最高! ザールブリュッケン動物園のキリンたち

2016年8月1日
今回の旅は「アルザス・ロレーヌで(フランスとドイツの)境界を体験する」のがテーマ。最初の4日間はストラスブールで「アルザス」を堪能しましたが、普通ならそこから「ロレーヌ」というコースになるのでしょう。でも、それではずっとフランスにいることになるので、すぐ隣接するドイツの空気も吸ってみたいと思い、ザールブリュッケンに行ってみることにしたのです。

ただ、それだけではありません。ここには大きな動物園があります。それもちょっとのぞいてみたいなと。いや、ほかにめぼしい観光スポットもないこの町に1泊するのは、そのためたけだったかもしれません。

DSC_0929しかし、昨日(7月31日)行ったこの動物園のキリンは、これまででも最高の写真を撮らせてくれました。人が少なかったせいもありますが、「私を撮って!」と言わんばかりの顔を見せながら、絶妙の位置に立つのです。私も大満足でした(そのせいもあってか、シャッター押しまくり)。

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今日の予定はまずメッス(Metz)。ザールブリュッケンからは車で1時間足らずのところです。ここはもう「アルザス」ではなく、「ロレーヌ」地方。町自体の歴史は3000年前までさかのぼります。商業都市で、過去ドイツとフランスに交互に併合されてきたことから、さまざまな建築様式が混在しています。最初に観たのは「サン・テティエンヌ大聖堂」。DSC_0951その前から町全体を回るミニトランが走っていたのでそれに乗りました。観光的にはそれでほぼ完了。川沿いに建つオペラ劇場の素晴らしかったこと。町も、ドイツ人が作ったエリアには、キリッとした印象の高級そうな建物が並んでいました。3時間ほどでメッスをあとにし、ナンシーまで行きます。

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ナンシーはメッスに比べはるかにメジャーなイメージがあります。「アール・ヌーヴォー」の町として世界的に知られているからでしょう。ただ、私たちが予約していたホテルが建つ「スタニスラス広場」(世界遺産)は、違う意味で“ぶっ飛んだ”ところでした。広場の入り口には、黒い鍛鉄にピカピカの金箔をふんだんにほどこしたド派手な門が建っているのです。ほかの小さな門もそのミニチュア版風。ロココ調というそうですが、そのまばゆいばかりの輝きを見れば、だれもが度肝を抜かれるにちがいありません。いまさらながら金の強烈なインパクトを思い知らされました。

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DSC_0034昨日・今日とナンシーの街を歩き回りましたが、そのアール・ヌーヴォーの建築物がそこかしこに残っています。もちろん、いまもなお“現役”です。建物のファサードに壁、ベランダ、装飾、看板……公共施設、商店、住宅を問わず、すべてがアール・ヌーヴォー。いまのようなシンプルでフラットな建物が多いのと違い、この類の建物ばかりだった時代、人々は飽きなかったのでしょうか。そんなことが心配になってしまいました。ただ、建築も“時代の子”ですから、当時は社会のマインドがそういうトーンだったのかもしれません。

 

 

 

DSC_0024そうした中、偶然見つけた「ドミニク=アレサンドゥル・ゴドゥロン庭園(JARDIN DOMINIQUE-ALEXANDRE GODRON)」のいかにも素朴な感じに心を癒されたような気がします。観光客が押し寄せるわけでもないこの小さな庭園は、看板に書かれた説明文によると、その昔薬草を栽培していたとのこと。ナンシーにはペピニエール公園のようなたいそう立派な公園もありましたが、それはそれ。こういう小ぶりで静かな場所でのんびりするのもいいですね。

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お菓子屋さんもそこら中にあります。「ALAIN・BATT」という店では、キリンの姿をしたチョコレートにめぐり会いました。あまりに愛らしく、とても食べようという気にはなれませんが、記念に買ってみました。

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DSC_0120夏の間ナンシーでは、毎晩スタニスラス広場で「音と光のショー」がおこなわれます。これは一見の価値があります。前夜はホテルの窓から観たのですが、今日は広場にすわって楽しみました。広場の南側に立つ市庁舎などの壁面をスクリーンに見立て30分ほどのドラマが上映されるのですが、光の動き、色彩、音、ナレーションがみごとに調和していて、言葉がわからない私たちにも十分楽しめる内容でした。

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花の美しさの年季が違う(!)アルザスの町々

2016年7月30日

昨日(7月29日)は朝5時半から仕事。最初の日より2時間も早く朝食を済ませました。ホテルのレストランは川辺にしつらえられており、パン、ハム、チーズと、何を食べてもGOODです。初めて、この地方の名物菓子も食べてみましたが、これはイケます。ベタベタと甘くないのが特徴でしょうか。

DSC_0789車で郊外に出てみました。10時過ぎに出発し、まずはオベルネ(Obernai)という町へ。ここもこの地方特有の「コロンバージュ」と呼ばれる家が立ち並ぶ光景が素晴らしく、カメラのシャッターを押しまくり。アルザス地方は石材に乏しいため、民家の多くが木造建築です。柱と梁で軸組を組み立て、軸組の空いている部分を白の漆喰、レンガなどで埋めて壁にする木組み(木骨)の構造が特徴だそうです。

フランスを代表するビール「クローネンブール(日本ではクローネンブルグといいます)」の工場があり、フランス国内で消費されるビールの3分の1がここで作られているとのこと。

DSC_080711時半過ぎにオベルネを出て、次に訪れたのはサヴェルヌ(Saverne)という小さな町。この町の中心街の美しさは驚くばかり! 広い遊歩道風の真ん中に大きめの花壇がゆったりと並び、そこを縫うようにして歩くのですが、カフェもレストランも、建物は数百年前のまま。

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この町に来たのは、現地で手に入れた観光パンフレットに、「司祭の館」と呼ばれる建物のライトアップした写真が出ていたから。それを見たかったのですが、写真と合致するものが見つかりません。ランチのあと訪れた観光案内所の人に聞いてみると、「ここのすぐ裏にある」と。でも、さっき行ってみた大きな建物は写真のそれと違います。要するに、私たちが見たのは裏側だったのです。表側は池に面しており、パンフレットに出ていたのは、そちらを写したものだったのです。

サヴェルヌからストラスブールへは1時間足らず。途中、ロータリーで方向を間違えたりなどしながら、3時前には無事、戻ってこれました。今日1日、旧市街全域でおこなわれる「大ノミの市」のため、車の出入りがNGということで、ホテルで教えてくれた公共駐車場に止めました。

現代美術館の地下にある駐車場近くの停留所からトラムを乗り継いで「大聖堂」の近くまで、おみやげのビスケットを買いに。昨日「大聖堂」のすぐ脇にある店をたまたまのぞいてみた折、試食させてくれたアプリコットのジャム入りビスケットを家人が気に入り、買って帰ることにしたのです。缶がなんとも可愛らしく、女性が見たらさぞかし喜ぶにちがいありません。

そのあと「大聖堂」の前にあるカフェで家人はコーラ、私はビールを飲んだのですが、これがなぜかめっぽう利きました。飲みながら、「今日の夜は何も食べないでいいくらい。テイクアウトで何か買って帰ろう」という話に。橋を渡ったところにあるオーステルリッツ通りに立ち寄ってみましたが、めぼしい店はありません。帰る道すがら猛烈な眠気と疲れが襲ってきて、朦朧とした頭でホテルへ。そのままバタンキューで朝まで寝てしまいました。長い海外旅行ではかならずこういう日を経験するものです。

DSC_0696ストラスブール、オベルネ、そしてサヴェルヌなど、アルザス地方の大きな特徴は、どの町も花が美しいこと。これは、フランスで60年近く前からおこなわれている「花の町・村コンクール」の成果のようです。政府観光局の主導で始まったこのコンクール、いまでは、国や自治体の専門家で構成される全国花委員会(CNFF)によって運営されているとのこと。

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その結果、全国どこでも、自分たちの町や村への愛着・連帯感がぐんと高まったといわれています。コンクールが始まるはるか以前から、自治体と住民が一体となって花による町づくりがおこなわれていたそうですが、道路から広場、公園、各家庭の玄関先や窓辺に至るまで、あらゆる場所に草花を植えて入念に手入れをほどこし、花があふれる街並みを作り上げてきた、その成果がみごとにあらわれている感じがします。

ストラスブールにはつごう3泊。今日(7月30日)はドイツのザールブリュッケンに行きます。チェックアウトを済ませ、公共駐車場に1泊させた車をやっとのことでホテルの前まで移動、荷物を載せて出発。道すがら、町のはずれにある「オランジュリー公園」に立ち寄ってみました。

もともとはフランス革命の前、1804年に、ヴェルサイユ宮殿の庭園造りにたずさわった人物が設計したもの。入口からほど近くにあるパビリオンは、ナポレオンが妻ジョゼフィーヌのために建てたそうです。建物の前に英国式の庭園があり、そのまわりには池や森が配されています。

DSC_0871パビリオンの屋根の上にコウノトリの巣を見つけました。アルザス地方はコウノトリの繁殖地として知られており、地域のシンボルになっています。この公園も、木の上や建物の煙突の上など、あちこちにコウノトリが巣を作っているのです。

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DSC_0883「オランジュリー公園」から東へ10分ほど走るとライン川。この中央にフランスとドイツの国境があります。橋を渡ってすぐのところにあるのがケールという町。橋の中央を横切る国境線をまたいでいるところを写真に収めることはかないませんでしたが、ケールに入ってすぐのところでそれに近い写真が撮れました。

ケールを出るとまたフランスに入るので、もう一度国境を越えることになります。昨日行ったサヴェルヌを過ぎ、ECに統一される前は検問所があったとおぼしき場所を通過。色あせた「免税店」という文字が印象的でした。

1時間半ほどで着いたドイツのザールブリュッケンはその名のとおり、ザール川(モーゼル川の支流)の両岸に広がる人口18万ほどの町。ザールラント州は石炭、鉄など地下資源が豊富、しかも交易の要衝地でもあったため、その帰属をめぐりフランスとドイツの間で長らく争いが続けられてきました。ドイツに帰属するのが決まったのは1957年だそうですから、つい60年ほど前。たしかに、フランスとはまったく違う雰囲気で、ラテンの香りはまったく漂ってきません。

予約していたホテルはメルキュール。ロケーションもよく、部屋も清潔、快適で十分な広さ。さすがといった感じがします。本当なら9点くらいつけてもいいのですが、それを妨げたのが、チェックインのとき私たちの相手をした若い女性スタッフです。

笑顔、一切なし。「仏頂面」という言葉は彼女のためにあるのでは、と思いました。最初の「こんにちは。いらっしゃいませ」といったひと言もなし。ひどいのはそのあと。「名前は?」ですと。英語に堪能でない私にでも、“May I have your name please?”と“What’s your name?”の区別ぐらいはつきます。彼女はもちろん後者。チョー事務的というか、冷たい、氷のような態度です。朝食の場所・時間についても、一切教えようとせず、エレベーターの場所も案内してくれません。

車で来ているので、「どこに駐車すればいいですか」と聞くと、「どこに止めたの!?」と詰問口調で聞いてきます。「荷物をおろすため、とりあえずホテルの前に。あなたの右側、窓から見えるでしょう。歩道の上に止めてある黒い車です」と答えると、さもバカにした顔で「そんなところに止めたらダメでしょ!」とだけ。普通ならここで駐車場の場所を案内してくれるのですが、彼女の場合、私のほうから質問し初めて答える始末。

私と家人は、世界各国のホテルに泊まってきましたが、ここまでひどい接客をするフロント係には初めて出くわしました。ナチスドイツの非道を描いた映画に出てくる女性兵士とでも言えばいいでしょうか。私の後ろで待っていた家人も、「鬼みたいな感じね」と怖がっていました。メルキュールともあろうホテルが、こんなスタッフのために不愉快な印象をバラまいてしまっては大きな損害ではないでしょうか。1日も早く、バックヤードの事務職とかに配置転換したほうがいいと思います!

