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「三校肉」「クシパ」「うーメソ」「カノレビ」……??

2011年9月6日
韓国のエネルギーは、外国人観光客の誘致に対する姿勢にも垣間見ることができます。日本政府もいま、「VISIT JAPAN」というキャンペーンに力を入れているようです。観光庁などという役所まで設けたくらいですから、たしかに力を入れているその姿勢はよくわかります。しかし、俗にいう広告代理店ベースというか、〝お役所から予算を引っ張り出して、もっともらしいキャッチフレーズと写真を並べればそれでOK〟といった印象しかありません。泥臭い、あるいは現場ベースでの知恵が見えてこないのです。

韓国のソウルで気づいたのですが、地下鉄のホームに大きな液晶の画面が設置されていました。なんだろうと思って見ると、外国人観光客のためのガイド画面でした。ハングル(韓国語)はもちろん、英語、中国語(簡体字)、そして日本語の4カ国語の中から自分に理解できるものを選び出し、メニューに出てくる項目にタッチすると、「この駅の近くのおすすめスポット」「この駅の近くのグルメガイド」など、貴重な情報がどんどん画面に出てきます。

また、地下鉄、KORAILの自動券売機もこの4カ国語が選べるようになっています。「このボタンに触れてください」といったアナウンスも同じです。街に出ている通りの名前の表示、周辺の地図、名所旧跡の案内板など、ことごとく4カ国語の表示がなされ、これなら迷う人はいないだろうなと思いました。

東京都ないの地下鉄駅近くを歩いていると。路線地図と首っ引きで、駅の表示板をためつすがめつ見ている外国人観光客と出くわします。彼らは皆、同じことで悩んでいるにちがいありません。どうすれば○○駅に行けるのだろうかという、ごくごくシンプルな問題です。
そういえば、地下鉄車両内の路線図に出ている駅名も、ハングル、アルファベット表記、そして中国語と日本語の4つです。おもしろいのは、駅名の表記を漢字にした場合、日本語と中国語はほとんど同じなので、兼用になっていることです。この場合、表記は3種類ですむわけです。

ただ、日本語と中国語で異なる場合は、中国語が別に加わります。「プサン駅」のところには「부산역」「Busan」「釜山駅」そして「釜山站」とあります。中国語では「駅」を「站」というからです。「海雲台」は「해운대」「Haeundae」「海雲台」、そして「海云台」となっています。「云」は中国語(簡体字)で「雲」のことです。

それにしても、観光関係の仕事にたずさわる人のほとんどが日本語を苦もなく操っていることには驚きました。韓国語を話すことはハナからあきらめているこちらとしては、「では、英語で」と思って頭の中で考えていると、日本語で話しかけてきたりします。

タクシーに乗っても、運転手さんが日本語を理解していない場合は、「日本語通訳サービス」に電話がかけられます。フリーダイヤルなので助かります。運転手さん自身がかけていたこともありました。まあ、タクシーでどこかに行く場合、地名さえわかってもらえば事は足りるわけですが、その?音もこちらはあやしいわけですから、トラブルを防ぐには最善の策といえましょう。日本の観光地、とくに外国人が多く訪れるところ、また、この先たくさん来てほしいと思っているところも、これくらいの工夫が最低限必要ではないでしょうか。

あと、私が思っているのは、日本独特の食べ物の説明です。寿司やしゃぶしゃぶ、すき焼き、天ぷら、豆腐などは国際的にも認知されているので不要でしょうが、「うな重」とか「煮びたし」とか「南蛮漬け」「だし巻き卵」とか、簡単なのに、いざ説明するにはけっこう知識が求められるような日本料理がいくつもあります。観光庁あたりで音頭を取って、この種の料理の統一した英語(中国語、韓国語)訳を考案したらいいのではないかと思います。

もちろん、各お店でそれを表記するときは、ミススペルや誤記もあり得るでしょう。韓国料理の店に出ている看板やメニュ?でも、「豚の三校(?)肉」「クシ(?)パ」「う(?)―メソ(?)」「カノレ(??)ピ」といった類の誤記はしょっちゅう見かけました。でも、すぐにそれとわかりますから、さほど心配はないでしょう(でも、念のため。うーメソはラーメン! カノレビはカルビ!)。「三校肉」など、日本人でも気がつかないかもしれません(笑)。

ソウルの広蔵市場で感じたこと

2011年9月4日
3年ぶりに訪れた韓国でしたが、その間の、聞きしにまさる変わりようには驚きました。というか、発展の息遣いが聞こえてくるかのような印象があるのです。それは人々の歩き方や道路の込み具合などを?合した「街」の雰囲気にあらわれます。流れている空気が、なんとも表現しがたい熱を帯びているのです。

「街の雰囲気」というのは、その場にいる人の気持ちにけっこう影響を与えます。たとえば、沖?に行くとだれもが元?になれるのは、小さな子どもの姿を多く見かけるからではないでしょうか。尽きるところを知らないエネルギーの持ち主である子どもに直接間接を問わず触れれば、その体と心から発せられるエネルギーが一人ひとりに浸透してきそうです。

韓国でも日本同さま、首都への一局集中が進んでおり、その度合いは日本以上です。東京は集中といっても、日本の総人口の1割が住んでいるだけです。しかしソウルは2割の人が集中しているのですから、よし悪しは別にして、その勢いが違うのです。日本の高度成長期もきっとそうだったのだろうなと思わせる韓国のエネルギーには、この1週間、正直、あおられれっぱなしでした。

ソウルの都心、東大門市場のすぐ西隣に広蔵市場という、ちょっと小ぶりのマーケットがあります。東京・上野のアメ横を彷彿させるような場所で、狭いエリアに、間口1~2間ほどの小さな店がひしめき、それにはさまれている道の中央にはこれまた屋台がびっしり並んでいます。商品の展示の仕方ひとつとってみても、またそこに多くの人が行き交っているのを見ても、そうした韓国のエネルギーがひしひしと感じられます。

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「花美男(イケメン)」なんて、そこら中にゴロゴロ

2011年9月2日
韓国ではイケメン男子のことを「花美男(コミナム)」というのだそうです。韓流ドラマの俳優や歌手など、日本にやってくるたび、空港やイベント会場には中年を過ぎた女性がいっぱい詰めかけていますが、わざわざそんなところに行かなくても、韓国に行ったら、もうそこら中に若い「花美男」が見つかります。

