あっという間に7~8センチの積雪

2013年1月14日
 たまたま所用があり、2日続けて国立競技場の近くまで行くことになりました。ところが、昼前から雪が降り始め、それが猛烈な勢い。1時には信濃町の駅周辺は7、8センチ積もっていました。仕事場に立ち寄り、しばらく雑用を片付けていたのですが、いっこうに衰えないので心配に。池袋から西武線で帰ろうとしたのですが、積もった雪の重みで線路内に木の枝が倒れていることがわかりストップ。仕方なくタクシーで帰宅とあいなりました。


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 池袋駅周辺は人の姿もほとんどなく、タクシーも皆客を乗せており早々にあきらめ、隣の目白まで山手線で。そこでようやくつかまえたのですが、どのクルマものろのろ運転で道路は大渋滞。結局、自宅まで30分近くかかり、料金もいつもの倍かかりました。

 前日の天気予報をはるかに上まわる雪で、明日からの混乱が心配です。東京は雪にはからっきし弱いですから。

ラグビー大学選手権で帝京が4連覇

2013年1月13日
 国内でラグビーを観るのは何年ぶりでしょうか。大学ラグビーの決勝戦(帝京大 vs 筑波大)を観に国立競技場に行きました。チケットは知り合いから頂戴したのでロハ。ただし、自由席です。

 今日は1月とは思えないポカポカ陽気。キャップもマフラーはまったく不要。コートを着ていると暑いくらいでした。

 国立大学として初めて決勝に進んだ筑波ということで、別の意味で注目されてはいるのですが、さすが決勝ともなると、地力の差は歴然。最初の10分ほどは、双方とも落ち着きを欠いていたようで、ノックオンの連続でしたが、それを過ぎてからは帝京のワンサイドといってもいいくらい、とにかくスピードで筑波を圧倒していました。

 気持ちよくパスがまわるので、観ていて気持ちのいい試合でした。スクラムが非常に少なかったことからも、どちらも球出しがスムーズだったのがよくわかります。後半の最後、筑波が意地でトライを二つ決めましたが、時すでに遅し。最終スコアは39対22で、帝京が史上初の4連覇を決めました。

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 2019年のワールドカップは日本での開催が決まっていますが、そのわりに盛り上がりに欠けているのはなんとも残念。オリンピックもいいでしょうが、それよりまずはラグビーに、もっともっと力を入れるべきではないかと思うのです。

 今年も3月末にはセブンス(7人制)の大会が開かれますが、PRはいまイチ、どころかいま2で、ラグビーサークル以外の人はほとんど知らないのではないでしょうか。こんな状態では、いくら6年後といっても、会場が満杯になるなど夢のまた夢という気がしてしまいます。

宮城県東松島で目にした「光」と「影」

2012年1月28日
 東日本大震災の被災地を訪れました。昨年12月に続いて2回目です。こんども宮城県ですが、場所は東松島。なぜ、その地に行くことになったのか。かつて真剣に応援していた劇団ふるさときゃらばんで中心的な役割を果たしていた寺本建雄さん・そふえまなさん夫妻が制作しているミュージカルの応援のためです。

 3月18日、東京・銀座のブロッサム銀座で上演が決まった「ミュージカル『とびだす100通りのありがとう』」ありがとうミュージカル」。その出演者は全員、被災地の、それも、実際に災害に遭った人たちばかりです。震災のとき東松島に暮らしていた前谷ひろしさんがふるさときゃらばんに籍を置いていた縁で、寺本さん・そふえさん夫妻と協力して立ち上げた企画とのこと。震災のあと東京を始め全国から励ましや支援を受けたお礼の気持ちを伝えたいと、それをミュージカルに託すことになったといいます。

 もちろん、出演者は全員シロウト。生まれて初めてのミュージカルなのですが、このパターンは旧ふるさときゃらばんが得意としていたもの。シロウトでも、本番のときは信じられないくらいの演技を見せてくれることで定評があります。

 その応援をしようということで、今日は現地での練習に立ち合わせてもらいました。地元の中学校の体育館で100人を超える人たちが懸命に練習していました。小学生から70歳を過ぎたおばあちゃんまで、真剣そのもの。この日は4回目の練習でしたが、歌も踊りもかなりのものでしたPhoto_5

 終わったあと、寺本さん・そふえさん夫妻とともに、津波で家を流された出演者の夫婦の案内で、家があった場所を訪れました。震災から1年近く経っているというのに、そこはいきなり時計が逆戻りしたのではと思うほど、「3・11」のまま。案内してくださった被災者自身が、「あれー、こんなところにあった」と、探していたものを見つけるなど、それはそれはすさまじい現場でした。

 時間的にも日が暮れる直前で、気温も下がり、空も薄暗くなってきます。まわりに「あった」はずの家も3・11のときのままですから、だんだんやるせない気持ちになってきました。それでも案内してくださった夫婦は笑顔を絶やさず、気丈にされています。それがわずかな救いでした。

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 そこを後にして、仙台駅近くで牛タンを食べて帰京したのですが、このミュージカルは何がなんでも成功させなくては……と気持ちを引き締めました。

ナマの安住紳一郎さんと一緒に

2012年1月22日
 TBSラジオで毎週日曜日の朝10時から放送されている「安住紳一郎の日曜天国」の「ゲストdeダバダ」という30分ほどのコーナーに出演させていただきました。可能なときはほとんど毎週聞いている番組ですからもともと非常に親しみがあり、依頼を受けたときは一も二もなく引き受けました。

 テレビと違って、ラジオは事前の打ち合わせも比較的アバウトで、自分自身の泥気をストレートに表現できます。テレビは事前の打ち合わせに加え、録画の場合、スタジオでカメリハだマイクテストだといって、番組の中で話そうと思っていることを、最低でも3回、へたをすると4回も5回も口にしなくてはなりません。

 ところが、そうこうしているうちに自分で面白いと思っていたことも、まったくつまらなく感じられるようになってしまい、本チャンの時はテンションが最低になっていることがほとんどです。そのため、私はテレビの出演はたいがいお断わりしています。