ヨーロッパの涼しい夏はありがたい

2016年7月28日

DSC_0681今日は1日、めいっぱい歩きました。真夏とはいえ、日本のようにギラギラと日が照ることはありません。もちろん、汗もほとんどかかないので大助かりです。さっそく、ストラスブール第一の観光スポット「ノートルダム大聖堂」のある広場まで歩き、その一角にある観光案内所で「ストラスブールパス」を購入します。これ1枚で、交通機関はすべて無料、美術館や博物館など、ほとんどの観光スポットも無料か大幅なディスカウント。それより何より、入場券を買うために財布をいちいち出す手間が省けるのがありがたいのです。

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DSC_0702午後からは、「どこを見ても絵になる」町をぶらぶら。そのあと、名物の遊覧船に乗り、旧市街を取り囲むようにして流れるイル川を一周しました。1時間ほどで戻り「大聖堂」の中へ。142メートルという高さは、1647年から1874年まで世界一だったといいます。これほど大きな建物の窓にステンドグラスをしつらえること自体驚きですが、それ以上にすごいのは絵柄のこまかさ。カトリックの権力の強大さと人々の(この場合は絵描きでしょうか)信仰心の強さはどれほどだったのか、考えさせられました。DSC_0722DSC_0712

 

DSC_0744「大聖堂」を出たあとは、そのすぐ脇から出ているプチトランでストラスブールの中心部を回ります。遊覧船同様、日本語のイヤホンガイド付きなので助かりました。この種の音声ガイドで16チャンネル使われているケースは珍しいですし、8チャンネル(=8カ国語)の場合、たいてい日本語が除外されています。以前はそういうことはありませんでしたが、ここ5、6年は日本語が中国語にとって代わられているケースが多いのです。

DSC_0746イル川の対岸に建つ「アルザス博物館」を訪れてみます。19世紀の家屋数軒をつなぎ合わせ、そっくりそのまま博物館にしつらえたもので、かなりの規模。ただ、中の構造がとても複雑で、見て回るのが大変でした。カトリックのフランスとプロテスタントのドイツとの間を行ったり来たりした地域なので、宗教事情がとても複雑であることを知りました。

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DSC_0762近くの停留所からトラムに乗って「中央駅」へ。遠目に見ると、巨大なUFOもどき。19世紀半ばに作られたレンガ造りの旧駅が、いかにも現代的なガラス張りの屋根と外壁でそっくり覆われているなんとも不思議なデザイン。

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ちなみに、ストラスブールはこのトラムで世界的に有名です。一時は世界中の都市を走っていたチンチン電車ですが、モータリゼーションの波に飲み込まれ、20世紀後半に入ると、その多くが姿を消してしまいます。それを「トラム」という別の形でいち早く復活させたのがストラスブールだからです。

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1878年開業の馬車軌道がその起源で、1930年にはストラスブールからマッシフ・デ・ヴォージュ(Massif des Vosges)やコルマール、ライン川を越えドイツにまで延び、総延長はなんと234キロにも達していたといいます。乗客も、最盛期の43年には7150万人を数えましたが、先のような理由で60年に廃止。ところが94年にそれが復活し、近年は、エコな都市計画のモデルケースとして、世界各国から注目を浴びているとのこと。

夕食はホテルの近くで見つけた1522年創業の店で。私の選んだタルタルステーキはおいしかったですよ。

今日もカンカン照りでなかったので助かりました。たしかに、たくさん歩きはしたものの、途中、船に乗ったりプチトランに乗ったりトラムに乗ったりしたので疲れもそれほど感じません。

“トラベルイズトラブル”3篇

2016年7月27日

朝6時前にフランクフルト空港着。いつもは乗り継ぎでしか降りることもないのですが、今回はここでレンタカーを借りての旅です。ナビもまあまあスムーズにセットでき、7時10分には出発。家人が助手席から「右側通行!」と何度もアナウンスしてくれるので、しばらくするとすんなり慣れました。

目的地はフロイデンベルク(Freudenberg)という小さな町。1時間少々で到着したのですが、想像していたのとはどうも様子が違う感じがします。ここからが「トラベルイズトラブルの第1篇。地元の人に聞いてみると、わかりました。私たちがやって来たのは、ドイツ国内に全部で5つある同名の町の一つではあるのですが、別のフロイデンベルク(正確には、このあと「am Mein(=マイン河畔の)」と続く)だったのです。

というわけで、そこからストラスブールまで230キロの道のりをトコトコ走りました。第2篇は、旧市街の名所「プティット・フランス」にあるホテルに着くまでのひと騒動。ナビに住所を入力できないのです。街に入ってからなんとか入力まではこぎつけたのですが、ホテルには到着できずじまい。結局、すぐ近くの公共駐車場に止め、石畳の道を歩いて5分。ホテルのフロントで事情を話し、どこに車を駐車すればいいのか尋ねると、どうやら入力する住所がほんの少し違っていることがわかりました。先に止めた公共駐車場から苦心惨憺して車を出し、ホテルの駐車場まで移動、やっと一件落着です。

第3篇は、ノートPC用のバッテリーケーブルを東京に置き忘れてきたこと。ホテルの部屋に入り、接続しようとすると「あちゃ~ッ!」です。ノートなのでとりあえず数時間は稼働しますが、切れたらおしまい。新しく買わなければなりません。とりあえず、町でいちばんにぎやかそうなグーテンベルク広場まで出て、電気屋を探してみました。でも、なかなか見つかりません。近くにあった携帯電話関連グッズ販売店に入って聞くと、「うちにはないけど、FNACにはあるんじゃないかな」と。

場所を教えてもらって行ってみたのですが、そこでは扱っていないとの返事。「どこならありそうですか?」と尋ねたところ、その店員は、店の名前から住所、地図、FNACからの行き方、所要時間まで、詳しく懇切丁寧に教えてくれました。行ってみたら、いかにも町の電気部品屋さんといった感じの小さな店。ようやくそこで買い求めることができ、ピンチを脱しました。でも、初日で3回ものトラブル。この先が思いやられます。

DSC_0625ホテルはストラスブールの名所プティット・フランスに建つホテルにチェックインし、ネットで調べてもけっこうわかりにくかったのですが、私たちが行こうとしていたのは、ノルトハイン・ヴェストファーレン州にあるフロイテンベルク。どちらもフランクフルトの空港からほぼ等距離なのですが、方角がまるで逆なので、あきらめて正解でした。

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夕食はホテル近くのアルザス料理店で。2人でピザ(生地がチョー薄い)、オニオンタルト、シュークルート、ポテトの煮込み料理を。シュークルートはボリューミーすぎて、食べ切れずじまい。ただ、さすがアルザスのリースリングから生まれた白ワインは上々でした。

 

ニューサウスウェールズ州立図書館には感動

2016年5月30日
今日はメルボルンに移動です。午前10時がレンタカーのリターン時間。ホテルからは10㎞ほどのシドニー空港近くにオフィスがあるのですが、ガソリンの補給もあるので、朝8時すぐには出発。空港近くのガソリンスタンドをナビにセットし、給油を終えたあと今度はレンタカーの事務所をセット。ものの10分足らずで着くはずでしたが、最後の土壇場でナビを見誤り、まわりをぐるっと1周させられたため、30分もロスしてしまいました。それでも10時少し前に到着し、無事返却。隣接するメルボルン行き飛行機が出発するターミナルには余裕で着きました。

dsc_0393今日のフライトはLCCのJETSTAR。すんなり手続きを終え、12時15分発の便に乗り、1時35分にはメルボルン到着。LCC用のターミナルはまだ新しいせいもあってかすこぶる清潔なのが印象的です。荷物を受け取ると、すぐスカイバスに乗りました。30分もかからずにサザンクロス(Southern Cross)駅に着き、スーツケースを転がしてホテルまで。シドニーと同じ「インターコンチネンタル」ですが、こちらはまた一段と強く歴史を感じさせるクラシックな建物です。地下1階から7階まで吹き抜けになっていてロビー階があるのは2階部分にあたるので、地下1階にあるコーヒーラウンジを廊下から見下ろす形になります。

部屋の窓も吹き抜けになっている側についているので、外側の景色はまったく見られません。吹き抜け部分の天井から注ぐ日の光だけが明かりのもとですから、なんだか不思議な感じがします。

dsc_0404荷ほどきもそこそこに中心部に向けて歩き始め、お腹も空いていたので食事に。ブロックアーケードという古いショッピングビルで見つけた小さなカフェに入って済ませました。ほんの狭い店ですが、味はレベルが高く、ビーフバーガーとペンネ・ボロネーゼを2人で平らげました。

 

そのあと訪れた州立図書館には驚くとともに感動しました。まずはその建物。美術館といってもおかしくないほどの設計です。中もまた大変な広さで、3階までしかありませんが、入ってすぐのところにある開架室には机がぎっしり並べられ、そのほとんどが大学生たちによって占められています。ほぼ全員、ノートパソコン持参で調べごとや勉強に励んでいる風でしたが、よほど勉強しないと、大学にはいられないのでしょうね。

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書館に入るころから家人が「疲れた」という言葉を口に出していたので、見終えるとすぐタクシーでホテルに戻りました。そのまま家人は朝までずっと眠っていたようです。私はそのかたわらで少し仕事をこなし、さらに8時過ぎから川を渡った先にあるオーストラリア最大のカジノ「CROWN」の様子を見に行きました。こちらも大変な広さで、端から端まで5分ではききません。ここもやはり中国人の姿が目立ちますが、インド人もオーストラリア人もいますし、マレー系の人も少なくありませんでした。

「VIVID SIDNEY」はいまイチの感

2016年5月29日
今日はシドニーに戻ります。高速に乗る前に、キャンベラの動物園をのぞいてみました。豊かな自然の中にある環境的には恵まれた動物園なのですが、サービス精神に欠けているというか、どこに何がいるのかが非常にわかりにくく、疲れました。キリンはわりと早いうちにお目見えできたのですが、それくらいしかなく、あとは……。

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dsc_0370早々に動物園を出て、一路シドニーへ。夕方5時前にホテルにチェックインし、夜のナイトクルーズに急ぎました。「VIVID SIDNEY」が一昨日から始まっており、今日が最初の日曜日。ダーリングハーバーから次々とクルーズの船が出発します。私たちはいちばんシンプルなメニュー(=ディナーなし)の船。1時間でサーキュラーキー周辺のあちこちに仕掛けられた光のオブジェやライティングのほどこされたハーバーブリッジ、対岸のミルソンズポイント、オペラハウスや周辺の高い建物に投影される光の芸術の数々を堪能しました。

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ただ、家人にいわせると、色彩や造形の手法が日本人の感覚にはなじまないのではないかと。美に対する感覚がやはり違うのでしょうね。

寒い夜に、チョー寒い試合を見せた「サンウルブズ」

2016年5月28日
10時にレンタカーをチェックアウトし、キャンベラに向けて出発。いつものように、最初のナビのセッティングに手間取りましたが、なんとかクリアできました。高速道路の1本道。シドニー市内とその近郊はまだしも、50、60キロ離れたあたりからは草と木だけ。町も村もありません。もちろん人の姿もなし。ときどき牛と羊の大集団が見えますが、基本的には何もないところを走っていきます。日本の高速道路でいうサービスエリア、パーキングエリアのようなものはもちろんありますが、それとて無人のところがほとんど。キャンベラまでの間に2カ所だけ、店舗のあるところがありました。

