため、お店の人に聞いてみました。すると「先ほどの北京ダックの残りを野菜と一緒に炒めたものです」との答え。たしかに、口にしてみるとそのとおりだとわかり、一同納得。日本だと、北京ダックは皮のところしか食べませんが、こちらではフルに食べるようなのです。なんだか、えらく得した気分でした。

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長男一家とマカオ・香港へ

2014年12月29日
昨日から長男一家3人と、私たち夫婦、家人の妹、計6人でマカオにやってきました。羽田出発なので楽は楽なのですが、マカオへの直行便はないため香港経由となります。結局マカオのホテルにチェックインしたのは夕方5時半で、ほとんど丸1日をかけての移動です。

 

荷ほどきもそこそこに町に出て夕食を済ませたのですが、どういうわけかどこもかしこもクリスマスのイルミネーションが。中国文化圏では旧正月のほうがメインなので、12月31日→1月1日の年越しは日本のようにお休みにはなりません。大みそかのカウントダウンイベント(でも大々的に花火を打ち上げるようですよ)があるくらいです。ただ、クリスマスから1週間も経っていませんし、イベントを盛り上げるためにも、イルミネーションは残しておいてほうが効果的だろうということで、そのまま残しているのではないでしょうか。

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それはともかく、昨夜行った「Dumbo(小飛象葡國餐)」という巨大なレストランでは、30分ほど行列したあと、わずか30分という驚異のスピードで10品以上の注文を食べ尽くしました。味はハイレベル、値段は格安ですから、大変な行列も納得です。なかでも、炒飯の下世話ながら格別の味は印象的でした。

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マカオの料理は純粋な中華とはやや趣を異にしています。400年という長い間宗主国だったポルトガルはインドやアフリカにも植民地を持っていたので、そちらの影響もかなりあるのでしょう。カレーなど香辛料を巧みに使ったバラエティーにあふれたメニューを堪能しました。それにしても30分とは……。私は早々にリタイアを余儀なくさせられましたが、そのあとで出たポークカツレツはかなりおいしかったようです。しかし、このときの“記録的短時間大食”が家人には大きな影響を与えてしまったようです。

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ただ、それだけではありません。今日の夕食も素晴らしい内容でした。以前からすすめられていた「王子飯店」という店に行ったのですが、どれもこれも感動的なおいしさ。コースメニューにしたのですが、魚介類、肉類が少しずつ、さまざまな形で食べられました。考えてみると、香港でコースの中華を食べたのは初めて。逆にいうと、これまではたいがい、そこいらの安手の店で済ませていたわけです。まあ、これも多人数で来たからできることで、その意味では長男一家に感謝です。

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全員満腹になってホテルに戻る途中、すぐ近くにある、かの有名な「ペニンシュラーホテル」の前を通りました。そのイルミネーションのセンスたるや、さすがです。壁面を屋上部分から地上すれすれのところまで垂れ下がっている電飾がまず目を射ます。しかし、感心したのは、左右両翼の棟をつなぐようにしてともされているサンタクロースや大小の星の電飾。まるで空中に浮かんでいるような趣で、とても変化に富んでいるのです。

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そのまま海沿いの遊歩道(星光大道)を歩きました。映画制作にまつわるものが銅像として飾られ、路上には、ハリウッドのチャイニーズシアターのように、有名俳優の手形が埋め込まれています。しばらく進むと、大変な人だかりとまばゆいフラッシュの嵐が。ブルース・リーの銅像です。有名なポーズをそのままかたどった像の前で記念撮影する人が後を絶ちません。昼夜を問わずえらい人気だそうです。

1時間ほど歩きようやくホテルに戻ると、対岸の美しい夜景がロビーからパノラマのように見えてきました。さっそく、奥のラウンジに入ります。まだ9時過ぎですから、香港的には宵の口でしょう。さしものお腹もこなれたのか、家人はお気に入りの「ヴァージンモヒート」、私は「リキッド・センセーション」と名付けられた冬のオリジナルカクテルを注文。カルーア、フランジェリコ、コワントロー、レモンハート151、エスプレッソ、フレッシュミルクというレシピなので、キホン甘いのですが、テーブル上で最後のパフォーマンスを見せてくれ、一同大喜び。

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今年も楽しめた「BEGIN」のコンサート

2014年11月24日
昨年に続いて、三軒茶屋の昭和女子大人見記念講堂で開かれた「BEGIN」のコンサートに行きました。聴くたあびに、新しい境地を開いている感じがする「BEGIN」のコンサートはとても楽しみです。

 

昨年はブラジルの影響が大でしたが、今年はさらにハワイが加わりました。ブラジルもハワイも、日本からまた沖縄から多くの人が移民した国。現地で触れ合った日系2世、3世たちの思いが演奏・歌に乗り移っているような気がしました。彼らのオリジナル曲ももちろん支持されているのですが、実は、故郷・日本の唱歌が聴きたいというリクエストが後を絶たないようなのです。そんなリクエストに応えようと、比嘉栄昇は、その種の曲を集めたソロアルバム(『えいしょうか』)を9月に出したといいますから、よほど強烈なリクエストだったのでしょう。

 

沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」や、「赤とんぼ」「仰げば尊し」などといった曲、さらにオリジナル曲「郵便ポストに投函した日」など10曲が収められているそうです。12月には第2弾も出すようですから、楽しみですね。

 

「BEGIN」も来年でデビュー25周年だそうですから、いろいろな意味での区切りといった気持ちもあるにちがいありません。2015年の「うたの日」コンサートは、故郷の石垣島でおこなうという発表もありました。行きたいなと一瞬思ったのですが、さて、実現できるかどうか……。

 

また、今後はソロでのライブも開こうというく考えもあるようです。「3人で旅をするのは楽しいが、ソロだったらフットワークも軽くなる。待っていてくださる方の近くに行って、歌うことができたらいいですね」という比嘉の発言もあるので、それはそれで面白いステージに出会えるのではないでしょうか。

