ボッティチェリのあとフィレンツェ風「もつ煮込み」のはずが……

2015年3月26日
今日も朝から素晴らしくいい天気です。フィレンツェは今回が3度目の訪問。しかし、最初のとき(2001年8月)はほとんど観光らしい観光をしていません。このときは、結婚でフィレンツェに来て間もないIさんに会いにきたようなものでしたから。今回こそはと、それなりに思い描いていた予定もあります。その一つがウッフィツィ美術館。

しかし、今回のように連休の時期と重なっていると、大変な数の人が訪れます。早めに朝食を終え、午前8時には美術館まで行ったのですが、すでに100人近い行列ができていました。私たちは60~70人目あたりでしょうか。行列するのは、基本的に当日券を買うため。スケジュールをきちんと立てている人は予約を済ませているので、バウチャーを見せたり確認のメールを見せるだけですぐ中に入れます。

Dsc_0456本来の開館時間は8時15分ですが、私たちは40分ほど待たされてから、やっと中に入れました。しかし聞きしにまさる広さ、スケールの大きさには正直驚きました。展示スペースの始まりは3階。そのため、中に入ると階段で3階まで上がっていかなくてはなりません。3階といっても、天井がえらく高いので、実際には5~6階分あり、そこまで歩いて一気に上るのはとんでもない苦行。家人など、やっと入り口に着いたころには息があがっていたようです。

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ローマ時代からルネサンス期までの絵画、彫像が、70以上ある大小の展示室と廊下、壁、天井にこれでもかこれでもかというほど展示されており、しまいにはもうご勘弁をという感じでした。ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」とか「春/プリマヴェーラ」とか、その昔美術の教科書で目にした作品をナマで見ると、やはり感慨深いものがあります。

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1時間以上かけて見終わり、外に出たときはむしろほっとしました。通りに出ると、好天で温暖ということもあり、大変な人出でにぎわっています。とりあえず中央市場まで歩いたのですが、建物のまわりにテントを張っただけの小さな店がびっしり並んでいました。ほとんどが革製品ですが、雑貨や工芸品を売る店もあります。


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中に入ると、ここもやはり人また人。とくに、有名な「ランプレドット(lampredotto)=もつ煮込み」のサンドイッチ(パニーノ)を出している店はどこも長い行列ができています。ところが、この行列がクセモノで、地元の人でなければ注文できない雰囲気が……。こうすればいいのではないかとなんとなく想像はつくのですが、あまりの人いきれに圧倒され、あきらめました。だったら2階のフードコートでと思い上がっていったのですが、こちらはさらにひどい混雑。結局、すわってメニューを指させばOKといった感じの店に入ることにし、下までまた降りていきました。

ハンガリー系とおぼしきイタリア人夫婦がやっているカウンターだけの店で、写真と実物を見て注文し、ようやく昼食にありつけたしだい。店のオバチャンが次々訪れる客の注文をどんどんさばいていきます。その中には、ドイツ人もいればアメリカ人、韓国人、ロシア人もいて、それぞれの言葉をあやつりながら客をさばき、追加注文を聞き、最後お勘定までこなしているのを見ると、「すごい!」のひと言です。前にヴァチカン宮殿前の広場に屋台を出しているオッチャンがそれこそ10カ国くらいの言葉を平気であやつっている場面を目にして驚いたことがありますが、そのとき以来の衝撃でした。さすがイタリアです。


昼食後、すぐ近くのサン・ロレンツォ教会の脇にあるメディチ家礼拝堂を観て外に出ると、「疲れがどっと出てきちゃって」とのたまう家人と一緒にホテルに戻りました。シエスタですね。途中、ヴェッキオ宮前のシニョリーア広場にあるジェラテリで買ったアイスクリームのおいしかったこと。ひと口食べて顔をほころばせる家人の顔を見て思わずシャッターを押してしまいました。

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Dsc_0516ホテルに戻ったら、家人は言葉にたがわず即お寝み。私はといえば、その横でブログを書いたり日本から送られてくる仕事を処理したり。ミラノのホテルもそうでしたが、USBファイルを持っていけばすぐプリントできるスタイルになっているので大助かりです。

 

街全体が世界遺産のシエナに大感動!

2015年3月25日
今日は朝からシエナに行きました。天気もよく、最高のドライブ日和。こちらに来る前まではガイドブックとにらめっこしながら、いつ、どこに行くか、あれこれ悩んでいました。何せフィレンツェというところは見どころが多すぎるのです。ミラノの3倍、いや5倍ほどのページが割かれているくらいですから。しかも、今回の目標である「Scoppio del Carro(山車の爆発)」の前後は観光施設も臨時休館がけっこう多く、行き先が制限されます。もっとも、「復活祭」自体が国民の休日になっているとあれば、それもいたしかたないのかなと。

結局、日本を出発する直前に考え方を抜本的に変え、キホン出たとこ勝負で行くことにしました。ウッフィツィ美術館に行く日時も、現地で決めようと。ただ、今日のシエナ行きだけは、フィレンツェ在住の元社員Iさんのご主人が休みを取ってくれ、シエナ往復のドライバーを買って出てくれたため、予定を変更するわけにはいきません。朝9時半過ぎに出発、11時にはシエナに着きました。

シエナには特別な思い入れがあったわけでもないのですが、観光ガイドを見ると、けっこうページも費やされています。何より町自体が「世界遺産」というのが魅力です。中世のおもむきがそっくり残っているとありますし、イタリアならどこの町にもあるドゥオーモが素晴らしく美しく、とくに中の壁画や装飾はすごいと。

Dsc_0307実際、全体が世界遺産になっている旧市街を歩いてみると、まさしく中世がそのまま残されている印象を受けます。今日から3連休ということでイタリア人の姿も多いようで、細い道はかなり混雑していました。駐車場から15分ほど歩いたところにあるのがカンポ広場。こうした広場にしては珍しく、傾斜地に作られており、しかも四角形とか正方形ではありません。なんと扇型なのです。扇の要に位置しているのが市庁舎で、これがまたユニークな色合いをした建物。これだけでも見る甲斐があるくらい美しい広場でした。全体が傾斜しているので市庁舎の前で何かイベントでもあれば、そのまますわるだけで見渡らせる感じがします。

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Dsc_0353聞けば、毎年、日本のお盆にあたる時期に、この広場では「競馬」がおこなわれるのだそうです。お土産屋さんの店先に、その様子を撮った写真が飾られていました。それを見ると、中央部にびっしり観客が立っています。競馬がおこなわれのはその周り、広場を囲む建物の前にも見物客が立っていますから、競馬そのものはその部分とまわりの建物との間に生まれるスペースでおこなわれるわけですね。これはかなりスリリングではないでしょうか。一度、この目で見てみたいものだと、本気で思いました。騎手も観客も、このときだけはバカンス先からシエナまで戻ってくるのだとか。そのくらい、シエナの人たちの血を騒がせる魅力に満ちているのでしょう。

昼食は広場近くの、なんということのない食堂。家族経営といった感じがありありですが、メニューはどれも魅力的。生ハムやサラミなどを、ちぎった揚げパンに乗せて食べるだけなのですが、パン自体がすこぶるおいしいので、それだけで合格! といった感じがします。しかも、ハム、ソーセージの類はさすがイタリア、日本の比ではありません。しかも、値段がメチャ安です。

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Dsc_0400_3食後はドゥオーモの見学。教会の見学というと、ヨーロッパではたいがい無料ですが、ここはなんと20€も取ります。日本でいうなら2600円くらいでしょうか。しかし、それだけの金額を払った価値は十分、いやそれ以上ではないかとさえ思いました。というのも、普通は足を踏み入れることのないドゥオーモの屋根裏──地上5~6階ほどの高さでしょうか──にまで上がることができ、そこから内部をすべて見下ろせるのです。極端に狭くはあるのですが、テラス(というより通路ですね)に出ると、外の景色も見えます。「トスカーナの田舎」という言葉をよく耳にしますが、まさしくその光景が目の前いっぱいに広がっていました。ほかの教会では経験したことがないこのこと一つ取っただけでも、一見の価値は十分です。

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このドゥオーモの外壁は白地に黒の横縞。それだけでとてもユニークな印象を受けます。なかでも、ファサードの美しさは天下一品。教会建築についてはまったくの門外漢ではありますが、時代や地域によっておそらく大きな違いがあるのでしょう。ゴシックだのロマネスクだのルネサンスだのビザンチンだのといったこととは別にです。

気がついたらあっという間に5時間以上が経過しており、駐車場に戻ったときはすでに5時近く。車のフロントグラス、ワイパーに「駐車時間超過」を告げる警察の紙切れがはさまっていました。

 

Img_1049_20160326_2ホテルに戻りひと仕事したあと、Iさんのご主人推薦の、フィレンツェでもおそらく5本の指に入るであろうピザ店「I’ Pizzacchiere」で待ち合わせ。市内に2000軒近くあるレストラン(ジャンルを問わず)の中でも評価が24位という店だそうですが、ホントおいしかったです。フィレンツェ風のピザは、生地全体が薄く、端っこまで肉やら野菜やらチーズやらがびっしり乗っかっているのが普通だそうですが、この店のものは端っこが川の堤防のようにこんもり盛り上がっています。地元っ子はそれが不満のようですが、この店の女主人は方針を変えようとしないのだとか。

 

 

Img_1050_20160326ピザもさることながら、しかし、デザートで食べた「Nutella Dolce」は圧巻でした。これは焼いたピザ生地で「Nutella」のチョコレートクリームを巻いたもの。しかも、チョコレートクリームの部分だけで厚さ2センチ、幅が6~7センチ、長さ25センチほどあります。それを私たち5人で3個分もたいらげてしまました。イタリアでも「Nutella」のチョコレートクリームをここまで大量に使ったデザートはめったにないので、わざわざ「Nutella」という言葉を使っているとのこと。日本でも早くどこかの店で食べられるといいなと、正直思いました(ただし、日本で食べられる「Nutella」はオーストラリア製だとか)。

 

アンブロジアーナ絵画館の素晴らしさに感動

2016年3月24日

Dsc00203今朝は、初めてホテルのレストランで朝食を取りました。たしかに、どのメニューにもハイグレードな食材が使われています。スクィーズしたオレンジジュースは素晴らしかったですし、パンはどれも皆秀逸。バターもフランスの「エシレ」。ただ、全体としてはどうかなぁという気がしました。41€は高すぎるでしょう。

午前中は部屋でずっと仕事。チェックアウトを済ませて荷物を預け、昼過ぎから出かけました。最初の目的地は古代ローマの時代に作られたというサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会。さすが、その古さには驚く以外ありません。教会の前の広場に立つ16本の石柱がそれを象徴しています。昼食は、そこから5分ほど歩いたところにあった店で。テーブルの半分ほどが白いカバーで覆われている様子を見て、まあいいかということで決めました。


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さて、ミラノではあちこち観光しましたが、今日行ったアンブロジアーナ絵画館は出色でした。まず、建物自体、そんじょそこらのものと違います。貴族の屋敷といってしまえばそれまでですが、3階建てでとにかく広いこと。壁や天井など内装も豪華をきわめ、いかに豊かだったかがわかります。作品もダ・ヴィンチの『楽師の肖像』とかボッティチェリの『(天蓋の)聖母子』、カラヴァッジョの『果物籠』など有名な作品がズラリ。すいているのでゆったりした気分で観られたのがよかったです。

 


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「イータリー(EATALY)」もおもしろかったですね。「WHOLE FOODS MARKET」とコンセプトは同じなのでしょうが、イタリアらしいハイセンスな空間デザインが際立っています。3階はアルコール類(ワインとビールなど)の売り場ですが、その陳列の仕方にセンスのよさが感じられました。意外に思ったのはビールの充実ぶり。聞けば、イタリアでは最近、地ビールがたいそう人気を博しているとか。何より素晴らしいのはラベルのデザイン。日本の比ではありません。フィレンツェに行く車中で食べるサンドイッチ類と、日本では見かけないレモンのジャムを買いました。

