月別アーカイブ: 2020年12月

歌の世界も、東京一極集中?

●大晦日だというのに、朝からテレビに見入ってしまいました。「新日本風土記 東京紅白歌合戦」(NHKBSプレミアム)がそれ。1936年から2017年まで80年ほどの間に、タイトルや歌詞に”東京”が出てくる曲と、それにまつわるさまざまな人の物語を集めたオムニバス風のノンフィクションです。
●”東京”がらみの歌の多さはなんとなく感じてはいましたが、21世紀に入ってからはそれがさらに増えているよう。逆に言うと、その分”地方”の存在が薄れたのかもしれません。その昔は札幌、京都、大阪、函館、神戸、博多、長崎など地方都市もけっこう歌になっていました。こんな部分でも東京一極集中が進んでいることに気づかされ、慄然としました。コロナ禍が東京の動向に大きく左右されているのも致し方なさそうです。
●お昼前、池袋のデパートまで、買い忘れていた栗きんとんを探しに行くと食品売り場は密も密、ふだんの年末と変わらぬ人出。帰宅後はおせち作りのラスト(ミックスナッツ田作り)に取りかかります。テレビが東京の今日の新感染者が1300人を越えたと伝えていましたが、池袋での密ぶりからすると必然かも。
●年越しそばで夕食を済ませたあとは、今年のクラシック音楽シーンを振り返るNHK Eテレの番組。今年1月、映画音楽の巨匠ジョン・ウィリアムズの指揮でウィーンフィルが「スターウォーズ」を演奏したときの映像です。女性団員が誕生するまでに155年かかったウィーンフィル。コロナ禍が終息するまでに、まさか155年ということはないでしょうが……。来年、少しでも進展がありますように。

Facebook Post: 2020-12-31T22:59:14

本は消えても、中身は残る

●今年の春、家の中の大整理&大掃除をしました。折からのコロナ禍もあり、まるまる2カ月、来る日も来る日も作業に専念。おかげで、「ここまでできるのか!」と自分でも感心するくらいスッキリしたのですが、いちばんの要因は6000冊もの本を処分したことにあります。愛着のあるものもたくさんありましたが、涙を飲んでおさらばした次第。
●その後、「コロナ禍で時間ができ、昔読んだ本を再読してみた」といった新聞記事やSNSをあちこちで目にしているものの、私にとってはいまさら詮ないことと、あきらめています。そんな中、手許に残した1冊が「いのちの初夜」。18歳でハンセン病に罹り、施設に隔離された北條民雄という作家がその体験を描いた短編小説集です。高校2年のとき現代国語の先生が教えてくれた本で、すぐに買い求め、ひと晩で読み終えた記憶があります。
●それが今年、角川文庫で復刊されたという記事を目にしました。「自然は絶え間なく人間を滅ぼそうと試みている。生命とは自然の力と戦うもう一つの意志なのだ」との一節がいま、胸に刺さってきます。多感な時期にこの本に触れた経験が、いまの自分の、ほんのわずかかもしれませんが、一部になっているのは間違いないはず。
●ハウツーものの出版社に勤めていたころ、「”おもしろい・わかりやすい・役に立つ”の三つそろっているのがいい本だ」と教えられました。退社してからもずっと本の世界で仕事をしていますが、「いつ、どのような社会にあっても、読んだ人の心を揺さぶる」というのも、”役に立つ”に含まれるのではないかと。そんな本を書ける自分に成長したいものです。

