投稿者「edit-house」のアーカイブ

夏日の東京から、冬に戻った酒田・秋田へ

2017年4月20日

前日(4月19日)午前11時発・山形県の庄内空港行きANA便に乗りました。自宅から最寄り駅まで乗ったタクシーにはクーラーが入っていました。東京はこの日まで3、4日、最高気温が25℃を超える夏日が続き、ぽかぽかです。ただ羽田では、「庄内空港行きの便は、現地の気候状況によっては羽田に引き返すことも……」という条件付きの運航。にわかには信じがたいのですが、仕方ありません。

着陸の15分前、奥羽山脈の上空を飛んでいたときはきれいな青空で、出羽三山を覆っている残雪の白さがまぶしいほど。ところが、空港近くになると猛烈な強風です。着陸寸前には風で大きく煽られ、大丈夫かな……と一瞬不安に。しかし、パイロットの腕は確かで、ほとんど衝撃なしにドンピシャリの着陸を決めてくれました。でも、窓の外を見やると雨がぽつりぽつり。予報どおりの天候です。

迎えに来てくださったMさんと食事をし、そのあと空港のやや南にあるホテルまでインタビューに向かいました。途中、横風でがんがん煽られます。2時半にインタビューを終え、酒田市内の取材へ。もうこのころになると気温はぐんぐん下がり、風も強まる一方。

酒田の港近くにある日和山【ひよりやま】公園は、風速20~25メートル。吹き飛ばされそうな状態でした。気温もおそらく3℃前後でしょう。カメラを持つ手もかじかんでいました。それでも前日満開になった桜は凛としています。ひとひらの花びらも飛ばされずにいるのです。ただ、花見客はゼロ、店も開いていません。

IMG_0605

IMG_0612江戸時代の船宿兼倉庫兼販売店といった感じの鐙【あぶみ】屋も、明治期まで栄華をきわめた「山王くらぶ」も、市の資料館を訪れたときもどしゃぶりの雨と強風。チケット売り場の人も恐縮至極というか、「よくもまあ、こんな天気のときに来てくださって……」といった感じで応対してくれました。

酒田から秋田県にかほ市に向かう国道7号線の途中、遊佐【ゆざ】町あたりでしょうか、両側が桜並木になっているところを通過。花は残念ながら半分以上散ってしまっていましたが、満開だったらさぞかし……と思わせます。Mさんが店を開いておられるにかほ市象潟【きさかた】のあたりでは、松尾芭蕉の歩いた奥の細道を車でたどりながら往時をしのび、さらに同市の北にある「道の駅ねむの丘」に立ち寄った(9年ぶり!)あと秋田まで。

さて、今日(4月20日)は朝食後、新幹線の出発時間まで多少時間があったので、ホテル近くの久保田(秋田)城がある千秋【ちあき】公園に足を運んでみました。城と桜というのは黄金の組み合わせというか、全国各地で見られる光景です。まして満開が近いとなれば……と期待しつつ行ってみたのですが、桜はまだ7分程度。週末からが見ごろといった感じでした。昨日ほど寒くなく風もおさまっていたのが救いでした。

桜はいまひとつでも、園内にはいい場所があちこちにあります。露店が軒を並べているのが興ざめといえば興ざめでしたが、まあ、これはご愛嬌でしょうね。

IMG_0643

いささか期待外れの「琉球海炎祭」でした

2017年4月8日

15873363_1426127977406828_4468928143106171792_n

いよいよ今晩は、今回のメインイベント「琉球海炎祭」。那覇市内でまだ足を踏み入れたことのないエリア波の上宮近くにある三重城【みえぐすく】小船溜にある桟橋から船に乗って、会場の宜野湾まで船でひとっ走り。年間を通じて全国で最初という触れ込みの花火大会を海の上から楽しむというものです。

6時半ごろ那覇を出て宜野湾沖合まで45分ほど。8時10分前になって、ようやくスタートしました。ただ、連続してバンバン打ち上がる花火大会を期待していると、うーんということになってしまいます。陸上に特設舞台のようなものがしつらえられ、そこにすわりながら楽しむというのが本筋のようで、今回は安室奈美恵とかが歌を披露していたようです。MCの進行に合わせているので、その様子がわからない海の上では、待ち時間がやたら長く感じられました。

DSC01885花火の打ち上げは1時間ほどで終わりましたが、迫力的にはいまひとつ。また、その間ずっと海上に浮かんだままなのでビミョーな揺れがあり、あまり心地よくありません。ふだんはシュノーケリングとかホエール・ウオッチングに使われている小型船だそうですから、こういう用途にはそもそも不向きなのかも。もっと大きな船で、それなりに広い甲板に大きなテーブルがあって、船内ではビールや軽食が売られ、それをつまみながら……などと勝手に思い込んでいたこともあり、欲求不満が残りました。天気がよかったのがせめてもの慰みかも。

「首里そば」の上をいく「骨汁定食」=980円なり!

2017年4月7日

沖縄も今日でちょうど1週間。前回は「首里そば」についてお伝えしましたが、今回はその名も「骨汁定食」。この店では、名物のそばを作るのに、豚骨に玉ねぎ、泡盛を加えて煮込んだ出しをベースにしているそうですが、それに豚のスネ肉を入れショウガを加えてさらに6時間グツグツ。大ぶりの丼に入って供されますが、まずそのボリュームにビックリ。上から下まで骨、骨、骨。たっぷりの汁の中に、バラバラになった肉、肉、肉。汁はすべてコラーゲンかといった感じもします。ショウガが効いていて、ひとすすりするだけで元気が出てきて、食べ終わったころには顔の肌もつるつる(ウソです)。これで980円は、安~い!

骨汁定食 before

骨汁定食 after 

付け合わせのごはんも、沖縄の定番=じゅうしぃでなく白飯なのは、味付けが濃厚(でも、しつこくはありませんよ)だからでしょう。ご覧のとおり、久しぶりの完食。これほどの大ヒットメニューに遭遇できたのは偶然。前日(4月6日=“新聞をヨム日”)目にした新聞広告──それも、1面のコラム左横という地味な場所で見つけたのが気になり、行ってみたおかげです。

ちなみに、この店の名前は「御殿山(うどぅんやま)」。見た瞬間「おー、沖縄にもうどんの店があるのか」と思ったのですが、琉球方言では「御殿」と書いて「うどぅん」と読むんですね。それと、「そば」は「すば」と言います。「4・6=読む日」に限らず、新聞、読みましょう!

まだまだ“知らない沖縄”が……

2017年4月4日

1日から沖縄に来ています。2日までは「寒気の来襲で真冬並み」だったのですが、昨日からは沖縄らしいポカポカ陽気。今日は「4月下旬並み」の暖かさでした。久しぶりにドライブを楽しむことにし、ここ数年インバウンド需要で大いに盛り上がっているという南城市と、隣接する糸満市へ。

最初に行ったのは知念岬公園。太平洋を見渡す高台にあり、眺望抜群。海岸べりなので、心地よい風が吹いています。パラグライダーの名所らしく、空を気持ちよさそうに飛んでいるのがうらやましい!

浜辺の茶屋3次に訪れたのは、静かな海岸に建つ「浜辺の茶屋」。ここは大当たりのスポットでした。目の前が砂浜というロケーションで、3階建ての古いロッジ風の建物で、3階が地上と同じ高さでルーフバルコニー。2階が屋根付きの普通な感じの店舗、階段を降りた1階はビーチの上にテーブルとイスが並んでいます。

!cid_e3afafe2-aac6-4a81-af9e-5d7d408083de@apcprd04_prod_outlook

奥武島のてんぷら屋

次は、7~8年前に行ったきりで、すっかりご無沙汰している奥武島【おうじま】。目標は、本当から橋を渡ってすぐのところにある刺身とてんぷらが名物の魚屋さん。前は屋台に毛が生えたくらいのちっぽけな店だったのが、いまでは3階建てのビルに変身。1階が即売店、2階はレストランになっています。名物のてんぷら売り場にはなんと行列が! メモ帳に記された品名に数を書き込む、近代的な(?)スタイルになっています。

さらに、海に近いところにも別の3階建ての真新しい建物を発見。中に入ってみると、あるお店のおかみさんが、「おかげさまで2年前にここ(建物)ができまして……」とうれしそうな顔で話してくれました。見ると、隣もその隣も、台湾、韓国からやって来た感じの人たちばかり。いやはや、インバウンド恐るべしです。

 

ジョン万次郎上陸の地奥武島からさらに西へ走り、次に訪れたのは「ジョン万次郎上陸の地」。前こちらを走ったときはなかったスポットで、これも1、2年ほど前に記念碑が建てられたばかりのようです。ジョン万次郎が10年間のアメリカ生活を終えて帰国する際、鎖国を敷いていた日本に直接戻るのを避け、当時は独立国だった琉球を選んだのだとか。そして、無事上陸を果たしたのが糸満市大度【おおど】浜だったそうです。

そこからさらに西へ、ひめゆりの塔を過ぎ南に下ると喜屋武【きゃん】岬があります。沖縄本島最南端の地──と思ったのですが、スマホでググってみると、「東南東約1.4km離れた荒崎が実の最南端」と。この一帯は沖縄戦の激戦地で、アメリカ軍から逃げたきた住民・日本軍は自決し最期を遂げたとのこと。慰霊塔が建っているのはそのためなんですね。最北端の辺土【へど】岬は観光客がいっぱいですが、こちらはなぜかまばら。270度といった感じのパノラマビューで太平洋と東シナ海が見渡せる素晴らしい場所なのですが……。

岬から車で5分、やはり海岸の崖っぷちにある具志川城跡もユニークでした。石灰サンゴで作られた石垣が海城であることの証。よくもまあこんな場所に城をと思わずにはいられません。

具志川城跡2

糸満市の中心部に入ると、マイナーながらもあちこちに観光スポットがあります。漁業がメインのこの町の氏神を祀る白銀堂。小ぶりな神社ですが、素晴らしい色彩の屋根が印象的です。本殿が背後の山にくっつくように建っているのは神社の伝統的なスタイルでしょうか。

糸満 山巓毛山巓毛【さんてぃんもう】は、糸満の海近くにある展望台のような場所。太平洋戦争中は、防空監視所として使われていたのだとか。レーダーなどという近代的なものは、こんなひなびた場所にはなかったようです。ただ、軍事的にはかなり重要な場所ではないかと思いますが。

最後に行ったのは高嶺小学校の敷地の中にある南山【なんざん】城址(歴史的にはこの逆でしょうか)。すっかり荒れ果ててしまっていますが、往時は威容を誇っていたのでしょう。墓所とおぼしき横長の巨大な石とガジュマルの群生が印象的でした。