あまりに退屈で眠気をもよおしそうになるので、途中3回ほど車を止め一服しました。夕方4時前にキャンベラに到着。さすが首都、美しい街です。シドニーもそうですが、オーストラリアの魅力は空気がすこぶる澄んでいること。車も相当の量が走っていますが、国土がとてつもなく広いので、当然かもしれません。

dsc00640ホテルは「ヒストリカル」を謳っているだけに、古いつくりです、しかし、敷地が大変に広く、1階と2階にフロアに大小の宴会場(パーティールーム)が合わせて30以上はあるでしょうか。吹き抜けの廊下部分から細い回廊が縦横に出ていて、そこに部屋があります。3階建てですが部屋数は100以上ありそうです。

 

 

dsc00648今日の朝食はレンタカーを借りに行く途中にあったカフェで買ったチキンラップにコーヒーを立ち、いや歩き食い。昼間はマクドナルドのフィレオフィッシュというプアな内容だったので、夜くらいはと街の中心部までタクシーで。首都の中心部ですから、人も多そうですし、飲食店はかなりの数ありました。たまたま前を通った中華料理の店に入ったのですが、これが大当たり。私たちが入った6時過ぎから30分ほどの間に12~13組の客が入り、ほぼ満席に。3品ほど注文しましたが、日本人の舌にも合う品ばかりでした。

dsc00613店の近くにあるバスストップから無料シャトルバスでスタジアムまで15分。途中は何もなく真っ暗な道。着いたスタジアムも昨日ほど大きくないので、目立ちない感じがします。収容人数は2万ほどでしょうか。客の入りは6分ほど。新参者でまだ1勝しかしていない「サンウルブズ」が相手ですから、地元の「ブランビーズ」もそれほど緊迫感がありません。とはいえ、プレーオフのからみもあるので、メンバー的にはほぼベストの布陣です。

結果もそのとおり。コールドゲームという言葉がありますが、66対5という大差で「ブランビーズ」の勝ち。2℃という寒さがこたえた(風が吹いていなかったのが救いですが)ゲームでした。

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ノーサイドの笛までとても待っていられず、10分前にスタジアムをあとに。冷え切った体を温めようと、ホテルのラウンジでワインを1杯飲みましたが、最悪・最低の試合でした。これで「サンウルブズ」は全18チーム中最下位に転落です。

「ワラターズ」対「チーフス」のゲームはハイレベル!

2016年5月27日
朝はサーキュラーキーの西側にあるロックス一帯を歩いてみました。イギリス人が最初に上陸した場所だそうです。古いレンガ作りの建物が多く、目の前に架かるハーバーブリッジが一段と大きく見えました。ホテルで食べた昨日の朝食が値段(42ドル×2)とまるで見合っていないので、今日は外でと思っていたら、1軒、おいしそうな店を見つけました。そこで、ツナサラダ、バナナパンケーキ+カナディアンベーコン、コーヒー、カプチーノを注文。これでしめて29・5ドル。十分に満足です。オーストラリアの食事は総じて薄味に仕立ててある印象がします。

dsc_0224北のほうに向けてさらに歩くと、坂の上り下りが多いことに気がつきました。古い教会のすぐ隣が高層ビルだったり。それが中心街の特徴なのですが、といって不調和な感じはしません。

一度ホテルまで戻り、ひと休みしてまた植物園に。海沿いの道をオペラ劇場方向にぶらぶら歩いていくと、美しいフォルムのオペラ劇場がどんどん間近に迫ってきます。ロケーションのせいもありますが、風が強く、写真を撮るのも大変。

今夜から始まる「VIVID SIDNEY」の最終準備も着々と進んでいるようです。植物園も今年から会場になるらしく、1万個のLEDライトで作ったトンネルのようなものができています。明後日の夜、見るのが楽しみになってきました。

埠頭のすぐ横にあるオペラ劇場の付属施設とおぼしき巨大なカフェの先にさらにいくつもの店が並んでいたので、その中の1軒に入りしばし休憩。アペロール・スピリッツ、ラズベリー風味のヴァージンモヒートを飲みました。帰りも植物園の中を抜け、総督公邸の横を通ってホテルに。

今夜は「スーパーラグビー」の観戦なので、その準備をしてサーキュラーキーのバス停まで歩いていきます。サポーターと思しき服装のお年寄り3カップルがいたので、勝手に“あたり”をつけ、6人が乗り込んだバスに。目的地のムアパークに着くと、広大な敷地に大きなスタジアムが2つ、さらにシネコンや劇場もあるようでした。今夜はクリケットもビッグゲームがあるらしく、あたりはごった返しています。

dsc_0282ラグビー専用のAlliantzスタジアムは4万5千人収容。中に入ると、私たちの座席は前から7列目、しかもほぼハーフウェーラインのところ。ただ、試合が始まって気がついたのですが、あまり前のほう、しかもグラウンド上とさして変わらない高さで見ても、全体の様子はつかみにくいときがあります。

試合はオーストラリア・カンファレンスの1位・「ワラターズ」(シドニーが本拠地。チーム名は「赤い花」の意)とニュージーランド・カンファレンスの1位・「チーフス」(ともに今日時点で)どうしの対戦。さすがハイレベルです。「チーフス」のジャージはえらく派手で、黒地にタトゥーを思わせるような幾何学模様が胸の上とおへその上あたりに染め抜かれています。

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「ワラターズ」のキャプテン7番(マイケル・フーパー)、ウィング(イズラエル・フォラウ)など、W杯でおなじみの顔がいくつも見えます。「チーフス」のキッカーを務めるダミアン・マッケンジーが蹴る前に見せるルーティンで、最後に浮かべる不敵な笑いが大ウケしていました。

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試合は45対25で「ワラターズ」の勝ち。終了後はおそらく主催者が用意していると思われる無料のシャトルバスでホテル近くの停留所まで戻りました。このシャトルは、試合の入場券を持っている人はだれでも無料。さすが、ラグビーの先進国!

 

“世界一ぜいたく”なキリン

2016年5月26日
時差がないというのは本当に楽です。朝も普通に目が覚めました。タバコを吸うために1階まで降り、外に出ると、ちょっと肌寒い感じがします。いつ雨が降り出してもおかしくない、どんよちとした曇り空。今日は動物園に行く予定をしているのに、大丈夫だろうかと心配になりました。

朝食を済ませ、サーキュラーキーまで。タロンガ動物園は私たちが泊まっているホテルの、海をはさんだ向かい側にあります。船で行くことはわかっているのですが、今日はあとの行動を考え、パスを買いました。「opal」というカードで、1枚20オーストラリアドル。これで乗り放題なので回数にもよりますが得ですし、何より乗るたびにチケットを買う手間が省けます。

dsc_0104どんより曇っていた空がとうとう泣き出したようです。大きなフェリーに乗って10分少々で到着。桟橋を降りたところにバスが待っていて、動物園の門まで行けます。今年で開園100周年というタロンガ動物園。雨にもかかわらず、小学生・中学生など、子どもの集団がたくさん来ていました。

ここのキリンは素晴らしいロケーションのところに4頭います。しかも、バックに世界遺産のオペラハウスとハーバーブリッジがあるのです。アメリカ西海岸サンタバーバラのキリンも太平洋がバックでしたが、ここは海だけでなく素晴らしい眺めが背景。高層ビルもタワーも見える動物園というのは世界でもそうはないでしょう。こんないい場所で飼われているのをほかの動物園のキリンが知れば、さぞかしうらやましく思うにちがいありません。

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チンパンジーもゴリラものびのびしていましたし、3頭の家族でゾウが水浴び・泥浴びまでしている場面にも遭遇。アフリカのサファリで目にして以来のことで、とてもうれしくなりました。こんなことが可能なつくりになっている動物園は初めての経験です。

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帰るころには雨もすっかりあがっていました。動物園から市内に戻るフェリー埠頭まで行くバスの待ち時間が長かったので、路線バスで市内中心部まで行くことに。ハーバーブリッジを渡り、ワインヤード(Wynyard)というところまで30分もかからずに着きました。そこからぶらぶら歩いてピットストリートの路上モールまで。この一帯はユニクロ、H&M、ZARA、FOREVER 21など、若者向けの店が軒を連ねています。

dsc_0196ランチをと、老舗のデパート=デイビッド・ジョーンズ(David Jones) の地下食品売り場へ。イートインの店がいくつかあり、その一つで食べました。昨日のフードコートとは一変、大人というか、引退したお年寄りというか、そういう人たちにフィットしていそうな感じです。値段も地上店とさして変わらず、しかもレベルは上。私が注文したフィッシュ&チップスも、フィッシュが、食べやすいように、あるいは油が中までくまなくまわるようにするためか、3、4片に小分けしてあり、イギリスとはずいぶん違います。味もそのせいか繊細な感じでした。

地上に上がったところにハイドパークという大きな公園があったので、そこに行ってみました。もともとは競馬場だったところを公園にしたようで、美しい噴水や教会ともマッチしていたのが印象的です。

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評判にたがわず美しいオーストラリア

2016年5月25日

初めてのオーストラリアです。きれいなところです。空港でのもろもろの手続きがあっという間に終わったのが何より素晴らしい! 入国はまずパスポートを読み込ませます。すると、小さなカードが出てくるので、それを係官のいるブース横の機械に差し込めば完了。ここまでわずか5分足らず。当然パスポートにスタンプも押されません。アメリカの入国手続きもこうあってほしいなぁと心底思いました

預けた荷物を受け取ると、次は税関。先ほどの機械に差し込んだカードと、機内で書き込んだ簡単な書類を渡せば一切終了。あとは市内への交通機関を選ぶだけとなります。ターミナルビルの外に出ると、やはり成田を出てきたときとは違いやや肌寒い、というか涼しかったですね。日本でいうと10月下旬といったところでしょうか。

dsc_0032私たちのホテルは、エアポートエクスプレスという電車で5つ目の駅サーキュラーキー(Circular Quay)で降りて徒歩5分のところ。まだ午前10時前だったので、とりあえず荷物だけ預け、部屋はあとでということになるかと思っていたら、あにはからんや、部屋にも入れてくれました。荷ほどきを済ませるとさっそく、ホテルにすぐ近くにある王立植物園へ。海っぷちに位置しているのですが、きれいに整備されているのはやはりイギリス流。

dsc_0080 植物園からタクシーで中心部にあるQVB(Queen Victoria Building)へ。1898年に建てられたビルですが、現在はショッピングモール。4階建ての中央部は完全な吹き抜けで、外壁に沿って回廊があり、そこに店が並んでいます。地下はその周囲にある新旧の建物いくつかとつながっており、巨大な地下街になっていました。

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dsc_0060その中にフードコートがあったのですが、大変な広さで、KFCやサブウェイなど有名ファストフードチェーンの店のほか、和食(寿司、ラーメン)、中華、ピザ、インド、メキシカン、トルコ料理など、30近い店ほどがまわりを取り囲むスタイル。そこをあとにし、すぐ近くのタウンホールと聖アンドリュース教会を見てタクシーでホテルに戻りました。家人はベッドで爆睡。私はといえば、もちろん仕事。

夜になり、ホテルからタクシーで15分ほどのところにあるカジノに行ってみました。平日のため空いていましたが、雰囲気もマシンもラスベガスと遜色ありません。この日は特別に空いていたようですが、それはショーがなかったせいもあるようで、ふだんはもっとごった返しているそうです。2時間ほど軽く遊んで帰りました。