Facebook Post: 2020-12-30T22:03:43

この歳になっても、初めての寿司屋に入るのは……

●年賀状書きとお墓参りを終えると、お正月間近という気分になります。でも今年は、コロナ禍の影響もあってか気分が乗らず、なかなか進みません。それでも、公私合わせて400枚をようやく書き終えて投函、ひと区切りついたので自宅近くの寿司屋に。
●実はこの店、これまで数え切れないほどその前を通っていながら、一度も暖簾をくぐったことがありません。昭和っぽい店がまえはまだしも、存在感が希薄なのです。でも、11月に初めて入ってみたところ、これがめっぽうおいしく、近々もう一度と思った次第。カウンター席が8つと小ぶりなので予約を入れておこうと、12月22日に電話したところ、「年内最後になりますが、27日の昼なら空いています」とのことで、それでお願いしました。
●でも、味はやはり素晴らしかったです。下ごしらえがしっかりしていて、その日なら大丈夫というネタが中心。ただ、黙々と握る大将の前で写真を撮る雰囲気ではありません(なので、写真は「dancyu」という雑誌からの無断借用)。「○○です。塩を振ってあるので、このままでどうぞ」と出されると、こちらも黙々と口へ。絶妙のテンポで次のネタ、またその次と、流れるように出てきます。定番ネタに旬の品も含め全12品。これで3700円(+税)は格安です。
●寿司屋というのは、入るのにけっこう度胸がいるもの。ただ私の場合は幸い、その店の常連に連れて行ってもらったのが最初というパターンがほとんどで、初めて一人で入るときもギクシャクせずに済みました。それでも、たまたま大将となじみの客ばかりだったりすると気後れしてしまうのは、この歳になっても変わりません。初めての店でも、何食わぬ顔をして入れるようになるのは、この先もむずかしそうです。

Facebook Post: 2020-12-29T15:22:41

今日は食べる喜びより作る喜び

●年末の定番の一つがカレンダーの取り替え。「定番」とはいささか大げさな言い方ですが、1年365日、目にしない日はないと思うと、気合が入ります。ここのところ気に入っているカレンダーの一つが、ミシェル・ドラクロワのリトグラフで構成したもの。古きよきパリの街並みを精密ながらも優しいタッチで描いた作品は、いつ、どんな場所で目にしても心がなごみます。
● ドラクロワというと、ルーヴル美術館に展示されている「民衆を導く自由の女」を誰もが思い浮かべるでしょうが、こちらはウジェーヌ・ドラクロワ。フランス革命時の民衆決起の様を描いたそれと比べると、ミシェルのほうは真逆の画風と言えます。
●仕事場からキッチン、寝室、洗面所、トイレ……全部取り替えると空腹と疲労が。でも、今日の夕食のメインは、ひと月ほど前にトライして成功した「スペアリブとボルペッティーニ(肉団子)のトマト煮」と決めているので、休んでいるひまはありません。副菜のマッシュポテトも含めるとトータルで2時間はかかる料理なのです。
●1㎏のスペアリブと600gの合挽肉など、材料のボリュームもかなりのもので、下ごしらえだけでもかなりのエネルギーを消費(といってもこちらはカミさんの役目ですが)します。炒めたり焼いたり煮たりと、脂まみれになりながらやっと完成。「料理には食べる喜びと作る喜びがある」とはカミさんの言からすれば、「作る喜び」を堪能した今回のメニューでした。こんな経験も、コロナの副産物と言えますね。

Facebook Post: 2020-12-26T22:25:24

優美なバレエに癒される

●クリスマス・イブの昨日はチャリティーのコンサート。私の関わっているNPO法人も後援しているので、ささやかながらお手伝いを。会場は2019年11月にオープンしたばかりの豊島区民センター多目的ホール。チケットは破格の2000円でしたが、来られた方は皆、これ以上はないプレゼントを手にした気がしたのではないでしょうか。
●第1部のメインは天野加代子さん(メゾソプラノ)のさわやかな歌声。私自身は一昨年ロシア大使館のクリスマスコンサート以来2年ぶりでしたが、からだ全体から、歌う喜びが。コロナ禍で今年はほとんど活動できずにいたことを思うと、当然かもしれません。
●第2部はバレエ。出演者の多くが名門ロシアのワガノワバレエアカデミーで学んだ経験の持ち主だけに、鍛え抜かれた優美な動きに魅了されます。コロナ禍で知らず知らずのうちにできていた心のトゲがすーっと抜けていくような気持ちになりました。
●それにしても池袋周辺の人出は驚くばかり。クリスマス・イブといっても平日です。なのに、駅のコンコース、デパートの地下売場、地上の歩道……どこもかしこも人、人、人。マスクはしていますが、このまま夜になったらどうなんだろうと心配になりました。帰宅しニュースを見ると「東京は888人」だったとか。誰に言われなくても、心するしかありません。