南山城跡2

「イッペー」の花城跡の向かい側にある高嶺中学校の敷地に咲き誇っていた黄金色の花の美しかったこと。この季節、沖縄のあちこちで見かけますが、通称「イッペー(イペー)」といいます(正しくは、ノウゼンカズラ科の落葉高木で、コガネノウゼンまたはキバナノウゼン)。もともとはブラジル原産の落葉樹(国花でもあるそう)=イペー(Ipe)だそうで、琉球方言で「いっぱい」「とっても」を意味する「いっぺー」と一体化してしまったようです。

「ロマノフ王朝展」と夜のしだれ桜を一気に

2017年3月30日

来週は東京を離れるので、その間に開催が終わってしまう「ロマノフ王朝展」を観にいきました。会場は文京区の本駒込【ほんこまごめ】にある「東洋文庫ミュージアム」。入場料は正規だと800円ですが、シニア料金(!)で半額。初めて行ったのですが、たいそう立派な施設で、驚きました。

!cid_845EF6BA179AC66780600FA97CE7C3F1E6F8F522@edithousejp_onmicrosoft

本駒込といえば、東京では古くからのハイクラスな住宅街ですが、そこを東西に走る広い通り沿いに建っているので、すぐにそれとわかります。「東洋文庫」というくらいですから、もともとは図書を収蔵するところ。1917年、三菱の第3代当主・岩崎久彌が中華民国総統府政治顧問G・E・モリソンの蔵書を購入し、24年に財団法人東洋文庫を設立しました。国内では最古・最大の東洋学の研究図書館だそうで、蔵書数は現在約100万冊。その中から、国宝・重要文化財にも指定されている貴重な書を選んで展示するミュージアムが2011年にオープンしたそうです。

 

!cid_5DD6D9820CCECB49820FBB40AC1C8F7595F8C26C@edithousejp_onmicrosoft“今年(2017)はロシア革命から百年。裏を返していうと、ロマノフ王朝が滅亡してから百年ということになります。 かつてヨーロッパからアジアにまたがる広大な領域を支配した強大にして華麗なるロマノフ王朝。今日のロシアの社会と文化の礎はロマノフ王朝300年の歴史の中で築かれたといっても過言ではありません。 ロシアは日本から最も近い隣国です。史上まれにみる巨大帝国の栄枯盛衰を、日本との交流という視点からたどってみましょう”と案内のチラシに書かれているように、宝物展ではなさそうです。

 

私が関わっているNPO法人「日ロ創幸会」の研修で行ったサンクトペテルブルクやモスクワでも、ロマノフ王朝の宝物をたくさん観ましたが、今回展示されているのは知的財産というか、史料的価値の高いものばかり。キラキラ・ピカピカの宝物とはまた違う、文化・文明への探求心とあこがれが感じられます。

 

入ってすぐのホールに「特別名勝 六義園【りくぎえん】」のジオラマが、解説付きで展示されていました。そういえば、「東洋文庫」の前の広い通りを渡ってすぐのところにあるのですね。しかもちょうど「しだれ桜と大名庭園のライトアップ」という催しが4月2日まで開催されているというので、行ってみることに。

 

入口で入園料(こちらもシニア料金で半額!)を払い中に入ると、木曜日だというのに、けっこうな人出です。正門を入ってすぐのところに植わっている大きなしだれ桜の前にはカメラを手にした人が群がっていました。高さは10m以上あるでしょうか、花びらは鮮やかな濃い目のピンク。ソメイヨシノとは趣が違います。しかも、樹高の高い部分はピンクが少し薄めに見えます。その微妙な差が前方の濃い目のピンクをいっそう引き立てていました。

 

!cid_0F60769BD77E85226E55FF23D0DB756B28B7BD42@edithousejp_onmicrosoft「六義園」というのは元禄年間、川越藩主・柳沢吉保が7年の歳月をかけて作った回遊式築山泉水の大名庭園。それが明治時代になって、三菱の創業者・岩崎彌太郎の別邸になり、1938年、東京市(当時)に寄贈されたとのこと。和歌に歌われる88の景勝地にちなんだポイントが随所に配されており、なかでも紀ノ川、片男波【かたをなみ】、仙禽橋【たずのはし】、芦辺【あしべ】、新玉松【にいたままつ】、藤白峠【ふじしろとうげ】など、紀伊国(和歌山県)の景勝地が多いようです。

若の浦に 潮満ちくれば 潟【かた】をなみ 葦辺をさして 鶴【たづ】鳴き渡る

 

高校時代、古文の授業で習いましたが、『万葉集』にある山部赤人【やまべのあかひと】の有名な歌にそのいくつかが出ています。たしか、古典の文法の要素がぎっしり詰まった素材として覚えさせられたように記憶していますが、そんなことより、三十一文字の中にいくつも名所が散りばめられていることを知り驚きました。

IMG_0554

 帰路、「六義園」といい「東洋文庫」といい、この一帯はすべて三菱の所有だったことを思い起こしました。そういえば、上野の近くにも「旧岩崎邸庭園」というのがあります。三菱は丸の内だけではないのですね。家に帰り、「東洋文庫」のウェブサイトを見てみると、スポンサーには三菱系の大企業がびっしりと名前を連ねていました。拙宅の大家さんもその末裔といわれる岩崎さん。不思議な縁を感じます。

函館で出会った素晴らしいスペイン料理

2017年3月22日
今日は充実した食生活を経験できました。今回2泊したホテルの朝食バイキングもよかったのですが、今日は古川市場の名物「のっけ丼」を食べようと決めていました。7時半過ぎにホテルを出て5、6分歩くと市場が。

IMG_0521

入口を入ってすぐのところにある小さな店先にすわっているおばちゃんから食券を買います。10枚つづりで1080円也。市場の中に魚屋、八百屋、乾物屋があるのですが、どの魚屋でもいいので、好きな食材を選び、ご飯の上にのっけてもらいます。それぞれ必要な食券の枚数が決まっていて、それを渡します。そうやってマイ丼を作り、最後に味噌汁とおしんこを受け取って(食券1枚)朝食が完成。市場のところどころにテーブルとイスが並べられていて、そこで食べるのです。

女子旅とおぼしきグループや老夫婦、単身赴任風の男性、外国人のバックパッカーなど、平日なのでお客の数はそれほど多くはないのですが、バラエティーたっぷり。私ののっけ丼=中トロとハマチ、甘エビ、シラス、しめ鯖、タラの白子をのっけた丼は、写真を撮るのを忘れてしまうほどおいしそう(言い訳にしか思えないでしょうが)。もちろん、最高においしかったですよ。

夜は新青森から新函館北斗まで新幹線で移動し、そこから乗り継ぎの電車で函館駅まで。東埠頭近くのホテルには7時半にチェックインしました。フロントで名前を告げると、「前とご住所はお変わりありませんか?」と尋ねられました。なんと、10年前にこのホテルに泊まっていたのです。そこまでリサーチしているこのホテル、たしかに部屋は快適、眺めも最高です。

!cid_7d6d5887-e028-46a3-9ba5-add30c484ee1@apcprd04_prod_outlook夕食を取ろうと、部屋でさっとググってあたりをつけた店に直行。「ラ・コンチャ」というスペイン料理のレストランでしたが、ピンチョスのおいしかったこと。ひとりで6、7種類食べられれば、いうことなしです。ワインも進み、グラスで3杯空けてしまいました。ここ1週間、横メシとおさらばしていたせいもあるのでしょうが、素晴らしい夕食でした。

青森で経験した哀しい時間

2017年3月21日
昨日は3連休の最後の日。夜8時半ごろ。食事にしようとホテルを出ました。県庁所在地の駅前を走るメイン通りに出たのですが、でも、夕食を食べる店がないのです! おいおい、ここは魚の名産地じゃないのかと、街を歩く人──といっても、ごく少ないのですが──にききたくなってしまいます。

「食べる」というのは不正確で「食べたい」が正確な表現でしょうか。あるのは、日本海庄や、笑笑、魚民、山内農場、弁慶といった全国チェーンの居酒屋ばかり。匠庵、月あかり、北のまつり、三代目網元、井戸端は地元の居酒屋チェーン店。さらに吉野家、ガストときてはもうお手上げです。70歳近くなって吉野家でもありますまい。

30分ほどあちこち探し歩いたあげく、結局コンビニで出来合いの串焼きとチーズを買って、チューハイで流し込みました。いかにも体に悪そうですが、致し方ありません。

IMG_0504しかし、平日の今日のほうがはもっと悲惨でした。早く店も閉まるのだろうと、6時半にホテルを出たのですが、食べたい店がないのです。最後はあきらめて、そば屋で済ませました。通りには信号がありますが、どの交差点も、信号無視で悠々渡ることができるのも驚きました。クルマの往来が少ないというか、信号などあってもなくても同じ。さびしいのを通り越し、もう哀しくなってしまいます。ALASKAと書かれた看板を目にしましたが、アラスカの雪原の中にいるような気持ちにさせられました。

でも、地方の都市の現実というのはこんなものなのでしょう。鳥取や佐賀でも同じようなことを経験しましたが、青森ほどではありませんでした。そういえば、昨日の夜、降りた新青森の駅も、まわりには何もなかったなぁ。東海道新幹線が開業したときの新大阪駅のまわりもさびしいものでした。でも、50年以上が経ったいまでは、そこそこにぎわいを見せています。新青森駅にそういう日が来そうかと聞かれると、黙るしかありません。

高校時代の仲間が台湾に大集合!