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“最後の晩餐”は停電で大幅変更

2014年11月2日
長かった南アフリカツアーも今日が最終日。最後の夕食は、ウォーターフロントの一角にあって、窓から湾が見渡せるレストランという話だったので朝から楽しみです。もっとも、もとはイギリスの植民地ですから、イタリアやスペインほどの期待はできないかも。

今日はまず、植物園です。テーブルマウンテンの南斜面に広がるカーステンボッシュ植物園にはなんと9千種もの植物が栽培されているそうです。すべての植物・樹木に名札がつけられており、美しく整備された遊歩道をゆっくり歩きながら見ていきます。数多くの花がいまを盛りと咲き誇っており、時間があれば1日いても飽きないでしょう。現地のガイドさんが花や木の名前、特徴についてとても詳しかったのには驚きました。

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植物園の次はバスで小1時間ほどの「ワインランド」地域の一角にあるステレンボッシュの町。南アフリカのワインは、先の「ボーア人」のうち、フランスからやってきたユグノー教徒たちがブドウ栽培を始めたのがその始まり。南アフリカではケープタウンに次ぐ古い町で1679年に作られたといいます。


街並みもこじゃれたリゾート地といった感じ(添乗員は「軽井沢っぽい」と評していました)で、このエリアが経済的に恵まれていることを感じさせます。おみやげ物屋や雑貨店、ギャラリー、教会、カフェ、レストランも多く、どこも皆ちょっとのぞいてみたくなるほどセンスのよさが。いいワインができるからこうしたレストランもやっていけるのでしょう。住宅も1つひとつ個性的なつくりで住民のセンスのよさが出ています。

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町の中をしばし散策したのち、こんどはワイナリーを訪ねます。町中からちょっと離れ、曲がりくねった田舎道を抜けた先の広い敷地にボッシェンダール・ワイナリーはありました。試飲用テーブルが屋外に用意され、そこで6種類のワインを試飲します。私個人はワインならなんでもOKという、超いい加減な人間なものですから、話もあまり熱心には聞いていません。それより終わったあと、敷地内のレストランでのランチに興味が行ってしまっています。バイキングスタイルでしたが、とても充実した内容でした。

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Pb020819_2夕方早めにホテルに戻ったのは、最後にショッピングのチャンスが用意されていたからです。V&Aウォーターフロントには大小さまざまなショッピングモールがあるのですが、日曜日とあってさまざまなイベントもおこなわれていました。それを横目に見ながら1つのモールに入ると、雑貨や民芸品、子ども服などのお店がビッシリ。レストランやカフェ、ファストフード店などもいっぱいありました。地下は地元の大手スーパーで、多くの客が訪れています。ワインなど、信じられないほどの安さです。私はキリンの絵をデザインしたワインを白赤各1本ずつ購入。1本500円もしませんでした。

6時にそのモールに隣接する建物にあるBaiaというシーフードレストランで“最後の晩餐”のはずだったのですが、そこが入っている建物全体がなんと停電! 復旧することはするのだが、時間がはっきりしないとのことらしく、急遽場所が変更に。添乗員は冷や汗をかいたことでしょう。それでもなんとか宿泊しているホテルのレストランにテーブルを確保。昨夜も同じところなので、メニューも変え、なおかつ料金は今日予定していたお店と同じに……と、さまざまな条件もあるでしょうからかなり苦労したはずです。それでも、けっして不満はありませんでしたから、脱帽です。いまどき停電なんてこともあるんですね。でも、南アフリカではさほど珍しくはないのだそうです。

喜望峰で風に吹き飛ばされそうに

2014年11月1日

Pb010560今日はケープタウンの観光の目玉といってもいいテーブルマウンテンの観光から。その名のとおり、頂上部分が真っ平らになっています。早めに動き始めたおかげで、すんなり登れました。標高1087メートルというこの山は雨や霧にたたられることも多いようで、1年のうち3分の1は頂上まで上がれないといいますから、登れるだけでもラッキー。しかも、現地ガイドの機転で、この日最初の訪問地としてスケジューリングしてくれていました。おかげで。それほど混雑もしておらず、ロープウェーにも長い時間待たずに乗れました。天気も快晴でしたから、すぐ下にあるテーブル湾など、頂上からの眺望は抜群です。

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Pb010624次に訪れたのが、ここからケープ半島を南下したボルダービーチというペンギンの生息地。砂浜にびっしり、ペンギンが遊んでいるというか寝そべっているというか。あまりの数の多さにペンギンなのか岩なのか、区別がつかないほどでした。周囲に、南アフリカ特産のアロエ成分の入った化粧品やらクリームを売っている店がいくつもあり、女性陣はかなりの量を買い込んでいました。値段も日本に比べるとえらく安かったようです。

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Pb010720昼食後は一路「喜望峰」へと向かいます。周囲は自然保護区で、さまざまな植物、樹木が生えており、野生動物も数多く生息しているとのことです。赤い花を咲かせるプロテアという木がいちばん有名とかで、国花にもなっています。ケープスノーという草花も密生しており、これがあたり一帯に白い花を咲かせるころは壮観だそうです。ただ、いまは残念ながらその季節ではありません。

Pb010691そうした中、いちばん印象深かったのはダチョウです。展望台から下の海岸まで降りるバスのすぐ横まで平気でやってくるのには驚きました。チャップマンバブーン(ヒヒの一種)やボンテボック(シカの一種)などもけっこう人なつっこい感じで、駐車してある自家用車のルーフの上で遊んでいたりします。その分、野生味は感じられませんでしたが……。

