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ラスベガスに誕生したNHL新チームの試合を観戦

2017年12月23日
クリスマス休暇前のラスベガスはホント、空いています。宿泊料金も1年中でいちばん安いのではないでしょうか。ホテルの中も、また外に出てもそれほど混んでいません。昨年来たのは、クリスマスから大みそかにかけての時期だったため、どこもかしこも人、人、人。今回はそれがなかっただけでも、まったく疲れずに済みました。

今回のラスベガス訪問のメインはNHL(アイスホッケー)の観戦です。ラスベガスはこれまで長い間、プロスポーツのチームがない都市でした。人口が100万をはるかに超えているのにプロスポーツのチームがないのはラスベガスだけ。それが今年からNHLの新チーム「ベガス・ゴールデン・ナイツ(VGK)」がフランチャイズを置きました。今年4月に完成した「T-mobile arena」が本拠地で、これがまたたいそう立派な施設。外側はさほどでもありませんが、内装がなんとも格好いいのです。

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広島カープの本拠地であるマツダスタジアムの最大の特徴は、球場の周囲をひと回りできるコンコースですが、それとまったく同様、ここにもアリーナ全体をぐる~っと一周するコンコースがあります。もちろん建物の内側なのですが、その開放感といったら! 座席のスペースはそれほど余裕があるわけではありませんが、空間全体から感じられる居心地のよさは指折りではないでしょうか。

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このアリーナではボクシングやプロレスなどの格闘技、バスケットボールなど、ほとんどの室内スポーツが楽しめるそうです。場所も空港からさほど遠くない「New York New York」というホテルのすぐ北側で、ラスベガスのどこからも便利に行き来することが可能。これから先、さまざまなビッグイベントがおこなわれるのでしょう。

試合はVGKのほぼワンサイドでしたが、観客のすさまじい応援ぶりが印象的。唯一のプロスポーツチームだけに、熱の入り方が違います。フランチャイズというのは本来、こういうものを言うのだろうなと、改めて感じた次第です。

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今回のラスベガス旅行には、大きな反省点があります。カナダのeTA取得忘れもそうですが、個人旅行慣れによる落とし穴にはまってしまったことです。ツアーやパッケージであれば、チケットを購入する時点で旅行代理店や航空会社からそうした注意がなされます。ところが、いつものクセで、すべて自力で組み立てようとしたのが失敗でした。よくよく考えてみれば、東京とラスベガスの往復とホテルの予約だけですから、自分であれこれする必要などまったくなかったのです。

私が組み立てたフライト+ホテルとそっくり同じパッケージが売り出されていたことに気づいたのは、自力ですべて手配を終えてから。しかも、空港とホテルの送迎付きで価格も10万円以上安いのです。たしかに、1カ所に行って戻ってくるだけなら、ツアー以前というか、あつらえのパッケージを見つければそれで充分だったというわけです。

バンクーバーでのカナダ入出国→アメリカ入国は一瞬

2017年12月20日
12月20日、予定よりまる1日遅れでバンクーバーに到着すると、アメリカ行きの便に乗り換えます。しかし、これがまた予想をはるかに上回るスムーズさ。たしかに、形式的はカナダにいったん入国するのですが、出国もそれと同時。そして、すぐそのままアメリカへの入国手続きになるのです。

アメリカ入国も、人がほとんどいなかったため、ものの10分足らずで終了し、そのまま搭乗ゲートに急ぎます。そして、予定していた13時30分発の便でラスベガスへ。夕刻ラスベガスに到着し、ターミナルから出ると、外は猛烈な風が吹き荒れていました。ラスベガスはもともと砂漠ですから、目の前が一瞬見えなくなるくらいの砂が舞っていましたが、無事ホテルに到着。今回泊まる「Wynn」というホテルの特徴と言ってもよいゆったりした空気が改めてありがたく感じられました。

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061   動画あり こちらをクリックしてください

このホテルはかつて「Mirage」を作って人々をあっと言わせた伝説の人スティーブ・ウィンが、「自分の理想はこんなものじゃない」と言って建てたもの。それだけに、ロビーまわりも部屋もレストランも、カジノもすべてに彼の思想が行き渡っています。もう10年以上前の話ですが、ウィンはそれでも満足しなかったようで、その4年後、「Wynn」に隣接した敷地に「Encore(アンコール)」という名のホテルを作りました。「Encore(=「もう一丁!」」です。

!cid_4857d242-4b4c-4a6e-8d14-6797fc3bc419@apcprd04_prod_outlook今回初めて、「Wynn」から「Encore」のほうに足を延ばしてみたのですが、たしかにかなり趣が違います。「Wynn」ももともと、カジノ特有の鉄火場的な匂いが希薄ですが、「Encore」はガツガツした雰囲気がまったく感じられず、ゆったり、落ち着いた時間が流れているように思えました。といって気取った風はありません。成熟したおとなの遊び場とでも言うのでしょうか。ある程度年齢を経た人には、こちらの雰囲気のほうが心地よいだろうなという気がします。ランチ(遅い朝食)を摂ったカフェの食器にも、そんな風情がよくあらわれていました。

!cid_a63d4fbb-f670-46a6-a929-a113f16cd2e3@apcprd04_prod_outlook !cid_c2b57691-d9a1-48f4-925f-dd175225d0b6@apcprd04_prod_outlook

「Wynn」の真ん前に「ファッションショー・モール」というラスベガス最大のショッピングモール(デパートが6つも入っている!)があるのですが、そこではクリスマス前のバーゲン一色。どのデパートも、どの店も4~6割引きです。一年でもっとも安く買える時期なのですね。私たちも孫の洋服とか、大量に買ってしまいました。

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「トラベル・イズ・トラブル」の歴史に新たな1ページが

2017年12月19日
本当なら、この日のブログはラスベガスのホテルで書いているはずでした。それがあろうことか、いまもまだ成田空港近くのホテルにいます。予定していた19時発のエアカナダ便に乗れなかったからですが、その理由が笑えてしまうというかなんというか……。アメリカ入国に必要なESTAと似たような事前認証がカナダの場合も必要(eTAといいます)であることをまったく知らずにいたのです。

空港のカウンターでチェックインしようとしたら、「eTAは取っていますか?」と尋ねられました。「eTA? いえ、まだですが……」と答えると、「では、いまここで、ネットで取ってください」と。あわてて私と家人それぞれがI-Padでカナダ当局のウェブサイトにアクセスし手続きを始めたのですが、途中でシステムがまったく動かなくなりました。なんとなんと、年に一度のシステム点検の日、それもまさしくその時間帯(午後5時30分から7時30分)に重なってしまったのです。もう超アンラッキーとしか言いようがありません。いつものように空港に3時間前に来ていたら間に合ったのに……。悔しいというか悲しいというか、自分で自分が情けなくなってしまいました。かえすがえすも残念です。

結局、出発がまる1日延びてしまいました。そもそも、今回エアカナダにしたのは、ロサンゼルスからアメリカに入国するのがゆうに3時間はかかるのを避けたかったから。バンクーバー経由なら、アメリカ入国はラスベガスになり、それほどまで時間はかかるまいと予測し、あえてそういうコースを選んだわけです。

それにしても、「ロサンゼルスから入ったほうがよかった……」という家人の言葉には吹き出しました。「おいおい、それは勝手過ぎっていうもんじゃない!」。ただ、カナダはトランジット(乗り継ぎ)だから、まさか「入国」の手続きが必要になるとは思ってもいなかったのがすべての原因。「トラベル・イズ・トラブル」にまたまた新たな1ページが加わってしまいました。

8月はパリで帰国便に乗れず、こんどは成田で出発便に乗れず。今年はどうもトラブルが多いですね。まして、年に一度のシステム・メンテナンスのときに当たってしまうなんて……。ただ、「これでラスベガス、大当たりするんじゃない」という家人の言葉が現実になれば、言うことありませんが(笑)

そんなこんなで、あわてて空港近くにホテルを取り、そちらで1泊することになったのですが、部屋からカナダ当局のウェブサイトにアクセスすると、eTAのほうはあっさり取得できました。ただ、それでも明日のフライトに空席がないという可能性もゼロとはいえません。まさかとは思いますが、明日午後1時に空港のカウンターまで行って手続きします。さて、どうなるでしょうか。

冬は、夫婦で、フルートを聴いて、フンワリ気分

2017年12月17日
秋田県は仙北市にある夏瀬温泉に来ています。この地にある唯一の宿「都わすれ」で、フルートのコンサートがあるというので、早起きしてやって来たのです。

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「都わすれ」は、すぐ近くの乳頭温泉にある「妙之湯」の姉妹館。ちょうど10年前のいまごろ初めてお邪魔して以来のお付き合いです。「女将さんも姉妹どうしなのですが、先日「鳥取の北前船寄港地フォーラム」でそのお二人にお会いしたとき、今日のことをうかがい、「よーし、行こう」と決めました。

014フルートという楽器の音色がそうさせるのか、「都わすれ」のロビー(80畳ほどの広さでしょうか)のサイズがピッタリなのか、とても心地よく響いてきます。演奏者は吉川久子さん。「フルートの音は、母親の声とほぼ同じ音域なんです」と話されていたのですが、実際、湯につかりながら、どこからとも流れてくるフルートの音を聞いていると、ふわーっとした気分になりました。うっかりすると、湯舟の中でうとうとしていたりします。そのくらい心が癒されるのですね。

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フルートを吹く吉川さんのバックには、窓ガラスを通して、枝に雪を乗せた木々と、遠くの山が見えてきます。庭に作られた小さな雪だるまも可愛い感じ。夜だともっとロマンチックな雰囲気がかもし出されたにちがいありません。それでも、吉川さんの素晴らしい演奏は、40人ほどの聴衆をすっかり惹きつけたようです。

 

 

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「都わすれ」は今年で開業13年目、妙乃湯は65周年だそうです。秋田新幹線の田沢湖駅からクルマで30分ほどという、けっして便がいいわけでもない一軒宿なのに、これだけのお客さんが毎日のように来られていることからすると、やはり際立ったユニークさが魅力なのでしょう。私たちもかれこれ6、7回来ていますが、来るたびに、「次はいつ来ようか」とカレンダーを繰っています。桜が満開のころ、山々が紅葉に染まるころ……。一度でいいから、そういう時期に来てみたいのですが、なかなかかなわずにいます。

ノーベル平和賞授賞式の日に広島にいた偶然

2017年12月12日
IMG_2698昨日から広島に来ています。毎年この時期におこなわれるNPO法人の定例会兼謝恩会に出席するためです。前回広島を訪れたときも驚きましたが、今回は広島駅の改装工事がほぼ終わっており、ますます完成度がアップ。その変わりように、数年前『広島学』の取材で足しげく通っていたころとは見まがうばかりです。南北をつなぐ自由通路の途中に、「連覇」と書かれた巨大なポスターが。それが「広島」を感じさせてくれるのですが、これがなければ、どこの駅に来たのかわからないかも。

もちろん、駅がリノベーションされたからといって、また駅前が美しく整備されたからといって、人々の発想や行動が変わるわけではありません。しかし、こうまできれいになると、多少はお行儀よく振る舞わなければ……という気にはなりそうです。

IMG_2707さて、会合は、海っぷちにあるホテルで6時から。昨年もそうでしたが、今年も余興に神楽が披露されました、大変な迫力というか、スピーディーな動きには、いつも圧倒されます。日本の伝統芸能でこれほどテンポの早い感じのものは珍しいのではないでしょうか。

終わって部屋に戻ると、夜のニュースはこの日おこなわれた「ノーベル平和賞」授賞式の模様一色。ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞したこともあり、広島で72年前に被爆し、その後カナダに移り住んだという女性が授賞のスピーチを。「核兵器は必要悪ではなく絶対悪」という言葉には胸をえぐられる思いがしました。

IMG_2724それはそれとして、昨夜目にした「ノーベル平和賞」授賞式の様子が頭からなかなか離れません。このまま帰ってしまってはなんだか申し訳ないような気持ちになり、東京に戻る前、時間を少し作って、相生橋のたもとにある原爆ドームを訪れてみることに。粉雪が風に舞う寒さの中、ドームはいつもと変わらぬ姿を見せてくれました。ここのところその周辺も前よりいっそう整備されているようで、「折り鶴プラザ」という施設を初めて目にしました。そのあと広島焼を食し、新幹線で帰京。