極寒・雨天でも決行! ニューヨークでのお花見

2016年5月1日
天気はしとしと雨、気温は52°Fといいますから摂氏にすると11℃という中、朝からブルックリンの植物園まで行きました。地下鉄を乗り継いでおよそ1時間かかったので、けっこう乗りでがあります。
毎年4月下旬から5月初めごろ、ここでは「SAKURA MATSURI」(2016年で35回目だとか)が開かれており、近年はとくに入場者が増えているとのこと。わずか2日間の開催にもかかわらず6万人を超えるといいます。
ニューヨークにはここ以外にもあちこちで桜が植えられているようで、前日セントラルパークに行ったときにも探してみたのですが、こちらはすでに散ってしまっており、八重桜が1本だけ満開でした。しかし、それだけでは物足りないということで、夜ホテルに戻ってネットで調べてみると、ブルックリン植物園の桜の開花状況が写真入りで紹介されていました。すると、一部のエリアはすでに散っているのですが、このイベントがおこなわれる「チェリーエスプラネード」はまだ満開だとあります。
今年は日本でもすでに桜は見ました。しかし、“ニューヨークで花見”というのも粋じゃないかと、ギリギリまで迷いましたが、やはり誘惑には勝てません。予想をはるかに上回る寒さでも、雨が降ってもなお目標を達成しようとする私の粘っこさに家人はほとほとあきらめ気味。

せっかく満開の桜を観られたのですから写真を撮ろうと家人に声をかけます。
「サービス精神でね。寒そうな顔をしたらダメよ!」
というと素直に笑顔を向けてくれました。

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ブルックリン植物園のオープンは1910年。園内には日本庭園や桜の小道・遊歩道がありました。100年前、アメリカ国内で一般に公開された最初の日本庭園だそうです。最初の桜が植樹されたのは1921年。「関山」「枝垂れ桜」「白妙」など30種類以上、220本の桜が植えられています。

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セントラルパークにも、先に書いたように、それなりの本数がそろっているようですし、タクシーで走っていたら、パークアベニューの中央分離帯に桜の若木とチューリップが植えられているのに気がつきました。両方同時に咲く時期はさぞかし美しそうです。これを観れば、渋滞でいつもカッカしているタクシードライバーの気持ちも和むのではないでしょうか。

ハーレムの西側、コロンビア大学があるモーニングサイドハイツ(リバーサイド・ドライブと西122丁目の角、ハドソン川沿い)にも1912年オープンの「さくらパーク」があり、ここには1960年、東京・ニューヨークの姉妹都市提携を記念し、当時の皇太子妃ご夫妻(現在の天皇皇后両陛下)が足を運ばれたそうです(その後87年にも再度ご訪問)。

マンハッタンの東側、クイーンズの西側を流れるイーストリバーに浮かぶ細長い島=ルーズベルトアイランドにも数百本、さらにニュージャージー州ニューアークのブランチ・ブルック公園には4000本もの桜が咲き誇るとか。

それにしても、この寒さはいったいなんなのでしょう! ネットのニュースをチェックしてみると「西日本各地で夏日」などという文字があります。それほど緯度が違うわけでもないのに、ニューヨークというか、アメリカ東部は油断がなりません。どんな季節に行くときも、かならず防寒用の服をスーツケースに突っ込んでおくべきだと2人して反省しました。

 

なぜか男を興奮させる空港、そして飛行機

2016年3月29日
空港というのは鉄道の駅と同様、なんとも不思議なオーラがただよっている場所で、旅する者の気持ちをいっそうエキサイトさせます。とくに私はそうした傾向が強いようで、ターミナルビルに近づき、中に入るとそのスイッチが入ります。荷物検査や出国手続きを終え、通路を歩きながら外を見ると、広い滑走路をさまざまな航空会社の飛行機がゆっくりと行き来しています。それを目にした私の興奮度はもう一段アップ。飛行機はヨーロッパの言語ではほとんど女性名詞に分類されていますが、だからこそ男は興奮するのでしょうね。

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今日も、ローマのフィウミチーノ空港の中を歩きながら、そういう経験をさせてもらいました。「よーし、こんどはどこに行こうか」という思いが心の奥底から湧き上がってくるのです。家人には迷惑かもしれませんが、こればかりは男の性【さが】というか、どうしようもないものがあります。ローマからわずか1時間半で着いた乗り継ぎ地ミュンヘンの空港でもその思いは同じでした。

イタリア人がわんさかいるローマの空港とドイツ人が多いであろうミュンヘンの空港で清潔感に差があるのはなんとなくわかる気もします。しかし、同じドイツ人の国なのに、オーストリアのウィーンとミュンヘンとで、かなりの隔たりが感じられるのはちょっと不思議です。ウィーンのほうにはどこか頽廃の香りが漂っていますが、ミュンヘンにはそうしたものがほとんどありません。どこまでも「ドイツ」なのです。スモーキングルームの様子を見てもそうした雰囲気がありありと感じられ、ミュンヘン空港では少しでも灰を床に落としてはいけないなどと思わされます。ヨーロッパはまだまだ奥が深いようです。

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サンタ・マリア・マッジョーレ薬局の本店にびっくり

2016年3月28日
朝になると雨もほぼやんでいたので、ホテルから歩いて10分ほど、中央駅の近くにあるサンタ・マリア・マッジョーレ教会に。聖堂は長い行列ができていたのでパスし、すぐ近くにある付属の薬局に行ってみました。ローマの店は入ったことがあるのですが、本店は初めて。しかし、これが小さな博物館のような空間で、びっくりしました。

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Dsc_0742玄関から10メートル近くある廊下を歩いた正面が店の入り口。扉を開けると中が4つの部屋に分かれており、それぞれジャンルの異なる商品が並べられています。世界中から客が来ているようで、商品カタログや説明書きも8カ国語。しかし、それよりインパクトがあるのは各部屋の内装や調度品です。店ができた当時を彷彿させる家具や衣服も並んでいます。何も買わなくても、それを見ているだけで感動です。

 

 

 

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Img_5753_2雨がまたぶり返す中。再びIさんのお宅へ。実は、昨日マンマに誘われたのです。またまたお言葉に甘えてしまい、今日はマンマの住まいのほうへ。こちらは普通のマンションですが、築40年以上経っているとはとても思えません。余裕たっぷりにつくられていて、最近のマンションとはそれが決定的に違うのだそうです。1階部分に限ってのようですが、天井は3メートル30センチもあるのだとか。しかも、これは住む人の性格にもよるのでしょうが、物をあまり置かず、シンプルに暮らしておられるようでした。なので、家の中がすっきりしており、自分たちも見習わなくてはいけないなと。「断捨離」ですね。

今日は復活祭の休日とあって、マンマの2人の男の子とその家族が一堂に会しての食事会。そこに飛び入りさせてもらったわけですが、またまたお腹いっぱいになるまで食べてしまいました。

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マンマの家を出るころには雨もすっかりあがり、お日さまも顔を出していました。ホテルで荷物を受け取り、中央駅から最終目的地ローマまでは列車です。

昨年6月に来たときも泊まったテルミナ前のUNAホテルにチェックイン。明日は朝早いので駅の近くがよかろうということで決めました。まだ明るかったので、ちょっと外に出てみることに。昨年のローマ滞在最終の日、朝食を食べに行く途中で見つけた子ども用フォーマルウェアの店をのぞいてみようかとぶらぶら歩いていきました。前回は時間が早く開いていなかったのですが、今回は店自体がなかなか見つかりません。サンタ・マリア・マッジョーレ教会の前あたりで道を1本間違えてしまったようで、行きついたのはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場 (Piazza Vittorio Emanuele II)でした。


Dsc_0770_2この広場は柱廊(ポルティコ)のある19世紀の建物に囲まれており、広場の中心は公園になっています。その一角に新アニオ水道(ローマ市内とその近郊に張りめぐらされた水道の1つで、紀元52年の完成だとか)の貯水施設の遺跡とその門がありました。観光ガイドには出ていないスポットで、人もほとんど訪れていない様子。というか、広場の周囲がややあやしげな雰囲気のエリアなのです。鉄柵で囲まれている遺跡の中には入れないのですが、なんとどこを見てもネコだらけ。たぶん中にはイヤというほどネコが住んでいるにちがいありません。家人が「岩合光昭は知ってるのかしら」とひと言。そこから別の道でホテルに戻っていく途中でくだんのお店を見つけたのですが、復活祭休日のため休業しているようでした。


そのまま外で夕食をとも思いましたが、どうにもこうにもお腹が空かず、近くにあったお菓子屋さんの店先で見つけたサンドイッチとビールを買って戻りました。結局、今日も、気がついたら、ベッドのシーツの上で寝ている始末。ここにきてやはり疲れがたまってきたのでしょうか。

フィレンツェの復活祭名物「山車の爆発」をこの目で!

2016年3月27日
いよいよ、今回のメインイベント=「Soppio del Carro」の日です。直訳すれば「山車の爆発」。ドゥオーモの前に運ばれてきた山車に爆竹が仕掛けられ、それに順次火がつき炎と煙に包まれるというものです。年に1回、復活祭(イタリア語ではPasquaといいます)のときにおこなわれる行事で、フィレンツェではチョー有名──。と思っていたのですが、これが意外や意外、市民でも知らない人がかなりいるということをIさんが教えてくれました。

今回の旅行はこのイベントを生で見るというのが最大目的なので、3カ月ほど前にIさんに連絡し、どこの場所で見たらいちばんいい場面が、いい角度から見られるのかなど、さまざまリサーチをお願いしました。しかし、近所の人に聞いてみたが、「何、それ?」という返答が大半とのこと。Iさん自身はフィレンツェに移ってまだ20年足らずなので、知らなかったとしても不思議ではありませんが、ずっと地元にいるフィレンツェ市民でさえ知らないというのは、どう考えても理解できません。だって、もともとの起源は西暦1099年といいますから、900年以上も前。いまのような形でおこなわれるようになってからでもすでに350年以上は経っているのですよ。

それでも、あちこち当たってもらい、なんとかベストポジションについての情報はGETできました。また、たまたま地元のテレビ局が昨年の模様をえんえん2時間近くにわたって紹介する番組に昨夜出くわし、その盛り上がりぶりもほぼわかりました。「よーし、明日は早めに会場に行こう」と決めたしだい。

Dsc_0539朝食を済ませ、予定より15分早い午前9時15分にはドゥオーモに到着。しかし、ベストポジションとされている場所は早くも5列ほどの人垣ができていました。そこになんとかもぐり込み、私たちも10時のイベント開始まで待ち続けていたところ、ラッパと太鼓の音が聞こえてきます。中世フィレンツェの衣装で身を固めた、おそらくカトリックの信者たちでしょう、総勢140~150人ほどの行進が到着しました。フィレンツェの市章であるユリの花を赤く染め抜いた白い旗がなんとも鮮やかです。楽隊の奏でる曲も人々の気持ちをかき立て、聴いているだけで満足。ドゥオーモの正面に全員が並びイベントのスタートを待ちます。しばらくすると、4頭の白い牛に曳かれた山車が静かに登場、所定の位置に固定されました。すると、何十、何百とつながった爆竹が山車をグルグル巻きするように仕掛けられていきます。

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そうこうしているうち鐘楼の鐘が響きわたり、午前11時に。ここからは山車に注意を集中します。まず、大聖堂の祭壇前からワイヤーをつたって、ハト(イタリア語でcolomba)をかたどった木像がロケットのように火を噴きながら数十メートル飛んできます。これが山車まで到達すると、こんどは向きを替え祭壇の方向に戻っていくのですが、元どおりの位置にまで無事戻ればその年は平穏無事・五穀豊穣なのだとか。


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その瞬間から山車が爆竹のはじけるすさまじい音と煙に包まれます。それが何度も何度も繰り返されるのです。なかには、火花を散らしながら、空に向かって飛んでいくものもあります。フィナーレは、山車のてっぺんに取り付けられた3つの飾りがグルグル回ってはじけ、中にセットされている市の紋章を記した3枚のバナーが姿をあらわします。今回はそのうち1枚だけが折り曲がったままでしたが、それでも10分間にわたる「ショー」の迫力、感動ときたら!