そうした中を30分ほど走るといよいよ「喜望峰」です。1488年、ポルトガルの探検家バルトロメウ・ディアスがこの地に到達したのですが、周辺があまりにも荒れる海域であったため、Cabo Tormentoso(「嵐の岬」)と命名したそうです。ただ、その後ヴァスコ・ダ・ガマがこの近くを通る航路を発見し、香辛料貿易のルートが大幅に短縮されたこともあり、のちにポルトガル国王が「希望の岬」(Cabo da Boa Esperanca)と改めさせたとのこと。日本ではそれがなぜか「喜望峰」という呼び名(文字がおかしくありませんか?)で定着しているわけです。

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しかし、最初に「嵐の岬」と名づけられたのは、けっししていわれなきことではありません。私たちもケーブルカーで10分ほどの展望台(高さ248メートル)まで上りましたが、かなりの風が吹き荒れていました。それでもやはり、快晴で大西洋とインド洋を同時に見晴らせる眺めは感動ものです。

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すさまじかったのは、展望台の下にある「Cape Point」。海っぷちにあるため、ちょっと油断するとすさまじい強風が吹き、正直、立っているのがやっとという状態でした。「KAAP DIE GOEIE HOOP」とアフリカーンズ語で記された表示板の前で写真を撮りましたが、しがみついていなければ吹き飛ばされそうになるほど。歴史や地理の教科書では知っていましたが、実際には初めて訪れた喜望峰で、歴史のひと幕を垣間見たような気分で、とても有意義なひとときでした。きっと、南アメリカの最南部にあり、マゼランが通過したホーン岬も同じようなものだろうなぁと想像したりもしました。

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夕方ホテルに戻ると、昨日停泊していた中国船に代わり、日本の漁船が停まっていました。神奈川県三浦市からやってきているようです。今日は旅行会社が気を利かせたのでしょう、夕食は市内の日本食レストラン(Fujiyama)。久しぶりのしょうゆ味にほっとしました。ケープタウンは魚の水揚げ港でもあるので、魚介類はふんだんに出回っているようです。そのわりにFujiyamaの刺身はいまイチでしたが。

ジャカランダの満開は過ぎていましたが

2014年10月31日
Pa310430今日はまず、ユニオンビルからスタート。ホテルのすぐ近くにある国の施設ですが、ネルソン・マンデラの巨大な像が圧倒的な存在感を示していました。マンデラが南アフリカの大統領に就任する式典をおこなったことでも知られている建物、まだ作られてからさほど時間が経っていないようで、多くの人が見学に来ていました。プレトリアは南アフリカでもいちばん治安が悪い都市ともいわれていますが、昼ひなか、こういう場所にいるかぎりは何も問題なさそうです。

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そのあと、園内にジャカランダがたくさん植えられているというアルカディア公園を見学し、さらにジャカランダの街路樹がいっぱいのハーバー・ベイカー通りまで。どちらもバスを降りてしばし散策したのですが、残念ながら1週間ほどの差でその時期は終わっていたようです。満開のときにい合わせれば、満足度はもっと高かったことでしょう。

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Pa310462しかし、ここでガイドさんが機転を利かせ、ちょっと珍しいジャカランダが植わっている地域に寄り道することになりました。そこは高級住宅街のようで、どの敷地もかなり広く、周りが塀で囲われているような家ばかり。門には警備装置が備わっていて、なかには有刺鉄線や電気を通す仕掛けのある塀も見受けられました。しばらく走ると、ありました! 花びらが白いジャカランダです。ジャカランダといえば紫色しか思い浮かばない私たち日本人にとっては、とても新鮮でした。

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午後はヨハネスブルグに移動し、そこからケープタウンまでは飛行機。V&Aウォーターフロント地域の中にあるホテル(Cape Grace)にチェックインします。ここはいかにも格式がありそうで、以前オバマ大統領も泊まったことがあるとのこと。場所が桟橋の真横で、今日はたまた中国の漁船が停泊していました。窓を開けたちょうど真ん前に船のマストがある部屋をあてがわれた人もいるようです。私たちの部屋はそれとは反対側で、目の前がヨットハーバー、その彼方にテーブルマウンテンが見えました。夕食は、ホテル内レストランの片隅。本格的なフルコースに一同大満足。

乾季でもたいそうな迫力。これが雨季なら……と思うと

2014年10月30日
今日は地上から滝を見に行きます。バスでの移動ですが、途中、バオバブという巨木がある場所で下車すると、遠足か修学旅行か、それを見学に来ていた対岸の国ザンビアの小学生とおぼしき一団と遭遇。一緒に写真を写したりなどして交流したのですが、子どもたちのなんとも純真そうな瞳が印象的でした。

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マダガスカルが原産地というバオバブは、幹が徳利のような形をしており、20~30メートルの高さにまで成長するといいます。幹も直径10メートル近くにまでなるそうですが、年輪がないので樹齢はつかみにくいとのこと。ただ、中は空洞になっていて、大量の水分をたくわえており、乾季になるとその水分で生き延びるとガイドが教えてくれました。

Pa300281滝の手前の広場のようなところに、この滝をビクトリア滝と命名した探検家リビングストンの大きな銅像がありました。小学生のときその伝記を読んだ記憶がありますが、探検家としてしか覚えていません。しかし、もともとはスコットランド生まれの宣教師で、その一方で医学も学び、布教活動のためにアフリカに赴いたところすっかりその虜になってしまったとのこと。以後はアフリカ各地を探検しながら、布教と医療にいそしんだといいます。探検家業はその副産物のようなもので、それでも、彼がいなければ今日のアフリカは存在し得なかったといっても過言ではありません。

それを過ぎるといよいよ滝への遊歩道に入ります。乾季とはいえ、滝の近くは空気のほとんどが水蒸気といった感じで、この日も湿度はおそらく80%以上あったのではないでしょうか。それもこれも滝から上がってくる水煙のためです。気温もかなり高いので、全身汗だくになってしまいました。