とくに接客関係の仕事はその比率が高いようで、そうでない男性を見つけるほうがむずかしいという気がしました。日本から3泊4日の韓国ツアーなら、下手をすると29800円とかで行けますから、そちらに参加したほうがよほど〝効率〟はいいかもしれません。

一般人でもそうなのですから、芸能界ともなると、すさまじいものがあります。しかも、男性ばかりか女性も事情は同じ。いわゆるK-POP(韓国では「カヨ=歌謡=가요(gayo)」という)の歌手が登場する番組を見ても、Super Juniorが13人、ZEAが9人、INFINITEが7人など、大量の「花美男」から成るグループばかりです。

女性はというと、少女時代をはじめ、After Schoolだの、T-araだのSISTARだの、こちらも多人数編成のグループが目立ちます。そんな中、G.NAという女性ソロシンガーはえらく美形でした。

街を歩いてもテレビを見ても、美男美女のオンパレードなのですから、韓国を訪れる日本人観光客が目立つのも納得といったところでしょうか。

L1010341 話は変わりますが、先日お伝えした、韓国の都市には「原色」があふれているという話、その秘密の一端を垣間見ました。昌徳宮などでも見られるのですが、韓国の古い建物をよく見ると、たいてい原色がたっぷり使われていることに気付いたのです。三清閣という昔の建物を見学に行ったのですが、その屋根の裏にもごらんのような色使いが見られました。そうした伝統が韓国にはあるようなのです。

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免税店に日本の高校生が集団で買い物に!

2011年9月1日
私たちの泊まっている新羅ホテルの中に、韓国最大という免税店があります。ちょっとのぞいてみたのですが、たしかに広いこと、広いこと。お客さんの数も相当なもので、おそらく9割近くは、「円高」で喜んでいる日本人でしょう。

それはそれでいいのですが、お客の中に、なぜか日本の高校生のグループがいたのには驚きました。それも、韓国の旅行会社の旗を持った人に連れられてきていたので、修学旅行なのでしょうが、高校生がこういうところに来ていいのですかね。親や兄弟姉妹、親戚などに買い物を頼まれたのかもしれませんが、頼むほうも頼むほうだと思いますし、そうしたリクエストを、どういう形であれ満たしている学校も学校です。なんだか、うそ寒い気持ちになりました。

8月27日に、韓国のバイタリティーについて記しましたが、こういう姿を見ると、ますますその思いを深くします。韓国では、小中学生の280人に1人が海外留学を経験するそうです。それに対し日本は、高校生でも1000人に1人。近ごろは、大学生も海外留学をしたがらないと聞きます。プサンのホテルで英語を流暢に話す韓国の若者をたくさん見かけましたが、どうもそのあたりに理由があるのかもしれません。

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原色があふれる韓国の都市

2011年8月31日
昨日で世界陸上の観戦は終わり。今日はプサンからソウルに移動です。KTXの特急で2時間半。ソウルには、プサンとはまた異なる韓国があるのではないかと期待を抱かせます。ソウルはやはり首都ですし、人口もプサンのおよそ3倍、1000万近くいるのですから。

今回泊まるのは新羅(SHILLA)ホテルで、韓国ではいちばんの老舗ホテルだそうです。ここを選んだのは朝食が韓国一リッチでおいしいという情報を得たからですが、さて、どんなものなのか、明日の朝が楽しみです。
ソウルは漢江(ハンガン)の北側と南側とで、街の様子が大きく違います。北側はそれこそ千数百年前から開けていたところですから、街を歩いていても路地が多いですし、泥臭い部分も目立ちます。一方、南側の江南エリアは開発されてまだそれほど時間が経っていないだけに、そうした雰囲気はほとんどありません。右を見ても左を見ても建物が新しく、垢ぬけた感じがします。

行き交う人々も若い人が多いですし、店の名前も横文字、というか、プサンと違って英語(アルファベット)の看板が目立ちます。色遣いも、プサンやソウルの旧市街とはかなり趣が違い、モノトーンの建物、看板も少なくないため、コテコテ感はほとんどありません。

それにしても、韓国の原色の多さは、すさまじいものがあります。写真はプサンの宿泊先ロッテホテルの近く・西面(ソミョン)の一角で撮ったものですが、色見本帳もかくやあらんといった感じです。もう一つはソウルの旧市街、鍾路(チョンノ)界隈のありさまですが、こちらもそれに負けるとも劣らない派手さを見せています。こうなるともう、街中、虹だらけといった感じでしょうか。

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↑→プサンの西面で

ソウルの鍾路で↓L1010351

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〝デイリープログラムの呪い〟

2011年8月30日
L1010302 今日が私たちの観戦最終日。初日ボルトが100M決勝でまさかのフライイング失格いてしまいましたが、じつは、昨日も大きなアクシデントがありました。男子110Mハードルで、北京オリンピックの覇者・劉翔を破って金メダルを取ったかと思ったキューバのロブレスが、これまた失格になってしまったのです。劉翔の走路を妨害したというのがその理由でした。
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ホテルに戻って、詳細なビデオ映像とともにそれが報じられているのを見ると、なるほど納得の判定でした。そのため、今日の朝の報道を見ると、「デイリープログラムの呪い」という言葉が出ていました。ボルトもロブレスもたしかに、デイリープログラムの表紙を飾っていました。(写真出典は www.adelaidenow.com.au )。

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では、今日のデイリープログラムの表紙はというと──。これが、女子棒高跳びのイシンバエワなのです。その呪いは生きていたようで、イシンバエワはあえなく6位に終わってしまいました。

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それでも、前回のベルリン大会での「記録なし」よりはましです。ベルリンでは、最初のうちずっとパスしていて、いざ初めて跳んだときはすべて失敗だったのですから。要するにきちんとバ-を越えた場面を一度も目にしなかったのです。今回は5M65は成功する場面を見られたので、それでよしとするしかありません。

L1010313まあ、陸上競技の常といってしまえばそれまでですが、こういうことが3日も続くと、これから先デイリープログラムの表紙を飾る選手には妙なプレッシャーになることはまちがいなさそうです。

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初めて聞いた「君が代」 やったぜ、室伏!