Facebook Post: 2020-12-25T22:24:11

「第九」で体の芯から熱くなった

●”ベートーヴェンの全交響曲制覇”のラストはもちろん「第九」です。「第九」で思い出すのは高校2年のときの文化祭。名(迷)物のクラブ対抗合唱大会で、私の属するラグビー部の選んだのが、なんと「歓喜の歌」。それも原語(ドイツ語)で歌おうというのですから、これはもう”神をも恐れぬ所業”と言っていいでしょう。
●準備期間は3日。練習を終えヘトヘトの体に鞭打ちながら、「フロイデ シェーネル ゲッテルフンケン トホテル アウス イーリージウム……(Freude,schöner Götterfunken,Tochter aus Elysium……)」と大声を張り上げました。もちろん、付け焼き刃もいいところで本番はさんざんでしたが、体育館は大爆笑&大拍手。おかげでこの部分だけはいまでもソラで歌えます。
●さて、今回のバーンスタイン&ウィーンフィルのシネコンサートで気がついたことが。演奏時期が1978年前後=40年ほど前ということもあって、女性の楽団員が一人もいないのです。メンバーは気むずかしそうな顔をしたおじさんばかり。女性が多くソフトな雰囲気がただよう最近のオーケストラに比べると、いかにも硬い印象を受けます。ゲルマン民族らしいといえばそれまでですが、こんなところにも時代の隔たりがあらわれているのですね。
●それにしても、からだ全体で100人もの演奏者を自由自在にコントロールしていくバーンスタインの素晴らしさ。全方向に視線を送る、目をつむる、ときにはメロディーを口ずさみ、横を向き上を向き、前に乗り出し後ろにそり返る、表情は千変万化……一つの楽章を終えただけで汗だくです。聴いているだけの私も体が熱くなりました。会場を出て、夜の寒気に包まれ始めた恵比ガーデンプレイスをあとにするとき、「フロイデ シェーネル…」と口ずさんでいたのはご想像のとおり。

Facebook Post: 2020-12-18T21:41:40

一挙公開! ツアーで出会ったお菓子の数々

●「東海道五十三次バスツアー」もいよいよ最終日。6日間、朝から夕方まで勉強と歩きが続きましたが、そのエネルギー源となる「食」は充実していました。ただ、今回のツアーはその名からも想像できるように、昼も夜も日本料理。「食」は旅の楽しみの大きな要素ですが、「和」がここまで続くと……。救いは、その合い間で出会った魅力いっぱいのお菓子です。
●箱根・甘酒茶屋の甘酒、府中宿(いまの静岡)の「大政奉還プリン」、島田宿・清水屋の「黒大奴(くろやっこ)」と「パコロ」、荒井宿の「あと引きせんべい」。岡崎宿・カクキューの「味噌せんべい」と「味噌かりんとう」、関宿の「志ら玉」、大津宿の「おきしまえびせんべい」と石山寺の「石餅」などがそれ。
●なかでも、カミさんともども気に入ったのが「あと引きせんべい」「パコロ」、そして「石餅」です。後者二つはカミさんの選んだもので、家に帰ってから賞味しましたが、どちらも秀逸。京都の伊勢丹では、この時期ならではの新栗を使った林万昌堂の「あまぐり」と北山マールブランシュの「茶の菓」を。駅構内の土産物店で偶然見つけた出町柳ふたばの「豆餅」(日曜日のみ数量限定で販売していました!)もついでに購入。
●こうなるとブレーキの壊れた車のようなもので、東京駅でも、最近オープンしたグランスタで松戸Zopf(ツォップ)の「カレーパン」をゲットしました。すべて炭水化物(要は砂糖です)系の品ばかりで、体によくないことは百も承知。それでも、古希を越えればこまかなことは気にしない。帰京の翌日(12月14日)は朝から晩まで絶え間なく、あれやこれや少しずつ口にしていました。※詳しくは写真キャプションをご参照ください。