Pa300300_2Pa300306ヘリコプターから見たときはそれほどでもないように感じたのですが、地上から見ると、乾季とはいえ、その迫力はやはりすさまじいものがあります。幅数キロにわたって水が落ちてくるはずが、途切れ途切れになっているのですが、どこからも猛烈な水煙が立ち上がっていました。雨季のときに来れば、その迫力、スケールはいかほどのものかと想像させられます。途中、滝の上で水泳を楽しんでいたりはるか下に見える滝壺を小さな船で遊覧しているのが見えましたが、さぞかし楽しかろうとうらやましく思いました。とにもかくにも、ビクトリア滝の魅力はその「高さ」にあることは間違いなさそう。イグアス、ナイアガラとの違いもその点にあるのではないかと思いました。

Pa300310Pa3003271時間ほど歩きながらさまざまな角度から滝(の片鱗)を見終えたら、次の目的地「ジャカランダの街」ともいわれる首都プレトリアに移動。周辺も合わせるとこの町にはおよそ7万本ものジャカランダが街路樹として植えられているとか。それがいま満開だというので、なんとも楽しみです。


ビクトリアフォールズからヨハネスブルグまで1時間45分、入国手続きを済ませたあとバスで1時間ほど走りプレトリア市内に。さすが、首都だけに市街地は美しく整備されています。中心部に近づいてくると、なるほどそこここにジャカランダの花が見えてきました。

Pa300368ホテル到着前に一カ所、「フォールトレッカー開拓者記念堂」に立ち寄ることに。町の南にある丘の上に建つ褐色の四角い建物なのですが、遠目にもえらく目立っていました。「フォールトレッカー(Voortrekker)」とはアフリカーンズ語で、「先頭に立って開拓の旅に出た人」といった意味のよう。。ケープタウン周辺に「アフリカーナ」(のちにボーア人)と呼ばれるオランダの移住民が入植して以来の歩みがよくわかります。南アフリカの歴史などほとんど知りませんでしたが、とても勉強になりました。

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フォールトレッカーたちは1838年12月16日、1万人にも満たない人々が「血の川の戦い」でズールー王国との戦いに勝利したのですが、それをバネに、彼らが2つの独立国家を築き上げたということでした。毎年12月16日の正午、建物中央の真上から光が差し込むように設計されているのだそうです。最上階で上と下を見てみると、その設計の巧みさに驚くとともに、なんともおごそかかというか、神聖な雰囲気に満ちた空間が作られていることがわかります。

Pa310398しかし、何よりうれしかったのは、この記念堂のすぐ近くでシマウマを見つけたこと。丘のふもとを走るハイウェイ沿いに小ぶりながら牧場のような草地があり、そこに10頭近くもいたのです。これで「BIG5」を制覇したことになり、ツアー参加者一同、大喜び。ちなみに、ヌーも2頭いましたよ。それにしても、なんでこんな町中に野生動物がいるのか不思議でなりません。

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ゾウの行進に感無量

2014年10月29日
チョベ国立公園でのサファリゲームも今日が最終日。まだ見ることができていないライオンに会いたい! 皆の思いも同じでしょう。朝6時に出発し、一路公園へ。私たちのガイドを務めてくれている人はこの間ずっと一緒ですから、「なんとか見て帰ってほしい」といった思いがあるようです。走っている途中ですれ違うほかのジープのガイドと情報を交換し合いながら、こっちへあっちへと走り回ります。

Pa290143_41時間ほど経ったところで、ようやく希望の明かりがともりました。川の近くでライオンの足跡、それもまだ新しいものが見つかったというのです。どのジープも一斉にそちらに向けて走り出しました。川に沿って数百メートル進んだ左側、陸地に少しだけ入った小高い場所に、2頭のライオンが横たわっています。ただし2頭ともメスです。ときどき起き上がってまわりに目をやっているようですが、しばらくはそこで体を休めようとしている感じがします。ジープに乗ったまま懸命にカメラを向け、シャッターを切りました。

そこをあとにし、場所的にはその真裏あたりにある「Stretch Point」でしばらく休憩。さすが、1時間以上運転し続けたためガイドもやや疲れ気味です。15分ほど体を休め、いよいよ最終ステージ。公園の出口をめざしながら、やや小高いエリアを走り始めました。

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しばらくすると、進行方向の右手700~800メートルほど前方にゾウが何頭か歩いているのが見えてきました。しかも、数頭の1家族ではなく、何十頭もついてきているではありませんか! ゾウの行進です。先頭を歩くのは、いちばん体の大きな、いかにもリーダーといった風情のゾウ。ガイドがジープをゆっくり前進させました。私たちの4~5メートルほど前を威風堂々とした態度で横断し、残りのゾウがそのあとにゆっくりと続きます。リーダーにつき従っていけばなんの心配もないといった様子で、感動的ですらあります。こんな素晴らしい場面を目の当たりにすることができ、3日間4回にわたって通い詰めた甲斐がありました。

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興奮がまださめやらぬうちに、最後の「モーニングサファリ」は終了。ホテルに戻り朝食、チェックアウトを済ませると、マイクロバスに乗って次の目的地ビクトリアフォールズの街に向けて出発。家人の荷物は、今日私たちが泊まるホテルで受け取れることで話がついたとのこと。ビクトリアフォールズの空港には、私たちが到着した翌日きっちり届いていたのですが、それをチョベまで運んでもらうにはえらく手間がかかるのだそうです。チョベはジンバブエでなく、隣国ボツワナにあるというのがその理由。荷主が一緒にいない荷物を国境越えさせるのは手続きげ面倒だそうで、本当に届くのかについても不安があります。そこで空港から直接、ビクトリアフフォールズのホテルまで届けておいてもらうことになったわけです。これなら同じジンバブエ国内での輸送になり、安全確実というわけですね。

ビクトリアフォールズに入り、中心街にあるホテルが近づいてくると、いかにもイギリスの植民地だった国の町らしく、道路も街並みも美しく整えられています。リゾート地・観光地でもあるので、そのレベルもかなり高そうです。