 今日の番組はその意味では自分でも楽しめましたし、安住さんの誘導はまごうことなくプロフェッショナルですから、テンションの高い状態で話すことができ、とても満足できました。もっとも、聞いてくださっていた方がどこまで面白いと思ってくださったかはわかりませんが。

http://www.tbs.co.jp/radio/nichiten/

九州新幹線「グリーン車」への疑問

2012年1月18日
 鹿児島から福岡まで九州新幹線に乗りました。それも、奮発してグリーン車です。東海道山陽新幹線のグリーンは、普通の指定席とは歴然とした差があります。乗るとすぐおしぼりがもらえます。シートは大きくて広く、リクライニングの角度も深いので、大いにリラックスできます。その気になればぐっすり眠ることも可能でしょう。

東北新幹線ともなると、コーヒーや紅茶が1杯、ついてきます。お客さんの数が少ないからできるサービスでしょうが、コーヒー好きの私にとってはとてもありがたいことです。

 それに比べると、九州新幹線のグリーン車のなんともプアなこと。シートは普通指定席と大差ないですし、おしぼりもコーヒーもなし。何が違うかというと、床の敷物だけです。それとて、ほかの車両と格段の違いがあるようには思えません。フットレストなど、私にとってはあってもなくてもほとんどどうでもよいことです。

 まあ、逆にいうと、普通指定席車両のレベルが高いのです。東海道山陽や東北のように片側3列、片側2列でなく、左右両方とも2列ずつですから、それだけでもシートの幅が広いことがわかります(測ったことはありませんが)。

 それでほかの新幹線と同じ額のグリーン料金を取るのですから、JR西日本はいったい何を考えているのかといいたくなります。私より前に、ほかの乗客からクレームが寄せられているのではないでしょうか。

「データDE県民性」の連載がスタート

2012年1月17日
 長年「県民性」をテーマに著作活動をおこなってきた私。けっして「学」などというシロモノではないのですが、面白さにかけては何にもひけをとりません。

 講演などではいつもお話しているのですが、「県民性」というのは、「地理と歴史の掛け算」で成り立っているもので、子どものころからいちばん好きだった科目の延長線上にあるのですから、楽しいに決まっています。

 しかも、現地に行くといつも新しい発見があり、それがまた、これまでの蓄積の上に加わります。すると、これまでの自分の見解をひっくり返すとまではいきませんが、場合によっては、かなり大きく揺るがすこともあり、恥じ入ることになります。

 そんな状況ですから、このたび聖教新聞社から頂戴した、県民性をテーマとしたコラム連載のお話は非常にありがたいと思いました。これでまた、勉強ができる、取材にあちこち行けると思うと、胸が躍るのです。

 「県民性」にかぎりませんが、何かを書く場合、現地取材は絶対に欠かせません。そこで触れる空気がいちばん強烈に自分を揺さぶるからです。見るもの・聞くもの・出会う人・食べるもの……すべてが材料になります。その材料をもとに、その県の人がどう発送し、どう行動するのか、またどんなことをしてきたのか、どんな歴史を残してきたのか。それこそキリがないのですが、決まった理論や見解があるようでないだけに、自分の人生経験も投影させることができます。面白いというのは、まさしくそのあたりに理由があるのかもしれません。

 ともあれ、毎月第1・第3月曜日の掲載なので、ぜひ目を通してくださればと思います。下記のウェブサイトにアクセスしてみてくだされば幸いです。
http://www.seikyoonline.jp/lifestyle/life/2012/1199838_1631.html

大震災から9カ月──やっと仙台に行きました

2011年12月18・19日
 「3・11」から9カ月以上が過ぎた12月19日、初めて被災地を訪れました。これまでは、正直、怖くて行く気になれなかったのです。怖いというのは、余震がどうのこうのという意味ではありません。破壊された町や村、建物や施設、海岸や山を目にしたくない──そんな気持ちが私を支配していたといいますか。

 でも、さすがに、ノンフィクションを書くという仕事にたずさわっているのに、いつまでも被災地を全然見ずにいるのは卑怯ではないかという思いがきざしてきました。そこで意を決して、1泊2日で宮城県に行くことにしたのです。1日目は、途中、村田というところに立ち寄り、その夜、仙台に入りました。仙台、それも駅の周辺は予想以上の復興ぶりで、本当に地震に遭ったのかと思ったほどです。

 翌19日、私が足を運んだのは仙台のすぐ南にある名取市閑上【ゆりあげ】地区。すぐ東側が海岸なので、震災の被害もひときわ大きかったそうです。実際、その惨状はすさまじいのひと言。復興もまだまだで、道端には漁船が放置されていますし、津波に流されてぶつり合ったのでしょう、ひどく傷ついたクルマがごっそり集まっていたりなど、目を覆うばかりの状況です。海辺の集落にあったと思われる家々は土台だけが残ったまま。もう9カ月が建っているのに、家財道具や子どものおもちゃや電話帳など、ごく平凡な日常を感じさせる物がそこらに散らばっていました。

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 いまなおあまりに悲しい状況をこれ以上書き記すのは忍びない気がするのでここでやめますが、みごとなまでに何もなくなってしまった町。津波の恐ろしさは想像を絶するものがあります。遅まきながら、謹んで、亡くなられた人びとのご冥福を祈らせていただきます。

齢(よわい)57で農業デビューした弟

2011年9月12日
長野県東御(とうみ)市で今年からブドウ(巨峰)の栽培を始めた弟から、初出荷の品が届きました。うつ病を克服し、社会復帰の道をさまざま模索していた弟ですが、ひょんなことから農業に縁し、一昨年からかの地で、ブドウ栽培の手伝いを始めました。その時点では、まさか自分がその栽培を手がけるなどとは思っていなかったようですが、これまでの農園主が引退したため、とりあえずその後を引き継いでみることになったのです。