2017年3月19日

16日から台北に来ています。昨年11月初めの“合宿”で決まった台湾行きが実現したのです。最初は4人の予定でしたが、日本のメーカーN社の中国現地法人で最後は総経理(社長)を務めていたYNくん(名古屋在住)が、「それはおもしろい。私も行きたい」と手を挙げました。大学も中国語専攻でしたし、上海・天津・北京に通算20年も赴任していたとあって中国語はペラペラのYNくんですから、私たちにとっては心強いかぎりです。そこで、5人分の航空券やらホテルの予約をしました。

年が明けた2月、同じ高校の仲間で、30年前にバンコクで会社を立ち上げたSくんから、久しぶりに電話がかかってきました。私からSくんのことを聞いた同じ高校の友人Hくんがバンコクに自分を訪ねてきたというのです。それで電話をくれたのですが、何の気なしに、「今度、私と、MIくん、MUくん、Yくん、YNくんの5人で台湾に行くことになった」という話をしたら、「それはいいね。私も仲間に入れてくれ」とのこと。中華料理は、人数が多いほど楽しめるので、異存などあろうはずがありません。電話のあとすぐ、私たちのフライトや宿泊先の情報をメールしました。

 その2日後、「飛行機は予約したし、ホテルも同じところを取ったから」というメールが。というわけで、5人が東京から(うち1人は名古屋から)、1人がバンコクから台北に集結。同じ明和高校同窓同期の仲間としては、記念すべき(!?)初めての“海外合宿(=研修会)”となったしだい。羽田発のEVA航空で台北松山空港に着いたのは午後2時前。ボーディングパスにキティちゃんには笑ってしまいました。還暦をはるかに過ぎたオヤジですよ。乗客は若い女性や子どもだけではないのに……。空港まで、YNくんの古巣N社台湾法人の方が車で出迎えてくれました。

!cid_A9BE7280DF27ABD469D61F5006968FD141FAD14C@edithousejp_onmicrosoft

  IMG_0425 (3) IMG_0436 (6)ホテルに着きチェックインすると、すぐ「故宮博物院」へ。途中、お茶屋さん(「昇祥茶行」)と、台湾随一というパイナップルケーキ屋さん(「李製餅家」)に立ち寄ってお土産を買い、そのあと中山北路と南京東路の交差点近くにあるレストラン(「山海楼」)へ。いささか高級に過ぎたきらいもありますが、100年以上前に建てられた屋敷をそのままレストランにしたというこの店、とても印象深く、記憶に残りそうです。最後は台湾の定番・足裏マッサージで疲れを癒しホテルに。バンコクから飛んできたSくんもチェックインを済ませているとわかり、食事がまだというSくんと一緒に、またまた食べに出ました。

 

IMG_0439 (8)

IMG_0456 (5)

IMG_0468 (4)翌日は九份へ。茶館(「九份茶坊」)でお茶を飲み、土産物街をうろうろ。あいにくの天気で眺望は楽しめませんでしたが、昼食は東海岸の景勝地・鼻頭角にある海鮮レストラン「海園」。ここはたいそう美味でした。台北に戻りしばし休憩ののち、士林の夜市へ。ここからのアテンドはなんとN社の台湾法人C社長。食事のあとはその案内で行ったカラオケに興じました(林森北路「ひまわり」)。C社長のお話どおり、ママの歌はプロも顔負けのうまさ。聞けば、お姉さんはプロの歌手で、日本でもときどきコンサートをおこなっているとのことです。

ちなみに、この店の女性は全員、少数民族(先住民)の末裔で、夜10時になると、民謡を合唱で聞かせてくれます。最後は私たちも全員、女性たちの輪に加わり、声を出しながら踊りました。キホン明るいメロディーなのですが、どことなく悲哀を感じさせる曲に、なぜか目がウルウル。台湾における少数民族の歴史はいささか物悲しく、全員、飲みながらも複雑な思いを抱きながらホテルに戻りました。

部屋に戻ってノートPCをググってみると、ママのお姉さんは愛称「阿妹(アーメイ)」といい、プユマ族(卑南族)の出身だとか。本当の名前はグリライ・アミトゥ(Kulilay Amit)とあります(中国名は張惠妹)。妹(「ひまわり」のママ)は張惠春という名で、従姉妹の陳秋琳と3人で組んだユニット「阿妹妹(アーメイメイ)」もあることがわかりました。日本でも何度か公演しているようで、こんど来日したときはぜひ行かなくては。

IMG_0490 (3)3日目は、戦前からある老舗の茶館(=「紫藤盧」)で昼食。なんでも、「2・28事件」のとき、蒋介石政権に反旗をひるがえした仲間たちのたまり場だったといいます。その後、「2・28記念館」を見学し、北投【ペイトウ】の温泉地へ。川っぷちにある「川湯」という日帰り温泉でひと風呂浴びたあとはまたまた宴会に。

IMG_0495

 
風呂上がりのビールは格別でした。夜は、おいしさと安さでなかなか予約が取れないといういう北京ダックの店「龍都酒楼」へ。食べる前に、焼き上がったダックを丸ごと披露してくれたのにはびっくり。味もハイレベルでしたよ。

 

 

 

最終日の4日目(3月19日)は朝から「台北101」へ。あいにくの曇り空で、眺望はゼロ。展望台のある89階の広いフロアに、先住民とおぼしき衣装を着た団体が観光でやってきていました。一昨日そうした話を聞いていただけに、なんという民族なのか気になったのですが、結局わからずじまい。

IMG_0475 (2)

 

IMG_0499 (2)ホテルに引き返し、C社長と「中正紀念堂」を見学したあと、C社長も初めてという1人前750台湾ドル(日本円で3000円くらい!)という牛肉麺(台北牛肉麺コンテストで1位に輝いたそうです)を食べ(中山北路の「晶華酒店=リージェント台北ホテル」)、空港へ。夕方の便で帰国しました。バンコクから参加のSくんも、仕事のため後発の別便で東京へ。私たちのEVA便が遅れたため、なんと羽田の荷物受取所で再会するというおまけ付き。

YNくんは中国でN社現地法人の社長を務めていたので、現在は顧問ですが、その「御一行様」という扱いで、同社の台湾法人の皆さんには何から何までお世話になってしまいました。かえって申し訳ないことをしたなぁと、わたし的には反省もあります。でも、それ以上に、こういうフルアテンドの旅というのも、たまにはいいなと思ったりしました。次回はバンコクで「研修会」をという話もまとまり、いまから楽しみです。

2年ぶりのドミンゴ、おまけは皇后陛下!

2017年3月13日
おととしの秋、ラスベガスで偶然、楽しませてもらったドミンゴのコンサートがありました。共演はルネ・フレミング。ソプラノではいまナンバーワンといわれるアメリカのオペラ歌手です。といっても、そのレパートリーはたいそう広く、ほとんどなんでも歌いこなしてしまいます。最近も、3年前の「スーパーボウル」で、試合開始前に国歌を斉唱。これはオペラ歌手としては初めてでした。

そのフレミングが相手とあってはドミンゴも張り切るはず。名曲の数々を披露してくれましたが、いちばんノッていたのは、ラスベガスのときと同じ『ベサメ・ムーチョ』でした。母国語の歌ということもあるでしょうし、ドミンゴ自身が心の底から楽しんでいる風がありあり。

!cid_ba50c32b-dd76-457a-a101-8a2dd2106cbe@apcprd04_prod_outlookそうそう、もう一つおまけがありました。皇后陛下がお聞きにいらしていたことです。途中の休憩とき、用を済ませ席に戻ろうとしたら警備の人から「すみません、VIPが通るので、しばらくこの通路をふさがせていただいています。お急ぎなら……」といわれたのですが、はて、誰だろうと思いました。たぶん皇族だろうなとは推測しましたが、まさか皇后陛下とは! しかも、私たちが座っている2階のほとんど同じ列。距離にして10メートルほどだったでしょうか。これで去年・今年と、半年の間に2度、両陛下と出くわしたことになります。S席38000円は恐ろしい値段ですが、『ベサメ・ムーチョ』と皇后陛下で元は取れた(?)ような気がします。

 

京都っぽくない名前の「城南宮」で、しだれ梅を堪能

2017年3月7日
明日・明後日と京都で所用があり、今日は前泊の予定です。「いまごろは梅が満開じゃないかしら。せっかくだから観てみたいわね」という家人のつぶやきが聞こえました。そういう話なら、即ノリです。どうせならということで、早起きして午前10時過ぎに京都着の「のぞみ」に乗りました。

最初に行ったのは、京都駅からJR奈良線で30分ほどのところにある山城青谷【あおだに】。その近くにある「梅谷梅林」が目的地。ちょうど「梅まつり」の最中で、期待しながら向かいました。ここは、梅がたくさん植えられている庭園ではなく、いわゆる生産農家が小高い丘全体に梅を栽培しているという触れ込みだったからです。有名な北野天満宮の梅とはかなり様子が違うのではないかと。
!cid_766A7451BFECD777ED030C74D1F7CCE93A5B8763@edithousejp_onmicrosoft
しかし、残念なことに花の開きがまだ二~三分で、全然物足らないのです。金曜日なので、それなりに人が訪れてはいましたが、「ワーッ!」とか「すご~い!」といった歓声は聞こえてきません。

このままでは……と思い、急遽方針を転換。近くに別の梅見の場所はないかと、タブレットで探すと──、ありました! 同じ奈良線で少し京都方向に戻り、近鉄電車に乗り換えてすぐのところに、「城南宮」というやはり梅の名所が。画面を見ると「満開」とあり、そちらに行くことにしました。

途中昼食をはさみ、午後2時ごろ到着。最寄駅は近鉄奈良線の竹田で、駅から徒歩15分のところにあります。ただ、途中の道筋は京都らしい風情がほとんどなく、ホントこんなところにあるのだろうかと心配になりました。「城南宮」という名前も、いまひとつ京都っぽくありません。「宮」というので、最初は皇族の別邸のようなところをイメージしていたのですが、なんのことはない、神社なのです。たしかに、神社も「宮」といいますからね。

しかし、これが大ヒットでした。神社に付随する庭園の一角(といっても広いですよ)に、しだれ梅がびっしり。どの木もホント満開でした。梅は、咲いている期間が長いのが桜と違いますが、これだけ素晴らしい花を咲かせていれば、さぞかしたくさんの人が観に訪れるのではないでしょうか。

!cid_5d2f4521-d956-4f7b-a2cf-d169522673a4@apcprd04_prod_outlookちなみに、今回初めて知ったのですが、「城南宮」の創建は794年で、白河天皇が「鳥羽離宮(城南離宮)」を作られたのを機にその一部となったとのこと。歴代の天皇・上皇もしばしば訪れておられるようです。位置的に京都御所の裏鬼門にあたることから、貴族の方違【かたたがえ】用の宿所として用いられ、方除【ほうよけ】の神として信仰を集めた時期もあったといいます。その後応仁の乱で荒廃したものの、江戸時代に復興。1868年の「鳥羽・伏見の戦い」では主戦場となったそうです。