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友人が5回も観に行ったという映画に私も

2017年12月7日
一昨日、高校時代の仲間8人が集まって開いた忘年会の席で、「今年はあと31本で年間500本達成!」と、無類の映画ファンであるSくんが話していました。「その中で一番の傑作は?」と尋ねると、「5回観に行ったのが1本ある。『女神の見えざる手』っていうんだけど」との答えが。

女神の見えざる手チラシ

さっそく今日観てきました。「なるほど」です。といっても、ほかに数多く見ているわけではないので。比べようがないのですが、わたし的には『ハドソン川の軌跡』『ジーサンズ』『ローガン・ラッキー』が今年のベスト3だったので、そこへもう1本加わることになります。

Sくんが5回も観たのは、この作品のテンポがめっぽう早いので、ついていけない部分があったのではないかとも推測できます。ただ、それにしても、『女神~』は脚本が素晴らしくよくできているのです。ここまで練れるかとため息が出てしまうほど、大筋からディテールに至るまで、隙がありません。

私が好きな映画のパターンは、とにもかくにもハッピーエンド。「こういうふうになってほしい」という願いどおりに終わるのが最大の条件です。アクションだろうがラブストーリーだろうが、それは変わりません。この『女神の~』も最後の最後はそうなってくれるのですが、直前までは、「えーっ、そうなの!?」と心配させられました。これ以上書くとネタバレになってしまうのでやめますが、『女神~』は作品性とでもいうのでしょうか、ストーリー展開のレベルが非常に高いと思いました。

設定は、いかにもアメリという感じの、ロビイングを生業とする会社。作品では、銃器規制法案がターゲットなのですが、これまたアメリカならではの素材です。縦糸と横糸どころか、斜めの糸も裏地もすべて「アメリカ」。その意味では徹頭徹尾「アメリカ」を扱っているわけですが、だからといって、私たち日本人が観ても、違和感はありません。観終わったあと、すぐに席を立つ気になれない、秀抜な作品でした。

ちなみに、脚本を書いたのはイギリスで弁護士をしていたというジョナサン・ペレラ(男性)。テレビのニュースで、不正行為で逮捕されたロビイストのインタビューを観て着想を得たといいます。「ロビイストの仕事は政治と諜報活動が合わさったものだ。彼らがどうやって影響力を行使するのか。合法ぎりぎりのラインで、どんなストーリーが生まれるのかに興味を抱いた」と語るペレラは、そこから人生初めての映画脚本に挑みます。それをハリウッドの映画製作会社に送ったところ、社長が驚嘆。なんと1年後には作品が完成したのこと。素晴らしい作品を教えてくれたSくんに、深く感謝です。

「鳥取砂丘美術館」で「砂」の奥深さを再認識

2017年11月25日
山陰ツアーも今日が最終日。いよいよ本来の目的である「第22回北前船寄港地フォーラム」です。23日の夜は前泊というか、非公式の懇談会(早い話が飲み会)に。フォーラムの運営にたずさわっているスタッフの苦労話を聞きながら、「早く本にまとめないと……」との決意を深めました。今年の2月から取材を始めているのに、まだ一文字も書けていないのですから、当然といえば当然かも。

IMG_2576昨日はフォーラムの本番でしたが、いまや本格的なイベントに飛躍した感があります。会場は「とりぎん文化会館」。「とりぎん」と聞くと首都圏からの参加者は焼き鳥屋を思浮かべてしまいそうですが、えらく立派な施設でした。1500人は収容できそうな会場も、1階席はほぼ満杯。毎回そうですが、5時間近くに及ぶロングランの会合に最後までいるのはかなりの忍耐力が必要です。

 

内容も、数年前とは大違い。パネルディスカッションの登壇者も、全員がそれぞれプロジェクターを駆使して話します。どこに出しても恥ずかしくない「学会」といった雰囲気でしょうか。

DSC04723ただ、それはそれとして、参加者のいちばんの目的は、終了後のレセプションと言っても過言ではありません。ふだんから交流がある業界もありますが、こうした場でしか接点を持つことのない、他業種の人たちと自由闊達に話ができるということで、今回も多くの方が参加していました。立食スタイルでしたが、「ウェルカニ」を謳う鳥取県での開催だけに、会場には当地の特産・松葉ガニが山のように並べられ、皆、舌鼓を打っていました。カニだけではありません。こちらは魚介類のレベルがとにかく高いのです。

ただ、大きな会場ではありましたが、参加者が400人近くとなると、やはり疲れてきますね。持ってきた名刺もほとんど底を尽いたところでちょうどお開きとなり、二次会に。そちらにも数十人が参加していましたが、翌朝(今日25日)のスタートが早いこともあって、早々に引き上げました。

 

IMG_2591今日は早起きです。というのも、昨日行き損ねた鳥取名物「(スタバならぬ)すなばコーヒー」を飲みながら朝食をと考えていたからですが、開店時刻の7時半に、ホテルから歩いてすぐの店に行ったらもう20人近い行列が! 私たちは18番目で、17人しか収容できない1回目のセッションにはタッチの差でアウト。仕方なくあきらめ、駅の反対側にある、「すなば」ならぬ「スタバ」に行きました。

 

今日はエクスカーションへの参加を申し込んであったので、バスに乗ってまず砂丘へ。ところが、「Pokemon GO Safari Zone in 鳥取砂丘」というイベントと日程が完全にバッティングしていたため、道路が大渋滞していました。開催期間(11月23~25日)中はレアな「ポケモン」がゲットできるというので、中国地方はもちろん、関西・九州、さらには首都圏あたりからも愛好者が殺到したのです。地元に関係者によると、「これほどたくさんの人が砂丘を歩いているのは初めて見た」そうですから、歴史上初めての状況を呈していたのでしょう。

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砂丘で感動したのは、「砂丘美術館」です。前に砂丘を訪れたときはまだなかった施設で、私たちも初めてですが、これは素晴らしい! 館内には年に1回──といっても開催期間は9カ月ほど──、一定のテーマのもとで巨大な砂の彫像が10~20点展示されることになっていて、そのどれもが大変な力作。今年は「アメリカ」がテーマで、西部開拓史やら摩天楼やらハリウッドやら、アメリカにちなんださまざまな彫像を見ることができました。一つひとつとてつもない手間がかっているのが感じられる作品に、深く感動。

どの像も、半月くらいの期間をかけて作られるのだそうで、全体をプロデュースしている茶圓勝彦さんは鹿児島県南さつま市の出身。同市吹上浜で毎年ゴールデンウイークに開催される「砂の祭典」は、日本で初めての“砂のイベント”だそうです。拙著『鹿児島学』にも記しましたが、その地に生まれ育った茶圓さんですから、およそ感覚が違うのでしょう。個々の彫像もさることながら、全体の並べ方はなんとも言えないユニークさが感じられます。単体でも素晴らしいのに、それが10数点も巨大な空間の中に並べられているのですから、迫力もハイレベル。これだけでも、エクスカーションに参加した甲斐があったというものです。

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そのあとは鳥取港近くの観光市場やお土産物屋が集中しているエリアに立ち寄り、夕方の便で東京に戻りました。そうそう、空港の片隅に、朝行き損ねた「すなばコーヒー」の小さな店があったので、そこ名物のパンケーキと砂コーヒーをセットで頼み、所期の目標も達成です。

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雨の出雲大社から米子・境港・倉吉へ

2017年11月23日
今日の夕刻から明後日の午後まで鳥取市です。昨日、羽田から島根県の出雲(縁結び)空港に入り、出雲大社を見学したのち米子(鳥取)で1泊。おいしいイタリア料理を堪能し、今日は境港→倉吉経由で、夕方こちらに入りました。米子も境港も前々から行ってみたいと思っていたところなので、願いがかない大満足です。

DSC04653出雲大社を訪れた昨日はあいにくの雨。天気がよければもっとすがすがしい気持ちになれたでしょうが、残念なことをしました。境内は歩く距離も長いですし、気温も低かったので、足の傷がまだ完全に癒えていない家人には辛かったはず。ホテルを予約してある米子に行く途中、展示作品だけでなく庭園も美しいと評判の足立美術館に立ち寄る予定を組んでいましたが、こちらも省略。雨の中、滞在見込み時間が1時間足らずとあっては、致し方ありません。

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米子は商業都市で、同じ鳥取県にあっても、城下町の鳥取市とはまったく趣が違うように感じました。タクシーの運転手さんは「ざっくばらんなところがあって、ストレスがたまりにくい町」と。商業都市ですから、学歴がどうのとか、家柄がどうのといったことなど、気にしてなんかいられません。なんだかんだ言っても、最後は「お互い様」といった感じでしか商売はできないということなのでしょう。

城下町はその点、くたびれます。本音と建て前を使い分けなければならない場面も多いですし、言葉には出さずとも、何かにつけて学歴やら家柄が取り沙汰されます。いまどき殿様も家老も足軽もいないのに、そうしたレベルのことが、ぼんやりとではありますが人々の意識に巣食っているフシがあるのです。それが上から目線のものの言い方や態度になってあらわれたりするのでしょう。そのため、相手と「素(す)」で付き合うのが難しいのです。詳しく拙著『城下町の人間学』をご参照ください。

その米子で昨夜入った店は洋風居酒屋の雰囲気でしたが、客の入りがすこぶるいいのです。食べたものはどれもおいしく、店員さんもさわやかで愛想よし。また行く機会があったら、ぜひ足を運んでみたいと思いました。

今日はその米子から、境港。途中、左手を日本海、右手を中の海にはさまれた立派な国道を走るのですが、そこから見える大山の素晴らしいこと。ずっと以前のことですが、拙著『新 出身県でわかる人の性格』に、1年を通じて、それも朝から晩まで、立派な山を目にしながら育った人はすがすがしい性格を持つようになる“と記したことがあります。そこで例に引いたのは青森の岩木山、岩手県の岩手山、富山県の立山、そして鳥取県の大山です。

最初の3県は、その県出身の知人・友人がいたので自信を持って名前を出したのですが、鳥取県の大山は正直言って推測の域を出ていませんでした。しかし、昨日から今日にかけて、大山を見ながら日々暮らしている人たちと接する中で、私が書いたことも間違いじゃなかったと安心したしだい。この時期の大山は頂上付近が少し雪をかぶっており、いっそう美しい姿を見せてくれました。別の機会にまた訪れてみたいと思います。

 

DSC04683境港は『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるの生まれ故郷ということで一躍有名になった町。ただ、秋冬のカニ以外、『鬼太郎』しか売りがありません。でも、市民はそれを強力なバネにしている風で、『鬼太郎』に徹しています。店の名前もメニューも、お土産品のコンセプトも、すべて『ゲゲゲ』であり『鬼太郎』であり、『水木しげる』なのです。ある意味潔く、よそ者であるこちらも、「だったら、それに乗っかっちゃおう」という気分にさせられました。インバウンドの外国人観光客となるとそうは行かないでしょうが、日本人の、ある年齢から上の人たちは私たちと同じような気持ちになるにちがいありません。

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境港をあとにし、次に向かったのが倉吉。倉吉は、私がプロデュースさせていただいた『人生 八勝七敗』の著者で大相撲・尾車親方を育てた横綱・琴櫻の生地。横綱の記念館もあると聞いていたので、そこにも行ってみたいと思っていました。

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DSC04710小さくも古い城下町で、いまも県内では第三の都市です。といっても、JRの駅に近い現在の中心街とは、玉川を隔ててけっこう離れたところに、城とその周囲の町(琴櫻記念館もその一角にある)があったらしく、川沿いに並ぶ白壁土蔵群は落ち着いた観光スポットになっています。

 

 

玉川に架かる石橋、由緒のありそうな古刹や酒蔵、赤い石州瓦に白い漆喰を塗った壁が特徴の家々など、江戸・明治期の面影が色濃く残っており、落ち着いた風情がかもし出されていました。

DSC04706そうした中、面白いと思ったのは大蓮寺。1300年ほど前に創建された大蓮寺が起源とされ、いまから450年くらい前に近在の3寺を統合、現在の地に伽藍を建立したものの、1942(昭和17)年に解体されてしまいました。それが、1955(昭和30)年に鉄筋コンクリート造りのユニークな本堂として再建されたのだそうです。クリーム色の外壁は周囲の街並みとはまったく異質で、「えーっ。何、これ?」とだれもが驚くことでしょう。淀屋清兵衛(江戸時代前期、商都・大阪を築いた豪商)ゆかりの寺としても有名なようです。

ひととおり散策したあと、最後に「旧国立第三銀行倉吉支店」の1階にあるカフェでひと休み。天井の飾りや階段などの建具が1908(明治41)年の建築当時のままだそうで、なんとも言えない落ち着きを感じさせてくれました。

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恥ずかしー! 「消えた」デジカメのありかは?