7月、軽井沢に行った際、様子を見にそのブドウ園に立ち寄ったのですが、300坪という広さに驚きました。それでも、ブドウの迂遠としては狭いほうだとか。まあ、初めての者にとっては手ごろなサイズなのかもしれません。それでも、ブドウの木が生え、一定の高さ以上にしないように手入れし、その下で作業に励む姿を目の当たりにしたときは胸が熱くなりました。前の農園主の背丈に合わせて、ブドウの木の高さも抑えられているため、その下で作業するとなると、中腰というか、なんとも中途半端な姿勢にならざるを得ないわけです。その姿を想像しただけで、「これは大変だわ」と感じます。

専門的なことは何度聞いても覚えられませんが、それはそれは面倒くさそうですし、何より自然が相手ですから、作り手の思い描いているように育つわけでもありません。台風や長雨、異常な暑さやらに襲われたら、実の大きさやそのそろい加減、甘さ(糖度)など、ありとあらゆる面に影響するそうです。しかも、すべて初めての体験ですから、送られてきた今年の初ものを見たときは、なんともいえない気持ちになりました。

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しかし、そのでき具合はどうあれ、私としては、弟が何年かぶりに「社会」と接点を持てたことに感動しました。もともとが土木設計という、農業とはまったく縁もゆかりもない分野で生きていた弟です。年齢(57歳)からしても、初めてのことにチャレンジする苦労は想像を絶するものがあったにちがいありません。それをどうにか乗り越えての〝デビュー作〟ですから、私にとっては無条件でうれしい、というのが正直な気持ちです。

さあ、待ちに待ったラグビーW杯がスタート!

2011年9月10日
昨日からラグビーW杯が始まりました。4年に1回のイベントですが、残念ながらサッカーほどのパワーには欠けているいようです。それでも、私のようなラグビーファンにとっては待ちに待ったW杯です。

開幕第1戦は、予選で日本と同じプール(組)に属している地元で優勝候補筆頭のニュージーランド対トンガ。予想どおりNZが41対10で勝ちましたが、ハイライトのビデオを観ていると、NZはまったくモノが違うことがよくわかります。かつて日本はそのNZに17-145という、1試合最多失点の大会記録となる大敗(史上最多得点差)したことがあるのですが、その理由がよくわかります。バスケットボールでいうブラインドパスをばんばん見せてくれますし、とにかく、そのスピードが違います。ボールが完全に体の一部分になっているというのが最大の特徴でしょう。

L1010379 今日は日本の第1戦、相手はフランスです。試合前、両国の国歌が演奏されるのですが、なんと歌もついているのには驚きました。でも、いいものですね、歌つきも。試合は、後半16分の時点では21対25まで迫る善戦を見せましたが、最後は自力の差が出てしまい、結局21対47で負けました。じつは、21対25の時点、スタンドオフのアレジがほぼ正面からのPG1本とコンバートをミスらなければ、5点加わっており、1点リードしていたはずなのです。アレジは今日、ちょっとさえがありませんでした。攻撃のときキックの使いすぎではないかと、私は思ったのですが。それでリズムが崩れてしまった風にも見えました。

さあ、私たちも14日にニュージーランドに出発します。今日の朝、旅行会社からチケットも届きました。全身全霊、声をあげて応援してきます!

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ロープ付き財布と携帯電話ホルダーで安心の毎日

2011年9月9日
財布を取り替えてから今日で1週間、携帯電話ホルダーを持つようになってから半月が経ちました。財布はソウルで買い求めたもので、革のロープ付きです。ズボンのループに固定し尻ポケットに入れて持ち歩く式なのですが、なんでまた?

恥ずかしい話なのですが、私には、どういうわけか財布をよく落とす癖があるのです。これまで覚えているだけでも4回、一度など、銀行から現金をおろしたばかりで、中に10万円以上は入っていたこともあります。現金は、気分を持ち直せばあきらめがつくのですが、後を引くというか、面倒なのはクレジットカードを無効にする届け出だの、免許証や健康保険証の再発行手続きです。これは経験してみないとわからないでしょうが、気持ちがひどく落ち込みます。「オレって、なんでバカなんだ!」と、自分で自分を呪いたくなってしまうのです。

実際に落とさずとも、飛行機のシートや映画館・劇場のイスにすわっている間に、尻のポケットから抜け落ち、シート(イス)の上に出ていたなどというケースはそれこそ数え切れません。

また、携帯電話も、これまでずっと、ストラップをつけて首からぶら下げていました。しかし、これもうっとうしく、最近では年齢のせいもあってでしょう、それだけで首筋が凝るような感じがしていたのです。真夏ともなると、ストラップに汗がしみてしまい、ぶら下げ心地の悪いことといったらありません。といって、ポケットに入れていると落としたりなくしたりするリスクがあるので、悩んでいました。それに、Tシャツや、最近流行りの胸ポケットのついていないポロシャツやワイシャツだと、タオルハンカチ、タバコ、ライターなどでズボンのポケットがぼっこりふくらんでしまい、不愉快になります。

そんな私を見かねた家人が半月ほど前、携帯電話用のホルダーを買ってきてくれました。ズボンのベルトを通すスタイルなので、落っこちるということがなく安心です。そのとき、「ついでに、財布も紐のついたものに変えたら」と半分冗談で口にしたのです。そういうものがあるのかと思い、さっそく探してみました。GOOGLEで「落としにくい財布」と入力し検索してみると、いくつかヒットしたのですが、ほとんどは金属製のチェーンの付いたものでしたが、中に、革製のロープ付きというのがいくつかあったのです。

しかし、日本のデパート、ショップをあたってみると、「旧モデルでいまはもう作っていない」との話。ガックリ来ていたのですが、ソウルの免税店で、ダメ元と思いながらたずねてみると、それと同じものをまだ売っていたので、即買いました。外国製なので、日本の並行輸入専門の通販ショップで買えなくもなかったのですが、それよりさらに安い値段で手に入れることができました。

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韓国から帰国し、さっそく使い始めたのですが、「これなら落とさずにすむ」という安心感も手伝ってか、心地のいいことといったらありません。また、携帯電話も、ホルダーのおかげで、これまでのように持って出るのを忘れるということがなくなりました。ベルトを通すスタイルなので、存在感があるのです。持つべき者はやはり家人ですね。ありがとうございます!

