2011年8月15日
上野の国立博物館に「孫文と梅屋庄吉」展を観に出かけた。辛亥革命、中華民国の建国など中国の近代化に奔走した孫文と、それを陰で支え、〝革命のプロデューサー〟との異名も持つ実業家(日活の創業者)梅屋庄吉ら日本人との交友を、これまでほとんど人目に触れることのなかった資料をもとに明かす、興味深い企画展示です。
そこに名前が出てくる日本人には、犬養毅、大隈重信、宮崎滔天〔とうてん〕、頭山満など、錚々たる名前が並んでいました。宮崎滔天の旧居は私の会社と目と鼻の先にいまでも建っていることもあり、とても親しみを覚えます。
梅屋庄吉は、「孫文トワレトノ盟約ハ一切口外シテハナラズ」と遺言に残したそうです。いまのお金に直すと総額2兆円ほどの支援をおこなった梅屋庄吉・トク夫妻について、さっそく勉強してみようと思いました。
ただ、展示の内容はどうにもわかりにくいところがあり、順路の表示を忠実に守っていると、わけがわからなくなりかねません。せっかく貴重な史料を展示しているのですから、もう少し練ってほしかったというのが、正直な感想です。
その後、上野公園を歩いたのですが、出口の近くに、かの有名な西郷隆盛像がありました。東京に住んで41年目だというのに、真正面からじっくりながめるのは初めてです。
それにしても、浴衣を着て犬を連れたその姿はなんとも不思議な感じがします。なぜ浴衣なのか? なぜ犬を連れているのか? なぜ上野なのか? 像の横に建っている碑文を読んでも、そのあたりについてはさっぱりわかりません。
かろうじて、西南戦争で朝敵とされた西郷が、その後の恩赦で名誉を回復したことに喜んだ、西郷の親友・吉井友実が発起人となって西郷の銅像を建てることを決めたこと、高村光雲に西郷を彫らせ、それをいまの場所に建てたものであることはわかりました(犬は別人の作のようです)。
偶然にも、つい先日、次の仕事のテーマを「鹿児島」と決めたところです。児島を語るのに西郷隆盛は絶対に欠かせません。そこで、今日をもって、「鹿児島」取材のスタートとすることにしました。