Facebook Post: 2020-12-16T21:23:39

東海道五十三次バスツアー⑤

●4日目(12月11日)は岡崎宿を出て桑名宿、亀山宿、関宿を訪れ、草津宿から琵琶湖湖畔のホテル(守山市)まで。そして5日目は、午前中大津宿の古い町並みを歩き、瀬田の唐橋、石山寺と回りました。大津は、平城京・平安京より前に都が置かれたこともある場所。いまから400万年前にできたという琵琶湖の周辺は、想像以上に古い時期から開けていたようです。
●ガイドの口からは、日本史で勉強したはずなのに忘れてしまった人名や事件名が次々と飛び出してきます。最終日(12月12日)京都の三条大橋で、数々のことを学びました。橋脚の一部は豊臣秀吉の時代のものであるとか、幕末の池田屋事件のとき橋まで追いかけてきた新選組隊士がつけた刀傷が擬宝珠(ぎぼし)に残っているとか…。どれも初めて耳にすることばかりで、歴史との距離が一気に近づいたような気がします。
●今回のバスツアーで回ったのは東京都・神奈川県・静岡県・愛知県・三重県・滋賀県・京都府の1都1府5県。でも、気持ち的には7つの外国を訪れたような感じがします。当たり前の話ですが、日本国内にも、見ず知らずのこと・ものがまだまだいっぱい。桑名や草津など、別の機会にゆっくり訪れてみたいと思いますし、琵琶湖の周辺には、好奇心をそそるものがふんだんに詰まっていそうです。
●旅に出ると、かならず別の旅を思いつく──これは私の持論。ほぼ1年ぶりに乗った新幹線での帰り道、「Go to」があろうがなかろうが、コロナ禍が収束しようがしまいが、いずれまた足を運ぶことになると確信しました。

Facebook Post: 2020-12-15T19:30:11

東海道五十三次バスツアー④

●今回の「東海道五十三次バスツアー」を企画したのはW社。もともと海外旅行が専門で、それもしごく個性的(ときにはマニアック)なテーマのツアーが多いという会社です。しかし。コロナ禍でそれが不可能になったため、今年の3月以降はやむを得ず国内旅行に注力しています。同社のツアーにはさまざまな魅力がありますが、その一つが食事。どこの国・地域・都市を訪れてもほとんど外れがありません。国内旅行でもそれは変わらないようです。
●前日(12月10日)岡崎宿で泊まり、今日はまず有松(ありまつ)宿を訪れました。有松は名古屋市の南部に位置し、桶狭間(おけはざま)古戦場のすぐ近く。重要伝統的建物保存地区の指定を受けていて、特産品の有松しぼりの問屋など、土蔵造りの町屋が10数軒残っている町並みは、江戸時代の東海道を彷彿させます。
●有松宿の次に訪れたのは桑名宿。ここでは街の探訪はなく、昼食を摂るだけですが、それが名物の蛤(はまぐり)でした。添乗員から「今日は蛤づくしの昼食をお召し上がりください」と言われて訪れたのは地元の老舗「魚重楼」という店。焼き蛤や佃煮は食べたことがありますが、蛤の南蛮漬け、酢味噌がけ、陶板焼き、磯辺揚げは初めて。最後の蛤鍋と煮汁で食べるおじやも最高でした。
●食は地もとで獲(採)れたものを食べるのがベストと言われます。蛤の9割は中国・韓国産だそうですが、この店では木曽三川(揖斐(いび)川、長良川、木曽川)の河口で採れる地ものを使っているとのこと。地産地消の素晴らしさを改めて実感しました。

Facebook Post: 2020-12-14T08:22:54

東海道五十三次バスツアー③

●いつもその前を通り過ぎているのになんの店かわからない。しょっちゅう目にしているのに一度も入ったことがない━━。それをクリアしたときのスッキリ&サッパリ感は、けっこう心地よいものです。ツアー3日目に訪れた浜松の先、浜名湖が太平洋とつながっているあたりがそうでした。東海道五十三次でいうと、舞阪(まいさか)宿と荒井(あらい)宿です。
●このあたり、新幹線に乗るたび窓から目にしていながら、実際には一度も行ったことがありません。今回ツアーに参加しなければ、ずっとそのままだったはず。訪れてみると、たしかに、5分と空けずに新幹線が右に左に”飛んで”いきます。それを横目にゆっくり歩いたことで、世界が大きく広がりました。聞くと見るとでは大違い、見ると歩くとでは段違いなのです。
●私のような生業(なりわい)にとって「取材」は命。文字や映像の情報をどれだけ集めたとしても、確かさという点では、現場に足を運び、ときにはそこにしばらく留まり、自分の五体で感じ取ったものにはかないません。だからこそコロナ禍の中でも旅に出る……と弁解がましく書いてはみたものの、実際は単なる”旅中毒”なのかも。
●移動の自由が厳しく制限されていた江戸時代は”旅中毒”など、そもそも罹りようがありません。そうした中、東海道を2週間以上かけて歩いてのお伊勢参りは人々にとって憧れだったようで、行ける人はそれこそ村のヒーロー扱い。この時期「Go to」の制限や自粛の要請があっても出かけてしまう私のような者は、とんでもないヤツと思われても仕方ありません。ただ、禁を犯すことの快感は古今東西変わらないような気がします。