2017年11月7日
寝ている間に船はドイツとチェコとの国境の町パッサウに到着。今日はチェックアウトの日です。部屋を空っぽにして船から降り、バスで旧市街に向かいます。パッサウも2度目の訪問です。

ところが、降りる直前、デジカメがないことに気がつきました。あわててバッグの中、ブルゾンのポケットと、裏返したり逆さにしたりしてみたのですが、見つかりません。添乗員さんにお願いして、私ひとりだけ乗せて、バスの運転手さんに引き返してもらいました。船にはもう乗りませんから、置き忘れていたりすると大変なことになってしまいます。船に戻って部屋の中や朝食を食べたレストランなど、あちこち探したのですが、どこにも見当たりません。

デジカメの撮影データは幸い、持参のノートPCに昨夜落とし込んでおいたので大丈夫。ただ、これも、旅に出るとブログをアップするのが遅れ遅れになってしまうので、家人から「撮ったその日のうちに写真をチェックすれば、少しでも書いておこうっていう気持ちになれるでしょ!」と檄を飛ばされていたおかげです。今回の旅では、毎晩、その日の撮影データを移していました。

それはそれとして、写真を撮るのがスマホだけというのは、いささか心もとありませんで。でも、仕方ないとあきらめ、バスでパッサウまで引き返しもらうと、ちょうどほかの方々が市内観光を終えて戻ってくるところでした。家人に「なかったよ……」と答えると、「バスの中、もう一回探してみたら」というので、座席の下を見てみました。すると、なんと、私がすわっていた一つ後ろの座席の下に転がっているではありませんか! 船に戻る前に見たときはなかったのに……。先ほど船まで引き返すために移動している間に前・後ろと転がっていたのですね。……まあ、とりあえずあってよかった! これからは、こういう笑えないトラブルがだんだん増えてきそうな予感がします。

!cid_087b49a9-ba1b-4c78-afdc-be5aec8a6982@apcprd04_prod_outlook3つの川(ドナウ川、イン川、イルツ川)に囲まれているパッサウ。市内にいくつも建つ教会もさることながら、いちばん印象に残ったのは初めて訪れたときも目にしましたが、小ぶりながらも存在感のある時計塔が目を引くのが市庁舎です。その外壁に、童謡『背比べ』の歌にある「柱の傷」に似た目盛りが刻まれています。この町は毎年のように洪水が起こるため、大きな洪水があった年の数字と、そのときの浸水水位が記されているのです。いちばん最近の洪水は2013年6月で、そのときの水位(史上2位だったとか)ももちろん記されていました。このときは市庁舎の1階部分が完全に水没したといいます。似たようなものは熊野本宮を訪れたときにも見ましたが、実際その前に立ってみると、そのすさまじさが想像できます。

 

さて、パッサウからは、ミュンヘン国際空港の近くにあるフライジング(Freising)という古い町へ移動。この町のこともまったく知りませんでしたが、味わい深いところでした。教会以外に見るべきものはさほどないものの、まずランチのおいしかったこと。それと、レストランがある建物入り口のパン屋さんで見つけたドイツパン。ドイツではどこのパンもおいしいのですが、この町の店で買ったのは特別。日本にいても買えるのなら、ずっとヒイキにしたいほどです。

町のあちこちにクマのオブジェがあるのが印象的でした。フライジングからバスでミュンヘン中央駅近くのホテルに移動。明日はいよいよ帰国です。

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ガイドさんのおかげで楽しめたレーゲンスブルクの旧市街

2017年11月6日

朝食から部屋に戻り、バスルームで乾いたハンドタオルを使おうと手に取ったのですが、見てびっくりしました。茶色というかえらく汚れた感じがするのです。最初の日からうすうす感じてはいたのですが、フェイスタオルとバスタオルは別として、ハンドタオルだけは白かった日が一日もありません。水に濡らすとそれがもっとはっきりわかります。思わず写真に撮ってしまいましたが、これはひど過ぎないでしょうか! 4216FBAB-1376-406D-9EE2-B5408A2A56D4思わずキレそうになってしまいましたが、ひと呼吸置きました。濡らしたハンドタオルをバスタブ(真っ白です!)のふちの目立つところに置き、その横に「We call this “dustcloth” not “towel”.」と記したメモを添えておきました。“dustcloth”はもちろん「雑巾」のこと。といって、その日の夕刻からもう少しましなハンドタオルが供されたわけではありません。ただ、これはこのクルーズ会社の文字どおり汚点という気がします。

 

午前中はゆっくり過ごし、船内でランチを済ませると、午後はレーゲンスブルクの町へDSC04492。4年前のクリスマス時期にも、少年聖歌隊(別名「大聖堂の雀たち」)の美声を聴きにこの町の大聖堂を訪れたことがありますが、それ以来です。

そのときは個人旅行、しかも滞在していたミュンヘンで突然思い立っての訪問でしたので、町についてのきちんとした知識などありませんでした。でも今回は、ガイドさんの解説を聞きながら旧市街を散策するということもあり、興趣がそそられます。900年近く前に架けられたドイツ最古の石橋=「シュタイネルネ橋(Steinerne Brucke)」と、それを造った職人たちのための食堂がいまでも残っているのですが、そこから出発しました。

ツアーの場合、添乗員さんはいないことがあっても、ガイドさんはまず100%つきます。たいていは、日本語を学んだ現地の方ですから、まずは言葉の巧拙がポイントに。日本人と結婚して日本語を覚えた人もいれば、大学で日本語を専攻し、日本に留学した経験もあるという人もいます。どちらが流暢かということになりますが、一概には決めつけられません。

個人旅行でしたが、4年前にロシアを旅したときは、駄洒落や日本の諺まで自由自在に繰り出すガイドさんのお世話になりました。けっして流暢な日本語ではありませんでしたが、それでも次に何を話してくれるのか、こちらに期待を抱かせる方でした。

話の内容、またガイディングの仕方で、旅の印象は大きく違ってきます。観光スポットについての情報や、その背景にある歴史・地理・文化にも造詣が深い。それだけでなく、私たちの行動についても至れり尽くせりといった感じで文字どおりガイドしてくれる人もいます。でも、逆に、どれも中途半端(といっては申し訳ありませんが)な方もおり、そのあたりの差が、その地の印象と重なり合うのです。どれだけ多くの優秀なガイドさんを確保できるかが、旅行会社の腕の見せどころなのでしょう。

この日の女性ガイドはその点、とても優秀な方でした。もっとも、そもそもが勉強好きのドイツ人なので、観光に欠かせない歴史・地理・文化の知識は抜群。私たちシロウトにはちょっと詳しすぎるかなぁとも思いましたが、つい聞き入ってしまいました。何も知らずに歩けばすっと通り過ぎてしまうような場所も、実はすごく由緒があるところなんだと知ると、見る目が違ってきます。

DSC04501ドイツの町はどこに行ってもそうなのでしょうが、観光スポットが集中する旧市街地がたいていの場合、教会を中心にできているので、道に迷うことがあまりありません。教会の塔の姿・形(どの方角から見るとこういう姿に見えるということ)さえきちんと頭に入れておけば、迷わずに歩くことができるのです。

レーゲンスブルクの街歩きでポイントになるのは、2本の尖塔を持つゴシック様式の大聖堂。この町は教会がとりわけ多く、小さな町内に一つずつといった感じで建っており、どれも皆、有力商人の寄進だとか。塔の高さや外壁の素材・仕上げを競ったらしく、それぞれが個性的なよそおいを凝らしています。そうした建築物があちこちに建つこの町は、旧市街全体が世界遺産に登録されているそうです。

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DSC04548観光が終わったあと、前に訪れたときランチを食べた市庁舎1階のレストランの向かい側にあるカフェへ。そこでコーヒーとケーキを食べました。カフェに行く前に、個人的に立ち寄った「アルテ・カペレ(Alte Kapelle)教会」は、2日前に訪れた「メルク修道院」も顔負けの、どこもかしこも金ピカのチョー豪華な内装が印象的。外側はまったく地味なのですがね。

 

今夜は船内最後の夕食とあって、バイエルンスタイルの内容。名物のホワイトソーセージもさることながら、ビールのおいしかったこと! ドイツのなかでもこのバイエルン地方は本場ですから、当然といえば当然かもしれません。

近い将来また来てみたいと思わせるザルツブルク

2017年11月5日
船は朝方、リンツに到着。ここからバスでザルツカンマーグート地方に向かいます。陶器の町グムンデンからトラウン湖、フランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベトと出会ったリゾート地=バート・イシュルを経て、美しい景色で知られるハルシュタットの町に到着。

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お天気に恵まれたこともあり、湖も空も周囲の山々もこれ以上はないほど日に映え、美しい姿を見せてくれました。なぜか韓国からの観光客が目立ちます。この地が韓流ドラマと関係でもあるのでしょうか。2時間ほどの滞在でしたが、堪能させてもらいました。

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DSC04336ハルシュタットから、途中ここ10年で驚異的な成長ぶりを見せたエナジードリンク「RED BULL」の本社があるアシュル・アム・ゼーを経て、2時間でザルツブルクに移動。ザルツブルクは映画『サウンド・オブ・ミュージック』の撮影地が市内・近郊に散在しており、それを目当てに訪れる人がいまでも多いようです。ガイドさんが「ここは、あのシーンの……」「子どもたちが何やらした場面を撮ったのがあそこで……」と一生懸命説明してくれるのですが、残念ながらまったく記憶がありません。それはそうでしょう、観たのは52年前、高校1年生のときなのですから。やはり50年という年月はハンパなく長いのです。

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DSC04370「ミラベル庭園」「カラヤンの生家」などを観ながらザルツァッハ川を渡ると旧市街です。ひと目でその生業が分かる絵の看板を掲げた店が立ち並ぶ商店街「ゲトライデガッセ」の中心部にあるのが「モーツァルトの生家」。なぜか1階はスーパーになっているのですが、その上のフロアはすべて博物館。狭い階段を昇ったり降りたりしながら、複雑な造りの内部を見学しましたが、印象に残ったのは「モーツァルトのお墓はどこにもない」というガイドさんの話。偉人のお墓がいまだにどこにあるかわからないというのは、やはり珍しいのではないでしょうか。若くして世を去った個性的な“天才”音楽家だけに、その死もユニークだったのかもしれません。

 

ランチのあとは旧市街をあちこち散策。小高い丘の上に立つ「ホーエンザルツブルク城」の上から一望できる市内は、川の流れとあいまってとても美しく、春から夏にかけて、また真冬に訪れたらもっと素晴らしいだろうなと想像をかき立てられます。ザルツブルクはやはり夏の音楽祭の季節に来てみたいですね。

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散策の途中、ツアーで一緒の女性が教えてくれた「塩チョコレート」を購入し、高速道路でパッサウへ。私たちを待ち受けている船に戻ります。途中から雨が降り出しましたが、観光の最中でなくてラッキーでした。今回の旅は、いまのところ雨とはまったく無縁。皆さん、心がけのいい人たちばかりなのでしょう。

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夜は、明日下船する別のツアーの一団もいるということで、「フェアウェルパーティー」です。歌のショーや抽選会がおこなわれ大いに盛り上がりましたが、このあたりがクルーズツアーのおもしろさなのかもしれません。

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ドナウ川クルーズの愁眉ヴァッハウ渓谷

2017年11月4日
DSC04111今回のクルーズの目玉の一つが「ヴァッハウ渓谷」です。ドナウ川沿いでは景色がいちばん素晴らしいとのことで、この季節は黄色く変わった葉でいっぱいの木々が楽しめそうです。

今日未明にウィーンを出発した船は朝方、デュルンシュタインに到着。ここで下船し、徒歩で町に向かいます。黄色に色づいたブドウ畑の横を通り抜けた先が市街地。といっても、往復20分足らずですべて観ることのできるこじんまりした町です。

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私は、かつてリチャード獅子心王が幽閉されていたという城跡のある山に登りました。20分ほど歩くと頂上なのですが、ここから見下ろすドナウの眺めは最高でした。私より先に、数人の方が登り終えており、お話をうかがうと、80ウン歳とか70代後半とか、はるか年上の人ばかり。とにかく、その元気さには恐れ入ります。