〝デイリープログラムの呪い〟

2011年8月30日
L1010302 今日が私たちの観戦最終日。初日ボルトが100M決勝でまさかのフライイング失格いてしまいましたが、じつは、昨日も大きなアクシデントがありました。男子110Mハードルで、北京オリンピックの覇者・劉翔を破って金メダルを取ったかと思ったキューバのロブレスが、これまた失格になってしまったのです。劉翔の走路を妨害したというのがその理由でした。
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ホテルに戻って、詳細なビデオ映像とともにそれが報じられているのを見ると、なるほど納得の判定でした。そのため、今日の朝の報道を見ると、「デイリープログラムの呪い」という言葉が出ていました。ボルトもロブレスもたしかに、デイリープログラムの表紙を飾っていました。(写真出典は www.adelaidenow.com.au )。

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では、今日のデイリープログラムの表紙はというと──。これが、女子棒高跳びのイシンバエワなのです。その呪いは生きていたようで、イシンバエワはあえなく6位に終わってしまいました。

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それでも、前回のベルリン大会での「記録なし」よりはましです。ベルリンでは、最初のうちずっとパスしていて、いざ初めて跳んだときはすべて失敗だったのですから。要するにきちんとバ-を越えた場面を一度も目にしなかったのです。今回は5M65は成功する場面を見られたので、それでよしとするしかありません。

L1010313まあ、陸上競技の常といってしまえばそれまでですが、こういうことが3日も続くと、これから先デイリープログラムの表紙を飾る選手には妙なプレッシャーになることはまちがいなさそうです。

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初めて聞いた「君が代」 やったぜ、室伏!

2011年8月29日
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今日は私たちの「世界陸上観戦史」の中で歴史的な日になりました。スタジアムで初めて君が代を聞いたのです!

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男子ハンマー投げの室伏が金メダルに輝いたのですが、ホント、胸が熱くなりました。2005年のヘルシンキ大会以来、これまでのべにしたら15回以上、スタジアムに足を運んでいる私たちですが、日の丸は何回か見たものの、君が代は初めて。耳にタコができるほど聞いている「星条旗よ永遠なれ」はともかく、中国の「義勇軍行進曲」もハイドン作曲のドイツ国歌(「ドイツの歌」というのだそうです)も、フランスの「ラ・マルセイエーズ」もイギリスの「ゴッド・セイブ・ザ・クイーン」も、国歌というのはやはり、どこか違った趣があります。そのため、こういう場で、一度でもいいので君が代を聞いてみたいと思っていたのですが、とうとうその夢がかないました。

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フィールド種目でも投擲やジャンプは、1回目の試技でいかにいい記録を出すかが勝負です。そうすれば、ライバルが冷静さを失う可能性が高いからです。今日の室伏はまさにそれでした。

1投目で12選手中のトップ、2投目で記録をさらに伸ばし、ライバルたちの追随を許しません。6投目に入るまで、80mラインを超える記録を出していたのは室伏ひとりでした。土壇場、2位につけていたハンガリーの選手があわやという伸びを見せたのですが、6センチの差で届かず。室伏の金が確定したときは最高の気分でした。

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しかも、その日のうちに表彰式がおこなわれたため、日の丸の旗が上がるのを見、君が代も聞くことができたのです。世界陸上に通っていたかいがありました。室伏選手、ありがとう!

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あちゃー、ボルトがフライイングで失格とは……

2011年8月28日
昨日から始まったIAAF世界陸上選手権。今回の韓国訪問の目標はこれですから、私たちも今日から、会場になっている大邱(テグ)通いです。本当はスタジアムがある大邱にホテルを取りたかったのですが、もともとその数が少ないところへもってきて、IAAF関係やスポンサー企業が、早い時期から押さえられてしまっていたため、半年前でも予約を入れることができませんでした。仕方なくプサンにホテルを取ったのですが、大邱までは毎日、KORAILの特急(KTX)に乗って通うしか方法がありません。

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私たちにとっては今日が初日なので、時間に余裕を持って出かけました。プサンから40分ほど、大邱が近づくと、窓に見えるのはプサンと同じく、林立する高層マンション群です。プサンは東シナ海に面した港町ですが、平地が極端に少ないので、どこを見ても高層マンションがびっしり建っています。狭い都市というと今年の5月に行ったナポリを思い出しますが、ナポリは高層マンションがほとんどなく、その狭さは町を歩かないと実感できません。しかしプサンも大邱も、その狭さは容易に実感できます。主だった道路がやたら広い(最低でも片道3車線、多いところは5車線)ので、えっと思うかもしれませんが、あたりを見まわすと、雲をつくような高層マンションばかりですから、すぐ気づきます。

KTXの停車駅(東大邱)からスタジアムまではシャトルバスで30分。この日は日曜日で、しかも、100メートルの前回チャンピオンで世界記録保持者(9秒58)でもあるウサイン・ボルト(ジャマイカ)が走る準決勝と決勝があるので、大変な人出でした。もちろん、私たちのお目当てもボルトです。L1010271

準決勝は順当にトップで通過しましたが、決勝ではまさか、まさかのアクシデント。なんと、フライイングで失格になってしまいました。スタートラインに向かってカメラを構えていたのですが、シャッターに乗せた指がその瞬間、止まってしまいました。ガッカリ! のひと幕でした。

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ついに池袋に進出!「コメダ」に行ってみました

2011年8月17日

名古屋に「コメダ珈琲店」という一大喫茶店チェーンがあります。発祥の地は名古屋なのですが、以前このブログでも紹介したように、ここのところ首都圏への進出にもえらく力を入れているようで、この6月にはとうとう私の会社の近く、池袋にも店を出したとの話を聞きました。