Facebook Post: 2020-12-13T08:31:58

東海道五十三次バスツアー②

●ツアー2日目の今日(12月9日)は三島宿から掛川宿まで。途中、三嶋大社、歌川広重の版画「夜の雪」で有名な蒲原(かんばら)宿、由比(ゆい)宿の東海道広重美術館、島田宿の川越(かわごし)遺跡など五十三次がらみのスポットを訪れます。トータルの歩数は1万4千歩で、掛川のホテルに着いたときはヘトヘトでした。
●いちばん印象に残ったのは、徳川最後の将軍・慶喜が大政奉還のあと20年間住んでいた屋敷跡をそのまま料亭にしたという静岡の浮月楼(ふげつろう)。ランチとしてはいささか贅沢な懐石料理は、慶喜が生前食べていたメニューや嗜好を忠実に再現したもの。静かで落ち着いた庭園をながめながらの食事は、静岡駅のすぐ近くにあることを忘れさせてくれました。
●この日は富士山にいちばん近いエリアを動いていたのに、その姿をほとんど目にしませんでした。見れば一気にテンションが上がるのが日本人。最後に訪れた蓬莱橋(「世界一長い木造歩道橋」としてギネスブックに出ている)蓬莱橋のたもとから頂上が見えたときは、思わず声を出してしまいました。
●蒲原も由比も島田も、旧東海道の宿場町はそれぞれ、わが町の歴史をきちんと残すとともに、それを少しでも広く伝えていこうとしているはず。しかもその相手は、いわゆるインバウンドではなく、日本の観光客です。しかし現実には、ターゲットである日本人が、ほんの1時間ほど滞在するだけ。これでは集客はままならず、ましてリピーターにはなってくれないでしょう。「東海道五十三次」のような、歴史の知識が求められるような観光スポットには、まだまだ課題がありそうです。

Facebook Post: 2020-12-11T22:14:13

東海道五十三次バスツアー①

●スタートは日本橋、ゴールは京都の三条大橋。そう、東海道五十三次です。その全行程をバスでというツアーに参加しました。5泊6日の長丁場で、「Go to」を利用。ギリギリのタイミングで”東京問題”が起こったので、かなりキャンセルが出たようですが、それでも参加者は20人。しかも、古希の私が最年少だといいます。
●ツアー1日目の昨日は三島まで。まずは日本橋周辺を歩きました。魚河岸がこの地にあったなど、ボランティア・ガイドの説明にいちいち納得。50年以上も東京に住んでいながら、そうした話をきちんとした形で聞くのは初めてです。次に訪れた五十三次の10番目・小田原でも、地元のガイドさんから城をじっくり案内していただきました。
●小田原からは国道1号で箱根山へ。途中甘酒茶屋に立ち寄り、関所を訪れます。関所のすぐ近くに、杉の木が立ち並ぶ昔の街道もそっくり残されています。「昼なお暗き羊腸の小径」をしばし歩くと、すっかり江戸時代気分に。箱根山の頂きから三島に向けて道を下るバスの窓から、駿河湾に沈んでいく夕陽が。快晴の空を背に、それはそれは美しい姿を見せてくれました。
●夕方5時過ぎ、ホテルに到着。三島は五十三次では11番めの宿場で、富士山に源を発する水がふんだんに湧くことで知られています。そのおかげでおいしいウナギが獲れるそうで、夕食は蒲焼。重箱のご飯の上に乗っかっているウナギが互いに重なり合っているのにはびっくり。これでもかというくらい肉厚なのです。昼間の疲れもすっかり取れました。