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ミラノ中央駅から夜8時20分発ローマ(テルミニ)行きの特急(トレニタリア)に乗りました。日本のJRのグリーン車よりはるかに座り心地のいい椅子が左右に3列(2+1)。縦も15列ほどなので前後左右ともゆったりしています。もちろん、スーツケースを置くスペースも車輌の出入り口付近に確保されているので安心です。
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ただ、国内の旅行客を想定しているのでしょう、巨大なスーツケースを持って乗る私たちのような海外からの客からすると、もう少し広くてもといいのにと、正直思いました。それと1両おきではなく全車両にスペースを確保してもらいたいですね。それでも、こういうスペースがまったくない日本の新幹線よりははるかにマシです。「海外からのインバウンド2000万人」突破が現実になりつつある国なのですから、スーツケース置き場がまったくない長距離列車など信じられません。


夜10時、2つ目の停車駅フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラに到着、ホテルにチェックインしました。アルノー川沿いに建っており、窓からは川はもちろん、ポンテ・ヴェッキオもすぐ近くに見えます。それだけで疲れも吹き飛びました。家人も同様で、川というか、水はやはり人の心を穏やかにしてくれるのですね。

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イタリアにスタバがない理由

2016年3月23日

1日目の張り切りすぎがたたってか、朝からどっと疲れが。やっとのことで昨日決めておいたカフェまで行って朝食。その足でドゥオーモに向かい、入場券売り場に直行。9時前だったので、人の姿はまだまばらで、すんなり中に入ることができました。しかし、入り口の警備は軍隊が担当しており、非常に厳重です。もちろん、イタリア的にですよ、念のため。

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中の壮大さは、普通のドゥオーモ(聖堂)が4つくらい合わさったほどのスケールといえばいいでしょうか。ぶったまげました。それでも、尖塔部分の高さは世界のベスト10にも入っていません。いちばん高いドイツのウルム大聖堂のそれは161・5メートルもあるといいますし、私たちも行ったことのあるケルン大聖堂が157・4メートル、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が132・5メートル、フィレンツェのドゥオーモが107メール。ここミラノはたった84メートルなのですから。

Dsc_0154屋上にはエレベーターで上がりました(さすがに歩いていこうという気にはなれませんでした)。しかし、眺めはすばらしかったですし、それ以上に、ドゥオーモ屋上の造作の素晴らしさ! 外壁の彫刻や数多くの小さな尖塔も手が込んでおり、これには驚く以外ありません。


ドゥオーモを見学したあと一度ホテルに戻りました。ひと休みしたあと夕方近くになって、最近人気だというナヴィリオ運河まで行くことに。運河なので淀んではいるのですが、雰囲気のいい場所です。若い人がたくさん集まっていることからもわかるように、教会や美術館だけではないミラノの別の一面が垣間見えました。

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Dsc00199夕食は、地下鉄の駅近くにあるピッツァリアで。ピザのスモールサイズ2枚とサラダ、あとミラノ風カツレツを頼もうとしたら、最初の2品を書き留めたところで、店員が「もうやめときなさい。それ以上は無理。うちのメニュ-はみな特大だからね」とストップをかけるではありませんか。実際に食べ始めてみると、そのとおり。貴重なアドバイスに感謝しながらホテルに戻りました。

去年訪れたときにも感じたことですが、イタリアではスタバを見かけません。ローマでも出くわすことはありませんでした。ミラノも、昨日・今日と主だった観光スポットを歩きましたが看板はなし。もっとも、エスプレッソコーヒーのおいしさを考えれば、スタバの出番などあろうはずもないでしょうが。

実際、イタリアのコーヒーはおいしいのです。エスプレッソは「ダブル」で注文しても、デミタスのカップ、下3分の1ほどしか注がれていません。3口で飲み干すのが正しいという話を聞いた記憶がありますが、それこそひと口でもOKといった感じです。でも、味の奥行きというか深みが素晴らしく、日本の薄口エスプレッソなど、足もとにも及ばないといっても過言ではありません。


私のようになまじ「NESPRESSO」で“騙されて”きた者からすると、最初はその濃い味にびっくりします。「これがイタリアのコーヒーなんだ!」ということがわかると、「NESPRESSO」のいい加減さには怒りさえ覚えます。要はインスタントのエスプレッソでしかありません。どんなによくできているとしても、インスタントはしょせんインスタントなのですね。

1日中動きすぎてどっと疲れが

2016年3月22日
5時半には目が覚めてしまったので、しばらく仕事をしました。テレビのスイッチを入れると、NHKワールドとJSTVと、日本語のチャンネルが2つもあります。ニュースやNHKの朝ドラも見られ、家人はうれしそうでした。ただ、「お母さんといっしょ」もオンエアされているのが不思議な気がします。ミラノまで来て見る人がいるのでしょうかね?

41€というホテルの朝食はパスし、ホテル近くのカフェに行ってみました。マルコ・ポーロ通りを西に行き、ガリレオ・ガリレイ通りを渡り(通りの名前からしてすごいですよね))ポルタ・ヌオーヴァ(「新しい門」といってもローマ時代の門です!)を左に見ながらしばらく行った先の「SWEETS」というごく普通の店に入り、パンとカプチーノ、パニーニを。帰り道でもう1軒、もっとおいしそうな店を見つけたので、明日はそこで食べようと決めました。

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ミラノは建築家あこがれの町という話をどこかで耳にしたことがありますが、たしかに、ちょっと歩いただけなのに、ユニークで魅力的な建築物があちこちに見えます。モダンなデザインが古い町並みに不思議とフィットしているあたりがミラノの魅力なのでしょう。ポルタ・ヌオーヴァの周囲には、目を見張るようなデザインの建築物が集中している様子。

Dsc_0018調べてみてわかったのですが、この一帯は万国博に合わせて再開発中の地区で、新しいコンセプトのオフィスビルや住居(マンション)がいくつも建った(途上のものもまだある)ようです。プロジェクトの概要を説明する掲示板もありました。なかでも、イタリア語で「垂直の森」を意味する「Bosco Verticale(ボスコ・ヴェルティカーレ)」というマンションは26階建て(高さ110メートル)と18階建て(同76メートル)のツインタワーで、なんとも個性的なデザインです。
Dsc_0020_2ホテルに戻ったあと、すぐ前の地下鉄駅(Repubblica)からドゥオーモまで行きました。地上に出ると、とてつもなく大きな広場にまず感激です。ドゥオーモが巨大なだけに、それに合わせた広さになっているのでしょうが、「ミラノ~っ!」という感じです。入場券売り場の前に長蛇の列ができていたので、中に入るのは翌日に回し、エマヌエル・ヴィットーリオⅡ世のガッレリアからスカラ座の前へ。そこから北に上がるとブレラ絵画館があります。ガイドブックで★が3つついていたので、ちょっとのぞいてみました。カトリック大国だけあって、宗教画のコレクションが数多く展示されています。

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ランチは、肩の凝らなさそうな雰囲気の店が絵画館のすぐ近くにあったので、アウトドアのテーブルで。ウエイターがわざわざ「アンダーザサン?」とたずねてきたので、「イエス」と答えると、日の当たるところにテーブルを移動してくれました。食事はリゾット(カレー風味がうれしかった)とホットサンド(ハムと野菜)を2人でシェアし、飲み物は私がワイン、家人は昨年の6月以来すっかりファンになったスプリッツ・アペロール。しかし、来て1日目、しかも昼間のアルコールは予想以上に効いたようです。かったる~い足取りでスフォルツァ城に行きました。昨年の万国博でもメイン会場の一つだったところです。

城もさることながら、その裏に広がるセンピオーネ公園が出色。広い公園のはるか彼方に見える「平和の門」も美しい形をしています。最初は「えーっ、あんな遠くまで?」と思いましたが、ぶらぶら(いや、ヨタヨタか)歩いているうちにかなり近いところまで行ってしまいました。園内のそこここに咲いている花(遠目に見ると桜かと思わせる)がきれいで、とくに、日本では見たことのない黄色の花には惹かれました。

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Dsc_0121城の次は、『最後の晩餐』が展示されているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。ここは、出発前に予約を入れておいた(そうしないと観られません!)のですが、チェックイン30分前に到着してしまいました。作品自体は教会の食堂内にあり、1回20数人まで、観覧時間も15分と制限されており、その分ゆっくり観ることができます。ミケランジェロっぽくないというか、作画の方法がほかの作品と違っているため、色褪せてしまっています。でも、それがかえって時代のリアルな隔たりを感じさせてくれました。

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そのあとサンタン・ブロージェ聖堂まで歩き、中をちょっとのぞいてから、地下鉄でホテルまで戻りました。結局、今日1日で2万歩近く歩いたのではないでしょうか。

特典航空券と無料宿泊ポイントを利用してイタリアに

2016年3月21日
昼過ぎに成田を出発するオーストリア航空の便(ウィーン乗り継ぎ)でミラノまでの旅がスタート。ウィーンまでは11時間30分とのことでしたが、偏西風が弱かったのでしょう、予定より30分ほど早く着きました。

この航空会社の機内食はとてもユニークで、私も家人もとても気に入っています。メニューではなく、そのサービスがです。コックのいでたちをした男性が食事を運んでくるのです。いかにも、「私が作ったんですよ」とアピールしているかのような印象を受けますが、実際は、客室乗務員が扮装しているのでしょう。でも、「おいしい」「さすが」などとついつい思い込まされてしまいます。秀逸なのは食後のコーヒーで、10種類ほどあります。コーヒーだけを紹介した別メニューがあるくらいですから、本格的ですよ。

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ウィーンでの乗り継ぎは約2時間。どこの空港にいても、タバコを吸える場所はどこか、四方八方に注意を向けながら歩くのが私の習慣なのですが、なかなか見つかりません。ミラノ行きの便のゲートまでたどり着いたものの、スモーキングルームがあったのはその100メートル以上先でした。しかも、そのすぐ近くまで行かないと、案内表示すらありません。それでも蛇の道はヘビで、スモーカーが引けも切らずに入ってきます。私も10数時間ぶりの一服を味わうことができました。

ミラノの空港から市内まではバスで小1時間。中央駅近くのホテルにチェックインしたのは夜9時前です。今回は、私たちとしては珍しく5つ星のホテル。ミラノは昨年おこなわれた万国博の影響でしょう、ホテルの宿泊料が上げ止まりしているようで、選ぶのにかなり苦労しました。にもかかわらず5つ星のところを選んだのは、予約を入れるときによく利用している「ホテルズドットコム」の無料宿泊ポイントがたまっており、その一部を充当することができたから。そんなことでもなければ、5つ星のホテルなど、とても泊まれません。

そもそも、今回の航空チケット(往き=成田→ウィーン→ミラノ+帰り=ローマ→ミュンヘン→羽田)も、マイレージ特典による無料チケット。私たち2人はANAのマイレージがメインで、今回もANAと同じスターアライアンスに属しているオーストリア航空とルフトハンザ航空の組み合わせにしたことで、帰りも羽田着の便を選べたのです。


Dsc_0010ホテルはさすが5つ星。まず、建物自体、いかにもという威厳を感じさせます。「こんな立派なところにしたの?」と家人も心配そうな顔でたずねてきましたが、事情を話すとほっとした様子。チェックインも丁寧な対応で、安心感できます。ただ、「朝食はついておりません。もしお望みならお一人様41€で、1回奥のレストランでどうぞ」との案内にはびっくりしました。部屋は希望どおり喫煙OKでしたし、何より広いのがうれしいですね。というわけで、初日から心地よく眠りに就くことができました。

BEGINの25周年コンサートで国技館へ

2016年3月20日
私たちが追いかけているBEGIN。その25周年記念ツアー(『「Sugar Cane Cable Network」ツアー2015-2016』)の最後のコンサートが、両国の国技館でありました。BEGINと国技館という取り合わせが好奇心をくすぐります。