地上店舗出なく、ビルの2・3階にあるため少々わかりにくいのですが、中に入ってみると、そこはまごうことなき「コメダ」の世界でした。壁からテーブル、イスとすべてウッド系で内装されていることでそれとわかります。

先日、高校の同期生が10人ほど集まった折、名古屋時代の思い出話に花が咲いたのですが、「コメダ」はほとんど話題になりませんでした。というのも、私たちの高校時代は店がまだ1軒しかなかったからで、行ったことのある者は1人もいませんでした。「サンモリッツ」とか「コンパル」(この2つはいまでも健在)「づか(ずか? or ZUKA?)」といった店なら、だれもが覚えていますし、学校帰りに友だちと行って何時間もダベっていたとか、どうしで初デートとかそれなりに思い出もあります。しかし、いまになって「コメダ」が〝名古屋を代表する喫茶店〟といわれても、ピンとはこないのです。

それがいまでは神奈川県に15店、東京都内に12店、千葉県に3店、埼玉県に4店と、首都圏だけでも30以上も店があります。もちろん、愛知県の263店、岐阜・三重県の28店には遠く及びませんが、412店という数はスタバ(直営とライセンス店舗を合わせ912店)は別格として、それ以外ではドトール(直営で336店)や珈琲館(259店、同系列の上島珈琲店=63店を加えても322店)もかないません。

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ただ、「コメダ」の最大の売り物、シロノワールというスイーツ(温めたデニッシュパンの上にソフトクリームを乗せ、シロップをかけて食べる)は、人ぞれぞれの好みもあり、私にとってはいまイチの感があります。名古屋名物の「小倉トースト」(実をいうと、これを全国に知らしめたのは私だと、ひそかに自負しているのですが)もメニューに入っていますが、名古屋の地元にある個人経営の喫茶店で出すもののほうがはるかにおいしいと思います。

通常(首都圏・関西では400円)の「1・5倍」入った「たっぷりコーヒー」(同500円)も私からするとアメリカンっぽく、好みではありません(以前、名古屋の店で飲んだ珈琲のほうがもっと濃厚だったように記憶していますが、場所によって変えているのかもしれません)。ただ、回数券システム(10杯分の価格で11杯分飲めるクーポン券)は名古屋と同じように、首都圏でも実施されているようでした。

今日からスタート! 「鹿児島」取材

2011年8月15日

上野の国立博物館に「孫文と梅屋庄吉」展を観に出かけた。辛亥革命、中華民国の建国など中国の近代化に奔走した孫文と、それを陰で支え、〝革命のプロデューサー〟との異名も持つ実業家(日活の創業者)梅屋庄吉ら日本人との交友を、これまでほとんど人目に触れることのなかった資料をもとに明かす、興味深い企画展示です。
そこに名前が出てくる日本人には、犬養毅、大隈重信、宮崎滔天〔とうてん〕、頭山満など、錚々たる名前が並んでいました。宮崎滔天の旧居は私の会社と目と鼻の先にいまでも建っていることもあり、とても親しみを覚えます。

Photo梅屋庄吉は、「孫文トワレトノ盟約ハ一切口外シテハナラズ」と遺言に残したそうです。いまのお金に直すと総額2兆円ほどの支援をおこなった梅屋庄吉・トク夫妻について、さっそく勉強してみようと思いました。

ただ、展示の内容はどうにもわかりにくいところがあり、順路の表示を忠実に守っていると、わけがわからなくなりかねません。せっかく貴重な史料を展示しているのですから、もう少し練ってほしかったというのが、正直な感想です。

その後、上野公園を歩いたのですが、出口の近くに、かの有名な西郷隆盛像がありました。東京に住んで41年目だというのに、真正面からじっくりながめるのは初めてです。

それにしても、浴衣を着て犬を連れたその姿はなんとも不思議な感じがします。なぜ浴衣なのか? なぜ犬を連れているのか? なぜ上野なのか? 像の横に建っている碑文を読んでも、そのあたりについてはさっぱりわかりません。Photo_3

かろうじて、西南戦争で朝敵とされた西郷が、その後の恩赦で名誉を回復したことに喜んだ、西郷の親友・吉井友実が発起人となって西郷の銅像を建てることを決めたこと、高村光雲に西郷を彫らせ、それをいまの場所に建てたものであることはわかりました(犬は別人の作のようです)。

偶然にも、つい先日、次の仕事のテーマを「鹿児島」と決めたところです。児島を語るのに西郷隆盛は絶対に欠かせません。そこで、今日をもって、「鹿児島」取材のスタートとすることにしました。

世界経済の現実を写し出すマカオ

6月8日
昨日、香港からマカオに移動してきました。マカオはたかだか1年2カ月ぶりだというのに、その変わりように驚きました。前回訪れたときにほとんど目にしなかったインド人の姿の多いこと。たしかに、インドの経済はここ数年大きく成長しており、まさしく世界経済の「いま」が反映されています。
ここ3年ほどのマカオの大発展を牽引したのはもちろん、中国国内で急増している大小〝富豪〟たちですが、そこへ今度はインドも加わってきたということでしょう。
2000年ほど前の世界は中国人とインド人、そしてアラブ系のペルシャ人とエジプト人が文明を謳歌していたわけですが、その後中国を除いては没落、中国人も19世紀に入ってからは鳴かず飛ばずでした。それがここにきて形勢が大きく変わりつつあります。まず(といっても40年も前ですが)アラブ系のアラビア人たちが石油を武器にふところを潤わせるようになり、次に中国、そしてこれからはインド。アングロサクソンの影響力は徐々に薄れていくのではないかという気すらします。
その狭間で生きてきた日本がどうなるのか。東北大震災とそれに引き続いて起こった福島原発の大事故で、いま日本を取り巻く状況は内外ともに厳しいものがあります。そうした中、何をどうすればいいのか、腰を据えて考えなくてはならない時期が来ているのかもしれません。

『広島学』、ようやく完成!