Facebook Post: 2020-12-09T21:57:26

原爆ドームは、人間の心を変える

●旅に出ても、ふだんの習慣は変わりません。5時過ぎには目が覚め、体操をしたり300ccの水を飲んだり。今日の会合は午後から。それまで時間もあり、天気もめっちゃいいので、原爆ドーム行くことにしました。ただ、いまは修復工事の真っ最中。全体が足場とシートにおおわれており、おなじみの姿は見えません。来年3月いっぱいかかるそうですが、そうした状況にあっても原爆ドームは原爆ドーム。あたり一帯、どこか重々しい空気が流れています。
●そこで、今日はクルーズ船に乗り、川の上からドームを見ることに。何十回と来ている広島ですが、市内をクルーズするのは初めてです。ちなみに、代金は地域クーポンで。
●広島は川の都、橋の都。狭い市内に7本もの川が流れているので、爆心地の周辺もどこか潤いが感じられます。先の重めの空気とそれが混じり合うと、不思議と神聖な気持ちに。原爆ドームを間近で見ることの意味はやはり大きそうです。みずからの意思でこの地を訪れたチェ・ゲバラやオバマ元米大統領も、そうした感覚を味わったにちがいありません。
●会合では広島名物の一つ神楽も鑑賞。迫力満点の舞いと演奏で、元気が湧いてきました。会場を後にし、ハイテンションのまま空港へ。レンタカーを返却するとき、旧友に何年かぶりでばったり! 羽田から着いたところなのだとか。いや、こんなこともあるのですね。暮れなずむ広島空港は、人の姿もまばら。久しぶりのナイトフライトとあって、夕食代わりに生ガキと酢がきをちょっとつまみ白ワインを飲んだら機中では爆睡でした。

Facebook Post: 2020-12-05T19:46:12

イルミネーションを見ると疲れが吹き飛び、食欲も

●この季節、広島市での楽しみの一つが平和大通りの「ドリミネーション」。札幌や仙台、新潟と比べても、規模やインパクトはかなりのものです。昼間めいっぱい取材に歩いた(昨日が1万3千歩、今日が1万4千歩)ので、やわらかい光に満ちたオブジェを見ていると疲れも吹き飛びます。
●今日訪れたのは呉市の豊島(ゆたかじま)町。もともと呉市とは別の自治体でしたが、平成の大合併で編入された島です。その一角にある御手洗(みたらい)が今日の取材地。風待ちにはもってこいといった感じの地形で、多いときは数十隻もの北前船が停泊することも。ほかにも、琉球やヨーロッパなど、各国の船が立ち寄ったという記録が残され、当時としては数少ない国際港でもあったようです。江戸から明治にかけての街並みが保存されていますが、洋風の建物もいくつかあるなど、古き風情が。町の人々も皆やさしく接してくれます。
●御手洗まで行くには、呉の市街地を抜け、全長1175mの安芸灘(あきなだ)大橋から全部で6つの橋を渡るのですが、途中見えてくる穏やかな瀬戸内海の景色は美しいのひと言。明治期に瀬戸内海を船で移動した欧米人は、その景色をエーゲ海に例えたといいますが、なるほどという気がします。荒ぶる北の海の中で育った人と気性が違ってくるのも仕方ないでしょう。
●さて、そんな今日の夕食は、ホテルの近くにある「蓬莱」という店で。この店ならではの天津丼。昔から有名なのですが、見ばえも味も変わっていません。そもそも器が大きいところへもってきて、乗っかっている卵が分厚く、たっぷりの餡もはみ出さんばかり。味つけはさっぱりしているので、どんどんお腹に入ります。それでも、夜小腹が空いたときに備え、「アンデルセン」(広島が発祥)でパンをいくつか買ってしまう私。70を過ぎても成長していませんね。

Facebook Post: 2020-12-04T22:28:10

瀬戸内の新鮮な魚は最高!