2011年8月29日
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今日は私たちの「世界陸上観戦史」の中で歴史的な日になりました。スタジアムで初めて君が代を聞いたのです!

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男子ハンマー投げの室伏が金メダルに輝いたのですが、ホント、胸が熱くなりました。2005年のヘルシンキ大会以来、これまでのべにしたら15回以上、スタジアムに足を運んでいる私たちですが、日の丸は何回か見たものの、君が代は初めて。耳にタコができるほど聞いている「星条旗よ永遠なれ」はともかく、中国の「義勇軍行進曲」もハイドン作曲のドイツ国歌(「ドイツの歌」というのだそうです)も、フランスの「ラ・マルセイエーズ」もイギリスの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」も、国歌というのはやはり、どこか違った趣があります。そのため、こういう場で、一度でもいいので君が代を聞いてみたいと思っていたのですが、とうとうその夢がかないました。

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フィールド種目でも投擲やジャンプは、1回目の試技でいかにいい記録を出すかが勝負です。そうすれば、ライバルが冷静さを失う可能性が高いからです。今日の室伏はまさにそれでした。

1投目で12選手中のトップ、2投目で記録をさらに伸ばし、ライバルたちの追随を許しません。6投目に入るまで、80mラインを超える記録を出していたのは室伏ひとりでした。土壇場、2位につけていたハンガリーの選手があわやという伸びを見せたのですが、6センチの差で届かず。室伏の金が確定したときは最高の気分でした。

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しかも、その日のうちに表彰式がおこなわれたため、日の丸の旗が上がるのを見、君が代も聞くことができたのです。世界陸上に通っていたかいがありました。室伏選手、ありがとう!

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あちゃー、ボルトがフライイングで失格とは……

2011年8月28日
昨日から始まったIAAF世界陸上選手権。今回の韓国訪問の目標はこれですから、私たちも今日から、会場になっている大邱(テグ)通いです。本当はスタジアムがある大邱にホテルを取りたかったのですが、もともとその数が少ないところへもってきて、IAAF関係やスポンサー企業が、早い時期から押さえられてしまっていたため、半年前でも予約を入れることができませんでした。仕方なくプサンにホテルを取ったのですが、大邱までは毎日、KORAILの特急(KTX)に乗って通うしか方法がありません。

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私たちにとっては今日が初日なので、時間に余裕を持って出かけました。プサンから40分ほど、大邱が近づくと、窓に見えるのはプサンと同じく、林立する高層マンション群です。プサンは東シナ海に面した港町ですが、平地が極端に少ないので、どこを見ても高層マンションがびっしり建っています。狭い都市というと今年の5月に行ったナポリを思い出しますが、ナポリは高層マンションがほとんどなく、その狭さは町を歩かないと実感できません。しかしプサンも大邱も、その狭さは容易に実感できます。主だった道路がやたら広い(最低でも片道3車線、多いところは5車線)ので、えっと思うかもしれませんが、あたりを見まわすと、雲をつくような高層マンションばかりですから、すぐ気づきます。

KTXの停車駅(東大邱)からスタジアムまではシャトルバスで30分。この日は日曜日で、しかも、100メートルの前回チャンピオンで世界記録保持者(9秒58)でもあるウサイン・ボルト(ジャマイカ)が走る準決勝と決勝があるので、大変な人出でした。もちろん、私たちのお目当てもボルトです。L1010271

準決勝は順当にトップで通過しましたが、決勝ではまさか、まさかのアクシデント。なんと、フライイングで失格になってしまいました。スタートラインに向かってカメラを構えていたのですが、シャッターに乗せた指がその瞬間、止まってしまいました。ガッカリ! のひと幕でした。

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ますます強まる韓国のバイタリティー

2011年8月27日
ホテルから歩いて15分ほどのところにあるKORAIL(韓国のJR)の海雲台駅まで、明日から利用する外国人用パスを受け取りに行ってきました。小さな駅ですが、窓口の駅員は女性のみ。テキパキとした仕事ぶりには好感が持てます。

ついでに行ったセンタムシティー(海雲台から2つプサン寄り)の大ショッピングセンターには度肝を抜かれました。新世界デパートはギネスブックにも認証されている世界最大のデパートだそうです。デパートの中にアイスリンクあるというのですから、その広さ、大きさは想像がつくでしょう。

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金姸兒(キム・ヨナ)の影響もあるせいか、韓国ではスケートが子どもたちの夢をふくらませているようです。ヘルメットと手袋をした子どもたちが楽しそうに滑っていました。リンクを取り囲むようにフードコートがあり、子どもたちの姿を目にしていられるので、親も安心でしょう。

1990年代以降の韓国の発展ぶりはつとに知られていますが、それを象徴するのはやはり、若い人の姿が多い、それもすこぶる元気なことです。20代前半の日本の若い人たちに比べるとはるかに活力があり、ありていにいうと、夢と希望にあふれているといった感じがします。子どもの数も多く、この国は近いうち日本を追い抜くだろうなという気がしました。

韓国一のリゾート海雲台に

2011年8月26日
午後1時、プサンの国際航路ターミナルに到着、タクシーで宿泊先の海雲台(ヘウンデ)に向かいます。プサンには通常のタクシーと別に、「模範タクシー」と名付けられた、黒いボディーのタクシーがあります。一定期間無事故・無違反の運転手に与えられる資格のようで、基本料金も加算料金も普通のタクシーの倍します。よほど安全運転で安心して乗っていられるのかと思ってそちらを選んだのですが、さほどの実感はなく、海の上を走る広安大橋など、80キロ制限のところを120~130キロくらいで飛ばしていました。

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海雲台は韓国でも屈指のリゾート地のようで、夏もなるとえらい数の人が繰り出すそうです。8月も末のいまごろはもうピークを過ぎていますが、きれいな海と砂浜にはビーチパラソルがびっしり並んでいました。

SMART BEACHという名称のようで、市か地元の観光協会のような組織できちっと管理されているせいか、脱衣所やロッカー、シャワー設備なども整備されています。浮輪は統一仕様のようで、大きさや色が決まっていますし、パラソルもエリアごとに色が統一されているので、ビーチ全体が清潔で美しい印象を与えます。日本の海水浴場の雑然とした雰囲気はありません。

BAR「HIGUCHI」のモスコミュールは日本一!