IMG_0403

梅が植わっているのは「春の山」といに名の庭園。ほかにも4つの庭園が配されていました。それぞれ個性があり、あっという間の1時間でした。
DSC01546

内容もさることながら、造本の妙味を感じさせられた本

2017年3月5日

51MaV8PrLcL

 
津田久美子さんの『ルワンダに灯った希望の光─久美子のバナナ和紙』という本ができ上がり、版元から見本が届きました。四六判並製・240ページオールカラーで、著者の心やさしさがそのまま伝わってきそうな親しみやすいカバーが、まず目をとらえます。ページをぱらぱらめくると、本文用紙のやわらかい感触が指先に伝わってきます。ふんだんに使われているカラー写真の発色がとても素晴らしく、それだけを追いかけていても飽きが来ません。みごとな仕上がりで、この1年間、その編集にたずさわってきた私にとってもうれしい一書になりそうです。

版元の書肆侃侃房【しょしかんかんぼう】さんは、15年来親しくさせていただいている田島安代さんが営む福岡の会社。柔軟でふところの深いセンスには日ごろから敬服していたのですが、今回の本で見せてくださった本づくりに、その思いをますます深くしました。というか、「造本」ということの意味合いを改めて考え直させられたように思えます。

どんな本も紙に印刷するのですが、紙といっても、写真集や画集に使うアート紙、漫画雑誌に使われているザラ紙、それと普通の本を印刷するための書籍用紙(「コート」とか「マットコート」「上質紙」「特殊紙」とかさまざま)など千差万別。広告チラシのように1枚こっきりではないので、ページを繰るときの感触が、その本のテーストにも大きく影響してきます。また、本文の印刷に使われるインクとの相性、写真や図版の映え・色の乗りなどとの関わりも含め、紙選びは本の命を左右するといっても過言ではありません。

年か8万点を超える新刊本が出版される昨今の出版界にあって、そうしたことにまでこまかく気を配る版元は少ないように思えます。しかし、田島さんのところは、そのあたりが違います。結果、そのテーマ、内容にぴったり合った造本がなされ、手に取った読者を、より心地よくしてくれるのです。いい洋服を試着したときの感覚と似ているかもしれません。
そして、ページを繰りながら読み始めると、その段階でも読み手はさまざまな感想を抱きますが、この本の場合どうでしょうか。編集者としてはとても気になる部分です。

 

内容は──。販売促進用に作られたチラシの言葉はこんふうになっています。
50代後半で一念発起、大使館勤めを機にアフリカへ。
舞台は、凄惨をきわめた内戦のあと国家再建の途上にあるルワンダ。
経済格差に苦しむ農民を支援したいと「エコ・バナナペーパー」を開発し、
新たな雇用の創出に汗を流す著者12年間の奔走記。

ちなみに、著者の津田久美子さんは、私の仲人を務めていただいた方です。些細ではありますが、ご恩返しができたような気がします。いや、売るための算段をしなければそうはならないかも……。

 

若手メンバーの起用で楽しみが増えた今年のサンウルブズ

2017年2月25日

 
今年で「スーパーラグビー」2シーズン目を迎えたサンウルブズの開幕戦を観に行ってきました。場所は秩父宮です。昨年同様、外壁には「スーパーラグビーで世界を驚かせよう!」と書かれた巨大な横断幕。観客もほぼ同じくらいの数の人が来ています。スタジアム前の狭いスペースにテントを張り、各種のグッズを販売しているのも同じ。ただ、いまひとつ食指が動かないのは、デザインのセンスに物足りなさを感じるからです。

スタンドに上がる前、マッチカタログは購入しましたが、シーズンカタログはパス。去年と同じ月刊ラグビーマガジンの付録を表紙だけ取り替えて売っているのがわかったからです。進歩がないというか、安易というか……。私も含め、大方のファンは呆れているにちがいありません。初めてゴール裏に設けられた特設ステージではロックバンドのライブもあったよう。選手入場時にグラウンドから噴き上がる火炎は、昨シーズンより迫力アップしていました。

DSC01438

試合のほうは、昨シーズンの覇者ハリケーンズ(NZ)が相手。おととしのワールドカップで最多の8トライをマークしたWTBジュリアン・サヴェアらオールブラックスの経験者も4人が先発で出ていますから、「世界を驚か」すような結果はほとんど期待できません。ただ、1週間前の壮行試合(対トップリーグ選抜)は緊張感あふれる素晴らしいプレーを見せてくれていたので、どこまで迫れるかという期待も多少はあります。でも、現実は厳しーーい! ホイッスルが吹かれてまだ10分しか経っていないというのに3つもトライを取られてしまっては、ウーン……とうなるしかありません。前半は5対45で終わらいましたた。

DSC01442ただ、サンウルブズのほうは、ケガや故障でレギュラーメンバーがそろっていません。フィフティーンのうち、SOの田村熙、WTBの福岡堅樹、中鶴隆彰ら7人がスーパーラグビーではデビュー戦。トップリーグでは最高ランクの選手ですが、こうした大舞台でどうなのかは未知数です。もちろん、それゆえの期待もあります。ラグビーはやはり、ゲームを戦わなければ成長できないからです。

 

後半も、すっかり見慣れてしまった、インターセプトからのトライを3つも決められ、19分を経過したところでスコアは5対83。こうなると「100点は取られるなよ」と祈るばかりです。それでも29分に、途中出場の金正奎(早大→NTTコミュニケーション)、37分には今シーズンから加入のヴィリー・ブリッツ(南ア→同)がトライを決め、17対83まで持ち込みました。66という得点差はチーム結成以来最多ですが、昨年5月、オーストラリアのキャンベラで観た、超ワンサイドのブランビーズ戦(5対66)のときほど情けなさを感じることはありませんでした。最後の20分は大いに見せてくれましたし。大成長と言っていいでしょう。今シーズン、少しは楽しみになってきました。

初めての「首里そば」

2017年2月15日

もう10年近く沖縄に通っているのに、食べていないもの、行ったことのない場所がまだまだたくさんあります。今日はそのうちの一つ「首里そば」を体験。会社の分室からは車でほんの数分、住宅街のただ中にお店はありました。11時半開店・売り切れじまいという店に着いたのは12時ジャスト。早くも行列ができています。

見たところ、ほとんどが観光客。なかには、中国語を話しているカップルやグループの姿もあります。入口で靴を脱いで中に入るのですが、全体の造りがいかにも沖縄風、というか首里の格調高さのようなものさえただよっています。木でできたテーブルも椅子も落ち着いた感じで、心がなごみます。

DSC01431

メニューはごく単純。そばの小・中・大とおにぎり、じゅーしー、あとは煮付けです。おにぎりはジューシーと形は違えど同じものですから、実質は3品。そばは腰があり、あっさり系のだしがなんともいえません。煮付けも関西風のおでんを彷彿させ、さくさく食べられます。が、最高においしかったのは沖縄そばにつきもののソーキ=豚肉。

!cid_275dc2c7-c143-4591-bec7-8a25c563b46b@apcprd04_prod_outlook

店を出て高速に乗り、許田インターまでひとっ走り。そこから名護市営球場まではすぐです。日本ハムと韓国のサムスン・ライオンズの練習試合があるというので、観にいってみました。球場周辺はどこの駐車場も満杯で、整理にあたるスタッフも忙しそうです。とまっているクルマの3分の2が「わ」「れ」ナンバーのレンタカー。さすが、日本一になったチーム、客の集まりもいいようです(それでもソフトバンク)、阪神よりは少ないとのこと)。

おもしろいのは、試合そっちのけの人がけっこういること。試合後、選手たちが引き上げるルートが決まっているようで、その両脇に出待ちをしているファンがびっしり。サインをしてもらうための色紙を持ち、カメラを握り締めながら時間をつぶしています。こういう人が本土からたくさん来てくれるのですから、選手の士気も高まるでしょうし、何より地元がうるおいます。まして、今日は平日。週末ともなるといったいどうなんでしょうか。

1時間ほど球場にいて、那覇までは58号線とは逆の、東海岸を行くことに。いつもは高速でさっさ帰ってしまうのですが、初めての道を通ってみようというわけです。ほぼ海岸に沿って走る道はもちろん一般道。とはいえ、場所によっては高速とほぼ同じようなフィーリングで走れる部分もあります。間近で海が見られるのも気持ちがなごみます。久しぶりのロングドライブでいささか疲れはしましたが、初めて通るところなので、飽きませんでした。

2日続けて「いい映画」に出会う

2017年2月14日

昨日、今日と2日続けていい映画を観ました。昨日は『ザ・コンサルタント』、そして今日は『この世界の片隅に』。まったく毛色は違うものの、ズシンと心に残る作品です。

320『ザ・コンサルタント』のキャッチフレーズは、「“2つの顔”を持つアンチヒーローが、あなたを虜(とりこ)にする──全米初登場NO.1 超本格サスペンス・アクション! 天才的な頭脳を持つ会計コンサルタントであると同時に、圧倒的な殺人スキルを誇る殺し屋。果たして、この男は何者なのか?」

アクションなので基本はドンパチなのですが、善と悪(それもハンパないレベルの悪)の両面を併せ持つ主人公が、この作品ではもっぱら善の部分を演じています。ただ、途中から命を狙われるようになると、一転、持ち前の悪の部分が顔を出します。敵とのドンパチも、そんじょそこらの武器ではなく、軍事仕様の超ハイレベル。やられるほうも肝をつぶすような代物です。

しかし、この映画はそこにシリアスな要素、そしてなんともヒューマンな色合いもからんできます。何より、そうした人生を歩むことになった背景には、自身のメンタルな病歴と、それを乗り越えさせようと強引な教育をほどこした父親の存在が……。この種の映画でウルウルした経験はこれまでありませんでしたが、それが違うのです。

 

507e0f31f5a568e5『この世界の片隅に』はロングランを続けているアニメ作品。絵が丁寧というか、ディテールまでしっかり描き込まれているのにまず感動します。そして、ヒロインの声(のん=能年玲奈)が主人公「すずちゃん」とフィットしていること。声がここまでイマジネーションの世界を広げるんだというのは新鮮な体験でした。

 

舞台は、太平洋戦争中の広島県・呉。知識としては知っている「空襲」ですが、その恐ろしさがこうまでとは……。きちんとした取材がベースになっているのがひしひしと感じられました。その空襲が1日に何度も、昼となく夜となくあるのですから、地上に暮らす人たちのストレス、いな恐怖感は想像を絶するものがあります。

 

かわいい、愛嬌さえ感じられる絵に魅せられ、そうしたシリアスな部分が二の次になってしまいそうですが、それがこの映画の最大の特徴でしょう。たとえば広島に原爆が落ちる瞬間のシーンも、悲壮感の描き方に‟等距離感‟があります。それがかえって、ホンワカした心にずっしり重たい課題も残すという、これまでにない新鮮な経験をさせてくれました。恐ろしいもの怖いものを、ことさら強調する方向で描くのではなく、逆方向、日常生活の視点に立って淡々と表現することで、その存在感・重量感がむしろリアルに迫ってくるのです。