●今日から3日間、広島です。3・4日は「北前船」の取材で竹原市と呉市、5日、広島市内でおこなわれる会合に出席してから帰京します。それでなくても安い、飛行機とホテルがパッケージになった商品に「Go To」の割引が加わり、信じられないような値段に。そのうえ、地域クーポンでレンタカー代金のいく分かがまかなえ、大助かりです。
●瀬戸内海の港町・竹原はNHKの朝ドラ「まっさん」で有名になりましたが、その後はサッパリといった印象。これは朝ドラや大河の舞台になった地域に共通する現象で、流行に左右されることが多い日本人の特徴が出ているように思えてなりません。「心の底から行きたい」場所がある人が少ないのでしょうか。
●竹原はその昔、塩田で大いに栄えました。「まっさん」の竹鶴酒造も酒造りの前は塩田を営んでいたとのこと。竹原の塩は上方だけでなく、北前船で北陸、東北地方にまで運ばれていました。それらの地域では、「竹原が来た」といえば塩の入荷を意味していたそうです。その当時をしのばせる建物がいまなお残っており、町並み保存がきちんとなされています。電線の地中化も徐々に進んでいる風。
●「広島学」を書いたにもかかわらず、この町はまったく取材せずじまいでした。この本はもともと広島「市」を扱う予定だったので、致し方ありません。実際に足を運んで歩き回ると、北前船で港がにぎわっていた頃の活気あふれる様子が見えてくるような気がします。まる1日働いたごほうびは、瀬戸内の魚。小いわし、豊後さば(生です!)、石鯛の刺身に太刀魚の塩焼き、仕上げのカキフライ。明日も楽しみです。

Facebook Post: 2020-12-03T22:16:36

半月で9つの交響曲を全部聴けるとは!

●「ベートーヴェン生誕250年」も残りひと月です。ウィーンフィルで交響曲(1番から9番まで)全部、しかもすべてバーンスタインの指揮で聴けるというシネコンサートが今日からスタート。18日までほぼ毎日、恵比寿ガーデンプレイスにある日本写真博物館のホールで上映されます。せっかくなので通しのチケットを買いました。
●考えてみると、9曲のうち、知っているのは「英雄(3番)」「運命(5番)」「田園(6番)」「9番」くらいで、「7番」と「8番」はつい先日、NHK(Eテレ)のシリーズ特番で聴いたのが初めて。今日の上映は「1番」と「英雄」ですが、指揮者として脂の乗り切った60歳ごろでもあり、ウィーンフィルの魅力を目いっぱい引き出しているのが、素人の私でさえ感じ取れます。
●それにしても、わずか半月の間にベートーヴェンの交響曲を全部聴けるなど、コロナ禍のさ中ならではのこと。この催しがなければ、ガーデンプレイスに行くこともなかったでしょう。ただ、ここも全盛期の頃とはかなり様変わりし、外出自粛の高まりもあって人の姿はまばら。敷地内にある三越も、近々クローズするといいます。
●さて、明日は「運命」。ジャジャジャジャ〜〜ンしか知らない私も、NHKの特番でその全貌を多少なりとも学べたので、楽しみでなりません。恵比寿ですから、終わったあとのランチも期待できそう。どこかいいお店との運命的な出会いがありますように。

Facebook Post: 2020-12-01T22:36:05

冬間近の満月、自分を見つめ直してみたら

●予想以上に長びくコロナ禍の中、気になるのは健康維持の問題。昨日、朝刊1面の書籍広告を見ていると、こんなコピーが飛び込んできました。「健康診断はやばい。クスリと書いてリスクと読む。運動し過ぎると早く死ぬ。もっとコレステロールを。金はどんどん使う。明日は明日の風が吹く……」。私とカミさんが日ごろ交わしている会話に出てくる言葉がズラリ並んでいます。
●著者は? と見ると、精神医学者の和田秀樹氏。先行きをあれこれ心配するより、根拠はなくてもすべてプラス思考でいったほうが楽しく生きられますよと。古希を過ぎれば、いつお迎えが来てもおかしくはないわけですから、こうした考えに立ったほうが疲れずにすみそうです。私もこれまでもほぼほぼそんな風に生きてきたので、ストレスもほとんどなし。もっとも、そのぶん周りにストレスを撒き散らしてきた恐れはありますが(笑)。
●夜は満月。ビーバーが越冬に備え巣作りを始めることから、英語圏ではBeaver Moonとも呼ばれているそうです。ただ、”人生の冬”がいつ来るかなど予測不能。それよりも”春”のことだけ夢見ていたほうがよさそうです。井上陽水も「満月 空は満月 明日はいとしいあの娘に逢える」と歌っていましたし。
●行ってみたいところ、食べてみたい物、体験してみたいことは日ごとに増えるばかり。でもそれが、1日も長く元気でいようというエネルギーに変わっていくのではないか━━。月を見ながら(体に悪いと言われる)タバコを吸っていると、希望的観測が確信に変わってきました。

Facebook Post: 2020-12-01T07:04:48