歴史の重みに打ちひしがれました! エジプトから帰国

2016年12月1日
昨日(11月30日)の夜、カイロからカタールの首都ドーハを経由して成田に戻りました。カイロの空港を出発したのは29日の夜7時ですから、まる1日以上はかかった計算になります。ドーハの空港はいかにもいま風の設計で、たっぷりお金をかけているのがひと目でわかります。さすが産油国の首都。それに、できてからそれほど年数も経っていないのでしょう。

それにしても、エジプトではよくもまあ、これほど多くの場所を見てまわったものです。チケットの半券を全部集めてみたら、これだけの枚数になりました。入場券なしで入ったところはどこかと思い出してみたところ、帰国当日の昼間見て回った旧「オールドカイロ」くらい。カイロでもっとも古い市街地で、コプト教徒が多く住んでおり、コプト博物館やギリシア正教会の修道院、ユダヤ教のシナゴーグなどがある場所です。ただ、このエリアの入り口にも、警官数人が厳重に警備線を引いていました。

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ちなみに、コプト教とは、キリスト教のなかでも、「東方諸教会」といって、中東・ギリシア・アナトリア・東ヨーロッパに広まった諸教派のうち、エジプトで発展した一派を指すのだそうです。といってもよくわかりませんが、要は、イスラム教が広まるより前に、キリスト教やユダヤ教が入ってきていたのです。

 

 

 

 

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観光スポットをここまで厳重に警備しているのは、エジプトという国が「観光」を頼りにしているから。観光なくしてエジプトは成り立たないはずで、今回のツアーが、日本から同行している添乗員さん、現地のガイドさんのほか、「ツーリストポリス」という耳慣れない人もずっと一緒だったのは、その「観光」をおびやかす存在に対抗してのことにほかなりません。

エジプトには世界遺産が6つもあります。「メンフィスとその墓地遺跡─ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯」「古代都市テーベとその墓地遺跡」「アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群」「カイロ歴史地区」の4カ所は、全域ではありませんが、今回行きました。行っていないのは、「アブ・メナ(地中海に面した港町アレクサンドリアの南西にある、古代エジプトにおけるキリスト教巡礼の中心都市)の遺跡」と「聖カトリーナ修道院(シナイ山の麓にある峡谷の河口、シナイ半島に位置する正教会の修道院)地域」の2カ所です。どれもみな、歴史の長さからすれば、大変ハイレベルの世界遺産ばかり。一つをくまなく見るだけでも、2、3日はかかりそうです。

貴重な世界遺産を守り、なおかつそこを訪れる内外の観光客の安全にも万全の配慮をしなければならない警備陣の責任は重大です。しかし、そこまでしてでも保護しなければならないのがエジプトの観光産業だといえます。

それだけに、観光客の足を一気に遠のけてしまった2011年1~2月の「エジプト革命(アラブの春)」による社会の混乱は、国全体に大きなダメージを与えたようです。しかし、それほど大事な生業を犠牲にしてでも「革命」に打って出た多くの人たちにしてみれば、それまで30年以上も続いたムバラク大統領による独裁体制にはよほど我慢がならなかったのでしょう。人々のそうした心情を思うと複雑な気持ちになります。

しかし、大統領の辞任後、翌年1月以降も、新憲法の制定などをめぐって混乱が続き、結局その翌年7月に軍部クーデターが起こり、ようやく平穏を取り戻したのです。ただ、クーデターが起こったからといって、国内の秩序がすぐさま旧に復したわけではなく、海外からの観光客を受け入れられる態勢が整ったのは、私たちが行くほんのひと月ほど前だといいます。どの観光地の警備線も緊張が感じられたのはそのせいでしょう。場所によっては、軍隊や装甲車が配備されていたことからも、それがわかります。