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ヨーロッパから金曜日の夕方帰国し、今日は久しぶりの出社。机の上に、留守中に発売になった『広島学』が届いていました。素晴らしいカバーですし、かなり力(りき)を入れて書いたので、売れてくれるといいんだけどと思いつつパラパラっとページをめくってみました。できたての本ほど、心が躍るものはありません。編集にたずさわった本ですらそうなのですから、まして著書となればなおさらです。
都内も広島も土曜日(28日)には店頭に並んでいるはずですから、さあ、どうなるでしょうか。

6日間で13人のインタビューとは

2011年4月12日
4月2・3日と山形に行き、その足で10日まで、雑誌の取材のため沖縄に行きました。正味6日間で13人のインタビューですから、えらくハードな日程です。昼食を食べる時間がない日もありました。しかも、那覇市内だけでなく、沖縄市、名瀬市など島の北のほうまで行きましたから、さすが、昨日は何もできませんでした。
市井でさまざまな活動に励んでいらっしゃる方も何人かおられるのですが、なかには市長や地元大企業の社長やCEOもおられ、その分、気も使いましたから、やはり大変です。同行したカメラマンが「私はこれで仕事が終わりですが、岩中さんはこれから書くほうがあるんですから、大変ですよね」といわれました。いままでそういうことを考えたことなどなかったのですが、さすが今回は「そうだよなぁ」と、思わず絶句してしまいました。明日からは一気に13本、仕上げないと……。

佐藤隆介さんの書を見ると

2011年3月31日
佐藤(左党?)隆介(鉢山亭虎魚)さんとその仲間による「忘憂展」に行ってきました。佐藤さんたちの筆になる書をさまざまな木に彫り、それに色づけしてつくった濡れ額などが並んでいました、10年ぶりでお会いした佐藤さんはお元気そのもの。B0151160_17205750

佐藤さんとはかれこれ30年ほど前、私がまだ会社勤めをしていたころ、池波正太郎さんの『男の作法』という本をつくる仕事でご一緒させていただいて以来のお付き合いです。渋谷区鉢山町のご自宅にお邪魔したとき、タンカレー(Tanquerey)という最高級のジンの存在を教えられ(佐藤さんはだれあろう、ジンのロールスロイスともいわれるタンカレーを紀ノ国屋スーパーに置かせた方なのです)ただけでなく、それをいちばんおいしく飲むには、三々九度で使う漆塗りの杯に限ると秘伝も授けてくださいました。
それはともかく、佐藤さんの書を見ると、「自分も、こういう味わい深い字が書けるようになりたいなぁ」と痛感させられます。見たときは「よーし、自分も書道を習おう」などと思うのですが、残念ながら、実行に移せたことは一度もありません。
でも、コーヒーをおいしそうに啜り、それ以上にタバコをおいしそうにくゆらせる佐藤さんの姿を見ると、元気になれます。

やっとの思いで東京に

2011年3月12日
お昼過ぎに那覇空港まで行くと、ロビーは足の踏み場もないほど人、人、人であふれかえっていました。待つこと4時間、ようやく夕方遅くの羽田行きの席が取れ、なんとか東京まで戻りつくことができました。前日は都内の公共交通機関のほとんどがアウトだったようですが、この日はかろうじて動いていました。逆に、昨日羽田まで行きつけたとしても、羽田で足止めを食らっていたにちがいなく、かえって幸いだったわけです。
しかし、家のテレビに流されていたニュース報道は、とても正視できるものではなく、これは大変なことになったと思ったのはいうまでもありません。聞けば、昨日の揺れは都内でもハンパなものではなかったようです。会社のスタッフに確認したところ、本棚の本はすべて床に落ちてしまったとのこと。それでも、事務所そのものは鉄筋3階建ての一軒家なので、まだ軽く済んだのでしょう。

大阪で「BEGIN」

2011年2月24日
私と、今日がハッピーバースデーの家人が大好きな、沖縄出身のバンド「BEGIN」のコンサートに初めて行きました。それも大阪です。東京より沖縄との縁が深いというか、沖縄出身者が多くいる大阪なので、えらい盛り上がりでした。

沖縄でも離島の石垣島生まれというBEGINですが、メンバー3人のキャラクターでしょうか、芸能人とかタレントによくありがちな虚飾の匂いがほとんどしません。そのへんにいそうなおニイちゃん風ですから、なんともいえない親近感があります。これは、メジャーになったいまでも、リーダーの比嘉栄昇が沖縄で暮らしている(ほかの二人は東京)せいではないでしょうか。

東京と沖縄。何が決定的に違うのかというと、やはり時間の流れでしょう。東京のそれに比べ沖縄はかなり、石垣島ではもっと、ゆっくり時間が流れているように感じられます。そのゆったり感こそ、沖縄に行ったときの心地よさ、癒され感の根源だと思うのです。
めでたく還暦を迎えた家人のほうはその思いがもっと強いようで、「ファンクラブに入らなくっちゃ」といって、申込書をもらっていました。

雪、雪、降れ、降れ、もっと降れ!

2月11日の天気予報は、その数日前から「雪で、凍えるような寒さの一日となるでしょう」でした。その前日から、「明日は東京でもかなりの積雪が……」などという言葉が何度となくニュースで聞かれていましたから、準備に余念のない人も多かったようです。

しかし、こういうふうに、事前に大騒ぎしていたときにかぎって、いざその日になるとたいしたことないというケースが多いものなのです。案の定、2月11日は、寒かったのはまちがいありませんが、雪はほんのわずかしか降りませんでした。

ところが2月14日のバレンタインデーの日は違いました。この日も朝から寒く、夜は天気が崩れるとの予報でしたが、「雪」ということはあまりいわれませんでした。しかし、夕方から一気に冷え込んだせいでしょう、降り始めた雨が、7時過ぎにはあっという間に雪に変わり、どんどん積もり始めます。内心、「こういうときの雪はびっくりするほど積もるんだよな」と〝期待〟に胸をふくらませていました。