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挨拶代わりの1曲を歌い終えると、ボーカルの比嘉栄昇が「今日のコンサートは、フェスみたいなものです。最初から、とっ散らかっていきたいと思います」といいながら、アルコール度数43度の泡盛をコップになみなみと注いで水割りを作り、メンバー3人がそれを手に。「まずは、乾杯です」との合図で一気飲み。音楽ライブとしては珍しいスタートですが、こういう気取らない雰囲気がいいですね。

『恋しくて』『涙そうそう』などの名曲から、ブラジルのカーニバルで演奏される「マルシャ」(このところBEGINはこれにすっかりハマっているよう)のメドレーまで、ほとんど切れ目なしの演奏に、国技館であることを忘れてしまうほど興奮してしまいました。

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朝日新聞に、参院選挙区の「合区」についてコメント

2016年3月20日
今年7月の参議院選挙から、これまで全国で47あった都道府県の選挙区で「合区」が実施されます。有権者の数と定員があまりにアンバランスで、平等を損ねてしまっているというのがその理由です。朝日新聞がそのことを取り上げ、さまざまな分野の人の意見を交えながら、その是非を考えてみようという趣旨の記事です。

その記事に私のコメントが掲載されたのでご紹介しておきましょう。切り文になってしまう点はご了承のほど。

(略)
県民意識は、どうやって醸成されてきたのだろうか。
1871(明治4)年の廃藩置県による3府302県の設置後、統廃合を繰り返し、47都道府県の姿と重なる県域がほぼ確定するのは1888(明治21)年のことだ。線引きは一筋縄ではいかなかった。
旧藩は領地の広さも石高も大小さまざま。加賀百万石のような大藩から市域程度の小藩まで、モザイク状に存在した。官選の知事を派遣した明治政府は、膨大な飛び地や複雑な境界の整理を急ぐ必要に迫られた。
中央大文学部の松尾正人教授(日本近代史)は「県域をいじりだしたらきりがない。薩長出身者ら新政府首脳は各藩の内情には疎かった」と指摘する。「47」の枠組みが固まる過程で、徳島県が高知県に、鳥取県が島根県に統合したり、独立したりした。旧藩と異なる県の名前を採用したケースも多く、歴史的にわだかまりも残した。
「出身県でわかる人の性格」の著者、岩中祥史(よしふみ)さん(65)は「多くの長野県民は自分を信州人と言う。県歌『信濃の国』を歌える人は多いが、県域全体をカバーする企業や団体の名に長野を冠する例は少ない」という。旧筑摩県(県庁所在地は松本市)と統合した経緯が尾を引いているというのだ。
それでも47の枠組みが100年以上続いたことで、「県民性」はすっかり定着した。お国自慢やふるさと再発見をテーマにした読売テレビの人気番組「秘密のケンミンSHOW」は10%以上の視聴率を稼ぎ、各県の県民手帳は人気商品だ。
岩中さんは「旧藩とは異なる姿になった県境の多くも山や川など地理条件で区切られ、限られた風土の中で脈々と育まれた共通の気質は方言とともに地元住民のアイデンティティーになっている」と解説する。
(略)

記念すべき「サンウルブズ」の第1戦を観戦

2016年2月27日
今年から「スーパーラグビー」に日本チーム(「サンウルブズ」)の参加が決まったのは昨年の秋。ワールドカップで見せた大健闘の余韻がまだ残っている時期でした。

「スーパーラグビー」といえば、南半球に本拠を置く16のプロチームが3つのブロックに分かれて覇を競うもので、毎年7月から8月(南半球では真冬)、プレーオフが始まるころは、ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの3カ国では、各チームのサポーターのテンションもかなり高まるそうです。準決勝、決勝ともなれば、開催地のスタジアムは満員札止め、入場券もプレミアがつき、簡単に手に入らない状況になるとも。日本でもJ-SPORTSが全試合を生で中継しており、画面からも興奮がひしひしと伝わってくるくらいですから、生で観戦すればさぞかし……といった感じがします。

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オーストラリアなど、これとは別に「NRL(ナショナルラグビーリーグ)」、さらにラグビーから派生した「オージーボール」という競技もおこなわれています。また、「スーパーラグビー」が終わると、8月・9月は「ラグビー・チャンピオンシップ」。こちらは、南半球4カ国の総当たり対抗戦です。ざっくりした「ラグビー」ファンの数となると、日本の比ではないでしょう。もちろん、オーストラリアには日本と違い、野球はほとんど根づいていませんし、相撲もなければバレーボールもありません。それ故、単純に比較するのはむずかしいのですが、ラグビーだけにかぎれば、むこうのほうがはるかに先を行っています。

ラグビーファンというのは昔から、サッカーのように大衆化するのをこころよしとしない、おかしな気質がありました。サッカーは労働者、ラグビーは貴族のスポーツという、いまの世の中ではまったく理解されない“伝統”のせいもあるのでしょうが、もはやそんなこともいっていられない状況に関係者が気づいたのが1990年代。そこからラグビーは一気にプロ化し、いまではれっきとしたスポーツビジネスにもなっています。ただ、それまで長らく、大衆化を実現するための努力を怠ってきたがために、サッカーにはまったく追いついていないというのが現実です。

日本の場合、プロ化がさらに遅れを取ったのは、大学とか高校レベルでのラグビーが曲がりなりにも国民行事化(もちろん、野球の比ではありませんが)していたため。“ラグビーはアマチュアの最後の砦”といった式の考えがけっこうしつこく残っていたからです。気がついたときは、それまでさほど大きな差のなかったサッカーのはるか後塵を拝するという状況になっていました。

それでも、今世紀に入ると諸外国にならい、それまで「社会人」というくくりでおこなわれていたのを、「トップリーグ」という形でセミプロ化し、ここまでなんとかやってきました。しかし、ファンの厚さという点では悲惨で、プレーオフの準決勝、決勝になっても観客は1万そこそこ入ればいいほうでした。

そこに大きなインパクトを与えたのが「2019年のW杯開催地決定」と昨年のW杯での「南ア戦勝利」です。それによってラグビーの注目度が一気に高まり、ファンも激増しました。ところが、悲しいかな、スタジアムひとつとっても、聖地・秩父宮でさえ2万5千弱しか収容できません。高校ラグビーの聖地・花園のほうは3万人で、こちらのほうが大きいのです。

しかも、秩父宮は開催試合の数が多すぎるため、毎年、準決勝・決勝がおこなわれる1月から2月にかけての時期は芝の傷みがひどく、「よく、こんなところで最高レベルの試合をするなぁ」と、ファンも嘆くようなありさま。W杯開催を機に建て替えられることになりましたが、肝心の本番には間に合わないそうです。

ラグビー専用のスタジアムを作るには、一定数以上のファンが、継続的に観戦しに来るという見込みが立たないとむずかしいのはよくわかります。一時のブームで終わってしまっては、W杯のあとはいつも閑古鳥、維持費ばかりがかさむという事態になりかねません。そうした悲惨な状況におちいらないようにするためにも、ラグビー関係者は真剣に悩んだはずで、それが「スーパーラグビー」への参入にもつながったのでしょう。

世界レベルの試合が、日本的にはシーズンオフの時期(3月から7月半ば)に見られるとなれば、まずはコアなファンが足を運ぶはずですし、そこからさらなる広がりを見せれば、そのまわりに新しいファンも生まれてきます。最初はにわかファンであってもかまわないわけで、その心さえつかめば持続するからです。

ただ、そうした大事な時期のただ中に置かれているわりには、関係者の対応がまだ追いついていません。今日も、日本のラグビー史に大きな足跡を刻む一大イベントであるわりには、どうにもおとなしすぎる感じがしました。女性の群舞と太鼓くらいだけというのはさびしすぎるでしょう。小型飛行機でも飛ばして空からラグビーボールを投げ落とせとはいいませんが、もう少しやりようがあったように思えるのです。

スケジュールの点でも気がかりなことがあります。日本での開催は全部で5試合なのですが、5月7日と7月2日のゲームも、冬場と同じ昼間のキックオフが予定されています。5月はまだしも、真夏の7月(南半球は1月!)、それも昼間に、南半球のチームを迎えて試合をやるつもりでいるのでしょうか。「仮」のスケジュールだとしてもお粗末すぎるというか、ホスピタリティーがまったく感じられない設定です。「お・も・て・な・し」はオリンピックだけではないはず。国際試合なのですから、どんなスポーツであっても、まずはファン、そして相手チームのことを考えてあげるべきではないでしょうか。

もうひとつ、腹が立ったことがあります。こうしたハイレベルの試合ではかならずシーズンガイドとかゲーム出場メンバーを紹介したガイド(小冊子)が販売されるのですが、「シーズンブック」なるシロモノが、月刊誌『ラグビーマガジン』の付録と中身がそっくり同じだったこと。表紙だけを差し替えて売られていたのです。しかも1000円でです。『ラグビーマガジン』の4月号は付録込みで980円。いったい、なんなんでしょうか!! こういうファンを愚弄するような姿勢が垣間見えるようでは、先行きが大いに心配です。

l1060291今日の、記念すべき試合は、予想どおり「サンウルブズ」の負けでしたが、まだまだ緒戦。チーム作りも遅れを取り、選手もコーチも、そのほかのスタッフも陣容が十分整っていないという現実もあります。今シーズンは仕方ないにしても、少なくとも、来シーズンまでには十分な体制を整え、「ラグビー」にもっと光が当たるような流れを作ってほしいですね。

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これで3回目の「大人の修学旅行」

2016年2月15日
おととい・昨日と、1泊2日で「大人の修学旅行」に行ってきました。いかにもとってつけたような“エクスキューズ”を感じさせるネーミングですが、今回は文字どおりの内容。メンバーは例によって高校時代の同期生で、私も入れて6人。そのうちの1人・Yくんがたまたま江ノ島に「別邸」を購入したというので、そこに泊まらせてもらいつつ、近くの鎌倉、そしてご当地・江ノ島を見てまわろうという計画です。

13日(土)朝10時半に横須賀線・北鎌倉駅に集合。前夜までは「曇、午後から雨」という予報報でしたが、明けてみれば温かな日差しがいっぱいで、風もない、絶好の修学旅行日和です。

l1050996まずは駅から歩いてすぐの円覚寺【えんがくじ】。続いて建長寺へ。名前は知っていましたが、やはり実物はすごい! 地元に住むMくんの解説付きでの見学ですから、「なるほど」「そうだったのか」の連続。

境内のいちばん奥にあるのが「半僧坊」。山の中腹にあるので、そこまで登っていくのが大変でした。でも、お天気がよければここから富士山も見えるといいます。すぐ下には鎌倉学園中学校・高等学校の校舎とグラウンドが。たしか、堺正章とかサザンの桑田佳祐の母校ですよね。
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l1050991昼食は近くの「新とみ」で。ラーメン屋さんが本業であるにもかかわらず、なぜか寿司もあり、これがまた上出来の味。鎌倉らしさには欠けますが、あまりのおいしさにもう一皿、もう一皿と追加。もちろん、ビール、日本酒をぐいぐい空けていくメンバーもおり、けっこうな金額を使ってしまいました。

そのあと、駆け込み寺、縁切り寺だったことで知られる東慶寺から海蔵寺へとぶらぶら歩いたあと、夜に備えての買い物。といっても、自分たちで作るわけではありません。ワインやらビールやらおつまみになる食べ物をしこたま買い込みました。

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江ノ電で江の島まで移動し、初めて見るYくんのセカンドハウスに一同感動。不動産の買い物が上手なYくんですが、ここは出色の物件といった感じがします。雨が降り出す中、すぐ近くの高級ファミリーレストランに夕食へ。例によって食べるわ食べる、飲むわ飲むで、ワインを3本、空っぽに。帰るころには雨もあがり、上機嫌でYセカンドハウスに戻りました。あとは例によって、遅くまで大盛り上がり。

那覇市内に残る唯一の自然林

2016年1月31日
昨日の雨がウソのように、今日は朝から晴れ渡っています。沖縄に来るたび、どこか一つでいいから新しいスポット(観光でもグルメでも)を見つけて帰りたいと願っているのですが、今日はそれを2つクリアできました。