2011年8月25日
L1010225 昨夜、広島のNPO法人「世界」の総会で短いスピーチを済ませ、今日は福岡に移動しました。3月の九州新幹線全通を機に全面的にリノベーションされた博多駅ですが、コンコース全体がえらく明るくなったというのが第一印象です。『博多学』の取材で足しげく博多(福岡)に通っていたころは、大きいことは大きかったのですが、複数の商業施設が混在していたこともあってわかりにくい感じがしましたが。そうした部分は、ぱっと見、解消されているような感じがしました。

L1010236_2 駅ビルから外(博多口)に出て左を見ると、新たに開店した阪急デパートがあります。タクシーでホテルに向かい、夜は『博多学』の取材でお世話になった相川満寿美さんと西中洲にあるイタリア料理の店で再会する約束をしていました。

この界隈はここ2、3年の間に大きく様変わりしたと聞いていましたが、そのとおり、知らないビルや店が一気に増えていました。おとなの隠れ家的な雰囲気ムンムンといった感じです。その前は薬院、その前は今泉、その前は大名と、博多の飲食業界も移り変わりがえらく激しく、しかもそのスピードの速いことといったらありません。

L1010239 しかも、相川さんに話を聞くと、最近は高砂や大宮あたりにトレンドスポットが移っているそうで、こうなるといたちごっこの様相といっていいでしょう。高砂も大宮も、私自身は一度も足を踏み入れたことのないエリアで、また相川さんに〝水先案内〟をしてもらいながら、探訪したいものです。

イタリア料理を堪能したあとは、中洲の一角にあるBAR「HIGUCHI」へ。まちがいなく日本一と私が確信しているこの店のモスコミュールを1杯やってホテルに戻ったら、12時を過ぎていました。明日は午前10時博多港発のビートルでプサンです。

それにしても、HIGUCHIはいつ行っても、客の目を引く酒がさりげなく置いてあります。今回も、説明はすべて忘れてしまいましたが、写真のような「ダンス」シリーズのラベルが貼られたシングルモルト(ひょっとしたらスコッチだったかも)の一つがカウンターにあり、思わず「これ、なんですか?」とたずねてしまいました。すると、奥の棚からシリーズの残りを持ち出してきてくれ、しばしの酒談議となります。ただ、せっかくマスターがしてくれた話を何一つ覚えていないのが申し訳ないことで……。いつも、すみません!

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ついに池袋に進出!「コメダ」に行ってみました

2011年8月17日

名古屋に「コメダ珈琲店」という一大喫茶店チェーンがあります。発祥の地は名古屋なのですが、以前このブログでも紹介したように、ここのところ首都圏への進出にもえらく力を入れているようで、この6月にはとうとう私の会社の近く、池袋にも店を出したとの話を聞きました。

地上店舗出なく、ビルの2・3階にあるため少々わかりにくいのですが、中に入ってみると、そこはまごうことなき「コメダ」の世界でした。壁からテーブル、イスとすべてウッド系で内装されていることでそれとわかります。

先日、高校の同期生が10人ほど集まった折、名古屋時代の思い出話に花が咲いたのですが、「コメダ」はほとんど話題になりませんでした。というのも、私たちの高校時代は店がまだ1軒しかなかったからで、行ったことのある者は1人もいませんでした。「サンモリッツ」とか「コンパル」(この2つはいまでも健在)「づか(ずか? or ZUKA?)」といった店なら、だれもが覚えていますし、学校帰りに友だちと行って何時間もダベっていたとか、どうしで初デートとかそれなりに思い出もあります。しかし、いまになって「コメダ」が〝名古屋を代表する喫茶店〟といわれても、ピンとはこないのです。

それがいまでは神奈川県に15店、東京都内に12店、千葉県に3店、埼玉県に4店と、首都圏だけでも30以上も店があります。もちろん、愛知県の263店、岐阜・三重県の28店には遠く及びませんが、412店という数はスタバ(直営とライセンス店舗を合わせ912店)は別格として、それ以外ではドトール(直営で336店)や珈琲館(259店、同系列の上島珈琲店=63店を加えても322店)もかないません。

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ただ、「コメダ」の最大の売り物、シロノワールというスイーツ(温めたデニッシュパンの上にソフトクリームを乗せ、シロップをかけて食べる)は、人ぞれぞれの好みもあり、私にとってはいまイチの感があります。名古屋名物の「小倉トースト」(実をいうと、これを全国に知らしめたのは私だと、ひそかに自負しているのですが)もメニューに入っていますが、名古屋の地元にある個人経営の喫茶店で出すもののほうがはるかにおいしいと思います。

通常(首都圏・関西では400円)の「1・5倍」入った「たっぷりコーヒー」(同500円)も私からするとアメリカンっぽく、好みではありません(以前、名古屋の店で飲んだ珈琲のほうがもっと濃厚だったように記憶していますが、場所によって変えているのかもしれません)。ただ、回数券システム(10杯分の価格で11杯分飲めるクーポン券)は名古屋と同じように、首都圏でも実施されているようでした。

今日からスタート! 「鹿児島」取材

2011年8月15日

上野の国立博物館に「孫文と梅屋庄吉」展を観に出かけた。辛亥革命、中華民国の建国など中国の近代化に奔走した孫文と、それを陰で支え、〝革命のプロデューサー〟との異名も持つ実業家(日活の創業者)梅屋庄吉ら日本人との交友を、これまでほとんど人目に触れることのなかった資料をもとに明かす、興味深い企画展示です。
そこに名前が出てくる日本人には、犬養毅、大隈重信、宮崎滔天〔とうてん〕、頭山満など、錚々たる名前が並んでいました。宮崎滔天の旧居は私の会社と目と鼻の先にいまでも建っていることもあり、とても親しみを覚えます。

Photo梅屋庄吉は、「孫文トワレトノ盟約ハ一切口外シテハナラズ」と遺言に残したそうです。いまのお金に直すと総額2兆円ほどの支援をおこなった梅屋庄吉・トク夫妻について、さっそく勉強してみようと思いました。