雪で困ったり迷惑したりする人がいるのはもちろん承知してはいるのですが、実は、大雪とか台風とか暴風雨とかが、子どものころから大好きなのです。台風が接近してくると、頼まれもしないのにわざわざ家の外に出て、状況を観察したりします。前が見えなくなるくらいの雨や立っていられないほどの強風が吹いていると、それだけでうれしくない、もっと降れ、もっと吹けと、心の中で祈っている自分がいるのです。

内心では、こういう不埒なことをほかの人にしゃべったりしてはいけないという思っているのですが、あるとき、酒に酔った勢いで、そのことを口にしてしまったことがあります。すると、たまたまかどうかはわかりませんが、相手も私と同じ思いを抱いていたというではありませんか。その事実を知って、私はやっと安心しました。台風好き、大雨・大雪好きは自分だけじゃないんだ、と。

さて、昨夕から降り始めた雪は、真夜中、午前0時ごろ、最高潮に達していました。我が家の庭に生えている木も思い切り雪をかぶっています。ただ、天気予報を聞くと、「雪は明け方から霙(みぞれ)」に変わるでしょう」ということです。「なーんだ、これでおしまいか」とガックリきてしまいました。すぐ、庭に出て、雪をかぶった木を写真におさめたのは正解でした。朝、起きて庭を見ると、木に積もっていた雪はあとかたもありません。霙に変わったため、全部溶けてしまったのです。

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斎藤佑樹投手にも『札幌学』

先週木曜日まで沖縄にいて、プロ野球のキャンプも見にいったのですが、時間の制約もあり、北部までは行けませんでした。結局、名護の北海道日本ハム、宜野座の阪神タイガースは結局見れずしまいで帰京したのですが、本当は北海道日本ハムだけは行きたかったのです。

というのも、週末に札幌市の中田博幸副市長が名護に来られ、キャンプを視察すると知ったからです。拙著『札幌学』の取材にあたり大いに力をしてくださった方ですから、タイミングが合えば、名護でドッキングし一献傾けることもできたのに……と。

結局、副市長にはこういうお願いをしました。「日本ハムの新人選手6人に、『札幌学』を副市長から渡してあげてください。本にサインをしておきますから」と。ついでに、これはかなり我田引水的ですが、「札幌でいい仕事をするには、『札幌学』を読んでおいたほうがいいですよと、言い添えてください」とも。

すると、先年まで球団の顧問をされていた田中成侃さんが尽力してくださり、なんと、副市長から梨田監督に、「著者からです」ということで『札幌学』を贈呈するセレモニーめいたことを企画していただいそうです。そのときの写真を副市長の秘書がさっそくメールで送ってくださったので、掲載することにしました。

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まさかそんなことになるとは知らなかったものですから、これは梨田監督にも拙著をお贈りしないといけないなと反省したしだい。名護の宿舎あてお送りしようかと考えています。

キャンプ中、6人の新人選手が拙著を〝睡眠薬〟代わりにでも読んでくれるといいのですが……。今年の北海道日本ハムファイターズはユニフォームも一新、新戦力も加わり、昨年クライマックスシリーズに進出できなかった悔しさをバネに、頑張ってくれることを期待したいものです。

初めての「シニア」割引を経験

年末、高校時代の仲間と日本橋でスキ焼きを囲んだとき、早期退職して自由になった時間をもっぱら映画に注ぎ込んでいるSくんから聞いてはいたのですが、60歳になると1000円で映画が観られるようになります。メンバーのうちまだ還暦を過ぎていない3人ほどはどこ吹く風という面持ちで聞いていましたが、私は「そうだったよなぁ!」と思ったものです。

映画の料金には、「夫婦50割引」というのがあり、これまではもっぱらそのお世話になっていました。ただ、この割引は2人(法的に夫婦でなくてもOK)一緒でないと利きません。1人で行ったときはロードショーで1800円。でも、昨年11月に還暦を過ぎた身ですから、これからは1人でも堂々1000円で観られるしだいです。というわけで、今日の夜、初めて「シニア割引」で映画を観ました。

Rimg0287 池袋東急という、繁華街のど真ん中にあるオールドタイプの映画館で、『バーレスク』という作品でした。あちこちの映画館で上映されているわけではない、比較的マイナーなものですが、これがけっこう泣かせます。あらすじはインターネットを参照していただくとして、主演クリスティーナ・アギレラ(本業はシンガーソングライター)の歌のうまいこと。それと、脇役のシェール(こちらももともとは歌手。私たちの年代で“I Got you Babe”を歌った「ソニー&シェール)を知らない人はいないでしょうが、その片割れ──当時は夫婦だった)の好演が光りました。

それもそのはず、私自身はまったく知りませんでしたが、シェールは1987年の『月の輝く夜に』でアカデミー主演女優賞を受賞しています。その後、1998年にはグラミー賞も受賞しているので、映画と音楽の両方で最高の栄誉に輝いている希有なアーチストなのです。

それにしても、「シニア割引」というのは、えらくあっさり利用できるのに驚きました。自動販売機で「シニア割引」のボタンを押すだけでOKなのです。切符もぎりの係員もただ半分をちぎるだけでした(財布の中からわざわざ健康保険証を出してスタンバっていたのに……)。これからは、この「シニア割引」を徹底的に利用させてもらいながら、映画を楽しむことにします。

生後1カ月──2人目の孫・陽向(ひなた)

私にとって2人目の孫(男)が生まれ、今日でひと月たちました。名前は「陽向」といいます。家人は「ヒナタちゃんは、どの赤ちゃんよりかわいい」といってはばかりませんが、どこのパパ・ママも、また、ジージ・バーバも、それは同じではないかという気がします。世のジージ・バーバに共通するのは、パパ・ママであったときに比べ、精神的な余裕があるということでしょうか。
Rimg0211 泣き叫んでも、ジージ・バーバでいるかぎり、面倒を見るのはパパ・ママですから、客観的な立場でいられるとなれば、やはり気が楽です。それでもバーバは昔取った杵柄(きねづか)、あれこれアドバイスしたり、ときには手伝ったりしています。その点ジージは、申し訳ありませんが、「かわいいねー」とか「泣いてるけど、お腹、空いてるんじゃない?」とかいっているだけで済んでしまいます。