Pa300227ホテルに到着。家人もフロントでスーツケースを受け取りひと安心。1904年創業の老舗ホテルというだけあって、入口もロビーも廊下も中庭も年季が入っており、時間とお金があれば、何泊かゆっくり泊まりたい感じです。昼食を取ったホテル内のテラスレストランからはザンベジ川とそこにかかる鉄橋(対岸はザンビア共和国)、ビクトリア滝の一部も見えます。雨季だと、滝の水が落ちるときに生まれる水しぶきまで見えるといいますから、さぞかし素晴らしい眺めなのでしょう。

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部屋の割り振りが終わり、いよいよ滝へ。全体的には大変な大きさですから、まずはヘリコプターから見下ろすプランになっていました。私としては生涯3回目のヘリコプター、家人は初めてです。乗る前に体重測定があり、それによって機内でのすわる場所が決まります。空から見ても滝のスケールの大きさは十分感じられるのですが、乾季のため水の量が5分の1か10分の1ほどだとのこと。これが雨季なら、いまよりはるかにすさまじい迫力があるのではないでしょうか。そちらは次回の楽しみですね。

Pa290215_3ヘリコプターによる滝の見学は12分間で終わり。ホテルに戻り、夕食までしばし自由時間ということで、近くの商店街まで買い物も兼ねて散歩することにしました。歩いていると、現地の人がさかんに声をかけてきます。ジンバブエの紙幣を買わないかという誘いです。過去にハイパーインフレが起こったため、この国の旧紙幣は紙くず同然になってしまったのですが、その「ハイパー」ぶりが半端ではありません。

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なんとなんと、「100兆ジンバブエドル」といった紙幣が存在したらしく、それをおみやげにというわけです。まあ、世界中探してもそうそう出くわすシロモノでもないでしょうから、売り物になるのもわからないではありません。超巨額の紙幣はかの「イグノーブル賞(人々を笑わせ、そして考えさせてくれる研究)に贈られる賞」」の副賞にもなっているほどですから。私たちは残念ながら遠慮しましたが、ツアー参加者のなかに、あまりに執拗な声かけに負けて買った人もいました。3枚で2USドルだったそうです。

夕食はホテル内のレストラン(個室)でフレンチのフルコース。部屋に戻り、ネットで調べてみたのですが、日本のamazon では1枚4000から5000円で売られていたのにはびっくりしました。「だったら買っておけばよかった」と後悔してもあとの祭り。でも、これまた次回のお楽しみですかね。

「サファリ」とは狩りではなく、探して観て楽しむこと

2014年10月28日
今日も1日、朝からサファリです。といっても、もちろん狩猟ではありません。その昔、ヨーロッパの列強がアフリカ各地を支配していた時代、「サファリ」は動物を「狩る」ことだけを意味していましたが、いまは動物を保護するために保護区的な施設が作られています。となると、「探して観て楽しむ」のが目的で、「サファリゲーム」といういい方をするのはそのためのようです。英語の「ゲーム」は「獲物」「目標」「標的」という意味。一方、「サファリ」はスワヒリ語で、もともとは「旅行」全般のことでした。それが「狩り」しか意味しなかったのは昔の話で、いまは特定の保護区の中で野生動物を探して見て楽しむ(観光)ツアーという意味になっています。

かつて「ゲームサファリ」の主目的が狩猟だった時代の名残でしょう、「BIG5」という言葉があるそうです。ライオン、サイ、ヒョウ(レパード)、アフリカ水牛(バッファロー)、ゾウの5種類の動物を狩るのが最高の成果といいます。それがいまは、この5つの動物の姿を見ることができれば目標達成ということになります。個人的にはこれにキリンとシマウマ(ゼブラ)を加えて「BIG7」にしたいのですが……。

午前6時、「モーニングサファリ」に出発。まあ、とてつもなく広大な公園ですから、いつ、どこで、どんな動物に出会えるかは成り行きしだいです。私たちが訪れているのは、この国立公園でも北東部にある「セロンデラ」というエリア。流れているチョベ川のすぐ向こう岸はナミビア共和国です。先にあげた5つのほかにも、サル、カバ、ジャッカル、マングース、トカゲ、ワニなどのほか、ワシ(フィッシュイーグル)、ハチクイドリなど鳥も数多く生息しています。なかでもアフリカゾウの数は5万頭と半端ではありません。

Pa280024ジープから降りて動物を見られるのは、危険防止と環境保護のため、「Stretch Point」という表示板のあるところだけ。トイレや休憩所もあり、そこでジープのドライバーどうし、「どこそこの近くにシマウマがいた」「あそこにライオンの足跡があった」など、最新の情報を交換しています。もちろん、走っている最中も無線で連絡を取り合っているようでした。ただ。すべてのジープに無線機が備わっているのではないらしく、それを補っているのが「Stretch Point」での情報交換というわけです。バッファローは比較的簡単に見られました。ヒョウも1回だけですが、見ることができました。ゾウとサイはすでに昨日見ています。今朝の成果はそこまでといったところでしょうか。

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9時前にいったんホテルに戻って朝食を取りしばらく休憩。日中は動物たちの多くも休憩時間に入っており、パーク内を動き回っていることはないようです。ただ家人は朝食のあと、添乗員(今回は女性です)と一緒に、ホテル近くのマーケットまで買い物に行くことになりました。なにせ、身のまわりのものはほとんど全部スーツケースに入れたままなのですから、洗顔用品・化粧品から下着・靴下など、最小限のものはとりそろえなければなりません。

L1000210_2アフリカ、それもボツワナで、どんな品物が手に入れられるのか、興味半分でついて行ったのですが、まあ、かなりプアではありました。それでも、場所柄でしょう、ドイツ人やアメリカ人、デンマーク人など、世界各国からお客さんが来ており、さまざまな言葉が飛び交っています。