1週間で3回、雪の東北に

2017年1月24日

1月17日から8日間で3回、東北地方に行きました。17・18日は秋田、20・21日は宮城県の石巻、24日が山形県の酒田(日帰り)です。秋田は「北前船寄港地フォーラム」の新年会@秋田メトロポリタンホテル、20日は女川温泉に1泊し、翌21

日の昼間は石巻の百俵館でおこなわれた「3・20」イベントの実行委員会発足パーティー、そして24日はこれから書き始める単行本のインタビュー。

 

雪でスケジュールが多少狂ったのは24日の酒田だけで、それも特急列車が30分ほど遅れたくらい。飛行機が飛ばなかったとか、列車が運休したわけではないので、ダメージはほとんどなし。しかし、1週間に3回も長距離移動があると、知らず知らずのうちに疲れがたまっているにちがいありません。

 

21日の会合で行った百俵館というのは、とても味わいがある建物で、震災後、石巻市川の上地区で始まった、「まちを耕し、ひとを育む」という理念のもとで進められている「川の上プロジェクト」の拠点として使われています。もともと400世帯ほどが暮らしていた川の上地区に、「防災集団移転」ということで、沿岸部から約400世帯が移り住んでくる計画がスタート、今年いよいよ実行になるのだそうです。

 

しかし、同じ石巻市といっても、まったく異なるバックグラウンドを持つ人たちが共生するとなると、住民がお互いに親睦を深めなくてはなりません。そのための場所として、もともと農協が精米や搾油の作業場として使っていた倉庫を改築し、子どもも大人もいつでも本を読み、学び、地域の未来に向けて語り合える公共の図書館+カフェとして作られたのだそうです。新旧の住民どうしが交流を深める場として、まちづくり勉強会と懇親会を兼ねた「イシノマキ・カワノカミ大学」という催しが毎月ほぼ1回おこなわれていると聞きました。

 

木造2階建ての建物の中の3分の2はそのための公共スペース、残り3分の1がカフェになっています。この日私がいたのは12時から3時半ごろまででしたが、その間、7、8席のカフェにはさまざまな人が出入りしコーヒーを飲みながら談笑していました。それとは別に、毎月第3日曜日にはマルシェのような催しも開かれ、所期の目標は実現できているようです。

DSC01421

 

DSC014183方が床からほぼ天井まで書棚が作り付けになっていて、そこには大人も子どもも楽しめる本がかなりの数、置かれています。マンガもあれば、絵の描き方を教える入門書、郷土の本、健康の本、旅行の本など、所狭しと並べられていて、見た目はまさしごく「図書館」。私もこの日、拙著『100通りのありがとう』を寄贈させていただきました。ほかにも、震災にかかわる本が何冊も展示されているなど、建物の保有主の性格が手に取るようにしてわかる本が並んでいます。

 

DSC01424正午に始まったパーティーは、2年前ニューヨークでの「9・11」コンサートでもご一緒した女性(楯石千恵子さん)が司会。なめらかな話しっぷりで、30人ほどの参加者もすぐ溶け込み、3月20日に石巻市でおこなわれるミュージカルシネマ『100通りのありがとう』上映会に向けた実行委員会の主催。上映会のチケットをどうさばいていくかについて検討するための集まりです。手作りの料理や差し入れが山ほど届けられ、それをつまみながら、またミュージカルをプロデュースし脚本を書き舞台監督を務め音楽も全部作った寺本建雄さんのトークショーも楽しみつつでしたので、あっという間の2時間でした。

十両・宇良の相撲に感動

2017年1月11日

DSC01400

昨年9月以来の大相撲観戦です。土俵までの距離がわずか6、7メートルと、とてもいい席で観られ、まずそれだけで感動。そこへまた、別の感動が加わりました。十両東3枚目の宇良です。

 

関西学院大出身で、昨年の春場所、幕下付け出しでデビュー、夏場所(5月)に十両に昇進しまだ1年足らずですが、学生相撲のときから「居反(いぞ)り」が得意なユニークな力士と知られていたとのこと。身長173センチ、体重128キロと体は小さいのですが、俊敏さと体の柔らかさは、いまの関取の中ではナンバーワンではないでしょうか。

 

この日の相手は東筆頭の豊響。丁々発止の攻め合い・守り合いが続き、巨漢の豊響(185センチ・184キロ)に上からのしかかられるように土俵際まで寄られ、もうダメかと思いました。ところが、体を思い切り沈めたところから、バネのようにしならせながら上体を起こし、そこから逆攻勢に。最後は「わたしこみ」で豊響を土俵下に沈めました。体の柔らかさには定評のある宇良ですが、今日はその真骨頂が出た感じで、客も皆大喜び。小兵が大きな力士に勝つ面白さを堪能させてもらいました。こういうことがあるので、大相撲は楽しいのです!

 

なお、私が個人的に応援している尾車部屋の関取(十両の天風、幕内の豪風と嘉風)3人は、今日は全員負け。残念でした。あと、御嶽海は結びの一番で横綱・鶴竜を圧倒。強かったですよ。いつにも増して目立った外国人の観客(私の席のすぐ前も黒人の女性でした)も、今日はめいっぱい楽しめたのではないでしょうか。

目の前にあるホテルに行くのもタクシーで

2016年12月28日

というわけで、この時期、ラスベガスの町も大変な込みよう。今朝は、私たちが止まっているVDARAというホテルの隣にあるBELLAGIOのカフェで食事をしましたが、こちらも席に案内されるまで小一時間ほど行列しました。夜も夜で、シーザーズパレスのバフェットに行ったら、なんと「5~6時間待ち」だそうです。とにかく、どこを歩いても、どの店に入っても人、人、人。長年ラスベガスに来ている私たちも、これほど人の多いのは初めてです。

今日は私たちの孫2人は、Hさんの上の娘さん一家と子ども向けのショーに行きました。場所は、私たちが泊まっているVDARAとは、広い通りをはさんだ向かい側のホテルですが、タクシーに乗りました。これはラスベガスならではのことなのですが、すぐ目の前に見えるようでも、歩いていこうとすると、それこそ20分、30分は当たり前。どのホテルもべらぼうに大きく、その中を抜けるだけでも10分、15分かかってしまうからです。しかも、中をよく知っているわけではないので、あっちに行ったりこっちに行ったり。ホテルの外に出るだけでも、すんなりいきません。ラスベガスは、たとえ目の前の場所に移動するのもタクシーのお世話になるのは、そんな事情があるのです。

“断続渋滞300キロ”を体験

2016年12月26日

大量のクリスマスプレゼントに驚かされたショックもさめやらぬ今日は、昼過ぎからラスベガスに向かいました。Hさんの息子さんを除く14人が車3台に分乗し、出発したのは12時。ロサンゼルス近郊にあるHさんの家からラスベガスまでは270マイル=約430キロなのですが、途中のバーストウという街を過ぎると1本道(I-15)でこれが空前の大渋滞なのです。なんと断続的に300キロ(東京から豊橋あたりまで)で、考えられないような状況を呈していました。アメリカで40年近く暮らすHさんたちもここまでひどい渋滞は初めてだそうです。

 

反対車線も、クリスマスを過ごしたラスベガスからの帰りの車がずっと続いていて、夜になってからは、まるで「光の川」が流れているような塩梅。ホテルに着いたのは、なんと夜の11時半を過ぎていました。空いていれば4時間ほどの道のりですから、いかにすさまじい渋滞かがおわかりになるでしょう。それにしても、この「光の川」、写真に撮りたかった! でも、車に乗っていて、ジリジリながら走っているので、かないませんでした。またの機会に……。いや、もうごめんです。

 

これが本場のクリスマス!

2016年12月24日

初めて本場のクリスマス・イブを経験しました。Hさんご夫妻、お2人の娘さん夫婦(4人)+子ども(合わせて3人)、息子さん、私と家人、私たちの娘と2人の子ども(旦那は仕事のため日本で留守番)の総勢15人です。

それにしても、アメリカのクリスマス商戦はさぞかしすさまじかろうということを改めて感じました。クリスマスが近づくと、どの家も大きなクリスマスツリーを飾り、その前にプレゼントを置いていくのですが、イブの日にはそれが全部そろいます。それを見ると、とにかくハンパな量ではありません。その夜集まる人全員のプレゼントが並べられているのですから、当たり前といえば当たり前とはいえ、わが孫どもも、10以上の人からあれやこれやのプレゼント品をもらい目を白黒させていました。

!cid_7fd21f89-000f-4ae3-abc8-13d9d02140b2@apcprd04_prod_outlook

これとほぼ同じようなことが、全米のほとんど全家庭でおこなわれているわけです。いまさら掛け算などしてみても始まりませんが、それにしても「クリスマス商戦」とはよく言ったものです。まあ、日本のお正月だと思えばわかりやすいのですが、お正月は「物」が行き交うことはありません。お年玉は現金ですし、「物」といってもせいぜい、お年賀のお菓子くらいです。それからすると、具体的な「物」が行き交うアメリカのクリスマスは、ストレートな感じがします。

DSC_1039

37年ぶりのディズニーランドは大きく様変わり

2016年12月23日

朝4時前に目が覚めました。外は雨です。予想最高気温は15度。今日は朝からディズニーリゾートに行きました。8時前に出発し、30分ほどで到着。1979年12月以来なので37年ぶりです。Hさんと、当時5歳だった娘さんと私の3人で行ったのですが、今日はその娘さんとそのご主人、息子さんも一緒で、なんとも不思議なめぐりあわせを感じます。娘さんはそのときのことをまったく覚えていないと言っていました。

!cid_5ca169ea-12ca-44b4-a0f2-f3ce88163ab2@apcprd04_prod_outlook

ディズニーランドもその後大きく様変わりしたようです。2001年2月には、正門前の駐車場スペースに「ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャー」が増設、レストランや土産物店が入る商業施設「ダウンタウン・ディズニー」ができたこともあり、駐車場も立体式に作り替えられています。駐車場出口がI-5号線の出入り口と直結するなど利便性もぐんと増したといいます。

!cid_f7af5080-574a-4d8b-b3cb-1f6845720c72@apcprd04_prod_outlook

DSC01304

入国するのに2時間待ちとは……

2016年12月22日

夕刻の便でロサンゼルスに向け出発。久しぶりの成田発です。同日朝にロス到着。上空ではわかりませんでしたが、着陸寸前から窓ガラスに水滴が。珍しく雨のようです。気温も低く、東京とほとんど変わりません。