ただ、展示の内容はどうにもわかりにくいところがあり、順路の表示を忠実に守っていると、わけがわからなくなりかねません。せっかく貴重な史料を展示しているのですから、もう少し練ってほしかったというのが、正直な感想です。

その後、上野公園を歩いたのですが、出口の近くに、かの有名な西郷隆盛像がありました。東京に住んで41年目だというのに、真正面からじっくりながめるのは初めてです。

それにしても、浴衣を着て犬を連れたその姿はなんとも不思議な感じがします。なぜ浴衣なのか? なぜ犬を連れているのか? なぜ上野なのか? 像の横に建っている碑文を読んでも、そのあたりについてはさっぱりわかりません。Photo_3

かろうじて、西南戦争で朝敵とされた西郷が、その後の恩赦で名誉を回復したことに喜んだ、西郷の親友・吉井友実が発起人となって西郷の銅像を建てることを決めたこと、高村光雲に西郷を彫らせ、それをいまの場所に建てたものであることはわかりました(犬は別人の作のようです)。

偶然にも、つい先日、次の仕事のテーマを「鹿児島」と決めたところです。児島を語るのに西郷隆盛は絶対に欠かせません。そこで、今日をもって、「鹿児島」取材のスタートとすることにしました。

ヘタな人生論より 空海のことば

著者:池口恵観
価格:672円
[河出書房新社・2011/08]

同名の単行本が2011年8月、文庫化。矛盾や不条理だらけのいまの日本で地に足をつけ、心穏やかに、そして強く生きるためにはどうすればいいのか。庶民とともに生きながらその道筋を開いた弘法大師・空海の言葉から学んでみては。

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超楽チン! 関空からマカオへ

2011年7月29日
昨日は広島で講演があったのですが、そのついでに、今日からマカオ3泊4日の旅です。広島から新大阪経由で関西国際空港まで2時間半ほど。今回はマカオへの直行便を利用することにしたので、関空から4時間(時差はマイナス1時間)。マカオ空港から宿泊先まではバスで10分ですから、現地の8時半にはホテルの部屋でくつろいでいました。いつものように香港経由だと、入国手続やフェリーへの乗り換えなどけっこう面倒ですし時間もかかることを思うと、ホント楽です。

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さっそくカジノで遊びましたが、前回来たときから2カ月も経っていないのに、またまた大きな変化があることに気づきました。マカオではバカラ、大小、ルーレットの3つが絶大な人気なのですが、それがとんでもないマシンに変わっていたのです。これまでは、それぞれのゲームごとにマシンがあり、そのまわりを8人ほどで取り囲むスタイルだったのですが、3つのゲームを1台で楽しめるという新しいマシンが導入されていました。
従来のものより数段明るく、しかも見やすい液晶パネルの画面をタッチすると、自分の遊びたいゲームに変わります。そして、このマシンが100台以上、国会議事堂の本会議場というか、半円形、それも向かい合わせに配置されており、その中央のスペースで各ゲームのディーラーが陣取って、ダイスを振ったりトランプの札をめくったりルーレットに球を投げ込んだりしています。その模様を上あるいは横に設置されたビデオカメラがとらえ、それがマシンの画面と、天井に据え付けられている大きなプロジェクターに映し出される仕掛けになっています。
もちろん、マシンなので迫力や緊張感という点ではナマのテーブルにはかないません。それでも、ナマの騒々しいガサガサした雰囲気はちょっと……とか、ナマで遊ぶのはまだ自信がないと感じているプレーヤーにとってはありがたい装置ではあります。
またスロットマシンも、来るたびに進化しているようです。かつてのスロットが、機械の右横にあるハンドルを1回ごとに上下させ、同じ絵柄を3枚、横にそろえるだけだったことを思うと、いまのそれは、よくもここまでと感心するくらい複雑化していますし、ゲーム性にもすぐれています。
マカオの場合、ARUZEという日本のメーカーがかなりの数、マシンを供給しているのですが、このメーカーのものは、リーチ予告や激アツ予告など、日本のパチンコで用いられている技術やアイデアがふんだんに盛り込まれています。このテのソフトを多様に備えたマシンを持ち込めば、パチンコというものが存在しないアメリカやイギリスのマシンメーカーはとても太刀打ちできそうにありません。そのうち、マカオでは、いやラスベガスでも、マシンゲームは日本のメーカーの独壇場になるのではないかという予感さえします。

ナマの神楽を初体験

7月17日
生まれて初めて「神楽」をナマで観ました。『広島学』の取材をしているときに、広島がその本場であることを知ったのですが、今日、RCC(中国放送)主催の神楽イベントがあったのです。
広島県北西部に伝わる神楽は石見(いわみ)神楽の流れを汲み、「芸北神楽」と呼ばれています。普通の神楽に比べ、軽快で激しい囃子に乗せた舞いが特徴らしく、この地方では子どもからお年寄りまで、幅広い人気があるといいます。

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また、石見神楽同様、演劇の要素が濃く、大衆芸能(エンタテインメント)として発展してきたとのこと。この日私たちが楽しんだのも、「悪狐伝」「道成寺」「土蜘蛛」「紅葉狩」といった、能・狂言や歌舞伎の演目をもとに生み出された作品でした。
奏楽は、大太鼓、締太鼓、銅拍子(手打鉦)、横笛で構成され、大太鼓の奏者がリードしていました。演奏しながら演目に合わせた神楽歌(舞歌)を唄ったりかけ声をかえたりしながら、雰囲気を盛り上げます。最初のうちはおおむねゆったりとしていますが、物語が進み鬼と神との格闘といったクライマックスの場面になると、一気に激しく速いテンポに切り替わります。
途中、おかめやひょっとこが登場し、本来のストーリーとうまくからめ合わせながら、観客の笑いを誘うのも興味深く感じました。しかも、セリフが広島弁ですから、なおさらです。
この年齢になって初めて経験する芸能があること自体、驚いたのですが、世の中なんて、案外そんなものかもしれません。

瀬戸内海の満月を堪能

7月16日
昼間は地元最大の書店・廣文館さんの主催による「広島学」講演会で講演しましたが、その日の夜、慰労会めいた会合がありました。場所は広島港に近い、瀬戸内海に面して建つグランドプリンス広島というホテルの中華レストラン。L1010113