1つ目は、那覇市内でも一等地といっていい泉崎(県庁・市役所の近く)にあるカフェ。もともとは浦添のアメリカ人用住宅の一角で営業していたケーキ屋さんだったのですが、その後大発展したようで、大きな店舗を構えています。それもケーキだけでなく、パン全般。さらに、普通の料理も食べられるカフェに様変わりしているようです。浦添時代の面影はまったくありません。

中は広々しており、天井も高く開放的な雰囲気。朝7時半からオープンしているそうで、なるほど、ここなら気持ちよく食べられそうです。パンケーキをベースにしたブランチっぽいメニューを選びましたが、さっぱりした味わいが印象的。

そのあと、絶好のドライブ日和に敬意を表し、首里の一角にある「末吉公園」というところに立ち寄ってみました。「那覇に残る唯一の自然林」というのがうたい文句のようです。丘陵を覆う森林を利用して作られた広い公園はアップダウンの連続。「森の探検ウォーキング」などという催しがおこなわれているのも当然かもしれません。

駐車場から公園全体を見渡すと、木々がうっそうと生い茂っています。その先には東シナ海も見え、いかにも「オキナワー!」といった景色が。さっそく歩き始めると、目の前にいきなり急角度の下り階段です。「降りるのはいいけど、最後はこれだけの登りがあるんだろうな」と、不安を抱きながら歩き始めました。

すぐに遭遇したのが1本の寒緋桜。全体の半分ほどが清楚な花を咲かせており、いながらにしてお花見ができました。園内のどこかにまとまった桜並木でもあるのでしょうが、とりあえずはこの1本。でも、今年初めて見た桜に大満足です。

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階段を下り切ったあたりで、川のせせらぎのような音が聞こえてきます。ふと前を見ると石でできた橋が架かり、その下に小さな川が流れていました。安謝【あじゃ】川といい、そこから山間【やまあい】に向かっていくと、途中に滝もあります。夏に来ればさぞかし涼しく感じられるのではないでしょうか。

一度大きく下ったあとはゆるい上りがずっと続いており、「これなら最後でガックリということはなさそうだ」とひと安心。ただ、ここまで歩いてくる間、どこにも「案内図(マップ)」がないのが気になりました。どこをどう歩いているのか、さっぱり見当がつかないのです。子どもたちも来るだろうに、いささか心配になりました。もっとも、観光スポットらしい派手派手しさには欠ける場所で、来ているのは那覇市民ばかりのようでしたから、そうした心配は無用なのかもしれませんね。

座喜見城跡で聞いたおじいの講義

2016年1月28日
一昨日から沖縄にやってきています。沖縄ももちろん冬ですからふだんよりは気温も低いのでしょうが、それでも東京の寒さに比べればウソのよう。今日は風もなさそうですし、日中は晴れの予想だったので、遠出してみました。

最初に行ったのは宜野湾市にあるタコス専門店「メキシコ」。前回行こうとしたときは、あいにく定休日だったため入れませんでしたが、今日は大丈夫。ネットの情報ではランチタイムはえらい人気のようなので、少し早めに到着、車も楽に止められました。

l1050772中に入ると、メニューも何もありません。そう、「タコス」だけなのです。店の隅にドリンク類の入ったケースがありますが、こちらはセルフサービスですから、テーブルに案内され、タコスの皿数だけを告げれば完了。ひと皿4個入りのタコスは、ふだん食べ慣れているのと違い、軽く揚げた感じの皮に乗っかっています。カリッとしていないため、マイルドな触感といいますか。たしかに、おいしいタコスで、人気のほどがよくわかります。

そこをあとにし、一路北に向けて車を走らせました。目標は、島内で唯一行ったことのない城=座喜味【ざきみ】城跡です。58号線を30分ほど走ると、これまで何度もその前を通っている「道の駅・喜名【きな】番所」というところがありました。立ち寄って情報を仕込んでいこうと駐車場に車を入れたのですが、道の駅につきもののレストランや土産物屋がありません。

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唯一あるのは「読谷村【よみたんそん】村役場」という古い看板の奥にある建物。「案内所」の文字があったので中に入ってみました。すると、上品な感じをただよわせた女性が出てきて、「ここは、全国で10か所しかない、レストランも土産物屋もない道の駅なんです」と。そのあと、周辺の案内も含め、親切にレクチャーしてくださり、座喜味城跡に向かいました。

道路沿いもこぎれいというか、いかにも財政的に豊かなところなんだろうなという印象を受けます。読谷村は全国でもっとも人口が多い村(4万以上)とのこと。首都圏からもけっこうな数の人が移住しているようです。村の特産は焼物だそうで、「○○窯」と書かれた看板が目につきます。そうした趣味を持つ方々が移り住んできたのでしょう。
座喜味城は、これまで訪れたことのある首里城や今帰仁【なきじん】城、中城【なかぐすく】城、勝連【かつれん】城よりはるかに小じんまりしていたようです。きれいな石垣が特徴で、沖縄本島内にある城のなかでも古いほうだとか。観光客もボチボチ訪れていましたが、本土の城のように周りに多くの店があるわけでもなく、渋い感じがします。石垣の周囲には松(リュウキュウマツではない!)が植えられており、そこだけ切り取ってみると、「ここが沖縄?」と首をかしげたくなるはずです。

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ひととおり見終わって駐車場に向かう道の途中、ベンチに腰かけて大きな葉っぱを一心にハサミで切っている男性がいました。何をしているのか聞いてみると、月桃の葉を切っているといいます。切った葉を焼酎につけて2、3カ月すると、とても重宝する薬になるのだとか。日がな一日、ここで月桃の葉を切っているというのです。座喜味城を訪れた観光客にそれをプレゼントしているようで、「自分を育ててくれたこの村へのお礼」のつもりと話していました。

l1050791月桃の葉は爽やかな芳香があり、防虫、防カビ、抗菌、鎮静、保湿、消臭などの効果があるとのこと。ポリフェノール(過剰な活性酸素の働きを抑制する働きがあるので動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞の予防に効果があるとされる)が含まれているので、健康茶としても売られています。沖縄ではたいていの家で庭に植えられ、お餅を包むのにも使うとか。男性がすわっているベンチのまわりにも、たしかにあちこち生えていました。

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「トラベルイズトラブル」は私たちの合言葉

2015年10月4日
夕方までフリーでしたが、体調がパーフェクトではないので、あちこち動き回るわけにもいきません。ただ、私たちのホテルの近くにずっと気になっている建物がありました。いかにも歴史を感じさせるヴィクトリア調のゴシック様式で、たぶんホテルではないかと予想はしていたのですが、入口まで行ってみると、やはりホテル(ルネッサンス・ロンドン)だとわかりました。

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L1050179外の光がやわらかく入ってくるガラス張りの天井と優雅な内装をほどこしたロビーにはハイグレードな雰囲気がただよっていますが、アフタヌーンティーくらいならと思い、コーヒーラウンジに入ってみました。隅のほうでハープなんぞが演奏されているのもおしゃれです。アフタヌーンティーは、味も、またスタッフの応対も予想以上に素晴らしく、ゆっくりした時間を過ごせました。

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タクシーでヒースロー空港まで行き、19時35分発のANA便を待ちます。羽田行きなので、帰ってからは楽でしょう。最後の1週間は忌まわしい日々が続きましたが、これも経験。「トラベルイズトラブル」と、いつも私たち夫婦で口にし合っているワケのわからないフレーズを思い出しながら、飛行機に乗りました。でも、2年後の夏、またロンドンに来るのです。そう、世界陸上です。そのときまでとりあえずGOOD BYE, LONDON!

それでも、中学時代の友人に会えたのは最高!

2015年10月3日
お昼前、医師から電話が入りました。昨夜から今朝までの様子を話すと、「そうですか。残念ですがあきらめていただくしかありませんね」と。すぐ、Tくんに電話を入れ、試合後ホテル近くのユーストン駅で会おうということに。とりあえずは安心したものの、なんとも無念です。

試合は結局テレビ観戦となってしまいましたが、皮肉なことに、これがまた素晴らしいゲームでした。サモアは日本よりランクは上ですし、これまでパシフィックネーションズカップなどで何度も苦杯をなめさせられている相手。今回も、油断はできません。そのサモア相手に日本は素晴らしいゲームを展開、終始圧倒していました。ナマで観戦できたら喜びも一段と大きかったでしょうが、うーーん!!

L1050159試合が終わるとすぐ、昨日指示された採血を受けるため、タクシーで指定の検査施設まで行きました。信じられないほど明るい雰囲気のところで、あらかじめ知らされていなければ、まさか血液検査をしてもらうところだとはだれも思わないでしょう。検査自体は日本と同じ。ただ、患者をリラックスさせるという意味では、これ以上の施設に出会ったことはありません。それくらい素晴らしいところでした。

留守中、Tくんから家人に、試合が終わりいまからそちらに向かうのでユーストンの駅に着くのは5時半ごろになりそうだという連絡があったそうで、それに合わせて駅に向かいました。家人もホテルから移動し、コンコースでドッキング。改札口からどっと出てくる人ごみに目を凝らすと、娘さんのご主人と2人で歩いてくる姿が。およそ5、6年ぶりの再会です。日本が勝ったあとですから2人とも満面の笑顔を見せています。Tくんは中学・高校時代にラグビー部だったので、よけいでしょう。駅の構内で写真を撮ったりしながら喜び合って別れました。異国の地、しかもそうしたシチュエーションのもとで旧友に再会できるなんて、そうそうあることではありません。

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今日は最後の夕食。なぜか、日本メシが食べたくなり、ネットで探してみると、ホテルからほど近いところに、純粋日本メシではないもののそれっぽいメニューもそろえているアジア系の店があるのを発見、そちらに行ってみました。残念会でしたが、味がまずまずだったのが救い。「ちょっと過ぎた長旅だったのかも」と反省しましたが、この先、旅のスタイルが変わるかもしれませんね。

トホホ、残念ながらサモア戦の観戦はNG

2015年10月2日
今日は自分でもかなりよくなったという感じがします。痛みもほとんど消え、何より熱が下がってきたので体も楽になりました。昼ごろホテルの前まで出ると、タクシーの車体の絵柄があまりにユニークなので、写真を撮ったりするくらい気持ちに余裕も出てきた感じです。

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お昼ごろ、昨日いわれたとおり、ランチを食べにピカデリーサーカス近くの中華街まで出かけてみました。久しぶりにまっとうな食事を口にすることができ、ホッとしました。ところが、ホテルに戻ると熱がぶり返し、またまたベッドでぐったりとなってしまったのです。

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夕方5時ごろ、医師が来てくださいました。「昼間、外に出てみたんですが、また熱が出てきて……」と話すと、「そうですか……。明日は正直、難しそうですね」とのこと。「ただ、念のため、明日の朝まで様子を見て、最終判断しましょう。10時ごろお電話します」とも。

昨日の血液検査の結果は、帯状疱疹に間違いないということです。「ただ、かなりの熱が出ているので、別の血液検査も受けてください。イギリスは世界中からさまざまな民族が出入りしている国なので、原因不明の発熱が何によるものなのかをきちんと特定する必要があるんです」とも。たしかに、西アフリカからやってきた人からデング熱やエボラ出血熱をどこかで移されていないとは限りませんからね。「明日の夕方4時、ここに行って検査を受けてください。時間はかかりません。結果がわかるのは帰国されてからになると思いますので、メールでお送りします」とのことです。

はたしてサモア戦は観に行けるのか……

2015年10月1日
昨夜は熱で、途中何度も目が覚めてしまいました。なんと39度3分もあったのにはびっくり。全身汗びっしょりで、2回も着替えました。そのかわり、痛みのほうはウソのように収まりました。

それにしても気になるのは、10月3日の日本vsサモアの試合です。スタジアムがあるのは、ロンドンから地下鉄と電車を乗り継いで30~40分ほどのミルトン・キーンズという町。しかも、この試合、中学時代の友人Tくんが、ロンドン郊外に住む娘さん夫婦のところに泊まりながら日本から観戦に来ていることがわかっていました。そこで、試合の前、娘さんのお宅にお邪魔し、スタジアムまで一緒に行こうという話になっていたのです。