イミグレーション(入国手続き)になんと2時間。相変わらずのスローぶりに呆れます。ブースは50近くあるのに、稼働しているのは半分。スタッフがいても一件処理すると、手を上げて呼んでくれたりはしません。こちらからその前まで行くとすぐ対処してくれるのですが。だれも来ないとなると、そのうち自分からどこかに引っ込んでしまいます。

成田とか羽田で私たちが経験する入管職員の仕事ぶりは日本人が相手なので一概にはいえませんが、それにしても……という気がします。列に並ぶのは仕方ないにしても、それならそれで、並んでいる人数の規模によって職員を増やすとか、ブースを多く開ける(そして、きちんと仕事をさせる)とかしてほしいですね。日本からだと9時間から10時間は、狭い空間に閉じ込められているのですから。マニラやシンガポールなど、もっと長い時間の人もいますし。

でも、それだけでは済まさない、もっとシステマチックな問題がありそうな気もします。ESTAで、こちらの基本的な素性は事前につかんでいるわけですし、機械の前に並んでパスポートを読み取らせ、指紋を取られ、顔写真も撮られ(どうつくろっても、疲れた表情を隠せない、“悪意”の感じられるカメラなのです、これが!)プリント、それを持って窓口に行きます。職員はそれを補う作業をするのかと思いきや、またまた写真を撮ったり指紋を取ったり。同じようなことを繰り返しているので、たっぷり時間がかかってしまうのですね。

ようやく外に出られたのは着陸後ゆうに2時間は過ぎていました。疲れたーーーっ! Hさんご夫妻のお迎えで中華料理店へ。客は中国人がほとんどなので味は信頼できそうです。実際、日本人の私たちの口にも合いました。そのあと同じモールにあるWHOLE FOODS MARKETで買い物。ワンフロアなので、広いこと。買い物を済ませHさんの新居へ。新興住宅地のせいもあって周辺はどの家も広々としており、クリスマスのイルミネーションもそこここに見られます。

床面積が2400スクエアフィート=約223平方メートルといいますから、やはり広い家です。土地はその倍以上、150坪をゆうに超えている感じで、家屋の周りはすべて庭。とくに裏側の庭は、50~60人くらいのガーデンパーティーが余裕でできてしまいそう。

DSC01347DSC01343

『広島の力』が配本に!「カープ優勝」さまさま、で~す

 

2016年12月20日

12月16日は広島市内で開催された、あるNPO法人の年末懇親会に出席しました。主催者から、「20分間差し上げるので本の前宣伝をしてください」とのありがたいお言葉を頂戴したので、スピーチさせていただきました。「本」というのは、今日、書店に並んだ『広島の力』(青志社刊)のことです。

81SJ4TKKw9L

今年の秋、日本のプロ野球は「カープ一色」といった感じでした。もちろん、パ・リーグでも北海道日本ハムと福岡ソフトバンクとの間で激しい優勝争いが繰り広げられていましたが、セかパか、どちらに関心が集まったかといえば。やはり「25年ぶりのリーグ優勝がかかっていた「広島カープ」のせ・リーグでしょう。

 

今年の「流行語大賞」にも輝いた、例の“神った!”というキャッチフレーズが与えられた鈴木誠也選手をはじめ、田中浩輔、菊池涼介、丸佳浩らが大活躍。投手陣もマエケンがいない中、野村佑輔(16勝)やジョンソン(15勝)の奮闘で、8月にはほかの5チームをちぎっていました。こうなると広島市民・県民はチョーが付くハイテンションに。それでなくても熱いファンたちは、優勝を信じ、ほとんど毎日が「マジックナンバー1」状態。盛り場もさぞかしうるおったにちがいありません。

 

9月1日、たまたま仕事で広島を訪れたのですが、2年ほど来ていないうちに、北側の新幹線口も南側も、かなり様子が変わっていました。南側の再開発エリアはすっかり整備されており、高いビルが建っています。52階建てのオフィスビルやら50階建てのマンションやら、ホテルやら、これから2年くらいのうちにどんどん完成していくのでしょうが、ちょっと想像がつきません。巷でよく聞く会話ですが、「ここ、前、何があったんだっけ?」と聞かれると、まず覚えていませんよね。広島の駅前もそうなる日が近いようです。

 

北側と南側とをつなぐ自由通路の工事も一気に加速している様子でした。これまで地下道でしか結ばれていなかった南と北が空中回廊で結ばれるのですから、かなりの大工事のはず。その様子をどうやって説明したら頭を抱えてしまったのですが、「AND BUILD HIROSHIMA」というウェブサイトに、まるで実況中継のような描写があり、「なるほど」と納得させられてしまいます。すごいですね~。

http://ab-hiroshima.com/201609ekikita

「鯉党のひろしま街づくり日記」というウェブサイトにも、詳しく紹介されていました。

http://urbankoikoi.blog63.fc2.com/blog-category-11.html

 

また、北側は以前JRの病院くらいしかなかったのが、「二葉の里地区まちづくり」とネーミングされた再開発事業スタート。テレビ局の社屋はじめ、いくつかの建物がこれからできるようで、塀で囲まれていました。すべてが完成するころには、北側の新幹線口から駅北側一帯が空中回廊を通じて一体化し、それはもう、これまでの広島駅とはまったく装いが一新するのではないでしょうか。

 

そんな「広島」をまた取り上げてみませんかというお話を、旧知の出版社社長から頂戴したのは、9月の初め。「だって、カープ、カープで、いま日本中が大騒ぎですから」と。しかし、それは「いま」(月初めのこと)であって、本を出せるのは、どんなに急いでも年末でしょう。しかも、その間、スペインに行ったりエジプトに行ったりと、20日間くらいは何もできない状況になります。正味はほんのひと月。大丈夫かなとも思いましたが、前作『広島学』以来、「広島」にはぞっこんの私としては、簡単にお断わりする気にもなれません。ということで、タイムリミットを提示したところ、「大丈夫です」とのご返事。

 

ただ、本のタイトルはすぐ決まりました。『広島の力』です。カープが優勝できたのはカープの戦力やスタッフの指導力だけではない、それ以外の目に見えない力が働いているはずだ! というのが私の立てた仮説です。その考えに基づいて資料を漁ってみると、思ったとおりでした。優勝を後押しする力が、カープファンだけでなく、普通の市民・県民の間で、ひょっとすると日本中、いや世界中に散らばっている「広島遺伝子」が発現し、それが目に見えない力として働いた結果、25年ぶりの優勝が実現したのです。

 

全体の構成だけはあらかた決めておき、「せーの!」でスタートしたのは、バルセロナから戻ってから。すでに10月10日を過ぎていました。それでも、資料探し、原稿執筆と、自分でも驚くほどハカが行きます。これはもう『広島の力』以外の何物でもありません。その勢いもあって、予想どおりひと月で書き上げることができたのです。ゲラが出てからも、ページ数を増やしたいとのリクエストがあり、30ページ分ほど書き足しました。版元も、なんとか年内にと、たまたまとやかく言われ始めた「超過勤務抑制」「労働時間短縮」の声をよそに頑張り抜いてくださり、今日、無事配本となった次第。

 

16日の会合では、主催者から「当日の参加者に引き出物として配りたい」とのお話までいただき、書店に並ぶ前段階で早くも120冊がはけてしまいました。この調子で書店でもバンバン売れるといいのですが。

香港で釜飯を楽しむ

2016年12月12日

今日は香港に移動。高速船に乗っているのは1時間なのですが、チェックインやら何やらで2時間半は見ておく必要があります。数年前から「じき完成する」といわれている橋が完成したら、それがぐんと短縮されるはず。早くできないかなと期待しているのですが、なかなか……。なにせ、海の上に、全長35キロですから。

 

夕食はB級グルメでと、油麻地まで地下鉄で行きました。目標は釜めしです。香港でもキホン秋冬の食べ物のようですが、それが1年中食べられ、しかもめっぽうおいしいというので出かけてみることに。店の名前は「四季煲仔飯」。「煲仔飯」が釜めしを意味する中国語のようです。小さな土鍋で作るのですが、その材料が、スペアリブ、鶏肉、しいたけ、チャイニーズサラミ、カエルなど多種多彩。飾り気もなく、完全なのないシンプルな店内にはテーブルが整然と並び、これぞ専門店という雰囲気。飲み物は店を出たすぐ隣にある売店のようなところで買い、中に持ち込みます。もっとも、中国のレストランの常で、ビールとかを飲みながら食べる人は少数派。

DSC01185

釜めしは注文を受けてから炊くのですが、でき上がりまで最低20分はかかります。その間は「鴨蛋蠔餅(牡蠣入りオムレツ)」を食べている人が多いようです。私たちのすわったテーブルの隣にいた老夫婦もおいしそうに食べていたので、何かと聞いてみると、それでした。私たちも注文したのですが、これは文句なしGOOD!

各テーブルには専用のかけ醤油のボトルがあります。お好みに合わせてアツアツのご飯にかけるのだそうです。

マカオの下町に繰り出す

2016年12月11日

延期に次ぐ延期、2月に行くはずだったのがとうとうここまで延びてしまった香港・マカオの旅。ようやく実現しました。マイレージの特典航空券を利用しての旅なので、いくらでも変更が許されるからですが、行きは羽田から、でも帰りは成田という行程になってしまいました。

 

マカオはいま過渡期に差しかかっているのかもしれません。習近平政権の「腐敗根絶政策」の影響で、かつてマカオのカジノをにぎわせていた怪しげなお金持ちの姿がすっかり減ってしまったからです。そのため、ハイローラーのエリアは閑散としており、普通のエリアも一時ほどのにぎやかさはありません。ここ1年でオープンしたカジノホテルも、当初よりテーブルの数、マシンの数を減らされたせいでしょうか、カジノ内の空間もゆったりした感じで、場所の移動も楽々です。

DSC01167

それはそれとして、たまには街中にもということで、今日は下町に繰り出してみました。目標は格安フカヒレ料理。新馬路の西側にある長さ約200メートルほどの通り=福隆新街には、赤い格子窓が特徴の長屋に似た建物がズラッと並んでいます。かつては歓楽街だったようで、いまはレストランやお土産店、安い旅館がに気を並べています。その一角にある「添發碗仔翅美食」が目的地でした。