もとはといえば、「ちょっとーお父さ~ん!」の呼びかけがきっかけで始まった「Scoppio del Carro」見学の旅ですが、はるばる観にきた甲斐がありました。最初は婦唱夫随、いざという段からは夫唱婦随。これが私たちの旅の極意というか、一つのパターンになっています。

 

人込みでごった返す中、本来は一緒に見るはずだったのですが、結局それがかなわなかったIさんと、近くのカフェでようやく合流できました。初めて観た「山車の爆発」にIさんも興奮を隠せない様子。このあとはIさん宅での食事会です。15年前にお会いしたきりのIさんのご主人のお母さん=マンマが作る手料理をいただきに、駅の近くから3人でバスに乗りました。

Img_5749Iさんの自宅を訪れるのも15年ぶりです。こちらではパラッツォ(palazzo)と呼ぶらしいのですが、日本でいうテラスハウスの2階に玄関があり、中はメゾネットスタイルになっています。マンマに初めてお会いしたときは私もまだ若かったので、かなりの量を食べたらしく、マンマはそのことをよく覚えていたようです。今日のメニューは野菜→タリアテッレ→羊肉のグリル。近所に小さいながら自分の農園を持っていて、そこで獲れたばかりの野菜ですから、おいしいのなんの。とくに、ゆでたアーティチョークとヤギのチーズを塩とオリーブオイルで和えたものは、日本ではなかなか口にできないメニューで、とても新鮮でした。小ぶりのエンドウ豆とヤギのチーズの和えものも同様。

Img_5742しかし、最高においしかったのはやはりタリアテッレ(tagliatelle)。細長いリボンのようなパスタで、それにミートソース(それも牛・豚・羊のひき肉のミックス)をからませたあり、今回も2杯半食べてしまいました。最初のときは4杯近く食べたそうです〈自分ではまったく覚えていないのですが)。それも、最後お義理で「もう少しいかが」とマンマが口にした言葉も真に受けての4杯目でしたから、「よく食べる日本人だ」という印象を与えてしまったのでしょうね。

デザートに、colomba(ハト)の形をしたケーキ(復活祭のときだけ作られるもの)をいただき、最後コーヒーを飲むと、動けなくなるくらい満腹に。実際、ホテルに戻ってもまったくお腹が空かず、早々に寝てしまいました。窓の外は雨。今日の午前中でなくてよかったなと感謝したしだい。

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ボッティチェリのあとフィレンツェ風「もつ煮込み」のはずが……

2015年3月26日
今日も朝から素晴らしくいい天気です。フィレンツェは今回が3度目の訪問。しかし、最初のとき(2001年8月)はほとんど観光らしい観光をしていません。このときは、結婚でフィレンツェに来て間もないIさんに会いにきたようなものでしたから。今回こそはと、それなりに思い描いていた予定もあります。その一つがウッフィツィ美術館。

しかし、今回のように連休の時期と重なっていると、大変な数の人が訪れます。早めに朝食を終え、午前8時には美術館まで行ったのですが、すでに100人近い行列ができていました。私たちは60~70人目あたりでしょうか。行列するのは、基本的に当日券を買うため。スケジュールをきちんと立てている人は予約を済ませているので、バウチャーを見せたり確認のメールを見せるだけですぐ中に入れます。

Dsc_0456本来の開館時間は8時15分ですが、私たちは40分ほど待たされてから、やっと中に入れました。しかし聞きしにまさる広さ、スケールの大きさには正直驚きました。展示スペースの始まりは3階。そのため、中に入ると階段で3階まで上がっていかなくてはなりません。3階といっても、天井がえらく高いので、実際には5~6階分あり、そこまで歩いて一気に上るのはとんでもない苦行。家人など、やっと入り口に着いたころには息があがっていたようです。

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ローマ時代からルネサンス期までの絵画、彫像が、70以上ある大小の展示室と廊下、壁、天井にこれでもかこれでもかというほど展示されており、しまいにはもうご勘弁をという感じでした。ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」とか「春/プリマヴェーラ」とか、その昔美術の教科書で目にした作品をナマで見ると、やはり感慨深いものがあります。

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1時間以上かけて見終わり、外に出たときはむしろほっとしました。通りに出ると、好天で温暖ということもあり、大変な人出でにぎわっています。とりあえず中央市場まで歩いたのですが、建物のまわりにテントを張っただけの小さな店がびっしり並んでいました。ほとんどが革製品ですが、雑貨や工芸品を売る店もあります。


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中に入ると、ここもやはり人また人。とくに、有名な「ランプレドット(lampredotto)=もつ煮込み」のサンドイッチ(パニーノ)を出している店はどこも長い行列ができています。ところが、この行列がクセモノで、地元の人でなければ注文できない雰囲気が……。こうすればいいのではないかとなんとなく想像はつくのですが、あまりの人いきれに圧倒され、あきらめました。だったら2階のフードコートでと思い上がっていったのですが、こちらはさらにひどい混雑。結局、すわってメニューを指させばOKといった感じの店に入ることにし、下までまた降りていきました。

ハンガリー系とおぼしきイタリア人夫婦がやっているカウンターだけの店で、写真と実物を見て注文し、ようやく昼食にありつけたしだい。店のオバチャンが次々訪れる客の注文をどんどんさばいていきます。その中には、ドイツ人もいればアメリカ人、韓国人、ロシア人もいて、それぞれの言葉をあやつりながら客をさばき、追加注文を聞き、最後お勘定までこなしているのを見ると、「すごい!」のひと言です。前にヴァチカン宮殿前の広場に屋台を出しているオッチャンがそれこそ10カ国くらいの言葉を平気であやつっている場面を目にして驚いたことがありますが、そのとき以来の衝撃でした。さすがイタリアです。


昼食後、すぐ近くのサン・ロレンツォ教会の脇にあるメディチ家礼拝堂を観て外に出ると、「疲れがどっと出てきちゃって」とのたまう家人と一緒にホテルに戻りました。シエスタですね。途中、ヴェッキオ宮前のシニョリーア広場にあるジェラテリで買ったアイスクリームのおいしかったこと。ひと口食べて顔をほころばせる家人の顔を見て思わずシャッターを押してしまいました。

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Dsc_0516ホテルに戻ったら、家人は言葉にたがわず即お寝み。私はといえば、その横でブログを書いたり日本から送られてくる仕事を処理したり。ミラノのホテルもそうでしたが、USBファイルを持っていけばすぐプリントできるスタイルになっているので大助かりです。

 

街全体が世界遺産のシエナに大感動!

2015年3月25日
今日は朝からシエナに行きました。天気もよく、最高のドライブ日和。こちらに来る前まではガイドブックとにらめっこしながら、いつ、どこに行くか、あれこれ悩んでいました。何せフィレンツェというところは見どころが多すぎるのです。ミラノの3倍、いや5倍ほどのページが割かれているくらいですから。しかも、今回の目標である「Scoppio del Carro(山車の爆発)」の前後は観光施設も臨時休館がけっこう多く、行き先が制限されます。もっとも、「復活祭」自体が国民の休日になっているとあれば、それもいたしかたないのかなと。

結局、日本を出発する直前に考え方を抜本的に変え、キホン出たとこ勝負で行くことにしました。ウッフィツィ美術館に行く日時も、現地で決めようと。ただ、今日のシエナ行きだけは、フィレンツェ在住の元社員Iさんのご主人が休みを取ってくれ、シエナ往復のドライバーを買って出てくれたため、予定を変更するわけにはいきません。朝9時半過ぎに出発、11時にはシエナに着きました。

シエナには特別な思い入れがあったわけでもないのですが、観光ガイドを見ると、けっこうページも費やされています。何より町自体が「世界遺産」というのが魅力です。中世のおもむきがそっくり残っているとありますし、イタリアならどこの町にもあるドゥオーモが素晴らしく美しく、とくに中の壁画や装飾はすごいと。

Dsc_0307実際、全体が世界遺産になっている旧市街を歩いてみると、まさしく中世がそのまま残されている印象を受けます。今日から3連休ということでイタリア人の姿も多いようで、細い道はかなり混雑していました。駐車場から15分ほど歩いたところにあるのがカンポ広場。こうした広場にしては珍しく、傾斜地に作られており、しかも四角形とか正方形ではありません。なんと扇型なのです。扇の要に位置しているのが市庁舎で、これがまたユニークな色合いをした建物。これだけでも見る甲斐があるくらい美しい広場でした。全体が傾斜しているので市庁舎の前で何かイベントでもあれば、そのまますわるだけで見渡らせる感じがします。

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Dsc_0353聞けば、毎年、日本のお盆にあたる時期に、この広場では「競馬」がおこなわれるのだそうです。お土産屋さんの店先に、その様子を撮った写真が飾られていました。それを見ると、中央部にびっしり観客が立っています。競馬がおこなわれのはその周り、広場を囲む建物の前にも見物客が立っていますから、競馬そのものはその部分とまわりの建物との間に生まれるスペースでおこなわれるわけですね。これはかなりスリリングではないでしょうか。一度、この目で見てみたいものだと、本気で思いました。騎手も観客も、このときだけはバカンス先からシエナまで戻ってくるのだとか。そのくらい、シエナの人たちの血を騒がせる魅力に満ちているのでしょう。

昼食は広場近くの、なんということのない食堂。家族経営といった感じがありありですが、メニューはどれも魅力的。生ハムやサラミなどを、ちぎった揚げパンに乗せて食べるだけなのですが、パン自体がすこぶるおいしいので、それだけで合格! といった感じがします。しかも、ハム、ソーセージの類はさすがイタリア、日本の比ではありません。しかも、値段がメチャ安です。

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Dsc_0400_3食後はドゥオーモの見学。教会の見学というと、ヨーロッパではたいがい無料ですが、ここはなんと20€も取ります。日本でいうなら2600円くらいでしょうか。しかし、それだけの金額を払った価値は十分、いやそれ以上ではないかとさえ思いました。というのも、普通は足を踏み入れることのないドゥオーモの屋根裏──地上5~6階ほどの高さでしょうか──にまで上がることができ、そこから内部をすべて見下ろせるのです。極端に狭くはあるのですが、テラス(というより通路ですね)に出ると、外の景色も見えます。「トスカーナの田舎」という言葉をよく耳にしますが、まさしくその光景が目の前いっぱいに広がっていました。ほかの教会では経験したことがないこのこと一つ取っただけでも、一見の価値は十分です。

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このドゥオーモの外壁は白地に黒の横縞。それだけでとてもユニークな印象を受けます。なかでも、ファサードの美しさは天下一品。教会建築についてはまったくの門外漢ではありますが、時代や地域によっておそらく大きな違いがあるのでしょう。ゴシックだのロマネスクだのルネサンスだのビザンチンだのといったこととは別にです。

気がついたらあっという間に5時間以上が経過しており、駐車場に戻ったときはすでに5時近く。車のフロントグラス、ワイパーに「駐車時間超過」を告げる警察の紙切れがはさまっていました。

 

Img_1049_20160326_2ホテルに戻りひと仕事したあと、Iさんのご主人推薦の、フィレンツェでもおそらく5本の指に入るであろうピザ店「I’ Pizzacchiere」で待ち合わせ。市内に2000軒近くあるレストラン(ジャンルを問わず)の中でも評価が24位という店だそうですが、ホントおいしかったです。フィレンツェ風のピザは、生地全体が薄く、端っこまで肉やら野菜やらチーズやらがびっしり乗っかっているのが普通だそうですが、この店のものは端っこが川の堤防のようにこんもり盛り上がっています。地元っ子はそれが不満のようですが、この店の女主人は方針を変えようとしないのだとか。

 

 

Img_1050_20160326ピザもさることながら、しかし、デザートで食べた「Nutella Dolce」は圧巻でした。これは焼いたピザ生地で「Nutella」のチョコレートクリームを巻いたもの。しかも、チョコレートクリームの部分だけで厚さ2センチ、幅が6~7センチ、長さ25センチほどあります。それを私たち5人で3個分もたいらげてしまました。イタリアでも「Nutella」のチョコレートクリームをここまで大量に使ったデザートはめったにないので、わざわざ「Nutella」という言葉を使っているとのこと。日本でも早くどこかの店で食べられるといいなと、正直思いました(ただし、日本で食べられる「Nutella」はオーストラリア製だとか)。