食事がそろそろ終わるか終らないかのころ、なんと満月がのぼり、海の上を照らす場面に遭遇。ホテル側のはからいで、全員で別室に移動し、照明を落とした中で満月を堪能しました。

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こんどは石垣島で「BEGIN」

6月25日
本当は昨日おこなわれるはずだった「うたの日コンサート」が、台風6号の襲来で早々と中止になりました。がっくりきていたのですが、昨夕、車の中でラジオを聴いていたら、なんと、急きょ、場所を変えて開催するというではありませんか。あわてて石垣島までの飛行機とホテルを手配し、今日の朝、那覇から移動してきました。

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コンサートは午後4時からということでしたが、2時過ぎには、会場になった公園の前に行列ができていました。やはりBEGINの地元ということもあり、ファンの数も多いようです。今年で10回目ということで、初めて石垣島での開催となっただけに、中止になったままだったら、泣くに泣けません。私たちもほとんどあきらめていただけに、復活して大いに盛り上がりました。

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踏んだら最後! 県民性の地雷原

著者:岩中祥史
価格:1470円
[ダイヤモンド社・2011/06]

なにげなく口にしたひと言が相手を傷つけたり喜ばせたり……。そんな部分にも「県民性」が影を落としているとは! ビジネスマンにとっては想定外の角度から、上司・部下・同僚など社内、取引先・営業先との平和な人間関係を築くためのお値打ち情報を満載。月刊「しんきん経営情報」(全国信用金庫協会発行)に4年間連載した「おもしろ県民性」がベース。

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今年2冊目の本が

6月16日
『広島学』から遅れること半月、ダイヤモンド社から上梓した『踏んだら最後! 県民性の地雷原』の見本が届けられました。今年の3月まで4年間47回にわたって連載していた「おもしろ県民性」というコラムをまとめるというので、本当なら楽にできたはずなのですが、これがえらく難儀してしまい、ようやく形になったしだい。でも、出来上がってみれば、すこぶる愛着が湧くのがホントいうものなのです。

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ユニークなカバーもさることながら、47都道府県別に、その出身者相手に絶対にいってはいけないことをいくつか並べ、スムーズな対人関係づくりに役立てていただきたいという内容が、それなりに受け入れられるのではないかとひそかに期待しています。

世界経済の現実を写し出すマカオ

6月8日
昨日、香港からマカオに移動してきました。マカオはたかだか1年2カ月ぶりだというのに、その変わりように驚きました。前回訪れたときにほとんど目にしなかったインド人の姿の多いこと。たしかに、インドの経済はここ数年大きく成長しており、まさしく世界経済の「いま」が反映されています。
ここ3年ほどのマカオの大発展を牽引したのはもちろん、中国国内で急増している大小〝富豪〟たちですが、そこへ今度はインドも加わってきたということでしょう。
2000年ほど前の世界は中国人とインド人、そしてアラブ系のペルシャ人とエジプト人が文明を謳歌していたわけですが、その後中国を除いては没落、中国人も19世紀に入ってからは鳴かず飛ばずでした。それがここにきて形勢が大きく変わりつつあります。まず(といっても40年も前ですが)アラブ系のアラビア人たちが石油を武器にふところを潤わせるようになり、次に中国、そしてこれからはインド。アングロサクソンの影響力は徐々に薄れていくのではないかという気すらします。
その狭間で生きてきた日本がどうなるのか。東北大震災とそれに引き続いて起こった福島原発の大事故で、いま日本を取り巻く状況は内外ともに厳しいものがあります。そうした中、何をどうすればいいのか、腰を据えて考えなくてはならない時期が来ているのかもしれません。

香港は子ども服のメッカ!

6月6日
昨日から香港でゆっくりさせてもらっています。それもそのはず、今回は宿泊先が、かの有名なザ・ペニンシュラー(ホテル)なのですから。そのジュニアスイートルームに格安の値段で泊まることができました。部屋からのながめは素晴らしいですし、Rimg1139 その調度にも得もいわれぬ風格があり、なるほど、世界中の旅行客があこがれるのも無理はないという気がしました。
部屋の中にあるドローワーなど、いかにも長期滞在客向けで、お金とヒマさえあれば、何日だって泊まっていたいと思います。ソファーのすわり心地も満点、仕事をするためのワーキングデスク(本当はここまで来て仕事などしたくはありませんが)も使い勝手がよく、快適なことといったらありません。

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Rimg1119Rimg1121 それはともかく、今回香港で発見したのは、子ども服の品ぞろえの豊富さ、そのテの店の多さです。ショッピングの街である香港は、そこかしこに大規模な商店街やモールがあります。ホテルにほど近い香港最大のショッピングセンター=ハーバーシティーに行ったのですが、その一角に、子ども服ばかりをそろえた店がズラリと並んでいるところがありました。世界的なブランドの子ども版から、地元香港のローカルブランドまで、よくもまあと感心するほどの多さです。調べてみると、香港にはローカルブランドだけで2000以上あることがわかりました。
「今度は孫を連れてきてみたい」──私と家人が黙ってうなずき合っていたのはいうまでもありません。

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『広島学』、ようやく完成!

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ヨーロッパから金曜日の夕方帰国し、今日は久しぶりの出社。机の上に、留守中に発売になった『広島学』が届いていました。素晴らしいカバーですし、かなり力(りき)を入れて書いたので、売れてくれるといいんだけどと思いつつパラパラっとページをめくってみました。できたての本ほど、心が躍るものはありません。編集にたずさわった本ですらそうなのですから、まして著書となればなおさらです。
都内も広島も土曜日(28日)には店頭に並んでいるはずですから、さあ、どうなるでしょうか。

広島学

著者:岩中祥史
価格:580円
[新潮文庫・2011/06]

岩中祥史のライフワークの一つ“都市(生態)学”シリーズ第4弾。中国地方の中心、最近では2つの世界遺産が注目される日本有数の観光都市だが、その本当の姿はどうなっているのか? カープはもちろん、広島(市)の地理・歴史、あるいみ日本人離れした広島人の発想・行動スタイル、強い郷土愛のいわれなど、「広島」を多角的・徹底的に掘り下げたユニークな1冊。