タクシーを降りた真ん前が別のフカヒレの店で、まるで魅入られるようにその店に入ってしまいました。ただ、ここはここでとてもおいしく、しかもメチャ安。店主は1500円くらいのメニューをすすめるのですが、どう考えても量が多すぎる感じがしたので、それより2レベルほど下のもの(900円ほど)にしました。でも、それで正解。お腹いっぱいになりました。食べ終わったあと、近くを歩き始めると、目的地だった店が。大変な行列ができていましたが、こちらは次の機会にということであきらめました。

 

そこから2分ほどのところに缶詰屋さんがありました。看板はすべてポルトガル語なのですが、何を売っているかはひと目でわかります。昔風のゴチャゴチャした造りとは逆の、いかにもいま風の店がまえ。商品棚、また陳列台もとにかく魚の缶詰がビッシリ。どれをとっても、きれいな色と絵のパッケージです。イワシ、サバの水煮、オリーブオイル漬け、サケの水煮が大半を占めていました。値段も400円足らずのものから、高くても600円ほど。デザインの面白そうなものを中心に10缶ほど選んで買いました。

DSC01169

この店、実はポルトガルの首都リスボンにある缶詰専門店「Loja das Conservas」がアジアに初めてオープンさせたものだそうで、1853年創設のANICP(ポルトガル魚類缶詰製造業組合)によるアンテナショップ。ポルトガル各地のメーカー19社が製造した300種ほどの缶詰を取り扱っているそうです。パリとウィーンの食品スーパーにもコーナーがあって、大変な人気なのだとか。それが初めてアジアに出店したわけですが、けっこう客が入っていました。

歴史の重みに打ちひしがれました! エジプトから帰国

2016年12月1日
昨日(11月30日)の夜、カイロからカタールの首都ドーハを経由して成田に戻りました。カイロの空港を出発したのは29日の夜7時ですから、まる1日以上はかかった計算になります。ドーハの空港はいかにもいま風の設計で、たっぷりお金をかけているのがひと目でわかります。さすが産油国の首都。それに、できてからそれほど年数も経っていないのでしょう。

それにしても、エジプトではよくもまあ、これほど多くの場所を見てまわったものです。チケットの半券を全部集めてみたら、これだけの枚数になりました。入場券なしで入ったところはどこかと思い出してみたところ、帰国当日の昼間見て回った旧「オールドカイロ」くらい。カイロでもっとも古い市街地で、コプト教徒が多く住んでおり、コプト博物館やギリシア正教会の修道院、ユダヤ教のシナゴーグなどがある場所です。ただ、このエリアの入り口にも、警官数人が厳重に警備線を引いていました。

DSC01429

DSC_0988

ちなみに、コプト教とは、キリスト教のなかでも、「東方諸教会」といって、中東・ギリシア・アナトリア・東ヨーロッパに広まった諸教派のうち、エジプトで発展した一派を指すのだそうです。といってもよくわかりませんが、要は、イスラム教が広まるより前に、キリスト教やユダヤ教が入ってきていたのです。

 

 

 

 

DSC_0984 DSC_0993  DSC_1013

観光スポットをここまで厳重に警備しているのは、エジプトという国が「観光」を頼りにしているから。観光なくしてエジプトは成り立たないはずで、今回のツアーが、日本から同行している添乗員さん、現地のガイドさんのほか、「ツーリストポリス」という耳慣れない人もずっと一緒だったのは、その「観光」をおびやかす存在に対抗してのことにほかなりません。

エジプトには世界遺産が6つもあります。「メンフィスとその墓地遺跡─ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯」「古代都市テーベとその墓地遺跡」「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」「カイロ歴史地区」の4カ所は、全域ではありませんが、今回行きました。行っていないのは、「アブ・メナ(地中海に面した港町アレクサンドリアの南西にある、古代エジプトにおけるキリスト教巡礼の中心都市)の遺跡」と「聖カトリーナ修道院(シナイ山の麓にある峡谷の河口、シナイ半島に位置する正教会の修道院)地域」の2カ所です。どれもみな、歴史の長さからすれば、大変ハイレベルの世界遺産ばかり。一つをくまなく見るだけでも、2、3日はかかりそうです。

貴重な世界遺産を守り、なおかつそこを訪れる内外の観光客の安全にも万全の配慮をしなければならない警備陣の責任は重大です。しかし、そこまでしてでも保護しなければならないのがエジプトの観光産業だといえます。

それだけに、観光客の足を一気に遠のけてしまった2011年1~2月の「エジプト革命(アラブの春)」による社会の混乱は、国全体に大きなダメージを与えたようです。しかし、それほど大事な生業を犠牲にしてでも「革命」に打って出た多くの人たちにしてみれば、それまで30年以上も続いたムバラク大統領による独裁体制にはよほど我慢がならなかったのでしょう。人々のそうした心情を思うと複雑な気持ちになります。

しかし、大統領の辞任後、翌年1月以降も、新憲法の制定などをめぐって混乱が続き、結局その翌年7月に軍部クーデターが起こり、ようやく平穏を取り戻したのです。ただ、クーデターが起こったからといって、国内の秩序がすぐさま旧に復したわけではなく、海外からの観光客を受け入れられる態勢が整ったのは、私たちが行くほんのひと月ほど前だといいます。どの観光地の警備線も緊張が感じられたのはそのせいでしょう。場所によっては、軍隊や装甲車が配備されていたことからも、それがわかります。

エジプト国立博物館には、もうあんぐりするしかありません!

2016年11月29日
DSC_0862今日でエジプトツアーも実質、最終日。朝食を終えると、ホテルの目の前に建つ国立博物館の見学です。のっけからもうびっくりしたのは、出土品、それも3000年前、4000年前のものが前庭のあちこちに、陳列というか放置というか、フツーに置かれていたこと。レプリカもあるのでしょうが、それにしても……という感じです。

建物の中に入ってもそれは同じ。見学する前に、ガイドさんが館内の“見もの”について簡潔に解説してくれたのですが、聞こえてくるのは「2000数百年前」「3000年以上前」といった数字。これにはもうあんぐりするしかありません。もちろん、こちらのほうが前庭の出土品より貴重なもののはずですが、それが廊下に置かれていたり、ほかの陳列物が並ぶ隅のほうに半分隠れていたりすると、なんだか信じられないような感じがします。もちろん、きちんと並べられている出土品だけでも数千あるのですから、まる1日かけたとしても、全部を観て回ることなどできません。ただただ、「すごい!」というしかないのです。

よくもまあここまでこまかく精巧に作ったな、よくもまあこんな美しい色が……と二の句が告げないような出土品が次から次へ。気候が乾燥しているせいもあるのでしょう、保存状態の素晴らしさは想像以上のレベルで、古代エジプト文明のすごさ(こんなありきたりの言葉で申し訳ないのですが)にはもう感動するしかありません。

DSC_0882 DSC_0886

一つひとつの出土品にまつわる解説は、もちろんその場限りなので、カタログでも買って、日本に帰ってからゆっくり見ればいいと思っていたのですが、期待していたミュージアムショップはほとんど開店休業状態で、これにはがっかり。なんでも、もうじき新しい博物館が完成し、展示品もすべてそちらに移されてしまうのだとか。なるほど、だから、いいかげんな置き方がされていたんだと、妙に納得してしまいました。

DSC_0892 DSC_0906 DSC_0925 DSC_0929

でも、ツタンカーメンの像、それが見つかった部屋に置かれていた棺や宝飾品には度肝を抜かれました。後世のハプスブルク王家やロマノフ王家、ブルボン王家など、どこの国の国王や皇帝ももちろん大変ハイレベルなのですが、古代エジプトのそれにはとてもかなわないのではないでしょうか。

ナイル川の水上レストランでランチののち、オールドナイル地区に立ち寄り、空港まで移動。感動というお土産をたんまり持って、夜には帰途につきます。

アブ・シンベル神殿で朝日を拝んだあとはひたすら砂漠を走る

2016年11月28日

DSC_0766今日は長い1日でした。メインイベントはアブ・シンベル神殿の前から拝む朝日。チョー早起きしていくと、空はどんよりしており、これはダメかと皆、あきらめていました。しかし、日の出の時刻から30分ほどすると、空がうっすら赤く染まってきます。それからはあっという間、太陽が赫々とした光を放ちながら山の間から姿を見せました。湖もそれに合わせて赤い光を反射させ、一気に明るい朝が!

 

世界中どこで見ても朝日は美しいものですが、悠久の歴史を秘めたアブ・シンベル宮殿ですから、テンションもいっそう上がります。衝撃的なシーンを前に、シャッターも数多くは切れませんでしたが、この目で見た神々しい光景は忘れられません。

それにしても、およそ3300年も前に作られた大小2つの神殿、アスワンハイダムの建設工事により本当なら水没してしまうはずだったのに、よくぞ移築に成功したものです。「世界遺産」を守った、人類史上に残る功績ではないでしょうか。祀られているラムセス2世も天上で喜んでいるにちがいありません。

ホテルに戻り朝食もそこそこにチェックアウトし、バスに乗り込みます。ここからアスワンまで、砂漠の中をひた走るのです。エジプトの道路は、車のスピードを落とさせるための突起があちこちに作られています。街中ならともかく、郊外の、左右どちらを見ても砂漠しかないようなところでも、なぜかかならずそれがあるので、時速70~80キロで突っ走るというわけにはいきません。

2時間半ほどのち、ようやくアスワンに到着。ナイル川に浮かぶ小さな島フィラエ島を訪れました。ここには、ほかの神殿に比べると小ぶりなイシス神殿があります。さしものエジプトも、1週間もいると神殿慣れしてしまい、ツアーの面々もテンションが下がり気味。しかし、それでも、壁画に描かれているストーリーはほかとはひと味もふた味も違いますし、建物のこまかな部分には、時代社会が反映されているようです。これもどこかから移動したものだそうですが、古きものをきちんとした形で残そうというのは、西欧人の考えなのでしょうね。

DSC_0791 DSC_0801 DSC_0812

すぐ近くのホテルでランチを終えると、空港に。ダムで知られる町だけに、ファサードもそれに合わせたおしゃれなつくりです。中もまだピカピカ。ここ数年、内外の観光客の足がパタッと止まっていたため、使用頻度、出入りする人の数も少なかった影響でしょう。いまなお便の数はさほど多くないようで、広いターミナルの中は閑散としていました。

私たちが搭乗手続きを終えたころ、前日当地で試合をした「Al Ahly」というサッカーチームの選手たちの姿が見えました。エジプトのプレミアリーグで過去38回も優勝している強豪で、2015-16年のシーズンも優勝しています。どうやら同じ飛行機に乗るようです。空港の職員やエジプト国内の観光客たちにはなじみの顔らしく、多くの人がカメラを手にしながら待ち受けたり。