家人が連れていってもらった店も、広くはあるものの中は薄暗く、見ると、床に商品が落っこちていたりします。そうした中から必要なものを探すのは大変だったようですが、30分もすると、荷物を抱えて出てきました。「まいったわ~」という顔をしていたので、けっこう悩ましい買い物だったのでしょう。L1000212_2

部屋に戻り着替え始めてすぐ、「さっき買ったブラの紐、もう切れちゃった」と。それほど胸は大きくないはずなのですが(笑)。「コットン100%の服なんて1つもなくって。ぜ~んぶ化繊。安いことは安いんだけどね……」とほとんどあきらめ顔でした。


夕方、再びサファリゲームに出発。メインはチョベ川でのボートクルーズです。船着き場から大型のボートに乗り2時間ほどかけて川をめぐります。あちこちに何十頭ものカバの集団が、泳いでいたりじっと眠っていたり(?)していました。ワニやさまざまな鳥が岸辺でまったりしていたのもよかったです。

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しばらくすると、ボートを運転しているガイドが「あっ、あそこにキリンが見える!」と興奮した声を出しました。しかし、ガイドの指差す方向にいくら目をやっても見えません。「あそこだ、あそこだよ」と指で差し示していのは川からはるか離れたところにある森と森の小さな切れ目のような場所。たしかに、双眼鏡をじっとのぞいてみると、頭の部分だけがかすかに見えました。「あんなに遠いのに、よくもまあ」と感心したのですが、聞けば、数キロ先までははっきり見えるといいます。モンゴルの大平原でヒツジを追っている遊牧民と同じなのですね。視力検査をしたら、たぶん4とか5とかあるでしょう。

残るはいよいよライオンだけ。これは明日のモーニングサファリでの幸運を祈るしかありません。それにしても、チョベ川に落ちる夕日の美しかったこと! いくつもの中洲を縫うようにしながら走るボートの上から見た、真っ赤な太陽がゆっくり沈んでいく光景は忘れられないでしょう。

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南アフリカに向け、いざ出発!

2014年10月27日
家人と私の2人してずーっとあこがれていた「ビクトリア滝」。それを楽しむ旅が今日から始まります。「世界3大瀑布【ばくふ】=滝」の1つで、イグアス(ブラジル&アルゼンチン&ウルグアイ)とナイアガラ(アメリカ&カナダ)はすでに制覇したので、ここだけが残っていたのです。

ビクトリア滝はアフリカ南部、ジンバブエ共和国とザンビア共和国の国境にあります。「な~んだ、南アフリカにあるわけじゃないんだ」と知ったのは、つい最近。ただ、どちらの国も日本からの直行便はないので、南アフリカから入っていくしかありません。まして、ツアーとなれば当然のこと、滝だけではマニアックに過ぎるでしょうから、ほかの観光スポットをいくつか組み合わせてあります。

今回のツアーでプラスされているのは「チョベサファリ」。野生の動物を見て楽しむ、けっこう人気の企画だそうです。家人が申し込んだとき、「滝がメインなら初夏、いまはジャカランダです」といわれたとのこと。10~11月はジャカランダが満開になる一方、滝のほうは乾季のため水量が乏しく、そちらをメインで考えているのなら……という話でした。どちらも捨て難く、迷いもありましたが、広告でこのツアーを見つけたのも何かの縁だと思い、決めたしだい。ちなみに、ジャカランダは「世界3大花木」の1つ(ほかの2つは火焔【かえん】木と鳳凰【ほうおう】木)だそうですが、美しさでは一番のようです。

日本を出発したのは昨日の午後6時25分。ANA便でまず香港まで行き、そこで1時間15分後のSA(南アフリカ航空)便に乗り換えるのですが、香港→ヨハネスブルグは13時間15分! ヨハネスブルグに降り立ったのは今朝7時20分でした。そして、3時間ほど待って、ビクトリアフォールズ(ジンバブエ共和国)行きの便に乗り換え1時間45分でようやく到着です。

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ジンバブエへの入国にはビザが必要なので、カウンターに並んでパスポートとビザの申請書、それに現金45USドルを添えて差し出すと、パスポートにビザを添付して返してくれます。チョベは、ボツワナ共和国の最北端に位置する国立公園の名前で、私たちが滞在するのはそのすぐ隣にあるカサネという町。日本からはジンバブエ共和国を経由しないと行けないわけですね。

ところが、ここでトラブルが起こりました。ビクトリアフォールズ空港で荷物を受け出そうとしたときです。なんと家人のスーツケースだけが出てこないのです。国際線ではつきものといってもいいロストバゲージです。私たちも何度か経験しているので驚きはしません。今回の移動は途中2回乗り継いでいますから、可能性としては2つ、香港かヨハネスブルグの空港で積み忘れたのでしょう。

現地ガイドのアシストを受けながら空港のカウンターで調べてもらおうとしたのですが、職員は「コンピューターシステムがダウンしちゃって……」と首を振るばかり。ロストバゲージ自体はさほど珍しいことではありませんが、普通、どこで置き去りにされたかくらいはすぐわかります。チェックインのとき、コンピューターにID番号が記録され、そのクレームタグをこちらが受け取っているのですから。しかし、システムがダウンしているとなると、どうしようもありません。

これまでの経験から、だいたいは翌日の便で届くものですが、家人はなんとも心配顔で戻ってきました。くだんの職員は、家人の申告を、カーボン式の複写用紙に書き込んでいたというのです。そんな場面を目の当たりにすれば、たしかに不安にもなるでしょう。とりあえずは遅れてでもこの空港まで届くことを祈るしかありません。