ところが昨夕、医師から、乳幼児がいるところには行かないようにとクギを差されたものですから、生まれて間もないお子さんがいる娘さん夫婦の家に行くのはあきらめざるを得ません。ならば、せめて試合後にでもスタジアムの近くで会って食事をという話になりました。しかし、医師の話では、まず熱が完全に下がることが絶対条件だといいます。なにせ、39度以上もあったのですから、私も気が気ではなく、一刻も早く熱が下がるのを願うだけです。

朝になっても朦朧としており、朝食はパス。日中も熱のために体が動かず、ベッドメイキングや掃除もお断わりし、夕方までずっと休んでいました。しかし、こういう場合、家人がずっとそばにいてくれるのはありがたかったです。病人になると、ふだんはえらそうなことをいっていても、やはり心細くなるもの。日本から遠く離れた旅先となればなおさらでしょう。とりあえず、こうしてくれ、あれを頼むといえる相手がいて、しかもそれをこなしてくれるのですから、ホント助かります。

夕方、医師が来られました。この日は検査のため血液を採られました。様子を聞きながら、「3日の試合ですけど、観に行けますか?」というこちらの質問には、「もう1日様子を見ましょう。とりあえず。明日の昼間、体を慣らす意味でちょっと外出してみてください。ランチついでといった感じですかね。その結果をしだいで」との返事。なんとか試合を観させてあげたいという気持ちが伝わってきてありがたく思いました。「熱がどこまで下がるかにかかっていますので」。サモア戦まであと2日。どうやら明日が天王山といった感じになってきました。

今日も外に出るのはとても無理そうだったので、昼も夜も、家人がホテル近くのスーパーやデリで買ってきてくれたものを食べて済ませました。もう、正真正銘の病人です。

ロンドンのホテルに医師が往診に

2015年9月30日
予定していたより2時間ほど早くロンドンに到着。途中、電車の中で体が熱っぽいなと思ったので体温を測ったところ、38度近くまで上がっています。だからといってしんどくもなかったのですが、いささか心配になってきました。

終着のキングスクロス駅で列車を降り、預けていたスーツケースを受け取ってホテルまで転がしていきます。途中で痛みに襲われましたが、なんとかフロントまで行き着きチェックインを済ませました。

保険会社から指定されたクリニックに電話を入れると、日本人の医師がこちらまで往診してくれるとのこと。ありがたい話です。待つこと1時間、フロントから電話が入り「〇〇クリニックのドクターがいまこちらにいらしていますが……」「すぐ部屋に通してください」とお願いすると、間もなくドアをノックする音が聞こえました。

所定の事務手続きを終えると、診断が始まります。問診を済ませ望診に移った段階で、即診断が下りました。やはり帯状疱疹。幸い、昔と違い、帯状疱疹はいまや「簡単に治る病気」だそうで、抗ウィルス薬やら痛み止めやら軟膏やらを頂戴しました。ただ、初手が2日ほど遅れたので治るまでには時間とのことです。対応が早ければ早いほど治りも早いのが帯状疱疹だとも。また、明日も往診してくださるとのことです。でもまあ、とりあえず治療を受けられてよかったーっ! 助かったーっ!!

しかし、やっと医師の治療は受けられたものの、とてもではありませんが、食事に出る元気などなし。この夜の食事はルームサービスで済ませました。

「たぶん帯状疱疹じゃないかしら」

2015年9月29日
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今日はスコッチの博物館に行ってみました。その名も「スコッチウィスキーエクスペリエンス」といいます。文字どおりスコッチの魅力を体験できるというのがウリで、最初は樽を模したイスに乗って、ディズニーランドのスモールワールドを10分の1に縮めたようなコースを回ります。その間は映像とアナウンスがあり、スコッチができるまでの知識を学びました。

そのあとはスコットランドとスコッチの関連についてのレクチャー。場所によって味わいが異なる理由はといった類のお話ですね。そこで、自分の好みを申請すると、ほんの少々、それを試飲させてもらえるという流れになっています。ひょっとしてアルコールが足の痛みを誘発するかもという不安があったので、飲み干すことはせず、ひと口だけにとどめました。

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L1050112そのあと、乗り降り自由の観光バスを利用し、ガイドブックに出ているスポットはほとんど全部回りました。バスの中から、ホテル近くに日本料理を食べられる店を見つけたので、夕食はそこで。私は、海外に出てずっと日本食を食べずにいても、さほどストレスを感じません。ところが、1回でも口にしてしまうと、堰【せき】を切ったかのように「しょう油味」がなつかしくなってきます。不思議なことですが、たぶん多くの人がそうした経験をされているのではないでしょうか。

部屋に戻り、風呂に入っているときです、腰の下のほうを触ってみると、水泡のような感じの腫れ物があるのがわかりました。家人に見てもらうと、「たぶん帯状疱疹じゃないかしら」と。「帯状疱疹」という病名はこれまで何度も見聞きしたことがありますが、それがわが身にということになると、お医者さんのお世話になるのは必至でしょう。

家人がネットですぐに調べてくれました。すると、この2、3日間私が訴えていた体の変調、症状めいたものがことごとく「帯状疱疹」を指し示しているといいます。明日はロンドンに移動する予定なのですが、エディンバラにお医者さんがいれば、朝にでも診てもらったほうがいいということで、契約した旅行保険の会社に連絡を入れてくれました。すると、エディンバラには契約している医療機関はないそうです。となると、できるだけ早くロンドンに戻らなくてはなりません。とりあえず列車のチケットの変更手続きだけウェブサイトで済ませておきました。当初は14時30分エディンバラ発=18時51分ロンドン・キングスクロス駅着でしたが、それを2時間ほど前倒しにしたのです。キャンセル料やら何やら費用はかかりますが、やむを得ません。それに保険でカバーされるとのことだったので、迷わず決めました。

痛みと戦いながら……それでも観光

2015年9月28日
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今日はエディンバラ城の見学からスタート。旧市街の真ん中にあるホテルからかなり急な坂をえっちらおっちら上りながら入場口まで。チケットを買うのに長蛇の列ができていましたが、こういうときあわてるようなことはしません。外国ではこれが当たり前なのです。おそらく、自動販売機を設ければいいじゃないかなどという声も出ないのでしょう。見るに値する観光スポットはいくら待ってでもOKと、だれもが思っているからです。自動販売機を設置すれば、仕事も減ってしまうでしょうし。

L1050025待つこと30分、ようやく私たちも中に入れるときが来ました。城内もアップダウンの連続ですが、なにせ丘のいただきに作られてから600年以上も経っているシロモノとあれば仕方ないかも。この国を治めていた国王や女王の記念館や教会などをゆっくり観て回りました。今日もときどき、強烈な痛みが足の付け根とその周辺を襲ってきます。でも、しばらく休むと元に戻るので、だましだましといった感じで歩き続けました。
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途中、乗り降り自由の観光バスチケットを買い求め、ちょっと遠くにある場所にも足を伸ばします。この間それほど寒くて冷え込むこともなかったので、冷えが原因とも思えません。バスタブにゆっくりつかれば改善するのではないかと、いつも以上に長い時間風呂に。そのときはなんともなかったので、明日になれば……と、さほど心配もせずにゆっくり寝させてもらいました。

エディンバラの町を歩いているとき、足に激痛が!

L10409342015年9月27日
朝10時にはレンタカーを返却しなければならないので、早目にホテルをチェックアウト。この日は朝からひどい霧で、最初のうちは運転も大変でしたが、間もなく空が晴れてきました。10時にはバーミンガム空港のレンタカーオフィスに到着、車を返却後、飛行機のチェックインに。今日乗るのはこちらのLCCの1つflybe航空のエディンバラ行きです。flybeはフィンエアー系の会社で、いかにも北欧っぽい清潔感がただよっています。表向きの運賃は59.99ポンドですが、空港使用料やら税金やらが加わると100ポンド近くになってしまいます。それでもメジャーな航空会社よりは安いですよ。

L10409391時間15分ほどのフライトでエディンバラ空港に到着。空港から旧市街にあるホテルまではシャトルバスで30分もかかりません。3時過ぎには部屋から外に出て観光がスタートできました。ところがです、しばらく歩くと、足に付け根に痛みを感じ始めました。歩いているとそれがどんどんひどくなり顔がゆがんでくるのが自分でもわかるほど。そうなったときは歩くのをやめ、しばしそこいらで座ります。5、6分もすると、何事もなかったかのように回復するので、これはひょっとして、日本にいるときもときどき悩まされている関節の痛みかもと勝手に判断しました。気候のせいか、食事のせいか、それとも長旅のせいか理由はわかりませんが、疲れが出たのだろうと。

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エディンバラは、長年あこがれつつも訪れることができなかったスコットランドの中心都市です。古い町なので、観光スポットも掃いて捨てるほどありますし、何より町の雰囲気が素晴らしそうで、今日から3泊して目いっぱい観てまわろうと楽しみにしながらやってきました。それが初日からこんな具合では、ちょっとなぁ……と心配になりましたが、長い時間うろうろ歩かないかぎりは痛みもなく、ふだんとまったく同じ。夕食もおいしくいただけましたし、明日からまた頑張って回ろうという気持ちで寝みました。

岡崎――っ! プレミアリーグ「レスターC」の試合も観戦

2015年9月26日
今日は土曜日で、夕方からプレミアリーグのサッカーを見る予定にしています。場所はノッティンガムから車で1時間ほどのところにあるレスターという町。そう、あの岡崎慎司が所属している「レスターシティー」のホームグラウンドです。ラグビーを観戦しに来ているのになぜサッカーなんて、と思われるかもしれません。でも、プレミアリーグの試合だけを観戦にイギリスまでやってくる気は私にはさらさらないのです。ちょうど、レスターの近くにいて、しかも岡崎が出そうだというので、チケットを予約しておいたわけで、近くの別の町で試合があれば、そちらを観にいっていたことでしょう。要するに、一度でいいから「プレミアリーグ」の試合をナマで観てみたいだけ。まして、日本人の岡崎が試合に出ているとなれば、いうことなしです。

L1040917_22時少し前にスタジアムに隣接するホテルにチェックインし、荷ほどきもそこそこにすぐスタジアムへ。キックオフは午後3時の予定ですが、スタンドはすでに観客でいっぱい。相手のアーセナルFC(本拠地はロンドン)は最近こそリーグ上位になっていませんが、名門のチームです。岡崎は先発で出場していましたが、調子がいまイチだったのか、プレーは精彩を欠いていました。というか、アーセナルがこの日は絶好調で、試合も5対2でアーセナルの勝ち。地元レスターのファンにしてみるとフラストレーションがたまったことでしょう。

試合後、選手が帰路に着くころになると、選手の出入り口近くに超デラックスな大型バスが横付けになります。選手を乗せて空港とか次の試合が開催される町まで移動するためのバスなのでしょう。中はよく見えませんでしたが、とにかくえらく豪華なつくりで、きっとゆっくり体を休めることができるだろうなぁと想像させるボディーでした。

レスターの選手はここが地元でしょうから、それぞれ自分の車に乗って帰り始めます。しばらくその近くで待っていると、岡崎も出てきました。待ち構えるサポーターからサインをせがまれたり写真撮影を頼まれたりしています。でも、すごいなと思ったのは、そのすべてに笑顔で応じていたこと。試合で体も疲れているにちがいないのに、そんなことはオクビにも出しません。私たちの前に近づいたころは試合終了後すでに1時間以上が経過していました。ちょうどサポーターとの交流も終わり、車に乗り込もうとするところだったので、運転席にすわり走り始めたタイミングでシャッターを押してみました。

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「ラグビー」発祥の地に来ました!