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あっと驚くチェルシー・フラワーショー

5月25日
ロンドンの都心に近いチェルシーで開催されているフラワーショーに行ってきました。まあ、そのスケールの大きさにはたまげてしまいました。王立軍病院の一部がその会場にあてられているのですが、とにかく広いのなんの。これだけの規模なら、43ポンドという正規の入場料もけっして高いとはいえないでしょう。

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内容は、園芸に関わるすべてというか、大小の庭園、種から花そのもの、花を育てるのに必要なありとあらゆる園芸用品、土、肥料、庭いじりを楽しんだあとくつろぐためのアウトドア用テーブルセットなど、ないものは一つもありません。300以上もqるブースで、そうしたものが展示・販売されているのです。好きな人なら、朝から晩まで見てまわっても飽きないでしょう。1日平均10万人ほどが訪れるというのも十分納得できます。

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以前ロンドンを訪れたとき、コロンビア通りの界隈で毎週日曜日の朝に開かれているフラワーマーケットに行ったことがあります。このときも思ったのですが、イギリス人がこうまで園芸が好きなのはなぜなのかということです。ひょっとすると、草花よりもっと広いくくり、つまり鉱物や動物、さらには人間自身の手になる物(建築物や工芸作品など)まで含めた「博物」が好きなのかもしれません。大英博物館などを見学すると、イギリスがかつて世界中から、それこそありとあらゆる物=まさに博物をごっそり持ち帰ってきたことがよくわかります。もちろん、それはイギリスが宗主国だった植民地や保護領などからの品々です。大英博物館は入場無料ですが、それは罪滅ぼしの気持ちがあるからでしょう。

Rimg1073それはそれとして、花もここまでたくさん並べられると、一つひとつを愛でるというより、種(しゅ)として貴重な存在であることを痛感させられます。

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イタリアでのドライブは技術が必要かも

2011年5月20日
18日から、ナポリの南東、クルマで1時間半ほどのところにあるポジターノに来ています。アマルフィに比べると知名度はいまイチですが、雰囲気はこちらのほうが断然すぐれているように感じます。日本でいうなら、アマルフィは熱海とか江ノ島といったイメージでしょうか。それだけに、訪れている人の多いこと。
それに比べポジターノの魅力は、落ち着きにあります。それとサイズがコンパクトで、30分も歩けば、主だったところはすべてカバーできます。世界中、とくにアメリカあたりからお金持ちが遊びに来ているらしく、町中に英語が飛び交っていました。
それにしても、ナポリからポジターノへの道のりは大変でした。借り出した日のハプニングについては前回ご報告したとおりですが、今度は走ることそれ自体に問題があることがわかったのです。
ナポリとの行き帰り、高速を走っているときはスムーズでしたが、市内に入ると、もう大変。それでなくても狭い道の両側に路上駐車のクルマがビッシリ、残されたスペースを対向車がかなりスピードを出しながら走ってきます。その間をもっと動きの俊敏なバイクが、それこそ飛んでくるような感じで走ってきますから、もう冷や汗の連続。こんなところを走るのは金輪際お断わりといった気持ちになりました。
翌17日は終日、旧市街を歩いてまわったので、クルマはホテルの駐車場に置きっぱなし。そして、18日にチェックアウトし、一路ポジターノに向かいました。高速を出てソレントの町で昼食。ポジターノに向かったのですが、これが山道でくねくねと曲がっており、そこへまた対向車がひっきりなしに走ってくるのですから、またもや冷や汗の連続でした。オートマチックのナビ付きという条件で借りたので助かりましたが、もしマニュアルのナビなしだったりすれば、果たして目的地までたどり着けたのかどうか。
行く前は、ポジターノに着いたら、そこからクルマでアマルフィまで行き、そこから足を伸ばしてラヴェッロあたりも訪れてみたかったのですが、とてもとても、そんな気分にはなれませんでした。結局、ポジターノの私たちが泊まったホテルのまん前から出るフェリーでアマルフィまで行くことにしました。

ナポリのレンタカー屋で大往生

2011年5月16日
今日でナポリも3日目。街の雰囲気にもだいぶ慣れ親しんできました。それでもやはりイタリアはイタリア、ナポリはナポリです。
11時30分の予約でレンタカーを借りていたのですが、ナポリ中央駅にあるはずのオフィスがなかなか見つかりません。それもそのはず、事前に予約を入れていたAlamo(アメリカ系)というレンタカー会社の事務所は、イタリアの大手業者MAGGIOREの事務所に間借りしており、そのオフィスの中、それも奥のデスクの上に、Alamoというロゴを示した目立たない看板が置いてあるだけでした。同行してくれていたジャンピエロ氏(Iさんのご主人)がそれに気づかなければ、事務所すら探し当てられなかったかもしれません。
チェックアウト(借り出し)の手続きはサクサクといったのですが、予約しておいたクルマは「メルセデスCもしくは同等/オートマチック/カーナビ付き」と鳴っていたのに「ボルボ」に格下げになっていました。まあ、それはよしとしましょう。南イタリア、なかでもナポリ周辺でメルセデスなどに乗っていれば、すぐさま目をつけられてしまいそうだということが、この2日間でよくわかったからです。
しかし、問題はカーナビにありました。たしかに、純正のナビが装備されてはいたのですが、これがなんと、前に利用したドライバーがロシア人だったのか、ロシア語表記のままになっていたのです。日本やアメリカのレンタカー会社なら、まずこういうことはあり得ません。予約の段階で、私がはるばる日本からの客であることはわかっているのですから、少なくとも英語の表示にはしておくでしょうし、間違ってもイタリア語には戻しておくはずです。
エンジンを入れ、さて最初の目的地をセットしようとナビを開いたところ、画面には、あの独特のロシア文字が並んでいて、どこをどう押しても、表記が変わらないのです。レンタカー会社のスタッフが小一時間悪戦苦闘してくれた結果、なんとか英語表記になり、やっと目的地をセットすることができました。
ジャンピエロ氏によれば、「本当にラッキー。普通ならあそこまではやってくれないですよ、イタリア人は。肩をすくめるか両手を横に開くかして、『さあ、私にはわかりませんね。あとはお客さんの責任でなんとかしてください』といったようなことをのたまって終わりでしょう」というのです。だとしたら、なんともラッキーなことではありました。
それにしても、ロシア語とは! ヨーロッパが地続きであることを改めて認識させられたしだいです。以前、ドイツのデュッセルドルフでレンタカーを借りた──ヨーロッパでは初めての経験でした──とき、目的地をセットしようとしたら、最初「国・地域」選びからスタートすることを知り、驚いたことがあります。でも、よくよく考えてみれば当たり前の話ではあります。
ヨーロッパの場合、同じ地名が複数の国にあることはけっして珍しくありませんから、セットして、これで安心とばかりに、ガイドのままに運転していったところ、それこそ隣の国の同じ地名のところに着いてしまうなどということさえあり得るわけです。
さて、ようやく目的地に向けて出発し、市内から30数kmのところにあるカゼルタという町まで行きました。ここにはブルボン王家の王宮と庭園があり、これがもうベルサイユ宮殿そっくりの壮大さ。庭園など、入り口からいちばん奥まで4kmほどあるというシロモノで、度肝を抜かれました。歩いても歩いてもいちばん奥までたどり着かず、結局、帰りは城内をまわっているバスに乗ることに。