 

アンブロジアーナ絵画館の素晴らしさに感動

2016年3月24日

Dsc00203今朝は、初めてホテルのレストランで朝食を取りました。たしかに、どのメニューにもハイグレードな食材が使われています。スクィーズしたオレンジジュースは素晴らしかったですし、パンはどれも皆秀逸。バターもフランスの「エシレ」。ただ、全体としてはどうかなぁという気がしました。41€は高すぎるでしょう。

午前中は部屋でずっと仕事。チェックアウトを済ませて荷物を預け、昼過ぎから出かけました。最初の目的地は古代ローマの時代に作られたというサン・ロレンツォ・マッジョーレ教会。さすが、その古さには驚く以外ありません。教会の前の広場に立つ16本の石柱がそれを象徴しています。昼食は、そこから5分ほど歩いたところにあった店で。テーブルの半分ほどが白いカバーで覆われている様子を見て、まあいいかということで決めました。


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さて、ミラノではあちこち観光しましたが、今日行ったアンブロジアーナ絵画館は出色でした。まず、建物自体、そんじょそこらのものと違います。貴族の屋敷といってしまえばそれまでですが、3階建てでとにかく広いこと。壁や天井など内装も豪華をきわめ、いかに豊かだったかがわかります。作品もダ・ヴィンチの『楽師の肖像』とかボッティチェリの『(天蓋の)聖母子』、カラヴァッジョの『果物籠』など有名な作品がズラリ。すいているのでゆったりした気分で観られたのがよかったです。

 


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「イータリー(EATALY)」もおもしろかったですね。「WHOLE FOODS MARKET」とコンセプトは同じなのでしょうが、イタリアらしいハイセンスな空間デザインが際立っています。3階はアルコール類(ワインとビールなど)の売り場ですが、その陳列の仕方にセンスのよさが感じられました。意外に思ったのはビールの充実ぶり。聞けば、イタリアでは最近、地ビールがたいそう人気を博しているとか。何より素晴らしいのはラベルのデザイン。日本の比ではありません。フィレンツェに行く車中で食べるサンドイッチ類と、日本では見かけないレモンのジャムを買いました。

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ミラノ中央駅から夜8時20分発ローマ(テルミニ)行きの特急(トレニタリア)に乗りました。日本のJRのグリーン車よりはるかに座り心地のいい椅子が左右に3列(2+1)。縦も15列ほどなので前後左右ともゆったりしています。もちろん、スーツケースを置くスペースも車輌の出入り口付近に確保されているので安心です。
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ただ、国内の旅行客を想定しているのでしょう、巨大なスーツケースを持って乗る私たちのような海外からの客からすると、もう少し広くてもといいのにと、正直思いました。それと1両おきではなく全車両にスペースを確保してもらいたいですね。それでも、こういうスペースがまったくない日本の新幹線よりははるかにマシです。「海外からのインバウンド2000万人」突破が現実になりつつある国なのですから、スーツケース置き場がまったくない長距離列車など信じられません。


夜10時、2つ目の停車駅フィレンツェ・サンタ・マリア・ノヴェッラに到着、ホテルにチェックインしました。アルノー川沿いに建っており、窓からは川はもちろん、ポンテ・ヴェッキオもすぐ近くに見えます。それだけで疲れも吹き飛びました。家人も同様で、川というか、水はやはり人の心を穏やかにしてくれるのですね。

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イタリアにスタバがない理由

2016年3月23日

1日目の張り切りすぎがたたってか、朝からどっと疲れが。やっとのことで昨日決めておいたカフェまで行って朝食。その足でドゥオーモに向かい、入場券売り場に直行。9時前だったので、人の姿はまだまばらで、すんなり中に入ることができました。しかし、入り口の警備は軍隊が担当しており、非常に厳重です。もちろん、イタリア的にですよ、念のため。

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中の壮大さは、普通のドゥオーモ(聖堂)が4つくらい合わさったほどのスケールといえばいいでしょうか。ぶったまげました。それでも、尖塔部分の高さは世界のベスト10にも入っていません。いちばん高いドイツのウルム大聖堂のそれは161・5メートルもあるといいますし、私たちも行ったことのあるケルン大聖堂が157・4メートル、ヴァチカンのサン・ピエトロ大聖堂が132・5メートル、フィレンツェのドゥオーモが107メール。ここミラノはたった84メートルなのですから。

Dsc_0154屋上にはエレベーターで上がりました(さすがに歩いていこうという気にはなれませんでした)。しかし、眺めはすばらしかったですし、それ以上に、ドゥオーモ屋上の造作の素晴らしさ! 外壁の彫刻や数多くの小さな尖塔も手が込んでおり、これには驚く以外ありません。


ドゥオーモを見学したあと一度ホテルに戻りました。ひと休みしたあと夕方近くになって、最近人気だというナヴィリオ運河まで行くことに。運河なので淀んではいるのですが、雰囲気のいい場所です。若い人がたくさん集まっていることからもわかるように、教会や美術館だけではないミラノの別の一面が垣間見えました。

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Dsc00199夕食は、地下鉄の駅近くにあるピッツァリアで。ピザのスモールサイズ2枚とサラダ、あとミラノ風カツレツを頼もうとしたら、最初の2品を書き留めたところで、店員が「もうやめときなさい。それ以上は無理。うちのメニュ-はみな特大だからね」とストップをかけるではありませんか。実際に食べ始めてみると、そのとおり。貴重なアドバイスに感謝しながらホテルに戻りました。

去年訪れたときにも感じたことですが、イタリアではスタバを見かけません。ローマでも出くわすことはありませんでした。ミラノも、昨日・今日と主だった観光スポットを歩きましたが看板はなし。もっとも、エスプレッソコーヒーのおいしさを考えれば、スタバの出番などあろうはずもないでしょうが。

実際、イタリアのコーヒーはおいしいのです。エスプレッソは「ダブル」で注文しても、デミタスのカップ、下3分の1ほどしか注がれていません。3口で飲み干すのが正しいという話を聞いた記憶がありますが、それこそひと口でもOKといった感じです。でも、味の奥行きというか深みが素晴らしく、日本の薄口エスプレッソなど、足もとにも及ばないといっても過言ではありません。


私のようになまじ「NESPRESSO」で“騙されて”きた者からすると、最初はその濃い味にびっくりします。「これがイタリアのコーヒーなんだ!」ということがわかると、「NESPRESSO」のいい加減さには怒りさえ覚えます。要はインスタントのエスプレッソでしかありません。どんなによくできているとしても、インスタントはしょせんインスタントなのですね。

1日中動きすぎてどっと疲れが

2016年3月22日
5時半には目が覚めてしまったので、しばらく仕事をしました。テレビのスイッチを入れると、NHKワールドとJSTVと、日本語のチャンネルが2つもあります。ニュースやNHKの朝ドラも見られ、家人はうれしそうでした。ただ、「お母さんといっしょ」もオンエアされているのが不思議な気がします。ミラノまで来て見る人がいるのでしょうかね?

41€というホテルの朝食はパスし、ホテル近くのカフェに行ってみました。マルコ・ポーロ通りを西に行き、ガリレオ・ガリレイ通りを渡り(通りの名前からしてすごいですよね))ポルタ・ヌオーヴァ(「新しい門」といってもローマ時代の門です!)を左に見ながらしばらく行った先の「SWEETS」というごく普通の店に入り、パンとカプチーノ、パニーニを。帰り道でもう1軒、もっとおいしそうな店を見つけたので、明日はそこで食べようと決めました。

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ミラノは建築家あこがれの町という話をどこかで耳にしたことがありますが、たしかに、ちょっと歩いただけなのに、ユニークで魅力的な建築物があちこちに見えます。モダンなデザインが古い町並みに不思議とフィットしているあたりがミラノの魅力なのでしょう。ポルタ・ヌオーヴァの周囲には、目を見張るようなデザインの建築物が集中している様子。

Dsc_0018調べてみてわかったのですが、この一帯は万国博に合わせて再開発中の地区で、新しいコンセプトのオフィスビルや住居(マンション)がいくつも建った(途上のものもまだある)ようです。プロジェクトの概要を説明する掲示板もありました。なかでも、イタリア語で「垂直の森」を意味する「Bosco Verticale(ボスコ・ヴェルティカーレ)」というマンションは26階建て(高さ110メートル)と18階建て(同76メートル)のツインタワーで、なんとも個性的なデザインです。
Dsc_0020_2ホテルに戻ったあと、すぐ前の地下鉄駅(Repubblica)からドゥオーモまで行きました。地上に出ると、とてつもなく大きな広場にまず感激です。ドゥオーモが巨大なだけに、それに合わせた広さになっているのでしょうが、「ミラノ~っ!」という感じです。入場券売り場の前に長蛇の列ができていたので、中に入るのは翌日に回し、エマヌエル・ヴィットーリオⅡ世のガッレリアからスカラ座の前へ。そこから北に上がるとブレラ絵画館があります。ガイドブックで★が3つついていたので、ちょっとのぞいてみました。カトリック大国だけあって、宗教画のコレクションが数多く展示されています。

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ランチは、肩の凝らなさそうな雰囲気の店が絵画館のすぐ近くにあったので、アウトドアのテーブルで。ウエイターがわざわざ「アンダーザサン?」とたずねてきたので、「イエス」と答えると、日の当たるところにテーブルを移動してくれました。食事はリゾット(カレー風味がうれしかった)とホットサンド(ハムと野菜)を2人でシェアし、飲み物は私がワイン、家人は昨年の6月以来すっかりファンになったスプリッツ・アペロール。しかし、来て1日目、しかも昼間のアルコールは予想以上に効いたようです。かったる~い足取りでスフォルツァ城に行きました。昨年の万国博でもメイン会場の一つだったところです。

城もさることながら、その裏に広がるセンピオーネ公園が出色。広い公園のはるか彼方に見える「平和の門」も美しい形をしています。最初は「えーっ、あんな遠くまで?」と思いましたが、ぶらぶら(いや、ヨタヨタか)歩いているうちにかなり近いところまで行ってしまいました。園内のそこここに咲いている花(遠目に見ると桜かと思わせる)がきれいで、とくに、日本では見たことのない黄色の花には惹かれました。

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Dsc_0121城の次は、『最後の晩餐』が展示されているサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ。ここは、出発前に予約を入れておいた(そうしないと観られません!)のですが、チェックイン30分前に到着してしまいました。作品自体は教会の食堂内にあり、1回20数人まで、観覧時間も15分と制限されており、その分ゆっくり観ることができます。ミケランジェロっぽくないというか、作画の方法がほかの作品と違っているため、色褪せてしまっています。でも、それがかえって時代のリアルな隔たりを感じさせてくれました。

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そのあとサンタン・ブロージェ聖堂まで歩き、中をちょっとのぞいてから、地下鉄でホテルまで戻りました。結局、今日1日で2万歩近く歩いたのではないでしょうか。

特典航空券と無料宿泊ポイントを利用してイタリアに

2016年3月21日
昼過ぎに成田を出発するオーストリア航空の便(ウィーン乗り継ぎ)でミラノまでの旅がスタート。ウィーンまでは11時間30分とのことでしたが、偏西風が弱かったのでしょう、予定より30分ほど早く着きました。

この航空会社の機内食はとてもユニークで、私も家人もとても気に入っています。メニューではなく、そのサービスがです。コックのいでたちをした男性が食事を運んでくるのです。いかにも、「私が作ったんですよ」とアピールしているかのような印象を受けますが、実際は、客室乗務員が扮装しているのでしょう。でも、「おいしい」「さすが」などとついつい思い込まされてしまいます。秀逸なのは食後のコーヒーで、10種類ほどあります。コーヒーだけを紹介した別メニューがあるくらいですから、本格的ですよ。