2015年9月25日

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今日でチェルトナムとはお別れ。レンタカーで最初の目的地チッピンカムデンに向けて出発です。チッピングカムデンもコッツウォルズ地方の一角にある小さな町なのですが、ここに行きたかったのは、「近代オリンピック」の発祥と関わっているからです。詳しくは今年の初めに上梓した『語源に隠れた世界の歴史 世界史の重要知識もわかる!』(三笠書房・知的生きかた文庫)にも記しましたが、かのクーベルタン男爵が、古代ギリシャでおこなわれていたスポーツの祭典=オリンピックを復活させようとしたとき、それにちなんだ催しがあると知って訪れたのがこの町だそうです。

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L1040767中心部からクルマで4、5分ほど走ったドーバーの丘がその舞台。1612年といいますから、400年も前から「コッツウォルド・オリンピックゲームズ」という名前の競技会が毎年開催されてきたのです。もちろん、それよりはるか以前から同じような催しはあったのですが、それに「オリンピック」と名づけたのは、この町の牧場主で弁護士でもあったロバート・ドーバーという人物。会場となった丘もドーバーの所有地でした。

競技は「足のすねの蹴り合い」「綱引き」「障害物競走」などで、終わったあとは巨大な焚き火や花火が打ち上げられたといいます。ただ、実際は始まって30年ほど経ったころから廃れてしまい、最後は単なる飲めや歌えのバカ騒ぎになり果ててしまったとのこと。それでも、「オリンピック・ゲームズ」という名前で1852年までは続いていたようです。2012年のロンドンオリンピックのときは、聖火リレーがこの町を通過したそうですから、イギリスの人たちはいまでもこの催しのことを忘れてはいないのでしょう。

さて、その次はストラッドフォード・アポン・エイボン、シェークスピアの生誕地として有名な街ですね。高校1年のときに英語のサイドリーダーの教材が『ハムレット』で、その教師がこの町のことを何度も話していたので、私の頭の中にもその名前がこびりついています。

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さて、来てみると、まさしく世界的な観光地で、いろいろな国の人が歩き、さまざまな言葉が飛び交っていました。どこを見ても中世風建物が建ち並んでいるのですが、「いかにも」といった感じで、渋さというか手つかず感のようなものはほとんどゼロ。まあ、それだけ安心できるのは間違いないのですが。

ストラッドフォード・アポン・エイボンから、次の目的地ラグビーに急ぎます。文字どおりラグビー発祥の地で、高校時代からいつかは行ってみたいなと思っていました。私のごく個人的な趣味なのですが、こういう「□□発祥の地」とか「最〇端」とか「沿線で標高が最高の場所△△」という類の場所は大好きです。要は、“真ん中”が好きではないアマノジャクといいますか。家人にはまったくそういう趣味はないようですが。

L1040838ラグビーの町自体は大きくありません。しかし、ときがとき、W杯真っ最中のこととて、町全体にW杯を盛り上げる工夫がほどこされています。そのものズバリというラグビー校のグラウンドには自由自在に入れませんが、その芝生の美しさは感動的でした。ラグビー校というのはイングランドの貴族の子弟が通っていた学校(日本でいうなら私立の中高一貫校)ですが、規模とか設備を見ると、日本の大学並み、いやそれ以上かもしれません。

L1040854正面玄関前の路上には、これまでのW杯で優勝したチームのもっとも印象的な場面を撮った写真が並べられていましたが、どれも素晴らしい絵柄ばかり。
L1040855そういえば、私が初めてW杯を観たのは第2回(1991年・英仏で開催。宿澤&平尾のJAPANがこれまで唯一勝ったことのある大会)大会だったと、思い出しました。ちょうどヨーロッパへの出張があり、たまたまロンドンにいた私は、ウェールズ対西サモア(現在はサモア)の一戦を、ウェールズ・カーディフのアームズパークで観戦できたのです。試合は西サモアが予想を裏切ってウェールズに勝ちましたが、そのあまりのレベルの高さに驚いた記憶があります。いまと違いアマチュアだったので、当日、スタジアムで買えたチケットも安かったこと。それでいて、ほぼハーフウェーライン付近の、前から5、6列目という、いまならSS席でした。

L1040857すぐ近くに「ラグビー博物館」があるとガイドブックに書かれていたので、それらしい建物を一生懸命探して歩いてみたものの、なかなか見つかりません。仕方なく、ラグビー用品を売っている店に入ってみました。ところが、その店の奥が「博物館」だったのです。ラグビーが生まれた当時のボールとかジャージ(ユニフォーム)などが狭いスペースに展示されていましたが、これでは外をいくら探してもわからないはずです。ラグビーが誕生したときの模様を描いたテーブルクロスを買い求め、そこをあとにしました。

Dsc_0361ラグビーからはいよいよ今日の最終目的地ノッティンガムです。この町にやってきたのは、明日からの移動に便がいいのと、イングランド北部では数少ない、日本料理店(1989年創業)があると聞いていたからです。「HIGOI」という店でしたが、当日ホテルから予約を入れようとすると、すでに満席という答え。明日なら何時でも大丈夫だというのですが、明日はノッティンガムにはいません。そこで、「いや、私たちには今晩しかチャンスがありません。あなたの店に行くためにわざわざ日本からやってきたんです」と多少オーバートークを交えながら迫ると、「わかりました。夜8時半からならなんとかテーブルを用意します」との返事が。

ホテルからタクシーを飛ばして行ったところ、テーブルが6、7個ほどのホント小さな店でした。でも、おいしかったですよ。久しぶりの本格的な日本料理だったのでよけいでしょうが、これならメディアで紹介されているのもよくわかるという気がしました。デザートのどら焼き! まで完食し大満足。閉店まぎわだったので、店を出るとき、オーナーシェフにお目にかかりたいとお願いすると、わがままを聞いてくれるではありませんか。店の奥から出てきてくださった加藤さんはなんと、私と同じ愛知県・岡崎の出身だとか。一緒に写真まで撮らせていただき、店を後にしました。ホテルに戻ったのは11時前。

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コッツウォルズをまる1日かけてドライブ

2015年9月24日
今日はホテルでの朝食をパス。昨日目をつけておいた町中のカフェで食べました。値段は12ポンド少々しましたが、コーヒーもまっとうでしたし、文句なしです。イギリスはロンドン以外、キホン路上駐車がOK(1時間までならだいたい無料)なので、クルマは店の近くに止めておきました。

L1040623今日は1日かけてコッツウォルズをドライブ。最初はこの地域最大の町サイレンセスターです。チェルトナムからはクルマで40分少々。ローマ時代からある古い町だそうで、教会(Parish Church of St John Baptist)が町の中心にあります。コッツウォルズ地方の町や村はいずれも、かつては毛織物産業で栄えたところが多いらしく、現在の人口規模に比べると異常なほど多くの教会があるといいます。この教会もたいそう立派でした。

クルマは町の中心部にある公営の有料駐車場に止めようと思ったのですが、ちょうどランチタイムと重なってしまい、なかなか空きがありません。そこで路上駐車に方針を転換してゆっくり走っていると、中心にわりと近いエリアの道路に、今朝と同じような駐車スペースがあったので、そこに止めました。人口が9000余というわりには、こじゃれた店がいくつも並ぶ町をぶらぶらし、クルマを止めたところまで戻ったのですが、看板に「RESIDENTS ONLY」とあるではありませんか! なんのことはない、住民専用の駐車スペースだったのです。時間も短かったのでおとがめなしに済みましたが、注意しなくては……。

L1040636次の目的地テトベリーには、30分足らずで着きました。クルマは中心部の公営駐車場に(料金は1時間まで50ペンス)。ここもまた歴史が古く、8世紀から続く町です。羊毛の取引で栄えた時代は町全体が豊かだったことがつぶさに感じられます。アン王女やチャールズ皇太子の別荘もあると、ガイドブックには書かれていました。アンティークを扱う店が数多くあり、古くからある聖メアリー教会の庭には、古いお墓がズラリ。1655年に建てられというマーケットハウスの建物が可愛らしかったですね。町の中心にほど近いところにあるカフェで軽くランチをしました。


今日3つ目の訪問地はバイブリーです。有名な19世紀の詩人・芸術家ウィリアム・モリスがこの村を訪れたとき、「イギリスでもっとも美しい村」と絶賛したといいます。旅行ガイドにも「屈指の人気」とありますが、人口はわずか600人ほど。ところが、ここがまた出色の美しさで、評判にいつわりはありませんでした。


L1040683クルマを路上に止め、川沿いに中心部まで3、4分歩くと、古めかしい、でも由緒ありげなホテルがあり、そのはす向かいが「養鱒場」。3ポンド50ペンスの入場料を払って中に入ると、みごとなまでに美しくすがすがしい雰囲気。中にマスを養殖している池がいくつもあり、そこにカモや白鳥も同居しているのですが、なんともいえない落ち着きがあります。家人など、すっかり虜になってしまったようです。

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ガイドブックに「ハチミツ色の美しい石造りの家並み」とありましたが、まさしくそのとおりで、14世紀に建てられて以来綿々と続いている小さな家、水車小屋などがすぐそばを静かに流れる小川とあいまって、なんともいえぬのどかな光景を形作っていました。そのあと小川沿いの遊歩道もまわってみたのですが、どこをどう区切っても、絵になりそうな風景です。そういえば、数年前訪れたベルギーの「ミニヨーロッパ」のイギリスエリアにも、この村の「アーリントン水車小屋」のミニチュア模型が展示されていたのを思い出しました。帰りがけに、先ほど見かけたSWAN HOTEL(1650年創業)でアフタヌーンティーをして、クルマに戻りました。

帰りは30分ほどでホテルに。途中は「これがコッツウォルズだ~!」っぽい景色が続きました。ときおり雨も降りましたが、なぜかクルマを降りるとやみ、それにも助けられた感じがします。ただ、気温はやや低かったようで、このエリアの観光もいまどきがラストチャンスかもと思った次第。


ホテルでしばし仕事を片付け、8時半近くになって夕食へ。といっても、近くにはパブのようなところしか見当たりません。それでもなんとか、おいしいものが食べられそうな店を見つけました。入ってすぐのところにあるカウンターで飲み物を注文し、キャッシュオンデリバリーでビールを。できるだけビターなのをと頼んだら、バーテンがグラスを3つ取り出してくれます。それぞれに異なるビールが少しだけ注いであり、味見しろというのです。ひと口ずつ飲み、最初のグラスに決めました。銘柄を聞くと「AM:PM」との答えが。


L1040734ソーンブリッジ(Thornbridge)醸造所の製造で、度数は4・5%とそれほど強くはないものの、ミント風味が利いています。マンゴー、タンジェリンなど、フルーツ系のホップビターが特徴で、「AM:PM」という名前のとおり、朝から1日中飲んでも抵抗を感じさせないビールという気がしました。


食事を注文しようとメニューを差し出すと、そちらは地下でといわれたので、飲み物を持って階段を下りると、おしゃれな雰囲気のレストランスペースがあり、びっくり。家人は「YAKITORI PLATE」、私は「イベリコ豚のグリル」を注文。これがかなりのレベルで、大正解の店選びでした。

残念ながらスコットランド戦は完敗!