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出発まで時間があったので、この町を象徴する「聖堂参事会修道院教会」の周りを歩いてみました。水色の外装がユニークな教会です。川岸ギリギリの道を小型定期船の船着き場まで歩いていき、その全景を観ることができました。

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DSC04137船に戻るとランチです。バイキングスタイルは変わりませんが、今日はなぜか、基本のラインナップのほかに子豚の丸焼きが出てきました。厨房から、大きな銀の皿に載せた豚が運ばれてきたときはびっくり。小さなロウソクが何本も差し込んであるのですが、その炎が爆竹のようにはじけて音を出すのです。それにしても、なぜこのタイミングで? どう考えてもわかりません。

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さて、デュルンシュタインから船はパッサウまでさかのぼっていくのですが、その間が「ヴァッハウ渓谷」。途中、山の上に古い城跡があったり黄色い木々に覆われた山肌が見えたり教会の尖塔がひときわ目立つ可愛い町があったりなど、ずっと観ていても飽きません。2時間ほどで、次の目的地メルクに到着。「修道院」で有名なところと聞いていましたが、遠目で見てもたいそうなスケールであることがわかります。

 

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DSC04187もともとは、ハプスブルク家より前の時代にこの地方を支配していたというバーベンベルク家が築いた城をベネディクト派修道院に寄進したもので、18世紀の初めにバロック様式で再建されたため、見た目も派手な=清貧のイメージとは真逆の修道院に。内部、とくに祭壇はなんとも絢爛豪華でした。10万冊の本を備えた図書室は、今年8月にダブリンで訪れた「トリニティー・カレッジ」を思わせるような造り。また、ほかにもさまざまな宝物を展示しており、楽しむことができます。屋上からの眺めも素晴らしく、こんな場所で修行に打ち込めるのだろうかと心配になってしまいました。

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ウィーンで出会ったユニークなチョコレート屋

2017年11月3日
ツアーでは朝・昼・夜と、同じテーブルで食事をともにする相手がほぼ毎日変わります。どのテーブルに着くかは自由なので、だれと隣り合わせになるかは、座ってみるまで分かりません。今日同席したのは、80歳近いご夫婦。この旅行会社との付き合いは20年近くだそうで、主催するツアーに参加するのも10数回目だとか。

これまで食事で同席した皆さんのほとんどが、この会社のツーアのリピーターのようです。話を総合してみると、この旅行会社は、客のニーズを実に的確につかんでいるのがよくわかります。食事の内容、コース、訪問する観光スポット……。どれをとっても、ありきたりではないというか、よく工夫されている感じがします。かゆいところに手が届くサービスも高く評価されているようでした。また、添乗員さんも自分が担当するツアーで訪れる先の地理や歴史・文化をしっかり学んでおり、レベルが高そうのです。

そもそも、この会社が企画しているツアーのテーマ・内容自体がたいそうユニークです。マニアックな感じがしないでもないのですが、これはそうした内容を求める客が少なからずいるからでしょう。いま、日本から海外旅行に出るのは70歳以上の人がほとんど。もちろん、それは費用がある金額以上のツアーです。若い人は時間もお金もありませんから、どうしても安手で通り一遍のメニューで構成されたツアーに参加するしかありません。

しかし、70歳以上の人たちは、まず時間が豊か。しかも、いまの日本では年金受領額もいちばん恵まれています。そのため、できるだけわがままを聞き入れてくれそうなツアーを選ぶわけです。そのあたりに早い時期から着目していたこの会社のツアーが多くの人から支持されるのは当然かもしれません。

 

DSC03974さて、今日はウィーンの市内観光。最初は中心部(「リンク」の中)に集中して建つ施設の一つ「シシィ博物館」で、今回が2回目。しかし、その次に訪れた「美術史美術館」には度肝を抜かれました。ハプスブルク家があちこちから収集してきた美術品がぎっしり収められています。クリムト、ブリューゲル、ラファエロ、ティツィアーノ、フェルメール。デューラーなど、美術や世界史の教科書で観たことのある作品が、これでもこれでもかといった感じで展示されていました。

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DSC03979その後、ウィーンで最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」でランチをいただき、午後は自由時間。レストラン近くの「シュヴェーデンプラッツ」からトラムに乗ってリンクを半周、「オペラ座」の前で下車し、目抜き通りの「ケルントナー通り」を歩きましたが、週末ということもあって大変な人出でした。有名なカフェもそこここにありましたが、そちらは後回しに。

私と家人は、とあるチョコレート屋さんをめざします。かつてはハプスブルク家御用達のボタン屋さんだったのですが、当時の店舗のままでいまはチョコレートを販売しているというのです。外には御用達のお店であることを示す立派な看板があり、店内の壁はかつてボタンを収めるのに使われていた引き出しが。壁だけ見ると、「えっ」という感じがしますが、あくまで内装として利用しているのです。思わず写真を撮ってしまいましたが、そのアイデアに感心しました。いくつか買って帰りましたが、一つ二つつまみ食いしてみるると、これがえらくおいしいのです。さすが「ウィーンでいちばんおいしいチョコレート屋」を謳っているだけのことはありました。

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実を言うと、今夜は家人と二人で外食にしようと思っていました。というか、そろそろ日本のしょう油味が恋しくなっていたのです。そこで、「ケルントナー通り」から路地をちょっと入ったところの、7年前にも訪れたことのある日本料理店を探してみました。しかし、そこにあったのは前とは似ても似つかない店。いちおう「日本風」を謳ってはいるようですが、店の名前も外装もすっかり変わっていました。外にいた店員に聞いてみると、何年か前に昔あった店は閉店し、そのあとを自分たちが引き継いだとのこと。結局、中には入らずじまいで船に戻ることに。旅の途中で日本メシをとの願いはもろくもついえてしまいました。

 

 

 

 

初めてのスロヴァキア訪問は、3時間でジ・エンド

2017年11月2日

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DSC03764午前8時半に船を降り、バスに乗ってブラスチラヴァの観光へ。最初に行った「ブラスチラヴァ城」からはドナウ川が見下ろせます。右手にある、ソ連時代に作られたという橋を渡った先が、昨日まで滞在していたハンガリー。そのさらに先はオーストリアです。ヨーロッパが地続きであることをまざまざ実感させられます。

 

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城から下に降りて通りを渡ったところにあるのが「聖マルティン教会大聖堂」。「聖マルティン教会」はカトリックのわりにシンプルで質素な建物。歴代のハンガリー皇帝の戴冠式がここでおこなわれたとは思えません。

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ここからさらに下ったところから狭い旧市街が始まります。世界中の観光客が集まってきているのがありありと感じられる街並みは、ヨーロッパの古い町の典型といった感じでした。ガイドさんからは、ちょっと歩くたびにベートーヴェンが住んでいたアパートです、モーツァルトがコンサートを開いた屋敷です、リストが……といった説明が。有名なカフェ、レストラン、女帝マリア・テレジアの娘エリザベートが好きでよく訪れたという店もありました。

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そこを抜けたところが「フラヴネー広場」で、まわりには各国の大使館が並んでいます。日本大使館もありました。そこから「フヴィエズドスラヴォヴォ広場」に行くと「国立劇場」「フィルハーモニック劇場」「国立ギャラリー」など、写真に撮りたくなるような味わいのある建物がずらり。河畔まで戻ると私たちの船が。この間わずか3時間。旧市街の玄関口といわれる「ミハエル門」を観られなかったのは残念ですが、これは旅行会社の段取り不足でしょう。

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わずか3時間のスロヴァキア訪問を終え、お昼前にはウィーンに向けて出航。途中の景色は雑木林ばかりで、町や村はほとんどなく、夕方までゆっくりした航行が続きます。それにしても、今朝がたから船内のwi―fiがほとんどつながらないのが悩みのタネ。仕事のメールが送受信できないのです。ウィーンに着けばと……添乗員さんは言いますが、大丈夫なのでしょうか。

DSC03887夕方ウィーンに到着。夜はコンサートが待っています。会場は、市民公園の中にある「クアサロン」。さすがウィーン、小さくてシンプルながらも、どこか威厳を感じさせるホールです。たぶん毎晩、観光客向けのコンサートがおこなわれているのでしょうが、内容はけっこう濃密。最後はウィーンフィルの新年コンサートの定番「ラデツキー行進曲」で終わり、大いに楽しませてもらいました。

 

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今日でブダペストは最後

2017年11月1日

今日は水曜日ですが、「諸聖人の日」という祝日だそうで、ハンガリー全土がキホンお休み状態。ツアーメンバーの多くは、添乗員さんの引率で、トラムと地下鉄(ヨーロッパではロンドンに次いで2番目に古いとのこと)を乗り継いで、「英雄広場」の観光に出かけました。私たちは別行動で、朝食を済ませると(そう、サラミソーセージはやっぱりおいしかった!)、市内中心部のエルジェーベト環状通り沿いにある「カフェ・ニューヨーク」という店まで歩いて行きました。結婚して現在イタリアのフィレンツェに住んでいるわが社のスタッフが、以前ブダペストを旅したとき感動し、興奮のメールを送ってくれたことがあるからです。

船を出て30分ほど、9時半には着いていたのですが、7、8人の客がすでに並んでいました。しかも、待っている間に、あとから来た客が何組も、私たちを横目に中に入っていくではありませんか! なんと、予約してきているようなのです。カフェなのに予約とは……。でも、たしかに、そうしたくなるほどユニークな店でした。

IMG_2296何がユニークなのか? まず建物自体がとても大きくて重厚。店の中は大理石の柱に豪華なシャンデリアがしつらえられ、さらに天井画まで描かれています。壁紙、テーブル、イス……どれをとっても華やかできらびやか。ブダペストの数あるカフェのなかでももっとも有名だというのも納得できます。かつてはこの町の作家や芸術家、新聞・雑誌記者や編集者などが集まり、文学論、芸術論を戦わせるカフェとして一世を風靡したとも。いまは「ボスコロ」という5つ星ホテルの1階にあって、宿泊客が朝食を食べるスペースも兼ねているようでした。朝食の時間が過ぎれば、訪れてくるのはほとんどが観光客なのでしょうが、それだけに、一日中にぎわっているようです。

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私と家人はコーヒーとアップルパイを頼み、1時間ほどゆっくりしたあと、タクシーで帰ったのですが、大きな落とし穴にはまってしまいました。船が停泊している場所の地図を見せ、指で示しながら「ここまでね」と告げると、「OK!」。しかし、いざ走り始めると、どう考えても遠回りしているようにしか思えません。案の定、車を停めたのはまったく違う場所でした。「ここじゃないよ!」と、再度地図を見せて指示したのですが、自信なさげな顔をしてみせます。

しつこく説明してやっと理解したような表情を見せながら、そこからまた1キロほど走ったでしょうか。ようやく目的地に到着。ところが、メーターを見ると「6000フォリント」。日本円に換算すると3000円です。「えーっ!」と思いましたが、これはボラれたとしか言いようがありません。

悔しいので、部屋に戻ってネットで調べてみると、「ブダペストのタクシーには要注意」という内容の情報がギッシリ。基本料金は450フォリント、1キロメートルごとに280フォリント加算とあるので、それからすると、チップ込みでもせいぜい1200フォリントがいいところでしょう。ドライバーがどこをどう細工したのかわかりませんが、結果としては正規料金のおそらく7~8倍近くになっていたはずです。

そういえば、数年前、チェコの首都プラハ中央駅で、客に声をかけているタクシードライバーのあまりに怪しい雰囲気にビビったことがあります。このときはホテルに電話を入れ、迎えを頼んだのですが、それと同じなんですね。ネットの記事には、「見た目は黄色い車でタクシーにしか見えないのに、白タクもある……」とありましたが、まさしくそのパターンだったのかも。悔しいー! けど、仕方ありません。
午後は、バスでドナウベンド(「ドナウ川の曲がり角」という意味だそうです)地方に。最初に訪れたのはエステルゴムという古都。当初はブダペスト→センテンドレ→エステルゴムという行程だったのですが、エステルゴムの「大聖堂」が、休日のため午後4時で閉まってしまうことがわかったようで変更に。結果的には、遠いところ(=エステルゴム)に行って、センテンドレまで戻り、そこからまた、船が待っているエステルゴムまで戻るので距離的にも時間的にもかなりのロスになりました。