「ついで」の2乗で予定が大幅延長

2011年5月12日
いよいよ明日から南イタリア→ベルリン→ロンドンという2週間の旅が始まります。当初はベルリンとロンドンだけだったのですが、ついでとばかりに、南イタリアもくっつけてしまいました。これが、自分でいうのもなんですが、私の賢いところでもあり、悪いクセでもあるのです。
もともと、今回の旅の目的は、ベルリンが、佐渡裕が初めてベルリンフィルの指揮をするコンサート、ロンドンが「チェルシー・フラワーショー」というイベントです。ベルリンフィルのコンサートなど、もちろん日本にいても秋になれば聴けることはわかっています。それでも、ナマで観たい・聴きたいという生来の欲張りが頭をもたげてきました。3カ月ほど前の日曜日、ベリンフィルのウェブサイトにかじりついてチケットを買い求めました。
一方、チェルシーのほうは、昨年あたりから漠然と「一度観てみたい」との思いはあったのですが、しょうじきにいうと、家人へのサービスくらいのつもりでした。ところが台北の花博を観て、がぜん意欲が湧いてきました。
開催期間は5日間なのですが、最初の2日間は王立園芸協会の会員しか会場に入れないといいます。私たちの旅行日程からすると、なんとしても、その2日目に潜り込まなければなりません。きっと不要になったチケットが売りに出されているだろうと目星をつけ、インターネットでチェックしてみると、案の定、なにがしかのプレミア付きで売りに出されていました。
中学時代の友人の娘さん夫婦がいまロンドンに住んでいるので、さっそく友人を通して連絡を取り、チケットの確保をお願いし、ようやく買えたという知らせが入ったのが1週間ほど前。これでやっと、安心して出発できることになったしだいです。
それだけなら8日間もあれば十分なのですが、そこへふと、「この時期だと、イタリアのセリエAの最終試合が観られるかもしれない」というスケベ心が湧いてきたのです。こちらもさっそくインターネットで調べてみると、ちょうど(?)5月15日の夜にインテル・ミラノ対SSCミラノの試合があることがわかりました。インテルといえば、あの長友佑都がサイドバックでプレーしているチームです。「これは観るっきゃない!」と、だれにいわれたわけでもないのに、一人で決めました。
といっても、チケットをどうするか──。フィレンツェに私の会社に以前勤めていたIさんが結婚して住んでいるので、さっそく彼女にメールすると、「なんとかトライしてみます」との返事。1カ月ほど待つと、「大丈夫。ゲットできそうです」というメールをもらい、これで一気に1週間スケジュールが延びてしまいました。ならばというわけで、フィレンツェでチケットを受け取り、ベルリンに行くまでの間、南イタリアをまわってみようということになったわけです。

6日間で13人のインタビューとは

2011年4月12日
4月2・3日と山形に行き、その足で10日まで、雑誌の取材のため沖縄に行きました。正味6日間で13人のインタビューですから、えらくハードな日程です。昼食を食べる時間がない日もありました。しかも、那覇市内だけでなく、沖縄市、名瀬市など島の北のほうまで行きましたから、さすが、昨日は何もできませんでした。
市井でさまざまな活動に励んでいらっしゃる方も何人かおられるのですが、なかには市長や地元大企業の社長やCEOもおられ、その分、気も使いましたから、やはり大変です。同行したカメラマンが「私はこれで仕事が終わりですが、岩中さんはこれから書くほうがあるんですから、大変ですよね」といわれました。いままでそういうことを考えたことなどなかったのですが、さすが今回は「そうだよなぁ」と、思わず絶句してしまいました。明日からは一気に13本、仕上げないと……。

佐藤隆介さんの書を見ると

2011年3月31日
佐藤(左党?)隆介(鉢山亭虎魚)さんとその仲間による「忘憂展」に行ってきました。佐藤さんたちの筆になる書をさまざまな木に彫り、それに色づけしてつくった濡れ額などが並んでいました、10年ぶりでお会いした佐藤さんはお元気そのもの。B0151160_17205750

佐藤さんとはかれこれ30年ほど前、私がまだ会社勤めをしていたころ、池波正太郎さんの『男の作法』という本をつくる仕事でご一緒させていただいて以来のお付き合いです。渋谷区鉢山町のご自宅にお邪魔したとき、タンカレー(Tanquerey)という最高級のジンの存在を教えられ(佐藤さんはだれあろう、ジンのロールスロイスともいわれるタンカレーを紀ノ国屋スーパーに置かせた方なのです)ただけでなく、それをいちばんおいしく飲むには、三々九度で使う漆塗りの杯に限ると秘伝も授けてくださいました。
それはともかく、佐藤さんの書を見ると、「自分も、こういう味わい深い字が書けるようになりたいなぁ」と痛感させられます。見たときは「よーし、自分も書道を習おう」などと思うのですが、残念ながら、実行に移せたことは一度もありません。
でも、コーヒーをおいしそうに啜り、それ以上にタバコをおいしそうにくゆらせる佐藤さんの姿を見ると、元気になれます。