2015年9月23日

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今日はW杯予選プールの第2戦で、相手はスコットランド。会場はチェルトナムから鉄道で10分ほどのグロスター、駅から歩いて数分のキングスホルム(Kingsholm)というスタジアムです。いちおうスタジアム風ではあるのですが、よく見ると4方にある観客席のうち2つがスタンディング。そのうちの1つは、すぐ後ろが一般の住宅になっています。ラグビー専用のグラウンドで、イスの設けられた部分は傾斜がかなり急なため、グランドが非常に近く見えます。

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私たちの席も「BALCONY」とはよくいったもので、2階席の上に設けられているのですが、地面に近い感じですし、フェンスとグラウンドの距離も狭いので、非常にスリリングでした。今日も、「HOSPITALITYシート」を購入してあるので、試合前には食事が付いていますし、ドリンクも飲み放題。

Photo_4「HOSPITALITYシート」で何より楽しみなのは、試合前、食事をしている時間帯に有名プレーヤーのレクチャーがあることです。この日、私たちの前に姿をあらわしたのは、2007年のフランス大会から11年のNZ大会まで日本のヘッドコーチを務めたジョン・カーワン。カーワンといえば、NZ代表(オールブラックス)の一員として出場した第1回W杯(1987年)のイタリア戦で、90メートル独走トライを決めたことで名を馳せたスーパースターです。現役時代晩年の1997年から99年まで3シーズンは日本のNECグリーンロケッツでプレーしていました。


L1040566話自体はさほど長くないのですが、日本のファンなら知らない人はいないので、終わったあとは会場内でサインや写真撮影のリクエスト。ミーハーな私たちも、その恩恵にあずかったのはいうまでもありません。

さて、このキングスホルム・スタジアム、1891年に作られたといいますから、“ラグビーの聖地”とされるロンドンのトゥイッケナム・スタジアム(1909年開場・8万2千人収容)より歴史が長いのです。その当時はイングランド代表チームが使っていた由緒ある競技場で、スタンディングで観戦するのが“通”のファンだといいます。いまでも、地元のプロチーム=グロスター・ラグビー(1873年創立)のホームスタジアムとして使用されているとのことです。同チームはイングランドの国内リーグ(Premier League)ではここ数年低迷しているものの、2006-07、2007-08の2シーズン、優勝したことがあります──と教えてくれたのは、ハーフタイムのとき私たちのテーブルで隣の席にすわったイギリス人男性。奥さんは日本人で、一緒に観戦にきたのだとかで、「ほかの町のスタジアムとはおよそ格が違う」とも話していました。

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さて、試合のほうは、残念ながら完敗。南アフリカとの第1戦から中3日では、疲れがかなり残っていたにちがいありませんそれに、わずか4日前にあまりの“おおごと”をやってのけてしまった興奮がまだ収まり切っていなかったのか、地に足がついていないようにも思えました。それでも、前半14分、相手の反則で得たキックを敵陣深いところに蹴り出したFB五郎丸のキックは芸術的でした。そのあとのラインアウトで、フォワードがモールを押し込みみごとトライしています。このときは「おーっ、やるじゃん!」と思ったのですが……。

前半はスコットランドを4本のPGだけに押さえ、7対12で終了。しかし、健闘したのは後半10分まででしょうか。後半最初に敵陣に攻め込んだときマフィのトライが決まっていれば流れも変わっていたような気もしますが、それはいっても詮ないことでしょう。後半はスコットランドに5トライを決められ、終わってみれば10対42というスコアでした。

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終わったあと、駅まで歩いていく途中、民族衣装に身を固めたスコットランドのサポーターと交流できたのはよかったですね。お互い、次戦の健闘を約束し合いながら盛り上がったのですが、W杯のときならではのことで、改めてサッカーとの違いを強く感じたしだい。

朝から面倒事の連続

2015年9月22日
外は朝から雨がしとしと降っています。5泊したロンドンともとりあえずお別れなのですが、朝から厄介なトラブルが。チェックアウトを済ませ、3つのスーツケースのうちいちばん大きくて重いものを、月末またここに泊まりにくるから、それまで預かってもらえないかと頼むと、なんとNGだというのです。「1日ならOKですがそんなに長い期間は預かれません」と。想定外の事態に「まいったなぁ」と思ったのですが、どうしようもありません。そこで、どうすればいいかアドバイスを求めました。

すると、すぐ近くのセントパンクラス駅構内に荷物を預かってくれるところがあるといいます。ただ、前日たまたま中を通ったセントパンクラスの駅はフランスやベルギーへのユーロスター特急の始発駅で、えらく大きいのです。そこまで、しかも雨の中を移動していくのも大変だなと思い、荷物を運びながら、預かり所まで案内してほしいとお願いするとOKの返事。家人にホテルのドアマンが付き添い、カートに大きなスーツケースを載せ、一緒に運んでくれました。

一方、私のほうは近くのユーストン駅まで雨の中を歩いていき、地下のレンタカーオフィスに。予約しておいたVOLVOのワゴン(カーナビ付き)を借り受け、ホテルまでとって返しました。家人も無事戻ってきてクルマに乗り、まずはナビのセットから。今日の目的地はオックスフォードなのですが、最初は使い方がわからずまたまた大往生しました。結局、目的地とは反対方向に15分も走ったあげく、やっとその使い方がわかり、目的地を入力してGO。

L1040458それでも、途中で目的地を2回も入力し直したりしたため、予定よりおよそ2時間遅れです。オックスフォードは大学の町。というと大きな大学が1つあってその周囲に教員や学生の住まいが……などと想像しがちですが、とんでもない! 「大学」といっても、日本と違って40近くの「カレッジ」から成っており(どのカレッジにもいかにも由緒がありそうな紋章がある)、その1つひとつが日本でいうなら小ぶりの大学なのです。

Photoほかにも「学科」があるなど、日本とはまったく違う仕組みになっているのでわかりにくいのですが、いずれにしても、こじんまりした印象はまったくありません。

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実際、市の人口も15万に近く、その多くは大学関係者でしょう。校舎や寄宿舎はもちろん、ショッピングモールや市場、劇場、映画館、図書館、博物館などの施設がびっしり建ち並んでいます。公園やグラウンドも数多くあります。しかし、何より多いのは教会で、これは、教育と宗教とが深く結びついていたことによる影響。ロンドンから鉄道で1時間、クルマで2時間弱の場所にあるので、人々もひんぱんに行き来しているにちがいないと思うのですが、いわゆる大都市的なにおいはまったくといっていいほど感じられません。やはり長い歴史に裏打ちされた学術・文化がこの町の中心軸になっているような気がします。

オックスフォードを出たあとは雨もあがり、ドライブにはもってこいのコンディション。夕方、チェルトナムのホテルに到着し、なんとかチェックインしましたが、いつものことながら、外国で車を運転するのは大変です。それでも、日本と同じ左側通行なのが多少は救いでした。

夕食はホテル近くのパブで。なぜかゲーム機と大きなテレビが置いてある中、飲み物と軽く食べ物を注文。なんとか食事にありつくことができました。

1カ月の大旅行も、今日でほぼ折り返し点に

2015年9月21日
今回の「アメリカ+イギリス大旅行」も今日でほぼ折り返し点近くに。W杯の第3戦・サモアとの試合がある10月3日まで間があるので、しばらくロンドンを離れることにしました。

午前中はケンジントン宮殿に行き、その帰り、ケンジントン・ハイストリート駅近くの「ホールフーズマーケット(Whole Foods Market)」に立ち寄りました。今回の旅ではNYでも、またロンドンドンでも行っていますが、今日はまた別の店舗。

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ホールフーズマーケットはアメリカを中心に、カナダ、イギリスで300以上の店舗を構える食品スーパーです。自然食品、オーガニック・フードを中心とした品ぞろえで、「値段は多少高くても健康な食べ物を」というのが基本方針。そのあたりが家人も気に入っているのでしょう。ほかにも輸入食品やワイン、冷凍食品、サプリメントなど豊富なラインナップが並び、「グルメ・スーパーマーケット」とも呼ばれているとのことです。ケンジントンにあるこの店はイギリスでは最大規模のようで、地下から2階まで3フロアあります。

L1040431昼は、その2階にある「ボーンダディーズ(Bone Daddies)」という大きな店でラーメンを食べました。もう1つ「Genji Sushi Bar」という、これまた和食屋っぽい店が隣にありましたが、今日は迷わず麺系です。私は担担麺、家人はT22というネーミングのしょう油ラーメン。あと、ダメ元で注文してみたギョウザもそこそこおいしかったですよ。日本で食べるのとほとんど遜色はありません。海外の日本食、確実にレベルも上がっている感じです。ちなみに、この近くには、王室御用達のスーパー「ウェイトローズ(Waitrose)」や高級スーパーの老舗「マークス&スペンサー(M&S)」もあり、このあたりはけっこう激戦地なのでしょう。

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L1040444店を出ると雨が本降りに。すぐ下に降り、地下鉄に乗ってスローンスクエア駅まで。駅近くのキャサリン王妃御用達という食品スーパー「パートリッジ(Partridge)」に入り、おみやげをいくつか買い求めると、近くで見つけた「Comptoir Libanais」というカフェに入りました。なんというか中東風の店で、メニューの表紙には、Sirine Jamal al Dineという往年のレバノン女優のイラストがフィーチャーされています。ただ、彼女の存在をまったく知らない私たちにとっては、ユニークな感じがするだけ。でも、中近東出身の人たちで彼女の名前が知らない者はいないのかもしれません。なかなかいい雰囲気で、食べ物もおいしかったですよ。ロンドンとその周辺に10店舗以上あるようです。


夕食はタクシーに乗って日本料理店へ。ただし、オーナーは日本人ではなく、店員はみな韓国人です。厨房はインド人やアラブ系の人のようでしたが、味はまずまず。ただ、サービスがでたらめで、最初の10分で食べ物が全部そろいかけているというのに、飲み物がまだ来ていないというありさま。せっかく久しぶりの焼酎(=黒霧島)にありつけると期待していたのに、なんだか興ざめしてしまいました。

店員にクレームをつけたのですが、いまイチわかってくれていない様子。外国の店で食事をすると、かならずといっていいほど、途中で「いかがですか。ほかにご注文はありますか」とか「おいしく食べていただいていますか」といった質問をしてくるのに、なぜかこの店ではそれもありません。聞かれたらすぐひと言……と思ったのですが、それもままならず、フラストレーションがたまります。

南アフリカに勝ったのは世紀の一大事

2015年9月20日
興奮で早朝に目が覚めたので、ホテル近くのセントパンクラス駅まで新聞を買いに行きました。アメリカと同じく、日曜版のページ数の多さはハンパではありません。本紙だけでも100ページをはるかに超えるところに付録までついています。5紙買ってポリ袋に入れてくれましたが、歩いてわずか5分の距離でも腕がちぎれそうです。ペットボトルの水を無料でくれた(理由は不明)のはその苦労に報いるためかもしれません。

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新聞は5紙ともページを繰らずに済みました。昨日の歴史的な大番狂わせを伝える記事が1面に出ています。なかには、トップで扱っている新聞もありました。とくに「THE SUNDAY TIMES」はすさまじく、中のスポーツセクションもまるまる1ページを割いて、昨夜の日本対南アフリカ戦の模様を伝えています。さっそく写真に撮りフェイスブックに投稿しました。ラグビーの本場イギリスにとっても、よほどショッキングなできごとだったのでしょうね。

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さて、今日はパディントン駅から列車に乗り郊外へ。メイドンヘッドで下車しタクシーでタプローコートというところに行きました。その昔ある貴族の所有していた広大な敷地にお屋敷があり、現在は社会活動団体の保有になっています。イギリスの貴族のお屋敷など初めてで、そのスケールの大きさには言葉が出ませんでした。


L1040402夕方早い時間に戻り、夕食はオクスフォード・ストリートにある地下鉄ボンド・ストリート駅の向かい側から少し入ったセントクリストファー・プレースでタイ料理を。路地の入口に立っていた案内板によると、「1967年までにすっかりさびれてしまったこの一帯を再開発してできたショッピング&ダイニング地域」だそうで、いかにも渋い感じの店が軒を連ねています。アラブ系の人が集う中近東料理のレストランも多いようです。入口が極端に狭く、昼ならつい通り過ぎてしまいそうな路地を入ったところにありますが、こういうところを穴場というのでしょうね。

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夜遅くなってからお腹が空いたときに備え、ボンド・ストリート駅の入口にあるトルコ系ファストフード店「シミットサライ(simit sarayi)」で中東風のサンドウィッチ、ベーグル風のパンを買ってホテルに戻りました。これはGOODでしたよ。ロンドンも4日目ともなると、地下鉄ももう慣れたもので、帰りはあっという間でした。

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南アに逆転勝利! ラグビーの歴史を塗り替えた日

2015年9月19日

L1040176今日は、今回の世界一周旅行のメインイベント=ラグビーW杯です。試合は夕方4時半からなので、午前中は、ホテルにほど近いところにあることがわかったダヴィストック・スクエアへ。特段の観光スポットというわけではありませんが、マハトマ・ガンジーの銅像、広島・長崎の原爆犠牲者を慰霊する銘板があることで知られています。そこを観たあと地下鉄でヴィクトリア駅へ。

ここからはサザンレイルに乗り、ブライトンまでおよそ40分。そこで乗り換え5~6分でファルマー駅へ。駅前のコミュニティースタジアムには2時半ごろ着きましたが、芝が美しく輝く、素晴らしいラグビー場です。

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ニュージーランドでの前回大会と違い、赤と白のストライプのレプリカユニフォームを着た日本人の姿がえらく多いのにまずびっくり。さすが次回のW杯開催国。会場入り口では、例によって日の丸と南アの国旗が配られていました。

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今回は「HOSPIRALITY」という、食事・飲み物付きのかなりハイレベルの席を買い込みました。スタンド席から自由に出入りできるスペース(そこに丸いテーブルが20ほど並べられ、自由に飲食ができる)には200人ほどいたでしょうか。4分の1が日本人でした。

昨日から始まったW杯の今日は2日目。予選プールBの日本は南アフリカが最初の相手です。世界ランキング3位、過去に2度優勝を経験している強豪ですから、まず勝ち目はないだろうと思っていたのですが、な、な、なんと劇的な逆転勝ちで終わりました。W杯はこれまで2引き分けをはさんで16連敗、勝ったのは第2回大会(1991年)のジンバブエ戦以来24年ぶり。大金星というか、日本のラグビーの歴史を変える一大事です!!