さて、空港からはバス。見渡すかぎり木々と草花ばかりというサバンナ(熱帯草原)を2時間弱、走り続けます。道すがらアフリカゾウに出会ったりして、早くも期待を抱かせてくれました。途中に国境があり、そこでジンバブエ出国+ボツワナ入国の手続きがありました。日本にいてはなかなか体験できない陸路での国境通過とあって、どんな具合におこなわれるのか興味津々。マレーシア+タイでも経験はしていますが、このときは人まかせでしたから。実際は、かなりくたびれた木造の建物にこの2カ国の出入国管理のオフィスが同居しているようで、それぞれパスポートを見せて通過します。もちろん、スタンプも押されました。

ところで、今回のツアー参加者はわずか7人。出発日のひと月半ほど前からエボラ出血熱の騒ぎが報じられ、「アフリカは危ない」という人はキャンセルしたようです。世の中には用心深い人がいるんですね。ただ、エボラ出血熱が発生したのはアフリカでも西の端の話。私たち2人は、キャンセルしようなど、毛ほども思いませんでした。


L1000215カサネのホテルに着いたのは夕方4時過ぎ。小ぎれいできちんとしたホテルです。それにしても、長~い移動でした。早い話まる1日以上、なんと29時間を費やしたことになります。

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それでも、7人全員、テンションが上がっており、添乗員の「これから軽くサファリに出ることもできますが、いかがですか」という言葉に、迷わず「行くぞーっ」。というわけで大型のジープに乗り、すぐ近くのチョベ国立公園に出発。タイミング的にちょうどよかったのか、アフリカゾウの群れが川で泥浴び・水浴びをする場面に遭遇しました。泥浴びを済ませた直後のゾウはもちろん泥まみれですが、そのあとすぐ水を浴びます。毎日かならず川辺まで出てきて泥浴びをするのは、体についた虫を退治するためだそうです。と同時に、ゾウは肌のキメが粗いので、それを少しでもこまやかに保つ目的もあるとか。そういえば、人間社会にも「泥パック」というのがありますからね。

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この日、私たちが見られた野生動物は、ほかにも、サイ、インパラ(中型のカモシカで、お尻を上げる独特のジャンピングフォームが特徴)、イボイノシシ(泥浴びを好み、水場周辺に多い)、バブーン(ヒヒ)、リス、アフリカ水牛(バッファロー)、ウォーターバック(中型のカモシカ。水場の周辺にいることからその名がついた)、クドゥ(大型のカモシカで、角が枝別れしていないのが特徴)、プクーなど。鳥もホロホロ鳥(これは可愛いです!)はじめ、レッドホーンビル、クチバシサイチョウ、アフリカハゲコウ、リラックプリステローラなど、けっこういました(ただし、ホロホロ鳥以外、名前と姿・形はまったく一致しません)。

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夕食はホテルの食堂で。公園内で目にしたインパラを始め、ワニやさまざまな鳥など、肉が中心。おっかなびっくりというか、ひととおり食べてはみましたが、味は、……でした。

中華料理店が寿司も出すスタイルにどんどん模様替え

2016年8月27日
午前中は、ユールゴルデン島にあるスカンセンまで、トラムを降り正門まで歩いて行ったとたん、家人が「前に来たことある、ここ!」とひと言。私もはたとそのことに気づきました。前回来たとき、こちらの知人が連れて行ってくれた場所だったのです。すぐにそこを出て、停留所で2つ戻ったところにある北方民俗博物館、そしてヴァーサ号博物館へ。こちらは大変な人気のようでした。

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その後ホテルに戻り、Kさんと待ち合わせ。3人で食事に行きました。駅のちょい先にある富都閣(CHOPSTICKS)という店。ここももとは中華料理店だったのでしょうが、いまは寿司も扱うスタイルに。ヴァイキング方式で1人100クローナほどで食べ放題。さすが中華のほうはどれも皆おししかったです。寿司もこちらにしてはまあまあではないでしょうか。

その後、地下鉄とバスを乗り継ぎ、郊外のドロットニングホルム宮殿まで。1時間ほど見学しましたが、さすが「北欧のヴェルサイユ宮殿」といわれるだけあって、美しい庭園が。宮殿内部も、天井画、壁紙、家具調度など、それも皆それとわかるレベルの高さです。

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船で1時間ほどかけて市内へ。最後の20分ほどはストックホルムの町を海の上から見ることができ、心ゆくまで楽しめました。明日はいよいよ帰国です。

2度目の北欧でしたが、何を見ても、デザインの素晴らしさには感心します。物価は相変わらずべらぼうに高いのが難点ですが、それ以上に、見るものすべてが、形といい色といい、とにかく美しいのです。買い物をしなければこれほど楽しいところもないのではないでしょうか。

名物のロールキャベツは最高!

2014年8月26日
旅行も13日目となると、さすがに疲れが隠せません。足取りもしばしば重くなります。まして、今日のように朝からしとしと雨に降られると余計です。

それでも、ホテルの窓からも見える市庁舎に行きました。ノーベル賞受賞者の晩餐会、そのあとの舞踏会がおこなわれる由緒深い場所です。ブルーホール、黄金の間など、ガイドツアーでしか見られない場所に行けました。市議会の議場も設計が工夫されているとのガイドの話に感心。

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一度ホテルに戻り地下鉄に乗って市場へ。朝テレビで紹介されていた店がありました。KALDOMARという名の料理(ロールキャベツ)を家人が、私はスウェーデン家庭料理の代表ミートボールを。ミートボールはとても塩辛くて、しんどかったです。途中で知ったのですが、カウンターの上に置いてあるジャムをかけて食べるのが正解のようです。ロールキャベツ(中身は牛ひき肉)のほうはたいそうおいしく食べられました。

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それにしても、言葉がまるでわからず、苦労しました。メニューの2行目に英語で書かれていたので、なんとか注文できたしだい。