DSC03694エステルゴムの「大聖堂」はたいそう立派。そのわりに外装は質素で、中も派手な装飾を排した造りが印象的でした。裏側は絶壁になっており、そこに立つと、ドナウ川とその両岸の景色がパノラマのように見えます。この日も天気がよく気温が一気に上がったせいか、川面は水蒸気で覆われていました。そのため、遠くがあまり見えなかったのは残念でしたが……。

 

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エステルゴムからブダペスト方面に小一時間戻ったところにあるのが、“かわいい町”センテンドレです。到着したのは、日が沈む直前。小さな町なので、端から端までゆっくり歩いても20分足らず。石畳の道の両側はお土産屋さんが大半ですが、ときおりパン屋さんとか洋服屋さんが。どの店も個性的で、明るい時間帯だったら、ゆっくり中をのぞこうかという気にもなるのでしょうが、秋の日はつるべ落とし。どんどん暗くなっていくので、気もそぞろといった感じです。気温も下がっていくので寒くなり、早めにバスに戻ります。そこから1時間ほど走り再びエステルゴムに着くと、船が待っていました。

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予想以上に広く感じるクルーズ船のキャビン

2017年10月31日
2泊したドナウ河畔のホテルをチェックアウト。今日はまず、川向こうエリア=ブダ側の観光です。ブダペストに泊まっているのに、市内観光は後回しというのが面白いですね。コースは「くさり橋」を渡って「王宮」へ。ブダペストには「王宮」が三つもあるそうですが、その代表のような存在です。
IMG_2282バスを降りて「王宮」に向かう道で、あっと驚く看板に出会いました。‟「岩中の病院」博物館”という文字が大きく書かれているのです。上のほうに「HOSPITAL IN THE ROCK」とあるので、たぶん、岩の中にある病院か何かなのでしょう。とりあえず気にはなったのですが、団体行動中なので、同行している皆さんを追いかけます。聞きしに勝る素晴らしい「王宮」でした。

 

 

 

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あとで、船に戻って調べてみたのですが、「岩中の病院」とは、第二次世界大戦中から使われていた軍事病院だったようです。その当時の様子(診察室、病室、レントゲン撮影室、分娩室、薬品や器具の入った棚など)をロウ人形も使いながら再現した博物館であることがわかりました。ソ連の時代には核シェルターもあったらしく、その遺産として残しておこうと言うことになったのでしょう。内部はガイドツアーを申し込んで回るようなのですが、コースの最後には広島の原爆についての展示もあるとのこと。今度ブダペストを訪れたら、ぜひ行ってみようと思いました。

 

DSC03573「王宮」の観光を終えると、ペスト側に戻り「中央市場」へ。1890年の創業といいますから、年季が違います。ハンガリーの名物はいろいろあるようですが、私たちが買ったのは、ガイドさんが教えてくれたサラミソーセージ。市場の1階はほとんど食品を扱う店で、その大半が肉屋さん。どの店先にも山と積まれ、また上から吊るしてあるのが燻製した肉とサラミ。どれを買ったらいいのか見当がつかないので、「What do you recommend?」と尋ね、「これだよ!」と店主が勧めてくれたものを買ってみました。「What’s the difference?」とたずねると、「うちの店のオリジナルなんだ」と、鼻をひくつかせながら答えてくれました。量のわりに値段が断然安かったのでダメ元という思いもありますが、たぶんおいしいでしょう。

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DSC03594「中央市場」のあとは、元修道院だったという建物にある、ブダペストでも指折りの老舗レストラン「KARPATIA」でランチ。を済ませ、そのあとは再びブダ側にある「ゲッレールトの丘」へ。「王宮」からの眺めも素晴らしかったのですが、この丘の上から観るドナウ川、そこに架かるいくつもの橋、また国会議事堂や大学など、ブダペストの眺めも感動的。夕方早々にはこの日の観光を終え、「アマデウス・エレガント号」に乗り込みます。いよいよ「ドナウ川クルーズ」の始まりです。

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DSC03640チェックインを済ませ、キャビンに入りました。20㎡と聞いていたので、ほとんど期待していなかったのですが、予想以上に広い印象がします。なんともコンパクトに造られているのですね。海外旅行で数日滞在するホテルとの最大の違いは、スーツケースをベッドの下に収めること。そのため、室内はゴチャゴチャした感じがまったくしません。「なるほど!」と感心してしまいました。

 

まったく知らなかったエゲルの町は感動のひと言

2017年10月30日

お昼ごろ成田を出発し、ヘルシンキ経由のフィンエアー便でハンガリーの首都ブダペストに到着したのは昨夜の9時前。今回の旅は、ワールド航空サービスという旅行会社主催の「アマデウス・エレガント号でゆく 秋色に輝くドナウ河と珠玉の町々を巡る船旅12日間」ツアーです。ハンガリーのブダペストか入り、最後はドイツのミュンヘンから帰国(途中、船には7泊)。私と家人にとっては初めての本格的な船旅で、どんな経験ができるか、けっこうドキドキもしています。

今日からさっそく観光が始まりますが、最初の目的地はブダペスト市内ではなく、エゲルという近郊の町。私自身、その名前さえ知りませんでしたが、ガイドさんの話からすると、この町はハンガリーの人たちの“心のふるさと”と言ってもよさそう。16世紀半ば、オスマントルコに攻め入られたとき、城主ドボー・イシュトヴァーンがこの町の城にたてこもりトルコを撃退したからです。さほど大きな城ではありませんが、見晴らしのいい場所に建っているのがよかったのでしょう。

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たしかに、ここから見下ろすと、青空のもと、大小の教会を中心に、美しい色彩を放つ街並みが広がっています。その中に、なぜかミナレット(イスラム教のモスクに付随する塔)もありました。一度は撃退されたトルコですが、それから数十年後、16世紀末には結局この町を手中にした、その名残です。

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DSC03468ほかにも大学や市庁舎など、バロック様式の美しい建物が数多く残されており、シャッター押しまくりといった感じです。古い町なのにこんな大きな……と思える「ドボー・イシュトヴァーン広場」も印象的でした。市内を散策したあとは、ワインセラーが集中している「美女の谷」という名のエリアにあるレストランでランチ。店は楽しい造りで、内装にも凝っています。この地の名物「ビカヴェール(雄牛の血)」というワインもおいしく飲めました。

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ツアーのメリットとデメリット──。いろいろありそうですが、その地域に詳しい、しかも熱心なプロが企画してくれる分、シロウトの私なんぞまったく知らない町や村、名所旧跡、自然景観などさまざまなスポットに行けるというのが最大のメリットではないかという気がします。

あるいは、最近流行の「こと消費」もその一つでしょう。たとえば、昨年3月、私と家人で観に行ったフィレンツェの「山車の爆発」やスペイン・タラゴナの「人間の塔」(偶数年の10月)。また、毎年2月、スイスのサンモリッツで開催される「ホワイト・ターフ(氷上競馬)」なども、格好の素材になりそう。いま現在、これらのイベントを観戦する企画を盛り込んだツアーは、私の知るかぎりでは、ありません(ひょっとすると、あるかもしれませんが)。しかし、これもあと、2、3年後には出てきておかしくない「こと」のように思えます。

夕食は市内随一の老舗レストラン「グンデル」で。格式も高いようで、エリザベス女王やローマ法王も来られたことがあるといいます。食事中はずっとクラシックの生演奏が続き、さすがという雰囲気。食事もハイレベル! この会社のツアーは、食事のクオリティーが高いというのも好評の一因だそうです。

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まさか高雄で本格イギリス紅茶を味わえるとは!

2017年10月17日
IMG_2226今日もまた暑そうです。朝行った港近くの「旧英国領事館」は高台にあり、建てられた当時の赤レンガ・バロック風建築のまま保存されています。かなり急な階段を昇っていくのですが、眺めは最高。何より、その2階がカフェになっており、そこで本格的な英国風の家具調度に囲まれながら本格的な紅茶を楽しめます。私たちが飲んだイギリス式のアイスティーはもう最高。高台の、それもバルコニー席ですから多少は涼しく、冷たいお茶が心も体も癒してくれました。

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IMG_2230次に訪れたのは旧港の一角にある倉庫街で、広大な敷地に10以上の倉庫が点在しています。「駁二藝術特区」と呼ばれるエリア。倉庫の外壁はすべて昔のままで、なかには、オリジナリティーあふれる絵が描かれたものもあります。また、外にはなんともユニークな巨大オブジェも置かれていました。

 

 

DSC03345リノベーションされた建物の内部には、博物館あり、アートギャラリーあり、書店あり、雑貨店ありで、一日中楽しむこともできそう。私たちは雑貨店がいくつか入った建物をしばらくぶらぶらしましたが、日本にはない独特の品もけっこう並んでおり、そこそこ楽しめました。台湾の大型書店チェーン「誠品書店」が手がけたとのことで、「さすが」という感じです。

 

そこから少し歩いたところにある古い店で氷あずきを食べ、ホテルに戻りチェックアウト。夕刻の便で次の訪問地マカオに飛びました。高雄にかぎらず、台湾というところは、なんの変哲もない、というよりこぎたない店でもかなりおいしいものが食べられるのが大きな魅力です。その極致が夜市の屋台でしょうが、衛生面のことを考えたりすると不安もなくはありません。しかし、ハズレはほとんどありません。ほとんど、どこで、何を食べてもおいしく感じられます。しかも、値段がめっちゃ安いときているので、これほど楽しくて魅力的な国はないと言えます。

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DSC03349この日、昼食を食べた「美麗島駅」近くの店もそうでした。特製のスープに、自分で選んだ具材を入れてもらうシンプルなスタイルのメニューなのですが、これが素晴らしく美味。それだけではありません、店主と素晴らしい“会話”ができたのです。

実は、前日、ホテルから「鳳山龍山寺」にタクシーで行ったとき、おもしろい経験をしました。行き先を書いた紙を渡すと、それを見た運転手がやおらスマホを取り出し、信号待ちのとき何やら小声でささやいています。そして私たちに見せてくれた画面を見ると、行き先を示す日本語の文字が! そう、中国語から日本語への音声翻訳アプリなのですね。「次に行くところは決まっているか?」とか「何時ごろまで時間があるのか?」などと書かれた画面を見せてくれるので、スマホに向かって日本語で答えると、それが中国語に訳され、運転手も理解するという仕組みのようでした。

感動した家人がさっそく、そのアプリを自分のスマホにダウンロードし、今日さっそくそのレストランで試してみたのです。「何がおすすめですか?」と中国語で書かれた画面を店主に見せると、いくつかの具材を指さしてくれます。私たちもそれに従って選んだのですが、すんなりコミュニケーションできました

。帰りがけに、「とてもおいしかったです」と日本語で入力し、それが中国語に翻訳された画面を店主に見せると、もう大喜び! 以前は、コミュニケーションといっても、漢字で紙に書いて見せるだけで終わっていましたが、それだとほぼ一方通行でしかありません。しかし、この翻訳アプリのおかげで、もう一歩前に進むことができるわけで、たいそうすぐれものです。ネットで調べてみると、これと同様のアプリは世界50数カ国語も用意されているようで、これからの旅でも試してみようと思いました。

この時期でもなお暑い台湾の高雄

2017年10月16日
今日は高雄の2日目。前来たときは十分な時間がなく、市内を見て回ることができなかったので、今回はそちらに重点を置いてプランニングしました。ただ、最大の目標だった「鄧麗君(テレサ・テン)紀念文物館」は残念ながらクローズしており、ほかのスポットに変更せざるを得ません。

問題は高雄の暑さです。以前、友人から「高雄は暑い!」と聞いていたので、この時期にしてみたのですが、それでも暑さはハンパではありません。日中の最高気温は30℃を軽く超えるので、日中の街中を歩くのは大変です。それでも、市内東部にある道教の寺院に足を運んでみました。

DSC03268最初に行った「鳳山龍山寺」は台湾にある5つの龍山寺の中で二番目に古いのだとか。観世音菩薩が祀られているようで、境内にある「南雲東照」と書かれた扁額の落款から、清国乾隆帝の初期に造られたことが分かります。伝統的な寺廟の外観と工法が完全な状態で残されている貴重な存在だそうです。本堂の片隅に賽銭箱が置かれていましたが、そっくりそのまま金庫にもなっており、これには笑ってしまいました。

 