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ウィーンでの乗り継ぎは約2時間。どこの空港にいても、タバコを吸える場所はどこか、四方八方に注意を向けながら歩くのが私の習慣なのですが、なかなか見つかりません。ミラノ行きの便のゲートまでたどり着いたものの、スモーキングルームがあったのはその100メートル以上先でした。しかも、そのすぐ近くまで行かないと、案内表示すらありません。それでも蛇の道はヘビで、スモーカーが引けも切らずに入ってきます。私も10数時間ぶりの一服を味わうことができました。

ミラノの空港から市内まではバスで小1時間。中央駅近くのホテルにチェックインしたのは夜9時前です。今回は、私たちとしては珍しく5つ星のホテル。ミラノは昨年おこなわれた万国博の影響でしょう、ホテルの宿泊料が上げ止まりしているようで、選ぶのにかなり苦労しました。にもかかわらず5つ星のところを選んだのは、予約を入れるときによく利用している「ホテルズドットコム」の無料宿泊ポイントがたまっており、その一部を充当することができたから。そんなことでもなければ、5つ星のホテルなど、とても泊まれません。

そもそも、今回の航空チケット(往き=成田→ウィーン→ミラノ+帰り=ローマ→ミュンヘン→羽田)も、マイレージ特典による無料チケット。私たち2人はANAのマイレージがメインで、今回もANAと同じスターアライアンスに属しているオーストリア航空とルフトハンザ航空の組み合わせにしたことで、帰りも羽田着の便を選べたのです。


Dsc_0010ホテルはさすが5つ星。まず、建物自体、いかにもという威厳を感じさせます。「こんな立派なところにしたの?」と家人も心配そうな顔でたずねてきましたが、事情を話すとほっとした様子。チェックインも丁寧な対応で、安心感できます。ただ、「朝食はついておりません。もしお望みならお一人様41€で、1回奥のレストランでどうぞ」との案内にはびっくりしました。部屋は希望どおり喫煙OKでしたし、何より広いのがうれしいですね。というわけで、初日から心地よく眠りに就くことができました。

これで3回目の「大人の修学旅行」

2016年2月15日
おととい・昨日と、1泊2日で「大人の修学旅行」に行ってきました。いかにもとってつけたような“エクスキューズ”を感じさせるネーミングですが、今回は文字どおりの内容。メンバーは例によって高校時代の同期生で、私も入れて6人。そのうちの1人・Yくんがたまたま江ノ島に「別邸」を購入したというので、そこに泊まらせてもらいつつ、近くの鎌倉、そしてご当地・江ノ島を見てまわろうという計画です。

13日(土)朝10時半に横須賀線・北鎌倉駅に集合。前夜までは「曇、午後から雨」という予報報でしたが、明けてみれば温かな日差しがいっぱいで、風もない、絶好の修学旅行日和です。

l1050996まずは駅から歩いてすぐの円覚寺【えんがくじ】。続いて建長寺へ。名前は知っていましたが、やはり実物はすごい! 地元に住むMくんの解説付きでの見学ですから、「なるほど」「そうだったのか」の連続。

境内のいちばん奥にあるのが「半僧坊」。山の中腹にあるので、そこまで登っていくのが大変でした。でも、お天気がよければここから富士山も見えるといいます。すぐ下には鎌倉学園中学校・高等学校の校舎とグラウンドが。たしか、堺正章とかサザンの桑田佳祐の母校ですよね。
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l1050991昼食は近くの「新とみ」で。ラーメン屋さんが本業であるにもかかわらず、なぜか寿司もあり、これがまた上出来の味。鎌倉らしさには欠けますが、あまりのおいしさにもう一皿、もう一皿と追加。もちろん、ビール、日本酒をぐいぐい空けていくメンバーもおり、けっこうな金額を使ってしまいました。

そのあと、駆け込み寺、縁切り寺だったことで知られる東慶寺から海蔵寺へとぶらぶら歩いたあと、夜に備えての買い物。といっても、自分たちで作るわけではありません。ワインやらビールやらおつまみになる食べ物をしこたま買い込みました。

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江ノ電で江の島まで移動し、初めて見るYくんのセカンドハウスに一同感動。不動産の買い物が上手なYくんですが、ここは出色の物件といった感じがします。雨が降り出す中、すぐ近くの高級ファミリーレストランに夕食へ。例によって食べるわ食べる、飲むわ飲むで、ワインを3本、空っぽに。帰るころには雨もあがり、上機嫌でYセカンドハウスに戻りました。あとは例によって、遅くまで大盛り上がり。

座喜見城跡で聞いたおじいの講義

2016年1月28日
一昨日から沖縄にやってきています。沖縄ももちろん冬ですからふだんよりは気温も低いのでしょうが、それでも東京の寒さに比べればウソのよう。今日は風もなさそうですし、日中は晴れの予想だったので、遠出してみました。

最初に行ったのは宜野湾市にあるタコス専門店「メキシコ」。前回行こうとしたときは、あいにく定休日だったため入れませんでしたが、今日は大丈夫。ネットの情報ではランチタイムはえらい人気のようなので、少し早めに到着、車も楽に止められました。

l1050772中に入ると、メニューも何もありません。そう、「タコス」だけなのです。店の隅にドリンク類の入ったケースがありますが、こちらはセルフサービスですから、テーブルに案内され、タコスの皿数だけを告げれば完了。ひと皿4個入りのタコスは、ふだん食べ慣れているのと違い、軽く揚げた感じの皮に乗っかっています。カリッとしていないため、マイルドな触感といいますか。たしかに、おいしいタコスで、人気のほどがよくわかります。

そこをあとにし、一路北に向けて車を走らせました。目標は、島内で唯一行ったことのない城=座喜味【ざきみ】城跡です。58号線を30分ほど走ると、これまで何度もその前を通っている「道の駅・喜名【きな】番所」というところがありました。立ち寄って情報を仕込んでいこうと駐車場に車を入れたのですが、道の駅につきもののレストランや土産物屋がありません。

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唯一あるのは「読谷村【よみたんそん】村役場」という古い看板の奥にある建物。「案内所」の文字があったので中に入ってみました。すると、上品な感じをただよわせた女性が出てきて、「ここは、全国で10か所しかない、レストランも土産物屋もない道の駅なんです」と。そのあと、周辺の案内も含め、親切にレクチャーしてくださり、座喜味城跡に向かいました。

道路沿いもこぎれいというか、いかにも財政的に豊かなところなんだろうなという印象を受けます。読谷村は全国でもっとも人口が多い村(4万以上)とのこと。首都圏からもけっこうな数の人が移住しているようです。村の特産は焼物だそうで、「○○窯」と書かれた看板が目につきます。そうした趣味を持つ方々が移り住んできたのでしょう。
座喜味城は、これまで訪れたことのある首里城や今帰仁【なきじん】城、中城【なかぐすく】城、勝連【かつれん】城よりはるかに小じんまりしていたようです。きれいな石垣が特徴で、沖縄本島内にある城のなかでも古いほうだとか。観光客もボチボチ訪れていましたが、本土の城のように周りに多くの店があるわけでもなく、渋い感じがします。石垣の周囲には松(リュウキュウマツではない!)が植えられており、そこだけ切り取ってみると、「ここが沖縄?」と首をかしげたくなるはずです。

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ひととおり見終わって駐車場に向かう道の途中、ベンチに腰かけて大きな葉っぱを一心にハサミで切っている男性がいました。何をしているのか聞いてみると、月桃の葉を切っているといいます。切った葉を焼酎につけて2、3カ月すると、とても重宝する薬になるのだとか。日がな一日、ここで月桃の葉を切っているというのです。座喜味城を訪れた観光客にそれをプレゼントしているようで、「自分を育ててくれたこの村へのお礼」のつもりと話していました。

l1050791月桃の葉は爽やかな芳香があり、防虫、防カビ、抗菌、鎮静、保湿、消臭などの効果があるとのこと。ポリフェノール(過剰な活性酸素の働きを抑制する働きがあるので動脈硬化、心筋梗塞、脳梗塞の予防に効果があるとされる)が含まれているので、健康茶としても売られています。沖縄ではたいていの家で庭に植えられ、お餅を包むのにも使うとか。男性がすわっているベンチのまわりにも、たしかにあちこち生えていました。

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「トラベルイズトラブル」は私たちの合言葉

2015年10月4日
夕方までフリーでしたが、体調がパーフェクトではないので、あちこち動き回るわけにもいきません。ただ、私たちのホテルの近くにずっと気になっている建物がありました。いかにも歴史を感じさせるヴィクトリア調のゴシック様式で、たぶんホテルではないかと予想はしていたのですが、入口まで行ってみると、やはりホテル(ルネッサンス・ロンドン)だとわかりました。

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L1050179外の光がやわらかく入ってくるガラス張りの天井と優雅な内装をほどこしたロビーにはハイグレードな雰囲気がただよっていますが、アフタヌーンティーくらいならと思い、コーヒーラウンジに入ってみました。隅のほうでハープなんぞが演奏されているのもおしゃれです。アフタヌーンティーは、味も、またスタッフの応対も予想以上に素晴らしく、ゆっくりした時間を過ごせました。

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タクシーでヒースロー空港まで行き、19時35分発のANA便を待ちます。羽田行きなので、帰ってからは楽でしょう。最後の1週間は忌まわしい日々が続きましたが、これも経験。「トラベルイズトラブル」と、いつも私たち夫婦で口にし合っているワケのわからないフレーズを思い出しながら、飛行機に乗りました。でも、2年後の夏、またロンドンに来るのです。そう、世界陸上です。そのときまでとりあえずGOOD BYE, LONDON!

それでも、中学時代の友人に会えたのは最高!

2015年10月3日
お昼前、医師から電話が入りました。昨夜から今朝までの様子を話すと、「そうですか。残念ですがあきらめていただくしかありませんね」と。すぐ、Tくんに電話を入れ、試合後ホテル近くのユーストン駅で会おうということに。とりあえずは安心したものの、なんとも無念です。

試合は結局テレビ観戦となってしまいましたが、皮肉なことに、これがまた素晴らしいゲームでした。サモアは日本よりランクは上ですし、これまでパシフィックネーションズカップなどで何度も苦杯をなめさせられている相手。今回も、油断はできません。そのサモア相手に日本は素晴らしいゲームを展開、終始圧倒していました。ナマで観戦できたら喜びも一段と大きかったでしょうが、うーーん!!