DSC_0832同じツアーの人たちも、相手がだれかも知らないのに、ガイドが教えてくれた情報を頼りに、次々と記念撮影をお願いしています。なかでもいちばん多くのファンから声をかけられていたのは、エジプト代表チームの正GKシェリフ・エクラミ選手。女性陣は「イケメン」とみると、どんどん声をかけシャッターを押すジェスチャーを見せながらすぐ隣に立っています。

 

アスワンからカイロまでは1時間ちょっと。飛行機の窓からは砂漠しか見えませんでした。しかし、空港から中心市街に向かう道が渋滞していたため、ホテルまで2時間近くかかりました。ようやく到着したホテルはナイル川沿いに建つリッツ・カールトン。でも、ロビーに入ったとたん、疲れが吹き飛びました。ウェルカムドリンクで出されたザクロのジュースのおいしかったこと。

リッツといえば、昨年だったかシンガポールでひどい目に遭いましたが、ここはまったく違います。ツアーなのでたった1泊しかできないのがなんとも残念。個人旅行なら、最低でも2泊はしたい素晴らしい雰囲気のホテルです。

夕食は、前日のリクエストにもとづき、私たち2人はエジプト料理のコース。豆を多く使うのがその特徴ですが、前菜はやはり豆がメイン。しかし、バリエーションが豊富で、どれを食べても飽きません。メインは肉でしたが、これも当地独特のスパイスが利いていてとても美味でした。久しぶりのツアー客だからということもあるのでしょう、ホテル側のもてなしも通常より気合が入っている感じです。マネージャーや営業担当の上席スタッフとおぼしき人がつきっきりでサービスに務めていました。

DSC_0842 DSC_0844

DSC_0839

 

部屋からの眺めも素晴らしいこと。いかにも首都の中心を流れる川らしく、両岸とも華やかな光に満ちあふれています。船をそのままレストランに改造した感じの店もいくつかあり、明日はその中の一つでランチをする予定です。

 

「ワンダラー、ワンダラー」「タカクナ~イ」「アバヨー」「ヤマモトヤマ」

2016年11月27日
どこの観光地に行っても、「ワンダラー、ワンダラー」という声が聞こえてくるのがエジプトです。エジプトの通貨はかつてイギリスの保護国だった時代の名残で「ポンド」なのですが、土産物屋の客引きが口にするのはいつも「ワンダラー」。ワンダラー=1ドルはざっくり100円。かといって、どの店も「100均」なのかというと、そういうわけではありません。要するに、「安いよ、安いよ!」の決まり文句のようなものです。

日本人が相手の場合、その亜流「タカクナ~イ」「ヤスイヨー」を繰り出してくることもありますが、こちらはいまひとつインパクトに欠ける感じ。そうした声かけを無視して通り過ぎようとすると、「アバヨー」という言葉をかけてきます。どこかの日本人観光客が教えたのでしょうが、発音はどれもたいそう達者です。

ギザのピラミッドでは「ヤマモトヤマ」というのも聞きました。日本人観光客を相手にするときの「シャチョウ」は世界共通ですが、ときどき「サトウさん」とか「ヤマモトさん」と固有名詞っぽい呼びかけをされることもあります。「サッポロのスズキさん」とか「ナゴヤのナカノさん」というのも耳にしました。そのバリエーションが「ヤマモトヤマ」なのでしょう。これもどこかの日本人が教えたからにちがいありません。でも、笑えてしまいます。

それにしても、あの手この手で声をかけ、一つでも二つでも買ってもらおうという商魂のたくましさはどこの観光地も同じ。もちろん、そうした言葉につられて店の中に入るほどこちらも甘くはないのですが、声の調子が独特で、そのうちすっかり慣れてしまいました。逆に、何も声をかけられないと落ち着かなくなったりして……(笑)。

DSC_065224・25・26日と3泊したナイル川クルーズも今日で終わり。朝アスワンに到着しました。朝食後、ナイル川をオールドスタイルの帆船(=ファルーカ)に乗って楽しむメニューは楽しかったです。長さ7~8メートル、幅3メートル足らずと小ぶりな帆船の船長は先祖代々の稼業だそうです。クルーズで乗った大きな船でもそれは同じで、民族衣装(ガラベーヤ)に身を包み、ゆったりした感じで舵を取る船長も2代目だと話していました。

ガイドさんの話では、この一帯=ヌビア地方の人たちは気質も言葉も違うといいますが、私たちにはわかりません。ヌビア人はふだんとても物静かなようですが、手先の器用さは素晴らしいらしく、かなり精巧な仕上がりの民芸品を作って売っています。ファルークの中にも置かれていて、いくつか購入しました。

そのあとはバスで市内観光。アスワンの町は、人も車もカイロよりゆったりした感じ。地方都市ですから、そんなものなのかもしれません。途中、石切り場で未完のオベリスクを、さらに、空港近くにあるアスワンハイダムを見学しました。

DSCN0802DSCN0804

DSC_0692アスワン空港から南のアブ・シンベルまでは飛行機で1時間ほど。できて間もないアブ・シンベル空港のターミナルビルはかわいらしい建物でした。そこからバスでレストランへ。ランチを済ませると、ナセル湖の湖畔に建つホテルに。午後2時過ぎと早かったので、ほとんど全員、午睡のようでした。私は仕事をしました。部屋ではインターネットがつながらないので、ロビーやカフェまで行くとすんなりつながります。

DSC_0733

夕方からアブ・シンベル神殿に向かいました。ラムセス2世がこれを造らせたのは紀元前1250年ごろといいますから、3000年以上昔。砂岩をくり貫いた大小2つの神殿が並んでいます。どちらもそのスケールには驚くほかありません。

DSC_0708

夜はこの神殿の前でおこなわれる「光と音のショー」を楽しみました。ギザのスフィンクス前でおこなわれたショーはパスしていたので、今日は私たちも行ってみたのですが、自然の岩の表面を利用してのショーというのはなかなか難しい感じがします。ナレーションが日本語だったのはありがたかったです。

DSC_0751

ナイル川に浮かぶ船の上でHAPPY BIRTHDAY!

2016年11月26日
ナイル川クルーズ2日目。どちらの岸を見ても景色にさほど変化はないのですが。思っていたほど飽きは来ません。まあ、ここまでゆっくりできる時間は、ふだんなかなか経験できないせいもあるのでしょう。

この日の朝は、エドフという街を観光しました。船を降りると馬車が待っていて、それに乗ってホルス神殿まで行きます。時間にすれば10分足らずなのですが、大変なスピードを出して走るので、少し怖い感じもしました。

DSCN0742

DSC_0534 DSC_0552

ホルス神殿はエジプトに多く残されている遺跡のなかでも、保存状態がとてもいいのだそうです。入口近くの空間は天井や壁が真っ黒で、せっかくの壁画もほとんど見えません。その昔──といっても2千年ほど前のことでエジプト的には比較的「最近」のこと──、キリスト教徒がエジプトに入ってきたころ、台所として使ったため煤で分厚く覆われてしまったためとのこと。しかし、そこ以外は、外壁も含め、素晴らしい壁画や彫刻が堪能できます。

DSC_0582いったん船に戻り、しばらく川を下ったところにあるコム・オンボ神殿が次の訪問地。2千年前にできた神殿なので、エジプトではもっとも新しいというか、ギリシア風のにおいがただよってきます。外壁に彫られたプトレマイオス13世のレリーフの大迫力にはたまげました。

クルージングの旅というのは、船が走っている間はただただボーッとしていればいいので、体も目いっぱいゆるんできます。今日は私の誕生日で、朝からフェイスブックに「おめでとう」のメッセージが次々と届いていました。

夕食も今日で3回目なのですが、適当に変化があり、それなりに楽しめます。そして、今夜はクルーたちが歌を歌いながら、大きなケーキを手に私たちのテーブルまでやってきました。こんなふうにお祝いしてもらったのは、人生でも数えるほど。なんだかんだいっても、祝ってもらえるのはうれしいもの。子どものような気持になってロウソクの火を消しました。

海外で誕生日を迎えたのは30年近く前、マドリッドで経験したことがあります。このときもツアーでしたが、「HAPPY BIRTHDAY」を歌われたときの気分、やはりいいですね。素直に喜べました。今日も同じ。なんだか「明日からまた頑張ろうー」という気分に……というのはウソです。

DSCN0769 DSCN0766 DSCN0767

「王家の谷」に行きました!

2016年11月25日

今日はいよいよ「王家の谷」の見学です。早朝からバスに乗り1時間ほどで到着。その手前に大きな石造の立っている場所がありましたが、要は、べらぼうに広い土地に墓地を作ったわけで、その入り口というか、玄関のようなものなのでしょう。ガイドさんの話を聞いていると、ひと山丸ごと一人の王の墓、隣の山は王女の墓……といったことのようでした。

DSC_0399

DSC_0400「王家の谷」の本当の入り口まではトラムに乗って。数十も墓があるのですが、そのうち、比較的容易に見られるのはいくつかしかないようで、そうした墓をセレクトしながら観て回ります。棺はたいていいちばん奥に安置されているのですが、そこまではスロープや階段を降りていく途中の壁画の美しさといったらありません。4千年近くも経っているのに、いささかも色彩が衰えていないところもあり、これには驚きました。残念ながら写真は撮れないので(警備員にちょっと袖の下をつかませれば、見て見ぬふりをしてくれるようですが)、絵ハガキを買いました。

DSC_0439

 

ここではやはり、ツタンカーメンの墓とネフェルタリ王妃の墓が双璧です。ツタンカーメンの墓は驚くほど小ぶりでしたが、そこに副葬品として金銀財宝がびっしり置かれていたのだそうです。その全貌は数日後、カイロの国立博物館に行けばわかるはず。ネフェルタリ王妃の墓は、その壁画の美しさに深く感動しました。つい最近まで観られなかったそうですが、ようやく一般にも公開されるようになったとかで、とても得をした気分です。ここの観覧料はほかのところの数十倍とかで、たしかにそれに見合う価値はありました。

DSCN07343時過ぎに船に戻り、夕食の時間までゆっくりできました。デッキに並べられたソファーや安楽イスにめいめいが寝そべったり体を横たえたり。私にとっては存分にタバコが吸えるので、大変ありがたいひとときでした(船の中はもちろん禁煙)。

途中、川の高低差をクリアするための閘門があり、そこを通過するときはほとんど全員がデッキに上がってきました。9月に旅したフランスのストラスブールでも目にしましたが、さすがナイル川、スケールが段違いです。

 

DSC_0486