 

L1040230まさか勝てるなどとは思ってもいなかったので、前半29分、ラインアウトからモールを作り押し込み最後はリーチマイケルが押さえてのトライで8対7、五郎丸のコンバージョンも決まって10対7とリードしたときは、こんなスコアになることは(この試合で)二度とあるまいと、シャッターを押してしまいました。案の定その4分後、まったく同じパターンで南アにトライを許し逆転されます。しかし、前半終了時でわずか2点差ですから、それだけでもアッパレ! でしょう。これまでの日本なら、ここまで善戦しても、後半20分過ぎあたりからガタッと崩れてしまうのが常でしたが、今日はまだまだ行けそうな感じがします。ノックオンなどハンドリング・ミスがほとんどないのが最大の違いです。

面白いのは、3万人収容のスタンドに日本人は1割足らずしかいないのに、「ニッポン!」「JAPAN!」、その2つが混ざり合った「ジャッパン!」という声援が目立ったこと。「ジャイアントキリング」に対する期待なのでしょうか。前回までの大会ではまず目にすることのなかった光景です。

ハーフタイムでスタンド奥のテーブル席に戻っても、皆かなり興奮気味。それはそうです、南アを相手に10対12なのですから。だれもが多弁になり、笑顔でまわりの人と言葉を交わしています。「タックルが低いよね」「いままでの日本とは別の国のチームみたい」「ここまで強くなってるとは思わなかった」と、後半への期待も盛り上がります。それでも私は、これまで50年間のファン経験から、「でも……」と半信半疑、いな3信7疑といった感じで、アタマの片隅では冷静を保っていました。

さて、後半が始まりました。始まってすぐ南ア陣22メートルライン近くでペナルティーを獲得、五郎丸がPGを決め、13対12に。しかし、その直後、キックオフからのディフェンスの一瞬の穴を衝かれ13対19と逆転されます。その3分後南アのペナルティーがありPKで16対19、さらに、後半10分過ぎ、南アが自陣でペナルティーを犯し、また五郎丸がPGを決め同点に。このあたり、後半5分過ぎから入ったFWのマフィのフィジカルの強さが目立ちます。

後半16分、日本陣内で得たPGを南アが決め、19対22。しかし、19分に得たゴール正面のPKを日本が決めまたまた同点に。しかし、21分に、南アFW1列のアドリアーン・ストラウス(体重102キロ)にゴールポスト下にトライを決められ(コンバージョンも成功)22対29。このあたりが限界かという思いも一瞬きざしましたが、日本選手の動きは、これまでの大会とはまったく違います。

後半28分、日本陣内で得たPKを南ア陣に蹴り込みラインアウトに。素早い球出しからバックスの小野→松島→五郎丸とつないで、右中間になんとも美しいトライ。コンバージョンも決まり、29対29の同点に。しかし、31分に自陣ゴール前で与えたペナルティーを南アに決められ29対32に。それにしても、その前の南アの攻撃を必死で止める日本のディフェンスの素晴らしいこと。もう感動的です! 過去の日本の面影はどこにもありません。

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後半35分からフェイズ19まで続いた南ア陣内での連続攻撃は、もうすさまじいのひと言。南アゴールラインまで攻め、そこで得たペナルティー(この時点で南アのFWがシンビンで退場)。PGを選ばずタッチに蹴り出してラインアウト。これは同点狙いでなく、もう勝ちに行っています。そこからバックスまで加わったモールを押し込みトライかとも思われましたが、ほんのわずか足らなかったようで、5mスクラムに。この直前、ヘスケスが交替でウイングに入っていました。

40分を超えたところでまた南アがペナルティー。ここで日本はスクラムを選びます。私の後ろで観戦していた同年齢の男性はラグビーのプレー経験があるようで、「ウソだろ! ショットだろう!」と叫んでいましたが、当然でしょう。24年間勝っていないのですから。まして南アなら引き分けで十分じゃない? でも、今回の日本は“Brave Blossoms(勇気あるサクラ)”です。崩れかけたスクラムからギリギリの球出しで、ハーフの日和佐から左へ。その後も右、左、右と攻撃をつなぎます。こういうところでハンドリングミスやペナルティーを犯さないのも、これまでの日本とは大違い。プレーが途切れたら、引き分けどころか負けです。

ところが、43分、マフィから交代したばかりのヘスケスにつなぎ、左中間隅にトライ!!!!! 日本の勝ちです。その瞬間、スタジアムの興奮・歓声は頂点に。選手は皆、体を震わせて泣いています。南アの選手は皆、アンビリーバボーの表情。HCのエディー・ジョーンズも「信じられない」とコメントしていたくらいですから、だれもがこの瞬間を、そうした思いで見ていにちがいありません。

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もちろん、私もマジで泣きました。高校時代初めて楕円級のボールを手にして以来50年。半世紀ですよ! エディー・ジョーンズがHCになる前まで、上位ランク相手のテストマッチで勝ったのは、宿澤JAPANのスコットランド戦(1989年)くらいしか記憶にありません。負けはしたものの、対イングランド戦(1971年・秩父宮)もあわやという戦いぶりでした。それが2013年以降は、ウェールズにも勝ちましたし、トンガ、サモアとも互角の勝負ができるようになり、かなり勝ち星をあげています。カナダやアメリカとのゲームも安心して見ていられるようになりました。もう、信じられないくらいの進歩です。

私たちのすぐ前にすわっていた南アのサポーターは全員、ガックリ下を向いてしまいました。「そんなバカな!」「あり得ない」「ウソだろう」と、どの人の目もそういっています。
大番狂わせとはまさにこのことです。95年大会でNZ相手に屈辱的な大敗を喫した日本。勝ちとなると、24年前までさかのぼらなくてはなりません。そのときの相手はジンバブエです。その後W杯には出場さえ果たしていません。

ジョン・カーワンに率いられて出場した前回ニュージーランド大会も、「前より強くなった」といわれながら1試合も勝てませんでした。それがなんとなんと、南ア相手に土壇場の大逆転勝利。スタンドから部屋に戻ると、どのテーブルも乾杯、乾杯で沸き返っています。私たちのすわっている席も同じ。ただ、4人いた南アサポーターのうち女性2人がなんとも不機嫌な顔を見せていたのが印象的でした。

会場を出てからも、見も知らぬ人からどんどん声をかけられます。何人とハイタッチ、握手、ハグしたでしょうか。数え切れません。1時間半以上かけてロンドン市内ヴィクトリア駅まで戻っても状況は同じ。手を振って歓声を上げながら祝福してくれます。いやいや、今夜は眠れそうにありません。

ちなみに、このゲームで光ったのはFWではアマナキ・レレイ・マフィ、リーチマイケル、バックスでは松島幸太朗、立川理道、そして五郎丸歩でしょうか。あと、トンプソンルーク(ロック)、堀江翔太(フッカー)も素晴らしかったですね。

「PRIMAX」の大繁盛ぶりにはびっくりです

9月18日
ホテル近くにある公園に行ってみました。観光ガイドには出ていませんが、ここがけっこうイケました。ジョージ2世公園とかいうようですが、お墓がいくつか建っています。急に雨が降り始めたので、あわててラッセル・スクエアの駅まで歩き、マーブル・アーチ駅まで
。オックスフォード・ストリートのどこかの店で傘を買おうと歩いていると、大変な人通り。それも全世界からといった感じがありありです。

ロンドンに来ると、ニューヨーク以上に多国籍・多民族都市という印象を受けます。観光名所がより多いせいでしょうか。ニューヨークは「個人」で動くのがふさわしい都市ですが、ロンドンはそうした観点からすると、「団体」でも動きやすい都市といえるかもしれません。観光スポットではありませんが、驚いたのはオックスフォード・ストリートに立ち並ぶ店の多さ。それも、どちらかというと安売り系のところが目立ちます。「年間2億人以上が訪れる、ヨーロッパで最も人通りが多いストリート」という「wikipedia」の表現もけっしてウソではないでしょう。

なかでも、イギリスを中心にヨーロッパ各国に多くの店舗を展開しているファストファッションの店「PRIMARK(プライマーク)」は人であふれ返らんばかりでした。1969年創業で、本社はアイルランドの首都ダブリンにあるそうですが、ここ数年で猛烈な成長を見せているといいます。この店の愛用者はプライマニア(Primania)と呼ばれているのですが、マニアになるのも理解できます。とにかく、どれもこれもメチャ安。ただ、クオリティーの点ではどうかなぁ……というのが正直な印象です。

同じ通りにユニクロやH&M、FOREVER21、ZARA、MUJI(無印良品)などもありましたが、ここは別格。実際、ユニクロなど、日本国内よりはるかに高い感じで、日本での値段を知っていれば、とても買う気にはなれません。

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あこがれの(といっても50年近く前のこと)カーナビー・ストリートに行くと、「NORTHFACE」がありました。中に入ると、えらくカッコいいアウターウェアを売っています。まったく予定にはありませんでしたが、「いいものがあったら、その場で」の方程式に従い、買ってしまいました。帰りに、NYでも行ったホールフーズマーケット(Whole Foods Market)に立ち寄り、テイクアウトの食べ物(惣菜)を少々。これも、夜になってから小腹が空いたときの備えです。コンビニがないので、これはけっこう大事ですよ。

 

ヒースロー空港は完全にラグビー・モード

2015年9月16・17日
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16日の午前中も目いっぱい遊び、夕方早い時間の飛行機でいよいよロンドンに移動です。ヒューストンで国際線に乗り継ぎ、9時間ほどの飛行。ヒースロー空港に到着したのは日付が1日進んだ昼の12時半ごろでした(時差は8時間)。空港にはラグビーW杯のポスターやバナーがそこここで見られ、ラグビー一色といった感じです。ホテルまではロンドン名物の黒いタクシー。いかにもイギリス人、それもタクシー運転手ひと筋50年といった風情のお年寄りドライバーが、年齢に似合わぬスピードで飛ばしあっという間にホテルに着きました。

今回のホテルは、ベルリンの世界陸上のとき気に入ったプルマンホテルで、場所はユーストン駅、キングスクロス駅のすぐ近く。あまり深くは考えずに選んだのですが、まだできてそれほど古くはなさそうでした。ただ、ちょっとデザイナーホテル風の匂いはしましたが。バスタブのある部屋を予約しておいたつもりだったのですが、私たちの予約したカテゴリーの部屋にはそもそも備わっていないということがわかりました。「下のカテゴリーならあります」といわれたので、翌日からそうしてくれるようにお願いしました。


荷ほどきを済ませ、地下鉄でコヴェントガーデンへ。夕食はガイドブックで見つけた日本料理店へ。現地の人がひっきりなしにやってきて、店は大繁盛の様子です。日本食ブームの広がりはもはや世界中、場所を問わない感じがします。

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