それにしても、自分の子どもたちが同じような状況にあったころのことは、みごとに忘れてしまっているのには驚きます。母親として子どもたちとより近くで接していた家人はまだしも、単なるアシストにとどまっていた〝でき悪〟の父親でしかない私など、覚えているのは、抱き方と哺乳ビンでミルクをやったあとゲップをさせることくらいのもので、情けないかぎり。でも、とりあえず可愛ければそれでいいかと、開き直っています。

そうであっても、生まれて間もない赤ん坊というのは、親も祖父母も、またそれ以外の、身内でない人たちも、顔を見ただけで心が癒されます。笑わなくても、語らなくてもいい、ただすやすや眠っているだけでいいのです。「子は宝」といいますが、けだし名言ですね。

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VANのキャッチフレーズは名言

今日から東京・池袋の東武デパートで「、「ヴァン(VAN)ヂャケットフェア」が始まりました。高校時代はバンカラだった私なので、ファッションにはまったく関心がなかったのですが、まわりには早熟系というか、そちら方面に強い仲間がけっこうおり、知識だけはありました。校内で履くスリッパに「ヴぁン」と書いていた、その名も坂(ばん)くんのことをふと思い出したりもします。

大学に入って、にわかにそっち方面への関心が目覚めた私にとって「VAN」、そして、その上級ブランドともいえる「Kent」は、もっとも好きなブランドでした。アメリカ東海岸のアイビーリーグの大学生たちが好んで身につけていたとかなんとか、その背景やらコンセプトなどはどうでもよかったのですが、ボタンダウンのシャツと、ウエスト部分に絞りの入っていないブレザーやジャケットはホントかっこいいと思いましたし、パイプドステムとかいう形のズボンも気に入っていました。ほしいと思ったものを買おうと、バイトに励んだのもなつかしい記憶です。

“for the young and the young-at-heart”がVANのキャッチフレーズでした。大学生のころはその言葉に特段心惹かれることもなかったのですが、還暦を過ぎたいまの自分にとっては、なんともリアルな感じがしてなりません。というか、これは永遠に残る名コピーではないでしょうか。

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そろそろお正月の準備を

以前にも記したように、私の食生活はいまなお、基本的に「断糖」です。米、うどん、そば、パン、スパゲティーの類は、原則として口にしていません。「断糖」の提唱者・荒木裕先生(崇高クリニック・兵庫県加古川市)のように、100%とまではいかないのですが、それでも、普通の人が毎日摂取している「糖(=炭水化物)」のおそらく2割ほどしか口にしていないのではないでしょうか。

そういう私のような者にとって大きな関門がお正月です。「お餅」という、とんでもなくおいしい食べ物があるからです。日本のお正月にお餅は欠かせません。なにせ、小学生から高校生の時分ですが、三が日も含め冬休みの期間中は毎朝10個以上食べていた私です。それ以外にも、焼いた餅に黄粉をつけて食べたりしていましたから、1日平均15個くらいになっていたのではないでしょうか。

そんな私ですから、「断糖」生活を始めたころは、お正月にはまちがいなく挫折するだろうと悲観していました。ところがどっこい、意外と思えるほど、お餅に対する執着はありませんでした。お米、お餅、どちらも、含まれている「糖」の分量はハンパなものではありません。それを断ち切ることができたのですから、これはほめられてしかるべきでしょう。

では、お餅を食べずにお正月をどう過ごすのでしょうか。私がみいだしたのはモッツァレラチーズです。これがお餅の代用品になるのです。まったく別ものであるにもかかわらず、お雑煮の中に、お餅と同じくらいの大きさ・厚みにカットして入れると、とてもおいしく食べることができます。

今日、そのモッツァレラチーズを2キロ、通販サイトで買い求めました。ふだんより値段が安くなっていたので、5キロまとめてとも思ったのですが、いくらなんでもそんなには食べないだろうと思い、2キロにとどめたしだい。いまからお正月、お雑煮が楽しみでワクワクしています。

奇跡的!? この3カ月はほとんど東京に

10月は奈良・京都(1泊)、11月は北海道(3泊)と長野県の上田(1泊)、12月は京都(1泊)──これがこの3カ月間の出張のすべてです。海外にいたっては、9月以降、一度もありません。自身のスケジュールをエクセルで表形式にし始めて4年ほど経ちますが、3カ月の間に東京(日本)を離れた回数・日数がこれほど少なかったのは初めてで、私にとっては奇跡的な経験といえます。

〝平成の伊能忠敬〟(ある人にいわせると〝平成の十返舎一九〟)をめざしている私としては、ある意味で非常に不本意なことではあります。でも、考えてみると、これほど家にいつくと、できることがいっぱいあることに気づき、それはそれでよかったなという気もしました。たまたま11月初めに単行本の締切りがあったため、あちこち動いていられないという事情もありました。しかも、11・12月と、別の原稿のチェック作業も入り、、結果としてはそれが幸いしたようです。

いまの住まいに引っ越して6年半がたち、初めての大々的な整理・整頓、大掃除もできました。雑誌もたまりたい放題たまっていたのを、テーマ別に時系列でまとめ、スペースを相当浮かすこともできました。これまで床の上に乱雑に積んであるだけだったのを所定の場所に収められたのです。古くなったものはすべて捨てました。その数およそ1000冊、資源リサイクルにも大いに貢献できたのではないかと……。

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ただ、それでも雑誌が毎月10冊ほど、単行本にいたっては40~50冊くらい増えていきます。純粋仕事用の本は事務所に置いておくことができますが、小説のたぐいはそういうわけにはいきません。

Rimg0373 整理というのは、それを終えると「こんなに広かったんだ!」と感動するのが常ですが、それにしても……といった感じでした。床がさまざまな物で覆われていたがために、これまで使いたくても使えずにいたアイロボット社の自動掃除機(ルンバ)も、ようやく活躍の場を得たので、大いに働いてもらいましょう。