L1050159試合が終わるとすぐ、昨日指示された採血を受けるため、タクシーで指定の検査施設まで行きました。信じられないほど明るい雰囲気のところで、あらかじめ知らされていなければ、まさか血液検査をしてもらうところだとはだれも思わないでしょう。検査自体は日本と同じ。ただ、患者をリラックスさせるという意味では、これ以上の施設に出会ったことはありません。それくらい素晴らしいところでした。

留守中、Tくんから家人に、試合が終わりいまからそちらに向かうのでユーストンの駅に着くのは5時半ごろになりそうだという連絡があったそうで、それに合わせて駅に向かいました。家人もホテルから移動し、コンコースでドッキング。改札口からどっと出てくる人ごみに目を凝らすと、娘さんのご主人と2人で歩いてくる姿が。およそ5、6年ぶりの再会です。日本が勝ったあとですから2人とも満面の笑顔を見せています。Tくんは中学・高校時代にラグビー部だったので、よけいでしょう。駅の構内で写真を撮ったりしながら喜び合って別れました。異国の地、しかもそうしたシチュエーションのもとで旧友に再会できるなんて、そうそうあることではありません。

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今日は最後の夕食。なぜか、日本メシが食べたくなり、ネットで探してみると、ホテルからほど近いところに、純粋日本メシではないもののそれっぽいメニューもそろえているアジア系の店があるのを発見、そちらに行ってみました。残念会でしたが、味がまずまずだったのが救い。「ちょっと過ぎた長旅だったのかも」と反省しましたが、この先、旅のスタイルが変わるかもしれませんね。

トホホ、残念ながらサモア戦の観戦はNG

2015年10月2日
今日は自分でもかなりよくなったという感じがします。痛みもほとんど消え、何より熱が下がってきたので体も楽になりました。昼ごろホテルの前まで出ると、タクシーの車体の絵柄があまりにユニークなので、写真を撮ったりするくらい気持ちに余裕も出てきた感じです。

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お昼ごろ、昨日いわれたとおり、ランチを食べにピカデリーサーカス近くの中華街まで出かけてみました。久しぶりにまっとうな食事を口にすることができ、ホッとしました。ところが、ホテルに戻ると熱がぶり返し、またまたベッドでぐったりとなってしまったのです。

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夕方5時ごろ、医師が来てくださいました。「昼間、外に出てみたんですが、また熱が出てきて……」と話すと、「そうですか……。明日は正直、難しそうですね」とのこと。「ただ、念のため、明日の朝まで様子を見て、最終判断しましょう。10時ごろお電話します」とも。

昨日の血液検査の結果は、帯状疱疹に間違いないということです。「ただ、かなりの熱が出ているので、別の血液検査も受けてください。イギリスは世界中からさまざまな民族が出入りしている国なので、原因不明の発熱が何によるものなのかをきちんと特定する必要があるんです」とも。たしかに、西アフリカからやってきた人からデング熱やエボラ出血熱をどこかで移されていないとは限りませんからね。「明日の夕方4時、ここに行って検査を受けてください。時間はかかりません。結果がわかるのは帰国されてからになると思いますので、メールでお送りします」とのことです。

はたしてサモア戦は観に行けるのか……

2015年10月1日
昨夜は熱で、途中何度も目が覚めてしまいました。なんと39度3分もあったのにはびっくり。全身汗びっしょりで、2回も着替えました。そのかわり、痛みのほうはウソのように収まりました。

それにしても気になるのは、10月3日の日本vsサモアの試合です。スタジアムがあるのは、ロンドンから地下鉄と電車を乗り継いで30~40分ほどのミルトン・キーンズという町。しかも、この試合、中学時代の友人Tくんが、ロンドン郊外に住む娘さん夫婦のところに泊まりながら日本から観戦に来ていることがわかっていました。そこで、試合の前、娘さんのお宅にお邪魔し、スタジアムまで一緒に行こうという話になっていたのです。

ところが昨夕、医師から、乳幼児がいるところには行かないようにとクギを差されたものですから、生まれて間もないお子さんがいる娘さん夫婦の家に行くのはあきらめざるを得ません。ならば、せめて試合後にでもスタジアムの近くで会って食事をという話になりました。しかし、医師の話では、まず熱が完全に下がることが絶対条件だといいます。なにせ、39度以上もあったのですから、私も気が気ではなく、一刻も早く熱が下がるのを願うだけです。

朝になっても朦朧としており、朝食はパス。日中も熱のために体が動かず、ベッドメイキングや掃除もお断わりし、夕方までずっと休んでいました。しかし、こういう場合、家人がずっとそばにいてくれるのはありがたかったです。病人になると、ふだんはえらそうなことをいっていても、やはり心細くなるもの。日本から遠く離れた旅先となればなおさらでしょう。とりあえず、こうしてくれ、あれを頼むといえる相手がいて、しかもそれをこなしてくれるのですから、ホント助かります。

夕方、医師が来られました。この日は検査のため血液を採られました。様子を聞きながら、「3日の試合ですけど、観に行けますか?」というこちらの質問には、「もう1日様子を見ましょう。とりあえず。明日の昼間、体を慣らす意味でちょっと外出してみてください。ランチついでといった感じですかね。その結果をしだいで」との返事。なんとか試合を観させてあげたいという気持ちが伝わってきてありがたく思いました。「熱がどこまで下がるかにかかっていますので」。サモア戦まであと2日。どうやら明日が天王山といった感じになってきました。

今日も外に出るのはとても無理そうだったので、昼も夜も、家人がホテル近くのスーパーやデリで買ってきてくれたものを食べて済ませました。もう、正真正銘の病人です。

ロンドンのホテルに医師が往診に

2015年9月30日
予定していたより2時間ほど早くロンドンに到着。途中、電車の中で体が熱っぽいなと思ったので体温を測ったところ、38度近くまで上がっています。だからといってしんどくもなかったのですが、いささか心配になってきました。

終着のキングスクロス駅で列車を降り、預けていたスーツケースを受け取ってホテルまで転がしていきます。途中で痛みに襲われましたが、なんとかフロントまで行き着きチェックインを済ませました。

保険会社から指定されたクリニックに電話を入れると、日本人の医師がこちらまで往診してくれるとのこと。ありがたい話です。待つこと1時間、フロントから電話が入り「〇〇クリニックのドクターがいまこちらにいらしていますが……」「すぐ部屋に通してください」とお願いすると、間もなくドアをノックする音が聞こえました。

所定の事務手続きを終えると、診断が始まります。問診を済ませ望診に移った段階で、即診断が下りました。やはり帯状疱疹。幸い、昔と違い、帯状疱疹はいまや「簡単に治る病気」だそうで、抗ウィルス薬やら痛み止めやら軟膏やらを頂戴しました。ただ、初手が2日ほど遅れたので治るまでには時間とのことです。対応が早ければ早いほど治りも早いのが帯状疱疹だとも。また、明日も往診してくださるとのことです。でもまあ、とりあえず治療を受けられてよかったーっ! 助かったーっ!!

しかし、やっと医師の治療は受けられたものの、とてもではありませんが、食事に出る元気などなし。この夜の食事はルームサービスで済ませました。

「たぶん帯状疱疹じゃないかしら」

2015年9月29日
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今日はスコッチの博物館に行ってみました。その名も「スコッチウィスキーエクスペリエンス」といいます。文字どおりスコッチの魅力を体験できるというのがウリで、最初は樽を模したイスに乗って、ディズニーランドのスモールワールドを10分の1に縮めたようなコースを回ります。その間は映像とアナウンスがあり、スコッチができるまでの知識を学びました。

そのあとはスコットランドとスコッチの関連についてのレクチャー。場所によって味わいが異なる理由はといった類のお話ですね。そこで、自分の好みを申請すると、ほんの少々、それを試飲させてもらえるという流れになっています。ひょっとしてアルコールが足の痛みを誘発するかもという不安があったので、飲み干すことはせず、ひと口だけにとどめました。

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L1050112そのあと、乗り降り自由の観光バスを利用し、ガイドブックに出ているスポットはほとんど全部回りました。バスの中から、ホテル近くに日本料理を食べられる店を見つけたので、夕食はそこで。私は、海外に出てずっと日本食を食べずにいても、さほどストレスを感じません。ところが、1回でも口にしてしまうと、堰【せき】を切ったかのように「しょう油味」がなつかしくなってきます。不思議なことですが、たぶん多くの人がそうした経験をされているのではないでしょうか。

部屋に戻り、風呂に入っているときです、腰の下のほうを触ってみると、水泡のような感じの腫れ物があるのがわかりました。家人に見てもらうと、「たぶん帯状疱疹じゃないかしら」と。「帯状疱疹」という病名はこれまで何度も見聞きしたことがありますが、それがわが身にということになると、お医者さんのお世話になるのは必至でしょう。

家人がネットですぐに調べてくれました。すると、この2、3日間私が訴えていた体の変調、症状めいたものがことごとく「帯状疱疹」を指し示しているといいます。明日はロンドンに移動する予定なのですが、エディンバラにお医者さんがいれば、朝にでも診てもらったほうがいいということで、契約した旅行保険の会社に連絡を入れてくれました。すると、エディンバラには契約している医療機関はないそうです。となると、できるだけ早くロンドンに戻らなくてはなりません。とりあえず列車のチケットの変更手続きだけウェブサイトで済ませておきました。当初は14時30分エディンバラ発=18時51分ロンドン・キングスクロス駅着でしたが、それを2時間ほど前倒しにしたのです。キャンセル料やら何やら費用はかかりますが、やむを得ません。それに保険でカバーされるとのことだったので、迷わず決めました。

痛みと戦いながら……それでも観光

2015年9月28日
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今日はエディンバラ城の見学からスタート。旧市街の真ん中にあるホテルからかなり急な坂をえっちらおっちら上りながら入場口まで。チケットを買うのに長蛇の列ができていましたが、こういうときあわてるようなことはしません。外国ではこれが当たり前なのです。おそらく、自動販売機を設ければいいじゃないかなどという声も出ないのでしょう。見るに値する観光スポットはいくら待ってでもOKと、だれもが思っているからです。自動販売機を設置すれば、仕事も減ってしまうでしょうし。

L1050025待つこと30分、ようやく私たちも中に入れるときが来ました。城内もアップダウンの連続ですが、なにせ丘のいただきに作られてから600年以上も経っているシロモノとあれば仕方ないかも。この国を治めていた国王や女王の記念館や教会などをゆっくり観て回りました。今日もときどき、強烈な痛みが足の付け根とその周辺を襲ってきます。でも、しばらく休むと元に戻るので、だましだましといった感じで歩き続けました。
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途中、乗り降り自由の観光バスチケットを買い求め、ちょっと遠くにある場所にも足を伸ばします。この間それほど寒くて冷え込むこともなかったので、冷えが原因とも思えません。バスタブにゆっくりつかれば改善するのではないかと、いつも以上に長い時間風呂に。そのときはなんともなかったので、明日になれば……と、さほど心配もせずにゆっくり寝させてもらいました。

エディンバラの町を歩いているとき、足に激痛が!

L10409342015年9月27日
朝10時にはレンタカーを返却しなければならないので、早目にホテルをチェックアウト。この日は朝からひどい霧で、最初のうちは運転も大変でしたが、間もなく空が晴れてきました。10時にはバーミンガム空港のレンタカーオフィスに到着、車を返却後、飛行機のチェックインに。今日乗るのはこちらのLCCの1つflybe航空のエディンバラ行きです。flybeはフィンエアー系の会社で、いかにも北欧っぽい清潔感がただよっています。表向きの運賃は59.99ポンドですが、空港使用料やら税金やらが加わると100ポンド近くになってしまいます。それでもメジャーな航空会社よりは安いですよ。

L10409391時間15分ほどのフライトでエディンバラ空港に到着。空港から旧市街にあるホテルまではシャトルバスで30分もかかりません。3時過ぎには部屋から外に出て観光がスタートできました。ところがです、しばらく歩くと、足に付け根に痛みを感じ始めました。歩いているとそれがどんどんひどくなり顔がゆがんでくるのが自分でもわかるほど。そうなったときは歩くのをやめ、しばしそこいらで座ります。5、6分もすると、何事もなかったかのように回復するので、これはひょっとして、日本にいるときもときどき悩まされている関節の痛みかもと勝手に判断しました。気候のせいか、食事のせいか、それとも長旅のせいか理由はわかりませんが、疲れが出たのだろうと。

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エディンバラは、長年あこがれつつも訪れることができなかったスコットランドの中心都市です。古い町なので、観光スポットも掃いて捨てるほどありますし、何より町の雰囲気が素晴らしそうで、今日から3泊して目いっぱい観てまわろうと楽しみにしながらやってきました。それが初日からこんな具合では、ちょっとなぁ……と心配になりましたが、長い時間うろうろ歩かないかぎりは痛みもなく、ふだんとまったく同じ。夕食もおいしくいただけましたし、明日からまた頑張って回ろうという気持ちで寝みました。