地下鉄に乗って逆方向のガムラスタン(旧市街)へ。ハンザ商人の作ったドイツ教会から路地を歩きながらノーベル博物館まで。疲れはもう頂点に達しています。中のカフェへに入ると、名物のイスがありました。裏側に受賞者のサインが書かれているのです。小柴昌俊というサインを見つけました。我が明和高校の先輩・小林誠さんのサインもありましたよ! ここにあるイスは記念晩餐会で使われたイスだそうです。外に出るとまた雨。その中を歩いてホテルに戻りました。

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最終目的地ストックホルムへ

2014年8月25日
旅もそろそろ終盤に差しかかってきました。今日は、リバプールをあとにし、ストックホルムに移動する日。朝から雨。今日もまた寒そうです。

早朝、ライムストリートの駅からマンチェスター空港行きの電車。古い車両に狭苦しい座席。荷物置き場もなし。よくこんなひどい電車を走らせているなとガックリしました。1時間少々で空港に着き、チェックインを済ませてラウンジへ。

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2時間ほどでストックホルム到着。リバプールの重い空とうはうって変わって快晴。アーランダ空港から市内に向かう電車は素晴らしい車両です。しかも速いので、20分で中央駅に。ホテルは駅の前、川のほとりにあります。前回この地を訪れたとき、このホテルはありませんでした。

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荷ほどきを済ませ街の中へ。スウェーデン語なので、通りの名前がとにかくむずかしく、とても覚えられそうにありません。歩いてグスタフ・アドルフ広場からショッピングセンターのギャラリエンまで。寒い国によくありそうな設計です。

外に出ると、正面がこの国いちばんの老舗デパートNK。スウェーデン風デザインのキッチン雑貨とかが山ほど積まれています。ただ、日本と違うのはお客さんが少ないこと。どこのフロアもゆっくり見られます。店内のカフェで飲んだビールのおいしかったこと。

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食事のできる場所を探しながら、駅の方向へ歩き始めたら、雨が降り出しました。探すのも面倒なので、駅のすぐ近くにあった「中日酒楼」という店へ。店名からも想像できるように、かつては中華料理店だったにちがいありません。それがいまでは日本料理がメインのようです。寿司ブームでそちら始めたという感じでしょうか。

でも、焼きそばと餃子はけっこう行けました。店内にはテレサ・テンの歌が。続いて「北国の春」「そして神戸」……。なんとも奇妙な感じがします。焼きそば、寿司、鶏肉のカシューナッツ炒め、餃子、ワイン、日本茶で、しめて420クローナ。
駅を通り抜けてホテルまで。

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リバプールの旧市街は世界遺産

2014年8月24日
なにせ、「海商都市リバプールは、ユネスコの世界遺産リストなのです。ピア・ヘッド 、アルバート・ドック 、ウィリアム・ブラウン・ストリートなど、多くのランドマークが含まれる中心市街の6つの区画が対象。趣の富んでいるのは当然といえるでしょう。18世紀から19世紀にかけて世界でもっともにぎわった港の一つがリバプールでした。

今日はいい天気。午前中はのんびり。昼少し前から外に。アルバート・ドックに向かいました。日曜日とあってけっこうな人出です。アルバート・ドックはピア・ヘッドの南に位置していて、マージーサイド海洋博物館、テート・ギャラリー、ビートルズ・ストーリーなどの観光名所が集中しています。

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最初は「THE BEATLES STORY」という博物館。まずはパート1を見終え、南に降りていくと昔の倉庫街があります。その一帯を再開発したのでしょう、レストラン、カフェ、おみやげ屋などが軒を連ねていました。目の前は桟橋があったのだろうとおぼしき港です。

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続いてパート2へ、たっぷり2時間かけて見学。BEATLES誕生前からの歴史が、展示や店やスタジオなどを再現しながら懇切丁寧に解説されていました。オーディオガイドもきちんとした日本語で安心して聞けました。この種のガイドはいいかげんな日本語が多い中、これは出色といっていいでしょう。

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見終えると夕刻。リバプール観光で欠かせない「マージー川のフェリーボート」に乗りました。ジェリーとペースメイカーズによる同名の曲がヒットしたのは1965年。特段魅力的なコースというわけではありませんが、感慨にひたれました。

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夕方5時に下船し、ホテルに戻って休憩。6時半ごろ、夕食に。ホテルの近くに日本料理店を見つけ。そこに行きました。「SETSU」という女性が経営する店なのですが、行ったら予約で満員のよう。なんとかもぐり込んで寿司や厚揚げ豆腐、とんかつ、餃子を。餃子はおいしかったです。寿司と揚げ出し豆腐はいまイチ。

BEATLES漬けの1日


2014年8月23日
朝11時から「CAVERN CLUB」に。1日中、ビートルズ漬け。市内に会場がいくつかあり、今回参加しているバンドが持ち回りで演奏。

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正午からのバンドは出色でした。ランチのあと、午後2時から日本のバンドが出るというのでもう一度「CAVERN CLUB」へ。しかし、やはりネイティブでない分、クオリティーの点で不満が残ります。リズム感もパンチも、英語もすべて……。ここでもなぜかミキシングに難があり、それもマイナス材料になっていました。ボーカルの質の低さをごかすために楽器のボリュームを上げているのではと勘繰りたくなります。でも、やはり厳しいですネ。

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夕方、もう一つ日本のバンドが登場していたのでのぞいてみましたが、こちらもやはり……。残念ながら、こればかりは仕方ありません。途中であきらめ、向かい側にある「CAVERN PUB」に。こちらの演奏は最高でした。

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夕食はそこらのファストフード店で勝ったサンドイッチ(ただし、めっぽう美味い! しかも値段がわずか1ポンド)で済ませ、王立劇場へ。前日よりちょっと到着が遅れたのがたたり、文字どおりのスタンディング状態。しかし、内容が素晴らしく、なかなか帰るきっかけがつかめないまま、気がついたら2時間以上が経過。でも、迫力があり、さすが王立劇場でソロを張るだけのことはありました。