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高雄には道教の名刹があちこちにありますが、二つ目の「鳳山天公廟」にはひっきりなしに参拝客が訪れていました。安産の神様や商売繁盛の神様が祀られているからでしょう。道教寺院の特徴は極彩色の内外装。とくに建物の内側はまばゆいばかりの金箔が隅々まで貼られ、目が痛くなるほどです。祀られている神様とゆかりの深い日には、大変な数の人が訪れ、線香を捧げながらお願い事をするにちがいありません。ここから歩いてすぐのところにあるカフェは涼めてよかったですね。

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今回は残念ながら、「三鳳宮(350年ほど前、清・康熙帝の時代に創建された台湾最大の三太子廟)」や「内門紫竹寺」「高雄関帝廟(武廟)」「孔子廟」「旗津天后宮」などには行けませんでしたが、写真で見るかぎり、どこも皆似たような印象はまぬかれず、まあいいかと。

それと、高雄というところは、人口280万という台湾第二の大都市でありながら、観光地としてはいまひとつ垢抜けていない感じがするのです。市内を流れる「愛河」の川沿いには遊歩道や多くのカフェがあり、遊覧船も出ているのですが、何がなんでもという気にはなれません。高さ248mという「高雄85ビル」も、しょせんは「台北101」ビルの亜流といった感じがします。高雄の近くにある台南のほうが、観光地としては魅力的に受け止められているのはそのせいかもしれません。

DSC03353次に足を運んでみたのが、観光スポットとしてはやや意外な「美麗島駅」。地下鉄(=MRT)のオレンジラインとレッドラインの乗り換え駅なのですが、2012年に、アメリカの旅行サイトで「世界でもっとも美しい地下鉄の駅」の2位に選ばれたそうです。地下の広大なスペースは、4500枚ものステンドグラスが天上に隙間なく貼られたドームのような構造になっています。4年以上かけ、すべて手作業で貼られたそうで、毎日3回「光のショー」がおこなわれるとのこと。ただ、残念ながら、それに出くわすことはありませんでした。

暑いのでいったんホテルに戻って休憩したあと、高雄港近くの「寿山公園」に。港を一望できる夜景が美しいことから、地元のデートスポットとして人気だそうです。「LOVE」の文字のオブジェクトがあり、訪れた人は皆、ここで記念撮影していました。私たちはもちろん、遠慮しましたが(笑)。

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福岡→台北→嘉義→高雄を1日で移動

2017年10月15日

昨日は昼間がルワンダ、夜がメソポタミア、そして今日は台湾です。昨日ここでご紹介した二つの催しが福岡で開催されたが故に実現した旅といっていいでしょう。福岡というところは、日本の中にあって独特の立ち位置を占めています。さまざまな魅力にあふれた都市なのですが、それとは別に交通の便がメッチャいいのです。東京に行くより上海に行くほうが早いというのがその象徴で、中国、台湾、香港、韓国といった東アジアはもちろん、ベトナム、タイ、インドネシア、フィリピン、シンガポールなど東南アジア、さらに、夏だけですがヨーロッパにも、ここから飛び立つことができます。

 

IMG_2150福岡空港で国際線を利用するのは初めてですが、国内線ターミナルとはまったく別になっていて、場所も国内線ターミナルと滑走路をはさんだ向かい側です。まだ新しいだけあって、明るくて広めなのも快適でした。ただ、完成した当時は、十分に余裕があるはずだったのでしょうが、いまとなっては若干狭い感じもします。要するに、利用する人が予想をはるかに上回るスピードで増えたということでしょう。

 

それでも、年末年始やゴールデンウイークの羽田・成田ほどは混雑していません。私たちが乗ったのはキャセイパシフィックの香港行き。ただし、台北で途中下車、いえ途中降機です。降りたのは台北でも、郊外にある桃園国際飛行場。こちらも近年どんどん整備が進んでおり、今年の春、空港から台湾高鐵(新幹線)の桃園坫(駅)まで行けるMRT(新都市交通システム)が開通したそうです。

私たちは従来から走っているバスで行きましたが、15分ほどで高鐵桃園坫に到着。そこからまず高鐵嘉義まで移動します。目的地は台北にある故宮博物院の別館・故宮南院(正式名称は「國立故宮博物院南部院區・亞洲藝術文化博物館」)。高鐵嘉義には新幹線で1時間ほど。毎度思うのですが、台湾の新幹線は外側も内側も日本(東海道・山陽新幹線)とそっくり。表示だけが中国語なのですが、それを無視してしまえば、一瞬、日本にいるような気持ちになります。

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故宮南院は高鐵嘉義の駅からバスで10分ほど。まず驚いたのはその敷地の広さです。入ってすぐのところに大きな人工の池が設けられ、その向こう岸に美術館が建っているのですが、そこまでは数百メートルほどありそうです。ゆるやかな上り坂もあるので、家人のために車イスを借りました。

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オープンしてまだ2年足らずですが、駐車場には観光バスがぎっしり並び、ひっきりなしに客が訪れている様子。この日は日曜日の午後とあってさほど混んではいませんでしたが、日中あるいは土曜日だったらどうかという感じがします。

 

台北の本院と違って、全体がゆったりした造りになっており、展示スペースも広いので、圧迫感がまったくありません。全体は9つに区切られていて、一つひとつ、特定のテーマに基づいて展示されています。そのため、とても観やすく、台北のように「今日はここまで」ということにはなりません。3時間もあればおそらく隅から隅まで鑑賞することができるのではないでしょうか。

IMG_2172私たちは2時間弱滞在しましたが、6つの展示室を訪れ、最後はミュージアムショップもゆったり回ることができました。台北の売りは「翠玉白菜」ですが、こちらは「肉形石」。台北とは比べものにならないほど、ゆったり、ゆっくり、じっくり、それこそ四方八方から観ることも可能です。

 

 

 

IMG_2166それとは別に興味深かったのは、中国に持ち込まれた伊万里焼の数々。また、インドやアラビア、トルコの皇帝から中国の皇帝に贈られた品々でした。どちらも初めて目にするものばかりでしたが、いわれてみれば、そうしたもの(とくに後者)が中国にあってもまったくおかしくありません。皇帝から皇帝への贈り物ですから、どれ一つとっても、まさしく贅の極みといった感じの品ばかり。今回はそのなかでもインドからの品々に焦点が当てられていましたが、台北の本院では、展示されていたとしても、ここまでゆっくり楽しむことはできないでしょう。

 

美術館の見学は、たいていの場合、荷物を預ける必要があります。ここも同じですが、そのためのコインロッカーがユニーク。どの扉にも、日本でいうなら家紋のような文様があしらわれているのです。どれも皆、由緒のあるものなのでしょうが、これは驚きました。

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IMG_2188南院を出て再びバスで高鐵嘉義まで戻り、今日の最終目的地である高雄の左営坫(駅)へ。30分ほどで到着しましたが、途中停車するのは台南だけ。台湾の南北縦断はホント楽になりました。小腹が空いていたので駅の売店で売られていた「便當」を買い求め、二人でつまみました。これで100台湾ドル(約400円)はお値打ち! 素朴ですが、味もバッチリでした。

 

 

古代メソポタミアの人たちが食べていたのは……

2017年10月14日

今日は一日でビッグイベントが二つあるという日。場所はいずれも福岡市内でした。

最初は、私のプロデュースした単行本『ルワンダに灯った希望の光 久美子のバナナ和紙』の著者・津田久美子さんが講演される会合です。今年の3月、福岡のユニークな出版社「書肆侃侃房(しょしかんかんぼう)」から出版されたこの本の内容については、このブログでも前に触れたので割愛しますが、今日の会は、男女共同参画社会を作り上げようと60年も前から活動している団体が開いたもの。

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60年前といえば、まだ女性が社会に出て仕事をするなどということ自体が珍しがられた時代です。でも、実際はそのころからすでに、近ごろは当たり前のように言われていることを実現しようと行動していた人がいたことに驚きました。

女性が働く、社会に参画するのは、建前として理解できても、いざ自分が……と思うと、さまざまな障害が立ちはだかります。津田さんの場合も40代に入ってから、得意の英語を活かせる仕事に就いていたわけですが、それだけで終わらなかったのが、ユニークなところ。50歳を過ぎてからは、NPO法人を立ち上げ、アフリカのルワンダという国で、新しい「仕事」を生み出す活動にたずさわってきたのです。

資源もそれほど豊かなわけではない国の中で、それまでだれひとり思いもつかなかったことに取り組んだ勇気と実行力、そしてそれを実現するまであきらめない粘りには感服させられます。会合で津田さんのお話を聞かれた方々も大いに共感を覚えたようで、本を出して本当によかったと思いました。

 

夜は、すぐ近くのホテル(といっても、最近増えているホステルスタイルですが)で開かれた、最近話題の『歴メシ! 世界の歴史料理をおいしく食べる』という本の出版記念パーティーに参加しました。著者の遠藤雅司さんは、国際基督教大学教養学部で音楽を専攻しましたが、現在は音楽とはほとんど無関係な“歴史料理”の研究をされているとのこと。そして、初めて出されたこの本の販売促進のため、全国各地で「歴メシ」のイベントを開催しているのだそうです。

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今回の会をプロデュースしたAさんは、『博多学』を書くためにおこなった取材の折、ひとかたならぬお世話になった方。“おもしろがり”という部分で、彼女ほどセンスがあり、またそれを実際の形にする力に長けている人はそうそういません。そのAさんが最近とみに興味を引かれたというのがこの「歴メシ」。

 

世界各国の歴史に残されているさまざまな料理を再現するプロジェクトを「出版記念お食事会」と銘打って、Aさんの地元・福岡でもぜひ開きたいということで企画・プロデュースしたそうです。話をちょっと聞いただけで、とても面白いと思った私はすぐに参加をエントリー。ちょうど先の津田さんの講演する日と同じだったので好都合でした。

本の中身は、オリエント世界とヨーロッパ世界の8つの時代に実際に食されていた料理40品のレシピと、当時の食文化や社会背景などを解説したもの。その該博な知識もさることながら、けっして豊富にあるとは思えない資料からレシピを確定させ、それを実際に料理として作って出す努力には脱帽です。

「ヴェルサイユ宮殿の晩餐会」で出されたメニューとか、「中世イングランドの王がふだん食べていたもの」などは、なんとなくイメージできる気もしますが、この日出された「古代メソポタミア」の料理となると、ティグリス&ユーフラテスという川の名前くらいしか知らない私などにはおよそ想像もつきません。

 

この日、食したメニューは次のとおり。●かぶの煮込みスープ ●アカル(ビール風味のパン) ●メルス(古代メソポタミア風ガレット) ●レンズ豆と麦のリゾット ●古代小麦とラム肉のシチューの5品です。世界史の教科書で目にした楔形文字を解読し、そこに記されていたことから推測しながら割り出されたレシピの中には、塩・コショウを使うという記述はまったくなかったそうで、味はもっぱら、コリアンダーやらクミンといった調味料から引き出していたようです。そのため、はっきり言って、現代人の舌には物足りません。

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ただ、そのことは。著者も料理の作り手も十分承知していたのでしょう。私たちの舌を満足させようと、当日はオリジナル版とともに、塩とコショウを加えた現代人向けバージョンを作って出してくれました。豆類、ナッツ、果物など、身近で入手できるあらゆる食材をさまざま工夫することで料理に変化をつけていた様子もうかがえ、貴重な経験となりました。

 

この日の参加者は40人ほどでしたが、20代・30代の人が9割。60歳を過ぎているのは数えるほどで、別段指示されたわけではありませんが、その数人がなんとなくひとところに集まった(イスが置かれていたせいもありそう)のは自然の流れでしょう。正直、メソポタミア料理に舌鼓というわけにはいきませんでしたが、同世代の方々とのお話は、軽やかに舌が回りました(笑)。

横浜・本牧の妙香寺で「君が代」の “原曲”を聴く

2017年10月9日
いま手がけている文庫版『鹿児島学』の内容に手を入れる材料を仕入れに、横浜・本牧にある妙香寺を訪れました。この地は明治時代の初め、薩摩藩が日本初の吹奏楽団(=薩摩バンド)を作ったとき、数十人の藩士がイギリス人教師の指導を受けながら練習に励んだ場所です。その指導者はジョン・ウィリアム・フェントンという人物(イギリス第10連隊第1大隊軍楽隊長)で、彼が日本の国歌「君が代」を作ったのです。いうならば、「君が代」発祥の地が妙香寺なのです。境内には、「日本吹奏楽発祥の地」「君が代発祥の地」という二つの碑も建てられていました。

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毎年1回、往時を偲んで、ここ妙香寺の本堂でその演奏会が開かれているのを知り、来てみました。私たちが知っているいまの「君が代」とはまったく違うと聞いていたので、どこがどう違うのだろうという興味もありました。こればかりは楽譜を見せられるより、自分の耳で聴いてみるのがいちばん手っ取り早いわけですし。

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本堂の中には200人近い聴衆が詰めかけており、横浜市消防局の楽隊(30人ほどでしょうか)が並んでいます。プログラムを見ると、この日演奏が予定されている曲の中にフェントン版「君が代」も入っています。聴いてみて、驚きました。私たちがなじんでいる「君が代」とは似ても似つかない、まったく別の曲だからです。たしかに、イギリス人に日本語、それも古語がわからないのは当然としても、あまりに急ごしらえで作ったため、詞と曲とのととのえがきちんとなされていません。そのため、日本語の区切りと曲の進行とがシンクロしておらず、奇妙奇天烈な感じに仕上がってしまったのとでしょう。このあたりの経緯は、12月初めに刊行される新潮文庫版『鹿児島学』をお読みください。

大人も大興奮する大分の「アフリカンサファリ」

2017年10月3日
私が使っているスマホの待ち受けは3頭のキリンが顔を寄せ合っている、ユニークな写真の図柄です。大分にある「アフリカンサファリ」という動物園で獣医をしている方が、キリンを診ているときに出くわした場面を撮ったものだそうですが、なかなか見られるものではありません。キリン?の私はさっそく獣医さんのウェブサイトにアクセスし、「スマホ用」と記されていたデータをダウンロードしました。

いつかは現地に行って、3頭とはいわないまでも、キリンが顔を寄せ合っている場面を見てみたいと願っていたのですが、予想外に早くそれが実現することに。たまたま、別府でおこなわれる企業の研修会に講師として招かれたのです。せっかくの機会なので、研修会の前日か翌日、そのキリンがいる「アフリカンサファリ」に行ってみようと思い立ちました。大分なら温泉もありますし……。一石二鳥、いな三鳥ではないかと。

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ということで、講演の前日、早起きして羽田から大分に飛び、レンタカーで「アフリカンサファリ」を訪れました。このサファリを楽しむには2つの方法があります。自分たちが乗る車でそのまま中に入って順番に回っていくのが一つ。もう一つは、車を駐車場に止め、そこから園内を周回するバスに乗り換える方法です。

 

IMG_2019私たちはレンタカーでそのまま中に入りましたが、様子を見ていると、バスで行ったほうが動物たちの寄りつきがいいようです。バスには、エサをくれる人が多く乗っているのを動物たちなりに学習しているからでしょう。もちろん、バスについている窓は自由に開け閉めできません。しかし、エサを与えるための穴のようなものがボディーに備え付けられており、そこから手に握ったエサを与えることができるようなのです。IMG_2030

サファリの中はまず草食動物と肉食動物に分かれ、その中がまた細分化されています。トータル的には、5つか6つのゾーンがあって、お目当てのキリンは最初から3つ目のゾーンにいました。キホン、柵はないので、その気になればぐんと近づくことも可能でしょうが、車から降りてはいけないという規則を守らないわけにはいきません。多少は遠目であっても、柵のない場所で飼育されているのですから、動物たちもストレスはなさそうです。

 

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結局、たいした写真は撮れませんでしたが、ライオンやトラはけっこうな数がおり、それがまとまっているのを見ると、やはり新鮮な印象を受けます。1時間少々の滞在でしたが、とても楽しめました。そのあとは湯布院まで行って、温泉に。湯布院もかつてとは違いがぜん国際化しており、宿泊料金もかなる上振れしています。その中からリーズナブルな料金の宿を見つけるのは大変でしたが、なんとか上々のところを見つけました。食事もよく、十分に楽しめました。

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「豪風関と語る会」に参加

2017年9月30日

4年前にプロデュースした単行本『人生8勝7敗 最後に勝てばよい』の著者は大相撲の尾車親方。そのご縁で、親方や弟子の方々とも親しくさせていただいているのですが、その一人・豪風関の「語る会」に出席しました。昨年、故郷・秋田県から県民栄誉賞を授賞した豪風関ですが、その1周年記念行事です。

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IMG_2003さまざま興味深いお話を聞かせていただきましたが、いちばん印象に残ったのは、「ベストだと自分で思い込んでいても、そうでないときがある。それは結果としてはっきりあらわれる」という言葉でした。豪風関は今年3月の春場所後、痛めていたヒジの手術を受けたそうです。場所後のことですから、5月の夏場所までは6週間しかありません。その間に回復を待ち、それからはリハビリです。これ以上は無理というほど懸命に取り組み、「自分ではベストと思える状態にこぎつけて夏場所に臨みました。ところが結果は大きく負け越し。「こんなはずじゃ……」と思ったそうですが、すぐ思い直したといいます。「ベストだと思い込んでいた自分が悪い。ケガから回復するのはそんな簡単なことじゃない」と。

 

もちろん、体の状態をいちばんよく知っているのは本人なのですが、実際の結果はごまかしがききません。勝負の世界の厳しさを改めて思い知らされたと語っていましたが、幕内最年長の関取でさえ、そうしたことがあるのです。念には念を入れるというか、いつ、どんな状況にあっても、「ベストを尽くす」のは、そうそう簡単なことではなさそうです。「これで大丈夫」と、ついつい自分を甘やかしてしまう私にとっては、耳の痛いお話でした。

ユニークな秋田美術館と藤田嗣治の巨大壁画

2017年9月29日
明日開催の「豪風と語る会」というイベントに出席するため、秋田にやってきました。会場は、秋田駅に隣接するホテル。私たちもそこに宿泊するのですが、すぐ近くに秋田県立美術館があります。そこでちょうど「特別展 レオナール・フジタとモデルたち」が開催されているのを家人から聞き、せっかくだからというので、観に行くことに。私自身、美術にさほど興味があるわけではありませんが、数日前NHKテレビで、その展覧会のことが紹介されていたのも引き金になりました。

藤田嗣治については、フランスで最も有名な日本人画家ということぐらいしか知りません。その藤田が、秋田の資産家・平野政吉の依頼で描いた「秋田の行事」という壁画が、この美術館に展示されているのです。1937年、平野家の米蔵で15日間、174時間で描き上げたこの壁画、制作当時は“世界最大”(高さ3・65m、幅20・5m)だったとのこと。吉永小百合がその前に立ち、「たった一枚の絵を見に行く。旅に出る理由は簡単でいいと思います」と語る、JR東日本のテレビCMを記憶している方もいるかもしれません。

秋田の行事

たしかに、わざわざ観に行くだけの価値はありました。私も家人も藤田のファンというわけではありませんが、その素晴らしさには息を呑みました。全体が5つに区切られており、その一つひとつに秋田の伝統行事が描かれています。藤田は秋田の出身でもなんでもありませんが、依頼した平野の郷土愛が乗り移ったかのような、藤田の温かな気持ちが込められているのがひしひしと感じられます。

美術館自体も素晴らしいものでした。平成25年9月にオープンしたばかりで、場所は、秋田駅のすぐ近くにある千秋公園(かつて秋田城があったところ)と広い道路をはさんだ向かい側。斬新なコンセプトで設計された建物は、世界的な建築家・安藤忠雄の設計です。

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IMG_19852階にカフェとミュージアムショップが併設されているのですが、カフェのイスに腰をおろすと、目の前に広がる千秋公園の木々や旧県立美術館の建物(これがまた味わい深い外観をしています!)が、1階の屋上に作られた池というか水槽というか、その水面にそっくり映っているのです。

 

 

天気の具合にもよるでしょうが、水と景色の絶妙なバランスに感動しました。立つと、視線の高さにもよりますが、イスにすわったときとは別の角度でそれを楽しむことができ、それはそれでまた興趣をそそります。極端な話、この光景を観に行くためにだけ美術館に入ってもいいといった感じです。今回は「豪風と語る会」の“ついで”にやってきたのですが、ここまで行くと、“ついでの極致”ではないかと思いました。

藤田は1968年に亡くなる数年前、フランス北東部の町ランスの地にある「ノートルダム大聖堂」(フランス3大聖堂の一つで世界遺産にも指定されている)で洗礼を受けたそうですが、こんどパリに行く機会があれば、その“ついで”にぜひ訪れてみたいと思いました。ルイ13世、14世、16世など歴代のフランス国王の戴冠式がおこなわれた由緒深いところです。また、藤田が、スポンサーの依頼で設計した「ノートルダム・ラ・ペ教会」というこじんまりした教会もあるといい、それもぜひ観てみたいと思います。

36年ぶりに観た加賀まりこにドッキリ!

2017年9月22日


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ここのところ映画館からすっかり足が遠のいてしまっています。「これじゃ感性が錆びついちゃうよなぁ」という職業的な危機感があったのですが、今日は「決意」して早起きし、「午前10時の映画祭」に行きました。観たのは1981(昭和56)年公開の『泥の河』。宮本輝の同名の小説を小栗幸平監督が映画化した作品で、小栗のデビュー作でもありました。その年『キネマ旬報』の最優秀監督賞も取っています。

 

 

 

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その気になったのは、先週、「大人の社会見学」で一緒に寝泊まりした高校時代の友人Sくんのひと言=「『泥の河』を最近見たけど、ロケは中川運河だったんだって」がきっかけ。中川運河というのは、私が育った名古屋の市内を流れる、文字どおりの「泥の河」でした。Sくんは定年退職後、年間400本も映画を観ているといいます。昨日から来ている沖縄で、たまたま上映されていることがわかり、「よし、行こう」と。

 

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面白いもので、36年前とはまったく違うことを感じました。最初観たときは、太平洋戦争の匂いがまだ濃厚に残っている昭和31年の大阪が舞台ですから、「そうそう、オレもこんな格好で(メリヤスのランニングシャツにズック靴)遊んでたよな」とか、「子どもにとって50円は大金だった(1日5円のお小遣いが普通)」とかいったようなことばかり。モノクロの作品だったのも影響していますが、自分自身がまだそういう年齢だったからでしょう。

でも今回、66歳のジージになっているせいか、「そうかぁ。親は、子どもにああやって接しなくちゃな」など、いまとなってはまったく詮ないことを思ったりするのです。親の子どもに対する適切な気遣いというか、小学3年生に対しても人格を認め、傷つけたりいじけさせたりしないよう、成熟した大人としてコントロールしていくことがいかに大切か──。

!cid_D23EB54E5B9C7A5F7AA92C1141A8EB18CE4B9D89@edithousejp_onmicrosoftでも、最大のインパクトは加賀まりこ。この作品で助演女優賞を取りましたが、画面に出てくるのは5分もなかったのではないでしょうか。苦悩と不本意とが詰まった過去を背負いながら、いまは二人の子を持つ娼婦として生きていく役どころを、妖艶ここに極まれりといった空気を味わわせてくれました。

それにしても、この作品を観たスピルバーグに「あの3人の演技がこの上なく素晴らしい」とまで言わしめた子どもたちはどうしたのかなぁ……。

広島カープの連覇は、「いま」の時代を象徴する出来事

2017年9月20日

 広島カープが昨年に続き、セ・リーグ優勝を果たしました。シーズン初めからほぼ独走に近い状況で、ほとんど危なげのない横綱野球。他球団には打つ手がない感じで、古い話で恐縮ですが、ジャイアンツのV9時代を彷彿させます。

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でも、決定的に違うのはカープが名実ともに「市民球団」であるということ。V9時代のジャイアンツは、言うならば「国民球団」でした。ジャイアンツが存在しなければ日本のプロ野球そのものが成り立たなかったのです。ジャイアンツが勝つことで日本の経済がまわっていたかのような感すらしました。もちろん、勝負ですから八百長とか出来レース的なことはなかったにしても、ほかの球団はジャイアンツの露払い・太刀持ちといった域に自分たちの立ち位置をとどめていたように思えます。もちろん、ファンも同じ。誤解を恐れずに言うなら、審判も、役人も、メディアもその後押しをしていたのではないでしょうか。

そんな日本のプロ野球がいつしか嫌いになった私は、大リーグに興味を持ち始めます。すると、野茂英雄が単身でチャレンジしたではありませんか! 他人事ながら、これほどうれしいことはありませんでした。

大リーグと当時の日本プロ野球との決定的な違いは「フランチャイズ」についての考え方です。日本では、企業やメディアが「フランチャイズ」でした。もちろん、東京とか大阪とか名古屋とか、大きな都市に本拠地球場を持ってペナントを戦ってはいましたが、それは便宜上であって、「地域」がある球団をバックアップしていたわけではありません。その地域に拠点を構える企業やメディアがサポートすることで、球団の経営も成り立っていたにすぎません、それが先に記したような「ゆがみ」の元でした。

ところがアメリカ大リーグは、それとは真逆と言うか、まったく次元が違っていました。どの球団も「地域」、それも「住民」が球団をバックアップしていたのです。その典型例が、これは野球ではありませんが、NFL(アメリカンフットボール)のグリーンベイ・パッカーズです。本拠地は、シカゴの北300キロほどのところにある小さな町グリーンベイ(ウィスコンシン州)。人口は10万余ですから、北米4大プロスポーツリーグの中で最も小さいフランチャイズです。

 

パッカーズ①

「パッカー」とは缶詰工という意味しています。チーム結成当時は地元の缶詰製造会社から援助があったからその名がつきました。人口10万余というと、広島県の三原市とほぼ同じです。その三原市で、サッカーでもバスケットボールでもいいのですが、たとえば「三原オクトパス(=たこ)」というプロスポーツのチームが存在し得るでしょうか。

パッカーズはそれでいて、リーグ最多の優勝13回(2016年現在)。スーパーボウルでも4回優勝しています。昨年でなんと創立100周年を迎えました。何より素晴らしいのは、これが完全な“市民球団”であることです。プロスポーツ先進国のアメリカでも、一般市民が100%の株式を保有しているチームは一つしかありません。パッカーズの場合、1960年以後、ホームグラウンド(1シーズン8試合)での試合の入場券は毎年すべて完売。シーズンチケットのキャンセル待ちの人数は、あらゆるプロスポーツチームの中でいちばん多い(6万5000人以上)。シーズンチケットの入手までには40年かかるといいます。このため、ファンがシーズンチケットの購入権を相続する人を遺言で指名することも珍しくないのだとか(写真はMilwaukee Journal Sentinel 掲載されたもの)。

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広島カープに、それに似たようなところがあります。詳しくは拙著『広島の力』に記しましたが、広島市内の公立小中学校では、子どもたちが「広島カープ」を素材にして勉強しているそうです。全国どこにもこんな例はありません。いや、世界的に見てもないのではないかと思います。唯一、そういう可能性がありそうなのがグリーンベイです。これくらいの町ですから、学校教育の中にそうしたことが取り入れられている可能性もありそうです。

 

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パッカーズほどではないにしても、広島の人々にとってカープは生活の一部といっても過言ではありません。仕事も学業も、家事も何もかもがカープの勝ち負け、強い弱いに深く関わってくるのが広島の人たちです。こう書くと、なんだかファナティックな印象を与えるかもしれませんが、もちろん一般社会の常識は踏まえてのことです(といっても、広島、また西日本では、全体的にそのタガはゆるいでしょうが)。そうしたことによって生まれる空気が、選手の、監督・コーチに影響しないわけがありません。

 

その市民の応援を受けてセ・リーグを連覇したカープ。そのエネルギーが「国民球団」だったジャイアンツをもしのぐのは、いかにもいまの時代を象徴しているように思えます。小さくても大きくても、「地域の住民」に根差していないスポーツはいずれ朽ち果ててしまうのではないでしょうか。

流鏑馬はれっきとした神事なのでした

2017年9月17日
鎌倉の鶴岡八幡宮で流鏑馬を観ました。テレビのニュース映像ではこれまで何度も目にしていますが、本物は初めて。でも、さすがナマの臨場感はすごい。祇園祭や博多の祇園山笠の追い山も、たしかに強烈なインパクトがありましが、流鏑馬は会場が狭い分、音も動きも、「すぐそこ」感が強いのです。

すっかり恒例になった高校の同窓生が集まっての「おとなの遠足」の一環として、今回企画されたのが流鏑馬見学。同窓生の一人が今年、なんと神職の資格を取得、その縁で指定座席チケットが入手できたおかげです。「持つべきものは友だち」とはよく言ったものですね。

台風18号が刻々と近づいている中での開催で、いまにも降り出しそうな空模様。雨天決行は間違いないとしても、風が強ければ危険なのではないかと心配していましたが、なんとかもちました。

午後1時開始ということだったので、1時間ちょっと前に、私たち7人も、指定された場所に着席しました。しかし、1時近くになっても始まる気配がまったくありません。すると、境内にアナウンスが流れます。「さあ、いよいよ始まりです。まずは、今日の射手を始め、関係者全員がお祓いを受け、そのあと神官からお神酒をたまわります……」とのこと。そう、流鏑馬は観光行事ではなく、れっきとした神事なのでした!

ところが、これがめっぽう長いのです。ようやく始まったのは1時40分過ぎだったでしょうか。始まる直前まで、どちらから馬が走り出すのかもわからず左を見たり右を見たり。取材に訪れた海外メディアの写真撮影スタッフのカメラ・セッティングの様子を見て、たぶんあっちだろうと推定し、私たちもスタンバイ完了!

馬が走り出しました。3人の射手が200数十メートルのコースを馬に乗って走り抜ける間に、それぞれ3回、矢を射ます。日ごろから修練を積んでいるようで、どの射手もみごとに的を射抜いていきました。そのたびに歓声があがります。合計9回のうち的を外したのは1回だけ。

動画あり クリックしてください

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本来の流鏑馬はこれで終わり。面白かったのは、そのあとでおこなわれる“2軍戦”“3軍戦”です。将来、射手になろうかという中堅どころ、若手の射手が何人か、同じように3回ずつ馬に乗って駆けながら矢を射ていきます。なかには外国人もいました。失敗も多いのですが、正式の流鏑馬ではないので、思い切りがいいというか、馬を走らせるスピード、矢を射るタイミング・方向・角度など、試行錯誤といった感じがありあり。「なるほどー、こうやってうまくなっていくんだ」というのがよくわかります。

 

流鏑馬で全国的に有名なのは、ここ鎌倉・鶴岡八幡宮ですが、実は全国各地の神社でおこなわれていることを、今回初めて知りました。射手のいでたちはどこも同じのようで、頭に綾藺笠【あやいがさ】をかぶり、戴水干【すいかん】を着て、裾と袖をくくり、腰には行縢【むかばき】を付け、足には物射沓【ものいぐつ】。左手に射小手【いごて】を付けてと手袋をはめ、右手には鞭。さらに、背中には太刀、鏑矢を五筋差した箙【えびら】を負い、弓並びに鏑矢一筋を左手に持ち、腰にも刀を差しているので、かなりの重装備。それで馬を走らせながら弓で矢を射るのですから、考えている以上にハードです。これを何年かかけてマスターしていくわけですね。

今年3回目の「北前船寄港地フォーラム」は青森県

2017年9月3日
IMG_18358月31日・9月1日=青森、9月2・3日=京都というスケジュールで仕事をしています。青森は「北前船寄港地フォーラム」。今年3回目の開催で、場所は、ご存じない方もいるでしょうが、青森県の野辺地です。青森はこれまで何度も(今年は2回目)来ていますが、ここ野辺地は初めて。青森駅から「青い森鉄道」に乗って1時間ほどで着きました。途中にある有名な浅虫温泉はその昔に行ったことがあるのですが、電車の中から見ると、いまひとつ活気がないように見受けられました。

野辺地町の人口はおよそ1万3千、「フォーラム」の開催地としては、北海道の松前、江差町ほど程ではないにせよ、小さな町ということになります。でも、北前船が日本海を走り回っていたころはたいそう栄えたようです。

IMG_1839実を言うと、こうした小さな町で開催される「フォーラム」も味わい深いものがあります。市長を先頭に、町全体がもう「フォーラム」一色といった雰囲気で、熱気が伝わってくるのです。昨夜「前夜祭」がおこなわれた青森市内の宴会場もそれなりに熱気がみなぎっていましたが、野辺地の場合は密度が濃いといいますか。

設備が整った大都市の施設でおこなわれる「フォーラム」も、もちろん充実しています。しかし、それとは逆に、“手作り”感が強いほうが、参加者の胸をより熱くするのではないかという気もします。もともとこの「フォーラム」自体、ほとんどゼロから出発した歴史があるだけに、そうした雰囲気を大切にしたいと考えている人も少なくないようです。

9月2日は早起きして、青森から伊丹に飛び、そこからバスで京都へ。青森からの飛行機では、途中、富士山が見えました。左側の窓なので、南アルプスと一緒です。そして、京都からの帰りは新幹線だったのですが、またまた富士山です。1日に二度、それも空と陸の両方から富士山が観られるというのはそうそう経験できることではないのでは。どこから観ても心が洗われる、ホント、不思議な山です。

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ようやく帰路に

2017年8月14日

さて、出発が丸1日延びたのですが、それまでいったいどうしていればいいのだという話になります。時間的にもハンパですから、結局チェックアウトの時間を夕方まで延長してもらい(もちろん追加料金を支払って)ました。その時間を利用して書いたのが「8月13日」のブログ「生涯最悪の経験──エールフランスの対応に唖然・呆然」です。

 

ただ、私たちが今回こうした事態におちいったのには、もう一つ別の要因もあります。それは、ANAのマイレージ特典航空券の取りにくさです。マイレージの会員を増やすため、どこの航空会社も「貯めればいつでも、どこにでも無料で行ける1」といった式の宣伝文句をアピールします。ただ、「いつでも」には制限があり、お正月の時期は利用できません。かつては年末年始、ゴールデンウイーク、お盆休みのときなど、そうしう期間(「ブラックアウト」と呼ぶ)がけっこう多くあったのですが、利用者からの声もあったのでしょう、いまではお正月の2日間だけになりました。ただ、国内線はいまでも使えない期間が設定されています。それに比べると、外国系の航空会社はそうした制限がないところがほとんどです。

 

まあ、それは日本人の旅行事情を考えればやむを得ない部分もあります、今回の私たちのように夏休み期間中だと、そうは簡単に行きません。今回の特典航空券はもともと2月に使う予定でした。このときはオフシーズンですから、羽田・パリの往復チケットはあっさりGETできました。ところが、2月のフランス行きを取りやめ、8月に変更することにしたため、難儀したのです。

 

行きはすぐ予約が取れましたが、帰りの便がずっと「空席待ち」の状態。白黒がはっきりするのは、実際に乗りたいと思っている日の10日(かそこら)前といった感じですから、予定が立てられません。旅の最後がパリならいいのですが、ダブリンだったので、ダブリンからパリに移動するチケットもセットで予約・購入する必要があります。半月ほど前の時点でANAに連絡を入れてみると、8月13日も14日も「空席待ち」という状況。そこで、もう一歩突っ込んで、「どちらが空席の出る確率が高いか?」と尋ねてみました。すると「14日は20人近く空席待ちをしているので難しいかも」とのこと。そこで、13日に希望をつなぎ、その時点でダブリン→パリのエールフランス便チケットを取ることにしたのです。

 

この時期はほとんど毎日、朝と夜の2回、ANAのマイレージ特典航空券の状況をチェックしていました。そして、やっと13日にアキが出たことがわかり、即手続きをして帰りの航空券を予約。やっとダブリン→パリ→羽田とつなげることができました。ただ、見かけはつながっていますが、航空会社(間)の運送約款的にはつながっていないでしょうから、先に書いたような厄介な事態を招いてしまったわけですね。

 

時期や目的地にもよるのでしょうが、ANAのマイレージ特典航空券はなかなか取りにくいというのは、多くの利用者が感じていることのようで、これからも頭を抱えるような事態に遭遇しそうです。取りやすいのは近場のアジア方面。台湾や香港、ハノイなどは往復ともあっさり取れることが多いように思います。無料で乗れる席はおそらく一つの便でいくつまでと決まっているからでしょうが、なんとかもう少し取りやすくしてほしいものです。

 

IMG_1810まあ、それはともかく、この日は空港へも早めに行き、チェックインの手続きを済ませました。ANAで手配してくれた空港係員が家人を車イスに乗せ、ラウンジまで押していってくれましたが、やっとこれで間違いなく帰国できそうです。スターアライアンスのラウンジは、外国の空港にしては珍しく、タバコも吸えるようにっていました。ラウンジの一部が中庭になっており、そこに出ればお日様のもとで吸えるのです。またまた新しい穴場の発見に、前日の怒りも吹き飛んだのでは思うかもしれませんが、そんなことはありません!! しばらくの間は「エールフランス」の文字も見たくないというのが正直な気持ちです。